はてなキーワード: 水戸黄門とは
いや、どう考えても宇宙じゃないだろ!?っていうツッコミが速攻で来ると思うのだけれど、舞台の構造がスペースオペラ(スペオペ)であるという話で、狭い意味でとらえずに広い心をもって少し話を聞いてほしい。
周囲の友人には以前からこの説を披露しているのだけれども、なかなか賛同を得られないので増田で書く。
ジャンルの定義論になると すげーややこしい議論に発展してしまうし、そこまで詳しくないのでざっくりと説明するとスペースオペラは1960年代ごろから定着した小説のスタイルで、名前の通り舞台が宇宙なのが特徴。
人類はワープ技術や超光速航法を得て宇宙に版図を広げ、恒星間交流どころか銀河を渡り、異星人とも親交を深めたり、ときには争ったりもする。未開の惑星に不時着してそこで未知の怪物と出会ったり、宇宙船の中で殺人事件が起きて容疑者の異星人たちの特徴から犯人を捜しあてたり、など様々な内容の小説がある。
こう説明すると、SF(サイエンスフィクション)とスペースオペラってどう違うの?と疑問に思うかもしれない。
そこには明確な違いは無いのけど、敢えて線引きするならスペースオペラは通俗的なんだよね。舞台こそ宇宙船や惑星が出てくるけれど、科学的な考証なんてそんなに重要じゃあない。とりあえずレーザー銃を撃って、悪い奴を倒して、美人を助けて物語は終了!めでたしめでたし、っていうのが大事。
それというのも、スペースオペラは背景が宇宙になっただけの西部劇、と言われるくらいで なにせ低俗的な雑誌に連載されていたから、SFファンからするとちょっと下に見られている。
西部劇というとイメージしにくいから、言い換えると宇宙を舞台にした水戸黄門と思ってもらっても良い。諸国を漫遊するんじゃなくて、惑星を渡り歩いて悪事を働く敵を成敗していく定番パターンの要素はさして変わらない。
前段のスペースオペラは西部劇、って見方は間違いではないけれど、もう一つの要素としては冒険小説のエッセンスを取り入れたのが大きい、というのが個人的な意見。
冒険小説って言うのは歴史が深く、中世の騎士物語とか英雄譚とかが源流のジャンルで、主人公が様々な苦難を経て色々なところを冒険する、というもの。
とある東の国では怖ろしい牙を持った30フィートを超える獰猛な虎と闘い
とある南の国では毒矢を操る部族と捕まりそうになるが隙をついて逃げ
とある海の国ではいかだを組み合わせた住居で一生陸に上がることのない一族と出会う
などなど。
とりあえず妙なところを旅して、変なことが起きて主人公は翻弄されるものの、結果的に知恵と勇気で危機を脱出する、というのが基本パターン。もちろん実際に旅をして書いた書物もあるものの、読者がそこに行って確かめることなんてない時代だから、適当に書いたものがほとんど。
なにより、このジャンルは大航海時代以降になって一気に花開いた。
史実でも南米や、さらには南太平洋諸島には独特の風習を持った部族や文化遺産、また珍しい動物がたくさんいたので小説の題材としてはやりやすかった。
見上げるほど大きな猛獣との遭遇したり、人を食べるという部族に捕えられしまい大ピンチに!とか。
18世紀に発表されたガリバー旅行記も含め、19世紀くらいまではこのジャンルは盛り上がったのだけれども、20世紀にもなると下火になってしまう。
なぜなら、もうその頃には人類未踏の秘境というのもなくなってしまったから。
不思議な動物もジャングルの奥地に住む謎の部族も調べ尽くして、冒険のロマンは地上には残っていない。
そこで宇宙なわけ。
スペースオペラは作者が惑星ごとに好きなように自然環境を作れるのが大きな利点で、重力が少ししかない衛星があったり、昼が一ヶ月続く惑星も設定できたり、生態系でも、異星人でも、文化や風習、宗教や法律など様々な要素を自由に設定できる。
そして一つの話が終了すれば主人公たちはそのままで、次の星でまた新しい物語を構築できる。それぞれの星で不思議な出会いがあり、軋轢があり、その問題を主人公たちが苦難を乗り越えて解決していき、そしてまた次の星へ。
ここまで説明してみると分かると思うのだけど、ワンピースの「島」も似たような構造にあるんだよね。
グランドラインに浮かぶ島々には様々な国々があり、翼の生えた種族が居たり、動物のような容貌の人々がいたり、奇妙な動植物があったり、冒険小説のような要素が満載で、それでいて一つの物語を解決すると次の島へ旅立ちそこで新たな出会いが……というパターンは惑星を旅するスペースオペラとも共通の面が大きいと気がつくはず。
舞台こそ地上ではあるけれども「島」という設定は「惑星」に近く、もうこれはスペースオペラ物と言っても過言ではないだろう。
『いや、でも宇宙じゃないじゃん!』
と友人たちに一蹴されてしまうだけれども……。
賛同してくれる人が少しでもいるといいな。
そろそろスペオペなラノベがくるんじゃない? - WINDBIRD
この記事を読んで書きはじめてみたものの、書いてみたら全然違うところに話が進んでしまった。
あらかじめ補足しておくと
『ひょっこりひょうたん島』も『キノの旅』もスペオペである派です。
http://b.hatena.ne.jp/entry/270713387/comment/shields-pikes
TreeMemoでいいじゃん。抜群に使いやすくて20年前から愛用してる(これのおかげでロジカルシンキングが身について戦略コンサルに入れた)けど、バージョンアップが遅いのが問題。Macやクラウドに対応してもらいたい。
99文字
http://b.hatena.ne.jp/entry/270703910/comment/shields-pikes
池井戸潤の原作ドラマは、時代劇でいうところの水戸黄門だから、考証を議論するのがバカバカしいレベル。サラリーマンが共感するムカつくシーンと、ギャフンと言わせてスカッとするシーンを交互に繰り返してるだけ。
100文字
http://b.hatena.ne.jp/entry/270698247/comment/shields-pikes
もはやSNSという括りじゃなく、Web上を流れる血液のような情報インフラとして、今のところ代わるものが無い稀有なサービスだし、大好きだから長続きしてほしいんだよなあ。APIへの取り組みは残念なので改善して欲しい。
100文字
http://b.hatena.ne.jp/entry/270717993/comment/shields-pikes
ていうか、比較対象のFacebookは経営が神がかり的に巧すぎるんだよ。よく見た目から誤解されがちだが、ザッカーバーグはサービスを作ったりビジョンを生み出す天才じゃなくて、30年に1人レベルの経営戦略の超天才。
98文字
http://b.hatena.ne.jp/entry/270693007/comment/shields-pikes
ブコメで大人の趣味について語ろうかと思ったが、全体的にベタ過ぎるほど至極真っ当な意見の記事で、部分的には賛同しかねる点もあるがわざわざ指摘するほどでもなく、特にコメントがなかったのでクソリプしてみた。
100文字
http://b.hatena.ne.jp/entry/270691881/comment/shields-pikes
早く母上を子育てから卒業させてあげて下さい……。『学校の頃に子どもに混じって鬼ごっこしてた母親がスポーツクラブでヨガにハマって「あなたも運動しなさい」とか煽っているのを見て「老いたなぁ」と僕は思った』
100文字
http://b.hatena.ne.jp/entry/270666327/comment/shields-pikes
古くは江戸時代の葛飾北斎「蛸と海女」、昭和のにっかつロマンポルノなど、巫女などと同様に古来より性的なコンテクストで消費されて来た職業なので、こういう視点には敏感だと思うし、あの絵で公認化は無理筋。
98文字
http://b.hatena.ne.jp/entry/270655432/comment/shields-pikes
よく分かってない温暖化のために、一兆円規模のガス排出権取引が行われるのって、どうなんだろね。みんなで気をつけるのはいいことだと思うんだけど、国家間の取引にするなら、もっとリサーチすべきだったのでは?
99文字
http://b.hatena.ne.jp/entry/270654898/comment/shields-pikes
炎上PVで小金を稼ぐために、こういうのを平気でネタにして書ける品性の下劣さが、本当に気持ち悪い。どんだけプライド安売りしてんの。それでも面白ければまだネタとして消化出来るけど、笑いのセンスも無いし……。
100文字
さすが社長というべきか、100文字枠を目いっぱい使って言いたいことを言う姿勢が明確。経営資源の有効活用ってやつだ。
しかも、群小のブコメにうずもれると分りにくいが、ブコメの内容をよく読むと経営者視点からの実に鋭い斬り込みを連発してないか?
継続して読んでいると、下手なビジネス書を読むよりも経営者センスが身につきそう。って言うかおいらも社長になれないかな?w
他の増田ブックマカー達とウフウフキャッキャつるんで遊ぶタイプではないが、キャラ立ってるし着目しないで見過ごしているともったいなさそうな一人である。
軍人、組織モノのアニメは本当に面白く見れるなあ。最近多い、エロゲっぽいのっぺりとした画で魔力バトルする学園モノはどうも受け付けない感じがする。
このアニメは、もう10年も前の作品何だなと思うと時代の移り変わりは本当に早いなと関心。
原作は読んだことがないが、まだWikipediaを見たらまだ連載中とのこと。あのクサイ台詞の数々は原作者が考えたものなんだろうか、それともアニメの演出なんだろうか。どちらにしても、リアルタイムで見たら相当寒かったんじゃないかな。でも、自分が日々上司に理不尽を働かれ、汚いモノを見てきたからこそ、今見るとアホみたいにまっすぐなセリフが水戸黄門的なカタルシスを与えるんだろうな。今の自分にはアニメにリアリズムなんて求めてなくて、現実には振りかざすことができない正論・暴論を惜しげもなく叩きつけるアリスちゃんがスゲー好きなんだよね。
超安定した公務員でありながら、その中の閑職に飛ばされた人々。夢やぶれてこの職場に流れ着いた人や、夢をみて職場にやってきた人たちが交差する。それぞれに影響しあって互いに新しいものが見えていく。この作品の魅力はそういう「それぞれ人生の交差」っていう点に有るんじゃないかと思う。そうすると、このアニメではデッカイ話もないし、かと言って単調で毒にも薬にもならないほどの日常系でもない。程よい緊張感で特殊なフィクション軍人の日常を描く佳作と言えるんじゃないかな。
個人的には、変に謎兵器とかの伏線を張らずにギャグと勧善懲悪劇に突き抜けていれば忘れられない作品になれたんじゃないかと思うと残念。
やっぱり一番魅力的なのは伊藤静が演じるアリスちゃんだよなあ。まず、伊藤静の声を聞いているとアドレナリンがドバドバ出ていると言う感じがする。これだけで本当に最高。それでもって、どこまでもバカで真直ぐな言動が「キャラに深みがない」といえばそれまでだが、プロレスをプロレスと分かっていて楽しむような余裕が視聴者に有れば、楽しめるのではないか。アリスちゃんだけ軍服の色が違うのは貴族だからなんだろうか? こういうの見るとこち亀の中川を思い出すよなあ。
男性キャラは丸眼鏡の隊員に、ちょっと感情移入しちゃったんだよね。エリートコースだったはずなのに、汚職を許せなかったという理由で閑職に飛ばされてしまうと言うのは、やっぱりどこまでも突き抜けた「バカ正直さ」の権化で応援したくなってしまうんだよね。もう一人の金髪の隊員は無責任軍人って感じで対象を表していていいんだよな。
途中に外国のお姫様がお忍びでやって来る回が有ったけど、一話完結できちんとまとまっていたし、お姫様も可愛かったし、見ていて一番印象に残ったな。でも、あのキャラは可愛すぎてむしろ浮いていたとう感じがしたので、これってもしかしてアニオリ回だったのかな。
2クールもやっておいて全体を通して何が言いたかったの? というのがマクロ的な感想だけど、ミクロ的にはどこまでも「兵隊のお仕事」を遂行しようとする波乱万丈を楽しめば、ミクロ的には面白いと言う感じなんだよね。ただ、謎兵器とか秘密結社とか散々伏線を張って置きながら最後では一切回収を放棄して、「我々の戦いはこれからだ!」という感じの大団円を無理やり入れられた感じだよな。まあ、日常系のアニメには全体を通して言いたいことなんて端っからナイわけで、謎の解決を視聴者に期待させた罪も有るんだけど、こういう終わりかたも有りなのかなと思っています。原作も完結してないわけですし。
最後の数話でアリスちゃんが突然「姫騎士」って感じになってて笑った。でも剣術のシーンはちょっとテンションが上がっちゃうんだ。女の子が剣を振り回して豪快に戦うのは本当に見ていて大好きな演出なんだよねえ。
軍の閑職、戦災復興機関、やる気みなぎる貴族の隊長という共通項ではチャイカにこんなキャラが出ていたよな。何か原案となるような史実があるのか、作家同士でなんとなく影響しあっているのか分からないけと、こういうのほんとうに好きなんだよね。
とりあえず一つだけ確実に言えることは、特に2番に要注意だということです。
議論に勝つことを優先する余り、露骨すぎる詭弁を使っているのにそれに気づかない人には近づいちゃ駄目だということです。
そういう人たちは、自分の正しさを全く疑わないので、たとえ8割正しいことをいっていたとしても、2割の間違いでみんなを巻き込んで滅びます。
他人を見るときに大事なことは、8割正しいことを強気でいえることじゃなくて、時々だれでもおかす間違いに対して、どういう対応をするかです。
2番と3番が合わさると、都合が悪くなったらすぐにポジションチェンジしますから、まともに信じてついていくとバカをみます。
彼らは政治家ではなく投資家です。 常に分のいいポジションに貼るだけで信念などありません。 社会をかえる力もなければそのつもりもない。
そういう人たちを信じてついていくなら、第一に学ぶべきは、彼らの語る言葉ではなく、自分たちもすぐにポジションを変える節操の無さです。
これは「自分の反対する法案が通ったから」とか「自民党だから」ではないんだよね。議会制がまともに機能せず立憲制を侵しうる状態ではどんな政権がどんな法案を通そうとその正当性は担保されないって話。— 董卓(不燃ごみ) (@inumash) 2015, 9月 18
そういう人たちから彼らを守るどころか、「若者がおかしな勢力に利用されないように~」と彼らを心配するふりをしながら、デマや誹謗中傷を検証することもなく拡散していた人たちがどれだけいたか。本当に恥ずべき光景だと思うよこれは。— 董卓(不燃ごみ) (@inumash) 2015, 9月 18
行動を起こした若者が道を誤らないように助言したり手助けすることこそ大人の責任だろうに、それを放棄して「俺の思った通りの行動をしない。なんでできないんだ」と叩く。TVでスポーツ見ながら「下手くそ!」と野次飛ばしてる馬鹿親父とおんなじだよね。そんなやつの言うことに誰が耳を貸すかよ。— 董卓(不燃ごみ) (@inumash) 2015, 9月 18
そういう人がたくさんいる国だからこんな状態になってるんでしょうけど。まあそういう人は二度と若者の政治意識がどうこうなんて語るべきでないね。— 董卓(不燃ごみ) (@inumash) 2015, 9月 18
安保法案賛成派は、冷笑系が多い印象があるな。冷笑系は別に思想がある訳じゃなくて、その時々に都合よく発言するだけで https://t.co/OGwXl0cqfl— 加野瀬未友 (@kanose) 2015, 9月 19
まともな批判もいっぱいある中、自分への人格批判だけ取り上げて、だから反対派は!とか言うのは印象操作にも程があるわー / “SEALDsをdisる俺をdisるツイートの呆れるばかりの低脳ぶりについて | ホリエモンドットコムブログ” http://t.co/njC7ElxlOx— 加野瀬未友 (@kanose) 2015, 9月 19
なんだよこの記事。イケダハヤトかよ笑 SEALDsをdisる俺をdisるツイートの呆れるばかりの低脳ぶりについて | ホリエモンドットコムブログ http://t.co/Of0deCqrwF via @HORIEMON_COM— Keita (@HazakuraKeita) 2015, 9月 18
んーまあでも「民主党悪玉パラダイム」ってのに病みつきになってるのが、同世代に多いんだなあとは思った。ものごとの説明が全部それ。お前らは水戸黄門かなにかでも見てる気か。— NaHCO-TAS (@NaHCOTAS) 2015, 9月 18
周辺国にキャッチアップされる「下り坂の日本」を感じつつ、その責任をかぶりたくない一心で理由付けするわけだから、安易なキャッチフレーズに飛びつく一方で、自分のことばを持てないまま20年過ごして30代とか40代に差し掛かっていて、考える体力みたいなのが先に衰えてるんだなあ、と。— NaHCO-TAS (@NaHCOTAS) 2015, 9月 18
http://anond.hatelabo.jp/20150920001448
言い逃げか。とりあえず「必死そう」なやつをみかけたらおちょくって楽しむって感じかな。
二人で飲むから悪いんじゃねえのという話かもしれないけど、ここ2年くらい業務上のやり取りが非常に多い間柄で、体制について同じような不満や問題意識を抱えており、誘われた際もデートの申し込みというよりは同性の同僚を誘うようなノリだったので、このノリでこうなるのなら今後男性からの全ての誘いを断るしかない
同僚や友達とグループで行くような雰囲気の店を想像していたのに(以前同僚4人でそういう店で飲んだことがあった)、高そうでなぜか個室で、思っていたのと違うと困惑しつつも仕事の話をしていたら話題をそらされ、よく覚えていないがとにかく身体を触られてキスされた
人間としては好感を持っていた仲だったし、個室とは言え店内で身体を触ってくるような人間でなければ異性としてどうかというところも想像していたかもしれない、けど突然のことにとにかく驚いたし、店員が入ってくるかもしれないような場所で雑な真似をしてもいい相手だと思われていたんだなと思うと、私が相手との関係をそれなりに気に入っていただけに、気分が真っ暗になる
正直その晩も翌朝も、それどころか二週間経つまで自分に何が起こったのかよくわかっていなくて、会社では何事も無かったように振舞っているし、顔合わせたら軽口を叩いてケラケラ笑うノリのままだし、私も昇給したばかりだし、そういう時用の窓口はあると聞いているけど、騒いで面倒くさいことにして昇進にケチがつくようには絶対なりたくないと思っている
ただ、ふと、私はもしかして、よくある「泣き寝入りする被害者」ってやつになってる?と思うと、笑えるような泣けてくるような気分になるし、変に客観的に「経済強者を目指してるバリキャリ気取りの調子乗った女が権威的&物理的な脅威に怯えて縮こまる様って多分愉快だろうな」って理解者気分に浸りたくなる、まあ人の土下座見たくて半沢直樹や水戸黄門見るようなあれだよね
よくよく考えると私の交友関係って女友達も意識高い系でかためられていて、何らかの被害者になっているイメージがまったくわかないタイプの人間が多い、だから女友達から夜中まで泣きながら彼氏や旦那の愚痴を電話で聞かされるみたいな体験もせずに生きてこられた、要は面倒が無かった、男子校出身理系仕事人間みたいな知人も居るけど、そういう奴はだいたい「需要があるだけ有難いと思え」脳で、まあそういう主張するように育つ環境ってあるよね仕方ないよねと思うし、そういう人間も関わってて本当に面倒がない、でもいま私が面倒な人間になってる感があって本当に笑える
遅れて傷つくと、その瞬間には「抵抗しなかった、合意だった」としか受け取られないだろうし、被害者になるのが嫌でその後もしれっとしてると「あとくされがない」としか受け取られないだろう、こうやって都合のいい人間になるんだなってとにかく愉快で、泣いて笑って泣いて笑ってを繰り返しているシルバーウィーク一日目
この言葉が出てくるっと昔からモヤモヤするんですよね。私を含めて素人さんが「表現の自由」という言葉について考慮すること無くオレオレ定義でいきなり使い出したら、読者はそっ閉じしちゃうと思います。「ネットでこの言葉使う人に関わってはいけないそっ閉じランキング」やったらトップ10には間違いなく入るやつだと思います。
私含めて普通の人にとって、「自由」という言葉ってなかなか捉えがたい概念じゃないですか? だから言葉に対する解釈がバラバラになり過ぎて同じ言葉を使っても議論にならない、という印象が強く有ります。
とにかくこの言葉を使って議論を進めるためには、最低限「なぜ表現の自由の自由が大事なのか?」が共有できている状態、つまり「表現の自由とはなにか」ということと「表現の自由の重要性」が理解されていることが必要だと思うのですが、出来てます?聞き手どころか「表現の自由」を主張している人ですら、それが理解できているように思えないんですよね。よく理解できてないけど「表現の自由」をただ絶対正義のスローガンのように唱えてるだけじゃないですか?
「自由」というただでさえフワフワした言葉を、フワフワした状態で使って、それで何かしらの主張をしました、って。それただの自己満足ですよね。まぁ私もネットは自己満足のために使うべきだと思うのでそれでいいと思うのですが、少なくとも議論どころか主張にすらなってないもので、反対する人を説得できるとは思わない方がいいですよね。
主張すらしてないのに「僕達にとっては自明のことなのにそれがわからない反対派はバカだ」みたいなしょうもないことを言ってる人を見ると、さすがげんなりさせられます。
民主主義は、何が正しいかわからないからこそみんなで議論しお互いの考えをぶつけ合って、もっともよいものを見つけだそうとするものです。そこでお互いが自由にものを言えなければ成り立たないのです。
国や政治家が特定の考え方をメディアに押しつけることも、メディアの自由な報道に何らかの影響を与えるような行動をとることも許されません。国や政治家などの権力を持つ者は、国民の思想や言論活動といった精神的な営みの領域には立ち入ってはいけないのです。
何か一つの考えを正しいとして絶対化することを抑制することにこそ本質がありそうだし、これなら共有可能な気がする。
悪書追放のなにがいけないかというと、どんなに優秀な人間でもその能力の限界は時代の限界に規定されているからです。現代に生きる僕たちはどうやっても次の時代にの正しさを知ることはできないわけです。この時代の感性で記録を焼くようなことがあってはいけない— 大澤めぐみ (@kinky12x08) 2015, 8月 30
表現の自由の真骨頂っていうのは、吐き気をもよおすような嫌悪感を抱かせる表現に対してもその自由を担保するというところにこそあるのであって、どれだけ創作物のその邪悪さを主張されたところで「なればこそ表現の自由によって守られねばならない」と、こうなる— 大澤めぐみ (@kinky12x08) 2015, 8月 30
こういう話が前提なのだとしたら、まずここを共有すべく努力したらいいと思うんだけど。ここまで考えてる人がそもそも少ないよねえ。
たださ、少なくとも「表現の自由」を声高に叫ぶだけの人は相手からしたら「わがまま」にしか聞こえないだろうと思うよ。これが良い、これが悪い、と二者択一的に区分けする考え方こそが危険、っていう主張をしていったほうがええと思うんやけどな。 そのルールのもとに私達は平等ですよ、と。
そうしないと、ほんとに規制を唱える側ってのは、自分たちの正義を信じてるからね。自分たちは正しいからそうしてるのであって、間違った奴がいうことは聞かないどころか自由を主張するとは何事か、わがままだって思っちゃうんだよね。炎上でよく知らない人を叩いた経験がある人ならわかるでしょ? 普段君らが何も考えてないくせに、炎上してる人見たらとりあえずこいつは安全に叩いていいやつだっていって叩きに行く。あれと一緒だよ。 そんな時に「表現の自由」を主張してるやついたらどう思う? 実態は違っても相手の感情はあれと同じ。
きみら炎上してる人を叩いてる時って、相手が何言っても許さないでしょ?「犯罪者に人権はない」くらいの感覚でしょ?その経験があるなら、そういう状況で、君らが普段からちゃんと考えてないから中身がスッカスカのスローガンでしか無い「表現の自由」って唱えても無駄ってわかるでしょ。 水戸黄門じゃない人が黄門さまの印籠だけ取り出して掲げても無駄だよ。だって、きみには何の権力もないからね。 そういうことを理解しないといけないよ。
「表現の自由」って言葉の大事さが共有されてないなら、相手に合わせて伝え方考えないとあかんよね。そうしないと規制しようとしてる人は、感覚として「炎上してる奴は徹底的に叩け」と同じ感情で行動してるだけなんだから。炎上してるやつを叩いてるときの君たちと同じくらい知能低下してるんだから。そこで下手に反論しようとすると、相手は「こんなことなら自由という考え方自体が害悪だな。犯罪者からは人権を剥奪しよう」くらい過激なことを考えるよ。君たちだって普段そのくらいの感じで見知らぬ人間を叩いてるよね。
そのことをよく踏まえた上でこの言葉使ってほしいよね
いつまでも創業者が出しゃばっていたら後継者も育たないし……とかいう話では全然ない。
・
久しぶりにテレビでポケモンを見た。3歳の息子が見ていたからだ。
キチンとアニメを見た事はほとんどないが、初代のポケモン(緑と赤)が発売された当時に11歳だった僕はご多分に漏れず、ずぶずぶに嵌まってポケモンをやりこんでいた。
すごく楽しかったし、友達とも興奮しながら語り合ったりしていた。
ただ、続編の金銀が発売される頃にはもう中三とかになっていてポケモンどころではなかった。
アニメもいつから始まったのか覚えていないけど習い事や部活でアニメを見るヒマはなかった。
・
だから僕にとってポケモンのアニメと言えばピカチュウが人気なんでしょ、くらいしか認識がなかった。
で、今だ。
僕は驚いた。
クレヨンしんちゃんやアンパンマンやドラえもんの様にサザエさん時空とは違う、未だに原作ゲームが発売され、キャラやモンスターが追加されるなかで、拡大する世界でピカチュウが揺るがず真ん中に立ち続けている。映画版もスポットを見る限り、ピカチュウが主役だろう。
サトシ?飼い主の方はなんか同格キャラが増えて後ろに下がった風に見えた。
僕はこれを決して批判しているわけじゃない。
『ピカチュウ、10万ボルトだ!』で万事解決って水戸黄門みたいでいいな、とも思う。
ゆく川の流れは、ではないが、いつだって新規視聴者は数年で去り、また新規視聴者が視聴するのだろう。
こりゃ、100年後も10万ボルトあるぜ。
ずっと先に孫ができても共通の話題ができそうで心強い。
世の中には毒親というものがいて、自分が親とうまくいかなかったのは自分が悪かったわけではない、と思うことで親の呪縛から逃れるためにある。
正しく使えば、その人にかかった呪いを解くためにとても有効な武器であると言える。
だが、この言葉はとてつもなく強力であるがゆえに使い方を間違うと己の身も滅ぼす。
残念なことに、ちゃんと本を読まずに言葉だけ知って自分の感情のままに使おうとするために、使い方を誤っている人は多い。
どういうことかというと、この言葉を手にすることで、余計に親に執着しまうのだ。
自分を傷つけた親を許せなくて、なんとかして親を打ち倒そうとする。
まるで親を打ち倒すまでは、自分の人生は始まらない、と言わんばかりである。
そもそもこの概念は、いくら今の自分のまま努力しても絶対に親との関係は改善しない、そういう人たちのために考えだされたものだからである。
にもかかわらず、この強力な言葉を手にすることで、間違った希望をいだいてしまう人がいる。
今まで自分にマウンティングを続けてきた親を打倒し、自分の屈辱を晴らしたり、自分の気持を親が理解してくれるようになる、という間違った幻想である。
繰り返すが、毒親とは、「そういうこと」が不可能であるということを前提として作られた言葉である。
今のままの自分では絶対に親とは分かり合うことはないし、かつ自分自身が親に執着しているから今の自分から変われない、
そういう状況を変えるために生み出された道具に過ぎない。
水戸黄門の印籠のように、この言葉を手に入れたからといって、親はあなたに頭を下げたりはしない。
この言葉を使うことによって、自分の親に対する罪悪感や劣等感から「一時的に」解放され、
「一時的に」親から自由になって、自分が望むように生きること、それこそがこの言葉の使い方である。
せっかくこの言葉を手に入れても、それで余計に親に執着してしまうと、
なまじこの言葉を知ってしまったゆえに、親への愛や期待だけをうしない、それでいて間違った希望だけを抱いて苦しむことになってしまう。
この言葉を知って、それを使うのであれば、目指すべきはただひとつ、親からの自立、自由である。
この言葉をもって、より親に依存、執着してしまうのはほとんど自殺行為である。余計に自分を追い詰めるだけだ。
怖いかもしれないけれど、この言葉を手にした人は、一度親離れをすべきだ。
あなたは悪くない。けれども親のせいにばかりにもしていられない。いくら毒親を責めても親は反省して補償をしてくれるわけではない。
この言葉を手にすることによって、ようやくスタートラインに立つことができるのだ。
親のせいでスタートが人より遅れてしんどいだろう、それで親を恨みたくなるだろう。存分に恨んでいい。
恨んでいいが、恨むだけにしなければいけない。「毒親のせいで自分はハンデを負っているので償ってください」と言っても誰も助けてはくれない。
毒親という言葉は今まで親のせいでスタートにも立てなかった人間をスタートに立てるようにしてくれる言葉だ。
だが、それゆえに、逆に言えば、スタートが遅れた自分に向き合う勇気が求められる。
http://anond.hatelabo.jp/20150708154932
まあ、実際にはフジテレビが凋落した理由は幾つかあってリモコンの並びはその中のひとつなんだろうけど。
主要民放4局 5点
NHK総合 5点
テレ東 3点
で振り分けると、アナログ放送の場合は、リモコンの並びで言えば、第1列・第2列が5+1+1+5+5=17点、第3列・第4列は5+1+5+1+3=15点で、そこまで差は開いていなかった。
これが地上波デジタルになって、第1列・第2列が5+1+1+5+5+5=22点、第3列・第4列は3+5+1+1=10点で前半部分にウェイトが集中した。
そのため後半部分が切り捨てられやすくなったとは言えるかと思う。
もちろんこの並びは首都圏の話なので、別の地域については別の見方をする必要があるだろうが、視聴率は首都圏のもの、あるいは首都圏のウェイトが高いものがとられるので、首都圏で構造的な劣勢を強いられるデメリットは大きい。フジテレビが10chであったテレ朝に負うていた部分は思いの外大きかったということだ。
それ以外の部分では、フジテレビには中程度の長寿番組が少ないことが弱点として挙げられる。
「サザエさん」「ミュージックフェア」「めざましテレビ」などだが、日テレやテレ朝に多い、10年以上続いている長寿番組が少ない。なぜ、打ち切られたか分からない番組も多い。「トリビアの泉」や「世にも奇妙な物語」などは続けていればそこそこ視聴率を稼げていただろう。
日テレやテレ朝は、少々不振になってもしゃぶり尽くせる限り、番組をしゃぶりつくす。フジテレビでそれに相当するのは「アンビリバボー」くらいで、日テレやテレ朝は「不調でない限り好調」のスタンスが垣間見られるが、フジテレビは「好調でない限り不調」で、番組を切って来た。それが調子がいい時は、全体の視聴率が底上げされる結果になったのだが、リモコンの並びのように構造的な負荷を負うようになってからは、長寿番組による安定票が望めない、という結果になってしまったのだと思う。「世界まる見え特報部」と「ナニコレ珍百景」がないのがフジテレビの今の弱さの原因だ。
リモコンの並びはいまさらどうにもならないので、フジテレビは現状に合わせて戦略を根底から再構築する必要があるだろう。フジテレビはテレビ朝日になったのだ。
もはやトップは目指せない立場だ。人件費もせめて日テレ並には下げる必要があるだろう。
フジテレビが目指すのは長い時間をかけて長寿番組を育てる、ということだ。月9などはそもそも長寿番組にはなりようがないので、ああいう短期ドラマ枠は削るべきだ。ドラマでも「相棒」や「水戸黄門」のようであれば安定票を望める。
というかも知れないが、水谷豊だって相棒が始まる前は、過去の栄光はあってもものすごい人気者というわけでもなかった。沢口靖子だってそうだ。番組が俳優を育て、俳優によって番組が育てられるのだ。舞台俳優などを中心にまったくの新人を起用するのもいいだろう。ジャニーズのように、短期ドラマしか駄目、ネットでの宣伝もダメというようなのと付き合うから置いて行かれるのだ。
なんせ国連でも「人道に対する罪」に匹敵すると糾弾された拉致問題について、北朝鮮が「1年間で調べられませんでした」なんて言って、調査期間の延期を通告してきたのに、共産党などは赤旗で批判すらしないからな。
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「拉致」も「北朝鮮」も、影も形も見当たりません。ある意味、徹底しておりますな。
非対称も非対称で、男と女の間には、どうしようもないほどの格差がある。
そんで女性は、強者であるがゆえに常に男を値踏みして、不細工やコミュ障、
そして女性のお眼鏡に適った男だけがまともに「男」として扱われる。
別に悪いとはいわないよ。強者にはそうした横暴を行う権利があるんだろう。
下々の男たちの不幸なんて無視して好きに振舞えば良い。
でもね、傷ついてるんだよ。何か行動に起こしたりしないだけでね。
そうした背景があるからさ、良くないとは思うんだけど、貧困女性を見ると
スカッとするんだよね。
水戸黄門的な勧善懲悪みたいなね。悪いことしてる奴らにはちゃんとバチが
あたるんだなあ、みたいな。そういうことを思っちゃんだよね。
女性の平均年収が男性より低いというのも、ちゃんとバランスとれてるなあと嬉しくなる。
★「市民サービスがカットされる、初期投資600億に対し経済効果が1億など言っているけど、その根拠はどういうことなのかしっかりとした説明がない。」
日経新聞「大阪都構想、移行コスト680億円 名称変更には法整備」http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG17HA8_X10C15A3EA2000/
産経新聞「【一から都構想(5)】効果とコストは?」http://www.sankei.com/west/news/150506/wst1505060012-n1.html
しんぶん赤旗「「大阪都」構想 「協定書」審議で浮き彫り デメリットは市民に」http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-10-15/2014101504_03_1.html
赤旗に書いてあるように「コスト600億円」の出所は、結局、大阪市役所自身の試算。結局「ソースは橋下」なのだ。実際、維新の会のページにも「住民サービス強化のために使われるお金です。現在は住民サービスを担う組織は市役所に1つしかありませんが、都構想で5つに増えるため、格段に住民サービスが向上します(上のQAを参照)。この初期投資600億円はそのために使われるお金です。」と書いてる。http://oneosaka.jp/tokoso/q-and-a1.html
★「大阪都構想で語られている政策はおもに3つだ。①2重行政をなくす②税金の無駄をなくす③改革が進まない簡単に言うと大阪市と大阪府の機能を統一化することで金銭的にゆとりを生み、議事などのスピードを素早くしようぜっていうこと。」
元増田は「情報の正確性」というが、正しく書けば根拠が無い。「二重行政」がほとんど存在しないことは、大阪市役所の議会答弁で明らかになっている。
藤井聡「都構想による二重行政解消効果は1億です」の正式な根拠http://satoshi-fujii.com/150419-3/
あとは、図書館、大学、体育館、浄水場などが別々なのを「二重」というかどうかの問題だろう。大阪ほど大きい街で図書館が二重行政、とかいうのは理解しがたい主張だが。浄水場は二重行政かもだが、下記の水道料金を見れば分かるように、それで得している(安い水利権を取得している)のは大阪市の方なので、手放すと、恐らく水道料金は高くなる。大阪のかつてのハコモノ行政は府も市も酷いが、これはそれぞれの失政であって二重行政ではないだろう。ところで、橋下氏は府知事時代に、大阪市の失敗の象徴であるワールドトレードセンターを買い取っている。大阪市は心の中で万歳三唱しただろう。
All About「自治体ごとの水道料金を徹底比較!」http://allabout.co.jp/gm/gc/31271/
税金の無駄を無くす(現状は無駄がある)、改革が進まない、というのは大阪市民と今の市長が自分の胸に手を当てれば済む話で、大阪市を解体しても同じ現象が起こるだろう。行政の無駄や停滞を有無のは市民の無関心であって、行政の枠組みではない。白馬の王子様も、水戸黄門様も、スーパーマンも、アベンジャーズも、いないことに気付こう。
俺がラブライブにはまってはや半年。正直アニメが好きなだけでそのほかのコンテンツにはあまり興味がないからラブライバーを名乗れないと思う。
1期は始まりから逆境に立ち向かっていって、どんどん仲間が集まり、誰かのためではなく自分のやりたいことのために頑張るようになる、というのがコンセプトだと思う。
2期は1期の続きで9人全員そろっており、1期で果たせなかったラブライブ出場、3年生組の卒業、μ’sというグループの意味、夢への前進というのがテーマになってきた。
そのなかで9人の成長、助け合い、青春、過去の払拭という1期から続くラブライブ的お決まり事というか水戸黄門や暴れん坊将軍のように組み込まれてきた。
1話でもういちどラブライブに出場、3年生組の卒業という2期のテーマが示された。OP、EDもなにかしらクライマックス感や終わりを感じさせるような曲調だった。
Snow halationというラブライブプロジェクト(?)発足当時の曲も再度アニメーションが作られ、無事ラブライブ出場決定、3年生の卒業と同時にμ’s解散と12話まで完璧な流れできたと思う。
12話終了時点においてラブライブでのライブも終わり、作中時期は3月、いよいよ残すは卒業式のみとなった。
そして今日、13話を見た感想。ああ、やはりラブライブは良くも悪くも俺の予想の斜め上をいくなあと思った。
1期の最終話も超展開といえる感じであり、それでも上手くまとまって大団円、ああ面白かったと思えた。
そして2期13話も大体同じ感想を抱いた。
にこの母役にエヴァンゲリオンでおなじみの三石琴乃さん、卒業式での「愛してるばんざーい」、EDテロップに「oh!love &piece」ラストに楽しい感じの新曲。
ストーリーの流れもしんみり系ではなく明るい感じだった。そして最後に劇場版決定。
ただ俺個人としてはちょっとなあと思った。いや面白いんだけど、泣けたし、すっきりしたけど。
俺が13話に予想していた展開、というより期待していた展開はまずOPをなくしてテロップを流しながらアニメを始める。
卒業式の前に3年生組がそれぞれ卒業直前の心情吐露みたいな感じで卒業式前の前戯、卒業式で穂乃果が送辞、絵里が答辞。μ’sは全員うるっと来てる。
卒業式を終えて学校を回りながら色々あったね的な会話をする。最後に屋上にいって1,2年生で3年生を送るために歌を歌う。皆号泣。校門、神田明神などおなじみのスポットに行きながらμ’sに会えてよかったみたいな会話。最後は皆すっきりした表情でサヨナラ。穂乃果が学校に走りながら登校してきてジャンプして終わり。1期ラストみたいにEDにこれまでのシーンを統括。
というのを期待していた。このいくつかはその通りになったし、アニメの展開に異論はない。本当に面白かったと思う。
ただ、これまで12話かけて色々準備してきた。
卒業を全面に押し出してきて、μ’sの解散宣言もしたし、ラストライブという話もあったし。
それをまた先延ばしにするというのはどうかと。12話までに少なからず泣いた話があった。それは作中において終わりが迫っているんだというのが明白に感じられていたから。
でもこうやって劇場版につなげて、今までの感動を置き去りにするのはなにか違うと思う。
まあでもラブライブが面白かったことは違いないし、劇場版も楽しみにしてる。
制作陣の皆さんまた俺の予想を裏切るような素晴らしい劇場版をよろしくお願いします。
そしてできれば今度こそμ’s終了でもこれまで楽しかったよありがとう前を向いて生きる的な展開を入れてくれればとてもうれしい
アラサー男性、年収600万ちょい。身長179cm体重65kg京都出身次男、大卒、病気一度もなし
このようなステータスを武器にRPGのように婚活戦線を戦っていたら個人的にびっくりしたことがあったので書く
・年収800万以上希望、顔がよければ600万でも我慢する、私は派遣or家事手伝いで年収150万ぐらいです
・自分で言うのもなんですが年よりは10歳若く見えるってよく言われます、芸能人に似ているって言われます、
・同居は不可、でもうちの親の老人ホーム代は出してください。・田舎暮らし不可
こういった30台後半~50歳ぐらいの寄生獣を複数人参加形式の立食パーティーでたくさん見かけます
小町のこの手の毎回同じやり取りと同じ展開、トピ主が最後発狂して出ていくという何年も続くお家芸的なお約束は
同じ人、もしくはネタとして複数人がテンプレ通り書いてると勝手にどこかで信じ込んでいたので
この手の女性がわんさこいることに非常に衝撃を受けた
ネットと現実を混同しちゃいけないと思っていたらネットが現実でしたって衝撃。
最初拒否反応が強かったが少し仲良くなって愚痴を聞いてあげると
・パーティなどで他の女より私が見た目でかなり優位なのにモテない
・私より不出来な後輩や同期が結婚するのが許せない
・私が綺麗すぎるから男が気後れしちゃって寄ってこない
現実をつきつけたらどうなるのかな?と思い遠まわしに高望みやめるよう言ってみたら
女性というのは悲しいかな、本人に直接批判をしない生き物なので
図々しい人はそれを水戸黄門の印籠のように振りかざす。
それでも本当に仲の良い友達がいたら軽い批判は言ってくれたりするのだが
いない人は小町に相談する、そして友達がいないから紹介もないため婚活する
ただテンプレ通りのような人間がどのように形成されていくのか?
まったく一緒なんてありえないのに多々遭遇した。
こんな感じでいろいろ考えているうちにだんだん楽しくなってきたので
気分はモンスターハンターで
希望を下げこういう自分を顧みない高望みの女性を紹介しろと紹介所に相談しに行ったら
面白がってるのを見抜かれて出入り禁止を食らったでござるの巻。