2018-06-15

ネット言論に関するちょとした考察

かつてグーテンベルク活版印刷技術で、科学思想宗教世界に均質に広まることとなった。

素晴らしいことである。そのおかけで、家庭の壁一面に並ぶ大きくて重い百科事典にらめっこしたり、

図書館に出向いて書架の間を歩きまわったり、知識を得るためには、そんな肉体的運動必要であった。

現代ネット時代は、実は、それ以上に劇的な変化がもたらされた。

世界中の、最先端の、多くの情報が小さな画面に集約されるようになった。

ポチポチと指先を動かすだけで、誰もが情報の海から情報が安泰と入手できる。

さらに、情報発信も軽々とできる。多くの情報ゴミクズなんだけど。

日記サイトゴミクズなんだけど、100年後には当時の日常生活が見られるわけで、

資料として一級の価値を持ったりするかもしれない。というわけで、このサイトの意義は

素晴らしい物があるわけです。ヨイショ。

しかし、個別的に見てみると、ネット自己洗脳を加速させる面を持っている。これ、イクナイ傾向。

色々な情報があるのに、それを比較考量せず無意識のうちに自分の知りたい情報だけを

見つけ出してきて、知りたくない情報は詳しく検討することはしない。

また、自分の考えを開陳してはひたすら肯定してくれる人達を探して群れてるだけ。

間内自家中毒。これはもう見てられない。本人たちは自分正義を貫いている、偉いだろ、えっへん状態

末期症状だよ。

まとめると、科学技術の発展が世界破綻をもたらすかもしれないって話。

でも、うまく適応できる人もいるから、そういう人たちが生き残って文明継承していければ良いんだけどね。

  • 自然科学の本でWHOが出してる本を覚えて国からえらい地位をもらうのと 素人がかってに好きな本を集めて読むのと何が違うのか

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