はてなキーワード: 運動とは
ジャニーズ問題はついにファンによるセカンドレイプで自殺者を出す最悪の事態を招いてしまった。
本当に悲しいし本当に怒っているので書き殴る。
前々から「誹謗中傷はジャニーズファンのごく一部」「事務所に批判的な良心的ジャニオタもいる」などの謎の擁護がある。
えっ冗談でしょう?
彼女たちは何度も団結して「#ジャニーズがんばれ」「#ジュリー社長を応援します」みたいなハッシュタグをSNSでトレンド入りさせてきたよね?
告発者を「金目当て」「虚偽」と非難する投稿には日々何千何万ものリポストやいいねがついてるよね?
それに対して身内を批判したり事務所に改善を求めるような運動はどれだけ起きたの?
「一部」以外の大多数なはずのファンは何をしてたの?
何もなかったよね。
性被害を訴えた人に仲間が大量の石が投げつけているのをただ傍観して、止めもせず呼びかけもせず、黙ってるだけ。
これのどこが良心的だよ。
Xでは今回のニュースにすら「批判が原因の自殺とは限らない」「一方的な言い分を鵜呑みにするな」とジャニオタがコメントをつける。
人が1人死んでてなおこの反応っておぞましいとしか言いようがない。
誹謗中傷をやめさせるどころか「虚偽の話をしているケースが〜」の声明でファンを煽った。
ジャニタレは何してたの?
でも何もしなかった。
P&Gや不二家は売り上げ惜しさにあの手この手で契約を継続してジャニーズを甘やかした。
彼らが社会的な責任ある企業として「誹謗中傷をやめさせないなら契約継続しない」と毅然とした対応をとっていれば今回の悲劇は防げたかもしれないのに。
良心的なジャニオタなんていないし事務所もタレントもスポンサーもみんな良心のかけらもないじゃんこの界隈。
社名変更や新会社で来年からは何事もなかったかのように元通りですか?
宝塚と同じ。
この狂った界隈とビジネスを完全に解体しないならきっとまた人が死ぬよ。
そんなものが存在しないかのように毎日流れるジャニーズの華やかなエンタメニュースや関連ワードのトレンド。
あまりに落差のあるこの光景を見て亡くなった方は何を思っただろう。
たったひとりで、山の中で。
父Fラン大卒・母高卒で家庭教育ゼロな環境で育ち、身体も小さく運動も苦手でゴリゴリにいじめられながらも努力でのし上がって東大出てエリサラやって長い。
経済力とか社会的地位とかそういう表層的な部分は努力と多少の運でどうにかなったりはするけど、根本的な人生のクオリティというか自己肯定感とか幸福感みたいなものは生まれ育った境遇に支配されてるなと感じるよ。
どれだけ努力して結果を出しても、小さい頃に周りに馴染めずゴミ扱いされて親も全然助けてはくれず(助ける能力がなかったんだと思う)、いつ誰に殴られるか分からなくてビクビクしてた頃の記憶が人生を肯定しきれない要因として一生残る感じがしてる。
これから多様な生き方が肯定されていくはずで、マナーが良くなっていく喫煙者も社会に認められていく
健康には良くないけど節度ある吸い方をしていれば遺伝的要因に比べれば誤差だよ誤差
嫌煙運動の揺り戻しで「あえてタバコ」というスタイルも出てくるだろう
増田も乗り遅れるな!
おでんの変わり種っていうと思いだすのが、イルカのワタ(もしくは、イルカのフワだったかも?)
小学生くらいのときに、地元の町の恒例行事で町内対抗運動会みたいなのがあって、会場の中学校の運動場にいろんな屋台、出店が並んでる中に、おでんの屋台もあったのよ。その中に、なにやら赤っぽい灰色(?)のスポンジ状の塊があって、オトナは美味そうに食ってたけど、ブキミな感じがして、ついに自分では食べたことがなかった。
フツーに考えて脳や内臓が目視出来るレベルの手のひらのシワを作れる訳が無くて、手の動きや使用によってシワが形成されると考えるのが自然
でも、占いで運が良いとされている位置にしわができるているということは、無意識にその位置できる運動していることになるので面白いと思う
ワイは神秘十字線があるので、その位置にしわができる手の運動を無意識のうちにしていた模様
なお、掌屈曲皺は、先天性の障害を表すこともあるそうな
Most people have three prominent creases across the surface of their palms, but sometimes there is only one crease, according to the National Institutes of Health.
Having only a single palmar crease (once known as a "simian crease") might indicate abnormal development. It's sometimes present in babies with conditions such as Down syndrome or fetal alcohol syndrome.
https://www.livescience.com/34542-palm-lines-palmar-creases.html
最近女性は体力に劣るというのも、完全には違うんじゃないかと思ってる
今のサラリーマンのような連続した長時間労働や力仕事であれば、絶対男が有利で女は劣る
それは揺るがない
ただ、家事や育児、小規模な自営の仕事のように隙間に少し休めるような仕事であれば、女性の方が体力ある面もあると思うんよな
なぜそういう考えに至ったかというと下記のウルトラマラソンの記事↓
鹿屋体育大学教授山本氏の著書「登山の運動生理学とトレーニング学」にも、ウルトラマラソンで女性が有利な点が書かれていました。女性は総じて、低強度・長時間の耐久運動では、男性よりも強さを発揮する。その究極の例が寿命。
大学卒で東京で就職し、体調を崩して休職のちに、地方都市に引っ越し転職.
ボーナスなしで月の手取りは42万円ほど。もしボーナスが4ヶ月分くらい貰えてたとすると、手取り31万円程度になる。
食費で5万円、駐車場込みの住居費が5万円、通信費1万円、光熱費1万円(冬は2万くらい)、車の維持費1万円、残りは趣味やら日用品、旅行で7~8万使ってることになる
残りは月10万を積立で投資信託に入れて、あとの10万くらい貯金。
他の増田で手取り25万あれば余裕という話があったが、貯蓄などを気にしなければ概ね正しいと思う.
東京暮らしの時とそんなに使うお金は変わっていないが、一番変わったのが住宅。
東京のときは、65000円で20平米の1Kで、置けるもの量が限られていたが、
地方都市では、50000円で50平米の2LDK。部屋が広いということで、人生でできることがめちゃくちゃ違ってくる。
例えば、大きめの観葉植物を4個くらい、熱帯魚の水槽が2個あるが、全然狭く感じないし.
エアロバイクを置いて、毎日Youtubeやアマプラを見ながら運動しているから体重もどんどん減っていく
ガンプラを組み立てても、1Kじゃ飾る場所に困っていたが、今だと5体くらい飾っている.
電子工作の趣味も、工具や部品を置ける場所がふんだんにあるので、やりたいことが存分にできる.
部屋の広さとは、趣味の許容量であり、 部屋が狭くて無意識に諦めていた多くのことが解決したのである.
さらに仕事は自宅でのリモートワークが多いので、自宅にいる時間も長いが.
部屋が広いので長い時間いても陰鬱な気分になることがなく、時折エアロバイクを漕ぎながら仕事して、健康的に仕事ができる.
エアロバイクに机がついているので、パソコンを置けるのは本当に便利だし
考える作業をしながら漕いでいると時間があっという間に経つので、とてもオススメしたい.
考え事をするときは、歩き回る癖があるが、これも部屋の中でできる.
部屋が広いと掃除が大変そうに思えるが、ルンバのおかげでいつも床が綺麗なので、重宝している.
都会民は、田舎や地方都市のメリットとして、家賃の安さを挙げていることが多いが
趣味がある人は、広い部屋のメリットを受けやすいので、ぜひ一度広い部屋に住んでみてほしい(一度広くすると元に戻りづらくなるが).
休みの日は、1時間程度で行ける山か海にドライブしに行くことが多い.
アイスとかソフトクリームが売ってる店を目標にしてドライブを始めて、アイスを食べてのんびりした後に帰るパターンが多い.
移動が電車ではなく、自分の意思でどこでも行ける車なのは本当に楽。
電車の移動だと、周りに人がいることを意識しなければいけないが、車だと気ままに移動できる.
アウトドアの荷物を積みっぱなしにしているから、天気が良くて気持ちいい場所があれば、椅子と机を広げてコーヒー入れたり
ドローン飛ばして、自分の視点では見られない、いろんな角度の景色を眺めたりしている.
ちなみに人口密集地は基本飛ばせないので、都会で飛ばせるところはない。地方なら割と飛ばし放題だ.
あとはスーパー銭湯や温泉にふらっと行ける。お風呂道具も積んである.
「今日はこれをしよう」と計画を立てて、荷物を準備して出かけるのではなく.
とりあえず天気がいいからどっか行こう、とできるのが、荷物を積みっぱなしにできる車のいいところなのである
食事は、そりゃ都会に比べて店の数や名店は少ないけれども、基本的なチェーン店やローカルチェーン店、個人店もそこそこある.
1Kのキッチンなんてろくに料理できるスペースがなかったけれども、広い部屋ならキッチンもゆとりがあり.
人生、宇宙、そしてすべての意味とは何か?「銀河ヒッチハイク ガイド」では、答えは 42となっている。
科学の質問の範囲は、一部の分野では縮小し、他の分野では急増した。
宇宙がある意味数学的であるという考えは、少なくとも古代ギリシャのピタゴラス派にまで遡り、物理学者や哲学者の間で何世紀にもわたる議論を生み出してきた。
マックス・テグマークはこの考えを極限まで推し進め、宇宙は単に数学によって記述されるのではなく、数学自体であると主張している。
この議論の基礎は、人間とは独立した外部の物理的現実が存在するという仮定である。
これはそれほど物議を醸すものではない。物理学者の大多数はこの長年の考えを支持していると思うが、まだ議論されている。
形而上学的独我論者はそれをきっぱり拒否し、量子力学のいわゆるコペンハーゲン解釈の支持者は、観察のない現実は存在しないという理由でそれを拒否するかもしれない。
外部現実が存在すると仮定すると、物理理論はそれがどのように機能するかを説明することを目的としている。
一般相対性理論や量子力学など、最も成功した理論は、この現実の一部、たとえば重力や素粒子の挙動のみを説明している。
対照的に、理論物理学の聖杯はすべての理論、つまり現実の完全な記述である。
現実が人間とは独立して存在すると仮定する場合、記述が完全であるためには、人間の概念をまったく理解していない、人間以外の存在、つまりエイリアンやスーパーコンピューターなどに従って、現実が明確に定義されていなければならない。
言い換えれば、そのような記述は、「粒子」、「観察」、またはその他の英語の単語のような人間の負担を排除した形で表現可能でなければならない。
対照的に、教えられてきたすべての物理理論には 2 つの要素がある。
それは数式と、その方程式が私たちが観察し直観的に理解しているものとどのように関連しているかを説明する言葉である。
理論の結果を導き出すとき、陽子、分子、星などの新しい概念を導入するが、それは便利だからである。
原理的には、このようなバゲッジがなくてもすべてを計算できる。
たとえば、十分に強力なスーパーコンピューターは、何が起こっているかを人間の言葉で解釈することなく、宇宙の状態が時間の経過とともにどのように進化するかを計算できる。
もしそうなら、外部現実における物体とそれらの間の関係のそのような記述は完全に抽象的でなければならず、あらゆる言葉や記号は何の事前の意味も持たない単なるラベルにならざるを得ない。
代わりに、これらのエンティティの唯一のプロパティは、エンティティ間の関係によって具体化されるものになる。
ここで数学が登場する。
現代数学は、純粋に抽象的な方法で定義できる構造の正式な研究である。つまり、数学的構造を発明するのではなく、それらを発見し、それらを記述するための表記法を発明するだけである。
人間から独立した外部の現実を信じるなら、テグマークが数学的宇宙仮説と呼ぶもの、つまり物理的現実は数学的構造であるということも信じなければならない。
そのオブジェクトは、十二面体よりも精巧で、おそらくカラビ・ヤウ多様体、テンソル束、ヒルベルト空間などの恐ろしい名前のオブジェクトよりも複雑である。
世界のすべてのものは、あなたも含めて純粋に数学的であるはずだ。
それが本当であれば、万物の理論は純粋に抽象的で数学的でなければならない。
理論がどのようなものになるかはまだわからないが、素粒子物理学と宇宙論は、これまでに行われたすべての測定が、少なくとも原理的には、数ページに収まり、わずか 32 個の未説明の数値定数を含む方程式で説明できる段階に達している。
したがって、すべての正しい理論は、T シャツに書ける程度の方程式で説明できるほど単純であることが判明する可能性さえある。
しかし、数学的宇宙仮説が正しいかどうかを議論する前に、外部の物理的現実を見る 2 つの方法を区別することができる。
1 つは、上空から風景を観察する鳥のような、数学的構造を研究する物理学者の外側の概要。
もう一つは、鳥によって見渡される風景の中に住むカエルのように、構造によって記述される世界に住む観察者の内面の視点。
これら 2 つの視点を関連付ける際の 1 つの問題は時間に関係する。
数学的構造は、定義上、空間と時間の外側に存在する抽象的で不変の存在である。
宇宙の歴史を映画に例えると、その構造は 1 コマではなく DVD 全体に相当する。
したがって、鳥の視点から見ると、4 次元時空内を移動する物体の軌跡は、スパゲッティのもつれに似ている。
カエルには一定の速度で動く何かが見えますが、鳥には調理されていないスパゲッティのまっすぐな束が見える。
カエルが地球の周りを回る月を見ると、鳥は絡み合った2本のスパゲッティが見える。
カエルにとって、世界はニュートンの運動と重力の法則によって記述される。
2 つの視点を関連付ける際のさらなる微妙な点には、観察者がどのようにして純粋に数学的になることができるかを説明することが含まれる。
この例では、カエル自体は厚いパスタの束で構成されている必要がある。
その非常に複雑な構造は、おなじみの自己認識の感覚を引き起こす方法で情報を保存および処理する粒子に対応している。
まず、自然界ではさらなる数学的規則性がまだ発見されていないことが予測される。
ガリレオが数学的宇宙の考えを広めて以来、素粒子の小宇宙と初期宇宙の大宇宙における驚くべき数学的秩序を捉える素粒子物理学の標準モデルなど、その系譜に沿った発見が着実に進歩してきた。
長年にわたって多くのタイプの「多元世界」が提案されてきましたが、それらを 4 つのレベルの階層に分類することが役立つ。
最初の 3 つのレベルは、同じ数学的構造内の非通信の並行世界に対応します。レベル I は単に、光がまだ到達していない遠い領域を意味する。
レベル II は、介在する宇宙の宇宙論的膨張により永遠に到達できない領域をカバーする。
レベル III は「多世界」と呼ばれることが多く、特定の量子事象中に宇宙が「分裂」する可能性がある、量子力学のいわゆるヒルベルト空間の非通信部分が含まれる。
レベル IV は、根本的に異なる物理法則を持つ可能性がある、異なる数学的構造の並行世界を指す。
現在の最良の推定では、膨大な量の情報、おそらく Googolビットを使用して、観測可能な宇宙に対するカエルの視点を、すべての星や砂粒の位置に至るまで完全に記述する。
ほとんどの物理学者は、これよりもはるかに単純で、T シャツには収まらないとしても、本に収まる程度のビット数で特定できるすべての理論を望んでいる。
数学的宇宙仮説は、そのような単純な理論が多元宇宙を予測するに違いないことを示唆している。
なぜなら、この理論は定義上、現実の完全な記述であるからである。
宇宙を完全に特定するのに十分なビットが不足している場合、星や砂粒などの考えられるすべての組み合わせを記述しなければならない。
そのため、宇宙を記述する追加のビットは単にエンコードするだけである。
多世界の電話番号のように、私たちがどの宇宙にいるのか。このように、複数の宇宙を記述することは、単一の宇宙を記述するよりも簡単になる可能性がある。
極限まで突き詰めると、数学的宇宙仮説はレベル IV の多元宇宙を意味し、その中に他のすべてのレベルが含まれる。
宇宙である特定の数学的構造があり、その特性が物理法則に対応している場合、異なる特性を持つそれぞれの数学的構造は、異なる法則を持つ独自の宇宙である。
実際、数学的構造は「作成」されるものではなく、「どこか」に存在するものではなく、ただ存在するだけであるため、レベル IV の多元宇宙は必須である。
スティーヴン・ホーキング博士はかつてこう尋ねた。
「方程式に火を吹き込み、それらが記述できる宇宙を作り出すものは何でしょうか?」
数学的宇宙の場合、重要なのは数学的構造が宇宙を記述することではなく、それが宇宙であるということであるため、火を噴く必要はない。
レベル IV の多元宇宙の存在は、物理学者のジョン・ウィーラーが強調した混乱する疑問にも答える。
たとえ宇宙を完全に記述する方程式が見つかったとしても、なぜ他の方程式ではなく、これらの特定の方程式が使われるのか?
他の方程式が並行宇宙を支配しており、観察者をサポートできる数学的構造の分布を考慮すると、統計的に可能性が高いため、宇宙にはこれらの特定の方程式があるということだ。
並行世界が科学の範囲内なのか、それとも単なる推測に過ぎないのかを問うことは重要である。
並行宇宙はそれ自体が理論ではなく、特定の理論によってなされた予測である。
理論が反証可能であるためには、そのすべての予測を観察および検証できる必要はなく、少なくともそのうちの 1 つだけを検証できれば十分である。
たとえば、一般相対性理論は、重力レンズなど、私たちが観察できる多くのことを予測することに成功しているため、ブラックホールの内部構造など、私たちが観察できないことについての予測も真剣に受け止めている。
多くの並行宇宙に存在するのであれば、我々は典型的な宇宙にいると予想されるはずです。
ある量、たとえば、この量が定義されている多元宇宙の一部の典型的な観測者によって測定された暗黒エネルギー密度や空間の次元の確率分布を計算することに成功したと仮定する。
この分布により、我々自身の宇宙で測定された値が非常に非典型的なものになることが判明した場合、多宇宙、したがって数学的宇宙仮説が除外されることになる。
生命の要件を理解するまでにはまだ程遠いが、暗黒物質、暗黒エネルギー、ニュートリノに関して私たちの宇宙がどの程度典型的であるかを評価することで、多元宇宙の予測のテストを始めることができる。
なぜなら、これらの物質は銀河形成など、よりよく理解されているプロセスにのみ影響を与えるからである。
これらの物質の存在量は、多元宇宙のランダムな銀河から測定されるものとかなり典型的なものであると測定されている。
しかし、より正確な計算と測定では、そのような多元宇宙は依然として除外される可能性がある。
おそらく最も説得力のある反対意見は、直感に反して不安を感じるということである。
数学的宇宙仮説が真実であれば、科学にとって素晴らしいニュースであり、物理学と数学の洗練された統合により、深い現実を理解できるようになる可能性がある。
実際、多元宇宙をもつ数学的宇宙は、期待できるすべての理論の中で最良のものであるかもしれない。
なぜなら、規則性を明らかにし、定量的な予測を行うという科学的探求から現実のいかなる側面も立ち入れないことを意味するからである。
どの特定の数式が現実のすべてを記述するのかという問題は見当違いであるとして放棄し、その代わりに、鳥の視点からカエルの宇宙観、つまり観察をどのように計算するかを問うことになる。
それは、宇宙の真の構造を明らかにしたかどうかを決定し、数学的宇宙のどの隅が私たちの故郷であるかを理解するのに役立つ。
テレビ見ません
映画見ません
アニメ見ません
YouTube見ません
ニコニコ見ません
Tiktok見ません
サブスク見ません
インスタ見ません
Twitter見ません
本読みません
マンガ読みません
音楽聞きません
ラジオ聞きません
旅行行きません
車持ってません
酒飲みません
風俗行きません
お菓子食べません
アイス食べません
ジュース飲みません
嫁いません
彼女いません
友達いません
すまん、俺って異端か?
表題の通り、大谷選手から寄贈されるグローブがぶっちゃけ迷惑です。今から頭が痛い。
10年くらい前にジャニーズの嵐が写真集を各小学校に寄付してくれた時の事を思い出しますね。あれも大変だったなあ。
具体的に何が大変かというと、現場です。現場がとにかく疲弊します。普段からしてるんですけどね。
コトを大変にしているのは、公立学校教育の基本理念は『平等』だということです。あと言うまでもないですが人手不足が大前提です。
平等とは、つまり大谷選手グローブを一人の生徒だけ使う、というのは勿論ダメって話です。
同じように野球クラブ(今は指導者不足で小学校ではほぼやってないと思いますが)の生徒だけ使うというのもNG。
当然男子のみが使うのも、女子だけが使うのもNG。この平等性の確保というのはかなり運用コストをかけて解決しなくてはならなくて、
例えば最近配備されたタブレットも「wifiが無い家庭はどうするのか」などを教員サイドは常に考えさせられています。というか保護者のクレームの対応をさせられています。
運用を考えるのは教育委員会ですが、平等を考えつつ実際に運用するのは現場、
何かあった時に対応するのも現場ということです。大谷選手ほどの大人物にはわからないかもしれませんが。
例えば『グローブを使いたいのにアイツが独り占めするの!』とかも対応は現場だし、『アイツが汚したんだけど!』とか対応するのも現場だし、
グローブが存在ことによって発生した事故に対応するのも現場。人手不足の中でこれやるのかあ……って感じです。
ちなみに冒頭に書いた嵐の写真集ですら、かなり大変でした。うちは図書館に置いて持ち出し禁止だったんですが、保護者が私も見たいとかクレーム入れてきたり、生徒間で争いになったり……
運動に類するものは事故もあるし、器材として破損や消耗も前提だしで、本よりだいぶコスト高そうで嫌です。
最も問題なのは、多くの人に今回の寄付が注目されているということです。
ハッキリ言いますが、保護者に教育現場に興味を抱くような行為はなるべくやめてほしいです。
しかも、今回の場合、報道で「より寄付の意識が高まっていけば」なんて言われていて、これが最悪です。
これを皮切りに色んなものが学校に寄付されるようになったら、その度に運用コストが爆増するんですよね。
何度も言いますが、貰ったものを管理して、生徒たちに平等に利益を還元するのは現場なんです。一人当たりの労務コストどんだけにするつもりやねん。
なにかあったら保護者すぐに出張ってきて保護者対応な中で、揉め事の種を産むような真似をしないでいただきたい。
ちなみに、小学校は地域の野球チームにグラウンドを貸すことは多いですが、実際に野球の指導が出来る人はほぼいません。
野球の指導者が小学校にいないからです。野球道具を与えられても効率的に運用するのは不可能だしメンテもロクにできないです。
散文的にダラダラと書きましたが、一番良いのはどっかに飾って誰も触れられないようにしておくことで、そうして欲しいです。
平等だし事故もないし運用もしなくていいし。でもそれって寄贈の意味あります?ってことになるので、難しいですよね。
大きな話になるとそもそも1000人とかいる学校もあれば100人もいないような学校もあるわけで、一律にグローブ渡されてもねえ、というのは正直な感覚もあります。
とにかく人手が足りてないので、余計なことを外部からされると、現場は本当に困ります。
大谷選手、グローブのついでに、管理運用してくれる人間もセットで派遣してくれませんかね?
(追記)
Q:エロ(暴力)表現がダメなら毎週殺人事件を全国放送アニメで垂れ流してる名探偵コナンになぜ表現規制派は何も言わないんだ?
A:アニメコナン開始当時(1996年)はフツーに新聞で「人殺しの番組」と叩かれまくっててPも監督も短期打ち切り覚悟だった。ただ『名探偵コナン』はアニメ化決定段階で、子供とテレビを見る母親に不快感を与えないようにショッキングなシーンを省く防衛策を事前に取っていた。
レイプシーンのアニメ規制するなら、コナンとか毎回、人が死んでるアニメとかどうなんねん
21:49 2023/11/06 195万回表示
そこで⼥性である、あるいは⺟親である⼈たちがイヤだと思うことを全て排除したんですね。
セクハラだとか、⼥性が意味もなく被害者になるとか、⼦供が被害者になることを全部、シナリオの段階で取ってしまったんですよ。
ーー2001年 小学館 『名探偵コナン 全映画パーフェクトガイド』
「俺たちは⼈殺しの番組を作ってるんじゃない、⼈殺しをしてはいけないっていう番組を作ってるんだ」
ーーアニメ『名探偵コナン』プロデューサー吉岡昌仁、諏訪道彦(敬称略)/吉岡氏ツイッターより引用
(【追記】「男が意味もなく被害者になるのはいいのかよ」という反応が来ているので注記を付けるが、「無差別犯罪(女だから/男だから/むしゃくしゃしたから殺す)」描写がNGなだけでコナンでは男女平等に殺人事件の被害者にも加害者にもなってる。クズが怨恨で殺される場合もあれば善人が悲しい誤解や口封じで殺されてしまうケースもあるし、そこに性差は無い)
今の深夜アニメや萌え漫画が定期的に炎上しているのと同じく、放送開始当時のコナンは新聞などで「人殺しアニメ」としつこくバッシングを受けていたがTMSのアニメプロデューサー吉岡昌仁氏や読売テレビプロデューサー諏訪道彦氏などのアニメスタッフが矢面に立って戦い国民的アニメの地位を獲得するに至った。
Xにて「コナン 規制」でユーザー名検索を行うと先頭に表示される黒塗り犯人アイコンのアカウントを筆頭に「エロい表現が規制されるならコナンも規制しなくていいのか」論法が使われることが多い表自(アンフェ)界隈にもわかりやすい乱暴な言い方をすれば、コナンはアニメ開始前から“フェミに屈しまくっていた”事で親子二代分の視聴率と市民権をゲットして生き残ってる。
もっと雑に言うと、『金田一少年の事件簿』は過去の婦女暴行が事件の動機になったり、(殺人事件の被害者が美女の場合)遺体がやたら全裸だったりする描写オッケーで「バイオレンス込みのサスペンスでドキドキしたい」ニーズに応えることでドラマやアニメ、現行漫画シリーズ「37歳の事件簿」まで続く長寿作品となったが、
『名探偵コナン』の犯行動機に婦女暴行が出現することは無く、(過去の児童殺傷事件が犯行動機になった原作初期「スキーロッジ殺人事件」などの極めて稀な例外を除き)児童が殺人事件の被害者になる描写もほぼ存在しないことで「親御さんが子供とお茶の間で見れる謎解き」のニーズに応えて長寿番組になっている。
どちらが良い悪いじゃなくニーズと客層が違うだけ。
『名探偵コナン』を万年3〜4番手の弱小週刊少年誌・少年サンデーの「そこそこ売れてた漫画」から「国民的エンタメ作品」へ昇華するバランサーの役割をしていたのは実際のところ原作者の青山剛昌先生ご本人よりも、
『名探偵コナン』をゴールデンタイム全国放送アニメに抜擢した讀賣テレビ放送の諏訪道彦プロデューサーや東京ムービー新社(現トムス・エンタテインメント)吉岡昌仁プロデューサー、こだま兼嗣監督をはじめとしたアニメスタッフの功績である部分が大きいように思う。
以下は名探偵コナン初期を支えたアニメ監督・こだま兼嗣氏の発言だ。
あとは、僕たち、映像を作るからには、より多くの⼈に観てもらいたいと思っていますので、じゃあお⺟さんにも観てもらう時にどうするか。
そこで⼥性である、あるいは⺟親である⼈たちがイヤだと思うことを全て排除したんですね。
セクハラだとか、⼥性が意味もなく被害者になるとか、⼦供が被害者になることを全部、シナリオの段階で取ってしまったんですよ。
小学館 『名探偵コナン 全映画パーフェクトガイド』(2001年5 月発行)こだま兼嗣インタビュー
名探偵コナンはTV局のプロデューサーとアニメ監督が「女性視聴者が嫌がりそうな要素( =夕飯時に子供と一緒にアニメを見ている母親にチャンネルを変えられそうな要素)」を排除する防衛策を取った結果お茶の間に受け入れられ高視聴率を叩き出し、そのまま20年以上にわたって長寿番組の座を獲得してる。
悪い言い方をすれば 1996年のアニメ放送準備段階で、もう既に「(表自界隈が言うところの)フェミに屈した」生存戦略への舵切りが済んでいたことで、子供とその保護者両方の支持獲得に成功した作品が『名探偵コナン』なわけだ。
2013 年にトムス側のプロデューサー・吉岡昌仁さんもこだま監督と同様の発言を行なっているが、
吉岡さんの証言に基づくと、青山先生とアニメスタッフが『名探偵コナン』のアニメ化に際して取り決めたルールは「コナンは泣かない」「偶然はNG」「共犯は無し」「トリックは絶対に可能なこと」 「セクハラはしない」「不快なシーンは作らない。人の欠点や差別の話とか」 という内容だ。
コナンテレビ裏話#24
コナンをスタートさせたとき⻘⼭さんとルールを作った。「コナンは泣かない」窮地に⽴たされてもヒーローは泣いちゃいけない。
「偶然はNG」突然⾬が降ってきて⾜跡か⾒えるとか必然でなくてはいけない。「共犯は無し」何でもできちゃうから
コナンテレビ裏話#25
つづき
「セクハラはしない」不快なシーンは作らない。⼈の⽋点や差別の話とかね。「トリックは絶対に可能なこと」密室の鍵のトリックなどは全て出来る。(薬を使ったり危険なものもあるので絶対に真似しないで下さい)時間の有るとき過去の作品を観てみて。ホントだから
吉岡昌仁 @yoshioka_masa 2013-03-29 13:19:10
https://togetter.com/li/388239
https://twitter.com/yoshioka_masa/status/317491095951011840
2019 年公開のこだま兼嗣監督によるアニメ映画『シティーハンター 新宿プライベートアイズ』インタビューでも「女性視聴者が嫌がるような表現をしない」という同様の発言があることから、これは原作者青山剛昌氏ではなく、こだま監督およびアニメスタッフ側が主導になった提案と推測できる。
インタビュアー:劇場版コナン、今回で2作⽬となるわけですが、いかがですか?
⻘⼭ いやぁ、原作を書きはじめた頃はこんなに続くとは思ってなかったですし、正直、アニメ化の話があった時も成功しないんじゃないかと思ってましたからね。
こだま それは私も感じてました。きっと俗悪番組になって、半年続いたらいいほうかなって(笑)。だって、1話⽬で⼈の⾸が⾶んじゃうんですから。
⻘⼭ 1話⽬で⾸を⾶ばしたのは、⼀番強烈なシーンを1番⽬に持ってきて、これで⽂句がいっぱいくるようだったらやめようと思ってたからなんですよ。
1998年4月発行 『14 番目の標的』パンフレット
12-13 ページ 青山剛昌・こだま兼嗣対談
初期の『名探偵コナン』原作漫画は、週刊少年マガジン『金田一少年の事件簿』のヒットの後を追う形で連載が始まったこともあり、ジェットコースター上で被害者の首が吹っ飛ぶ「ジェットコースター殺人事件」、バラバラ死体をトリックに使う「包帯男山荘殺人事件」、串刺し死体の「闇の男爵殺人事件」「美術館殺人事件」をはじめとして、視覚表現重視の過激な描写も多かった。
コナン原作単行本2巻を裏返すと、鍵穴に描かれたヒロインの毛利蘭がショーツ一枚のあられもない姿に脱がされているのも一昔前の少年漫画らしい「読者サービス」の名残だろう。
子供と一緒にテレビを見ている母親がチャンネルを変えかねない、それらのショッキングな表現をコナンワールドからオミットしたのがテレビアニメシリーズ『名探偵コナン』を立ち上げたスタッフ達だ。
血の彩色に赤を使わず、凶行時の直接的な描写をカットし、死者の遺体に敬意を払った。
テレビコナン裏話#14
コナンのスタートの頃は新聞によく、ある団体やある団体のコナンバッシングの記事が載った。
スワッチと理論武装(あの頃はこの⾔葉よく使ったなぁ)しようって⾔って「俺たちは⼈殺しの番組を作ってるんじゃない、⼈殺しをしてはいけないっていう番組を作ってるんだ」って戦った
吉岡昌仁 @yoshioka_masa 2013-01-03 10:04:45
https://twitter.com/yoshioka_masa/status/287726363870380032
初期のコナンアニメは、複数の”ある団体”からのバッシングに狙われていたという。
最初期のアニメ内で描かれる被害者の遺体は原作と同じく目を見開いていたが、それら”ある団体”の外圧から作品を守る理論武装も関係してか、次第に瞼を閉じさせて描かれるようになっている。
こだま兼嗣監督が述べた「ゴールデンタイムでの探偵漫画のアニメ化にあたり、子供とテレビを見る母親に不快感を与えないようにショッキングなシーンをまず省いた」という配慮だが、
これについては諏訪道彦プロデューサーもTBS発行『新調査情報passingtime』2001年7・8月号」にて、同様の発言を行なっている。
原作ではタイトルを「△△殺⼈事件」としたり「死体」という⾔葉を使ったりしているが、テレビでは視聴者を不快にさせないようキメ細やかな配慮をしている。
例えば、⼆年ほど前から「マンション殺⼈事件」は「マンション転落事件」と改題するようにした。「死体」は「遺体」という表現に。
⾚い⾎にしても、⿊い⾊にするなど、表現を⼯夫しているという。
また、社会情勢に合わせて、表現を考慮することも。例えば、「毒ガス」といったトリックは採⽤していない。
中略
被害者が刺殺された現場のシーンでは、凶⾏時のアクションは映像で⾒せることはしません。
しかし、捜査員が⽬暮警部に『刃渡り△センチの包丁で腹部や⾸を刺され、出⾎多量で……』と詳細に報告させるような展開にしています。
また、ロープで⾸を絞められた場合、縄⽬がヒントになって事件が解決していくこともあるので映さざるを得ないのですが、どう⾒せるかスタッフ同⼠議論することあります。
不快感を与えないという⼀⽅で、『ホンモノの捜査』には⼿抜きがあってはいけませんので、その間の判断が難しいところです」(諏訪⽒)
シナリオ、絵コンテ、アフレコ、最終試写の各段階で、プロデューサーだけではなく、監督や編集マンなども含め、チェックが続けられている。
新調査情報passingtime 2001年7・8月号 14-18 ページ
『名探偵コナン』諏訪道彦 読売テレビプロデューサー インタビュー
事件モノだけに、⼈が死ぬシーンはどうしても出てきます。
ボクたちが陥り易いのは、話に詰まると『誰かに死んでもらおうか』という安易な発想です。だからコナンでは出来るだけ、⼈が死なないで話を作ってもらう事をまず考えます。『死なずにうまく⾒せる⽅法はない?』と提案してみると、それなりに結構アイディアが出てくるもんなんですよ。それに、すごく頭を使う。それは、頭の訓練にもいいんです(笑)。
それでも、どうしようもない時は誰かに死んでもらわなければならなくなるけど…(笑)。
トムス・エンタテインメント公式サイト こだま監督インタビュー
https://web.archive.org/web/20020403043852/http://www.tms-e.com/on_air/conan/special/0201index_b.html
(早期打ち切りの可能性と隣り合わせだった当時の大人の事情もあれど、)原作『10億円強奪事件』の最後に殺害されるはずだった宮野明美を「なるべく人を殺したくない」という理由でアニメでは生存させる事にしたのも、アニメスタッフによる判断だ。
コナンテレビ裏話#9
灰原のおねえさんが出てきた頃はなるべく⼈を殺したくないってことでラスト助かった話にした。暫くして⻘⼭さんが「吉岡さん怒るかなぁ原作で灰原を出しちゃった」。おねえさんが⽣きてると灰原は出られない。だから新たにおねえさんが死ぬ話を作ってSPで灰原が登場したんだ
吉岡昌仁 @yoshioka_masa 2013-01-03 16:42:18
https://twitter.com/yoshioka_masa/status/286739248219045888
とまあ、マンガ・アニメの過激シーンやエロシーンが槍玉に上がるたびに引き合いに出されがちな「それなら毎週殺人事件を全国放送アニメで垂れ流してる名探偵コナンはどうなんだ」論法について、
名探偵コナン側のアニメスタッフがどのような配慮を取りながらゴールデンタイムの全国放送に漕ぎ着け、マスメディアのバッシング記事を乗り越え、アニメ打ち切りを回避しつつ20年以上国民的アニメの地位をキープし続けていられたのかの覚書を書きつけておく。
黎明期のコナンアニメを支え 「子供と一緒にTVを見ている母親がチャンネルを変えそうな描写NG」ルールの制定に寄与したこだま監督や吉岡プロデューサーがコナンの現場を去って久しい現在、コナンもコナンで佐藤刑事と高木刑事の「夜の激しい運動」セリフなどで定期的に物議を醸していたりするが、それはさておき。
ホガーッス
本日は日本において技能の日、エレベーターの日、トイレの日、井戸の日、断酒宣言の日、島唄の日、川口の日、希少糖の日、無電柱化の日、肢体不自由児愛護の日となっております。
また、今日から12月10日までの一ヶ月間を「手足の不自由な子どもを育てる運動」期間とされているそうです。
本日は技能の日ということで、何か技能を向上させた方がいいかもねと思ったりするのですが
まぁ、なかなか上手くいかなかったりするのが通常です。
通常の出来事ですが、そういう上手くいかないことも含めての向上なんだと思えるには精神的な強さが必要だなぁと思ったりもします。
そういう時になるべくストレスを軽減してはおきたいのですが、未知のトラブルなどに出会うとストレスがかかったりしますので、ではなるべく「どんな失敗があるのだろう」と知ることは大事なのかもしれません。
ある程度は失敗の予測出来ていると、多少はその失敗が起きた時にリカバリーできたりするかもしれないのではないでしょうか。
ということで本日は【危険箇所の予想よいか】でいきたいと思います。
1990年代初頭に起きたバブル経済の崩壊とは一体何だったのかを、ずっと考えてきた。
ようやく到達した結論として、あれは「女性の社会進出潰し」だったのではないかと思っている。
戦後の日本の歴史は、一貫して女性が権利を獲得していく歴史でもあった。
1946年に公布された日本国憲法で女性の人権が明記され、女性の国会議員が初めて誕生した。
60年代の学生運動、70年代のウーマンリブ、80年代の男女雇用機会均等法成立と、ここまでは順調に女性の権利獲得は進んできた。
1984年の男女雇用機会均等法成立によって女性労働者(もっと言えば総合職女性)が増えていく流れになるはずが、バブル崩壊後の平成大不況によってこの層の女性たちが深刻な就職難に襲われてしまったのだ。
学生運動・ウーマンリブ運動は団塊の世代の女性たちが担ってきたものであるが、その土台の上に、次の世代となる団塊ジュニア世代の女性たちが社会を動かす指導者的な地位を目指す流れは完全に破綻した。
平成大不況が落ち着いた2003~2004年にかけて当時の小泉政権は「女性管理職の増加」を政策の一つとして掲げたが、その時点で各企業・役所には幹部候補となりえる団塊ジュニア世代の女性が全くいない状況になっていたのだ。
結果論かもしれないが、バブル崩壊と平成大不況によって女性の社会進出の流れは完全に断ち切られ破綻したのではないか。
その後の第二次安倍政権の2020年までに女性管理職30パーセントを目指す2030問題も結局実現しなかった。
バブル崩壊によって当時の男性側も深刻なダメージを受けたが、女性の社会進出を阻止するための自爆攻撃みたいなものだったと理解している。