はてなキーワード: 異端とは
タイトルのままです。
私はSideMのPですが、他の事務所の女の子たちとの絡みが苦手です。
どのくらい苦手かと言うと、野球コラボで顔を顰めるくらいには受け付けません。
同じ衣装を着たり、同じ絵柄だったり、並ばされたり、会話がなくても凄まじい嫌悪を感じます。
実際に球場に中の人が足を運ぶのは事務所ごとに分かれてますし、その辺は大丈夫でした。
じゃあ根本的に何が受け付けないのかって、越境は当然だと言うみんマス的な風潮の方だと感じます。
みんマス、みんなまとめてアイドルマスター。本当にそうなのでしょうか。
冗長になりそうなので端的に結論だけ申しておきますと、越境二次創作はクロスオーバーという特殊な二次創作であり、検索避けや注意書きの必要性があるということです。
この結論を踏まえた上で目を通していただけると幸いです。
事務所越境、とはいいますが越境が好きな人や二次創作を好まれる方は「越境」と言う風には思われていないのではないかと思います。
同じ世界線にある別の事務所、くらいの考え方なのでしょう。少なくとも私はそのように考えることが出来ません。
おなじアイドルマスターだから自分の好きなように二次創作しよう…その考えがが悪いこととは思いません。
しかし、そう考えられない人もたくさん存在するのです。315プロダクションのアイドルしか知らない人にとって、
担当アイドルと知らない女の子がいっしょにいる、恋愛する二次創作は、気分が良いと言えるでしょうか。
公式における越境(合同)イベントについても、公式からの前述のような配慮はありますが、
悪い言い方をすれば越境二次創作の燃料となるという理由で積極的に喜ぶことが出来ません。
Twitterで越境のイラストやツイートが活発に投下されていくのは火を見るより明らかで、とても憂鬱な気分になるのです。
そうならないためにも、普通は見ないことで自衛するのでしょうが、Twitterが二次創作や交流の拠点となった今、
「積極的に見ない」事だけでは完全にシャットアウトする事が出来なくなっています。
例えばTwitterで担当の名前を検索するとさも当たり前のように越境の話をされているツイートが引っかかるのです。
ミュートやブロックの機能もありますが追いつかないのが現状です。
それほど事務所越境を受け入れている人が多いということであり、越境を受け付けない私のようなPが少数派であることも分かっています。
ですが、やはり事務所越境はあくまでもクロスオーバーであり、苦手な人も少なからずいるジャンルなのです。
それを苦手だと感じている人全てに配慮していたら二次創作なんか出来ないと言う反論も踏まえたうえで、
事務所越境という二次創作については、配慮が必須だと言うのが私の考えです。
追記
ジュピターの前職は元961プロアイドル、涼くんは元女装アイドルで876プロに所属していた、ということを当然ながら知らないわけではありません。ジュピターの初出がアイドルマスター2でありアニマスにも出ていたということも。しかし、私が初めてスカウトしたジュピターは315プロのアイドルですし、涼くんはトリコロールの衣装を着ていました。私にとってその4人を語る上で大事にしているのは今315プロのアイドルであるということであり、あまり前職に関わることを掘り下げたりするアプローチはしたくないというのが本音です。
知っていますよ。デレマスにもミリオンにも765ASにも担当アイドルがいます。それを踏まえて事務所越境が苦手だと書いています。女の子が嫌いだから云々とかそういう理由ではないです。夢女子でもないです。
私はデレミリASの越境もあまり好みません。アイドルの属性だけを拾ってくっ付けたような絡みがそもそも好きではないです。これに関しては二次創作が主になると思いますが…。みんマスという言葉を使っておきながらこのことに触れないのは良くなかったと思います。すみません。
そうですね。私がこのように主張することも含めて好き嫌いを発信することに誰かが圧力をかけることは許されないと思います。最初はタイトルにもあるようにただ嫌いだということを書きたかったのですが、書いてるうちに白熱してこのような締めになってしまいました。傲慢ではありますが本音といっても差し支えないです。これは女オタク特有のゾーニング意識だなんだと言われるとは思いますが、Twitterならば振り分けアカウントや検索避けがあるととてもありがたいと思っています。
現状越境が苦手などというプロデューサーは異端なのかもしれませんが、こういう人もいるんだよということを知ってほしいというのがこの記事を書いた理由です。
追記の追記
これ以上触れるのはどうかなと思ったんですけど、どうしても言っておきたかったので。
とても不用意な発言で担当の方には不快な思いをさせてしまったことと思います。私の担当アイドルが前職の話を無視できない境遇にいるのと同じように、過去のあれこれが今のアイドルたちを形作っていると言うことは理解しています。けれど、私はあまり765プロとの関わりについて触れたくないがために、自分からはあまりその話をしないよ、と言う意味での発言でした。そのキャラクターの過去については私がどうこう言える問題ではありませんから、例えば涼くんがいとこの律子ちゃんの話をしても、鬼ヶ島羅刹のネタがあっても私はスルーします、というように解釈してもらえればと思います。
結局どうして苦手なのかわからん、という意見をチラホラいただいていたので、条件に分けて述べさせていただきます。
これは単純に担当をアイドルとして見ているからです。315プロのアイドルもデレのアイドルもミリに登場するアイドルもみんなそれぞれトップアイドルを目指していますから、スキャンダルになりかねない創作をしたり見たりすることに抵抗があるのです。
共演のみの二次創作が嫌いな理由は、とても身勝手で申し訳ないのですが、担当アイドルが蔑ろにされた創作を見てしまったことです。
デレの担当アイドルが別事務所のアイドルの引き立て役にされたような創作を見て以来抵抗があります。また、名前や境遇、前職や身体的特徴などの要素だけをくっつけたような組み合わせを好まないというのも理由の一つです。これはNLにも言えるかなと思います。
これは先述していますが越境が好きな人たちにとっての燃料(悪い言い方ですが)になるためです。
Twitterなどで多く見かけた意見として「そもそもアイマスという同じ作品だから越境ですらない」というものがありました。その認識を持つ人が大多数である現状、公式による共演はますますそのような意見の力を強めてしまうと考えています。越境は公式だからPなら受け入れて当然だという風潮が大きくなることに私は個人的に抵抗感を覚えるのです。
担当をアイドルとして見ているのなら、異性と共演くらいするだろうという意見もあるでしょうが、私はどうしても苦手です。
・最後に
このような時期にたくさんの人の目に触れる場所にネガティブな記事を投稿してしまったことをとても反省し、また後悔しています。記事の最初にSideMのPだと書いてしまったことで「SideMのPが」とか「デュンヌが」とか言われてしまっていることも、本当に申し訳なく思っております。ただ、このように思っている、少数であれこういう意見を持つ人もいるということを過激なやり方ではあったかもしれませんが心に留めておいていただけると幸いです。
で、ポリコレっつーのはその人権を守るための個別具体的な運動のひとつであって、だから具体的な事例について「これはポリコレを守るべきですね」と回答することができる。
たとえるなら自動車の速度超過に対しては「法律は守りましょう」という大雑把な言い方よりも「スピード違反はやめましょう」という言い方になるというだけの話。
スピード超過を禁止する道路交通法みたいに、それが法体系の中でガチガチに定義されているなら、まだ分かるよ。
でも、ポリコレって定義が広がったり狭まったりするし、客観性・普遍性が足りないんじゃないの?
俺が人権については信頼しているけれど、ポリコレをあまり信頼していないのは、まさにそのへんが理由だね。
客観性・普遍性がないと、「どこからが違反になるか」「何をどれくらい叩くか」というのが、あくまで世間の声に従うことになってしまう。
つまり、世間の多数派が受容しているものについては、ポリコレの裁きが甘くなりがちだ。逆にオタクのような異端者にだけは、過度に厳しい裁きが下されるわけである。
学生の頃、問題集を解いて答え合わせをするのが自分の中で謎プロセス過ぎて一度もやらなかった
大学に入って家庭教師をしてたときもそんなことやらせたことない
社会人になって取らされる資格試験でも当然答え合わせなんてしない
理由は簡単で、問題集は参考書を見ながらやった方が一石二鳥で効率がいいからだ
答えを調べて回答するんだから、答え合わせなんてしないというわけだ
教える立場の時もそうだったが、なぜかみんな参考書や教科書をはじめに覚えてから問題集をやって答え合わせという形をとるらしい
けど、考えてみろよ
どういう問題でるのかを確認して、その問題を答える為に必要な情報はなんなのかを調べる
つまり覚えて答えるんじゃなくて、答えられように覚える
当然最初は答えを知らないものがほとんどなんだけど、別に本番じゃないんだからいいでしょ
問題傾向がわかって初めて覚え方が決まるのに、いきなり教科書や参考書読んで何を覚えようとしてるの?暗唱できるようにでもするつもりなの?と問い詰めたい
ようは問題に答えられる知識がついてればいいんだから、なんども念仏のように教科書を暗唱したって意味がない
自分もwebで漫画を描いていてそこそこ読んでくれている人もいる。
出版社の人から、自分のWebサイトに載せてあげるから連載して、ゆくゆくは書籍化しないかという話をもらったこともあるんだけどすべてお断りしている
書籍化されるところだったけれど、反故にされたという話をツイッターで愚痴ている人がいたり、書籍化されて大喜びの作家さんがいたりするが、
そういうのを見るにつけ、やはり作品を公開している人は、書籍化の話が出たら飛びつくものなのだろうかと思う
その理由は何?
お金?
出版社の人が熱心にメールをくれるが、その内容の根底に、「あなたも書籍化されるとこんないいことがありますよ、嬉しいでしょう」というのが見えてくる
お金がもらえる→本業以外に収入があると、税金の処理がめんどくさいし、会社が副業禁止だからクビになる
みんなに見てもらえて、形としてのこる→同人誌でも形は残るし、別に見たい人だけ見てくれればそれでいい
自己顕示欲→まあ漫画をWebに公開している時点で、自己顕示欲はあるんだろうが、描きたい物を好きに描いているだけで、有名になりたいわけではない
書籍化を目標としている人たちをdisっているわけではないんだが、自分にその感情がなく、出版社の人も「本を出したいでしょ!それがあたりまえですよ!」
炭酸水が好き。お茶のあっさり感&ノンカロリーと、炭酸飲料のスカッと感を兼ね備えた究極の飲料、それが炭酸水だ。
ドリンクバーに行くと、炭酸水の取り扱いについて、だいたい3パターンある。
③炭酸水なんて置いてない。
この3つだ。①は殊勝な心がけだ。②は寛大な心で許そう。③は絶対に許せない。死んで詫てほしい。許してはいけない。だっておかしくない?そりゃ、グレープソーダがほしい、無い店はおかしいなんて言い出したら、お前みたいな異端派のために商品増やせるかボケ、ってなるかもしれない。でも炭酸だぞ、炭酸。
いや、たしかに炭酸水をそのまま飲む奴はまあまあ異端派かもしれない。でもそれはさほど問題ではない。だってドリンクバーって原液と炭酸水混ぜて出してるだけじゃーーーーーーーーーーーーーーーん。炭酸水だけ出せばいいじゃーーーーーーーーーーーーーーーん。できるじゃーーーーーーーーーーーーーーん。
なんなんだよ。原液いらんから炭酸水だけ出せや。なあ。コップ置く位置を調節して炭酸水だけコップにキャッチしてやろうかって思うくらいだわ。いい大人だからそんなことしないけど。混ぜるんじゃねーよまずい原液をよ。わかったら明日から炭酸水ボタン増やせよ、な?
ジャンプお色気騒動の件だけれど、子供に悪影響がどうのーこうのーという事で議論が白熱したけれど、自分がどう思うかというのを語っている人は少ない様だった。
でも私の見る限りではほんとうに自分自身はどう思うのかって言ってる人があまりいないんだよ。
私は、『少年ジャンプ』って名前に「少年」とついていても、もうとっくのとうに少年だけのものじゃ無くなっていると思うんだよね。
老若男女、読みたい人が読むでしょう。
「少年」というのは読者の範囲を絞るものというよりも、表現のレベルを大まかに示すものかと私は思ってた。
少年ジャンプなら、見ただけでゲロ吐きそうになるような酷いものはでて来ないだろう、みたいな。曖昧だけどそれなり安心感のある何かを期待していたというか。
『ゆらぎ荘の幽奈さん』は、私の中の「少年誌」基準を超えていた。これは無いわーと私は思った。
でも、あくまで私の想像する「少年誌」レベルだからね。自分でも私基準が確かって自信無いし。
もしかしたら自分は「甘口」ってバーモントカレーの甘口を想像していたけど、皆はジャワカレーの「甘口」が普通の甘口だと思っていたの?みたいな事を思ったりもした。
ともかく、私はゾーニングされてないとこに置いてある様な肌色面積とおっぱい頻度の漫画じゃないだろこれって思ったし、エロを読む気満々でない時に目に入ったら引く。
私は少年ジャンプにあそこまでのスケベを求めてはいないんだな。
昔からエロは普通に出る漫画雑誌なのは知っていたけれども、こんなに開いてびっくりしたのは初めてだよ。
ぬ~べ~やI"sがよく引き合いに出されてるけど、幽奈さんはそれらより裸体率圧倒的に高いじゃないか。
エロって肌色面積の問題だけではないのは分かって居るけど、でも単なる肌色面積も重要ではないのか?というのが私の考え。
そんであなた方はどう思うの?あれほんとうに普通?許容できるの?
私はあなた方の意見を読んで自分の意見を変える事は無いし、別に自分が異端であろうがなかろうがいいんだけど、皆さんそれぞれがどう思うのかを読んでみたい。
↑これの続き。
少年ジャンプの漫画『ゆらぎ荘の幽奈さん』が炎上しているのを見て、私はハイヒール・化粧を滅ぼすべきだという気持ちを新たにした。
この件に関して、リベラル側の主張は、「セクハラを肯定的に描いた漫画を子供に見せるべきではない」というものだった。
私もこれに賛成である。もちろん表現の自由があるので、ああいう有害表現のある漫画を発禁にしてよいとは思わないが、ゾーニングをして子供の目が届かない場所に置くという配慮が必要だろう。
そして、これは化粧・ハイヒールについても同様のことが言える。
私は化粧・ハイヒールのような有害物をゾーニングするべきだと思っている。
「女は化粧・ハイヒールを好むのが自然だ」「化粧・ハイヒールを使えば美しくなれる」というイメージを子供に植え付けることは、大変に有害だ。子供にそういうものを見せるべきではないし、もし見せるとすれば何らかの教育的配慮が必要だ。
女性の中には、たしかに自分で好んでハイヒール・化粧を選ぶ人たちも多い。
一方で、それを女性のスタンダードだとして強制する空気もある。
仮にハイヒール・化粧そのものには罪がないとしても、それが同調圧力となっていて、すでに実際の人権侵害が起こっているのである。このファッションの愛好者たちには、社会的責任を取らせるべきだろう。
もっとも、化粧・ハイヒールを楽しむことは、一応は表現の自由や幸福追求権に含まれるのであって、その権利を奪ってはいけない。
しかし、なぜ子供が見ている場所でそれをやってみせる必要があるのか? なぜ女性たちを縛りつける同調圧力を作ってまで、公共の場所でそのファッションをする必要があるのか? 私はこの不正義に怒っている。
どうしてもやりたければ、愛好者だけが集まる場所を作って、そこで存分にハイヒール・化粧を楽しめばいい。なにも完全に規制しろというのではなく、時と場所をわきまえてくれというのが私の主張だ。
リベラルの何がクソなのかというと、あいつらはラディカルな左翼とは違って、やっていることが世俗的すぎるし、大衆の味方をしすぎている。
例えば彼らが主張している「ポリティカル・コレクトネス」は、あくまで現代の大衆が受け入れられる程度の正しさである。
それは大衆の好みを忖度しまくった上で構築された概念であり、本当の意味での正しさではない。
例えば先日のニュースで、アメリカのディズニーランドの『カリブの海賊』のアトラクションで、花嫁オークション(人身売買)のシーンが女性差別だとして中止になったという報道があった。
はてなやTwitterで反応を調べてみると、案の定、リベラルはこれを好意的に受け止めたようである。
言うまでもなく、女性差別をエンターテイメントとして消費するのはポリコレに反するから、ディズニーランドの今回の判断は進歩だと見なすことができる。しかし、本気で正しさを追及するつもりがあるならば、「差別から目をそむけるな。差別について学習する機会を奪うべきではない」という意見になるはずだ。
「ディズニーランドは娯楽施設であって、差別を学ぶための学習施設ではない」
「エンターテイメントなんだから、正しさを過度に求めてはいけない」
これはまるで、表現の自由戦士のオタクどもが必死になって、有害でおぞましいアニメ・漫画を正当化するときに使っているロジックそのものである。
つまり、リベラルにとっては、オタクのような異端者は弾圧してよいが、ディズニーランドを楽しむのは大衆の権利だから擁護しなければならないというわけだ。この恣意的な基準によって構築されているのが「ポリコレ」だ。
リベラルが言うところのポリコレとは、大衆の好みを反映し、せいぜい大衆の利益を損なわない程度に追求すればよいものであるらしい。だから、ディズニーランドを廃園に追いこめ、廃園しなくていいが年齢制限を設けろ、というような話には絶対にならないのである。
なお、ディズニーによくある「お姫様(プリンセス)」を美化する物語も、私は有害だと思っている。こういう物語は身分差別を正当化しているし、労働者や庶民を軽んじすぎていて、そのことが民主主義の妨げになりうる。
これは子供に悪影響を及ぼすだろう。リベラルはこの点に関して甘いので、私のようにこれを有害表現だと断罪してみせることはない。それどころか、恥知らずにも『アナと雪の女王』を絶賛している始末である。
このことからも、リベラルの唱えるポリコレというのが本当の正しさを求めているのではなく、普通の大衆が受け入れられる程度の保守的な道徳観に基づいていることが分かる。
大衆は、例えばオタクのような異端者が腐臭を放っていることを我慢できないくせに、自分たちがいかに腐臭を放っているかに無自覚だ。リベラルはこの大衆を代弁している政治勢力なのである。ゆえに、リベラルは、大衆に過度の負担を強いるほど厳格なやり方で正しさを追求することには耐えられず、「ハイヒール・化粧を規制しろ」という私の主張には反発するのである。
リベラルがLGBTの権利を擁護するときの姿勢を見ても、このことは一目瞭然だ。
彼らは「同性婚を認めるべきだ」とは言うが、「結婚制度を粉砕しろ」とは言わない。
結婚などというのは、個人主義を抑圧している封建主義の産物であるが、リベラルはあくまでも大衆の利益であるところの結婚制度を維持しようとする。その上で、そこに同性愛者を取り込もうとしているのである。
これはまさしく、大衆の利益を損なわない範囲内で正しさを追求していることの証左だ。大衆には過度の負担をさせないという原則、リベラルにとってこれが一番重要なことなのだろう。
ゆえに彼らがやろうとしているポリコレの追求とやらも、ことごとくこの原則を基盤にしたものになっており、ひどく不徹底なのである。
追記。
ちょうどホットエントリの増田があったので、私もそれにかこつけて追記を書きました。
東大とかみたいにレベル高いところに通っているわけではないし、言ってしまうとMERCH以下の偏差値しか無い大学に居るので「お前が馬鹿だからそう思うだけ」と言われたら説得力のある返しができないのだけれど、それでも大学の授業が薄っぺらいと主張したい。
今年で大学生活も3年目に入り、順当に行けば後期には単位の取得が完了するペースなのだが、得たものが一切ないといえるほど大学での授業内容が頭に残っていないのだ。
単位取得はしているけれど成績という観点から見ればC評価が多く、ギリギリ赤点を避けている現状なので授業内容が頭に入ってないんだろうとも考えられる。
けれども単位取得の肝を担っている学期末テストの内容が『授業中に再生した動画で言及した企業のマーケティング戦略は何だったか?』というのはひどすぎるのではないだろうか。
自慢ではないがマーケティングについては当大学内で比較した場合に限るけれど、ある程度の知識を私は持っていると自負しているが、流石に特定の企業が行っていたマーケティング戦略なんて動画を見ていなかった私に解けるわけがない。
せめて、商品の販売個数を計測する戦略とか書いてくれれば何となく当たりをつけることは出来るが一切とっかかりになる情報がないので授業出席者しか解けないのだ。
授業に出席しないものは、いかなる知識を保有していようとも単位は上げませんと言っているようなものである。
そもそもの話私が大学に行かないのは、授業時間90分のうち、教授の雑談が半分以上を超えていてどのタイミングで本旨に触れるかわからないからである。
教授がゼミ生と一緒に福岡に行った時に食べた食事がとても美味しかった話など、至極どうでもいいのでとっとと必要な話をして終わらせてほしいというのはおそらく講堂にいる生徒全員が等しく思っていることだろう。
適当で面白みのない授業を展開する教授ばかりではないのはだが、どちらが多いかと言われれば上記のようなゴミ教授ばかりである。
こうやって教授を批判するかの言葉を連ねると「彼らは有名大学を出ていて高知能、その話を楽しめないキミは低知能」とマウントを取られる。
しかし東大を出ているとか、有名大学の院を出ているとか私からすればどうでもよいことなのだ。授業がつまらないという事実は私の中で変わることはないのだから。
やっていることは市販されている本(自著であることが多い)を朗読しているだけで、自宅で必要な部分は覚えられる。そんな「教授いる?」と感じるような講義内容でどこに「教授は頭いいなぁ」と感じる要素があるのか。私が異端なだけで世の中の人は資格や肩書だけで知能を判断する、判断基準が外部にしかない人ばかりなのだろうか。
つまるところ大学というのは教育ビジネスであり、肩書を得られるのを対価に金を払って、脳死しながら授業を消化し続ける場所なのだ。
私が声を大にして言いたいのは「大多数の人間にとって大学は一切必要ない」ということ。
企業が大卒を要求していて、大卒の給料が高いからしょうがないので大学に行って卒業しようと考えているだけで、そこで何を学べるかはどうでもいいのだ。
しかし私はそこまで割り切ることができず、大学を学ぶ場所と考えてしまったいたからこうして不満が爆発しているのだと思う。
私は運がいいことに文系大学に進学しているが、小さい頃にパソコンを祖父から貰い、そして2つ上のいとこがネット関係に非常に強かったため影響を受けIT関係に強くなった。
そして大学ではこれまた運がいいことにビジネスに精通した人間たちと仲が良くなり、今後の希望を得た。
情報量を多くする気はないのでこれを読んだ奇特な人は「騙された人間」と私を罵るかもしれないが、それはどうでもいいことだろう。
私の周りは大学に通うことを強く勧めたが、結局それは私に合わず、彼らに合わなければ日々鬱屈とした思いを抱えながら、ただ授業を消化する人生を歩んでいた。
アドバイスに従った結果、得られたのは大学と私が合っていなかったという知見だけである。
このことから「アドバイスと称して意見をぶつける人間は、個人を見ていない」というのが判明する。
彼ら助言をする人間は最大公約数的な、大体の人間にとってベストではないがベター程度にはなるはずという意見をぶつけることで自身の人生の正当化をしつつ、悦に入ってるだけなのだ。
確かに最終的に選択をしたのは私であるが、どれだけの人間が周りの人全てが自分と反対の意見を述べている中、自分の考えを押し通すことが出来るのか。
私は大学生になり人に恵まれたおかげで、本当の考えを通せたのであって、高校生の頃であれば貫くことはできないだろう。
結局、大学の授業が薄っぺらいというのはこの「多様性を認めず一般論を勧める人間」が大学への進学を勧めているからなのだ。
だから教育という存在はまるで利権を貪る団体のように怠惰でありながら肥大してしまった。
大学というのはそもそも専門性の高い話を学び、その専門的技術を社会のために使うのを目的とした教育機関だ。
特に能のない私のような人間が大学に行ったところで卒業したという事実を抱えて企業に入り、一切学んだことを使わないで終わるのが関の山である。
学歴社会は確かにフィルターとして有効な部分もあるが、その企業が学歴フィルターをかけているのが世間にバレればまるで現在の検索エンジンがハックされるようにそこに向けて最適化されてしまう。
つまり大学進学するものは優秀で専門性の高い人間だから採用するというのが前提にあって学歴フィルターは機能していたのに、そこがハックされてしまったがためにバツグンな効果を発揮するとはならなくなった。
ハックされていない採用基準は意図した人材を取得できるため優秀であるが、認知されてしまえばそこに注力できる人間を採用する弱い基準となってしまう。意図しない人材を確保することになる。
起業家の話を聞いてみると「東大生のほうが統計的に話がわかる」と語る。
つまり学歴フィルターは大卒で区別するのでなく、東大生などの超難関校とそれ以外で区別するようにしたほうが建設的だ。(給料も含め)
そうすれば無駄に大学に通う人間も減るし、ビジネス大学も少なくなる。大卒枠を争って貧困に悩む人間も減る。
私が問題提起したいのは以下の2点。
・何も考えずに一般論で「大学はいったほうが良いよ」と個人を見ずに語るやつは口を閉じよう
・企業は大卒で学歴をフィルタリングしても効果が薄いので、給料から難関大学(基準はMERCHかそれ以上?ここはわからない)とそれ以外で分けるべき。もしくは意図した人材を採用できてかつハックされていない新しい採用基準を見つける。
こうして大学が少数精鋭になれば教育者も生き残りをかけて力を尽くし、怠惰で肥えた教授も減ることだろう。
私はとにかく薄っぺらくて意味のない授業が大学から消滅してほしいので、教育機関こそ激戦のビジネス社会のように苦しみながら競争して欲しいと思っている。
確かに科学の力というのは重要だとは思うが、現在私の身の回りで生活に欠かせないと思うものを作っているのは企業であり大学で教鞭をとる人ではない。私が知らないだけで企業にその教授も協力しているのかもしれないが、それなら大学ではなく企業で研究させてもらえばいい。
つまり「安定してるー」とアホ面下げて年に数回、偉そうにゴミみたいな本を書きながら教壇に立つ輩は荒波にも稀ながら淀んだ精神を磨き上げるべきだということ。
そもそも大学はいま腐るほどあるわけだけれど、その全てが科学において必要ではないだろう。それならばなおのこと競争化させて精鋭化させなければいけない、なぜ「研究」という話になった途端嫌儲精神が発作的にでてくるのか。
何度も書いている気がするけれど、その大学の競争化をする上で最も邪魔なのは一般論を振りかざして大学に行かせようとする無能な働き者と大卒でフィルタリングする企業だ。
個人を見ないで、自分の人生訓を元にとりあえず精神でアドバイスするやつは総じて糞だし、対してその人を案じているわけではない。
こうした一般論で武装した人間に対して、正論に感じようが自分の感性と考えを元に対抗できるように成長することが、幸福につながるだろうしひいてはこの薄っぺらい大学の授業の減少につながる。
三一権実諍論(さんいちごんじつ の そうろん)は、平安時代初期の弘仁年(817年)前後から同12年(821年)頃にかけて行われた、法相宗の僧侶・徳一(生没年不明)と日本天台宗の祖・最澄(767年 - 822年)との間で行われた仏教宗論である。「一三権実論争」「三乗一乗権実諍論」「法華権実論争」などとも。
目次 [非表示]
1 概要
2 平安初期の仏教界
2.1 法相宗と徳一
3 論争の経緯
3.1 論争の発端について
4.2 南都教団への対抗
4.3 中傷者徳一に対する怒り
4.4 蝦夷征討との関係
5 その後
6 注・出典
7 関連項目
8 参考文献
「三一権実諍論」の「三一」とは、三乗と一乗の教えのことであり、「権実」の諍論とは、どちらが「権」(方便。真実を理解させるための手がかりとなる仮の考え)で、どちらが「実」(真実の考え)であるかを争ったことを言う。一乗・三乗の「乗」とは衆生を乗せて仏の悟りに導く乗り物であり、天台宗の根本経典である『法華経』では、一切衆生の悉皆成仏(どのような人も最終的には仏果(悟り)を得られる)を説く一乗説に立ち、それまでの経典にあった三乗は一乗を導くための方便と称した。それに対し法相宗では、小乗(声聞乗・縁覚乗)・大乗(菩薩乗)の区別を重んじ、それぞれ悟りの境地が違うとする三乗説を説く。徳一は法相宗の五性すなわち声聞定性・縁覚定性・菩薩定性・不定性・無性の各別論と結びつけ、『法華経』にただ一乗のみありと説くのは、成仏の可能性のある不定性の二乗を導入するための方便であるとし、定性の二乗と仏性の無い無性の衆生は、仏果を悟ることは絶対出来ないのであり、三乗の考えこそ真実であると主張した。このように三乗・一乗のいずれが真かをめぐり真っ向から対立する意見の衝突が行われた。
ただし、徳一と最澄の論争は三乗と一乗の争いのみに留まらず、教判論(数ある経典の中で釈尊の考え方に最も近いものを問う)における法華経の正統性を問うたものでもあるから「法華権実論争」と呼ぶべきとの考えもある[1]。この論争の間、最澄は『守護国界章』『法華秀句』など大部の著作を執筆しており、これは徳一からの批判への反論の書として書かれたものである。一方の徳一側の著書は、真言宗の空海(774年 - 835年)への論難である『真言宗未決文』以外現存していないため、詳細は不明である。しかし、徳一の主張は最澄側の批判書に引用される形で部分的に残存しており、ある程度の復元が可能である。
いずれにしろ論争は著作の応酬という形式で行われ、実際に両者が顔を合わせて激論を交わしたということではない。
奈良時代に興隆したのは、法相宗や華厳宗・律宗などの南都六宗である。本来、南都六宗は教学を論ずる宗派で、飛鳥時代後期から奈良時代にかけて日本に伝えられていたが、これらは中国では天台宗より新しく成立した宗派であった。天台宗は後述の如く最澄によって平安時代初期に伝えられたため、日本への伝来順は逆となったわけである。
この時代の日本における仏教は中国と同様、鎮護国家の思想の下、国家の管理下で統制されており、年ごとに一定数の得度を許可する年分度者の制度が施行され、原則として私度僧は認められていなかった。このことは逆に仏僧と国家権力が容易に結びつく原因ともなる。実際、奈良時代には玄昉(? - 746年)や道鏡(700年 - 772年)など、天皇の側近として政治分野に介入する僧侶も現れていた。桓武天皇(737年 - 806年)が平城京から長岡京・平安京に遷都した背景には、政治への介入著しい南都仏教寺院の影響を避ける目的もあったとされる。新王朝の建設を意識していた桓武天皇にとって、新たな鎮護国家の宗教として最澄の天台宗に注目・支援することで従前の南都仏教を牽制する意図もあった。
日本での法相宗は、南都六宗の一つとして、入唐求法僧により数次にわたって伝えられている。白雉4年(653年)道昭(629年 - 700年)が入唐留学して玄奘三蔵(602年 - 664年)に師事し、帰国後飛鳥法興寺でこれを広めた。
徳一は一説には藤原仲麻呂(恵美押勝とも。706年 - 764年)の子といわれるが疑わしい[2]。はじめ興福寺および東大寺で修円に学び、20歳代の頃に東国へ下った。東国で布教に努め、筑波山中禅寺(茨城県つくば市)・会津恵日寺(福島県耶麻郡磐梯町)などを創建したという。
前述のごとく、徳一の著作はほとんど現存していないため、その生涯は不明な点が多い。
天台宗は法華円宗、天台法華宗などとも呼ばれ、隋の智顗(538年 - 597年)を開祖とする大乗仏教の宗派である。智顗は『法華玄義』『法華文句』『摩訶止観』の天台三大部を著して、『法華経』を根本経典とし、五時八教(仏教の理解度の5段階に合わせて記された経典のうち、法華経を到達点とする)の教相判釈(経典成立論)を説く。
最澄ははじめ東大寺で具足戒を受けたが、比叡山に籠もり、12年間山林修業を行った。さらにそれまで日本に招来された大量の仏典を書写し研究する中で、南都六宗の背景にある天台教義の真髄を学ぶ必要を感じ始め、親交のあった和気氏を通じて桓武天皇に天台宗の学習ならびに経典の招来のための唐へ留学僧の派遣を願い出た。これを受け、桓武天皇は最澄本人が還学僧(短期留学の僧)として渡唐するように命じた。こうして延暦24年(805年)の遣唐使船で最澄は入唐を果たす。予定通り天台山にのぼり、台州龍興寺において道邃(天台宗第七祖。生没年不明)より天台教学を学び、円教(天台宗)の菩薩戒を受けて、翌年(806年)帰国した。
帰国後、最澄は桓武天皇に対し従来の六宗に加え、新たに法華宗を独立した宗派として公認されるよう奏請、天皇没後には年分度者の新しい割当を申請し、南都六宗と並んで天台宗の2名(遮那業・止観業各1名)を加えることを要請した。これらが朝廷に認められ、天台宗は正式に宗派として確立。これが日本における天台宗のはじまりである。最澄はさらに同じく入唐した空海に師事して、密教への理解を深める一方、六所宝塔院(比叡山寺(後の延暦寺)を中心とする)の造立計画を立て、弘仁5年(814年)には九州へ、同8年には東国へ赴くなど精力的に活動する。最澄の悲願は大乗戒壇の設立であり、大乗戒を授けた者を天台宗の菩薩僧と認め、12年間比叡山に籠って修行させるという構想によって、律宗の鑑真(688年 - 763年)がもたらした小乗戒の戒壇院を独占する南都仏教の既得権益との対立を深めていた。
論争の発端となったのは徳一が著した『仏性抄』であるとされる[3]。この書における一乗批判・法華経批判に対して最澄が著したのが『照権実鏡』であり、ここから両者の論争が始まった。
ただし、そもそも徳一が『仏性抄』で論難したのは中央仏教界の最澄ではなく、東国で活動していた道忠(生没年不明)とその教団であったとする説がある[4]。道忠は最澄が入唐前の延暦16年以降、あらゆる経典の写経を行った際、東国からはるばる駆けつけて2000巻もの助写をしたほど親交があり、東国における最澄の盟友的存在であった。道忠自身は鑑真の弟子で、律宗の僧侶であったが、戒壇が設けられた下野薬師寺との関連か[5]東国に住し、広く弟子を持つ僧侶であった。最澄が東国へ下った際には、すでに道忠は没した後で教団は広智(生没年不明)が率いる状態であったが、後に天台座主となった円澄(771年 - 836年)や円仁(794年 - 864年)・安慧(794年 - 868年)らは、もともと道忠の弟子もしくは孫弟子(広智の弟子)であり、道忠との縁から最澄に入門したなど、道忠は初期の天台教団の中で、非常に重要な役割を果たしていた存在であった[6]。
筑波山を開山し、会津を拠点とした徳一が標的としたのは、むしろ地理的に東国において布教を行っていた道忠教団であった可能性が高い。徳一の『仏性抄』の存在を最澄に知らせたのも道忠教団であったと見られる[7]が、異論もある[8]。
三一権実諍論に関する著作としては、
≪徳一側著作≫
『法華肝心』2巻
『法華権文』1巻
『中辺義鏡』20巻
『慧日羽足』3巻
『遮異見章』3巻
『義鏡要略』7巻?
『法相了義灯』11巻
『通破四教章』1巻
『照権実鏡』1巻
『依憑天台集』1巻
『守護国界章』9巻
『決権実論』1巻
『通六九証破比量文』1巻
『法華秀句』5巻
などが挙げられる[9]。論争の主要な流れとしては、
徳一の『仏性抄』(成立年不詳)に対し、最澄が『照権実鏡』(弘仁8年(817年)成立)で反論。
徳一の『中辺義鏡』『慧日羽足』に対し、最澄が『守護国界章』(弘仁9年(818年)成立)で反論。
最終的な結論として、最澄が『法華秀句』(弘仁12年(821年)成立)を著す。
となっている。なお諍論の前期において、最澄が『照権実鏡』で徳一の『仏性抄』を批判したのに対し、徳一の『中辺義鏡』では最澄の反論に全く答えていない。そのため『中辺義鏡』の批判対象としては、書名のみ残っている最澄の著書『一乗義集』ではないかとする説[10]、もしくは道忠教団によって書かれたと思われる『天台法華義』とでも称すべき書であったとする説がある[11]。続いて『守護国界章』下巻における三一権実論に対する徳一の反論として『遮異見章』『慧日羽足』が書かれたと思われ、それに対して最澄が『決権実論』で反論、結論の書として『法華秀句』を撰述したと見られる[12]。
一連の論争の内容は難解で、一乗・三乗の権実のみならず、教判論における法華経や天台三大部の正当性、天竺・震旦の先哲による教義解釈の是非など広範囲に及ぶ。しかし一方では、最澄の教法に対する価値論に対し徳一は仏法理解の先天的素質論を述べており、両者の論争の焦点があまり噛み合っておらず、議論そのものも詳細というよりは瑣末的であり、時折相手側への罵倒に近い表現も見られる(後述)など、すれ違いの印象も与えている。
天台宗側では『法華秀句』の成立をもって論争の終結とする(翌年に最澄は入寂)。論争の歴史を天竺や中国の仏教史まで遡って述べたもので、『法華秀句』の書名は、智顗による天台三大部の『法華文句』を意識したものと思われ、最澄の論争決着への決意が現れている。ただし、これは最澄側の一方的な論争打ち切りであり、徳一側からは決着がついていないとも言える[13]。なお徳一は天台宗のみならず密教に対しても問題視していたと見られ、真言宗の空海に対しても『真言宗未決文』で批判している(なお、これが徳一の著作として現存する唯一の史料である)。
下記は、取り立てて、最澄の書き物に怒りは表明されていないが、法相宗派の学者の何人かは、そのようにとらえているようである。その理由をあえて挙げるとすれば、次の事柄をあげられるが、これも、特にここに特記すべきほどのことではない。参考までに、法相宗派側の意見を以下に述べる。 最澄は、しばしば非常に激烈な表現を用いて論敵を攻撃しており、たとえば『守護国界章』において最澄は、非難の対象である徳一のことを「麁食者(そじきしゃ。粗末な食べ方をする者、半可通のこと)」「謗法者(ほうぼうしゃ。賢しらに法を曲げる者)」「北轅者(ほくえんしゃ。南に行こうとして牛車・馬車の轅(ながえ)を北に向ける者。方角もわきまえぬ者)」などの蔑称で呼び、本名の徳一で呼ぶことは一切ない。どちらかといえば秀才肌で生真面目な感のある[14]最澄が、これほどまでに攻撃的な姿勢で論争に臨んだ背景として、いくつかの原因が考えられる。
最澄は入唐求法から帰国する直前、越州に寄り、密教を龍興寺の順暁(密教の法灯においては傍流に属する。生没年不明)に学び、灌頂を受けている。帰国後も最澄の密教への関心は高く、自身より年少で僧としての地位も低いながら、正統的な密教を学んで帰国した空海に師事することになる。
最澄と同じく804年の遣唐使で入唐した空海は、真言八祖の一人恵果(746年 - 806年)から正統的な密教を学び、大量の経典・法具を携え、最澄よりやや遅れて大同元年(806年)に帰国していた。最澄は空海の招来した仏典を借り受けて密教を本格的に学びはじめ、弘仁3年(812年)には弟子の泰範(778年 - ?)らとともに空海の高雄山寺において灌頂を受け、正式に空海の弟子となっている。さらに泰範らを空海の下に派遣して密教の奥義を学ばせようとしていた。
しかし、弘仁4年(813年)最澄が『理趣釈経』(『理趣経』の解釈書)の借用を空海に申し出たところ、空海が密教の真髄は文章修行ではなく実践によってのみ得られるとして拒絶したため、両者の仲は悪化する。さらに最愛の弟子であった泰範が、最澄の再三の求めにもかかわらず比叡山への帰還を拒み、空海の下での修行を望んだことなどが重なり、両者は義絶するに至った。真言宗側では、これをさかんに吹聴するが、『理趣釈経』は、いわば、後世、淫靡宗教と結びついたものであり、空海がそれを見せたがらなかったのは、故あることであったようである。つまり、密輸入書物とも言えるものであり、かえって、見ないほうがよかったのではないかと思われている。
天台宗に密教の要素を取り入れ、新たな宗派としての地位を高めようとしていた最澄にとって、泰範・空海との訣別により孤立感が深まったことで、南都諸宗に対してより敵対的な姿勢に駆り立てられたともいわれる[15]。なお天台宗は最澄の死後、本格的に密教化することになる(→台密)。
最澄が論争相手とした徳一自身は、若年から東国に拠点を移して活動していた地方僧であったものの、彼が所属する法相宗自体は、当時の仏教界においては主流である南都六宗の中心であった。後世に天台宗の方が興隆していったため、三一権実諍論全体としては、新興宗派の総帥である最澄が、古い法相宗を代表する徳一を退けたという印象が残るが、実際には当時においては法相宗の方が主流派に属していたのであり、最澄はむしろ挑戦者であった[16]。前述のごとく年分度者の割当を勝ち取り、大乗戒壇の設立など、天台宗を確立して南都仏教に対抗しようとする最澄にとって、法相宗の理論家である徳一を説き伏せることは、天台宗の南都六宗への優位を示すことにも繋がるため、より攻撃的になったと、現代法相宗派の学者は考えている。
徳一の『仏性抄』は最澄にとって看過しがたい法華経批判の書であり、この法敵に猛反論しなければ自宗の存在意義そのものが危うくなる。しかしまた徳一にとっても、天台法華宗や密教の擡頭は、彼自身の属する法相宗にとっても、また従前の仏教体制秩序にとっても、異端なのであって、これを徹底的に論破しておく必要があった。徳一は『中辺義鏡』において法華教説や最澄に対して「凡人臆説」「顛狂人」「愚夫」などと悪し様に罵倒している[17]。最澄が『守護国界章』で徳一を「麁食者」「北轅者」と呼んだのはこれに呼応するものであり、互いに自宗派の存在意義をかけた真剣な論争であったがゆえに、ともに中傷めいた表現までもが用いられたともいえる。
宮原武夫(1933年-)は最澄と徳一の論争がここまで大きくなったのは、最澄が当時の朝廷が進めていた蝦夷征討に徳一が「非協力」的とみなしていた政治的問題にあったとする説を唱えている。
最澄が東国に下った際に活動の拠点としていたのは亡き道忠が活動の拠点としていた下野国と隣の上野国であったが、両国は当時朝廷が推奨していた蝦夷征討の兵站基地となっており、更に下野・上野両国から陸奥・出羽両国に対しては国司からの課役を逃れるための逃亡や朝廷による移住政策によって多くの人々が移り住んでいた[18]。蝦夷討伐には徳一の法相宗を含めた南都六宗や東国の鹿島神宮・香取神宮も征討の成功を祈願したり、寺院や神社を建立するなどの積極的な協力を行ってきた[19]。朝廷から天台宗の公認を得たばかりの最澄も東国における蝦夷征討を巡る様々な動きに直面して関心をもったと考えられ、この時の最澄の東国行きに随行した弟子の円仁(下野出身)も立石寺など東北から北関東にかけて多数の天台宗寺院が建立したと伝えられており、最澄とその門人は下野・上野両国を足掛かりに奥羽の人々に対する教化を進めようとしたとみられる[20]。
これに対して徳一の方は会津地方から越後方面への布教活動を進めており、蝦夷征討への協力や蝦夷がいる会津以北の奥羽への布教を示す史料は残されていない。宮原は最澄は『決権実論』の中で「北轅者常に迷ひて、分明の文を指さしめ、南、越の方に向はしむ」と記しているが、これは自分達や南都六宗と違い、蝦夷征討に対して祈祷<
母の日だし書かせてほしい。
最初に断っておくと性的な目では一切みてない。そういうマザコンじゃない。第一俺はホモだ(人生初カミングアウトだ。すっきり)
母が大好きだ。ご飯は美味しいし、一緒にいて苦じゃないし、育ててくれた感謝もある(もちろん父も尊敬している。でも母に比べればまあちょっとね。ごめんね、父さん)
近くにいるとちょっかいを出してしまう。突っついたりベタベタしたり…母は嫌がる。それはもう邪険にされる。でも止められない。
傍から見て相当気味が悪いと思う。もうすぐ27になろうかという男がこの調子ではバレたら友達を全員なくすことうけあいである(余談だが恋人はもちろんいない。年齢イコール、ってやつだ。親を安心させるためにも彼女が欲しいがこんな動機だからかできやしない)
そもそも俺の持論では男はみんなマザコンである。ただし毒親持ちは除く。自分が異端なのが嫌なだけなんだけども。みんな親離れどうしてるんだ?仲間が沢山いるっていってくれよ!!お前らの母の自慢をしよう!俺もする!
ちなみに俺は転勤が多いのでここ数年は年に何回かしか実家に帰れなかった。今は多少近くなったから月一以上のペースで母に会えて嬉しい。
母か自分が死ぬまであと何回会える?何回ご飯が食べられる?と考えるといてもたってもいられない。
正直母が死ぬことを考えると非常にしんどい。乗りきれる気がしない。
とりあえず感謝の印として鉢花をあげた。母はカーネーションがそんなに好きじゃないからこういうときは困る。別の花をあげたが喜んでくれてよかった。来年はもっと立派に咲かせると息巻いている。別に枯らしてもまた買うよ。
唯一働いててよかった、と思うのは母にプレゼントをあげられることかもしれない。ご飯食べに行ったり、お取り寄せ送ったり、花あげたり…学生のときはできなかったからね
ふう…そんなこんなで親離れをしようと思う。反抗期のようにうっせーババア!とか喚いていればそのうちマザコンは治るのだろうか。っていうかそんな治療法はいやだ。
平均的な、周りから見て許される親子関係ってどんなだろうか。二人でランチやディナーは変?そもそも体に触れちゃいけないのか?嘘だろ見栄貼ってるんだろみんな…
追記
主人公の名前を自分で好きなように設定出来るゲームにおいて、主人公に自己を投影しづらい空気を感じてしまう。
要点は以上です。
以下はもう少し噛み砕いた、匿名じゃないと吐き出すのに躊躇ってしまうような雑記です。
雑記というか、愚痴、もしくは『こうなら良いな』を書いた夢女子お得意の夢妄想と言った方が適切かもしれない。そんな感じの内容が続いています。
論文のような、人に理解させる為の文章を書くのは自分には向いていないと思っているので、自らの書きやすさを重視して長年慣れ親しんできた夢小説を書いている時の調子で書きました。故に冗長な文になっていますので、時間の潰し方を探している方はどうぞ。
昔から夢小説が好きで、必ずというわけではないけど、夢主人公=自分という形で夢小説を読むことがよくある。
そんな私は、設定は関係なく、たとえ自分との共通点が皆無だとしても、夢主人公は自分だとして読み進めることが出来た。
他人の夢小説の読み方にさして興味を持ったことがないので正否は定かではないけれど、もしかすると自分は夢女子の中でも異端な方なのかもしれない。なにせ見た目があって、性格が濃くて、性別が違って、種族さえ違ったとしても、夢主人公のことを自分として読み進めていく事が出来るのだから。
そもそも二次創作自体『もしこうだったら』とか『こんなことがあるかもしれない』とかそういったものを描いているのだから、『自分がもしこういう人間だったら』という前提を頭の中に用意して夢小説を読むことは何らおかしなことではない筈である。
夢小説は、個を表す記号であるところの名前を自分にして読むことが出来る。たとえどんな人物像が充てがわれていたとしても、名前変換という機能が付いている限りそれは『もしこうだったら』の姿が描かれた自分として読んでも許されるのだと思っている。
名前が自分の中での重要なパーツなのだろう。親から貰った名前である、この先名前が変わる事なんて結婚以外にはそうそうない筈だ。
世の中には当然同名の人が沢山いるけれど、それでも自分の名前が私という個を表す要素である事に違いはない。
そしてそんな私は、昔からゲームの主人公の名前も自分の名前だった。兄弟がいたので、セーブデータの判別を付けやすいように各々の名前を使用していたのが癖になっていたのかもしれない。
ゲームの中では、主人公が自分の選択したように動くし、自分の選択に合わせて仲間も成長する。自らに呼応するように変化する世界で、名前だって同じなのだ。主人公は紛れもなく自分だった。
そしてその楽しみ方は、今でも変わっていない。
私が今現在主に活動しているジャンルは、キャラクターを育成していく女性向けのソーシャルゲームだ。キャラクター達が自分の選択に一喜一憂し、会話を重ねて親愛度を上げていく。主人公の名前を好きに変えられるから、私は今まで通り自分の名前を呼んでもらっている。
ゲームの中でキャラクターと恋愛関係に発展する事はないけれど、そこの部分は自分で創作すればいいし、単純に仲間として、友人として、先輩として、後輩として、自分の好きなキャラクター達に慕われるのは楽しくて仕方がなかった。
そのジャンルで二次創作を始めたのも早かった。サイトを立ち上げて、そこに夢小説を載せた。夢主人公の設定は様々で、ゲームの主人公だったり、また別の女の子だったりもした。
このところ夢小説は昔に比べて他の二次創作と同じように衆知されていると感じていたし、ゲームの主人公受けというジャンルが一定数以上の人気を誇っていることも知っていたので、私はpixivにも作品を載せた。名前変換が必要な部分は表現を変えて、主人公の名前は一切出さないようにした。
pixivだと手軽に操作が行える機能が沢山あるので、サイトに夢小説を載せるよりも人の反応が貰いやすい。そんな中で私が貰った反応の一つに、タグがあった。自分で付けた作品タグの他に、相手キャラとゲーム主人公のデフォルトネームでのカップリングタグが付けられたのだ。
作品に夢作品だとの注意書きもしていたけれど、主人公の設定はゲームの主人公に準拠したものだったので、単純に検索しやすいように付けられたものなのだろうと私は認識した。そちらのタグが付いていた方が閲覧数は多いし、反応を貰える事は素直に嬉しいものだ。その後は自分でもそのタグを使用するようになった。
タグの他作品は自分が好んでいる夢作品と何ら変わりはなかったので、私はそちらの方も楽しんだ。pixivには名前変換機能が無い。それ故に殆どの作品でゲーム主人公の名前はデフォルトネームのままだったけれど、ゲーム主人公は=で自分なのだという前提が公式の名前変更機能で示されているし、脳内での変換は容易である。他のサイトの作品は粗方拝見させていただいていたし、占いツクールの作品も同様であったので、読んだことのない作品の宝庫であるpixivは最高だった。
その内Twitterの方にもpixivから飛んできたフォロワーが増え、こちらからもフォローして仲良くなった方も増えた。良いことばかりだと思った。
フォロー数が増えると、当然目にするツイートも多くなる。RTも同様だ。何気なくTLを覗いていた私の目に入ったのは、こんな内容のツイートだった。
「主人公受けでゲームの主人公に自己投影していると思われたくないし、そんなつもりで私は書いていない」
まあそういう考えの人もいるよね、と流し見していたけれど、そのツイートをRTした人が続けていた、
というツイートが引っ掛かり、気になった私はツイート検索をした。それからが駄目だった。
そんな内容のツイートがいくつも見つかった。相手はこちらの事を知らないだろうに、自分の事を名指しで言われているような気がして、私は身勝手にも傷付いていた。
そういうツイートをしている人は決まってデフォルトネームの主人公を可愛がっていたから、私はデフォルトネームの主人公が自分の中から乖離してしまうような、そんな恐ろしさを感じた。彼女には確かにデフォルトの名前が存在しているけれど、システムで名前を好きなように変更出来る彼女は、何にでもなれる存在であるし、何より私自身なのである。どうしてそれがキモいのだろう。
乙女ゲームを始めとした女性向けジャンルでよく見るタイプの主人公。見た目があって名前が用意されていたとしても、名前は自由に変更出来るのだから、そこに自己を投影するのは悪い事ではない筈。というかその為にある機能なのに、そのジャンル内で楽しんでいる人が何故それを蔑めるのか。
「私はゲームの主人公ほど可愛くないし、こんな風にはなれない」
思うのは結構だけど、それを根っこから否定し他人にアピールするのは何故なのだろう。刺々しい言葉でそう言われると、まるでそうしている人間を否定されたような、喧嘩を売られたような気持ちになってしまう。
必ずしも相手に悪気があったとは思わないし、相手側の独り言をこちらが見てしまっただけに過ぎないのだけれど、夢小説はただでさえ二次創作の中では砂をかけられ続けてきたジャンルである。多少過敏になってでも自衛しなければ、楽しくて続けているはずの活動により傷を負ってしまいかねないのだから許して欲しいと思うのは我儘だろうか。
それ以来私は、他の方の書いたキャラクター×ゲーム主人公の作品を読んでいない。ゲーム主人公ちゃんかわいい勢とも関わりを絶ってしまった。自分の作品には未だにそのタグを付けたままだけれど、もう少し自分の中で整理が付いたら、今まで通り他の方の作品を見るなり自分の作品からタグを外すなり出来ると思う。
もっと精神を鍛えて、作品で殴り飛ばせるよう力を蓄えておくことも必要だろう。というかマジで心無いこと言うツイッタラーみんな鍵掛けてくんねえかな〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜私も鍵掛けてサイトに引きこもるか〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!?!!!!!?!!!?!?!?(怒りが再燃してきた顔)
それよりも前にまず、スポーツの日本代表チームにつける愛称(?)の「○○ジャパン」がいるだとかいらないだとか多すぎてわからんだとか昔サンデーにそんな漫画が連載してただとか、クソどうでもいい。まず覚える気がない。その呼称になんの興味もわかない。「へー」以上の感想が思い浮かばない。
で、上のツイートだ。
そのクソどうでもいいこと(あくまで僕にとって)に対して、クソどうでもいい意見が書かれている。
え?
は?
いやいやいやいや
えぇ?
なんでこいつらクソでこんなに楽しそうに遊んでんの?暇なの?
いや、仮に暇だとしても、いや暇なんだろうけど、楽しいの?それ楽しいんですか?あなたたちの前世はフンコロガシかなにかだったんですか?えぇ?
このイライラと同じ種類のイライラを感じるものがある。きのこたけのこ戦争だ。
きのこたけのこ戦争に関しては半分ふざけてるようなものだからあんまりとやかく言いたくないんだが、時々本気でどっちの派閥が異端だなんだピーチクパーチク言ってるやつらがいるからわけがわからなすぎて頭がこっちまでおかしくなりそうになる。
クソどうでもよくないっすか?きのこ派とかたけのこ派とか、クッッッッッッッッッッソどうでもよくないっすか?どっちのほうが好きとかある?あっても大抵の奴は「強いて言えばあっちのほうが好きかなあ~」ぐらいの好きの程度だろ?そもそもみんなそんなに食う?きのこたけのこ食う?食わねえよなあ?だいたい三ヶ月にいっぺん食うか食わねえかぐらいの頻度だろ?なあ?なのになーんでそんな不毛なことでごちゃごちゃ騒いでんの?頭おかしいの?頭おかしいんだよね?頭おかしいんだな。あああああーーーー理解できない理解できない理解できない理解できない理解できない理解できない
取り乱しました。
まあさ、ほっときゃいいんだけどさ。理解できないなら理解できないで別にいいんだけどさ。まあこんなこと書いてる僕もただの暇人なんだけどさ。まずこんなことでいちいちイラつくのが不毛なんだけどさ。
こういうふうに考えてる奴もいるってことを誰かに知ってほしかった。以上です。
元増田です。
そのイベントはマッチング投票なしで、数分間の会話のあとで相手が気になる思ったら連絡先をわたす、というシステムでした。
一見して気軽だと思っていたのですが、結局数分間で連絡先をわたすかの判断などできるはずもなく、気づいたら一周して終わってしまいました。
来ていた女性たちは、みな基本的に善良な市民でした。逆に言えば、大学名など言ってはいませんが、自分のスペックが良くも悪くも浮いているような感じがしました。
どうやら自分は、女性に対してなんらかの異端性を求めているようです。そして自らの異端性を許容してくれることを望んでいます。
ごくふつうに家庭をもちたいと望み、婚活イベントにでてくる女性の中から見つけるのは難しいかもしれません。
しかし、その数分間だけでもなんとか会話が成立し、そこまでしんどいわけでもなかった、というのは童貞メンヘラ歴10年にとって収穫ともいえるものでした。