はてなキーワード: 受験戦争とは
今考えると分かる。
あそこで「さっさと寝ろ」と言わずに「勉強するなら起きていてもいい」と言ったウチの親は馬鹿だ。
人間の体の仕組みが分かっていない。
そういう頭のおかしい人間に育てられたから私は頭がおかしいのだろう。
だが、昔の受験戦争では四当五落と言う脳みそが腐り果てた言葉が流行っていたと聞く。
この国はもう駄目だ。
頭のおかしい人間だらけだった時代が一瞬でもあり、その時代に優秀だった人間もまた頭のおかしい組に属していた国はもうどうしようもない。
キチガイがキチガイの子供を産んでその子供がキチガイを産むループが延々と止まらなくなる。
もうこの国は駄目なループに入っていたんだ。
ずっとまえから。
一度滅ぼしてリセットした方がいい。
つらい。本当につらい。
お母さんは大好きだ。だから自分も母とよく似た性格になっているんだと思う。だがそれが仇なんだ。
今日も些細なことがきっかけだった。喧嘩した。誰がどう見ても自分が悪い。そんなことは分かってる。
けど、人の悪態をついたり、被害者アピールしてきたり、関係ない過去のこと持ち出してきたり、論点をずらしてなにがなんでも言い合いに勝とうとしてきたり。すごく嫌なんだ。
でも、自分にそっくりなんだ。
まるで、自分の嫌なとこそのまんま見せられてる感じ。いつもそれを見て暗い気持ちになる。軽い鬱みたいな。
中学入学から今まで進路のことなんて考えたこともなかった。母に言われるがままに市内で一番賢い公立高校を目指すつもりだった。でも今は一刻も早く家を出たいと思ってる。だから市外の遠くの学校にいって一人暮らししたいとか思ってる。
高校生で一人暮らしってどうなんだろう。やっぱり親の助けがないとしんどいかな。
追記
思ったよりトラバやブコメでアドバイスや意見を頂けて驚いてます
大学に入るまでは「受験戦争に勝ち抜いた」という成功体験を糧に頑張ることができた。
しかし大学在学中~卒業以降は、これといって自覚できるほどの成功体験が何1つないことに気付いた。
仕事なんてうまくいかないことのほうが多いだろうけど、1つたりとも成功体験がないというのもいかに自分が無能・無力かということを思い知らされる。
成功体験がないから自信を持って取り組めない、だからうまくいかない、だから凹む、さらにうまくいかない、以下負のスパイラル。
(恋愛も自分から好きになった人とうまくいったことがないからそもそものアプローチのしかたがわからない→わからないからぎこちなくなる→魅力を伝えられない→焦ってうまくいかない→以下略)
私の住むA市は昔から貧しくて住民のガラが控えめに言っても悪い事で知られているらしい。(私自身は他県出身者なので伝聞で知るのみなのだけれど)
あまりにもA市が不人気なので地価が周りの市よりも大分安く、お陰で家賃も安いので、助かるが。
実は地価が安い事以外にもA市には良いところがあって、それは子育て支援が手厚いことだ。
狭い市なわりに保育園は充実しているし、料金も安価。ちゃんと機能している児童館があり、学童保育もあり、子育て支援センターがあり、公共のスポーツ施設では子供向けの安いスポーツ教室が多数ひらかれているなど、子育て世帯にとってはここは穴場だ。
それでも全体的に印象が悪いし、ベッドタウンとしては優秀でも仕事も無ければ遊ぶ場所もないので、あまり住みたい人は多くないらしい。
「こんな所に住んでると同僚達に対して格好がつかないので、地価が高くても保育園がなくても境界を一歩跨いで隣のB市に住みたい、と、旦那がゴネてて困る」
のだそうだ。
(ちなみに知人の家はB市との境界線のすぐ側にある)
子育て支援は充実しているが市は不人気で段々過疎りつつあるので、私の育児ライフは最初の数年はかえってとても快適だった。
運動公園、子育て支援センター、児童館、市立幼稚園、市運営する習い事etc.どこに行っても空いているので、のびのびと子供を遊ばせる事が出来た。各所にいる指導員さんや先生達も気持ちに余裕があって、おおらかに子供達と接してくれる。その為か土地の子供達もまっすぐで穏やかな子へと成長していっている様に見える。
ところがここ二年ばかりで状況が急激に変わりつつある。
というのも、子育て支援センターや児童館や市の習い事がやたら混む様になった。
その原因はというと、各種子育て支援事業がフリーペーパーやインターネットなどを通じで広く宣伝されるようになったからではないか?と私は見ている。
市運営の習い事に通う子供達のほとんどが他市の子供達で、A市の子供達が応募に受からないという事態になった。
元々A市は貧しく情弱の多い地域である。実は市内の幼い子を持つ親達はA市の子育て支援事業が充実している事を意外と知らない。
何もしらずに昭和みたいな密室育児や祖父母頼みの育児で頑張っている人が多い様だ。
A市の保護者は他市の保護者に情報戦で負けて各種サービスを受ける機会を逸している、ということ。
多くの子育て支援事業を納税者ではない人達が好きに使っている、というのがどうやらついに問題として行政から認識されたらしく、次年度からは多くのサービスで市外出身者の利用を制限する事が決まった。
子育て支援センター等で無料で開かれていたイベントや講習会などが一部取り止められたり有料化され、市民と市外民とで応募枠と料金が差別化された。
市運営の習い事にも市外民の利用には大きな制限がかけられる事になった。
そういう訳で、来月からはまたA 市の子供達とその保護者はガラガラな施設でのんびり遊んだり学んだり出来るという訳だが、今度は人が来なさすぎてせっかくのサービス予算が着かなくなったり廃止心配が出てしまう……。
A市の保護者で乳幼児を0歳から保育園に入れて朝から夜遅くまで働かなくて済む人は多くはなく、よって市営のベビーマッサージだの親子水泳教室だのは間違いなく閑古鳥が声高に啼いてしまうだろう。
そんな状況にもモヤモヤを感じずにはいられないのだけれども、それ以外にもとても気になるのが、市外から子育て支援センターや児童館を利用しに来る人々の事だ。
そういう人は殆どが職を持ち一年前後の育休中である。子供は小さい子は生後一ヶ月に満たず、大きい子は一歳くらい。
そういう保護者の話を聞いてみると、大体の人が沢山の施設をハシゴしてまわっている。
ある人は周辺数市の支援センターを全部周り尽くして、ここが最後の一軒だと言っていた。
一年程度の限られた期間そうしてベストな支援施設を探して放浪の旅をすることに費やしている。
ハイハイもままならない赤ちゃんをたった一、二時間遊ばせる為だけに、車で往復一時間以上かけて、育児道具フルセットを詰めた荷物を背負ってやって来る。
どこもかしこも気に入らないと言う。
曰く、どこも数人のママ友グループが出来ており、誰も話し掛けてくれない。
要は、一見でパーフェクトに快適な施設でなければ二度目はないという事らしい。
なんだか、受験戦争や就活的な逼迫感があり、育児の楽しさが無さそうだ。
一体何がそんなに彼らを追い立てるのだろう?
まず、
とか書いてる辺り、博士から東大に来たロンダ何だと思うが、なんで"とうぜん周りの人間は東大生ばかリ"なんだろうか?
東大の大学院なんて半分以上外部から来てるのに。まあ、ロンダも"東大生"といえばそうなわけだが、別に受験戦争勝ち抜いて来たわけじゃない(まあ、ある程度は上の大学だろうけど)
で
いわゆるマッドサイエンティスト的な雰囲気がそこにはあった。最高だった。
どこだよそれ。エア博士かよ
でも原発はもう一度壊れるかもしれない。そこには自然があり,生き物がすんでいる。
自分は,人間だけの都合でその環境を再生不可能な形に改変してはいけないと強く言っていた。
あの時,少しの呆れと絶望を感じたので,昨日まで会っていなかったのだろう。
これが一番ひどい。理系の博士なのに原発の危険性とかその意味とか全く無視でただの放射脳じゃん。
で、東大の博士取って高校教師?完全に研究者としてやっていけなかった雑魚じゃん。
博士持ちの高校教師が増えることは良いことだとは思うけど、実際問題、博士取って教師になるやつはまず研究まともについていけなかったやつしかいない。
前日の飲み会に比べて疲れたな。って感じたのは自宅で大学同級生と飲んだのと違って,
名古屋までJR使って足を延ばしたからかな。なんて考えながら帰ってきて,
夜中に酒による吐き気で起きた時に,気づいてしまったから書き残しておく。
高校の同級生と合うのはたぶん5年ぶり。31歳。結構あっていなかった。
高校時代,とても仲が良かったし,5年前までは毎年のようにあっていたので自分でも今年誘われたとき,
なんで5年も空いたのだろうか。と不思議だった。
メンバーは医師,某ビール会社の開発(肩書き付),トヨタの完全子会社のなんか出世が約束されたとこ。
世間的にみたらいわゆる受験戦争の勝ち組。医者以外は国立大(院)卒。
給料も手取りで1千万とか,ちょっと足りないぐらいだとか言ってた。
今年は4,5回海外旅行いって,元旦からもカンボジアに旅行に行ってくる。とか,
新しい車を2回ほど買い換えた。とか,今の日本の景気状況と比べたら別世界のような話をしていた。
でもなんか違和感があった。
石に刻まれた絵画,歴史,モチーフ。その壮大さに腰が抜けるかと思った。
シャムリアップの人々の生活は豊かではなかったが,良く笑っていた。
だまして売りつけるという空気感は無く,ラオスに通じるおおらかさを見た。
展示物を見た後に飯がのどを通らず,
うざい声かけしてくるおっさんタクシードライバーも,この戦争を乗り越えたんだと思ったら,
涙がでるかと思うぐらい,愛おしかった。
でも,そんな話は昨日の飲み会では通じなかった。
自分が行った時の話をさえぎり,俺もその場所に旅行したことある。で,どこのホテルに泊まったの。と別の彼は言った。
でも,家のマットレスを40万の良いものに変えたらどこの高級ホテルでも寝られない。といって話は違うところへいった。
どこに行ったのか。何を食べたのか。どこに泊まったのか。そのホテルの格は何か。どんな女を買ったのか。
いくらつかったのか。
どんな贅沢をしたのか。
すべての話は結局そこに落ち着いた。
結婚式を挙げるホテルはマリオット,ヒルトン,ウェスティン。どこが良いかな。
共働きの夫婦だから夕飯にいつも困って,こんな高いものを食べたよ。
でかい4Kテレビを買って,見るものないからyoutubeでスロットの解説動画をみてるよ。
どうでも良いことで悩んでいるんだな。と思って聞いていた。
でも,さっき気づいた。この話はすべて品評会だったんだと。
俺は他の男と違ってこんな金のかけかたができる。
こんなにも裕福になった。贅沢ができる。で,お前はどうなの?そう聞かれていた。
できない嫉妬なのだろうか。いや,絶対に違う。それぞれはしたければできない贅沢ではない。全部は無理だけど。
自分を羨ましがってもらって,自分のしてきたことは正しいことなんだ。
自分の経験値は間違っていないんだと正当化して欲しいだけなんだ。
東大で過ごした博士課程の3年間。とうぜん周りの人間は東大生ばかり。
でも博士課程に進学するだけあって,あまり,分かり易い欲が見えなかった。
でも,こんな経験がしたい。これが見たい。これが食べたい。これが知りたい。
そんな純粋な自分の欲求をみたすために,全員のベクトルは異なっていたが,貪欲だった。全力だった。
いわゆるマッドサイエンティスト的な雰囲気がそこにはあった。最高だった。
ベクトルが自分と違うから見えにくいだけで,そこには確実に,なるべき自分をそれぞれに持っていた。
高校・大学時代に勉強しておいてよかった。と昨日の彼らは言っていた。
いや違う。君らは何も先人たちの英知を学べてはいない。
ただ,学歴を勝ち取って,そこを卒業し,資格を取り,お金という対価を比較的短い時間と交換できるようになっただけだ。
今,自分が何をしたくて,どう行動して,世界にとって必要なものは何か。何も考えていない。
君たちの言う学問とは何か。世間でいう勝ち組,世間でいう高学歴とは,この人たちなのだろうか。
神を畏れることは知恵のはじめ。無知なものは知恵をも諭しをも侮る。
現勤務校にも,卒業高校にも,たまたまキリスト教高校なので,この一句が飾ってある。
勤務校ははっきり言えば底辺校,教育困難校。卒業高校はまぁまぁの進学校。
それは進学に力をいれるばかりに,キリスト教教育を怠っているからだと宗教主任は語っていた。
それを聞いたとき,あぁ,そうですか。でもそれは勤務校の生徒がアホだからでしょ。って思ってた。
でもこの評判は,正しいのではないだろうか。
自分はキリスト教徒でもない。若い時には宗教アレルギーも強かった。
とはいえ,聖書に書いてある諭しや教えの多くも,学問を通じて,経験を通じて,失敗を通じて気づけていた。
だから,受験で使わない聖書の授業は,宗教の授業は,勤務校の生徒がアホだから「教えてあげなければならず」,
アホじゃなければ「自分で身に着けられる」と勝手に信じていた。自分で作った宗教にはまっていた。
でも恐らく違うんだと気づかされた。
昨日の3人はおそらく,知恵をも諭しをも侮る,無知なもの。だと思う。勉強も仕事もできるはずなのに。
小さな自分の価値観を,他人に羨んでもらうことでしか確認できないようになったのはいつなのだろうか。
学部生の時に友人に「お前は資本主義の権化だ」と言われた。その時は全く理解できなかった。
だって何か特別なこともしてないし,ものを買った覚えもなかったから。
仲が良かったということは,すくなくとも高校時代のあのころは彼らも同じ価値観だったはずだ。
でも昨日の彼らは,いや,昨日の彼らも,資本主義の権化だった。見ていて・聞いていて辛かった。
自分は若いうちに言ってくれる友人ができて,師に会えて,幸せだったわけだ。
その後,学問の道にすすみ,お金はなかったし,挫折もしたけれど,
自分のやりたいことだけ,やりたい場所で,時間をつかえて自分を見直せてよかった。
大学で何を学んだのか。の差だと思う。教育はすごいと確信した。
5年間会っていなかった理由をこの文章を書きながら思い出してきた。
2011年に会ったとき,東京は計画停電と自粛ムードでどんよりしていた。
でも原発はもう一度壊れるかもしれない。そこには自然があり,生き物がすんでいる。
自分は,人間だけの都合でその環境を再生不可能な形に改変してはいけないと強く言っていた。
あの時,少しの呆れと絶望を感じたので,昨日まで会っていなかったのだろう。
昨日の飲み会で生じた感情もおそらく同じだろう。自分にとって残念であった。
学ぶ時間は大切だと痛感した。彼らは良い師に巡り合えなかったのだろう。
良き友人らと朝まで色々な価値観のもと,議論できなかったのだろう。
ただ,もちろん,彼らの価値観が間違っているわけでは無いと思う。自分と相いれないだけ。
でも,仲の良かった友人たちが忌み嫌う価値観のど真ん中にいたことは自分にとって残念でならない。
人間は,もっと自然から,歴史から,周りの人間から学んでいくべきであるし,そのために高等教育があるはず。
受験戦争に勝つことも,高いお給料をもらうことも,もちろん大切なことの一つであるが,それだけではない。
学問とは,大学とは,高校とは,教育のすべては本来そうあるはずだし,そうあるべきであろう。
君らの心は貧しい。と言ってあげるべきだっただろうか。たぶん笑わるし,理解されない。
飲み会の席で今の感情に気づいていれば,あの時の自分は言っていたのだろうか。
30超えたおっさんに説教しても変わらないのでしなかったと信じている。
熱く語って恥ずかしくなってもっと早く帰っていたかもしれない。たぶん,そうだっただろう。
なんだか教師としての道が見つかった気がする。
昨日までは教科教育に精一杯だったが,なんだかやりたいことが見つかった。
あの空間に自分の生徒を送り込んでやりたい。一人でも多くの若者に自分の価値観の狭さを実感して欲しい。
別に東大じゃなくてもその空間はあるかもしれないが,自分があの空間を経験したのが東大だから仕方がない。
少なくとも一昨日まではその空間が維持されていると聞いているし。
それは私自身が生きやすい世界のために必要な手段である。あくまでも自分のため。
もうすぐ息子が起きてくる。
親からみて
・大きい音が嫌いというかめっちゃ疲れる。耳栓を用意してあげても感触がいやで使わない。30m内に2つのステージからマイクで別のことをしゃべってる会場で気分が悪くなって倒れた。(ライブに行きたいというときこの体験を出し、かつ新聞記事のライブ難聴をおしえて参加を止めるか耳栓をもたせている)
・ある種の生地とか嫌い。逆にいやな生地でできてなければ体をしめつけすぎてても気が付かないことがある。靴をきつくなったから変えてとかのサイズ変更を言い出さない。
・味覚もわりと敏感。偏食。レストランのお冷の水で急に臭いといって怒りだし、もう出たいということがある。水道水をそのままつかっているのか、洗剤のすすぎが不十分なのか。家のは浄水器はもちろん、水道水にも文句をいったことがない。
・自分を含むグループへの批判的な比喩を文言通り受け止めて非常に嫌がる。「××する人ってまるで〇〇だよね」「〇〇なわけないじゃん!もう帰る!」一般的な認識であっても、また××はあきらかにおまえのことじゃない、といっても刺さったまま抜けない。
・風呂に5日くらい入らないので臭いというとやはり刺さる。泣きながらそれが登校前であれ風呂に入る。こっちとしては臭いものを臭くないというのはお世辞レベルで面倒なんだけど言わざるを得ない。
・疲れるとか寒くなるはずとかの予測がつかない。これは急に体力が落ちることとも関係するけど。「そんなに連日遊びにいったら疲れてまた16時間眠ることになる」など予告をしつこくしてやったらようやく自分の疲れ、寒さをすこしずつ受け入れられるようになった。
・スマホ親和性、電子ゲーム親和性が非常に高い。ルール通りだからだと思う。そのわりに、ボードゲームでの接待ゲームはわりと有効。
・人間の口頭による比喩・誤りや急な予定変更に弱い。スマホ指示の電車を乗り逃してパニック。むしろ人間よりスマホが好き(間違えないから)
・アスペとアスペは直接会話させたらあかん。どこかでそりがあわなくなったらどうしようもない。親友との絶交状を代筆させられた。どうしても潤滑油として「ふつうの、鷹揚な子」が必要だけどふつうの子にはあまり好かれないから集まりがち。カサンドラ母も実は疲れてるんだけどな・・。
・身体症状に精神薬は続けて飲めばそれなりに効いてる。というか、不眠がまずあったのかもしれない。添い寝をはじめたら夜中にビクンビクンしたり寝ながら泣いているときはすこしゆり起こすなどすることで安定して睡眠がとれるようになったらしい。
スマホの広がりでこういう子増えるんじゃないかな。というか、スマホがないうちはうちの子もこんなじゃなかったんだけど、高校のライン連絡がネックで買い与えたら急に宇宙人みたいになって1年たった。多少疲れてます。
いままできいたのはスマホを持ち込ませない添い寝と、薬と、あと受験戦争の戦士扱いから除外させてと先生にかけあうこと。
必死こいて勉強して、学校と自習室と家の往復。クソつまんねー毎日。
まあ受験に面白さを求めても仕方ないんだけど。テレビを観てる暇なんてなくて、逃げ恥のがっきー可愛いとか言うクラスメイトに愛想笑いしながら心のどこかで見下してた。星野源好きだよ〜とか適当に話合わせて。Twitterは二ヵ月前から開いていないし、増田も数ヶ月ぶりに開いた。
月曜日に言われた。絶対的信頼を寄せてる数学教師に、「現実を突きつけるようだけどお前はがんばってここ」と第二志望の大学を指さしながら。
毎日有岡大貴の話をしているジャニヲタの友人、an・anを買うか迷っていた彼女は第一志望A判定だった。
C判定の私は志望校を下げた方がいいらしい。無理と言われると、無理な気がしてくる。〝気〟ではないのかもしれないけれど。
残り少ない女子校生の余命を棒に振って勉学に勤しむ事に意味を見出すことが出来ない。てきとーに遊んでてきとーに勉強して趣味に時間を割いて入れる大学に入る事で周りが許してくれるなら、きっと受験なんていう制度は要らない。半年もない頑張りによる精一杯の背伸びで入った大学と身の丈にあった大学、どちら相応しいか聞かれると後者だが、受験戦争に巻き込まれた人間が目指すのは前者であり、勝ちとされるのも前者だ。
私はTwitterを更新し、snowで遊んでインスタを毎日更新しスタバの新作を飲んで三角チョコパイを食べて入れる大学に行きたかった、もしそれが許される環境だったなら。
許される、遊んで行ける所へ行けばいいじゃない。と形式でなく本当の意味で言える人間はきっと今のところ私の周りには1人もいない。
今日全然勉強出来なかった上に生理痛のダブルコンボでちょっとセンチメンタルな深夜。逃げ恥を見てるクラスメイトも今は勉強しているのだろうか。
一見理不尽に見える要求も自分の責任・自分の成長のためと捉えて受け入れる様は「この人は真面目だな」と思わせる部分だった。
東大まで進学した人の大部分は純粋に真面目でコツコツと勉強をした人が大半を占める、稀に天才肌で高3の時に初めて受験勉強して現役で東大合格の人もいるが。
小学校~高校までは真面目に勉強した人間が受験戦争を勝ち抜く、大学入学後も真面目に勉強した人が勝つ。
就活でもしゃべる訓練をすれば真面目に勉強した人が勝つだろう。
いかに要領よく仕事を処理し理不尽な要求を適当にあしらうかで勝ち負けが決まる。
真面目にコツコツは愚策だ、大事な部分だけ本気を出して他は適当にやるスキルが要求される。
上司からの理不尽な要求も適当にあしらえば「使えねーやつ・・・・」と思われて以後、理不尽な要求をされることはなかったと思う。
新人なんてのは「使えねーやつ」と言う認識をされるのが当たり前で恥ずかしがる必要はない。(向上心は持とうな!)
彼女が自殺してしまった原因は上司のマネジメントに大いに問題があるが、彼女自身の真面目さにも多少原因があると思う。
勉強のノリで真面目にコツコツ仕事をしていたら激務で精神的に追い詰められてしまったのではないかと。
真面目さは時に人を殺す。
仕事で精神的に追い詰められそうになってる人は一度、今やってる仕事で手を抜ける部分がないか考えるといい。
もし親しい人が仕事で精神的に追い詰められそうになってる場合は話を聞いて、一緒に手を抜ける箇所を見つけてみてはどうだろうか?
シャイ丸さんという方がいる。
好戦的なキャラでブログを始めた新星だが、でも言葉の端々に人の良さがにじみ出ている人(笑)。
その方がこんな記事を書いていた。
http://www.shiningmaru.com/entry/2016/04/29/212824
そして、これに反応して、ニャートさんという方が、次のような記事を書いた。
http://nyaaat.hatenablog.com/entry/2016/04/30/182924
この2つに記事を呼んで、ボクもなにか書かなきゃなぁ、と思った。
でも、自分で影響力あるブログなんて持っていないし、作る気もないので増田に書き捨てることにする。
そもそも、あまり発信欲みたいなものがなく、ブログなんてぜんぜんやらないので、
できればシャイ丸さんやニャートさんの目に止まって、感想を聞きたい気もするが、
まあ、誰にも読まれなくても良しとしよう。
というか、第二次ベビーブームの頂点といったほうがわかりやすいかな。
でも、勝ち組を目指す人には一つだけ、言っておきたい。
実力以上の学校には行くな。
学生ステージのキャリア論でボクが訴えたいのはこの一点のみだ。
ボクの場合、自慢じゃないが、
中学受験(一応トップレベルの進学校)も大学も、そりゃ多少は勉強したけども、
そこそこやって、それだけで入ったし、入学した中にそういう奴はいっぱいいる。
一方で、必死こいて入ってきた、あるいはラッキーパンチで入った人達もいる。
ただ、後者は結局入学後についてこれなくてドロップアウトするんだよね。
バイトで塾の講師なんかもしてたけど、だいたいラッキーでレベル上の学校に受かっちゃった人なんか、
中高でそれだと、結局まともな大学にいけないことに。
残念ながら地頭というのはあるんだよ。
これをわかってない人が多すぎる気がする。
ニャートさんはこのパターンでなないかな、と思った。
ボクのいた出版社なんてそんな有名大学ばかりじゃないどころか短大卒とかもいたよ。
大学だけじゃ決まらないから、人生潰すぐらいなら、それ以外で得点したほうが良いよ。
これも主張したいのは一点。
ニャートさんなんか、新卒でそのまま一生、が一番安定とか言ってるけど、
そんなことないと思うんだよな。
SHA●Pとか●芝とかでさえ潰れそうになるわけで、
たとえば45歳ぐらいで潰れたら、生活立て直せないよね。
でも僕らが新卒の頃はピカピカの企業だったわけですよ、あのあたりは。
ボクの入った出版社だって当時は人気職種だったのですよ、いまはひどい状況だけど。
でも、ボクは出版社を選んだことは後悔してなくて、
出版社って同業内の転職がすごく多い、って学生時代に聞いていて、
なので、入社してからも転職に役立つスキルは積極的に取り込もうとしてた。
いざというときに助けてもらえるような関係を作ることに注力した。
もちろん、会社を裏切るようなことはしてないけど、
積極的に仕掛けていったよね。
シャイ丸さんには恥ずかしくてお会いできないけど、
まあ、そのちょっと下ぐらいをもらいつつ、
将来的には2000,3000を目指せるような仕事をしている。
そんなわけでまだまだしかけていかなきゃならないキャリアの途中で、
もし、キャリアに悩んでいる人がいたら、自分の経験から2点のこと、
これだけ伝えたくて書きました。
あれなあ、ほんと考えれば考えるほど根深い。
最初に自分の意見を明白にしておくと、俺は恋愛禁止なんて人権侵害だし契約として不適切だと思っている。いつぞやのお泊りがバレて坊主頭にしたアイドルの件は、心底あれを許しているこの社会がヤバいと思った。しかしじゃあ過払い利息よろしく恋愛禁止契約自体を禁止すればいいのかというと、俺はそれでいいと思ってるんだけど、実のところ事はもっとずっと複雑なんだよな。
さしあたって恋愛なりお泊りなりがバレたアイドルが謝罪するのは、別に拳銃を突きつけられているからでも謝らなければ何千万円の違約金を取られるからでもない。前に恋愛禁止条項を破ったアイドルに事務所が損害賠償金を払わせることを裁判所が認めたというニュースがあったが、同様の裁判で逆に賠償を認めなかったというケースもある。司法的にもまだ結論の出ていない話ではあるのだが、いずれにしろ彼ら彼女らの支払い能力を超えるような巨額の賠償が認めれられることはまずないと言っていいだろう。では彼ら彼女ら――もっぱら彼女らではあるのだが――はなぜ公共に向けて謝罪するのか?
言うまでもない。それは一人でも多くのファンをつなぎ留めて自分の商品価値を守るためだ。処女性が失われた時点で去っていくファンがいる事は避けられないが、全力で謝罪すればその中の何割かは引き止められるはずだからこそ頭を下げる。こないだのベッキーとゲス男との不倫でベッキーだけが謝ったのも全く同じことで、あれを男女差別だという声もあったが別にこの件でそれは関係ない。そもそも不倫というプライベートな問題で男も女も第三者に謝る必要などないが、それでもベッキーが謝罪したのは不倫によるイメージダウンがゲス男にとってはさして痛くないのにベッキーにとっては致命傷になるからだ。その差はベッキーは清潔感のあるイメージで売るタレントでありゲス男はCDを売るアーティストであるという職業上の特性の差に由来しているのであって、男女の違いではない。
全く同じことがアイドルの恋愛禁止にも言えてしまう。アイドルが恋愛できないのは、あれこれ道筋をカットして結論だけを書くなら恋愛するとファンが離れてしまうからだ。である以上たとえ契約上の恋愛禁止条項が違法化されたとしても結局恋愛はできない(もしくはバラせない)という点はなんら変わりない。ファンはもちろん自由意志でアイドルを応援している以上、どんな理由でファンを辞めても咎められるいわれはない。恋愛を禁止されていなくたって、「私は彼氏作りません!」と宣言するアイドルに支持が集まるなら他のアイドル志望者もおそらくは「自発的に」それに追随するだろう。
英ガーディアン誌はベッキー謝罪に絡めて日本のタレント事情を論じた記事でこう評している。
彼らのほとんどは、様式的なエンターテイメントのスキルを持っていません。事務所にとっての彼らの価値は大衆からいかにヒトとして好かれているかという点のみなのです。ゆえに彼らのプライベートも事務所に所有されてしまうのです。
結局はここに行き着く。枷から飛びだして自由に恋愛も仕事も充実させるためには、処女性を求めないファンだけでも充分にやっていけるだけの実力を備えるしかない。
ところで、別にアイドルでなくてもこの日本に恋愛禁止という名の人権干渉はありふれている。恋愛禁止の学校、恋愛禁止の部活、恋愛禁止の会社……。特に社内恋愛禁止のルールは特に抗議の声も上がらず受け入れられていることが多いように思う。みんな大人なのに。
家庭内にすらそういう事はある。「恋愛なんかにうつつを抜かすな」と親から禁止されている子どもは決して少なくない。特に女子の被害者が多いだろうが、男子でも親が受験戦争に入れ込んでいたりするとなんでもかんでも禁止にされてしまう。
恋愛という、いわば究極的にプライベートな事柄に他者が干渉し更には禁止までしてしまうことに人々は慣れすぎている。恋愛禁止条項なんていうヤバげな契約が堂々存在できてしまうのもなにも処女信仰だけが原因ではなく、「なんらかのそれらしい理由さえあれば恋愛を禁止するというルールがあっても良い」と多くの日本人が自然と考えているからだ。いやはや窮屈な社会だよなあ。
当時は自分のことを、ハイスペで頭が良いのに傍若無人で破天荒な振る舞いをして、それでも何故か自然にみんなから好かれている人気者だと本気で評価していた。ハイスペな私はハイスペだったので受験戦争を勝ち抜き、高校から現役で数年に1人しか入れないような都内の大学のハイスペな学部のハイスペな学科に進学した。
東京での明るく楽しいキャンパスライフに想いを馳せ意気揚々と門をくぐったものの、そこには私の求めていたものはなかった。学業でも趣味でも同級生より劣り、その上クラスにもサークルにもうまく馴染めない。今までは何もしなくても良く出来たため、普段の授業に対して熱心に打ち込む習慣がなかったので自習などせず、成績は落ちぶれる一方であった。そして自分をちやほやしてくれるはずである先輩や同級生はみんな他の人を褒め称えるか、私の知らない世界で自分の道を見出してそれぞれに行動していた。私を凄い、凄いと褒めてくれる人はどこにも居ないのだ。寂しさを紛らわすべくかつての同級生に連絡を取っても、彼らの態度も高校時代とは比べものにならないほどよそよそしいものであった。ここで、彼らは私のことを特に好きではなかったし、私が他人に対して思っていたように私のことをどうでも良いと思っていたという考えに至った。そうか。校舎という閉鎖空間の中で面倒ごとに巻き込まれないようにうまく調子を合わせてくれていただけだったのか。それならば、自己評価にしがみついて生きてきた私より、彼らの方がよっぽど出来た人間だったのだ。
自分がハイスペ人間であるという認識は自意識過剰であり、間違っていることを受け容れてゆくことはとてもつらく、恥ずかしく、長い時間がかかった。当時の自分の振る舞いは所謂黒歴史カテゴリに分類され、極力思い出したくないものだ。
しかし数ヶ月前、歳納京子というキャラクターを知ってしまった。これは…!当時の自分が「なりたかった理想像であり自分がその様であると信じて疑わなかった立ち位置のキャラクター」そのものではないか!つらい。どこにいても心はもんもんサンミシェル
小学生の不登校児の割合が0.33%ということなんですが、これって恐らくずーっと来ない子の割合ですよね?
もしされていての0.33だとしたら、我が子のクラスはやはり異常ですね
親も子も頑張った結果なんでしょうけれどね
たまにきて優しくされてもって言われたら、じゃーどうすればいいんだって思う
遠足とか楽しい時だけ出てきてとか、運動会で一番目立つ位置にわざと立たせてもらったとか、子供たちから反発も出てる中
それでも皆でできるだけ良い環境を作ってるのに報われない
不登校って括られているけれど、個々に対応するべき案件なんでしょうけれど
不登校の子は、かつて低学年の時は普通に良い子ばかりだったので
今のうちになんとかしてあげないと、中学に行ったら受験戦争ではじかれて
難しいですよね
そもそも、元に戻れば
「女性が仕事と育児を両立出来ないから子供が産めずに少子化となっている、女性が仕事と育児を両立出来るようになれば子供が増える」って話だったよね?
んで仕事を続けたい理由は私立学費捻出のため、何故なら東京ではまともな親は皆中学受験するので公立は学級崩壊しているから、ってのが増田の主張だ。
OK、では考えてみよう。(地方を含めると面倒なので東京に限った話としてだ)
全ての女性が仕事と育児を楽々両立出来る世の中になったらどうなるか。
私立中の学費を捻出出来る家庭は増えるが、私立中の定員が25%ってのは別に変わらないわけだ。
結局受験戦争が激化するだけで、それを勝ち抜いた子だけが私立に入れて残りは公立、という構図は変わらないだろう。
私立の定員が増えるかもしれないが、それはそれで「底辺私立は公立と変わらん、上位に入れなければ意味がない」という構図になるだけ。
「私立中は皆入れるから差が付かない、私立入れるなら小学校からでないと!」なんて家庭も増えて、その分公立小のレベルは下がるだろう。
となると私立小は経済的に厳しい家庭すら「公立小は学級崩壊が、だから無理してでも私立に」なんて事になる。
って結果が想定されるんだが。
バブル景気(バブルけいき)は、景気動向指数(CI)上は、1986年(昭和61年)12月から1991年(平成3年)2月[1]までの51か月間
ただし、多くの人が好景気の雰囲気を感じ始めたのはブラックマンデーをすぎた1988年頃からであり[4]、政府見解では、1992年2月までこの好景気の雰囲気は維持されていたと考えられている[5]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%96%E3%83%AB%E6%99%AF%E6%B0%97
日本において、1971年から1974年までのベビーブームに生まれた世代[1][2][3]。第二次ベビーブーム世代とも呼ばれる[4]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%A3%E5%A1%8A%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%82%A2
→現在の41~44歳
バブル景気を1988年からと定義すると、当時は14~17才。学生。
1951年~1960年に生まれた世代が断層の世代とされており、人口は約1660万人
団塊の世代の次に現れた世代であり、高度経済成長の時代に育った。バブル景気も経験しており元祖オタク世代でもある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%AD%E5%B1%A4%E3%81%AE%E4%B8%96%E4%BB%A3
→現在の55~64歳
もううんざりだよ!