はてなキーワード: お土産とは
長崎に「四次元パーラーあんでるせん」というマジックを見せてくれる喫茶店があるらしい。
曰く、
などすごい言葉が並び、気になって調べてみたら興醒めしてしまった。
・お札にペンを通す
・物体を宙に浮かべる
・ルービックキューブを1秒で揃える
・ライターがグニャリと曲がる
これを知った時、この程度でマジックを超えたマジックと言われるのか!?と思った。
マジックが好きな人のレポートはほぼない。行く前に少し調べるだけで程度がわかってしまうからだと思う。
ーーー
私はマジックが好きだ。
都内のマジックバーに10回ほど行った程度でも、あんでるせんのマジックの浅さに驚いた。
それなのに行った人は絶賛している。
理由はマジックではなく超能力、不思議な力だと思い込ませているのだ。
マスターはここに来れたのは前世から決まっていたこと、宿命だと言うらしい。
将来結婚できると断言したり、マジックが終わった後には人生相談に乗ることもある。
お客さんにあなた方は前世からここに来ることが決まっていました。これは宿命ですなどスピリチュアル系の発言をばんばかする。
これは本当にやってはいけない事だと思う。
なぜなら、サイババなど自分の権威のために不思議な能力(マジック)を悪用することがあるからだ。
だからこそマジックを行う人ははっきりと「これはマジックです」と伝えてなくてはならない。
ーーー
行ったことがある人の中には「マジックだと言っている人がいるけれど、マスターのありがたい言葉が聞けるだけで良い」とまで言っている人がいる。
不思議なものを見せられたからマスターの言葉も信じる、カルトの得意とする手法だ。
マスターは過去に占い喫茶店をやっていたが閑古鳥で、長崎のマジシャンに指導をお願いした経緯がある。仲違いしたけど。
ここらへんの話は、占いバスターズのケンケンさんが詳しく解説してくれている。
https://stop-uranai.com/真実を話します/
呼ばれたから予約が取れた、四次元パワーを注入された(ビリビリ系のおもちゃ)、チャクラが開いたなどパワーワードが並ぶ。
お土産で売っている曲げられたフォークを車に置いていた人々が事故を免れた、という文を読んだ時は頭を抱えてしまった。
マスターはそこまで言っていないだろう。でも信じた人たちが思い込み、スピリチュアル系のコミュニティで発信している。その言葉を信じてあんでるせんに行く人が増えている。
その種を撒いているのはマスターだ。
ーーー
ガチのマジックバーにはそんな無粋なものないよね。ちゃんとした技術一本で見せているから、そんな権威付けは必要ない。
有名な人が来ている=これは本物だすごい、と思わせる。マスターがマジックに対して自信がない証拠だ。
出ないんじゃなくて、出られない。
マスターが見せているマジックは陳腐でテレビに出られるレベルではない。
ーーー
マスターにはマジックに対しての真摯さが伝わってこない。マジックへの冒涜だ。
市販のマジックばかりで、技術が必要なクロースアップマジックを取得する努力もしていない。
ネタには考えた人がいる。マジシャンはそのネタを買って『マジック』として魅せる。
そのネタを四次元だとか前世だとかの仕込みに使われるのはご法度だと思う。
あんでるせんのマスターはマジシャンに嫌われていると言われている。
クロースアップアップマジックの中にはネタがわかっていても超絶技巧で何百時間練習してやっとできるものが多々ある。その努力をせず、わかりやすい小手先のマジックばかり見せ、大層な事を言う。
信者は金儲けではないといっている。喫茶店の飲食だけでマジックが見られる、と言うがなかなかにすごい金額。
800円以上頼まなくてはならない。
キャパは30。休みは次に2日。飲食だけでも月に696,000円。
ちゃんと稼いでいる。
あんでるせんを絶賛している人達に本格的なマジックを見せたらどうなるのかな。
マジシャンでもわからないネタを見せても、それでもあんでるせんのマスターを絶賛しそう。
マスターが発するうっすい言葉を受け取り、少しでもマジックが好きならわかるネタを見て、人生観が変わりました!次元が移行しました!衝撃を受け生まれ代わりました!魂をマスターに高次元まで引き上げてもらいました!
などと言う。レポートにはこんな危ない発言がお腹いっぱいになるくらいある。
ーーー
いきなりお客さんの名前を言った。
ケンケンさんが説明していたが、その場にいる1人の名前さえ知ればこのマジックはなりたつ。
マジックの前に飲食の時間がある。2ー3時間。その間マスターの奥さんが配膳などをする。
コロナで飲食提供がなかったときにも、始まるまで喫茶店の席に座り水の提供があった。奥さんが水をよく注いでくれた。
これはホットリーディングです。
30人のお客さんは待ち時間に色々話します。それをよく聞き、そのなかで確実に名前がわかる人を奥さんが聞き出します。
1人の名前だけわかれば良いのです。
マスターがいきなり1人の名前を当て、皆がびっくりしている流れで配偶者や彼氏の名前を紙に書いてもらいます。
紙に書かれたらマジシャンにはいかようにも知る手立てはあります。
少しでもマジックに詳しい人なら「紙に書いた」だけで警戒します。いくつも種があるから。
でも普通の人はマジックの流れで「紙に書いた」が記憶から消えているのです。その前の名前当てパフォーマンスで思考が停止して流れで紙に書いた両親の名前を当てられてビックリします。
素人のレポートには名前を当てられた、配偶者の名前も当てられたと書かれています。
マジシャン、もしくはマジックに少しでも詳しい人のレポートには名前を当てられた人がいる、次にマスターは「紙に配偶者や娘の彼氏などの名前と生年月日を書かせる」と書かれています。
この違いが大事なのです。
ーーー
たぶんこれを発信しても本当に届いて欲しい人には届かないだろうな。
どこにも吐き出せないからせめてここにだけ書き残させて。
夢の内容は
「高校時代の友人と数年ぶりに会って現在の自分の生活や高校生活を振り返りながら談笑する」という字面だけ見れば何ら恐ろしい要素は無い他愛のない夢だった。
その友人との関係性を加味しなければの話だが。
元々面識はなかったが、高2の新学期コロナによる数ヶ月にわたる臨時休校の狭間で行われたクラス替えで同じクラスになり自己紹介で私が「趣味は読書で◯◯◯◯◯と◯◯◯◯が好きです」と言ったのがきっかけで仲良くなった。
自己紹介が終わって自由に席移動して気になる人と話していい時間になった時、私は元々友達が少ないためクラス内に友達がいないこと、そして他人に執着しない性格だったこともあり手持ちの本を読んでやり過ごそうとした。
すると、「ねえ、◯◯◯◯◯好きってホント?わたしも好きなんだ〜」とみらいが話しかけてきた。
第一印象は「綺麗だな」だった。
二重まぶたに通った鼻筋、光を湛える黒目がちの瞳、細く白い腕、赤い唇。
どこをとっても絵に書いたような美少女だ。
◯◯◯◯◯は私達の世代が好んで読むような作家ではないので本物の読書家だということは問わずとも明らかだった。
その後時間の許す限り◯◯◯◯◯や他の好きなこと、部活などの話をした。
その日の下校の時にはどちらともなく先生の目を盗んで校内でスマホの電源をつけ、LINEを交換するほど意気投合していた。
その日からは臨時休校で暇を持て余していたこともありほぼ毎日のようにLINEでいろいろな話をした。
初めて話したときからなんとなく感じていたが、みらいは私と思考パターンが似ていた。
そして学力もほぼ差が無かった。
得意な教科の話になったとき時、二人とも同じ教科を挙げた。
その教科は私が1年の間たった1度だけ1位を名も知らぬ誰かに明け渡してしまった教科だった。
まさかと思いながら「もしかして1位取ったことある?」と返信した。
すると、「もしかしてずっと1位だったの◯◯(増田の下の名前)だったの!?私、1回だけ1位取ったことあってその回以外はずっと2位だったの!」と返ってきた。
こんなことってあるのかと思った。
それと同時に彼女のは切磋琢磨しあえる良い関係になる予感がした。
それとともに私の中には負の感情が巣食いはじめた
初めて遠隔ではない担任の授業を受け、二人で談笑しながら教室へ向かっていると、担任から話しかけられた。
「増田に新川(みらいの苗字)(仮名)!お前ら1年の頃から同じクラスだったのか?」
担任にはそれぐらい仲がよく見えたのだろう。
「違いますよ〜!担任なら前のクラスぐらい把握しておくのが筋ってもんじゃないですか〜?」
とみらいが軽口を叩いているのを横目に見ながら私は内心嬉しくて堪らなかった。
こんな美少女と対等な友人関係を築けていることが他人の目から見ても明らかなこと、私はその事実に歓喜した。
その日、授業が終わると担任がロッカーを整理しているみらいの所へ向かうのが見えた。
その数秒後、廊下から二人の笑い声が聴こえてきて、今度は私のもとに担任がやってきた。
「ごめん。新川を増田だと勘違いして声かけちゃった。だってお前ら背丈といい雰囲気といいなんか似すぎなんだよ。」
だった。
信じられなかった。あの美少女を私だと見間違えるなんて。
それなのに見間違えるなんて許せない、彼女の美に対する冒涜だとさえ感じた。
きっと委員会の連絡か何がだったとは思うが、担任のその後の言葉が頭に入ってこないほどの衝撃だった。
担任と会話したあとチャイムがなったので自分の席に戻るともう一度さっきのことについて思索を巡らした。
そこで私は気付いてしまった。
私がおかしいということに。
普通の人間なら心の中で喜ぶべきことを私は赦されないことだと感じて、しかも怒りさえも感じた。
どう考えてもおかしい。
他人に執着しないはずの私が、彼女には彼女に対しては何故かこんなに心を掻き乱されている。
もう手遅れだった。
その頃にはもう彼女への、そして彼女の美に対する感情はもはや信仰の域に達していたことを、その時ようやくわからされた。
休み時間になると彼女の方から私の所へやってくるのが当たり前だった。
その美しさや性格から友達は多いが、その数多くの友達の中で私のことを選んでくれた。
それが私にとっては至上の喜びだった。
クラスメイトが
みらいは
「まぁね〜」と当たり前だとばかりに返答していた。
そんな彼女の自己肯定感の高さがこの上なく好きで、でもそんな彼女が眩しかった。
彼女が他のクラスメイトの「かわいい」と言われる時、私はいつも息苦しかった。
当たり前だ。わかってる。私が彼女より醜い事は私自身が誰よりも知っている。
決して表には出さなかったが称賛を全てほしいままにしている彼女が横にいると気が滅入ることも多々あった。
それでも私は彼女と一緒にいた。
二人でいる時だけは、その美しい瞳に私以外は映らないから。
もちろん全ての行動を共にした。
一日目は某県の某資料館へ2学年全員で向かった。
手が触れたのを契機に、どちらともなくお互いに指を絡めて相手の震えを感じながら暗い館内を歩いた。
私は手汗が出やすい体質なので1度手を解こうとしたが、
「怖いから話さないで」と小声で訴えられたので逆らえるわけもなく結局出口までそのまま向かった。
私がお土産を見繕っていると、みらいが
「ねえ、◯◯こういうの好きでしょ?」といきなり声をかけてきた。
彼女の指差す先には、色とりどりの硝子でできた美しいエジプト香水瓶(中は空)があった。
凄く綺麗……とつぶやくと
「全部一点ものらしいよ!せっかくだからお揃いで買おうよ!」とみらいはもう買う気満々でその手の中には桜色の香水瓶が収まっていた。
私は彼女のそれとデザインの一部がよく似た空色の香水瓶を選び二人でレジへ向かった。
なかなか量が多く、少食気味なみらいは食べきることができるのかと心配になったのでそれとなく隣にいる彼女を見やるともう限界という顔をしていた。
「これとこれ食べれる?」と言ってきたので有り難く拝借した。
それで終わると思いきや、デザートでミニケーキの二種盛りがやってきた。
私はぺろりと平らげたが、彼女はどうしても最後の一つが食べられないようだった。
そして
「ごめん。これ食べれる?」と聞いてきた。
私はうんと言おうとしたが、
私の食器やフォークはつい先程席を巡回しているホテルの方に回収されてしまったので食べる術がない。
手で食べるのははしたないしと逡巡していると
「はい、あ〜ん」
同じテーブルの生徒の視線が彼女の手と私の顔に集まり、恥ずかしさで頬に熱が走るのを感じた。
いつまでもこのままではいられないと思い、覚悟を決めて顔を近づけ、食べた。
修学旅行でそんなことが起こったため、その後の学校生活ではクラスメイトに彼女との仲をからかわれることも増えた。
「なんかみらいちゃんと増田さんって二人だけの世界?っていうか独特な空気感あるよね〜」と言われたりなんかもした。
今まではそう感じたことは無かったがあの修学旅行を経ると確かにと思う自分も居た。
その関係に心地よさを感じる一方、今振り返ればどこか嫌悪感があった。
念のため言っておくと、私は普通の女だ。
小中学生の頃は普通に男子と付き合っていたし、好きになるのはいつも男だった。
でも共学は嫌いだった。共学の女が嫌いだった。
あらぬ噂を立てて私と彼氏を引き離そうとする、そういう汚い女が大嫌いだった。
「女子校は本当に生きやすい。男がいないとそういう争いとかもないし。」と聞いていたのもあり必死に勉強して女子校に入学した。
秘密の花園なんてのは空想だけれど、進学校だったこともあり皆自分が一番大切だから自然と無駄な争いを避けるようになっていたから本当に生きやすかった。
今思い返すとというより当時から薄々感じていたが、みらいはボディータッチが多かった。
1日に少なくとも2回以上はハグしてくるし、堂々と人前で手は繋ぐし、とにかく距離感がおかしい。
最初こそ戸惑っていた私も仲良くなるにつれて気にしなくなってきたものの、時折嫌悪感に近いものを感じることさえあった。
でも、やめてとは言えなかった。
2年の3学期になって3年生0学期なんていう進学校あるあるワードが教師の口から出始める中、彼女との関係が変わった(と増田が勝手に思っている)出来事が起こった。
その前の記述模試から国数英3教科に加えて理社科目が追加された。
2年最後だしここで一つ頑張ってあの教科でみらいに勝ちたいと密かに思っていた。
毎晩負けまいと勉強して迎えた本番。
習っていない範囲もあったが自分で勉強してカバーした分自身はあった。
3月、結果が出た。
私はその教科で全国一桁の順位を取った。
模試の順位は掲示されるので早速見ると、みらいは私のすぐ下の段にいた。
私は勝ったと思う前に彼女の不調が気になった。
トイレに行っていたみらいがこちらに来て順位が張り出された紙を見ると
「やっぱり◯◯はすごいよ、」と一言言って自分の席に戻っていった。
その日は話しかけてもどこか上の空だった。
次の日、彼女は休んだ。
心配で休み時間隠れてスマホを起動させ、LINEを開いてメッセージを送った
すると数分後
こんな時まで謝ってくるのが彼女らしいなとその時は思った。
次の日予告通り彼女は帰ってきたが、いつものボディータッチは無いしなんだかひどく静かだった。
結局2年の終業式の日まで彼女はずっとそんな感じだった。
3年になるとクラスが離れた。
前はあんなに同じクラスがいいと思っていたのに、最近の彼女の煮えきらない態度をあまり好ましく思っていなかったので実際の所は
嬉しさ7割悲しみ3割といったところだった。
しかしその思いはすぐ覆された。
一つがクラスメイトの私に対する反応だった。
2年の時みらいと私ともう一人のクラスメイトの3人でたまに会話することがあった。
3年に進級してそのクラスメイトとはまた同じクラスになったので声をかけると
素っ気無いそぶりですぐ別の友達の所へ向かっていった。
そこで私は気付いてしまった。
結局私は彼女が隣りにいなければ価値のない、何も特別なところなどない人間だと。
みらいとはクラスが2つ離れていたため頻繁には話すことは無かったが、たまに会話するとそれはそれは惨めな気持ちになった。
私にとっての彼女はたった一人の心を許せる友人だった。
けれど彼女にとっては大勢の友達の中の一人でしか無いという事実に串刺しにされる気持ちだった。
私にはポテンシャルがあることを教えてくれた。
それだけに縋って、今までの人生でやったことのないぐらい死ぬ気で勉強した。
その成果は存外早く出て6月の模試では早速学年1位に躍り出た。
この結果には教師陣も驚いたのか露骨におだててくるようになった。
それをあしらいながら只管勉強した。
7月、もう何ヶ月もLINEなんて送ってこなかったのにみらいから急に連絡が来た。
良かったらうちの部室くる?」という内容だった。
3年に入ってからは画塾にも通い始めたと聞いた。
彼女には夏休み中特別に部室の一角を占領する権利を顧問からもらったらしい。
私はその誘いにあっさり乗った。
彼女と実質二人だけで過ごせる時間をみすみす手放す訳がなかった。
夏休み、みらいの部活の日はみらいの部室で、それ以外の学校開放日はひたすら教室と図書館で勉強をする日々が始まった。
部室ではみらいが自分の背丈ほどの大きさのキャンパスにひたすら油性絵の具を塗りたくっていた。
正直油性絵の具の匂いは苦手だったが、みらいと同じ空間にいる方が大切なので我慢した。
他愛のない話をしながら、彼女は絵を、私は過去問をそれぞれ仕上げていった。
そんな夏が終わると、また連絡を取る回数が減った。
それもそのはず、彼女は推薦と一般で美大を受験するため、画塾に通うだけでなく面接の練習なども必要になったからだ。
私はただ勉強していった。
この頃には志望校の偏差値を大幅に上回る成績を取れるようになってきた。
冬がやってきた。
そんなことを思いながら夜食で出されたホールケーキの残りを頬張りながら勉強していると突然LINE電話がかかってきた。
みらいだ。
修学旅行でまわったとこ、また二人で全部回ろう」
みらいは電話越しにそう言った。
私が
と言うと
突然そんな提案をしてきたのには驚いたが、その約束は私を鼓舞した。
かつて無い手応えを感じた。
自己採点をするとこれまで取ったことのないほどの高得点だった。
みらいは家の都合で国公立しか受けられないと言っていたから3月にならないと結果は出ない。
式が終わってもみらいの元へ向かった
「◯◯、待ってた」
そう彼女は言った。
「写真撮りたい」
自分の顔面に自信が無い私はせっかくだから二人で映ろうよと言って彼女のスマホを借りてツーショを撮った。
案外あっさりした別れだった。
そのときはそれでいいと思っていた。
その日、LINEで彼女のスマホで撮った写真が送られてきたのを最後、彼女からLINEが送られてくることは無かった。
彼女の志望校の合格発表日が過ぎても連絡が来なかったので、私はある決意をした。
整形をする決意を。
幼い頃から親に「醜い顔で産んだから整形代は出すよ。ただし、高校を卒業したらね」と言われていた。
今こそその時だと思い、すぐカウンセリングの予約をし、施術プランと日程も決まった。
私の思い一重は施術とダウンタイムを経て左右差のない整った二重になった。
私は私で上京したので新しい暮らしと新しい環境に慣れるので精一杯でみらいに連絡している時間もなかった。
「かわいい」なんて言われるようにもなった。
やっぱり美は正義だなと感じた。
前期は友達と遊んだりテストやレポートと格闘している間に過ぎ去っていった
夏休みも終わりに差し掛かった頃、ふとみらいのことを思い出した。
数時間後、数日後、数週間後。
待てども待てども返信が来ない。
それどころか未読無視をされている。
プロフィール画像などは変更されているからLINEを見ていない訳では無いだろうに。
しかし私は今でもふとした瞬間にかつての彼女を思い出してしまう。
いつだっただろうか。
私とみらいはあの時担任が言ったように本当に瓜二つだと初めて気付いたのは。
卒業式の後、送られてきた彼女と一緒に写った写真をまじまじと見てみると
私と彼女は鼻の高さ、形、口の大きさ、頭蓋の形が本当によく似ていた。
そう、違っていたのは目だけだった。
私が二重に整形したことで、私の目はぱっちりと開くようになり、彼女の瞳の形そのものになっていた。
今の彼女はどんな顔をしているのだろう。きっと美しさが増しているだろう。
今日見た夢は
みらいと数年越しに会って食事なんかしながら
近況や今までのこと、あの時はお互いをどう思っていたかについて話し合う夢だった。
美しいのは相変わらずだなぁなんて彼女を見つめていると、
「◯◯、整形したの?良いじゃん似合ってるよ」なんて言ってきた。
本当に彼女らしいなんて思っているとアラームの音で現実に引き戻された。
起きて夢かぁと思いながら十数ヶ月ぶりに彼女のLINEを開いたがやはり既読はついていない。
午後、用事を済ませて家に帰って来ると既読がつくはずないのになんとなくまたみらいのLINEを開きたくなった。
その衝動のまま、トーク画面を開き、自分の送ったメッセージを目で追う
「みらい!最近どう?元気?」
見慣れたそのメッセージの上に目を向けると、そこにはそのメッセージを送った日付が表示されていた。
それを見て息を呑んだ。
そこに表示されていたのは
「1年前の今日の日付」だった。
こんなに都合のいいタイミングで夢に出てくるほど彼女の幻影をいつまでも追いかけている自分が心底恐ろしい。
という話。
かつての君たちの祖父や父親がしていたのと同じように、今度は中国人観光客が日本人売春婦を買いに来るようになったね。
それも別に富裕層ってわけじゃない。ちょっと小金がある庶民が、安いから買いに来るんだ。
少子化の進む日本の貴重な若い女が、観光地のお土産物を物色するくらいの感覚で使われているね。
そんな彼女たちも彼女たちの身体が損益分岐点を下回れば将来を考えて、婚活市場に紛れ込むよ。
夜な夜な精液の受け皿として使われてきた身体を抱きしめ、切り売りを繰り返してきた魂に永遠の愛を誓うのはもちろん君だ。
こんなに若くてかわいい女性と結婚できるなんて、本当に幸せ者だね。
学生時代彼女も作らず一生懸命勉強して、卒業後も残業を厭わず働いた甲斐があったってもんだよね。
愛する彼女は加齢や性病歴で妊娠しにくくなっているかもしれないね。
汗水たらして働いた君のお金だ。
彼女がこれまでの人生で唯一研鑽を積んできた性技はもちろん一生秘匿され、これまで膣を通過してきた名も知らぬ無数の男性器と比較されながら、そんなことはつゆ知らず、君は何度も果てるだろう。
立地:A
歴史:F
建築:F
観光:F
繁華街の近くにあって立地が良いだけで、他に良いことは何一つない神社。
それが護國神社。
寺社仏閣としての歴史は浅くて明治時代以降に作られたものだし、社殿は質素で特にみるべき物は無いし、観光に行っても何一つ面白いことはない神社。
それが護國神社。
靖国神社は明治維新から大東亜戦争までの歴史資料の展示があるし、アームストロング砲やゼロ戦などの兵器の展示があるし、食堂では海軍カレーが食えるし、お土産屋では兵器を模したグッズだったり、小林よしのりや百田尚樹の右翼本が売ってるんだぞ。
地方を観光する際にせっかくだからと護國神社に寄ることもあるけど、どこに行っても観光する価値が無くてガッカリするんだよな。
言おうとしてる言い訳が見苦しいんじゃ?と少しでも思ったなら言うのを辞める
これ読んで思ったけど、旅行のイベントのひとつに映画をみることを盛り込んだらどうだろうと。
地方の映画館はヤバいくらい空いている。都心部のそれとは比較にならないくらい。
それはひとえに人口が少ないから。そのわりには地方の郊外にあるショピングモールのシネコンはそこそこの規模があるから余計に分散して空席が目立つ。
だから前後左右に知らない人が座ってスマホの光に照らされてないと映画を楽しめないという方を除くととても快適であると思われる。
なぜ地方の映画館の利用者が少ないかというと地元民しか利用しないからだ。
なぜ地元民しか利用しないかというと映画館が旅行者にとって行きづらい郊外のショッピングモールにあるからだ。
でもたいていの最寄りのショッピングモールは駅からバスが出ているはず。それもそこそこの本数。地元民でもバス利用者がいるから。
問題は移動時間と映画時間に相当の時間をとられることと、全国どこでも似通っているショッピングモールじゃ旅行気分を味わえないこと。
そこを解決すれば意外に目があると思われる。
たとえば、地元じゃ当たり前に売ってるけどほかでは珍しいものをスーパーなどで売っている。
それぞれすでに実現してる。だからあとは導線誘導のためのプランとその広告だけじゃないかなと。
朝に駅に着き、午前中に観光地をみて、昼にショッピングモールで食事。そのまま映画を見て、終わったらお土産を買い、バスで旅館に到着とか。
職場で聞いたのが、面倒な仕事や人事異動、昇進に関するバーターとして
みたいなことをやってると聞いてブチ切れたことがある
業務上、海外出張が年に数回はあるんだけど毎回出張説明のときに
みたいなことを言ってくる上司が多くて意味不明だったんだけど、合点がいったわ
噂ではそういうほとんど旅行みたいな海外出張をやってる連中がいるってのは聞いてたけど
そいつらのせいで業務で行ってるのに白い目で見られるのマジむかつくわ
ファーストなんてありえないしビジネスも会社からは出ないから普通にエコノミー
慣れれば別にエコノミーでなんてことはないんだけど到着したら普通に疲れてる
夜到着とかだとそのままホテルで寝ることになるけど、日本時間は朝だったりするからメールとかのチェックしないといけないし
下手したら夜中まで業務してる
そんで朝一から行動してスケジュールは基本的に18時までキッチリ詰め込まないと間に合わない
空いた時間で観光ができなくもないけど、サンフランシスコ行ってて観光にロサンゼルスとかラスベガスとか行けないよね
個人で観光旅行してたら全然行けるんだけど仕事の出張だとそうはいかない
おまけに同じ都市での観光が多いから観光名所なんてすぐに飽きる
メシも同じ店が多くなるし、基本的にマズイ
というか美味い店は高い
はっきり言って全然楽しくない
目黒の女児虐待死事件の記事を昼間に読んでしまったからかなぁ。
明日出社なのにこんな時間にこんなもの打ってていいのかな、サクサクいこう。
フェイク入れるよー
20代女
中高私立
ずっと精神科に通ってる
今はCMが流れるくらいには大手の企業で正社員として働いています
もちろん金のない家の虐待の方が何倍も地獄なんだろうけど、金のある家の虐待も地獄です。
幼い頃の記憶がほとんどなくて、色んなところが抜け落ちてるからもしかすると事実と違うところもあるかもね。(補正がかかってしまっているのかも)
あと中学高校の時も事情があって記憶がないから、あやふやかも。ごめん。
まず、父親が異常者。
子供が泣いてたら指を指して大笑いする人なんだよね。おかしいよね?普通は慰めるよね。
なんで殴るの?って聞いたら俺がイラついてるからって答えてくる。今でもそう。
会社では部下を虐めて休職や退職に追い込むのが趣味で、この間も女の部下に「ブスなのに仕事もできないのかよ」と言いまくって休職に追い込んで退職までさせたのを家族に自慢してきた。
あと、私が小さい時からずっと学生時代のいじめ自慢をしてきた。小学生の時に貧乏な同級生の掘っ建て小屋みたいな家を壊しに行って、その家のお母さんやお婆さんが泣きながら「やめてくれ」と頼んできたけど壊してやったぜ!みたいな話を笑いながらするような人。
幼少期の話
・これは後から聞いた話。父親が一歳半の私の足を持って振り回して、投げ飛ばした。頭を打った私はぱっくりいってしまって出血。救急車。頭を縫うことになった。今でも私の頭の上の方には縫った跡がある。
・これも後から聞いた話。父親が無理やり煙草を私に食べさせて緊急搬送、胃洗浄。父親は笑ってたらしい。
・これは記憶にある。家族でマクドナルドに行った時、何故か両親が4歳の私にトレーを持たせたんだよね。それで、階段で転んじゃって、トレーにあったハンバーガーとか飲み物とかポテトとか全部ぶちまけちゃった。やばい、思い出して泣いてしまってる。
三人分で重かったんだよ……
で、父親が激怒。マクドナルドの店内で殴る蹴るをされて、優しい店員さんが新しいのを全部用意してくれた。本当に嬉しかったけど、その時に父親が「こんなことをするお前はもう食事をするな」と言ってきて、食事禁止令が出た。
母親はこの時転職活動中だった。(出産で退職して、私を育てていた)だから、家にいた。
地獄だった。自分でも分かんないんだけどさ、子供って親から絶食って言われて従っちゃうんだよね。しんどかった。今でもトラウマで、絶食系の虐待のニュース見る度にフラッシュバックする。
給食がないからさ、本当に何も食べられない。母親が父親に「水は飲ませてもいいですか?」と聞いて、父親が「水ならいい」と答えてくれたから母親は私に水は飲ませてくれた。お腹タプタプになるまで飲んでもさー、お腹って空くんだよね。
一週間くらい何も食べさせて貰えなかったらなんかもう頭がおかしくなって、畳のい草食べた。美味しかった。めっちゃ美味しかったよ。
みたいなことがまあ多々あったんだけど、よく覚えてない。
大学に入ってから受けたカウンセリングで無理すんなって言われたから蓋をしたままにしておく。
毎日殴られてたし蹴られてたし、父親は不機嫌になると頭からビールをかけてくるからビールが大嫌いだった。今でも飲めない。
その後ビールで汚れたカーペットは幼い私が処理しなきゃいけなかった。
時期はぼかすけど弟が生まれた。
弟の方が酷い扱い受けてるんだけど、小3くらいから私は父親から性的虐待を受けているので、トントンかなーと思うよ。
書きたくもないから詳細は書かない。女児は抵抗できないからね。
今でも隙あらば私の胸や股間を触ろうとしてくる。スマホのカメラを向けて、ムービー撮影を開始すればやめてくれるから、スマホは手放せないけど今は何もされてないよ。
風呂に入ってたら風呂に乱入してくるから、父親が帰ってくる前に風呂に入らなくちゃいけないのがネック。夜遅くに帰ることになったら父親が寝るまで待つか、朝早く起きるしかない。
小学校に入って、家庭が異常なことに気づいた。気づいたきっかけは、父親に「愛人」がいた事。今でも愛人がいるよ。母親公認の愛人。家族全員愛人がどんな人でどんな名前なのか知ってる。だって愛人との話を家でしてるからね。
行政は助けてくれない。当たり前。だって世間体がいいもん。母親も転職っていうか、再就職か。大手企業に再就職してさ、外面は二人とも凄くいいから子供を虐待してるなんて思ってくれなかった。
金がある家はこれが出来ます。
家出も数回したけど、家出をすれば見つかったあと更に酷い目にあうから家出は選択肢から無くなった。
父親がやばい人なのは祖父母から縁を切られていることで何となく察した。高校進学の時に「金は出すから」と言われて、一人暮らしをすることになったらしい。武勇伝のように語っていたけど、父親は都内の出身だし、都内の高校に通っていた。一人暮らしをする理由はないから、多分捨てられたんだと思う。
今は関係修復してて(祖父母も孫は可愛いよね)、祖父母のことを知っているけど、めっちゃ金持ち。
遊びに行くと必ず5万円くれる。これが非常に助かった。(後で書く)
学歴社会に生きてきた両親なので「MARCHはゴミ」と言われて育った。
私はそんなこと思ってないし、ヤバすぎると思う。
小4の頃から中学受験の塾に入れられた。成績が良ければ褒められたし成績が悪ければ殴られて蹴られた。
凄い話をすると、成績が落ちた時に椅子に縛り付けられて、トイレはペットボトルでしなさいって言われたよ。机から移動するな、ずっと勉強しろって事だね。
そんなこともあってか(?)、無事に偏差値の高い第一志望へ合格出来た。
中高が地獄だった。
まず、私立の学校に入れば周りは金持ちばかりだ。私の家だって金持ちの部類だけど、子供の娯楽には金をかけない家だった。
携帯?持ってない。
旅行?行かない。行ったことない。旅行は父親が綺麗な愛人と行くもの。お土産も買ってくれない。
ゲーム機?買ってもらえるはずがない。
お小遣い?ない。
そんな感じで、周りとの格差に愕然とした。友達が出来てもさ、あー……ウチ、おかしいんだわ……とテンションが下がっていく。ブランド物バッグの話してる金持ちの同級生とかね、なんかもう、世界が違いますよ。
何度か、お小遣い欲しい。携帯欲しい。って言ってみたことがあるんだけど、「それなら女なんだから風俗で稼げ」って言われた。
毎日のように殴られたし蹴られた。
タオルで鞭打ちされるのが本当に痛くて、赤い痕が身体中にあった。
この時期に弟が発達障害であることが分かった。父親は激怒して「俺の遺伝子に障害の血は無い」と母親を怒鳴って殴って、何故か私も殴られた。
そんで、父親は弟を他県に連れて行って、置いてけぼりにした。
警察沙汰になったんだけど、外面が良いからあの手この手で言いくるめてすみませんでしたーで済ませてた。許せなかった。本当に今でも怒りで身体が震える。
弟がパトカーから出てきた時に真っ先に抱きしめた。まだ覚えてる。母親も泣いてた。
あの時、ミッキーの絵柄のネクタイの刑事さんだけが父親を怪しんで追及してたのを凄く覚えているし、最後まで納得してなくて「これからは気をつけてくださいね」と嫌味みたいな言い方でチクチクしてくれたのが気持ちよかった。ちょっと怖い見た目の刑事さんだったんだけど、ミッキーのネクタイだったし、優しい人なのかなーと思った。
(ちなみに私はディズニーなんて行かせてもらったことなかった)
後日、父親に「迷惑かけてすみませんでしたって謝りに行け」と言われたので何故か母親・私・弟で菓子折りを持って警察署に謝罪しに行った。
ほんとなんで?お前が行けよ。
もう、何もかもの記憶がない。気づいたら学校にいて、気づいたら家にいた。分からない。
それでも成績は維持してた。
親の金盗んでたのがバレて、父親に半殺しにされた。家に入るなってベランダで生活をすることを強要された。まあこれは私が悪いと思ってたので夜中もベランダで過ごした。
色々ぼかすけど、この辺で自殺未遂を起こして、母親が私がおかしくなってることにようやく気づいてくれた。この時に私を児童思春期の精神科に連れていってくれたことが良かったのか……悪かったのか。
なんか凄く謝られた。私の中の母親と言えば父親に従って、殴られて蹴られて、私に「○○ちゃん、辛いよぉ……」とヨシヨシを求める人だったから、まともだったんだーってびっくりした。
母親が仕事の形態を楽なものに変えた。年収1000万→800万くらいになったけど、その代わりほぼ定時退社。職場も異動願出して家に近いところにしてくれた。家庭を大切にするようにしてくれた。
私は弟の世話のために小学校を休めと言われ、まともに小学校に通えてなかった時期があるので(かなりこの事がトラウマなので書けなかった)凄い進歩だと思った。女性のキャリアが厳しい世の中で、母親は昇進を諦めた。
小学校に通えてなかった時期のことに触れてしまったので、書いておこうと思う。
一歳の弟の世話を私に任せて両親は仕事に行っていた。当然私は学校には行けない。
なんか、弟が、あれ……わかんないな、ごめん、覚えてないんだけど、変な風になったことがあって(ひきつけ?みたいな?分からない……吐いちゃったような気もする)、どうすればいいか分からなくて、でも親の携帯の電話番号なんて覚えてないし、泣きながら赤ちゃんの弟を抱えて近くの家のピンポンを押したことがある。
出てきたのはおじいさんとおばあさんで、事情を察したのか、なんか、色々と処置をしてくれた。助けてくれた。ちょっとトラウマの発作が出てきたからもう書くのを止める。
中学で私は完全にダメになってしまって、不登校になった。鬱で身体が動かなくて、寝たきりだった。
風呂も職島も排泄も介護なしでは出来なくなったんだけど、母親が全部やってくれた。
母親は今でもヒステリー持ちだけど、この時期からまともに会話ができるようになって、普通に良い関係が築けている。
周りとの格差には悩み続けた。金持ちの学校に通ってる貧乏人の気分を味わったよ。帰りに買い食いなんて出来ないし、学食なんて夢のまた夢。
悩んでたら母親がお小遣いをくれるようになったんだけど、それが月2000円だった。月2000円でもありがたかったけど、まあ足りないよね。
2000円は交通費になった。
これが本当に助かった。じいじ ばあば ありがとう。孫は貴方たちのことが本当に大好きです。
弟は私より酷い目にあってたけど、可哀想だから書かないでおく。まず、父親には発達障害持ちってことで人間扱いされてないです。
今でも。
これを書きながら父親が弟を罵倒する声が、リビングから聞こえてる。
高二になって、母親に携帯契約していい?って聞いたらいいよって言われたので母親名義で契約することに成功した。
やっと父親の性的虐待から逃げられて、一安心した。スマホをかざすと逃げるの、ウケる。そんなに証拠を撮られるのが怖いか!なら最初からやるな!クソボケ!
ずっとうつ病だけど、頭が良いことが助かった。父親より偏差値の高いところに進学することが出来た。
家にいたら風俗やって稼げと連呼されるので、バイトを詰めて家に寄り付かないようになった。
なんか疲れてきたから後は書かない。まだうつ病は治ってないし、ぶっちゃけ虐待事件のニュース見る度に発作が起きて頓服飲んでる。
学費を出してくれただけ、マシなんだろうなーと思いながら生きてる。
実家は色々あって出れてない。出たいんだけどねー、私が出たら母親見捨てることになるからね。あんまり非情になれない。色々意見あるだろうけど、母親が「私を置いていかないで」と泣きながら頼んできたことあるし、まあいいかな。
……働き始めてから月8万円を入れることを強要されてて、辛い。
初任給の手取り23↑だけど、8入れるの辛かったよ。地方の中小と変わらんやん!ってなった。
今度交渉したい。
学費を出してやっただろうが!といわれたことがあるんたけど、それなら奨学金借りたかったよ。奨学金の方がうんとマシ。
ちなみに父親はもうすぐ取締役のポストが見えているらしい。第二のビッグモーターになるのかな。
記事へ反応で前にも見たことあるって言われてるから一応違いますーってことで書いとくと、はてな匿名ダイアリー書き方知らなくて改行?空白行の挿入?が出来ないから「 」(空白)を入れて改行してる!
選択とかしてみたら分かるかも。
その人は私と同じように「 」改行の使い手?
はてなブログ初めて書くから、誰かスマホからの改行の仕方教えて欲しいです。(検索をするほどの余裕はないし、もう遅いから寝る)
体調悪くて暇つぶしにはてな匿名ダイアリーの人気エントリ?みたいなのを漁ってたら目黒の虐待事件のやつを読んでしまって、その後色んな虐待記事を読みまくったらみんな金のある家に云々みたいなのを見たから書こうかなと思ったのが発端。
(例)KinKiのやる気まんまんソング KinKi Kids
https://www.uta-net.com/song/12622/
https://www.uta-net.com/song/293688/
(例)コンビニ ブリーフ&トランクス
https://www.uta-net.com/song/20573/
(例)子グマ!子グマ! スピッツ
https://www.uta-net.com/song/211687/
半分こにした 白い熱い中華まん 頬張る顔が好き
(例)ぶたまんごころ 小林亜星
https://www.uta-net.com/song/143140/
https://www.uta-net.com/movie/164269/
・カレーまん
・チョコまん
・餃子まん
・さつまいもまん
1美術館
いま日本に存在するのが奇跡と言われる名画を見られる大原美術館が倉敷市にある
岡山市内には岡山県立美術館もあり、まあそれなりな絵は見られるし、企画展が回ってくるのでそこそこなものは見れる
中東やエジプト、インドあたりの貴重な品々がそろっており、その界隈では有名らしい
大和に滅ぼされた吉備の古墳がたくさんあり、天皇陵ではないので発掘調査が進んでいる
3伝統文化
備前焼は有名
人間国宝もいるし、現代アート的に備前焼を活用している人もいる
なんかアニメで備前焼の窯元の子の設定の子がいるらしく、オタクにも優しい
映画は、岡山は雨が降らないことを売りにして、ロケを呼び込んで助成出している
5食文化
魚は美味しくない
大手まんじゅうは餡子の塊でしかないけどおいしいっちゃおいしい
6学問
地味だけど優秀
仙台のある宮城県で19、広島県は28、香川県はたった8、愛媛県で12だと思うと、岡山がいかに教育環境に恵まれているかわかると思う
大学がある=教育、研究環境がある=県民が文化的、みたいな乱暴な考えもできるっちゃできるだろう
7歴史
日本は大和朝廷あたりから続いていく歴史だけど、岡山は大和と敵対した吉備の国という大勢力があった
そこから大和に負けて吸収されるわけだが、当時から文化水準が高い街があったのは間違いない
国分寺もあり、古墳もあり、平安時代は吉備真備の出身国としても有名
池田の殿様には皇室からプリンセスが嫁いできて、池田動物園の園長をされている
8演劇
知らん
全く知らん
けど、そういうのができそうなホールはいくつかあるのを知っている
9自然
瀬戸内と中国山地に囲まれているので、海の自然も山の自然もある
酒造好適米の産地でもあり、山田錦以外で名前があがる雄町、赤磐雄町などは岡山の品種
高精度な望遠鏡の設置にも向いているようで、京大の施設の天文台なども浅口市にある
笠岡市にいけばカブトガニの繁殖地もあり、カブトガニ博物館もある
山にいけば蒜山の牧場もあり、オオサンショウウオの繁殖地もある
10スポーツ
高校野球は初戦敗退レベルだけど、オリックスの山本由伸とか、古くは星野仙一、八木祐なんかも岡山出身
高校バレーは就実高校がたまに優勝するし、高校サッカーも去年岡山の高校が優勝した
11おまけ
福岡県の福岡という名は、岡山周辺に住んでいた黒田氏が、福岡の殿様になる際、地元近辺の名前を付けようということで、岡山県備前市の一部の地名、福岡という名を持ってきた