はてなキーワード: スタンスとは
自分の「愛を試したい」本能が暴発して話をハチャメチャにこじらせてしまう。
もう自分でもぐちゃぐちゃでわけが分からなくなってるけど、ここで吐き出させてほしい。
もしこれが仕事だったら、細心の注意を払うしちゃんとできるはずなのに。
身内(彼と私の親)相手になると、「ご挨拶」のスケジュール取りでさえガバガバな対応をしてしまう。それでまた、険悪な空気になってしまった。
それぞれの顔色をびくびくうかがって、そのくせ自分の都合のいいように勝手に解釈して、暴走して失敗して機嫌を損ねる。
そう、前にもあったんだよねこんなこと。その時は私と彼の別れ話にまで発展して、一応よりは戻ったんだけどなんかもうそれがトラウマになっちゃって、もううまくいく気がしなくなってきちゃった。
で、また同じような失敗をして……の悪循環。
彼には「(彼と私の親を)わざと仲悪くさせようとしてるよね」「いつも自分本位で、俺に対しても親に対しても、相手の立場になって考えられてないよ」と言われる始末。彼に対しても親に対しても、無意識のうちに「これだけ自分の好きにさせてもらっても大丈夫だよね」と愛を試そうとしてるから、そんな傍から見れば非常識な言動をしてしまうんだと。
全然そんなつもりはないのに。できることなら、私だって円満に話をおさめたいよ。何で同棲・結婚関連の話になると私は冷静で合理的な判断力を失ってしまうんだろう。焦っているから? 何に?
ちなみに、私も彼も現在地方在住・実家住み・フルタイム勤務(収入は互いに多いとはいえないくらい)。
都会的な価値観で言えば全然焦るような年齢でもないと思うし、私も「そもそも当分は子どもをつくらないんだったら今すぐ結婚する必要性ある? 別に同棲くらい普通じゃない?」ぐらいのスタンス。
でも、やはり地方だからか結婚適齢期や「同棲=結婚、ないしは結婚前提」の価値観は未だ色濃く、私の親も例外ではなくて「同意をとらずに同棲するなり、好きにしてもいいけど、その場合親子の縁は切る」と言われてしまった。私の伝え方がめちゃくちゃ下手すぎたのもあるけど……。何だかんだ良い家庭環境で今まで割と親とも仲良くやってきたので、そのためだけに親と縁を切るということにも踏み切れず。
数少ない女友達の中でも、都会で同棲している友だちが多いということもあり、自分では確固として都会的というか自由で多様性のある家族・恋愛の価値観を持っているつもりでいたけど、無意識化では地方的というか保守的な価値観(結婚して子供を持ってこそ一人前、みたいな)を内面化しているという、そんなアンビバレントな状態がハチャメチャな言動につながっているっていうのもあるのかな。
生来のコミュ障も原因のひとつかもしれないけど、これが人間の、雌の本能の発露だって言うなら、もう降りたい。やめてしまいたい。
いっそ、ここから先に進めなければ今まで通り喧嘩もほとんどなく、週末に楽しくデートする関係を円満に維持できるのなら、続く限りずっと彼氏彼女のままでいいのかな。
下記ブログに感銘を受けたので、噂のセッションを聞いていた女性エンジニアの一人として、乱雑になるかもしれないですが意見を書かせてください。
https://anond.hatelabo.jp/20190902021257
まず、8/29当日の話をしようと思います。最初から最後まで前夜祭にいた私はセッションに散々笑ったり、内心ツッコミを入れたりしつつ、大満足で帰宅しました。
残念ながら婚活アプリにもマッチングアプリにも興味がないので、CROSS MEが何かは知らなかったのですが、『黒髪メガネ女子とマッチング』辺りで内容は普通に想像できていましたし、概ねその通りの内容でした。
概ね、と言ったのはCROSS MEの「近くにいた人と出会える」という仕組みについて、ふうん、登録した人がただひたすら延々と出てくる感じじゃないんだー、と感心しつつ、想像していたマッチングの仕組みを脳内修正したからです。
この時点で大した反感も持たず、普通にセッションを満喫していたことがわかってもらえるのではないかと思います。
また、仕事の都合で来ることができなかった友人に前夜祭の各セッションについて実況のようなものを送りつけていましたが、彼女も普通にすべて面白がり、笑い転げているスタンプを大量に送り返して来ていました。
翌日、TLに何か不穏な雰囲気が漂っていました。
何事かと思って経緯を確認して、最初に私が抱いた感想はこうです。
「何勝手に主語を大きくして人のこと哀れんでくれてるんです???」
チケットを自分で購入して、仕事の都合を付けてウキウキ参加しようとしているイベント。
前夜祭もとても面白かったし、明日も明後日も楽しみだな〜(*´ω`*)と思って、寝て、起きたら、男女の人数比が偏った場で女性ゆえの苦労をしている不遇の女性エンジニアに進化していたんです。もうわけがわからない。
感受性の高い方がセッションを聞いた結果、女性エンジニアの不遇(?)を思い出したり思いを馳せたりして号泣し、辛くなったのでブログに書いて想いを昇華しようとしたわけですが、それは何も問題ありません。何せ、それはただの個人の感想であり感情です。人の感想を制限する資格も、感情を制限する資格も、誰も持っていません。
それが、本当に全くこれっぽっちもなんでそんなことになったのかわからないのですが、セッション自体の"正しさ"だの、"ジェンダー問題"だのの議論に波及しました。
しかも、イベントに参加したら人事や営業に間違えられた、だの、マウント取られた、だの、関係のない話まで浮上していたわけです。やっぱりわけがわからない。それ、何か関係あります?
引っかかることがいくつかあるので、一つずつ取り上げさせてもらいます。
もっとスマートに反論できればいいのですが、そもそも論点が切り分けされず、いつまでもセッションとエンジニア業界の男女比と男女差別問題と運営の方針とetc……がごちゃごちゃとしているので仕方ありません。
マッチングアプリは男女の人数比がある中で発表に取り上げられることが憚られるような、男女差別に繋がるようなものでしょうか?
もちろんそんなことはありません。マッチングアプリは男性が女性を探すことができますが、逆に女性が男性を探すことも可能です。
男性しか女性をスキップすることができないのか? いいえ、女性も同様に男性をスキップすることができます。
マッチングアプリは性差別を助長するものではありません。むしろ、昔の恋愛観を考えると、女性から能動的に恋人候補を探すことができる仕組みを生み出したことである意味恋愛における男女平等を進めた、と言えるかもしれません。
そもそもマッチングアプリを取り上げた背景としては、登壇者が(少なくとも)3年ほど彼女ができないエンジニアコミュで彼女を作ろうと頑張っており、その過程でマッチングアプリのヘビーユーザーになってもいたからです。
馴染みのあるものを主題に取り上げるのは当然かな、と思います。
それがなんらかのアイコンになるのでしょうか?
そういう考えがあるとすればあらゆる黒髪メガネの女性に対して失礼なので認識を正した方がいいでしょう。
黒髪だろうが茶髪だろうが青メッシュだろうが、眼鏡だろうが、サングラスだろうが、裸眼だろうが、そんなものは数ある属性のうちの一つです。それ以上でもそれ以下でもありません。
また、黒髪とメガネという属性を持っていることは、美醜の問題とは無関係です。
これが「美人とマッチングする方法」とか「タイプじゃない女子とマッチングしない方法」とかであれば、明確に誰かを傷つけるものとして不快に感じたかもしれません。
それこそ技術の無駄遣いですが、バストアップの画像から胸のサイズを予測して女性を選ぶ、といったセクシャルな内容であればドン引きしたし、率直に言って最悪なセッションだと登壇者にフィードバックしたでしょう。
しかし、黒髪メガネはそういった類のものではありませんでした。
また、データに関して言えば、顔認識で拾える情報なんて微々たるもので、その中から髪色とメガネ有無という特徴を選んだことになんら疑問はありません。
そんなことはありません。
感想を言うこと、発表に対して良い感情を持つことも悪い感情を持つことも自由です。
そもそもご本人もセッション自体についての是非を問うものではない、という風に書かれていたかと思います。
あえて問題があるとすれば、その投稿に目をつけて拡散する人が現れ、ビルコン参加者に限らず、ビルコンになんら関係のない、その場でセッションを聞いてすらいないにも関わらずセッションなどに対して非難の声を上げる人が出始めたことです。
恐らく間違えられた人はむっとしたのでしょう。悲しいと思った人もいたのかもしれません。
例えば、ひと目で女性エンジニアだと外見から判断することはとても難しいと思います。私自身、普段の服装を考えてみても、特に人事や総務の方と一線を画するようなものは着ていないと思います。客先に行く機会も多いので、カッチリ目の服を着ている関係もあってか、営業に間違えられることは少なくありません。
服で判断はつかず、勉強会であってもスポンサー企業の広報の方なんかが訪れる可能性がゼロでない以上、目の前の女性が何者であるかなんて聞いてみないとわかりません。というか、女性である私にも見分けなんて付きませんし、間違えたこともあります。ごめんなさい。
それとも、勉強会や技術系イベントにいる女性に対しては常にエンジニアだと思って接するべきだ、という話でしょうか? それは些か乱暴ではないでしょうか。まさかとは思いますが、自分が間違えられたくないから、エンジニアの活動場所に入ってきた人事(マイノリティ)の方が間違えられればいい、それが当然だ、というのであればとても怖い話だと思います。
また、例えば私の見た目上のエンジニアの判断基準は、「このままじゃ絶対客先に行けそうにない服装」というのが一つの基準ですが(笑)、ひと目でエンジニアとわかってほしいですか? 本当に?
業界の男女比の話に絡めると、女性エンジニアが現場に一定数いる職場って案外少ないのではないかと思います。(少なくとも私は現在含め、女性エンジニア一人の職場ばかり経験しています)
とすると、「知っている女性エンジニアの服装」と一致しなかった場合、職種の誤判定するのは仕方ないと思いませんか? 今ビルコンでもいくつかのセッションで取り上げられていたAIと同じで、一定量の学習データがなければ人間も正しい見分け方が身に付くはずがありません。
これは……うーん……。正直、(相手の性別年齢に限らず)マウンティングされても全く気づいていなかったということが多い(後で他の人から大丈夫だった? とか言われて初めて気付く)私には何も言えません。
ただ、体感として、上から目線でものを言いたがる人は自分より若いと見れば言うし、自分の得意分野である特定のジャンルに話が及べば言うし、相手の知識レベルなど気にせずに言うイメージがあります。また、エンジニアの中には(全然そんな気がないのに)威圧的な言い方になってしまう単なる口下手がいれば、説明が過剰になりがちな説明下手もいます。
それが本当に"女性だから"マウンティングしてきたのかは私にはわかりません。
少なくとも議論が十分になされていない状態で、差別・倫理・品位といった単語を出して非難することは望ましくありません。
言うまでもなく、差別は悪いことであり、倫理や品位は人間として大切にすべき重要な要素です。だからこそ、非難する人が「差別を嫌う人、倫理観を持ち合わせている人、品位のある人はこれを問題にするのは当然だ」というスタンスに立ってしまうと、反論ができなく、あるいは少なくともしづらくなるなります。また、非難する側は反論に対する切り返しが非常に楽という一面もあります。
反論することで差別主義者扱いされるかもしれないし、倫理や品位に欠ける人間扱いされるかもしれないのです。それを覚悟して反論したとしても、非難する側はいくつかの魔法の呪文を唱えることでそれ以上の反論を封じることができます。
「なんて冷たい人なんだ」
「自分さえ良ければいいのか」
「傷ついてる人のことはどうでもいいのか」
正常な議論になんてなるはずがありません。
正義の彼らからすると、このセッションに疑問を抱かなかった人、セッションを普通に楽しんだ人は良識とか倫理観とか品位に欠けてるということになるかもしれません。私も女性なのに女性差別主義者なのでしょう。
論点がとっ散らかっているのが良くないのですが、そもそもセッションに対して正しい・正しくないという視点で論じること自体が誤りだと思います。好ましい・好ましくないという個人の意見であれば好きに言えばいいし、活発に議論しようと構いません。
しかし、正しさを主軸とした場合、先に相手が悪だと言った方が勝ちかねないのです。言ったもの勝ち、非難したもの勝ちの世界です。
そうなったら表現の場としておしまいです。当たり障りのない、お上品な、冒険心のない、発見もないセッションがビルコンを占めるでしょう。誰か声の大きい一人に目をつけられただけで自分の発表が悪にされる。そんな怖い舞台に誰がユニークなものを抱えて上がりたいと思うでしょうか? 安全を取るなら誰もがうんうんと頷くだけで終わる内容に留めておくのが1番だと思いはしないでしょうか?
おめでとうございます、ちょっと尖った発表を見られたかもしれないビルコンの終焉です。
……もちろんそんな風にはなってほしくありません。
ダイバーシティと絡めての意見も散見されましたが、ダイバーシティとは単なる正義の味方ではないと考えています。セッションに対して嫌な気持ちになった人もセッションを楽しんだ人もどちらも区別なく受け入れられるのが、理想のダイバーシティではありませんか?(犯罪などが絡んでいたら別ですが)
もう一度繰り返しますが、今回のセッションは面白かったし、女性エンジニアとして問題に思うことは何もありませんでした。
どのセッションも「日本最高峰の技術の無駄遣い」の名に恥じない、最高にくだらなくて、発想力に笑うしかない、すばらしいものでした。
サポーターとしてそんなにガチガチの活動はしていないけど、ホームの試合には8割くらい行っている。
私の応援するチームはJ1の某鹿島の国のチームのような常勝チームではないので、勝ったり負けたり、ごめん正直に言うけど時々勝ったり負けたり負けたりくらいの戦績だ。
負けの方が多いからだろうか、毎年のように、監督を解任しろとか社長責任取れとか、そういう罵声がリアルでもネットでも耳に入ってくる。
私も内心色々思うところはあるんだけど、チームが消滅しちゃったりしない限りは現状肯定・応援したいと思っている。
そんなことを言っていたら怒られたのだ、他のサポーターさんから。
・お前のような『現状肯定派』は間違っている。
・自分の方が正しい。お前は考えを変えろ。
私としては、「ご意見は理解しましたが、別の人間なのだし、それぞれのスタンスで応援すれば良いのでは」という感じだったのだが、その方は引き下がらずに絡んできた。
はあ、そうですか。
わかった。この方は無償の応援ができなくなってしまったのだと。
サポーターをやっていると感覚的にわかる。サポーター活動とは本質的には無償の行為だ。
見返りを求めずに、ただひたすらに、精一杯に応援する。それが尊いし理想だ。
人間はそんなに強くない。私だってまったく見返りを求めずサポーター活動をしているわけではない。
きっと、私に絡んできたこの方は、無償の応援をできなくなってしまったのだ。
だから、私の応援を止めさせることで、遠回りに『応援できなくなった自分を肯定』しようとしていたのだ。
伝えたい。あなたが応援できなくなったのも、仕方ないんだから、何も恥ずかしくないんですよと。
ブロックしたけどな。
フリーテルの安いスマホを使い続けて3年目、ついに充電が出来なくなってしまった。昨日からずっと充電中だ!
ある意味究極の依存対策かもしれない。ちょっとでも使おうものなら容赦なく落ちる電源。暇つぶしにスマホなんてそんな贅沢なことできませんて。
低性能なのでアプリは2~3個しか入れてないよ(元から入ってたやつ除いて)ラインと地域のゴミ出しアプリと…あとなんか。マクドナルドのアプリ入ってた時期もあったけど、消したら消したで全く食べなくなった。健康的だな!
2016年までガラケー貫き通していたが仕事に支障が出てスマホを買ったわけですが、これはアカンやつや、絶対依存する。そんなわけで今度買うのも低性能スマホ。高性能のやつ買うとあれでしょ、ポケモンとかやっちゃうんでしょ、怖い怖い。ゾイドのアプリやってた時期もあったな、そういえば。ゾイドには勝てなかった。サービス終了したけど。ゲーム機化はマズイ。
SNSはmixiで終わりました。SNSのアプリ…怖い!ずっと見ちゃうじゃん。あと家電が消耗品って怖い!10万円のスマホを2~3年ごとに買い替え…?お金なくなっちゃうじゃん。
色々言ってますけどスマホ文化を否定したいわけじゃなくて、私にとっては沼過ぎて絶対依存しちゃうのが見えるからなるべく距離を取りたいと思っている、そういうスタンス。触らぬ神になんとやら。
最終的に好意?に甘える事にしたんだけれども、諸々の費用総額うん十万を無償で
今までも例えば旅行だとか高額なデジタル機器だとか無償でくださってたんだけど、私自身その方には一切金銭的性的な見返りは払っていない
風俗関係とは一切無縁の業種なんだけど、所謂贔屓にしてくれる客※1ではある
それにしては業種と直接関係ない資格取得にまで(私自身が取りたいと要望したことは一切無い)援助するとは
最早これ贔屓の度を越してる気がしてたけど考えないようにしてた
単純に相手がvipなので贔屓の額が私の知るノーマル階級とは違うのかなと
ああ、でも物ではなく教育にまで援助?って贈り物の範疇から逸脱してる、よね?
そもそもホステスでもないのに最新のPCとか贈られる時点であれか?!
パパ活とか言う言葉があるけど、世間的には市場価値無い年齢だしそもそもそんな活動したこと無い喪女だし普通に口に出来る真っ当な職場の顧客だしで違う
愛人は最も違う(恋愛関係全く無いですしおすし、そういった行為の片鱗も無い/今後あるかもと言われれば男女である以上0ではないやもしれんけど、少なくとも10年近くの馴染みで妻子あり)
じゃあ言語化するにはあたって近いものはと思考した結果正当な意味でのパトロンなのではと思い至る
勿論ここに書いた文面だけ読めばパトロン※2という概念が一番近い気がしてきたけど仕事で繋がっているので今後も顧客として認識するしそのつもり
でないと仕事に対するスタンスが狂うから、感覚がvipの方の贈与品はスケール流石じゃのうと思っていく
※1
もしかして私が提供しているサービスにお客の方はそれだけの価値を見出だしてくれてるのかも?
※2
ただし、客先常駐だが
私の業界は、常駐先の相性が良いと基本長くいられる
長い人だと20年とか平気で同じ客先にいる
しかし、知人は、常駐先が決まっても半年足らずで切られてしまう
少し専門的な知識が必要な難しい仕事を任されると、「私は、派遣ですから!そんな難しい事は出来ません!社員さんがしてください。」と言う
あの年齢と経験年数ならそれぐらい出来ると思われても仕方ないのに
一緒に働いてた時もそうだった
直ぐに「出来ない」、「分からないのでやりません」って言うんだよな
覚えて欲しくて、仕事渡してるのに覚える気がないってどう言う事だろ?
覚えないと仕事にならないじゃん
口癖の様に些細な事で「パワハラで労基に訴えます」とか言い、実際に労基沙汰を繰り返している
例えば、難しい仕事をさせられたとかだ
そして、切られそうになったり、次の派遣先が中々見つからないと「私は正社員雇用なんですよ!」と「正社員」をやたら強調して騒ぐ
その際、給料が満額支払われなかったらしい
また、労基だと騒いだ
何とか給料は貰ったらしい
私よりも4歳も年上で社会人経験も長いのに、私以下の仕事しか出来なくて、毎日定時には帰り、仕事中は事務のオバサンと立ち話して、アプリゲームにネットサーフィン
納期も守らない
定時内に出来ない仕事なので守りませんというスタンスらしい(私語してれば終わる訳ないのに)
そして、いつも権利ばかり主張する
その癖、もう少し納期とか守るべきだと言うと、「私はこんなにベテランなんだから言われたくない!定時内に終わらない仕事をさせる方が悪い!」と怒る
そんなに嫌なら技術者派遣なんて辞めて、アルバイトでもしたら?
余っ程、時間の融通利くと思うよ
スキルが身につかないとやっていけないと思うし
知人の働けるような場所ってあるのかな?
今は絶賛求職中らしい
いや、韓国側としてはその建前いらないだろ
日本側の別問題ですって建前は認めてないわけで、仕掛けてきたのは日本というスタンスではブレがないから、同じことを同じように返してるつもりなんだよ
そして地元の常連客を大事にしたい と店主は常日頃から考えていた
常連客:ここの店主 実験的にそういうサービスやりたがるんだよ
店内の音楽をリクエストに沿って流したり 備え付けのテレビで動画サイトの映像も見れるようにしたこともあったらしい
店主:思いついたことは何でもやるってスタンスですね お客さんの要望にも可能な限り応えてます
その内の一つが 店内の本に栞を挟んでおけるサービスだったんだとか
読んでいる途中の本や 後で読みたい本などがあった場合に栞を提供してくれるらしい
店主:いつ頃だったか そういうことをやる人が出てきて それに感化されて他のお客さんたちも真似していった感じです
そうして自然発生的に 客たちは栞を介して感想を共有する文化をつくっていき 店主はそれに応えていった
――この星形シールは?
店主:栞に貼って使いますね 他人の感想に「いいね!」と伝えたい時に使う人が多かったです
――ああ なるほど この星に書かれたアルファベットは そのお客さんの名前からとってるんですか
常連客:誰かに認知されてるって互いを意識させれば 栞に変なことを書こうとする奴もいなくなるだろって寸法だな
みんなで一つの本を読むという 地元のブックカフェならではのサービスだ
――つまり このカフェは店主とお客がみんなで作っていったんですね
店主:それはさすがに過言です
――あ そうですか……
ディレクターのコメントは この町の住人たちに全然ハマっていない模様
――それにしても 聞いている感じだと中々に良さそうなサービスと思ったんですが やめちゃったんですか
店主:実際 これでお客さんは増えて 当時は嬉しかったですけどね……
常連客:まあ サービスの数や種類に比例して 身勝手なヤカラも増えたんだな
店主:サービスの選別は客の選別 その側面があることを当時はよく分かっていなかったもので
――あらら……
――ランキング?
店主:星型シールあるでしょ それが多くのお客さんに貼られた栞は表彰されるんです
常連客:それで変な権威付けができちまって 一部の客が居丈高になったんだよ
――ああ それでトラブルが起きたと
末期になると コーヒーや本を読むことが目的じゃなくなってる人まで出てきたんだとか
店主:本の内容そっちのけで 自分の主張を書いているのとかありましたね
――まさか 栞で?
店主:そう 栞で
――でも この紙に書ける文字数 そこまで多くないですよね
店主:なので違う栞を 別のページに挟んで それに続けて書くんですよ
――栞に書くことに固執しすぎでしょ
常連客:そんなんだから 本に栞がビッシリ挟まっている状態になって キショいのなんの
憩いの場である筈のカフェで 居心地が悪くなってしまっては本末転倒
店主:自分の栞に 自分で星形シール貼ったりする人もいましたね
常連客:一つの栞にたくさんシールが貼られてるんだが よく見てみたら それやったの全部同じ奴だったりな
「何が正しいか」ではなく「何が得か」を優先するということだ。
それらを絡めて「何が正しいのか」は時代によって変化するという、陳腐化したテーマを持ち出してみたい。
……では本題へ。
東京裁判における「人道に対する罪」や「平和に対する罪」が事後法であるとの議論は有名なところだが、これはすなわち、先の大戦が人々の価値観の転換期であったことの現れであると考えられる。
世界の大国は、それまで人類が滅亡しかねないような戦争を経験したことがなかった。
だから、それまでのように軽い気持ちで開いた戦端が、どこまでもどこまでも拡大し泥沼となっていったとき、本気でビビったのだ。
もちろん、それまでも「戦争は良くない」という倫理は存在しただろうし、戦争を抑止する法的な取り決めだって存在していた。
けれど、いざ大戦が終わったとき、それまでの考え方では甘かったと世界中の人が痛感した。
もっと強力な抑止力が必要だという風に、世界の価値観が変化した。
だから、事後法まがいとの批判を覚悟の上で持ち出した「人道に対する罪」や「平和に対する罪」の適用を、大多数の人々が許容した。
つまり世界の価値観が変化を迎えた時代には、それまでの「正義」「合法」「筋」「論理性」は事後的にであっても「悪」「不法」「別の筋」「別の論理性」へと置き換えて断罪することが可能なのだ。
「何が正しいのか」は時代によって変化する。
植民地支配も同様だ。
少なくとも古代史の時代においては、植民地どころか他国の占領や奴隷支配も公然と行われ、それを禁止する国際規範なども今のようには存在していなかった。
それが、時代の下るにつれて白からグレー、グレーから黒へと徐々に変わっていった。
先の大戦は「侵略戦争」であったとされているが、少し歴史を遡れば、それは数多の大国が公然と実施してきた行為の焼き直しに過ぎない。
無論、当時は国際法や条約が次々と変化し、その時々においての「正義」や「合法」が存在していた訳で、過去において合法だったから日本の戦争も合法であるとの理屈は成り立たない。
厳密にその辺りを議論しだすと、歴史学者でも無い限り、あるいは歴史学者であっても、結論の出ない話になりそうだが、私が問題にしたいのはそこではない。
問題は、当時の戦争が仮に当時の価値観や法律に照らして「正義」「合法」であったとしても、敗戦国は支配地域の割譲・放棄や、賠償の責任を負わされたであろうということだ。
無論、当時の戦争が当時の価値観に照らして「悪」「不法」なものであっても、支配地域を取り上げられ、賠償を負わされる。
どちらであっても結論は変わらない。
負けた時点で結末は決まっている。
でも、なぜそんな暴挙が許されるのか?
価値観が変化する時代においては、事後的に過去の行為を現在の価値観で断罪することがまかり通るからだ。
価値観が変化する時代において、「今」の正しさは「将来」の正当性を担保しない。
さて、ここまで「価値観が変化する時代」という言葉を使ってきた。
これは一体、どういう時代か?
ひとことで言ってしまえば、私はこれを「世界の過半の利害に関わる危機が訪れた時代」だと考えている。
世界の一部が利害を争い、あるいは危機に瀕しているとき、その係争を、あるいは問題解決手段の正当性を判断する裁判官は「世界の残り大多数」が務める。
「世界の残り大多数」は第三者として、「既存の価値観」というルールブックをもとに、正当性をジャッジする。
しかし、世界の大多数が危機に巻き込まれたとき、そして、既存の価値観によるジャッジが世界の多数派にとって不利益となるとき、価値観は一瞬のうちに反転し得る。
民意で作るルールブックは、民意によって書き換えることができる。
では、価値観の変化は再び起こるのだろうか?
かつて、普通に行われていた侵略と植民地支配が今では「悪」と考えられているように、現代においても価値観の変化は起こり得るだろう。
昨今、日韓関係に限ることなく、世界の至るところで直接的な軍事力を用いない「係争」が激化しているように思われる。
現代の価値観において、これは「不法行為」とは考えられていない。
WTO等の貿易に関する各種の協定は存在するものの、関税や非関税障壁による駆け引きを全面的に「悪」と断じる倫理観は、世界の過半には決して浸透していない。
しかし、今後はどうだろう。
「経済戦争」がどこまでも激化し、明確な「勝利者」と「敗北者」が現れたとき、「勝利者」の側は「敗北者」に対して、経済戦争の戦争責任を事後的に訴追するような事態が訪れるのではないだろうか。
世界の過半を巻き込んだ「経済戦争」が勃発したならば、世界の価値観はきっと「経済戦争」そのものを断罪する方向にシフトする。
そんなものは、価値観が変化したならば、事後的に結論を書き換えることがいくらでもできてしまう。
この前提に立ったとき、昨今の日韓関係に関わる日本のスタンスに、私は一抹の不安を覚えずにはいられない。
だが、これらの正当性は、あくまでも「現在」の世界の価値観における正当性だ。
価値観が変化する時代が訪れた場合、それらの正当性は容易に逆転して「不当」であると断罪される危険がある。
未来の価値観によって遡及的に裁かれ、事後法によって賠償請求されるおそれがある。
価値観が変化する時代が訪れた場合、明らかに日本の不利益となる事態が訪れかねない。
日韓の係争は、利害の絡まない大多数の第三者によって、既存の価値観のもとにジャッジされるだろう。
日本は、どこまでも正当性を示す証拠を積み重ねていけば、それで良い。
変化後の価値観の世界において「多数派」の側に立つという意味だ。
だから、多数派になっておけば、事後法で裁かれる心配をする必要はない。
痛み分けと言ってもいい。
この場合、価値観が変化した後、再び関係が悪化すれば、事後的に問題を蒸し返される危険性が存在するから、将来に渡って永続的に友好関係を保ち続けるのがベターとなる。
もとより妄想だと言ってある。
俺はおっさんずラブに対して初回放送時から気持ち悪い感情しか沸くことがなく視界に入ってきてほしくないと思っていた。
そもそも、同作は深夜帯で放送されていたので、「イヤならみなけりゃいい」のスタンスでやりすごせていた。
だが、世間は放っておけなかったようで
「Twitter世界トレンド第1位獲得!日本中に社会現象を巻き起こした!!」というように局をあげてのお祭り騒ぎに。
で、いよいよ劇場版の公開なんだが田中圭をはじめ吉田鋼太郎、林遣都が徹子の部屋に出演するんだってさ。
なんだそれ?(困惑)。
Twitterでならばミュートワード設定できるけど、局の番組はなあ・・と困惑する(困惑)。
先月、天気の子を観に行った時もおっさんずラブ劇場版の予告が流れてきた。
その時は「うわ・・ひでぇ映像」って感じたし、俺以外のお客さんたちの空気も一瞬固まったのが伝わってきた。
新海監督の映像を楽しみに観に来た人たちにおっさんずラブ劇場版の予告の汚い映像はアカン(困惑)。
いくら盛り上がったからってさあ、もうちょっと映画観で観れるくらいの作品としてのテイを保たないとアカンでしょうが。
そういうクオリティの低さについては一切触れないようにして、社会的な価値やらピュアなラブストーリーの感動()を評価しなけりゃならない機運がひしひしと伝わってくる。
過去にこういう事例がなかったわけではないけどひどい作品をひどいと素直に言いにくいのがなあ(困惑)。
といった感想をみかけて、その妻が正義って論調で評価されていたりする。
しかし、俺はその旦那さんの気持ちがすげえわかるのでそっちの立場で共感してしまう。
おっさんずラブがどう気持ち悪いのかをイチイチ説明しても理屈で殴り返されるだけで辛いし、そんな正当性だけを争うマウンティング作業より大事なのは、おっさんずラブが気持ち悪いって率直な感想を言うのがもう今の世ではリスク含みなんだってこと。
SNSではとくに。
保毛尾田保毛男を笑うのは大問題でおっさんずラブは「純度の高いラブストーリー」と感じないとならないらしい。
人でなしらしい。
いったいだれよ、
先の例のように、奥さまから「春牧いいよね!」と共感脅迫されている旦那さんは地獄の家庭を持つために平成の時代を頑張ってきたのかな。
「そう思えないあなたは悪い奴」
「観ないなんてありえない」
あれぇ?どうしてこうなっていくんだ。
嫌悪感を持つ人への嫌悪感なら堂々と正義づらして言えちゃうのってなんでなん?
俺はおっさんずラブが嫌いだ。
気持ち悪いと思う。
好きだと思う人の観る気持ちは阻害しないから俺に観ろと迫ってくるのは勘弁してほしいしもうちょっと「観ろ」の圧力を下げてくれ。
劇場版おっさんずラブとコラボレーションキャンペーンをしているルミネエスト新宿では、同作のスペシャル装飾でギラギラしている。
新宿駅は5つの鉄道会社が乗り入れ、一日の乗降客数は300万人を超えている、巨大なターミナルだ。その新宿駅を独占的に囲むようにそびえ立つルミネは公共的な意味合いをほっぽり出して、おっさんずラブ推しに邁進している。
これが世界一のターミナル駅、日本の顔となる新宿のおもてなしだ。
なにが コラボだお だ。
ルミネに掲示されているポスターにはだーりおも大塚寧々も伊藤修子さんも登場していない。
性の選択と集中を行うのであれば、それはもうセクシャルマイノリティが不利な社会になっていくだけじゃないのか。
あとこれは重箱だけどさあ
志尊くん(ジャスティス)を混ぜておけばセクシャルマイノリティ表現の免罪符になるって意図を感じさせてしまうのは界隈にとって将来的には得策ではないだろうに。志尊くんはいい俳優だし適役なのは承知だが違う俳優を投入する勇気はなかったのか。
そもそも救おうと思った俺が思い違いだったのかもしれない。
本人曰く色んな仕事ができるようになりたいとか、一端の仕事ができるようになりたいとか、こういう部分が悩みだとかいろいろというので、それなりに答えていたつもりだったんだが、
どうにも改善が見込まれなさすぎて、「ちゃんと言ったことやってみた?」とか、「やってないならどういうところがだめだった(合わなかった)と思う?」とか、いろいろ言っても何にもよくならない。
ちなみにここでアドバイスしているのは、メモれとか、完全な定形作業はチェックリストを作ってやろうとか、スケジュールはちゃんと考えようとか、自分のタスクが書かれている場所があるからちゃんと確認しようとか、そういうレベル。
正直、何が難しいかわからないが、どうやら難しいらしいし、その難しいことをやれるまで、ちょっとずつでいいからやろうというスタンスでちまちま話している。が、そもそも言ったことは何もしてくれない。
なにか原因があるんだろうと思い改めて聞いてみると「そもそも自分のなかで納得しなかったらやらない」、「納得してやっていても忘れる」、「忘れたことに気づくけどまぁいいやってなる」などと言われた。
そうは言っても忘れたことを認知できているならまた始めればいいじゃないとか、やり方が納得できないなら言ってくれれば考えるとか話すが効果なし。
むしろ、「自分が得意なことだけで働きたい」、「自分が苦手なことは他の人に任せればいい」、「自分は一人前になる必要はない」、「他の人がやればいい」と言い出す。
いや、得意なことをするために必要なことができていないんだぞ、と言いたかった。
もう、正直どうしてあげるのがいいのかわからない。自分で望んで今の職種になったらしいのだが、その割に自分の職種でやらなければいけないことを明確にやろうとしていないように思える。
なおかつ、その改善のために何もしていないように思える。何を言っても良くなる兆しが見えないし、そもそも良くしようとしていないように見えてしまい、故にタイトルに至っている。
ちなみに救うというのは、本人は普段の自分の業務ができなさすぎて落ち込みまくっているから。落ち込んで半泣きのところから「自分は一人前になる必要はありません」って言い出すから、
もう根本的に考えていることが私と異なっているし、やっぱり救うなんてこと考えるのがおこがましいのかもしれない。
とにかく、もうできることがなくて八方塞がり。彼をどうしてあげると一番彼にとって幸せなのかがわからない。聞いてみると今のままでいいですと言われてしまい、さらによくわからない。
改善案を提示してもその改善案を全くやらないのに今のままでいいとか言われても、俺は何をしてあげればいいのだ。ひょっとして何もしないほうがいいのだろうか。
増田の人たちなら一人ぐらいこういう経験あるだろうと思って書いてみた。どうしたほうがいいとかあれば教えてほしい。今の俺にはなにもできない気がしている。
就活は難航したが、運よく一部上場企業のの人事とか総務とか経理とかやってるようなところに滑り込むことが出来た。
晴れて働き始めて4か月ちょっと経つことになる。
ただ、なんというか、会社とか社会に絶望しちゃってる私がいて辛い。
だから変わった形とはいえ社会人と話す機会が他の女子大生よりはあった、と思う。
長年働きぬいた落ち着いたお爺さんは嫌味なく昔どれだけ一生懸命働いていたかを教えてくれた。
電車でよく見るような普通のサラリーマンも、キャストそっちのけで仕事について
熱く語ることがあった。
就活が始まってからも、説明会では社員の人は「やりがい」とか「充実したことぉ」をよく語ってくれた。
働くことはきっと大変に違いない。
でも、同じくらいやりがいがあって、頭と心をフル回転させて、夢や目標を持ってやっていけるものなんだ!と私は思っていた。
内定をもらった時は、
「この会社で全力で頑張ろう!」と誓い、大学の卒業式後から入社式の間までは、
社会人のマナー、社会人の心がけ、新入社員の鉄則…そんな本やネット記事をたくさん読んで、大変だけど頑張るんだ!と張り切った。
そして働き始めてからは、
「今私に出来ることは何か、プラスアルファで出来ることはないか」を常に考えながら仕事に取組み、
出張の時は交通ルートはもちろん、コンビニやトイレ、美味しいお店のリサーチも欠かさない…
まあとにかくとにかく全力だった。
そして自分から仕事を見つけ、上司に頼まれる前にやっておいて、頼まれたときに「実はもうやっておいたんです」と言って上司が喜びながら驚いているのを見るとすごい達成感だった。
とにかく暇なのである。
しかも他部署がめちゃくちゃ頑張って残業してそれで稼いできた利益の上にあぐらをかいて、私の部署は暇なのである。
最初はエクセルで文系のくせしてマクロを組んで便利な表を作ってみたり
でも。
左では上司が「暇だなー」「帰りてえなー」と言いながらネットサーフィンをしている。
前では一回り上だけどめっちゃ美人な人がだるそうにネットサーフィンをしている。
こう書くと、重苦しい雰囲気の中皆が無言でパソコンいじってるようなイメージを抱いてしまうかもしれないけど、みんなすごいいい人だ。部の皆でケラケラ笑いながら雑談したり、飲み会も全然嫌じゃない、むしろ楽しみ。
めっちゃ話しかけてきてくれるし、話していると楽しいし、人間関係は本当に恵まれたとおもってる。
でも、働く、ってこんなことだったの?って。
やりがいなんかなくて、ただどうやって暇をつぶすか。
定時になるのをひたすら待つだけ。
このままだと、私はタイピングとファイリング、ちょっとだけのエクセル入力しかできないまま25歳くらいにまでなっちゃうんじゃないかって。
転職サイトを見ても、いいなって思った会社は「前の会社で○○の経験があること」っていう条件付きがおおい。
一般事務みたいなことしか経験がなくて、しかも初めての社会人経験がぬるま湯な職場の私は大丈夫なのか、ってたまに穴におっこったような気分になる。
でもずっとここにいたら、本当にただネットサーフィンして給料もらってるだけの、本当に馬鹿の置物になる。頭も心も使いたい。
それとも私が夢見すぎてただけか?
「やりがい」とか「仕事が楽しい」なんて一部の経営者とか運よく素敵な会社とか仕事を見つけられた人だけが感じる特権で、皆内心「帰りたいな」って思いながら働いてるものなのか?
説明会でニコニコ話していた人たちは、内心「そんなことねーよ」って思いながら話してたのか?
業務中はしっかり頭使って、関わる人すべてに貢献して…
そんなこと考えていたんだけど、それは社会を知らない子供の夢見がちな妄想だったのか…
それとも偶然この会社がぬるすぎるだけ?
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追記:
まずびっくりした。
ここまで反応を頂けるとは思わなかった
口開けて餌が来るのを待ってるそのスタンスをやめろっていう意見
すごい心に響いた
確かに最近は心の中で愚痴ってばかりで、自分から何か能動的に行動しようと思ってなかったから、またなんとかその心を取り戻せるように頑張るよ
大学時代、英語を専攻しててTOEIC800点越してたんだけど
会社で全然使わなくて今となってはポンコツだからまた勉強してみようと思う
コメント見ながら「自分が身につけるスキルはなんだろう」って考えてたら案外英語好きだったこと思い出した、ありがとう
やっぱり会社に期待しすぎてたんだね
社会人になれば全部劇的にかわる、って思い込んでたんだと思う
個人的には元増田の意見に賛成でどうせくだらない理由に違いないとは思うけど、それでも敢えて想像すると、南朝鮮人は自分たちを戦勝国と位置づけたいからなんじゃないかとか思う。
南北朝鮮は李氏朝鮮の腐敗が原因で国内政治が停滞し、国防など夢のまた夢だったため日本に保護を求めて日韓併合が実現したわけで、選挙権も被選挙権もあり、政治的代表者も居た。
そのまま太平洋戦争に突入したわけで、好き好んで日本に入れてもらった彼らは、戦争被害者ではないし、石原慎太郎なんかが発言して有名になった「第三国人」に他ならない。
だけど、日本が戦争に負けたことで彼らは掌返しをして、「われわれは武力制圧をされた被害者です」というスタンスをとり、抗日運動継続の結果太平洋戦争で独立を勝ち取ったんだという形に歴史を修正したいんだよね。
だから、戦争犯罪人たるA級戦犯は「自分たちを戦争被害者にした犯罪者」として叩かなきゃならないし、それを神として祀るなどというのは認められないと火病らないと納まらないんだろうね。
学生時代から上京していた友人が、引っ越しのグッズ持って左右に配るとかやめたほうがいいって言ってたので。
友人も私も女だから、独り暮らしの女というのを、わざわざ知らせなくてもっていう気持ちがあるのかも知れないです。
引越しの挨拶をしている割合は、家族が8割、一人暮しは4割程度です。家の形態に関わらず、家族で引っ越す場合は多少なりとも近所付き合いが発生するので、挨拶に行った方が良いとされます。
特に小さいお子さんがいる場合は、子供の生活音など近所の方に迷惑をかける場合があるので、さらに多い割合で挨拶をしています。
一人暮らしの場合は、近所付き合いが面倒だから行かないという場合が多いです。挨拶に行くと女性だけという情報や、仕事や学校で家にいない時間があるということを相手に知られてしまいます。
そのため、防犯上の理由から挨拶をしないという人も最近は増えてきています。一軒家の場合は、地域との繋がりが深くなるので、引越しの挨拶はした方が良いでしょう。
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より