はてなキーワード: ドレスとは
婚約者 同僚(同居中)
母 自営業
父 自営業
姉1 遠方に住む既婚者
姉2 近所に住むバツイチ
父 現役公務員
母 現役公務員
妹 既婚者
交際期間は短いが仕事での付き合いは2年以上ある上に、双方の家族から気に入られていたので結婚自体はスムーズに行くはずだった
同棲初めてすぐの頃に両家の顔合わせは済ませており、入籍のタイミングを図っていたらこのコロナ渦に自分の両親が自営業の廃業が決まった
またその直前に自分の夢だった注文住宅の購入に目処がついてきたので、
両親のリタイアと戸建てのタイミングがちょうど重なるから頃合いかな、と婚約者と話がまとまった
食事会はどんな感じが良いか、結婚式はこの時期は無理だから写真だけでも良いか、等
廃業した当日に、引退祝い酒で酔ってる父に私と婚約者は帰り際に
と言った
言った場所、雰囲気、軽い言葉からわかってもらえると思うが、あくまでも「長生きしてね」が伝えたい言葉だった
父親は酔っていたのもあって非常に喜んでくれた
「やっとか。待ってたよー。また詳しいことが決まったら教えてくれ」
と言ってくれた
だが母親はちがった
「そんな大事なことを酒の席で、しかも私には言っていない!!」
勘違いさせてしまったことは自分の落ち度だが、勘違いを訂正せずに姉1と姉2に文句をぶちまけてしまったのだ
よって母と姉たちは、私のことを
※自分が知らないところで話が発展し、突然の説教はその前からあったのだがそれは割愛する
ごめん日記書いててしんどくなってきた。
ちなみにまだこの3人とは冷戦している
この二人にもすでに婚約者との面識があり、結婚前提の付き合いということも知っている
肯定すると
私「結婚式はしない予定。コロナもあるけど式やるお金は他のことで使いたいから」
2「食事会とかしたいじゃん」
私「だからする予定ではあるって…それから黙っていたけど、私家建てるから。もう土地も見つけてる」
私「違うよ。この話は両親に話さないでね。年金と貯金ぐらしになる二人に心配描けさせたくないから。
あの二人のことだから援助してきそうだし」
1「結婚式のお金無いなら費用出してもらえばいいじゃない。というか、出してくれると思うよ」
2「家の援助しないと思うよ」(割愛するが、姉2は母親の蓄えを減らすほどの援助を受けてきた)
私「あのさ、お金を出させる可能性を潰したいの。それから入籍もその家のタイミングと図って一気にやりたいだけだから」
2「なんか家のために入籍してるような気がする」
私「いいじゃん。問題ないじゃない。良いんだよ事実婚でも。手続きしなくて楽だから。
1「ごめん、やっぱり家のこと両親に私から話すね。大きな話だし」
ここで私、姉1に怒る
これまで普通の言葉を使ってきたが、強い言葉じゃないと通じないと思ったからだ
なんでこの人達は式にこだわるのか
フレンチ・カンカン、というかラインダンスとの出会いは、おそらくは文明堂のCMだ。それから「ドレミファソネットどしたらできるの」で有名なso-netのCMだ。なぜかこのCMではおじさんの脚線美を見ることになるのだがそれはさておいて、Youtubeで検索すると今でも天国と地獄に合わせて踊る動画を確認できる。
本題に移ろう。Can-can dressについてはウィキペディアではおおよそこのように述べている。ドレスは基本的に何層にもなった大量のフリルがついていて、当時の下着の上に縫い付けられていた。脚は黒いストッキングや網タイツで覆われていた。つまり、レオタード姿のソネットのCMはフレンチ・カンカンではないのである。足の動きの速さからしてまるで違う。
衣装ではなく、カンカンダンスそのものについては、日本語版のウィキペディアと英語版のウィキペディアで書いてあることが若干違う。おそらく英語から訳したときの版が違うのだろう。
両者の記述を比べてみたが、フレンチ・カンカンにおける見せパンの起源はかなり曖昧らしい。足を思い切り上げてスカートの中が見えてしまう動きは、ショーの場では1820年代にアクロバット的な動きで知られるCharles Mazurierがバレエの大開脚を取り入れたことにさかのぼるようである。初期のダンサーは娼婦やセミプロの役者だけであったのだが、1890年代になるとムーラン・ルージュではトゥールーズ・ロートレックの絵で知られるLa Goulue(食いしん坊さん、的な意味)やJane Avrilなどの高給を取るスターが生まれた。La Goulueのページでは当時の衣装とセットの見せパンが確認できる。これらのスターの生活は華やかだが晩年は不遇であることもあった。この二人もビジネスの失敗や大恐慌で財産を失い、寂しく亡くなっている。
さて、カンカンは足を高く蹴り上げるので、当然スカートの中身が丸見えになる。しかも、それや当時としてはよりスキャンダラスであった。というのも、当時の下着であるpantalettesは衛生上の理由からクロッチ部分が開いていたからである。要するに性器が丸出しになるわけである。もっとも。そのあとにこんな記述がある。カンカンのための特別な下着を用いていたという記録はないが、ムーラン・ルージュでは下着の露出は禁じられていたことになっていた、と。どうもこのあたりの記録は曖昧というか[要出典]をつけたくなる箇所が多い。ウィキペディアは普段は自然科学の記事を読むことが多いが、そこよりも曖昧な記述が多い印象だ。文体もなんだか違う。
ところで、今のフレンチ・カンカンとして知られる、大人数の女性が10分以上高度な振り付けを続けるスタイルは、1920年代にアメリカで人気が出たスタイルを逆輸入したものでそうである。
実際、19世紀末からに20世紀初頭にかけては女性の脚部を見せるということでかなりスキャンダラスなものとしてみられていた。また、陰部を覆う白い生理用(?)下着と黒いストッキングの対照もエロティックだとして見られていた。さらに、体を折り曲げてスカートを後ろからまくり上げ尻を見せる動作もあったという。先述のLa Goulueはこの芸で知られていたとのこと。また、前の席の客の帽子を蹴り飛ばすほど近づいて、スカートの中身を見せることもあった。もっとも、顔を思い切り蹴られる危険もあったのだが。
結論から言うと、当時のフランスに見せパンそのものであったかどうかはわからないが、パンツが見えることは覚悟の上だった、ということになりそうだ。女性器が見えていたかどうかまでは根拠が怪しい。もっとも、今ほど表現が自由でなかった当時のこと、そんなことを文学や絵画で記録に残せたかどうかは怪しいものだ。ちなみに女性器を堂々と描いて当時の偽善的風潮に反発したクールベの「世界の起源」が1868年、ヌードでスキャンダルを生んだ「草上の昼食」が1863年である。
パリにはいくつも有名なキャバレーがあり、それは近現代の芸術や芸能に多大な影響を与えてきた。たとえば、ムーラン・ルージュで活躍した人物としてFrank SinatraやCharles Aznavourがいる。それらのすべてをここで述べるのは大変なので、地球の歩き方に広告が載っていたと記憶しているものをピックアップして簡単に述べる。子どもの頃、トップレスの女性が旅行ガイドに載っているのを見てドキドキしていたものだ。もっとも、その女性の姿はせいぜい五ミリくらいの大きさしかなかったのだけれども。
学生時代にパリを訪れたときには、そこには寄らなかった。一日中美術館で過ごしてぐったりしていたし、まだ女性経験がなくて図々しくなれなかったからだ。今となってはいい思い出である。
赤い風車で名高いキャバレーで、ここを舞台にした映画は数知れず。トゥールーズ・ロートレックの作品群でも有名。著名なダンサーも多く、全員を紹介するのはとても無理だし、別のキャバレーにも出演していて、キャバレー別に紹介するとややこしくなるので端折る。
ところで、ウィキペディアだけからはヌードがどの程度ショーに盛り込まれていたかはわからないが、1893年の舞踏会に裸の女性がいたことがスキャンダルになったそうである。なんでもヌードモデルが活人画として周囲を歩き回り、裸の女性が深夜にテーブルに立っていたとのこと。一方、英国の劇場のように活人画、すなわち生きた人間で絵画を再現する目的としてならヌードは猥褻ではない、という意識もあったようである。例えば英国では劇場にヌードが現れたとき、当局が1930年代に裸の女性が動くことを禁じた。この禁令をかいくぐるために、モデルたちは活人画のように止まったままとなった(ストリップの記事を参照)。また、戦後日本でも「額縁ショー」と呼ばれるストリップのさきがけのようなものがあった。動かなければ猥褻ではないという謎理論がまかり通っていたのである。当時のGHQが何を意図していたのかはよくわからない。
これまたよくわからないのがゾラの1880年の小説「ナナ」では、ヒロインがヴェリエテ劇場でほぼ全裸を披露して観客を魅了するという場面があるのだが、実際のところどうだったのだろう? 本記事はカンカンについてなので劇場のヌードについては語りつくせないので、今後の課題としておきたい。
1889年開業、1915年に一度焼失するも再興し、ドイツ占領時代にも営業を続けて今に至る。
モネの絵画、「フォリー・ベルジェールのバー」の舞台としても知られる。また、黒人系の女性Josephine Bakerが活躍したキャバレーとしても知られる。バナナ型のスカート以外はほとんど身に着けていないエキゾチックな姿がオリエンタリズムの流行した当時ヒットしたのだが、後にその恰好が人種差別的だとされるようになり、そこからネグリチュード、黒人意識の発展にも寄与した。また、彼女は黒人の人権活動家としても知られている。最近、グーグルが彼女の生涯を記念するドゥードゥルをトップにした。
1869年に開業、1872年に今の名前になる。けばけばしい衣装で知られ、時としてヌードも披露されることで知られる。
映画「ファイアbyルブタン」で有名。セミヌードを含む映画の公式予告がyoutubeに上がっている。身体をやわらかな特殊素材のように扱ったショーは性欲やエロスの向こう側に行ってしまっており、すごいものになっているとしか言えない。リンクを貼ったら怒られそうなので検索してください。もちろん、そこまで独特なものではなく、もっとわかりやすいショーもある。
ユニークなのはそのショーの一部をyoutubeの公式チャンネルで公開していることだろう。かなり古い白黒のものまである。それと、公式ホームページ見ていたら驚いたのだけれども、リド自体には12歳以下の子どもでも入場できるそうである。ヌードやトップレスがないショーならOKなのか、それとも芸術のヌードならOKなのか。フランス映画、年齢制限がないやつでも割と普通におっぱい出てくるし、表現規制の国ごとの温度差を示す実例であるのかもしれない。
1946年開業。1920年代の人工的な砂浜をその前身とする。
「ストリップティーズ」の項目によれば1960年代に全裸のショーが行われた、とある。
現に、創業者であるアラン・ベルナルダンは芸術性を伴った女性のヌードショーを見せるという着想に至ったそうで、要するに最初から全裸である。
とはいえ、ただの全裸ではなく、巧みな照明技術により女性の裸体をキャンバスのようにとらえ、万華鏡のようなカラフルかつシャープな模様をダンサーの肌に映し出していることに特徴がある。ただ脱いだだけではないそうだ。1951年開業。
天国と地獄の曲を初めて聞いたのは文明堂のCMと、音楽ファンタジーゆめでだ。後者はCGの黎明期であったせいかサイケデリックな表現が多く、当時の感覚としても幾分薄気味悪いと同時に、今から振り返ってみると技術の未熟さ(失礼!)から来るアルカイック芸術のような独特の魅力があったように思われる。
ところで、この曲は地獄のオルフェとしても知られている。タイトルからすると、ギリシア神話のオルフェウスが死んだ妻を冥界から取り戻そうするとする話のはずだ。なのに、なんでこんな軽快な曲なのだろうと思って調べたら、ギリシア神話のパロディ的なオペレッタだからだそうだ。なるほど。
こうしたレオタード姿のラインダンスはカンカンではないと述べたが、それではこれはいつからあるのか調べたい。おそらく日本国内では宝塚歌劇団と関係している。また、バーレスク的なものとの関連について知りたく思う。そもそもバーレスクとは何か、僕はよくわかっていない。日本語版のウィキペディアのバーレスクの記事には、乳首と陰部に前貼りを貼っただけの姿でパフォーマンスをする女性の写真がある。リンクは張らないが、鍛えられたきれいな体だなあ、僕も筋トレ頑張らなきゃなあ、とは思う。しかし、欲望はそこまで感じなかった。隙がないのである。
はあ?と思ったのが新しいタイツ買ったんだ♪見ていいよ♪(少しちがってるかも)とかキャプション付いてる絵のタイツはただの黒いマットなやつ。
柄とかかわいい色とかじゃないのにそんなこと言う??
グラビアの寒いキャプションみたいなやつ付けて誰に販促してるんだ?
エロい妄想が捗るように男が買い込むのを期待なのか? だとしたらプレゼントの参考に、男性へのアピールキャンペーンとかにしたらよかったのでは。
苦情は来るだろうが体裁としてそういう企画もありかもしれんねと理解する。
萌え絵の窃視的なエロ(ラッキースケベ的な描写のやつ)って偶然を装って触ってくる痴漢と同じような手口でキャッキャしてるのがムカつく。その描写を入れて広告にしていいと思って性嫌悪だの見当違いな間抜けな攻撃して悦に入ってる奴とかそれ力説してるところを勤務先にバレてたらいい。
二年前のスーツのゲイ男性がセクシャルに絡みアピールする広告はかなり違う種類のものだよな。
ゲイ男性のセクシャルな描写だが、ゲイ男性単体を盗撮的に捉えたものじゃない。
能動的に性を楽しんでる成人のカップルをカッコいいスーツが盛り上げてる。
かたやタイツの方は、ミニスカ女性が靴紐を直すためにしゃがみ下着が見えそうで、シャツの裾だかスカートのポケットの布地が太ももに食い込んだミニスカからはみ出てるのをタイツが目立たさせてるとかいう窃視的なやつ。
これ見て女性がタイツを着けたくなるか?パンツ見えそうだし切り替え線とか見えたら見苦しいし早く済ませなきゃ間抜け顔でガン見してくる男の視線がうっとうしくてムカつくし、と日常の不愉快の記憶が甦ったりもする。
タイツをお洒落アイテムとしてスマートに見せてるのは銀杏の葉が舞う白タイツのとか、ドレッシーな装いでタクシーから出てくるの、ドレス姿でリラックスして椅子から脚をはみ出して座ってるのとかは良いよね。
あとリブの黒タイツをホットパンツにあわせてるのはかわいい。自分が使うならホットパンツでなくて長めのスカートとかで。自分じゃないがうるさくない学校なら制服のスカートでもかわいいなと思った。
結婚式は家族だけ、新婚旅行は希望していた場所に行けるかどうかわからない。それでもやっぱりとても幸せだから大丈夫です。正直、式に呼ぶ友達を選ぶのが前々から少し面倒に感じていたのもあって渡りに船です。
そんなことはどうでもよくて、今、すごくつらいのです。
何がってドレス選びです。フィッティングに行って気になるものを4〜5着ほど着させてもらい、写真を撮ってもらい、契約をする。そのときは大変満足で当日を楽しみにする気持ちで胸をいっぱいにしてお店を出るんです、毎回。
でも、2日後ぐらいからつらい。撮ってもらった写真を見て、やっぱりあっちがよかった、こっちはスタイルが悪く見えるかも、違う雰囲気のを選んだ方がよかったかも、なんて後悔が波のように押し寄せてきてそれはそれはつらいのです。
先月前撮りのためのドレスを決めにフィッティングに行ったときは、その後1ヶ月ほぼ毎日悩んでやっぱり見直しをしたいことをお店に伝えました。きっとそういうことにはお店側も慣れているんでしょうね、全然嫌そうな感じでなくてほっとしました。
でも、先日再度フィッティングに行ったときに本当は前撮りと結婚式の小物合わせをどちらも終えてしまう予定だったのに、ドレスの見直しを結局前撮りの小物合わせまでしか終えられなかった。
そして、それだけ手間をかけてもまたやっぱりあっちの方が…って悩み始めているのです。
ドレスショップの方はこれでも決めるのは早い方だとおっしゃってました。それでもなんだか申し訳ない気持ちです。
だいたいの理由は自分の写真写りの悪さなんです。ドレスが悪いんじゃなくて、妙に変な顔をして写っている自分が嫌に感じて、ドレスを変えたらどうにかなるような気がしてしまうだけなんです。
わかっているのにやっぱり…って悩み、後悔する毎日が本当につらい。
この件少し深く考えてみた。
まず、女性でもパーティーとかイベントとかで露出の多い衣装を着た自撮り写真を
「今日はちょっとセクシー❤️」みたいなコメントをつけてSNSでシェアするようなことは割とある。
だから性的に見られることが無条件で不快というわけではないだろう。
今回問題となったのは、性的に見られたくない職場や学校で着る服、
性的な意味を持たない作業着のような服装に、他者が勝手に性的な視線を向けてくることに対する不快感だろう。
そこまではわかる。ただ今回のATSUGIの狙いは、ラブタイツという命名から想像するに
「これまで無機的な作業着のようなイメージだったタイツを、特別な人との間でセクシーなアイテムにしてみては」
従来のイメージと全く異なるシチュエーションでの着こなしの提案というのは服飾業界ではよくある。
まあ、今回は見事に失敗したんですけどね。
やっぱり、特別な関係性のある人に見せるというのと、見せるつもりはない関係性もない異性から勝手に見られる
というのはだいぶ違うし、その違いに細心の注意を払わないと新しい提案だとは受け取られず
以前からよくある不快な状況をなぜか公式が後押ししているように見えてしまう。
フェチ男性向けのエロさじゃなくて、ananのエロ特集のような女性主体の見せ方が必要だった気がする。
イラストがダメというわけではないけれど、学校やオフィスではなく
好きな作品のファンアート(二次創作)を描いている。服装とかは自分では考えられないし、基本的にアニメやアプリをお手本にしてる。衣装は時々肩や背中のでてるデザインもあるけど、それはそれでおしゃれだし可愛いなと思ってるし、なるべく公式の絵に忠実に描いてきた。
そういう、多少素肌がでる衣装の絵に「えっちですね」というコメントが来た。悪気はないのはわかったけれど、殴られたような気持ちになって、しにたくなった。
私にとってキャラクター、特に未成年のキャラクターは庇護するべき対象で、子供だ。その子たちが私の描いた絵のせいで性的な視線に晒された(消費された)というのが耐え難く苦痛で、可愛い衣装だなあと思っても彼女たちを描くのが怖くなっている。
せめて心の中にとどめておいて、違う言葉を選んでくれたらなあと思う。悪気なく「えっちですね」と言える人たちが何考えてるのかわからなくて怖い。
男性に限らず女性でも感想が「えっちですね」の人はいる(し見かける)。発言者の性別に関係なく、悪気もなく考えもなく人やキャラに対してその言葉を投げかけられること自体が私にとっては理解不能で恐怖です。
独り言の吐き出しのつもりだったのにいつの間にかコメントが増えてて驚いてます。
衣装は三次元のアイドルでも着られるようなステージドレス?だと思っていただければ。
誰かを否定したいわけでも攻撃したいわけでもないので、個別の返信?は控えますが
私はどうしても二次元だろうが未成年のキャラクター(ギャルゲーやエロゲーのキャラではない)を性的な目では見られないし、感情移入しすぎだとは思いつつも彼女たちに健やかに過ごしてほしいと願ってしまうし、そこまで思い入れがあるから「描きたい」に行き着く感じです。自分が二次界隈に馴染めない自覚はあるので、交流はほぼせず壁打ちしてます。
あと、実生活で人に面と向かって言えない類の言葉だと思うのですが、それをネットなら言える、という面でも恐ろしさがあります。
二次元のこれが許されないなら、実在女性のこの格好も許されなくなるぞ?女性差別だよな?抑圧だろ?いいんだな?という主張をする奴を見かけるが、実在女性も「性の解放」とか「肉体の解放」だとかわがまま言って脱ぐのは許すべきことじゃないだろう。
社会的には、男性も女性も、そして最近では年端のいかないガキにだって、節度ある格好をすることが求められているのだ。
他人の裸、他人の露出、他人の性など見たくもないものを見せられるのは苦痛だ。マイクロミニやタンクトップ一枚姿でウロウロして風紀を乱して、注意されると「差別だ」なんて異常である。おっさんが襟元だるだるのタンクトップで乳首を浮かせてマイクロミニで出社したらセクハラだなんだという癖に、自分はいいだなんておかしいとは思わないのだろうか。
最近ではところ構わずコスプレをするようなレイヤーもいるが自己中迷惑以外の何物でもないし、SNSに際どい写真の投稿をすることだって承認欲求のためにマナーを守らない我儘な迷惑行為だ
DMで性器の画像を送られるとか文句言ってるアカウントも、全世界に向けて下着姿の写真をあげている自分と何が違うか一度ぐらい自省して欲しい
あなたがどんなに美しく若い女性であったとしても、あなたの下着姿なんか見たくない人間も大勢いる。
女性だからと、女性の解放だからと、もう令和だからと意味不明な理由をつけて脱ぐのはやめていただきたい。主体的に脱ぐな。服を着ろ。マナーを守れ。これは男性にも女性にも言えることだ。男女平等な要請だ。肌着コンビニにくるおじさんにも同じことを言おう。だからパンツが見えない丈のスカートを履くぐらいのマナーは守ってくれ。マナーだ。風呂に入って洗濯した服を着るのと同じマナーだ。
個人的に、ドレスコートの男女差については明確に差別だと認識している。短髪やネクタイの強制、スカートやヒールの強制は慣習を理由に正当化した差別だろう。短髪の強制がどれほど重要な問題かは個人によって異なる。非当事者が「髪型ぐらい」と当事者の感情を矮小化するのは最悪の行為だ。他人にとってはどれほど些細な問題であろうと、人種、男女、年齢、出身地……etcを理由に「差」を強制する限りそれは差別「かもしれない」行為である。当事者が嫌がっているのに生まれ持ったものを理由に強制することが差別ではないなら何が差別だと言うのか自分にはわからない。
よく来られるお客様の1人ではあるが、いつも1人で黙々とこなす姿が印象的である。
何かを目指しているのか、単に好きで続けているのか。
結婚が決まってドレスのために、彼氏に身体を否定され見返すために、ボディメイクに拍車がかかったのか。
ある意味でとりつかれたような雰囲気・空気感もまた気になるポイントの1つである。
そんな理由や目的なども気になるところだし、仕事とか何してるのだろうとかも気になる。
何か力になれることがあるならなってあげたいと思うし、もちろん"下心"があることは否定しない、というか"下心"(=あわよくば個人的に仲良くなりたい)は思いきりあるw
とにかく気になるのだけど、もうそこそこ長いこと見かける人だからいまさら声かけるのも遅きに失した感がある。
(かといって顔や名前くらい覚えてもらえているかというとそれも期待薄…そりゃいちいち店員の顔や名前なんて気にしないからな)
いや、そんな言い訳はどうでもいい、とにかく私は行動する勇気を身につけたい。
不審に思わせることなく、また、たとえ拒絶されても私自身がその悲しみや屈辱に耐えられるだけの強靭なメンタルを身につけたい。
Once upon a dosukebe time…あるその名を口に出すだけでいかがわしい行為扱いにされる卑猥で淫靡でいやらしいクソスケベなところに、とても美しくて痴女痴女しくてやさしくていやらしくてさらにドスケベな娘がエロいました。産まれてから今までそこら辺でマン汁マーキングを欠かしたことはもちろんありません。スケベ人ならばごく自然な当たり前の行為ですが、産まれた直後からマン汁マーキングをするのは極めて珍しいケースでした。
でもエロ悲しい事に、ドスケベ娘の淫乱極まりない先天性美っ痴お母さんはエロ早くにアクメなくなってしまいました。
そこで絶倫極まりない癖に常軌を逸脱するくらい早漏な無限ドピュドピュお父さんが二万度目の破廉恥結婚をしたので、ドスケベ娘には新しい爆乳えちえちお母さんと二人のマン汁駄々漏れでベリーベリーロングマン毛なイカレマンコお姉さんがエロ出来ました。
ところがこのスケベ人たちは、そろいもそろって大変な意地悪でドン引くくらいにクソスケベだったのです。ドスケベ娘のマン汁マーキングした場所にめちゃんこ長い陰毛を筆みたいに使ってエロエロ腰振り上書きマーキングするのは当然のこと、小さな脳味噌が入ってるんじゃないのかってくらいデカいクリトリスを見せつけたり、ドスケベ娘がエロ可愛がっていたちょっぴりえっちな少年を無理矢理精通させてその"初めましてザーメン"をスケベな鼻からエロ吸ったりしていました。
新しいえちえちお母さんは、自分の二人のイカレマン娘(こ)よりもきれいで卑猥で淫靡なドスケベ娘が気に入りません。
「まあ、あんたは何て、にくらしいドスケベ娘でしょう゛ッ♡見ているだけでイグッ♡ムカムカアクメしゅ゛る゛ッッ♡」
えちえちお母さんと二人のイカレマンコお姉さんは、つらいアクメ仕事をみんなドスケベ娘にエロ押しつけました。
それにドスケベ娘の媚薬ふとんは、そまつな媚薬わらぶとんで、ドスケベ娘の着る服はボロボロのつぎ当てだらけで局部だけに不自然でありながらも自然なエロ穴が空いています。
感度3000倍の媚薬が溶け込んだお風呂、その名も感度3000倍媚薬風呂に入る事も許してもらえず、ドスケベ娘のスケベ頭にはいつもエロかまどの媚薬灰が付いていました。
そこでえちえち三人はドスケベ娘の事を、『媚薬灰をかぶっている』と言う意味のドスケベシンデレラと呼んだのです。
可愛そうなドスケベシンデレラでしたが、それでもドスケベシンデレラの美っ痴さは、イカレマンコお姉さんたちの何倍も何倍も3000倍も上でした。
ある淫靡極まりないエロスとカオスとリビドー渦巻く日の事、淫乱お城のえろえろ王子さまがお嫁(まんこ)さん選びのセックスしないと死ぬ舞踏会(ぶとうかい)をエロ開く事になり、ドスケベシンデレラのイカレマンコお姉さんたちにも卑猥な招待状が届きました。セックスしないと死ぬ舞踏会はセックスしないと死ぬ大広間で行われるセックスしないと死ぬ舞踏会です。当たり前ですが、セックスしないと死ぬ大広間に集まったスケベ人はセックスしないとアクメもせず死んでしまうので、集まったスケベ人はある者はまんこを狩るちんぽの目、またある者はちんぽを狩るまんこの目、さらにまんこを狩るまんこの目、ちんぽを狩るちんぽの目になってセックスしようと必死になる卑猥でいやらしくて浅ましい舞踏会である事は、ここまでお読みいただいた読者の皆様ならば容易く想像できて当然だと確信しています。
「もしかすると、えろえろ王子さまのお嫁(まんこ)さんになれるかも♡ウヴォッ♡」
「いいえ、もしかするとじゃなくて、必ずお嫁(まんこ)さんになるのよ♡びぴゅ♡」
二人のイカレマンコお姉さんたちとえちえちお母さんは、大はしゃぎオナニーです。そこら辺の発情死骸の性器からかき集めた性的な垢を鼻で吸うのも忘れません。
そんなイカレマンコお姉さんたちのアクメ仕度をエロ手伝ったドスケベシンデレラは、イカレマンコたちをニッコリ笑ってエロ送り出しました。その隙にマン汁マーキングもきちんとしました。エライですね。
それからドスケベシンデレラは悲しくなって、シクシクイクイクとアクメ泣き出しました。
「ああ、わたしもセックスしないと死ぬ舞踏会に行きたいわ。えろえろ王子さまに、お会いセックスしたいわ。泣けるわ。膣から涙が出てくるわ」
でも、シンデレラのボロボロの服というよりもはや全裸では、セックスしないと死ぬ舞踏会どころか淫乱お城に入る事も許されません。淫乱お城を守る、ちんぽが50センチ以上無ければ選ばれない絶倫全裸戦士、通称Z戦士達に、迷いオナホと間違えられてオナ雑巾にされるのは目に見えています。それはそれでえっちなので想像するだけでクリトリスがドキドキしてしまいました。
そのえっちな時、どこからか百万回アクメした雌猫のようなえっちな声がしました。
「泣くのはおよし、ドスケベシンデレラ」
「・・・? だれ?」
するとシンデレラの目の前に、スケベふたなり妖精(ようせい)の淫乱セクシーおばあさんが現れました。顔はおばあさんなのにボディはむちむちえろえろでただのスケベ人ならば一瞬で性癖が歪むのも無理はないくらいスーパーハイパースケベおばあさん妖精でした。スケベふたなり妖精おばあさんはイボイボだらけのやばやば不自然ちんぽ40センチをドスケベシンデレラの口に突っ込むと挨拶がわりに2、3度雑に射精しました。ふたなり妖精の精液はスーパーハイパー超ウルトラ強制発情ガスMEGAMAXの原液であり、ドスケベシンデレラは4545194回アクメしました。
「シンデレラ、お前はいつもアクメ仕事をがんばる、とても良い子(まんこ)ですね。
そのごほうびに、わたしがセックスしないと死ぬ舞踏会へ行かせてあげましょう」
「本当に?」
「ええ、本当ですよ。ではまず、ドスケベシンデレラ、媚薬畑で媚薬カボチャを取っておいで」
シンデレラが感度3000倍の媚薬が肥料として使われている畑、その名も感度3000倍媚薬畑から感度3000倍の媚薬の原料である感度3000倍媚薬カボチャをいやらしく取ってくると、ふたなり妖精はそのカボチャをえろえろ魔法のつえでもあるやばやばちんぽでセクシーに叩きました。
するとそのカボチャがどすけべんどすけべん大きくなり、何と卑猥な黄金のディルド馬車になったではありませんか。
「まあ、立派な馬車(ディルド)。すてき」
そのセックス馬は、どこにいるのかしら?
・・・ああ、セックスネズミ捕りには、ハツカセックスネズミが六匹ね」
ふたなり妖精はセックスネズミ捕りからハツカセックスネズミをエロ取り出すと、魔法のつえちんぽでハツカセックスネズミにエロネットリさわりました。
するとハツカセックスネズミはみるみるうちに、立派なペニスのセックス白馬になりました。もちろん六匹全員がセックスしているのでちょっとしたケルベロスみたいになっていました。
別のセックスネズミ捕りには、大きな灰色セックスネズミが一匹いました。
ふたなり妖精が魔法のつえちんぽで灰色のセックスネズミをいかがわしくさわると、今度は立派なおひげとペニスをした太っちょセックス御者(セックスぎょしゃ→馬とセックスして馬車を操る人)にエロ早変わりです。セックスネズミの耳みたいな帽子を被る姿はまるで、セックスアルマゲドンTOKYOには無いのにセックスアルマゲドンTOKYOの名前がついた名前を出すのも憚られる例のDがつくテーマパーク帰りのお父さんのようでした。
「ハハッ僕に任せておくれよハハッ」
「はい」
シンデレラが集めたセックストカゲは、魔法のつえちんぽでセックスしっぱなしのお供のスケベ人になりました。
「ほらね。ディルド馬車に、セックス白馬に、セックス御者に、セックスお供。
さあドスケベシンデレラ、これでセックスしないと死ぬ舞踏会に行く仕度が出来たわよ」
「うれしい。ありがとう。・・・でも、こんなほとんど全裸のドスケベドレスじゃ」
「うん? あらあら、忘れていたわ」
ふたなり妖精が魔法のつえちんぽをセクシーに一振りすると、みすぼらしい服を着ているようにも見えるけどほとんど全裸な姿は、たちまち輝く様な純白のいやらしくも卑猥(うつく)しいドスケベドレスに変わりました。局部に不自然で自然な穴が空いているのは変わりません。
そしてふたなり妖精は、小さくて卑猥(ステキ)なガラスのアナルプラグ付きクツもくれました。
「さあ、楽しんでおいでドスケベシンデレラ。
でも、わたしのえろえろ魔法は十二時までしか続かないから、それをエロ忘れないでね」
さて、淫乱お城のセックスしないと死ぬ大広間にドスケベシンデレラが現れると、そのあまりの美っ痴さに、あたりはシーンと静まりました。全くセックス出来なくてセックス出来なかったスケベ人用のド汚い汚っさん汚ちんぽに土下座するスケベ女の人や、デスアクメしたまんことセックスするもセックス扱いされずアクメ狂ってセックスするほどユートピアと歌い出すスケベ男の人達もみなドスケベシンデレラに見惚れてしまいました。
それに気づいたえろえろ王子さまが、ドスケベシンデレラの前に進み出ました。
「ぼくと、踊(セックス)っていただけませんか?」
えろえろ王子はひとときも、ドスケベシンデレラの手を離しません。
そのダンスはセクシーではありませんでしたが、美しくも可愛らしいダンスでした。
セックスとは何か。
それは粘膜と粘膜の擦り合いではなく、魂と魂の交合です。ただ粘膜同士をこすり合わせるだけではセックスとは呼べません。それは相手の粘膜を使った自慰行為でしかないのです。セックスしないと死ぬ大広間は自慰行為を決して許しません。それと知らずセックスをしているつもりのスケベ人達はこの後アクメもせず死んでしまうとは淫夢(ゆめ)にも思っていないでしょう。みな自分は生き残るかデスアクメするかどちらかだとエロ高をシコくくっていました。
しかし、そんな中、ドスケベシンデレラとえろえろ王子の美しいダンスは紛れもなくセックスでした。セックスしないと死ぬ大広間もセックス判定をするくらいセックスのようなダンスでした。
卑猥(たの)しいエロ時間は、あっという間に過ぎて、ハッと気がつくと十二時十五分前です。
「あっ、イケない。・・・おやすみなさい、えろえろ王子さま♡イグッ♡」
ドスケベシンデレラはていねいにおじぎアクメをすると、急いでセックスしないと死ぬ大広間をアクメ出て行きました。
ですが、あわてたひょうしにガラスのアナルプラグ付きクツがエロ階段にエロひっかかって、ガラスのアナルプラグ付きクツがエロぬげてエロしまいました。
十二時まで、あと五分です。
ガラスのアナルプラグ付きクツを、エロ取りにエロ戻るエロ時間がエロありません。
ドスケベシンデレラは待っていたディルド馬車にアクメ飛び乗ると、急いでラブ家(ハウス)へエロ帰りました。
ドスケベシンデレラの後を追ってきたえろえろ王子さまは、落ちていたガラスのアナルプラグ付きクツを拾うとムキムキの衛兵と艶美で淫靡ないやらしくもたくましい、淫らというにはあまりにも雄VS雄(おとこまつり)なケダモノセックスをしている媚薬オイル塗れのセックス王さまに言いました。
「ぼくは、このガラスのアナルプラグ付きクツの持ち主のドスケベ娘(まんこ)とアクメ結婚します」
セックスしないと死ぬ大広間にエロ転がるセックス出来ずに死んだスケベ人達やデスアクメした人達、快楽を伴う電気信号を脳に送るだけのバイオ性玩具となり果てたスケベ人達の中、えろえろ王子さまのえっちな目は自分の在るべき場所を見つけたかのようにキラキラとエロ輝いてエロいました。
次の情欲と色欲と淫欲と肉欲と性欲と愛欲にまみれた日から、淫乱お城のエロ使いがエロ国中を駆け回り、手がかりのガラスのアナルプラグ付きクツが足にぴったり合うスケベ女の人を探しました。
淫乱お城の使いは、ドスケベシンデレラのラブ家にもやって来ました。えちえちお母さんは汚っさんとセックスして魂が屈服してしまい、汚っさんのティッシュとなっていましたが、それでも娘をえろえろ王子さまのお嫁(まんこ)さんにする事を諦めていませんでした。
「さあ娘たち。このアナルプラグ付きクツが足に入れば、あなたたちはたとえバイオ性玩具であってもえろえろ王子さまのお嫁(まんこ)さんよ」
「ゔゅ♡」
二人のイカレマンコお姉さんたちだった二つの肉塊は小さなガラスのアナルプラグ付きクツに足だった部分をギュウギュウと押し込みましたが、どう頑張ってもガラスのアナルプラグ付きクツは入りません。
「残念ながら、このラブ家には昨日のドスケベ娘はいないようだな」
そう言って、淫乱お城のエロ使いがシコって帰ろうとした時、ドスケベシンデレラが現れて言いました。
それを聞いた二つの肉塊は、震えました。何をしても何をされても快楽を得てしまう肉塊の代わりにえちえちお母さんは大笑いしつつ汚っさんの汚ちんぽを馬鹿みたいにデカい乳でじゅりじゅりしながら言いました。
「何をバカな事を言っているの♡ 娘たちにも入らないのに、あんたなんかに、・・・あっ!」
ドスケベシンデレラがはいてみると、ガラスのアナルプラグ付きクツはピッタリです。
みんなは驚きのあまり、口もきけません。二つのバイオ性玩具の震える音と爆乳ズリの音だけが響いています。
するとそこへ、あのふたなりおばあさん妖精がイボイボやばやばペニスをバッキバキにフル勃起させながら現れました。いやらしい臭いのする性的な体液も滝のように溢れ出ていました。ふたなり妖精はえちえちお母さんのケツを一発叩くと、セクシーに言いました。
ふたなり妖精が魔法のつえちんぽを一振りすると、ドスケベシンデレラはたちまちまぶしいほどいやらしくてクソスケベで卑猥(うつく)しい淫乱お姫さまになっていました。当然、局部の部分には不自然で自然な穴が空いているのは言うまでもありませんね。
「あっ、あのドスケベシンデレラが?!」
えちえちお母さんはパイズリするのも忘れ、ヘナヘナと腰を抜かし、そのまま娘だったバイオ性玩具と汚っさんに激犯されてIQが虚無になりえちえちお母さんもバイオ性玩具になってしまいました。
それからドスケベシンデレラはえろえろ王子さまとアクメ結婚して、いつまでも幸せっくすにアクメ暮らしました。そしてガラスのアナルプラグ付きクツはいつまでもえろえろ王子さまの"在るべき場所"にピッタリ収まり続けました。
あるところにシンデレラという美しい娘がおりました。
シンデレラは若くして両親を亡くし、義理の母親のもとで預かられることになりました。
継母には娘が2人おり、彼女ら3人はシンデレラを奴隷のように扱いました。
シンデレラが掃除をし終わったのを見るや掃除が不十分であると文句をつけ、汚れた水の入ったバケツを頭からかぶらされることもありました。
また食事の際にも、自分たちが裕福な食事をとるなか、シンデレラには小さなパンしか与えませんでした。
1か月が経つころには、シンデレラの前向きだった心もすっかりふさぎ込んでしまい、やせた顔や体で何も言葉を発せずに家事をこなす様はまるでロボットのようでした。
そんなある日、王子が結婚相手を探すための舞踏会を開くという知らせが家に届きました。
継母たちはシンデレラに帰りが遅くなることだけ伝えると舞踏会へ向かいました。
シンデレラが家事を終えて暖炉の火を絶やさないよう見ていると、ドアをたたく音がします。
ドアを開けると、そこには子供ほどの身長で、しかし白いひげを生やした何とも不思議な雰囲気を持った人物がおりました。
「初めましてシンデレラ、私は魔法使いです。あなたが舞踏会に行くお手伝いをしにまいりました。」
シンデレラが俄に驚きを隠せないでいると、魔法使いはシンデレラの薄汚れたドレスを青く美しいドレスに変えてみせました。
「ああ、やはり美しいあなたには美しいドレスが似合う。馬車があちらに停めてあります」
促されるままにシンデレラは馬車に乗りました。
城へ向かう途中、馬車に揺られるシンデレラが浮かない顔をしていたので魔法使いは尋ねました。
「いえ、そんなことはありません。私にはもったいないくらいです」
「でしたらどうしてそんな顔をしているのです」
「それは…」
シンデレラは口ごもるとそれ以降は何も喋らなくなってしまいました。
やがて馬車が城に着くと、シンデレラは魔法使いに見送られて城の中に入っていきました。
場違いであると後悔しながら壁際に立っていると、王子と一瞬目が合いました。
王子はシンデレラのもとに歩いてくると、ダンスに誘ってきました。
しかし、舞踏会に縁がなかったシンデレラは全く王子に合わせることができず、結果として王子に恥をかかせることになってしまいました。
泣きながら馬車に乗って帰ると、履いていた靴が片足だけ脱げていました。
魔法使いに謝ると、
「いえ、構いませんよ。無理やり連れだしてこちらこそ申し訳ありませんでした」
魔法使いは馬車に乗って森の中へ消えていきました。
不幸中の幸いだったのは継母たちにシンデレラが舞踏会に参加したことを気づかれていなかったことでした。
いつもと違ったのは、王子に恥をかかせた申し訳なさと希死念慮に苛まれていることでした。
1か月ほど経ったころ、王子が結婚したという知らせが届きました。
キラキラな演出、可愛いアバター、直観的な操作性とドンドン重なって行くポイント。
お着替えやラメやピンク、お友達など、幼女が好きそうな物に溢れて心が幼女にされてしまう瞬間!
脳汁がドバド出て、悩み多き友人がどハマりするのも納得だったけれど、同時に恐ろしくなったのでその感想。
プリチャンの音ゲーパートの最後には、ゲーム中で獲得した報酬(ドロップアイテムのようなもの)の、どれを持ち帰るか決める報酬取得ルーレットがあり、そのルーレットは最大8回まで回せる(らしい)。
ただし、このルーレット、最初に入れたクレジット(最大200円)を使い切った後のルーレットは、ボタンではなく、100円の投入で止める。
故に、目押しが効かない。けど、レアだけで固まってたりすると、つい100円に手が伸びる。
……という説明をしながら、鯉のエサのように100円を放り込んで行く友人。
その様はリーチが掛かり始めたスロットに何も考えず玉を投入して行く様に似て、別名女児パチというのもうなずける。
筆者は平成初期の子どもで、幼児の頃のゲーセンといえば、親に貰った500円硬貨を握りしめて、何にいくら使えば効率よく報酬を得られるかを考えてプライズを回る場所だった。
長じて音ゲーにハマったこともあったが、それもまた、報酬としてオーディエンスの声援や、それがなくても身体を動かした達成感があった。
100円あればメダルゲームなら10枚貰えて、駄菓子が2つ買えて、300円もあったらちょっと良いガチャが回せた。
それが、掛け声と共に景気良く筐体に吸い込まれて行く。
恐らく女児が満足するには500円あっても足りないし、100円だと、ルーレットで回るレア報酬を横目に画面を閉じて並び直さないといけない。
次にプレイする子が確率によってはレア報酬を目の前で引き当てる可能性に目を瞑りながら…。
こんなの、四歳児だったら心が病むか、100円が何なのか分からないまま、親に貰えるままサルのように放り込んでしまう。
実際昨日も、友人に教えて貰いながら、言われたタイミングでコインを入れたので、いくら使ったか記憶がない。
そんな経験を子どもの頃に積んで、「出るまで回せば確変」と学習して、後のソシャゲユーザーになるとか恐ろし過ぎる。
キラキラのエフェクトに、可愛いお洋服。友達のアバターとダンスを踊らせられたり、お互いの持ってるドレスを交換して着せ付けたり。
自分の持ってないコーデを貸してもらったり。
友達との人形遊びと、ごっこ遊びと、真似っこ遊びと、お外遊びの楽しい所だけをギュッと凝縮した時間を楽しめる。
例え友達の居ない子どもだって、良い大人だって、大きい兄さんだって、たった100円で追体験できる(課金を最低限にすれば)。
昨日は平日だったので、プレイヤーは友人と私含めてお姉さんが多かった。
しかし、友人も含めて、ガチユーザーはそのキラキラタイムに真顔なのである。
真顔で、落ちてくるアイテムを見極め、連コインと目押しなのである。
この表情、作業感、お金を入れることが目的となっていく感じ、どこかでみたことがある。
昨日は幼女先輩を見なかったが、幼女たちもみんな、表情筋をほとんど動かさず、常にボタン連打してるのだろうかと思うと、おばちゃんは心配なのである。
彼女の抱える複雑な事情や嫌なことと、プリチャンでの脳汁プシャーが向精神薬として結びついてしまっている友人もまぁ心配なのである。
あと、自分が親になった時に、100円でプリチャン以外に何ができると教えられるか、子どもがプリチャン仲間にいじめられない程度の課金はどれくらいなのか、ちゃんと計算できるかが今から心配…。
初めに言っておくとこれは性根ド腐れザコ創作マンのお気持ち表明増田です
読みてー奴だけ着いて来な!ヒャウィゴッ
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事の発端は数年前にさかのぼる。私は創作畑的な界隈の端っこで活動していた。
いくらぼかしてもわかる人にはわかるだろうが、いわゆる「うちの子」的な概念とそれに付随するいろんな形のデータをネットに放出するタイプの創作だ。
私もいろんな人の作成した「うちの子」を借りてなんかいろいろやっていた。とても楽しかった。
人が人なら黒歴史かもしれないが私はめちゃくちゃ自分の創作大好きマンなので全然今でも楽しかったなぁと思っている。
なんならその数年前の作品は今でもたまに見返すし、楽しそうだなぁこいつと微笑む余裕さえある。自分の創作大好きマンの懐は深い。
が、自分の創作大好きマンの創作はしかし、基本鳴かず飛ばすだった。
これは「うちの子」的な概念の創作をしたことがある人なら大体わかってもらえると思うんだが、他人に「うちの子」を好いてもらえる快感ったらない。
もちろん基本はアタシが誰より一番!一番好きよ!てなもんで常にラムのラブソングな訳なんだが、このラムは同担歓迎だからあたるがモテてたら最後列彼氏面で腕組んで静かにうなづくタイプ。
サンキュー、いいだろ、うちのあたる……。もっと良いとこあるんスようちのあたる。ちょっと待ってね今用意するから、あたるの新衣装!
そんな感じ。つまり、誰かに推してもらえるとこっちも捗るわけだ。
今はどうなんだかいまいちわからんが、私がその界隈にいた当時、そこは別に広い界隈じゃなかった。
とはいえ全員顔見知り限界集落みたいな界隈でもなかったので、もちろん超絶人気の鉄板アイドルみたいな「うちの子」もいればそうじゃない草の根みたいなやつもいた。
うちのあたるはどちらかといえば草の根タイプだった。学芸会でも石ころの役を任される方だった。
それに関してはまぁ、別に良いと思ってた。少なくとも当時は。
超絶人気の鉄板アイドルのいわゆる「親御さん」は、それに見合うだけの労力も支払っていたし、努力をたくさんしていたし、普通に推せた。
学芸会でなんの役ももらえないような「うちの子」だって何人もいたような規模の界隈であることは確かなので、なんなら石ころでももらえるんじゃん!やったなおめぇ!って思っていた。
まぁ、うちのあたるも頑張ってるんでね…わかる人が分かってればいいんだっちゃ……っつって。うちのあたるが主役をやれる劇はうちのリビングでやればいいんだから。
あたる!今日はなにやる?!シンデレラ?!よーし!お前がシンデレラだ!
ホームビデオ撮っとく?!ヒュウ!ダーリンが一番輝いてるっちゃ!
そんな風なスタンスで、まぁ数年、楽しくやっていた。
その界隈から離れたのは、普通に別ジャンルでの活動が忙しくなってしまったからだ。
ただ楽しかったことは覚えているし、本当にたまに風のうわさでうちのあたるがよその家の発表会に出させてもらったという話を聞くこともあったので、気が向いたらそちらの界隈のアカウントを覗くようにしていた。
(「親」が活動していなくてもその「子」を借りるということは全然ある界隈だし、すくなくともうちのあたるに関しては好きにしてくれと表明していた)
ある日、そのアカウントの方にリプライが届いていた。どうやらうちのあたるを発表しているページに不備が出ていたらしい。
メンテナンスもしていなかったからそんなこともあらぁなと改修した。ついでに、界隈を離れたころに気づいてずっと手を入れたかった部分もすこし修正してうちのあたるを発表しなおした。
まだこの子を必要としてくれる人もいるんだなぁと本当にうれしかった。
ご連絡ありがとうございました。これからもうちの子をどうぞよろしくお願いしますとメッセージを添えて改修の旨をお知らせした。
しばらくして、どんなもんかなと連絡をくれた人の様子をうかがいに行ったら、見事に燃え上がってた。
燃え上がってたって言葉には齟齬がある。なんか一人で燃えてた。ショックを受けて意気消沈したあと、一週回って燃え上がってる感じだった。
えっマジで何事????なんかうちのあたるの話してる????何????修正できてなかった???
慌てて確認する。ちゃんとできてる。オッケー今日もダーリン輝いてるっちゃ。
趣味の良い事じゃない気がしたから嫌だったんだけど、気になるのでその人のツイートを激さかのぼった。
どうやらお知らせした私の態度があまりにも事務的だったことが事の発端らしい。
「私はこの子をこんなに愛しているのに、生みの親に愛されてない」「なんてかわいそう」「こんなお情けで更新されるしかないなんて」
「今回の対応でこれからさき絶対に供給がないことを思い知らされた」「これから先この子を扱っていく自信がない」
というようなことをここ数日呟いているらしかった。
「かわいそう」ってなんだ。
かわいそうなのか?うちのあたるは。
「生みの親に愛されてない」のか?うちのあたるは。
数年放置していた「うちの子」だ。確かには端から見れば愛がないように見えるのかもしれない。
でも、私のつくった子だ。これだけは絶対に言える。私が一から作って、命を吹き込んだ子だ。アタシが誰より一番だ。
何で「愛してない」なんて言われなきゃいけないんだ。何が「かわいそう」なんだ。
じゃあなんで数年前、私があたると二人でリビングでやっていた劇を見に来てくれなかったんだ。
あなたがあの時「最高のシンデレラじゃん」って言ってくれたら、手拍子の一つでもしてくれたら今だってあたるのシンデレラドレス作ってたかもしんないじゃん。
シンデレラどころか赤ずきんコスだって第二形態だってタキシードだって作ってたかもしんないじゃん。
おんなじ場所にいたはずなのに、あの時あなたはこっちを見向きもしてなかったじゃん。
それを今更好きだとかだいじにしてほしいだとか言われたって困るがな。
ってことでもやもやしてたんだけど。
「近所の店の閉店が決まってから、本の絶版が決まってから、『好きだった』なんて言ったって無駄」みたいなツイートが別のアカウントのTLで回ってきて、なるほどこういう気持ちね!って思った。
『報われなかった子が・店が・本がかわいそう』なんて、何にもしてないまっさらの手をかざして、泥だらけになって頑張ってた人の目の前で言ったって本当に無駄なんだな!びっくりした。
つまりそういうことです。ここまで付き合ってくれた増田一同、好きなものにはリアルタイムで好きって言っておけよ!
pink newsとかかなりバイアスが強めの記事サイトからVanity fair, BBCまで彼女がトランスフォビックだと取り上げているけど正直理解できない。
彼女の新作の本に出てくる主人公はドレスを着たシス男性(a cis man in a dress)だと言う。これのどこがトランスフォビックなんだ?
「服にジェンダーはない」「みんな好きな服を着て好きなことをしよう」
最近大衆にもやっと広まりはじめた考えがこれらだろう。男でも化粧をしてスカートを履いても良いし、女でも好きな服装をしても良いと呼びかけるのはとても素敵だと思うし、実際にエンパワメントを受けた人たちがたくさんいるだろう。俺自身なかなかステレオタイプがキツい家庭に育った反動もあって俗にフェミニンと呼ばれる小物が好きだ。いつかは服にもチャレンジしてみたいと思っていたからこういう動きに世界がなってきているのが実際本当に嬉しかった。
じゃあなぜドレスを着たシス男性はトランスフォビックになるんだ?
ローリングを取り上げている英メディアは「トランスヴェスタイト/クロスドレッサー」を攻撃していると言っていた。つまり俗にいう”異性装”をしている人の事だ。
は?
「服にジェンダーはない」んじゃなかったのか。
シス男性がドレスという名のただの布を身に纏っているだけで急にトランスジェンダーとしてカウントされるんだ?「異性装」が好きな自分はトランスジェンダーなのか?違うだろ。
大体トランスジェンダーと言う概念はカバーする範囲がどんどん増えているアンブレラタームなのが問題だ。週末に趣味で女装/男装をする人々でさえカウントすると。
結局ジェンダーの強化に繋がっている。
ローリングのあのエッセイをきっちり読んだ人、活動を見てきた人はわかると思うが、彼女はトランスフォビックなんかじゃない。アライだと自称している人なんかより何倍もトランス当事者に向き合ってきているのに、実際彼女の考えに賛同する当事者は多数存在するのに、ずっと黙らされてきている。
例えばローリングが幼い年齢でのトランジションは好ましくない影響を及ぼすという論文をTwitterにシェアした時大きなバックラッシュを受けた。だけど実際幼い年齢でトランジションしてから後悔してディトランジションを行った人だって複数いる。だけど実際トランスコミュニティの中ではディトランジションに関する話題がタブーとされていて、同じコミュニティのメンバーからひどい中傷を受けている。なんて皮肉なんだろうか。
Twitterでは#RIPJKRowling"とトレンド入りし、中傷でいっぱいになった。
それ以前からも"JKR can suck my d*ck"等の有害なコメントや著名人からも見ていられないようなコメントが寄せられていた。
ここまでくると集団リンチだ。思うように発言すらできやしない。どこがliberationを謳う運動なのか。
Sex is realがヘイトとカウントされる社会に未来なんてあるはずがないだろう。ここ最近の動きを見ていると悲しくなる。