2016-08-07

庵野エヴァ虚構)を捨ててゴジラ現実)を作った

シン・ゴジラを観てきた。

実際にゴジラが現れたら、本当にこんな後手後手の対応に回るんだろうなというリアル感。

自衛隊が本気で攻撃しても倒せないという、お約束の展開をリアルに描くことで生まれ絶望感。

すごく面白かった。

ところでシン・ゴジラ評価として、エヴァっぽいという声をちらほら聞く。

この物語エヴァっぽい?

オーどこに目をつけているんだいキミタチィ。

エヴァとは真逆の話じゃんかよ。

なぜそれが分からないのか、分かろうとしないのか。

と思うので思うところを書く。

エヴァと言えば言わずもがな、『セカイ系』と呼ばれたジャンル最高峰である、と言われている。

セカイ系の特徴には諸説あるが、概ね、世界の命運がごく少数の登場人物意思決定によって左右される物語だとされている。

時として世界の命運を左右するのは、数奇なめぐりあわせのために巻き込まれた、覚悟も力もない少年少女であったりする。

そこで生まれドラマを描くのがセカイ系というジャンルである

シン・ゴジラはこのようなセカイ系の特徴を徹底的に排した物語構成を行っている。

ゴジラと戦うのは民主主義手続きによって選ばれた、国民代表たる政府関係者自衛隊である

何を決定するにも会議を行い、議事録が残り、行動するには法的根拠必要で、無いなら法案を作るという、民主政治プロセスが正統に実行されている。

ネルフみたいな胡散臭い特殊機関なんて存在しない。

また、ゴジラは確かに脅威ではあるが、セカイを滅ぼす存在ではない。

自衛隊の装備で傷をつけられずとも、米軍空爆でならダメージを与えられる。

当然、熱核兵器を打ち込めば瞬殺である

エヴァ使徒とは比べようもない、ただの生物である

ゴジラはセカイを滅ぼす存在ではない。

ゴジラを殺す兵器存在する。

それを使えないのはヒトの都合である

ゴジラを脅威たらしめているのは、ヒトの側の都合なのである

第2、第3形態ゴジラ自衛隊攻撃できなかったのは、ひとえに憲法9条下における自衛隊不自由運用のためである

第4形態ゴジラに核を撃ち込めないのは、ゴジラ東京のど真ん中にいるからであって、要するに今まで都市インフラ投資した金がもったいない、というだけの理由である

本当に、たったそれだけの理由である

からゴジラはセカイを滅ぼさない。

たか怪獣とき人類が滅ぼされるはずがない。

滅びるのは核攻撃の巻き添えを食う関東一帯の都市のみである

それも無人の都市である

住民は既に避難しており、直接的な人的被害はない。

日本人が生きている限り日本は滅ばない。

もし東京が壊滅しようと、京都首都機能移転大阪経済の中心となって、日本という国はつつがなく回っていくだろう。

ゴジラはセカイどころか日本すら滅ぼさない。

日本が滅ぶとしたら、劇中で指摘されている通り、株価、円、国債などの暴落によるデフォルトである

日本の滅亡すらヒトの側の都合で起こる。

ゴジラは何も滅ぼさない。

滅ぼさないのだ。

そんなセカイを滅ぼさなゴジラと、対策チームは不眠不休で戦っているのである

なぜなら、誰もセカイを救う力なんて持っていないから。

普通秀才の集まりから不眠不休対策を立てても、勝てるか分からないのである

できるだけ多くの協力者を募り、政府研究機関民間企業情報提供し、他国へのコネ活用して、ゴジラを倒す作戦を立てるのである

日本人の持つ力を集結させて戦うのである

それが、セカイを救う力なんて持っていない、普通の日本人達のリアルから

なんのために戦っているかと言えば、仕事として、国民生命財産を守るために戦っているのである

避難すれば命は助かるが、それは今までの生活を全て捨てることを意味する。

セカイの命運に比べて、実に些細な問題だ。

だが、劇中、その些細な問題に対し、

簡単に言うなよなぁ」

とボヤかせるのだ。

その些細な問題のために、命をかけてゴジラに戦いを挑むのだ。

仕事として、国民代表者として。

から、劇中の所々に見られる、主人公演説も、ドラマ的な演出もなく淡々と行われる。

ムードを盛り上げる感動的な音楽も流れない。

聴衆の歓声も、勝鬨の声も上がらない。

リアクションは、少し涙ぐむ程度である

作戦決行直前の演説も、演説の内容は重大であるが、その光景はまるで中小企業社長が朝礼で社員演説するかのような様子である

人類の命運をかけた、ヒロイックな戦いではないから。

自分たち生活の場を守るための、仕事から

こうして観ると、シン・ゴジラ全然エヴァっぽくないということが分かると思う。

ゴジラが現れようが暴れようが、セカイは盤石だ。

それを倒すのにも、優れたリーダー英断の下、日本科学力、工業力、軍事力を集結すれば可能なのだ

冗談みたいなIQ天才もいらないし、自己犠牲特攻必要ない。

国を守る覚悟のなってない、思春期少年少女の出番など、どこにもない。

庵野はどうしてエヴァ映画を作るのを放って、これを撮ったんだろうか。

エヴァセカイ系物語である

少年少女意思決定が、そのまま人類の滅亡を引き起こしたりする。

そういう話の持つ面白さは、そういう面白さとして存在するが、きっと庵野はもう飽きたんじゃないだろうか?

それより、ヒトの社会の営みの豊かさ、力強さに惹かれてるじゃないだろうか?

ゴジラときじゃ、俺たちの社会は滅ばない!」

そう言いたいんじゃないだろうか?

物語の全編から、もうセカイ系なんてやめよう、エヴァみたいな物語なんて作るのやめよう、というメッセージが伝わってくる。

だというのに、演出だけ見てエヴァっぽいの大合唱では。

そりゃ同じ人が作ってるんだから、同じような演出になるのは当然だろう。

それがクリエイターの持ち味なんだから

上っ面ばかり見て、どうこう言われて、庵野も気の毒だね。

  • 会議を「現場」と評していた低能がいたが、おまえもあいつと同じタイプだな 後方で指示を出すだけの奴が「命をかけてゴジラに戦いを挑むのだ。」とかほざくな

  • それを倒すのにも、優れたリーダーの英断の下、日本の科学力、工業力、軍事力を集結すれば可能なのだ。 いや、可能なように「作ってある」だけだから 「ゴジラごときじゃ、俺...

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