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2023-03-21

たぬき貯金

子供の頃小学校の近くのT字路に大きなタヌキの置物があった。その置物の頭頂部にはドリルで穴が開けてあって硬貨が入れられるようになっている。自分らはそれを「たぬき貯金」と呼び、みんなお小遣いを貰うとこぞってたぬき貯金をしていた。

たぬき貯金は「フジモトさん」というおじさんが管理していて、たぬきの置物に硬貨を入れたら事後申告でフジモトさんに報告することになっていた。たぬき貯金の近くに埋め立てた釣り堀があって、そこは底なし沼になっていてフジモトさんの息子が飲み込まれ行方不明になったと噂されていた。

先日ひさしぶりに小学生の頃住んでいた街に立ち寄って、たぬき貯金底なし沼の場所にも訪れたのだけど、跡形もなく整備され綺麗な街並みに変わっていた。

anond:20230321165218

GPT4ちゃんにやりなおしてもろたで

GPT4ちゃん

私は偏差値40の高校卒業した。ドラゴン桜を見て、東大に進学できるか疑問に思った。
中学時代数学が苦手で成績が悪く、地域で最も評判の悪い高校入学した。

高校では、授業中にノートをとる生徒は半数程度で、他の生徒は堂々と寝ていた。
私は、中学では最下位だったが、高校では少し順位が上がった。
しかし、偏差値40の学校の生徒はほとんど勉強ができない。

私自身も人の話を長時間聞くことができず、興味を持てない話題や分からない単語が出てくると眠くなってしまう。
忍耐力や努力する姿勢も持ち合わせていない。
そのため、人生で一度も何かを頑張ったことがなく、車の教習所卒業できなかった。先週は原付学科試験にも落ちた。

そんな私が卒業した偏差値40の高校から、本当に東大に進めるのか疑問に思った。
高校では英語の基本であるbe動詞を知らない人も多く、小学校算数ドリルが配られることもあった。
そんな生徒が、一生懸命勉強してきた人たちと同じ東大に進むことは本当に可能なのだろうか。

感想

不得意なことはガンガンAIアシスト使ってチートして、得意で楽しい事だけやって生きていこうぜ!

anond:20230321151734

保育園学童に入れない」は需給バランスの話では?

要は保育園の受け入れられる数以上に入園希望者がいるという話。

これまでは家庭で育てられて、幼稚園に行き、小学校に行っていた層で急速にワーキングマザーの子供が増えているのでそこに供給が追い付けていないという話かもしれない。

一人の親の収入だけでは家計を支えられなくなっていっているとか、女性就労による自己実現を求めるようになったとかがあるかもしれない。

保育園に行かせている親が高学歴高収入かはわからない。

実は、学歴別の既婚歴調査で、女性高卒以上、男性大卒以上のほうが結婚やすいという傾向がすでにあるので、高学歴だと子供を持ちやすいのはあると思う。

「後先考えずに繁殖に励む、他の先進国なら底辺に落ちるような人間性終わってるような奴等」じゃなくて、学歴収入カップル成立のための条件とも考えられる。

今の時代高学歴高収入は子孫を繁栄させる有効指標と考えられていて、日本では学歴による異性の選別、淘汰が起きているということだと思う。

要は学歴ない奴とはセックスしたくないと男も女も思っていて、因果関係が逆なのかなと。

anond:20230321131216

高卒でもできるような学歴関係ない仕事しにいったからやろ・・・・そりゃ能力関係ないよ・・・・・・

周りの大卒と同じ程度の能力でも発揮できてたなら周りの大卒より好待遇でいい感じに出世できたやろうけどな

俺も京大卒だが、小学校高校までの勉強はできたらしいのにやたらと要領悪い奴おるよな そういう奴はだいたい大学勉強でも挫折してる よく大学入れたなって思うんだけど高校時代模試の成績とか聞くとびっくりする

体系化されまくって時間かければ誰にでもできることを時間かけてやるのは得意だけど自分で何か道を切り開くみたいなのが苦手なんやろな

没落した京大生の話を聞いてほしい


かつては大学生だった。今から20年前のことだ。地元公立高校必死勉強して、勉強して、勉強して、青春のすべてを犠牲にして京都大学法学部合格した。一浪だった。いわゆるイカ京みたいな京大生がたくさんいる中で、自分もその1人から脱出しようと頑張ってみたが、結局だめだった。

40歳が間近になった今では、没落というか、いや元々高い位置はいなかったのだが……今は、普通に非正規労働者をやっている。契約社員みたいな仕事に就くこともあるが、あまり続かない。1年くらいで辞めることが多い。結局、学歴って大したことはないんだよなぁ、と実社会で働くようになった今では感じる。

これから大学時代の話をさせてほしい。暗い話になる。みんなジメジメした話は嫌いだろう。だから、すぐに終わらすよ。頑張って五千字以内に収める。リアル一人称が僕なので、以降は僕でいくことにする。



入学式を終えて大学生になった僕は、どこかのマンガで見たようなサークル勧誘活動を眺めることになった。どういう風に勧誘があったか、さすがにまったく覚えていないが笑

でも、僕にはあまり声がかからなかった。ルックスはいまいちで、特にスポーツからは全く声がかからなかった。浪人生活がたたって不健康に見えたのだろうな。

文科系からは何度か勧誘された。漫画研究会とか、小説を書く倶楽部とか、山登りの会とかも見学に行ったっけ。結局、どこにも入らなかった。高校時代バリボーをやっていたが、大学部活はいわゆるガチめのところが多い。通用しないとわかっていた。

それで、大学1年生(※正しくは1回生)の時は、ごく普通に講義に出て、帰りに図書館に寄って、たまに帰り道にラーメン店を巡っていた。実家美山町の貧しい農家だったが、親が優しかったので仕送りをたくさんくれていた。月に8万ほど自由に使えるお金があった。

アルバイトを始めたのは、かなり後になってからだ。大学2年生の春だった気がする。退屈に負けて繁華街にあるマクドに応募したんだっけ。

そんな時だった。1年生の秋頃、学内であるチラシを見かけた。『みやこ音楽祭』なるものの開催案内だった。京都学生有志で集まる大学サークルで、くるりとかの有名バンドを呼んで京都音楽を発信しよう、みたいな団体だった。

チラシには第1回の文字はなかったけど、結局第8回まで行われることになった。僕の時は、西部講堂という古めかしい場所があるのだが、そこでライブをやっていた。

いろんな大学学生が集まる、しかライブイベントスタッフなんて、こんな体験は二度とできないと思った。小学校中学高校も、文化祭リーダーをやるタイプではなかった。下働きだった。

数年前のアニメだと、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』で、高校生だけでアメリカ風プロムをやろうみたいな場面があって、ゆきのんが実行委員長で、八幡が陰の立役者で、いろはす現場リーダーだったと思うんだが、僕はその現場下働きだった。

それで、みやこ音楽産業みたいな名前団体があって、そこに電話をかけて参加申し込みをした。もうほとんど覚えてないが、西部講堂付近カフェ面接があったのかな、その場で誓約書みたいなやつを書いてスタッフとして登録した。

若い人達がやってるんだろうなぁ、と思っていたら、みやこ音楽祭を立ち上げたのは20代半ばの人達だった。とっくに卒業年齢だったのだが、京大にはあえて留年をして大学看板を使っている人もいる。ハタチくらいの有志が集まって~みたいな団体ではなかった。

まあ、そうじゃないと、第1回目からくるり向井秀徳矢野顕子は呼べないはずだ。伝手があるのだろうなと察したのを覚えている。

もう想像できると思うけど、ここでも下働きだった。現場で机とか、椅子とかを運んだり、他大学へのチラシ配りとか、やはり音響機材を運んだりとか、ライブ中の警備とか、掃除とか、そういう下働きをしていた。

いろんな学生が集まるサークルなだけあって、多様性に富んでいた。僕は4年分すべて参加したけど、僕のような中核ではない臨時スタッフまで入れると軽く50名を超えていた。なんだかんだでマーケティング活動は抜群だった。もし、経営の才能がある大学生がここで活動したなら、きっといい経験になったと思う。

思えば僕は、アニメ漫画でいうところのモブキャラだった。その団体の中核メンバーほとんど京大生だったけど、中には同志社とか、立命館とか、京都産業とか、龍谷とか、いろんな人が揃っていた。

僕は京大生だったけど、4年間活動してもずっと臨時スタッフだった。そういうところには潜り込めなかった。かと思えば、才覚のある大学1年生(仏みたいな名前大学女子だった)が入ると、次の年からは中核メンバーとしてスカウトされていた。

そういう光景を目にして、つくづく自分が嫌になった。自分臨時スタッフなので、次の年も参加したいと思えば、またチラシを見つけて応募する必要があった。

それで、イベント初回の時は、その1ヶ月後には打ち上げ会があった。その会では、今の自分から見ても相当気持ちが悪い光景が繰り広げられていた。京大の近くにある居酒屋での開催で、和室座席を貸し切っていた。席の配置は自由だったけど、大体男女が別々に固まる。40人ほどだった。

ただし、主催者の方で誘導して、男女がある程度向かい合わせになるようにする。それで、京都大学学生のうち、女子と向かいになった人達が、飲み会が盛り上がっている半ばでこういうアピールを始める。※京都方言標準語に直している。

「俺、浪人して経済(学部)に行こうと思ってたけど、総合人間でもまあいっかと思って」

高校の頃の模試は全国で二番だった。医学科行きたかったけど、キツそうだからやめて看護(保健学科)にした」

「昔は全然勉強しなかった。奇跡が起こって合格した」

「お前らまだ若いからいいじゃん。俺こないだのTOEIC220点だったぞ。大学入ってから頭が悪くなっていく一方だよ」

(3/21追記コメントを受けて。以上は飲み屋での会話だから、卑屈な謙遜がかなり混ざっていると思う。会話自体は確かにこのとおりだ。

こんなノリで会話を始めて、自分の財布から京都大学学生証を取り出して、目の前の女子に見せびらかす。こんなことを彼らは四年間ずっと続けていた。見ていて情けなかったけど、かくいう自分も、隣の人に振られる格好で一度だけやったことがある。

目の前の女子からは、こんな反応が返ってきた。

「え、え、自分京大なん? リッツ(立命館大学)かと思ってた」

法学部なんですね!! すごーい」

「機材を運んでる時、気遣いがすごかったですね。警備中もずっとお客さんの方を見てた。ほかの人はサボってライブ見てたのに」

今思えば、女子は気を遣ってくれていた。こんなに恥ずかしいことを、当時は若かったとはいえ自尊心に負けてこんなアホみたいな、つまらない、人間として三級品にも等しい、救いようのない子どもじみたことをしていた。トイレの手洗器に張り付いたタンカスの方がまだ魅力的だった。

で、そんなことをしていると、向こうから中核メンバー乾杯にやってきた。すると僕の周りにいた京大生は、借りてきた猫みたいに大人しくなる。それで、女子は彼らの方を眩しい視線で見つめるのだ。目のキラキラ感が違う。

……でも、当時の僕は受け入れていた。これが正しい形なんだって思っていた。強い人間モテて、強い人間がいろいろ持っていくのは当然だと思っていた。僕だって京都大学合格した時は、中学校や高校先生や後輩から神扱いだったし、親族からもすごく褒められたし、母親は泣いていた。

でも、違うのだ。大学保証する個人能力というのは、実社会必要な力のせいぜい20〜30%だ。ほかの能力面がダメだと社会では通用しない。



結局、在学中に目立つことはできなかった。自信が持てるような体験はなかった。学業成績は中の中ほど、アルバイト先は今は亡きマクドナルド河原町三条店で、そこでは全スキルをほどほどに鍛えた。就職活動はコツコツとやって、結果は京都銀行内定した。しかし、自分という存在確信がもてないまま、あっという間に四年間が終わっていた。

銀行でのことは話したくない。嫌な思い出だし、気が付けばすごい文章量になっている。増田でこんなに書いたのは初めてだ。

掻い摘んで話すと、社会一年から地獄だった。地方支店からキャリアが始まったのだが、預金口座とか、金融商品営業がまったくできなかった。

営業としての適性がなかった。ぜんぜんだめだった。当時の成績はゼロに近かった。ほかの同期は、月にひとつ以上は契約を取ってくる。高卒で入った男の子女の子ですらそうだった。

同期に馬鹿にされて、上司には激詰めされて、居場所がなくなって、しかしクビにはならない。いっそクビにしてほしかった。京都山間部に住んでいる親には「うまくやってる」と嘘をついていた。

三年目のある冬に、メンタルが完全にダメになって仕事中に交通事故を起こした。運転中に手が震えて、ハンドル操作ができなくなった。それで免許停止になってしまって、人事との面談では……もう雇い続けることは難しい、次やったら本当にだめだ、みたいなことを言われた。クビにはならなかった。

まだ次があるのかと思った。上司からは、「お前は京大からな!! 地銀に入る京大なんか珍しいからな!! できる!! なんとかしてみろ」と何度も言われた。

結局、次の交通事故を起こす前に辞めた。退職手続きはあっさりだった。相応のレベル会社らしく、有給消化や退職その他の手続きは出社しなくても全部やってくれた。今でも感謝している。



それから坂道を転がるみたいだった。どの仕事でも2年以上続かなかった。期待していた仕事でも、やってみるとぜんぜんダメだった。先日は、市役所会計年度任用職員をクビになった。現業仕事をするポジション剪定、伐木、廃棄物処分)で募集があったので応募した。

書類選考が通って、市役所役職者が面接をしてくれた時に、「え……京大なんですか……?」と愕然としていた。自分以外に応募者が10人以上いたけど、現場仕事経験自分でも内定を取ることができた。

もうわかっていると思うが、結果は散々だった。口頭での指示を理解できず、とんちんかんな行動を繰り返して、何度も怒られて、1ヶ月も経つ頃には役職の人に呼ばれて三行半を付きつけられた。

すんません……こないな自分が言うのもなんですけど、事務職やったら……」

事務職はもうパートさんがおるさかいあんたには任せれへん」

すんません

「頑張っとるのはわかるけど、次の職場ではもっと~」

会計年度任用職員の試用期間は1ヶ月だった。こういうわけで、先日見事にクビを切られた。情けない限りだ。いや、もう僕はこういう状態に慣れてしまった。これでいいのかもしれない。

これからも、アルバイトで日銭を稼いで、スーパーで閉店近くに八割引きになっている惣菜を買って、コンビニストロング無糖ドライを買って、二級品の梅干しを入れて、ウィルキンソンで割って飲み続けるんだと思う。



最後に知っておいてほしい。学歴仕事の結果には関係がない。最近読んだ『科学的な適職』という本で、アメリカ研究学歴仕事の結果の相関係数が0.1とあった、との記述を見た。つまりほとんど関係ないのだ。マイナス相関でないところは皮肉に感じる。

そろそろ仕舞いにしよう。こんなおっさん愚痴を聞いてくれてありがとう。適度なところで死ぬようにする。いつも布団に入る時に思う、「目が覚めた時に死んでいればいいのに」って、本当にそう思う。

 ――ああ! 誰かがあの肉からあの魂を取除いてくれないかなあ!――「造物主」が何かのはずみで手違ひをしたとしか思へませんからね!

未來のイヴ ヴィリエ・ド・リラダン (著), 齋藤 磯雄 (翻訳) P.99

3/21追記 この本の引用が上の言葉の元です。こんなところまで自分言葉じゃなくて申し訳ありません。



もし若い人がこの日記を読んでいるのだとすれば、学歴仕事能力関係ないって、それだけでも心に刻み付けてほしい。そうすれば、僕のような人間を少しは減らせるかもしれない。

anond:20230318103650

たとえば小学校高校3年間までの間の「現代日本人として最低限身についていないければおかしいはずの教養」を完璧に身につければ現代大学受験レベルなら早慶レベル、少なくともMARCHならアッサリ入れますし、それを受験生時代特別努力ではなくて人として当然の努力としていた人は卒業までストレートで辿り着くでしょう。

それじゃあMARCH現代日本人で溢れちまうよ😲

ですが多くの人は出来ません。

現代日本人として最低限じゃなかったのかよ😲

学校の授業時間が異常だから教師労働時間は減らない

朝8時半には朝の会(HR)が始まり、遅くても高校だと16時半頃に帰りの会で終了

普通に考えて8時半にHRが始まるって事は教師は8時前には出勤してないと準備が出来ない

そして、授業をするだけが仕事ではなく、普通にプリントを作ったり、期末テスト試験問題作成したり、職員会議もある

それは、授業の時間外にやらなきゃいけないのでどうやっても定時内に終わるわけが無い

特に小学校みたいに担任が全部授業をするとなると全教科のプリント作らないといけないだろうし、大変だと思う

おまけに部活動顧問である

今日も近所の中学を見るとこの時間なのに電気が点いていた

朝6時頃に出勤する教師も見かける

一体いつ寝てるんだろうか?

もういっその事、授業時間減らすしか解決策はないよね

8時17時で仕事が終わるように組む

授業開始は10時で授業終了は14時半

そうすれば教師負担も減るよね

そして、生徒が残れる時間も15時半までにする

残ってるだけで教師負担は増えるわけだし強制的に帰らせるべきだ

そして、登校は週に4日だけにする

残りの一日は教師が、プリント作成したり長時間会議したりするのに使えばいい

ネット社会で実際の労働時間を知ることが出来るようになったから、教員を志望する学生が減ってるんでしょ

いくら公務員だって言われても割に合わないしメリット無いもんね

どうせ今時の子は塾行ってるし、学校なんてこの程度でいいでしょ

これぐらいするべき

2023-03-20

anond:20230320120657

うーん、結婚or妊娠出産で(一旦)仕事辞める女の人は確かに多いと思う。

もちろん旦那側の仕事の安定&収入前提ではあるけど。

ただ完全専業は少ないんじゃないかなあ。基本子供小学校入ったら少なくともパートで働いてる。

2023-03-19

少年野球監督悪魔変えてしまった話

最初に言っておくと野球は今でも好きだし盛り上がって欲しいと思っている)

(あと文章が上手くないのはごめんなさい)


もう20年くらい前の話だが小3で地元少年野球チームに入った。

入った理由は単純で小学校の班登校で一緒だった先輩からアイス食べられるよって言われたからで今でもアホだと思ってる。

チームは一学年でチームを作れるかどうかくらいの人数でだいたいが小3~4くらいから入部する。

自分の学年は特別強くて県大会にも出場出来たくらいの実力があった。

それが全ての始まりだった。

つの間にか監督は変わっていて自分の学年を贔屓するようになり、自分の学年の人ですら三振すると尻やヘルメットの上から叩くようになった。

強くないといけないチームになってしまったのである

勝てばスタミナ太郎で自腹を切り負ければ即解散

それまでは年に3回くらいある地区大会とかが終わって最後打ち上げのような形でやることがあった程度。

まり内容を覚えてはいないがお別れ会で一人づつスピーチした際は若干嫌味な事を言ってささやか抵抗をした。

卒業して中学で一応野球部には入ったが上下関係が厳しく下手くそだが上級生というだけで威張る先輩に嫌気が差し2年で退部した。

けどやっぱり何かしらの形で野球に携わりたいなということで少年野球のチームに顔を出したときのこと。

自分の一つ下の学年は一人しかおらずあまり上手い方では無かった子が居たのだが、手伝いに来ていた友達の親からの子に関する酷すぎる話を聞かされた。

の子卒業をする前の最後公式試合に出してもらえなかったというのである

その時思ったのは自分たちの学年のせいだということ。

自分たちがちょっと強かっただけで監督は変貌し少年野球にもかかわらず一回も試合に出してもらえなかったのである

そして監督は実は野球の楽しさなんて教える気はさらさらないんだなと。

小学生という弱い立場人間を使ってゲームをしているだけなんだなと。

そして今でもその監督はその少年野球チームを指導しているという恐怖

2023-03-18

子どもスーパー万引きしてた

よく行くスーパー惣菜コーナーは、休日夕方~夜の時間帯はかなり混雑する。

そんな中、くすんだ幼稚園バッグを斜め掛けした女の子が一人でおにぎりコーナーを見てた。年齢は年長~小学校1年くらい。お母さんは離れたところにいるのかな?くらいに思ってた。

そしたらその子は目の前のおにぎりを掴んでバッグに入れ、そのまま走り去ってしまった。まさか目の前で子ども万引きするとは思わなかったので何もできず、呆然としてしまった。

こういう時子供を捕まえるべきなの?というか親はどうしてるんだろう、子供に「万引きしてこい」とか言ってるの?だとしたら万引きで捕まったことが親にバレたらもっと酷い目に遭う?そんな家庭がごく身近に存在してることが怖い。

anond:20230317233712

鈍いんだな。祖母、母、姉を見ていたから、小学校ときには「男に生まれてきて良かった」って言ってしまっていたよ。(どう考えても男が生きやすいって分かってたから。)

それを聞いたとき母親がなんとも言い難い表情をしていたな。面と向かって言うことじゃなかった。

うちの寄生虫が110万の壁撤廃発狂してて笑う

結婚した後もフルタイムで働くと言ってたのに、ちょっとバイトするだけでごまかしてたうちの寄生虫がいるんだけどさ。

子ども小学校に入ったから働いてよ、と言ってもずっーと「110万の壁があるから働くと損だから」とか言い訳にして拒否ってたわけよ。

今回それが無くなりそうだから働いてよって言ったら、バカからニュースも知らないし「嘘だ」とか言ってたけどニュース見せたらさすがに理解して、今は体がつらいとか適当なことをほざいて「絶対嫌だ」って駄々こねて発狂してる。

オレだってつらい中働いてるし、子どもの送り迎えとか家事もかなりやってるのに、マジ何なのこの寄生虫……。

最近るろうに剣心の「働きたくないでござる、絶対に働きたくないでござる」がチラついてマジでイライラしてくる。

氷河期世代勝ち組から見た「氷河期負け組

努力不足

他責思考

無気力

市場価値

無駄な上昇志向

だいたいこの辺が揃っていますね。

バブル世代、Z世代の使えない奴らも同じような傾向があります

たとえばパソコンがずっと使えない奴はこういう特徴が強いですね。

地道にコツコツ勉強していって少しだけ昨日よりもマシな自分になろうって気持ちがない。

突然神様からチートスキルを貰っていきなり世界最強になれたらいいなの世界観で暮らしている。

もちろんんそんなことは起きないという現実に対して「じゃあ自助努力しかいね」となれる人は氷河期世代でも勝ち組になれています

まあそれは単に若い頃に苦境に立たされても折れなかったどうかという形で篩にかけられているだけで、氷河期に立ち向かったから強くなれたというのとは違うのですが。

氷河期負け組が他の世代負け組よりも恵まれていなかったのは事実でしょう。

基本世の中の多数の人は負け組になるしかないような生き方をしています

たとえば小学校高校3年間までの間の「現代日本人として最低限身についていないければおかしいはずの教養」を完璧に身につければ現代大学受験レベルなら早慶レベル、少なくともMARCHならアッサリ入れますし、それを受験生時代特別努力ではなくて人として当然の努力としていた人は卒業までストレートで辿り着くでしょう。

ですが多くの人は出来ません。

世間ではMARCH卒業している人は勉強が得意な上位5%のエリート様となってしまます

高校数学理解し、まともに日本語の読み書きが出来て、外人に道を教えるぐらいは可能性、世界歴史新聞理解できる程度には知っていて、ニセ科学に騙されない程度の科学知識があるだけでいいはずなのに……。

そんな努力不足な大多数の無能人間たちであっても、その結果として本当に負け組になるかは時代ごとの余力で決まります

時代に余力があれば高校中退のボンクラであっても十二分な暮らしをして、ゆくゆくは出世の道が拓けることもあります

というかね、今の時代って昔より技術的にはかなり発展してるから「それなりの暮らし負け組でもする」っていうのは全然出来てるはずなんですよ。

ただその状態に対して自分の状況を冷静に分析するための知能を全く磨いてこなかった連中は「同じ小学校に通ってた奴が年収2000万円貰って高級マンションに住んでるなら同世代として俺にもその権利があっても良いんじゃないかな?それでどこまで生活が向上するのかは知らんけど」レベルのフワフワとした現状への不安を抱えてしまうんですね。

他人自分比較するのではなく、もっと貧しい自分もっと豊かな自分想像して、それに対してどれぐらいコストを払って生活を向上させる、もしくは努力を惜しんで生活レベルを下げるか、そういった損得勘定を働かせる発想さえないんですよ。

おもちゃ屋さんで子供が指を咥えて他の子供が買ってもらったものを羨ましそうに眺めているのと変わらないんですよ。

そんなんでどうやって勝ち組になろうっていうんでしょうね?

正直言ってどの世代においても多くの負け組負け組になって当然の生き方をしている。

それは「氷河期負け組」であっても変わらず、氷河期であってもちゃん自分人生に対して責任感を持って努力をした人は中間層ぐらいにはたどり着いてますよ。

それは氷河期が過ぎ去ってある程度転職市場も温まって来たあとになってからの繰り上がりかも知れませんが、そうやって繰り上がるための努力を続けている人は負け組脱出している。

それをせずに「俺は氷河期から」でずっとイジケている人達が口にする「氷河期だった俺たちを救うための特別な援助」というのはちょっとムシが良すぎませんか?

人生には様々な困難が怒るわけですから自己責任論で弱者を切り捨てているようでは皆で金と労力を出し合って国家というコミュニティを作り上げ維持してきた旨味がないというのは分かります

でも、勝手に「もう無理無理コールドゲームみたいなもんでしょ」と勝手試合を切り上げてしまった人達が「なんか一発逆転のボーナスチャンスとかないの?」とワガママ言うのは聞く必要はないかなと。

自分なりにやれることをやっている人間に失礼だと思います

氷河期負け組」が学習性無力感に打ちひしがれているのは分かるんですが、いつまでも氷河期から無気力になるのは仕方がない」で甘え続けるのは自分人生対して無責任すぎるんじゃないでしょうか?

ましてやそこで「俺たちは氷河期無気力になってしまった。俺たちの無気力責任はその時代にあるのだから、俺たちはその分何らかの優遇をされるべきだ。それはそれとして俺たちはもうやる気がないのでやる気は出さないぞ」と言ってしまうのは……。



ちょっとだけ追記

なんで今になってこんな事言ってるかって言うと、「氷河期世代負け組」と「非氷河期世代(勝ち負け問わず)」が氷河期世代負け組無気力に寄ってダラダラすることによって発生した負債を「氷河期世代勝ち組に払わせられないか計算している動きがあるから

これはマジで勘弁して欲しい。

それに対して「氷河期負け組問題氷河期負け組問題であって、それは氷河期勝ち組が蹴落としてきたというのとは違うんですよ」ということを皆に分かってもらい戦った。

「同じ世代椅子を奪い合ったんだから、お前たちがそれで負かした奴らの人生も面倒見てやるべきだろ」と言われても困ってしまう。

だってそうやって椅子取りゲームしてたのはずっとずっと前だし、それで今でも駄目な人達はその後の自助努力不足は明らかなんだから

新卒シーズン椅子が埋まっていたと言っても、その10年後の比較的温暖な時期に転職活動で新たな椅子を手にすることは出来たはずだ。

私の周囲にも「一度は負け組に転がり落ちたが必死努力で腕を磨き、実力によって結果を出して続けて、最初椅子取りゲームエネルギーを使い切ったような連中なんてとっくに抜き去り気にも留めていない」という理想的な「氷河期の元負け組」がいる。

彼らのような「腐らずに努力を続けた人達」に対して「氷河期から……」でいつまでもイジイジしている達の面倒を見ろというのはやはり不公平なんじゃないかと思うわけだ。

結局、私が言いたいのは「氷河期から負け組なんじゃなく、いつの時代でも負け組になっていた可能性が高い人達の面倒まで氷河期押し付けるのはおかしくないですか?」ということに収束する。

氷河期負け組が「氷河期から負けただけだし……」と言ってるのは単なる当事者供述に過ぎず、実際に他の世代に生まれていたら「バブル景気で浮かれてるし余裕だと思って……」「氷河期よりはマシっていうけどまだまだ……」と言い訳していたんじゃないかと思うわけだ。

こんな連中の負債まで氷河期からで負わされるのは溜まったものじゃないので、日本全体で面倒を見るべき「普通負け組」として数えてくれないだろうか?

という話だ。

小学校の頃読んだドラえもん学習まんがのあれは何だったんだ?

ドラえもんが尻をこちらに向けて突き出して打ち上がるように飛んでいくやつ

おぼろげになんとなく覚えがある

記憶いかもしれん

2023-03-17

anond:20230317120252

全国的なのか知らんけど住んでる地域小学校卒業式が袴が基本らしくて震えている。

子供小学校卒業するまでに廃れて欲しい。

周囲の機体が怖い

仕事に行くのが怖い。まわりの期待と自己認識のズレが大きくて、それに怯え続けてる。

これまでの仕事もこの期待値のギャプがつらくて辞めてる。

最初会社大企業システム部門だった。

まあまあ楽しくやってたが、4年目に入ったあたりでプロジェクトリーダーになった。たぶん上司は期待してたのだと思うが、それが重くて苦しかった。

  • 作業完了予定日を伝えるときに、本当にできるか自信が持てず不安になる
  • に苦しんで逃げ出してるのだろう。間に合いそうにないときに、なんとか解決策を考え出すときの心細さに耐えられない。
  • 不確実なことが多くて、次々と新しいタスクが発生するのが怖い。
  • 他の人はもっと楽な仕事してるのに理不尽さを感じる
  • 今回なんとかなっても、次はもっと重くなることを考えるとげんなりしてしまう。

これに疲れ切ってしまい、プロジェクト完了した直後に辞めた。


その後、友人に誘われたスタートアップ転職した。当初は「フラット組織からリーダーなんていない!」という方針を素直に受け止めて、適当なことを言い続けてた。組織が大きくなるにつれて、発言が影響力を持つようになってしまった。

  • 開発計画を決めるメンバーに選ばれる
  • 人付き合いが苦手で緊張するが、社外の関係者との調整も任される
  • 役員になることを打診される。軽い感じだったので、どれくらい本気かはわからない。

フレックスから裁量労働に切り替えてもらって働く時間を減らしてみたが癒しにはならなかった。


息苦しさが最大になったあたりで、別の友人に声をかけられて再び転職した。今度は外資系会社になった。

マネジメント職とプレイヤー職が分かれてるのが心地よかった。しかジョブレベルが上がって様子が変わってきた。

まだ辞めてないが、かなり疲弊してる。あと1〜2年で限界を迎える予感がある。


振り返ってみると、3〜4年くらいの周期で転職してる。これぐらいの時期に期待と自己認識ギャップに耐えられなくなって、逃げ出している。

仕事がうまくいっても幸運と偶然によるものだと思ってしまい自信につながらない。 一方で、まわりの期待は増していくのでどんどんギャップが開いていく。自己肯定感が足りないのかもしれない。

あるいは最初のうちは目新しさで誤魔化せてるだけで、慣れると魔法が解けるのかもしれない。


いつからこんな風になったか記憶にない。物心ついた頃からずっと患っている。小学校の時は、学校に行くのが嫌で毎日泣いてた。この時、親や教師に怒ら続けたのが原因かもしれない。学校休んだ日にやってはいけないことリストがかなりあった。

これはどうしたらいいんだ。なにか責任はないのにやりがいのある仕事はないものか。ChatGPTにはフリーランスになって仕事内容を自分で調整するのを勧められたが、うまくできる気がしない。

子供大学受験で失敗しました。

その一方で幼なじみ友達第一志望に合格しました。二人は同じ学部を目指していて、自宅通学できる学校は1つなので文字通り同じ大学を志望していました。

その事を伝えたときである友人は大学で一緒になれるといいねと言っていました。でも子供は落ちました。同じ幼稚園小学校と同じ環境で成長してきたのにここで差を見せつけられるなんて思いませんでした。中学は離れましたが、幼馴染は偏差値55くらいの学校で、子供高校受験で60の学校でした。子供は成績も良かったです。

近所で幼馴染みの子話題になっている場で子供もっと成績が良かったので合格できるはずだったと言ったらタラレバはやめようよと発言拒否されました。確かにそのとおりです。いくら優秀でも、受験は結果が全てです。幼馴染みの母には連絡していません。連絡もきません。お祝いの言葉を言ったほうがいいでしょうか。私は言いたくありません。

嫌な話を思い出した

人事異動のうわさでザワつく時期になりましたね(地方公務員です)。

この時期になったら思い出すのですが、「一般行政職だったにも関わらず小学校の用務員へ大左遷された男性」がかつていたそうです。

普段から分限免職に怯えている私ですが、人事異動の時期になるとこの話でまた吐きそうになります(用務員の皆様すみません)。

あーあー…

2023-03-16

anond:20230316154900

老いたら価値観を変えることは難しいなんて小学校保険教科書にも載ってることなのにな

重度の発達障害だけど将来自分高齢独身により狂う気がしない

ネットでよく独身のまま高齢になると狂うと言う説が唱えられている。

が、まだ26なので希望的観測が過ぎるかもしれないが自分はそうなるとは思えない。

自分ADHDアスペルガー症候群双極性障害を持ち発達障害に起因する癇癪持ち幼稚園から小学校中学校毎日のように暴力によるトラブルを起こし相手にケガをさせ介助員無しでは生活できなかった。

そのため高校生になる頃には自分を守るために老若男女問わず自分を全肯定しない存在とは付き合わない・会話しないライフハックを身に付けた。(相手と直接対面しないネット上は別)

B型作業所に通うようになった今でも周囲の人間に興味を持てず作業所に通い始めて5年経っても嫌いな人間以外の名前を覚えられない(嫌いな人間は逆に覚えられる)

小学校中学年になる頃には女は数多居る自分に口撃してくる嫌な存在、逆らう敵の中の一つだと思いお互いに嫌悪しあって恋愛対象に見る事も無く高校になってもネットを見るまで恋愛結婚を考えたことも無かったし恋愛結婚自分と結びつくことすら無かった。

魔法ロボットと同じマンガアニメの中だけに存在するファンタジーだと本気で考えていた。

はてなでこういう事を言うと叩かれると理解して言うが自我存在しないか全てにおいて自分服従する存在以外と付き合いたいと思えないしネットで見た性欲を消す薬を服用すれば性欲処理も解決する。 

自分障害者から薬買えないけどそのためのお金税金から出してね。

今通っている施設でも他の利用者との業務に関する内容以外一切の会話を絶ち両親と作業所職員以外とロクに会話をしていない。

そもそも他人から見られる・評価される・値踏みされるのが嫌いで自分の行動を他人に縛られたくない。

以前家族に連れられ服を選ばされたときも興味の無い服に時間と金を割かれるのが苦痛で仕方なかったし自分の金と時間を興味の無い事に費やすのが嫌で仕方なかった。

そのため自分結婚出来ないししないつもりである

女性に限らず老若男女問わず自分反論否定をしてくる相手と一緒に暮らすことなど出来ないし実際に家族に手を振るってしまたことが何度もある以上他人と暮らすことな不可能だ。

断っておくが自分は女『だけ』が悪いと言う気は無いし対象女性限定して批判するつもりも無い。

女も含めた老若男女全ての自分に従わない・逆らう・気に入らない・批判する存在を悪と見做し否定しているし職場のクソ五月蠅い男の先輩も障害者支援を充実させない自民党自分に出来る仕事を振らない世の中もみんな敵だ。

女は嫌い度ランキング的には下の方ですらある、自民党ホリエモン自己責任論者全般金持ちのが嫌いだしね。

そもそも結婚云々なんかより前記の癇癪による発達特性により就職絶望的なため障害年金審査に通り続けなければ生活が困難なためその方が関心がある。

現在障害年金と貯蓄・工賃を使った月10万円前後での生活を目指して貯蓄と倹約勉強をしている。

正直貧困で狂う方が余程心配だ。

まあ要は元から狂いきった人間はこれから更に狂って苦しむ事なんて無いと思うのだが希望的観測だろうか?

2023-03-15

東京適応できなくなりつつある

子供のころは、バスが1時間に1本しか来ないような山奥の村落に暮らしていた。大学進学で地方都市に出た後、就職で初めて東京に来た。その東京暮らし20年以上になる。

若い頃は東京での生活適応できていたが、今になって東京での生活に徐々に適応できなくなりつつある。


東京の何が問題かというと、第一に人の多さだ。俺はもともと人混みが苦手だが、歳を取るごとにそれが一層加速している。

新宿のような場所行きたくないのはもちろんだが、それよりマシな23区の外れの住宅街のような場所でもだいぶ人が多いと感じる。

俺がもともと暮らしていたのは、小学校の全校児童が30人にも満たないレベル過疎地なのだ

東京でも午前5時頃に散歩すると誰もいなくて快適だが、そのぐらい人がいない状態でないと俺は安らぎを感じないのだ。


第二の問題は、目と耳に入る情報の多さだ。どこもかしこ看板標識広告だらけで、脳がそれらの情報処理に追い付かない。そこら中から話し声や音楽が聞こえて頭がクラクラする。

子供の頃は、夜になると街灯の明かりもないような森の中の道を通って学校に通っていた。よく晴れた夜は星空がよく見え、虫の音だけが響いていた。

不思議なことに、東京喧騒が苦手な俺でも、虫の音ならいくらうるさくても平気だ。それら星空と虫の音に俺はずっと癒されていたのだと今になって思う。

東京にはその癒しがない。緑の多い公園などは東京にもあるが、あんなのは作り物で、本物の野山には遠く及ばない。人も多くてとても癒しにはならない。


そんなことで、外に出るのが嫌になり休日はすっかり引きこもるようになってしまった。若い頃は環境の変化にまだ適応できていたが、歳を取るとやはり自分田舎人間なのだと強く思う。


じゃあ田舎に帰るかというと、問題は三つある。

一つは田舎に帰っても仕事がないこと、

一つは20年以上も外に出た自分はもはや余所者なので田舎生活にも今さら馴染みにくいこと、

一つは妻が生粋東京まれ夫婦そろって移住するのがまず無理なことだ。

もし子供がいたら教育問題もあっただろう。

妻が東京まれなことが特に問題で、この問題夫婦で分かり合うことがまるでできないし、他のどこへ移住するにしても妻の方が耐えられなくなる。


そんなわけで東京でずっと耐えているが歳を取るごとに東京への苦手意識はどんどん加速している。そのうち耐えられなくなりそうだ。

在りし日のネットメンターに寄せて


あなたにはネットメンターはいるだろうか。あなた尊敬しているところの、例えばブログとか書いてる人で、考え方が人生の参考になるような人のことだ。

自分は今30代になったばかりだ。これまでにネットメンターは四人いた。それぞれ、当時は夢中になってブログを楽しんでいた。

今となっては活動をやめている人が多い。でも、やっぱり今でも感謝というか、これは灌漑というのだろう。自分という人間は、その人らの考え方を楽しむには齢を取り過ぎてしまったのだなぁ、と感じることがある。

今回は、素人の拙い文章になるけど、懐かしい記憶を堀り起こしてみたい。なお、皆さんおそらく存命だと思うので、ブログへのリンクとかは貼らない。迷惑をかけないためだ。



1人目 げっべさん

未成年の頃だ。当時、携帯電話を買ってもらったばかりの自分は、mixi登録していた。それで、コミュニティを探していたところ、「笑っちゃダメな時に笑っちゃう」というのを発見した。

どういうコミュニティかというと、文字どおり笑ってはいけないシチュエーションで噴き出してしまい、周囲から冷たい視線で見られた、恥ずかしい思いをした体験参加者が綴っていくのだ。

人間飲み会なんかで皆が笑っている時に黙っていたりするのは、まだ何とか許される。しかし、葬式最中にいきなり爆笑したりなんかすると、周囲の視線が冷たいだろう。このギャップはなぜ生じるのか。当時、中学生だった自分には新鮮な疑問だった。

それで、この当時から登録20数万人を抱える当コミュニティ管理人がげっべさんだった。過去日記を見たところ、ナチスドイツヨーゼフ・ゲッベルス宣伝大臣から名前拝借したと思われる。

過去日記で、いろいろ面白そうなやつがあったので覗いてみたところ、これがまた最高だった。視点が斬新で、文章力があって、知性が抜群だった。

あとは、この人はDLsiteでR18の同人作品を作って売っていたのだが、その関連で創作における女性性について語るところの新鮮みが凄かった。あんな論説は見たことがないし、今後も見かけることはないだろう。シロクマ先生でもメロンダウトでもフミコフミオでも書けない。基本読書の人ならなんとかなるかもしれない。

実は、メッセージを何度かやりとりしたことがあるのだが、当時中学生だった自分にも優しく接してくれて、まさにTHE★大人だった。神だった。この御方こそが人生最初ネットメンターだ。

30代になった今、久しぶりにmixiログインしてみた。友達だった約50人は全員mixi利用をやめていた。確認しなくてもわかる。確信があった。

プロフ画面を眺めていたところ、若かりし日のアルバイト先でみんなに可愛がられていた高校生の『ゆめちゃん』が、今では32才になっていた。あまりリアル現実だった。信じられないよ……。

感傷はなくて、温もりのある懐かしさがあった。薔薇香りや、紅葉の美しさがわからなかったあの頃の、子どもっぽくて拙いコミュニケーションの思い出が蘇ってきた。私は、あの頃はどんな思いで人生を過ごしていたんだろう。感慨が込み上げてきた。それから小一時間mixiの思い出めぐりを楽しんだ。

で、げっべさんの話に戻るんだが、今ではあの人について何となく理解できるつもりだ。おそらく、今でいうところの発達障害とか、自閉症とか、そういうTypeの人だったんじゃないか? と思う。いや、当時のメッセージのやり取りとか、あの人がDLsiteで売っていた作品を再度鑑賞したり、ほかにもいろいろ思い出してみたけど、たぶんそうだ。

いわゆる、人生を生きるのが難しいタイプの人だったと思う。でも、そんな苦しい状況の中でも、mixiで屈指の人数を誇っていたコミュニティ管理人を務め上げて、創作活動もしていて、何より哲学的かつエロティック日記が神髄の人だった。

今改めて、感謝を申しあげたい。当時は生意気な中坊~高校生だったと思いますが、いろいろとありがとうございました。



2人目 伴さん

この方を知ったのは、当時新卒で入った組織で苦悩していた時だ。偏差値45ほどの大学を出て、生まれ故郷市役所に勤めることになったのだが、まあこれが辛い日々だった。

地方公務員ってさ、どんな人が職場適応できると思う? ブクマカなら知ってるかもだけど、小学校中学校内申点が高くて、地元名門校入学できるような人が地方公務員に向いている。早い話、クラスリーダーとか、ムードメーカーとか、生徒会長とか、スポーツ万能とか、とにかく何らかの形で先生から高い評価を受けていた、そんな感じの人だ。

自分は違った。コミュ障だったり、ネクラだったり、納豆だったりして、クラスに馴染めなかった。「置かれた場所で咲きなさい」とはいうけれど、発芽すらしなかった。そんなモノが社会人になっても通用するはずがない。

そんな時に、伴さんのブログ出会った。この人は防衛省に勤める国家公務員だった。自分と同じく、公務員適応できないタイプ公務員。ただし、自分と違って仕事ができるし、頭はキレるし、嫁さんもいるし、お金持ってるし、なにより理想に向かって匍匐前進している感じが格好良かった。当時は、目に穴があくほど彼の記事を読んだものだ。

で、この伴さんは協調性のなさが災いして、職場でいろいろひどい目に遭っていた。それでも努力をやめない姿勢がすごかった。当時20代半ばだった自分は、それらを見習っていた。

伴さんのように米国株投資を始めて、FXも始めて、タバコを吸い始めて、仕事マウント取られたらニコニコと受け流して、いつの日か相手がボロを出したら攻めて攻めて攻めまくって、野良犬キャンキャンと吠えて逃げるまで攻め立てて、相手が討論中にメンチを切ってきたら大声で威嚇して、相手の傍まで寄っていって「殺すぞ!!」という感じでこちらもメンチを切った。

実際、自分が伴さんみたいに行動するようになって、みんなの見る目が変わった。前みたいに馬鹿にされなくなったし、男性ホルモンが増えたみたいになって仕事を頑張れるようになったし、実力が上がったし、今は市役所庁舎管理仕事をしてるんだが、上司から1件につき20万円までは好きに契約事務をさせてもらえるようになった。

さて……実は、自分は失敗した。伴さんがやってるみたいに、男性ホルモン全開で仕事を進めていったところ、致命的なトラブルを起こして仕事を干されたことがある。まあ、初めての大失敗だったから、結局許してはもらえたんだけどさ。あれは反省した。

今ではわかることがある。結局さ、人間で一番大事なのって、仕事ができることじゃないよな。相手尊敬するとか、嫌な仲間とでもうまくやっていくとか、話の通じないお客さんがいても精一杯やりとりするとか、悪いことしてる人がいたら怒ってでも咎めるとか。人間にはそういうのが大事なんだよな。

実力とかお金とか持ち物って、その人が死ぬ時には実質意味がなくなってるけど、人柄とか人格って、命が途切れるその瞬間まで残るじゃん。もしかしたら、あの世までもっていけるかもしれないじゃん。

実際、伴さんは、あの人が自ら言っていたように社会不適合者なのは間違いないと思う。いつも何かに怯えていて、他人視線が怖くて、しかし戦わずはいられない。いい結果を出し続けて、みんなをギャフンと言わせてやる、自分を認めさせてやる!! そんなスピリットでひたすらに頑張っていた。それは、自信のなさの裏返しだった。

で、結局この伴さんは、嫁と子どもがいる状態国家公務員を辞めて、民間企業営業として入って、しか通用せずに大失敗して1年で辞めてしまったらしい。その後は、「自営業としての記事代行サービスでメシを食ってる」みたいな記事を拝見した。

残念ながら、数年前のそれが最後更新になった。たまにサイトを見に行っているが、更新される気配はない。

伴さんに倣っていいこともしたし、悪いこともした。後悔していることもある。特に不用意な言動仕事仲間を傷つけてしまたことだ。

けど、伴さんがいなければ、男性ホルモンをめらめらと燃やす自分出会うこともなかったと思う。そんな体験がなければ、目の前の人間尊重すること、いたわること、常に気にして動くことに関心が向かないままだった。

そのことに気づかせてくれたのは、紛れもない伴さんだった。コミュニケーションを取ったことはないけど、俺はあなた感謝してる。本当にありがとうございました



三人目 高田机上さん

2018年頃から活躍しているブロガー2019年頃だったか自分恋愛のうまくいかなさに悩んでいる頃にブログを拝見した。確かバズった記事があって、はてなブログトップの方に載っていたのだった。

恋愛一般論から始まって、男性ダメなところを取り上げたり、女性の心の視点に立ったり、恋愛必要な各要素(清潔感とか...)を論じていったり、男女の付き合い方を細々と説明していたり……。

当時は、これだ!! と思った。ここまで体系的に男女別の視点から恋愛を論じたブログは初めてだった。恋愛指南サイトは数あれど、それらはほぼ商業サイトであり、噓八百でも面白ければよかろうなのだ!!(勝てばよかろうなのだァァァァッ!!)、みたいな記事ばかりだった。でも、この高田机上さんは、元モテない男性として等身大自分を出していた。

が、風向きが変わってきた。2020年頃までは、恋愛Tipsを事細かにひとつずつ紹介していたが、次第にモテない男性バカにするような内容が目立ってきた。

特に2022年に始まった男女差LINE学がそうだった。LINE的に非モテムーブを取る男性を論い、ひとつひとつ侮辱的な言葉ダメ出しをしていく。挙句の果てには、女性がする恋愛上の遠回しな「お断り宣言」(婉曲な言い回し)を説明する際、自分の本の出版編集者に暗に断られた際の恨み言を述べていた。

半年ほど前から高田机上さんのブログを読むのをやめた。男女差LINE学長すぎやろ!! と感じたのもあるが、何より自分の読者層であるモテない男性馬鹿にしていて腹が立ったからだ。実際、この人の記事ブックマーク数はほぼゼロだ。昔はバズった記事があったけれども、近年は閑古鳥が鳴いている。

もし、男女差LINE学みたいなシワいコンテンツじゃなくて、もっと面白シリーズが出たら読もうと思っていたが、一時引退するらしい。「専業作家に挑戦し、なることができたら戻ってきて記事を書く」とあった。

ネットメンターには、こういうこともある。どれだけ面白くて尊敬できる人でも、年月が経つといろいろ変わってしまうのだ......。また記事を読ませていただく機会を楽しみにしています



四人目 在日琉球人さん

高校生大学生にかけて、この御方のブログを読んでいた。どの書籍にも書かれていない視点で、勉強になる内容が多かった。ほどほどに重たいテーマが多いけれども、たまに笑いもある。歴史政治を扱った記事が多い。

文字どおり沖縄まれの人になる。若い頃、大阪府大学生としてやってきたようだ。壮年なんだけど、文体は若々しい。なぜこの名前にしたかというと、琉球歴史鑑みるに、「自分沖縄県民ではなく琉球王国の一員」ということらしい。

mixiでは人気のブロガーであり、数年間活躍した後は、別のブログサービス転向した(はてなブログだ)。この人は、上の三人と違ってまだ活動している。個人的お気に入りブログ記事ひとつだけ挙げたい。

在日琉球人の王政復古日記

#成人式 より #未成年バカ祭り を!~ヤンキー花魁バカ成人こそ地元の宝である

https://nationoflequio.hatenablog.com/entry/2015/01/11/222419

この日記の日付は2015年だが、実際はもっと昔のmixi時代投稿している。当時の私は大学生で、これから成人式!! という時期だった。

上の記事の内容は、まさに目から鱗一言であり、この体験がなかったら、未だに「暴れる新成人」なるもの勘違いしたままだった。

さて、こちらの在日琉球人さんのブログだが、社会人になってからは見なくなった。理由は、更新頻度の低下だ。一応、それなりの頻度で更新はあったが、前の記事の焼き直しや再投稿ほとんどだった。新しい記事が生まれなくなったのだ。

で、その原因というのが加齢だった。本人談になるが、齢を重ねる度に気力が湧かなくなっていき……と、ブログ内で呟いていたのを覚えている。

私も、在日琉球人さんとメッセージのやり取りをしたことがあった。理知的で、ユーモアがあって、ごくまれにキレるけど、己の知性を高めるために日々尽力している人に思えた。自分よりもはるかに賢いはずの人間ブログ記事を書けなくなってしまうなんて、年を取るのは悲しいことなんだな、と若かりし頃は思った。

今でも、在日琉球人さんのブログは年に一度はぐるっと目を通す。やはり、斬新かつ奇をてらっていない。今でも世間通用するブロガーだと思うが、なぜかあまり人気が出ない。面白いと思うのだが。



最後に~

月次な結論になるが、やっぱり若いうちはいろんな価値観に触れることが大事だと思う。自分は、中学生の頃からブログを読むのが好きで、それこそいろんな人の日記作品を読んできた。勉強になるのもあったし、正直毒になるのもあった(ネトウヨやツイフェミがその典型)。

深夜に眼が重くなることもあったけど、あの日々では多くの学びを得ることができた……え、何? 個人ブログよりも書籍の方が勉強になるだろ、だって? それは言わない約束ということで。

はてなブログは週に一度はチェックする。書籍も好きだが、しか自分個人が魂を削って書いたブログの方が好きなのだ。これからもいろいろと読んでいきたい。

面白いうえに、人生のためになるようなブログ運営されている方々におかれましては、重ね重ね感謝を申しあげます。今までありがとうございました。これからよろしくお願いします。

anond:20230315175909

その選択はいつするの?小学校中学校?選ぶの難しいよね。じゃあ高校から大学から?それまでは教えないの?スタート遅れちゃうね。

って感じで、教育は最大多数が最低限の知識を有して職業選択やすくしてるもんなんだよ

もうすぐ30だけどまだ20くらいの気持ち

結婚したら責任感って奴が育つかと思ったけど全然だし

子供ができたって先週言われたけどまだピンときてない

 

小学校低学年の時、中学生はめちゃくちゃ大人だと思ってたけど

中学生になってみたら全然子供だったし

中学1年から見た高校生はめちゃくちゃ大人に見えたけど

なってみたら全然だったし

大学生になってもそうだったし

それが社会人になって、父親になるってなっても

まだずっと続いている感覚

 

人っていつ”大人”になるんだ?

はいつの間にか母の顔をしている

俺はそれについていけるか不安で仕方ないよ

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