はてなキーワード: 街角とは
「はだしのゲン」の何が問題視されたのか 広島市教委の平和学習教材から外された理由
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.tokyo-np.co.jp/article/231806
evergreeen 表現の自由戦士もたわわ弁護士先生も今のところ無反応か。ふーん。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4732532806094402084/comment/evergreeen
佐々木俊尚 @sasakitoshinao
これもポリコレの変種。「児童の生活実態に合わない」というけど、そういう過去の空気感もともに教えればいいのに。「家計を助けようと路上で浪曲を歌って小銭を稼いだり、身重の母親に食べさせるために池のコイを盗む場面」
https://twitter.com/sasakitoshinao/status/1626719644407963652
田中けい @TANAKA_Kei
>有識者からは「浪曲はいまの児童にはなじまない」「コイを盗む描写は誤解を与える恐れがある」という指摘があったという。
https://twitter.com/TANAKA_Kei/status/1626595275417731076
平 裕介 @YusukeTaira
キャンセル・カルチャーの影響が平和教育にも及ぶ。公共空間からの表現排除のハードルを下げる国民意識はこういった問題とも地続きなんですよ…
https://twitter.com/YusukeTaira/status/1626502911277801472
公共空間から不快な表現を排除する運動の行き着く先が、『はだしのゲン』が「有害図書」だとされ教育空間から排除される事態だと何故気づかないのか
https://twitter.com/YusukeTaira/status/1626551190275383296
もへもへ @gerogeroR
けっきょく平和教育だかグロでも不快でも許される!ということはなく「不快なものは公共から排除していくべきだ」という意識高い人たちのアップデートされた価値観の勝利だ!誇れよ。公共から不適切で不快なものを排除するべきだという人。
https://twitter.com/gerogeroR/status/1626388958396710913
くりした善行 @zkurishi
何度読み返しても意味がわからない。現在と違った価値観があったことを知ることは、歴史を学ぶ意義の一つでは。
>またゲンが生活費を稼ぐために、街角で浪曲をうなる場面も「いまの児童の実態に合わない」といった課題もあげられたということです。
https://twitter.com/zkurishi/status/1626142830224871424
無料版。シングルプレイヤー。Classic Mode。マップは「World」。時間は無制限。
賑やかな街角。一見してヨーロッパの古い都市かと思ったが、逆方向を見ると高層ビルが建っていた。
目の前の店の看板に「The Oldest Cheese Shop in America!」と書かれている。ほんまかいな。
標識に「Manhattan Br. Bowery」と書いてあるから、これはニューヨークなのかな。
グランドアベニューじゃないよ。グランドストリートを見つけたいんだよ。紛らわしいな。
と地図を探し回ってようやく見つけた。ロウアーマンハッタンのグランドストリート。
誤差4m。5000ptだった。
最初のチーズ店は開業1892年で本当にアメリカ最古のチーズ店らしい。
でもつい一週間ほど前にコロナ禍が理由で閉店が発表されたらしい。悲しいね。
ÄとÅを両方使うのってスウェーデンだけだった気がする。
と思ったけど地名がぜんぜん噛み合わないな。
途中で「E14」の道路標識を見つけて、それはストックホルム周辺に無さそう。
どうも北のほうの「Östersund」という街らしい。「Hotel Östersund」ってさっき見かけたぞ。
道路の名前から初期地点を割り出す。誤差0m。5000pt。ぴったりだった。
大きくカーブした道路。看板に「Welcome to Edgerton」と書いてあるからEdgertonという町なんだろうな。
「SOUTHERN WISCONSIN NEWS」とも書いてあるのでウィスコンシン州だったりするかもしれない。
これで道路の番号さえわかればなんとかなりそうだが…と言ってるうちに見つけた。国道51番だな。
道路を辿ってEdgertonを発見。本当にウィスコンシン州の南端だった。
誤差30m。5000ptだった。
川辺だな。近くに橋がかかっている。
そこまで広くない道の両脇にずらっと駐車されている。観光地なのかな。
看板を見るかぎりフランスっぽい。「A9 A75」とあるのは道路番号かな。
フランスの地図でA9とA75を探す…「BÉZIERS」という街か。
しかし「川辺で橋の近く」というわかりやすい目印があるのに地形がピンとこないな。
行き詰まったので回答してみるか。
ううん、BÉZIERSからやや離れた「Agde」という街だった。
詰めが甘かったな。誤差は19km。4938ptだった。
今回は5問とも都市部だったな。マンションみたいな建物に挟まれた道。
地平線までまっすぐ続いてそうな広い道路がある。
いや逆向きの標識に「BARCELONA」とあったのでだいぶ遠い都市を標識に書いてるパターンかこれ。
うーん、地名や道路番号から考えると、どうもバレンシアみたいだな。
道路の名前に人名がそのまま付けられてて探しづらい…が、それらしい道路を見つけたぞ。
南北に伸びるJuan XXIII通り。そこから緩やかにカーブしたFederico Alcácer Aguilar通り。
初期地点はたぶんこのあたりだろうから回答。誤差10m。5000ptだった。
日本では'76年に、フィレス・レーベルの作品がまとめて再発売されたことがありましたが、ボックス形式としては本邦初で、しかもCDのボックスとしては今回が世界初ということになります。また同時に、<ヒーズ・ア・レベル>という、関係者のインタビューを中心にした本が白夜書房から発売されます。それを読みながらこのBOXを聞きますと512倍楽しく聞けることを保証致します。
1958年、17才にして彼は”スター”でした。この後ポップスの歴史を彩ることになるクリスタルズやロネッツ、キャロル・キングやバリー・マン、ビーチ・ボーイズやビートルズの誰よりも先に<NO.1ヒット>を持っていた!、このことが良くも悪くもスペクターのその後の人生を決定づけたと思います。ポップス史上、#1ヒットを星の数ほど作り続けたリーバー&ストラーや、ジョージ・マーチンも、自らの#1ヒットはなく、このことが彼を単に<プロデューサー>の範疇では捉えられない最大の理由です。<彼を知ることは、彼を愛することだ>というデビュー曲の<彼>は、もちろんスペクター本人の意味で、そこには強引さ、傲慢さも感じられますが、実はそれが力強くもあり、<スターの要素>そのものだともいえます。彼の仕事ぶりを評して、全てを自分一色に染めてしまう、という批判をよく聞きますが、これはことの本質を理解してい居ない人の発言です。かれは<裏方>ではなく<スター>なのです!それを、アーティストの持ち味を引き出すのがプロデューサーの仕事だ、という常識的な意味で彼を捉えようとするから批判的になるのです。彼こそが<スター>で、誰が歌おうか演奏しようが、他の人は全て脇役なのです。単に映画監督と言う視点でヒッチコックを捉えるとおもしろい解釈は生まれない、というのにも似ています。(誰が主演でもヒッチの映画になります。黒沢さんもそうですね。)
デビュー・アルバム「TEDDY BEARS SING」のB-1「I DON'T NEED YOU ANYMORE」の<ステレオ・バージョン>はナント、リード・ボーカルの女の子の声が左で、真ん中がフィルのコーラス、しかも、ところどころリード・ボーカルの3倍くらいの大きさでコーラスが<邪魔をする>といってもいいほどの前代未聞のバランス!です。
デビュー前からしてこうなのですから、自己主張とかワガママなどという、なまやさしいことではないのです。
SCHOOLもの
のちにブラック・ミュージックにのめり込んでいった彼ですが、スタートは白人ポップスでした。まずは自らのヴォーカリスト、ギターリスト、および作曲家としての才能を試すところからはじめた、というところでしょうか。'50年代後半は、まだ黒人音楽は一般的ではありませんでしたが、若者の間では熱狂的な指示を得ていました。スペクターもいろいろな黒人アーティストを聞いていたようですが、こと自分のデビューに関しては、世間的に穏便な方法をとったところなど<奇[...]
また'50年代中期には「暴力教室」をはじめ「HIGHSCHOOL CONFIDENTIAL」など<怒れる若者>をテーマにした映画が続々と作られ、その代表としてJ・ディーンが登場し、代表作が「理由なき反抗」-REBEL WITHOUT A CAUSE -でした。このように、当時の若者のキー・ワードの一つは<REBEL>であり、「乱暴者」のマーロン・ブランドのような皮ジャン、サングラス、バイクというスタイルが流行しました。
彼のでデビュー・ソングはたしかに<学園もの>でしたが、それまでの、例えばドリス・デイの「先生のお気に入り」調のホンワカしたものではなく、女の子が自分の想いを直接的、また積極的に<ナゼわかってくれないの?>と切々と歌い上げるというのは冬至の若者のフィーリングにピッタシきたようです。実はこの手法、スペクター特有の<ソフィスティケーションの中の直接性>というもので、彼を理会する上で大事なことなのです。
ある程度、あるいはそれ以上の音楽の素養がなければミュージシャンや作曲家になれなかったジャズと違って、ギター1本あればだれでもロックンローラーになれる、というのがロックの時代でした。子供が技術を会得して成長し、大人の仲間入りをするのがジャズだとすると、ロックは、子供が子供のままで音楽ができるというのが特徴でした。ヒョットしたらオレにもなれるかもしれないと、多くのシロウトがわれもわれもと参加したことが、音楽の単純化に拍車をかけました。ジャズが豊満でふくよか、とすると、R&Rは骨と皮だけといえましょう。ジャズが大人の音楽で、背景はナイトクラブと女性とお酒が似合いましたが、子供の音楽として誕生したR&Rの背景に一番ピッタリだったのはナント、<ガレージ>でした。
麻雀同様4人(あるいは3人)いればすぐにできたのがR&Rの特徴でしたが、ニュー・ヨークのようにせまいところで大声を上げれば、お母さんに怒鳴られるだけですからストリートへ出るわけです。50'sのDoo Wapブームの背景は街角-ストリート・コーナーが似合ったわけです。
それにくらべて土地の広大な中西部や西海岸は車がなければ不便なので、当選、どこの家にもガレージがあり、ここが若者の格好の練習場所となりました(蛇足ですが、今の日本のロックのサウンドの背景は<貸しスタジオ>--密室--ではないでしょうか?)。さて、楽器は感覚でどうにか弾けますが、作曲というのは簡単そうでもやはり多少の音楽の素養は必要です。しかし、若者の、なんでもいいからR&Rをやりたい!という想いはこんなことではくじけません。骨と皮だけのロックを、さらに皮も捨てて骨だけにしたのです。それが<ギター・インストゥルメンタル>でした。これは、楽器を感覚的にかき鳴らすだけですから、とりあえずだれにでもできました。ジャズの単純化がロックとすれば、これはさらに、ロックの単純化で、その極致であったわけです。
これが<ガレージ・サウンド>の正体でしたが、この時代に呼応するかのように、新しく生まれた現象がありました。それは、録音機が少しずつ普及し始め、ガレージや居間などでの<ホーム・レコーディング>が行われるようになったことです。そして、デモ・テープのような、ある意味では乱暴
チャートに登場するようになり、まさに音楽の大衆化が、内容だけではなく、音質までにも及んだのです(エルビスもバディ・ホリーもデビュー曲は地方の、オヤジさんが社長、オカミさんが専務、というような町工場風のスタジオで録音したものです)。
それまでの録音は、演奏者と録音技師はガラスを隔てて別々の仕事場でした。技師が演奏者にマイクの使い方を指導することはあっても、演奏者の方が技師に注文をつけるというケースはめったにありませんでした。しかし、ホーム・レコーディング特有の、機械いじりの好きな少年の思い付きや、また機材不足からひねりだした斬新な工夫は、新しいサウンドの母体となるのです。
スペクターは、テディー・ベアーズの録音の時から、スタジオ内と調整室を行ったり来たりして、録音技師を困らせていたようですから、コダワリの姿勢は最初からのようです(口述しますが、後年よくいわれるワグナー好きやソウル・ミュージックの追求というのは、スターにありがちな<後付け>である、と私は考えています)。
このホーム・レコーディングが、実は<スペクター・サウンド>の根幹なのです!<BACK TO MONO>の意味もこのことなので、一つのかたまり、大人数、熱気、乱雑の中の整理、複雑の単純化、そして<ホーム>、これが彼の求めたものでした。かたまりは<MONO>、大人数はミュージシャンの数、熱は<ハル・ブレインのドラム>、整理は<J・ニッチェのアレンジ>、単純化は<L・レビンのミックス>、そしてホームは<西海岸>、これがスペクター・サウンドの中味の分析ですが、詳しくはこれも後述します。
この当時のロックンロール少年と同じく、スペクターもギター少年でした。本名のフィル・ハーヴェイとしてインスト・レコードも発表しています。また'58、'59年はインスト・ロックの当たり年で、チャンプ栖の「TEQUILA!」が#1になったり、B・ホリーのインスト版ともいえるファイヤーボールズ、リンク・レイ、そしてジョニーとハリケーンズ、サント&ジョニー、サンディー・ネルソン(「TO KNOW HIM~」のドラムはデビュー前の彼です)、そして極め付きはギター・インストの王者、デュアン・エディーの登場でした。
日本ではなぜか、ほとんど評価されませんでしたが、ギターリストとして一番の人気とヒットのあった人で、そのサウンドのユニークさとポップ・シーンへの影響は大きいものがありました。またイギリスでの人気は特に異常で、'60年の人気投票では1位でした(すごい!)。近年リバイバル・ヒットした「PETER GUN」などは後の<007シリーズ>や<バット・マン>のもとになったともいえますし、日本では未公開の映画「BECAUSE THEY'RE YOUNG」のテーマは、彼の"トワンギー・ギター"と流麗なストリングスとのコンビネーションは、すぐアル・カイオラが取り入れて「荒野の7人」となって登場、西部劇のインスト・テーマの基本形となりました。また「ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!」のジョージ・マーチン楽団の「リンゴのテーマ」も、まさにD・エディーのマネジャー兼プロデューサーがレスター・シルで、テディー・ベアーズの録音の際、隣のスタジオで仕事をしていて知り合ったといわれ、この人と出会ってなければ<スペクター・サウンド>はこの世に存在しなかったといえるほど重大な出会いでした。
シルはこの時すでにスペクターがプロデューサー向きであることを見抜き、早速契約を結び、最初に買った曲のタイトルがナント「BE MY GIRL!」。
スペクターについては、まわりにいた人に才能があったので、本人にそう才能があったわけではない、という人もいますが、これは間違いです。確かにまわりにいた人々は有能でした。しかし、彼はプロデューサーとして一番重要な要素である<何をやりたいのか>ということが明確にありました。それは前にも述べましたがいろいろな意味での<直接性>というテーマを持っていたことです。これはもちろんR&Rのイディオム(佐野元春調)ですが、荒々しいサウンドの中の直接性より、スペクターがポップスに折り込んだ直接性の方がより<暴力的>ですらありました。
例えば、R&Rの時代になって<BE>という動詞で始まるビッグ・ヒットは「BE MY BABY」が第1号です(BE CAREFUL~などの慣用句を除く)。簡単なようですが、作る側にまわってみると、これが簡単に言い切れるものではないのです。まさにこれをスパッと言い切れるのが<スター>なのです。「TO KNOW HIM~」の断定と「BE」の命令。このシェイクスピア調の、時代がかったともいえる口調が、逆に新味を呼んだのではないでしょうか。この大時代的で、且つ直接的な手法は「I WANT TO HOLD YOUR HAND」(ユーモアの点ではJ&Pの方が数段上ですネ!)に共通したものを感じます。
シルと契約直後、スペクターはD・エディのセッションを見学しています。さっそく実地訓練をさせようというシルの計らいで、時は'59年の4月の後半でした。この年のエディーの最大のヒットは6月に発売された「FORTY MILES OF BAD ROAD」(9位)で、この曲はナント<ベース・ドラムだけをイントロでフィーチャーした、ポップス史上初のヒット曲>なのです。さて、ベース・ドラムのイントロといえば「BE MY BABY」ですが、この2曲の因果関係についての疑問を、10年ほど前の<ニュー・ミュージック・マガジン>で発表したことがありましたが、時期的にはこの推論が成り立つようです。が、モチロン、その因果については全く憶測の域は出ておりません。
エディーのスタジオは1トラックのテープ・レコーダーが1台しかないという粗末な設備ながら、そのエコーを駆使してのサウンド作りは、特に録音にはうるさかった若き日のスペクターには刺激的な体験だったと思われます。トワンギー・サウンドの秘密であった水道管やドラム缶をエコーに使用するという一風変わった手法は(そのためシルは何10個もドラム缶を買い、しかも一番響きのいい缶を探したといいます)スペクターが興味を持たなかったはずはありません。
そのような多彩な録音技術を駆使していた人は、D・エディー・サウンドの製作者<リー・ヘイズルウッド>でした(エンジニアはエディー・ブラケット)。ヘイズルウッドといえばナンシー・シナトラとのデュエットやアストロノーツの「太陽の彼方に」の作者として日本ではおなじみですが、エディーのプロデューサーとして最初に評価された人なのです。
~
中したスペクターは、一瞬たりともヘイズルウッドの背後から離れなかった>と発言しています。
その後シルは、スペクターをプロデューサーにすべく、今度はニュー・ヨークのリーバー&ストラーのもとへ送り込みました。’60年代の代表的なコンビがレノン&マッカートニーとすれば、’50年代はリーバー&ストラーの時代で、ロック・ビジネスを目指す人々にとっての目標でした。スペクターの学校の先輩でもあった彼らのデビューに一役買っていたのが、これまたレスター・シルでした。シルがマネージャーをしていたコースターズをきっかけに、ドリフターズ、そしてエルビスへの曲提供やプロデュースを行い、初のR&Rにおける独立プロデューサーとしての地位を確立したのがこの二人なのです。
スペクターにとって、このニュー・ヨークでの修行時代の最大の収穫はベン・E・キングのヒット曲「SPANISH HARLEM」をJ・リーバーと共作できたことでしょう。これはR&Rビジネスへの切符を手に入れた、つまり、お墨付をもらったということ......って、最大の自信となったことは疑う余地はあり.....
ま.... ドリフターズの「THERE GOES MY BABY」...にストリングスをフィーチャーする手法を....ことも<スペクター・サウンド>への引金になったと、私は思います。その手法でプロデュースしたジーン・ピットニーの「EVERY BREATH I TAKE」は、全くドリフターズ調でしたが、すでに<スペクター・サウンド>は出来上がっていた、ともいえる、本家を凌ぐ作品でした。<ゴフィン&キング>との最初の作品でしたが、この日のセッションにはリーバー&ストラーをはじめ、B・バカラック、B・マン&C・ウェイル、アルドン出版社の代表のD・カーシュナーら、そうそうたる顔ぶれが集まったといいます。そしてこの作品が、ここに集まった全ての人にスペクターの印象を強く与えることとなり、一緒の仕事が始まるわけです。特にこの曲で印象深いのはドラムのフレーズですが、G・ゴフィンの証言によれば、フィルはドラマーのゲイリー・チェスターに指示をして、それが実に的確だった、ということです。
この修行時代にすでに、J・ニッチェやH・ブレインがいなくても、これだけのものを作っていたことは見落とせません。スペクター・サウンドを作ったのはやはり彼なのです。
この曲は残念ながら大ヒットにはなりませんでしたが、来たるべき<スペクターの時代>の幕開けを飾るにふさわしい素晴らしい曲でした。
また、この頃、レスター・シルとリー・ヘイズルウッドは共同活動を解消、スペクターは新たなパートナー、いわば後釜としてシルと関係を結び、それが二人の頭文字を合わせた<PHIL+LES>の誕生となりました(シルとヘイズルウッドのレーベル名は二人の息子の頭文字から<GREG+MARK>というものでした)。
西日本凄い雪みたいで西日本のスタッフ現地スタッフに聞いてみたところ
すごい雪積もってる!っつってジェイアールは凄いことになっていたみたいよ。
大変だなぁと思いつつこっちにも雪くんのかしら?って心配していたけど
なんか今朝方とかはなんともない感じよ。
きっと送れてくる雪雲なのかしら?
でもまあ注意しないと。
街角カメラでも交差点角ですっころんだひとのライブ中継動画を目撃してしまったので、
しかも2回も!
相当の人がすっ転んでいるおむすびころりんも青ざめるレヴェルだわ。
気を付けないと。
なので、
事務処理の一日になるかも知れないってことをここで業務連絡しておくわ。
今日も緊急に定時より早く帰りなさい!ってお達しが来ればいいんだけど、
って言っても私だけのこの1人の事務所は私のさじ加減なので、
昨日は早々に寒かったので帰ったけど
それはそれで良かったのかも知れないわ。
天気予報最近注意喚起強めにちょっと大袈裟に盛って言いがちなところあるかなと思っていたけれど、
西日本の天候はガチで予想が的中敵に当たった的に矢が当たったわけね。
でもまあ西日本の人たちには気の毒だけど、
私たちも気を付けないといけないわね。
そうそうに帰れる支度はしておいて、
凌げると言っても、
この空腹より寒さが厳しい一番のなか
それが耐えられないのよね。
あとやっぱりモバイルバッテリーのスマホの電池は持ち歩いていた方が備えよ常にの精神なのかもしれないけれど、
これも同時に充電に対応したケーブルも持ち合わせておかないといけない必要に駆られるじゃない?
ただでさえ
USBミニBタイプ、USBのCタイプ、Lightningケーブルと最低でもこの3種類は持ち歩かないといけないので
掃除機の紙パックの全メーカー対応!って凄い最大公約数的ななんでも当てはまっちゃう
ケーブルが無かったあちゃぱーってなることが多いので
もうポーチには短くてもいい!太く長く生きたい!って気概のある10センチメートル程度の
それらのそれぞれのUSBミニBタイプ、USBのCタイプ、Lightningケーブルも持っておかないと
モバイルバッテリーの充電電池が宝の持ち腐れになっちゃうのよね。
だけど私が月末に陥りがちな罠として
これが多いのか少ないのかはよく分かってないけど
そっちの方が我慢ならないわ。
そう言うのってあるわよね。
まあ寒波には気を付けて!
うふふ。
たまに食べると美味しいわ。
今朝朝起きて寒かったので
寒さゆえ
それだけで飲んでいたストレートホッツ白湯ウォーラーってことに
飲み終わってから気付いたぐらい
寒くて凍えていた身体に
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
だりい
@dariidariidarii
私、
街角の呼びかけに毎年参加して声張り上げてさ
各企業への呼びかけも
社会福祉法人やってると自治体から仕事割振られるので普通にやってたし公言しなかったんだけど…
今、めっちゃムカついてる
112.3万件の表示
だりい
@dariidariidarii
多くの反響いただいてるので…
「何が問題なの?」という方に解りやすい説明noteと部分抜粋
https://note.com/paper_house_/n/n170a76f90804
言われたらもう寄付を募れないぞ
この偏りは異常
だりい
@dariidariidarii
·
8時間
返信先:
@dariidariidarii
さん
あと、棘まとめ出来てるからこれも
https://togetter.com/li/2042454
ここから
いうの凄いツライからね?
だりい
@dariidariidarii
·
3時間
…もうね、今度は
赤い羽根HPのBONDプロジェクトに関わる支援の表記変更ですって
https://twitter.com/dariidariidarii/status/1613426152256966659
だりい
@dariidariidarii
3時間
街角にホワイトボードを置いて素人さんが自由に授業をする姿を見ながらMCがそれについて話す番組だ
その中で
「整形1000万円は安い!」
彼女は小5から整形を始め目鼻輪郭と完全にトランスフォームし、現在はSNSで累計2億円を稼ぐ人となっている
整形に1千万かけても元取る以上に稼げるから、この整経代は安いという論法である
その他の理由も相まって、整形に結構な金額をかけたとしても相応以上の利益を得られると言っている
納得出来る授業だ
整形アレルギーのくせしてルッキズムを振りかざす奴等が多い世の中ではあるが
こうやってみんなが自分の好きな形に顔を変え、それで生きやすく楽しく居られるなら万事okだと思う
コンプレックスなんてものはそれを原動力として上昇していけるときにだけ役立つものであって
ところで、彼女が幼き日に整形を決意した理由は「母親と妹が無整形で美形だったため、常に比べられて辛かったから」とのこと
写真が出ていたが母・妹は実際結構な美形であった。引き換え、先生はよく居る地味顔女の子だ
関係ないが(しかも自論でしかないが)「次男・次女の方が優れた容貌」であることが多い
何故こんなことが起こるのか
やはり個人的な推測でしかないが、第一子は「無事に生まれてきて健やかに育ってくれさえすれば良い」という親の気持ちと「第一子には最高の躾と教育を与えたい」という親のエゴが、上記の結果をもたらしているのではないだろうか
言ってみれば「持って生まれた顔」なんてのは親の責任でしかない
当然だな
韓国のことは全く分からないが、あちらはそういう風潮のようだな
親も「顔が良い方が人生楽」ってわかってるから子供が若いうちに整形させるっていう
良いと思いますよ
(したくないやつは勿論しちゃ駄目だけど。子供が希望したら親は頑張ってさせてやって欲しいね)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/bucchinews.com/society/7040.html
そもそもがさ、昨今の炎上はレイプレイ騒動とか、松文館裁判とは毛色が違うんだよね
そういう所は、有識者がガチガチに対応してくるってわかったから
人工知能学会誌とか、のうりんポスターみたいな「公共」を燃やすようにシフトしたわけ
その上で
みたいな事をやろうとしてるわけじゃん?
にも拘らず、共産党マンセーってもう周回遅れどころか、逆走して敵になってるよね
でさ
山本直樹氏は表現物が有害指定受けてるから、「最前線で闘ってる」みたいに思ってる人いるかもだけど
成人指定の方が「描ける」ってさ
だって、意識のお高いコミックとして売りたいわけじゃないんだからさ
もう「成人指定のカーテンの向こう」なんて戦場になってねぇんだよ
がっつり性行為や裸の描かれた作品なんて、有害指定?自業自得みたいな空気もある(BLがそう)
標的は「萌え」
だから、温泉むすめとか大した表象じゃないのに「設定にスカートめくりとある」として燃やした
おっぱいの大きい可愛い女の子の絵を献血のポスターに使って叩かれたとかあったでしょう。
「そりゃ叩きたい人はいるし、街角にそんな絵を貼らなくてもいいんじゃない?」と。
家で楽しめばいい。
とか、そんな話ですらないんだよ、もう
と書いたうえでだ
宇崎ちゃんは、こっちの棚なわけ?
すげぇよな
いやいや、どっちだよ
―『ラブひな』の漫画家・赤松健さん(今夏の参院選で反表現規制を掲げて当選)はいかがでしょうか。
山本 同じです。漫画も読んだことないんだよね(笑)。でもほら、最近、おっぱいの大きい可愛い女の子の絵を献血のポスターに使って叩かれたとかあったでしょう。「そりゃ叩きたい人はいるし、街角にそんな絵を貼らなくてもいいんじゃない?」と。家で楽しめばいい。
――表現の自由戦士たちの言い分からすると、そこを一歩譲ると、どんどん狭められていく。ゾーニングだけじゃ済まなくなる、という考えですよね。
山本 勝手に敵を作って勝手に戦っている印象しかないですよ。ようするに「左翼とフェミニストが、俺たちのエロを消そうとしている!」みたいな観念でしょ。
https://bucchinews.com/mobile/society/7040.html
全くこれなんだよなー…
アイデンティティを守るために必死なのか、敵属性に近いものは全て叩きたいだけなのかわからんけど、社会のことを考えてるわけでもないのにその体で表現の自由とか持ち出すのが滑稽なんよなー…
あのさ、
私セブンファイブオーライダー熟練度星5つバッジをもしかしたらもしかしたら日本最速でゲッツしたのかも知れないかも!とアニメーション学園でGIFアニメーションを作るぐらい自負して喜んでいたんだけど、
どうやらキューインキ勝利1200回バッジもあるみたいなのよ。
これは果てしなさすぎるわ。
平原綾香さんが歌うジュピターの土星までの距離より遠く果てしなさすぎて、
ぬか喜びというか
男前豆腐の角に頭ぶつけた後にその頭が密着した豆腐を洗わず鍋に入れる?湯豆腐というか
アメリカのホームコメディードラマの朝食のカリカリベーコンを立てかけても立たないぐらいカリカリ焼き加減が足りてないとか、
なんて言うの?こういう時。
空喜びに終わったわ。
だけど、
具体的に今この戦いキューインキで何勝目勝利したの?の勝利回数が把握できない分相当に長い旅になりそう。
でも!でもよ!
これで私がまたセブンファイブオーライダーに燃え上がれ~燃え上がれ~って燃えまくりまくりのまくりまくりすてぃーな理由ができたから、
また一つのところに命を賭ける一所懸命に積み重ねられる!ってことじゃない?
べ、べつに撃ち込むと打ち込むを掛けて言ってる訳ではないんだかんね!
たぶん、
2~3年かかりそうな気がするし、
まあ地道にやるわ。
ほんとうにスプラトゥーン2のデビューしたてキッチンから出来立てのほやほやの頃はローラーで塗るのだけが本当に楽しくて、
ってそれしかできないし、
スペシャルが貯まったらマルチミサイルで相手チームを蹴散らすことが
塗るのも大事だけど今はキル取りに行く、
キル取りに行くよりも飛距離を活かしての戦線を押し上げて上手いこと戦線が上がって相手チームを抑え込んで制圧することに達成感を感じつつ
試合でも負けても
今のバトルは内容が良かったわ!ってキルられるよりキルが多かった内容の良さの着地地点のところに心が落ち着いて
あんまりいやほとんどもうスプラトゥーン2よりかはイライラしなくなったのが境地だわ。
良い傾向よ。
サッカードイツじゃないけどビデオアシスタントレフェリーよろしく
最終塗り判定ジャッジで0.1パーセントの差で勝つ判定の1ミリメートルとか!
あとから実際戦線どうなってるのかなど状況を客観的に見て反省することはとても大切よね。
あと、
それに表彰があったら頑張りを認められたみたいで嬉しいじゃない?
軽量のジェットスターはセブンファイブオーライダーよりうんと速く走れるからって
相手チームの相手をかいくぐりまくりまくりすてぃーかーらーのー
敵地にダッシュ一番!
一目散で走って行った日には移動距離ナンバー1!で表彰されて笑ったわ。
街角にたくさんある
から揚げ屋さんが何かしらの金賞を必ずと言っていいほどの過言に受賞しているノボリを店先で飾って立てかけてあるのを見かけるぐらいちょっと面白いわ。
それとか、
こんなところにジャンプしてきたら命取りで危険なのにイカジャンプしてくる仲間!
そんな命知らずの仲間を危険にさらすわけにはイカだけにいかないっ!って謎の使命感にかられ、
あなたは私が守る!って防御用に盾になって、
スペシャル貯まってなかったら、
とりあえず
仲間が飛んできて着地するまでこの地点は必死で安全を守死し確保する
ひとりプライベートライアンごっこ的なのをキメるとか!
いや!ごっこじゃないの本気と書いてマジと読むなのよ!
ジャンプ先に選んでくれて信頼されていてる分、
相手が安全に戦線に加われるよう守るのも一つの仕事だと思うの。
相手が安全に着地して攻め込んでいくところを見守るところまでがセットで遠足の家までがーのくだりとまったく同じだわ。
そう言う時に限ってホーム誰も塗ってないパターンあるあるじゃない?
私が慌てて戻って塗って
アウェー塗りホーム塗りを両部門ナンバー1で同時受賞する日には
もっと皆ちゃんと塗ってよ!ってひとり熱い人を謎に演じているイカがなものかなって思うわけなのよ。
ホーム誰も塗ってなかったらなお笑うわ。
私が塗らなきゃ誰が塗る!ってこれもまた謎の使命感に駆られるわよね。
だけどさー、
クサヤ温泉とヒラメが丘団地がマップ割と正方形っぽい形でしかも面積が広いから戦線キープもとより塗りが弱いセブンファイブオーライダーなので全然歯が立たなくて苦戦するわ。
太刀打ちできない!
広すぎて戦線が張れない、
塗れない、
勝てない、
急にそのマップだけ私はポンコツ天使になって舞い降りることになるのよ。
とにかく
投げ出さないこと
逃げ出さないこと
信じ抜くこと
駄目になりそうな時それが一番大事なの!
ときおり大事MANブラザーズバンドさんとKANさんの楽曲がどっちがどっちだか分からなくなる現象と一緒だわ。
その広い広大な両マップでも地域ナンバーワン店を目指したいものだし、
結局愛が勝つ方はどっち?
そこに愛はあるんか?って
これパフィーさんの
蟹食べに行きたい曲をリクエスト掛けたときに必ず間違え続けていたアジアの純真現象とも完全に一致よ。
今年の漢字が表すように一字で表すなら
「手偏にガンダム」か「戦」かのどちらかよね。
私はそう思うわ。
うふふ。
そんなわけ無いわー。
しなしなのフランクシナトラ級の丁度いい海苔の巻具合もいいわよね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
自分はAdoが大嫌いだ。汚い言葉を連呼する「歌」ばかりというのが非常に腹立たしい。言葉を使って表現する人間がそれへの丁寧さを欠くのは、もはや言葉に対する冒とくである。
そして汚い言葉だらけの「歌」が人気を博する現状というのは、本邦における知性の劣化と連動しているように思える。
知識人がAdoの「歌」を無邪気に肯定するのを見たときは、腹が立つというレベルすら通り越して虚無感しか感じなかった。
自分はワンピースには全く興味がない(グランドライン云々って結局今どうなっているの?って認識)が、もしワンピースのファンだったら映画のAdoごり押しで絶望の淵に叩き落されるだろう。
言葉に対し誠実であること、汚い言葉ではなく聴き手の立場に立った言葉を使うこと、そういったことを唾棄する人々が趨勢を占める現状は嘆かわしい。
ただ、それは自分の感覚である。自分の感覚は他人と共有できないし、ましてやそれを押し付けることは思想信条の自由の観点から見ても問題が大きい。
聴きたい人からAdoの「歌」を取り上げることはあってはならないのだ。
(※本邦においては思想信条の自由があまりに軽視されすぎていると思うが、それは本題ではないので略)
ただ、それと同様にAdoに対し嫌悪感を抱いている自分に対しても、Adoの「歌」を押し付けるのはやめてほしい。
近所のスーパーや街角に設置されたスピーカーからAdoの罵詈雑言で構成された「歌」が流れてくることもある。そのたびに自分は指で耳の穴をふさぎ、早く終わってくれと心の中で叫んでいる。
音というのは残念ながら自分の力では防ぐことがほぼ不可能だ。図画のように目を背けて終わりということは不可能である。
このように、歌謡曲というのは好き嫌いがはっきり分かれるものである。せめて店や街頭では歌謡曲を流さないぐらいはしてほしいものである。
もっというなら公共の場所で意味もなくBGMを鳴らすことも考え物だと思うのだが、まあ流さなければならない事情はあるのだろう。
こうの史代(長い道と街角花だより)と黒田硫黄(セクシーボイスアンドロボとあたらしい朝)大好き。まだ読んでないのあるけどなんかおすすめある?
10年ほど前、30代半ばだった私は結婚を焦っていた。しかし当時の職場に出会いは皆無。もともと抱えていた美少女ゲーム由来の制服半脱ぎ属性をこじらせて背水の陣であったが、出会いを求めてオフ会やサークルにも顔を出していた。とはいえ生来社交的ではないので、せっかく女の子たちとお酒を飲めてもそこまで止まり。せめてもっとお近づきになれたら……と願うだけの日々だった。
そんなある日ひらめいた。「セーラー服がクローゼットに掛かっているだけでも制服美少女を身近に感じられるのでは?」
数少ない女性との交流から、平均的な身長は155〜160cmであるからセーラー服だってその程度のサイズを選べばよいということはわかっていた。SMLなら真ん中とってMでいいやと。しかし自分の身長に見合う170cmサイズが販売されている……
もしも自分が着用すればセーラー服は自由に動きだす。鏡を見ずに布地さえ見ていればそこに桃源郷が現れるはず…… 魔が差したとはこういうことをいうのだと気づいたのはもう少し後のことだった。届いた紺色の衣服は胸元を中心にホックやファスナーが複雑に使われており、構造を把握しながらそっと袖を通すと、鏡の中にはセーラー服を着たおじさんがいた。めまいがした。すぐに脱いで丁寧に畳んでしまいこんだ。
その後もたまにセーラー服を引っ張り出して着てみてはめまいを起こす日々を送っていたが、40歳になった頃に自分だけの部屋を実家からさほど遠くない場所に構える機会に恵まれた。
実はその頃にはささやかな出会いもあり、近々ここを拠点に幸せな家庭を築くのだという理想に燃えていて、セーラー服なんか実家に置いておけないから持っていった……という程度のものだったのだが、理想はあっという間に砕け散り、タイミングを同じくして職場も追われてしまった。そんな厄年だった。
幸い厄が明けてすぐに新しい仕事が決まり、そのときにはもう「自分の好きなように生きることが一番さ」と開き直るに至った。結婚をあせるのもやめた。というかあきらめた。両親には悪いと思った(今も思っている)がいくらか気楽になった。
そんなある日、面白そうな何かを探していて偶然snowというアプリを知った。それまで自分の顔に自信はなかったが、例のセーラー服を着てアプリで面白半分に加工してみればまあまあ見られるようになるではないか。目や鼻をいじくり回しても残る面影に、案外妹に似ているもんだなと少しびっくりした。兄貴目線ではあるがそこそこ可愛い妹なので、それなら自分もそこそこ可愛くなれるのではないか……という希望が湧いてきた。
おおげさだけどもうひとりの自分に出会えたような気がした。自分がそれなりに抱えて生きている浮世の憂いから完全に切り離された、たかが知れてはいるがそこそこ可愛い女の子。iPhoneのガラスの向こうから無愛想な視線を向けてくるこれが自分……??この前とは違うめまいがした。
ウィッグを買ってみた。頭が大きいので難儀したが、髪の毛だけでも雰囲気がだいぶ変わる。
メイクセットも買ってみたがまず使い方のわからない色とりどりのペンやら液体やらに戸惑った。これらは次第によく使うものと一度も使わないものに大別されていった。
お化粧を始めたら画像加工もまた楽しさが増してきたが、メイクしているうちにもう制服姿は無理だと感じてきて、次第に女子大生やOLっぽい服にシフトしてきた。それでも実年齢から考えれば相当無茶な若作りなのだが……
たいそう通販が捗った。見ているだけでも楽しいのだ。リボンやフリルいっぱいの可愛い服も着てみたい。清楚系お姉さんや若奥様風にもなってみたくなった。
ミニスカートも短ければいいってものではないし、丈が長くても可愛い服はたくさんある。
男女の骨格や構造の違いを学ぶと、肩幅を目立たせないため視線を寄せたりラインを切ったりする襟元へのワンポイントの置き方だとか、姿勢をよくするとか、できるだけ肌を露出させない…… などなど少しでも自然に女の子らしく見せる方法への理解も深まった。
もっとも生来ズボラなので全部を身につけたわけではないが、実際にやってみると女性のしぐさなどにもいろいろ理解が出てきた。たとえば物を拾う時に腰を曲げるか膝を曲げるか、手提げ袋を手に持つか手首に通すか…… というようなことだ。
そのうちに女性の社会進出とか夫婦別姓とか、女性を巡る社会問題にも関心が出てきた。世界の見方がちょっと変わった。なかなかおもしろいものだ。
自分は週末の趣味で女装してるだけなので汗で化粧が崩れると思えばその日はしなければそれで済むが、毎朝早起きしてこんなに手間をかけて綺麗を高めて出勤する世の中の女性たちには本当に頭が下がる。髭すらまともに剃れないような野郎ども試してみたらいい。
一応断っておくが、心と身体の性別ギャップに悩んだり、男性を恋愛対象にしたりしているわけではない。特別可愛くなくてもいいから普通の女の子になりたいだけなんだが、無意識の行動から正体がバレないために内側から女の子にできるだけなりきろうとすると思考や趣味にも影響が出てくるものらしい。
他方、街角や電車内で可愛い女の子・綺麗な女性を見かけると「教材!」とファッションチェックしたくなるし、どんなメイクしてるのかとお顔をガン見……はしないが盗み見していて不審者扱いされているかもしれない。そして自分はそこそこ可愛いと感じていたとしてもやっぱり本物には到底敵わないことにいささかの嫉妬を感じたりするのだった。
ある真冬の夜、とうとう外出をした。それは当初の目標ではなかったが、自分の内なる女の子に活躍の機会をあげてみたくなったのだ。
紺色のコートとピンクのマフラー。厚着していればだいたいどうにかなると思った。マスクがこの上なく役立ったというか、目元をしっかりメイクして口元を隠していれば暗がりならば年齢はどうにかなるだろう。コロナよありがとう。
誰にも声をかけられることはなく、すれ違う人も一向に私に関心を示す様子はなかった。うまくいったとまでは断言できないが街にまぎれこんではいたと思う。先述の「内側から女の子になりきろう」が功を奏したのかもしれないが、もちろん「こわ……近寄らんとこ」だった可能性も十分にある。
だからまだビクビクしながら外出している。友人何人かには正直に女装趣味を告白した。相手が良かったのか幸いマイルドな反応だった。少し安心したが生きて動いてる姿を見せればいろいろダメ出しがくるのではないかと思う。
完成度を上げていくごとに不安も高まる。外出するならなおさらだ。残念ながら上述の友人たちはみな近くには住んでいないから、頼み込んで出来映えをチェックしてもらうのも難しい。新幹線はよしとしても飛行機はチケットに性別欄があるから無理だろう。その前に遠出はトイレに困るし、声はどうにもならないから買い物も難しい。いくら完成度が高くても地声がテノールでも「袋いりません」の一言でアウトだ。
不安な気持ちはいつも消えないが、通行人をつかまえて「私きれい?」などと男声を響かすこともできない(ポマードなんて今の若い子は知らないかもしれないな)。さもなければ職質されるまで交番の前を行ったり来たりするしかないのか?
結局やれることを地道にやって完成度を高めるしかないのか…… そんなわけで最近は高性能コンシーラーや眉毛の描き方に関心を寄せている。
もうそろそろ、少なくとも若い娘のふりはできないから上品なミセスに切り替えていかないと…とは思っている。いつまでも可愛い服を着ていたいけれどお化粧ではごまかしきれない。ビジュアル的にダメとなったらステージを替えていくか、いっそ諦めるか。
まだ目尻の小じわは気にならない程度だがシミは次第に濃くなって、ほうれい線を消すためにほっぺを後ろに引っ張るテーピングはできないものかと画策する。
細かいところが見えるうちにつけまつげを上手につけられるようになりたいと願っていたが老眼の進行速度は予想以上だった。
たぶんあと何年かで限界が、いやもしかしたらすでに来ているのかもしれない。そもそも限界以前の問題かもしれない。それでももう少しだけ完成度を上げたい。先の友人たちに「これなら並んで歩いてもいい」と言われるのがささやかな夢だ。中身は変わってないから口を開くわけにはいかないがな。思考はもう仕方ないのでせめてアルトに聞こえるよう発声したい。できるの?
そういえば自分がこんなことしている間に結婚して一児の母となった妹も、若い頃に「黙っていれば可愛いのに」って言われたと憤慨していたことがあったのを思い出した。それじゃ兄はおしゃべりも可愛いを目指すかな。きっとそれは男に戻っても役に立つと思うから。可愛いは正義だよ。