はてなキーワード: スタンスとは
こういう話になったときに「俺はうまく親を丸め込んでやったぜ」っていう武勇伝が入ってきたりして、
そういうのみて
「ただ打ちひしがれるだけの自分ってなんだったんだろう。
子ども時代に肩身の狭い思いをしたのは結局自分の器量の小ささが全ての原因なんじゃないか?…」
って傷口に塩擦り込むようなこと考えたりしちゃうんだよなあ…
ちょっと前に「ゲームしてる友だちを見てるだけでも楽しかったよね?」みたいなネット記事がちょっとバズって
(これ→https://b.hatena.ne.jp/entry/s/nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1909/02/news023.html)
どうしても自分は、
下手さゆえにコントローラを絶対に握らせてもらえない屈辱感や、
そうしてデグの棒のように画面を見つめることしか出来ない私を疎んじる級友の視線、
やがて遊びに誘われなくなっていく寂しさを思い出して、
ただ、トラウマのフラッシュバックも嫌だったけど、それ以上にショックを受けたことがあって、
それは「見ているだけ」というスタンスを示しつつも友だちの輪の中に居続けられた人の存在がぽつぽつと可視化されたことだった。
「あれ?自分がここにいる意味なくない?誰も自分の存在になんて意識向いてないよね?今ここからいなくなってもみんな気がつかないんじゃ?…」
なんて不安になることもなく、
直接的に「鬱陶しいから画面覗かないで」とか「邪魔だからテレビの近く来ないでもっと隅に寄って」と拒絶されることもなかった人たち。
「その原因は養育環境なんかには決してなくて、私自身が元々他の子と比べて劣等だったからなんじゃないの?」
かつての記憶を呼び起こしながら自己を非難し続ける堂々巡りがその日からしばらく続いた。
なんでそんなに自分が憎いのか?
いい歳してこんな心境に陥るとは思っても見なかったからすごく驚いた。
それでもやっぱり他の子と同じようにゲームに親しんでいればそれなりに周りと調子を合わせられたと思う。
私は愛国心というものにやや抵抗があるのだが、内心を分解すると、愛国心は利己主義に繋がりそうだという感覚が基本にあるからだと思われる。
利己主義とか言い出すと言葉が強いので反発を喰らいそうなのだが、実感はもうちょいふにゃふにゃで、
「人間、何やかんやで自分が所属してるグループや地域や国はエコヒイキしちゃいがち。
それを予防するために、普段から自分たちのことは意識して厳しく見るくらいで、バランスがよくなる。
愛国心とかはむしろ自分たちを甘く見る理由になりやすいから、警戒しておいた方がいい」
という感じだ。
これは、政治的な主義主張や、国際的なパワーバランスみたいなデカい話よりも、「手前味噌や自惚れはちょっと恥ずかしい」という日常感覚の延長にある。
他人に己を自慢すること、また他人にアピールせずとも内心で自惚れているのは格好悪い、というのが心の根っこの辺りにある。
更にその延長で、「人間はついつい自分に甘くなるから、自分に厳しく他人に甘くしようと意識して、やっと客観的には公正に近くなる」というわけだ。
この「自分に甘くなることに備えて、常に謙虚を意識しよう」って感覚は、百パー的外れではないはずだ。(そう思ってること自体、自分に甘いのかもだけどね)
世の中を見ても、信頼されていた人が身内や自分自身については甘いことを言って株を落とすケースや、中立なふりをしてポジショントークしまくってる人は多い。
私自身も、友達と喧嘩したり、同僚内で立場が悪くなった時に無理な自己弁護をしてしまい、五年後とかにやっと頭が冷えて「あの時の自分クソダサかった~はずかし~謙虚さ足りね~!」となった思い出は無数にある。
学校やら物語やらでも、自分に厳しく他人に甘くは基本的に良いこととして語られてきた。
その一つは、最近よく話題になる、「楽しく生きるには自己肯定感が大切なのに、欠けている人が多く、獲得するのも難しい」という話。
自分に厳しく他人に甘くという意識は、たぶん自己肯定感を削るだろう。
私は「人間は自然と自分に甘くなる」というのを前提としていて、
つまり「人間は自然と自己肯定感過大になるから、それを謙虚さで縮めて、ちょうどよくなる」というのに近い理屈なわけだが、
自己肯定感はそうそうデカくならねえよ、となれば前提から崩れる。
実は昔から自己肯定感を獲得するのは難しいのか、時代の流れで得づらくなっているのか、ネットで声をあげるのは情緒不安定な人が多いから自己肯定感欠けがちに見えるだけで実社会では自己肯定感デカい人が多数派なのか、気になるところだ。
また、「国を愛して力を貸すことは、自分じゃなく周囲のために力を貸そうって感覚だから、利己じゃなく利他だ」という反論もできるだろう。
これは、「己」や「身内」をどこで線引くかという話だ。
私の線引きは、どういう規模の話をしているかによって変わる。
国際的な話をする時は、だいたい日本までが身内だと思っている。
身内に厳しく他人に甘く、よって愛国心は厳しく見た方がいい、という感じである。
だが日本社会だけの話をする時は、個人や家庭や企業などの単位が身内で、他の個人や企業や日本社会全体が他人とすることが多い。
この規模での身内に厳しく他人に甘くというスタンスは、社会貢献や、福祉推進をしましょうって形になる。
日本社会を上手いこと回そうぜという意識なので、これは愛国心推進と言ってもいいと思うが、そう呼んだり呼ばれたりすることは少ない。
(実際、セーフティネットやベーシックインカムの議論で、愛国心というワードが出ることは多くないはずだ)
自分はだいたいこういう感じなんだけど、世の中的にはどうなんだろう。
利己主義・自己愛・自惚れなどが強くなりすぎないよう普段から自戒しとこう、自分に厳しく他人に甘くいこう、その一環で愛国心は警戒した方がいい、ってのはどんくらい同意されるんすかね。
「なんで教えてくれなかったんですか?」
「教えてもらわなきゃわかんない」
「こういうの学校でも教えて欲しい…」
すべての物事にこういうスタンスで居る奴らマジで馬鹿すぎんだろ。
なんで自分で調べないんですか?調べることもできないんですか?学校で教わった以外のことは何も出来ないんですか?
でもインターネット検索や図書館の使い方って義務教育で教わりましたよね?
はじめて行く場所やイベントについて、下調べもせずに行って案の定やらかして「こんなマナーあるなんて知らなかった…なんで前もって周知してくれないんだろう」とか自分の過失100だろそんなの。
お前が手に持ってるスマホのような物体には検索機能付いてねえのか。
知らない事自体を知らなかった、みたいなのもよく見るけど、大抵の物事の基礎知識は義務教育で得てるはずだろ。
本来はそこから枝分かれして知識を増やしてくものを、受動的すぎるがあまり枝も幹も無いツルツルの図太い木がそこら中に立ちまくってるのしんどすぎる。
何が悲しいってここ数年で全く面白くない人間になってしまったことだ。小・中学校の頃はよく友達を笑わせていた。他人を笑わせるのが好きで好きでたまらなかった。だが高校に入り周りは知らない人ばかり。いつの間にか教室の端っこでゴニョゴニョ話すような奴らとグループを作っていた。こいつらは基本、他人(陽キャや友達)を貶して笑いをとるスタンスだ。はっきり言ってつまらなかったがぼっちよりマシだろ?とくだらないプライドが邪魔した。そして卒業するころには俺も立派な陰キャになっていた。
元うどん県民として思いを語っておきたい。
ここは大した問題じゃない。讃岐うどんに厳密な定義なんてない。讃岐にあるうどんが讃岐うどんである。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00002/092000706/
この記事に出てくる「本場さぬきうどん協同組合」は、讃岐うどんのブランド化をちゃんとしたい派閥だから定義にこだわる。確かにそういうスタンスの県民はいるが、実際の店は好き勝手にやっている。
ただ、香川のうどん屋は丸亀製麺よりはるかに安いので、あえて量も質もよくない丸亀製麺を選ぶ理由はない。だから香川に出店した店舗は軒並み潰れた。
っつーか市街から離れた栗林公園のさらに南に店出して客が入るわけないだろ!あの出店計画はマジで謎。はなまるうどんはちゃんと商店街とかで生き延びている。
これもそんなに問題じゃない。俺たちは加ト吉の冷凍うどんでもおいしく食べられる。
ここはちょっとカチンとくる。なぜなら讃岐うどんの形態は多種多様だからだ。麺通団も言っているように、セルフだけが讃岐うどんでもない。
麺通団は作る側の立場でもあるから、小麦の扱いや製麺方法の違いにこだわっている。釜揚げした直後から麺の品質は下がるとか、細かな技術論は色々ある。どの店にも一家言はあるものだ。ぶっちゃけうどん県内でも冷戦状態にある。丸亀製麺はその一部に過ぎない。ターゲットが大きいから目立つだけ。
まじでやめてほしい。「お茶碗持って製麺所」とか大嘘を書き散らすのは勘弁。炎上に追従するマスコミがこのあたりを全然追求しないのも残念。事実関係に関しては麺通団のほうが正確である。
今回の炎上というかアンチ丸亀製麺の根本ってここだと思うんだけど、麺通団もいらんことまで書くから議論が錯綜してしまっている。
BLOGOSの取材(というほどでもないが)でも、誤った歴史認識に答えていない。
https://blogos.com/article/405108/
取材では、あわせて
・讃岐うどんの歴史が間違っているとの指摘があるがどう考えるか
全く許していない。前述の取材に回答しないあたりダメダメ。丸亀市に店舗がないこと自体は別にどうでもいい。
ブコメ群がかなり的を外している感じがする。
この人は嫌悪感はあるけれど二次創作は宣伝にもなるからどんどんやってほしい。ってのが基本的なスタンスでしょう?
二次創作をしたい気持ちもわかる。自分の書いたものを発表したい気持ちもわかる。
今のようにネットがない時代なら印刷代をもらって頒布するのもわかる。
けどpixivでもtwitterでも無料で発表して交流ができる時代に金を取って同人誌を売るのはファン活動ではなくて商売じゃん。って話でしょう。
俺はもっともな話だと思うけど。
「今いる場所で評価されなかったら他の場所を探そう」みたいな物言いが割と気軽に言われている
これ自体はよくわかる
実際、能力に対する評価というのは、環境やルール次第で割とコロコロ変わるものだからだ
しかし客観的に見て、どう考えても何の長所も魅力も社会的正しさ属性も備えてなさそうな弱者にこれを適用すると、もはや邪悪な手段に訴える以外ないように思えてしまう
世間一般の普通の考えでは単なるキモくて金のないおっさん、そんな世間の大多数から否定されるような奴が他者から一人前の人間としてカウントしてもらうためには、もう世間を否定させるしかない
正気に戻ってもらっては困るので「外の世界は危険で我々を殺そうとしている」という統失的な発想に走るしかない
このオウムというのはもちろん単なる例えであり、新興宗教を作って選挙に出て、それがダメならサリンをまきましょうということではない
他の新興宗教や、極左極右や排外主義にフェミニズム、あるいはセミナービジネスなんかも同じで、どこの段階で世間と折り合いをつけるにせよ、基本「この世はクソである」というスタンスを取るしかないのではないだろうか
こじつけにもほどがあるが、そんな風に考えている
芸能人・有名人に限らず、マスコミから一般人まで、権力者や何らかのトラブルに対応すべき立場(今回の台風なら東京電力)の人に対して批判するのがカッコいいみたいなスタンスがある気がする。激しい自然災害の爪痕と戦っている最中の人たちに「何で復旧にこんなに時間がかかるんだ!」みたいな。
現地の詳しい状況や復電にかかる手間なんて分かっちゃいない人に限って文句が多い。まさに被災地で復電を待ちわびている人々が文句を言うならともかく、安全地帯でテレビやネットで被災地情報を見ている人は、批判をする前に「東京電力頑張ってね」とか「自衛隊の皆さん災害対応お疲れさまです」とか言うべきではないだろうか。誰かのために必死に働いている人たちに対するリスペクトが足りないと思う。
このようなスタンスを取ると最近の決まった反応は「ネトウヨがまた何か言ってるよ」だ。
ボクは自身をネトウヨだとは思っていないけれど、もしかしたらある種のネトウヨの定義の範疇に居るのかも知れないとはたまに思う。
前提としてボクは海技士免状を取得している。つまりは船乗りなのだ。
この時点で戦争を繰り返さないためにはと先の世界大戦を少しでも調べたことがある方々ならば察しているだろうけれど、調べたことがない方々のために説明しなければならないだろう。それがこの話を始めた者の責任のはずだ。
そう、なぜ船乗りは戦争に反対しながら軍備の増強を望むか?の背景を説明しなければならない。
まず日本国という存在は島国という形態をしている。これはおそらくは日本の立地条件を知る99.99%の人が共通認識として持って頂けてると思う。これを否定されるとボクは何も言えない。
島国である日本はどうしても何か日本の外で行おうとするとき必ず外へ出る技術を持つ者の助けが必要だ。
それは古来から船乗りであり、現代では航空機のパイロットも含まれる。
先の世界大戦でも重要視されたのが船乗りだった。それどころか幕末〜明治維新の時点で船乗りをもっと育てるべきではないか?という主張が強くあった。
日本の世界貿易を活性化させるためにも、そして(防衛であれ侵略であれ)戦争するのにも船乗りは必要だと考えられたためだ。
外へ出る能力と、それらによって支えられる貿易は日本の急所なんだ。繰り返すが、これは幕末〜明治維新の時点で内側から指摘されていたことだ。
そのため第二次世界大戦では米国を中心として、日本の急所を突くためにいわゆるABCD包囲網を形成され日本は一気にモノ不足へ陥ることとなった。
モノ不足へ陥った日本はそれを解消すべく動かざる得なくなった。そうつまり真珠湾攻撃に端を発する太平洋戦争の勃発だ。
モノ不足で戦争に至ることは日本の歴史上そう珍しいことではない。例えば戦国時代の興りは飢饉によるモノ不足によって豊かな土壌の奪い合いを始めたことが切っ掛けとされ、徳川幕府が安定したのは恒常的な飢饉が解消されたためという学説がある(突発的に起こる飢饉は別)。
このような考えは別に日本だけのものではない。ロシアの南下政策も考えてみれば豊かな土壌と貿易のための不凍港を得るためのものだ。だからこそ当時の日本はロシアに警戒感を強く寄せたのだろう。既に経験しているのだから。
先の世界大戦で日本は誤った判断を下してしまった。急所である本土補給線の軽視をしてしまったからだ。護衛も付けずに輸送船を運航したり精神論で補給が無くとも戦えると言ったのだ。それが「欲しがりません勝つまでは」の状況を生むにも関わらず。
そして数多くの艦船と共に多数の船乗りが海へ沈み敗戦を喫した。
それどころか政府は徴用した民間商船企業の賠償へ対して税率100%を掛けるという血も涙もない行いをする。
この記述で理解しない方々も言うだろうからわかりやすく言えば、日本政府から賠償された全額を税として納めよということだ。つまり最終的に民間商船企業へ残るお金はゼロである。
徴用した船舶と共に誤った判断によって補給線を崩壊させたにも関わらず、賠償金は最終的にゼロ。民間商船企業と船乗りが戦争を嫌うには十分な理由になるはずだ。こんなこと繰り返してはならない。
再三言うが、日本はモノ不足によって戦争をする。日本は島国なのでほぼ間違いがない。歴史がそれを証明している。
だからこそ船乗りや民間商船企業は日本が戦争を起こさないために国際貿易航路=補給線を最重要視せよと訴える。
そして外国がもし何らかの理由によって日本へ戦争を仕掛けなければならないとなった際に、急所である補給線を狙うのは明白なので、日本の補給線を狙うのは割に合わないと絶対的に判断して貰えるだけの圧倒的な防衛戦力が日本の補給線には必要なんだ。
もしこの軍備の増強に対して異を唱える方々が居るのであればボクは更に続けてこう主張する。
「あなた達がボクの乗る船を守ってくれるのか」
もしかしたら強固な非暴力主義者の方々が「暴力はいけないので侵略されたら降伏したら良い」と言うかも知れない。これは非常に素晴らしい人道的な考え方だとボクも思う。
だかしかし「侵略される際、一番最初に標的となるのは補給線上に居るボクが乗る船だ。安全な本土でボクの乗る船が沈む姿を見てから降伏するのか?」とボクは言いたい。
このような形でボクが死ねばボクは平和の英雄として名前が碑に刻まれ永代語り継がれるだろうが、それは間違いなく神風特別攻撃隊が生まれた思想とまったく同じだ。
ボクはこのような美しい平和思想のための英雄にはなりたくはない。誰かの平和のために死にたくはない。あなたの平和思想実現のために死にたくはないのだ。
ボクは自身を守り、そして日本をモノ不足へ陥ることを防ぎ、日本を戦争の道へ進まざる得ないという結果へ至らせない軍備の増強を望む。
ちなみに船乗りの労働組合である全日本海員組合は憲法の改悪へ対して反対している程度には反戦主義だ。憲法改正ではなく改悪に対して反対しているということをよく考えていただければ幸いだ。
このへんにも被害者が?
https://twitter.com/frenchmaid_/status/576743114557104128
ゲーム業界で、死人が出たり毎月何人も病院送りにしてるけど、何よりも社員を大事にしてます!って公言してるCygamesの話ですか?
https://twitter.com/frenchmaid_/status/576744517077889024
社員は死ぬほど酷使されるし、業務委託は低賃金でぼろぼろになって使えなくなったら捨てていくスタンスの恐ろしい会社です……
https://twitter.com/frenchmaid_/status/571003115819765760
元気になったらまた戻ってくればいいから、休職じゃなくて一旦退職にしましょう。
と言われたから退職届書いたのに、いざ戻りたいです、となったら、
体調不良で退社した方は再発の可能性がないとはいえない為採用できません、と言われた。
本当に人を使い捨てていくんですね、最低ですCyg---s。
いつ削除されるかな?
身バレを防ぐため、デザイナーという大きなくくりにしています。要は物を作る職種ですねー
下記退職エントリーに触発され自分なりに補填して退職エントリを書いてみました(元の記事はおそらくサイゲのえらいひとに葬り去られたので魚拓です)
https://megalodon.jp/2019-0909-1128-47/https://anond.hatelabo.jp:443/20190908233119
このたび・・・といってももう結構昔ですが、中途でデザイナーとして入社したCygamesを退職いたしました
このブログは可能な限り主観を抜かして事実ベースで書ければと思います。
社内にいる人の7割が個人業務委託とと聞きました。もしくは派遣。
求人票では「正社員」として募集しているにも関わらず、です。運が良くて契約社員
そして内定が決まったら、1週間以内に了承をしなければ内定を取り消すと圧をかけてきます。
委託料の単価も低めです。「有名企業であるウチで働けるんだから、強制フリーランスで、おちんぎんが安くても関係ないよね」というスタンスですねー
社員登用制度もある!何人も実績がある!とまくし立ててきます。しかしリーダー職を4年ほど勤めて、なれるかなれないかが実情
また業務委託契約にも関わらず、機材を充てがわれ、正社員と変わらぬ時間縛りで社内に常駐させられます
これは法律的にはグレーらしく、内部告発があればただ事では済まないとよく聞きました
業務委託契約にも関わらず、なぜか他の会社の仕事をするのは禁止。
もしSNSに自分がCygamesの一員と分かるような投稿をすると、あっという間にクビになります(会社に許可された社員を除く)
さて。社員登用制度を鵜呑みにして、うっかり業務委託として入り込んで見ると、
正社員と同じような働き方をしているにも関わらずボーナスはおろか、交通費もでません(交通費が自腹なのに毎日会社に出社させられる)
産休や育休も取れないので、もし女性で子供ができたら契約満了となります(クビ)
席があれば戻すような事を言われた人もいるそうですが、業務委託には時短勤務が認められないため、実質戻ってくることは不可能です
正社員と同じ働き方の割には身元の保証もなく、交通費が貰えず、おちんぎんが低く、子供ができたらクビ。奴隷かな?
女性が多い職種なので、人生設計がしづらいという理由で辞めて行った人を一体何人見送ったことか
社内でネガティブな発言をすると社員の士気に関わるという理由で、上から言論統制されています
ネガティブな発言をするとチクられ、呼び出されて注意を受ける事も
よって変にポジティブな空気が出来上がっており、違和感を抱くも、上司のいない飲みの席では愚痴のオンパレード
自分の制作物が全て新卒の成果にすり替わっていて自分のクレジットすら出なかったときは萎えた
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20190908233119
→これはマネージャーによるとしか ただし上司ガチャに失敗したら地獄の日々
→事実。新卒が研修から帰ってくると、みんな目が血走り声がデカくなっていて哀れな気持ちになる
→事実。正社員になりたくてもなれない人が大勢いる中、毎月毎月これみよがしに見せつけられる
ので生暖かい空気が流れている(最近は人が増えすぎてモニター中継になったと聞いた)
→半分本当で半分盛っている
有休がない状態で欠勤を●回ごとにインセンティブが引かれていくシステムではある
あと、最近は40歳以上の社員で成果がだせなかった者は、業務委託に降格もありうる制度になったと聞いた(業務委託って階級なのか?)
Cygamesには本当に優秀な方が多いし作るもののクオリティーも素晴らしいと思う
だけど、Cygamesという会社に対して思うところがあり、いい機会だからぶちまけてみた この記事もCygamesのえらいひとに消されるのだろうか
楽しみでならない
俺は今そのスポーツをやっていないが登場人物はほとんど知り合いなので眺めている
前提
数年前
・とある爺さんが協会はパワハラ/セクハラを容認したり使途不明金などがあり組織として腐りきっているので、訴訟や内閣府への働きかけて組織を変えていく。そのための捨て石となって頑張る
一年くらい前
爺さんが「なんたらファースト」といい続けながら、組織を改変し続ける。基本スタンスは以下の感じ
・俺はお前らのためにやってる。それが嫌ならお前がやってみろ
・以前から組織にいた人間を吊るし上げて自分の正しさを主張する
・若い人間は離れつつあり今まで善意で協力していたメンバーも手伝わないと明確に言い始めた
・爺さんは自分の立場に不安があるのかすごい攻撃的になってる。俺の仲よかった奴や一緒に改革をしてきた人への攻撃も始まった。
面倒なんで基本は誰も直接的には触れないが、遠回しに書くことはある。
建設的な話は少なく爺さんの意見を読んで褒める場になっていて面白い。
爺さんも良いけど周りの取り巻きもたまらないくらい良い味を出してる。
・5ch
実際のところマイナースポーツで働きながら善意や薄給で色々やってくれる人に対して、横から理想論だけ押し付けられてあれこれ言われてたらそりゃやる気なくしてみんな居なくなるわな
ちょっと前に友だちと自分のコンテンツへ対する関わり方みたいなのをべらべらとおしゃべりしてて、みんな私と同じ視点だと思ってたら全く違ってて面白かったので日記にしとこうと思う。
どのジャンルにおいても自分がどんな形でそのコンテンツに存在するかって大事。それで変な解釈齟齬が起きて揉めたりしちゃうから。
まず、第一に今回見ていくコンテンツは前回ステで云々話した役者育成ゲーム。情報公開段階で女主人公がキャラデザと共に載せられていて、いわゆる自分がゲームの世界に存在するタイプのコンテンツ。最近よくある形のアプリですね。
じゃー、まとめていく。
タイプ①「世界は一つ。世界線は私のいるここだけ。他の主人公は居ないのだ」タイプ
自分がプレイするアプリのみが自分の世界なので、他のプレイヤーの世界はシャットアウトできちゃう能力持ち。
推しに愛されるべきは自分であり、主人公と自分は=で繋がっているタイプ。プレイヤー目線でストーリーを楽しめる特典がある。
タイプ②「自分の世界の他にもパラレル的にそれぞれの世界線が存在してるよ全然オッケー🙆」タイプ
推し溺愛みんなで愛でようねウフフな友人はこの考え方だった。
タイプ①とは違って、目線は主人公だけど他の主人公も存在してて構わない平和的なオタク。推しが被ろうと被らなかろうとみんなでキャラを溺愛しちゃおうぜって感じで素敵だと思う。
人にはそれぞれの愛で方があるもんねと理解範疇が劇的に広い。ビビる。
タイプ③「モブすらも恐れ多い、外野で観察していたい第三者」タイプ
端的に言えば主人公≠自分。主人公すらもそのストーリーの登場人物だと思っているオタク。自分は推しとは恋愛しないし、関わらない。言うなればアイドル的な見方をしている。
私の場合モブよりももっと外野である、一つの世界で繰り広げられるストーリーをサッカーの試合のごとく俯瞰的に見てやんややんやアレコレ騒ぐタイプ。もはやそこに自分が居なくて全然構わないし居ない方が当たり前世界。
ずーっとタイプ③が普通だと思ってきた自分からすると①と②は新鮮で、推しへのスタンスが理解できて楽しかった。
ストーリーで荒れる人がいるのを不思議に思っていたけど自分がその世界にいたらそう思ってしまうのも無理はないなあと。少なくとも三形態あることに気づけたので良い時間だった。
他にもあるよってのがあったら教えてくれると嬉しいです。
見合い文化は都市部ではもしかすると既に伝説と化しているのかもしれないが、地方には未だ残っている。その是非はいまは議論するところではない。
私、地方都市の勤め人、結婚は絶対にしたいわけではなく、かと言って絶対にしないと決めているわけでもない、中途半端なスタンス。そんな調子でいるものだからか、いわゆる適齢期はとっくに過ぎている。しかし両親は諦めきれないらしく、見合いの話を年に何度か持ってくる。そんな調子でいるものだからか、大概話は途中で止まる。
今度の見合いに関してもそれまでと同様かと思いきや、こちらから相手方に悪い印象はなく先方も乗り気とのこと、いつもと違う流れだなと感じており、とはいえ会っている間の話題といえば雑談の範疇で、結婚に関する具体的なことは何も話していない状況である。次の機会に突っ込んだ話をしてみるかと思慮していたところ、両親がそれを察知、やれ挨拶がどうの、結納がどうのと言い始めた。
まだその段階ではないし、何よりあまりに性急であると感じ、その旨伝えると、見合い結婚だとこのペースが普通であるとの返答、私の感覚では付いていけない、少し時間をくれと返すと、今度はお前には常識がない、自己中心的だ、その調子でよく仕事に支障がないものだなどと、私自身を否定してくるので困惑している。
私は刀剣乱舞が好きだ。
大好きで大好きで、それでも地雷は存在する。その地雷が刀剣乱舞の映画だった。
好きな人には嫌な思いをさせてしまうだろうが、私は創作審神者と創作刀剣男士が大の地雷だ。
ここで無理だと思った人はこれ以上先を見ないで欲しい。
とにかく、うちの子みたいな精神が好きになれなくて言ってしまえば夢という界隈が好きじゃない。
見てる人はわかるだろうが、活劇 刀剣乱舞というアニメではアニメオリジナルの審神者が出てきた。それではアニメ放送前より審神者のビジュアルが公開されていて、なら見るのをやめておこうと自衛できた。
舞台 刀剣乱舞の役者さんがそのまま映画に出ているというので、とても期待値が高く、映画の公開日から、自分が見るまでは、Twitterを閉じた。ネタバレを踏まないように
ネットもなるべく避けた。
正直、最初からクライマックスの手前までめちゃくちゃ面白かったのだ。
刀剣乱舞はもともと、看板キャラの三日月宗近をちょっと怪しいことをして疑われるが、本当は裏で暗躍している飄々としたキャラにする傾向があるので、あ〜またか〜とは思いながらもめちゃくちゃ楽しんでいた。
敵が刀剣男士になるという、プリキュアや戦隊モノでよくあるような展開で映画オリジナル刀剣男士の登場。
そして最後は、年老いた審神者(舞台、ミュージカルと同じく声のみの出演)の引き継ぎとして、小さな女の子が審神者になったのでみんなの前にお披露目!といったものだった。
驚きで何も考えられなかった。ショックだった。ショックや悲しいとかそんなことを言う資格はない(というかこんな批判してる時点でもう私は公式の求めるファンでもない)が、ただただ辛かった。公式に予告もなしでやられるとは思いもしなかったからだ。
映画の感想を検索すると、とても良かった!ネタバレは見ないで見て!と言った感想で溢れていて、それなのに自分は映画に対して良い感想が1つも出てこない。良かったはずなのに。
そんな自分がすごく嫌になった。
もともと供給が少ないこの界隈で、審神者というものが創作の中のひとつになっているのも承知で私はこの界隈に来た。
二次創作なら自衛すればいい、公式もアニメで審神者を出すと予告してくれたし、ミュージカル舞台は声のみの出演だから信頼出来るなんて思っていて、自分は勝手に裏切られた気持ちでいる。
自分の気持ちはここまでにして、映画オリジナル刀剣男士の登場のことを少しだけファンのエゴから言わせて頂きたい。
映画オリジナル刀剣男士は、前述したとおり、敵から刀剣男士になった。
ゲームからの派生の作品(アニメ、ミュージカル、舞台など)で、新刀剣男士は出てきたことないので公式からの新刀剣男士の発見法は今のところ映画であったパターンしかないのだ。
そう考えると、新しい刀剣男士はああやって発見されることを映画を見ていないファンは一生知らないかもしれない。
アニメ活劇とアニメ花丸では、時間遡行をする方法が異なる。もちろん映画もだ。
なので、公式はこう言いたいのかもしれない。
あなたの本丸では、ほかの派生作品では、新刀剣男士の発見法は異なるかもしれませんよ、と。
それを言われてしまえば、私は何も言えない。元々公式がそういうスタンスなのだから、それにいちいち文句を言うなら私はファンではなく、ただのアンチなのだ。
少なくとも映画が好きだと言える人からしたら私は正真正銘のアンチだ。
私の好き嫌いなんてどうでもいい。
オリジナル刀剣男士うんぬんもオリジナル審神者うんぬんも、全て私個人の文句だ。
映画は私の肌には合わなくて、勝手に裏切られた!悲しい!と喚いてるだけなのだ。
それでも、私は刀剣乱舞が大好ききだ。