はてなキーワード: ヒロイックとは
ヤクザ映画や新撰組をイメージして、主人公達が成り上がり破滅して全滅する物語として監督が構想を練り脚本に依頼した所がそもそも失敗。
主人公の目的は達成されるべきだし殺すべきではない、そもそも主人公達にはっきり目標を持たせず流されるように動くようにしたのも悪い。
特に主人公はサブ主人公に理想も思考も託しており、敵に向ける人間味や外部への興味は薄く、自らの意思で行動しないまま最終回まで来てしまった。
2時間ヤクザ映画ならともかく四クールの長丁場の物語でこれをやるのはいけない。
世界設定も伝わりにくかった、酷い世界なのは解るが何をどうすればいいのか悪いのか視聴者には解らなかった。
主人公達が下層過ぎて目先の生存と利益を目指して進むしかなく、ヒロインも火星の目先の利益を掴む為に動くしか無かった為に、視聴者にも主人公達の目先しか見えず世界に関わる物語の目的が無かった。
一期は主人公達が成り上がり成功する物語だった、最終回では監督が脚本に希望を持って明るく終わらせろと依頼した結果驚くほどの御都合主義になってしまったがそれでも多くのファンに歓迎され受け入れられた。
しかし二期は一期で得たものを失っていきどんどん追い詰められ最後に破滅する物語だった、主人公は死にガンダムの首は切り落とされ晒し首のようにかかげられた。
監督の構想ではヒロイン達も含めて主人公サイドを全滅させ三日月を殺してエンディングが流れ、生き残ったライドがノブリスに復讐をして終わる予定だったが、脚本が救いが無さすぎると抵抗した為に多くの仲間が生き残り子作りや最終回Bパートが無理矢理捩込まれた。
キャラを救うためのこの中途半端さもいけない、悲劇をやらかすならとことん突き詰めた方がまだ物語としてまとまった。
逆主人公補正とも言えるほどに無理矢理主人公達が滅びに向かう中で、最終回Bパートの為に急に色々な物が主人公達に都合よく働き、何ともいびつで中途半端になってしまった。
無理矢理な救いは半年かけて主人公達がひたすら破滅する拷問に堪えた視聴者を救うほどの希望でも無かった。
敵に監督と脚本が感情移入したから二期は面白く無くなったと言う意見を見かけるが私はそうは思わない。
むしろ監督の興味が主人公サイドに集中し過ぎていた為に主人公達に時間を割き丹念に描写する反面、敵の最低限必要な説明を削り本編に入れられず、視聴者に愛されるように個性を描写された主人公達が描写が不足している敵に無様に追い詰められ滅びていく様子を見ると言う嫌な話になってしまったのだ。
強くするべき敵キャラも間抜けなヘイト引き受け役や主人公サイドの引立て役に使われ、強パイロットを作らなかった結果最強主人公を倒せるのが遠距離兵器のみになってしまいモビルスーツ戦も盛り上がらなかった。
脚本は確かに敵に愛着を持ったが、それは主人公の成長と変化を許さない監督の三日月へのこだわりの為に主人公を動かせず、監督がノーマークなので好きに動かせて成長させられるガエリオが面白くなった為だ。
ガエリオの活躍シーンはヒロイックで面白かった、監督の書きたかった変化せず感情もあまり表にださない強い主人公の骨太興亡物語と、脚本の書きたかったドラマチックな物語の食い違いを感じる。
結果他と関係を持とうとしない主人公からドラマの中心が動いてしまった。
しかしガエリオに尺はあまり割かれず視聴者に説明をされなかった為によくわからないキャラになってしまった、普通に見てたら何で最終回で急に車椅子に乗っているのか解らない、監督がインタビューで漏らすまで一期最終回時点で半身不随だった事すら解らなかった。
一期で一番面白くなかったのはドルトコロニー辺りだと思うが、監督と脚本が殺したかった主人公サイドキャラを殺させて貰えなかったと言っていて納得した、そのために中弛みしたのかと。
脚本が気に入った為に初期に殺す予定だったアインが一期のラスボスになり、初期に死ぬ予定だったガエリオユージンは最後まで生き延び、最後に鉄華団は生き延びた。
バンダイもドラマを削りモビルスーツ戦を増やすように口を出した。
(増田は共謀罪には反対の立場ですが、そこまで詳しく調べているわけではありません。ご了承ください)
この件についてなぜか思い起こされたのが、少し前にあった2chのなんJにおける炎上騒ぎです。ご存知の方も多いと思うので詳細は省略しますが、2chのあるクソコテが特定され、クソコテの雇った弁護士まで巻き込んで炎上したというものでした。
炎上といってもその方法は様々で、ネット上で殺害予告をする者、クソコテの住所や弁護士の事務所の前まで出向いて嫌がらせをする者、専用の掲示板やまとめサイトを運営する者、騒動に乗じてひと儲けを企むアフィカス、ようつべやニコ動にMAD動画を上げる者、果てはそれを観て草を生やすだけの者など多岐にわたっています。
どうやら現在の法律では、集団でこのような子供じみた嫌がらせをする事態というのはあまり想定していなかったようです。被害者にしてみれば毎日のように何かが起こって全く気が休まりませんが、個々の嫌がらせだけでは犯罪にならなかったり軽いものだったりというケースもあり、警察や裁判所の対応も後手後手に回ってしまいました。
何より難しいのは、この集団にはトップもいなければ指導体制も、指揮系統もないという点です。単に身内で目立ちたいからというだけの理由で、嫌がらせがエスカレートしていくことすらありました。
しかし、このネットイナゴの群れをひとつの集団として考えた場合、集団の総意として嫌がらせや営業妨害を行っている、とみなすことはできるかもしれません。
各個撃破するより、そっちの方がいろいろスムーズだと思いませんか?
いやそんな2ちゃんねらーのことなんか知らねえよ、と思われる方も多いでしょう。そんな気持ちの悪い集団みんなしょっ引いてしまえ、という意見も出てくるかもしれません。
しかし思うのですが、共謀罪の対象になるのも、そんな怪しい集団なんじゃないでしょうか?
「無実の人が捜査対象になる! 絶対に廃案にしなければ!」というノリだと、無駄にヒロイックかつ悲壮な感じになってしまいますが、おそらく現実はそんなドラマティックなものではありません。
一般人が対象になることはない、というのも全くの的外れではなく、最初に誰かが対象になるとすれば、やはり普通の感覚とはかけ離れたような、なんだかよくわからない不気味な連中なのでしょう。
明らかに白い一般人などどこにもおらず、黒ばかりに見える中、いったいどこで線引きをしていくかというような、一見地味ながらも苦しい決断になるのだと思います。
よく引き合いに出される治安維持法にしても、敗戦とそれによる権力構造の解体があったからこそ、今まで黒とされていたのが事後的かつ遡及的に白ということになったに過ぎません。
当時の感覚では危険思想の持ち主ですから、一般的には黒や限りなく黒に近いグレーという扱いであり、リアルタイムで最初から白だと思っていたのは彼らの同志やシンパぐらいでしょう。
それでも結果としては「無実の市民を検挙した」という覆しようのない事実が残ってしまいました。
この件について、自分に害がなければどうでもいい、という考えの方も多いと思います。ぶっちゃけ自分もそういう思いはあります。
しかし、どっかの誰かも言ってましたが、知らないものへの無関心や不寛容こそ、結局は回り回って自分の首を絞めることになるのではないか、という漠然とした不安はあるのです。
ったく上の世代の奴らは「恋愛しないヤツは人として~」とかマウンティングかましやがるからムカつくですぅ腹立つですぅギリギリギリギリギリ
(どうでもいいけど「ったく」とタイプるとき「たっく」って打ってしまうの俺だけ?)
しかもこの人らそもそも自分が「マウンティングしてる」とすら思ってないんだから激おこムカチャックノリスですぅ!んぁぁぁぁぁ!
あなたたち「恋愛」について連想するのが「改革」「反抑圧」「反体制」と連想してるんでしょ?ねえそうなんでしょ?
それふっるーいでっすから!ふるふっるぅぅぅっぅぅぅぅぅぅぅぅ!
一体いつまでロミジュリカンイチオミヤのごとく大迷惑気分だってーのよ!
ほんっと未だに恋愛を「抑圧からの解放」と思ってヒロイックに酔ってんじゃねーよベロベロ野郎!
あのねぇ、恋愛は今や「恋愛」は「抑圧」側になってしまったんだよ!(な、なんだってー!?
恋愛はむしろ「保守」「体制」となってしまったんだよ!(ななななんだってー!?
人気女性アニメキャラの変遷。(http://prehyou2015.hatenablog.com/entry/animagefemale)
上記の記事でのサンプルに採用されているアニメージュですが…個人的な印象として、【中高生オタ女子が一番手に取りやすいアニメ雑誌がメージュ】だったので話の流れ的に「男オタの萌えるキャラ」なのにそこサンプルって?と疑問を持ちまして…思わず読者男女比が気になりアニメージュの表紙を男キャラのみ/女キャラのみ/男女混合でカウントしてみた暇人です。結構面白い結果になりましたので公開します。
■参考にしたサイト様
ゆうゆうじてき(http://homepage2.nifty.com/yuyujiteki/etc/top.html)
NAVERまとめ:歴代アニメージュの表紙まとめ(2000-2016)(http://matome.naver.jp/odai/2143969576830905201)
年 | 男キャラのみ | 女キャラのみ | 両方 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1983 | 1 | 3 | 8 | 主人公&ヒロインばっかり。男キャラはバイファムのキャラ |
1984 | 1 | 8 | 2 | 女キャラ増えた。ラムちゃん、ナウシカ、ミンメイ、美沙さん等。男キャラは犬ホームズ |
1985 | 2 | 5 | 6 | 男キャラは犬ホームズとアムロ |
1988 | 4 | 4 | 2 | 参考サイト様が欠番だったので88年へ。他、ガンダム機体とトトロあり。男キャラはAKIRAの金田、ボーグマン、女性人気の高かった侍トルーパー |
1989 | 4 | 6 | 2 | 銀英伝表紙あり。 |
1990 | 1 | 7 | 4 | 男キャラ1はSDガンダム…格好可愛かったので1カウント |
1991 | 1 | 8 | 3 | 男キャラはポルコ・ロッソ…! |
1992 | 5 | 4 | 2 | 他テッカマンブレード。セーラームーン初出。ミンキーモモは1回のみ?男側多そうでいてサイバーフォーミュラの健全表紙だったりする |
1993 | 2 | 9 | 1 | ジブリ活躍中。男キャラはマイトガインとパプワくん(パプワくん不在) |
1994 | 2 | 5 | 4 | 他ジブリのぽんぽこ。男キャラは未来冒険チャンネル5とGガンのドモン |
1995 | 2 | 6 | 4 | ガンダムW初出。そしてエヴァが初出。数字には表れないもののやっと女性向けらしさじんわり。 |
1996 | 2 | 7 | 3 | スレイヤーズ初出。綾波率高い。 |
1997 | 1 | 10 | 0 | 他エヴァ初号機。ナデシコ初出。リナ・インバース率も高い。男1はアシタカ |
1998 | 1 | 8 | 2 | 他ラブ&ポップ(実写映画)で庵野監督&女優表紙アリ。CCさくらちゃん初出 |
1999 | 3 | 7 | 2 | 女キャラ側にto Heart出てた。男キャラはカウボーイ・ビバップとオーフェン |
2000 | 1 | 8 | 3 | 男キャラ側に最遊記初出。 |
2001 | 4 | 3 | 5 | 最遊記の登場により男キャラ表紙増える。 |
2002 | 0 | 8 | 4 | 増えたと思いきやザックリ消える。但しラクスいるから男女でカウントしたけどほぼ男子推し表紙なSEED初出。 |
2003 | 8 | 3 | 1 | >突然の男女比逆転!!< 男側の内訳はSEED、犬夜叉、初出ハガレン、最遊記。健闘している女子はでじこ、片瀬志麻、おねがいツインズの子達 |
2004 | 8 | 0 | 4 | SEEDの勢いがすさまじく女子のみ表紙は皆無に |
2005 | 9 | 0 | 3 | SEEDとハガレンの女子集客率が見て取れるしピンナップ感増し |
2006 | 5 | 2 | 5 | やっと女子のみキャラ表紙来たと思ったらNANAと別作品混合の女子表紙。 |
2007 | 8 | 2 | 2 | ここでやっと灼眼のシャナが2回女子のみ表紙に。シャナすごい。 |
2008 | 9 | 1 | 1 | 他、魚の身体なポニョ。一人健闘し続けるシャナⅡ。 |
2009 | 6 | 3 | 3 | けいおん初出。2回表紙をもぎとる。残り1回はマクロスFのヒロインズ |
2010 | 9 | 3 | 0 | 女キャラ内訳はけいおん×2回とアリエッティ。 |
2011 | 8 | 4 | 0 | けいおん×3回、ジブリのコクリコ坂1回 |
2012 | 8 | 3 | 1 | けいおん×2回、スマプリ1回。けいおんにより男性読者戻ってきた? |
2013 | 9 | 3 | 0 | たまこまーけっと、プリキュア10周年、ドキプリ |
2014 | 8 | 4 | 0 | 映画かぐや姫、けいおん、プリキュアオールスター、思い出のマーニー |
2015 | 11 | 0 | 1 | 両方の1は銀魂でかろうじて神楽ちゃん |
2016 | 9 | 1 | 0 | マクロス・デルタのフレイアちゃんと美雲さん |
※参考のサイト様にはそれ以前の表紙の掲載もありましたが、引用元様にあわせて1983年からカウントしてみました。見落としやミスが大いにあると思います。ご容赦ください。
■以下、所感。
・80年代はジブリ推しが多分だったり、元気な少年主人公の表紙があったりと割とほのぼのとした印象でした。ただし、魔女の宅急便のキキのピンナップ風とかあったしナウシカ様の人気も見えるというほのぼのの中のオタ感。
・女オタに人気だった(って聞いたことある)トルーパーも、普通な集合絵で特に女性向けのにおいを感じません。
・(金田の一枚絵ほしい)
・90年代。セーラームーンの存在感。単独表紙はうさぎちゃん、亜美ちゃん、セレニティ、はるか様でした。
・男性キャラのみの表紙、健全宣伝絵気味だったのがピンナップ的になったのはガンダムWあたりからの印象を受けました。当時ジャニガン(ジャニーズのような少年ばかりのガンダム)とか揶揄されてた記憶があるので…女性読者増えたんでしょうか。ガンダム強い。人気余ってXのネタを取り込んだことは有名ですね。未見なのでX含めてそのうち見てみたいです。
・エヴァは意外と綾波一辺倒でした。シンジくんはともかくアスカは…?今だとカヲル君も特集されるところですが、後方の登場からの人気爆発のせいか彼もいません。
・ということでWとエヴァでじんわり蓄積されていたかもしれない女オタ読者がハッキリと激増する様子が見受けられるのが2000年代。引用元様でも「2010年を過ぎたあたりから(中略)男のリビドーを感じない」と言われておりますが同感です。
・逆転の起こる2003年頃。男女比を調べるつもりとはいっても、男キャラのみ表紙の場合にだけ作品名をメモしていたのが、女キャラ側へと逆転したのは調べていて衝撃的でした。
・男性オタク側にヒット作が無かったわけではなく、むしろ(版権的あれこれもあるかもしれないんですが)あれだけヒットした涼宮ハルヒもらき☆すたもありませんでした…既に客層が入れ替わっていたということでしょうか。そういえば、まどマギもない…。
・SEEDとその続編という長期に渡るアニメが女性にヒットしたのは大きいと思います。そして併せ技で「鋼の錬金術師」、前後の押しに「最遊記」のヒットが表紙から読み取れます。SEEDとハガレン、人気ありましたね。
・上記の私の「中高生オタ女子が一番手に取りやすいアニメ雑誌」の印象はそのあたりで培われたもののようです。
・蛇足ながら、下に2003年以降の男キャラのみ表紙の場合の作品内訳も上げておきます。半端に略式で書いてますがご容赦ください。人気ランキングと照らし合わせると面白いと思います。
年 | 作品名1 |
---|---|
2003 | 犬夜叉、ガンダムSEED、最遊記R、鋼の錬金術師 |
2004 | ガンダムSEED、最遊記R、鋼の錬金術師、蒼穹のファフナー、SEEDデスティニー |
2005 | 鋼の錬金術師、蒼穹のファフナー、SEEDデスティニー |
2006 | SEED、今日からマ王!、ガンダムZ映画、コードギアス |
2007 | BLEACH、コードギアス、ヒロイックエイジ、おおきく振りかぶって、ガンダム00 |
2008 | BLEACH、ガンダム00、黒執事 |
2009 | ガンダム00、黒執事、鋼の錬金術師、ヘタリア |
2010 | 黒執事、ヘタリア、戦国BASARA、銀魂、おおきく振りかぶって、デュラララ! |
2011 | 戦国BASARA、イナズマイレブン、デュラララ!、TIGER&BUNNY、青の祓魔師 |
2012 | イナズマイレブン、TIGER&BUNNY、うたのプリンスさま、黒子のバスケ |
2013 | イナズマイレブン、黒子のバスケ、マギ、PSYCHO-PASS、銀魂、風立ちぬ、進撃の巨人、Free! |
2014 | 進撃の巨人、Free!、メカクシティアクターズ、ハイキュー!、ダイヤのA |
2015 | 黒子のバスケ、進撃の巨人、Free!、デュラララ!、うたのプリンスさま、終わりのセラフ、血界戦線、弱虫ペダル |
2016 | 鉄血のオルフェンズ、おそ松さん、銀魂、文豪ストレイドッグス、美男高校、アイドリッシュ・セブン |
昔、淀川長治が、マルクス兄弟について、「映画のコメディではなく、舞台のコメディ」っていったけど、「シンゴジラ」も映画である前に、シミュレーションの映像化。この監督が撮ろうとしているのは、「ゴジラ」という生物が出現したとき、対抗措置として作動するメカニズム。人間ドラマとか、入る余地はないよ。
戦車やミサイルだけではなく、大型未確認生物の日本上陸という非常事態に対処する官邸を中心とした官僚組織もメカ(機構)として扱われる。テロップではいる「内閣官房副長官秘書官」という肩書と「こんごう型護衛艦「きりしま」」という艦名は、その機能を現すうえで等価であるということ。劇中、ヒロイックな面もあるけど「内閣官房副長官」がたまたま「矢口」という人物だったのであって、「矢口」という人物の固有性は、ここでは意味を持たない。そこで俳優が演じるのは、固有の人物ではなくて、出世欲も含めて、その役職についている人物の類型を出ないが、それがシミュレーションを超えて「映画」であるうえで問題とも思えない。
ストーリーを進めるにあたり、言葉で説明し過ぎるのがこの映画の欠点だけど、前述した理由からストーリーの展開上、あまり大事ではない演者の振る舞いやセリフこそ、見るべき。市川実日子のあまり感情を見せないが、ないわけではない理系女子のもっさり感。高橋一生の一流大学院-研究機関と等質な環境で馬齢を重ねた人間特有のいい歳をしたおとこの学生気分の抜けなさ加減。ピエール瀧の、市川とはまた違った感情を表に出さない鈍重な顔をはじめ、自衛官役おしなべての顔の良さ。アメリカからの通告を聞くシーンで、撚れて「かっこ悪い」竹之内豊のかっこよさ、等。
映画として、大傑作かと言われると疑問だけど、自衛隊や官邸の組織について詳しく調べて、特撮映画としての「ゴジラ」に喰らいついてくるオタク、マニアが何を好むか、よく考えている。
あらゆる映画は、ジャンル映画であり、個々のジャンル映画は、固有の観客層を持つ。結局、大ヒット作もコアとなる観客層にターゲットを絞って、それを土台に観客を増やしていくほかないと思うのだが、テレビ・ドラマをそのまま映画館のスクリーンに映しただけで、そのドラマのファンが映画館に来た一時期のバブルのせいでそれが忘れられていたのではないか、と思った。ただ、そんななかても、固有の観客層に向きあう映画もあり成功事例もいくつかあった。今回はそのなかでも評判がひときわよかったものではないか。実際、小説やマンガの映画化の際、原作を念頭において見にくる客を当てこんでいるはずなのに、原作も読まずに撮っている監督もいるからね。それなら、はじめからオリジナルの脚本で創ればいいのにね。いったい誰が見るのかさえ考えずに、作っているとしか思えない映画が多いなかで、いい映画だと思うが、この規模での成功を納める後続する作品が出てくるのかな、とも思う。
***
無料で見られるテレビですら視聴率を稼げないのに、身内でウケたちゃちなアイディアをもとにして金のとれる映画をつくろうとする無謀なテレビ屋。制作委員会に名をつらね、誰でも思いつきそうな注文を並べるだけで、金を抜こうとする広告代理店。うすい内容をさらに前後編に分けて薄めてしまおうとする映画会社。本編とはまるで関係のない歌詞のサビを大音量で歌いあげる予告編。練りこみが足りず、登場人物が性格破たん者にしかみえないばかりでなく、物語自体も前半と終わりで話のつじつまがあわない脚本。そこそこ良質な映画でも、評判の立ち方が気に食わないとワースト映画に挙げたがるポーズだけの評論家。
矢口蘭堂の目のまえに、がれきの山が拡がっていた。遠い昔であるが、ハリウッドに次ぐ映画大国であったこの国が、いまでは見る影もなかった。
シン・ゴジラを観てきた。
実際にゴジラが現れたら、本当にこんな後手後手の対応に回るんだろうなというリアル感。
自衛隊が本気で攻撃しても倒せないという、お約束の展開をリアルに描くことで生まれる絶望感。
すごく面白かった。
ところでシン・ゴジラの評価として、エヴァっぽいという声をちらほら聞く。
オーどこに目をつけているんだいキミタチィ。
なぜそれが分からないのか、分かろうとしないのか。
と思うので思うところを書く。
エヴァと言えば言わずもがな、『セカイ系』と呼ばれたジャンルの最高峰である、と言われている。
セカイ系の特徴には諸説あるが、概ね、世界の命運がごく少数の登場人物の意思決定によって左右される物語だとされている。
時として世界の命運を左右するのは、数奇なめぐりあわせのために巻き込まれた、覚悟も力もない少年少女であったりする。
そこで生まれるドラマを描くのがセカイ系というジャンルである。
シン・ゴジラはこのようなセカイ系の特徴を徹底的に排した物語構成を行っている。
ゴジラと戦うのは民主主義の手続きによって選ばれた、国民の代表たる政府関係者と自衛隊である。
何を決定するにも会議を行い、議事録が残り、行動するには法的根拠が必要で、無いなら法案を作るという、民主政治のプロセスが正統に実行されている。
また、ゴジラは確かに脅威ではあるが、セカイを滅ぼす存在ではない。
自衛隊の装備で傷をつけられずとも、米軍の空爆でならダメージを与えられる。
それを使えないのはヒトの都合である。
第2、第3形態のゴジラを自衛隊が攻撃できなかったのは、ひとえに憲法9条下における自衛隊の不自由な運用のためである。
第4形態のゴジラに核を撃ち込めないのは、ゴジラが東京のど真ん中にいるからであって、要するに今まで都市のインフラに投資した金がもったいない、というだけの理由である。
もし東京が壊滅しようと、京都に首都機能を移転し大阪が経済の中心となって、日本という国はつつがなく回っていくだろう。
日本が滅ぶとしたら、劇中で指摘されている通り、株価、円、国債などの暴落によるデフォルトである。
日本の滅亡すらヒトの側の都合で起こる。
滅ぼさないのだ。
そんなセカイを滅ぼさないゴジラと、対策チームは不眠不休で戦っているのである。
なぜなら、誰もセカイを救う力なんて持っていないから。
普通の秀才の集まりだから、不眠不休で対策を立てても、勝てるか分からないのである。
できるだけ多くの協力者を募り、政府の研究機関や民間企業に情報提供し、他国へのコネを活用して、ゴジラを倒す作戦を立てるのである。
それが、セカイを救う力なんて持っていない、普通の日本人達のリアルだから。
なんのために戦っているかと言えば、仕事として、国民の生命と財産を守るために戦っているのである。
避難すれば命は助かるが、それは今までの生活を全て捨てることを意味する。
「簡単に言うなよなぁ」
とボヤかせるのだ。
だから、劇中の所々に見られる、主人公の演説も、ドラマ的な演出もなく淡々と行われる。
聴衆の歓声も、勝鬨の声も上がらない。
作戦決行直前の演説も、演説の内容は重大であるが、その光景はまるで中小企業の社長が朝礼で社員に演説するかのような様子である。
こうして観ると、シン・ゴジラは全然エヴァっぽくないということが分かると思う。
ゴジラが現れようが暴れようが、セカイは盤石だ。
それを倒すのにも、優れたリーダーの英断の下、日本の科学力、工業力、軍事力を集結すれば可能なのだ。
冗談みたいなIQの天才もいらないし、自己犠牲の特攻も必要ない。
国を守る覚悟のなってない、思春期の少年少女の出番など、どこにもない。
庵野はどうしてエヴァの映画を作るのを放って、これを撮ったんだろうか。
少年少女の意思決定が、そのまま人類の滅亡を引き起こしたりする。
そういう話の持つ面白さは、そういう面白さとして存在するが、きっと庵野はもう飽きたんじゃないだろうか?
それより、ヒトの社会の営みの豊かさ、力強さに惹かれてるじゃないだろうか?
そう言いたいんじゃないだろうか?
物語の全編から、もうセカイ系なんてやめよう、エヴァみたいな物語なんて作るのやめよう、というメッセージが伝わってくる。
そりゃ同じ人が作ってるんだから、同じような演出になるのは当然だろう。
上っ面ばかり見て、どうこう言われて、庵野も気の毒だね。
「小説家になろう」のジャンル再編の影響で、「ハイファンタジー/ローファンタジー」の定義について議論になっている。
http://syosetu.com/teaser/genre/
問題の原因は、「ハイファンタジー」の定義が、「異世界を舞台としたファンタジー」と「異世界の歴史や文化が作りこまれた重厚なファンタジー」とに分裂している点にある。特に、後者の定義を採用している人物が、Web小説やライトノベルのファンタジーを指して「あんなものはハイファンタジーではない」と発言し、周囲の反発を招くことが多い。以下、便宜的に前者を「舞台」派、後者を「重厚」派と呼ぶ。
まずは「小説家になろう」の定義を見てみよう。ジャンル改編に際しての説明の中で、「なろう」の運営は「ハイファンタジー」を以下のように定義している。
ローファンタジー
つまり「舞台」派である。異世界転移系の扱いについて当初は混乱があったが、「主な舞台」が異世界であれば、異世界転移系でもハイファンタジーに分類するのが、「なろう」基準では妥当だと思われる(実際に多くの作品がそう分類されている)。
次にWikipediaを参照しよう。
ハイ・ファンタジー (High Fantasy) は、ファンタジーのサブジャンルの1つ。「異世界ファンタジー」と呼ばれる事もある。
独自の世界観や歴史をもつ架空の世界(異世界)を主な舞台とし、現実世界(の直線的な歴史や風俗)とはかかわりが薄いのが特徴の物語で、ロー・ファンタジーと対比して使われる語句である。明確な定義ではないが、
ただし続けて、
として、「その世界に生きる者や世界の成り立ちそのものから作られている」「作品傾向としては重厚」「シリアスなトーンで進行する」「叙事詩(エピック)的である」「勢力の壮大な対抗をテーマとする」などの特徴が挙げられている。「重厚」派にも配慮した記述と言えよう。また、異世界転移系は基本的にはハイファンタジーに含めるが、ときに分類されないことがあるとも書かれている。
英語版のWikipediaも見てみよう。筆者に英語力は皆無なので誤訳もあろうかと思うがご容赦願いたい。
High fantasy is defined as fantasy set in an alternative, fictional ("secondary") world, rather than "the real", or "primary" world. The secondary world is usually internally consistent, but its rules differ from those of the primary world. By contrast, low fantasy is characterized by being set in the primary, or "real" world, or a rational and familiar fictional world, with the inclusion of magical elements.
ハイファンタジーは「現実世界」とは異なるもう一つの架空の世界を描いたファンタジーとして定義される。異世界の内側には一貫した法則性が存在するが、それは現実世界のものとは異なっている。対照的にローファンタジーは、現実か、もしくは現実に近い架空の世界の中に、魔法的な要素が内包されるという点で特徴づけられる。
ハイファンタジーにしばしば含まれる特徴的な要素として、「特別な才能を持った主人公」「ビルドゥングスロマン」「善と悪の対決」「エルフ・ドワーフ・ゴブリン・ドラゴンなどの種族」「魔法使い」「人工言語」などが挙げられている。
また、「異世界召喚もの」である『ナルニア国物語』は、こちらでもハイファンタジーに分類されている。
「重厚」派の一部には、「エルフやゴブリンが出てくるようなゲーム的なファンタジーは(始祖たる指輪物語を除いては)ハイファンタジーとは言えない」とか、「善なる英雄が悪を倒すというようなファンタジー(いわゆるヒロイックファンタジー)はハイファンタジーではない」とする者たちも存在するが、英語版Wikipediaの記述は彼らの主張とは異なるように思われる。
ローファンタジーの項目では、
The word "low" refers to the level of prominence of traditional fantasy elements within the work, and is not any sort of remark on the work's quality.
「ロー」という言葉は、作品内における昔ながらのファンタジー要素の度合いについて語っているもので、作品の品質についてのことではない。
などとわざわざ書かれていることにも触れておこう。
ちなみに英語版Wikipediaが「High Fantasy」の命名者として指定しているLloyd Alexanderのエッセイ『High Fantasy and Heroic Romance』(1971)はこちら。
In modern literature, one form that draws most directly from the fountainhead of mythology, and does it consciously and deliberately, is the heroic romance, which is a form of high fantasy.
現代文学において、神話という水源から最も直接的に流れを汲んだ一つの形態として、それは意識的かつ意図的なものだが、ハイファンタジーの一形態であるヒロイック・ロマンスがある。
微妙に訳しづらいのだが、要するに「神話を源流とするヒロイック・ロマンスはハイファンタジーの一形態である」としてしまってよいのか。
さらにヒロイック・ロマンスで高い評価を得ている作家として、『世界のかなたの森』のウィリアム・モリス、『ペガーナの神々』のロード・ダンセイニ、『ウロボロス』のエリック・エディスン、『マニュエル伝』のジェームス・ブランチ・キャベル、『ナルニア国物語』のC・S・ルイス、『永遠の王』のT・H・ホワイト、そして『指輪物語』のJ・R・R・トールキンらの名前が挙がっている。
ハイファンタジーの定義を具体的に説明している箇所は無く、あまり参考にならないような気がする。
実際に「ハイ=異世界」「ロー=現実世界」が明確に定義された最初期の例としては、R.H.BoyerとK.J.Zahorskiによって編纂された『Dark imaginings』(1978)の序文がある。
Dark imaginings: a collection of Gothic fantasy - Google ブックス
Dark Imaginings is also unique in bringing together two distinct types of fantasy under one cover: High Fantasy with its imaginary, secondary worlds and Low Fantasy with its realistic primary world.
想像上の異世界を扱ったハイファンタジーと、現実的なこの世界を扱ったローファンタジーという、二つの異なるファンタジーの類型を一冊にまとめている点もDark Imaginingsの特徴です。
これで少なくとも「舞台」派の用法が、ごく最近になって現れたものではないということが分かる。
もちろん、これをもって「重厚」派が完全に否定されるわけではない。
昔は「異世界を舞台にする」といえば「異世界の歴史や文化を作り込む」のがほとんど自明だったのだろうし、また現在ほどの多様なファンタジーの形式を想定していたとも思えない。
ただ、とにもかくにも現代においては「ハイ=異世界」「ロー=現実世界」という区分けのほうが、より明確で、より普及し、より平和であることは間違いない。
追記。
「ハイファンタジー」「異世界ファンタジー」を巡る問題についてはこちらも参照のこと。
『ロードス島戦記』は異世界ファンタジーではない……のかもしれない。 - 限界中年生存日記(仮)
追記2。
「舞台」派を採用するならば、多くの「なろう」系作品はハイファンタジーで問題ないと思われる。
多くの場合、ナルニアはハイファンタジーに分類されるのであるし、主人公の知識が現実に由来するものであっても、作品の舞台が異世界であることは紛れもない事実だからだ。
たとえば、ハイファンタジーの代表格たる『指輪物語』の世界は、現実の地球の古代の姿であることが明言されている。
『ハリー・ポッター』シリーズのホグワーツ魔法魔術学校は、まるで異世界のように描かれつつも、設定では「イギリスのどこかにある」とされる。
http://www.mangaz.com/book/detail/44121
2巻辺りの閉塞感と恐怖が好き。
http://www.mangaz.com/book/detail/74741
ヒロイックファンタジー。主人公のエルナは正統派だけどイヤミなく応援できる。
http://www.mangaz.com/book/detail/120651
閉塞した村での麻雀対決漫画。独自麻雀ルールがあるのが面白い。
少年漫画っぽい。表紙と違って中身は結構硬派でエロ度も低くていい。
http://www.mangaz.com/title/?query=%E7%9F%B3%E7%94%B0%20%E6%95%A6%E5%AD%90
正直結構読みづらい(武井直子に通じる読みづらさがある)んだけど、
テーマ性の深さがすごいものが多いので、多分まどマギとか好きな人にお勧めなのか?
http://anond.hatelabo.jp/20151019213445
「努力が足りないのだ」と叱責する者が多いが、まるで見当違いだ。あなたは全然悪くない。ユーモアのつもりであなたを責め、戯れ言に興じる小物たちの言葉など聞く必要はない。
なぜ魔法少女になれないのか。
なぜならそれは、魔法少女になった人間がこの世に存在しないからだ。あなたに絡んでくる者、あるいはあなた自身も、その残酷な事実を受け入れられない。いや、分かっていても分からないふりをして、虚構の世界と夢を守ったフリをして気取っているのだ。しかし、前例がないからといって、イコール魔法少女になることが不可能なわけではない。
あなたがこの世界で最初の魔法少女になればいいのだ。最初の魔法少女なのだから、自分自身がルールなのだ。ただし、「俺は魔法少女だ!」と高らかに宣言したとき、そこにいる観衆の大半が「こいつは本物だわ」と納得しなければならない(もちろん、他者を納得させる必要はないという論もある。しかしここでは取り上げない)。つまり、俺ルールを作り上げてもいいが、他者をも納得させる妥協点を探る必要がある。「魔法」とは何なのか。「少女」とは何なのか。その言葉が規定する可能性をどこまでも掘り下げ、2つの概念を矛盾なく結合させる点を探る。そしてそのプロセスを雄弁に語る必要がある。
困難な作業になる。しかし、不可能ではない。もし行き詰まるようなら、著名なテキストサイトの管理人やネタブロガーを見習うのがいいだろう。
「いや、そんな理屈をこね回してネタで魔法少女になりたいわけじゃないんだよ!」
その気持ちもわかる。だが、あなたの知っている魔法少女もそうやって出来たものではないとどうして言えようか。演出やエフェクトが描き出す「魔法少女感」の裏に、必ず、どうしたら「魔法」で「少女」に「見えるのか」という生みの苦しみがあったはずだ。そうしたネタ出しの初期の姿は歪で陳腐なものだったかもしれない。
何かを生み出す時には、つねに柔軟な発想が求められ、そうして出来たものを貫き通すことが説得力を生む。たとえばあなたの知っている魔法少女の中に、魔法は使わない物理攻撃型の少女はいないだろうか。しかしあなたは彼女を「魔法少女だ」と認識している。あるいは、もはや少女とは言えない体格の魔法少女もいるかもしれない。でも受け入れているだろう。それはどういうことだろうか? 契約をしたから? 体や装備が魔法体だから? 本当にそうだろうか? そういう説明をされる前から、あなたはコンテクストで「この子たちは魔法少女」と確信していたのではないか?
このことは、表現を受け取る側の人間も、相当に柔軟になりうるという事を示している。それは人間の美しいあり方でもある。柔軟になるだけのコンテクストを共有していない人間からみれば、その発信者も受信者も「宗教くさい」と蔑視されることもあるだろう。しかし、そのような美しくない眼差しを考慮する必要はない。あなたと、受け手が信じてさえいれば、そこには何だって降臨し得るのだ。実際、あなたは創作上の魔法少女という存在を、彼女らが与えてくれた感動と社会的ムーブメントを、虚像だとは思っていないだろう。そこに「ある」と信じることで物は生み出され、定義される。それは儚くも尊い、人間の壮大な営みの一部だ。魔法少女なんてものはその極致のようなもの。それに素直に憧れることができたなら、もう一歩先に進む人がいてもいいはずだ。
……ここまでの内容を消化し昇華するだけでも、魔法少女になれる可能性は十分あるだろう。だが依然として困難を感じている人も多いことと思う。それは、「魔法」というものに対して説得力を出すことが難しいためだ。
あらかじめ潰しておくと、「少女(見た目)」についてはどうとでもなる。仮に、あなたが男性だったとしても、いまは「男の娘」なんて言葉があるくらいに、男子が女子と見られるためのノウハウや文化の蓄積がある。あなたが青少年とはかけ離れた年齢だったとしても、歳をごまかすテクニックはそれ以上に長年の蓄積がある。なんなら手術という手もある。その上、それらが完璧でなくても、受け手の柔軟さを上手に喚起してやれば受け入れられるはずだ。あとは自分自身が自らの姿を受け容れるだけの精神性を築き上げればすむ。
だが魔法はすこし性質が異なる。魔法というものはこの世に存在していない。いや、ありふれていないと言ったほうが正しい。馴染みのない概念は、当然ながら受け入れるのが難しくなる。創作上の魔法を受け入れているのは、「これは創作だから」というモード切替スイッチが人々の頭についているからだ。とはいえ、現実世界にも「魔人」「魔法使い」と称されるような人間は存在する。スポーツ選手などが思い浮かぶだろう。しかし彼らは「魔」や「魔法を使える」存在ではなく、同じ人類だ。比喩的表現。つまり、同じ時代に生きている人類とは思えないほどの所業をやってのけることが「魔法」なのだ。「高度に発達した科学は魔法と区別がつかない」という言葉を引用するまでもなく、我々は魔法という言葉に魔法性を過剰に感じすぎているせいで、自ら「魔法」の枠を狭めがちなのだ。創作上の魔法は、ファンタジーと分類されることが多いが、細かい原理を説明していないだけの超科学が常識的に利用されている世界と捉えれば、SFと同列である。
とは言ったものの、我々のような凡人が、人々の目を欺くような超科学、最先端技術を操れるわけではなかろう。習得しやすいのはマジックような技巧の類だ。現実世界ではマジシャンが一番「魔法使い」の称号に近いところにいる。なので、順当に考えれば、「マジック少女」から「魔法少女」に昇華させる線が現実的に思える――ところがここで問題が起こる。我々の知っている魔法少女は、マジック少女のすごい版ではないのだ。人のために働く、助ける、守る、攻撃する、あるいは駆けつける、着替える、契約する、それらのタイミングで魔法が行使されるのが普通だ。なのでベースの行動をそのあたりに設定する必要がある。その際の「普通のやり方」を「魔法みたいにすごいやり方」に変えることが、魔法少女の必要条件だといえるだろう。ただ、これだけでは、「早着替えをマジックと映像技術で魅せるパフォーマー」程度どまりだろう。
魔法少女たるには、「魔法」的存在である事の他にもう一つ欠かせない要素がある。ヒロイックであることだ。すなわち、何かの使命をおびている。何かを背負って、何かに突き動かされている。別に世界を救うレベルでなくもいい。ご当地ゆるキャラ並の小さな使命感でもいいから、何がしかのパッションが滲み出る象徴的なキャラだと認識されなければならない。
さて、私の陳腐な魔法少女論はここまで。あとは「自分の頭で考えよう」。長年夢見てきたあなたの中には、きっと何らかの「魔法」の種火と、小さな使命感の欠片があることだろう。あと生まれ持った体と。それらの調理法を考えるだけの話だ。理想の魔法少女像との乖離は、きっとあとから埋まってくる。最後に叱咤の一言で締めくくろうと思う。
「努力が足りないのだ」
http://anond.hatelabo.jp/20150627125609
告発者の考えはどこにあるんだろうね
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyou/shougaishakoyou/index.html
この厚生省の文面見てもらえればわかるけど、
よーするに「企業は従業員数に応じて障害者を雇ってね★もしくはお金払ってね★」ってところなんだけど、
企業による社会貢献という面を考えても、例えめんどーでもこういうのって大事なんだわ。
税金だけ払ってりゃ良いってわけじゃないんだよね。
任天堂の障害者雇用という「企業として中心ではないけど必要な仕事」についてどう思ってたんだろうね。
猛烈に抗議したって言ってるけど、代案を提案してたりしたのかな?
「任天堂の◯◯部署なら聴覚障害者さんでも仕事出来ると思います」みたい事は言ったのかな。
まぁ、結局のところ厄介払いする事しか考えなかったんじゃないかなー。
自殺未遂の箇所以外は「上司はクソ、同僚は無能」みたいな内容にしか見えないんだよね。
「同僚に教育という名のパワハラしたら自殺未遂した。上司が揉み消した。怖くなって逃げた。アレは俺のせいじゃない、クソ上司のせい」
って感じにも見えるんだよねー。
自殺未遂に至った部署の皆さんは自分が加害者かもしれないって意識はあるんですかねー。
退職and告発エントリ書く暇あるなら聴覚障害者さんの直接様子を伺いに行ったりする暇もあると思うですよねー。
そうだとしてもせいぜい部長さんは一時減給レベルじゃないですかね。
もしクビレベルの問題があるならば、それは今の社長さんも一緒に引責辞任が必要なクラスの問題なんじゃないですかね?
と力無くつぶやいて、朝礼は終了しました。
これ見る限り、会社として障害者の方を雇う事の意義とか従業員に全然説明してない、
要するに体制を整えないまま税金対策的に障害者を雇ってこのザマなんですし。
私は夢という大義の元に人を死の淵に追いやる人・チーム・組織が作ったゲームなんて
これっぽっちも触りたくないなー。それが任天堂であろうが他所の会社であろうが。
そんな暇あったらお見舞いにでも行ったら良いのに。
伏線はあるし、キーワードに謎解きめいたものがあるから、そういった面や世界観的には面白い。
キャラクターもわかり易い個性付けされてるし、絡み合う人物相関も明かされる内に一喜一憂する。
が、面白いと思うけど、一番面白いというわけでもないのは王道漫画の読みすぎかも。
そして泣けるかどうかが非常にネック。
キャラに感情移入しているか、シチュエーションや個々のツボ、感性感受性によるから、泣ける人は泣けると思う。
が、どうもワンピースにおいては世界観萌え要素が強いせいか、キャラ達の織り成す物語も歴史書を読むような、
例えば目の前で太平洋戦争の資料映像を見せられても、資料と見るかドラマとして見るか位の違い有。
仲間とのシーンのヒロイックな場面が泣けるんだろうけど、仲間との王道たるヒロイック性に燃えないとも言う。
男の散り様とか、男がさりげない中で愛を告白するとか、ドリーミン過ぎるけど
女なので、タッチやめぞんみたいな正統派もうるっとくるし、異色所ではGOD SAVE THWすげこま君のラストも。
漫画は正直巻数が多いから薦めない。というか長編物は読むのに覚悟が居るからワンピース以外でも安易には薦められない。
何編が面白い?そこだけ読むと言われても、話が繋がらなかったりするから嫌な質問。
そもそも私自体、60巻越えで覚悟の大人買いでワンピースに着手した位のワンピにわかだし、大変。
俺なら鼻血噴いて倒れちゃうね。しかも600万前提で借りた住宅ローンが残ってるとか、血尿出ちゃう。
でも、単に「これからも年収額に大した負の変動もなく、安泰に暮らしていける」って方に賭けたギャンブルに負けただけなんじゃないの?
会社員+深夜のコンビニとか、増田でそれがキツいことを愚痴るようなメンタリティの奴がやってたら確実にぶっ壊れるでしょう。しかもそれで月収+9万って。税金や社会保険もその分上がるし、良いことないって。
同情はしないけど、思いっきり哀れんであげないと。ワープアレベルの敗者のくせに、どうして勝者と同じように振舞いたがるの?どうして中流ぶりたがるの?
5000万以上も借金して買ったものが減価償却よりも高速で値下がっただけでしょう?リスクは考えなかったの?
息子や娘、嫁に対して謝罪が1つもなくて、給料カットした会社が悪いとか環境に対する恨み節、自分の現状を嘆く言葉ばっかり。俺は悪くない、環境が悪いんだって自己満足だらけ。息子が、娘が、嫁が俺を辛く苦しいコンビニバイトをさせている、自分は壊れても家族を守るためだからっていうヒロイック症候群なんでしょ?
ほら、口座番号晒せよ。1000円くらいなら振り込んでやるから。倍の2000円がいいか?3000円までなら出してやるよ。クビになったら路頭に迷うような仕事しかしてないくせに、不動産業者と銀行に乗せられて5000万も借金した自分の愚かさを反省しろ。家族に謝れ。親戚に頭下げろ。そんなことすらできない屁みたいなプライドだけは一人前だから「俺がコンビニバイトして家族を支える!」だなんて愚行を続けてるんだろうけどな。
金を出すっていう行為は、その時点で、その先の行動責任を放棄してるんだよねー。
有効活用されればいいなっ♪っていう期待で終わり。
その金がどう使われたのかっていう収支報告などがあっても、その信憑性ってどうなんだろうねー。
結局寄付っていう行為は、身銭を切るという、ヒロイックな行為に自己陶酔してるだけに思える。
(まぁそれが悪いとは決して断言できないんだけど)
確かにホームレスと一緒にメシを食ったりすることが一番なんだろうけど、
ホームレスが自分より年上だと、その行為も嫌味でしかないんだろうな。
というわけで、俺としてはお年寄りにその辺の説教的役割を担って欲しいのだが、どうだろう。
市職員扱いとかでさ。
久々に増田に書いてみる。空気は読んでない。ていうか増田読んでない。
だった、というのは正確じゃないかも。今も生理的にそう感じてる部分はあるし、程度問題もある。いわゆる「悪しき日教組の洗脳教育の影響」ってやつ? 母親が小学校教師だからしょがない。
まぁ自分語りはいいや。
でさ、不思議だったわけ。ネットに本格的にコミットしはじめた2002年ごろ。ちょっと見回すとみんな再軍備派。気分だの「真実の暴露」だのに酔ってレイシズムに嵌ってる有象無象の雑魚はどうでもいいとして、尊敬できる知性の持ち主であってもけっこうそうだった。切込隊長とかな(失笑した人は年代に注意)。
「なんでいい大人がこんなコト言えるんだろう」「死ぬのが怖くないんだろうか」「殺すのが怖くないんだろうか」って。思った。
違うんだ。最近やっと分かった。
「いい大人」になっちゃったから言うんだ。
赤木智弘の言うこともわかるんだよ。よくある「違う時代に生まれていたら」ってやつ。ヒロイックファンタジー志向の妥協策。でもいまオレは27。常識的に考えて、27歳会社員は、戦場で死なないし殺すことにならない。さらに、現状で総力戦の気配は毛ほどもないのだから、事態がもし順調に推移したとしても殴り合いが始まるのは数年先だ。よほど戦況が悪化しても、オレの前線配属はあり得ない。残念ながら!
っていうのに最近気づいた。
つまり上の世代が言う「(もちろん戦争も視野に入れた)自衛隊改正論」は、要するに元万年補欠野球部員だったオッサンが地元甲子園球児に向けるまなざしに似てるんじゃねぇのかなぁ。あるいは「時かけ」なり「耳すま」なりを観て、賛否いずれにしろ過剰な反応を示すオッサンに。その欲望の三角形に、見事に当事者たる世代が嵌っちゃう、という図。もちろん自分の死と殺傷を度外視していいから、現実的(!)な判断ができるようになったッてーのもあるんだろう。
なんだろう。うぜーなぁ。