はてなキーワード: よつばととは
キャラクターが多いと覚えられないので、少なければ少ないほどありがたい。
今は頑張って「ふつうの軽音部」読んでるけど、人が多すぎて力尽きそうです
(追記)みなさんありがとうございます!
参考にさせていただきます。
・ラーメン赤猫
・深層のラプタ
・半人前の恋人
・恋人以上友人未満
・サチ録
・バンオウ-盤王-
・馬刺しが食べたい
・タテの国
・ベイビーブルーパー
・全部ぶっ壊す
・鬱ごはん
・北北西に曇と征け
・ぼくらの
・異常な軽音部
・ルックバッグ
・バーナード嬢
・しまいずむ
・ケムリクサ
・ラーメン大好き小泉さん
・地雷なんですか? 地原さん
・殻都市の夢
・惡の華
・ご飯は私を裏切らない
・ドカ食いダイスキ! もちづきさん
・血の轍
・よふかしのうた
・ふたりべや
・ちいかわ
・ドラゴンヘッド(途中まで)
・こち亀
・違国日記
・ふたりエッチ
・よつばと
・ひらやすみ
・鍋に弾丸を受けながら
・ニュー土木
・ Thisコミュニケーション
・吾輩の部屋である
・ひまじん
・流れ星銀
・BEASTERS
・オッドタクシー
・高木さん
・プラネテス3巻まで
・オンノジ
元増田とは漫画の趣味が合う気がする。ブスなんて言わないでとか、ひとりでしにたいとか、いい作品だよね。
私のオススメも投下。
・違国日記
最近ガッキー主演で映画化されたけどマジで原作マンガ良いです。
・君の心に火がついて
単行本として値段は高いけど自分的にはその価値はあった。色んな抑圧や生きづらさを感じている人にぜひ読んでほしい
・隠密お局
同じ職場で働くそれぞれの人の立場がどれもリアルで共感できる。この作者のGood Jobも良いが、隠密お局もまた良作。
レンタル彼女、ホス狂い、ソープ嬢、メイクしたい男性など色んな登場人物を少しずつ掘り下げていてついつい読んでしまう。ホス狂いで身体売る子とかアホだなと思ってたけどこういう人生だったらそうなっても仕方ないかも…と思ったりとか。みんな幸せになればいいのに…
ドラマがヒットしたけど、いろんな価値観や人生があるんだよというのはまさに。
・君と宇宙を歩くために
「普通」ってなんだろ、とか、一生懸命生きることとか、考えさせられる
心が荒んだ時に読み返してる
・よつばと
他の人も勧めてるけど、よつばと、いいよねー
予感はしてたが、近所のTSUTAYAで漫画レンタルが終わる。最近はよくある話らしい。
40代後半。普通に漫画が好きだ。子供の頃は毎週、週刊少年ジャンプを買っていた。小学校の頃はこち亀を、中学校に入ると横山光輝の三国志を集めた。合わせて100冊を超える単行本が今でも実家にある。
20代後半に1年だけ仕事で海外に居た。行きの空港で、機内の暇つぶしにとスピリッツを買った。滞在先は田舎で、日本人のいないところ。仕事も人間関係もそれなりにうまくやっていたし、インターネットは既にあったので日本の情報にも困らなかったが、寝る時、必ずそのスピリッツを読んでいた。ベッドに寝転がって、紙の漫画をめくる。一年間、同じ雑誌をめくり続けたが、当時は変だとは思わなかった。繰り返し読む漫画が楽しかった。
結婚して子供もできると雑誌も単行本も欲しいものを厳選して買うようになった。スペースが無いから。今の本棚にあるのは、よつばと、もやしもん、プラネテス、エマ、乙嫁語り、ママはテンパリスト、かくかくしかじか。ちょっと読んでみたい漫画がある時は、妻と子供が出かける時に漫画喫茶を使っていたが、そこも数年前につぶれた。
コロナ禍で子供達が家で暇そうにしてたので、TSUTAYAで初めて漫画レンタルをしてみた。誰が触ってるかわからないのが嫌だったので、それまでは避けていたが、一度借りると気にならなくなった。なつかしのドラゴンボール、ジョジョから、最近のワンピース、ヒロアカまで。黄金時代のジャンプ漫画を子供達が楽しそうに読んでるのが嬉しかったし、今の少年漫画が読めて私も楽しかった。毎週土曜に数冊借りてきて、リビングのソファーに置いておく。それを家族が、それぞれ好きなものだけ読む。ソファーで読んで、布団に寝転がっても読む。その習慣がコロナ後もずるずる続いた。今はダイヤモンドの功罪を借りつつ、「話がきつい」と娘がいうので、舞妓さんちのまかないさんも借りて中和している。
近所のTSUTAYAで漫画のレンタルが終わることを店内の掲示で知って、呆然とした。理屈はわかる。電車内ではスマホで漫画を読む人をよく見るし、私もたまにPCのブラウザで漫画を読むことはある。小説は完全にスマホに移行した。しかし、漫画をスマホで読む気にはなれない。やっぱり紙がいい。ソファーに置いてある漫画をみんなで回し読みするのがいい。寝転がりながら紙のページをめくりたい。タブレットでもできるのはわかる。でも、やっぱり、紙がいいのだ。なぜか、と聞かれると、三つ子の魂、というしかない。
理屈はシンプル。紙の漫画がいいんなら買えばいい。場所がないならオンラインだ。今後はそうするだろう。別に世の中に不満があったり、怒ったりしてるわけではない。ただ、これまで時代の流れにはついてきたつもりだっただけに、今回は「あなたの世界観は明確に時代遅れですよ」と言われた気がして、ただただ呆然としている。
2010年ごろだっけ?
だから俺らの好きな海猿を殺そうとする問題児の佐藤秀峰みたいな扱いだったよね
今でいうなら松本人志の性加害問題で、松本が海猿@フジテレビって感じかな
世間は、問題はなんとなく気付いているけど、好きなやつも結構いてまだ擁護するやつが残ってる感じ
そんなフジに声を上げる佐藤秀峰ってけっこうめんどくさいやつだね、おとなしく原作を提供してりゃいいのに
みたいな感じだった
あれからずいぶん時がたった
ようやく原作者を大事にしましょうみたいな雰囲気になったなと感じる
しかしネットの意見なんて、どっちに愛着があるかどうかで決まるところあるから
松本人志みたいにまだ人気があると「まっちゃんがんばれ」、サッカーだと「伊東純也がんばれ」みたいな感じになる
たとえば橋本環奈が松本人志にレイプされたというはなしだったら、人気バトルになって橋本環奈可哀想、松本人志はクズだ!みたいな空気になったかもね
今は、「無名な女が生意気にも松本人志にたてつきやがった」みたいな話だから、人気バトル的に無名の女性は不利だよね
同じ事が当時、フジテレビと佐藤秀峰の間で起き、佐藤秀峰が叩かれていたわけだ。
あとアニメもそうだよね
よつばとがアニメ化しないのはあずまきよひこがアニメ嫌いだからとかいう噂が立ったとき、アニメオタクが作者を叩いていたよね
今回はたまたまドラマだし、脚本家がなんか性格悪そうだし、原作者が自殺したから原作者びいきしてるけど
そう考えると今も昔も同じことなのかもしれない
よつばと出すまでもなく、カービィドラえもんポケモンを模写できる小学生は数多いるだろうけど、じゃあこれらのイラストレーターなり漫画家のその絵は下手ってことにならんよねと。
模写でいいならよつばとだって描けるよな?難しいのはその物語のその展開でどう描くべきキャラの外見なり表情をひねり出すことにあるのであって、すでに完成された題材について、簡単にパクれるから絵が下手っていうと理屈が崩壊してくるぞ
まあモナリザレベルになると模写すら簡単にいかないらしいから全否定はせんけど
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1176352931
「よつばとは線が少なく単純だからヘルシングより画力が高くない」とか「ドラゴン桜と手塚治虫や藤子不二雄の絵が大差ない」とか「簡易化した絵柄からは画力は感じられない」と感じてしまう人は、要するに絵について知らない人なんだと思う
何が「いい絵」「上手な絵」なのかがわからないから、絵の密度や書かれている題材の良し悪しで判断してしまうんじゃないだろうか
んな事言うならもっと定量的に示してくれ、って思うかもしれないけど、そういう単純な基準があるわけではない
感覚を鍛えたければ、たくさんの絵を見て人の話を聞いたり本を読んだりして経験を積むのが一番だと思う
比較して共通点を見つけて言語化しようとするんじゃなくて、あくまで感覚を鍛えるんだぞ
すべて好き嫌いで判断すれば良く、それで多少人と話が合わなくても別にそれは悪いことではない
これ、各ジャンルに詳しい人が見ると結構「変」なことが書いてあるんだよね
でも鉄道とか料理とか楽器とか自転車に興味がなければ「ふーん、そうなんだ」で済ませちゃうような文章でしょ
で、絵にもこういう「変」があるわけ
わかりやすいところだと骨格がおかしいとか、遠近感が狂ってるとか、構図のバランスが歪とか…
絵に興味がないと、その「変」を見過ごしてしまう
画力とは何かって定義は色々だと思うけど、俺はそういう「変」を避けて通れる能力もひとつの「画力」だと思っている
絵の上手さや魅力は画力だけではないが、画力の高い絵と低い絵を同じものとして語っていたら、芸術家崩れの粘着質な増田にぐだぐだとクダをまかれるという実害が発生するんだよね
ハッタリ効かせた演出はすごいけど、一枚のイラストとして見るとそうでもない。
書き込みは多いけど緻密ではないし線が汚くてバランスも崩れてる。
どう考えてもあずまきよひこのほうが上手いし、平野耕太が「よつばとより絵が上手いですね」って言われたら恥ずかしさのあまり憤死しそう。
だから先の増田の表現を借りるなら、「その目的に見合った画力さえあれば事足りる」作品ということにならないか。
画力の質という言葉が定義としてなんともあいまいで、定量化しての比較というところからの逃げを感じてしまうのだが、結局は、かっこいい絵と微妙な表情の描き分けはどっちがより高い画力を要するかって話よね。質が違うから比べられないということにはならないのだろうし。質と量はレイヤーが異なる概念なので。別にヘルシングのキャラがよつばとと違って表情が鈍くて能面みたいってわけでもないし。
ヘルシングが美麗で緻密な絵なのに比べて、よつばとに対してそれと「相当画力が高い」と同等の評価をする根拠ってなんなんだろうかとは思った。より手間がかかり技量的にも難しいのは(端的にたとえるならトレスで再現することすら大変なのは)前者な気がどうしてもしてしまう。
たとえばこれがたるルート君の作者とヘルシングならどっちがうまいという問いなら江川達也は作品ごとに絵柄がかなり違うので、たるルート君で見て取れる画力でもってあれが彼の画力の全力だと推定するのは到底妥当ではないので、一概に言えなくなるが。
あずまきよひこってセーラームーン同人描いてたときからあの絵柄のベース変わってないから、あれで精いっぱいなんじゃないかと推測してしまうんだ。
俺はその意見には真っ向から反対で、画力はあくまで基礎力なので作者がやりたいこと、伝えたいことを実現するための力だと思うし、(こういうことがやりたかったんだろうなぁ、画力が足りなくて確証が持てないけど…)みたいに感じさせてしまう時点で作品として格が低い
よつばともヘルシングもプロの中でも相当画力が高いと思うし、それらとカイジとかドラゴン桜とかと比べたときに本当に「好みの問題」と言えるのだろうか?
カイジもドラゴン桜も内容の部分がウケて商業的に成功したわけで、彼らが作画担当としてやっていけるかと言うと絶対に無理だろう
ただ一方で、たとえば
「自分の絵柄を受け入れてくれる人に東方キャラのおっぱいの魅力を伝えたい」
みたない一点突破の目的でイラストを書き続けていくなら、その目的に見合った画力さえあれば事足りるわけで、美術館に入り浸って巨匠の油絵を半日睨んだり、予備校で一日何時間もデッサンしたりする必要はない
たとえばよつばととヘルシングならどっちが画力が高いなんて問いはナンセンスだろ?
ある程度絵として伝わる力量がその絵から見て取れるなら、あとは画風に対する好みの問題であって、「画力」なる一意に順序付けられる概念で比較できるようなもんじゃなくね?とも思える。
あとは作品というのはある目的に沿って描かれたものであって、「自分にとってできうる最高の画力」をひけらかすために描いてるとは限らないから、そういう意味でも作品ベースで画力を見極めようとするのは違う気がする。
画力を知りたいなら「自分が一番人に対して上手いと思えるような描け」というお題でも出して描いてもらわない限り原理的に無理だと思う
漫画における絵のうまさを評価するにあたって、純芸術の風景画やルネサンス期の人物絵に対する評価軸を完全に適用することはできない。
そういう意味でうまいことが、かえって作品の目指すムードを損ねることがあるから。
というわけで平野耕太とあずまきよひこはどっちの方が画力があるなんて問いはナンセンスということになる。画力の評価はアウトプットした作品からなされうるものだが、そもそも彼らがアウトプットした作品から見いだされる画力は、作品に最適化された画力であって、彼らがなしうる潜在的な意味での最大限の画力ではないのだ。
じゃあヤフー知恵袋とかではなぜ自分が描いた絵の評価をお願いしたときに低評価をくらった時「これはヘタウマなんだ」とか反論するとただの言い訳扱いされるのかといえば、
あのような場では質問者は「自分が可能な限りの最大限の画力でもって描く」ことが期待されているからだろう。
商業漫画を描くみたいな実践の場面で要求されるような、作品の性質に合わせて画力を調整するみたいなことは想定されていないのだ。
好みでいうなら一般的には深淵絵師とみなされうるラインだろうがこいつらの絵すら俺は好き
https://www.pixiv.net/users/16301040
https://www.pixiv.net/users/97971454
先日学生時代の友人とサシで飲みに行ってきた。
そいつとは幼稚園、小学校、中学校と一緒に過ごしてきて、放課後はよくそいつの家に行って流行っている漫画を読んだり、何時間も何をするでもなくだべったりしていた。
一時期は、お互いに親友だと思っていたと思う。
そして時が経ちお互い社会人になって8年、気がつけばもう30歳を超える歳になっていた。
駅で落ち合って、そいつの知っている居酒屋で酒を飲み始めたんだが、話す内容と言えば、最近のお互いの仕事のことだったり、学生時代の友人が今何の仕事をしているか、結婚や子供のことばかりだった。
そして過去をなぞるような会話も、1時間もすれば特に話すこともなくなってしまった。
以前は一緒にいるのが楽だと感じていたが、そこには若干の居心地の悪さがあった。