はてなキーワード: 21世紀とは
お前、何しにきてんの?
「先生に教えて頂きながら~~~」
「いい友達ができるように~~~」
「どんな授業にチャレンジできるんですか?」
とか。
ふぬけた事を言ってるヤツがいる。
教えてもらっただけで勉強した気になってる。
授業は発生してるし、
1時間教えてもらったとしたら、
仲良くもないのに"同学年"ってだけで最初からタメ語で話してたり、
仲良くもないのに「みんなでカラオケしよう」なんて誘い合ったり。
そんなことをしてる暇があったら、
本当に話したいヤツとだけ、
1対1でゆっくり語る場を設けた方がいい。
単に大勢で騒いで盛り上がっても、
僕は群れる事の無意味さを知っているし、
孤独と対峙する強さを持つ事の方が不安を払拭できると考えています。
職場では年齢問わず初対面の人にタメ語を使う事は一切ありません。
よく「松村くんは同じ年齢の人にも、いつも敬語だから壁作っちゃうよね」と言われますが、
学校の一員として、
学生気分のヤツを見てると、
新入学生でよくいるのが、
「どんな授業にチャレンジできるんですか?」
とか言うヤツ。
授業なんて全部自分で見つけてこいよ。
ここは学校じゃねぇんだよ。
どんどん結果出してこいよ。
学校は優しい先輩が非常に多いので、
発言しないと思いは伝わらないし、
宣言しないと夢を共有する事は出来ません。
あした授業に出たいです。
この生ぬるい空気をぶち壊したいです。
( https://anond.hatelabo.jp/20180425085648 からの続き )
現代版ルパン。ダークウェブを舞台に仮想通貨を盗んだりする話。このあらすじでもう既に面白い。
何より嬉しいのが、過去作のことを並行宇宙ではなくちゃんと過去の出来事として認めていること(スライドショーみたいな感じでパラパラと触れている)。なので、ルパンたちのセリフ一つ一つにすごく厚みがあってめっちゃ痺れる。過去作のオマージュもたくさんあって嬉しい。
作画の気合もすごくて、まさか2018年にルパンシリーズで手書きのカーチェイスを観られるとは思わなかった。この時乗ってる車もカリ城のやつだし。ちなみにカリ城が公開されたのは1979年らしい。約40年前…
大野雄二による音楽は「ルパンシリーズの変わらない所」の象徴のようで、多少キャラデザや声が変わってもルパンはルパンなんやなぁ、って。
過去作と変わった点として、銭形のとっつぁんが上司と部下に別れた点。熱血で先走っちゃう性格は部下に、有能なところは上司に。
イカジャム。SAOのスピンオフ作品で、作中のゲームを遊ぶ日常アニメ。本編とは独立したストーリーらしい。イカジャムっていう呼び方って、スクワッド→スクイード→イカってこと?
現代に蘇るハートマン軍曹。チュートリアルのシーンがとても好き。ハートマン軍曹だったら「Yesの前にSirを付けろゴミ虫ども!」って言ってた。実弾の音響にも強いこだわりを感じる。主人公がすごく楽しそうにゲームをやっていて、それだけでもう新鮮。それにしてもP-90ってやっぱりカワイイよね。ちょうど「GUNSLINGER GIRL」観ていたので。
会話ややっていることがサツバツとしているのだけれど、ゲーム内の会話って実際そういう感じだよね。とても優しい雰囲気のサツバツとした世界。
音楽家の生涯を描く作品。原作は完結しているけれど、全部で26巻もあるのでどこまでやるのか気になる。冒頭のシーンがそのあたりを明確にしているのだろうか(原作未読勢)。
とにかくピアノの曲と綺麗な運指が印象的な作品。監督はピクサーとかでCGアニメーション作ってた人なので、演奏シーンにすごくこだわっているみたい。「ピアノを演奏しているキャラクターの手元」ですぐに思い浮かぶのが「四月は君の嘘」だけど、あっちはあっちですごい。あっちを動の演出とすると、こっちは静の演出、みたいな印象の違いを感じた。
クラシックが好きな人や、ピアノの音楽を堪能するための再生環境がある人向けかも。
戦記モノ。男性声優大集合。ニコニコ動画で解説を見たけれど、とんでもなく壮大な物語が始まった印象。
戦争と政治がテーマだけれど、特に戦闘シーン。EVE Onlineみたい。ここまで大規模な戦争を見たのは生まれて初めて。しかもその動きは組織的で空間的かつ戦略的で、すごく面白い。
マッドハウスによるアニメ版朝ドラ。1話10分なのも見やすい。原作が子供向け文学作品らしいのだけれど、そのため子供向けの作品になっている。横手美智子による脚本はとてもテンポが良く、ギャグシーンに勢いがあって笑える。
主人公の声を、子役タレントでおなじみ小林星蘭ちゃんが担当しているのが非常に良い。マジで朝ドラ観てる気分になってくるのが不思議。
中国の漫画原作、中国のアニメスタジオ制作のアニメ。タイトルの意味は「モルモットにされた兄弟達」みたいな感じ。いい最終回だった。
マッドサイエンティストの子供はよく研究のためにペットと錬成されて犬人間にされたりする事があるけれど、本作はそこから始まる日常アニメ。高橋鉄男のようなメンターのいない「亜人ちゃんは語りたい」みたいな。
作品を通して、日本と中国におけるアニメ文化の違いや共通点が垣間見えるとこがとても良い。例えば尺。日本のアニメは30分、10分、5分あたりがメジャー(CM含む)だけれど、本作は15分(CM抜き)。当然30分アニメには30分アニメなりの脚本の書き方があり、10分アニメには10分アニメの脚本の書き方があるので、15分アニメという長さの本作はそのどれとも違う独特な感じがある。演出も他の作品ではあまり見ないような手法が使われてたりして、全然飽きない。いい最終回だった。
一方で、キャラクターの個性は「あれ、こんなかんじのキャラどこかで見たことある」と思わせるような部分も多く、日本独自と思ってたテンプレは存外普遍的に使われている手法だったんだなぁ、としみじみ。個人的な推しは長女アシス。天然系不思議ちゃんというか、自然(ロギア)系天然ちゃんかわいい。ちなみに本作でも犬役(長男)は浪川大輔である。
酒と殺しと男と女要素が少ない推理アニメ。カトリーがすごくかわいい。子供向けコンテンツの割に人間ドラマをちゃんと描いてる作品なので、2話とか泣いちゃった。とても後味の良い作品。
踏切で電車が過ぎるのを待つ人たちを描くショートショート。5分アニメ特有の、テンポの良い会話劇。BGMと踏切のカーンカーンカーンがシンクロしている演出がすごく好き。リアルではカーンカーンカーンのBPMは踏切によって違うらしいので、話によって違う曲が流れるのかな(しっとりした曲とか、アップテンポな曲とか)。そこら辺が楽しみ。
漫画家を題材にした、やさしいせかいの日常アニメ。福島県白河市での話かと思ったら、主人公の出身が福島県なのね。主人公の豆腐メンタルを見ていると先のアニメ「スロウスタート」を思い出すけれど、あっちと比べてテンポよくオチをつけていく脚本が印象的。怒涛の展開につきBGMが軽くカオス。でも豆腐メンタルを笑い飛ばしてくれる内容に、すごく元気になれる。また公式に脚本:待田堂子・横手美智子・花田十輝 とあり、とても強い。
背景美術(ヤマノススメセカンドシーズンでお馴染みムクオスタジオ)含め、漫画家としてのの日常を描く部分についての書き込みが非常に細かい。有り物としての漫画家を描くのがひとつのテーマなのかな。
フルダイブ版MMOアクションゲーム。アバン~OPで登場した機体名がザク以外分からないという偉業を達成してしまった。
フルダイブという仕様について。自分で作ったガンプラの機体を、リアルなサイズ感で見ることが出来、搭乗する主人公を見てるととてもテンションが上がる。お台場のユニコーンガンダム見てこようかな。音楽も非常に良くて、初ダイブする主人公たちの高揚感がすごく伝わってくる。絶対楽しいよこれ。
あと謎の女の子(CV.照井春佳)が言うセリフ「諦めないで」が、めっちゃヤバイ。魂が震えた。
今期はフルダイブ型MMOをテーマにした他作品にイカジャムがあるけれど、両者におけるゲームの位置づけが少し違う。イカジャムにおけるGGOは、日常(抑圧)に対する非日常(開放)なのだけれど、本作は現実とゲームの境界が曖昧というか、地続きになっていて、主人公にとってはどっちも現実の一部として描かれている感じ。ゲームシステム上、主人公は現実ではガンプラをいじり、ゲーム内ではそのガンプラに乗っているので、ずっとガンプラで遊んでいることになる。ガンプラってすごいね。久しぶりにまた買おうかな。
AbemaTVのみ。それにしても公式サイトが見づらい。「DEVILMAN crybaby」が地上波で放送できない永井豪のエログロとすると、こっちは地上波で放送できる永井豪のエログロ。
インタビュー読んだ限りでは原作準拠のシナリオらしいけれど、何もかもが斬新。他作品であれば「当時はセーフかも知れないけれど、今ならアウトな表現なのでここは変えよう」なとこを全力で攻めていて、キューティーハニー初心者としての感想は「なんかヤバイアニメ始まった」である。キューティーハニーの連載が始まった当時も相当のインパクトを与えたんだろうなぁ、と思いを馳せる。
作画熱量はアクションシーンを中心に非常に高く、アクションアニメとしてもすごく面白い。ハニーの能力について一切の説明がないので「え!そんな事もできるんだ!」と驚くさまはまさに、当時リアルタイムで漫画を読んでいた少年少女の姿そのものである。
公式の宣伝では「あなたはどのハニー?」みたいな感じでハニーの担当声優達を前面に出しているけれど、個人的に一番嬉しいキャスティングは”ラスボス CV.田中敦子”。絶対に強いじゃん!
女児向けYoutuber育成アニメ。シンデレラストーリーを踏襲した作品としてはアイカツ!シリーズに近いかも知れないけれど、テーマとして「誰でもプリ☆チャンデビューできる!」という、Youtuberの性質を受け継いでいる点でアイカツとベクトルが異なる。
1話では、誰でもデビューできるんなら私もデビューすっか!みたいな軽いノリで始めるも途中で引き返そうとする姿が描かれているのだけれど、大抵の人はこれと似た原体験を持っているんじゃないだろうか。私の場合は”ニコニコ動画!面白そう!→ゲーム実況動画おもしろい!→無料で投稿できるんだ!いっちょやってみっか!→無理だコレェ…”という原体験を持っているので、逡巡する主人公の姿はすごく刺さった。だから本作のシンデレラストーリーはすごくキラキラして見えた。
BGMが凄く良い。女児向けアニメなのになんでJazzyな音楽なんだろう。ライブシーンのアニメーションもすごく良いし、かわいい。日常パートもテンポ良くて見やすい。
本作の監督は今期「宇宙戦艦 ティラミス」の監督も兼任していて、命を燃やすのが最近のブームなのかも。
バカップルの可愛さを描く5分アニメ。話が進むほど他の子達も強烈で好き。
異世界モノ(なろう系じゃないよ)の飯テロアニメ。借金のカタに身売りされちゃった主人公が有名宿の大旦那の嫁にされちゃって…ではなく、自らの力で異界に居場所を作って自立するお話。ニル・アドミラリの天秤と並び、まだ見ぬイケメンたちがメインの作品なのかな。それにしても銀次がかわいい。けもフレの「すっごーい!」みがあって好き。
異世界にある調味料(和食)を使って作る飯テロが非常にツボ。オムライス(和風)とかリアルで食べたい。
バウンティーハンターを描くアクションアニメ。冒頭で戦闘システム紹介があるように、戦闘シーンが非常に映える作品。使う武器が”大剣+リボルバー+魔法+魔法の鎧”な時点で厨ニ心が燃える。独特な魔法の仕様も含めて、アクションRPGみたいなワクワク感がある。ゴッドイーターとか、モンハンとかに近いかも。狩るのドラゴンだし。
何より世界観が非常に独特。現代がモチーフになっているのだろうけれど、いつの時代かよくわからない特殊な世界。
コンクリート製の廃墟(未来かな?)→今風の車が街を走る(現代かな?)→ゴシック様式の大聖堂風建物で開かれる議会(19世紀の宗教国家かな?)→貧乏な主人公の家にカラーテレビ(平成かな?)→欧風な街並み(イタリアかな?)→そろばん(東南アジアかな?)→カメラを持つ新聞社の女性社員(20~21世紀かな?)→事件現場を保全する警察と、赤青のパトランプ(現代の警察(欧州)かな?)→半ばスラムっぽくなってる欧風な街(東ヨーロッパかな?)→中東風の音楽(イランかな?)→市庁舎前の掲示板が街の人達にとって速報として機能している(20世紀初頭かな?)→立派な市庁舎のビルと照明(現代かな?)→作中に出てこないIT機器(20世紀かな?)→EDに出てくるガントリークレーン達(現代かな?)みたいな。主人公がおしゃれなスクエアメガネ(つるなし)かけてるので多分現代かな。
ペルソナシリーズ。ペルソナ5(ゲーム)はクリアに100時間以上かかる作品らしく、手っ取り早く本シリーズに触れる手段としてのアニメ、という位置づけらしい。ペルソナシリーズは一度も触れたことがないので本作がP4以前とどう繋がっているか知らないのだけれど、時系列をわかりにくくした脚本は純粋に「先が気になる」と思わせる内容になっている。先が気になる。
ぞんぞんびより。原作はペル5と同様RPGゲーム。1話の展開が時系列を敢えてわかりにくくする演出になっているのはペル5とよく似ていて、ストーリーの魅力をいかに伝えるか、という作り手の思いが伺える。ゲーム面白そう。
不気味な予感はオカルティック・ナインにも通じる感じがあって、そういうところがRPG原作アニメの特徴だったりするんかな。
かわいい方の化物語。りょうしゃにおける妖怪(怪異)の描かれ方はよく似ていて、「どこにでもいるし、どこにもいない」「神様みたいなもの」「畏怖の対象」みたいな。そういうところは脈々と受け継がれるゲゲゲの鬼太郎の特徴なのだろう。化物語が「主要なキャラクターの心の闇というか、闇の心」をテーマにした作品なのに対して、本作は「現代の闇」みたいな違いがある。わりと社会派アニメ。
ららぽーと新三郷のある埼玉県三郷市で市議会選挙があった。昨年7月23日。ここの自民党系21世紀クラブは以前、議員が万引き。ところが・・・
自民党公明党、がこの議員をかばいまくる。まるで麻生財務大臣のように。
「芳賀浩議員は、2010年3月20日に、市内商業施設において商品を商品を窃盗した容疑で、現行犯逮捕された。報道によれば、本人も犯行を認めているところである。
芳賀議員の行為は、公職である市議会議員にあるまじき行為であり、本市議の意思として、芳賀議員の速やかな辞職を求めることを決議する。」
という決議案である。共産党、市民派クラブ、民主党(当時)らが賛成。
ところがこの議案を提出することに意義がかかり、提出することに反対多数で否決されたのである。
反対したのは、公明党三郷市会議員団、自民党系21世紀クラブ、自民党新政会(現・政志会)で結局議論もされないまま廃案。
さすが自公。笑。
本人側に事情があるのかもしれない。
即刻辞任すべきだ。
理解出来ないのは辞職勧告決議案に自民党と公明党が反対した事である。
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ーーーー
埼玉県警吉川署は20日、三郷市高州、同市議芳賀浩容疑者(67)を窃盗容疑の現行犯で逮捕した。
発表によると、芳賀容疑者は同日午後1時15分頃~3時15分頃の間に、市内のホームセンターでヘアカラーやポリ袋、
ラップなど日用品66点(計1万2314円)を万引きした疑い。芳賀容疑者はカートに商品を入れたままレジを通らずに店外に出て、
駐車場で持参した袋に商品を詰め替えたところを、同センターの女性保安員(58)に取り押さえられた。芳賀容疑者が店内で
きょろきょろするなど挙動がおかしかったため、見張っていたという。
芳賀容疑者は、2009年7月の市議選で7選を果たしたベテランで、市議会最大会派「21世紀クラブ」の代表。議長や市の
監査委員も務めた。調べに対し、「魔が差した」などと容疑を認めているという。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100320-OYT1T01022.htm
なんでキャッシュレス派って現金派を馬鹿にしたり否定するんだろう。理解しようとしないね。現金派はキャッシュレス派を否定しない様子なのに、ワンサイド感ある。アーリーアダプター的な層の人柄特性かな。
消費にはいろいろな背景と人それぞれの合理的な方法があって実行されていて、その選択の多様性が認められるべき21世紀のはずなのに。
本当の意味でどっからどこまでOKでどっからNGなのか把握してる人が雀の涙ほどしかいない
そこそこ知ってる人でも、サービス毎にどういう著作権状況になってるか分かってる人は更に少ない
例えばニコ動は何がOKで何がNGか、Youtubeはどうか、誰がNGになるのか
ちゃんと把握してる人は本気で少ないし
突っ込みすぎると、詳しい人や弁護士でもちょっと議論が起こるくらいややこしい話になる
そのための顧問弁護士なんだろうけど
そんな状態だから、自分の言動に注意してる奴ほど、敢えて著作権違反を責めない
だけどあまりにも密結合すぎて、直すこともできない
ちなみに自分はそこそこ詳しい自信がある
2chやら何やらで遊ぶ時に、どこを超えたらアウトか(逮捕リスクがあるか)調べるからな
たぶん似たような人はそこそこ居ると思う
動画サイトに動画あげてる人とか、二次創作やってる人もな、グレーゾーンを手探りでやってる
だけど彼らは敢えて何も言わない
一番下のクラス(C2)で降級点(成績下位者に付くX)が3個になるとフリークラスに降級します。
但し10年以内に、
2月28日第31期竜王戦6組ランキング戦で421手(21世紀最多)で引分指し直しで敗れた棋士です。
そして今日、第44期棋王戦予選3回戦・日浦市郎八段に勝ちました。
NHK杯予選の勝敗はテレビ中継の関係上不明ですが、次期対戦が3月27日に組まれました。
つまりNHK杯は負け、17勝10敗ではないかと考えられます。
年度内に組まれたということは将棋連盟が配慮してくれたのでしょう。
第44期棋王戦予選4回戦は新進気鋭の青嶋未来五段との対局です。
決して楽な相手ではありません。
米長邦雄永世棋聖は「自分にとっては消化試合だが相手にとって重要な対局であれば、相手を全力で負かす」という言葉を残しました。
青嶋五段も全力で向かってくるでしょう。
森友問題って、結局のところ、安倍昭恵がはっちゃけて名誉校長引き受けて、「妻の自由活動を支えるフトコロ深い俺カッコいい」の安倍ちゃんに媚を売りたい官僚が、いろいろ理屈つけて値引きして籠池に土地売ってやった、ってストーリーでおk、だったワケね。
って言われまくりのハズなのよ。実際アイツのやってることって、オーナー中小企業の勘違い社長夫人そのものじゃん。でも平成も終盤となった21世紀にそんなこと公言しようものなら命取り、フェミ・ポリコレ勢から集中砲火にあう。だからそんなこと、誰も表立って言えない。今の政治を混乱させている震源地だと言うのに。
若干話題が古いけど、こういう対談がある。
「アナと雪の女王」のクリストフはなぜ業者扱いなのか? 夏野剛×黒瀬陽平×東浩紀の3氏が男性視点で新解釈 https://www.huffingtonpost.jp/2014/08/07/anayuki-genron_n_5660493.html
ざっくり要約すると「アナ雪は女性だけで解決してしまい、クリストフはただの業者扱い。男としては疎外感を覚える」というような内容。
>「わざわざ男いらないって強いメッセージを出している。なんでそこまで王子モデルを攻撃しないといけないのかと」
クリストフは王子様じゃないけれど、誠実で素朴ないいやつだ。孤独な変人だけど、仕事と家族を大切にしている。
そこらの王子様モデルよりよほど親しみが持てるし、ありのまま、人間らしく描かれていると思う。
ただ役回りが脇役で、「なんでも解決できるヒーロー」ではないだけだ。
そのクリストフを「業者」と呼んで、アナ雪を男の「排除」「攻撃」と感じる男性の心理っていったい何なんだろう???
◆
個人的に、「アナ雪」は「男いらない」とは言っていないと思う。ただ「ヒーローの男はいらない」と言っているだけだ。アナもエルサも自分たちの問題は自分たちで解決したいし、しなきゃいけない。
ヒーローの男がいると、女は人形みたいなプリンセスとか、救われる村娘Aとか、後列で回復呪文を唱える係とか、とにかく救済されたり、弱者だったり、よくてサポートの役回りを演じさせられる。物語のラストには弱い自分を救ってくれたヒーローと恋に落ちて、結婚するまでが一連の流れだ。まるで舞台装置か優勝トロフィーみたいに。
そういう王道ストーリーを完全に否定するわけじゃないけど、もう古いよねっていうのが今の時代の流れだ。
古い性役割を「抑圧」と呼んで壊そうとするのが昨今のウーマンリブであり、ディズニー作品はそういう社会を反映している。
自分の問題は自分で解決できるのだという確信、主体性を持つこと。
期待される「プリンセス像」を捨て、「ありのままに」なることが抑圧からの解放だと描くこと。
それらが今の時代に生きる多くの女性の支持と共感を集めたんだと思う。
(私個人としてはアナ雪はそんなに好きじゃなかったけど、こういう社会問題をいち早く取り扱って幼児向けのエンタメにできるディズニーってやっぱすげえなと思う)
◆
そんな感じで「脱プリンセス・ありのままのわたし」運動は着々と進むのに対して、「脱ヒーロー・ありのままのおれ」運動は全然進まないように見える。
こっちの此岸では「美しく従順でなんでも受け入れるプリンセス像」を火にくべ始めたのに、
あっちの彼岸では「強くて賢くてなんでも解決できるヒーロー像」を街の中心に据えて崇拝し続けているように見える。「美しく従順でなんでも受け入れるプリンセス像」も現役アイドルだ。
だからそのヒーロー像、プリンセス像を正面から否定してみせた「アナ雪」に、対談の男性たちは反感を覚えたのかもしれない。
男性社会の最高神である「ヒーロー像」を否定することが、まるで「男という性別」への攻撃のように感じられたのかもしれない。
ただ思うのは、脇役のクリストフこそ、「ありのままのおれ像」なのではないかということだ。
確かに、そういう強いヒーロー像を崇拝する男性社会はこれまで人類史で栄華を誇ってきて、結果も出してきた。歴史があるし今も続いている。
だけど、すべての男性がヒーローになれるわけではない。弱い人、賢くない人、色んな事情を持った色んな人がいる。そこを配慮せず弱者を切り捨て、マッチョイズムだけをよしとする社会は公平さに欠け賢くない。
ヒーローの強さだって言っちゃえば暴力だし、そんなのこの21世紀にアナログすぎる。
だから多様性の時代になってるわけだし、弱いものに底上げが必要なんだと思う。アファーマティブアクションってやつ。女性もそうだけど、いわゆる「弱者男性」だってそうだ。誰もが自尊心を持って生きる権利がある。
多くの男女の自尊心を削る「ヒーロー像」「プリンセス像」は一度打ち壊して、火にくべるときが来た。父権社会の解体が、今世界的なムーブメントになっている。
◆
男性はどうも「モテ」に固執してしまうふしがあるようで、女を「モノ」にすれば「男になった」と認められるような悪習がある。
まるで男が自尊心を得るには、女の人権をかすめ取らなきゃいけないみたいな言い方だ。
より多くの美しい女を取得することを自己価値のバロメータとして、他者と比べあい、自分をいじめるみたいな悪癖がある。
女性もそういうことは普通にするけど、男性のそれは比じゃないというか、ちょっと理解の範疇を超えてくる。
そこには生物的な性欲の違いや繁殖欲だけでは説明しきれない、人間的なドロドロとしたもの、文化形成された支配欲や加害欲と入り混じった、「女」への憎悪・悲哀・妄執を感じる。
そういう恋愛観のまま接するからお互いうまくいかなくなる。女からすればそういう男は背後に暴力性がちらついて見えるわけで、嫌悪感や恐怖感が出てくる。性行為と性暴力って全然別のものだと思うのに、相手はしばしば混同しているように見える。
そもそも自尊心や自己肯定感というのは、自分の中で育てるものだ。社会的地位や容姿、「モテ」「非モテ」と関係なく、無根拠に持っていていいものだ。自己価値は異性にアウトソーシングして調達するものではない。
やはり男性も、「ありのままのおれ」になるときだ。「男らしさ」から解放されるときなのだ。
◆
「Metoo」や「女性専用車両」や「女性だけの街」、性犯罪やジェンダーの話題はとにかくネットで炎上しやすい。
そのときの会話の噛み合わなさに、いつも此岸と彼岸の隔たりのことを思う。見えているものが違いすぎると思ってしまう。「女性専用」という言葉や、性犯罪者の告発に怒り狂う男性たちはあまりに不可解で、言葉が通じない恐怖がある。
「すべての男性が性犯罪者ではない。俺を犯罪者扱いするな」というのがよく言われる意見だ(ノットオールメン)。しかしそんなことは自明なわけで、誰も「男全てが性犯罪者だ」なんて言っていない。
なのになぜ自分を「男性」という共通項のみで性犯罪者側に寄せ、「俺への攻撃だ」と思い込んで怒るのだろう? 同じ「善良な市民」という共通項で、被害者女性側に寄せ、性犯罪者に対して怒ることはできないんだろうか?
もちろんそういうことが自然にできている男性もいるが、現状では少数派に思えるのだ。
そういった怒りの背景には内面化された強固なホモソーシャルの価値観や、ミソジニーや、「ヒーロー像」へのコンプレックスがあると思うのだが、ここらへんを掘り下げた男性自身の話はあまり聞かない。
男社会で男であるということは、特権であると同時にプレッシャーでもある。うまくやれればまだいいが、うまくやれない人はやはり苦しい。
男社会ゆえの苦しさを、男社会ゆえの特権でもって、女に加害したり、女に癒されようとしているように見える。そうやって留飲を下げる男性たちは歪んでいるし、やはり何かに呪われているように見える。
脱線したけど、そういったヒーローになれない男性が救われるかどうかは、男性の意識の問題なのだと思う。
「ヒーロー像」を手放すこと。「プリンセス像」を押し付けないこと。
クリストフみたいなキャラクターを否定せず、「ありのままのおれ」を受け入れること。自分と同じように、他者も尊重すること。
旧来の「男らしさ」にとらわれて、自分を大きく見せようとしたり、誰かを貶めないこと。ささやかな自分自身の中に自尊心を見出すこと。
そのへんが大事なんだと思う。
ツイッターの観測範囲だと、そういう呪いを手放して楽になった男の人も散見するようになった。今は過渡期なのかも。
男だ女だって主語デカイ話書いたけどみんな楽になればいいのにな。いや理想論だけど理想のないリベラルって存在価値あんのか? 民主主義だって奴隷の解放だって女性の社会進出だってかつては理想論だったやん??って思う(このへんルトガー・ブレグマン著『隷属なき道』にくわしい)
マイケル・キンメルatTEDWomen 2015
で、『仮面ライダー』のショッカーも、『宇宙戦艦ヤマト』のガミラス帝国も、『機動戦士ガンダム』のジオン公国もナチス(ファシズム)のイメージだった。
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21世紀の現代、Twitter見てりゃ「アニメや漫画の好きなウヨ」は目立つけど、いかにもウヨが好みそうな
って作品ってある?
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まあ『スターウォーズ』みたいな「話の発端では弱小勢力の主人公が、強大な帝国に立ち向かう」ってな図式は娯楽の作劇として常道だろうけど、それはそれとしても、ウヨの理想に合致するエンタメってほとんど見あたらない気がする
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たとえば『ONE PEACE』は海賊だから、主人公は国家権力には反抗する立場、巨人族や魚人などの異種族に差別的な奴は悪役と決まってる。
つか、『デビルマン』から『亜人』まで、エンタメ作品じゃ人外の怪物(差別されるマイノリティ)の側の視点に立った作品の方が多い気がする。
ヒラコーの『ドリフターズ』も力による征服や支配を肯定する男性原理全開なのに、エルフとかドワーフとかの人外被差別種族には優しい。
『攻殻機動隊』も『PSYCHO-PASS』も主人公は警察官ながら国家権力に忠実かと言えば、国家権力の方が悪者みたいな描き方だった。
主君への忠義を描いた『忠臣蔵』だって幕府権力には逆らってるから切腹させられてるし、逆にそのせいで江戸の庶民には人気があった
『ルパンレンジャーVSパトレンジャー』でも警察権力より泥棒のが格好いい。
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職業軍人が外敵と戦う『進撃の巨人』はウヨに受けが良さそうだけど、主人公が属する軍隊組織の中枢はずっと腐敗してて、憲兵隊は正義ではなく、敵の巨人は異民族異人種ではなく同じ人間というオチだった。
まあ現在は右派の方こそ「自分ら=少数弱者/サヨク&外国=巨大な権力悪」ってイメージなんだろうけど、それって完全に左翼の世界観じゃね?
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じゃ、ウヨに人気ありそうなミリタリ系はどうか。『艦これ』の深海棲艦は連合国か人間ではない異種族なのかといえば、じつは死んだ艦娘らしいと暗示され、のちには連合国艦艇が味方キャラで出てきた。
ガルパンでは、帝国陸軍らしい知波単はアホの子扱いで、米英とかの連合国をイメージした他校も悪役っぽくない。日本のウヨ的には、知波単が最高に格好いいヒーロー役で、プラウダとか卑劣な最低のクソ学校じゃないといけないんじゃね?
臆面なく日本の軍隊バンザイを全面に出してる作品て、『ゲート』ぐらいしか思いつかん
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追記:戦前の亜細亜主義みたいな多民族連帯型右翼や、三島由紀夫や戦前の皇道派みたいな反体制的な尊皇思想の存在は知っとるけど、現代ではマイナーな潮流なのであえて省いた。
ここでは話を簡単にするため、ウヨ的とされる要素を、現代のアニメアイコン保守論客のなかでの多数派の特徴っぽい「国家権力(つか自民党政権)バンザイ」「排外主義」に絞った次第。
anond:20180303232626 の続き。
もう一つ考えてみたいことがある。ナウシカの世界は、私たちのいる21世紀よりずっと未来だとされている。そしてナウシカの世界のさらに未来がOn Your Mark だと言われているがそれはまた別の話。
ここで "歴史は繰り返す" とすると、実はナウシカの世界はずっと過去の世界で、21世紀の地球は滅びの一歩手前にあったナウシカの世界を経て再興した世界だとも考えられる。
その時、果たして我々はナウシカの末裔なのだろうか?それとも「私達のように凶暴でなく、おだやかで、かしこい新人類」の末裔なのだろうか?
私は前者だと考える。仮に後者であるとすると「凶暴でなく、おだやかで、かしこい人間としてプログラムされた新人類」は、21世紀に到達することなく、ごく短期で絶滅するからだ。これは何度も書いているが新人類は生命力が弱すぎるから。
新世界では直接的な脅威はほとんど駆逐されている。しかしそれ故に進化速度が遅い。進化にはある程度は長期的に生き残る必要がある。一種類のウイルスで全滅していてはそれも難しい。
21世紀の人類が「新人類の末裔である」と考えると矛盾が起きる。よって、21世紀の人類は新人類の末裔ではない。つまり「新人類」は「ナウシカの世代」に負けたのだ。
この21世紀に生きる人々はナウシカの世代の末裔である。"生きることを諦め全てをリセット" を選択しなかったからこそ、今の私たちの生命がある。そして確かに私たちは「凶暴で賢くないナウシカ世代」を体現している。
ではこの世界で「凶暴で愚かな私たちは絶滅させて新人類を生き延びさせるべきだった」「私たちは存在すべきではなかった」と考える人がどれほどいるだろうか?現実には多くの人は、そのようなことが起こった事実さえ知らず今の命に感謝して生きているだけだ。
というあなたの予想とは矛盾するんだよ。当然あなたのように漫画を読んで、一つの考え方として上記のような疑問を持つ人もいる。しかしそのような疑問をもつ事自体が、私たちが「後悔し」「罪悪感を持ち」自分と他人を比較できる心があるからこそできるわけで、新人類にこんな芸当はできない。
つまり、あなたの言う「ナウシカのいる現人類は滅び」「おだやかで、かしこい人間が生き残る」世界が存在可能だとすると矛盾が多く出るんだよ。証明において「○○であるとすると矛盾が生まれる。よって○○ではない」というのは一般的な方法だ。
当初から私はこれらの矛盾点について指摘し、あなたが何か的確な返答をしてくれると期待していたのにろくな返答はなかった。
であれば、ナウシカの最終判断について責を負わせるべきではない。ナウシカは「正しい回答をできなかった」こともあるだろう。だから、「自分はそうしたくない」「自分はナウシカの決断は間違っていると思う」と言うことには何の問題もない。
しかし「ナウシカは恨まれるに違いない」「人類滅亡まで問われ続ける」「ナウシカは大量殺戮者として人類に記憶されるだろう」なんていう存在しない他人を使って自身の意見の正しさを補強しようとするのは間違いだ。
私たちは、一度始まってしまうと取り返しがつかない、その前に止める必要がある、という教訓をすでに知っている。風の谷のナウシカもそれを描いている。
将来核戦争が起きたとしても、恨まれるのはナウシカではない。漫画の登場人物と同様、時の独裁者やそこに至るまでの自分自身を含めた人類全体を恨むくらいだろう。
そして「人類に絶望し、新人類を作る」か「それでも諦めず、その場を生き延びる」かはその時の人類が決める。21世紀の人類が決めることではない。こう書くと「新人類の未来だって現人類に決められたくなかった」とまた言うかな……。この二つの違いが分からないだろうか。
歴史は繰り返すから、過去の例を比べ今度は新人類を生かせる方法を考えておこう、とするのはいいことだけどね。私には現状「取り返しがつかなくなる前に止める」くらいしか思いつかないな。