はてなキーワード: 流産とは
子供を作るのが難しい体だとと分かった。
妊娠はできてもお腹で育てるのが難易度高いらしく、流産を繰り返した人が病院に行くと見つかるような病気らしい。
子供を産むなら、妊娠後かなり早い段階から長期入院になって大変だとか。
けっこう前に子供は作らないと決めたけど、どうするか迷ってる時に産婦人科に行ったことがある。なんか子宮にも問題があるらしく、発達障害の生まれる確率が普通の人より高いらしい。
当時は発達障害って大人のADHDくらいしか知らなかったからあまり気にしてなかったけど、広義の発達障害では知的や自閉も含むと最近知った。
YouTubeで障害児チャンネルを見て、いやこんなん絶対無理だろと。特に夫に逃げられてシングルで育ててる母親すごすぎる。真似できない。
子供作ろうと思わなくて良かった……と心底思いつつ、子孫を残せない体というのは人間として出来損ないだなあとも思ったりする。
もうおばさんと言われる年齢だ。職場で働いている中で悩みがある。将来のことだ。このままずっと、これでいいのか不安でしょうがない。
十年くらい、関西にある地元の市役所で臨時職員(※今は会計年度任用職員)として採用されて、働き続けてきた。
部署の異動は一度だけ。最初は水道の庶務の仕事だった。今の部署はさすがに言えない。ごめん。
会計年度任用職員、略称としては会任なんだけど、それになってからは異動がない。臨時職員がアルバイト・パートだとすると、会任は契約社員の位置づけである。
ずっと同じ部署にいても、民間みたいに正社員転換しないといけないルールはないらしい。長い人だと、地籍調査とか用地取得の部署で、正規じゃないのに15年以上働いてる人もいる。
私の人生の何がつらいのか、書き綴ろうとしたけどまとまらない。何がどう辛いのか、自分でわからないところがある。しいていうと、恋愛とか、結婚だろうか。世の中の一般の女性にとって大事なことだ。
私は女らしくないし、あまり可愛くもないし、なんならハムスターとか、チンチラに生まれたかった。あの子達の世界にもブサイクはいるのかもしれないけど、人間目線だとみんなカワイイ。
不安はたくさんあるけど、ここでは一つだけに絞って話をする。
不安の全体だと、恋愛や結婚もそうだし、生活のこともあるし、やや遠くで暮らしてる親のこととか、相続とか、自分の健康のこともある。
けど、一番は恋愛とか、結婚のことだ。アラフォーになったばかりだけど、正直結婚は難しいと思う。本当にそう思う。
私と同期で、約十年前に入庁した臨時職員の子達は、全員が自分の道を見つけている。適当な男性とくっついて離職した子もいれば、普通に転職した子もいれば、市役所から直接スカウトを受けて、コネ採用みたいな恰好で、公開競争試験じゃなくて個別試験をセッティングしてもらって、裏口のような形で正規職員になった子もいる。みんな、ちゃんとした理由があった。
入庁当時の私は、25才だった。美容の専門学校を卒業したけど、リーマンショックの関係で職が少なくて、フリーターを転々として、生活が貧しくて毎日泣きそうで、そんな私を最後に拾ってくれたのが生まれ故郷の市役所だった。
月給は額面13万円+残業代で、ボーナスは当然ゼロ。病気・傷病休暇もない。有給は年に5日だけ。私も皆も、風邪・インフルエンザでも普通に出勤していた。こんな私が働けるのはここしかなかった。
数年前に会任制度がスタートしてからは、ボーナスが年間二か月分出るようになって、まともに貯金ができるようになった。今でもこの職場に感謝してる。
話がまとまらなくなる前に、恋愛とか結婚の不安のことを話したい。わかりにくいところがあったらコメントとかで教えてほしい。できるだけ答えるので。
20代後半の頃は、結婚できるのかなって勝手に思っていた。男性の人が話しかけてくれるし、アプローチがあったし、同じ職場の人にデートに誘われたこともある。交際経験もあるけど、そんなには続かなかった。
しだいに焦ってはきたけど、私が三十路になる年のことだった。水道の部署から現在の部署に移ったばかりのことだ。この職場に、いいなって思える男の人(A君)がいた。私と同い年で、小学校・中学校が一緒だった。
当時の私は、残業や休日出勤が多い部署で、毎日地道に仕事をがんばっていた。イベントで使う資機材をまとめたり、パンフレットを作ったり、式典会場の準備をしたり、てんてこ舞いの日々だった。
私は当時、その男の人A君と一緒のペアになって仕事をしていた。心の距離が段々近づいていって、仕事帰りにラーメンをおごってもらったり、イベント帰りに家に送ってもらったり、辛い時に慰めてくれたりした。優しい人だった。
以上を一年目とすると、二年目にそれは起こった。
新卒で入庁してきた子がいた。大卒の子だった。おそらく22才のはずだ。この地域にある名門企業の代表者と同じ苗字だった。この子はSさん。年代は違うけど、私やA君と同じ焼酎学校の出身だった。
直属の上司である係長(※蛇足だけど係長も学校が同じ。Sさんとは出身高校も一緒)からは、「Sさんは大学出たばかりで、最初は全然慣れないだろうからフォローしてあげて」と言われていた。そうしてあげるのが先輩としての正しい道だと思ってたけど、後日別の意味で否定された。
Sさんは、仕事ができる子だった。難しい言葉を使うと、利発な子だった。都会じゃなくて、地元にある大学出身の子。別に、京都大学とか大阪大学とか、そういうレベルの大学出じゃない。
けど、頭の回転とか、コミュニケーションとか、気遣いとか、嫌いな相手とも表面上仲良くするとか、そういうのができる子だった。
あれは今でも覚えてる。私とペアになってたA君だけど、Sさんを目で追ってるのがわかった。
関係ある仕事でも、関係ない仕事でも一緒に話をしようとするし、Sさんと話してる最中は、私の時と比べて笑顔だった。
反面、私と一緒にいることは少なくなった。一緒にご飯を食べることはなくなったし、一緒の車に乗せてくれることもなくなった。同じ仕事をして、彼を補助する仕事は変わらなかったけど。
Sさんは人懐っこいとか、そこまでではないけど、皆とよく一緒に話していた記憶がある。若い子らしくて、さわやかな印象だった。よく笑っていた。ブサイクな方ではないと思う。
結局、A君はみんなが見てる時でも、Sさんに対して恋愛的にがっつく……は言い過ぎだけど、熱烈に会話をするようになってた。「あれはひどい、やばい」という次元だった。
上司である係長に「あれはよくないです!」と進言したこともあった。けど、係長も、そんな2人をむしろほほえましい感じで、ノホホンとした眼差しを送っていた。「増田ちゃん。あんなのイチイチ止めてたら、日本の少子化待ったなしだよ~」だって……。
その係長だって、Sさんには甘々だった。この部署の中では、Sさんは新卒とは思えないほどスキルがあったとは思うよ?私なんかとは別格の。係長は、そんなSさんを散々利用していた。
本来はベテラン職員がやる仕事まで、入庁一年目であるSさんに割り振っていた。イベントだって、ほとんど休みなくSさんを休日出勤させていた。
「こんなのおかしい。職場って恋愛する場所じゃないよ」、て言いたかった。なんでそんなに、Sさんばっかり使い倒すの。私だっているじゃん。私の給料、Sさんと同じくらいなの知ってるよね。私に休日出勤の仕事を割り振ってよ、残業代欲しいよと思っていた。そんなもやもやが一年以上、ずっと続いた。
※Sさんのことたくさん書いてるけど、彼女はもう職場にいない。A君も。
在籍中だったら、公共の場所にこんなことは書けないし、書かない。
さらに、その次の年度だった。
季節は春を過ぎたくらい。Sさんが朝礼の時、皆の前に出てきて、「私。今月結婚します。仕事にはもちろん支障ないので、これからもよろしく~」と皆の前で告げた。
A君の顔を見ると、茫然としていた。生気が抜けた表情だった。残念、みたいな表情を通り越した顔( ;∀;)だった。
ざまあみろ、ていう薄汚い感情が自分の中にあった。でも、ここは職場だから。そういう思いを出す場ではないから、と自分に言い聞かせた。
Sさんの結婚相手は、やっぱりというか、地元の名士の苗字だった。京都~和歌山の人なら、聞いたことがあるかもしれない。CLAMPの漫画に出てくるような、鳥系の氏だ。
入庁して二年目で、結婚かぁ……私が入庁して二年目の頃は、そんなこと考える余裕はなかった。恋愛のアプローチがあっても、応えるだけの生活の余裕がなかった。貧しかった。
月給13万円台で、京都市内での一人暮らしは不可能に近かった。実家を頼ろうにも、父母にそんな余力がないのは明らか。私は学生向けのボロアパートに住んでいた。
私が好きな少年漫画で、「ドン詰まり」という表現が出てきたのを思い出した。本当にこのドン詰まり、という状況だった。若い頃の私は。
でも、Sさんは違う。私と違って余裕がある。実家は太いし、皆から人気はあるし、私みたいな隠キャラとはわけが違った。生まれた瞬間からして違う。
それから今に至るまでの私は、ずっと同じような縮小再生産だった。
[仕事]…一般事務と、イベントのお手伝いの仕事。正規職員登用の声がかかる気配なし
[生活]…近所のスーパーで夜に割引食材を買う。奇跡が起こると、6.6割引になってることがある
[趣味]…たまにアニメ漫画・小説を読むくらい。作品イベントに行けるだけの余力なし
最後にSさんと会ったのは、同じ年だった。Sさんが妊娠後、もうすぐ育児休業で職場からいなくなるタイミング。
うちの部署のイベント大成功のお祝いで、みんなで夏にバーベキューをすることになった。係長が、お手頃な値段でたくさん食べられるというお店(というか山の中……畜産農家の圃場内だった)を紹介してくれた。私の少ない給料でも全然参加できる料金だった。そこにSさんも参加していた。
バーベキューだけど、みんなイベントの疲れを癒すというか、ねぎらうというか、和やかな雰囲気だった。広い車庫ガレージの中での立食形式のBBQだった。
私はやっぱり隠キャラで、食べたり飲んだりはしてたけど、会場の設営とか片付けとか、飲み物の氷の準備とか、お肉を焼いたりしていた。誰かが焼酎の水割りとかハイボールで使う氷を取りに来る時、その人の背後に付いて、「氷入れますよ」という案内をしていた。※「増田ちゃん、暗殺者かよ~」とツッコまれた
あとは、ほかの人のところを巡って、コップが空いてたら飲み物を注いだりした。そこまで飲み食いはしなかった。お肉とオニギリは本当においしかった。本物の食肉卸だった。限られたお客さんにだけBBQパーティのサービスをしてるとのこと。
その日も、Sさんはみんなに人気があった。焼肉と野菜を食べてお酒を飲みながら、ガレージ内でおしゃべりをしていた。ずっと。そんな時に私は、Sさん~~職場友達の話に聞き耳を立てることがあった。
こんなことを、話していた。
(早く結婚できてよかったねと言われて)
「えー。運がよかったんです。親の紹介で、京都御所の建物の中まで入れる限定の行事があって、そこで知り合って」
(仕事ができるねと言われて)
(育児休業どれくらいするの、と聞かれて)
「係長からは上限の3年まで取っとけって言われたけど、自分は1年半で十分です」
(Sさんが羨ましいと言われて)
「幸運があったので。ありがたく、この環境はもらっておきたいですけど、でも別に、ここまで恵まれてなくても、私は幸せになれるように頑張ったんじゃないかな」
嫌な感情が湧いた。
彼女は、Sさんは、私にはないもの、絶対に手に入れることができないものを持っていて、それが才能とか、環境とか、そういうのじゃないって、自分の力だって。絶対にそう思っている。
そういうのがムカつくって、あの時の自分は思った。ガレージの中で涙が出そうになった。焼肉の煙が目に入ったのもあるけど。自分はこんなに苦しいのに、Sさんは自分が恵まれた環境にいることに気が付いてるフリをして、実際には気が付いてない。
Sさんと自分との間には埋められない溝がある。でも、この時、こんなに人生で初めて、悔しい思い、誰かを憎んだのは初めてだった。
Sさんとその友達の空いたコップを見つけた時、「Sさん、何飲んでるの?」と聞いてみた。
すると、「あ~、じゃあ。私は焼酎の水割りにします。あそこの奥にあるやつで、焼酎少なめがいいです」とのこと。Sさんの職場友達は、「ありがとう。私はカルピスでいいです。お願いします!」と言った。
あそこの奥にあるやつ……その焼酎は、ガレージの奥のテーブルにあった。卓上の保冷ケースの陰に隠れていた。獺祭の高いやつだ。私も焼酎が好きだけど、こんなに高いのは飲んだことがない。
保冷ケースの裏で、私は焼酎を少し注いでから、テーブルの真下にあった開封済の農薬袋を見つけた。右手で、農薬の粉瘤を二掴み手に取って、Sさんが飲むはずの焼酎のコップにそれを入れた。
水じゃなくて炭酸水を入れて、攪拌用の割りばしでかき混ぜて、ニオイを嗅いでみると、何も感じなかった。味見した感想も焼酎のソーダ割りだった。カルピスは急いで作った。
「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」
何度、心の中で叫んだかわからない。気持ちを止めることができなかった。
あなたはだって、ここまでずっと人生幸せだったじゃん。不幸もないと、おかしいよ。
「人生には不幸があった方が幸せになれるよって、そっちの方がいいよ」って、この時思っていた。
2人のところに飲み物を持って行って、「暑いし氷溶けるし、早く飲んだ方がいいよ」と伝えた。
2人とも会釈だけして、Sさんが獺祭のソーダ割りを飲んでいた。こんな会話が聞こえた。
「え~、これ炭酸割じゃん!」
10分くらい経って、Sさんが別の男性に「獺祭おいしい、おかわりほしいです~」とねだっているのが見えた。
翌週、Sさんが職場にこなくなった。「体調不良です」と係長が上司に報告していた。
産休予定だったので、早めに開始することになった。それからまた日常が戻った。私の仕事内容は、今後もずっと変わることはないと思う。定年までずっと、いやきっとそうなんだと思う。
昇給だって、年に三千円だけ。しかも一定のところまで行ったら頭打ち。「こんなのっておかしい」と思うけど、ルールだから従うしかない。正規職員と違って身分保障がないのに、今までクビになってないだけ「ありがたい」と思わなきゃいけない。
今年に入って、育児休業中のSさんがベビーカーに子どもを乗せて職場に来た。みんな、生まれたばかりの赤ちゃんを間近で見ようと寄っていた。私もそうだった。
後ろの方には係長も来ていた。Sさんがいなくなったせいか、仕事量の負担が大きくて元気がなさそう。
Sさんに、ほかの皆と一緒に「元気に生まれてよかったね!」と伝えると、Sさんは幸せそうだった。でも、なにか違う気がした。
この、赤ちゃんを職場に連れてくるシチュエーションは、私が子どもの時も、学生の時も、社会人になってからも、何度もあった。その時、新しいお母さんは、みんな誇らしげな表情をしていた。安心がまざったような。
でも、Sさんの表情は悲しそうだった。もしかして辛いことがあったのかな。だったら、それでよかったのかもしれない。無事出産できたのはいいことだけど、人生にはつらさも必要だと思うから。
同じ職場の仲間として、Sさんが職場復帰する時が来たら、これまでと同じように一緒に仕事ができたらと思う。私は貧しい生活だけど、それを受け入れることができている。ここまで達観できるようになった。これも成長だ。これから人生どうなるかもわからないし、不安もあるけど。
京アニの青葉が明らかに糖質だったことに対して、ルックバックの殺人犯を糖質っぽく描写したタツキに批判が殺到した件に怒りを覚えた。
撮り鉄が駅員に暴言を吐く動画に対しても、「彼らは何らかの障害を抱えているのだろう。社会が包摂しなくてはならない」(←そう言っている奴自身は何もやらない)こういう奴らが湧く、本当にうんざりだ。
お前が撮り鉄対応ボランティア活動をしろよ。お前が撮り鉄を包摂しろ。お前が撮り鉄に対応しろ。お前が駅員のかわりに撮り鉄に暴言を吐かれろ。
殺人や暴力や暴言などの明らかな加害行為、犯罪行為をしていても、病気が原因であれば弱者であり、被害者は我慢しなくてはならないのか?
現実の犯罪をもとに、フィクションでも似た犯人を作ることは差別にあたるのか?
じゃあ、男子生徒が女性教師を堕胎させようとした2009年の実際の事件を、女子生徒が堕胎させようとしたことに内藤瑛亮監督が改変して実写映画化した『先生を流産させる会』の件は、
「実話をそのまま映画にすると男性差別に繋がるから、加害者を女性に改変することで男性差別を回避したフィクション」であり正しい行いなのか?
もう病気とか障害とかどうでもいいよ。加害行為と被害の実態にフォーカスしてくれ。
インターネットにはいじめ被害者が多いだろ。いじめっ子が「いじめ障害」という障害を負っている弱者であり免罪すべき存在だということにされたらどうするんだよ。
青葉に肩入れしてタツキ叩きをする人間がやっているのってそういうことだろ。殺人犯は病気だったから可哀想、病人を守れ、病人に殺されるのは仕方ない。どういう神経しているんだ?
筆者は30代中盤男性で、妻は30代前半。ところどころぼかしています
もともとそんなに子供が欲しいとは考えていなかったが、結婚3年目で「やってみるかー」という感じでトライ。1人目はあっけなく自然妊娠した。最初は全然実感がわかず、温度感の違いで夫婦喧嘩に発展することもあったが、子供服を見に行ったりしていくうちに徐々に楽しみになってきた。
詳細は省くが、リスクの高い母体であることは最初からわかっていたものの、16週を過ぎて完全に油断しきっていた。しかし、定期検診の翌日に突然の流産。あっという間のことだった。
もちろんこんな辛いことがあるのかと思うほど悲しい出来事だったが、出産したその日に退院した妻と泣きながらビールを傾け再起を誓った。
1年ほど経ったのちに再度自然妊娠に挑戦したが、なかなかうまくいかないので不妊治療に移る。これも難航して何回目かの採卵でようやく妊娠に至った。NICUのある大きな病院を選び、通常より高い頻度で検診を受けていた。が、これも16週を超えたのちに流産という結果になった。
不妊と不育の両方があること、不妊治療と妊娠期間で妻に心身ともに大きな負担がかかること、そして子を失う悲しみに我々がもう耐えられないことから、これ以上の妊娠には挑戦しないことにした。こうして、我々夫婦が実子を持つという選択肢は潰えた。
最初に書いたように、子を持ちたいという願望は強くなかったし、なんなら子供なんかいなくてもやりたいこといっぱいあるから人生楽しめるしなーとさえ思っていた。思っていたのに、これからどうやって生きていけばいいのかわからないでいる。
同じ苦しみを味わった人は少なくないとは分かりつつも、「世の中の多数の人々が普通にできていることがなぜ自分たちにはできないのか」と考えてしまう。正直、他人を見て「あんな人達でさえ子供がいるのに」と思うことすらある。そんなに子供が大切じゃないなら頼むから分けてくれ
数年ぶりにパチンコ屋に行った。
4号機も5号機もバリバリ打ってたけど、結婚してこどもができてからはごぶさた。
朝の抽選に並ぶぞと意気込んだものの抽選券をどこで配るのか、再整列とかわからなくておろおろ・うろうろしちゃった。
抽選も番号がやばくて、再整列は締め切ってるし、喫煙所は煙いし、開店後に打ちたい機種が空いてないなら帰ろうと思って、いったん一般入場の列に並んだ。
前にいた女性が「一般入場ここだよ」「何うつの?」「え?抽選参加したのにここにいるの?やる気ある?」「パチンコ屋に来なそうな顔!」「結婚は?」「こどもいる!?」「いいねーあたし流産しちゃった」「何歳!?」「あたしよりふたつ上!」「旦那に内緒で来てるんでしょ!?」「軍資金は?」「勝っても旦那の返済がさー」などなど、このまま会話してたら闇金ウシジマくんみたいに流れるように金貸してって言われそうだなって思った。
「これ旦那!」「青島!」「踊る大捜査線!同世代でしょー!」踊る大捜査線の青島に似てる上着だった。旦那さんの雰囲気も少し似てた。
その女性は若い頃はクラスの1軍にいそうってかんじの、かわいい雰囲気の人だった。
開店後は、自分は、お目当ての機種に座れて青島のおかげで勝ったけど、朝の女性のことを考えちゃった。
知らない人間がガツガツ個人情報聞き出そうとしてくる場所って怖いよね。
https://anond.hatelabo.jp/20241019115358
これ書いた増田です
いろいろ反応を貰ったので追記と返事
女性が年収の高い男性と結婚することが上昇婚だと思ってたから、反転してみたのに違うんだ、とびっくり。
女は下方婚しない、と見たのでそんなことないのでは?って書き散らしたら前提から崩れてて笑っています。
私の「年取ったら女は"価値"が無くなる」っていう呪いは夫が解いてくれた。
以下お返事と蛇足と
・夫が高身長イケメンなんだろう →そうですが何より性格もイケメンです!身長は気にしたことなかったけど、高身長はやっぱりスタイルいいし何着てもかっこいいしすごいなぁと思います。結婚して数年幸せだし、運よく子供が生まれたら宝物になるでしょうね。だからこそ、子供が望むなら好きな進路を経済的な縛りなく選んで欲しいと思ってます。
・公務員なら育休取れるのでは?制度とか妊活系 →育休取れます!一年は取ってくれるらしい。二年目以降は無給なので。二人とも検査で異常なし、ゆるーく妊活してます。(その上でのうっすらとした不安)あと補助あるので家賃は一人暮らし賃貸くらいの値段。
・産後の体調→寿命の話などしていない。産後の不調をぐぐれ。帝王切開もな。それでも甘えと言うならコメ主は女を妊娠させるんじゃないぞ。
・キャリア、復帰など→私の部署は20代~40代女性が半分超えだけど未婚が圧倒的に多いです。部署立ち上げ時から居る上司が妊娠したけど異動した後聞いてない(聞けない)。一度流産した人が再度妊娠した時0時まで仕事ふられて泣いてた。その後適応障害の診断書とって休職産休、退職。一時介護で時短勤務してる人が会議を20:30に設定されてたりするのを見てもう無理だと思った。異動or転職orパートで収入減の不安は消えない。
・リターンの見込めない浪費→仕事上必須。冒頭に書いてるからちゃんと読もうな。
・出会い、価値観とか→共通の趣味で知り合って趣味について話したいからと連絡聞かれて友達期間があり、デートに誘われ、付き合い、同棲、プロポーズされ結婚。些末な価値観の違いはあるけど逆に言うと他はあまり気にならない。
一番好きなコメント
本当にそうです。「呪い」と書かれているけど本当にそう。
私は「こうであるべき」「~しなきゃ」「世間の評価はこう」という意識が強くて、そのおかげで得たものも多いけど、それ以外は全部ダメ!と思うタイプだったので、
夫が自分の価値観で快適に生きていることに衝撃を受けて、そしてその寛容さとか優しさを私に惜しげもなく与えてくれるのを見て、ちょっとずつ「こうあるべき」から解放されてます。
前の日記に書いたけど、
お高い料理は美味しいけど、フードコートのご飯も悪くない。休日勉強や外出などで動き回るのもいいけど家で二人ぼーっとするのも悪くない。
ばっちりメイクや服装を決めるのも良いけど、素顔に部屋着も悪くない。夫が褒めてくれるし。
結婚できないなら仕事で成功しなきゃ!(夫に会う前は結婚無理だと思ってた)ってなってたけど、結婚しようがしまいが仕事で成功しなきゃいけないことないよ~って言ってくれる。そもそも成功って何?増田ちゃんは誰にすごいって思われたいの?って言ってた。ほんとその通り。私は夫にすごいとか可愛いとか思われたらそれでいいです。
結婚したからには子供産まなきゃって焦った時期もあるけど、出来なかったら養子貰ったり二人で過ごそうって言ってくれる(それにはまだ完全同意できないけど)
◼️男
→共働きでも相手の方がわずかでも収入低かったら下方婚になります
◼️女
→共働きの場合は相手の収入が低くても下方婚にならなりません、僅かでも相手の収入に頼るのは女の甘えた性質の表れです
→相手が無職でも年下や同い年なら下方婚になりません、女は年をとるだけで価値がなくなる存在だと気づきましょう
→子供を産まない場合も下方婚になりません、産後の不調?男は体調悪くても命懸けで働いてることを考えたら甘えだとわかるでしょう
→あなたの相手が無職の年上男で子供を産んだ後もしっかり働いてるなら下方婚です、ただしお互い支え合う夫婦関係で下方婚などと言い出す時点で性格の悪い女だということを自覚しましょう
意訳:「無職中年不細工男と結婚しろ、さすれば下方婚と認めてやる」
ってこと?いやです!!!!!
増田と多分同い年?でだいたい同じ世帯年収で共働きやってる女だけど(私達は600万×2)、30代中盤だったら子を持つ意志は一旦置いといてでも動けるところは動いといた方がいいよ。
30超えたらみんな言わないだけでスッと妊娠できてない。そろそろ欲しいかも〜て30半ばで子作り解禁してなかなかできなくてまさか私達が不妊なんて…とかあるあるすぎる。一回二回は普通に流産してるから。検査も行っといて損ないよ。
妊娠出産の年収や学費の心配が付き纏うなら会社で前例調べたり、自治体の保健センターやら子育て支援課の情報片っ端から漁ってリアルガチでどれだけ支援が見込めるか皮算用したり、会社で先輩からそれとなく聞いてみたり、地域名でママ垢漁ってみたり、保育園・幼稚園・学童・シッター等は自分の住む街は実際どうか等…、例えば来月妊娠したと仮定して調べてみた方がいい。
(妊娠してから初めて知らされるお金時間身体ケア学習サポート支援制度のなんと多いことか…)
あともし話ができそうな関係性なら実家にも子ども持つの経済的に不安だよ〜不安だよ〜て言っとく。支援を乞うんじゃなくて、相談履歴つけとく。
収入面で不安が付き纏うのは旦那さんと生活に必要な分だけ出し合うだけで、結婚してからの資産の運用を二人でやってないからなんじゃない?
もし別個でやってるなら一旦整理した方がいいよ。やってるかもしれないけど。
増田の方が年収高いしヤダッて気持ちが勝ると思うけど、財布一緒にして使い方を二人で決めるのがなんだかんだで先々も安心できると思うよ。
30代後半から大きめの病気にかかる人ぽつぽつ出てくるし、子を持とうが持つまいが更年期はやってくるしね。身体が資本だなぁて思う瞬間がどんどん増えてくるし(特に子ども持つとね…)、一人一人が収入増やすのも大事だけどもまずリスク分散を二人でした方がいいと思う。
大きさから推測するに、1週間前には心臓が止まってしまっていたそう。
何より心がからっぽだ。
悲しくて泣いてしまった、というものかなぁと思っていたが、不思議と涙は出ない。
昔祖父のお葬式に出たときもこんな感じだったなぁ、と思い出した。
来週手術をする予定だ。
今は育休中で、来年の4月から産休に入る予定だったから、いきなり職場復帰になる。連絡しないと。
保育園の申し込みをしなくてはならない。
もうこっそり報告していた友人にはいつ伝えよう。来週会う時に言わなきゃダメかな。
9週だから、赤ちゃんの遺伝的な要因での流産であるというのは頭では分かっている。
でも、上の子がたくさん激突してきたからかなぁ、とか手足口病をやっちゃったからかなぁ、とか
つわりで毎日吐いていて1.5kg減ってしまったからかなぁ、とかいろいろとよぎる。
アラサーなので1~2割が初期流産をしてしまうということは知っている。
産後の生理が安定していなくて、タイミングをがんばって授かったからまだ準備ができていなかったのかなぁ。
なんとなく7週のときのエコーも子宮?胎嚢?の形が変かな?とか、なんだか上の子のときより胎芽のエコーがぼんやりしているよなぁ、とか思っていた。
いったいいつから分かったのかは分からないし、何が原因なのかも分からないけど、とにかくつらい気持ち。
まだ少し出ているおなか。
(途中で切れてたので、続きはこっち https://anond.hatelabo.jp/20241017030144 )
(コメントへのかいつまんだ返信はこっち https://anond.hatelabo.jp/20241021145456 )
…と、見出しは引きの良さで付けてしまったが、我々が体験した体外受精(保険適用)、更に男性不妊という状況での妊娠・出産について、教訓の多い体験だったので、経緯をちゃんと残しておきたいと思った。
本音としては「こんな面白い体験、文字にして残しておくしかないだろ!」という面が強い。
特に、不妊治療において男性側と女性側両方を体験した事例はそんなに多くないと思う。
結果としては、精子はいたし妊娠もできたし、先日無事出産したので、めちゃくちゃ不幸な話を期待した人がいたらごめん。
この経験を書き残すことで、体外受精や高齢での不妊治療・男性不妊の現実的なところ、また費用面の不安を感じている人に、それらの不安を少しでも現実に昇華できればいいなと願う。
不安は「よく分からない」が原因の面が大きいと思っているし、そしてたぶん「思っているよりは」費用はかからない
むしろ、妻に関しては妊娠・出産に関して出ていくお金と入ってくるお金がトントンに近かったので、「最高の不妊治療を受けて実質無料で子供を作った」と言ってもいいくらい。
何より、実際やってみて我々は夫婦ともに「不妊治療やるなら体外受精(特に顕微授精)一択」と感じている。
インターネット上には不妊治療や高齢出産に対してネガティブ寄り(というか慎重論というか)の意見が多いように感じるので、たまにはポジティブ寄りな意見があってもいいんじゃないかな。
もちろん、若いうちに子供を作れたら理想ではあるけれど、40過ぎてチャレンジしたって罰が当たるようなものではないのだ。
本筋含め長いエントリだけど、興味のある人は付き合ってくれれば幸い。
※ワードとしての伝わりやすさからここまでは「体外受精」と書いたが、実際は顕微授精なので以下は「顕微授精」統一で書いていく
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詳細は後述するが、夫婦(私は40、妻は41)で不妊治療を始め、最初から体外受精、それも顕微受精(精子と卵子を別個に採取し、人工的に受精、培養させる方法)を選択した。
顕微受精となると、一度の採卵で母体から何個も卵子を取り出す(別途採取した精子と受精させ、ちゃんと分裂始まった卵子のみを冷凍ストックする)ので、排卵誘発剤の自宅注射を2日に1度くらいのペースですることになる。
「Falloutみたいだ!」「今日もヤク入れるよ!」と二人で笑いながら自宅で注射をしていた。
(Falloutのスティムパックのように、針を腹に刺して薬剤を注入する方式なのだ)
採卵日間近になると、今度は貯まった卵子が出てこないよう、点鼻薬による排卵抑制剤の投与が始まる。
妻は前日22時以降禁食、当日朝は水しか飲めない。
妻は座薬(痛み止め)を入れ、施術着に着替え、採卵の待機を…といったところで、私に医院から呼び出しがかかる。
一抹の不安を感じつつ、再度提出。
どうやら、精液の中に私の精子が一切出ていないらしい。
「少ない」とか「元気がない」なら年齢的に覚悟していたが、掛け値なしのゼロとなるとショック度が違う。
医院の先生が、ちょっと歯切れの悪い、バツが悪そうな言い方をしていたのが印象に残っている。
ということで、ここまで妻が色々頑張ってくれた経緯は全て無駄となり、その日の採卵は中止となる。
先生曰く、「ウチではこれが一時的なものか先天的なものか判断ができない」と。
通っていたところの系列医院なら男性不妊も対応できるというので、その日のうちに速攻で仮予約の連絡を入れた。
ただ、その日は土曜日。
この2日間はなんだかすごく長かった気がする。
恥ずかしながら、今まで「自分の精子が出ていない」ということを疑う機会・症状などなかったので、かなり頭が混乱した。
今までは、年齢とか仕事とかお互いのストレスとか、子供を作らない(作れない)原因は色々あると思っていたのが、不妊治療を始めて一気に100 : 0になってしまったのだ。
精子が出ないなら出ないでいい。
そもそもが高齢だし、もう子供ができる可能性がゼロならば、それはそれで諦めがつくのだ。
ただ、何もかもハッキリしないのがひたすら怖い。
月曜に医院からの返信が来たときは、まだ何も始まっていないのにすごく安心した。
学生時代(大学が女子9割の学部だった)を思い出し、懐かしいと思うなどする。
先生は後述する「この医院らしい」先生で、現実的なことを淡々と包み隠さず話してくれ、安心感があった。
1 : 主な一つは精子の通り道が何らかの原因(性病や各種炎症の後遺症など)で詰まる機能不妊
2 : 主なもう一つは先天的に睾丸の機能が弱く、精子の作成能力が低い遺伝的な不妊
3 : あとはストレスやホルモン異常による一時的な精子減少などなど
2~3週かけて何度か採精し、毎度精子ゼロだったため、3の可能性はほぼなくなった。
ということは、可能性は1か2。
併せて行ったエコー診断や採血、染色体検査を見て、先生的には「データと診断の限りはどこを見ても健康体で、健康な精子がいる可能性が高い」とのこと。
染色体に異常がないので、精子が採れた場合、障がい児が生まれる可能性も下がるらしい(結果を聞いて、思っていたより安心感強かったので、子を望む人は染色体検査やった方がいいと思う。
そして、この「おそらくいるであろう精子」を取り出すには、手術の必要がある。
つまり、「睾丸を開いてみないと実際いるかどうか分からない(開いてから取り出す方法を決める)」ということだ。
ちなみに、症状が1なら高確率で妊娠可能精子が採れ、2だったら30%とからしい。
まさか人生初の手術が「精子を取り出す」になるとは思わなかった。
前日は22時以降禁食、当日も朝から厳密な制限を経て、朝早くから通院。
次の瞬間に手術が終わっていた。
ビックリするくらいあっけない。
ソ連のSF映画「不思議惑星キン・ザ・ザ」を思い出した。
(分かる人だけ感覚を分かってほしい
結果からすると、精子はいたし(前述の状態でいう1)、数値を見る限り年齢なりの衰えはあるっぽいが、先生曰く「健康な精子いっぱい採れました」とのことなので、顕微受精に支障が出るようなものではないようだった。
もし使い切ったら、もう一度同じ手術をすることになる。
(ちなみに、冷凍精子は原則として婚姻関係又は事実婚の相手にしか使えない)
ちなみに、切開したのは1~2cmほど。
いわゆる「金的を蹴られたような痛み」が、その後1週間は続いたことも記しておく。
結構痛くて寝るのに支障があった。
事前に「まあほぼほぼ大丈夫でしょう」と言われていたので、喜びや安堵はそこまで大きいものでもなかったが、「ハードルを1つ越えた」実感があった。
術後、なんとなく興味本位で「精子を取り出す」以外の選択肢(例えば元のように精子が精液に混ざって出てくるようになる術とか)があるのか聞いてみた。
先生曰く「かつては詰まった精子の管をバイパスする手術があった」らしい。
ただ、術式的に「精子だけ取り出す」より難易度が高く、ニーズも低いため今は殆ど行われていないとのこと。
まあ、精子が再度出るようになって得するケースは確かに少なそうだと思った。
改めて我々のスペックは以下の感じ。
不妊治療の保険適用は43歳(になる前日)までなのと、私の本厄を目の前にしての治療開始なのが、なかなかヘヴィなところ。
現代で似たような年齢・タイミングで高齢出産を考える人は結構多いんじゃないか。
前述のとおり精子は手術で取り出して凍結済。
そこからのざっくり経緯としては、
・生理周期に合わせての採卵2回(男性不妊発覚で中止した回は除外)
・着床試行回数1回
最終的に採れた卵子が2回合わせて10個くらい(中止した初回を入れれば15くらい?
若い人は1回に20~30個採れる人もいるらしいので、ここはやはり年齢が出るところなのかもしれない。
ちなみに1回目の採卵で採った卵子は全滅(受精させても細胞分裂が始まらなかった。
単純計算で妊娠に適した卵子が出る確率が40%、妊娠まで到達した卵子が20%。
これを自然妊娠(タイミング法含む)でやろうとしたら更に確率が下がるのは想像に難くないので、この時点で既に、我々の年齢で自然妊娠は相当に難易度が高いというのが分かる。
そもそも、「卵子に精子を注射針で直接ぶち込む」という超・直接的な手法をもってしても妊娠に至らないケースがあるんだと驚いた(成功率は我々で50%。
とはいえ、そんな状況でも通院開始から男性不妊の治療を経て、妊娠判定まで半年ちょっとなので、我々は総合的に比較的運がいい方だったんだとは自覚している。
妊娠判定時で妻42歳、私は41歳になる直前。
後から考えると、
・病院選び
あたりが妊娠成功率を上げるポイントなんだと思ったので、それぞれの感想とか以下に書いていく。
勿論だけど、顕微受精は採卵時の母体への負荷があるので、母体が許すなら、という条件は付くが、何度も書くけど我々は「それでも顕微授精が最も良い」と感じている。
また、後述するが「思っているよりは」お金はかからない(金額について知りたい人は飛ばしてほしい。
なんとなくぼんやり「子供欲しいよね」くらいの気持ちで、不妊治療が保険適用になったことだし、そろそろ…と思いつつ、不妊治療自体には少し二の足を踏む。
…と、これ自体は我々含めよくあるケースだと思うけれど、やってみて分かる二の足を踏むには事情がある。
みんな実際ちょっとGoogleマップとかで「不妊治療」で調べてみてほしい。
我々の場合(都内在住)、一番近所の不妊治療クリニックが「魂のこもった~」とかなんかラーメン屋みたいなこと書いてあり、この時点で結構キツい。
それ以外も「不妊治療専門の鍼灸院」というよく分からないトコがあったり、口コミで医師への愚痴が延々書いてあったり、「子供」というある種神聖なものを取り扱うからか、とにかく情報のノイズが多い!しかも口コミでみんな専門用語使うから、ふわっと興味で調べてみた勢は口コミ勢の知識マウントでだいぶ気持ちが挫かれる(それだけみんな真剣なんだとは理解するが。
そのうえ、病院ではよくあることだけど、どこも口コミ評価が1か5に完全に二分している。
特に不妊治療ともなれば、子供ができたら高評価になるだろうし、できなかったら低評価になるだろうことそれ自体は分かるが、手探りでこれら情報のノイズを潜り抜けて「ここにしよう」と思える場所を決められる人はそんなにいないんじゃないか。
私の場合は、調べ始めた一発目が明らかに相性悪めな「魂のこもった」ラーメン医院だったので、だいぶ「これは大変だ…」と思ったのをよく覚えている。
そんな折、知人女性とたまたまXで話してお茶することになり、話の流れで不妊治療の話題になった(相手は顕微受精で子供を産んでいる。
曰く、
実際に転院をしている人の意見は心強い。
この知人はハッキリとデータで話す人を好むタイプなので、そんな人が「自分に合っている」と感じた医院なら、前述のラーメン医院みたいな要素が薄そうでいいな、と思い、後日妻と相談の上、同じ医院を受診。
なんだかすごいエレガントな門構えの高級感ある医院だった。
少し遠いので、私が毎回車で送迎することにした。
結果から言うと、我々が選択した医院は目的への最短経路を選ぶ傾向があって良いと思った。
初診時の説明は、ふんわりとした要約ではあるが、
「あなたたち、その年齢で顕微授精以外の選択肢があると思ってるの?」
当初、顕微受精を大前提とした説明が始まったので、「我々は知識がない、他の方法はどんなのがあるのか?」と割り込んで質問したところで、↑の回答。
一応他の方法も形だけの説明はしてくれたが、提示されたデータからは、現実的に「顕微受精(保険適用)+随時先進医療」以外の選択肢がなさそうなのは明らかだった(結果として、それが一番二人のストレスが少なく、かつ費用的に安くなりそうだとも。
「成功率の高い妊娠を最速且つ確実にさせる」「その際、女性のキャリアを極力邪魔しない」ことを是としたような医院で、さすが都心、オフィス街ど真ん中にある医院だと思う。
加えて、医院の「ウチは高いですよ」オーラによるのか、客層がいい(こういう書き方をすると角が立つとは承知しているが。
客側に理解力があるので、ギスギスもしていないし、医師も相手が咀嚼できることを前提にハッキリ説明してくれる。
年齢による態度の変化もないし、100%の確約もしないし、変な励ましも空約束もしない(確率の低いことは隠さず低いと言ってくれる。
予約した時間に行ったら、30分以内には何がしかのアクション(診察・採血等)が起こる。
私見にはなるが、この医院は「魂」とか「寄り添う」とかやらなかった。
目の前の患者に対して「結果」への最短距離をデータ準拠で提示する。
人によっては冷淡に映るかもしれないが、我々にとっては初診の時点で「もうここしかないな」と思わせるには十分な明快さだった。
結果として、初診時に顕微受精以外の選択肢を閉じてくれたことで、男性不妊の発覚も早かったとも言える。
ざっくりと妊娠成立までにかかった費用(窓口で支払った費用のみ、交通費など諸経費は入れない)については、
男性不妊治療 : 合計10万円ちょっと(実は男性不妊手術も保険適用)
顕微受精(採卵3回、着床1回) : 50万円くらい
これだけ見ると高いと感じるかもしれないが、ちょっと待って欲しい。
これはあくまで国保・社保のみ適用した場合の金額(自己負担3割+自費治療 + 先進医療)で、実際は様々な要因でここからお金が返ってくる。
まず、上記の内、妻の先進医療分約10万円が、東京都の助成金で7割補填される(上限額あり。
また、我々のケースでは使えなかったが、東京都の助成の上限額を超えた場合は、市区町村の助成金が出るケースもある。
さらに、民間の医療保険で不妊治療(正確には先進医療+日帰り手術)をカバーしているものがあり、それを適用することで妻は30万円くらい保険金が入ったようだ。
私の最終的な負担額は5~6万円程度(民間医療保険+国保の上限制度で多少補填された。
こう考えると、まあまあお金持ちでなくても払えなくはない額に収まっていると思う。
ただ、重ねて書くが、これは我々が比較的運がいい方だったからの金額だ。
もし受精卵のストックが切れるまで着床を試してダメだったら、また採卵→受精→着床のサイクルが始まり、上記の女性側の金額が単純に倍になる。
予期せぬトラブル、流産が起きないとも限らないし、民間医療保険の審査が通らないことだってあるだろう。
治療中の気持ちとしては、最終的に自己負担分50~100万円くらいまでは使う覚悟をしていたし、実際そのくらいの覚悟で臨むのが適正だと思う。
(続き→ https://anond.hatelabo.jp/20241017030144 )
少なくとも東京都
アラサー、女、既婚、ダイエット開始時のBMIは24.07。身長は平均より2cmほど上。
【ダイエットやる前】
・在宅ワークも多くほぼ座りっぱなし。外出しない日も多い。月平均歩数は約2000~6000歩。
・日々の食事は野菜少なめ、味濃いおかず、多めの白ご飯。汁物なし。
・朝起きて一発目に菓子パンとジャム入りヨーグルト。血糖値爆上げ。
・体が硬い。前屈したら脚も腰も痛い。床に指が全然届かない。
・冷え性。
・水分あまり摂らない。
・便秘。
こんな生活だったが、妊娠した。そして初期流産。胎児側の異常によるもの、と言われた。
しばらくは何もする気が起こらなかったが、体質改善しようと一念発起。
じっとしてると考え込んだり検索しまくったりしてしまうけど運動すると気分も紛れた。
【ダイエット後】
・ジムに入会した。トレーナーは付けず。きんに君の動画とか見ながら自力で頑張った。
・ほぼ毎日ジム通い。運動らしい運動をしない日もストレッチだけは必ずやった。
・歩いた。月平均歩数は5500~9500歩。徐々に増えて、現在の目標は毎日8000歩。
・副菜、汁物をなるべく付けるようにした。野菜スープとかお味噌汁とか、めちゃおいしい。
・大豆製品を積極的に摂るようにした。甘い飲み物に代えて水、お茶、豆乳、リンゴ酢。
・菓子パンをやめた。というか菓子類をやめた。一切買わず、たまに貰い物で食べるだけ。
・前屈余裕。このまま頑張ればそのうち床に手のひらがつきそう。
・よく寝た。
・腹巻き、レッグウォーマー。冷えを感じたら家でも体を動かした。
・意識して水を飲むようにした。氷は入れない。
・快便。
最初の3週間くらいは体重・体脂肪率ともに横ばいで心が折れかけたが、1ヶ月過ぎたあたりから減り始めた。ついでに夫も痩せた。月末までにあと1キロ痩せたい。
子供が欲しいんだから若い女を選ぶのは当たり前!って意見はわかる
ただ30歳男が言ってるのと同じ気持ちで40歳男も言ってるよね
妊娠のしやすさも下がるし、流産の確率も上がるし、自閉症にもなりやすい
自閉症の子供をジジイになった自分が世話するってちゃんと想像してるのか
これを書いてから1年後。
妊娠が分かったのは1月の半ば。生理が遅れて、検査薬を試した。まさかの自然妊娠だった。元々卵巣機能が低く、第一子は不妊治療を経て出産し、その後いくつかのことを試したが結局授かることはなく。家族3人で楽しくやっていけばいいと完全に諦めていた矢先、妊娠したことが分かった。
最初は夫婦ともに戸惑った。子どもはもう5歳になって、生活に随分余裕ができた。夜は寝るし、言葉を話せて、気軽に旅行にも行ける。経済的にも子どもひとりなら安心して程良い生活ができる。そう高を括っていたところに0歳の存在が加わると。思い出される、寝ない、食べない、忍耐の日々。兄弟を望んだこともあったが、もはや5歳と0歳は多分一緒に遊ばない。仕事も責任のある立場になって、引き継ぎや調整にかかる労力は計り知れず、正直マジかという気持ちになった。
そもそもこれまでどんなに頑張っても妊娠しなかったポンコツの身体にぽっと出の命が宿ったとして、うまくいきっこないはずだ。最初はどうせ化学流産か子宮外妊娠が関の山だと思い込んだ。そうでないと、自然に授かれた喜びが爆発してしまいそうだったから。今さらマジかと思う一方、もう一度この手に赤ちゃんを抱けるかもしれないことが、子どもに弟か妹を産んであげられるかもしれないことが、本当は嬉しくて嬉しくて仕方なかった。
初期の検診は毎回、あまり期待せずに通った。子宮内に胆嚢が確認できたとき、リングのような卵黄嚢がくっきりと美しく見えた時、力強い心拍の音が病室に響き渡った時。涙が出るほど嬉しかった。期待しないように、期待しないようにと言いながら、毎朝毎朝、アプリで週数日数ごとの胎児の様子を丁寧に読んだ。第二子で、次の検診までがあっという間だとか、うっかり存在を忘れるとか、そんな瞬間は一度もなかった。ずっとずっと心配だったし、いつも赤ちゃんのことを考えていた。
私の心配をよそに、赤ちゃんはすくすくと大きくなった。検診の度に週数以上の大きさで、何の異常もなく、胎動も痛いくらい力強くて。深夜に目が醒めて、お腹に少し合図すると、もこもこと蹴り返してくる存在が何よりも愛おしかった。どんどんお腹が大きくなって、腰が痛くて、苦しくて、上の子に優しくできずイライラしたり落ち込んだ日もあったけど、元気な胎動を感じながら過ごす毎日は満ち足りていて幸せで、幸せで仕方なかった。
7月、何とか仕事をやりきって、気持ちよく産休に入った。体質的に上の子は早産だったから、もしかしたら近日中に産まれてしまうかもなとは思った。検診では何も問題なかったが、体感的にそれくらい身体が限界で、8月を乗り越えられる気がしなかった。早産はいつも不安だったけど、28週を過ぎたあたりで、もう大丈夫だと思った。かかりつけは家から近く、NICUのある大学病院で、例え早産になったとしても何の問題もないはずだった。
その日。
前日も当日も暑くて外出はできず、家でゆったりと過ごした。夜になり、脇腹辺りに痛みを感じた。陣痛のように収縮するような波のある痛みではなくて、何かズキズキした痛み。食あたりを疑いつつ、どんどん増してくる痛みに違和感を覚えすぐに病院へ向かった。深夜の救急外来で、すぐにエコーを当てられたけど、いつもなら聞こえるはずの力強い心拍音がいつまで経っても聞こえない。ドッドッドッとうるさいくらいのあの音が。死ぬまでずっと覚えていたいと思った音がいくら探しても聞こえなかった。
腹痛を感じてから約45分、病院到着から約15分で帝王切開が始まった。にも関わらず、全身麻酔から目が覚めたとき、赤ちゃんは生きていなかった。診断名は子宮破裂、常位胎盤早期剥離、胎児機能不全、子宮筋腫核出後、子宮内膜症性嚢胞合併。要は子宮が15cm裂けていて、そこから胎盤が脱落し、赤ちゃんは仮死状態で生まれたものの、蘇生に反応しなかった。
産まれた姿は大きくて、体重が1950gもあった。まだ体毛がたくさんあって、眉毛が立派だったけど、私と、上の子が産まれたときにそっくりだった。手足はむっちりと太く、小さな指もそれぞれ5本ずつしっかりあった。小さなお口が三角形に開いていて、かわいくてかわいくてしかたなかった。目が開いたら、どんなお顔だったんだろう。どんな声で泣いたんだろう。何が好きで、何が嫌いだったんだろう。もう冷たくて、ところどころ固まって、点滴や機械の痕が痣になって痛々しくても、かわいくて愛おしくて悲しくて、泣きながら何度も何度も名前を呼んだ。
どんなに寝なくても、食べなくても、元気に生まれてくれたらそれでよかった。ふにゃふにゃの体で、息をして、目が合うだけで、どんなにかわいかっただろう。こんなことなら、1日でも早く、早産になればよかった。子宮が破裂する前に、お腹から出してあげたかった。3日前の検診では何の異常も無かったし、子宮破裂の可能性なんて考えさえしなかった。あかちゃんは私のせいで亡くなった。子宮さえ丈夫だったなら、元気に生まれてきたはずなのに。
手術から1週間後に退院して、夫の運転する車で家に帰った。信号待ちで車が止まると窓の向こうに、大きなお腹で上の子と手をつないで幸せそうに帰り道を歩く自分の姿が、お腹をおさえてふうふうと息をつきながら頑張って坂道をのぼる自分の姿が浮かんで涙が止まらなくなった。家についても、しばらく中に入れなかった。新生児用の抱っこ紐も、ベビーベッドも準備していた。上の子のおさがりも整理して、みんなで楽しみにしていた。名前もたくさん考えて、一番良い字画を選んでつけたのに。自分だけ家に帰ってきてしまったことが悔しくて悲しくて死にたいと思った。ごめんねといくら言っても言い足りなくて、自分に拳を叩きつけながら叫ぶように泣き続けた。
あれから2ヶ月が経った。納骨はせず、毎日お線香と小さな哺乳瓶でお水を供え、遺骨に話しかけて暮らしている。泣かずに過ごせる日が増えてきた一方で、妊婦さんや小さな赤ちゃんを見かけてはひどく落ち込む日もある。最初の数週間はとにかく出産前に戻りたい、戻りたいと思いながら過ごした。前日でも、当日の朝でも、何とか時間を巻き戻せたなら、先生に懇願してすぐにでも帝王切開をしてもらう。赤ちゃんはしばらくNICUで過ごすけど、上の子の時のように、きっと元気に退院できた。
1ヶ月くらい経つと、この悲しみが死ぬまでずっと続く気がして、妊娠前に戻りたいと思った。そもそも授からなくても、私達は十分幸せだったから。子どもは一人と納得していて、他人を妬ましく思う気持ちもなかった。大好きな夫と子どもがいて、決して不幸ではないはずなのに。失ったことが悲しくて、足りないものを嘆き続ける毎日ならば、授かる前に戻りたいと思った。
そして2ヶ月経った今、子宮破裂について考えることが増えた。子宮破裂は極めて予後が悪いもので、8割の赤ちゃんが亡くなり、例え救命できたとしても、寝たきりとなる可能性が高いそう。私は子どもに一生、経管栄養の寝たきりで意思の疎通が全くできなくても生きていてほしかったとは思わない。もちろん結果的にそうなったなら大事に世話して必死に生かそうとするに違いないけど、それが死よりベターだとも思わないから、唯一そういう意味では今回の結果に納得できる気もしている。
でもやっぱり、失った未来を想うと悲しくて、もう一度取り戻せないかと思ってしまう。もう一度妊娠できたなら、今度は無事に産むから。亡くなった子と新しく生まれる子を同一視してはいけないとか、そういう話はどうでもいい。ただただ、もう一度授かって、今度こそ元気な赤ちゃんを抱きたい。これはもう、女としての私のエゴだ。止血のために両側の卵管を結紮したから、自然妊娠はできない。また次の妊娠は医師から真剣に止められている。本来なら子宮摘出すべきところ、小腸と癒着して摘出できず、仕方なく残しているだけです。妊娠しても無事に産める確率は極めて低く、次もまた同じか、それ以上に悪いことが起こります。本当にお母さんと赤ちゃんの生命に関わります。そう言われても、じゃあもうきっぱり諦めて、次の子は二度と望みません、とは思えない。
赤ちゃんとたくさんお散歩がしたかった。上の子が絵本を読み聞かせる様子を動画に撮りたかった。寝顔を見て、上の子と同じ顔だねと夫と一緒に笑いたかった。泣き声に、イヤイヤ期にうんざりしても、熱が下がらなくて大変でも、くたくたになりながらもう一度家族で赤ちゃんを育てたかった。全部、あと少しだった。もう少しだったのに、全部失ってしまった。悔しくて悔しくて、このまま終わることができない。
何のために授かったのか。どうすれば失わずに済んだのか。
自分のエゴで家族に迷惑をかけてでも、もう一度リスクを承知で子どもを望むか。足るを知り、諦めて日常を受け入れるべきか。
どんなに答えが決まっていても。
迷うことをやめられません。
「胎児は人間じゃない」というならその辺のおっさんに殴られて流産しても別に殺人ではないという当たり前の事実を受け入れなきゃいけない(キリッ
いやいや、実際に殺人罪にならねえよ
事実だっつうの
だっさいなあ
実際殺人罪じゃないっていう
日本において、妊娠中の女性に対して暴力を振るい、故意に流産させる行為は犯罪とされます。具体的には、刑法において「堕胎罪」や「傷害罪」として処罰される可能性があります。
日本の刑法第212条から第216条には「堕胎に関する罪」が規定されており、自己堕胎や他者による堕胎行為が違法とされています。具体的には、以下のような規定があります:
特に、妊婦に対する暴行や傷害で流産させた場合は、故意にせよ過失にせよ「傷害罪」や「傷害致死罪」に該当することがあります。これは胎児が法的に「人間」かどうかという問題とは別に、妊娠中の女性やその胎児に対する保護が強く認められているためです。
したがって、日本においても、胎児が人間でないという理由で流産させても問題がないという考えは法的に通用しません。流産させる行為は厳しい処罰の対象となります。