はてなキーワード: 直母とは
おつかれさま
保護器つかったりクッション変えたり色々やってもだめ
直母チャレンジ前後で体重計に載せて1グラムも変わっていない悲しさ……
直母は1週間で諦め、搾乳は1ヶ月間だけがんばって、完ミに移行しました
母乳飲んでくれなくて辛すぎる
わんわん泣く赤子の頭をつかんで口に乳首放り込むの、疲れる
ちゃんと深く加えられてないから、乳首だけ吸われて痛いし、乳首だけ吸っても乳は出ない
出ないからやっぱり赤子は頭を左右にふって泣く
産前から乳頭マッサージ頑張ったし、産院では誉められるくらい母乳量は多い
今でも搾乳したらコップ一杯は取れる
溢した分も含めるともう少し出てると思う
でも飲まない
どうしたらいいんや
粉ミルクや搾乳を哺乳瓶で足すたびに落ち着いて飲む姿に涙が出る
早くこの子も私も落ち着いて母乳を飲める、飲ませられる関係になりたい
そんなの親のエゴかな?さっさと諦めて完全ミルクにした方が楽なのはわかってるけど諦められない
※なんかしんどいが爆発してワーッとなって書いたチラ裏に一晩でこんなに反応あって驚き
母乳育児希望の理由としては、私自身が粉ミルク育児をする自信がないから
今でも母乳に疲れた赤子待たせて調乳する間ギャン泣きで、母乳飲んでくれないことも相まって余計にダメージデカイんだよね
ましてや粉ミルクなんて作るの時間かかるから、待たせる時間が長いぶん、泣き具合も半端じゃない、絶対いつか近所迷惑で通報されるってレベル
赤子が怒り狂ってるのが伝わる
飲ませ終わったら搾乳、哺乳瓶と搾乳機洗い、それらの除菌、搾乳の保管…やること多すぎだし、ミルクの装備で外出なんてとてもじゃないけど無理、粉ミルク育児をやれるビジョンか見えなくて軽く絶望してる
それと、赤子と少しでも引っ付きたいんだよね
どれも親のエゴです
赤子は小さめだから、とにかく母乳を絶やさず絞ってね、大きくなったら飲めるようになるよ!と、産院の母乳外来でも、桶谷式でも言われたので、とにかく今が頑張り時かなと少し前向きに考えることにしている(希望を持たないとしんどすぎる)
ちなみに買って正解だと心から思えてる育児グッズはカネソンの搾乳保管袋と、コンビの電子レンジで煮沸消毒するやつ
調乳(搾乳の温め)➡️飲ませる➡️洗う➡️除菌、の流れがすごくスムーズ
みんなの体験談見たら元気が出ました
赤子が大きくなったら、試しまくった哺乳瓶と使い倒された搾乳機見て笑い話ができるんだろうな、それまでもう少し頑張ろう
赤子は無事2ヶ月目になりました。
あれから乳首カバーや助産院の母乳指導を経て、直母でガシガシ飲むようになった!
射乳反射の感覚は未だにわからんけど、ごくごく飲む姿、やっぱり世界一かわいいよ!
三週間前、完ミになるかもって悩みすぎてコストコで粉ミルクバカ買いしたけど、まだ開けてません
本当に何かあったときのお守りって感じ
私の母は、本能のままに生きている。
考えることと、我慢することが苦手。思ったことはすぐに口に出す。
私が子どもの頃、授業参観に来た母は同級生の男子ばかり見ていた。○○君がかっこいい。授業の感想はそれだけ。
当時私は学年一のワルに好かれて、毎日送られてくる下ネタメールに辟易としながら神経をすり減らす日々を送っていたが、母は変わらずいい子いないの?彼氏欲しくないの?と言っていた。早く孫がほしいとも言っていた。もし赤ちゃんができてもお母さんが育ててあげるから、なんて言っていた。
ある日、私が居間でくつろいでいると、母がドタバタと帰ってきて、「聞いて聞いてー!外で野良猫がエッチしてたー!!」と興奮気味に話してきた。野良猫の交尾に、この人は何をそんなに興奮しているのだろうと冷静に思ったのが半分、あとはとにかく気持ち悪いという生理的嫌悪感。
それは高校以後も続く。
高校で学年一のワルに好かれて取り巻きと共に囲まれ神経をすり減らす日々を送るなか、母は変わらず授業参観が終わると○○君がかっこいい。あのかっこいい子は誰?とニヤニヤ顔でそんな話をした。
恋バナがしたいー!なんて言われたが、すでに母に対して積もり積もった生理的嫌悪感があったため、好きな人ができても隠し通した。
中学生の従妹に彼氏ができたと聞いた時、母はニヤニヤ顔で「高校生になったら、一線超えちゃうよね~」なんて言っていた。
母が気持ち悪い。すぐに性的なことに結び付け、それを顔にも口にも出す母が気持ち悪い。
どうやって?
無理。どうせバレる。
面倒くさい。
じゃあ、いらない。
好きな人ができた時は、好きな人と付き合いたい欲>母に対する気持ち悪さ
となるけれど、好きな気持ちが小さくなった時、突然気持ち悪さが勝って、そして消える。
まして、好きな人もいない状態で彼氏を欲しいと思うことは、まずない。
正直母の精神年齢はとても低いと思う。私はそんな母の精神年齢を大きく上回り、なんとも思わない境地にいかなくてはいけない。
だけどまだ到達できない。
母は自分のことを「普通」と思っており、私のことを「変わっている」と思っている。
変わっているから、彼氏もつくらないし結婚もしないんだ。早く孫が見たかったのに、思い通りにならない。
こんな風に書いたけど、私は母のことが好きだ。
愛情をもって接してくれる母のことが好きだ。
放っておいてほしい。干渉しないでほしい。私が恋愛しようと、性的な関係を持とうと、ニヤニヤ顔でニヤニヤ声で詮索しないでほしい。
タイトルの通り、親父が色気づき始めた。息子の俺より年下の女の子と知り合ってから。
きっかけは親父が趣味でよく通ってた映画館。ワーカホリックな親父がよく仕事帰りにレイトショーを見に行ってたところ、そこのレジ打ちバイトの女の子に覚えられてよく声をかけてもらってたらしい。
でもこの3月でおしまい(就職するから)だってことを教えてもらった親父が、まぁもう会わないしと就職祝に何か(名刺入れだったか印鑑入れだったか)を渡したところ、就職先の業界が偶然にも親父の仕事と一緒だと判明し、それきっかけで連絡先交換。マジかよ。
で、また色々と話したときにその子の就職先にブラックのケを感じて心配になった親父が飯の場を設けて、詳しく話聞いたら何か更に縁があったらしい。その子の就職先が親父の昔の職場とか、まぁそんな感じ。とにかく、本当にすこぶる偶然たまたま縁ができて、ちょろちょろ連絡とってるみたい。
俺もその話聞いたときはすげぇ偶然もあるもんだと思って、まぁ若干心配になって又聞きしたその子の話を調べてみたけど、別に嘘は言ってなさそうなんだよな。本当に偶然気が合って偶然友達になってるみたいな感じ。いいことだと思ったよ。就職して俺が実家からいなくなってから寂しそうにしてたし、友達が増えるなら悪いことじゃないって。
でも、かれこれウン十年仕事一筋でろくに見目も気にしてなかった父親から「年末に帰ってきたとき着てた服はどこで買ったんだ」って聞かれると、ちょっと気まずいよ。
そっか……気にするようになったんだ…………いや別にブランド教えるのはいいんだけど、これ普通に若者向けだから年相応かというとちょっと微妙かもだけど…………そうか…………。
いや、うち夫婦仲がいいわけじゃないし、正直母さんはだいぶクソなので、何で離婚しないんだろうって家出たときから思ってたしさ。生活に彩りが出るならいいんだよ別に。俺も年末に親父と映画館行ったときに会ったんだけど悪い子じゃなさそうだし、まぁちょっとでも小綺麗にするきっかけになったなら全然さ。
でも何だろう、この気まずさは。夜とかぼんやりしてるとふと思い出して胸がごろごろする。俺がこの前盛大に振られたばっかだから、ドラマばりに運命力引いて甘酸っぱいことしてる親父をやっかんでんのかな……。
発達障害的な要素が「障害」になることが多い、ってだけじゃないかな
結局どんな症状があっても困ってなければ診断下されないったのが発達障害だから
俺は発達障害の診断もらってて薬飲んでたこともあるけど、正直母親も似たような感じだ(短期記憶弱い、すぐ怒る、衝動買いしまくって通販で買った謎の物や賞味期限切れの食品が山盛り、しかも整理整頓が苦手で床に物を積み上げ捨てられない)
でも何となく社会生活は送れてたっぽいわけで、女性に求められる社会的役割の問題とか、昭和が今よりヌルい時代だったとか色々あると思うんだよね
今後は男女差に見えるものはどんどん減っていくんじゃねえかなと思うよ
我々両親がきちんと家におり、平日土日問わず、毎日それなりに相手をしてくれる。たまにおばあちゃんが面倒見てくれる。多分、子ども側で親が不要にならない限り、これからも我々は構い続けるだろう。むしろ子離れの方を気を付けなければいけない。
翻って、自分の子供時代。昭和末期。父親は基本的に家にいない。平日は仕事で土日はパチンコ。夜だけいる感じ。食事は一緒に取らない。核家族で他に頼れる相手もいなかったため、母親のヒステリーは日ごと激しくなり、小学校に上がってからの両親は週次で激しく罵りあっていたように思う。恐ろしいことに、自分の周辺ではこれが逸脱した家庭環境というわけではなかった。友人の父親はほとんど思い出せないし、たまに友人宅の夫婦喧嘩に遭遇することもあった。
父親は中学に上がってから単身赴任になり、ますます存在が薄くなった。母は兄と私をほぼ一人で育てていた。兄は母とは早々に距離を取り、結果私は、母の溺愛とヒステリーを一身に受ける羽目になった。けれど、今自分で子育てをしていて思うのは、そりゃこんなのワンオペしてたら気も狂う。正直母の言動の数々は今でも許し難いものがあるが、時代を考えると、あれでも母は私を愛していたのだろうと確信できる。何なら父の家庭での有りようも、昭和においては特段珍しいものではなかったのだ。営業職として身を粉にして働き、金だけ家に入れて、土日は燃えカスになっていた。自分が同じ生活をしたら、まあ燃えカスになるだろう。その姿を見ていたからこそ私はいま、ラクチンな仕事を選んでいる。父も、あれはあれで多分家庭への愛情があったのだ。なのに、私の記憶には父が一切残っていない。特に同情もしないが、一抹の寂寥感というか、井上陽水「人生が二度あれば」が頭に流れる。残念ながら両親は既に離婚しており、老いた二人がこたつで若いころを話すこともない。
②昨日書き込んだ者です(コメント返信)
【追記】書き忘れていましたが、急に絶縁宣言したわけではありません。
3年くらい前から少しず連絡や実家へ足を運ぶ頻度を減らしましたが、母には全く効かず、露骨に嫌な顔をしたら逆に「遊びにおいで」コールが酷くなりました。
結婚してパートを始めたら、お孫さんのいる方や私と同じくらいの歳の娘さんを持つ方と接する機会が増え、話を聞いているうちに「ウチの親っておかしい?」って段々思うようになったのです。
あとは義母と一緒に過ごした時間が私を変えてくれた気がします。(結局変われていませんが・・・)
母は1度しか会った事のない義母をやたら難癖つけて毛嫌いしていたので、義母の病状はほとんど伏せて、約1年半、母はなく義母の面会に通ってました。
これは母にとっては重大な裏切り行為なんです。 実の母より義理の母を優先したんだから。
「次女(私)ちゃんは旦那の実家にこき使われてる!!! 私が守ってあげなくちゃ!!!」ってなりかねない。 マジで。
義母は亡くなりましたが、私の悩みを聞いてくれる優しい人で、正直母より母親らしい人でした。
あとは環境の変化ですね。 夫と暮らし始めて大分肩の力が抜けた気がします。
今までは母の監視下で、母が作ってくれた食事に母が洗濯してくれた服で過ごしていましたが、今は自分で食材を買って献立を考えて料理をする、自分で洗濯した服を着る。
大変だけどこの当たり前のサイクルが私を自由にさせてくれた。
また言い訳になってしまいましたが、コメント返信させていただきます。 ありがとうございます!
◆slimebeth 様
「祖母代わりに私が姪にサービスなんて…あたりに漏れ出ちゃってるけど、姉が心配なんじゃなくて「母を押し付けられた」と姉に恨まれたくないんでしょ。
読者に自分本位な奴と思われたくないからはっきり書かないだけで」
うん。 姉に恨まれたくないから、後ろめたい気持ちがあって匿名ダイアリーに書き込みました。 ごめんね・・・。
「妹は母に稼いだ金を全て渡すことで、生まれて初めて母からの承認を得られて嬉しそうだよ」
妹さんの気持ち、すごくわかる。 私も結婚してからお年玉だのケーキだの夕飯のおかずだの差し入れしてた。 だって、手ぶらだと文句言うんだもの。 母の喜びは私の幸せ。 でも辛い。
でも不健全な関係には変わらないから妹さんが参っていたら助けてあげて。
「考えるべきは、母や姉のことより、ご主人との家庭を大事にすることだよ。」
◆Buchicat様
「結婚してんなら増田の家族はご主人でしょ。母や姉、関係なくね?つまんないこと考えてないで、ご主人となかよくしとけばいいのよ。」
このお二方のコメントにやられました。 私は夫を母や姉の二の次程度に思っていたのかもしれません。 すごく反省しました;;
コメントが返しきれないので、ここらへんで。
「私も同じような環境だよ」「心配しなくて平気だよ」などの優しいコメント、大変心に沁みました。 姉が困っていたら手を差し伸べる、普通の妹に、叔母さんになりたいと思っています。
最近年老いたせいなのか、キレた時完全にDVみたいな行動を取る。
キレるのも早いし、完全に周りが見えなくなってる。
今日も母親と口論になって、母のアゴを狙うわ外に締め出したら玄関を拳から血が出るまで殴るわ、直前まで外に遊びに行こうとした甥っ子(父から見た孫)を押しのけて母に当たりに行こうとして甥っ子が怖いと泣き叫ぶ始末。
昔はこんな姿見た事なかった。
ここ5年で徐々に怖くなってった。
5年前、ちょっと色々父の母に対する不誠実さがバレてそれからちょいちょいバイオレンス夫婦喧嘩が始まるようになった。
最初は自分の形勢が不利になると、威嚇みたいに自分の頬を叩いたり頭を殴ったりしてまともに話し合い出来なくなる...くらいだったんだけど、(この時点でだいぶあたおかだけど)ちょっと前、母に手を出し始めてから(殴ったりはしてない。足をすくおうとするぐらい)段々エスカレートしてる。
今は小さい孫もいるんだし、本当にやめて欲しい。
どうか平静でいて欲しい。
ぼくわるくない!みたいな態度キショ
こんな父親だと思わなかった。
正直母親連れてどこかに移った方がいいんだろうけど、私もまだ学生でなかなか力になれない。
姉は自分のことで精一杯だし。
あ〜〜〜
NICUやGCUというのをご存知だろうか。コウノドリというドラマや漫画を見たことある人や、実際に当事者としてお世話になったことのある人は知っていると思う。
NICUやGCUは、出産時の事情で、出産直後から入院が必要になった新生児を診るための病室だ。特に慎重に様子を診る必要がある子は、NICUに預けられ、ある程度安定している子はGCUに預けられるという理解でよいと思う。
今、病院は面会禁止となっている。病院にもよるが、NICUやGCUも面会禁止になっている病院がある。私の子を預けている病院もそうだ。もう一ヶ月も子と面会していない。
これは、まあ仕方ないか、と思っていたのだけど、もう子供が生まれたという意識もなくなってきて、「これはよくないのではないか」と思ってtwitterを眺めていて
この人のを読んで、「いや、これは重大な新生児の人権侵害ではないか」と思ったので書いておく。(この人のtwitterで書いている話題は、以下の話題とは直接関係ないですが、読むべきだと思いますね)
事情はあるとは言え、ここで行われていることは、「生まれたばかりの子供を何ヶ月も母親から引き離す」という行為だ。
これは、平時の日本であれば、絶対に許されないことだろう。それが、今では当たり前のように行われているのだ。
実際のところ、私も、「まあ仕方ないか」と思っていたので、人のこと言える立場ではないが、それでも、そういう行為が行われているというのは、見過ごされてよいものではないと思う。
新生児と親が触れあうという行為の影響は完全に解明されてはいないと思うが、以下のような影響があると言われている(はず)
育児について知っている人なら、「0歳児の頃からのコミュニケーションが大事です」みたいなことを書いてあるのを見たことあるだろう。
コロナ禍の影響で、そういった機会が失われているわけだ。
そういう機会が失うことについてのリスクは、評価されたことがあるのだろうか?もし何か悪影響があったときに、誰か責任を取ってくれるのだろうか。
そもそも、「赤ちゃんはお母さんのことがわかるんです」みたいな綺麗事を言ってたやつらは、今は「赤ちゃんは知らん人達に囲まれて仲間がいないということがわかるんです」という状態になってることを認識してんのか?
社会の誰も、その責任を取ってくれるわけではないのに、このリスクは社会から個人に強制されている。
親は、まあ説明を受けられるから、納得はできる、だが、本人は、何の説明も受けられず、同意もなく、そういった機会が奪われている。
そもそもとして、「親といつでも会える」というのは、新生児にとって一番基本的な人権のひとつではないのか?それを本人の同意なく奪うというのが当然とされているのは、異常事態だろう。
まあ、今は異常事態なので、仕方ない、と思う人もいるだろうし、そもそも日本の人口から見れば、NICUに入ってる人達の割合なんて大したことないから無視してよいという考えかたもあるだろう。
ただ、納得いかないのは、飲食店は苦しいとはいえ、まだ営業可否の判断は、自由に委ねられているし、検査で陽性になったからといって、強制的に身柄を拘束されるわけではない、それぞれの人達は、辛いとは思うが、最後の選択は本人に委ねられている。
それに対して、NICUやGCUの子供たちは、強制的に権利を奪われているのに等しい。これは不公平ではないだろうか?
NICUや、GCUの人達だって、「面会は推奨しないが自己判断」ぐらいにしないと、バランス取れてないように思う。そもそも、新生児は感染拡大させているわけでもないのに、何故不当に重い権利の制約が発生しているのか。
病院だから仕方ないのだろうか?だが、大人が半年面会できないのと、新生児が半年親と会えないのは、時間の重みが全然違うのではないだろうか?(これは個人の認識によるけど)
もっと「子供を大事に」という考えかたに寄せるなら、「何があってもNICUやGCUの面会だけは最後まで死守する」ぐらいの立場だってあってもよいのではないだろうか?
どうすればいいかは、難しい問題なので、すぐ決まらないかもしれない(もちろん私は面会できるようにしてほしいが)
それでも、何の説明も同意も社会的合意もなく、人権侵害が行われているという事実は是正されるべきと思う。
具体的には、
という流れを作っていってほしいものだ。
今回のコロナ禍では難しいかもしれないが、次回似たようなことがあったときに、同じような人権侵害がひっそりと行われることのない世の中になってほしい。
いや実は完治してないんですけどね。
私の場合早期発見だったので、1/3? か1/4くらいしか細胞が駄目になってなくて、一旦炎症が止まったので一安心なようです。
寛解(=このまま(治療をやめ)治る可能性もありますが、再発する可能性もあります。 再発しないように、治療の継続や定期的な検査が必要です・・・って言う意味だって、「完治 寛解 違い」でググって一番上に書いてありました)なのです。
なので完治とかね~~~し!エアプ乙!って同病のひとにお気持ち爆撃されたら嫌だな~~~と思いつつ、
私もこの病気になるまで寛解なんて知らんかったし・・・と思って、
以上説明文おわり。
社会人一年目でこの病気になって合計で2ヶ月ちょっと休職までしたので、
寛解して感慨深くて2年くらいを振り返ってこんなのを書いちゃいました。
以下備忘録なので長いぞ!
他部署の部長からBBQに誘われたり、同期みんなで金曜の夜から夜行バスに乗って富士急に行ったり、毎日面白おかしく過ごしてた。
上からも下からも出せるもの全部出し切ったころだった気がする。
何の気なしにトイレの中を見たら、メチャクチャ濁った赤茶色のおしっこが出ていたのが初期症状だった。
ゲロと下痢と発熱で朦朧とした頭では、アレ?いつの間にかウンコも出してたっけ?とか思って普通に尻を拭いて流し終わったんですが、
いやわたしうんこ出してねーわと思って、絶対母親に報告しとかなあかんと思ってフウフウ言いながらリビングまで這って出て行った。
※なんでもかんでも報告するくらい母親と仲良かったので
※わざわざそのためだけにマスクまでつけた
私はせんせいあのねくらいの軽~~い気持ちだったし、言うこと言えたしまた寝ようと思ってたんだけど、
母親がほっとかなくて、一日スマホとにらめっこして「茶色 尿 高熱」とかで検索してくれていたらしい。
私はチラッとググって、
「熱が出たら尿が色濃くなるときあるらしいし大丈夫だって~!」
とか軽い気持ちでいたんだけど、そのころには必死のパッチで調べてくれていた母親は「コーラ色(赤茶じゃなくてそう表すそう)の尿はどうやらIgA腎症という病気の唯一の自覚症状だという記事を調べて怯えて泣きながら大学病院まで尿検査と血液検査をしに連れて行ってくれた。
し、その後数値が悪くて一週間検査入院して腎生検とか言う苦行をした。
結果としては母親の言うとおりで、国家の難病指定のうちのひとつだったそれが私の病名であるわけだ。
癌みたいにステージで分かれていて、ステージによれば透析治療をしないといけなくなるらしいから結構なかなか大それた病気だ。
やっかいなのは痛みも何もないため、私みたいに血尿を出して気づくか、もしくは本当に腎臓が駄目になるまで気づかないこと。
なのですぐさま入院することになり、この病気によくある治療法で「扁摘パルス」というものを行うことになった。
まず耳鼻科に行って扁桃腺を摘出しましょう(1週間+自宅療養一週間)
そして腎臓内科に3週間入院し、ステロイドを体に入れて腎臓の炎症を抑えましょう。
というのがその治療法なのだけど、何で腎臓にのどが関係あるの?っておもうでしょ。
私も思った。し、これで予後がよくならなければ今度は鼻うがいとかもしてみないといけないらしい。
なに?なんで?と思うでしょ。
まぁ細かい話はググってほしいんですけども、
要は鼻とか喉にいて普段は外からのウイルスから身体を守るIgAという抗体が、熱や炎症を出したときにちょっとおかしくなってしまい、
その状態で血液に乗って腎臓までやってきて、腎臓の細胞をウイルスだと思って一生懸命攻撃し始めちゃう病気らしいです。
※これは
明らかに分かってなさそうな馬鹿顔をしていた私にメチャクチャ噛み砕いて教えてくれた結果なので多少違っていても怒らないでください。
なのでIgAが増えすぎるとよくないらしくて、そこで扁摘パルス治療という、その抗体の巣になっている扁桃腺を摘出しちゃえ~&炎症を抑えるためにステロイドだ~という治療法が出てくるのである。
なるほど、そっちのほうだったか。
ってことは一生R-1ヨーグルトは食っちゃ駄目なのか?
それはよく分からない 知ってる人教えてほしいです。
yahoo知恵袋とかでもIgAとかで調べてもR-1ヨーグルトの話は出てこないし・・・。
まぁ細かい病気や治療の話は専門家に聞くとして、入院なんですけどこれがまぁ~~~~~痩せた。ほんとに。6kg痩せたわ。
塩分と高たんぱくが大敵なので、もちろん間食無しで戦時中?みたいなご飯を食うわけだし、そりゃそうよね。
しかもおやつが食べられないしwifiも勿論ないので楽しみといえば院内図書館と3回のご飯とシャワーのみ。
ちなみに、ステロイドの前の扁桃腺摘出手術はそもそも喉の膜を取るわけなので瘡蓋ができてもずっと喉が痛ェ~~のでご飯が食えない。
しかも食えても銀のトレーにバナナドン!リンゴカン!って投げ入れられて動物園のサルの方がまともなもん食ってたなってくらい劣悪な環境だったので、ステロイドのために入院した大学病院のご飯が泣くほど美味かった。
しゃばしゃばしたカレーでも3日前から献立表見てカレーだ~~!って心躍らせていたのはたぶんあの広い病院内でも私くらいじゃないかしら
※お母さんにためしに一口食わせたらウワ・・・カワイソウ・・・ってまた泣かれたのでたぶん病院飯はマズイです
そのあと副作用で全然満腹にならなくて8kg太ったので、ダイエットのためだけにもう一回3週間入院したいなと思えるくらいだった。
まぁ病院や治療の思い出もいっぱいあるのだけれど、結果として私は「早期発見」のため運がよく、「扁摘パルスという治療法が驚くほど身体に合」って、「会社の理解があって」治療に専念できて、かつ、実家暮らしのためにもともと「無茶な食生活ではなかった」というラッキーが重なって無事寛解と相成った。
正直母親と過ごしてなかったら血尿がでてても病院に行っていなかったし、そもそも食生活が乱れまくっていたので早い段階でもっと悪いステージに進んでいたのではないだろうか。
家族のサポートがあってこそだったな~運がよかったな~と思っている。
母の日だし書かせてほしい。
最初に断っておくと性的な目では一切みてない。そういうマザコンじゃない。第一俺はホモだ(人生初カミングアウトだ。すっきり)
母が大好きだ。ご飯は美味しいし、一緒にいて苦じゃないし、育ててくれた感謝もある(もちろん父も尊敬している。でも母に比べればまあちょっとね。ごめんね、父さん)
近くにいるとちょっかいを出してしまう。突っついたりベタベタしたり…母は嫌がる。それはもう邪険にされる。でも止められない。
傍から見て相当気味が悪いと思う。もうすぐ27になろうかという男がこの調子ではバレたら友達を全員なくすことうけあいである(余談だが恋人はもちろんいない。年齢イコール、ってやつだ。親を安心させるためにも彼女が欲しいがこんな動機だからかできやしない)
そもそも俺の持論では男はみんなマザコンである。ただし毒親持ちは除く。自分が異端なのが嫌なだけなんだけども。みんな親離れどうしてるんだ?仲間が沢山いるっていってくれよ!!お前らの母の自慢をしよう!俺もする!
ちなみに俺は転勤が多いのでここ数年は年に何回かしか実家に帰れなかった。今は多少近くなったから月一以上のペースで母に会えて嬉しい。
母か自分が死ぬまであと何回会える?何回ご飯が食べられる?と考えるといてもたってもいられない。
正直母が死ぬことを考えると非常にしんどい。乗りきれる気がしない。
とりあえず感謝の印として鉢花をあげた。母はカーネーションがそんなに好きじゃないからこういうときは困る。別の花をあげたが喜んでくれてよかった。来年はもっと立派に咲かせると息巻いている。別に枯らしてもまた買うよ。
唯一働いててよかった、と思うのは母にプレゼントをあげられることかもしれない。ご飯食べに行ったり、お取り寄せ送ったり、花あげたり…学生のときはできなかったからね
ふう…そんなこんなで親離れをしようと思う。反抗期のようにうっせーババア!とか喚いていればそのうちマザコンは治るのだろうか。っていうかそんな治療法はいやだ。
平均的な、周りから見て許される親子関係ってどんなだろうか。二人でランチやディナーは変?そもそも体に触れちゃいけないのか?嘘だろ見栄貼ってるんだろみんな…
追記