はてなキーワード: ひつじとは
アナログゲーム(ボードゲーム、カードゲーム)についての続きです。
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https://www.takaratomy.co.jp/products/pokemon/ponjan_dx/index.html
ポンジャンは麻雀的ゲームですが、ゲームのセットに入っている付属品で実に多様なゲームを遊ぶことが出来ます。
そう考えるとポンジャンはかなりお得なゲームかもしれませんね。
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ひつ陣
http://gamemarket.jp/game/ひつ陣/
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すすめ!! 海賊さん
https://bodoge.hoobby.net/games/susume-kaizoku-san
シンプルだから、準備も片付けも楽ですし、シンプルさゆえ安いです。
良いところばかりのゲームですね。
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http://www.g-rounding.com/shop/2012/04/000182.php
Rよ。
変な夢だったけれど、気になって連絡して良かったよ。
お節介ながら、伝えたいことがあったんだよ。鬱陶しい文章になってしまったけれど。
以前に、「人生のストレスランキング」で離婚は配偶者の死に次いで2位だという記事をみた事がある。
そんなの全く信じていなかったけれど、経験してみて感じた。すごくつらかった。
いいなと思う人ができて、気持ちが確かなものになって、愛を確かめ合って、あらゆることを共に生きようと決意をして、準備をして、祝福されて、幸せを噛み締めて。離婚の決意はそうやって辿ってきたものをひっくり返していく作業だった。
もしかしてまたあの幸せな状態に戻れるんじゃないか、と問う日々がたくさんあった。でも、もう二度とそんな日が来ない事も分かっていた。ただ、それを受け入れるのがすごく難しくて悲しかった。どこかに一縷の望みを探している自分が悲しかった。ないのは分かっていたのにね。
わたしが決意をしたときは、誰1人として話せる人がいなかった。職場でもウワサになりたくなくて、離婚したこともずっと隠していた。再婚するまで知らなかった人もいた。スのことを訊かれることもあった。「旦那さん元気?」って。住んでいるところはもちろん、生きているか死んでいるかすらさえ知らない人の事を、さも一緒に暮らしているかのように話すのは面倒くさかったよ。
Rよ。
随分会っていないし、同級生や幼馴染のように、長く時間を共にしたとは言えないけれど、それでも大切な友人の1人だと言わせて欲しい。出すぎていたらごめん。
Rが覚えているか分からないけれど、わたしの身にしんどい事があったとき「なぜかRの顔が浮かんだ」とRにメールしたら、その足でうちまで来てくれた日のことをわたしは覚えているよ。すごく嬉しかったし救われたよ。ありがとう。
わたしが入院したときも、お見舞いに来てくれたのも覚えているよ。今言おう。あれは痔だったんだよ。気付いていたかい。内痔核というものを切除したらしいよ。
nujabesを教えてくれたのもRだった。
わたしが東京を離れるときに、黒糖だったか、焼酎を瓶でくれたのも覚えているよ。
就職が決まって、かっこいいお手紙を送ってくれたのも、なんだか誇らしかったよ。いまも保管してあるよ。
つまり何が言いたいかというと、Rには幸せでいて欲しいし、R自身が納得のいく選択をして欲しい。そしてそれに後悔をして欲しくない。これはわたしの勝手な願いです。
Rのこれまでに至った経緯は分からない。それぞれの決意にはそれぞれの事情がある。他人には分かり得ない温度感だってある。だからわたしは無責任なことは言ってはならないなあって強く思っている。
ただね。
Rには、わたしが経験したような悲しみや虚無に対峙して欲しくないんだよね。だってすごく悲しかったから。お腹の中に穴があいたような。ぽっかりとした気持ちだった。今までの、スを大好きだった時間が全部ゼロ、というかマイナスの記憶になった。励ましてくれる人はいなかった。親でさえ。だから竹内まりやの「元気を出して」とハナレグミの「サヨナラcolor」を何回も聴いていた。サヨナラから始まることがたくさんあるんだよ、と歌う永積タカシを心の支えにしていた。
あのような悲しみには、出来ればわたしの大切な友人には遭遇して欲しくない。
だからRにどうしろこうしろっていう事ではない。離婚した方がいいとかしない方がいいとかそういうことでもない。要は、抱え込まない方がいいみたいよ、ということ。
うんうん、って話を聞いてくれる人がいるだけで違う。全然違う。わたしに話して、って言っているのではないよ。素直な気持ちを吐露できる信頼できる友人がきっとRにはいると思う。経験者だとより一層Rの状況を理解してくれるんじゃないかな。誰も思い当たらなかったら増田にでも書けばいい。
わたしは離婚に至るまでにからだじゅうに蕁麻疹が出ていて、ステロイドを飲んで塗って会社に行っていた。離婚した後も数年引きずっていた。昇華できたかもしれない、と感じられたのは人に話せるようになってから。Rの場合はこれまた事情が違うと思うけどね。
だらだらと書き綴ってしまったけれど、とにかくわたしはRに悲しい思いをして欲しくないのです。中長期的に出来るだけ悲しくならない選択をして欲しいなということを強く願っています。どのような選択であってもRにとって総合的に勘案した結果それが最善だと思えるものであって欲しい。そしてそのためにわたしに何かできそうな事があれば喜んで引き受けようではないか。
いつでも味方であろうと思っているよ。
久しぶりだねこういうポエムみたいな。感じ。ね。じゃあね。また。
ちなみにだけれど、昇華させることができてからはさらっと普通に話せるようになった。あれはあの状況下で最善の選択と判断だったと思っているし、過ぎてしまえばどうという事はない、と言える。よ。
ではまたね。
親戚づきあいも最近はほとんど無くなって、正月や祭りにはもう皆で集まらなくなった。でもまだ辛うじてお盆はそれなりに集まるのがうちの一族。
そんなもんで盆なのに正月の話をしていた。今年の干支って正月くらいにしか話題にしないよなーとか、くだらない話をしていた。そしたら姪っ子が、あの動物って男?女?と話に入ってきた。
十二支の性別なんて考えたことなかったなあと思ったんで、その場にいた11人(俺を含む)に性別予想をとった結果が以下である。全国的にはどんなのが正解かしらないが、わりにそれっぽい結果だと思う。
ねずみ……オス7、メス4
うし……オス3、メス8
とら……オス7、メス4
へび……オス9、メス2
うま……オス10、メス1
さる……オス3、メス8
とり……オス0、メス11
いぬ……オス9、メス2
いのしし……オス4、メス7
皆様、
今年も春が来て桜が咲きました。
おめでとう。
生きていてくれてありがとう。
どんな人たちなんだろう。
この手記を贈ります。
内容は、
誰かに似ているということ、
友達を作ること
についてです。
薄くて追いづらいかも知れませんが、
どうにか線をつないで行くので
寛い心で眺めていて下さい。
周りの目には奇異あるいは攻撃的に映って
発話の前提を共有することは、
酷く手間を要することです。
そこまで楽しくないよ落ち着くだけ、とか
君は人生辛くないんでしょ楽しくないの?とか
マスタベーションと同じ構造でごめんね、とか
言うの
面倒だから
もちろん何も考えずにうたってるときも多いけど。
また、無自覚な心優しい人と一緒にいると
発していないだろうかと、
もう一つ例を。
現か夢か忘れたくらい幼い頃、
あるいは繰り返すメロディーの話。
とりとめもない会話をして
なんだか僕は楽しくなって、
それで上手く周りが見えなくなって窮屈で
ビニール袋を外して、
誰も悪くはないのに僕がずれているだけで
年を取るにつれ、
2、誰かの一部に似ているということ
にはおんなじところがたくさんあります。
例えば手足が四本生えているとか、
眠くなるとあくびが出るとか。
意識されない作りになっていて、
痛いくらい慣れた僕にとって、
https://anond.hatelabo.jp/20171227003911
僕の場合、
増田のこの人と、
すごく似てて記事読みながら笑ってた。
それでも自分が真ん中にいることに困って抜けちゃいました。
https://m3myk.hatenablog.com/entry/2018/03/25/232219
小説の中や、伝記の中で、
自分と同じ人がいるというのは気付いていたけど、
快感がありました。
この文章を書いているのも
あるいはそう期待しているからです。
3、完璧ではない友だちを作ること
愚かで愛らしい僕たちは、
サン=テグジュペリが書いた「星の王子さま」という小説があります。
ヒツジの絵を描いてもらいます。
だけど、王子さまにはどのヒツジも気に入らず、
「このヒツジったら、病気で、いまにも死にそうじゃないか。かきなおしてくれよ」
「そうだな......これあたりまえのヒツジじゃなくって、ツノが生えてるもの......」
「これ、ヨボヨボじゃないか。ぼく長生きするヒツジがほしいんだよ」
飛行士はがまんならなくなり、
「こいつぁ箱だよ。あんたのほしいヒツジ、その中にいるよ」
すると王子さまはそのヒツジを大層気に入りました。
人間の最も素晴らしい性質の一つであり、最も残酷なそれでもあります。
夢見ることは素敵だけど、たぶん僕らにとって
星の王子さまは箱のヒツジといっしょに死にました。
具体的な未来なんて軽く捨てちゃえるくらい美しくとも、
僕らはたぶん生きていけない。
僕たちと環境は
どうやって見るかという意味でも
どのように働きかけるかという意味でも、
たぶん影同士になっていて、
その相互作用を愛してくれ。
4、まとめ
それは只管に美しいです。
ただ、自分に周りに厳しくなりすぎませんように。
もがきすぎて疲れてしまって、
どうにもならなかった。
きっとだれも貴方のことを
救ってはくれませんが、
祝福はあります。
環境は変わりるけど、
これまできみを喜ばせてきてくれた
なにかを大切にしてほしい。
そして万が一、途方に暮れた時。
先人の勇気やら愛やら
点字ブロックを見れば思い出せるかもしれない。
春がきました。
過ごせる友が出来ますように。
どんな君でも
生きていることがとても嬉しい。
祈っています。
それでは、また。
昔話桃太郎
http://www.arc.ritsumei.ac.jp/artwiki/index.php/%E6%98%94%E8%A9%B1%E6%A1%83%E5%A4%AA%E9%83%8E
桃を食べた爺さん婆さんが若返り、身ごもった子供が桃太郎だった。
・猿・犬・雉
『昔話桃太郎』では、この順に登場し、同じようなことを言って家来か従者になる。犬は「仁」、猿は「智」、雉は「勇」を、三徳を持って鬼退治に向かう背景には、江戸期の儒教的思想がある。
なぜ、この3匹の動物が描かれたのか。曲亭馬琴の『燕石雑志』によると、「鬼ヶ島は鬼門を表せり。之に逆するに、西の方申・酉・戌(さる・とり・いぬ)をもつてす」とある。「鬼門」は、鬼が出入りする方角として嫌われている方角で、東北(うしとら)の方角である。これは「陰」で、その反対の南西(ひつじさる)の方角が「陽」である。東北に位置する鬼を退治するには、その対極であるべきで、そこには、ひつじ・さる・とり・いぬが並んでいる。羊は弱者なので省かれて、さる・とり・いぬが選ばれている。鳥の中でも雉が選ばれたのには、よく闘う鳥とされていたかららしい。
方角説はこんな感じ。
吉備津神社縁起物語によると、吉備津彦命が、犬飼部の犬飼健命(いぬかいたけるのみこと)、猿飼部の楽々森彦命(ささもりひこのみこと)、鳥飼部の留玉臣命(とめたまおみのみこと)という三人の家来と共に、鬼ノ城に住む「鬼」である温羅を倒したとされているが、この家来たちを桃太郎の逸話に置き換えると「犬飼健=犬」「楽々森彦=猿」「留玉臣= 雉」となるとする説がある。
私は大学に通うために去年の春から一人暮らしをしている。と、周りではそういうことになっている。正確には、15人か20人くらいの家族と一緒に家を出た。今もみんなで暮らしている。実家が好きなので寂しいけど、家族と励まし合って頑張っている。
私が今言った家族というのは、世間ではぬいぐるみと呼ばれるものに当たるのだと思う。が、彼女たちは私にとっては家族で人間だ。例えばくまや、うさぎや、ネコや、いぬや、ひつじなんかの形をした、れっきとした人間だ。私の大切な家族だ。
実家にも他に40人ほどの家族がいる。元々は父、母、姉、姉、私の五人家族だった我が家。段々と家族は増えて、今は合わせて60人家族くらいだろうか。その全員に名前が付いている。苗字と名前の両方がある。それから歳と、性格と、話し方や声なんかがそれぞれにある。家族だからもちろん全員のそれを記憶している。私の元からの家族も、もちろんそれを記憶している。ベッドやソファもあるし、小さな個室もある。二つ上の姉は裁縫が得意だ。それで、私の家族はみんなちゃんと服を着ている。人は家具や住居を必要とするし、人は裸では歩かない。そういうことだ。
旅行に行くときにはいつも家族がもめる。だれがその旅行に行くのか、喧嘩は絶えない。まだ小さい子が多いから、みんな行きたがるのも仕方ない。結局は私や姉や、母がその仲裁をして、代表の子と旅行を楽しむ。一緒に写真も撮るけど、それはもちろん人のいないところで。私たちの家族が、誰からも認められるものではないということは理解している。
小さい頃からずっと一緒に過ごしてきてもう中学生になる家族には、随分と悩みを打ち明けた。私の血を分けた家族よりも私のことを知っていると思う。本当に色々なことを話したのだ。彼女の故郷の話。私の将来の話。お互いに、布団にもぐっては沢山の話をした。
この間、友人にロック画面を見られた。私のスマホのロック画面は、家族の写真だ。家族を画面いっぱいに写るように並んでもらって撮った。みんなとても可愛くてお気に入りの写真だ。友人は「このすみっこぐらしのしろくまととかげ、なんで隣にしないの? すみっこぐらしはすみっこぐらしでまとめないと」「てかノーブランドのぬいぐるみ随分持ってるね。これカエル🐸?」と画面を指差して笑った。私にはよく分からなかった。この子はすみっこぐらしのしろくま、なんて名前ではないし、すみっこぐらしのとかげ、なんて名前ではない。この子には別の名前がある。ノーブランドも何も、生きてる人間なんだからそんなものあるわけないじゃん。カエルじゃなくて人だって。言いたいことは色々あったけど、理解してもらえるとも思わない。私は「質問多すぎてわかんないよ」と言った。友人は相変わらず笑っていた。
今日は他人から見たらパンダのぬいぐるみにしか見えないだろう、私の家族と眠る。この子は寒がりだから、お腹のあたりで抱っこしてあげて眠る。
誰に理解されるわけでもない。けれどこれが私の家族の愛の話だ。私と私の、家族の愛の話。
いつかわかってくれる人に出会えるかなあ。
身長:164cm
女性を羊扱いする。
年収120万(月収11~13万であんまり生活自体には不自由してない)家賃は4万のとこに住んでる。埼玉。
顔はいい方。
車の運転とか多分ムリ。
発達障害。
追記
羊扱いとは
「美味しい草ですよ~」とか言いながら給仕して
何を言われても返事は全部「メェ~」か「無問題」になる
・・・・と思う。
サラダばっかりというのはジョーク(というか妄想)です。ちゃんと味噌汁も作るよ。
イメージとしては仲の良い羊と羊飼いというか。海外の動画見たいなヤツ。
ちなみに太った人はウシさんと呼びます。
羊扱いというより、無理やり羊(ウシ科動物)として認識するという方が正しいかも。
なるほどキモイか。
>性癖なの?
話を聴いたり趣味合わせたりは苦手だけど努力は必要なのかなぁ・・・・・。
体重:52kg 痩せてる。
別に何か目的があった訳ではなく、フッと思いつきで書いただけ。狙った訳でもなく、ブクマ5以下とかが希望だったのだが。
オレもそう思う。独りで暮らす分には問題ないのだが。
オレと同じような境遇の人も居るみたいだから、そういう人繋がりで気まぐれに探す。発達ということもあるが。
>お肉やお魚もレパートリーに入れてみよう。増田さんは羊飼いなの?
羊肉料理いいですよね。マトンカレーが好きです。 羊的人間です。ですが村上春樹みたいにスタイリッシュではありません。
>ひつじを飼えば?
オレもそうしたい。海外じゃヒツジをペットにして飼ったりしてるようだが。
羊を連れてスーパーに来た飼い主、入店拒否を告げられ大揉め(北アイルランド)
http://www.excite.co.jp/News/world_clm/20170728/Techinsight_20170728_407615.html
世界で最もイケてない牧羊犬〜羊の群れに追いかけられてグダグダに
https://woofoo.jp/kan/nelson-the-sheepdog/
>ケモナーか
まあそうかも。
>付き合ったら自分が意識してようがしてまいが悪いとこばかり見えるものだから、付き合う前くらいは長所アピールした方がいいよ。
そうする。
>年収120万とかどうやって生きてるの?
家賃光熱費はなるべく先払い。非常に適当な食生活(朝起きれないから)ではあるがちゃんと食べてる。
参考にはなったサンクス。
断末魔でゲントの杖を生み出すチャモロと蘇生カード及び除去カードをガン積みし残りは強力な断末魔を持った高ランクカードで固めたデッキ。終盤までもつれ込まれるとほぼ対処手段がなくなる。ハゲコンと呼ばれるのはチャモロが僧侶だから
マドハンドワンキル
マドハンドの増殖効果をループさせて大量に並べてから全体バフして一気に顔を殴るデッキ。ワンキルといいつつ実際は序盤からひたすらチマチマと顔を削ってくる。第二弾で全体除去の性能が高くなると途端に完全に姿を消すことになる。
スライム系モンスターとそれを強化するカードで組まれたアグロ。スライム系カードで固めて前のめりに組んだだけなのにやたらと勝率が高かったのだがベータテストの段階でカードが何枚も修正されてスライム関連のカードは軒並み腐ることになる。ライバルズ運営はさんすうが苦手という噂が囁かれる原因となる。
はかぶさ
デッキから装備品をランダムサーチするトルネコの効果で手札にはやぶさの剣やもろはのつるぎといった強力な装備品を加えそれを次々に適当なミニオンに装備させるデッキ。強力なパパスの剣を死亡時に残すパパスもキーパーツとなっている。盤面によっては武器を2つ装備したミニオンが凄いダメージを叩き出すためこの名前で呼ばれるがコストがやたら高い破壊の鉄球を使われることはほぼない。重要パーツであるパパス・トルネコをフルで積み込む派と腐るから少し減らす派の対立で定期的にスレが荒れる。
攻撃対象がランダムな遊び人やギガンテスでひたすら殴るだけのデッキ。小型のミニオンを並べられたらまわしげりやベギラマで減らせばよく、中型・大型同士の戦いならコスト比に優れている遊び人等が有利なのでどんな相手にも対応できる。運ゲーとしか言えない決着の付き方の多さや戦い方の単純明快さからパワー系池沼という蔑称もある。ニートと呼ばれるのは盤面を取りたい状況でも顔を殴る遊び人が最初のうちニート扱いされていたから。
カードアドバンテージの高いカードで盤面を除去しつつ手札を魔法カードで埋めてから手札の魔法カードを全て捨てその枚数だけ威力の上がるマダンテを顔に叩き込むデッキ。コントロール色が強く防ぎようのない部分があるため嫌われている。
はぐれメガンテ
カード効果を受けないはぐれメタルやメタルキングにメガンテを使うと自分は無傷なのに盤面にだけダメージを与えられる現象を利用したデッキ。どとうのひつじやパルプンテといった自爆的な全体除去を大量に加えて何度も盤面をリセットしてくるため萎えるので嫌われている。
引換券
断末魔や雄叫びでミニオンを呼んでくれるミニオンとほんの少しの除去カードで作られたアグロデッキ。いわゆるZoo。主に使われるのはライアン・5主人公・カンダタ等であり名前の由来となったテリーは使われていない。単純明快なデッキながら勝率は非情に高くグッドスタッフ的な側面も強いことからデッキに入っているカードのほとんどがナーフを望まれている。
試合中にタイミングよく回線を切ることで試合を無効にする戦術。それまでの苦労が水の泡になることからこう呼ばれる。強いデッキ教えろという質問に対して環境最強勝率100%のデッキとして紹介されることが多い。
この長さの怪文書を投稿することにためらいはあるけれども。
偶には、言いたい事を思い切り言ってもいいかなと思う。
まず自分のことを書くと、稀にしか更新しない覚え書きのようなブログをやっている。あと好きな文章を書く人は結構な頻度でチェックしているくらい。
自分も新参だけれど、新しいタイプのブロガーの人が使う、押しが強めの手法がじゃっかん苦手である。
新規にブログを始めた際、こちらのブログは全く読まずに(本人には割と分かるものです)、宣伝のためにスターを付けてくる人が一定数いる。まあ当然、興味を持たれる文章を書けないこちらに非があるわけですが、「貴方のことは気にならないけど私の書いた文章はぜひ読んでくれ」と受け取ることもできる。
露出を求めて「記事お題」を引用し、全く関係のないことを書く人も多い。例えば「雨の日グッズ」というお題を引用しておいて、いつもの調子で日記を書く。露出したいのは分かるけれども、そのばあい読者が読みたいのは傘や長靴の話であって、職場の愚痴とか趣味の紹介とかではない。
あと、リクルートの適職診断、またはリクナビNEXTのグッドポイント診断を薦めるエントリ。MIIDASの適正年収診断、dTVの紹介。日常会話みたいな感じでお勧めされるんだけれど、あれは紹介料が入るからやっているのだそうで。道理で数が多いと思った。…あれはステマにはあたらないのだろうか。「PR記事」とかの表記がない分、「選挙前にさりげなく電話をかけてくる友達」みたいな感じがして、個人的には警戒してしまう。
CGMは、そのコンテンツの持つ価値の判断が難しい、とは思う。それは人によって違うし、ネットでの人気には「親しみ」も大きな要素である。
ただ分かりやすい基準として、例えば、寄稿や出版の話が来る人にはそれだけの実力と、その人固有のブランドがあるわけで。
なので余計に、「とりあえず100記事書きましょう」「SEOを勉強しましょう」「PVを稼ぎましょう」と、クリックしてもらうことに血道を上げる風潮がどうもよくわからない。読み手に客観的な価値を提供できているのかな?と、不安になることはないんだろうか、と。(言うまでもないことだけど、価値がある/ない、という話ではない。「価値のものさしはどこにあるのか」という話)
はてなの人なら、自分なんかよりよほど熟知されていることと思うけれど。執筆され、編集の手が入り、校正されてデータが印刷所に渡り、取次を経て本屋に巡ってきたり電子書籍になる、それだけの手がかかった、色々な「出版物」は本当に凄いなと思う。
個人がもっている「有益な情報」には限界がある。取材して一次情報にあたるプロに、正確性や量で比肩するのは正直、むずかしいのではないだろうか。
比肩しなくてもいいけれど、そこから発生する「収益」は最大限にしたい、というなら、それはインターネットが役に立たなくなるわけだと思う。
媒体が紙でもネットでも同じことで、例えばキッコーマンのサイトを見ると、料理の基本から旬の料理から詳しく載っている。歯の健康について知りたいときは、クリニカ辺りのサイトが役に立つ。商品の紹介記事にしろエッセイにしろ、企業がやっている媒体に掲載されている文章をみると、何歳ぐらいのどんな経歴の人が書いているんだろうと思う。
コードや料理が商品になるように、文章もまた商品として存在することは確かだ。ただ、コードを個人がお金にするにはそれなりの手順が必要だと思うけれど、文章はなぜか、個人がネットに上げるだけでも「儲かる」。
他にも、ネットにアップするだけで儲かるものは色々あるけれど、合法かつ元手がかからず、特に技術の習得をしなくてもできる「稼ぎ方」として、「文章を書く」というのは確かに適しているのだろうとは思う。
ここまでを踏まえて。「商業のクオリティや情報量には敵わないが(※ケースバイケース)、読んだ人に満足を与えるような文章を書き、お小遣い程度の利益を得られる、Win-Winの取引(読者が読む時間によって「収益」を発生させるなら取引みたいなものではと思う)」を考えてみる。(ものすごく飛躍しているような気がするけど気にせず進めます)
商業ではなく、市井の個人が書くことに意味がある文章とは何か。
それは、「その人にしか書けない文章を書く」ということではないだろうか。
別に、個人情報を晒せということではない。出身地や職業、家族構成は確かに、その人を知る大事な情報だけれど、同じような属性を持った人が世の中にはごまんといる。
「他者から客観的に見た自分」と、「自分の演出したいキャラクター」には、往々にして懸隔がある場合が多いと思う。シニカルに渋く決めているかと思えば、愚痴や悪口を書いてしまったり。写真にお洒落な加工をしていても、背景がどうも決まっていなかったり。「本当の自分らしさ」は、他者からの反応や自省によって得られるもので、見たくもない自分を見せられることも多いし、自分の評価されたい項目と他者から評価される項目が違ったりもする。
それでも。「自分の良いところ、推せるところ」を見つけて、「それによって他の人を満足させ、楽しませる」ことが、「個人としてメディアをやること」の強みなのではと思う。
その人にしか言えない言葉、できない話。培ってきた価値観、文章のテンポや言い回し。自分なりの軸による知見や考察。人によってはイラストや作品。例えブログ名や使っているテーマを変えても、文章ならば増田に書いても、「ああ、あの人だ」と分かってもらえるかどうか。
「その人にしか書けないブログ」こそが、個人ブログの存在意義なんじゃないだろうか、と。
「商業に出来なくて個人ブログならできること」は多くある。言及合戦、ボールの打ち合いもそうだし、商業の連載や肩書を背負ったブログと違って、思ったことを好きなように、題材も自由に書ける。
日記を見ると、今日したこと、最近興味のあること、生活や感情の移り変わりを感じることができる。例えば料理や写真のブログであっても、書いている人のキャラクターが違えば、受ける印象は全く違う。
「その人らしさ」が感じられるなら、面白くないブログなんてひとつもない。どんな個性でも、ネットに上げれば一人くらい、それを楽しんで、好きになってくれる人がいる。それがCGMの良いところで、インターネットが普及した利点であると思う。
さらに言えば。有名ブロガーの人たちを見ていると、やっぱり「読者を楽しませること」にとても力を入れているなと感じる。
スタイルは人によって様々だけれど、重い段落がつづくとその人のやり方で空きを入れたり、ボケてみる。自分の愛されている分野以外のことはあまり書かない。反応がよかったらまた掘り下げる。とか。(まあ、こうやって分析されるのも嬉しくないのかもしれないけれども。)
当たり前に、お互いがWinWinになっている関係で。それは愛されるよなあ、と感心したりする。
「互助会」という言葉について書くにあたり、ブログをやっている人を便宜的にタイプに分けます。
A)古参。はてダ時代からやっているような人。総じて文章が上手い。更新頻度は低め。交流はあまりしない。
B)新参。好きなことを書いてあわよくば若干の収入を得たい感じ。更新頻度が高い。交流が好き。
C)アフィリエイター。以下のようなタイプがあるように見える。
・ガチのアフィの人。それなりの戦略があるタイプ。「かわいい猫画像!」とか「速報・芸能ニュース」とかそういうやつ。よくダッシュボードの右に載っている。他にも色々やっていると思われる。
・何を考えているのかよく分からないタイプ。ほぼ中身のない記事にひたすら広告を貼る。偏狭そうな人が多い。
・「ブロガーとして」明確に互助を目指し、ブクマ不正している、らしい。偶に増田で告発されているけど割とスルーされている印象(興味がないのでよく知らない)。
よく見かける「互助会」という言葉は、B)に向けて使われる。「お互いのブクマコメントでブクマ数を稼いでいるんだろう!」というやつ。
でも、実際のところ。「当たり障りのない敬語のコメント」は、「相手に好意をもっていて話しかけたいから」「交流が楽しくて」やっているのだと思う。
その証拠に、「スター・ブクマ・フォローしたけど返してくれなかった!PVが伸びない!」なんて愚痴を書いている人は誰もいない。(このクラスタは素直な人が多いので、そういう気持ちがあったらたぶん正直にそういう記事が書かれ、誰かの目に留まるのではないかと思う)
「ブクマしてほしい」という気持ちももちろん多分にあるだろうけれど、自分がリアクションするにあたっては、利益を期待してやっているんじゃない、と思う。
嘘だと思ったらそのへんの、自分が「互助会」と呼んでいるブロガーに聞いてみたらいい。相手に言葉をなげかけるのが楽しいから。相手のことが好きだから。たぶん、思うより多くの人が、そう答えるのではないだろうか。
そうはいっても、はてブ的には馴れ合いコメントは確かに鬱陶しいだろうと思う。では、コメント欄を使えば解決する話ではないのか、とも。
そう考える人はもちろんブログを書いている側にもいて、読者に向けて「ブクマでなくコメントで交流しませんか」という提案をするブロガーもいる。読者が何百人レベルになってくると、はてブ側に気を遣ってのことだと思われる。
Twitterとの連動など、利点はあるようだれど。言葉をかけたいだけなら、ブロガー本人が「互助会」と叩かれるリスクをとる必要もないのではないか。コメント欄をもっと気軽に使っても良いように思う。
もうひとつ。別にお互いに便宜を図っているわけでもないのに、「互助会」と呼ばれるのは何だかおかしい気がする。「交流会」「ひつじ会」とかのほうが実態を表しているのではないだろうか。(「ひよこ会」とかでもいい。何かかわいい名前がいい)
で、じゃあ「スター・ブクマ・フォローで利益を得ることを目的とした行為」はないのか!というと、うんざりするほどある。
C)のアフィリエイター系。これが本当にしつこい。見るからに書いていて楽しくなさそうな、NAVERまとめ的なブログからのリアクションがそこそこの頻度で来る。凄かったのは、同じ記事に2度3度つけてくる人。無言でそれをやられても、ただ気味が悪いだけで、何かを返したいとは思えないのだけれど。
相手の人格や思いを無視して、金銭のためにブクマをつけて何が楽しいのか、と。他人の顔が札束にしか見えていないような、うわべだけの文章を読みたいとは個人的には思わない。まして広告をクリックなんてしない。
これは自分に矛先が向くことを恐れているとか、好きな人を擁護したいとかでもなく、単純にクラスタの分類として。交流勢よりも、こういった「機械的な無言のリアクションによって、露出や返報を期待する」アフィリエイター勢のほうが、真に「互助会」と呼ばれるに相応しいのではと思うのだけど、どうだろうか。
ネット上で、文章で稼ぎたいのは勿論、悪いことではない。でも、個人的に読みたいのは、誰でも書ける情報のまとめとかではない。
アフィリエイトをやっている人であれば、どうしてそれを始めたかとか。情報収集はどうやってしているかとか。ライバルはいるかとか、作業するときにかけている音楽とか。その人にしか言えない言葉、面白い話。そういう文章が読んでみたい。
とはいえど。面白かったり為になる文章が無料で読みたい、というのもある意味、何というか難しい話だとは思う。
医学辞典なんて手元にないからネットでいいや、とか。先述のように、企業が宣伝のために作成しているページを利用する、とか。「ネット」と書いたけれど内訳は、キュレーションサイト・個人がアフィ目的で作ったサイト・質問投稿サイト・個人ブログのどれかが引っかかることが多いのではないだろうか。
それが確実な情報源でないことは、もちろん周知の事実である。それでも取り敢えず適当な情報がほしくて検索する人がいるから、それにあわせて少ない労力で情報を供給し、利益を得ようという流れが自然に出てくる。
「分かりやすく出所の確実な情報」ならば、上述のように、出版業界の商品に頼るのが却って近道ではないかと思うことが最近増えている。「集合知」は確かに無料だけれども、「文章」にクオリティを求めるならば、書籍を買うか図書館に行けばいい。紙が面倒ならデータの形で入手すればいい。
商業としての出版を信頼しているから、例えば某警察官やめたブログで暴露されていたように、CGMのふりをして売名する商業があるとしたら個人的には少し悲しい。プロとして作り上げたもの、プロモーションされたものに、正当な敬意を払いたい。
…ここまで書いてきて心配になったのだけれど、出版業界の回し者ではなく、ごく普通の読書好きのオタクが書いています。信じて欲しい、としか言えないけれども。
逆に言えば、ネットで、商業ではなく個人が発信するとき、それは受け取る側となんら変わらない、「普通の人」なわけで。文章を発信する側は全ての責任とリスクを負うべきで、受信側は何を言っても良い、ノーリスクハイリターンな立場である、とは自分には思えない。
ネットを使っている人であれば誰でも、ある程度の文章は書けると思う。たまには「発信側」になってみるのも、悪くはないんじゃないかと思ったりする。
同じ人間が一人としていないならば、誰にでも、「その人にしか書けない文章」があるはずで。私はそれが読みたい。
色々書いてきたけれども、これが正しい見方であるとは自分で思っていない。誤りや偏りの指摘も含めて、議論の一助になればと思う。
個人批判ではなく、このマンガを持ち上げてる奴らに対するアレだが
この話もはてブのコメントもとても気持ち悪い。端的に言ってオナニーだろ。
死というイベントに対して、周りがキラキラに飾り付けてキャッキャしてんの。お前らが死ねよ。
な~にが「良いアドバイスですね!」「逃げることで救われる人がたくさんいる!」だ。
自己満足のためにかけた強者からの「逃げろ」という言葉が当人にとってどういう意味を持つか何も考えてないでやんの。お前らが死ねよ、と思う。
直接的にしろ、間接的にしろ、死に追い込んでる輩が彼/彼女に対してやっているのは広義の人格否定だ。
罵倒して「お前はダメだ」と突きつけたり、(結果として)過剰なタスクを与えて失敗させて落ち込ませたり。
はじめは他者からの勝手な低評価だったものが、本人の主観的な相対的低評価となり、気がつけば本人の中で自己評価が地に落ちる。
で、「逃げろ」という奴。
彼や彼女にとって「逃げる」という行為がどういう意味を持つか考えてないだろ。一度死ね。
学校にしろ、仕事にしろ、はじめは自ら進んで行くものだし、やるものだ(ひと目でヤバイとわかりゃ、強要されない限りその時点で逃げるに決まってる)。
友達と楽しく通い、新しいことを勉強し、、あこがれの会社の、あこがれの職業の、あこがれの仕事、、それがどこかで歯車が狂ってしまう。
歯車が狂ってなお、勉強にしろ、仕事にしろ、学校や会社に行けば必ず進捗する。努力がコツコツ積み上がる。
「逃げる」という行為は、そうやってどうにかこうにか積み上げてきた過去全ての努力を捨て去るということだ。
過去から続く現在までの努力を捨て去り、それどころかその先にあったはずの未来の夢すらも捨て去るということだ。
それってつまり、今の自分だけでなく、過去と未来の自分さえも否定しろという、ド直球な人格否定だなわけだ。
「逃げろ」という奴は、そういう最大の人格否定を強いようとしていることをわかってるんだろうか。
会社から逃げることは、小学校、中学校、高校、大学と16年間以上費やしてきた、親からの教育費と自分の努力を自ら塵芥に帰し、
今以上の会社にも入れないということを受け入れなければいけない喪失感を想像した上で、気軽に「逃げろ」と口にしているんだろうか。
何度も言うが「逃げろ」という言葉は、実質的に直接的な人格否定だ。
そういう意味では、間接的に死に追い込むやつよりよっぽどたちが悪い。
心の中をキラキラさせながら優しい言葉をかけてやったぞと人格否定するあたり、もはや罵倒して死に追い込むやつよりもたちが悪いかもしれない。
憎むべきは、死に追いやられた彼や彼女でも、死に追い込んだ輩でも環境でもない。
そうなるまで、手のほどこしようのない状態になるまで放っておいたお前だよ?
仕事で町田に営業に行った妹が、こひつじ幼稚園のバスを見かけたと云う。
そこまで覚えてないわっ!と突っ込みながらも、
大好きだったなーというスタンプにはうん、ってつい自分も頷いてしまった。
自分も大好きだった。
立地が二十年以上変わってないなら、高ケ坂って住所の名前の通り、
幼稚園は今も坂の途中にあるはずだ。
通学のバス亭、あるいはお昼寝の後にサッカーをするために幼稚舎の外を出て、
六歳児の自分にはきっつい坂だと思ってたけど、
高校の頃にママチャリで登ろうとしてしんどかったのでやはり急坂だったと思う。
この道をもしもあっちへ進んだらその先には何があるのだろう。
あの丘の向こう、なんて憧憬を初めて覚えたのもこの道で。
反対に振り返れば、とても眺めは良かった。
自分が暮らしている世界が何倍にも広く大きくいつも感じられた。
幼心に感じた開放感は今も強く覚えている。
親と飲めば、今でも時々この頃の自分にまで話が遡ってからかわれる。
覚えたてだった「地球」をどんなモノの例えにも使ったのでついたあだ名が地球少年。
地球は廻っている、とどこかの科学者のセリフをママさん先生の前で発表したら
いたく褒められたのをすごく嬉しがってのことらしい。
とても単純で、でもその後のアレコレに比べたら毒がない話だと思う。
http://m-kohitsuji.xsrv.jp/wp/archives/6128/
そうだ、この変なつぼ。まだ作ってるんだ。デザインも変わらない。
実家が引っ越すまでは少なくともあったっけ。
記憶もモノも、物持ちが良すぎるのはコトだと思う。
計算したら自分がここに通いはじめたとき、母は今の自分と同い年だった。
タラレバ女子を読んで、分かるーとゲラゲラ笑ってる場合じゃないよ!でもまだ
子どもを預かってくれることを知った。
つい、そんなところまで読んでしまう。
讃美歌リスト。順番に聞いていきたいなと思ったので
番号 讃美歌1番~100番 番号 この頁のトップに戻る
1 主イェスよ、われらに 2 聖なるみ神は
3 扉を開きて 4 世にあるかぎりの
7 ほめたたえよ、力強き主を 8 心の底より
9 わが身にたまいし 10 今こそ人みな
13 みつかいとともに 14 たたえよ、王なる、われらの神を
15 みことばにより 16 われらの主こそは
17 聖なる主の美しさと 18 「心を高くあげよ!」
19 み栄え告げる歌は 20 主に向かって喜び歌おう
21 主をほめたたえよ(歌えハレルヤ) 22 深き悩みより
29 天のみ民も 30 主よ、あわれみを
35 主よ、あわれみたまえ 36 いと高きところには
43.1 マラナ・タ 43.2 マラナ・タ
43.3 主よ、おいでください
44.3 キリストは死に
45 わが主のみことばは 46 すべての人よ
47 とわに たたえて歌え 48 主をほめうたえ
49 全地よ 主をほめうたえ 50 みことばもて主よ
51 愛するイェスよ 52 歌え 高らかに
55 人となりたる神のことば 56 主よ、いのちのパンをさき
59 この地を造られた 60 どんなにちいさいことりでも
63 天にいます父よ 64 まごころこめ
65.1 今ささげる 65.2 今そなえる
66 父と子と聖霊の
67 貴きイェスよ 68 愛するイェスよ(おさなごとともに)
71 近づき、み前にでよう 72 まごころもて
75 今、装いせよ 76 今こそ歌いて
77 パンくずさえ拾うにも 78 わが主よ、ここに集い
79 みまえにわれらつどい 80 今 与えられる
81 主の食卓を囲み 82 今こそここに
83 聖なるかな 84 聖なる神よ
87 罪なき子羊 88 心に愛を
89 共にいてください 90 主よ、来たり、祝したまえ
93 礼拝文 94 わが主よ、すべてを
95 聖なる霊よ 96 恵みあれ しもべらに
99 主イェスよ、われらの 100 聞きたまえわれらの祈り
125 いかに幸いなことだろう 126 感謝してあたらしい歌で賛美せよ
129 私の望みは 130 涸れたる谷間に
131 谷川の水を求めて 132 涸れた谷間に野の鹿が
133 み神は避けどころ 134 神よ、われをあわれみ
135 あわれみをたまえ 136 わが魂 黙して
137 聖なる主の家で 138 全地よ、神に向かって
141 主よ、わが助けよ 142 主はわがかくれが
143 主をほめ、主に感謝せよ 144 主に向かって喜びうたおう
145 全地よ、主に歌えよ 146 主は来られる
151 主をほめたたえよ 152 みめぐみふかき主に
157 いざ語れ、主の民よ 158 捕われの民
159 主が建てなければ 160 深き悩みより
163 み恵み深い主に 164 バビロンの流れの
169 ハレルヤ。主をほめたたえ 170 わが魂よ、主をたたえよ
181 主よ、今こそ 182 ほめうた歌え
187 よろこびの歌で 188 歌え、デポラ!
191 われら迎えん、救いの光 192 主イェス・キリストはわれらの道
193 神の使者、その名ヨハネ 194 神さまはそのひとり子を
195 まかれた種 196 主のうちにこそ
213 み神をたたえよ(さびしきこよいも) 214 わが魂のひかり
215 心をはずませ 216 月はのぼりて
219 夕日落ちて 220 日かげしずかに
221 この日のつとめ 222 キリストよ、光の主よ
227 主の真理は 228 造り主なる主
229 いま来たりませ 230 「起きよ」と呼ぶ声
231 久しく待ちにし(すくいの主きたり) 232 神のみ子は世に来られた
235 久しく待ちにし(イェスよ、きたりて) 236 見張りの人よ
241 来たりたまえわれらの主よ 242 主を待ち望むアドヴェント
251 羊飼い群れを守る夜に 252 羊はねむれり
255 生けるものすべて 256 まぶねのかたえに
259 いそぎ来たれ、主にある民 260 いざ歌え、いざ祝え
265 天なる神には 266 イェスは生まれた
269 飼いば桶にすやすやと 270 神はひとり子を
271 喜びはむねに 272 おやすみなさい
273 この聖き夜に 274 救い主キリストよ
277 罪なき神の子 278 暗き闇に星光り
291 み神の座を捨て 292 勝利をたたえて
293 救いのぬしは罪もなしに 294 ひとよ、汝が罪の
297 栄えの主イェスの 298 ああ主は誰がため
番号 讃美歌301番~400番 番号 この頁のトップに戻る
301 深い傷と流れる血に 302 暗いゲッセマネ
303 丘の上の主の十字架 304 茨の冠を主にかぶせて
305 イェスの担った十字架は 306 あなたもそこにいたのか
309 あがないの主に 310 血しおしたたる
313 愛するイェス 314 神の国の命の木よ
315 茨の冠かぶせられ 316 復活の主は
317 主はわが罪ゆえ 318 勝利の声を
341 来たれ聖霊、わが主 342 かみの霊よ、今くだり
347 たたえよ、聖霊を 348 神の息よ
349 神の息よ 350 来たれよ、聖霊
351 聖なる聖なる 352 来たれ全能の主
355 主をほめよ わが心 356 インマヌエルの主イェスこそ
357 力に満ちたる 358 小羊をぱほめたたえよ!
361 この世はみな 362 創造の主
363 み神の力は 364 いのちと愛に満つ
365 古い年は行く 366 悔い改めつつ
367 偉大なみ神の 368 新しい年を迎えて
369 われら主にある 370 おもいもことばも
371 このこどもたちが 372 幾千万の母たちの
375 賜物と歌を 376 人の知恵と言葉を超え
377 神はわが砦 378 栄光は主にあれ
381 力に満ちたる 382 力に満ちたる(わがかみの)
383 証し人の群れ 384 盾も武器もなく
385 花彩る春を 386 人は畑をよく耕し
389 み神をたたえよ 390 主は教会の基となり
395 建ちては崩るる 396 喜べつねに
397 主の教えのべ伝え 398 光りさす朝
399 さすらいの民よ 400 たとえ塔は崩れ
番号 讃美歌401番~500番 番号 この頁のトップに戻る
401 しもべらよ、み声きけ 402 いともとうとき
403 聞けよ、愛と真理の 404 あまつましみず
407 この世のすべては 408 この世のもので
415 せかいの友と 416 神の民は
429 世界のどこかで 430 とびらの外に
431 喜ばしい声ひびかせ 432 重荷を負う者
433 あるがままわれを 434 主よ、みもとに
435 主よ、みもとに 436 十字架の血に
437 行けども行けども 438 若き預言者
439 暗い夜 440 備えて祈れ
441 信仰をもて 442 はかりも知れない
443 冠も天の座も 444 気づかせてください
445 ゆるしてください 446 主か手をとって起こせば
449 千歳の岩よ 450 死に勝利された
451 くすしきみ恵み 452 神は私を救い出された
455 神は私の強い味方 456 わが魂を愛するイェスよ
459 飼い主わが主よ 460 やさしき道しるべの
461 みめぐみゆたけき 462 はてしも知れぬ
463 わが行くみち 464 ほめたたえよう
465 神ともにいまして 466 山路こえて
467 われらを導く 468 神をたたえよ
469 善き力にわれかこまれ 470 やさしい目が
471 勝利をのぞみ 472 朝ごとに主は
473 世界の望みなる主よ 474 わが身の望みは
475 あめなるよろこび 476 あめなるよろこび
477 主イェスを想えば 478 どんなものでも
479 喜びは主のうちに 480 新しい時をめざし
481 救いの主イェスの 482 わが主イェスいとうるわし
483 わが主イェスよ、ひたすら 484 主われを愛す
485 この世を愛する神は 486 飢えている人と
487 イェス、イェス 488 この世に造られた
495 しずけき祈りの 496 しずけき夕べの
497 この世のつとめ 498 道、真理、命
499 平和の道具と 500 神よ、みまえに
505 歩ませてください 506 すべては主のため
507 主に従うことは 508 救い主イェスこそは
513 主は命を 514 美しい天と地の造り主
515 きみのたまものと 516 主の招く声が
517 神の民よ 518 主にありてぞ
521 とらえたまえ、われらを 522 キリストにはかえられません
525 主なるイェスは 526 苦しみ悩みの
529 主よ、わが身を 530 主よ、こころみ
531 主イェスこそわが望み 532 やすかれ、わがこころよ
535 正義の主イェスに 536 み恵みを受けた今は
537 眠りからさめよ 538 力の限りに
539 見よ、闇の力 540 主イェスにより
541 また会うその日まで 542 主が受け入れてくださるから
549 わたしたちを造られた神よ 550 大地よ、星々よ
555 真っ青な空と海に 556 神の賜物を
557 み神の風うけ 558 主よ、聞きたまえ
559 見よ、世はすべて 560 主イェスにおいては
565 働く人びと 566 むくいを望まで
569 今やこの世に 570 主はわが命
571 いつわりの世に 572 主をあがめよ
573 光かかげよ、主のみ民よ 574 雪より真白い
575 球根の中には 576 天の輝きの宿る都よ
577 聞けよ、主の民 578 平和を求めよう
579 主を仰ぎ見れば 580 新しい天と地を見たとき
錦織一清 赤狼
中居正広 銀ゾウ
草剪剛 銀チーター
香取慎吾 茶狼
山口達也 金ゾウ
国分太一 赤虎
松岡昌宏 茶黒ひょう
井ノ原快彦 黒虎
森田剛 茶虎
岡田准一 紫虎
堂本光一 茶黒ひょう
堂本剛 橙黒ひょう
嵐
相葉雅紀 銀ゾウ
二宮和也 赤狼
今井翼 茶黒ひょう
横山裕 橙狼
丸山隆平 茶虎
中島裕翔 紫虎
岡本圭人 青虎
伊野尾慧 茶虎
北山宏光 黒黒ひょう
玉森裕太 銀ゾウ
二階堂高嗣 紫狼
佐藤勝利 金ゾウ
マリウス葉 橙狼
五関晃一 橙狼
塚田僚一 茶狼
桐山照史 茶虎
中間淳太 紫狼
小瀧望 茶黒ひょう
太陽グループ 自分軸 状況対応型 ライオンチーターペガサスゾウ
力関係は
・色別
色の相性は
銀ー赤、青ー橙、黒ー黄、紫ー茶、金ー緑 が一番いい相性
私はジャニーズに詳しくないのでメンバー同士、誰が仲が良いとか分からないです。なのでジャニヲタの方々、これを見ていろいろな議論をしてくれたら嬉しいです。
また今回載せた比較方法はほんの一部で、動物同士・色同士の相性、色別の性格などは調べると沢山出てきます。