真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
「特に言いたいことが思いつかないけど、とりあえず難癖つけとけ」みたいな理由ではないことは確かだ。
そんなしみったれた人間は、はてブには一人たりとも存在しないからな。
意味が提示されていない場合、それは各々が見いだすものであるし、仮に見いだせなくても「意味がない」=「悪い」ではないからな。
「意味がないから」といって怒るような、さもしい人間はこの世界には存在しない。
なので私は「表現規制反対派の過激なメタファー説」を推したい。
多くの規制は作り手が自主的にやっているものだが、是非の判断については漠然としていることが多い(いや、まあ、ボーダーラインが可視化されてないからだろという指摘は、ひとまず置いといて)。
ドラ○もんという書き方は、○首や○ンコだけ隠れているものの、肌色率が圧倒的に高い絵みたいなものだな。
そして表現問題において、そういう可視化されていない境界線上のアウトセーフ議論が中々に厄介なのだ。
要はヤキモキする人が出てくる。
いっそのこと全部伏せ字にするか、或いは「エ」をちゃんと書いてくれれば、漠然とした境界線上をイ○イ○棒持って歩かなくても良いのに、と考えているのだろう。
・・・・・・いや、やっぱこの説はないな。
ああ・・・・・・そのようだな。
つまり、ドラ○もんの○には意味があったってことになってしまうな。
じゃあ「特に言いたいことが思いつかないけど、とりあえず難癖つけとけ説」にチェンジで。
これは質問者の君にも当てはまるから、意外にも有力候補になってきたな。
何か誤解しているようだが、巷の差別問題の大半は「人種」という枠組みの範疇でしか語られていないぞ。
人間を人間として扱うのは差別じゃないので、動物を動物として扱うことも差別じゃないだろう。
・・・・・・いや、当人が思ってなくても認定することは可能か。
じゃなきゃ、私は今頃チョウチョになってる。
そりゃあ、認定すべきだろう。
まあ、その個体を違う種だとするなら、除外しても良いと思うが。
「そういうことするのは差別じゃないのか」と言われても私は知らんよ。