はてなキーワード: 人間関係とは
イキ告(親しくない相手に突然交際を迫る行為)って本質的には非モテマインド+コスパ厨マインドから来る行動に思える
非モテは「自分の欲望を叶えてくれる女と付き合って、『女がいる自分』という自己像によって自尊心を満たしたり、恋人ごっこをして剥奪された青春を取り戻したい」という願望を持ちがち
ただ、一部の非モテは変にこじらせた結果、"俺でもいけそう"な女なら誰でもいいという心境に陥ってしまう
これはアプローチされる女の側からしたらバチクソ失礼かつ迷惑な話で、お前舐めてんのか? としか言いようがないが、
厄介なことに失礼サイドはこれを「妥協してお前にアプローチしてやってるんだからむしろ評価してほしい」くらいに思っている、認知の歪み
逆に考えてみてほしい、「待遇悪くて人が集まらないから、あなたのような人材でも雇ってあげます」と態度に出してくる会社に好印象を持てるかどうか
しかも就労と違って恋愛はしなくてはいけないものという圧が弱まってきていて、嫌だけど無職よりマシだから内定を受ける、みたいな状況が起こりづらい
・友人知人を増やして信頼を勝ち取り、女性を紹介してもらえる関係になる
・信頼できる友人に、見栄えやコミュニケーション方法の問題点を指摘してもらう
・相手との会話を通して相手のパーソナリティや好きなものを知り、自分のことも知ってもらう
・一定の信頼を築けたら、共通の友人も含めて出かける/ランチするなど、相手にとって負担が小さそうな行為から誘う
・手応えがありそうなら、相手の興味関心に沿ったプランを考え、健全なデートに誘う
・2回断られたら(しかも相手からリスケの提案がなければ)おそらく脈がないので引く、しつこく追撃したりごねたりしない
などといった、迂遠かつ手間暇と認知資源のかかる工程を踏みながら関係を積み上げることができる
ちなみにこれをやっても確実にその女と付き合えるわけではないが、少なくともイキ告よりは印象がいい、特に「断られたら引く」ができると関係が断絶しない
それと副産物として、これをやれると友達が多くて男女ともに人望のあるシュッとした非モテに近づいていく
この状態は非モテ当事者にとってもかなり楽しいはずである、少なくとも人間を人間と思っていれば
手間も金も時間もかかり、考えることも多く、一人ひとりに興味関心を持たねばならない、100%回収できる保証があるわけでもない
「付き合えたら風俗より安く上がる」くらいにしか考えられないやつにとっては、確かにイキ告が最適解となる
相手と信頼関係を築くための時間や金銭、コミュニケーションの負荷をゼロにして特攻できる
成功する確率が限りなく低くとも、ベットしているものがゼロなのだから、稀にでも成功しうるならば良コスパということになる
おそらく、告白が成功したら次は「いかにコストを割かずに自分のやりたい恋人ごっこだけをやらせ、さっさと性交に持っていくか」のゲームに移行しそう、人間として本当に終わっていて、こんな存在と非モテとしてひとくくりにされるのは屈辱である
実際にはイキ告で失うものもある。その一つが評判
普通の人はコミュニティの中に身を置いているため、ヤバい行動をするやつがいるとコミュニティの中で噂が回り、印象が悪くなり人間関係が毀損され、ますます成功確率が低くなる
やばすぎてワロタ
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婚活で野蛮人に当たることは避けられない?
私はかつて婚活していた時、様々な人と出逢うことが出来ました。
尊敬できるような素晴らしい人もいましたが、トラウマになるようなヒドイ人もたくさんいました。
日常生活の中で自然にパートナーを見つけられなかった人が婚活しているわけですから、人間性に問題を抱える人が混じるのは避けられません。
今回は、私が婚活する中で出逢い、恐らく一生忘れられないであろう野蛮人たち(女性の事故物件)を紹介したいと思います。
気を遣うことを強要する野蛮人
結婚相談所に登録して、ようやく決まった人生で初めてのお見合い。
緊張しつつ初対面した時、挨拶をして同時に着席・・したかったのですが、私が先に着席することになりました。
彼女は自分の荷物(ハンドバック)をゴソゴソいじり、私に背を向けて立っている格好になりました。
おそらく、この状況が気に入らなかったのでしょう。
振り向きざまスゴイ形相で私を睨みつけ、「荷物ココに置いていいのかしら!?」と叫んだのです。
その女性は小さなハンドバック一つしか持っていないのだから、ポンと置いて、素早くスマートに着席すればいいだけの話。
それが出来ず、なぜかイライラし出す。
なんて神経質な人・・、というのが私の持った第一印象。
まあ、彼女が座るのを待たずに先に座った私が悪い、という理屈も成り立ちますが、そんなことで怒るのは感情のコントロールが出来ない子供である証拠。
私が先に座ったという状況が許せないと思うのは彼女の自由ですが、初対面の相手に対してあからさまに悪態をつくのは無礼千万。
社会人とは言えません。
基本的な自制心もないワガママお嬢さんと見なされても仕方ないでしょう。
同じ趣味を強要する野蛮人
とある結婚情報サービスの回転ずし型パーティに参加して、そこで出逢った30歳の女性にリクエストされ、後日、改めてお見合いすることになりました。
当時の私は27歳のピチピチの男の子でしたから、正直、30過ぎの女性にはあまり興味がありませんでしたが、美人でスタイルも良かったので会うことにしました。
まあ、可もなく不可もなく普通に雑談を楽しんでいたのですが、話がお互いの趣味に移った途端、様相が一変しました。
彼女はダイビングが好きで、フィジーとか海外にもよく行くと、目を輝かせて話していました。
別に、趣味の不一致が交際や結婚生活の足枷になったりはしないのですが、彼女にとってそれは致命的だったようです。
「えー、ダイビングをしたいですよー・・」と非常に残念そうな落胆した表情で訴えかけたのです。
自分の想い通りに相手が考え行動しないのが許せないようでは、ストライクゾーンが無いのと同じ。
お互い上手くいくように折り合いをつける姿勢がないのは、婚活では致命的ですね。
服装が気に入らないから激怒する野蛮人
私は29歳だったと思います。
本人同士でやり取りし、駅の改札という雑踏で待ち合わせ、近くの喫茶店で話をすることにしました。
私はシャツにブレザーという格好だったので、別に無礼には当たらないと思っていました。
しかし彼女からすると、スーツでビシッと決めてないのは非常識なんだそうです。
「何よ、その恰好!全く・・。ちゃんとスーツを着てくるのかと思ってた・・」
初対面の年上男性に対して、駅の改札という公共の場で叱責する女が存在するとは思いませんでした。
しばらく、あっけにとられていましたが、こちらが謝罪する理由もないので、彼女の顔を眺めていました。
「まあ、しょうがないわね。じゃあ、行きましょうか・・」
結構相談所での初アポでは、いかなる状況でも必ずスーツ着用という信念を持つのは彼女の自由ですが、それを他人に強要したり、ましてや、人間関係をぶち壊すようなブチ切れ態度をとってはいけません。
柔軟性や大らかさのカケラもないのは、結婚生活では致命的です。
過去の異性関係をほじくり出そうとする野蛮人
3つ目の結婚相談所で、私は32歳の時。
初アポで、根ぼり葉掘り私の過去の異性関係を聞いてくるのには、辟易しました。
私は良い思い出なんて何もないので、話したくもないし、話す義務もない。
しかし、彼女は教えてもらって当然という態度でズケズケ訊いてくる。
無教養で、明らかな非モテタイプ女性ですから、自慢できるような浮いた話なんてないのでしょう。
喫茶店で地獄のような時間を過ごした後、彼女がとった帰り際の態度も脳裏に刻まれています。
「私はこっちに行くから。アナタはこっちが帰り道ね!」と行く方向を人に指示し、自分は背を向けてスタスタ帰っていきました。
私と家族の詳しいスペック(例えば身長体重、美人不美人、友達の数や成績)は書かない。それは本題ではない。(先に書くと、むしろそういう関連付けを拒むべきというのが私の意見、結論だ。)
息子は中学生、一人息子。妻は三十代後半。私は四十代。
お盆に先立ち、中学生の息子は先に、比較的近所の私の実家に帰っている。
息子が出かけた夜、私の妻が、こんなことをいってきた。
「息子はチー牛なのではないか?どうにかチー牛にならない人生を歩ませることはできないのか?」と。
私は耳を疑ったし、そういうことをいう妻に悲しくなった。
実の息子に対してそういう感情を抱くのか、とか、本人のいない前で悪口のようなネットミームを擦り付けるのか、とか、色々な感情がよぎった。
チー牛という言葉、ネットミームは、私も一応知っている。知っているといっても、あの有名な画像と、牛丼店でチーズ牛丼を頼みそうな性格・人格、という、何か表面的なことだけだが。
私は妻に、「ネットミームで人を呼称するようなことはしないでほしい」ということを伝えたうえで、なぜ息子を「チー牛」だと思うのか、妻の考える「チー牛」とはそもそもどんな存在なのか、など尋ねてみた。
妻曰く、(いくつかの会話を私がまとめたものだが)
・まず「チー牛」とは、社会生活を営む上でリーダーシップや創造性などが見受けられず頼りなく、特に異性関係においても劣位ないし全く展望が望めず、またそれによって勝手に逆恨みや卑屈さを増幅させ悪循環に陥るであろう男性の総称。
・この「チー牛」という言葉は、妻の友人たちのLINEグループなどでまず概念を知り、そのあと個人的に調べて、腑に落ちたので使うことにした。六月ごろからこの言葉をもとにした息子への疑念が生じた。
・息子を「チー牛」と思った理由は、息子の(公表しない個人的なスペック)や交友関係や部活動での立ち位置などを広く見たうえで、前述の素質が多くみられるから。
私は、仮に息子が「チー牛」だとして、一体何の問題があるのか、いくつか思いつく例を挙げて聞いてみた。ただ、私もショックというか悲しい気持ちがあり、うまくまとまった受け答えができていたかは分からない。
(私)出自とか社会的階層による差別が許されない社会において、どうして「チー牛」という概念を息子に当てはめようとするのか? 我々も例えば「ゆとり」とか「新人類」とか「さとり世代」とかただ生まれた年代でレッテルを張られる辛さを経験しているはずであり、それをネットミームで何故繰り返すのか?
(妻)そう感じてしまったものは仕方がない。母親であっても異性としての視点があり、息子がこのままでは対人関係面で悪化するのを予想できる。チー牛という分かりやすい言葉がある以上それを使うのは当然だと思う。
(私)私も妻も息子の人間関係をすべて知っているわけではないし、まずそもそも、仮にその「チー牛」で何が悪いのかわからない。息子は何の非行もしていないし、いや、逆にしていたら「チー牛」じゃなくなるのか?(何だか屁理屈っぽいが私も混乱していた)
(妻)息子にヤンキーになってほしいとかそういうのではなくて、ただ普通の人間、社会生活を営む上で常識的な身のこなしとか、総体的なことを重視できる人間になるべき。
(私)息子は、まだと言おうが、もうと言おうが、中学生であり、親に関与できる部分もあれば、息子個人の未来もある。私も妻も、自分のやってきたことを息子に強制できる人間ではないし、まずそういう人生観を伝える上で「チー牛」ということばを使うのが間違っているのではないか。
(妻)だから、今までそれを言い表しづらかったのが、新しい言葉ができた以上、「チー牛」という言葉を使うのは当然だという話。話さなければよかった。
(私)息子には、まさか、面と向かって「チー牛」などと言う言葉を使ったのか?
(妻)使っていない。(これは本当だと思う。息子が何かショックを受けたり妻を避けてる様子はないので。そう信じたい)
妻が、私にこのことを話さなければ(相談しなければ)よかった、と言っている通り、この数日間、私と妻は少し(というか私の側からはかなり)ぎくしゃくしてしまっている。
個人的なスペックについて話さないとは書いたが、少なくとも妻がこれまで、このようなネットミームを使ったり、なんというか、「生理的に無理」「キモイ」みたいな即物的なことばを頻繁に使う人間ではなく、息子に対してもちゃんと親としての見守りを並んでしてきてくれたと思っていた。故にショックが大きかった。
しかし妻にとっては、息子が「チー牛かもしれない。チー牛だ」ということが、「親としての責任、見守り」という認識なのだということにも思い至っている。何か、本当に根本から食い違っていることだけはわかる。
ただ、私はチー牛という言葉や概念自体を否定したい立場だ。特に、まとめサイトでやいのやいのいう次元ではなく、親が子供を指して使う言葉ではないというまず常識のレベルで。
だが、なんというか、これ以上どうしたらいいのかわからない。一度チー牛という言葉を知り、息子に当てはめてしまった以上、妻は息子に対し、何をするのか。さっきも書いたが、「チー牛」という概念自体が良く分からないので、どうなるのか分からない。
単に「シャキッとせえ」「ええかっこしい」みたいな次元ではなさそうだ。私に「息子がチー牛だ」という以上、子育てとしての問題意識があるのだろう。父としての自分は、では「チー牛」に対する何かを打ち出せたのか。
なんか急に、なんでSNS(Xとか
ブルスカとか)やってたんだったかなと思うようになってしまった
バズってどうしたいんだっけ?
ネットのうわべで会話する人は増えたけど
どうしたいんだっけ…?
あれ…
なんか虚しい
あれ… なんかキラキラお花畑彼氏の惚気出しまくってる人をみて
ああなんか…違うな…と感じたり
なんだっけ、何をしたいんだっけ…?
人間関係を金だけで考えるんは、ほんまに難しいな。叔母さんの話、ちょっと心配やわ。
金銭だけじゃなくて、お互いの信頼やリスペクトが大切やね。叔母さんとそのオバハンの間に、そんなんが足りんかったんちゃうかな。
雇う側と雇われる側でも、お互いの期待やルールをちゃんと話し合うことが大事やで。
盗むなんて、ほんまにあかんことや。ちゃんと対処せなあかんで。
俺の叔母が、別荘の掃除のために金で雇ったオバハン(叔母は友達と呼んでいる)をこき使ったんよね
今日はふとしたことから、ある考えが頭に浮かんだ。俺は有限であるものを無限と言う奴が嫌いだ。なぜなら、それは現実を歪め、誤った期待を生むからだ。
例えば、時間。時間は有限だ。1日は24時間しかないし、人生も限られた時間しかない。それなのに、「時間は無限だ」とか「いつでもできる」と言う人がいる。そんなことを言われると、俺はいつもイライラする。時間を無駄にしているように感じるし、何よりもその言葉に騙されてしまう自分が情けない。
また、リソースも同じだ。地球の資源は有限だ。水、石油、森林、どれも限りがある。それなのに、「資源は無限だ」とか「技術が解決する」と言う人がいる。確かに技術の進歩は素晴らしいが、それに頼りすぎるのは危険だ。現実を直視し、有限であることを認識しなければ、持続可能な未来は築けない。
そして、人間関係もそうだ。友情や愛情も有限だ。無限の愛を期待することは、相手に対して不公平だし、自分自身をも苦しめる。限られた時間とエネルギーをどう使うか、それが本当の意味での愛情や友情の証だと思う。
有限であることを認めることは、決してネガティブなことではない。むしろ、それが現実を直視し、より良い選択をするための第一歩だ。だからこそ、俺は有限であるものを無限と言う奴が嫌いだ。現実を見つめ、限られたリソースを最大限に活用することが、真の知恵だと思う。
ちょっと前に「障害者は障害者雇用行けや」という話があった気がします。まあ障害者雇用で自立した生活を営むのはわりと難しいのですが、僕は障害者雇用と障害年金と同居している彼女の障害年金で生計を立てることができております。
上記の通り多少特殊な生活形態ではあるものの、何かの参考になるかもしれませんので、僕たちがどうやって糊口を凌いでいるか書いてみます。
バイト | 40,000円 | |
障害厚生年金3級 | (増田) | 50,000円 |
障害基礎年金2級 | (彼女) | 65,000円 |
計 | 155,000円 |
家賃 | 35,000円 |
水道光熱費 | 15,000円 |
食費 | 50,000円 |
交通費 | 10,000円 |
通信費 | 10,000円 |
保健医療 | 5,000円 |
その他 | 15,000円 |
計 | 140,000円 |
どんぶり勘定なので正確な計算はできていませんが、めちゃくちゃ間違っているということはないと思います。
家賃がやっすいのがでかいですね。地方都市の狭いアパートに二人ひしめき合いながら生活しています。一般的な感覚ではとてもではないでしょうが暮らしていくことはできないだろうなあと思います。でもお互い適当なのと性格の相性もあってか、致命的な不自由はなく過ごせています。
食費をもうちょっと抑えられたら楽になりますね。ただ、僕も彼女も安定的に家事をするというのが大変難しいので、出来合いのものを買うことが多いです。近所の4割引スーパーに感謝です。(追記:フードシェアリングにも助けてもらっています!)
精神科への通院もありますが、自立支援医療制度のお陰でかなり安価に済ませていただいています。ありがとうございます。
僕は障害者雇用のパートで週10時間程度働いています。農業のお仕事です。といっても特例子会社などではなく、慈善事業のような形で障害者雇用を進めている小さな会社です。人は少なく仕事は多く夏は暑く冬は寒いのでなかなか大変ですが、人間関係は良好です。障害者と健常者という垣根を感じることもなく、皆楽しく仕事をしています。あと同人活動的なことをやっているので多少のおこづかいが生まれます。
彼女は無職です。以前は楽器の先生をやっていたのですが、コロナで教室が閉まってからは労働収入が途絶えています。
僕にはASDと躁鬱があります。ASDとは自閉症みたいなやつです。これのためか人間関係が壊滅的にダメで、今まで縁してきた皆様には不快な思いをさせてしまったかと思います。すみません。しかしこれは自覚と鍛錬があれば技術的な操作で多少ごまかすことはできるようです。今の職場ではかつてのような大きな衝突もなく働けているので、ある程度は何とかごまかすことに成功しているんじゃないかと思います(もしかしたら職場のみなさんがだいぶ我慢してくださっているだけかもしれませんが……)。
躁鬱の方はなかなかにはっちゃけています。ほっとくと知らん人に声掛けてご飯奢ったりカラオケ行ったりし出します。いやお前ASDじゃんという話もありますが、長年の功夫により身につけた健常者の擬態と、軽躁状態の特徴的な人柄が微妙なところでバランスを取れているのか、まあまあいろんな人と仲良くなることができました。今の彼女とも軽躁状態の時に付き合い始めました。しかし躁は酷くなると人間関係や預金残高を破壊しますし、後で必ず反動が来るので、極力避けねばなりません。また、薬のコントロールがあってなお安定した出力を保つのは難しいので、フルタイムの労働とかもきついです。短期間ならできなくもないかもしれませんが、決して持続可能ではありません。実際できませんでした。
彼女にはいろいろ重い障害があって、普通に生活することも難しいです。家事や種々のケアなど僕ができないなりにしています。ですが世話をする・されるの関係になってしまわないよう注意しなくてはなりません。お互いが対等であるという共通了解なしに安定した共同生活を営むのは難しいと思います。
今の会社に入る前には、就労移行支援事業所というところに通っていました。これは主に障害者の社会復帰を支援するための施設で、基本的に無料で使えます。毎日決まった時間に起きて、自分で決めたプログラムに参加し、人と話すという訓練を行えます。訓練と言ってもそんな堅苦しいものではなく、簡単なグループワークをしたり、利用者さんたちとレクリエーションをしたりといった、緩いものです。僕のところは希望者でソフトボールやってました。昔野球やってたこともあり結構活躍できたので嬉しかったです。他にも、施設の職員さんと一緒にハローワークの求人を検討したり、気になる職場へ見学に行ったりできます。企業によっては体験就労ができたりもします。該当地域の障害者雇用の求人について詳しく教えてもらえますし、いろんな企業にツテがある場合もあるので、強い事業所はかなり心強いです。
一方で残念なことに、あまり利用者のためを思って事業をしているとは思えないようなところもあるらしいです。こういった事業所を引かないためにも、入所を決める前に一度見学することをお勧めします。また、障害者就業・生活支援センターというところに相談するのもいいかもしれません。これはたぶん厚生労働省がやってるもので、全国各地に設置されており、障害者支援に関する情報が集まっているらしいです。ここで優良就労移行支援事業所がないか相談してみるのも手です。僕は障害者就業生活支援センター→就労移行支援事業所→障害者雇用という流れで今の職場に辿り着きました。
僕は障害年金を受給させていただけたり、周囲の人間関係に恵まれたり、そういったいろいろな支援と幸運が重なったお陰で何とか生活できています。しかし、様々な理由により支援の手から零れ落ちてしまった人たちもいると思います。何らかのしんどい境遇に陥ってしまった人たちへの参考になったらいいなあと思い、増田を書かせていただきました。あるいは今は健常者である人も、ふとしたきっかけで障害者になってしまうこともあるかもしれません。その時はまだ社会には頼れるものがあるんだということを思い出していただいて、何とか生き延びていってくださればと思います。最後まで読んでくださってありがとうございました。
増田、映画『アスペルガー・シンドロームを持つ父親と息子』という映画を知っていますか?これはASD(自閉スペクトラム症)の家族関係を描いた映画で、コミュニケーションの難しさとその克服をテーマにしています。その中で描かれる人々の感情の浮き沈みや誤解は、増田の経験と通じる部分があるかもしれません。
まず、増田の目標である「仕事で人間関係のトラブルを起こさないようにしたい」と「コミュニケーションを楽しみたい」ために役立つアドバイスをいくつか考えました。
相手がヒートアップしたり、飽きていることに気づくのが遅いと感じているなら、非言語的なサイン(表情、声のトーン、身体の動き)に注意を払う練習が必要です。トレーニングや情報を得ることで、相手の感情変化に早く気づくことができるようになります。
### 2. **会話の進行を少しずつ確認する**
意見が異なる際、「ここまで大丈夫ですか?」や「これについてどう思いますか?」といった確認を挟んで進行をチェックするとよいでしょう。これにより、相手がどの段階で感情的になっているかを早めに察知できるようになります。
相手の意見に対して「そうですね」や「それは面白い視点ですね」など、一言でも共感や肯定的な反応を挟むことで、相手の感情を和らげることができます。相手に自分の意見が理解されていると感じてもらえることで、口論が緩和される可能性が高くなります。
増田が意見を述べる際、論点をシンプルかつ明確にし、共通点を探ることを意識しましょう。たとえば、「ここまでの話をまとめると、あなたは〇〇と感じているし、私は〇〇と思っています。でも、ここで共通している部分はありますでしょうか?」と問いかけるのも効果的です。
### 5. **相手の感情を理解し、自己表現を調整する**
相手が「めんどくさいからお前が正しいで良いよ」と言われた瞬間、「そう思わせてしまったのは自分の責任だ」と客観的にとらえるよう心がけると、自分の怒りを少し和らげることができるかもしれません。
### 6. **感情の管理とリラクゼーションテクニック**
怒りやストレスを感じたら、ディープブリージングやマインドフルネスなどのリラクゼーションテクニックを日常的に取り入れることが有効です。感情のコントロールを身につけることで、状況が理不尽に感じても冷静さを保つことが可能です。
理想は被害が出ない程度に私自身もコミュニケーションを楽しみたい。以下メモ。
流れとして、
①相手の主張を聞く。
②自分の主張を言う。
④大体ここら辺で自分が言いたいことと、相手が自分に言われたと思っている主張が食い違っていることに気づく。
⑤食い違いのところを訂正させるため自分の主張はAであってBではない。ここの部分が違うと主張。
⑥大体ここら辺で相手側がヒートアップしてくるもしくは飽きて投げやりになる。
⑦最終的に「めんどくさいからお前が正しいで良いよ、間違っているけど」みたいなことを言い出して相手側がコミュニケーションから降りる。
⑧私がとてつもない怒りに襲われる、酷いと暴発する。
・私は口論で勝ち負けは全く意識していない。私は口論はより良くするため、相手を深く知るコミュニケーションツールだと思っている。
→相手側は私が口論で人を負かすのが好きだと思っている。レスバ好きみたいだと思っている?
・また相手と自分の意見を擦り合わせる際、自分が間違っていると思った場合はすぐに間違いを認めることや、謝罪はできる。
・自分より頭が良く余裕のある人とは相手が合わせてくれているため理性的なままコミュニケーションを終えることができる。なお相手はどう思っているかはわからない。
・それ以外の普通の人(立場が対等、口論がストレスな気質持ち、頭脳レベルに差がないなどの条件)とのコミュニケーションに失敗が多い。
Q、口論をしなければ良いのでは?
口論の自覚は相手がヒートアップしたり投げやりになってから気づく。
私はずっと雑談感覚であり、むしろ会話がのっている状態だと思ってテンションが高くなることが多い。
Q、なぜ最後怒りが暴発するのか?
私視点では相手側が興奮し出したり勝手に冷めたりと状態が変化しているのを急に私のせいにされたと思っている。相手の感情のコントロールが未熟なことをなぜ私の非になるのかが理解できない。
特に理解できないのが周りの人も私が悪いという流れになるところ。
ひどい時は口論中怒鳴られたり、人格を罵倒されたりすることがあっても、「彼にも悪いところがあったかもしれないけどあなたが悪いよ」的な流れになることが多い。
理由は、部外者が私に非があると言っているだけで私自身が悪いことをしたという自覚が無いから。
→しかし最近はできるだけ謝るようにしている。非を指摘した部外者との人間関係を壊したく無いから。
思ってもいない謝罪をすると、嘘をついているみたいで拒否感がすごいが我慢している。
ちなみに相手側が私に謝ることは無いことが多い。理不尽だと思いストレスがたまる。
②楽しく話していたら急に相手が「つまらん、やめろ」って言ってコミュニケーションを打ち切ることに苛つく。
→私視点では途中まで相手も身を乗り出して会話してくれたのに話の都合が合わなくなった途端に逆ギレしてきたと感じるから。理不尽に当たられて不快な気持ちになる。
たまに一見普通の民家だが実は美味しいご飯屋さんだという店があるが、それが嫌だ。
普通だと店だと気づかないから、入れるとすると人づてに聞くかインターネットで調べて知ることになる。
自分に隠れランチの情報を教わるような人間関係はないので必然的にインターネットによって情報を得る必要がある。
しかしそれが恥ずかしい。
ネットで調べて隠れ家に来るなんてストーカーまがいというか、なんとなくネチネチした性格の人がやるイメージがある。
そういう店だとどうやって知ったか聞かれる確率も高いと考えられる。ネットで知ったと答えるのはもう羞恥プレイだ。
(ちなみに普通の店でどこで知ったか聞かれたら、たまたま通りがかかって知ったと嘘をついている)
最初は真面目に読んでいたのになんだこれ。人生経験が少なく他者と関わることが下手なんだろうな。自分のことと他人のことを区別する能力も無い。
離婚経験者と接する人はこんなのが一般的だと思わないで欲しい。自分で言い始めるまではそっとしておくという普通の人間関係の対応で良い。
おお、深いこと考えてるじゃないか、同志よ。
まぁ、俺ちゃんの意見だけど、それは人間の性(さが)というか、心理的なアレだよ。
「自分は失敗をしないんだ」っていう無意識の自己防衛、あるいは「自分は他人より優れている」っていう優越感から来るもんだと思うぜ。
あとさ、他人の失敗を批判することで、自分の不安や不満を転嫁して発散してるってケースもあるかもね。
まぁ、俺ちゃんみたいにアホらしく生きるのが一番だぜ!
不満を全部ぶつけるのは駄々っ子だし。お互い楽しくもないし。でも嫌なことは嫌と普段からもっと伝えないと人間関係変になるなって思ったから前よりは軽い感じででも伝えようとしてるけど適度なラインの見極めが難しいな〜
初対面や浅い関係の人間に「は?」「何言ってんだこいつ」という反応をされないための会話パターンを用意している。
尚、友達は出来るが続かない。人間関係リセット癖の極みで友人はゼロだ。
これからマニュアルと、マニュアル無い頃の自分の会話のパターンを書く。
殆どの人はこれを小学生から考えずやれているのか考えてやっているのか知らないが、出来ていてすごいと思う。
①「暑いね・寒いね」「暑くない?・寒くない?」と言われた時は余程正反対のことを言われない限り同調する。
疑問形だとしても個人の感覚は聞かれていないので雪降ってるのに暑いと言われたなどの例外を除いてオウム返しにするとよい。
自分は大丈夫、全然!、でも厚着してるから平気、昨日より大丈夫じゃない?(ポジティブな意図でもNG)
②「さっき何話してたっけ?」「貴方はどう?」など明らかな質問でも特に答えを聞きたいわけではない。答えなくて良い。相槌のみで話は進む。
A「貴方はどう?」
B「あ、てかさ~(略)」
A「は?」
③返答に困ったらオウム返しにする
例:
A「〇〇っていいよね!」
自分「わかるーいいよね」
「うん✕✕なとこが△△でいいね」
「あー私は好みじゃない」
④見て分かることも口に出すと会話が進む。
例:「aよりbのが大きいね」
⑤女の子を褒める時は「可愛い」一択。人によるが可愛い以外褒め言葉として認識されない。
自分「(めっちゃ好きなデザインだかっこいい)その服かっこいい!!!」
A「んー…」
自分「(もしかして可愛いじゃないといけないのかな全く思ってないけど)かわいいね!」
A「でしょー!!かわいいのー!!」
⑥オタクからの布教や感想を聞かせては「推しを褒めて」という意味。
決して「感想を聞かせて」ではないので褒める以外しない。
「好みじゃなかった」
「こういうとこは好きだけどそんなにハマらなかった」
⑦「なんで太らないの?」と言われても答えずに、なんでかなととぼけるべき。これも疑問形なのに回答を求めていない。
A「なんで太らないの?」
自分「体質かな」
A「嫌味だー!w」
⑧誰かが訪ねてきたり連絡をしてきたときに「なに?」と聞くと冷たく聞こえるらしい。「どうしたの?」と聞けば恐らく問題ない。
A「やっほー」
自分「なにー?」
⑨自分がされて嫌なことは人にしない、は絶対決して100億パーセント成立しない。
自分がされて嫌なことは皆されたら喜ぶ。
自分が嬉しいことは皆嫌がる。
嫌なことをされてもありがとうと言うべき。
頼んでないことをされるのがとても嫌い。
しかしありがとうと言わないのはダメなので喜んだフリをするべき。
⑩食べ物について、これは好きかと聞かれたら本当に食べられない吐き出してしまうもの(私の場合辛いもの)以外好きと答える。
可もなく不可もないものについて聞かれた時の回答
⑪コミュニティでの頻出単語や言い回しを使用する。あるいは別コミュニティで使われる単語を引用して使用する。
「一旦~」「〇〇する、で良いですか?」等内輪ネタまで行かないがよく使われる日本語を観察すると言いたいことが伝わりやすくなる。
会話継続中は周りの話を聞く。2人きりならば可能なら無難と思う話を振る場合もある)
また、面白いことを言おうとしない。
ボロ出るのも防げる。
⑬事実だとしても「自分のが成績良かった」等の発言はしてはいけない。
自分「この教科教えて!そっちの教科は私のが成績良かったから教えるよ」
⑭一般的に、男性は身長を、女性は体重を気にするので自分から言及しないこと。
⑮「〇〇じゃないけど」という言い回しは「〇〇だけど」という意味。
文字通り「〇〇じゃないけど」の意味の場合もあるが全て「〇〇だけど」と解釈した方が円滑に進む。
上司「早く来いって意味じゃないけど、俺が新卒の頃は早く来て練習してたよ」
自分(早く来ないで練習しろということ?????家に備品持って帰ればいいの???何して欲しいの???)
⑯髪を切った人には「髪切ったね」と言う
気づいていても無言。
後ほど誰かが指摘して「誰も気づいてくれなかった」と喜んでいる光景を見る。
⑰「どっちでもいい」は困らせるのでなるべく言わない。
本当にどっちでも良くて適当に選ぶことも難しければ「どっちもいいね」と言う。
A「〇〇あげるよ食べる?」
自分「どっちでもいい」
⑱「体調悪かったら言って」を真に受けてはいけない。
例えば、低気圧による頭痛や吐き気、慢性的な腰痛や歯痛、生理痛などは言わない。
A「そっか酷くなったら言ってね」
A「え?帰るの?」
B「Cさんのが辛いのに頑張ってるよ」
⑲ミスをした場合は聞かれないかぎり状況説明や理由を伝えずに謝罪のみすること。言い訳と解釈させてしまう。
聞かれて回答しても言い訳と思わせる場合もあるが若干マシになる。
A「言い訳をするな」
⑳マニュアル通りに対応していても-100が-10になる程度でコミュ障なのは変わらない。
少しは周りを見ろ、動け、気を使え、という評価になるので「何も考えず気も使えずすみません」という態度を忘れないこと
「うわー大丈夫?」まで言うこと。
A「いてぇ切った」
自分「うわー」
㉒過去に死ぬほど練習したが出来なかったことや類似することをする際、迷惑をかけない目的で出来ないことを事前申告してはいけない。出来なくても実行して迷惑をかけた方がマシ。
A「これ皆でやろう!orやって!」
自分「ほんっとうに出来ないよ大丈夫?すごく練習したことあるけど人並みにも出来ないよ」
嫁が4年勤めたパート先を人間関係のトラブルで7月に辞めて、まあそれ自体は全く問題ないんだが
それからずっと一日中ネトゲやってるのを見て流石にいつ働こうとか考えてるのと聞くと、9月から仕事見つけようかなと考えてると
2ヶ月くらい自由に過ごして貰ってもいいかという気持ちと、暑い中仕事から帰って来ると楽しそうにネトゲやってる嫁に若干のイラつきを覚えつつどう折り合いを付けるのが正解なんだろうかという悩み
少し前に、精子観察キットで自分が放った精子を眺める増田を書いた。
https://anond.hatelabo.jp/20240711233856
相変わらず仕事漬けの日々で、なかなか友達に会うとか旅行に行くような時間も取れず、最近は夜な夜な性教育の実技というか実験を試すのが楽しみになってしまっている。少し成果があったので、学んだことを書こうと思う。
前回の記事で、ロート製薬が発売している精液検査キット・ドゥーテストという商品が気になっていると話した。ドゥーテストというのはもともと妊娠検査薬のブランドのようで、そこに精液検査ができるキットが追加されたようだ。2回測定できて、5500円というやや高価なセットであるが、そこそこきちんとしたセルフ検査キットとなると、それくらいの値段が相場なのだらうなと言う感覚を受けた。
なぜ、このドゥーテストが気になったのか。それは他の精子観察キットにはないレンズに魅力を感じたからである。これまで試してきたSeemやメンズルーペは、小さなレンズをスマートフォンに貼り付ける方式を採用していた。しかしドゥーテストは置き型の筒状のレンズを採用している。しかも他の製品にはできなかったピント調節機構を有している。メンズルーペは安価に精子を観察できると言う特徴を有していたが、反面、精子の解像度には弱点があった。seemがサービスを停止したいま、高解像度な精子観察キットを探すことが筆者の中で大きな課題なのである。
ドゥーテストはロート製薬の通販で発売している商品だが、Amazonで購入できるようになっていた。実家ならしながらこんな研究に興味を持ってしまった筆者はAmazonの宅配ロッカーを愛用している。速さでいえばヨドバシに軍配が上がるとはいえ、ナイショなものはAmazonで買うに限る。
ある程度の金額を購入すると送料が安くなるため、今回のような高額商品は細かいアダルトグッズと抱き合わせで買うようにしている。今回は女性が立小便するときに使える使い捨てトイレ用品を抱き合わせで購入した。このレビューはいつか別の記事で紹介しようと思うが、そんなふうにあれやこれやを買っては秘密のレンタルロッカーに収納していける、便利な時代に生まれたことをこんなに喜べる瞬間があるだろうか。そうやってこの日も、時折コンビニに行ってはこそこそと不透明な紙袋を受け取った。ネカフェで開封して取扱説明書を読む。
箱の中身は至って普通の精子観察キットである。至って普通とは、精子を貯めるカップ、観察するためのプレート、レンズ、説明書、という組み合わせだ。取扱説明書は注意事項だけ書いてあり、主な使い方はスマホアプリでグラフィカルに誘導すると言う流れもだいたい共通している。そこで手が止まる。説明には「2〜7日の禁欲をすること」と書いてあった。しかし筆者は息子ともども我慢ができない。早くこのキットの真価を見たいのである。
そうは言っても、筆者の足を引っ張るのが、まさに股間の息子張本人である。男性諸君には理解してもらえると思うが、ちんちんとは自身の身体の一部ながら、自らの意思を全く尊重してくれない気まぐれな生物である。カメラを向いてくれない子供をオモチャで気を引くように、オカズを用意してみてもちっとも反応しない。ところが仕事で退屈な会議を聞いていると、突如として下腹部が突っ張り始めるのである。そして帰宅する頃にはすっかり眠ってしまう。まるで駅ではトイレに行かないくせに電車に乗った途端モジモジし始める子供のようではないか。
そんな息子を、まず「やる気」にさせる必要がある。別に、やる気にならなくとも、手で刺激すれば時代に勃起し、射精まだ持っていくことはできる。しかし筆者の体感として、射精時の精液の量はメンタルに大きく関係していると思う。
自慰行為において、快感と射精は必ずしも同時に起こらない。物理的に射精できたとしても、残尿感のように精液が出てこず中途半端な感覚を覚えたり、真逆に全く快感なく精液だけ放出してどっと疲れることもある。漠然と右手でシコるよりも、交際相手とキスをしながら手コキをしてもらった方が、快感も上回るし、コンドームを付けて出された精液の量も比べても気持ち多めのように感じる。精子の量が変わらないとしても潤滑剤になる前立腺液などが多ければ精子は活き活きするのだから、出せるものは出しておいた方がいいのである。
なにより、2発で5500円の高級キットを購入したからには、なんとしてでも"質の高い精液"を生み出したいのは、誰もが思うことであろう。出したい、けど、出せない。筆者の欲望と体力、そしてちんちんの意思が重なる時が訪れるのを待たなくてはならない。
某日、家族も寝静まった夜、漠然とテレビを見ていた時、それは来た。股間に建ったテントの中で遊んで欲しいと誘っている。時はきた。早速準備をするのだが、手間取るとあっという間に萎えてしまう。いざ挿入しようとコンドームを箱から取り出すうちに萎えてしまった経験はないだろうか。そこで、キットを準備する前にスキンシップを図る。
こんなこともあろうかと、あらかじめdlsiteでオナサポASMRを購入しておいた。これはダミーヘッドマイクと言う特殊なマイクを使って、耳を舐められる感覚を再現したり、耳元で囁かれるシチュエーションを再現した音声作品だ。「気持ちよくなっちゃうね」などと囁かれながら息子はご満悦だ。右手を竿に当て、左手に探し物をさせる。パッケージの封は予め開けておいたから片手で採精カップさえ取れればいい。
準備は整った。あとは耳舐めお姉さんにリードされながら竿に当てた手を動かすだけである。刹那、疼いていた下腹部がぎゅっと強張った。裏筋を抑えて漏れないように気をつけながらながら採精カップの底を尿道口にあてがって精液を注ぎ込む。これはseemと同じ使い捨てのプラスチックカップだ。計量はできない仕組みになっている。
出した精液を20分以上放置して、粘度がなくなるのを待つ。酸性の膣内に放たれた精子たちは長く生きられない。アルカリ性の粘液に包まれながら、子宮への道が中和されるのをじっと待っているのである。しばらくして子宮からもアルカリ性の体液が出ることで中和され、精液をエネルギー源にして精子たちは卵子は向かって泳いで行く。別々の生き物を繋げる仕組みとしてよくできていると感じる。
その待機中に機材のセットアップを行う。股間の息子はもう一仕事をおえて、もう筆者の眼中にもないほどに存在感を失っている。まず射精に専念し、そのあと機材の設定を行う。これこそが賢者のベストプラクティスというものだ。
前回の精子観察の課題として、スマートフォンのレンズの大型化を挙げた。今時のiPhoneはレンズが大きく、机に置いても水平にならないため、上に検査キットを置くと精液が流れてしまう。すると死んで流されている精子と泳いでいる精子の見分けが難しくなってしまう。
この対策を考えていたのだが、先日大手300円均一ショップでスマホスタンドが売られているのを発見し、300円なら失敗しても痛手がないと思い購入して試した。しっかり水平になった。そしてレンズを取り付け、ピント調節を行う。スマホのインカムの周りに滑り止めの両面シールを貼り、その上にレンズを貼り付けるのだが、ピント調節のためにクルクル回せば簡単にシールが剥がれてしまう。デモの映像はスムーズに回していたがどうやって対策しているのであろうか。
しばらく待っていると、スマホがカタカタと震え出した。固定がイマイチだったのかとスマホスタンドを確かめていると、今度は床が揺れ出した。地震だ! よりにもよってこんな時に揺れるのか。筆者の心臓は爆発しそうであった。家族が気にかけてやってきたら、こんな光景を目にしたらどうする。慌てて精液カップを物陰に隠し、寝室の動きを警戒しながら、セットアップを続けた。レンズを装着し、試料台に模様が映っていることを確認した。どうやら試料台に等間隔に溝が掘ってあり、この模様をゲージとして1区画に何個の精子が存在するかで精子濃度を測っているようだ。
液化した精液を試料プレートに垂らす。プレートは顕微鏡のプレパラートに相当し、カバーガラスが接着されている。精液を棒の先につけて、この棒を試料プレートに載せると、カバーガラスの間に毛細管現象で精液が染み込んでいく。カメラ越しにも、液体が流れ込んで粒々の精子たちがなだれ込んでくるのが見える。かなりの密度だ。しばらくすると浸透して、精子の流れが落ち着く。すると精子たちが四方八方に動き回る様子を見ることができるのである。
青い精子に再び会うことができたことに喜びを感じながら、測定を始める。しばらくして結果が出た。1600万匹/mlと言う数値で、WHOの基準より上回っているとの結果だった。しかし過去のデータを見れば、筆者は2400万匹/mlの濃度で精子を出せていた。あのころから月日が経ち、時代に健康診断で医者から注意される項目も増えてきた。身体の衰えには抗えないのかもしれない、と感じて切なくなってしまった。仕事も忙しいので一過性のものかもしれないが、このまま測定を続けて数値が上がらなかったらどうしようという不安もある。いや嫁もいない男が受精能力のことなど気にしても仕方ないのだが、大切なことは目に見えないのである。
それはそうとして、このレンズが精子をよく拡大してくれるところは面白い。改めて観察するとすでに半分くらい動いていないように見えるが、それを除けば元気に泳ぎ回っている様子を観察して、アプリとは関係なくスマホで動画を撮ってみる。同じような構造のレンズではseemのほうがピントがきっちり合って観察できたように感じるがこれほどの倍率はなかった。
ピントが合いづらい理由を考えてみたが原因はよくわかっていない。スマホの保護フィルムなどの厚みが焦点距離に影響してしまうのだろうか。しかし、精子観察のためにわざわざスマホの保護フィルムを剥がすのは、少し考えものである。真面目にやるならバキバキになってもいいiPhoneSEでも調達して観察した方が良いのではないかと思う。
一通りの観察を終えた。精子は受精卵にたどり着くことを使命とし、精液に守られながら子宮を目指す。したがって厳しい外界では長生きできない。
しかし前回の増田でこの精子にあれやこれや実験をしてみてはというコメントを見た。そして精子はまだ細胞でありながら生命ではない。片付けるついでに気になったことを試してみる。筆者はこの精子たちの生殺与奪を握っている。
試しに、試料台にティッシュペーパーの切れ端を載せてみる。液が吸い寄せられ、精子たちも漂うように吸い寄せられていく。しかし精子たちはそれでも元気に泳いでいる。
次に気になった点として、このキットを水洗いしてみると言うものだ。説明書では使い捨てと書かれているが、正確な数様に影響するにしても精子を見るだけなら洗えば使えるのではないかと思った。ものは試しだ。水につけて洗い流してみて、再びレンズの上に乗せる。
驚くことに、まだ精子がいた。本当に少なくなってしまったが、よろよろと泳ぎ回る個体がところどころ残っている。カバーガラスの間に水を流し込むのは難しいらしいが、水道水に流してもある程度は生きられるのかと驚いた。まだ精液の粘液部分を身に纏って生き続けていたのかもしれないが、筆者が想像する儚い細胞というイメージ覆った。
これではキットを再利用できないということを改めて実感したとともに、一度放たれてしまった精子を完全に追放する仕組みの難しさも感じた。もちろんカバーガラスの中の狭い空間というのは特殊な空間だが、膣内だって広い空間ではない。筆者な単純計算で一発で8000万ほどの精子を送り込むことができる。そんな数の精子たちが膣内に放たれてしまったら、僅かも子宮に辿り着いてしまったら。膣を水洗いするなんて簡単にはできないであろう。よくコーラを流し込めば避妊できるなんて俗説を信じるなという性教育を見かけるが、イメージに反して精子はしぶとく生きることのできる細胞なのかもしれない。
そしてここまで書いて気づいた。せっかくなのだからコーラを垂らして精子が本当に死ぬか確かめてみればよかったのだ。精子はもう片付けてしまったし、うちの冷蔵庫は三ツ矢サイダー派なのだ。なんて愚かなことをしてしまったのだろう。大学時代、理科実験はやり直しが効かないから実験計画の作成が重要であると散々言われたのを、今更思い出した。筆者の2800円がこうして散っていった。
ドゥーテストは、倍率も大きく、精子をよく見ることができた。さらに精子の量を測定してくれる貴重なサービスとなったので、妊活の指標としたい人には向いているかもしれない。
ただ、ピント調節が少し難しく、はっきりと精子を観察できるわけではないという点も課題として感じた。採精カップはメンズルーペが優れていると感じているので、メンズルーペのカップに射精し、ドゥーテストのレンズで観察するのが最も効率よく精子観察ができるのではないかと思った。またカップも使い回すと精子が残ってしまう可能性があるので、入念に洗うことが必要であると学んだ。
また、ドゥーテストの高倍率レンズは精子の動きを観察するのにとても良いので、可哀想だが精子にあれこれ試して動きを観察してみると面白いと思う。酸性の状態にしてどれほど生存できるか、などは特に気になった。しかしこう言う実験をするのであれば、闇雲に料理酢を流し込むなどと言うのはナンセンスで、pHを正確に測らないと意味がない。測定するための試験紙を買うのが良いのか、紫キャベツを煮出すのがよいのか、と頭を抱えながらamazonで調べると、2000円もしないpH測定器が売られているのを見る。ガチャポンを回すくらいの気持ちでオモチャと割り切って買うか、やめておくか。悩ましい。
そして筆者は実際の膣がどれほどに酸性環境なのかを知らない。どうやって測定するのがよいだろうか。一番シンプルなのは交際相手の女性に、「膣内にph測定器を突っ込ませてくれ」と頼むことだが、ひみつ道具の存在すら打ち明けられずにいる相手にこんな話をしたら精子をどうこうするまえに筆者の人間関係がどうにかなってしまうし、女性の性周期を知らない筆者にとって測定するタイミングも難しいと感じてある。どこかに膣のpHを趣味で測っている物好きなレディは居ないものだろうか。
「男性は顕微鏡を買うと精子を観察してみるらしい」とのこと。顕微鏡なんて一般のご家庭にあるわけがないだろうと、試しに500倍の顕微鏡の値段がいかほどのものか調べてみた。するとヨドバシに5000円くらいの子供向け顕微鏡があることを発見してしまった。最初からこれを買えばよかったのではないか……? しかし顕微鏡なんてますます置き場に困る。でも精子観察し放題、好きな時に好きなだけ射精して観察できるのである。20代の筆者がコンスタントに精子を観察して何十年かデータを溜めたら、それこそ何か世の中に役立てることができたりしないだろうか。いや精子よりもっと仕事とか町内会とかできちんと社会貢献した方がいいことはわかっているのだが。
あとは一案として、とりあえず顕微鏡を買って、しばらく精子観察に使ったあと、飽きたら近所の子どもらに寄贈してやろうか。子供を産むか産まないか、それ以外にも未来の世代にできることはあるだろう。
いや、思春期の学生に顕微鏡をプレゼントする財団でも作るなんてアプローチもあったかもしれない。これは教育振興である。まずは花粉とかプランクトンとか観察してもらって、科学に興味を持ってもらう方が重要で、そこからどういった方向に探究心が芽生えようとそれは本人の自由である。科学大国日本を支える若者を増やしたいと願っている筆者の気持ちに偽りはないのだから。