はてなキーワード: バイアスとは
http://anond.hatelabo.jp/20140825071636
こういう記事があったけどさ、本州の学校の夏休みの自由課題って「自由研究」固定なの?
あ、全部自分語りというかブコメの拡張なので無視してください。
いや、自分の通ってた学校は、自由研究も、工作や書なんかのアート作品でもよかったからさ。
小学生だったのもう14年も前だから、今の学校の状況はわからないんだけど。
「研究」もいいけど、ゼロから物を作る(これも研究?なのか)のもすてきだよ。
そういうのを楽しめる子なら、子どものパトスにまかせるのも良いと思うんだけどなあ。
自分は作ることが大好きだったので、とにかくめっちゃ楽しんでた。
宿題(ドリル)は全く無計画なのに自由課題はスケジュール立てて計画を練るくらい。
ちょっと覚えてる限り回想する。
①工作キットは使わない。
②コンセプトとアイデアと実際の作業は親に頼らない。やり方は教えてもらう。アドバイスももらう。
③おもちゃとして遊べる&普段使いできるものを作る(小6で見事に破った。理由は後述、というより読めばわかる的な)
水族館に行ったので、絵日記と連動して水族館のペーパークラフトを作った。
お菓子の空き箱の内側に色を塗り、背景の魚や海藻、サンゴを作って貼る。
厚紙に魚を書いて切り抜き、糸を貼り付けて箱内部に吊るす。
透明なセロファンの一部に、青色のマジックで波模様を描き、箱に貼ってふさぐ(水色のセロファンが売ってなかった)
親からはセロファンに霧吹きで水をかけてピンと張る方法を教えてもらいました。
仕上がりは水族館じゃなくて海じゃねーか、とつっこまれまし。
小2冬 おべんとう入れ
なかよしの懸賞でソーイングセットが当たったのではっちゃけて母親に縫い物を教えろと要求。
キルティングの布を買い、裁ちばさみを借りて、お弁当入れを作った。
型紙不要の巾着にマチをつけただけ、裏地もなし。
でもこれが結構丈夫で、いまでも買い物袋入れとして使っている。
小3夏 リコーダー入れ
小3でリコーダーを習ったのではっちゃけてリコーダー入れを作る。
冬のキルティングのあまりで、長い巾着&スナップボタンで止めるタイプの2種類を制作。
小3冬 マスコット
手芸にはまる時期。かがり縫いをマスターしたのでフェルトマスコットを作った。
猫とウサギ。綿が入ってるのは頭と胴体だけで、耳や手足はぺらぺらだった。
小4の秋くらいにウサギの首が取れておおいにへこむ。
小4夏 ドールハウス
小3の時に作ったマスコットであそぶための家。空き箱を悪魔合体して紙造、2階、延べ800㎠くらいの家を作る。
一階は広めで、そこに2つに区切った箱を立てれば1階の壁と2階のできあがりである。
展示から持ち帰った際に派手にぶっこわれる。
マスコットとドールハウスを失った私を哀れみ、サンタさんが、シルバニアファミリーの人形2体、「おとぎの国のおかしのおうち」をくれる
しかし、お菓子の家になぞ住んでられるか! と再度ドールハウスに挑戦。シルバニアスケールで作る。(親ごめん)
家具には一部木などを使用。かまぼこ板、割り箸、彫刻刀でベッドを作ろうとして指を削る。
人形あそびに飽き、従姉妹(今思えば同人便せんとか作ってたんだなあの人)の影響で元々趣味だった絵描きの技術(カラー彩色)を覚えた私は、全部イラストのトランプを作ろうと試みる。
大きめの厚紙製プライスカードを購入し、イラストを描く計画。しかし、デザイン段階で枚数の多さに挫折し、絵札のみ絵を記入。ほかはマークで済ました。
にもかかわらず、12回の自由研究で一番面倒臭かった気がする。
絵を描いただけじゃねえか、といわれそうだったので、トランプゲームを多少調べてノートに書いて添えた。
小5冬 着せ替え人形
もう絵なんか描くか!と思って手芸に戻る。ちょうど小5で本格的な裁縫セットも買ったし。
本体をフェルト、服は春夏秋冬それぞれの服を布で作った。ちなみに、瞳をカラーフェルト、まぶたやまつげのラインを刺繍で再現した、完全にアニメ調の顔である。たぶんゼノギアスにはまってたせいだと思う。
小6夏 なべしきになる鍋つかみ
正方形に切ったキルティングに、正方形の角を一つ切り落とした5角形を重ねて、ループを挟んで縫った。
いまでも実家で使用している。端の処理にバイアステープを使用しており、自分的には完全にロストテクノロジーである。
そして問題の小6冬。
どういうわけか自 作 小 説 を 提 出 。
いや、夢水清志郎シリーズとか、2、3年前に見ていたスレイヤーズの原作本に手を出したりとか、アルセーヌルパンにはまったりとか、シャーマンキングとか東京ミュウミュウにはまったりとかしたもので。
たしか美少女怪盗もの。プロットというか話しの運び方はコナンのキッド回とルパンスペシャル&一応本家ルパンから学んだ。
ミステリというより犯罪エンターテイメント。というよりラノベ。
主人公は洋菓子をひらがなにした名前(ミュウミュウの影響)。猫耳である。
猫 耳 で あ る。(付け耳)
原稿用紙にペン書きしたものを袋とじで製本。自作絵の表紙をつけた。吐血。
この前帰省した際に今読み返してみた(どういう訳か本文のコピーをとってある)ところ、まあひどかったが良い意味で今では書けない勢いがあった。
日本語もままならないまま文字を書く仕事に就いてしまった今となっては、家に帰って文字を打つだけでも苦痛だと言うに。
というわけで絵を描いたり黒歴史作ったり、黒歴史作ったり、して楽しいので、もっと創作系自由研究は増えるべきだと思うね!(苦笑い)
ちなみに中学時代は文化系が「文化部」しかなく、文化祭の時に展示することが主な活動だったので、中1の時は例の小説の続編を晒したよ!(喀血)
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1806626.html
ホットエントリ入りしてるワタミのカンボジアバイトからのプレゼントの件で色々な場所でのコメントを見てみた。
https://www.facebook.com/watanabemiki.official
まず本家の記事。いいねは700ぐらいで、20件ぐらいついてるコメントは全て賞賛。
http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1408405295/
ツイッター検索ワード「ワタミ カンボジア」で適当にスクリーニング。
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1806626.html
はてぶコメ。痛いニュースのブクマページだから多少のバイアスがかかってるんだろうが10割コメが批判。
理解されないと日本語読解もできない小学生と煽るのが我が国のインターネッツでは定石であるw
しかし、正確な読解というのはプロの学者でも困難を極めるんだよね。自分が関わる哲学でも誤読は日常茶飯事で、人に指摘されてもずっと理解できないでいることも多い。
そらバカな学者もいるだろって思うかもしれないけど、全然そんなことはない。語学の天才と言えるほど語学に長けた人が後年振り返るとありえないような読解ミスを平気でするの。
つまり、誤読というのは一部の言語力に欠けたバカだけがするものではなくて、誰でも頻繁にやっていることなんだよね。
学問におけるハイレベルな読解と日常会話とではレベルが違うと思うかもしれない。確かに使われる概念の抽象度や馴染み深さ、伝えんとする内容の複雑度には大きな隔たりがある。
しかし、誤解が起きやすい構造は日常会話だろうと厳然と存在しているんだよね。そして問題の本質はそこにあるんだ、抽象度や馴染み深さや複雑度なんかじゃなく。
その構造とは、人は先入観にきつく縛られており、そんな人がテクストに書かれた「価値」を理解しないといけない、という構造だよ。
殆どの文章には価値の言明が含まれている。理系論文だろうと純粋に数式だけで書かれていてその裏に価値の伝達など全く意図されてないものは考えにくい。
そして価値を理解するには、自分自身の価値に対して自覚的でなければならない。これがものすごく難しい。
例えば、女性蔑視している人が性別論に関する文章を読む時には、自分は女性蔑視のバイアスで世界を見ていることを念頭におきながら、1つ1つの文章を注意深く読まないといけないということなんだ。
でないと、結局は自分が正しいことを確認して安心するためだけの読書になり、書き手の言わんとすることは全く理解できないだろう。
先に語学の天才の例に触れたように、語学力がいくらあっても誤読の問題は起きうるんだ。
確かに、日本語能力が欠落しているがために齟齬が起きることはある。でも、それは一部のケースであって全ての場合に当てはまることではない。
誤読の問題は、「誰にでも」「いつでも」起きうる。内容の抽象度や馴染み深さや複雑度に関わりなくだ。だから深刻なんだ。
大学受験の国語において、ロジカルな読解が強調されることがある。確かに論理的に読解することは重要だ。しかし論理はあくまで事実のエラーチェックができるに過ぎない。
価値の(理解の)エラーチェックが直接できるわけではない。価値の背景にある事実の一部をチェックできるだけだ。したがって、価値の言明を多分に含んだ文章においては、
ロジカルリーディングだけではまるで正しく読解できない、ということも多い。論理に凝り固まった人間が哲学書を読むときに冒す間違いの多くもこれに起因する。
つまり、語学力や論理的思考力は必ずしも問題ではない。常について回る最大の問題は、先入観の問題ということなんだよね。
人は先入観から自由ではいられない。しかし先入観を自覚することはできる。先入観を自覚しながら色んなテクストに触れることで初めて人は新たな価値を理解することができる。
それなのに自らの価値に対して自覚的に生きていない人間が殆どである。そればかりでなく自覚的になろうという発想すらない人がほとんどである。そこに問題の根本があるんだよね。
「全ての人間に共感できる人がコミュニケーション能力を持ってる人」????????????
※コミュ力 コミュニケーション能力 を拡大解釈するのはヤメましょう。 情報伝達以外の意味はありません。
※それ以上付け加えるならばコミュニケーション能力とは別の能力として主張すべき。
でググってみて下さい。
あと「コミュニケーション能力」でもググって下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/コミュニケーション能力
「同意することだけがコミュニケーション能力と勘違いしてる人」が多いようですが
批判がコミュニケーションでないならば、「はてなで批判をしている人間もコミュニケーション能力がない」ことになってしまいます。
つまり「イエスマン=コミュニケーション能力のある人間」という定義になってしまいます。
ましてや「どんな人間にも共感することをコミュニケーション能力とする」なんて、この世にそんな人間いますかね?
ちょっと例を挙げるとこの世界の全ての犯罪者に共感できる人間がいますか?
この世界の全ての悪意(日常を含む)に共感できる人間をコミュニケーション能力があると定義する非実効性。
そもそもの間違いは「コミュニケーション」に「力」という文字を付けたのが間違い。
またパオロ・マッツァリーノは、自己啓発書の売り上げを上げるために不安を煽り、彼らの都合のよい稼ぎ口として使われていること、も指摘しています。
以下は参考のための引用。
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パオロ・マッツァリーノの指摘
パオロ・マッツァリーノは『反社会学講座』収録の「ひきこもりのためのビジネスマナー講座」において、浜口恵俊の「日本語にはもともとコミュニケーションにあたる言葉がないため訳せない」という意見を取り上げ、近年、企業等においてコミュニケーションが本来の「意味を拡大解釈」して用いられているようだと指摘し、問題視している。
マッツァリーノによればコミュニケーションには本来、「情報(知識や感情も含む)をだれかに伝える・交換すること」という技術的な意味しかなく、そのため言葉の用法に従えば、上司や目上の人間へのある種の直接的な批判の類も立派なコミュニケーションとして成り立つことになると述べている。続けて「しかし、そうすることが日本の企業社会で奨励されているかというと、はなはだ疑問です」と言い、「日本人は古来、コミュニケーションなしで社会を成り立たせてきた」という事実を指摘し、安易にコミュニケーションという単語を用いる現代の風潮を皮肉混じりに批判している。
スーザンによれば、すべての人が同じコミュニケーションスタイルにおいて最良のパフォーマンスを発揮するというわけではなく、イントロバート(introvert)と呼ばれる『刺激に敏感で大量の刺激を本能的に避けるタイプの人間』と、エクストロバート(extrovert)と呼ばれる『刺激に鈍感で少量の刺激では必要量を満たせないために大量の刺激を必要とするタイプの人間』、二者それぞれの遺伝子レベルの性質を生かした二種類のコミュニケーションスタイルこそ、無理のない持続可能な方法であるとしている。
近代以降、資本を求め商品をいかに買わせるかが社会の関心事となった経緯を紹介し、深い思考は苦手だが口先が巧みなエクストロバートを量産し経済拡大に用いるというシステムが教育も含めて現代では日常化してしまっているという。この社会(エクストロバートワールド)では、イントロバートは欠陥品とされ(イデオロギーの定着のため病名まで発明された経緯もある)エクストロバートになることを強制される。しかしその性質は遺伝子レベルで50%以上固定されているために、対外的にはエクストロバートを「ふるまう」、無理の結果として心の病を併発したり出社拒否に陥るケースがあるという。
彼女によれば、どちらのタイプも社交的であるという。両方とも自身の性質に基づいた異なる社交性を備えており、イントロバートは多数の人間と社交を行うことは刺激が大量すぎる点で本質的に苦手だが、一対一または数人との社交においてエクストロバートを凌ぐ力があり、エクストロバートは刺激に鈍感であるがために多数の人間と社交を行うことができる。その反面、一対一または数人との社交において深い友人関係を築き長期にわたり維持することは苦手であるとされる。このため双方のコミュニケーションスタイルも必然的に異なる形となるのが自然であるが、現在の資本主義競争社会におけるバイアスのかかった社会においてエクストロバート型を唯一のコミュニケションスタイルと信じて疑わない状況がある。自分の話を聞かせたいエクストロバート、人の話を聞くことができるイントロバート、従来のリーダーの適任とされるのは前者とされてきたが、近年では後者の「引き出す力」に注目が集まり前者を凌ぐリーダーとしても可能性が示唆されている。多様なコミュニケーションスタイルは人間の多様性を認める社会であることが必須条件として、イントロバートの存在と可能性について全人民的に社会的認知を深める必要があるという。
タイトルの通り、プロネカマ師の知り合いが言うには、ネカマをするなら
男キャラが良いらしい。
「は?ネカマなのに、男キャラ?何言ってんだこいつ。」って思うよな。
俺も最初はそう思った。
だけど、詳しく話を聞いてみると、これがなかなか面白い。
曰く、
いくら知識をためて、経験を積んだところで、男は男。女にはなれない。
非モテ相手に女のふりをするだけならいいが、コミュニティに属してると、
絶対に女の相手をする機会が出てくる。そんとき、よっぽど高いスキルを持った
変な話、突然生理の悩み相談なんかされたらどうする?答えられる?
女キャラを使ってると、女が女にしかわからないような話題をふってくることが
多々ある。それら全てをうまく、完璧に演じきるのは難しいわけだよ。
野良PT程度の付き合いならともかく、長期的に付き合ってると、100%バレて、
「あいつ絶対、男だよねー。」ってことになる。
じゃあどうするか?簡単で、男キャラを使えばいいんだよ。
普段は普通の男のように振舞っていて、ときおり、女っぽさを出す。
違和感をうまくコントロールして、ターゲットに疑念を抱かせろ。
そして、あくまで男キャラとして振る舞ったまま、標的に女であることを「発見」させるんだ。
このやり方だと、周りからは男キャラとして扱われるから、変な話題を振られることもないし、
自分の発見を信じたいってバイアスがかかっててヤバイ発言しても
女のままでいられる。
http://anond.hatelabo.jp/20140730014718
もちろんその中には公平な選考を行っている者もいるのでしょうが、私が実際に交流を持った彼らの選考基準は、それはもうひどいものでした。
面白さというものを計るに当たって、読む人間の趣味嗜好が反映されることは少なからずあります。
ですが、作家志望の彼らが選考で基準にしていたのは、なんら客観性もなければ、直感というには理屈に凝り固まった独自の創作ルールでした。
少し前に“……”の使い方を巡って持論を展開し非難を浴びた下読みの方がいらっしゃいましたが、彼などまだ生やさしいほうです。
元増田がしているのはラノベ新人賞の下読みの質が低下しているという話だが、
これは何も小説に関わる人間たちの間でのみ起きている問題ではない。
「人が何かを選ぶ」という要素が入るあらゆる部分で起こりうる問題だ。
とりわけ『面接』という「人が人を選ぶ」場所において頻繁に起きている。
選考基準としての指標などはあるだろうが、
たとえば面接官が
「こういったチャラチャラした学生は面接で嘘をつくものだ。全部の点数を2段階低く見積もっておいた方がいいだろう」
つまり、公平をきすために用意されていた数多の指標全てに面接官の主観が入りこむ隙間があるのである。
つまり現代の面接制度は「面接官自身の選考者としての資質」に大きく左右されてしまうのである。
そのことに関して「人事課など元々左遷先のようなものだから仕方がない」などと言う者すらいる始末だ。
そもそも全ての企業がその会社独自の求める人材をキチンと定義づけられていない事が問題なのかも知れない。
会社が求める人材が明確に定まっていないから、人事の主観が入る隙間がいくつも開いてしまう。
「優秀で」「よく働き」「誠実で」「素晴らしく」「俺と趣味があって」「健康的で」「サビ残も沢山する」、
はっきりと絞るべきなのだ。
「キチガイ上司ともコミュニケーションが取れる根性がある人」「エクセルがメチャクチャ上手い+雑用を苦にしない」、
そういった求めている人材の明確な基準を示せない企業に、「いい人材がこない」などと嘆く資格はない。
「どんなラノベを求めているか」という指標を示さずに「面白いラノベほすい~~^q^」などとのたまって応募を募るのだから、
当然賞全体の選考基準はガバガバになってしまいその隙間に下読みの主観が潜り込んでしまうのだ。
「日本語ができていれば通ります」という選考基準が通じた時代が終わったのなら、今度は基準を増やしていかなければならない。
「ヒロインがシコれる文章」「共感できる主人公」「おっさん向き」「小中学生向け」、大きな括りを一つ増やすだけでいい。
それだけで何を選ぶべきかが明確になる。
「アニメ・カント・博士課程無職」の組み合わせは犯罪と関係がある
犯人の心理の中で、「美少女アニメ好きやカントへの偏愛や博士課程無職だったことが、犯行と関係あるのでは?」というのは馬鹿にされるのに、
「母親の死・父親の再婚」と犯人の心理を結びつけるのは、当たり前のように扱われている。
「母親が死去して、父親が再婚して、犯罪を犯さなかった人は大勢いる」とか
「代表性ヒューリスティックがうんぬん」とか「定量化・一般化・再現性はあるのかw」とか「生存バイアスも知らないのか?」とか
「勝手に決めつけるな!」とか
「母親が死去して、父親が再婚した人への偏見だ!」などと叫ばない。
それどころか、
「母親の死 → さっさと別の人と結婚する父親 → 子どもが絶望、という図式は他でも見たことがある。被害者もそうだが悲劇としかいいようがない。行政としてはお決まりの「因果関係は認められない」となるのだろうが」
違いは何?真剣に教えて。まじで誰か教えて。
「アニメ・カント・博士課程無職」の組み合わせは犯罪と関係がある
犯人の心理の中で、「美少女アニメ好きやカントへの偏愛や博士課程無職だったことが、犯行と関係あるのでは?」というのは馬鹿にされるのに、
「母親の死・父親の再婚」と犯人の心理を結びつけるのは、当たり前のように扱われている。
「母親が死去して、父親が再婚して、犯罪を犯さなかった人は大勢いる」とか
「代表性ヒューリスティックがうんぬん」とか「定量化・一般化・再現性はあるのかw」とか「生存バイアスも知らないのか?」とか
「勝手に決めつけるな!」とか
「母親が死去して、父親が再婚した人への偏見だ!」などと叫ばない。
それどころか、
「母親の死 → さっさと別の人と結婚する父親 → 子どもが絶望、という図式は他でも見たことがある。被害者もそうだが悲劇としかいいようがない。行政としてはお決まりの「因果関係は認められない」となるのだろうが」
違いは何?真剣に教えて。
それぞれに場の空気というのがあって、あそこは良識的なことを書くのはダサいという空気がかなり支配的なんだよね。クズいことを言えば評価される場所だし。そういうバイアスが働いているんだよ。はてなでは非良識的なことは書きにくいというバイアスがかかっているのと同じで、2chでも良識的なことは書きにくいというバイアスがかかっている。だから、2chをして正直という認識は間違ってると思う。層というのもあるだろうけど。
ちょうどこういう増田があって、話しがリンクしてたのでうrl貼っとく。
http://anond.hatelabo.jp/20140710001008
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20140619/267128/
「下劣なものの下劣さを指摘している人間の正義の構え」の中に、「正義の立場に立つ者に特有な自己陶酔」を嗅ぎ取るみたいなドヤ顔の本音主義者が、ネット言論の周縁部に蟠踞していて、彼ら「偽善」が大嫌いな論客の皆さんは、「じゃあ、あんたはサバンナでも同じことが言えるのか?」であるとか「一度も罪を犯したことが無い者だけが石を投げなさい」であったりする十年一日のテンプレートディベートで、今日もご清潔なご意見を葬り去ろうとしている
http://topisyu.hatenablog.com/entry/monster_friend
による(というかあさイチによる)ママ友カーストの決定要因は以下のものらしいけど、
4.住まいの広さ・立地
5.専業主婦かどうか
私の周りでは、「うちのパパはパチンコ店(仮)で働いてるの~」とあっけらかんと喋ってたママはいたけど
知ってるのはそれくらいで他数十人の夫の職業など知らん。
個人的に仲が良い同士であれば知ってるかもしれないけど、「ママ友」レベルの付き合いじゃそんなもん。
つか夫の職業ってママ友間のタブー話題No.1だと思うんだけど、それを皆が周知しているコミュニティというのが想像の範囲外過ぎる。
隣近所皆知り合いな田舎なら有り得るだろうけど、topisyuっていかにも都会在住っぽいと思ってたけどなあ。
同じく6も知らん。今働いている人だったらどこで働いてるか喋ってる人もいるけどさ。
3もお受験園でもないので関係なし。そういうのに熱心な人は別の幼稚園入れてる。
4も皆がどこに住んでるかなんて知らん。そもそも一軒家など周囲に存在せず社宅族・転勤族もかなり多い地域なため
住んでいる家で財力なんて測れないし、どうせ大多数がいずれ引っ越すわけで
(小学校区どこか聞いても「小学校入る頃にここに住んでるか分からない」なんてよく言われる地域だ)ほんとどうでもいい。
5は単にお互い関わらないというだけ。私は専業主婦だけど、働いている人は延長保育使ってて迎えの時間が違うのでたまの行事くらいしか会わない。
働いていてもLINEなんかで専業主婦とも交流しまくるコミュ力あるママもいるみたいだけど。
7もどうでもいい。ヤンママなんて居ない地域だから皆おばさんだし、所詮は地方だからVERYみたいなママが居る訳でもなし。
その後の「専業主婦の方がカーストが高い」「ママ友カーストは、"基本的には""一部の"専業主婦によって構築される」ってのもな~。
topisyuは保育園ママだから(ママ=女だとは明かしてない!とかは今更言わんでよし)バイアスかかるんだろうけど、
私は「保育園の懇親会出たら学歴自慢仕事自慢合戦だった」と言う話を聞いて怖いし関わり合いたくねーと思った事があるけども。
つか今時は他人の目や序列を気にするタイプは働いていて、そういうの気にしないマイペースタイプが専業主婦率高くない?一昔前なら逆だったけど。
韓国で米軍基地村でアメリカ兵相手にサービスを強制されたとして元「米軍慰安婦」の韓国人122人が韓国政府を訴えたというニュースから一週間が経つ。
これは慰安婦問題におけるターニングポイントとなりうる衝撃かつ重要なニュースでもあり、
韓国メディアはその後の続報はないものの、訴訟会見の模様を伝えたメディアも予想以上に多く、また日本も主要新聞を始めとしてこのニュースを伝えた。
では、ここ最近、「歴史を否定しようとしている」と日本の慰安婦問題の対応に対する批判を繰り返している欧米メディアはどう伝えただろうか。
今年、朴槿恵との会談でオバマ大統領が慰安婦について「筆舌に尽くしがたい人権侵害」と触れていたが
この米軍慰安婦訴訟は慰安婦問題がアメリカも傍観者ではなく当事者の立場であることを示す極めて重要なケースであると思われる。(朝鮮戦争時の国連軍・韓国軍慰安婦については言うまでもない)
しかし、一週間経った現在、米軍慰安婦訴訟を報じた欧米メディアはゼロである。英語メディアとしても報道しているところはない。
正確に言えば、朝日新聞の英語版がこの事件を簡略に訳し報じており、朝日新聞英語版をソースにしてRT(反米ロシアメディア)が報じている。それのみだ。検索漏れもありうるのであるのなら教えてほしい。
確実に言えるのは、この問題を大きく扱おうという意志は欧米メディアにはないということだ。
欧米メディアは「人権侵害を認めよ」と強い態度で日本を批判しつづけてきたが、自分たちに振りかかる問題、あるいは「日本の残虐行為」というフレームワークから外れた事件に関しては全く報じないということだ。
これは戦略的に報じてないとか、圧力がかかっているということも当然陰謀論抜きで考えられるし、単にこの「米軍慰安婦」が何を意味するのか掴みきれていないということも考えられる(その確率が高いと僕は考えている)。
何しろ、欧米メディアの慰安婦の捉え方というのははっきり言ってバイアスがかかっていて、韓国の研究者でさえ否定する「20万人の主に韓国人が日本軍によって強制的に性奴隷にされた」という情報を伝えているところが多数であるからだ。
背景は色々考えられるが、いずれにしろ、欧米メディアが米軍慰安婦訴訟を伝えなかったことには変わりはない。
僕は、欧米メディアが米軍慰安婦訴訟を伝えなかったという事実だけで軽蔑に値すると思う。いずれの段階で報じざるをえないかもしれないが、このまま黙殺されて終わりということもありうる。
8月にはローマ法王が元慰安婦と会うことが決まっているので、その際にはまたBBC、CNNをはじめとして日本批判が大量になされるのだろうと思う。
さて、という訳で海外の報道がほとんどないので、「海外の反応」なるものは伝えられない。
ただRedditに朝日新聞英語版をソースにしたスレが立っていたので、紹介したい。
http://www.reddit.com/r/worldnews/comments/29dia6/former_korean_comfort_women_serving_us_military/
こいつは単にアメリカは悪くないって言いたいだけの奴だろうけど、なんとなく感覚はつかめるだろう
"Just voluntary prostitution with a bad pimp. Different from kidnapping people"という感想がぱっと出てくる。RTのコメント欄にもあったが、自分たちのことになると、急に橋下徹みたいなことを言いだすようだ。
また、これを見て分かるのは、「狭義の強制」「広義の強制」というのは、日本特有の議論ではないということだ。Kidnappingしてるかしてないかは重要な論点でもあるということだ。
おそらく、米軍慰安婦がこの先もしアメリカで議論が深まるとしたら、このコメンテイターのように当然「日本軍がやったのとは違う」「米軍は悪くない」という言説が出てくるだろう。
"Forced"な状態に置かれていたのであれば日本軍慰安婦と同様、米軍慰安婦もまた非道な人権侵害であることは間違いないのだが、「日本みたいに軍が人さらいしてない」という言い訳が出てくると考えられる。
この米軍慰安婦訴訟によって、黙殺されてきた米軍・韓国軍慰安婦の人権侵害に目を向けられるという予想はあったが、逆にそれを避けるために「我々は悪くない。日本のケースとは全く違う」と日本の残虐度をアピールする方向にも話が飛びうるのだなと思った。
別に日本の責任を否定するのではなく、韓国において日本軍によるKidnapping、abductionは例外的なケースであったということははっきりとしておく必要があると思われる。(海外の掲示板、コメント欄では日本軍が直接Kidnappingしたケースがほとんどだと思われている)
広義の強制性だの、狭義だのよりも、英語でどう表現されるかということを意識した方がいいなと思う。もはや慰安婦問題は海外に場所が移ってしまったのだから。
と、いろいろ考えていたのだが、当初「ターニングポイント」になりうると考えていた米軍慰安婦訴訟もこのまま大きく扱われず立ち消えになる可能性もあるように思えてきた。
結局のところ、ある種のフレームワークが作られてしまうとそれをひっくり返すのは困難だ。
「人権侵害」というフレームワークを持っている米軍慰安婦訴訟が起きれば、これまでの「日本のみが慰安婦制度なるものを使った唯一の悪」というフレームワークが壊れるかと思っていたがそうでもないようだ。
既存のフレームワークを壊すような事件が起こったとき、それをどのように報じるか。それがメディアの役割だと思う。
欧米メディアはどういう風に報じるのかと思っていたのだが、単に報じないのだ。そういうやり方があるのだ。それはそれで賢いのかもしれない。
_____________________________
<追記>
「『慰安婦問題におけるターニングポイント』従軍慰安婦制度は悪くないと認められると思っているなら身勝手な妄想でしかない。増田は塩村都議の過去を穿り返せばセクハラ発言が悪くなくなると思っている連中のお仲間。」
こういう中立ぶったリベラルの偽善性を指摘しているのだが。スターをつけている人が何人もいるのもどうかしている。こういう主張が、アメリカ・韓国側の責任回避の言い訳に使われるということも分からないのだろうか。
どこをどう読めばこの文章が、「米軍慰安婦を追求することで従軍慰安婦制度は悪くないと認められる」という主張に読めるのか。
「"Forced"な状態に置かれていたのであれば日本軍慰安婦と同様、米軍慰安婦もまた非道な人権侵害であることは間違いない」とはっきり僕は書いている。
「日本こそ唯一の悪」「既存の左翼言説を疑う奴は右翼」という自分のフレームワークを変えずに文章を読むから、このような失笑するしかない解釈が出てくるのだし、この文章はそうした態度に向けられたものだ。
それは、この文章を読んで「日本軍に責任があるというのか?こいつは反日左翼だな」と解釈つつ、米軍慰安婦の話をブーメランだと喜ぶネトウヨの反応と全く変わりはない。
単にダブルスタンダードは止めようという話。
まったくの蛇足であるが、因縁付けられたので大人げなく返してみると、塩村議員にしても「過去を穿り返すな」うんぬん言う人は、舛添が20年前の雑誌の発言で叩かれていたときに同じことを言っていたのかということだ。
<追々記>
以前ではタブーだった言説が韓国メディアから多く出るようになってきた。20万人強制連行という数への疑い、あるいは基地村の存在、米軍基地村・韓国軍慰安婦と日本軍慰安婦の構造の類似、「韓国は戦場ではなかった」という指摘など。
これは明らかに米軍基地村慰安婦訴訟と朴裕河の「帝国の慰安婦」訴訟の影響だと思われる。
このダイアリーに対するコメントや記事のように「日本の方が悪質だ」という論点を強調したいはてな左派の反応と、基地村・韓国軍慰安婦の悪質性に目を向け始めた韓国の左派との間に乖離が生まれつつあるのではないだろうか。
もちろん、基地村を管理していたのが朴正煕だという事実から、韓国内の右派左派の争いが慰安婦問題に絡んでくることになったという点も考慮しないといけないが。
参考になるリンクを見たら追加しておこうと思う。
7月4日
http://www.sisainlive.com/news/articleView.html?idxno=20694
7月5日
ハンギョレは以前から基地村問題を指摘していたが、当事者インタビューをはじめ、かなり詳細に報じはじめている。
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/17749.html
http://www.hani.co.kr/arti/SERIES/381/645560.html
"「米軍慰安婦施設は、日本軍慰安所と設立·運営方式は異なりますが、その底辺に敷かれた構造は類似している」というのがイ·ナヨン教授(中央大学社会学科)など基地村の問題を研究する学問の見解だ。"
ワシントン・ポストが、米軍慰安婦訴訟に絡んでやっと特集記事で報じた。
ニュースバリューがないから報じないのだ、と主張していたはてサの人たちはどう思うのか。
子を持つ親である俺は、このニュースを見聞きするたびに胸を締め付けられる。
でもな、こいつは我が子を餓死させた。それが全てなんだ。
たとえこの子供が何も言わずに死んだとしてもその事実は変わらない。
いやもっと言えば子供が「パパ、パパ、」と言ったことが本当なのかは犯人しか知らない。
もしかしたら罪悪感が創りあげた妄想であり事実ではないかもしれないし、罪悪感を持っていることを印象づけるための口から出まかせなのかもしれない。
逆に「『僕なら大丈夫。お腹減ってないし』って言ったから家を出た」と供述したというニュースだったらどうだろう。
つまりこのニュースは「我が子を餓死させるんだから残酷非情な男に違いない」というバイアスを補強するだけのものだ。
犯人への強い憎しみを喚起させるだけの、そんな感情的で残酷な意図しか無いニュース、必要か?
つか俺はもうこういうニュース大っ嫌いなんだよ。クソだよ。
自分の場合はどうしても自分の子どもが欲しくて結婚願望があるんだけど、
結婚したい相手(具体的に言うと、一緒に子育てをしたい相手)が見つからない。
就職してすぐ結婚したいと思うようになり、女性へのヒアリング(既婚女性2割、独身女性7割、結婚準備中1割ぐらい)は勿論、既婚男性からの話しも含めて総合すると、
また結婚する際には、年収または貯金という要素も重要であると、改めて認識させられた。
たぶん元増田も、こういう意識で「そうだ、結婚しよう!」→家事磨き の方向に向いたのではないかと思う。
自分は年収はあまり高くなく、すぐ年収あげられるほど能力もないので節約からはじめた。
たまにやってたギャンブルは辞めて、週3,4呑んでた酒も付き合い行くだけにして月1か二ヶ月に1回に押さえた。
結局新築マンションを買ったので貯金はほぼ0になったのだが、都内にマンションを持っているという方が、
安心感・安定感の提供に繋がるらしい。もっとも、家賃生活から開放されたのは個人的にも気が楽になった。
家事は、大学からずっと一人暮らしだったもんで、掃除・洗濯・料理は不都合ない程度にはできている自信あったけど、
"できる"とは言えないと思って少し頑張って自分の中で"できている"レベルまであげた。
ただ、こうした自分のレベル上げに専念するには時間が掛かかってしまい、
節約生活と仕事増やして少しでもお金を稼ぐのに時間をとられ、付き合いが減ってしまい出会いがなくなってしまった。
これに気づいて出会いを増やそうとすると、自分に興味を持ってくれる人は価値観が違いすぎて付き合うに至らない。
具体的に言うと、結婚とか子育てには興味は持ってもらえず、楽をしたい目的で家を持ってて家事ができる男性を捕まえたいというのが見え見え過ぎて、こっちが引いてしまう。
自分の持ってる婚活パラメータ(家事能力・資産・収入など)を隠すと嘘をつくことになり、相手に申し訳ない気持ちになり隠すのに成功した試しがない。
また、元記事のブクマに恋愛経験をかかないと性欲とか女性への興味がないのではと疑われるみたいなので、簡単に書いておきます。
一度付き合うとそこそこ続く方(2年前後)だと思っているので、人数は少ない。
一人目は、大学2年のはじめ頃から付き合いはじめたが、就活中に浮気をされて別れた。
二人目は、入社後すぐぐらいから付き合い始めた。しかし、相手は呑むのが好きな人だったので、自分が結婚を意識次第して呑む回数を減らす事に理解を得られず別れた。
三人目は、最初順調だったけど途中からお互い互いのことが好きであるかわからなくなり、別れた。
四人目は、相手の転勤で自然消滅。(※これは半年未満で別れることになった。相手が本当に自分が好きだったのか、自分は相手のことを本当に好きになれたのかわからずじまい。。。)
正直にいうと一人目の浮気の件で若干女性不信で、こっちから一歩を踏み出すことはかなり少ない。
また、二人目の人と三人目の人は話し合いの末、円満に別れた(つもり)で、今も交友はある。
どうすれば結婚ってできるのだろうか。やはり、お見合いしかないのだろうか?
幸い自分は今年30代に足を突っ込む年齢。まだ、中年ではないはずだ。
修正するなら今のうちだと思うけど、どうすればいいのかわからない。
最近は要求分析が間違っていたのではないかと不安になっている。
ヒアリングのサンプル数が足りなかったのだろうか…?
兄弟や友人の協力もあって自分のまわり、っというバイアスも排除したはずだがやっぱり偏っていたのだろうか。
また、別れた元彼に聞いても絶対結婚はできるから焦らなくていいぐらいしか言ってくれない。
そう言われてもねぇ…
元増田が言うように、準備したのがいけなかったのだろうか?
車にかかる税金は消費税とガソリン税(軽油やLPガス含む)のみにするべき。
取得税、自動車税や重量税などは全部廃止。
これらは不公平性があるし、ロビー活動的なものが活発になりやすい。
現状絶妙なバランスで(一見)公平性が保たれているが、どこのポジションの人が見ても公平と思っていない。
少なくなった税収は全てガソリン税に加算する。
現状、ガソリンを多く消費する人達のコストを、ほとんど消費しない人たちが負担しているので、それらを是正できる。
税金をこの消費税とガソリン税の2つに限れば消費者(特に自家用車を持っていない層)に非常に分かりやすい。
この政策の一番のメリットは、購入後はガソリン税に一本化することで、自動的に低燃費の車に減税のバイアスがかかり、放っておいても燃費が良い車が普及する。
カタログ値や国が決めた条件などに関係なく、実際の燃費(=石油の消費量)が税金の対象となるので、エコカーや軽自動車の条件の達成や分類などの余計なコストがかからない。
電気自動車にも使用電力に応じて、火力発電程度の石油換算(or 二酸化炭素排出)分の税金はかけるべきだが、絶対数がすくないので当面無税で普及を待つのもいい。
もちろん即時課税でも構わない。
自賠責についても、加入は必須なのでガソリン税に含めても良いと思う。これで無保険自動車がなくなる。
(ただし単位距離当たりではたくさん乗る人ほど事故は少ないはずなので、若干不公平感がある。)
事業などで不要な部分の税金の払い過ぎは決算時に申告し、還付。
可能性は低いと思うが、燃費追求のため、軽量化し過ぎで安全性の低い車がでるなら、今よりも規制は必要。
軽油、LPガスなどにも同様な税金はかけるので、まとめて二酸化炭素排出税なるものでもいいが名前がカッコ悪い。
できるだけ一度に移動するなど施策され、エコに進むのは良いこと。
ただし、使用の絶対量が多いので、ある程度の減税措置は必要になるかも。
先日、初めて作った有料のiOSアプリを無料にするキャンペーンをやってみた。
それまでは数えるぐらいのダウンロード数で、レビューもフィードバックも何も無い日々だったけど、
無料にしてみた事で1万ダウンロードぐらい落とされて、レビューもちょっとだけ付いた。で、なんとなく分かったこと。
直感的には、身銭を切って買ったものは批判的、無料な物に対しては寛容的と思うかもしれない。だが、実際は逆のようだ。
金を出したものに対しては、自分の判断が間違っていなかったということを裏付けようとして無意識にポジティブなバイアスが掛かる。
逆に無料なものについては、気楽に手に入れた分だけ、気軽に非難する事が出来る。説明や注意も読まず、すぐにゴミ扱い出来る。
おそらく、手軽に手に入れられる物はきっと手軽に作られたのであって、尊重するに値しないという、一種の認知的不協和があるのだと思う。
この辺は、高級ブランドのメーカーが無駄に高い価格を設定する戦略にも通じている。
これは上と似たような話ではあるし、多くの人が既に知っている事だけれど、無料ユーザーのリテラシーの平均値はちょっと低い。
それもそのはずで、iOSで購入をしようとするなら、クレジットカードを持っているか、iTunesカードを買ってそのコードを打ち込むという操作が必要になる。
キャリア決済出来る国もあるのかもしれないけど、基本的にそれらを完遂するには結構なリテラシーが必要だ。
一方、無料なら単に落とすだけ。それこそ幼稚園児でも可能である。
なので、何らかの知識を前提としていたり、操作が複雑に見えるようなアプリをその手の人達に渡してしまうと、
あっさり「使い方がわからないので星一つ!」みたいな反応を食らってしまう。
レビューシステムについては色々な意見があるとはいえ、未だに多くの人にとってアプリを見定めるフィルターの第一段階になっていることには変わりない。
なので、星一つをいくつも付けられると無名デベロッパーの無名アプリなんかはあっさり殺されてしまう。それってかなり怖いことだ。
自分は知らなかったのだけど、世の中には多くのアプリ値引き情報を扱うサイトが存在していて、
単に値引きしただけで情報をキャッチしてクローズアップしてくれる。
そこで自然流入してくるユーザーは有料ユーザーにはなってくれないと思うけれど、アプリ好きのアーリーアダプターである可能性は高い。
なので、レビューをしてくれたり、今後のアップデートでのバイラルの起点になりうるという点で貴重なユーザーベースになってくれるかもしれない。
特に海外展開もしている場合は、アピール方法が全く思いつかないような国にも自然流入が発生してくれる。
これは語弊があるのかもしれないけれど、例え親しい間柄であっても、それが仮にビール一本分の値段だったとしても、有料であると分かった時点でシャットアウトしてしまう人種が居る。それもほとんどの人が。
開発者の目線だと、どんなアプリにも作る苦労があって、機能から判断して割高に感じるアプリなんてそうそう無いと言えるんだけど、消費者の目線はそうじゃない。
自動販売機やコンビニでは気軽に散財しても、100円のアプリを買う事には慎重で賢くあろうとする人達が存在する。
この辺は作り手と消費者の越えられない壁みたいなものだし、分かりあえない前提で立ち向かわなければならないんだけど、
作った苦労に対価を認めてくれないという現実に無感覚で居られるようになるためには、ちょっと訓練が要る。
無料か有料かということよりも、開発者として何よりも重要なのはフィードバックを得ること。
無反応で消えていくよりかは、バラ撒いて反応を得て学習をしていく事で改善する方が遥かに生産的で、次の企画にも繋げられる。
なので、無料化はマーケティングの一つの手段として、基本的にはかき集めたフィードバックに応じてイケてるアップデートをしたり、どんどん新しい物を作っていくだけである。
どんなアプリであっても、裏にはこんな事を考えて日々試行錯誤している生きた人間が居るという事なんだけど、
自分も含めて、消費ばかりしていると時々そういうの忘れがちだよね、ということで。
ずっと職場では天然キャラのバイアスがかかってたらしい。機械の誤作動を自分のせいみたいに言われるとか。
あなたはちょっと抜けてるからそうなっちゃったんだね~って上司から一言添えられることに腹を立ててた。
一つのバイアスを他の要因から起きた結果に敷衍するような誤謬はけっこうありふれてる。
なにか不都合が起きた場合、その要因をなるべく説得力をもたせて説明するように心がけていたら、彼女は抜けてるとは言われなくなったそう。
趣味嗜好の話でも、俺フィルターってのは結局そいつの脳内の話なので、ぼやっとしたイメージでしかない。
その相手の理想から外れたときに、相手に得心のいくような説明とかがあればいいのかもしれない。
さすがに甘いものがダメとかっていう生理的な話に説得力持たせろなんて無理だと思うけど。。
こういう話は環境を変えるか自分を変えるかの二択になりがちで、環境を変える方が楽な場合が多い。
そういう人が多い環境から抜け出るほうが、自分変えるよりもストレス少ないと思います。なんだかズレたアドバイスですみませんが、頑張ってください。