はてなキーワード: 人間関係とは
今はもう社会人だし、若干記憶が薄れてる部分もある。少なくとも統一教会系ではない。身バレが嫌なのでぼかして書く。初投稿なので変な部分もあるだろうが、目をつむってほしい。
大学に入った当初ってX(旧Twitter)で春から◯大みたいな感じでアカウント作るよな。
そこからDMで繋がって、同じ大学の人とやりとりするんだけど、その中で「哲学に興味はありませんか?」「生きる意味について話し合いませんか?」てな感じで紛れて奴らは話しかけてくるんだよ。
僕は元々ディベートみたいなの好きだし、面白そうだと思い参加してみた。
大学から少し離れた講義室みたいなとこに皆集まるんだが、新歓の時期だし自分と同じ新入生ばかりかと思いきや社会人の先輩もいるんだ。
そこで先輩たちが大学生の過ごし方とかキャリアとか色々アドバイスしてくれるんだが、まぁ参考になるんだかならないんだか・・・
運動部ほど厳しくなさそうだし、可愛い女の子もいたし、陰キャ(今はチー牛なのか?)でも馴染む環境だった。
最初は哲学や取り止めのない内容から入っていって、段々と宗教じみた内容にシフトしていったんだが、
結論こういうサークルに入って感じたのは、別に悪い経験ではないが、良い経験だったとも言えない虚しさがあるということだ。
徹頭徹尾一番興味深かったのは、こういう組織構築の為のシステムだ。上層部の得体の知れない社会人はともかく、そこで熱心に動く学生さんたちを獲得し、囲って幹部まで育成するシステムはマインドコントロールみたいだと言えば大袈裟に聞こえるが、これ以外に適切な言葉があるだろうか。
自分は熱心に活動してなかった部員だったので詳しくないが、なんか部屋借りてやるにもお金が必要になってくる。しかし年会費も良心的だったし、社会人がパトロンとして払ってくれていたのだろうか。それとも信者からのお布施だろうか。少なくとも財布に優しいサークルだった。具体的な組織のアレコレは分からんが、幹部とかそういった役割もあった気がする。たまに偉いらしい先生も来ていた記憶がある。
高校のクラスみたいなコミュニティって大人になればなるほど霞んでいく。ましてや一人暮らしタイプの心細い新入生にとって、フレンドリーに分かりやすく歓迎されると嬉しくなるんだ。サークル以外でもレクリエーションみたいな感じで、皆でカラオケとかボーリング行くみたいに普通に遊んだこともあった。
そこにいたメンバーは皆、優しい人たちばっかだったし、何より高学歴が多かった。とにかく優しくて忠犬みたいな雰囲気があるんだよな。でも一つ思ったのが「こんな良い人達なのにサークル外の友達がいなさそう」ということ。兄弟姉妹で参加している人もいた。
皆仲良くて、礼儀正しいんだが、一緒にいると独特の雰囲気があった。やけに強引に参加を求める人も居たが、それも「自分が求められている」という気持ちにさせてくれるんだろうな。
言ってることは割と納得できる部分も多かった。具体的に「人との約束は守りましょう」「自分や他人にも誠実でいないと不幸になります」とか色々例も含めて話すことで説得力を出していた。覚えてるのがここ辺りだが、もう少し過激なのもあったと思う。
かなり引っかかったのが、こういうことを絶対的な定義として譲らないとこだ。
「これらは絶対的な真理で、物理や理系科目で出てくる公式と同じだ」と言われたが、物理だってこれまでの理論の積み重ねであって、絶対的なものだと思えと言われていないだろう。定義を疑うことをむしろ推奨されているまであるぞ。
こういう件もあって、僕は完全に心を閉ざし「分かりますー勉強になるっス」と相槌マシンになっていた。
一見カルトというにはホワイトでクリーンだっただろう。財布に優しかったし。しかし良く観察してみると、もっと大元の組織があって、そこが出してる本やら主催している会やら見ると何と言うべきか、統一感が凄いのだ。宗教だって色々宗派や解釈があるだろう。当たり前だがそれを認めないし触れさせない、ここで学ぶ真理だけが素晴らしいのだと。「大人になっても仲間たちと素敵なコミュニティで、大切なことを学べるのはココだけ!なんて素晴らしいのでしょう」という話に間違いは無い。間違いはないのだが、少なくともこれ以上僕はここに居たくない。と思った。
なんて言えば良いか、こちらを見ているようでその実全く見ていないのだ。
内部事情は全く分からないが、このようなサークルは全国展開しているみたいだから、のめり込まないように気をつけてとしか言えない。ライトなカルト体験がしたい者にはオススメだ。社会人でも遅くないぞ
こういうサークルに入れば知的で落ち着いた女の子と知り合いになって付き合えると思ったんだが、機会がなかった・・・冗談だが、真面目にやって幹部まで登ればもっと関わりも増えたのだろうか・・・
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
多岐にわたる話題: 投資、経済、食、健康、IT、社会問題、エンタメなど、非常に幅広い話題が取り上げられています。
日常的な会話: 日々の出来事、悩み、興味関心などが共有されており、親近感がわくような会話が多いです。
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このチャットログは、様々な興味関心を持つ人々が、日常の出来事やニュース、個人的な悩みなどを共有し、活発にコミュニケーションを取っている様子を表しています。特に、経済、食、健康、IT、エンタメといったテーマに関心が集中していることがわかります。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
元記事の者だけど
なんでコミュ障かっていうと、
まずいじめが発生するメカニズムっていじめのターゲットがその場の空気から逸脱した何かをしたとか、何らかの要因でいじめの主犯がターゲットをいじめる空気ができた時か、笑いを取ったり場を盛り上げるためにターゲットに間違ったアタックコミュニケーションをした時だろ
そこで取るべき正常なコミュニケーションって、
ターゲットをフォローするなりその場に亀裂が起こらないように場を収めるとか、
ターゲットが悪いことをしたなら口頭で納得させる、ターゲット側が直せなかったらグループから追放するとか、
ターゲット本人も笑えるようなウケ狙いや盛り上げ方をするとか
「人を傷つける娯楽目的の暴力」という例外を除いて、大体はいじめる側がバカで上で書いたような適切なコミュニケーションができないからいじめが発生すると考えてるわけだ
そういうやつってどっかでしっぺ返しを受けないと大人社会でやっていけないと思うし
運よくそのまま大人になって職につけてパワハラ上司になれても大人同士の人間関係で悩みがないってことはありえないと思う
だからいじめっ子は報いを受けずにのさばっているっていう意識はあんまないんだよな
「人を傷つける娯楽目的の暴力」でいじめをした奴とか、仮に世渡りがとにかくうまくて不自由せずのさばってる奴に関しても、いじめをしてきたその場で圧倒して屈服させてわからせないと、
## 夢の分析
あなたの夢の中で「薄々夢であることに気がついていた」という点は、非常に興味深い要素です。このような夢は、自己認識や現実逃避、内面的な葛藤を反映している可能性があります。以下に、夢の各要素を分析します。
夢の中で「意識が薄い」と感じることは、現実世界での不安やストレスを反映しているかもしれません。この感覚は、現実からの乖離や、自己の存在に対する疑問を示唆しています。夢の中でのリアリティの欠如は、日常生活における無力感や、重要な決断を避けていることを象徴している可能性があります。
夢の中で現れる自称友達は、あなたの周囲の人間関係に対する疑念を表しているかもしれません。彼らが「早く行こうよ」と誘う一方で、あなたが「お前ら誰やねん」と疑問を持つことは、周囲の人々との関係において、真のつながりを求めていることを示しています。このことは、あなたが自分の本当の友人やサポートシステムを見極めたいという欲求を反映しているかもしれません。
教室に着き、問題を解こうとする場面は、現実世界での課題や責任を象徴しています。しかし、夢の中で頭脳を使えないという感覚は、自己効力感の低下や、プレッシャーに対する恐れを示しています。特に、夢の中でのリアル感の欠如は、現実の問題に対して無力感を感じていることを示唆しています。
### 結論
この夢は、あなたの内面的な葛藤や人間関係、現実逃避の感情を反映している可能性があります。夢の中でのリアリティの欠如は、日常生活におけるストレスや不安を示し、自己認識を深める必要性を訴えているかもしれません。夢の内容を通じて、自分自身の感情や状況を見つめ直し、必要な変化を考えることが重要です。
女に対して路傍の石並に無関心でいられないのが男
ASDの典型的なパターンだけど、空気を読んだ発言や場に適した振る舞いができなくて人間関係に困ってる。
プライベートでは友人は一人もいないし、仕事では誰からも信頼されていない。仕事が上手く行ってないのは単純に業務遂行能力が不足しているからでもあるけど。
それでも良好な人間関係を築くべく、学生の頃から人と関わる機会を増やすように努力してきた。
だけど、それはただの積極奇異型の行動であり、努力とは違ったのかもしれない。
少なくない人たちが、積極的に関わろうとする俺に対して冷たい反応をしていた。あの変な生き物を見るような目が怖い。
俺はこれからどうすればいいのだろうか。
24歳。人生のほとんどが終わったような気がする。決して大げさな表現ではなく、20代前半にして、もう先が見えない。
振り返れば、学生時代は希望があった。いや、希望があると思い込んでいた。中学生の頃は「高校に入ればきっと変わる」と信じていた。高校生になれば、新しい環境で自分を変えられると。そんな淡い期待が、クソみたいな毎日を少しは明るくしてくれていた。「今は辛いけど、これは通過点だ」と自分に言い聞かせることができた。
大学に入っても、その思考パターンは変わらなかった。「就職すれば、本当の人生が始まる」そう信じていた。しかし、現実は残酷だった。
就職してみると、その先に何も見えない。ただ死ぬまで、この地獄のような日々を過ごすだけなのだろうか。朝起きて、会社に行き、帰ってくる。そして寝る。この繰り返しに、どんな意味があるというのだろう。毎日が灰色で、週末さえも喜びをもたらさない。
そして、さらに虚しさを深めるのは、人間関係の空虚さだ。誰かに好きになられたことも、自分が誰かを好きになったこともない。恋人なんて、夢のまた夢だ。周りの人間が次々とパートナーを見つけ、幸せそうにしているのを見ると、自分の孤独さがより一層際立つ。まるで異世界の出来事のように感じる。自分には無縁の、遠い世界の話だ。
必死に何か楽しみを見つけようとした。運動を始めてみた。体を動かせば気分も晴れるかもしれないと思って。旅行にも行ってみた。新しい景色が心を癒してくれるかもしれないと期待して。創作活動にも手を出してみた。自己表現が生きる意味を与えてくれるかもしれないと。
でも、すべて一度やっただけで飽きてしまう。むしろ、これらの活動が自分の空虚さを際立たせるだけだった。
学生時代は楽しめていたゲームやアニメも、今では全く興味が湧かない。ストーリーに没頭できない。キャラクターに感情移入できない。ただ、過去の自分が楽しんでいた記憶だけが、より一層の喪失感を与える。
正直、安楽死できるなら今すぐにでもしたい。この意味のない人生を終わらせたい。でも、死ぬ過程が怖い。痛みが怖い。苦しむのが怖い。だから、この無意味な人生を続けている。生きているというより、ただ息をしているだけだ。
きっと、私だけじゃない。同じような思いを抱えている人は多いはずだ。SNSを見れば、楽しそうな投稿で溢れている。でも、それは表面的なものだ。きっと多くの人が、私と同じように苦しんでいる。死ぬこともできず、かといって正気を保つのも難しい。ただ歳を重ねていくだけの人生。
「若いうちは何でもできる」と言う。でも、それは嘘だ。若さは、ただ自分の無力さを痛感させるだけだ。可能性は無限大どころか、むしろゼロに近い。
明日も、明後日も、来年も、10年後も。変わらない日々が続くのだろう。希望も夢も持てない。ただ、時間が過ぎていくのを待つだけ。そして、いつか訪れる死を、恐れと期待が入り混じった複雑な思いで待つ。
これが、20代前半で人生が終わるということなのだ。残された時間は、ただ生物学的な意味で生きているだけ。心はもう、死んでいるようなものだ。
そして、最も恐ろしいのは、この状態がずっと続くかもしれないという事実だ。死ぬことも発狂することもできず、ただ歳を重ねていく。
知恵は、非常に多くのことを包含しているため定義するのが難しい資質の 1 つである。
心理学者は、知恵には知識、経験、深い理解の統合、そして人生の不確実性に対する寛容さが含まれるという点で同意する傾向がある。
賢明な人は一般的に、人生の問題は解決できるという楽観主義を共有し、難しい決断に直面してもある程度の平静さを感じる。
知恵には知性が必要かもしれないが、それだけでは十分ではない。
全体像を把握する能力、バランス感覚、知的謙虚さ、そしてかなりの内省も知恵の発達に貢献する。
知恵は経験を通じてのみ獲得できるが、経験自体が自動的に知恵を与えるわけではない。
知恵を測定およびモデル化しようとする理論が数多く登場している。
心理学者のポール・バルテスらが開発した有力な理論では、知恵を「複雑で不確実な事柄について優れた洞察、判断、助言を可能にする、生活の基本的な実用性に関する専門知識」と定義している。
これには、豊富な手続き知識、豊富な事実知識、さまざまな生活環境の理解、価値観と優先順位の相対性に対する認識、不確実性を認識して管理する能力という 5 つの主要な要素が含まれる。
これらの基準は、仮想シナリオを提示し、参加者がそのような状況で何を考え、何をするかを評価することで測定される。
社会学者のモニカ・アーデルトは、個人は反省、思いやり、真実の追求を含む性格特性として知恵を発達させると考えている。
心理学者のロバート・スターンバーグは、知恵とは自分と他人の間のバランスであり、行動が共通の利益に向けられることだと理解している。
知恵には、知識や経験などの認知的要素、状況や自分自身を分析する能力である反省的要素、そして慈悲や思いやりを意味する向社会的要素が含まれる。
知恵は、視点の転換、心の広さ、知的謙虚さなどの能力にも関連している。
賢明な人は過去の観察や意見をより微妙な思考スタイルに取り入れ、白か黒かの選択肢ではなく複数の視点を考慮する。
新しい考え方にオープンであること、つまり現状に挑戦することは、知恵の特徴であり、知恵を培うのに役立つ。
賢明な人は一般的に公益のために行動するが、同時に自分自身のニーズも満たされるようにし、競合する要求や目標の間で調和を図る。
また、賢明な人は他人の行動を単に判断するのではなく、他人の動機を理解しようとする。
他人への理解と尊敬を育むことに加えて、知恵は充実した目的意識をもたらす。
仕事上の重大な決断を下したり、辛い人間関係の葛藤を解決したりするなどの経験を積むことで、より多くの知識が得られる。
また、教育の場で批判的に考え、視野を広げることを学ぶことで、スキルを磨くこともできる。
決断を下す際、偏見を持たず、客観的な視点を持ち、知的謙虚さを持つことは、すべて適切な結論に到達するのに役立つ。
これらの特徴により、全体像が生まれ、特定の状況の要求と、さまざまな状況に対処する方法に関する知識との適合性を判断するのに役立つ文脈的要因が明らかになる。
非正規低所得者で、童貞の30代男性という真の弱者男性なもんで、タラレバが止められないし、仕事も雇止めになりそうだから金もないしでお盆開けたら死のうと思ってるんだけれどさ。
なんで一度も正規の仕事に就けなかったんだろうとか、なんで一度も友達や彼女がいなかったんだろうとか思うと悔しくて悔しくてたまらないわけさ。
いつもだと貧乏暇なしで生活に追われていて気づかないんだけれど、休みになりふと正気に戻ると、なんて実りのない無価値な人生なんだろうと思う。
俺は皆と同じように生活しているだけのに、何が他人と違ったんだろうとか、他人はそういうここぞというイベントがポップしてきていて、それをうまく察知してやれていたのだろうけど、
俺の人生にはそういうイベントがポップしなかったな、いや気づかなったなぁと、ただただ虚無だったなとふと思ってしまった。
顔も悪いし性格も悪い。
趣味もインターネットだし、子供のころからパソコンはやっていたが、プログラミングもできないままだったし、性格も人気なものを僻んで背を向けるという嫌な性格しているし、かといって何かを生産できるわけでもない。
こんな性質だから友達も彼女もいたことはないしちやほやされた経験もない。人間関係をやってきてないから仕事の面接もうまくいかないまま、正規の仕事にはつけないままだ。
こんなこと思っていても仕方ないというのはわかってるさ。ただ少しは、今よりはマシな生活送りたいさ。生きていることを楽しみたいよ。どうしたらいいんだよ。俺はもう苦しくてつらいよ。
俺が知ってるケースでは職場の人間関係をめちゃくちゃにする他人の陰口悪口や噂話を色々な人に伝えまくったり自分も悪口自慢話が多く、その上で業務上アスペムーブしかしない奴
この人は学生時代から社会人までどこでもいじめられできたとか言うけど、そりゃ自衛のために排除されてきたんだろうなとしか思わなかった
彼女と別れた
彼女だからという理由で我慢していたがあちらから別れられた途端に嫌う理由なんてなんぼでもあるよなと思ってしまう
だけど普通なら未練とかあるはずだよな
今まで8人くらいつきあってるけど未練とか抱えたことない
彼女でなくなった瞬間に寧ろ彼女だからという理由でいろんなこと許してた自分が不思議に感じる
でも未練マシマシのやつのほうがキモいので俺はこれでいいかもしれん
人を本心で好きになることはないけど女性というだけで優しくするので勝手にモテるし好きって云われたら好きだと思うし別れたら嫌いになる
人間関係で失敗しても次のコミニティにすぐ移れたり会社でうまく行かなくても次の会社に行けたりとかが地方と比べて圧倒的にしやすいのは基本的に良いことだとは思うけどその反面深い人間関係を築けなかったりこの会社でやって行くんだみたいな腹が括りにくいみたいなのは確実にあるな。
人間関係で失敗してもそれを修復することによってより深い関係になれるかもしれない。根無草にならずに腹括っていまいる会社で一生懸命頑張れば成長出来るかもしれない。そういうチャンスを逃しやすい街ではある。
まずチー牛という単語を使ったのは間違いってのを大前提に、妻の懸念に焦点を当てたい
妻のチー牛の定義
「まず「チー牛」とは、社会生活を営む上でリーダーシップや創造性などが見受けられず頼りなく、特に異性関係においても劣位ないし全く展望が望めず、またそれによって勝手に逆恨みや卑屈さを増幅させ悪循環に陥るであろう男性の総称。」
そうなってほしくないという妻に対する夫の返答
「(私)私も妻も息子の人間関係をすべて知っているわけではないし、まずそもそも、仮にその「チー牛」で何が悪いのかわからない。息子は何の非行もしていないし、いや、逆にしていたら「チー牛」じゃなくなるのか?(何だか屁理屈っぽいが私も混乱していた)」
そうか?
引きこもりとか5080問題とか見てれば、非行に走らなければなんの問題もないわけじゃないってのは分かるだろ?
増田はチー牛なの?
チー牛って言葉に過剰反応して妻の悩みにも息子にも向き合おうとしてないと思う。
息子が妻の懸念するようなチー牛になるかは父親の家族との関わり方次第だよ。
頑張れ増田。