はてなキーワード: 首吊りとは
母親は神に祈れだの神の勉強しろだの、俺のことを見る気がない。俺の辛さをわかる気がない。
他の家族も、俺を見ているというより、家族が死ぬというのが嫌なだけ。俺のことなんて見ていない。
周りの福祉関係の職員も仕事だから自殺されたら困るから止めてるだけ。俺のことなんて本当はどうでもいい。仕事だから仕方なく構ってるだけ。もし俺が死んだとしても次の日には忘れてる。
他の人もそうだ。どうせ俺が死んでも面倒なやつが死んでくれてせいせいするとしか思わない。
こんな人生を続けるのはしんどすぎる
早く死にたい
長生きしたところで苦しみが長く続くだけだよ。意味がない。誰も俺のことなんて詳しく知らないし、知る気すらない。別にいいけど。俺だって俺に興味ないし。無価値だから早く死ねばいい。人生の消化試合がこのままダラダラと続くくらいなら、まだ若いうちにさっさと死んでしまったほうが儚くていいだろう。年老いて自殺しても醜いだけだ。このままこの苦しみが続くのなら、死んでしまいたい。どうせまともになれないんだから、死んだほうが早い。人とまともにコミュニケーションがとれないゴミは人間社会にとってどう考えても邪魔で、不要な存在だよ。健常者はみんな障害者なんて醜くて汚くて面倒臭くて邪魔だと思ってるだろう。だから税金を障害者に使うのもこれからどんどん減っていく。どのみち社会的に死んでる存在だ。このまま惨めに終わっていくのなら、早く死にたい。
これ以上歳をとって醜くなる前にさっさと死にたい。
これでもまだ誇りを捨てないでおこうという気概が自分に残っていることに少し驚いた。なんでだろう。今の時点で相当終わってるのに。わからない。何気に自尊心がまだ少しは残ってるのかもしれない。俺がまだ高校生なら、もう少し生きていようと思えたのに。もうあの頃には戻れないし、もう完全に取り返しがつかない。全てにおいて終わってる。どうせ人は死ぬんだから、死ぬタイミングは自分で決めたい。自分の納得の行くタイミング、死に方で死にたい。小汚い死に方はしたくない。死ぬなら景色のいいビルの屋上で飛び降り自殺。そう決めてるんだ。こんなに死にたいのに、死にたいはずなのに、死ぬのが怖い。人間の本能というものが本当に憎たらしい。
結局「自殺するな」というのはどこまで行っても他人事で、自殺を止める側の自分勝手な考えに過ぎない。当人の苦しみなんて当人以外にはわからないし、止める側の立場上死なれるのは困るという以上の理由はない。社会の混乱を生むからだとか、残された家族が困るからだとか、結局そういう経済的な理由から自殺予防というのは存在する。結局当人の苦しみなんて関係なくて、「金」の問題でしかない。人の命なんて所詮そんなものだ。みんな社会を維持するために限界まで働かされて、老いぼれになって人生を楽しめなくなってからようやく開放される。人間というのは惨めな生き物だ。所詮社会に使い捨てにされるためだけに存在する。
何が言いたいかというと、人間の命は無価値だからいつ死ぬかも自分で決めていいということだ。止めるのは本人の自由を妨害することに他ならない。
自分の内面の話に戻るが、外に出ると不安で不安で仕方ない。特に何もしていないのに、自分がなにか重大な失敗をしてしまったんじゃないかと不安になる。周りが全員敵に見える。バスに乗ると全員俺を邪魔な存在だと思ってる感じがするし、死ねと思われてそうで死にたくなる。この世界のどこにも居場所がないような気がして、家に帰っても喪失感、虚無感でいっぱいになる。歩いててすれ違う人が俺の容姿をみてバカにしているように感じる。変な奴、気持ち悪いやつだと思われてるんだと確信している。所詮どこにも自分の居場所はないし、ただ暇をつぶすためだけのものがあるだけで、オレの心を救ってくれるものはない。宗教などで救われようとする気力もない。ただ薄っぺらい娯楽で、死ぬまでの時間をダラダラと食いつぶしているだけだ。俺の苦しみなんて価値もないし、誰にも見せる気もないから、ただ一人で苦しんでいくだけだ。所詮人間なんてそんなものだろう。みんな救われたいと思っていても、誰かが救ってくれるわけじゃない。そんなに他人は暇じゃない。この苦しみをわかってくれる「何か」が欲しくて、自殺関連のものを読み漁ったりするが、やっぱりどこか自分と違うし、何か足りない。この苦しみを分かち合うコミュニティがあればいいが、だいたいそういうものはネット上では規約違反になり、「漂白」される。死にたい人間の苦しみなど、世の中の決まりを決めている側にとっては、邪魔でしかないということだろう。
所詮幸せも苦しみも全て過ぎ去っていくなら、さっさと無に還ったほうがいい。諸行無常という言葉のとおりだ。生きる意味なんてないんだ。どうせ人間は一生孤独なんだから、死んでしまったほうがいい。こんな空虚で無意味で無価値な人生など、さっさとおわらせてしまったほうがいい。どうせオレ一人死んだところで何も変わらないし。
世の中の「常識側」にいる人間が嫌いだ。常に自分たちは正義で、間違いなんて犯したことはなく、清廉潔白だと言わんばかりの態度が嫌いだ。その他人の苦しみを屁とも思わないその姿勢が嫌いだ。もちろん悪いことをした人間は糾弾されるべきだが、正義側にいたら罵詈雑言を浴びせてもいいとか、嘲笑ってもいい、嫌がらせをしてもいいというのは違う気がする。人はもっと人に優しく有るべきだ。なんでこんなに人間社会は憎しみと嘲笑で満ち満ちているんだろう。気持ち悪い。もちろん俺もそういったものに参加して、誰かをバカにすることがある。それをやっているうちはちょっと何かに対しての復讐心のようなものが満たされるが、所詮一時的なものでしかない。それを続けていると、段々とその矛先が自分に向くんじゃないかというのが気になっていって、段々と人間不信が強くなり、苦しくなる。そんな醜いことをやっている自分のことも嫌いになっていく。悪循環だ。だが、なかなかやめられない。他人のことを考えていると、自分のことを考えなくて済むから楽なのである。その時だけは苦しみから開放されるのだ。俺はこの自分の癖を、非常に問題だと思っていて、できるだけ早くやめたいが、なかなかやめられない。ゴシップというのは、「何も行動していない」というのが武器になる。なかなかそういった趣味は存在しない。創造的な趣味はだいたい自分が努力していないと駄目だ。創造的な趣味でない場合も、知識が必要になってくる。ゴシップというのは他人から競争することから逃れられる数少ない娯楽なのだ。こんな醜い娯楽はさっさと消えたほうがいいが、社会の構造上消えることはないだろう。そういう人間の醜さも嫌いだ。段々と自分が人間であることが嫌になっていき、自己嫌悪で満たされていく。何にも挑戦する気がない人間は、何も得ることができない。匿名でなにかを書き続けたところで、何も得ることはできないのだ。名前がない投稿は、社会制裁を受ける可能性が低い代わりに、得られるものもない。まさに空気だ。存在する価値がない。人を攻撃したところで、何も得られないのになぜ人は人を攻撃するのか。やっぱり人間の本能なんだろう。争うことで人は社会を構築し、進化させていく。本当に気持ち悪い生き物だ。だが、そうするしか方法が見あたらないのも事実だ。だから人間は滅びたほうがいい。俺が人間を滅ぼす方法を実行できるなら、もうとっくに滅ぼしてるだろう。核爆弾を管理する人間がなぜこういった考えにならずに済んでいるのか、わからない。人間社会はどこまでも空虚で、無価値で、醜いのに。
快楽、喜び、楽しみ、苦しみ、悲しみなど何もかもが過ぎ去っていくなら、すべてのものに価値はない。価値がないから、滅ぼしてしまってもいいだろう。俺はずっと昔からこういう考えで生きてきたが、なかなか同じような考えの人間に遭遇しない。なぜなんだろう。俺も周りにこんなことは言えないが。自分では真に迫っていると思うのだが、どうせ世間から見たら愚かで、頭がおかしいと嘲笑されるだけだ。ニヒリズムと言わておしまいだ。でも、合理的に詰めていったら、そういう結論になると思う。「ニヒリズム」というのがおそらくレッテル張りのために存在するんだと思う。社会にとって良くない考え方は、そうして潰されていくんだと思っている。そういう社会を維持することを結論としていて、それ以外の考えは一切受け付けないという風潮も嫌いだ。結論が先に決まっているから、何を言っても無駄だからだ。とにかく俺はひねくれていて、惨めで馬鹿だから、そういう考え方になるんだろう。こういうことを書いていると、早く死ねと思われるんだろうな。そして死んだら、こういうやつは死んでも仕方ないと片付けられるだろう。結局俺は社会に捨てられた存在だし、社会に貢献する気もない。だいたい社会ってなんなんだ。ただ俺は人間として生まれただけだ。社会の一員になると決めたわけじゃない。だがたしかに社会なしには人が生きていくのは困難だが、社会の重圧に耐えて生きていくのも苦しい。人間は欠陥だらけだ。本当に空虚で惨めだ。社会に属さなくてもどっちみち苦しいんだろう。こういうのを完璧主義というのかもしれない。ひねくれすぎて、自爆しているだけなんだろうな。俺はどのみち満たされることはないんだろう。ただ苦しみながら惨めに死んでいくだけだ。アホくさい。俺は変なところで正義感が強い。他人を馬鹿にしたくない、だからバカにしているやつを許したくない。でも結局それは自分に返ってきて、自分が苦しくなるだけだが。誰かの意思を感じると、それに従いたくないという強い意志が湧いてくる。昔からそうだ。逆張り思考なんだ。だから俺には対して意思がない。自分がない。空虚なのだ。昔からそうだ。他人ありきの考え方しかできない。逆張り思考とはそういうものだ。未だに自分が何をしたいか、どう生きたいのか分からない。ただ嫌なことから逃げているだけだ。俺にはなりたいものもないし、やりたいこともない。空虚な人間なんだ。ただ人の反対をやっているだけで、別に強靭な考えのもと行動しているわけじゃない。だからすぐ自分に自信をなくすし、すぐ途中で諦める。惨めな生き物だな。おれはこのままずっと素直に生きられないんだろうな。何重にもひねくれた思考が俺を苦しめてくる。自分で自分を苦しめているんだ。愚かで馬鹿だが、やめられない。癖になってしまっている。考え方を変えるというのは非常に骨の折れる作業だ。俺はそれを成し遂げられる気がしない。だから俺は一生このままだろう。一生惨めなままなんだろう。このまま醜くなっていくなら、今死にたい。25歳というのは一種の区切りの時だろう。俺はそれまでの時間をダラダラと無駄に生きてしまった。もう取り返しがつかない。早く死にたい。損切りをするなら今だろう。これ以上醜態を晒したところで、惨めなだけだ。愚かなだけだ。やっぱり首を吊って死にたい。自殺といえば首吊りだろう。暗く、おぞましい感じがまさに「自殺」のイメージぴったりだ。飛び降りは少し爽快感がありすぎる。陰湿でジメジメとした感じがほしい。やっぱり首吊りだろう。ただ、首吊りは縄とか、結び方とか、色々面倒なのが玉に瑕だ。飛び降りは高いところから飛び降りるだけだ。これから死ぬというときに、細かいことを考えてられない。やっぱり飛び降りかもしれない。死にたいけど死ぬのが怖い。なんて臆病なんだろう。惨めだ。死にたいのに。この死にたさは本物なのに。外に出ると、空虚で空っぽな感じが加速する。人生に意味がない感じが加速する。誰も俺に興味がなく、みんな俺の命に価値がないと思っているように感じる。透明だ。透明人間だ。限りなく透明に近い存在だ。外に出るのが怖いのは、単純に今の春の空気感が嫌いというのと、それにウキウキしている人間が多い感じがするのが嫌いなのだ。春というのは色々と新しくなる。場所も人間関係も変わる。それがとてつもなく苦痛だ。心が外側に、虚無側に剥がされるような感覚に陥る。昔から、環境が変わるたびに、ひどく精神的ダメージを負っていた。今もだ。俺は環境の変化に敏感で、心が弱い人間なんだろう。生まれつきだから、おそらく治せない。治すとしてもかなり苦労するだろう。この焦燥感に満ち満ちた季節が嫌いだ。非常に気持ち悪い。心が削られていくような感覚に陥って、自分が自分でなくなってしまうんじゃないかと怖くなる。今の自分でさえ不安定なのに、新しい環境にあてられて、更に今の自分が揺れ動いて、消えていってしまうんじゃないかと不安になる。自分というものがハッキリしてないから、自己紹介もうまくできないし、自己PRもうまくできない。新しい環境というのは、俺にとって強風だ。俺はろうそくに灯された弱々しい炎だ。すぐに消えてしまう。消えてもまた炎はつけ直されるが、前の自分に戻りたいという欲求が強く、再び炎が灯っても苦しみは強く残る。前の自分に戻りたいということばかり考えてしまう。俺はいつも過去に生きているんだろう。惨めで愚かだ。だが、前に進むのが怖い。変わるのが怖い。ずっと変わらないでいたい。変わってしまうくらいなら、死にたい。死にたくて仕方ない。もう取り返しがつかないと考えてばかりだ。いつも過去に戻りたいとばかり考えている。最近とかではなく、昔からそうなんだ。小学生の頃は幼稚園に戻りたいと考えていたし、中学生の頃は小学校に戻りたいと考えていた。高校の頃は中学生に戻りたいと考なえていた。大学生の頃は、高校生の頃が苦しかったから、大学生になれて嬉しかったが、大学が苦しくなってくると、小学生の頃に戻りたくなっていった。今も小学生の頃に戻りたい。いい年こいた大人が、何を言っているんだろう。いつまでも過去のことばかり考えて生きているからこうなったんだろうな。今に生きていない。よく、俺は本当にこの世界に生きているんだろうかと不安になる。なにか自分だけ別の世界に生きているかのような、切り離されたかのような感覚に陥る。俺が俺である証明なんてなにもない。とにかく不安感で満ち満ちているんだ。なんでもないようなことにすぐ不安になる。これはもう治すとかいうものではないんだろう。生まれつきの癖のようなものだ。早く死にたい。「死」という絶対的に動かない、固定されたものになりたい。どのみちこの苦痛からは逃れられないんだ。忘れている期間があったとしても、思い出している期間のほうが圧倒的に長い。これで生きていろとなると、中々の生き地獄だ。早く死にたい。不安は人間にとって大切なものだとかいうのをよく見るが、俺にとって不安は苦痛を与えてくる存在でしかない。不安をほんの少ししか感じない人のほうが人生楽しいのは明らかだ。世間から断絶した生き方をしたい。全く他人の顔を伺わずに生きたい。他人という存在は不安を与えてくるほうが多い。人間社会は比較の連続だ。どこまで行っても比較は止まらない。趣味に没頭しようが、比較からは逃れられない。むしろ、趣味こそ比較で苦しみやすい。何かを作り出すと特に比較の対象になる。それ以外でも人間は比較したがる。婚活なんていうのはその極みだ。結局、比べることが人間の本能なんだろう。比べて、比べて、その先にあるのは苦痛だけだ。だからといって勝負を放棄すると、俺みたいに落ちぶれて、何も残らなくなる。なにも持っていないというのは、安心とは程遠い。何も持っていない人間は、環境の変化にとても弱い。真っ先に切り捨てられるとしたら、そういう人間だ。いてもいなくても変わらないどころか、いないほうが都合がいいので、かんたんに切り捨てられる。ゴミ同然だ。早く死にたい。社会のお荷物だという自覚があるからこそ、早く死にたい。人間社会というものがどうでもいいと思っているはずなのに、やはり他人の目というのが強烈に気になってしまう。俺は本当に自分の意志で生きているんだろうか。結局、「社会人とはこうあるべき」という生き方に囚われている気がする。そんなのは俺が一番嫌いなものなのに。不愉快だ。不本意だ。俺は他人の言われるとおりに生きたくないんだ。かといってこうしたいという意志もない。だからただ無能であることに固執している。無能でいれば、他人からどうこう言われないし、他人とあまり比較されることもなくなる。ただ、社会から見放されたゴミとしての扱いになるが。社会のレールから外れると、なにかに挑戦したり、何かを得ようとするのに非常に苦労するはめになる。なにも得る気がない生き方をし続けないといけなくなる。ただ惨めに、無様に底辺を這いつくばって生きる羽目になる。こんな状態から、まともな人間になろうとすること自体が間違いなんだ。何もかも足りていないから、何もかも努力しないといけない。そもそも努力しても補填できない穴もある。アスペがまさにそれだ。コミュニケーションに問題があるのは発達障害だから、どうしようもない。そのどうしようもない穴が、社会で必要不可欠だからとんでもなく苦痛なのだ。どのみちまともになれないなら、死んだほうが早い。俺は根っこから終わっている。それをどうにか隠そうとしたところで、それが露呈するのは時間の問題だ。結局みんな離れていき、誰も残らない。俺には冗談が通じない。馬鹿だからだ。馬鹿だから、面白い話ができない。馬鹿だから、話してて苦痛になる。生きてるだけで邪魔な存在だ。そこにいられると迷惑になる存在だ。馬鹿だから、なにもかもうまく行かない。馬鹿だから、まともに努力できない。ゴミみたいな人生がこのままずっと続くと考えただけで、非常に嫌になる。クラクラする。結局他人に迷惑を掛けるだけで、邪魔にしかならないし、自分も楽しいと思えない。生きてるだけで迷惑だ。邪魔だ。生きてるとどんどん苦しみが積もっていき、呼吸がどんどん苦しくなる。生きれば生きるほど、逃げ場がなくなっていく。段々希望が見えなくなっていくのがよくわかる。待ち受けているのは深い苦しみだ。将来に希望なんてないし、なりたいものもない。もし仮にこのあと頑張ってまともになったところで、別に何かあるわけでもない。俺みたいな人間が受け入れられるとは到底思えない。そもそも他人とコミュニケーションを取るのが怖い。怖いのを乗り越えたところで、アスペは治らない。どっちみち積んでるのだ。俺が誰かに求められるなんていうのは、結局幻想でしかない。俺はどこに行っても迷惑なだけの存在なのだ。邪魔でうっとおしくて、いるだけで空気が悪くなって、気を使わせてしまう。わかってはいるが、どうすればいいんだ?コミュニケーションというものが俺にはわからない。人間社会がコミュニケーションを重要視する以上、俺みたいなのははじき出されるだけだ。俺みたいな人間は一生孤独に生きていくしかないんだろう。ゴミみたいな人生だ。ただ、時間を浪費するだけの無意味で無 Permalink | 記事への反応(1) | 03:08
ADHD由来の後回し癖、浪費、金勘定ができない、借金、取り繕うために嘘をつき、嫌なことがあるとすぐ逃避するから無職の弟(成人済み、手帳持ち)を「ADHDは本人が頑張ってもできないことがある」「長い目で見て」とか私を説得してくる皆さん。
ADHDってすべての免罪符じゃないんですがご理解いただいてますか?
そりゃ私も本人の力を信じて本人でもできるタスク管理方法一緒に考えたり、褒めたり、叱ったり、病院も役所も福祉施設も付き添ったりいろいろやりましたよ。有給もお金もいっぱい使った。でも、弟は都合が悪くなる度に「殴りたくなってきた(殴らないけど物に当たる)」「死んで償います(首吊り、オーバードーズ、失踪。全て怪我なしで発見)」「死んで償う用意をするのでお金ください(?)」って言って人を脅す。これ許す必要あります?
病院も役所も福祉も、最初は「お互いのために早く離れた方が良い」とか言うのに最後は「確かに特性はある。でも本人も反省してるし頑張ってる。やればできる人だから。お姉さんのフォローも必要」とか言うわけ。
確かに学力に問題ないし、普通にやり取りもできるよ。取り繕うのだけは上手いしね。でも暴力匂わせて人を従わせるのも、お金を払わないのも全部犯罪なんですよ。ADHDなら無罪になるとでも?家族に対してなら無罪?もしかして民事不介入ってやつ?
それとも私が本当にボコボコにされる日までご理解いただけないってこと?
それはごめんなので私はそろそろ抜けさせてもらうわ。あとは「まだ弟は若いしやり直せる。どうにか借金肩代わりしてやれないのか」とかほざいて責任押し付けあってる親か祖父母がどうにかしてくれると思います!全員お金ないけど。
全員不幸になれ。馬鹿どもが。
頑張った人間は報われるべき、環境次第では報われないのもやむなし、そもそも頑張るのに必要な環境がない、みたいな議論が色々あるっぽいけど、頑張るのは前提なんだなって思う。
前提かどうかは知らんけど、頑張らない人間が相応に貧しい思いをするのは当たり前みたいな共通の認識がある気がする。
インターネットで観測する反出生主義みたいなのは割とそこん所が入ってるような気がする。なぜ頼みもせんと生まれてしまって、生存(あるいは人並みの生活)を人質に労働をせなあかんのかっていう。
おれもそう思うけど、まあ悲観する人間もいれば生まれて生きてることを喜ぶ人間もいる訳だし、良いも悪いもなく今の世界はそういうもんなんなんだろうなあという気持ちだけがある。ローマ帝国市民か超大金持ちのボンボンに生まれたかったねえ。
とはいえ割り切って頑張ろうという気持ちにもならない。興味もないことを頭に詰め込んで仕事にありつくのも、好きなものを楽しい範疇を超えて磨くのも、死ぬほど面倒臭いし楽しくない。
じゃあ好きなことだけ満足できるほどやってられるかと言ったら、世の中そんな天国でもない。
楽しくないなら死んでしまった方が良いと思うが、死ぬのにも中々気合いがいる。その気合いが無いのだから死ねないし、色々なことが面倒臭い。あと完全自殺マニュアルはゴミ。なーにが首吊りは快楽や。
好きなことだけやってられる世の中に変えていこうかといったら、自分が生きている間に実現出来るビジョンが見えない。そもそもそうやって行動するのが面倒臭くて生きるのも面倒なんだよって話だし。誰かが変えるのを期待するにも、待ってる間は飯を食わな苦しいし、飯を食うにも金はいる。
死なずとも生活保護というものがあるらしいが、雑にググると情報が錯綜しまくっている。
労働信仰寄りのポジショントークでは、健康体の人間は受けられないと言っている。そもそも働きたくない人だって沢山いるし、オマエだけ楽しようだなんてけしからん。甘えるな。みたいな説教付きで。知らんがな。
労働アレルギー寄りのポジショントークでは出来る、少なくとも出来たという情報もあるらしい。事実なのか、そうだとして再現性があるかどうかは甚だ謎だ。
弱男からしたら首吊り縄だけ吊り下げた狭い部屋に入れておいて「自分の首をしめてるんじゃないの」とか言われてもなというところでしょうね
それは、AV男優は本番行為撮影時に常に半勃ち状態を維持して陰茎を膣に入れて交接している。という事。
あと、日本のAV男優が勃起している陰茎の角度が直角ではないのも、日本人の男性器はフル勃起すると根本から硬直して上向き(縦)に角度があるので男性器を横に倒すと痛い。(そういう硬い陰茎の状態でできる体位は極論だと正常位や側位や座位または背面騎乗位ぐらいしかできないと思われる。)
AV男優は半勃ち状態だけで、平均な成人男性の勃起時ペニスサイズを上回る陰茎を持つ人達の集まりであるのであろう。でないと性器の見栄えや撮影時のペースが成り立たない。(もしAV男優がフル勃起で交接をしていたら男優のオーガズム(射精)が割と早く来てしまい、ワンカットな長回しな撮影ができなくなる。)
それを知らない童貞や無知者(大半の男性視聴者)は、「AV男優はフル勃起で思うままにやっている」と都合良く解釈して妄想してしまう。妄想によってその世界に憧れてしまい、結果カモになってしまう。
AV男優は性欲が完全に満たされないジレンマの中で交接をしているであろうと思われる。撮影終了後にAV女優と肉体関係をしているかは不明だが(多分プライベートでの交接は無理だと思われる)。
それはイチゴ狩りのように、採れたてで甘くて冷たくて大きい美味しいイチゴが、果樹園には無く食べれないように。(いちご園にはぬるい苺しかなかったりして、何かとその理想が埋まらない。)
中出しをしているアダルトビデオというのは、まるで昔に存在したといわれる首吊り芸人のような見世物な大道芸である。
ピルや血液検査などの医学知識の産物である医薬や医療などの技術によって、死活問題を背にしたある意味、捨て身の芸ができる。
幸いなのかわからないが、身近な人が死ぬは3度あったくらいだ。小学生のころの中の良かった友達の祖母、私の祖母、友人だ。まあ、母はいい年なのでそんなに長くないだろう。父は知らん。
ふと思った。死に関わりがないのは、自身が死んで周りの人間に死を振りまくためなんじゃないかと。自身の死という一番大きい死にすぐにでも関わるべきなんじゃないかと。そう思ったらいつ死のうか、どうやって死のうか、そんなことばかり考えてしまう。
でも、死ぬのって色々考えてしまう。痛いのが長いと嫌だな。即死がいいな。誰にも迷惑かけないといいな。そんなの無理だ。前からやってきた男に刺されないかな。線路に飛び込むのは迷惑がかかりすぎるからだめだ。首吊りは糞便垂れ流しになるのがいやだな。死ぬならそんなの関係ないのに。練炭が安らかにいけそう。イメージだけど。母親よりは後に死にたいな。だから早く死なないかな。道歩いてたらいきなり轢かれたいな。
最近はいよいよ死にたくなってきた。死ぬ準備をすると止まれなくなりそうだから。とりあえずでも。準備はできないな。明日というか今日は金曜日。あと一日がんばろう。
ポルッタ
@pol_tta
明日金曜日からエーアイ社の前で、暇空茜のアバターと名義の差し止めを求めるハンガーストライキを行います
https://twitter.com/pol_tta/status/1714969607164088368
経緯
暇空茜のボイスやアイコンは「琴葉茜」というエーアイ社のボイス合成ソフトのキャラを使っている
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ボイス合成ソフトでは「ずんだもん」が有名だが、ずんだもんの会社はヘイト動画に使われた場合、キャライメージを守るために削除依頼してくれる
でもエーアイ社は無視
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琴葉茜ガチ勢、琴葉を守るために暇空をどうにかしてくれとエーアイ社に嘆願しまくる
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命に代えて琴葉を救ってもらうためにポルッタがエーアイ社内で服毒し腹を刺しながら首吊りするも生還
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でもカウセ高い。
保険適用ならマシかもしれないけど心療内科混みすぎ問題だしカウセ受けたいって言っても紹介してくれない医者も多い。自宅最寄りの心療内科なんか抗うつ剤すら出さない。ひたすらビタミン剤サプリとプロテイン処方してくる。
首吊りして救急搬送で連れてかれた病院はカウセも紹介するよって言ってくれたけど遠すぎて通えない。
自宅からはそれ以上に遠い。
正直言ってどう考えても死んだ方が早いから行く気がしない。
生きて楽になるためのコストが高過ぎる。
それでも生きてるのは、きっと自分では気づいていない生きることのメリットがあるんだろうけど、なんのことかわからない。
ただ、死にたい気持ちを見て見ぬふりして、苦しい気持ちと戦わされて、悲しい気持ちに蹂躙されて、心がボロボロで、死にたい。
楽に生きれるならその方がいいとハッキリ言える。
でも、楽になる方法カウセなんでしょ?
カウセに連れてってくれ。
ネタバレしてる
映画を鑑賞したのはだいぶ前。原作者と監督のアフタートークがセットになってたやつ。
今は本編はDICE+というサイトでレンタル配信中らしい。トークはここから動画と書き起こしが読める。
https://diceplus.online/feature/94
映画見た後に原作小説読んだけどけっこ〜違うのね!ってなった。
原作は平山夢明『独白するユニバーサル横メルカトル』収録の短編小説「無垢の祈り」
とにかくインパクトが凄まじかった。虐待のシーンは全面的に恐ろしく、特に性的虐待のシーンは人形を使っているとはいえ気持ち悪い。曇りしかない世界には陰鬱な雰囲気が漂っていて、どこにも救いが見い出せない。音楽も雰囲気作りもクオリティが高く、90分があっと言う間だった。
スラッシャー映画における「殺人鬼」はある種のかっこよさを備えている。悪魔のいけにえのレザーフェイスしかり、エルム街の悪夢のフレディしかり。バッタバッタと人を殺していく様はワクワクとドキドキを呼び起こすし、時には「嫌いな奴を殺してくれる/自分を殺してくれる」存在として胸を躍らせることもある。
あらすじを読んだ時にはそういう文脈の、「殺人鬼に嫌いな奴を殺してほしい/自分が殺されたい」という祈りとそれが叶う展開を想像していた。ちなみにざっくり言うと映画の祈りは「自分を殺して欲しい」がメインで原作の祈りは「嫌いな奴を殺して欲しい」がメインだと思う。
でもこの映画には救いがなかった。最後の「殺してください」の絶叫、殺人鬼が握りしめる鉈から、画面に映されてはいないものの殺人鬼は少女を殺してあげたんだ、救いはあったんだ、と思いたくなる。だけど恐らくこの作品は時系列をごちゃまぜにしている。着けたり外したりする眼帯、西暦の違うラジオと謎の首吊り現場、すれ違う2人などを考えるに、祈りは届いていないし救いはなかった。
時系列はどう考えても良いと監督が言ったらしいが、恐らく殺人鬼に殺してもらえなかった主人公は犯罪者になって殺人鬼の死刑と同時に首吊り自殺?してると認識した。一度見ただけなので間違ってるかもだけど。ここらへんの徹底的な救いのなさが、原作と一番異なる部分だ。
なんとなくだけど、短編集の一連のテーマ、書かれているものは「グロテスクな閉鎖空間でうつくしく光る小さな何か」だと思った。
ざっくり言うと映画は児童虐待下にある少女の状況を深く掘り下げるのがメインで(もちろん暴力を受ける子供をただ写すだけではない前提で)、原作は酷い状況下にもどこかにある輝くもの(この場合は祈ることそのものや救いへの希望)を表現するのがメインなんじゃないか。
あと、映画で刑事役をした原作者が改変に積極的に見えた。刑事の台詞が原作とは正反対だから。原作の刑事は「ああいう人間は誰かがそばにいてやらなくちゃいけない。/本人も苦しんでいるはずだ」と言っているが、映画では「キチガイは早く捕まえないと繰り返す」である。
かなりニュアンスが違うし、刑事にとって殺人鬼が単なる悪なのか助けるべき者なのかは作品のテーマに大きく関わってくるはず。個人的には原作と映画でやろうとしていることが違う、のを原作者が分かっていて台詞を変えたと思う。
そもそも主人公(虐待といじめを受けてる少女)の性格や考え方からして違う。
原作は殺人鬼が喋るし救いとして機能してるし主人公も未来に希望を持っているけど、映画は殺人鬼に対する祈りを「嫌なやつを殺して欲しい」から「自分を殺して欲しい」に変えてる上に殺人鬼が救ってくれない、主人公も希望を持ってないので後味がキツくなったし「胸糞悪い」と言われているんだろう。
「救い」という意味では、例え原作で主人公がこの先幸せになれずに死んでも、人生の内に優しく手を差し伸べてくれた人は確かにいたんだ、ということが「救い」になる。トークショーでの原作者コメント「たった一人でも理解者がいれば」も合わせて考えるとおかしくない。
それに原作は、社会から排除され、必要とされてない者同士が互いを必要とすることによって生きる目的になる、そういう希望がある終わりだった。
原作ファンはこの映画版を見てどんな感想持ったのかすごく知りたい。
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思春期のガキ共が良く分からん能力で異空間に飛ばされて阿鼻叫喚なアニメ「Sonny boy」のラストが弱者男性オチのWeakly boyでクソ過ぎるから見ろ
11話もかけて馬鹿ほど時間と手間かけて苦労して現実世界に帰った結末がネグレクト+周囲はこちらを見下して嫌味言ってくるクソ共+低賃金重労働ブラックバイトでパワハラされて半額弁当食うクソみたいな生活+ヒロイン寝取られとかいう地獄で誰も得しないオチだから凄い
最後の最後で主人公がいやまだまだ人生これからだぜ!みたいな事いうがほざけよクソガキが
そもそもまさに俺たちが生きてるこの現実世界が人生これからだ!つって結局は何にもならなかった弱者男性まみれでその結果として国レベルの衰退起こしてるのがこの大日本帝国だろうが
こんな現実がある状況でラストのラスト、クソ地獄な描写連発された後になーにがまだまだ人生これからだぜ!だよ喧嘩売ってんのか?もはや「現実」は気の持ちようでなんとかなる世界じゃねぇんだよボケが
厳しい現実世界と異空間を主題にした作品にも関わらず、現実世界とそこで生きる弱者男性に対するこの冷やかしみたいな浅い描写には反吐が出るわ
このクソガキは自分の未来は自分で決める!だからどんな結末になっても受け入れる!みたいな事も言うんだが、結局これただのしょうもない自己責任論じゃねぇかふざけんな、思考がもう樹海首吊りコースのダメなパターンそのものなんだよ
これらのセリフはなんの気休めにもなってねぇしなんの希望も光もねぇよ、何を伝えたいメッセージなのか知らねぇがマジで限りなく薄っぺらすぎんだろオブラートか?
11話かけてやってきた人間ドラマも描写も全部意味を成してねぇだろこれじゃ
結末がウンコ過ぎて存在価値が消え失せてんだよ1話から11話までの物語の全てが
終わり良ければ全て良しなんていうがこれは終わりクソなら全てクソって事でもあるんだわ
話がつまらないとか演出が意味不明とかそういうのじゃない、単純に物語がクソだ馬鹿野郎
意味有りげに出てきたキャラクターが特に何もせずフェードアウトするとか
後半はBGMの代わりに歌流して会話シーン無くして省エネする場面が増えるとか
そんなもんはこのクソなオチに比べりゃ些事も些事だわ
厳しい現実の描写入れ込んで何か語った気になってやがるのは意識たかいたかーい系のゴミ作品共が軒並み患ってる病気みたいなもんだが
このゴミはそいつをラストにまでしつこくぶっ込んで来た挙げ句ズレた終わりにしてて余計に質がわりぃ
現実厳しいです→異空間行きました→現実に帰る為に努力して現実帰りました→現実厳しいです
なんだこれ?海から塩取ってそれでスープ作って最後に大量の海水入れたみたいな話だな?セルフ賽の河原か?
そもそもなんだかんだで恵まれた先進国である日本が、発展途上国よりも自殺率が高いからな。自殺率と恵まれてるか否かはあまり関係ない。
ちなみに、日本では男性の自殺率は世界的には11位。女性のそれは3位だ。
一説によると、男性は飛び降り、首吊りなど成功率が高い方法で自殺し、女性は服薬、リスカなど成功率が低い方法で自殺するらしい。だから自殺未遂は女性の方が多い。
しかも、 渡辺淳一いわくリスカについて「男性は全血液量の3分の1の失血にて死亡し、女性は2分の1を越えてようやく死亡する。」
そういう所に飛ばされた事あるけど、中にいるおっさん達がやたらと女だからとバカにした発言やまともな仕事を分配しなかったりとか果てはストーカー化した人(私対象ではなかったが)普通に田舎の職場のそばに住んだら、病んで首吊りたくなる位毎日しんどいバカしかいない環境で仕事させられてたので意地でも23区から特急自腹で通ってました。気晴らしができる環境とまともな感覚の友人達は大事。
転職できて本当よかった。日本の若い女性が田舎に定着しない理由は女じゃなくておっさん達の他者にリスペクトもなければ女性であればある程度バカにした態度を取っても許されるという人を人ともみない態度にあるんだよ。分かってる人は分かってるけど、こういうおっさん達はもうどんなトレーニングしても変わらない。そんな所で働いて擦り減る位なら、気力のあるうちにやめるし出ていくでしょ。誰がバカの相手をして毎日イライラしながら生きたいか。
離婚届出してきた!!
妻とは行かなかった。
嬉しい。
有責は妻、いや前妻か。なので、慰謝料かわりに家をもらって、預金や年金だけ分割にして、俺に損はなし。
元々前妻にはレスられてて、外でセックスしてこいといわれてたので、そうしてた。
今の彼女はそうして関係を持った。最初はセックスできればいいと思ってただけだったが、付き合いが深まるに連れ、
前妻と別れて彼女と一緒になりたくなったのだ。
ある日、前妻と口論になったとき(俺たちの間ではよくあることだった)、今なら乗って来るんじゃないかと思って、
「もう離婚しようぜ」と言った。
そしたら妻は「ええそうしましょう。明日離婚届持って帰ってくる」と!!
俺は嬉しかった。じゃあ今すぐまず両親に報告しよう。と、俺は実家に連絡したし、前妻にもそうさせた。
それから一週間。前妻は離婚届を持って帰ってくる気配を一切見せない。
どころか、ニンテンドーダイレクトを見て、「ピクミン4出るんだ!スイッチもう一台買わなきゃね」
とか言ってた。いつまでここにいる気だよ。死ねよ。
改めて「離婚届、いつんなったら持って帰ってくんの?」と問いただした。
そしたら前妻は泣きながら「別れたくない」といい出した。
ふざけんな。俺のこともう嫌いだ、二度と好きになりはしないといったくせに。セックスしないと言ったくせに。散々人格否定してきたくせに、ふざけんな。
「俺は別れる気しかない」と突っぱねた。「お前が取りに行かないなら俺が取りに行くよ。離婚届。」そう言ってその日は終わった。
翌日前妻は起きた瞬間首を吊り始めた。気色悪い。
「何が不満なの?」と聞いたら、「離婚するなら首を吊る」と言って脅してきた。
俺は、こっそりスマホのボイスレコーダーをオンにして、「どうしたら首吊りやめてくれるの?」と聞いた。
前妻は、「首吊られたくなかったら離婚するな」といった。
数日後に離婚の話し合いを持ちかけた。
前妻に、「他に大切にした女性がいる。だから離婚は絶対だ」と言った。
前妻は持っていたグラスを俺に投げつけてきた。
破片は床や俺の足を切り裂いた。
その時の録音と写真を警察に提出し、相談した。傷は病院にいって診断書を作ってもらった。
前妻は「不倫女と飲んでたんでしょう!!」と大暴れ。
「不倫女に連絡させて」と言って聞かない妻。連絡取って、どうするの?と聞くと、
「不倫相手の職場を問いただす。職場に乗り込んで殺す!」と言った。
念のため、録音を警察に提出した。
ある日、彼女に送るために弾き語りの動画を撮影していた。ラブソングの笑
離婚したいしたいと言っている俺が楽しそうにラブソングの弾き語りをしているのを聞いた前妻は、
スマホを見せろ。でないと殺す。と脅してきた。頭突きして刃物を奪い取った。
ちょうど回っていたカメラに写った映像とともに、警察に相談した。
そろそろハッタリには十分と思い、離婚調停をしたいからそちらも弁護士を選んでおいてほしいと伝えた。
前妻は、「あんたが浮気したんでしょ!戦うから!」と血気盛んだった。
しかし俺も馬鹿ではない。前妻に彼女の存在を打ち明けてから、彼女と不貞行為に及んだことは一度もない。戦えるほどの証拠があるなら出してみろというものだ。
遠方に住む前妻の両親に、「前妻さんが首を吊りたがって困るので、助けてください」と連絡して、呼び出した。
そして取り寄せた調書をつきつけ、
「前妻さんが離婚になかなか応じてくれないので、これらをもって調停、裁判、もしくは告訴を考えています。
前妻さんはこんな感じで、僕の手に追えるものではないため、客観的に見て離婚は妥当と思います。
ただ、前妻さんのご両親が、前妻さんの説得に協力していただけるのなら、もう少し寛容に判断します。」
と告げた。
義両親はあわてて前妻の説得に協力してくれたよ。娘溺愛の義両親は、娘を告訴なんてされたらたまらんだろうからなあ。
前妻本人はヒスって話にならんし、本当に首つられても迷惑だし、助かった。
前妻は遠方の地元に帰る他なかったようで、どうせ家はいらないし、ローンもまだあるしで、ローンごと貰い受けた。
まあ、この家のローンも、頭金として義両親が1000万ほど出してくれたおかげで、たいした額じゃない。
まだ1年も住んでないからきれいだし、彼女が気にならないならこのままここで一緒に暮らせばいいと思ってる。
多分元増田より少し下の21世紀初頭社会デビュー世代なんだけど(もっと辛い氷河期、とか言い出すと角が立つからやめよう。)
この世代の人の就活のハガキが届いた企業で、合否を分けるバイトを大学の部活の先輩がやってた。
大学名と学部で指定が出ていて、それ以外はゴミ箱に入れるらしい。
東大・早慶と指定の国立、Marchや関関同立の一部で学部は理系はOK、文系は文学部や芸術学部いくつかはNG。性別では分けてなかった。
ハガキに名前と住所と学部大学と資料請求の言葉が書いてあって、対象なら合格の箱に。
観光学部の人がすごい小さな字で熱意原稿用紙5枚分くらいある内容をハガキに書いて送ってきたらしい。が、対象外なので苦しいながらもゴミ箱側に入れたと言っていた。
高校時点で、自分の頃には就活がもうダメかもしれない、と言われていたので、どっちにも行けるようにしていたが理転して工学部行った。東工大は落ちた。
最初は楽しかったものの、途中から好きな勉強じゃなかった。本当に辛かった。固体の上を電子がどう動こうと知らん。なぜもっと得意な化学か楽しそうなバイオにしなかったのか。後悔した。途中で辞めてフリーターになろうとして親と殴り合いの喧嘩した。一留。
アルバイトは家庭教師と、短期バイトの事務所に登録して20種類くらいやった。そんなに稼ぎは良くなかった。
就活、いくつ受けたが覚えてない。リクナビとマイナビを駆使して、予定表をYahoo!カレンダーにいれて、ドコモのP158のアドレスに届くように設定して手帳に書き込んで管理してた。
自己PR欄でキャッチーな言葉と文章を書けば目に止まるのは当時日記猿人でも読者がついてたことからわかってた。(ついでに何人かの友達のも書いた)
大手はダメだったが、大手子会社や聞いたこともない会社には刺さったらしい。
面接に呼ばれて、SPIは何も予習してなかったが高得点をマークしてたらしい。(面接で言われた)
二つくらい内定出た。
会社入れた。同期は早稲田、慶應、上智、MARCH、首都圏の国立大学、慶應行ってる弟が出身校リストを見てお前だけ一人おかしくないか?と笑ってた。確かにこの並びならなぜ入れたのかわからない。高校の同級生が撃沈しているのを見て、就職するには好きを学びに行っては行けないと思った。自分の5年も大概無駄だったとは思うが。
入った会社はしばらく採用はなかったが、合併で経営母体の大手から別の大手に変わり新卒枠ができたらしい。
会社のすぐ上はいなくてその上は専門学校卒。少し上に院卒。そのバブル世代が、ハガキなんか出さなくても勝手に入社案内が来たと笑ってた。
仕事は入社前に聞いてた話と職務内容も違い、勤務地も23区勤務と聞いたのに関東の僻地に飛ばされ、頗るつまらなかった。
昭和時代にできたものの保守。効率の悪いオペレーション。倫理観や躾の悪い敬うに値しないおっさんたち。残業は平均70時間。うんざりした。
何の役にも立たないグループ会社の健康保険医の面談。うんざりした。
地獄だった。
知っているか。睡眠不足が続いてくるとだんだん味が濃いものが欲しくなる、変な動悸がする。生理の血液が7日過ぎても10日過ぎても止まらなくなる。
一度目が覚めたら腕も足も切り落とされて月を見上げている夢も見た。やたら綺麗な月だった。
まだ20代だったけど、大規模地震かSARSか、ただただ苦しくて、天変地異が起きるか隕石直撃で殺して欲しいと思ってた。
ああ、正直に書くけど27過ぎたあたりから、グループ会社の結婚サークルに入らないのかと言われた。女性の会員が少ないから入れと。
つまるところ自社グループはおっさんが多いから、あてがう女が必要で女性社員を多く入れてたんだなと。ちょーメイクセンス。
だから同期だけ女、しかも見た目が読モみたいな女が多いのな。あてがうためか。ずっと男社会にいたから衝撃的だった。
当時付き合っている彼氏はいた(非正規社員)のもあるが、給料は少ないが、自分の事が自分でオーガナイズ出来るし会話も成り立つ。
この会社の自分のいるレイヤーのおっさん達は自炊も自分の服の身だしなみの管理も仕事の工程も機器の発注も何も管理できず英語も話せず
キャバクラパチンコがメインでしかできない癖に人の外見にはケチをつけるし会話が成り立たない知性を感じないクズどもだった。
こんな奴らと私生活まで一緒とか殺す気か。
同期は鬱で会社を辞めた。
先輩は職場で倒れた。救急車が来た。そのうち救急車が来ることにも慣れた。他にも倒れる人がいたからだ。
俺らより更に働かされてた隣の部署のチームリーダーがある朝起きたら冷たくなってた。葬式に会社の人はこないでくれというのが遺族からの伝言だった。
リーマンショックの後、大規模リストラがあって、職場でワイヤーで首吊りが発生した。
そりゃそうだろ。ずっと会社以外のことを考えられないような生活を強いられて、全てを犠牲にして、給与も据え置きで
(親会社から合併して降りてきた人たちへの調整金という名目で額面より1万円毎月勝手に俺らの給与から引き抜かれてたが逆らえる人などいなかった)
ずっと発狂しそうな寸前を首を抑えられながらスキルにもなりもしない仕事をメンタルヘルスがボロボロになりながら働かされてた。
俺たちはまだ別に移る余裕があったけど、もう転職するにも40手前で厳しい年齢の人だった。当時は。
心じゃなくて寿命が折れることもあるだろう。
そこまでしたのにニュースはすぐにかき消された。
同級生も野郎ばっかりだったが似たようなこき使われ方だった。自分の周りはもうほとんど連絡元っていないけど、誰も新卒の会社でそのまま働いている人がいない。
氷河期の頃の20代、フリーターや非正規の友人がスーパーが開いている時間に家に帰り、必要なものを店で吟味して買うことができ(当時は通販事情が違う)趣味に時間を持てて楽しそうだった。
週末も有給休暇も体調不良で消費していた自分の選択が間違ったように感じた。そこまで自分を切り売ったのに手取りは同世代のの中でも大してよくなかった。
職歴は持てたかもしれないが、あんな思いまでしないと得られないものでは本来ないはずだ。
この会社を辞めた後、午後5時の新宿駅で家路に向かう人の背中を見て、20時より前に帰る自由がある人がいる同じ時間軸でサビ残盛って奴隷のように無駄に働かされれ、20代を棒に降った生き方を強制されたことの怒りに気づいて叫び出しそうだった。
その後も、途中無職になったり、死にかけたり、入った会社の倒産や合併やリストラや色々煽りを喰らい転職を重ね
今は誰も知らないような外資に入って、つつましい仕事やってる。専門は専攻と全然関係ない情報系機器。肩書はengineerだがコンサルに近い。給与も高くはないが悪くない。やっと今人として必要なものを全部払って息が出来る状態。
月間残業時間もしなくてもいいくらいだが10時間くらいやっている。金があると少しいいものが買える。嬉しい。
会社でのキャリアは上げようとは思わないけどレイオフの対象にならない程度には維持しつつ、同僚も多国籍で物知りで礼儀正しい。差別発言とか出るはずもなく、すごく呼吸がしやすい。
ここまでに生じた持病の通院の時間もちゃんと平日内に調整できる。本当素晴らしい。
いつまでこの状態でいられるか分からないけど、やっと生きている実感がある。
もう年齢的にはここから伴侶を見つけようとか思えなかった。けど、同い年でやはり時代に殴られまくったズボラ料理が上手な人と一緒にいられいている。
この歳になると結婚にメリットも大してないから特に法的な手続きは考えていないけれど、向かい合う人がいるだけでどれだけ救いになっているか分からない。
そして今オフの時間は通信制の大学に入学して、何年かかるかわからないけどやりたかった経済学の勉強をやってる。
他の学部の法律関係授業とったりしている。そのうち余裕があれば心理学も勉強したい。
この後の望みは健康。20代の何も結実しない無理は確実に体を蝕んで、色々できないことが増えた。
とはいえまだ検診の数値はいいけど、ほんとこれ。死守していきたい。
ーー
就職できたからと言って労基法が全然今と違ったので地獄でしたという話。
事件のあたりは探せば出てくるよ。嘘松だと思いたいだろうけど。
本社の屋上は飛び越えられないように数メートルの柵があるって話だったよ。
就活の時、コネがあるから言えと親に言われていたが、それが嫌で絶対就活で得た仕事に就こうと思ってた。
それがこんな酷いところ。しかも上の人はコネで入った奴らだった。
最初の会社を抜けれてやっと眠れるようになったのに、何度も職場に連れ戻される夢を見て叫びながら起きた。
あんなに苦労して入った会社だったのに、PTSDがあるんだと思う。
36協定派当時からあったけど徹底が促されるのはその後のこと。
就職前に聞いた話と給与面・職務面・勤務地などが異なったら会社を訴える権利が出てきたのもその後のこと。
転職が少しずつし易いものになったも、ベンチャーが増えてきたのもの氷河期の後だったように感じた。
少なくとも第二新卒のときは転職先もなく第二新卒転職フェアに行っても主業で売るものがパッとしなくて、転職しても別の地獄があるようにしか見えなかった。
仕事していて嫌なことがや理不尽を感じたら、地域のハロワと同じところか近所にある労働基準監督署には相談できる人がいるから困ったらすぐに行くんだぞ。
近所すぎて噂になったらどうしようと思ったら、少し越境しても資格は一緒だから大丈夫。一人で悩まず相談しよう。お姉さんおばさんとの約束だ。
1. そもそも人を殺すことが難しい
無敵の人の事件とか見てるとナイフ持ってても人一人殺せないケースが結構多い
電車のような密室とか受験会場のような人が密集してる場所でナイフを振り回しても結局誰一人殺せてないわけで
いじめられるようなやつが殺せるとは思えない
宮台真司を襲った犯人は180cmでガッチリした体型で、なおかつ背後から襲ったのに失敗したからな
2. 仮に殺せたとして、捕まる前に速攻で死ぬのが難しい
もたもたしていたら逮捕されて卒業アルバムから何から何まで全国に晒される生地獄を味わうことになる
殺してから逮捕までの一瞬の時間で飛び込むなり首吊りなりして死なないといけないが、それができるのか?という話
猿之助みたいに無理心中で死にきれなくて一人だけ生き残るみたいなのは列挙に暇がない
よし死ぬかと思って死ねるかというとなかなか難しくて、その時の精神状態と体調と色々な運が噛み合わないとなかなか死ねない
だから自殺ってのは結構長期的なプロジェクトになりがちなんだよ
それを殺した直後に確実に遂行できるのか
そういう事を考えていくとただ一人黙って死ぬのが一番楽だという結論になる
「自殺するくらいなら」っていうやつはここまで考えて言えよ