はてなキーワード: 運動とは
人生に閉塞感を感じたので脳みそ関係の自己啓発書いっぱい読んだけど人生の攻略法大体わかったわ
・脳の中には本能と理性の二つがあってせめぎあってる。基本理性はめっちゃ弱い。
・運動しろ。運動すると脳にすごいあれだから。歩いたり走ったりしろ。
・モチベーションに頼らず習慣化しろ。習慣化するには計画を立てろ。計画を立てるとモチベーションが上がる。
・休んでぼーっとする時間は大事。デフォルトなんとかかんとかでいい感じになる。スマホをいじるとデフォルトなんとかにならない。休んでぼーっとしてても脳は休んでない。
・予定はキツキツにしない方が結果的にうまくいく。いっぱいにすると疲れるから結果時間がかかる。
・ネガティブなことを考えるとうまくいかない。今日も~できなかったと思うと罪悪感でやらなくなる。
・頭の中で考えていることはいったんノートに書きだすと整理される。パソコンはダメ。なんでかっていうと手書きのがいいから。多分
・マシュマロテストって知ってる?でもなんか嘘らしいよ。どっちなんだよ。
わかったんだけど一個も実行できないから増田でこんな文章書いてて今日もなんの勉強もしてないし人生の閉塞感はなんも解決しないんだよ。
たぶん、相対的にって話だと思う。だから数字を追っても出てこないんではないかと。
工学系だと中央研究所モデルがもういい加減駄目になって、金のなる木の種を外に求めるようになった。オープンイノベーションの時代。
産学共同開発が花盛り、その結果、中央研究所に注ぎ込まれていた金が大学に流れるようになって、金になる研究している研究室は無茶苦茶金がある。第二トヨタ中研と揶揄される某大学のイノベーションセンターとかションベンちびるレベルで設備揃ってる。バッテリー研究でスパコンの順番待ちなんですよって言ったら翌週から工事が始まって翌月には専用のスパコンが届いたとか。
一方で基礎研究と言われるものはそう言う波になかなかのっかれないから、昔からのしょっぱい研究資金を取らないと行けない。相対的に見て細ってるように見えるから、そう言ってるんじゃなかろうか。
あるいは、応用研究は金があるんだからそっちよりこっちに重点的に金を回せ見たいな運動。もちろん、金になる応用研究も金にならない時代があって、それを支える必要があるから、応用研究から金を剥がして基礎研究に回せ、なんてことも暴論だ。
・たぶん便秘
・1ヶ月ぶり2回目
・前回同様、今回も「冷え」と「ストレス」があった
・腸が蠕動運動しようとしてるんだけど、固いかたまりが中で詰まって動けてない感じ
・あまりの痛みに動けなくなり、すぐにソラナックスとロキソニンとムコスタを服用(パニック発作誘発阻止)
・2時間程度で痛みが和らいできた
・もう二度と同じ目にあいたくない
・不溶性食物繊維を摂りすぎてるせいもある?(ロールドオーツ 70g/日、オクラなど野菜たくさん)
・消化器内科に行ったほうがいいのか
・十中八九、過敏性腸症候群だと思うけど、この激痛っぷりからして万が一なにか重大な病気が発見されたら怖い
・ゆーて、二度と同じ思いをしたくないなら消化器内科に行ってみるべきなんだろうか
アラウンド50肩ですか。いつもよりゆっくりお風呂に浸かってコリをほぐすといいニャ🐈お大事にー。
※HMBは筋肉の分解を抑制する働きを持つことから、HMBを摂取することで運動後の筋疲労や筋肉痛を低減できることが知られています
1.積み上げてる感覚
メンタルに一番効果がある、「今日●時間英語の勉強をした」みたいなのを毎日積み上げる。
積み上げてる=自分が毎日強くなっていく、未来が明るくなっていく だから自己生存の欲求が満たされるのか?
勉強時間を計測したり、ノートを見返したりして自分に自分の頑張りを見せる工夫が必要。
コツは「できるようになった」を大事にする。
「できるようになった」を得るために英語の勉強でもテストを小まめにする。これもしっかりノートログを取ろう。
メンタルが不調の時は暴飲暴食についつい走ってしまうのだが、これがまた自己嫌悪を生む。
自分を好きになる行動を見つけよう。多くの人は、他人に親切に接する、部屋を片付ける、健康的な食事をする、しっかりと運動するみたいな社会的に”正しい”とされる行動をとると自分を好きになる。(朝の近所のゴミ拾い会に参加したらかなりメンタルに良かった)
メンタル不調の時に、好きなものを食べる・好きな動画を見まくるみたいな感じのアドバイスをもらうが、これは全く効き目がなかった。
他に2つ3つあるがみんなの「これでメンタルが安定してます!」ってのを教えて欲しい。
残りは気が向いたら書きたい
言いたいことはタイトルで全て書いたので、以下補足にゃーん
まずは、国と宗教団体の関係について日本国憲法第20条第1項後段には次のように規定されている。
これを誤解 (または曲解) して宗教団体が政治活動することにイチャモンを付けてる人が多いが、「政治上の権力」は政治活動ではなく国や地方公共団体の機能としての統治的権力を指すのが通説である。これは勝手に言ってるわけではなく、憲法学者が書いたまともな本であれば同じように解説してある。念のため、図書館に寄って調べてきたので以下に引用する。
「政治上の権力」とは本来国が行うべき統治権力をいい、たとえば課税権の行使や、江戸時代の宗門改帳 (現在の戸籍にあたるもの) の作成のような職務を分担することが禁止される。
また、これは憲法制定時にも触れられており、金森徳次郎 (国務大臣) は以下の答弁をして特に異論は出ていない。つまり、この解釈は制定当時から何ら変わっていない。
○松澤(兼)委員 其の次に「いかなる宗教團體も…政治上の權力を行使してはならない。」と書いてあるのであります、是は外國によくありますやうに、國教と云ふやうな制度を我が國に於ては認めない、斯う云ふ趣旨の規定でありまして、寺院や或は神社關係者が、特定の政黨に加はり、政治上の權利を行使すると云ふことは差支へがないと了解するのでありますが如何でございますか
○金森國務大臣 宗教團體其のものが政黨に加はると云ふことがあり得るかどうかは遽かに斷言出來ませぬけれども、政黨として其の關係者が政治上の行動をすると云ふことを禁止する趣旨ではございませぬ
○松澤(兼)委員 我が國に於きましてはさう云ふ例はございませぬが、例へば「カトリック」黨と云ふやうな黨が出來まして、是が政治上の權力を行使すると云ふやうな場合は此の規定に該當しないと了解して宜しうございますか
○金森國務大臣 此の權力を行使すると云ふのは、政治上の運動をすることを直接に止めた意味ではないと思ひます、國から授けられて正式な意味に於て政治上の權力を行使してはならぬ、斯う云ふ風に思つて居ります
面白い人になりたかった。頭がいいとか運動ができるとかよりも、そこにいる人を笑わせられる才能が、何よりも欲しかった。中学生の頃からずっとコンプレックスがあった。俺は俺が面白いと感じることを優先してしまい、当然ながらそんな自分本位の面白さは他人に通じるわけもなく、結果として俺はいつも滑っている。盛大に滑るならまだいい。単に誰にも引っかからない言葉が流れ落ちていくだけ。響かない。届かない。相手のことを第一に考えて必要とされる言葉を放つことができない。だから俺は一番笑顔を見たい人をちらりと微笑ませることもできない。つまらない人間。話していて盛り上がらない相手。一緒にいる価値を感じられない人。そのことを忘れていた。でも大丈夫。思い出したから。こうして日記を書き連ねて、たまに振り返って、同じところをグルグル回っているなと感じるけど、このようにたまには大切なことを思い出したりする日もあるのだ。絶望的な自己認識だとしても
うわー
…小学校入学直前まで短期間だけ住んでた、石垣の上に張り出したような借家をおもいだしたわ
火力発電所建設拒否で電気代少額払い運動してたら停電させられて&でも建設されたので公害から逃げるために山間部へ転居したんだが話がついてた引っ越し先の大家が土壇場で嫌がってナシになり伝を辿ってなんとか廃校舎の宿直室を貸してもらえることになり、それがスゲーとしかいえないボロ屋だった
(ちなみに本来の転居予定先にはその後に電力会社の関係者が引っ越して来たらしい)(という事情は成人してから知ったが中学生時代はその社員の子息からイジメられてたわ)
玄関から入ったらいきなり土間で冷暖房も無いそこで炊事とテーブルと椅子で食事、上がってすぐは板の間で書斎とポータブルトイレ、で次がやっと畳の敷かれた居間だが蒲団を敷いて寝室にしてて、その果てがガラス戸で何故か解放できて下が崖だった…(なんだったんだありゃあ)
風呂も玄関から出て別棟の五右衛門風呂!さらに宿直室だからか便所は校舎に行く途中にあった、だからポータブルトイレ置いてた(でも臭いしあんまり貯められないから日中は校舎側を使うように親から言われてた)
建てられてた下の石垣から時々ヘビがアタマ出してるのが見えたりしてたわ、室内でムカデを見たのもその家が初めてだった、あとは隣接してた廃校舎と廃講堂には悪ガキだったので近所の同年代といっしょに入り込んで放棄された物品を漁ったりしてた、傷んだ木造でマジで危険だったからか校舎の二階への階段と講堂へ渡る廊下は壊されて歩けなかったが幼なかったので立体的によく理解できず当時ときどき騙し絵みたいな夢をよく見てた
エアマックス95の廉価版みたいなのを前に履いたけど、履き着心地が思ってたんと全然違かった。もっとクッションが効いてフカフカしてるもんかと思ったけど普通にカチカチだった。AF1はまあ見た目普通のソールだからあんまり期待もしてなかったけど、エアマックスは違うもんだと思ってた。
廉価版だからいかんかったのか。体重が軽すぎるからいかんのか。色々思ったけど、エアバッグをよく見たらなんか柱みたいなのが立ってるのを見てなんか納得した。風船が挟まってる様なイメージだったんだけど、こんな作りになってる上にアウトソールに封じ込められてたら、そらフカフカにはならんかって思った。
もう廃盤か分からんけど4,5年前に流行った270とかヴェイパーがおれの想定してたエアマックスに近かったかもしれない。あれはあれで何かの弾みにパンクしそうでなんか見てて不安になる。
フカフカ感と言えば、ホカオネのボンダイ6も流行ってた頃に履いたけどあれはマジでフッカフカだったな。良い靴だったけどランニング向けっぽくて足が勝手に前へ進むような感じがするのと、あと運動靴っぽすぎて合わせるのが難しくて売っ払っちゃった。
NBの高番台とかはどうなんだろう。ミーハー心で2002R買ったはいいけどまだ履きおろしてなかったな。1000番台のやつとかやっぱ履き心地良いんだろうか。
90とかは今もちょっといいかなって思うけどadidas以外はあんまり履く気がしなくなってしまったし、エアマックスとは縁がなかったんだろうか。今サンバ履いてるような連中が次のブームに乗っかってもおれはオリジナルスを履き続けたい。yeezyもQNTMだけ一目惚れして買ったけど結局履かずに売ったし、やっぱ気軽に履けていつでも買えてかっこいい定番ってのはええな。
「ネット民の力を信じる」「スゴイ一体感を感じる」的なノリに冷静に距離置かせるカバオコピペがあったので2chは良いって棘が人気だけど
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2258034
そのコピペって2ch全体で貼られてた訳じゃないぞ。当時の2chは全能感全開だったぞ。
そんな中で特異だったのがこのコピペで、隣組破りというか異端というか、かなりの軋轢があって叩かれてたぞ。
元の「スゴイ一体感を感じる」の投稿がされたのは毎日新聞変態英字記事に対する炎上の中だったのが、この毎日の記事は単独のものじゃなかった。
当時、毎日のWEB版では時々変な性的な記事が載って一部の好事家の間で話題になっていた。
例えば愛染恭子というポルノ女優が居るんだが、彼女が紙面で夫婦間のセックス指南をしたり、関係が無いような社会現象でセックスが原因だからとまたセックス指南したりと結構訳が分からん記事を書いていた。
昭和40年代に「表現者」というアングラジャンルがあって、自分の性的な事を全面に出して芸術や芸能と結びつけるという表現形式が流行っていた。
三島由紀夫の聖セバスティアヌスとか『薔薇刑』とかはこの流れのものだ。宮台真司なんかがやたら自分の性体験を赤裸々に語るのも同じ流れにあるし、国民的アングラ女王椎名林檎の『歌舞伎町の女王』とかもそうだな。
多分この延長で「赤裸々な性」のコンテンツを目指したのではないかと思われる。
また紙の方に載っていたかも未確認だ。紙の新聞の日曜版は風変りな特集記事が載るし、また折り込み形式の特別版ともなれば全然新聞記事っぽくない、ミニコミ紙みたいな記事も載る。
そういう垣根で分かれていない、フラットなWEB版ではそれらはとても奇妙な記事群だった。真面目な記事と並列で愛染恭子などのセックス相談が載ってるというアレな状態だ。
炎上後直ぐに記事が見れなくなって増田は見てないのだが、そういう記事が英語に翻訳されて居たのではないか?という気がする。
ネットvs.旧メディアの図式でそれらのうち、「日本の娘はセックスが好きで」みたいな記事が炎上し、ROM人という法科大学院卒の人物が中心になって行ったのだが、当時の2chはかなりの全能感の中にあった。
郵政選挙で小泉純一郎は旧弊な既得権益に侵された日本vs.本来性を目指す右派革新という図式を提示して勝利し、2chもこの流れに乗っかっていた。今から見ると非常に紅衛兵っぽい。
変態記事想騒動は2008年の初夏であるから、この熱気支配されていて、迂闊に疑念を表したりすると叩かれてパージされてしまう。だから反対意見を態々いう者はほぼ居なかった。
また、大事なのは、犯罪予告連続逮捕事件群が2008年の冬にあった。「よーし、お父さん埼京線の上野駅で連続殺人しちゃうぞー」「学校の校庭で小女子を焼き殺します」が有名だ。
この事件群の以前には、ネットでの犯罪予告は全く逮捕されていなかったのだ。だから責任感とか全く考えず、その場の勢いで法人や個人を罵倒したりいわれのないデマ書き込みしたりが放置されていた。
これも全能感を加速させた。「あの新聞のこの記事は自分の一昨日の書き込みに反応したものだ」とかいうヤバゲな奴とか大量にいた。
そんな感じで冷や水を掛ける人がいない環境であった2chだが、幾つかの例外があって、その一つがガイドライン板、通称ガ板だった。
ガイドラインと言いながら運営上のガイドラインを議論するんじゃなくて、あるテーマに沿った面白コピペ収集やバカレスの晒しが大半だ。
ガ板ではそんな2chの全能感に水を注すようなコピペ収集が以前からされていて目を付けられていたんだが、「スゴイ一体感を感じる」のレス転載は一連の運動を馬鹿にするのが見え見えだから当然「〆る」つもりの反発も食らった。
だが、「スゴイ一斗缶を感じる」とか「すごい水上置換を感じる」とかの改変が多数行われると面白過ぎて盛り上がり、隣組圧力を突き放す形になった。
そもそも法科大学院を出た後にちゃんと就職しておらず、身分も精神も不安定であった。渦中の毎日新聞を提訴したのだが、そもそもこういう日本人の名誉=自分の不利益というのは反射的利益であって原告適格性を認められない。その法的文書も酷くて法科卒とは見えないレベルだった。
そして自殺予告や未遂を起こし、あまりに精神不安定さに同居家族がネットに書き込んで「これ以上持ち上げないで」と懇願するに至った。
因みに彼も1000万円を超えるカンパを得ている。
最近では見る事が少なくなったが、ネット中毒を拗らせて精神を病む、人格が社会から完全に乖離する、ゆえに破滅するというのは良く見られた。彼もその一人だ。ネットから引き離さないと直らないという典型的な状態だ。
こうして運動の方は自然消滅していった。カンパの1000万がどうなったかは知らん。
だから「すごい一体感」は2chの冷静さじゃなくて、全能感や一体感の隣組的圧力を意に介さなかったガ板の冷静さであった、ということ。
更に「ネット民の力を信じるすごい一体感を感じる」的ノリというのは、恥ずかしいもの、では済まず、結構悲惨で親族や本人の人生を巻き込んだ大仰な結果に至っているのだ、ということ。