はてなキーワード: 目覚まし時計とは
朝起きてボーッとする時間が必要で身体が動き出すまで起き上がってボーッとしているそんな二度寝じゃないけれど、
その瞬間が心地良くって、
だんだんと暖かくそして日が明るくなる時間帯が早くなってきていると同時に日も長くなってきたかしら?って思うのよね。
春はもうすぐだわ!
いつも思うんだけど春眠。
目覚ましかけて起きてあと5分!
もう少しで良いのあと5分だけ!って時あるじゃない。
その5分で睡眠効果がどのぐらいあるのかしら?って思うのよね。
そしてまた5分!
それの繰り返しで目覚ましを止めつつ5分ごとの繰り返し。
これはきっとお布団の中が温かくてって状態だけなので
そうなったらもうえいや!って起きて
いや起きるた方がいいと思うのよね!
だから今日こそは!って思って起きたらだんだんと春が来て近づいてくる初春のイキフンを覚えつつ
温かくなってきたことに対して目覚めやすいなぁーって思ったのよ。
だんだんと温かくなってきたと言うことに寝起きがいいことと
最近のしっかり最低でも6時間は睡眠時間を摂ろうという実践的なこともあり、
なかなか朝快調なのよね。
あと5分なのよ!
でね、
しっかりと人間が起きた起床したってことをなんか感知ちゃんとしているみたいで、
それもあって、
もうえいや!って起きるようにしたのよね。
スマホで仕掛けた目覚ましは鳴るけれど、
目覚ましが鳴って遠くで鳴ってるから起きて止めなくちゃいけない際にもう起きちゃう効果がないのよ!
リモートで目覚ましが止められたらそれは本当に目覚ましだと言うことなのかしら?
カーテンから漏れ入り込む朝日でソーラーじゃけん!って言いたいぐらいよ。
あーもうさそんななにこれ?
御託を並べていないでもうそれを言うならタニコーの五徳の如く、
5分延長してもしなくても良いなら
すぱーんと起きて朝イチの目覚めにインカにフォーカスを当てた方がいいのよね。
四の五の言わずに六までも七までも、
あと5分なのよねー。
窓から投げ捨てた目覚まし時計が放物線を描いて飛んで行くさまは
春だなぁーって思うのよね。
諦めてシャキッとして起きることにするわ。
ずっすり起床時間前の寸前に目が覚めると、
それはそれでぐっすり途中で目覚めなかったのは良いけれど、
なんだか二度寝チャンスをゲット出来なくて、
オセロパネルクイズの角をどうして取らないのかーって児玉清さんばりに怒られたり
その二度寝チャンスを得ないなんか損した気もあるけど、
これはこれで
ぐっすり寝れたのか
二度寝チャンスをゲットしてエールフランスでパリ旅行を獲得する夢を見るのか、
どちらかだと思うのよね。
そんなぐらいな5分のでもそんな二度寝チャンスなら
なくてもいいのかしら?って言うのが正直なところね。
まあいつまでも御託を並べていても仕方が無いので
シャキッと起きて顔洗って出掛けるとするわ!
うふふ。
ユタ州のクノールって町の本場コーンポタージュスープはコーンポタージュスープ界隈の憧れでもあり
一度はのでみたい本格的な本場のコーンポタージュスープなのよね。
思いが馳せるわ。
オフにするにはまだまだなのよ!
いやそういう意味じゃなくて、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
目覚まし時計が鳴ると同時に、人類絶滅の可能性まで考えちゃうんですよ。そんな時、なりたくない未来を回避するための裏技を知りたくなりますよね? ならない……そうですか。ちょっと寂しいです。
でもさ、ありえない数字を見てると、そんなこともどうでもよくなります。例えば、誕生日プレゼントの値段を見て、「これは自分の給料じゃ買えない!」ってため息が出ちゃいますよね。最低賃金に少し毛が生えた額しか私はもらえていません。自覚がない人もいるんですけど、その経緯を考えると、ため息が出るのも無理はありません。幸せが逃げていくという自覚はあるんですがね。
最近、内藤さんって人が話題ですよね。なんか規制法案に関係してるらしいですけど、騒がない理由も分かりません。あれって、内々定を出したい企業とか関係あるんじゃないかな?そう思うと、桜の葉のように、風に舞いながら情報が広まっていく感じですよね。ちなみに内藤という名前は仮名ですし、規制法案も私はあまり理解していません。実際内々定についても何も知りません。
でもまぁ、そんなことよりも重要なのは、何かを誕生させたい未来ですよね! 人類が滅亡する前に、みんなで楽しい未来を作りましょう! それでは、笑顔で一日を始めましょう!ありがとう!
https://twitter.com/gokushufu_comic/status/1634195330173648897/photo/3
天使と悪魔が人を良心と誘惑のどちらに導くかの綱引きをする概念自体は太古の昔からあるようだ
Shoulder angelのwikipediaのページに記載はないが『ドナルドの腕白時代』(1938年)がその表現の中でかなり最初期のものになりそう
ある朝。起床の時間となり目覚まし時計が鳴るが、ベッドで熟睡するドナルドはなかなか起きられない。すると心の中の天使が現れ、ドナルドに早く起きるよう促す。渋々起きようとするドナルドだが、本当はまだ寝ていたい。すると今度は心の中の悪魔が現れ、もっと寝ていろよと囁きだす。悪魔の誘いに乗り二度寝してしまいそうになるドナルドだが、天使は大声を出してドナルドを強引に起こし、学校に行く支度をするよう叱りつけた。
このQuoraでも質問されている
別の調べものの副産物で、心の中の天使と悪魔がバトルする概念の歴史についてもわかったのでメモ
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こちらも詳しい
『インサイド・ヘッド』やカタリナファイブなどのような脳内会議ネタの初出って何でしょう?マサル会議とか『ぱにぽに』『ボボボーボ・ボーボボ 』なんかにも出てきていましたよね。 | Quora
Quoraの内容鵜呑みにしていいのかよ?という話もあるが
この回答者は自分と同じく『ドナルドの腕白時代』に辿り着き、それが初出ではないかという説を述べている
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今回調査をさぼっている、光輪の歴史を調べていてついでに拾った情報だけでメモを書いている
の一文ですましちゃ本当はいけない
不完全なメモ
あー、しまったな
という書き方にしたら嘘になってしまうか
お約束としては20世紀よりはるかに古くからある、ビジュアルイメージを伴ったお約束として表現が固まったのが20世紀以降……が正確か
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体系的に学ばずに雑学つまみ食い的に情報拾うからこういうことになる〜
しかし『荒野の誘惑』には良心役の天使が登場せず、誘惑役の悪魔のみ登場する
どの時代から誘惑する悪魔とセットで良心役の天使が登場するようになったのか?を調べると面白そうだ
というか、shoulder angelの本質は「良心を擬人化して天使として描写する」ことにあるのかも
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「History of sholder angel」でぐぐって上位に出てきたページを総ざらいして読む
https://www.quora.com/Symbols-Whats-the-origin-of-the-shoulder-angel-and-the-shoulder-devil
https://ucatholic.com/blog/do-you-know-the-christian-origins-of-shoulder-angels/
ここらへんを訳して読んで関連した資料を探す
やっぱり手抜きはよくない
ざっと単語だけ拾い読みした限りだとファウスト由来が濃厚に見えてくるが……部分部分は近くても微妙に違うんだよな
やっぱりキリスト教文化について調べるの面白いな、延々と掘れる
……って、なんか単語を拾い読みするとイスラム教についての言及がそこそこあるな、アブラハムの宗教という括りで語らないといけないくらい古くからある概念ってこと?
うーーーーーーーーん、イスラム教についての知識はほとんどない……困った、調査のモチベを維持できるかどうかが勝負
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肩にのるくらい小さな姿になったのが20世紀になってから、という風に書かないと嘘だなこれ
15世紀らへん……
良い天使と悪い天使がセットで現れるのは神秘劇のお決まりパターン、みたいなことが書いてあるな
神秘劇または聖史劇(しんぴげき、せいしげき 仏:Mystère、英:Mystery plays)は、15世紀のフランスを中心に中世ヨーロッパで発達した宗教劇で、旧約・新約聖書に題材を得て、イエス・キリストの生誕・受難・復活の物語を主題とした劇のこと。奇跡劇(奇蹟劇、Miracle plays)とも。
そうか、劇だと人が演じないといけないから肩にのるくらい小さな天使悪魔という表現はやりようがないしやる必要もないのか
『ドナルドの腕白時代』でも肩にのるようなミニサイズではなく普通の人間サイズ(ドナルドは人間ではなく鳥だが)だった
カートゥーンで表現されていくうちにいつのまにかサイズが小さくなっていったのか
なるほどなあ
冒頭で迂闊な書き方しちゃったなあ
取り消し線しとくか
取り消し線はdelタグ
wikipediaの『Shoulder angel』のページで『ドナルドの腕白時代』についての言及がない理由もなんとなく想像が出来る気がする
In modern mediaの項では文字通り肩にのるサイズの描写に絞ってるのかもしれないな
……ってわけでもないのか、『Angel on My Shoulder』って映画が反例になる うーん謎 まあwikipediaだしな
毒親を持っている人のブログを読んだり話を聞いたりすると思うことがある。
毒親持ちの人の体験談は、それはそれは凄惨で、進学させてもらえないとか仕事もせず家に居座る親が暴力を毎日振るってくるとか殺されかけたとか……。親元を離れて立ち直った人もいれば、今なお親の影に苦しんでいる人もいるだろう。そんな彼等を見て自分はこう思うのだ。
「この人に比べれば自分はマシな親を持っているのだろう」
そしてこうも思う。
「だから決して、自分の親が毒親持ちと思って甘えてはいけない」
けれど、ずっとそうして生きてきたのだけれど、最近親と共に過ごすことが辛くなってきた。「おはよう」と話しかけられるだけで動機がして、頭痛がする。眠れない夜が増えた。これは家族間の関係として健全なことなのだろうか。今一度自分の親が毒親ではないのか客観的に整理したくて、文章に起こすことにする。
彼は毎日仕事に行き、給料もきちんと家庭に還元しているし、私の進学を阻むようなこともなかった。大学まで出してくれて、一戸建てを持っており、ギャンブルや浮気の経験もない。
もうこれだけで私が数々見てきた毒親像とはかけ離れている。だから私は父に感謝をしなければならないし、軽い気持ちで毒親などと言ってはいけないとずっと思っていたのだ。
ではなぜこの男に声を掛けられる度に不愉快な気持ちになるのか。それは父の性格に起因している。
単刀直入に言って、父の性格は自己中心的で周り、特に家族のことを常に見下している。
例えば「明日出掛ける」と言うと「何時に?」と聞かれる。ここで少しでも返答が遅れると「なんでそんなことも分からないんだ」
例えば私が昼ご飯を食べようとすると「昼ご飯を食べようだなんて悪い奴だな」
私は何か悪いことをしただろうか。毎日のようにこういう無意味な罵倒をされ、どんどん神経がすり減っていく。もっと酷い人格否定をされたこともある。「子供は親の奴隷なんだから黙って言うことを聞け」と言われたこともある。けれどそれを本人にやめて欲しいと言っても「俺はそんなことは言っていない」「これもコミュニケーション」「冗談もわからないなんて心の狭い奴だ」。話にならない。
ではもし反撃してこちらが「馬鹿親父」などと言ったらどうだろうか。まるでやくざのような気迫で威圧し、怒声を浴びせ激高し、床を踏み鳴らし机を拳で殴る。それでも収まらないときは手近なものを破壊し、最終的には暴力に発展する。さすがに暴力に発展することは稀(というかそうなる前に謝ったり宥めたりしているの)だが、家でも外でもお構いなしに蹴られたり殴られたことがあるし、母に至っては数回骨折沙汰になったことがある。
力ではどうしても勝つことが出来ない。だから何を言われても、私は黙って受け流すしかないのだ。
もうひとつ私を苦しめていることがある。それは父の奇声だ。上記はまだ共感できる人も多いだろうが、これに関しては珍しい上に恥ずかしい話過ぎて誰かに相談することもできず、ずっと悩んでいる。
父は昔から声が大きい。最近耳が悪くなってきて殊更声が大きくなってきた。それは加齢によるものなのである程度は仕方ないのだが、問題は奇声を発することだ。
奇声といっても金切り声でなく、例えばYouTubeの動画でユーチューバーやゲーム実況者が驚いたり興奮した時にスマホが音割れを起こすほどの大声を出して、慌てて音量を下げた経験はないだろうか。あれを、何かの撮影でもなく家の中でやる。還暦をすぎた男が。
誇張なく、いきなりリビングで「うおおおおお!」とか「うぎゃあああああ!」とかいうのだ。病気だとしか思えない。しかも時間は問わない。父が叫びたくなった時に叫ぶ。毎日、毎日、何度も何度も。
だから朝、目覚まし時計より早く父の絶叫で目を覚ますことはざらにあるし、そういう時は心臓が縮み上がる程驚く。
一度気になってデシベル測定をしたことがあるのだが、結果は80~90デシベルだった。これは地下鉄の車内や布団たたき、ブルドーザーの音に匹敵するらしい。
もちろんやめて欲しいと何度もお願いしたし、精神の病院は勧めた。当たり前だが病院を受診するはずもなく、しつこく言ったところ「頭がおかしいのはお前だ」の言葉からはじまりあとは前述した通りである。
他にもおかしいところをあげればきりがないのだが、最後に一つ父の一番理解できない話をしたい。
私は生まれつき肺に病気を患っている。これに関して両親を恨むつもりはないし、長く生きられないと言われていたところを手術を受けさせてくれて、他の人と同じ日常生活を送ることができるようにしてくれたことに感謝をしている。
だが100%なにもかもが健康体になったわけではないし、今でも肺には他人よりもハンデを抱えている。だから掛かりつけのお医者さんには肺や心臓を大切にしてねとさんざん言われているのだ。
その子供を持ちながら、父は平気な顔で紙煙草を吸う。別に隠れて吸うのなら構わないのだが、私が幼いころ(手術前)からキッチンで、リビングで、果ては外食した時に私が食事中でも対面に座ってぷかぷかと吹かす。その量は1日に1箱近い量だ。父が家にいると一日中家が煙草臭くなる。
あまりにも臭いのでベランダで吸うようお願いしたら、窓を開け放したまま足だけベランダに出して吸っている。当然窓から副流煙がリビングに逆流してくる。だったらせめてと空気清浄機を近くに置いたら「音がうるさい」「俺に対する嫌がらせなのか」と不機嫌な顔をしながら空気清浄機を止める。
キッチンで皿洗いしていると後からやってきた父が「煙草を吸うから退け」と言う。せめて洗い物がキリのいいところまで待ってとお願いしても「待てない」と吸い始めるか、真横でものすごく不機嫌なオーラを出しながら急かしてくる。たった1分ですら待つことが出来ない。
このようなことは言いたくないのだが、私が煙草を吸わないで欲しいとお願いするのは、あなたの遺伝子を引き継いで作られた身体に欠陥があったからなのだが、父には何一つ思う所はないようだ。どうも母に聞いたところ、妊娠中も平気で母の前で煙草を吸っていたらしい(母は避けようと頑張っていたようだが、当時狭いアパート暮らしで限度があったようだ)
こんな父だが、ことあるごとに口先だけではこう言うのだ。
「俺はどんな時もお前の味方だからな」
ふざけるのも大概にしろ。人の人格を毎日否定して、やめて欲しいとお願いしたことを喜々として余計にやって、泣いて「もうやめてくれ」と言ったことには「人が泣いてるのをみると殴りたくなる」と言い放って、人が買って来たものを許可も取らずに盗んで食べたり使用したりして、電車で数駅のところに遊びに行っただけで土産をせびり、感謝を強要し、都合が悪くなると「冗談」「コミュニケーション」と逃げるか激高して無理矢理黙らせるかして、大声で絶叫して、持病もちの前で煙草をやめない。
父の言動を聞いていると、本気で自分は「娘を愛する良い父親」だと思っているようだ。仕事に行って金さえ払えば良い父親なのだろうか。自身の子供が眠れない日が続いて、悔しくて苦しくて涙が零れて、頭痛がやまなくなっても、父にはその姿は見えていない。
この父を毒親と言っていいのかずっと悩んでいる。この程度で毒親と言ってしまうと、「この程度で毒親持ちの被害者面するな」と言われてしまうのではないかと思ってしまう。
けれどこの男を父として認め普通の親として扱うには、もう精神の限界が出てきているようにも感じている。
自分はストレスに強い人間だと思っていたし、実際いわゆる「鬱」に当てはまるような症状や過呼吸や胃潰瘍もでていない。だからこの悲しさも辛さも大したことはなくて甘えなのだろうかと思う。身体に大きな不調が出れば、父はなにか変わるだろうか。いや、変わらないだろう。しかし、大手を振って家を出ていくチャンスになることは間違いないだろう。けれどそれもないのなら、もう少し耐えるべきなのだろうか。
家を出ていけばいい。それは間違いなくそうなのだが、父と二人きりにしたらいつか母が殺されてしまうのではないかという恐怖もある。両親から「お前は独り暮らしができない」と何度も言い聞かせられて、まるで呪いのように縛り付けられている感覚もある。一人暮らしをしたいと切り出したあとに、激高され毎日不機嫌なオーラを出される中過ごさなければならないのが怖い。踏ん切りがつかない。これは甘えなのだろう。
そういう中途半端な親元に生まれた私は結局今日も、本当の毒親よりはマシと言い聞かせながら父の顔色を窺う、情けない生き方しかできないのだろう。
「朝は四本足、昼は二本足、夕は三本足。この生き物は何か?」
それに対して私は「私です!」と答える。
朝、目覚まし時計が嘶くと戦慄きながら私は布団を這い出る。
土色の我が顔を見ながら歯を磨き、火傷しそうなコーヒーを入れ、二枚のトーストをがぶりと食べる。
家具をどったんばったんさせながら家を飛び出し、電車に乗る。職場で笑顔を振り撒き、おはようございますと微笑みかける。お腹が痛い。トイレに駆け込み何とか午前を乗りきった。
お昼になる頃にはだいぶまともで、私は同僚とお昼に出かけ、談笑に花を咲かせる。
午後の業務が始まれば株価のような血糖値の上下動。ぼぉーっとしつつも仕事をこなし、3時休みにどら焼きを食べる。
夕方になればあと一息!と気合いを入れ直して全力で仕事に取りかかる。
Pink Floydの狂気って海外ではセックスする時の定番BGMだったらしいけどTimeの時の目覚まし時計の音でビクってならんのかな
この増田というかこれについた反応やブコメを見て思ったんだけど、適当な定義で強い言葉を振り回してる人間多すぎ
「人間扱いしていない」 だぞ?
人間扱いしていないっていうのは、ためらいや罪悪感を持たずに人をぶっ殺すとか、人身売買とか、完全な無視(存在の否定)とかそういうのだろ
人間扱いとは
だの
だの
若い女性に初対面で「おっぱいおっきいね。何カップ?」とか「彼氏いるの?」とか聞いちゃうキモいおっさんだって相手をセックスの対象としてみてるんだからこの上なく人間扱いしてるだろ。
逆に、電信柱とかカクレクマノミに対してナンパしたりセックスしたがるやついるか?
なんで性欲向けたら人間扱いしてないことになるんだ?
初対面のおばあちゃんと話すとき、そのおばあちゃんがどこからどうみても一般庶民おばあちゃんだったときと英国の女王だったときで対応変えないやついるか?
変えないやついたらそっちの方がやばいだろ。
相手の属性で振る舞い変えるなんて日常のあらゆる場面で誰でもやってるし、それは「人間扱いしてない」ことにはならない。当たり前の話。
美人(イケメン)と不細工で態度変えないやつはいても、そいつが常に相手の属性で態度を変えないわけじゃないってこと。
いや大抵の場合、相手の人格を無視してようが軽視してようが否定してようが、人間としては扱ってるだろ
人格を無視してたとしても、相手を目覚まし時計やオムライスのように扱ってるわけじゃないんだから
相手の人格の存在そのものを認めていなければ、人間扱いしてないと言えるかもね
ここまで読んで「ごちゃごちゃ屁理屈こねんな。そういうことじゃないんだよ」って思ったやつ。
もう一回よく考えてみて
なんでこんな攻撃力高い言葉を自分の都合で勝手にハイコンテクストな定義をつけて、あまつさえそれを他者に向かって投げつけてんの?
そっちの方がよっぽど醜悪だろ。
「性欲を向けない」でも「属性で態度変えない」でも「人格を尊重」でもいいけどその定義はどこでコンセンサス取ったの?
いいか?
「若い女性というだけで性欲の対象として見る」 ことは 「相手を人間扱いしてない」 ことではない
「性別や年齢や国籍、美醜など、相手の属性で態度を変える」 ことは 「相手を人間扱いしてない」 ことではない
「相手の人格を尊重しない」 ことは 「相手を人間扱いしてない」 ことではない
「相手を人間扱いしてない」 って言葉の意味は 「相手を人間扱いしてない」 ってことなんだよ
わかった?