(ヾノ・∀・`)ナイナイ
動物の世界じゃ種付けしたら終わりがデフォ。求愛ダンスを踊りプレゼントをしてせっせとメスにアピールするが、それも種付けするまでの話。たまーにオスが残って卵の面倒見たりする奇特な種類もいるが、そりゃ全体から見たら例外だ。大体、殆どの動物ではメス自身だって産みっぱなしが基本なのに、なんで自分の身体を拘束されないオスが面倒見る必然性があるよ?しいていえば鳥類は子が巣立つまでは面倒見る種類が多い。ただしこれも子が巣立つまで子の面倒見るだけであって、メスの面倒なんか見ねえよ。
1対1でも面倒見ないのに、大量になったら見るわけないだろ。ハーレムを作る哺乳類なんか、ハーレムのメスは自分と子の餌は自分でとるわけ。ハーレム持ちのオスが何やってるかというと、他のオスが寄って来ないように睨み利かせてるだけ。大体ハーレム全部のメスの餌なんか自分で獲って留守がちにしてたら、その間に他のオスがやって来て簡単に交尾しちまうじゃんか。
レスどうもです。
田舎なのに公立より私立の評価が高いってのは珍しいような気がします。
東京のような都会では高学力層が私立に行って公立が荒れているというのは良く聞く話ですが…
自分が住んでいる茨城では公立で荒れている学校はありますが、評価が高いのはやはり公立ですしね。
江戸取とかありはするけど。
二人の訳が違いすぎて、原文を読まないと何とも言えん。
ただ
「だれでもだれか他の人に優越感を感じないではいられないもんよ」と彼女はいった。「でもその特権を使うまえに、ちょっとした証拠をみせるもんなのね」
は意味がわからん。
単に駄訳だと思う。
「優越感を感じないではいられない」ってのはその言葉からして内発的なもので、それがどうして外部から与えられるものである「特権」になるのか理解不能。
それにそもそも曖昧すぎる。
漏れがバカだからかな?
村上春樹は「誰かに対して優越感を(以下略)」と「偉そうな顔をする」という内と外をちゃんと分けてるので混乱はない(訳が正しいかどうかはわからんけど)。
私学ですか?
自分はそこそこの国立大学院(大学も同じ大学)在学で、教育実習も東大20~30人出るくらいの附属校だったから
そうとは思わなかったわ……
次の参院選も野党には敗北してもらって早くねじれ国会を解消できればいいのだが。色々手遅れになる前にね。
それにしてもやっと日本も停滞から抜け出せそうな、ちょっと明るい芽が出てきた気がする。楽観的すぎるかもしれないが。
いずれ誰しも(お前も俺も)直面するであろう介護の問題と
最悪なくても生活できる(特に都市部)クルマとは同列に語れないと思うの。
ド田舎とかクルマが必需品の人たちは既に買ってるだろうし。景気の良かった(と言われてた)ころに何の準備もしないで、今になってヤバいですとか言い出すメーカーが潰れるのはそれこそ自己責任じゃん。
連鎖倒産連鎖倒産って言うけど、真っ先に派遣切りや下請けいじめで自社のことしか考えない大企業に公的資金注入して、雇用や景気が改善するとは思えない。
別に公的資金ビタ一文使うなって言ってるんじゃないよ。使うなら、「連鎖倒産で失業者が増えても困らないような施策」いわゆるセーフティネットの方に使うべきだろと考えている。
だって、景気の舵を取るのは個人消費なんだろ。まず個人ひとりひとりの生活を安定させないと。
自己責任ふりかざして、弱者がのたれ死にする社会でいいのかね。それこそ、自己責任社会じゃいつ自分が弱者に転落するかわかったもんじゃなし。
「俺は有能で財産もあるし若いし弱者になるとか100パー無いね」とか断言してるやつがいたとしたら、世間知らずかただのバカかだよ。
はてブは十分なネガティブパワーを備えているのですから、それが自身に向くようにすればいいのです。
既出ですが、はてブのコメ単独に対してブクマできるようにすればいいだけ。公平な袋叩かれの機会をご提供いたします。
あるいは、コメントをつけられなくした
と
コメントをつけられる
あるいは
『はてなヤジ』
とに分けるだけで、使われ方の実情に即した名前となり、
※個人の感想ですと逃げながら放言全世界大公開なネガコメであっても、
「そういうサービスだから仕方ないな」と納得していただけることうけあいです。
そして一番上のページを開け
赤点なら単位をやらない、留年させる、という措置は取れないものだろうか。
学外の行為には一切触れない。代わりに責任も負わない。
そもそも、勉強する気も無いのにこぞって進学する風潮がおかしい。
地元のローカル番組見てたら、一時間に14回も信号無視が発生する道とかあるらしい。横断歩道じゃなくて車道。つまりクルマの信号無視。タクシーですら、そーっと出てきて、周囲に車がないのを確認してから信号無視してるんだぜ。場所は田んぼばかりのだだっ広い田舎とかじゃないんだよ。都市高速の側で博多駅付近から2、3キロくらい。目と鼻の先に県庁とかある場所。超都市部。
でもって、自宅と駅を車で往復する事が時々あるんだけど、三往復に一回くらいの割合でウインカーを上げずに交差点を曲がる車を見かける。片道10分程度の距離なのに。多すぎ。右折する時も思いっきり内側に食い込んで曲がろうとするから、曲がり先に車がさしかかっていたりするとバックしないと身動き出来ない事すらある。ありえねえだろ。
警察もこういう所に張り付けよ。
会話の相性が悪かった程度でそこまで怨念深めて相手を否定するってちょっとやばいんじゃないか?
うざいとかうざくないとかではなく、相手が引きこもった事で無条件に拒否されており
たかが訳ひとつで、ここまで変わるものか。
『ティファニーで朝食を』(カポーティ)を読んだ。感動した。これってば、すごく面白い話なんじゃん。知らなかったよ。前ちょっと読んだときは、名作とか言われているけど全然おもしろくないじゃんって、途中で積読行きしてたから。
いや違う。前読んだ時もちゃんと最後まで読んでいたようだ。ようだってのは、今回読んでみて改めて気づいたから。あ、私この本のあらすじ知ってんじゃん、そう思いながら読んでいって、最後のおちまで知ってたことに気づいたのは、そのまさにおちを読んだとき。そう、すっかり記憶から抜け落ちるほどに、以前読んだ時には感動も何もなかった、面白みもなにも感じていなかったわけです。
同じ新潮文庫、同じ作者、同じ話。何が変わったって、訳が変わった。
以前読んだのは、龍口直太郎訳。今回読んで、感動したのは、村上春樹訳。
何が凄いって、訳一つでここまで変わるのか、と。文学ってのはコンテンツに依存するものだとおもってた、そりゃあ文体なり表現なりはコンテンツの一部だけれど、そもそも外国文学ってのはその微妙な表現を理解するには、原語に長けていないと無理だし、名作と呼ばれるものは訳にたがわず名作なのだと、そう思い込んでいた、今までの私よ!無知であった。訳って重要だ。何はともあれ重要だ。物語の再構築じゃん。
たとえばさ、私が共感した一文がこれ。自分のことをずうずうしい女だとおもってるでしょ?という問いに対し、そんなことないよ、と返されたときの返しの一文。
(村上春樹訳)
「ふん、思ってるわよ、みんなそうなんだから。でも別にいいんだ。そう思われてるほうがらくちんだもの」
(龍口直太郎訳)
「いいえ、そうよ。だれだってそう思うもん。でもあたし、気にしないわ。それが役に立つんだもんね」
ぜんぜん違うよ!春樹訳は圧倒的に共感しちゃうんだよ。それから、これ。
(村上春樹訳)
「人は誰しも、誰かに対して優越感を抱かなくてはならないようにできている」と彼女は言った。「でも偉そうな顔をするには、それなりの資格ってものが必要じゃないかしら」
(龍口直太郎訳)
「だれでもだれか他の人に優越感を感じないではいられないもんよ」と彼女はいった。「でもその特権を使うまえに、ちょっとした証拠をみせるもんなのね」
もうさ、春樹すげーよ。共感しまくりんぐだよ、私。龍口さんの役だと、意味はとれるけど共感とカ感動からは程遠いですよ。
訳者によってこうまで変わるか文学!と思った。なんだろう、読んだ時の私自身の状況とか環境とか、考え方の差はもちろんあるんだろう、あるんだろうけどでもね、その差を差し引いても、この感動は以前にはなかった。あんまりおもしろくない話だと思い込んでいた。それがここまで変わるかおまいさん、だよ。
あぁ、日本の編集者の皆様、名作といわれる作品を、もっともっと訳してください。きちんとした訳者で。物語を再構築できるような、適切な言葉を選べるような、そんな素晴らしい訳者をつかってください。そう強く思ったので、自分の日記に書いても誰も見ないし、ちょっとここに呟いてみた。
正確にいうと“らしい”なのだが聞いてもらいたい
仲のよかった友人が大学にこなくなって1ヶ月とちょっと
失踪癖があるので最初のうちはまたかって感じでほっておいた
当方23の大学院生。友人も同じく。
お母さんの調子がよくないらしく、実家と一人暮らしの家との往復を1週間の半分はしていたようだ。(距離は片道1時間半程度)
気づいたら2週間たっていて、あれ?なんかおかしいんじゃね?
って思って他の友人たちと話しにあがっていた。
元気か?とか、顔出せよ、とかそんなぐらい。一切返事はない。
誰がメールしても、誰が着信履歴を残しても返事はない。
おかしいな。なんて話していたら1ヶ月が過ぎそうなころ、他の友人に生きている的なメールがきた。
おかあさんの調子が悪いのは承知の事実であったので、忙しいのかと皆がそう思っていた。
指導教授に連絡するって書いてあったのに、連絡がいっていないことも、正直自分としては大変な時期だしって感じだった。
で、昨日、他の友人が実家に電話してみたらしい。お母さんが出たんだと。
本人に代わってもらおうとしたら、10分程度の保留音がながれ、
そして「ちょっと出られない」って返事がきたとのこと。
なにか思うところがあったのかもしれない。
自分としては仲はよかったはずであり、他にも仲のよかったのは沢山いる
メールとか電話とか出ないのでどうしようもないと思っていたのだが、
無理にでも、近況報告とか、無駄なメールとかしていいものだろうか?
それとも、ほっといて時期がくるのを待つのが正解なのだろうか?
自分はうるさくするのが役目で、疲れているときにでも無理やり空元気で押し通す役目だと思ってる。
だめなときは駄目だということも少しは理解している。
ただ、一切レスポンスがないのは気に食わない。
うっとうしいの一言ぐらいメールしてきたっていいじゃないか。
ほっておくべきなのか、付きまとってやるべきなのか。
相性の問題、はあると思うよ。
これを書くと、非モテか!とか非コミュか!とか云われてぶっ叩かれるのがわかっていたので、あんまり書きたくなかったんだが、彼女の話は全て、可愛い自分とそれをとりまく状況、という思想から生まれているらしい、と思ってしまった。「それはおまえの妄想だ」という意見にも同意しますが、それを他人に思わせえる彼女にも一抹の原因はあると思う。でも、僕からすれば、そんなことを赦されるのは若い女性にしかないことだし、あいにく彼女の若さは尽きかかっている。しかも彼女がこれから対面するのは、実力のない人はまったく見向きもされない世界、だと思う。
いやでもあれだ。これは自分を他人に投影しているんだ。彼女は彼女の身の丈にあった人生(彼女の専攻が国際政治だったのは不安ですが…)を歩めばいいと思う。別に誰もが高嶺を目指す必要ないね。。。しかしもう彼女らに会おうと云われても、これからは時間がないとかいってやり過ごそうと思った、春の夜でした。
卒業時点で500万以上の借金を抱えていたけど、今もがんばって返しながら社会人を続けている。
別にマッチョ的な意味で言うわけじゃなく、それは自分の追うべき責任だと思っているし、不幸でもない。
少なくとも「大学を奨学金をとらずに出してやりたい」ために、父親がうつ病になったり体壊したり自殺したりするぐらいなら、奨学金をとって、将来がんばって少しずつ返そうと思う子供の方が多いと思うのだがどうか?
子供の気持ちも考えてあげようよ。
いわば、空気の如く振る舞えと。