はてなキーワード: 異端とは
父よ
いま一人親で私を養ってくれていることは感謝している
家事の面やお金の面、雨風の強い日でも凍えず眠れるのは貴方のおかげである
しかし
ひとつの例外、特殊例を持ち出して私に当てはまることを強要しないではいただけないだろうか
母よ
私を産んでくれたことや父に相談できないこともフランクに聞いてくれることには感謝している
しかし
父との離婚についてはもう少し迅速に行ってくれても良かったのではないのか
自分で言うのは甚だおかしな話であるが 私の中学・高校生活を犠牲にするほどの価値が6年間の離婚訴訟にあったのだろうか
大人たちよ
多く問題を起こした私を見放さずに現在まで見守ってくれたことには感謝している
しかし
私の話をきちんと聞いていただくことを、約20年間で一回くらいはしてくれても良かったのではないか
私の話をいったん聞いた上でどこがおかしいか、ということを教えてほしい、話し合いたい10代だった
頭ごなし、「聞く気も義務もないから聞かない」ではなく、子供としてではなく、「人生の後輩」として扱ってほしかった
友人たちよ
しかし
私のいないところで私のことを叩くのはやめていただけないだろうか
目の前で言われることに耐性があるわけではないが、口裏を合わせ物を隠したり捨てられるよりは改善する気持ちになるものだ
悪意がないとしても嫌である、という旨を説明しても、盗撮して、SNSにアップロードするのを繰り返すことをやめていただけないだろうか
私は貴方たちに小ばかにされるために趣味を楽しんでいたわけではない
皆よ
私を生かしてくれることは冥利に尽きる
しかし
私の主張を一切受け入れる必要はないから、理由をもって否定していただけないだろうか
顔も、体型も、頭脳も、性格も、能力も、器量も、扱いやすさも、何もかもが人様に劣る私であるが
落ち込むことを
足踏みすることを
主張することを
許してほしい
私には、一点の長所と一点の短所を相殺させるという発想にこれまでの人生で至ることはなかった
「飛び降りれば万事解決」の思想にはどうしても至らないのである
ではなく
「車酔いになる人を極力減らす運転をできれば完璧ではないのか?」
「完璧でなくとも、理由をつけて短所をなくそうとする努力を惜しむことはダメなことではないのか?」
と 考えてしまう
この問いについて私の意見を抑圧せず
なぜだ
やはり
誰も私と話をしたくないという
裏側で言われていた通りのことなのか
一生受け入れられない異端児なら、そのように自覚して生きるしかあるまい
決意しなければ
ああ
小学3年生の時に転居した土地は、以前住んでいたところよりもかなり田舎だった。
以前は田畑は少々あるが小さな商店や住宅がひしめき合っている町。バスは10分置きには来るくらい。ほぼ標準語で通学は私服だった。
転居先は、田畑が広がり校内の過半数が農家の子。バスは2時間に1本程度で、かなり訛りがあり通学着は指定のジャージだ。
転校して一番のカルチャーショックだったのが、その訛りと文章の読み方である。
話し言葉にも訛りはあったが、音読の訛り方はそれと全く違っていた。
教科書の音読をすると、皆一様にいかにも妙なイントネーションで読み上げるのだ。
そのイントネーションとは、文章の頭からずっと同じ音程で読み、句読点の前の一文字だけガクッと音程が下がりながら語尾を伸ばすというもの。
音符に直すと「ミミミミミド~、ミミミド~、ミミド~、ミミミミミミミド~」という風に。
例文で表すと
「こんにちは、わたしは タナカイチロウです、トウキョウから、デンシャで やってきました。」
「ミミミミド~ミミミド~ミミミミミミミミド~ミミミミミミド~ミミミミド~ミミミミミミド~」
このようになる。
決して冗談ではない。
両親に連れられて行ったスーパーマーケットでも店内放送は同じようにミミミドのイントネーションで流れており、大人も同じであることに改めて驚いた。
転校初日、学校指定ジャージの購入が間に合わなかったため、以前の学校と同じように私服で登校したことが発端だった。
前述したようにこの学校ではジャージが通学着で、男子は青、女子は臙脂色の指定ジャージを着用している。
その上指定されてもいないのにほぼ全員がプーマの白いスニーカーを履いていた。
またこのジャージは通学着に限らず普段着としても着用しており、私服を着るのは冠婚葬祭だけという者が多い。
必死に話し言葉を合わせて、ミミミド~読みも会得し馴染もうとしたが、状況は好転することはなかった。
日々の陰湿ないじめに耐えるのにもう飽き飽きし、これ以上媚びても仕方がないと、5年生になった時にミミミド~読みを止めることに決めた。
そして国語の時間、音読の指名を受け、私は意気揚々と標準語で教科書を読み上げた。
夏休みとかに映画のお誘いがあったり(結局一度も行かなかった)、ホンニャラの法みたいな本を急にくれたりしてた。
生徒の人数はそんなに多くないのに、気付けば近場の中学校5校の成績トップがどこもその塾の生徒で占められているような感じだったから指導力はあったんだと思う。
教え方に合う合わないが極端だったのか、学校でついていくのに必死だったのに、通い出すと半年もしないうちにトップ争いができるぐらい成績が伸びるような子も何人かいた。
逆に合わない子は数回授業を受けたらすぐやめてた。雰囲気がたえられないらしい。
教室内が全体的に自己啓発セミナーっぽい雰囲気に包まれるから、怪しさで警戒心が高まって拒絶したくなる気持ちもなんとなくわかる。
個人的には怪しい部分も含めて非日常空間っぽくて楽しかったけれど。
普通の授業に混ぜるような形で、恐らく幸福の科学の教えであろう精神性を少し薄めて、
こういう風に考えるようにしていけば伸びていけるんじゃないかと思うけどどう?的なことを何度も伝えていたのが印象的。
これ読んだらそういうこと書いてあったよってホンニャラの法とか出してきてたから、恐らくある程度大川メソッドをベースにしているのは間違いない。
まあ、そういう刺激が合う子供にはちょうどいい感じに子供らのやる気に働きかけたりしていたのかなー、という感じ。
先生と喋っていると、不思議と頑張ろうかな、次の目標立ててチャレンジしてみようかなっていうような気分にはなりやすかった。
田舎で地域的に割と上から押さえつけて黙って言う事を聞けって感じの先生が多かったので、
中学生を一人前扱いして、意見や考えを聞いて人格を尊重した対応をしてくれる大人という存在自体が結構貴重だったように思う。
あと、大川さんのイタコ芸については黙殺してるような感じだった。もしかすると家では崇めていたのかもしれないけれど。
謎のお香焚いてたり、オーガニック信仰っぽかったり、ヨガ大好きだったり、言霊がどうとか言ってたり、
パワーストーンやお守りも好きみたいなスピリチュアル系の気配も妙に強かったけど、
多方面に意識が高いのか情報を仕入れるアンテナの感度が田舎の人としてはかなり強かった。
逆に新しい情報を仕入れたり、常に進歩し続けていることに病的に固執しているというか、
止まったら死ぬマグロみたいな人たちだなあというイメージを持った覚えがある。
学校の先生が発達障害について全く知識とかなくて、散々学校で異端・変人・みんなと同じにできない問題児扱いを受けていた自分について、
英語の文献まで読んだ上で「増田くんは発達障害と呼ばれる特性を持っている可能性があります」と親に伝えてくれたりしたことは感謝している。
あくまで自分の主観なのでツッコミどころはあると思いますが許して下さい
推敲もせず思ったまま書いているのでそれも許してください
デザインとか設定についてだけ言っているので詳しい内容とかはべつです あくまで見た目だけの話です
全体的にすっごいカラフルな印象です
あと色に対するキャラの忠実さは異常
それに加えて戦隊物の赤主人公の流れを汲んでピンクなんだと思います
衣装の色がピンクだったりプリキュアにはそもそも髪色がピンクな子が多いです
金髪の子も多いです ぴちぴちピッチやアイカツ プリキュアにも金髪ピンクが増えてきました
多分ピンクと合わせやすいし可愛いからじゃないですかね 昔との差別化とか
あと経験則からなんですけど、ピンクが嫌いな子は大体水色が好きなのでやっぱどの層もいれようってことだと思います
青はクール、黄はポップ、オレンジは元気、緑はインテリor天然
緑キャラ少ないので自身はないのですがおっとりしてるかメガネかけてるかって印象があります
紫はミステリアスっていうイメージがあるので、大人の女性に憧れがちな年頃の子に人気出る傾向があります
プリキュアの追加キュアも紫か赤
ツインテorロング
ツインテはぱっと見て可愛いし自動的にロングにできるので結構多いです ここたまとかリルリルフェアリルとか
ショートの子は別に特徴があったり(前髪はねてたり)リボンや髪飾りをつけてます
おしゃれ的な問題で髪に装飾多め
主人公がツインテだったら周りはショートやおろしてる子で固めたり主人公との差別化は大きいですね
ダブル主人公とか立ててるアニメは二人ともおんなじ髪型がある気がする RLなど
DCD流行先駆けのおしゃれ魔女ラブ&ベリーは二人ともショートでしたね
あれは髪型のカードがまた別にあるからシンプルにしたのだと思います
最近はリボンが多いですね 縛り方や色によって可愛いもクールもいけるし
プリキュアでは前はハートが多かったですが最近ではダサい感じに見える(暴論)
星は定番で柄にしたり髪飾りでつけたり
お姫様は安定して人気があると思います(ふたご姫、リルぷりっ、Goプリ)
色んなお姫様がいるしね
アイカツアイスタ・プリパラの二大アイドルアニメがあるからそう錯覚したのかも
みんなやっぱり憧れるからでしょか
魔法少女もの・戦闘ものは女児向けから大人向け男性向けに移行(という言い方は正しくないが)していると思います
日常ものは意外と少ないイメージ 違う世界を求めてるってことでしょうか
キューティーハニーの時は生きていませんしプリキュアは見てますしプリキュアはお料理ものではないしプリパラは結構異端ですよね そこがよい
参考文献
http://www.gakken.co.jp/kyouikusouken/whitepaper/201510/chapter4/05.html
ほのぼの系アニメに毒されてきたw
【Lv1】
シリアス展開が3話続くとつらい
2話までは許す
(3話シリアス続いたら「誰得展開」とかネットに書き出す程度)
【Lv2】
シリアス展開が1話続くとつらい
1話ラストでシリアスになって次の回のアバンで解決したら許す程度
【Lv3】
シリアス展開が15分続くとつらい
【Lv4】
シリアス展開が5分以上続くとつらい
「シリアスが5分続かない」「ギャグを挟まないと死ぬ病」なアニメにのめり込む
【Lv5】
シリアスになりそうな時点で頭痛がしてきて「シリアスやめろ」と絶叫しだす
10年前くらいまで俺はLv1で、Lv2の方針で作られてるアニメは物足りなかった
ここ2,3年でLv2が心地よくなってきた
そういうアニメが増えたってのもあると思う
昔は「薄いアニメだ」と思ったやつだ
ほのぼのアニメはLv3
最近これに毒されてきてるんだが
徐々にLv4も増えてきてる気がする
てかLv4たのしい
たまに音を消したりする((∩゚д゚)アーアーキコエナイ状態)
たとえば
チュチュの闇落ちも即解消されて僕満足
でも気づいんだけど、こう言うタイプは根っからの悪人を出しにくいんだよね
当たり前だけどストーリーのレンジは狭くなる。いや狭いからこそ安心感があるんだが(水戸黄門みたいな)
最近は工夫なのか分からないけど、斉木楠雄みたいに展開速度を上げることで時間当たりのギャグ密度を保ってるやつもある気がするがどうなんだろう
そのうちアンパンマンとか見始めるかもしれない
異端とかあんまり気にしたことがないけど、やっぱり変だとは思う。(=異端?)
一人で過ごす休日も多いので、あれこれと考えを巡らせて、ネットを見たり、なにかから情報を得たり。
40という年齢になって、独身で彼女いない歴=年齢を継続していると、寂しくないのとか、異常だとか言われる。
寂しいか?と言われても、これが標準なので、彼女がいて満たされている状態を知らないので、別にとしか思わない。
だっておめぇ
とんかつ食ったこと無い人が
トンカツ無しじゃいきてけねぇよ
なんていわねぇだろう
それは言いすぎだけどねw
異常かと言われると、異常です
異端とは思わないけど、異常だなぁって。
この場合、どうするのが正解なんだろうか。
キモいとか、異常とか、今となっては自覚しているので、そのままでいいんじゃないかと思う。
ただ、ふとお酒を飲んで、まったりとしているときに、過去自分が想いを伝えた女性のことを思い出して
ああ、大変なことをしてしまった、その人たちの人生にとんでもない汚点を作ったと思うと、異常であることは
やはり罪なのかなとと。
●日々、社会の何処かでガキ野郎が生まれ、問題行為が繰り広げられている。
確かに、迷惑をこうむる側にも否があり、迷惑を掛ける側にも理がある場合が少なくない。しかし、問題行為が開始され、その流れが定まってしまうと、にわかに大勢が参加し、 過激さが加速度的に増していくさまは、脅威を感じるときすらある。
●今で言う鉄道系リア充や重度な鉄道オタクは、昔で言う暴走族のようにこういった人たちの多くは一見「物好き」を装っているが、本音は物を徹底的に糾弾し、傷つけ、ひねりつぶすことにあるという。そうだとすると、なぜ、「DQNすること自体を自己目的化したDQN」が横行しているのだろうか。その理由は「娯楽文化のスケールが極端に大きくなっていること」と「資本主義や新自由主義の発展」、「世界の肥大化」、そして「日本人が元来持つ特性」が関係しているという。
◯「オウム真理教」では疑心暗鬼にかられた人間が、ついには隣人まで信用できなくなり、仲間同士が殺し合い、そして「一般人」も敵として攻撃される。そしてついには組織の崩壊を招いた。今の鉄道消費空間はこれと似た状況になりつつある。20世紀にカルト化の恐ろしさを教えた「オウム真理教」はある意味歴史から消してはいけない存在である。
◯人間は電波系として生まれるのではない。どこかで偏見や憎悪を抱いた時、電波系になるのだ。何かを殺して気勢を上げれば、その囲いは狂気から心を濁らせていく。この連鎖はおそらくとどまることを知らないだろう。
集団ストーカー論者、1980~2000年代前半の青少年の行いがゆとり世代・刹那主義世代・理由なき犯罪者のような疑心暗鬼を生んだように、カルト化の横行はさらなる過激な思想を生むと思われる。
ひょっとしたら電波系は実在していて、この動きをほくそ笑んでいるのかも知れない。
こいつらは自分で切符などを買いあさり、故意に集団でその沿線で移り住み
をしやがった!実際は組織的に行っただけなのに!これは都会の人間としては絶対にみっともないことだ!
カルトとキ○○○を合わせ持つ最低最悪の行為だ!左翼活動家の集団移住よりもよっぽどふざけてる
こんなことが許されて良いはずがない!いいや左翼以上に外道な行いかも。
最近やたら安い駐車場や駐輪場や車やバイクが多いのもそれが理由じゃねーの?
最近は公共交通利用促進ポスターが都市部から消えているが、これで、公共交通利用促進の元に鉄道やバスなどの公共インフラをならず者のように我が物顔で好き放題弄んでいた私鉄オタクたちを委縮させ、需要が過剰に増えた鉄道やバスの需要を適正化させる有効な効果にもなると思われる。
一般市民などが私鉄の大盤振る舞いをやめさせて公共交通としての運営に専念させることが出来れば、鉄道で「遊ぶことが」できなくなり、鉄道の抱える問題のいくつかが減り、公共交通が再生される。
鉄道の利用者から消費者が減っていけば、よほどわずかな「露悪趣味を愛してやまない」卑劣な人間だけがふるいにかけられることになり、彼らのような異端な存在は、「世論の良心」によって糾弾を受けることになる。
大体この取り組みは嘗ての韓国で行われていたものだが、日本では、今こそ全国の自治体単位で当たり前のように広めるべきだし、もっといえば富裕層に対する公共交通の利用の制限とマイカー利用の努力義務をすべきだ。国土が狭くて人口の多い韓国や台湾でもできるのだから日本でもやらないとダメである。
「これは民営だ!公営ではない!」みたいなうちはうちよそはよその発想ではだめだ。そうやって大都市部から、過剰な需要を消し去る作業をするとともに、むしろ富裕層の健常者を対象にして公共交通の目的外利用に対して何らかの社会的ペナルティを実施するべきだ。←ほんとこれ
自分達の歪んだ行いを「昔からの伝統だ」とか「都会人の文化を馬鹿にするな」などと妄言を吐くが、公共交通の利用は無限に認められるべきものではない。
少なくとも何らかの制限は行わなければならない。
ましてや公共交通のあり方に対する私鉄への批判を「不当だ」と言って何の疑問も感じないらしいネット原住民のような子供のような存在をいつまでものさばらせておいてはいけない。
私自身、高校時代に鉄道を娯楽目的に利用して教諭に嫌われたことがある。当時既にこういった連中を嫌う大衆の意見が既に存在するからだ。
昔の私といい、私鉄オタクといい、公共に対する軽視が大手を振って罷り通っているこの社会の異常さを痛感する。彼らの不良ぶりがはっきりわかるんだね。
これでも二十歳になってから選挙権を毎回行使しているんだけど。
だって友達にちょっとでも(思想や政策以前の)政治の話をするとドン引きされるし、場の空気が読めない問題児と仲間内から認定される。
SNSに「デモに行ってきた」とUPしたら友達みんなからスルーされる。
大人達は選挙に行けとは言うけど、若者が政策や思想について話し出すと「政治の話はやめろ。TPOをわきまえろ」と止めに入る(そもそも日本に政治の話をしてもいいTPOなんてあるのかよ。特に若者には)
シールズが出てきた時には、多くの大人が叩いた。(称賛した大人も多かったけど)
「選挙に行け」と言うくせに、特定の政党に入ったり支持を表明すると叩かれる。
デモを主催するだけで(または参加するだけで)公安の監視対象になる。
「選挙に行く」以外の政治参加は認めないくせに、若者が政治に参加するのは(関心を持つのは)重要だと言う。
…やってられるか。
それが本音だろ?
・矢口蘭堂:早稲田大学政治経済学部政治学科卒業(現役)。在学中に一年間オックスフォード大学に交換留学。卒業後は発足したての国際協力銀行に入行。日本企業が関与する途上国のインフラ整備プロジェクト等に携わる。退職後政治家に。
・赤坂秀樹:父は財閥系商社マン。麻布中学校・高等学校卒業。東京大学法学部第3類(政治コース)卒業(一浪。現役時は慶大法に合格していた)。BCGに入社。在職中にノースウェスタン大学ケロッグスクールでMBAを取得。退職後政治家に。
・カヨコ・アン・パタースン:ハーバード大学を飛び級で卒業。専攻は比較政治学。
・志村祐介:実家は京都の旧家。洛南高校卒業。京都大学法学部卒業(現役)。
・花森麗子:上智大学外国語学部ロシア語学科卒業。卒論のテーマはロシアの対日政策。卒業後、大手保守系新聞社に就職。女性としては異例の出世をする。在職中に執筆した国防論に関する本がスマッシュヒット。TV等にコメンテーターとして呼ばれる機会が多くなり、保守系の論客として名を上げる。保守第一党の誘いを受け、政治家に。
・尾頭ヒロミ:桜蔭中学校・高等学校卒業。京都大学大学院理学研究科修士課程修了(生物学専攻)。
・泉修一:早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。在学中には早稲田大学雄弁会の会長を務めた。卒業後丸紅に入社。めっちゃ稼ぐ。退職後政治家に。
・間邦夫:大阪大学理学部卒業(一浪)。アマースト大学卒業。チューリッヒ工科大学にて博士号取得(生物学)。博士課程在学中から欧州分子生物学研究所に研究員として勤め、博士取得後も継続するが、人間関係が原因で退職。日本に帰国するも、日本での人脈づくりを全くしてなかったプラス学説の異端っぷりでアカポスを得ることは出来ず。長い間ポスドクや非常勤講師として糊口を凌ぐ日々が続く。50前にしてようやく城北大学にポストを得るも、准教授より上には登れないでいる。
http://anond.hatelabo.jp/20160910185500
食べ過ぎは苦しい。憂鬱になる。だから残すよ、普通に。ラーメンスープの中に麺を隠してチャーシューで蓋とかしない。
増田は、もしかして食べ方が汚くて周りの人から顰蹙かってるだけじゃないかなあ。
「汚い」って言えない人たちが、言いづらいし、「残すな=きれいにしなよ」みたいな。ぐっちゃぐちゃ、まじキモチワルイ。
完食した皿でさえテーブルに放置されてたらなんとなく嫌だな。なんでだろー。潔癖性か。
クソ汚い食べ残しとか、トイレ流してない?!に近い嫌悪感ある(お昼時にすみません)
多くの人にとってメシは大切なものだけど、増田の食べ残しはメシじゃないんじゃない?
クソかな?(重ね重ねすみません)とにかく別物。
増田は人々のメシ愛を試してるつもりだろうけど式が成立してないの。
人々のメシ愛は「これは俺にはクソだが増田にとってはメシ、食べてたし、残さず召し上がれ」と言わせる程。
増田は自分の食べ残しじゃなく、既に腹に収めたメシで理解を促せば話は違ってたかもねえ。
でもぜんぜん慮ってもらえないのは食事に求める楽しさの違いのせいもある気がする。
反論形式で主張してるせいかな?「食べ残せる経済力」を楽しんでるとこあるよね。
お金があるってスバラシイの行き着く先が浪費(高価なメシこそ至高派亜種?)、珍しくはないけど共有しづらい。
増田への承認はメシ愛と金銭感覚の違いを乗り超えた所にあるんだな。ハードル高いわ。
食事ぐらい手軽に楽しさをシェアできる行為ってないのに、異端者でいるのはしんどいだろうなあ。
少食の人を探すと良いかも。食べるのめんどくさい系も良さそう。ぐっちゃぐちゃに食べたい人もいなくはない。
シリーズの中では異色作というか方向転換しようとして大批判食らった作品があって、
自分もリアルタイムでやってた当時はその批判の雰囲気が何となくしんどくて食わず嫌い的な感じで見ていなかったんだけど、
最近時間が出来たのでその作品を見てみたら、とにかく滅茶苦茶面白かった。
シリーズファンが当時すっごい叩いたのも何となく分かるし、ああこれ失敗してるなって贔屓目に見ても目につく部分は確かにあるんだけど、
映像の作り方とかキャラの動かし方とか話自体の進め方とか、とにかくひとつの作品として自分の感性にぴったり来るような作品だった。
映像クオリティとか普通に高くて、客観的に見てもそこまで叩かれるほどか?とも思ってしまった。ただ、確かに路線変えようとしてたけど十分シリーズらしさがあるじゃないかと思った自分の感想は往年のシリーズファンにとっては異端なんだろう。それはわかる。
でもまあやっぱりこの作品を支持した奴がシリーズを堕落させたんだとか言われるのは非常にしんどい。自分の感性はやはりファンとしては少数派なのだろう。少数派である以上、ネットのファンコミュニティではそういう言説が支配的なのはもう仕方ないかもしれない。
自分だって見る前はそう思ってた節あったしね。ただ、やっぱり実際見てみないとわからないものはあるんだなと思ったのでした。
追記:
界隈がシリーズ各作品ファンとアンチで今でもちょっとごたごたしやすいので具体的な作品名は出せないです、すみません。ガンダムではないアニメ作品とだけ言っておきます。
でもコメント読んでどこのシリーズ界隈にも当てはまるもんなんだなと思うとちょっと安心できました。
あとアンサガとドラクォは滅茶苦茶はまったゲームでした。世界観もシステムも作品ならではの独自路線貫いてるの良いよね。今でも好きです。
誤解とは、聖母マリアに神性はなく、信仰の対象ではないということだ。
正確に言うと、聖母マリアを信仰の対象とする宗派もあるにはあるが、それらは多数派の聖書解釈からすると異端・カルトとされる。
聖母マリアが信仰の対象でないことは聖書にも書かれていて、聖母マリアと息子キリストとの間にこんなやり取りがある。
ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。
つまり聖母マリアというのは神であるキリストに人の肉体を与えるための機械(言い方は悪いが)に過ぎないということで、神性は全くないのだ。だからこういうずさんな扱いを受けているわけだ。
ただ、ちなみにキリストを産んだ功績があるということで、一般的な尊敬(私たちが偉人の母を尊敬するという程度の意味で)は受けている。
フランシスコ・ザビエルが日本に上陸した際、マリアにこの日本を献上したというエピソードがある(真偽は不明)が、これはこういう文脈で理解される。
あの映画が本当に政治的にヤバいのは映画が進むにつれて矢口たちに決定の権限が集中するところ
自衛隊の攻撃一つとっても現場から防衛大臣を通じて総理にうかがいを立てるシステムになっていた。
ところが大河内内閣が熱線総辞職し、里見内閣が成立してからは矢口と巨災対のメンバーが意思決定を行うようになる。
矢口は官房副長官から昇進し、防災大臣になったとはいえ所詮一人の大臣にすぎない。
また巨災対も「はぐれものの官僚や異端の生物学者」が集まってできた集団である。
役職も「〜課長」や「〜副長官」であり、官僚のトップが集まっているわけではない。
矢口プランを提言する機関としての能力はあるかもしれないが、政府を主導していくメンバーではないはずだ
ところが里見内閣では矢口と巨災対が血液凝固剤を作るために官庁全体を動かしていくようになり、さらにはフランスに対して核発射遅延の要請まで行い始める。
その上、ヤシオリ作戦実行時には里見首相は完全に蚊帳の外で、矢口に自衛隊指揮の権限が与えられていた。
自衛隊にかなりの死者が出たであろう作戦だったのに、里見首相はそれを見ている様子さえない。
なにがヤバいって権限のなさそうな人間がガンガン物事を勝手に決めていくところ。
総理大臣や事務次官が実質的に権限を握っているなら、ミスがあったときは彼らを交代させれば政策を変えることができる。
しかし、トップが完全な飾りで実質的な権限をもっておらず、下の人間の独断でものごとが決まっているシステムではトップを変えても政策が変わることがない。
そして、このようなヤバゲなシステムを採用しヤバゲな方向に失敗した島国が70年前に東アジアにあったはずなんですけどね
どこかは忘れましたが
サヨクの皆様におきましては、9条やアベ政治、緊急事態条項の話をする前に意思決定が総理大臣の手から離れていく問題を論じたほうがいいのではないでしょうか