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はてなキーワード: ヒロイックとは

2019-11-02

ドワンゴslack事情

bot暴走中!】「Slack福利厚生」と言い切る、ドワンゴ流・Slackの超活用術とは
https://seleck.cc/1063

上記記事で取り上げられているように、ドワンゴslack文化はおそらく社外にいる人間が予想するより遥かにフリーダムである
そしてその自由さが何をもたらしたかといえば、一部雑談チャンネル2ch化だ。

その中で最も参加人数の多い雑談チャンネルは、なぜかは知らないが入社時に予めjoinされた状態であてがわれる。
全社的なお知らせをbotが拾って流してたりもするので、一見全員参加の情報共有チャンネルなのかなと思うのだが、そこで話されていることは9割型業務とは無関係な話である
まあそれでもほのぼのとした世間話が行われてるだけなら無害なのだが、時折Publicという意味理解できないクレイジーな連中が登場して場が荒れる。
ということもあってかこの雑談チャンネルから真っ当な大人は抜けるようになってきた。
結局、ルールのないネットコミュニケーションは同じ末路を辿る。

現職エントリ - 毎日わんわん
https://mi111.hatenablog.com/entry/2019/11/01/013545

この現職ブログslackに対する無理解について叩かれているが、slack業務連絡チャットとしてのみ利用している部署にとって、自分業務外のチャンネルで目につくのはそういうところである
そういう雑談に常駐してるのはほぼ同じメンツエンジニアなので、彼らがいつ仕事してるのかと感じてしまうのは無理はない。
しろこのブログ主は、開発現場を振り回しがちな番組制作者が多い中では、開発側に常に敬意を持って接している貴重な人だと思っている。

さて件の退職ブログであるが、あれが各論には同意できる部分があるのにも関わらず、一部の現職から強い反感を買っているのはこの投稿主の人となりにある。

この投稿主はmtgしろslackしろ、とにかく意見の異なる他人罵倒することで有名だった。
あの記事では一切そういう面を出していないので同情が集まっているようだが、彼のtwitter過去ログを辿ればその断片は垣間見れると思う。
たかニコニコの不遇と自分境遇シンクロさせてヒロイックに語ってはいるが、彼の場合は他の退職ブログと同列に受け取れないもやりがある。
しろドワンゴというゆるゆるな環境の中でこれまで許されてきた振る舞いが、体制が変わって許されなくなっただけなのではないか(それでも一般的会社に比べれば十分ゆるいが)。

今回の記事も含めてドワンゴ大企業病になったと評されることがあるようだが、個人的にはむしろ事業規模に応じてちゃん大企業になれなかった会社だと思っている。
川上はそういうことに興味がなかった。それでも金のあるうちはなんとかなってしまったのだ。
夏野になって良くも悪くもドワンゴ普通会社になりつつある。
それがニコニコにとって終わりに見えるのならば、そもそも終わる宿命だったのだろう。

2019-10-10

anond:20190524083033

ラノベの読者層が魅力を感じるポイント主人公サイドの非現実的活躍からそうなるんでない?

指輪物語場合基本的主人公サイドの力って現実人間の延長線上にあるものしかなく、そこから外れたガンダルフも縛りプレイ中。

そしていわば薬物的な凶悪な誘惑能力を持つ指輪を捨てることで世界を救う。

これはある意味現実にもあり得るドラマであり、アル中や各種依存症患者が立ち直るようなもので、地味だがほとんどの人間が失敗する偉業だ。

ハイファンタジーは別の現実において現実的アプローチ問題解決する物語であり、一方でラノベというかヒロイックファンタジーあくまで非現実の力を振るうことで現実にはありえない活躍を楽しむものって感がある。

2019-05-17

追記主人公自殺して終わる漫画教えて

主人公が自ら命を絶って終わるフィクション、できれば漫画を読みたい。短編だと嬉しいけど長編でも構わない。教えてもらえないだろうか。

先日、興味本位であるロリマンガを読んだ。女児レイプ犯が最後に手を繋いで練炭自殺するやつ。

気がついたら泣いていた。ひょっとすればあり得たかもしれない、現実自分との折り合いをギリギリつけて社会に適合できた可能性を、全て投げ打ってしまえば破滅以外に道はない。

毎日死にたいと思って生きているからか、フィクションで擬似的な自死を味わうとひどく安心できる。

16:00追記

色々教えてくれてありがとう

教えてもらったやつ確認してて思ったけど、自殺するというより、より厳密に言えば主人公が惨めに死ぬのが好きみたいだ。

トラバに上げてもらった、アイアムレジェンドとかはヒロイックすぎてたぶん好きじゃない(なんか言及URLとれんくてレスできんかったわすまん)

自殺じゃないけど、小説あなたのための物語」は好きな話だ。惨たらしい最期安心する。

引き続き募集してます

2019-05-09

anond:20190509103444

ライン工とかの裁量のない仕事につくべき

特にギリギリまで着手しないで雑な仕事持ってきて当人ヒロイックに酔ってるみたいなやつ

周囲が迷惑する

2019-01-27

anond:20190124010431

逆に考えると、ドラクエとかメジャーヒロイックファンタジーゲームって、最初から「その世界人間」が主人公場合が多いよな

この点、よく言われる「我々と同じ世界普通若者でなければ観客が感情移入しにくい」問題てどうなんよ

2019-01-23

anond:20190123095013

超能力使わないでも

重要インフラ国家機密に関わっていても、生まれつきの無責任さ、もしくは、賃金雇用形態の不満から「俺は知らない/興味ない」や「尋常ではないPC音痴」を発動する人や

俺はこの国を救うんだっていうヒロイック脳の人や

XXXちゃんがいうならと恋愛脳がいるか

でぇじょうぶだ

現実は地味な地味なソーシャルハッキングかつ個人起因のインシデント

2018-11-21

ガンダムウォーの思い出

最近MTGArenaでMTGを初めてやってみている。

で、やっている中で、中坊のころハマりにはまっていたガンダムウォーさんのことを思い出したので使っていたデッキや使われていたデッキを中心につらつらと当時の思い出を書いていく。

主にはまってたのは9弾 相剋の軌跡(2002年)~14弾 果てなき運命2005年)に少し入ったころくらい(だいたい中学3年間)。

緑=主にジオン公国。よく使ってた思い出。ジークジオン

ウィニー

ガンダムウォーに限らず、TCGでは高レアリティ必須カードが少なく、かつ動きな単純なデッキ初心者向けということである

ガンダムウォーではこの緑ウィニーがそのあたりの役割に大きなウェイトを占めていた。

そんな初心者向けカテゴリでも、思いのほか使っていて楽しいのはやはり、ザクとかザクとかザクとかがちゃんと使えるという喜びだっただろうか。

MTGやシャドバでゴブリン活躍してもあまりうれしさを感じられない(個人的感想))

もちろんフィニッシャーはシャアだった。っていうとカテゴリ的には「シャア専用」というカテゴリかもしれないが。

いずれにしてもザク活躍するのが楽しいゲームだったし、ドップやガトルという戦闘機も強くてあれこれ何のゲームだ?みたいな。

後年ではその強かったドップやガトルに下方修正エラッタが入り苦境を強いられたとかで、たぶん自分もそのころまでやってたら絶望していた。ドップやガトルでぶん回せない緑なんて…。

と思ったらそうでもないこともあったらしい。ロマン

https://www11.atwiki.jp/gundamwar/pages/529.html

ドップ・ガトルのクイックが消滅した際、各所で緑の弱体化を憂う書き込み殺到し、「緑消滅」とまで言われたが、エラッタ後の初めての全国クラス大会では見事に緑ウィニーが優勝した。消滅したのは緑消滅論者だった、という皮肉な結果である

緑水

ジオン公国にはご存知の通り多くの水陸両用MSラインナップされていて、それらが遺憾なく暴れまわったのが第11弾「蒼海の死闘環境

その名の通り「水」という効果が強化されて特にシャア専用ズゴックとかズゴックEとかゾック鬼のように強かった。

しかし「水」っていう特殊効果はどうなの。名前。ほかは「宙間戦闘」とか「速攻」とか「強襲」とか、それっぽいのに。「水」て。と当時も思っていたし今も思う

デッキとしてはシャアズゴとシュタイナーハーディズゴEが一緒に攻撃すると敵に防衛されずダイレクトアタックできて、かつ相手MSも1枚破壊できる。夢のようなデッキ

あとこのあたりのジオンMSは絵もかっこいい。

緑中速

ケンプファーのためのデッキ

ケンプファーかっこいいよね。ケンプファー

でも強かったのは高機動型ギャン(ジョニー・ライデン機)。

ティターンズザンスカール。Vガン見たことないのでタイヤ?ハハッ!ワロスと思いながら使っていた。

ウィニーバイク

激熱。

タイヤ」という特殊効果を持った軽量ユニット(=MSとかMA)をぶん回す夢デッキ。まあまあ強い。

飛んでいく打点が本当にけた違いで楽しかったしタイヤの群れになすすべもなく沈む連邦を見るのは痛快だった。

緑が正統派できちんとウィニーしていたのに対して、黒ウィニーはタガの外れたキレるナイフみたいなアツさがあってよかった。

赤黒ゴトラタン

ゴトラタンメガビームキャノン装備)という壊れカードで勝つデッキ

これでコントロールして粘ってフィニッシャー出して勝つ、みたいなTCGの楽しさを味わった気がする。

割られると死ぬオペレーション遊戯王で言う永続魔法カードで粘ったりリセットでドーンしたりも楽しい

大味さと繊細さを併せ持つ。

デッキ単価は高かった。

主にアクシズ

カウンターとかが得意。

ハマーン様が「さかしいな!」と言っている絵が有名。

もちろん、「さかしいな!」と言いながらカウンターする。楽しい

デッキとしては↑の通り黒と混ぜてよく使っていた思い出。

そんな感じで

だいたい自分が使ってたのはこんな感じ。

かに茶色(ターンAとかX)も使ってたけどまあそんなに楽しくはなかった。

ちなみに友人は青(連邦)とか白(W、SEED)とかヒロイックデッキを使っていてすみわけできていたのもよかったし、Zガンダムロングビームサーベル装備通称ロンビは許さな絶対にだという感じだった。

まあその後ガンダムウォーが辿った道筋はあまり明るくなかったようだが、それでもいろんなMSやらキャラクターやらが、

なかなかかっこいい書下ろしイラストで描かれていて、それも普通に使えて戦えてまあまあ勝てなくもないという、

結構いいゲームだった。

そんな感じで、中学時代GWで過ごし、それ以降懲りて紙のカードは買わなくなったもの大学では遊戯王TFをやり込み(ゲーム一本の値段で全カード遊べるのは本当に個人的革命だった)

今ではゆるーーくシャドバからMTGArenaをやっているし、基本無料でできるすげーという感じである

が、やはりGWのあの「ザクとは違うのだよ!ザクとは!(ドップ)」みたいな感じはもうなかなか味わえないなと、思ったりもする。

2018-11-01

anond:20181101171449

んじゃあ、あえて挙げなかった「ラーゼフォン」あたりを増田はどう評価するね。

コミュニケーションの擦れ違いで悲劇的な描写がそこそこある作品やで。

(だけど、ヒロイックなシーンが多いので候補に外した)

一応見ている前提で、見ていないのなら今から見てちょい語ってみてくれ。

2018-10-19

anond:20141005001115

ソローキンのみならず、20世紀以降のロシア文学は、19世紀パロディであるといっても過言ではないと思う。

そもそもロシア文学においては大元プーシキン西欧パロディをやっている。というよりも、プーシキンを読んでその背後にある西欧を読み取るのが正しい読み方。

プーシキンのすごいところは、パロディ翻案でありながらオリジナル凌駕しているところ。

オネーギンなんかもジュコフスキーから引用が多く見られる。また、本来韻文においてはヒロイックテーマ選択されるという常識を破り、世俗的な恋愛を描くというメチャクチャ実験的な小説だったということも補足します。

まりソローキンはなんら実験的なことをしているわけではなくロシア文学の定石をやってるだけで、なんら評価されるべき手法を用いているとは思えません。

彼の新しい点としては、単なる下ネタ文学偽装して増田みたいな人にありがたがらせたということかな。

ロシア語読めればわかるけど、彼のスタイル19世紀的で一見すると伝統的な文学に読めてしまうんですよ。

かにその点は新しいと思うけれど、それが優れているのかはビミョーです。

ロシアの諺に、背広を裏返して着ることは新しいけれど、それはすでに衣装の体をなしていないというのがあるけど、まさにそれだと思いますね。

2018-08-06

anond:20180806204613

男が死んでもダメだぞ

ブスもだめ

美人愛嬌があってヒロイック若い女じゃないと誰も同情しないぞ。

2018-06-30

無敵という属性を手に入れた我々はまつろわぬ者として迫害した連中に復讐を果たす

復讐?違うだろ。お前らはただ単に無敵という属性を手に入れたのではなく与えられたに過ぎない」

「急に与えられた無敵の力に酔って周囲へ奮って、狭い世界お山の大将であることに気付いてねぇ不良のガキと何にも変わらねえんだよ」

「お前は努力してその無敵を手に入れたのか?違うよなぁ?お前は無敵の力を得る努力なんて一切してなかったはずだ。ある日ポンッと与えられたんだよ、誰にだ?」

「それはお前が復讐しようとしている連中だよ。お前の無敵の力はお前が憎み恨み妬んでる連中に与えられたんだよ」

「お前が欲しかった思い出、青春、仲間、地位、金、愛情!」

「お前の無敵の力はそんな連中が与えたんだ!お前が無敵の力を奮おうとしている先はお前が夢見た理想の世界だ!」

「これは復讐じゃねえよなぁ!?ガキが単に駄々をこねて自分に気付け!気付け!気付け!と理想に向かって叫んでるだけだ!」

理想から自分に向かって近寄ってこいとワガママ言っているだけだよなぁ!?

あまつさえその理想が捨てられなくて壊してしまえと暴れてるだけたよなぁ!?

馬鹿かっ!理想に与えられた無敵の力で理想破壊したらお前はもう無敵じゃねぇんだよ!無敵の力を与えられる前の惨めなお前に戻るだけだ」

「そしてまた世界はお前を置いて理想へ向かう!」

理想に参加する権利を完全に剥奪されたお前を置いて世界は再び理想へ向かうんだ!」

「たった1回の無敵の力で無限理想を壊せるもんなら壊してみろや!」

というヒロイックストーリーの1シーン

2018-06-28

anond:20180628233607

ひとつだけ、はてこさんのBLOGを読んだにすぎない者です。

増田さん、増田さんこそ、とても辛そう。

辛いと書かずに、ヒロイックに逃げずに、淡々描写されているのが、いっそうかなしい。

2018-03-26

幸色のワンルームという作品について

最近ドラマ化するらしいが

現実誘拐監禁事件を下敷きにした作品であり、賛否両論だと聞いたので、

クジ〇ックス先生的な(失礼)陰惨な性犯罪を賛美する内容を、中高生が熱烈に支持するマッポーめいた状況なのかと思い、

どんな内容なのかweb版をざっくりと読んでみることにした。

作品の内容について

作品自体の内容としては、まず誘拐というのは完全なミスリードというか誇大広告であり、無知JCハイエースされてダンダンケされ、ストックホルム症候群に陥っていく…

というような内容では全然なかった。実際の事件との関係性も(少なくとも物語上では)全く見いだせない。

男側も色々病んではいるのだが、そもそもハイエースしてない上、少女自殺を阻止したり、レイプ被害から救おうとするなど、むしろヒロイックに描かれている。

同棲してるのも、家族少女虐待しているので、帰る家がないためだ。少女未成年なので犯罪犯罪なのだが、成人同士ならおそらく罪には問われないだろう。

じゃなんで批判されるのか

作品批判する友人に聞いたところ、実際の朝霞市誘拐事件発覚当時、これが短編として公開されたのが原因であるらしいと分かった。

作品冒頭の誘拐犯が少女に優しくし、しか少女は家で虐待されているという描写しかなかったので、事件当時、下種の勘ぐりで色々被害者批判されていた内容を、そのまま肯定するセカンドレイプとして捉えられたものらしい。

現在、冒頭しか読まないで批判してる人は論外としても、当時から批判者にとっては、その後の作品の流れで、実は誘拐監禁など全くしてなかったということが判明しても、

それは単なる後付け設定に過ぎず、寝技に掛けられたようなもんで、壮大な言い訳を聞いているに過ぎないということのようだ。

そのため、公開当初にこれを見て衝撃を受けた人と、後から知って話の全体構造を知った人とでは、まるで受け止め方が異なってくる。

このあたりの事情が分からないと、擁護側と批判側の話は食い違ったままになるだろう。

今後は?

私は人の善性を信じたいので、作者は何も考えていなかったか、またはセンセーショナル効果を狙って冒頭だけを無邪気に公開してしまっただけと思いたい。

あるいは、あまりに無神経な短編になってしまった事に気づき責任を取る意味物語の続きを書き、実際の事件とは関係がなく、誘拐監禁なども起きてはいなかったのだと明示したものと信じたい。

しかしそれだけで批判がやむことはないだろうから漫画が完結した時、またはドラマ放送された時にでも、きちんと詳細な釈明を述べるとよいのではないかと思う。

とりあえず、何でアレが批判されてるのか分からない人向けに書いてみた。

2018-03-24

anond:20180321152456

『幸色のワンルーム』についてさわりしか読んだことないし、ほうっておこうと思ってたんだけど、ドラマ化で叩きが再発というのが本当に残酷だと思ったので、書いてみる。

まず自分小説家志望の人間で、クリエイター側に寄った意見になりがちになってしまうことは予め書いておく。

(なお自分作風は『幸色のワンルーム』のような「危ない」ものではないため、作品へのバッシングについては正直に言うと他人事だった。ただ、だから「見捨てよう」と思ったとき、それは残酷なことではないかと考えなおした)

まず対象作品の発表またはドラマ化が悪である理由として挙げられそうなものを考えてみる。(この他にもあれば教えてほしい(⑤はほかの方に教えてもらって追記したものです))

事件被害者作品を見た場合セカンドレイプとなり深く傷つけてしま可能性がある

事件被害者以外の類似した事件被害者作品を見た場合セカンドレイプとなり深く傷つけてしま可能性がある

誘拐という犯罪を美化しており、誘拐を触発してしま可能性がある

誘拐という犯罪を美化しており、(家出している未成年など)被害者となりうる者の正当な警戒心を阻害する可能性がある

事件に対するセカンドレイプ正当化するもの解釈されたり、助長するため

上記可能性を検討する前に、まず罰について、確認しておきたい

罰について

確認する。

あなたがたは当該作品の発表またはドラマ化が悪であり、それを罰するために下記のような罰が適切と考えている。

上記の罰は作者の人生破壊するに充分なものであることはきちんと認識しておいてほしい。

小説は正直に言って仕事をやりながらでも書ける。けれど漫画創作の手間から兼業でやっていくのはかなり難しい。人生時間のうち多大な時間を消費し、途中で別のルートを選ぶことも困難になる。

そういった覚悟はもちろん創作者の側で用意しておくべきことだろう。けれど作品の発表中止を求めるのであれば、それがどういった影響を他者人生に及ぼすのか――特に同様の観点で作者や作品批判するのであれば――認識しておくべきだろうと思う。

誰かの人生破壊するから批判はやめろと言いたいのではない。逆だ。あなたには絶対に、「これはだれかの人生破壊してでも中止させなければならない」と確信してもらいたいし、たぶんそうあるべきだ。でなければ、ほんとうに残酷すぎる。せめて覚悟をもってください。

セカンドレイプ可能

さきに挙げた①、②はもっともな批判だと思う。そういう可能性は実際にあるし、そうやって被害者の方が傷付くのはまったく看過できない

意外かもしれないけど、この点について少なくとも自分はまったく擁護の術を持たない。

(一点だけ気になる点があるとすれば、多くの場合批判自身はこの「被害者」に該当しないこと。被害者セカンドレイプバッシングを受ける可能性を考えると、こうした「代弁」は非常に重要なことであるのは確か。

けれど例えば(正直に言ってかなり考えにくいと思うが)当の「被害者」に該当する人が作品ファンであったり、または発表の中止までは求めない場合、こうした処罰の代行が被害者を苦しめてしまうことにならないか、ということが気にはなる。

ただ、「代弁」をしない場合デメリットや上のような事態可能性の多寡を考えると、やはり代弁をやめるべき理由にはおそらくならない)

というわけで、①、②の理由から作品の発表やドラマ化の中止を求めるのは不当だ、という結論は少なくとも自分は導けない。

ただしその場合、お願いしたいのは、絶対に①、②のような可能性を真剣に考えて、真剣に徹底してください、ということです。

当たり前のことですが、①、②は誘拐に限りません。あらゆる犯罪災害被害者にありうることです。そしてこの基準に触れている作品は世のなかにかなりあります

もちろん時代もあります。いまほど創作物に求められる倫理的水準が高くなかった時代作品には残念ながらこうした危険はらもの存在します。

そして注意してほしいのは「この作品犯罪を描いているが、悪として描いており、美化していない」というエスケープは後述する③、④には適用できても①、②には適用できないことです。

作品が悪として描いていようが、美化していなかろうが、フラッシュバックや、被害者が傷付く可能性はなくなったりしません。

お願いですから、①、②の理由作品批判するなら、ほかの作品に対しても(もちろんあなたの好きな作品に対しても)徹底してください。その方法はお任せします。作品クズだと思うのでも、ゴミだと思うのでも、発表中止を求めるのでも。作品によって対応が変わることももちろんあるでしょう。けれどお願いですからあなた自身絶対に正しいと思えるやり方で、徹底してください。あなたが正しいと思えない基準によって、ひとつ作品が消し去られ、作者の人生が崩れてしまうのが、いち創作者として本当に耐えがたいのです。

犯罪の美化

③、④の可能性についてはいわゆる「ゲーム脳」などの「創作物が犯罪を誘発する」タイプの言説を抜け切れていないと感じる。

ここでもう一度確認しておきたいのは、あなたがやろうとしているのはだれかの人生破壊する可能性があるということ。推測によってだれかの人生破壊して、あとで(あるいは永遠に結論はわからないのかもしれないが)「間違ってました」では済まないということ。

③、④についてはできれば科学的あるいは統計的根拠があった方がいいと思います作品擁護のためではない、だれかの人生破壊しうることを実行するなら、その根拠となる推測が正確であることを確かめからやるべきだと思うからです。

不正確な推測を根拠にだれかの人生破壊するというのは、残酷なことだと思います

そしてもちろん、③、④についても①、②と同様、真剣に考えて、真剣に徹底してほしい。

「この作品犯罪を描いているが、悪として描いており、美化していない」というのも、ただ自分の好きな作品だけ免罪させるための言い訳として使うのはやめてほしい。それは不当なことです。なにかを罰するなら、お願いですから、その正しさを信じ抜いて、貫徹してください。お願いします。

セカンドレイプ助長(追記分)

⑤についてはほかの方(anond:20180324003900から指摘を受けたので追記した。

ただし正直なところ、単純にディベート的な命題の強弱のみを考えるなら、⑤は①、②の下位互換しかないように思える。

作品セカンドレイプをエンカレッジしたり助長するものであるより、作品のものセカンドレイプであるほうが、より悪であるということになるだろうし、より強い批判ということになるだろうから

加えて⑤の場合は①、②よりも批判者(つまりあなた)がより際どい位置に立たされることは意識しておいてほしい。

⑤の場合作品のものあくまセカンドレイプ的言説に利用・悪用されたに過ぎず、悪いのはあくまセカンドレイプを行う者たちであり、作者はそこに含まれない可能性があります

その場合あなたは作者本人は悪くないにもかかわらず、人生破壊しうる処刑をくだすことになります。わかりやすく言えば、あなたが逆に「加害者」となり、悪側の立場に立たされる可能性もあるということです。(もちろんこうした可能性は①~④にもあります

もちろんこれは仮定の話です。だからこそ、何度もお願いしますが、絶対に正しいと確信して作品の発表中止等を求めてください。それはあなたが悪や加害者にならないために必要努力であるし、同時に不当に消し去られる作品やだれかの人生をなくすための手順です。

そしてもちろん、その正しさを真剣に信じて、真剣に徹底してください。お願いです。

結論

言いたいことはだいたい以上です。長くなってしまいました。すみません

創作者あるいは創作者志望にとって、創作は往々にして、人生をまるごと賭け金にした、自分人生のもの価値を左右する重要なことです。(もちろんそうでない人もいますが)

ただしそうしたある種ヒロイック比喩でもってして、だれかを傷付けることを正当化することはもちろんできません。

けれど、そうした重みをもっている物事を、そうと知らずに軽い気持ちゴミ箱に捨て去られるのは、正直にいって、耐えがたいです。

現在ある『幸色のワンルーム』への批判がそうした軽々しいものであるというわけではありません。ただせめて、「そうでない」ことを確認させてほしいと、思いました。

ドラマ化というのは、作者の方にとって本当に嬉しい知らせだったと思います。そうしたときにやはりまたバッシングを受ける。

ならせめて、そのバッシングだけは正しいものであってください。お願いです。本当にお願いです。正しくないバッシングによって、ドラマ化の知らせを受けた矢先に中止になるなんて残酷なことは(ありがちなことなのかもしれませんが)本当に起こってほしくないんです。

余談

ふたつ、蛇足を加えます

まずひとつ、私は個人的な考えとして、あらゆる創作物に対して、その客観的価値をだれかが決められるとは思っていません。

したがって anond:20180321152456 の方の下記の記述は正当ではないし、余計だったと思っています

というのも、この作品漫画としてのレベルは決して高くないからだ。

まずこの方は上記の文に続いて作品欠点を挙げられていますが、作品欠点を列挙することが作品の「レベル」の判断になるとは自分は考えません。作品欠点を美点が凌駕することは往々にあることだし、その美点は「自分にはわからない部分にある」のかもしれないと常に感じるからです。

またご本人が「持て囃された理由」として「「家族からの逃避と二人だけの世界への耽溺」というテーマが、思春期少年少女一部の人間に心地よいものだったから」を挙げられています。程度の低い理由として挙げられたのかもしれませんが、個人的意見を申し上げれば、これは充分にすごいことですよ。

蛇足ふたつめ、

私はどこかで『幸色のワンルーム』の作者の方が女性で、若い方だと見たような気がします。(今回その情報を探してみましたが、見つかりませんでした。正確な情報ではないかもしれません)

そうした先入見が本件への自分姿勢に影響を与えた可能性は否定できません。当然ですが、そういうことはあるべきではありません。もしそうだとしたら、反省点です。

女性が守られるべきであるかいった考えは、フェミニズム的でないというよりその正反対だと考えるべきでしょう。もちろんそれはわかっているのですが、若い女性漫画家としてデビューし、その後バッシングによって漫画家をやめることを余儀なくされた場合、その後の困難さが男性場合と比してより困難であるというような「想像」が、今回の筆致に影響を与えなかった確信が持てず、そしてそれを隠すのは誠実な態度ではないと考えたため、蛇足ながら書いておきます

2018-03-22

anond:20180322221533

女の「察して」っていうのは、その裏側に何千回も察して動いてきたということの積み重ねが背景にあるんだよな。

特に言われなくても部屋の掃除をしてあげたり、洗濯物をたたんでタンスにいれてあげてたり、あと病気になっても心配かけまいとして黙ってたりとか。

で、何千回と察して動いてくれていたという事実に無関心な男が、それを言われて「そんなこと言われても」と別に俺頼んでねーしみたいなことで「察して女はめんどくさい」って言ってんだよな。

察して動いてもらうことに慣れすぎててありがたみも何もないってこと。

尽くす女性って女性自身がヒロイックな気分に浸れていいけど、実は全く感謝されてないし「いつかわかってくれる」なんてこともないって早く気づいた方がいいね

2018-03-20

もう少し高カロリー朝ドラも見てみたい気もするが、まぁそれは無理な話だ

NHK-BSで、朝ドラ再放送~最新朝ドラ早版を30分連続でやってる朝の枠があって、出かける準備をしながら斜め見するのにちょうど良くて見ている。今は再放送花子とアンわろてんかが、どちらもちょうど太平洋戦争中というタイミングである

朝ドラにおけるお約束として、当時の世相は「軍国化する体制側」と「軍国化に追随する常識的市井」と「不本意ながらも追随せざるを得ない主人公界隈」という構図で書かれがちであるドラマなので美化しているところも現実とは違うところも沢山あるだろうが。

まぁ、言論弾圧に反骨し投獄され獄死した人も実際にはいたわけだが、朝ドラで取りあげるには明らかにカロリー過多だし、結果的にぼろ負けした戦争を指揮したボンクラもの尻馬に乗っかって踊った「善意市井」を主人公にしてヒロイックに描くほどさすがに無知性に極右化するわけにもいかないだろうし、「善意市井の恐ろしさ」を皮肉として描くには、獄中死を取りあげる以上に高カロリーすぎて朝から胃もたれ必至なので無理だろう。

増田若いころから、「こんなに分かりきって馬鹿たことをやっているのに、なぜ当時の「善意市井」たちはそれをどんどん受け入れていったのだろう」というのが不思議で、戦時中ものルポやら文学作品やら日記やらを読むのが好きである

朝ドラフィクションである、とはいえ、歴史資料(あまり正確なものが残っていない。当時も今と同じように時間がたつと自動的に消える仕組みになっていたのだろう)や日記文学者が残した戦時中日記はとても興味深い)などを読んでみても、朝ドラと同様の「アホな指導層/それに踊らされる自称常識人不本意ながら付き合わされる主人公」的な構図を見つけることはできる。

こういう趣味があるどちらかというとリベラル寄りの増田なので、ついそう読んでしまう面もあるが、太平洋戦争ではそれでまんまと、長期人口グラフでもあっここだよね!と分かるレベルでかくんと人口が減った戦争を、戦後は「ぼくら踊らされたんですー」みたいな顔した「善意市井」の多大な協力で成し遂げたわけで、「善意市井」の暴力性というか、大義お国のために)と生活(逆らうと生きていかれない)が直結したときの怖さというか、そういうものがもうちょっと朝ドラで書かれたらええのにないっそ、と思ったりもする。こういうご時世ですし、なおさら

まぁそれはそれとして黒木華藤井隆はほんと良い俳優だな、以前から両者とも好きだったが、どちらも難しい立ちどころの役をこなしている。藤井隆マシューズベストヒットTVベストアクトだと思っていたが、万丈目はんも相当良い。ドラマはまぁ、ちょっと吉本配慮が過ぎまへんか?とは思うが。

昨今は、民放局が良いドラマを作る体力がすっかり無くなっているせいかNHKドラマ相対的に良く見えるということもある。昨晩は録画しておいた弟の夫を見て号泣したところだ。あれは、演出演技脚本含めほぼ100点。

2018-03-07

anond:20180307145623

なんど砕けても直す、なんど挫けても立ち上がる、逃げられても逃げられても追い続ける、その精神の在り方が第四部テーマじゃないのか。

「砕けない」だと第三部の承太郎のようなあらゆる危機を表情ひとつ変えずに乗り越えてしまヒロイックキャラクター想像してしまう。

2018-02-28

久しぶりにヒロイックエイジってキーワードきいたわw

全部みたけどいまいち印象うすい

EDのなんとかライトって歌は好きだった

OPangelaで、キャラデザ平井久で脚本うぶかたでなんとなくふぁふなーっぽい感じ

2018-02-22

anond:20180220212352

サムライフラメンコWikipedia見てきたけど

平成仮面ライダーっぽい感じだな

今やってる「ビルド」が、自警団っぽいノリで始まって今は国家紛争みたいな感じになってて

久々にスケールのでかいやつ来たなとテンション上がってるんだけど

アニメにもそういうのあるんだ

(余談だが「ウィザード」は例外として、仮面ライダーは「フォーゼ」以降セカイ系っぽくなった。

一応世界の命運を握るようなあらすじになっているけど基本的に小さな町で話が完結しているような作品が多い。

僕の仮面ライダー観の根底にあるのは「クウガ」なのでやはり近年のこういった傾向は物足りない。

普通人間覚醒市民を守る「ヒーロー」となり国家世界の命運を委ねられ自分の力に飲まれそうになる、というのが僕の中では王道なのだ

自警団ものとして完成されていた「W」や、

異形の者同士の戦いに焦点を当て、ヒロイックな他作品と少し違う「555」や「ウィザード」、

主人公パーソナリティを描くことに注力した「キバ」のようなものならば不満もないのだが。)

2017-11-03

オリジナルカラオケ(歌なしバージョン)が面白い

ゆゆ式OPってあるじゃん

あの「明日を呪って線路に飛び込んだ」とかよく言われる奴。

あれのカラオケバージョンをさっきたまたま聞いたんだが(アマゾンプライム無料だったんだ)、やたらメロディアスというかヒロイックビビった。

歌付きだとポップな雰囲気になるから気づかなかったんだけど物凄くテンション熱量が高い。

女子高生友達と登校するノリの曲じゃない。

冒険テーマソングだ。

RPG宿命ライバルと決着をつける時に流れてるようなタイプの、少し切なくて物凄く熱苦しくて絶対に負けられないし絶対に負けるはずがない気持ちになれる曲調。

いやー大発見だったわ。

可愛らしい声とキャラデザに騙されて今まで気づかなかったのを恥ずかしがるべきなのかな。


こういう発見がある曲、他に知らない?

単純にカラオケバージョンめっちゃいい曲とかでも。

2017-10-29

おとなになったら エロゲをたくさん やるんだ

そういう妄想をしていた頃の憧れはどこにいったんだろう。

いざやってみると全く面白くない。

名作と言われているゲームが下手な文庫小説よりはずっと面白いことは分かるけど、それはヘタな小説ライバルに設定したから勝てているのだ。

ちゃんとした小説を前にすれば肉薄することすら困難を極めている作品だらけだ。

強いていうならば製作者と消費者の双方に共通した捨てきれぬ幼児からまれヒロイック幻想プライドの高さが混ぜ凝ぜになった欲望を満たすために作られた世界物語の歪さが醸し出す怪しさだけは中々の物がある。

だけど、それ以外の部分は稚拙も良い所だ。

18歳以上どころか40歳以上にすら思えるほどにおっさん臭いのに時には幼稚園レベル言動を繰り返す全く高校生らしくないキャラクター2ちゃんねらーのような喋り方をする地の文、たった一度のちゃぶ台返しだけを起伏としておきながら何十時間もかけて紡がれる物語

何もかもが低レベルだ。

絵のレベルも、名作と言われるようなゲームであっても決して高くなく、むしろ絵が上手すぎると抜きゲーとして扱われて名作という枠組みからはぶかれやすくなるのではないかという懸念すら生まれる。

18歳未満の名実ともに子供であった頃、エロゲに対して憧れを抱いたのはエロゲをやったことがなかったかなのだろう。

ゲームで一番楽しいのは購入した日の行き帰りの道だという人はいるが、その道中を延々と何年も歩き続けてきたのがあの日々だったのだ。

あぁ……あの頃は楽しかった。

楽しい道のりだった。

ありがとう

ゲーム自体面白かったとは言い難いが、いい夢を見させてもらった。

もう自分子供じゃないから、別れの言葉は前向きでお互いに気持ちよく終われそうなものを選ぶよ。

しかったよ。

本当に楽しかった。

ももう終わったんだ。

然らばこれにていざ別れ目。

今までどうもありがとう

2017-10-09

UNDERTALE やばすぎでは?

ロールプレイングゲームの「ロールプレイ」って何だろうって私はずっと不思議だった。

ゲームプレイヤーはいだって役割を演じている。

STG主人公だってACT主人公だって皆それぞれの役割を演じているんだ。

それなのにRPGゲームけがどうしてロールプレイを名乗るのかが不思議だった。

TRPGコンピューター上で再現してマスター不要で進められるようにしたのが大本の始まりだったとして、そこから何十年たってるのに何時までたってももっと相応しい名前を考えないのは何故なのだろうと思いながらRPGを遊んでいた。

アクション要素が薄いor成長要素が強いかRPGですと言われても、果たしてそれはロールプレイなのかと納得出来ないでいた。

でもこのゲーム出会って考えが変わったよ。

コンピューターRPGは確かにロールをプレイするゲームなのだ理解した。

最初のうちは神の目線コントローラーを握っていたはずの自分が、いつの間にか主人公と一体化していたんだ。

高揚感のあるBGMが鳴り響く最終決戦の中、一緒に冒険してきた仲間たちを救うためにラスボス絶対に倒してやるという決意が何度も胸に湧き上がった。

何でラスボスを倒すのかと問われれば、それはEDを迎えたいからではなくて、この世界を救いたいかなのだと本気で思っていた。

その瞬間、確かに私は世界を救うヒーローとしての役割を演じていた。

そして自分ヒーローとなり世界を救うために、これまでの戦いで培った自分戦闘スタイルを駆使して目の前の苦難を打ち砕くことに対して圧倒的な使命感を燃やしていた。

あの高揚感は何だ。

ヒロイックBGMに酔ったというだけでは説明がつかない。

あの瞬間、確かに自分世界を救おうとしていた。

大切な人を守ろうとしていた。

人間の脳には、フィクション体験現実自分体験を混ぜ凝ぜにして錯覚を引き起こすような欠陥がある。

それは確実だ。

何故なら私が実際にそうなったからだ。

そして私はそれを喜んで受け入れ、あの世界の住人として最後の戦いに挑んでいた。

いいロールプレイングゲーム役割を演じるゲームである以上に、プレイヤーに進んでその役割を演じさせてしまゲームなんだ。

間違いない。

人間現実空想を切り離せないバグった生き物である事を利用し、いつの間にか役割を本気で演じさせてしまシステムなんだ。

私の中にあったコンピューターロールプレイングゲームという名前に対する疑問は長い時間をかけてようやく氷解した。

よく出来たRPGは、プレイヤーに思わず演じたくなる役割提供し、そしてプレイヤーがその役にのめり込めるように創意工夫をこらし、最後にはそのゲームで起きた体験をかけがえのないものにしてしまうのだ。

その道が英雄か、殺戮マシーンか、聖人か、それはゲームによって違う。

だが、完成度の高いRPGは、そのゲームプレイヤーに与えてきた役割をいつの間にかプレイヤーに納得させ、プレイヤーの側が進んでその役になりきろうと自分の心を動かしていくように仕向けてくれる。

からロールプレイングゲームなのだ

ありがとうUNDERTALE。

私の長年の疑問が1つ解き終わった。

2017-10-08

anond:20171008001338

スターウォーズは確かに近い。

架空歴史があって設定が大量に用意されている大河ドラマ

長く噛むほど味が出てくるスルメみたいな。

でもガンダムスターウォーズほどヒロイックでない。

エヴァマブラヴ人間相手ではないし宇宙がメインでない。

リアル系宇宙舞台人間相手歴史の長いロボットアニメ、というと他にはマクロスくらいだ。

2017-09-29

H高校の生徒→教師暴力の件、義憤は必ずしも正しくない

高校教員です。

あれほどまで授業の成り立たない高校で教えた経験はありませんが、

同僚などから聞く話等も含めて思うことを。

1.なぜ生徒は教師を殴るのか

2.なぜこの事件拡散されるのか

3.隠蔽体質問題なのか

の三点から考えてみた。

1.なぜ生徒は教師を殴るのか

 例の動画の様子からそもそも教師と生徒の間に一切の信頼関係が築かれていないことがわかる。

 これはい高校教師の力量のみで解決するのは難しい問題だ。

 所謂教育困難校の生徒たちは、小学校中学校段階では教師から忌み嫌われ、問題児扱いされてきた生徒たちで、

彼らの中には大人教師)=敵という図式ができあがっている。さら高校で同様に問題児扱いされてきた生徒がが集まることにより、

団結して大人教師)=敵に抵抗することが、彼らの連帯を生んでいる。

 さらに言えば、教育困難校の生徒たちの保護者の中にも、経験学校教師をよく思ってないひとが多い。

子供基本的には家庭と学校のどちらかにしか居ない。同様に教育も家庭と学校の二つで行われて然るべきなのに、

教育(というより躾)を放棄した家庭も少なくない。小学校担任に「箸の持ち方を指導してくれ」と頼む保護者もいるそうだ。

多分その保護者は正しい箸の持ち方で食事をしていないのだろう。

さらに悪いことには、教育(躾)を放棄するばかりか、学校での教育を軽視する保護者一定数居る。

教育困難校の荒れた生徒たちの友情は、「教師に反抗するという同質性」を頼りにした友情なのだ

 「閉じた集団の中で何かを共有すること」、例えば同じような服装髪型をすることで連帯するヤンキーガングロギャル流行たことなどは、

「チャムグループ」という言葉説明できる。「似ていることを条件に入れる仲間グループである

教育困難校の生徒たちの間でつくられた「チャムグループ」は、教師排除したり軽蔑し続けることで安寧が保たれる。

Uくんはそのチャムグループ代表して教師を殴ったのだと思う。半ばヒロイック自己陶酔も感じながら。

それを囃し立てる仲間たちも痛快だっただろう。

 そして残念だが、多分そういうチャムグループ教師の間に信頼関係が生まれることは期待できない。

 信頼関係さえあれば、例えば軽い冗談の言い合いだとか、生徒教師相互に多少の「いじり」みたいなものが有っても愉快なのだが、

信頼関係のない「いじり」はいじめやハラスメントになる。信頼関係のないところには教育は、まともな人間関係絶対に生まれない。

 そもそも信頼することを教えられなかった生徒たちは不幸だ。そういう育て方をした親や小中学校教員に多分に責任がある。

 また別の話になるのだが、今回の件で騒ぎになったUくんもきっと、学校を信頼しない保護者になっていくだろう。

学歴社会的格差はそのようにして再生産されていくのだろうな。

2.なぜこの事件拡散されるのか

 匿名ネットユーザー性質として、教室では「素直で真面目な良い子」を演じてきた人間が多いのではないだろうか。

公の場では「素直で真面目な良い子」である一方で、匿名で誰かを吊し上げるのには、

いわゆる不良グループやお調子者が幅を利かせているパブリック空間に対してのささやか復讐意味合いがあるのはないか

 また、事件拡散簡単だ。リツイートボタン一つ押すだけだから

自らが汚い言葉を使ったり、誰かを攻撃している感覚は無い。むしろ悪事を白日のもとに晒すことに、一定正義さえ見出せそうだ。

抑圧されてきた「素直で真面目な良い子」の復讐心と、お手軽簡単リツイートボタンがこの事件拡散を相乗的に早めたのだろう。

3.隠蔽体質問題なのか

 いじめ自殺問題で「いじめはなかった」とする教育委員会などが隠蔽体質と叩かれることが多いが、 わたし隠蔽体質で仕方がないと思っている。

 例えばいじめ加害者実名報道されれば、彼らがネット上で叩かれ、後の人生でも様々な場面で偏見を受けることは

免れないだろう。

 それは当然の報いなのかもしれない。人を傷つけたら、そのくらいの懲罰があって当然だとも思える。

 一方で、その社会的懲罰は初期段階のいじめ構造が変わっていない。多数派が少数派を一方的排除攻撃することによって、

多数派の安寧を保つという構造だ。例えば第二次世界大戦中のドイツゲルマン民族という多数派血統のために少数派のユダヤ人殺害したのと同じように、

ネット上の「素直で真面目な良い子」だった人々が、悪事を犯した少年社会的抹殺したいだけなのではないか

 もし、教育委員会が「いじめが原因で自殺した」と早急に認めれば、

加害者への攻撃のゴーサインが出たのと同義だ。

教育委員会が「いじめはなかった」と言って槍玉に挙げられて居る限り、加害者への攻撃は及ばなくなるのだとすれば、

加害者を守るために隠蔽をするのが教育委員会仕事なのだ

 被害者感情はどうなるのか? そこは難しい問題だ。上のような説明をしてもなかなか納得はしてもらえないだろう。

 あるいは事件があるていど沈静化してからいじめはありました」と認めることで、世間の関心をひかない形で収めるのが関の山か。

 ともあれ、今回の事件に関しては顔も実名所属校も割れていて、拡散も限度を知らない状態だ。

 動画の内容もショッキングなだけに、ネットワイドショーで、かなりの批判がこれから湧いて出ることだろう。

 せめて知的大人ならば拡散はしないでほしい。それは正義ではないから。義憤は必ずしも正しくない。

2017-07-31

https://anond.hatelabo.jp/20170731135417

生存本能

まだ本能論にしがみつくのか。

弱いオス猿がそんなに悲壮存在だったら猿の群れは維持できないだろうな。

ヒロイック趣味を捨てると去勢されたように感じるわけだ。

弱いのに自分の弱さを受け入れられないのが弱者男性悲惨であり、最初から弱さを受け入れているのが弱者女性の強みなんだろう。

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