仕事で町田に営業に行った妹が、こひつじ幼稚園のバスを見かけたと云う。
そこまで覚えてないわっ!と突っ込みながらも、
大好きだったなーというスタンプにはうん、ってつい自分も頷いてしまった。
自分も大好きだった。
立地が二十年以上変わってないなら、高ケ坂って住所の名前の通り、
幼稚園は今も坂の途中にあるはずだ。
通学のバス亭、あるいはお昼寝の後にサッカーをするために幼稚舎の外を出て、
六歳児の自分にはきっつい坂だと思ってたけど、
高校の頃にママチャリで登ろうとしてしんどかったのでやはり急坂だったと思う。
この道をもしもあっちへ進んだらその先には何があるのだろう。
あの丘の向こう、なんて憧憬を初めて覚えたのもこの道で。
反対に振り返れば、とても眺めは良かった。
自分が暮らしている世界が何倍にも広く大きくいつも感じられた。
幼心に感じた開放感は今も強く覚えている。
親と飲めば、今でも時々この頃の自分にまで話が遡ってからかわれる。
覚えたてだった「地球」をどんなモノの例えにも使ったのでついたあだ名が地球少年。
地球は廻っている、とどこかの科学者のセリフをママさん先生の前で発表したら
いたく褒められたのをすごく嬉しがってのことらしい。
とても単純で、でもその後のアレコレに比べたら毒がない話だと思う。
http://m-kohitsuji.xsrv.jp/wp/archives/6128/
そうだ、この変なつぼ。まだ作ってるんだ。デザインも変わらない。
実家が引っ越すまでは少なくともあったっけ。
記憶もモノも、物持ちが良すぎるのはコトだと思う。
計算したら自分がここに通いはじめたとき、母は今の自分と同い年だった。
タラレバ女子を読んで、分かるーとゲラゲラ笑ってる場合じゃないよ!でもまだ
子どもを預かってくれることを知った。
つい、そんなところまで読んでしまう。