はてなキーワード: コートとは
1位、D&D
2位、RRR
3位、シン・仮面ライダー
D&Dは、よく練られたシナリオ、無駄のない展開、畳み掛けるギャグ、違和感のないCGで、流石のエンタメ振りで堂々の1位。
惜しむらくは、方向性がエンタメ極振りなので、作品として特段テーマ等を感じない「良くできたラノベ」的な映画である事。この辺、ハリウッドが完全に「面白さの方程式」のようなものを確立してしまっているのか、似た作品を見た覚えが特に無いのに、妙に既視感を覚えて新鮮さがない。スパイダーマンなんかと読後感が同じである。娘を持った父親が主人公である時点で、もはや展開は最後まである程度見えていた。
RRRは評判の高さから期待して見たが、冒頭も含むイギリス人の暴虐シーンがキツかった。主人公の一方が忍耐の人である事もあり、「今楽しそうだけどこの先にキツいシーンが待ってるんだろうな」というストレスが常にあった。展開は二人の友情と葛藤、そして舞台背景である植民地時代が興味深く、インド人の情念のようなものも感じられて大満足の一本だった。いかんせん長いけど。特に無駄なシーンがあった記憶もないが、もう少し短くしても良かったのではないか。あとエンディングで急にプロパガンダ臭が噴き上がったのは何なんだろうか。あの絵画のオッサン達、映画に出てないよね? まあ、インド独立の立役者という意味では作品に沿ってなくもないけど、あれで作品がどっかの新興宗教の布教ビデオみたいになった事に驚愕。
3位、シン・仮面ライダー。他で感想書いたからここで長々書こうとは思わんけど、とにかく変な言葉遣いでキャラを立てようとするのやめろ。滑り過ぎだ。あと、制作陣に誰か一人、一歩引いて一本の映画としての善し悪しを判断できる人を置いておくべきだったな。
中心テーマが不在で、かと言ってエンタメに徹するわけでもなく、CGもチープで興味深いキャラもおらず、展開も纏まりがなくて何したいのか判らん一本になってしまった。良い部分も書いて上げたいが、正直、コート着てる仮面ライダーがカッコよかったな、くらいしか思い浮かばない。すぐ脱いじゃったけど。
あと、一部の不評を買っていた暗闇の中の戦闘はそんなに悪くなかった。超人的なヒーローのアクションなんてまともに見える必要はない。なんかよくわからないけど凄く打ち合いしてる、という感じでオッケーだと思う。
以上。
すごい分かる。
cocaとかZARAとか着てて贅沢ができてない。
私が大学ぐらいのときにファストファッションが日本に入ってきて、
初めてのファッション体験がそこになっちゃったから、社会人になってからもその頃の金銭感覚から抜け出せないんだよね。
でも、それでもルミネのそこそこのお店で5万超えのコート買うぐらいのレベル。
それで「うわ〜うわ〜き、きるぞ〜〜〜」って思いながらうっすらと後悔するぐらいのチキン。
あと、特別何かのオタとかファンでもないからドドン!と自分の欲望にお金を使うことに慣れていないというのもある。
私の場合は唯一の趣味が海外旅行なので、年に1回だけまとまったお金を使うが、
とはいえ学生のような旅行が好き(安宿にとまって博物館・美術館巡り)なのでそこまで浪費もしない。
浪費しなくても欲望は満たされてるので、ますます他での浪費も減るという。(こんなことにお金使うなら旅行に使お〜って思う。まあ節約したとこで旅行でも使わない好節約循環?なのだが。)
加えて、酒タバコギャンブルやらない。太りたくないから自炊。使うとこない!
「まぁまぁお金がある独身女性向けに、ブランド力こそないが価値がある商品を売りつけたい!」みたいな依頼を受けて仕事をしたりしている。
フェイク入れつつ具体的に言うと、
「ブランド力はない、でもモノはいい。そこに社会的付加価値をつけることによって、年齢・収入的にきちんとしたものを欲しいと考える堅実な大人女性にアプローチしたい!だからエシカルブランドとして認知させましょう!」みたいなわけわからん企画とかやってるわけ〜
うちらみたいなファストファッションに慣れ腐った人間が「社会的に正しいから」って理由で4万円するリサイクル素材のワンピ買うか〜????みたいな疑問をめっちゃ抱えながら仕事してる。
だったら、
・モノは良いし老舗なんで、ベーシックなもの買えばリセールの潰しが効きますよ〜とか
・低収入ファッション全振り勢にターゲット定めて、めっちゃモードにする〜とか
・流行りの診断系とまとめて20万でヘア・メイク・骨格・ファッション・アクセのフルスタイリングでセット売り〜とか
・体験とセット売り(ブライズメイド用で花嫁とその周辺向けにワンピ4着まとめて売る)〜とか
…の方がまだ買うかな〜って感じはする。
保険か強い欲望か、他の浪費とくっつける方がまだ買う気がする。
まあそういうコスパ意識したものって贅沢品の企画では好まれないんだけどさ。
マジで誰が買ってんだろうね、贅沢品。
偶然だが最近、銀英伝のアニメ見たんだよ。まあ全編じゃなくてyoutubeに上げられてる細切れのエピソードを数十個って感じで。
この増田みたいに銀英伝への憎悪を顕わにする高齢オタクが憤懣ぶちまけてるのをたまに見るので気になってたんだな。特にヤン提督っていうのがリベラル代表として憎悪されてるのが多い。
https://anond.hatelabo.jp/20230407234853
結構面白かった。民主政の意思決定のダメさとか現場の意見が無視されて甘い見立てが人気を得ちゃうのとか色々テーゼが山盛りなのな。
でもTwitterやヤフコメで暴れてるオタクがヤン提督にイキってるのってヤン提督の態度や思想でしょう?特に有名なところだと
それは、権力を持った人間、権力に媚びを売る人間が、安全な場所に隠れて戦争を賛美し、他人には愛国心や犠牲精神を強制して戦場へ送り出すことです。
宇宙を平和にするためには、帝国と無益な戦いをつづけるより、まずその種の悪質な寄生虫を駆除することから始めるべきではありませんか。」
ってやつ。
何でかと言えば、最近というかここ数年「軍師」批判がポピュラーになってる。特に叩かれやすいのがネトウヨで軍師は居るが兵隊は居ないっていう界隈になっていて、己の能力の客観視と自意識のすり合わせが出来ていない集団を外から見たらそりゃ軽蔑されますわな。
はてブのコメでもよく見るが、自我の防御として言ってるケースが目立つ。言われたら痛い事を自分から言うってやつね。
特に2/5chでなんJとアフィまとめブログが衝突を繰り返すようになった5年くらい前から叩きの言葉として流行しており、ストレスが溜まっているのではないか?
先に引用したセリフはまさに軍師批判エッセンスみたいなもんで良く貼られてるのを見るしその度にイライラした反論チックな事がされている。
また元増田の
というのを見た事が無いのだが、どういうのなのか?ポリコレなどに過剰適応?
それに
とナチュラルに常識へのルサンチマンが出てるのってどういう事なのかね?
「元増田が新しい社会常識」についていけない老害なのではないかとの疑念がわく。
1970年に「増産より公害対策を」と言っているのは共産党などの左翼が中心だった。だが20年後の1990年には公害対策は規制に組み込まれあらかたの公害は解決に向かっていた。既に工業規格と共に公害規制を熟知していないと倒産する時代になっていたわけだ。
1975年にはどこにでも痰ツバ吐き放題、だが1995年に道端に痰ツバ吐いたら顰蹙だし客先の敷地でやったら出入禁止の懲戒解雇だ。
もしかしてその痛い第二世代ってはてな村の旧村長みたいな人の事を言っているのか?
この度のコラボ攻撃やその前の温泉娘擁護で批判者を炎上みたいなムーブメントに冷淡な人らの事を言っているのか?
温泉娘では吹き上がったオタクはオタクイラストへの攻撃だとの扇動にまんまと乗ったが、その実はイラスト拒絶じゃなくて昭和脳な運営の黒岩知事流出メールみたいなオヤジの小汚い性意識開陳でそれへの炎上だった、っていう所まで見ていて覚えているところとかが一体感に水を差して不愉快なのか?
その前の中野まんだらけ騒動では対面の商店主の批判は「お気持ちだ!」とフェミへの批判と同じ道理で炎上させて潰せるとオタクたちは思っていたが、その一体感に背を向けてこれは風営法案件である事、風営法の管轄官庁は警察署である事、行政権と司法権が近く更に裁量権が大きい分野である事、などを説明する人を見つけ出して読み、オタクの一体感には冷淡だった事が不愉快なの?
コラボ騒動ではそれらの経験を踏まえてオタクらの一体感に水を差し、「また同じ理路と実存操作で扇動されてる」と冷淡だったところが気に入らない?
最初から「共産党との癒着で」「NPOのスキームを乱用して公金ガバガバゲット」「保護した少女を管理売春」「汚部屋宿舎に超高額請求」というところから始まっているので今までの経験から絶対にまともな批判にならないと見抜いていた事がポリコレ的?
それらがデマである可能性が高い上にそのデマがネットでは既存の形式なのでセットになるデマがあり、駅前の放置自転車のカゴの様にデマがデマを呼ぶ展開となって、社会的な物事を知らないオタクへの軽蔑を深める展開となる事を最初から見抜いていた事が「新しい社会常識」への恭順的で気に入らない?
新聞が産経を除いて記事にしない、更にそれに対して「マスゴミが報道しないフンダダラ」「報道しない自由」という反応があるのを観察して「ああいつもの」と冷淡だったのが気に入らない?
まず2002年頃まで。ここでは2chはネオ麦茶を生み出した悪意垂れ流しのバカの集まりで近づいてはならぬもの。
2002~2007年くらい。2chの影響力が増す。特に後を押したのが小泉改革で、既存の道徳を破壊してもいいし我らはその抑圧されていた主体だ。僕らが目指すのは常に上。
2007年~10年代前半。Mixiが流行。そもそもMixiがあれだけ成功したのは「2chではない」からに尽きる。顔出しや所属明記してのネット活動は2chのエサになるので出来なかった。その普通の人らの欲求に合致した為に大流行。
一方、コアな2chユーザーは2chで炎上して炎上側に居たらネットでの正義、という一体感と全能感の前提が崩れてしまいMixiに異常な悪意を抱いていた。病的なやつは「2chは自由、Mixiは北朝鮮」と数千ものコピペを貼りまくっていた。
10年代前頃~後半。ネット広告の伸長によりまとめブログが大隆盛。不愉快な反対意見を削除してまとめてくれるので閲覧者は全能感全開で気持ちがいい。だが広告単価が高くなるとヘイトスピーチの様に反社会的で程度の低いコンテンツは掲出拒否や契約解除されるようになり低調に。
オタク第二世代というのはこのオタクを中心としたネット民が共同性を持ち、強い隣組的行動則で異論をパージし「若者の異議申立」の文脈で企業脅迫や誤情報流布での評判操作をもしていくという中で人格を形成していった世代だ。
そんな不遜な態度に異を唱える者もいた。例えば大塚英志などだ。
大塚の主張は大人ならオタク産業は給与や報酬の交渉権すらない(労働組合や職業組合)のに目を向けろというものだが、単に一体感や全能感を棄損するオタクバッシャーとして異端追放されるだけだった。
『さらば青春の光』っていう英国映画があるんだが、モッズという暴走族の物語だ。イタリアのベスパスクーターにミラーやライトなど過剰な飾りつけをして陸軍の野戦コートを着て集団で走り回り大人が目をひそめる事や喧嘩してばかりいる。
警察に捕まった主人公はカリスマモッズのエースに出会って心酔する。エースのベスパはGSという高級車種だ。
裁判では仰々しい説教の後の判決が罰金刑だったので「そんなもん今この金で払ってやるよ」とコケにして仲間で大ウケ。
だがエースたちもやがて「大人になる」時が来るのな。エースはホテルのベルボーイになってヘイコラする労働者になった。
主人公はこの姿を見るや、世間に迎合した憧れのエースに憤懣やるかたない。日経新聞と朝日新聞を併読する大人になんかなりやがって!いや間違えた、こっちは反ポリコレしか知らないのに法規制や過去の慣行やその上での現在の業界事情を知りやがって!これも間違えた、とにかくお前はあのエースじゃない、俺の心の裏切り者だ!
エースの愛車だったベスパGSを盗んで走り出した主人公は速度をつけて崖からGSでダイブ。エースのGSがグチャグチャになったところでフィルムはストップ。
だがその後主人公は生きていてトボトボと歩いて行く…っていうのがあらすじだ。
元増田らあんたらは結局世間的なものに迎合して己を変化させて行くオタク第二世代のいくらかがインフルエンサとして目立つの気に入らないんだろう?
今まで自分の立ち位置を自分で確認した事があるのか?みんなで炎上させれば正義になる、だけど隣組がキツくて「これは違う」という事は許されない、そんな村落共同体みたいなところにずっと居ていいのか?因みに暴走族とかアウトローの世界はみんな同じ行動規範だ。そうやって「世界を閉じる」事で共同性や象徴性が堅固なものになるのだ。
暴走族も学生運動もいつか卒業するんだよ。18や22でな。あんたらはいくつだ?40代だろ?
オタクのくせにオタクの共同性に埋もれないやつらは元増田にとってのエースだ。レゾンデートルを否定するやつらだ。
だがそいつらはオタクの実存の外の社会でやっていくことでオタクコンテンツが価値を産むことを判っているからベルボーイをやっている。共同体の失敗を見ないという隣組規則は焼畑であり行き詰まり誰かが尻ぬぐいをする事になる事を知っているからやっている。
温泉娘は老若男女の旅行客に訴えてアピールする為にある。年喰ったオタクの性欲を開陳したいから掲出してくださいというんじゃ温泉宿もお断りだ。
身寄りのない高齢者 https://anond.hatelabo.jp/20230329152826 を書いた者です。ここ数日は朝晩先生のところに行き、おむつを替えたり水筒にお湯を汲んだりそうめんを茹でて届けたり恨み節を聞いたりしておりました。
コメントで、築50年、1970年代に作られたマンションの様相についてイメージしずらい(しづらい)方がいるようなので書いてみようと思いました。
このマンションは1970年ごろ、23区内の都心ではない地域に建てられた。8階建て、64戸。間取りは3LDK。私鉄の駅から続く商店街を徒歩五分といった立地だ。私は昭和55年、1980年くらいから住み始めた。幼稚園生だった。
小学校に入学するとなったとき、この地域には集団登校というものがあり、そこに参加することになった。マンションの一階のたまりに50メートル半径くらいに住む小学生が集まり、6年生の班長を先頭に行列して登校していた。下駄屋のせがれが班長、レストランのせがれが副班長。スーパーのむすめにはよくからかわれていた。この集団が30人ほどで、うち15人ほどがこのマンションの子供だった。統計を見るとこの区の当時の小学生の数は今の倍で、同級生が5人いた。幼稚園のころ、鉢合わせるといつもいじわるをしてくる「とおせんぼうのおねえちゃん」と私が呼んでいた子が、入学式で同い年だと判明した時の驚きは今も覚えている。親同士も入学式を機に急激に関係を深めていった。それぞれ多様なルーツと職をもつ家庭同士が「同級生の子育て」という繋がりで協力関係を築きはじめた。地元の零細土建屋の社長、理工系の技術者、保育士、共産党員、福祉従事者、学者など様々な職種の親たちだった。仕事の忙しい時は子供をあずけたり、おかずを分け合ったり、土建屋のおやじが釣ってきた魚をさばいて集まってみんなで宴会したり、うちの母が子供たちに勉強を教えたり、醤油や砂糖がないときは借りに行ったりというつきあいがはじまった。そういう関係性は同級生以外の世帯にも波及し、私が成人するまでは本当に長屋のような雰囲気があった。おばさまたちはたくましいコミュニケーション網で、マンションだけでなく地域の情報を過剰に共有していた。マンションが商店街に面していたこともあり、町内で起こったことはすぐに衆人の知るところになるような状態だった。救急車が来ればすぐに誰がどうなったかの情報が回り、火事が起きたら皆が集まり、私が近隣で悪さしようものなら、すぐに母の耳に入るような、そんな街だった。
おそらく80年代はほぼ全世帯が持ち家だった。新築で購入した住人ばかりだった。私の両親も、新築で買った父の弟が海外に赴任になり、譲り受けたものだった。なので高齢者はほとんどいなかった。近所にワンルームマンションというものができたという話が広まり、住民がいぶかしがるような時代だった。独身者はアパートに住み、地元民は一軒家に住み、新興の移民がマンションに住むという構造だったのだと思う。商店街にコンビニやレンタルビデオ店が出現したのは80年代後半だったか。街が進化しているという雰囲気があった。(しかし資料をみるとこの街の全盛期は遥か昔にあり、戦前から駅前には映画館や集会場があり、商店街はその枝葉の脇道にまで飲食店や遊興施設にあふれていたらしい。私が知る商店街はメイン通りだけだ。映画館なんて想像もつかない)90年代後半に私が実家を出るまでは、商店街には勢いがあったように思う。オリジン弁当のはしりのような店で私はバイトしていたし、中規模の本屋ができたり、中古ゲーム屋ができたり、インディーズのコンビニができたり、まあたらしい店舗が次々に出現した。外国人も増えていった。皆が東京の未来を信じていた時代だったのだと思う。
その後私は実家からそれほど遠くない、もうすこし大きな駅で自立する。歴史も規模も地元とは一味違った。そこではじめて都市生活者としての暮らしがはじまったように感じた。近隣に知り合いなどおらず、非常に個人的で閉鎖的な生活がはじまった。恋人と同棲していたのでそんな環境でも寂しさはなく、気楽で自由な暮らしを謳歌していた。文化的な地域だったのでアーティストやら文人やらといった有象無象とのつながりもでき、地元とは違うコミュニティでの生活は心地よかった。新興サッカークラブのファンの繋がりなどもあり、自立して新たな人生をこの地域で歩んでいるという満足感もあった。今思うとJR沿線と私鉄沿線では街の成り立ちが違っていた。どちらがいいのかはわからない。
そんな2000年代。わが地元のマンションは活気を失っていく。子供たちが出て行って高齢化したからだ。私が実家を見切った大きな動機の一つに衛星放送問題があった。マンションの世帯は四方にあり、衛星放送のアンテナを南西だか南南西に向けられる世帯は限られていて、我が実家はどうしても衛星放送が受信できなかった。90年代後半に普及したCS放送を見るためにどうすればよいのかと苦心していたとき、マンションの理事会が開かれるという。私は屋上に衛星アンテナを設置し、各戸に配線することによってどの向きに位置する住人でも衛星放送を視聴できる環境を実現するべきとの議案を提起した。私は住人のおじさまおばさまへ向けてプレゼンしたのだが、投票の結果は否決だった。そのとき、長老のひとりのおばさまの「わたし意味がよくわからなかったけど、反対にしちゃった」というつぶやきが耳に入り、ああもうここに住んでいてはいけないと思った。ここは朽ち果てるのだと本気で思った。この街には何の魅力も感じなかった。若い方には意味が分からない話かもしれない。固定電話でインターネットに繋いでいた時代の話だ。
「マンションの向かいの部屋」という記述がわからないというコメントがあったので、マンションの構造について記す。我がマンションはいわゆる「内廊下」である。エレベーターはマンション中央部にあり、廊下も完全に屋内にある。外から各戸のドアは見えない。ホテルのような構造だ。階段も内部にあり、非常階段だけが外部に設置されている。一階のロビー(といってもたまりと集合ポストがあるだけなの空間)に受付のようにガラス窓の事務室のような管理人室があり、そこは居住空間にもなっている。管理人は住み込みで管理会社が雇っている。部屋の所有者は管理会社だった。初代の管理人は私が物心ついたころにはおじいちゃんだった。気のいいおじいちゃんで、前述した「先生」もこの管理人とは懇意にしていたそうだ。彼が引退した後、何人か後任が変わり、今の管理人は勤続20年くらいか。気さくな夫婦で住民とは打ち解けている。数年前、管理会社の方針で住み込みでの雇用は打ち切るとなったとき、マンションの自治会が自治会費で管理人室を買い取り、管理人を雇用することになったとのことだ。そのときの声明文で「高齢者が多くなっているこのマンションにおいて住み込みの管理人は不可欠」といった文言があったそうで、先生はそれを根拠に管理人に介護を強いろうとしているところもある。管理人はそれを個人の裁量で判断する領域だと主張しており、それに対しては他の住民も管理人に同情的な態度でいる。介護するほどの給料は払っていない。
マンションのふもとには公園がある。サッカーコートくらいの広さに、20メートルほどの高さの木々がぽつぽつとたっている。子供の頃は木々をよけながら野球やサッカーをよくした。さして広くない公園なので、子供の打球でもしばしばボールは柵を超える。超えた先は民家や我がマンションの一階世帯だ。植木や窓や壁を破壊することもある。住人としてはたまらない。子供たちをどなりつけにくる。われわれ悪ガキはそんなこと関係なしだ。ホームランを打つと出てくるモンスターとしか思っていないので、どうやって攻略してやろうかという遊びの延長としてとらえ、慣れてくるとからかったりする。怒り心頭の大人は行政に働きかけ、公園には「サッカー野球等の球技は禁止です」の看板が立つ。そんなものも我々にはなんの効力もなかった。そんな折、被害にあっていた一階の住人である医師の夫人が、先生の師範学校の先輩だったそうで、先生に「あなた現役の教員なんだからここらの悪ガキに説教して頂戴」という指令が下った。先生はしかたなしにひきうけ、我が家に集められた子供たち親たちを前に話をすることになった。先生はそのとき、野球だサッカーだ窓を割るなとかいう話は一切せず、私が教えている学校には、いろいろな子供がいて、それぞれ固有の好奇心があり、自由時間には絵を描いている子もいれば、本を読んでいる子もいる、おしゃべりをしてる子もいるし、折り紙をしている子もいる。子供というのは自由な環境があってこそ成長するものであるという話をしたらしい。私は覚えていないのだが、聴いていた父はいたく感心したらしい。先生にはそういう一面もあったようだ。
たまに実家に帰るたびに衰退し活気を失っていったわがマンションも、2020年代から変化が訪れた。年寄りが死んで子育て世代が移り住んでくるようになった。私の幼少期とは数が違うが、小さい子供をよく見かけるようになった。外国人も増えた。賃貸の住人も増えた。私は離婚しひとり身になっていたところに、父の介護が必要になり再びこのマンションに戻ってきた。父を自宅で看取り、そのまま母との二人暮らしがはじまった。職場も近いし、近隣にはなじみの人々がいて、それなりに快適に暮らしている。スーパーのむすめも今となってはわたしをいじめないし、買い物に行けば談笑くらいはする。先生は最近どうなのという話題は常にあがる。先生はスーパーや下駄屋の軒先で店主をつかまえて延々と話し込むのが日常だったし、出歩けなくなってからは困るとスーパーにも電話してきて助けを請うので、みな戦々恐々としているのだ。なぜ先生のことをそんなに詳細に知っているのかというコメントもありましたが、こんな地域では先生の詳細なくらしぶりなど、個人情報というより災害情報のように扱われているのです。ケアマネもすぐにその輪の中に取り込まれる。そんな地域なのです。
ベイコート倶楽部、エクシブの上位施設だね。「離宮」系列より下だけど「エクシブ」よりは良い、中間クラスだ。うちの会社もエクシブの会員権持ってるんだけど、一時期は「東京ベイコートの会員権買いませんか」って結構セールスがかかったよ。
ああいうのは法人や経営者のオーナーが多い。で、社員の福利厚生として使ったり、オーナー一族が使ったりする。会員権もってれば宿泊自体は安い。
会員制リゾートってビジネスモデルが面白くて、新施設の会員権販売という形で会員権を売り出す。つまり建てる前からキャッシュインするので、土地建物の減価償却のことを考えずにオペレーションだけに集中できる。さらに会員権販売が好調なら年会費も入ってくる。一方で、施設の平均稼働率(≒満床率)が上がっても、宿泊費を取れる客が多くない(ほとんどが会員の年間利用権内宿泊)ので、そんなに儲からない。いろいろと普通のホテルとは違う仕組みになっている。本当かどうかはわからないけど、エクシブの営業は「正直、占有権を使って宿泊したお客様に晩ご飯を外で食べられると赤字です」と言っていた。
東京に家族旅行して、子供を遊ばせる場所がお台場・晴海ばかりだったので、お台場近辺で一番安いホテルに泊まったの。
それでも素泊まり1泊1人1万円して「高いな~」と思ったけど、思い切ったの。
ビッグサイトとフジテレビのちょうど中間あたりにある、ホテルトラスティ東京ベイサイドてホテル。
羽田空港からりんかい線に乗り換えて、国際展示場駅で降りて、まるで公園みたいなだだっぴろい通路(公園なのか?)をテクテク歩いてホテルに向かうと、高い2本のビル。
さすが素泊まり1万円だな~と思いながら近くまで行くと、立派な大きな門があり、ビシッと制服を着こんだ門番係までいる。
すげー、高級ホテルじゃん。
門からは何千万円しそうな車高の低いスポーツカーが出てきた。フェラーリのランボルギーニてやつだったのかしらん?
1万円のホテルでフェラーリ?超高級ホテルなのに1万円ならお得だったな、と思いながら門番に「ここがトラスティですか」と聞くと、「トラスティはお隣になります」と。
2本のビルの根元にへばりついたような4階建てのホテルで、それなりに高級感はあって1万円でも納得できる部屋ではあったんだが。
東京を楽しんで地元に帰り、隣のホテルはなんだったんだろうとグーグルマップをみると、東京ベイコートクラブという会員制の高級リゾートホテルじゃった。
会員権を得るのに1000万円~3500万円かかり、年会費も年30万かかり、さらに一泊数万円の料金を払わんといけない。
誰が泊まるんだこんなホテル、と思ったが、グーグルマップの口コミを見ると、ふつーに「家族連れで泊まりました、まあまあでした」みたいな口コミとともに、
これまで見たこともないような、私らが泊まった隣のホテルとは別世界の広い部屋(地元ホテルのスイートより広いよ)、豪華な調度品の写真の数々が投稿されていた。
食事の口コミも「まあまあだが、この値段なら妥当かな」的な。一食数万円で。
いやー、こんな金持ちの世界って漫画やドラマでしか見たことなかったけど、いるところにはいるもんだね!
普段は隔絶された別世界で全く接点がないから意識してないけど、けっこうな数が生息してるんだね。
一食数万円の食事して「値段のわりに良い」みたいな感覚、想像できないんだけど、いるんだね。
たまたま偶然そんな世界の一端を見てしまって、自分はこれまで親が地元市の副市長だったり、自身と夫も日本平均くらい稼ぐサラリーマンで世帯年収は1000万超えてたりで、日本で中の上くらいにいる自意識だったけど、そんなの田舎の胃の中の蛙で、東京には自分らとは隔絶された上流の世界が広がってるんだなと、打ちのめされてしまった。
副市長ってそれなりの立場かと思ってたけど、所詮は安月給で使われる庶民(奴隷)の日常生活を管理する勤労者、囚人の牢名主みたいなもので、本当の金持ちは勤務時間や行政なんかに縛られずに生活して不労所得を得てるんだろうね。
と、旅行から帰ってきてからずっと「金持ち爆発しろ」「共産革命起こっていいぞ~」と劣等感からの汚い感情が頭の中でグルグルしてるので吐き出してみた。
あーすっきりした
本郷猛が熱血漢ではなく鬱々としていた。棒っぽい演技はシンプルに怪人化による人間性の欠如、とかではなくシンプルにコミュ障でバイクばっか乗ってる奴、というキャラクターの表現なんだろうか。でも人を信じるというテーマが結構大きかったし、その辺の成長を描き出すには良いキャラ造形だったと思う。2号の飄々とした感じも対比的に映えるし。
冒頭のライトなゴア表現で、ああ「そういう感じ」なのかなと思った。でも「大人向け」にありがちな安易なエログロ露悪という訳でもない。よくパンチ力キック力がウンtと言ってるようなスペックの割には、並の人間がボコスコ殴り合ってるようにしか見えないな、という所に説得力が出ていた。同じ強い力でも使い方次第で怪人にもヒーローにもなれるけれど、それでも人を殺すという事に葛藤するシーンの説得力にもなっていたと思う。
ずっとスーツの上からコートなのは怪人の身体になってしまって云々、みたいな予想もあったけど、単に着たきり雀というだけだった。
"BATTA-AUG"でなんかウケた。そこは英単語じゃないんだって。特撮的緩さの表現なのかな。じゃあなんで横文字の発音はいちいちネイティブやねんな。
自立走行でノロノロ走るサイクロンが可愛かった。あとショッカーって多摩ナンバーなんだ。
コウモリおじさんの疫病が云々ってくだりは、タイムリーなご時世要素かな。AIとかの設定も。
斎藤工筆頭にシンウルトラマンメンバーが出てたけど、まあ割と似たような役回りで安心感があった。
ハチオーグ戦で仮面ライダーが刀を振り回すのもあんま似合わんなと思ったけど、割とかっこよかった。でもやっぱキックがかっこ良いね。
2号は洗脳されていた時点であの軽い感じで、「優しと弱さは紙一重」を敵の立場から言うのがかっこよかった。力なくして優しさを貫く事はできない、というのはヒーローモノを観てよく思うし、ワンパンマンの無免ライダーみたいなのはあんま好きじゃないけど、その辺は敵の台詞ではあるけども突っ込んでくれて良かった。
ラスボスの「すまなかったな」は完全にエヴァじゃん。割とゲンドウまんまのキャラ造形だった。エンディングでの森山未來の名前を見て、思えばダンスっぽい動きが多かったなと気付いた。
シン・ウルトラマンみたいに中ボスを撃破していくオムニバス形式で、あちらと違ってオチとしては「俺たちの戦いはこれからだ」だったけど、ザ・バットマンみたいなヒーローの新生という事で、それはそれで良かったと思う。
観る前は首元が出てるのが気になったけど、メットはあくまで「仮面」であって、託されたスカーフで隠すという所まで含めて人間らしくて良かった気がする。
リモートワーク終わって、近くの気になってた天ぷら屋さんに入ったよ。
平日なのか店内の客は数人しか入っておらず、手早く天ぷら丼を30分前に注文したよ。
しかし来ない。一向に来ない。
オーダーが通ってないのか?いやあそんなはずは。こんなにお客さん少ないし。
お腹がすいたより、待ってる時間がもったいないという気持ちが背中を急かす。
遅い。遅い。
あと3分、いや5分だけ待ってこなければ、店をでよう。
でもオーダーミスなのかも。
思考ループに苦しみながら、コートの袖を通していたら、丼がきた。
美味しい、美味しいよ。
でも待ってた時間に比べれば、そんな美味しくない。
やっぱ忘れられてたのか、なんかサクサクしてないぐにゃぐにゃしてる。
待たされた時間に勝手に上がっていった期待値が、しおしおと自分勝手に萎えていく。
私みたいに人生の旬が過ぎた味が少しする。
店員さんは愛想がよいだけに残念だった。
一歩一歩コツコツ歩きながら、無心の中にも思いはめぐる。
尊敬する大好きだった方が亡くなって数年たった事。
歩みを止めて、上を見上げて息を吐き出す。
冷たい黒色に温かい白色が混ざって消えるのを、ただみてた。
おいしいごはんのおかげかな。