はてなキーワード: エディトリアルデザインとは
グラフィックデザインの文脈でよく語られるデザイン史は、バウハウスから始まって、グーテンベルクの活版印刷、雑誌時代のエディトリアルデザイン、広告コミュニケーション、テクノロジーとの融合というものだ。また別軸で、グラフィックデザイナーの職能として、工業化社会における機械製品の美学的側面を整えるという歴史があった。まさにテクノロジーの隆盛と歩んできたデザインである。生活を便利にする機械製品(電話や洗濯機など)は生まれ、パーソナルコンピューターは普及した。そして、グラフィックデザインをするためのツールや思想は世の中に溢れ、誰でもグラフィックデザインの勉強ができ、誰でもデザインを作れ、誰でもそういう成果物に対して口出しできるようになった。
いつからか、総合的な計画であるはずのデザイン行為の中から「美学的側面」のみが取り出されて、それに対しての褒賞制度が整えられたのだ。日本で言えば、たとえばJAGDAの褒賞制度。特にグラフィックデザイン業界におけるそれら褒賞制度は、そのほとんどが美学的側面の評価しかしていないので、それがビジネスを支えるツールとして、実際的に機能的であるかどうか定量的に計測されていないだろうし、主催者も応募者もそういう側面でしか見てなくて、内輪で楽しく賞を送り合っている構図がよく想像される。その外に居る人がどれだけ社会に対してインパクトのある仕事(例えば新しいムーブメントを起こしたり、技術や生活基盤を進歩させたりなど)をしても評価はされないのだ。格好良くないという一言で、彼らのコミュニティから排除される。いつまでもはびこる師弟制度、ごますりが必要なコミュニティ入会の現状。
デザイナーではない人はそもそも「上位の概念としてのデザイン」に対するリテラシーがないので、デザイン=格好良くてお洒落な見た目をつくること、という短絡的な思考でしかデザインを評価できない。つまり、受賞した人間はいいものを作っていると。しかし褒賞制度がそもそも歪んでいるので、受賞者がビジネスや社会のライフサイクル的な側面に目を向けられる人間かどうかという評価の視点が抜け落ちてしまっている。僕はこういったデザイナー達を「グラフィックアーティスト」と呼んでいる。決して「デザイナー」ではない。
本来的にビジネスと協調すべきデザイン活動が、それを無視した褒賞制度によって、奇抜なことをするデザイナーこそ優秀であるという歪んだ理解が社会に溢れてしまった。そういうデザイナーたちがつくり上げるものには、機能的側面が欠落してしまうことが多いと思う。デザインの機能的側面が考慮されないデザインは、はたしてデザインと呼べるのか。社会をより進歩させ得る力があるのだろうか。
また別の観点では、現在多くの美術教育の現場にも問題があると思う。教育者自体が、旧来的なグラフィックデザインの文脈で育っているので、そのような視点でしかデザインを捉えておらず、結果的に美学的側面を整えることに教育の主眼が置かれてしまっている。デザインという手法が社会のコミュニケーションを活性化させ、より良い文化システムを構築し、ビジネスにおける利潤獲得のための手法であることが教育されていない。そうして、再び無能なグラフィックアーティストが量産されてゆくのだ。若いデザイナーの元で育ったほうが、明らかに的を射た考え方を獲得できるとおもう。
ここ数年、自分の生業であるグラフィックデザインはそろそろ終わるんじゃないかなと思ってる。コミュニティの思考が高齢化しているし、かと言って新しい考え方を積極的に取り込んで体質の健全化に取り組もうとしない。デザインをもっと価値のあるものにするためのデザイン領域を俺は見つけたからいいんだけど、変化せず進歩のないコミュニティに未来はないとだけは言っておきたい。
美しくあることは大事だと思う。美しいことは心を豊かにしてくれる。しかし、それ以外のもっと大事なことにも一緒に目を向けてほしいと思うのだ。
http://matome.naver.jp/odai/2142252184362744701
http://matome.naver.jp/odai/2142210313471935401
デザイン論というほど大層なものでもないだろうが、朝からこんなまとめを見てムカムカしたので一言いいたい。
まずしょうもない韓国あげ日本さげにデザインを引き合いに出すなと。
例にあげられている日本の雑誌は確かにださい。でもそれはそういう客層をターゲットにしているだけ。ギャル向けのファッション誌に対して「ごちゃごちゃしてる」とか的外れもいいとこ。
日本のエディトリアルデザインが素晴らしいと言うつもりは毛頭ないけど、雑誌ひとつのデザインを切り出して日本は〜韓国は〜言うのは主語がでかすぎる。
まぁいいたいのはこれだけなんだけど、一応まとめに対する自分なりの見解も書いておく。
「テプラはデザインの敗北」とはよく言うけど、まったくもってその通り。この店舗はさぞいろんなクレームがきたんだろうなと同情してしまう。
ただ勘違いしちゃいけないのは、万人に使いやすくするだけがデザインじゃないってこと。
白物家電のような万人向けだけどおせっかいすぎるUIも、今回のコーヒーメーカーのようなスタイリッシュなUIも、それぞれデザインのひとつの解答だと思う。
ここからは想像になるが、おそらくクライアント(とデザイナー)はセブンイレブンをおしゃれなカフェ路線に持って行きたかったのではないだろうか。
しかし現場が求めたのは白物家電のような懇切丁寧なUIだったというところか。
念のためいっておきたいのはデザイナーが独断でデザインを決められるなんてことはまずない。デザイナーが日々オナニーに励んでいると思ったら大間違いだ!
と、まぁ職業柄デザイナーにだいぶ肩入れしてしまったけど、テプラが貼られてしまうようでは結局デザインがうまく機能してないわけで、いろいろ改善はするべきなんだと思う。
高級、おしゃれ路線でいくなら押し間違いの保証くらいするべきとか、そもそもセルフにしないほうがとか、全体のシステムひっくるめたデザインとして。