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はてなキーワード: 深い闇とは

2016-02-07

精神障害の人が書いた文章面白すぎる

 特に個人ブログとかに生息している、心の病気の人が書いた文章が本当に面白い

 はてブでもたまにホッテントリするが、その筋の話題には必ずいる。医療関係で言えば「ワクチンは巨大製薬会社でっちあげ」とか。政治関係でいえば「◯◯(災害名)はアメリカ秘密兵器」とか。まあ、そういうネタにはまってる人でも大半は、他のことになれば冷静な判断ができるし、ついったとかを見れば一応会話が成立している。そいつらは別に面白くない。単にちょっと「学而不思則罔、思而不学則殆」と思うだけ。

 しかーし!その中に光るダイアモンドはある!現代社会が生み出したインターネッツ深い闇はヤツらに格好の図書館演説台を与えてしまったのだ。ありがとうバーナーズ=リー!ありがとうmixi

 彼らの書く文章一種アウトサイダー・アートだと思ったほうがいい。テレビニュース・近所の様子・本人の近況、それら全てが有機的に結びついて、一つの(少なくとも彼らは一つだと思っている)結論に向かって収束する。もちろん、論理はかなり意味不明だ。はたして、文章のなかの「地震兵器」を「ロスチャイルド家」に置換しても文意は通ってしまうかもしれない。しかし、そんなことはどうでもいい。彼らの「住む」世界のありようは、こんなにも単純で、複雑で、そして面白いのだ。画面の向こうの一貫した妄想は、私部外者にとっては小説と同じか、それ以上に楽しめる。

 このゴミみたいな愉悦を満たす、更なるクレイジーサイコブロガー募集しています

2016-01-17

だがしかし、その左腕は...

アニメみた。

ほたるさんの左腕につけているのは、間違えなくリスカの傷をかくすためのモノだと思った。

おっぱお大きいくせに、心に深い深い闇を抱えているに違いない...

2016-01-15

私が結婚しない(できない)理由

1.年齢相応の十分な貯金がない

もはや言葉はいらない。

これでは誰も寄り付かない。

2.借金がある

自動車ローンが1つ。

それも、労金で組んだごく普通のもの

決してアヤシゲな街金などで借りたものではない。

他はスマホ本体代金分割払いくらいか。

このくらいなら抱えている人も少なくないのかもしれない。

ただ、過去に「自動車ローンがある=借金がある」ことを理由に交際を断られたことがある。

このあたりの捉え方は人によるといえばそれまでだが、マイナスにこそなれ、プラスにはならない。

3.親が破産者である

10年ほど前だが、親が営んでいた自営業破綻した。

家をはじめあらゆる財産をもっていかれ、負債は帳消しになったが現在借家暮らしで持ち家はない。

なお、田舎なので持ち家が当然という環境である

また、借金取りや債権者に追い回されるということもなければ、私名義の負債があって破産処理されず残っている負債があるということも一切ない。

ただなにより「破産者前科者」という世間の目、これだけは揺るがない。

実際は破産犯罪ではないが、これも田舎であるが故かこのような偏見・色眼鏡を向けられないということはない。

1.や2.はわずかながらこれから改善余地があるが、自分の中では永遠に消えることのない3.が特に大きい。

もちろん、3.の事由がなかったからといって結婚できるほど私は魅力的ではないが、「破産者前科の子」を結婚相手として認める親はいない。

通常はこのような事情を知られることはないし、話す必要もないのだが、結婚ともなれば打ち明けないわけにはいかない。

打ち明けたとき相手およびその親族から向けられる反応を考えると、恐ろしくてとてもじゃないが結婚など考えられない。

世の中にはこうしてあえて結婚しない/できない人間もいるのだ。

無論、これとは比較にならないほど深い闇を抱えている人間だっているだろうがな。

結婚しない(できない)理由自分以外に責任転嫁しているだけと見る向きもあるだろう。

しか結婚は相手があるものであり、自分だけで自己完結できる性質のものではない。

いずれにしても、私はそもそも結婚を考えるというスタートラインに立つ資格すら備えていないのである

2016-01-14

化血研の血液製剤承認製造について

化学及血清療法研究所通称化血研の一連の報道について思ったことを書いてみる。

ニュースではけっこう騒いでいたけれど、ネットではあまり騒ぎになってないので、あんまり興味が無いのかな?

個人的には、小保方さん以上に深い闇だと思う。

大雑把にまとめると、

1.国に承認が得られた方法と異なった製造方法血液製剤を作っていた。

2.具体的には、当局に届け出ずに勝手製法改良を行って、それを隠していた。

3.安全性問題がないデータがあったのに、製造記録の改ざんをしてまで、40年にわたってそれを隠し続けた。

4.閉鎖的な業界の体質が悪いから業界のあり方を変えたい⇐今ここ

じゃあ、なぜ製法変更の申請を届け出なかったかというと、

届け出ると、その届出が認められるまで約9ヶ月かかる。

その間出荷できない。

から届けなかった。

何度か届け出るタイミングはあったが踏みきれず、そうこうしてるうちに薬事法改正され、締め付けが厳しくなり、バレないようにと嘘に嘘を積み重ね、今になって発覚。

アホかと。

で、それが発覚したあと、厚労省その外部団体等々、激おこプンプン丸

でもどうしたかというと、出荷停止は社会的影響が大きいから出荷を認めるという。

安全性は、国が全ロット国家検定という品質試験をしているか問題ない。

腑に落ちない。

なんでも、製薬会社がその手の申請をする前には、向こう9ヶ月ぶんの在庫を確保してから手続きを踏むらしい。

掃いて捨てるほど原料が余ってりゃ、金を積めば原料をいくらでも仕入れられるなら、作り溜めもするだろうけど、血液製剤っていったら、原料は献血頼みだもの、出来るわけがないだろうし。

(そもそも、血液製剤って9ヶ月も有効期限があるのか?)

何度か、当局に届けるタイミングがあったというのは、薬害エイズ問題があって、国が

「とにかくガンガン作れ!」

という突き上げてた時期だったらしく。(血液製剤国内消費分は国内で作るという方針で、切り替えに必死だった時期)

どんだけ茶番かと思ったのは俺だけじゃないよな?

のど飴くらいなら、一時的一社くらい供給が止まっても大丈夫だけど、血液製剤患者にとっては無ければ死んでしまう命のビザのようなもの

から出荷を止めるわけにはいかない。

から届けなかった。

国も出荷が止まるとヤバいのはわかってる。

から出荷を認める。

じゃあ、申請とか承認とかする制度のもの意味なくね?

突貫で徹夜しまくってでも、9ヶ月かかる承認を2ヶ月くらいで手続きを済ませられるようにするかしないと、問題の解決にはならないと思うんだが。

寡占で競争がないのが問題とか言ってるけど、そういう問題じゃないと思うんだが。

2016-01-07

ニコニコキングオブコメディが終了した日に書いたポエミーな雑文

今思えば、青年は深く深く傷ついていたんだろう。

そんなふうには見えなかった。

彼が発する言葉不思議と優しくて、あたたかくて。

彼の中にもともとある感受性は、たくさんの人を笑わせた。幸せにした。

僕も、彼に救われていた。

生きる限り傷は癒えるように人間は出来ている。

必要時間は人それぞれだ。

ーーーーーーーーー

僕のことを少し、書く。大した話ではない。

小学校の時に犬を飼っていた。と言っても迷い犬に餌をあげていただけだ。

親に飼いたいと頼んだが許されなかった。そのうち保健所に連れて行かれた。

保健所を呼んだ家に盛大に落書きをして、怒られた。

寝る前に頭に浮かぶ。僕の犬は保健所で殺された。想像したラストシーンはやがて映像となり、頭に焼きついた。この映像に何年も苦しんだ。

数年後、家に子犬がやってきた。

僕には許されなかったのに、なぜ?

大人になってだいぶ経ってから、僕はようやく家を出た。正解だった。

家を出ることで整理できた感情がたくさんあった。

今は全然平気。3年に一度ふと思い出し少し泣く程度。

青年が昔負った傷に比べたら、本当に本当に、ちっぽけな傷だと思う。

なのに「平気だ」と思うまでに何年もかかった。

から僕は青年健全さや強さを心から尊敬していた。

ーーーーーーーーー

青年が重ねた罪は、心を保つためだったんじゃないのか、と誰かが言った。真相はわからない。

「ここから血が流れてる」「痛いんだ」「助けて」

言ったら笑われそうだと、思いこんでいたのかもしれない。

僕がそうだったから、そう思ってしまう。

男の子がそんな事で泣くんじゃない」「長男なんだから我慢しなさい」「大人がそんな事で喚くんじゃない」

って、決まり文句で人は言うからね。本当は、泣いてもいいんだよ。

青年は、過去の傷を、本能自己治癒力だけで治そうともがき続けていたんじゃないのか。

青年が家を飛び出さなかったのは、この傷を克服してやるという決意だったんじゃないか

あくまで、憶測だけれども。

ーーーーーーーーー

青年の心を、救っていた人は沢山いた、と思う。

一番彼の事を救っていたのは、彼の横に居た、笑顔可愛い年下の青年だろう。

共鳴した2人は「幸せにしてください」と、冗談めかして呟いた。

青年たちの冗談は評判になった。

僕たちは、冗談を言う青年たちが大好きだった。

だって青年が抱えていた闇の深さに慄きながら、嫌いにはなれずにいるのだ。

今思えば、青年は「自分なんかが愛されてはいけない」という内容の冗談をよく言っていた。

でもそんな言葉すらいつも面白くて僕らは笑った。

境遇の悲しみも卑屈さも、笑いに変えてしま青年の強さに僕は力を貰った。

今もう一度聞くと、訳が分からない。彼の悲鳴に聞こえる部分もあった。

深い闇に1本のタイトロープ、ねぇ何故そんな場所に、

ーーーーーーーーー

どうか彼が、1日も早く、彼を苦しめる心の闇から抜け出せる日がやってきますように。

そしてどうかどうか青年を愛した全ての人が、青年を救えなかったと自分を責めたりしませんように。

きっと、青年は救われていた。

僕は笑顔可愛い年下の青年の事が大好きなんだ。

あの日颯爽と、僕たちの心に寄り添ったキングオブコメディ今野は本当にかっこよかった。

キングオブコメディのことが好きだった僕たちにしかからない華麗な方法だった。)

ますます、大好きになった。きっとこれからも大好きなままだ。

そして僕は、笑顔の下手な年上の青年の事が、気になって仕方なくて胸を痛めている。

あなたの本当の幸せを、平穏を、心から祈る。そしてまた何処かで、僕たちの前じゃなくて良い、冗談を言って笑ってくれますように。

笑顔が下手だって言ったけど、訂正する。作り笑いが下手なだけで、自然と出た笑顔可愛いってみんな知ってるんだぜ。)


生きる限りいつか傷は癒えると、僕は思っている。

2015-10-20

とある地方深い闇

地方への移住」においては、「仕事の少なさ」や「収入の減少」、「プライバシーの欠如」が問題になりやすい。

しかし、それらの問題は、割と覚悟したうえで移住することが多い。

実はもっと根深問題がある。

それは「地方人間教育レベルである

直接自分に関わることではないため、あまり語られることは少ないと思うが、

実際に移住してみると、これこそが最も大きな問題ではないか?と思う。



ちなみに、

当方とある県庁所在地地元に戻って二年目。

全国の県庁所在地を都会的な順に並べると、下から数えたほうが早いというぐらいの田舎である

はいえ、山々に囲まれ「最寄りのコンビニまで車で10分…」というほどでもない。

それぐらいの田舎対象にしていると考えてほしい。

広島金沢熊本などでは、本記事の内容は当てはまらないかもしれない。

どれぐらい教育レベルが低いのか?


まず最初に言っておきたいのは、

これは、いわゆる民度を指しているわけではないということだ。

田舎は隣の人が勝手に敷居をまたいでくる」という話でもない。

地頭が良い、悪いという話でもない。

単純に、知識が少ないのだ。

都会に住んでいるとき仕事でそこそこ活躍していた方は、田舎会社に入ると次のような人々に悩まされるはずだ。

社会人なのに、いまだに勉強の仕方がわからない。つまり、自ら学ぶという姿勢が一切ない

・「東京大阪場所がわからない」レベル一般常識の欠如

・もちろん、アメリカヨーロッパアフリカなんてのは言わずもがな

最近流行していることも知らない

ビジネス用語も厳しい。メールマナーを話しても???という感じ

中学高校、あるいは小学校で習ったことでさえ、知っているか怪しい

・その結果、ビジネス会話が成り立たない

・ただし、自分の興味がある分野には詳しい。また、地元情報やしきたりにも詳しい

テレビ番組にも詳しい。毎日バラエティ番組を観ている人が多数

これは、最下層の学校に通っていたヤンキー…といった話ではない。

いたって普通庶民の話である

高校偏差値で言うと、50ぐらいだろうか。

それでも全然、いる。

頭が悪いわけでもない。言われた仕事はきちんとやる。

礼儀作法は、都会よりもちゃんとしている。

しかし、圧倒的に知識がない。

ここでいうのは、仕事に使う知識だ。

まり、どういうことかというと、あなた田舎会社入社すれば、

東京大阪場所を知らないのが当たり前という人々の中に入ることになる。

そうすれば、あなた自然と「物知り」という評価になる。

自然帰結として、あなた価値観に一撃が加えられることになる。

東京大阪場所を知っていることが物知り…?」

そんなはずはない、と思う。

しかし、そうやって褒められる場面は増えるばかりだ。

ニューヨーク場所を知ってるの!?」

BtoB? 難しい用語を知っているね!」

「15+42がよく暗算できるね!」

「頭が良い」という評判を得たりもする。

しかしたら、有頂天になるかもしれない。

逆に、「おれは子供か!?」と何とも言えない気分になるかもしれない。

しかし、

甘美な響きのはずの「頭が良い」という褒められ言葉が、

やがて、実はそこまで評価されていないことに気づくはずだ。

田舎では、「頭が良い」ということは、さほど良いことではないのである

お酒に強かったり、車の運転がうまかったり、

大工道具や園芸用品に詳しかったり、

バーベキューで率先して火を起こせたりするほうが

何倍も評価されるのである

そのほうが実生活に使えるから

考えてみれば当たり前のことだ。

田舎では「頭が良い≒仕事ができる」はそれほど重要ではないのである

だが、こうしてあなたはショックを受ける。

自分価値観があまりにも違うことに。

しかも、自分がその地方に馴染もうとすればするほど、

この価値観の違いは顕著になる。

この違いは、そのままモチベーションの違いとなって現れる。

あなたは一人だけで頑張っているような感覚になるかもしれない。

もう少し高い目線で見てみよう


教育レベルが低いと何が起こるのか。

大きくは次の2点である

・現状を正しく把握できない

・長期的な計画が立てられない

まず前者。

知識が少ないということは、言葉が少ないということ。

言葉が少ないということは、自分定義できないということ。

まり自分が今置かれている状況を客観的分析できないということだ。

その結果、

「去年と同じ成果が出たから良かった!(かけたコストが増えているので、去年と同じでは全然だめ)」

「うまくいかなかったけど、よく頑張った!(主観的評価になる)」

「どうしてうまくいかなかったかよくわからないけど、次はもっとたくさんの人を絡めればうまくいくんじゃないか?(原因がわからない。ちゃんと分析しよう、という話にならない)」

「……(原因を分析しても、それをじゃあどうすればいいのかわからない)」

ということが起きたりする。

続いて後者

現状がちゃんと把握できないから、長期的な計画が立てられてないのか、

そもそもそういう意思がないのかわからないのだが、

いずれにせよ、長期的な計画というのは、シミュレーション連続なので、

分析がちゃんとできなければ将来的な予測も立てようがない。

したがって、場当たり的な対応になりやすい。

これは、市場環境の変化が早くてとても計画が立てられない、という話ではない。

市場のんびりしているのだ。

長期的な計画がなければ、目標にブレが出てくる。

昨日は西に行ってたけど、今日は東、という状況がよく出てくる。

そんなことが何度も続くと、社員から不満が出てくるものだが、

割り切っているのか、そんなものだと思っているのか、

とにかく問題にはなりにくい。

※ここで言っている「長期」というのは、一般とは違って半年〜1年ぐらいを指している。

ブラックリストタイプの減少


唐突だが、「ほんまでっかTV」という番組がある。

先週の放送で、人間心理的に5つのパターンに大別できるというのをやっていた。

企業では、この5つのパターン人間をうまくブレンドして配置すると、成功やすいらしい。

学校クラス分けでも使われているそうだ。

5つの中に、「ブラックリストタイプ」というパターンがある。

一番役に立たなさそうであるが、外国会社ではこのブラックリストタイプをうまく組織に組み込むことが重視されていたりもするらしい。

そうしないと、新陳代謝がうまくできない組織になるそうだ。

詳しくはこのページにまとめられている。

http://medianow.jp/etc/psychological-diagnosis/

地方では、このブラックリストタイプ特に生きづらい印象を受ける。

新しいものを好む性質である以上、彼・彼女らが都会に出て行くのは仕方がないだろう。

その結果、地方にはブラックリストタイプが減ってしまう。

新しい風が吹き込まなくなる。旧態依然とした状態を守ろうとする。

結果、その地方は、新陳代謝がうまくできない組織になってしまう。

…という推論を組み立ててみたが、いかがだろうか?

結論


当たり前だが、仕事を優先したいのならば、地方に行くべきではない。

地方でもうまくやっていける人は、

仕事優先順位の3〜5番目でいい人

・もしくは、個人事業主起業ができる人

・どうしても地方でやらなければいけない理由がある人(家が地主だ、介護がある等々)

のどれかだろう。

2015-08-26

読まず嫌いではない。

ある種のサブカル漫画小説が嫌いだ。

増田から名前言っちゃうけど、浅野いにおとか田口ランディが嫌いだ。

前少し読んであまり近寄りたくないなって思ってたけど、完全に嫌いになった。

主人公に浅はかな悪口を吐かせたり、やんちゃさせつつ、主人公もっと深い闇を抱えてるらしきことを示唆したりしてさ。

誰かを殺す夢を見たりとか、実際に誰かに暴力をふるったり殺しちゃったりとか。気持ち悪い宗教がでてきたりとか。誰かと誰かがセックスしてるのを見ちゃったりとか。アブノーマルセックスしたりとか。そういうのを生々しく描写してさ。

こんなクズみたいな僕を愛してくれる人と一緒に罪を背負って生きていく、みたいな。

主人公もそれなりに悪いけど世界もっと悪い。でもそんな世界からこそ美しい、みたいな。

ほんっっと生理的に受け付けない。

人間臭さ」の度が過ぎてる。吐くほどの悪臭って感じだ。澱んでるし、酔ってる感じがする。

というか現実世界、こんなに酷いかな?見方が歪んでるんじゃないですか?

暴力とかセックスとか世の中のタブーとか、その他何か汚い物とかを、いい感じの思想と一緒に混ぜて作品にすれば文学的になると思ってる感がある。

実際はセンセーショナルインパクトのある題材じゃなきゃ何も語れないんじゃないかな?なんて思っちゃうよね。

どこがいいのか理解したくていくつか作品読んだけど、作風が一緒だし。

もう勧められても読まない。終わり。

2015-08-17

増田歴史家のようだから教えてくれ

http://anond.hatelabo.jp/20150817154923

ニーターパンの歴史がある日記述されていたことがあるんだ。これ。

http://anond.hatelabo.jp/20140214164014

こいつの真偽を知りたい。別にこいつに何か思い入れがあるわけでないが、

なんか増田深い闇を知らしめてくれる気がして

2015-07-29

デリカシーのない人

飲み会ちょっと気分が悪いことが起きたので愚痴ます

自信をもって生きることって人生にとって大事なことで物事をうまく進めていく上で大事なことだと思います。何をやるにも引っ込み思案では、そこらにあるチャンスを逃してしまうと思うから。サッと手を挙げるとか、重い腰を上げて何かを始めることって自分が成長することができるチャンスだと思うんです。つまり積極的に動けば、自分の土台になる経験を自ら得ることができるはず。

手を挙げること避けてきた人は自信を持つことができくなっていくはず。何かを乗り越えた成功体験をつかみ損ねているから。昔の人はよく言ったものですね、【若いうちの苦労は買ってでもしろ】と実際にその通りだと思うんだけどね・・・

自信満々でバイタリティのある人とその逆の人をみて思ったこと

人生において難事を避けてきてしまった人を【拗らせた人】とすると、拗らせた人に対して、厳しくものをいう人がいる。ただでさえ、拗らせているのに、より拗らせることをいう人がいる。それは、当然のごとく物事に対して挑戦し、内なる自信をもった人からすれば、イライラすることもあるだろうって思う。でも、拗らせた人からするともっと深い闇に落としかねない立ち振る舞いとしか言えないんだよね。もっと自信を無くし、自分はだめなんだと逃げ癖をつけるようになる。負のスパイラルですね

まあ、当人が悪いわけであれなんだけどちょっと考えて接してあげてほしい。無限に落ちていくんだろうなって感じてしまう。

ましてや、拗らせている人をいじって遊んで楽しむのはい趣味とは言えない。趣味の悪い遊びだなと思ってみていたけど・・・

人の気持ち理解するのは本当に難しいと思うし、その人の立場ものを見ることができないから心に触れることができないことは確かですが・・・

自分が考えている事がみんなが考えている事と一緒である。みたいな感覚で話をする人はもうちょっと広い視野やいろいろな人の考え方を知った方がいいかなと思う事もある。

沢山苦労したひと、沢山傷ついてきたひとは人の気持ちがわかると聞いたことがあるけどそうなんだろうなと思う。それも現在進行形の人は特に

まとまりがないけれど、自分もどちらかというと拗らせている方の人間なので辛かったので書きました。

なにグチグチ言ってんだよ、今すぐ難題に立ち向かい、乗り越え、自信をつけて魅力的な人間なれよ。その通りです。返す言葉もございません。

2015-07-11

「アフター」って

http://b.hatena.ne.jp/entry?eid=258973634

このへんとかでまるでキャバクラ用語みたいに扱われているのを見て個人的にびっくりした次第。


同人界隈で「アフター」て言ったら単純に「イベント後の打ち上げ」の意じゃないのか。もしや限定的クラスタ方言なのか?

キャバクラ特に縁のない私が最初にこの語を知ったのは女性向け同人界隈づてだったが、試しに調べて見れば男性向け界隈も使用はしているようだ。

コミケ アフター:twitter検索

https://twitter.com/search?q=%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%82%B1%E3%80%80%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%BF%E3%83%BC

※ちなみに「コミケ」を大手女性向けオンリーイベント略語差し替えるともっと頻繁にヒットする。


言葉発祥はさっぱりわからないが、ここ最近「アフター」に関する知見を得たことでキャバクラ由来の語なのかなあとは考えはじめた。

ただコス界隈のそれは同人界隈より原義に近そうな雰囲気があるので、先にそちらを経由してこっちに来た語なのかもしれない。


冷静に考えれば

親密に互いの共通の嫁(※男性)について語り合う相手の本名職業も知らないまま、性嗜好だけはだだもれにして楽しい会話を重ねたり

同嗜好の人々と仲良くなり、あわよくばプライベートでもお近づきになりたい(萌えを優先的に共有して欲しい)がために打算的に振る舞ったり

ひどく打算的なやつにおいては自分アンソロや合同誌、自開催のオンリーに人を呼ぶための人脈を狙って手広く参加したり

この界隈でも闇の部分をあえて覗きこめばかなり深い闇感あるな?と思った。

2015-06-19

「おれたち」こそ一番信用できなかったからこそ

老人は支配の益体を世界に求めて東京を発展させたわけだが

その一番信用ならなかった「おれたち」が東大警視庁幹部

に勝っている現在日本は確実に終わっている。

「おれたち」の暴力すら信用できないとして法で自分を縛っ

てきたエリートたちは何やってんだ?また,平気で悪について

いった馬鹿日本人どもも全く理解できない。

世界を支配の益体にせざるを得ないほど日本には深い闇があることも

忘れちまっているボケ老人があまりに多すぎる。

2015-02-27

日本ネット民度が低すぎる


英語圏

中華

をよく見てるけど深い闇を感じるのは日本ネットだけだ。。。

俺の勘違い思い込み

2014-11-02

http://anond.hatelabo.jp/20141102225015

そういう話するのが増田であってそこで見た深い闇あなた自身深い闇なのではないですか?貴方もわたしも増田増田は病んでいる。つまり貴方が病んでいるのです。あなたの心の奥底に深い闇があるのです。

2014-09-19

大学やめた。

どう表現すればいいのかずっと分からなくて、ただそれだけなのだけど。

一言で言ってしまうのであれば頭おかしい、と表現される案件なのだけども、そんな話をしたいわけではなくて。

私が書いた他の増田も参考になれば。

http://anond.hatelabo.jp/20120313173731

http://anond.hatelabo.jp/20140616194130

http://anond.hatelabo.jp/20140617174318

http://anond.hatelabo.jp/20140618130300

http://anond.hatelabo.jp/20140626042403

http://anond.hatelabo.jp/20140906043308

http://anond.hatelabo.jp/20140910180334

http://anond.hatelabo.jp/20140913202540

http://anond.hatelabo.jp/20140914131816



朗報。退学なう。

旧帝医学部合格するレベルからすると、東工大勉強しなくても合格できるでしょうというレベルです。
分かる人には当たり前の話であり、また表現したところで誰も幸せにならないこの話をしたかったためだけに、自分人生犠牲にしてしま決断をし続けていました。


テスト問題とは、問題製作者と自分とのコミュニケーションです。
中学受験では、算数物理化学に関して、私には解けない問題はありませんでした。

また私は言葉に対する思いと価値観他人とは大きく異なっており、
国語に関しては気持ちが悪くて、まったくできませんでした。


私は灘中には受験すらできませんでした。
理由は、彼らとの環境の差が大きいからだと思っていました。
あと私は呼吸が苦手であり、健康面でのハンデも大きかったです。

中学受験環境は優れていて、中学でも高校でもマネすればいいじゃん、と思っていました。
家の近所にあった、大阪トップ中学に進学しました。
私は中学時代は親の虐待を受けており、家で勉強したことはありませんでした。
試験本番のテスト中には問題製作者とのコミュニケーションします。
そのコミュニケーションが唯一の勉強時間でした。

算数物理化学に関しては、中学受験での環境が神だった貯金が大きかったです。
大阪トップ校程度では、周り人の算数理科センスは全く高くありませんでした。
中学に内部進学を拒否されたので、他の高校受験しました。
大阪トップ中高よりもレベルの高い兵庫で2位の高校合格してしまいました。
伝説度のレベルでいえば、中学ビリから甲陽の方が、高校ビリから東工大よりも高いと思います。

現役時代鉄緑行ってて、周りは京医か阪医志望とかだったけど自分だけ阪大受験(センター47%) 浪人時代四谷学院いってたけど、能力別科目別の入学テスト英語0点で一番下のクラスに入ったら信じられなかった世の中の底辺を見て信じられなかった。



理由のなかった行動など存在しないと信じて、そう言えるためだけに生きてた小学生時代

他人に対して何か思う時、他人の生まれ環境がかわいそうで不幸だったんだね、という価値観がたぶん根っこにあったんだと思う。

人間言葉では聞かされていても全然体は理解していない。

生まれとき自分環境しか知らないから、親がセンスの悪いところに目が行ってて、言葉に対する価値観の違いがあったけど、社会の中では親のセンスはめちゃくちゃ上位だったことは理解した。

親も他人に比べれば気が利く人で仕事が出来る人。自分も心の中では気が利く人。でも両方とも表現が下手くそコミュニケーションが下手くそ母親自分の親に対する価値観の違い、夫に対する価値観の違い、義理の親に対する価値観の違いがあって、私の知る祖父は温厚だけど母親にとっては違うし、母親自身も親になって親への気持ちが変化したとか言ってて、とりあえずそういう話が聞けたのは良かった

自分中学時代に抱えた心の深い闇母親は私を守ってやれなくてごめんねと後悔しており。母親自体客観的に見ればすごくセンスの良い方である。それはわかる。けれどももっと理想をもとめてしまったんだなとはおもう。



いろんな言葉に対して小学生の時からぐるぐる考えてしまっていていろいろあるけど、認識が全て

自分価値観環境からまれものだし、また私の評価なんかご勝手にどうぞでいいし、いいんだけど

真面目に評価する気のない人から評価されることに思うこと思う人達と思うこと思わない人達存在するもののもの評価する気のない人から評価されるために生きているわけではない

人を評価する気ないと宣言した人の方が評価される時代

人間人間評価する気が全くない、みたいな文化が受け入れられない。受け入れたら人間であることを放棄したようにしか思えない人生だった。

某大会はまけたのだけど、今までの私の高い高い勝率が失われたわけでもないし、人を評価する能力のない不特定多数からのどうでもいい評価を集めても何も満たされなくて、評価している人(仮想の人間を信じる)から評価されればそれで満足する世界に生きてたので、別に小学生の時から他人言葉が大嫌い。

人間人間だと信じることしかできないけども、一方で他人言葉は全てがネタであり
認識が全てであり、全ての人間認識が全てであるという認識を持っているとだけ信じていた。


心を閉ざした状態で、仮にもっといい中学に入り、もっといい高校に入り、もっといい大学に入り、もっといい会社に入ったとしても、それは幸せではなくて

環境大事であり、いい大学の方が確率的にはい環境かもしれないけどね。
でももっと根本的な家庭環境が最悪であった。


心を閉ざしていたから、ともだちはいない。

認められる価値観の違いもあるけど、認められない価値観の違いもあるはずで

望んでるものを望んでるのであり、その上で表現があって。

自分はただ人間人間だと信じることを望んでおり、表現していて

他人も何かを望んでの表現だと思っていて。


はじめてネットにふれたのはブログで、その次はSNSとしてのモバゲーだった

世界のどこかに自分と同じような人がいないかなって思ってた。






いい大学卒業したとして、いい環境で育ってきたんだねと思われるのは絶対に嫌だし耐えられない。


生きてて恥ずかしくないのかなって思われるかもしれないけど、自分他人に対して何十年も思ってたことなのでお互いさまだと思う。


自分にできることを他人はできなくて、他人にできることが自分にはできなくて、その得意不得意も価値観に影響してると思う。自分が主張したいのは、全てを網羅した次元での価値観の違いは認められないでしょ、というところなのだけど。


言いたいことが何も言えないのが生きてる意味を感じないしつらい。




過去存在しない人との間に未来などないでしょ。過去存在しない人との間に未来などないでしょ。しか言うことがない。過去存在しない人にモテても未来がないでしょ

人間人間人間と感じて生きた結果、過去存在する今がありまして。

過去存在しない人には今も存在しないし未来存在しないし過去存在しない。論外。

魅力を感じる人が少なくて、魅力を感じる人が現れるといいね、と思うけど。






人間人間だと信じないと絶望しかないけど、人間人間だと信じても絶望しかない気がする。




中学受験以降、環境地獄勉強したことがない。表現が下手なので経験者にしかわかってもらえないと思うけど許して。

高校までは卒業という形で追い出されたけども、大学では卒業という形では追い出されなかった。

勉強したことがないので東工大しか入れなかったけど、勉強したことがないから東工大すら卒業できない、と言いたいことが言えて満足してる自分がいます。

退学までの決断が遅いことに関してはいろいろあるけど、中学高校ではできなかった、他人とのコミュニケーションの練習をずっとしていたと思う。

中学高校で体験すべきような体験を大学で取り戻したかったのだ。



自分環境は、経済的には恵まれていたけどもそれだけだし、
むしろ経済的に恵まれていたからこそ他では劣悪な環境になりえたのだとも思う。




すべての人には理由がある。過去がある。

自分尊敬しているのは自分だけで、誰も尊敬できないのだ。

全ての人に対して魅力を見せる時間的余裕などないわけで、自分の周りの人もその人の可能な範囲での魅力はあるであろう。

当たり前の認識。当たり前の認識を信じるしかない。

人間として生きたことがあるのであれば分かるであろうとしか言いたくないこの気持ち

誰かにとっては魅力的でも誰かにとっては魅力的ではないというのは当たり前に発生する。

その上で、私と私の周りには魅力的関係が一切発生しないだけ。

みんな表現が下手なんだ。




自分の欲求。

表現がしたい。思いが伝わる人を探したい。

呼吸がだるい。体のだるさを表現するための語彙がわからない。病院いきたい。




東工大の退学、卒業よりも難しいのでめでたい。祝われたい。

自分人生に興味なかったのに急に関心を持てとか言われてもできない。

他人から見て扱いに困る状態で突き進んでる自覚しかないけどやめれない




ネット上なので評価されてしま言葉は、小学生から見ると、大人は過去存在しない残念な生き物なのかなという感じで、レベルが低いですよね。

小学生の段階で、人間であることを放棄しなかった人は、きめ細かい論理ふつうは持つわけです。

相手の認識を信じるしかない小学生小学生の段階では表現する場所がなくて、過去存在しない大人には通じません。





高校生時代に書きためたノートとかあるのだけど、すべて電子化したい。

時給払うから手伝ってほしい。




語彙力がないので認識という言葉を多用してしまうのどうにかしたい

快適な生活を維持したい欲求が罪深い



経済的には恵まれていると思うけど、自分の状態や意識表現する機会と能力のなさは深刻。


ネット上であれば喧嘩している最中であっても、拒絶するつもりが微塵もなかったりするので、結局表現問題なのだなって思う。

存在するもの否定する気はないという意識

正しいものなんてなにもないのだ、というのは人間人間だと感じる感覚否定する行為なので避けたかったのだ

言葉を使うのが下手くそなので求めているものはそうじゃないんだってよくなる。




気が狂うほどの理想真剣に悩んでて、話相手がほしかったね。



雑な表現になるが、死ぬ気でやれば卒業だってできるであろうが

絶対にそうしたくはない気持ちが強かった。

他人から見れば価値のないものに拘っているかもしれないけれど。

中退することができて、自由な気持ち。

人間を信頼できる前提であれば、責任ある自由仕事をしたい。




生きてきて感じてきたものに誇りと自信がある。

言葉ゆえの混同が嫌い。

言葉の奥に存在するもの存在を信じている。




人間の前提となるレベルから価値観が全く合わない。

君は私を全く評価していないし私も君を全く評価していないという構図を理解してほしいなということをまず伝えなければいけないな、って思う。



人間から評価は求めているけど、人間ではない人から評価は求めていないよ。それだけ。





祖父母は母親の本当の姿を知らないと母親は言う。

私と親の関係も同じで、全く知らないと思えるものが思える量だけ存在してる。


子供が親をどう評価するのかは親に強制されるものではない。お互いに全く伝わらないと思っていると思うが、私は不満を捨てる気は一切ない。許せない価値観の違いは許せない。それだけなのに。

こんな親は嫌だ、ただそれだけなのに。



親と会話が成り立つ家庭に生まれたかった、と思ってはいけないのか?という気持ち。





親は仕事ができるし、無言でなんでもこなしてしまう。

私も無言でこなしてしまうことはこなしてしまう。

そして両者ともにコミュニケーションが下手くそ、本当に下手くそ人間コミュニケーションが本当に下手くそ人間人間の間にある言葉は、信じたいように解釈したり、都合の良いように解釈したり、またそれらの逆だったりする。
その気持ち悪さを認識した上で、葛藤認識した上で、言葉を使う。信じるしかないから。
お互いがお互いの主張があって
求めているのはその俯瞰的認識なのであり、そこの信頼関係安心できないよねという話。



相手の認識をどこまで信用していいのかどうかという感じ。

人間評価して人間評価されたくて、人間であることを放棄した人の存在は信じたくないし信じることはできないそれだけ。



もしも自分自分投資するんだったら間違いなく病院につれていく



親が自分ではない自分を見ているつもりになって勝手幸せを感じるのは不快だという気持ち。

感じるものに自信と誇りと責任を持っている。




認識が全てだと信じるしかなかったけど、認識にも期待できないのだったならば、なにも残るものがないや。




本当の欲求を表現することができなくて、子供表現方法を知らないんじゃないかなって思ったりする

自分自己主張を全くしない子供だったのだけど、心の中にはいろんな欲求はあって、今でも残ってて

表現するのってほんとに難しい




言わないのではなく言えない。そしてその未来だって存在する。簡単なことだ。






何が問題なのかって、小学生の私にとって、周りの多くは人間であることを放棄した人達だったのだ。

当然、人間であることを放棄した人達になんかなりたくない。

ただ人間人間と信じることしかできなかっただけだ。

現実的には他人が許されるなら許されるであろうというような認識は発生すると思う、と認識している。

尊敬する人は自分。言えるもんなら言ってみろよ。そう言えるために生きたのでそうとしか言えない。

他人場合自己存在否定から言えないでしょ。






表現が下手って皮肉たっぷりだったりするけど、伝わるわけがないから自己満足世界

なにもするきになれない→やばい(げーむでもいいからしよう)→げーむすらめんどくさいからもういいや(いまここ)

人間人間と信じるっていうのは、他人の不可解な全ての行動に対して理由があるはずだと解釈することなのだけど、そんな心の強さがあるのは自分だけだったみたいな感じ

拒否反応を期待してるところがあるので別に構わないのだけど、世界は不幸だなってだけ思う

生まれ変わっても他人には絶対になりたくない、自分がいい、としか思えない。自分の誇れる唯一の自尊心言葉に対して潔癖なところがあって、死にたいって表現だって理解できない気持ちがあって、なんだけど現状は死にたい気持ちの純度が高いなぁ程度の。別に環境勝手に変われば勝手に生きると思うし、好きに使ってくれよって感じ 

感謝とかそういう言葉も嫌いなのだけど、そんなの体が勝手に誠意尽くすはずだし、人間なめすぎだろって感じで、体ではなくて言葉だけで思考してる人への見下しが激しい。きっと過去存在しないんだって思うしかない

過去存在しない人かわいそう。それでも私は人間人間と信じることでしかこの世に自分としては存在できない。この話難しいかな



2014-06-29

1日100人以上自殺してるんだから新宿焼身自殺なんてどうでもいい

わかるだろ?

日本政府警察の発表が年間三万人自殺WHO統計でいくと十万人だっけ。自殺してるの。

馬鹿新宿パフォーマンスやったところで、それより深い闇があるのだ。ニュースにする価値なし。

2014-06-16

亜美の可能性

○はじめに

765オールスター勢とミリオン亜美担当後輩分のみ妄想対象とした。

ミリオン勢はぶっちゃけまだ全員把握してないので、仕方ない。(プチシュー落とす子と関西弁百合子とデブお菓子を食べ過ぎる子と出番が実はないのにちゃんとダンスレッスンする子は覚えた。たぶんどれかかぶってる)

春香

二次創作においては、有名同人作家同人誌の影響により、いまや一番人気といってもいいカプでしょう。

事実Pixivでのタグランキングでは、亜美真美に次いではるあみが二位につけています

メインヒロインである春香さんは、理屈と膏薬みたいなものですね。(誰とでもくっつくビッチって意味だよ!)

皆が真美のことばかり構っている中、そっと亜美のことも気に掛ける、そんな優しい春香さんの絵が自然と浮びます

春香さんのそんな優しさを亜美がどう受け止めるのか、非常に気になるカプですね。

千早

ニコマス界の金字塔GM小鳥さんの奮闘記R」で人気が爆発したカプ。

この小鳥さん奮闘記Rで亜美千早が演じているドワーフ千早猫耳亜美の人気は非常に高く。

三次創作ではダントツの人気になっています

上記のニコマスでは誰にも頼れない孤独亜美と、誰かに頼ることの大切を知っている千早という、

アニマスや輝きの向こう側以降の千早らしいキャラクターになっていますが、

個人的にはアニマス初期や箱マス初期のようなツンツンしている千早ベタベタすることで無意識に癒す亜美というのが見たいですね。

初期千早とのカップリングする相手は、春香さんやあずささんのような「無自覚」「天然」といった要素がピッタリくるので、

亜美もまたふさわしい相手ではないでしょうか。

○美希

この二人公式で会話したことないんじゃないか? ってぐらい影が薄いカプです。

ですが、中学生同士、妹同士(美希には姉がいるという設定があるんですよ)色々と思うところがあるのではないでしょうか。

ただ、亜美も美希も甘える側なのが難しいところですね。

普段は甘える側の美希がお姉さん面して亜美に接するも、子供扱いしないで! とツンケンする亜美なんて感じで、恋愛要素は難しそうですね。

○真

二次創作では、VIPの真×真美のSS群における

「真美の機嫌をとるために仕方なく亜美と話を合わせる真」のイメージがあまりにも強すぎて、正直あまりシチュが思いつかないですね。

そもそも、この二人も公式で絡みが少ないんですよ。

お互い、他人の心の機微理解するタイプでもないですし、思いつかないなあ。

○雪歩

これも公式の絡みが思い出せないなあ、SPの分割パケで同じソフトにいたので、何かしらの絡みはあったはずなんだけどなあ。

真雪歩美希の三角関係組はドロドロしてて大人っぽい描写が多いので、仕方ないのかなあ?

雪歩といえば、恋愛脳の印象が強く、子供っぽい亜美は興味がなさそうです。

また亜美も激しいゲーム運動が好きなので、雪歩とは話が合わなそう。

○やよい

765初期メンバーでは一番幼いカップリングになりますね。

公式でも絡みが多く、アニマスでは画面の端の方でわいわいがやがやいちゃいちゃしているシーンが多かったですね。

家ではお姉さんのやよいも、765プロでは妹ポジション、というのが定番ですが。

亜美真美はやよいにとって唯一の年下なので、ここはやよいの本来のお姉さんぶりがたくさん見れる良いカプではないでしょうか。

亜美真美家は、伊織家、雪歩家よりは劣るものの、かなりのお金持ちな家庭として描かれています。(両親ともに医者、という設定が定番だけど、公式的には父親がだけが医者だったかな)

ゲーム機もたくさんもっていますし。

ここは、ゲームDVDなどの高価なおもちゃを楽しむ亜美が、やよいと遊ぶことでお金だけじゃない楽しみを味わう的な展開がいいんじゃないでしょうか?

伊織とは違い、亜美たちは自分たちの家庭が金持ちだということに自覚的ではないため

「えーやよいっち3DSももってないのー!」的な台詞自然と思い浮かびますね、ここからうまいことイチャイチャにつなげて欲しいです。

ただ、このカプはいおやよという百年後も語り継がれる強力なカプがあるので、人気がないのも仕方ないですね。

伊織

2以降は竜宮小町メンバーとして、一緒のシーンにいることが非常に多い二人。

竜宮小町における亜美は、普段の765全員が揃っているとき以上に、盛り上げ役として頑張る印象がありますね。

これは、(営業時の猫かぶりしてる)伊織あずささんは自分からアッピルタイプじゃないこともあるでしょうが

それ以上に、亜美伊織に対してお姉さんのような気持ちでいるのだと思います

素直で前向きな亜美にとっては、伊織の「家の問題」や「トップアイドルになるための猫かぶり」や「シャルルへの依存心」などの

ちょっと困った問題がまだあまり理解できず、逆の意味で「わかんないからてきと→でいいんじゃ→ん」といったような、

伊織を励ます気持ちがあるのではないでしょうか?

竜宮の中では、あずささんはそれを受け止めるおおらかなタイプですし、律子はその個性として生かそうと思うタイプなので

伊織を否定するようなタイプではないと思うわけです。

ある意味千早伊織のようなツンデレ組は否定されてこそ輝くわけなので、素直で思ったことを言う亜美との相性は面白いでしょう。

さすが律子P、見る目がありますね。

ただ、このカプはいおやよという百年後も語り継がれる強力なカプがあるので、人気がないのも仕方ないですね。

あずさ

765オールスター最年長(21)×最年少(13)のおねロリカプですね。

何でもおおらかに受けとめるあずささんと、いろんなことがしたい興味津々な亜美とはもう、相性抜群でしょう。

竜宮小町としても、時に暴走しがちな伊織のサイドをしっかり支える二人という印象が強く、律子Pのプロデューサーとしての才能はやっぱりすごいですね。

個人的には一押しのカプなのですが、公式では竜宮がらみぐらいで伊織律子が絡まない二人だけのシーンというのは、少ないのが残念。

律子

これはもう竜宮小町に「真美ではなく亜美を選んだ」という、律子Pからの強いアプローチありきのカップリングでしょう。

アニマスや2ではPとしての律子と、アイドルとしての亜美というシーンが非常に多いですが、

個人的にはぷちますでの振り回す亜美と、振り回される律子というシーンが好きですね。

漫画の夢人版、ザワワン、カラフルデイズ、歌マスのMLシリーズでの共演など、公式での絡みは竜宮に限らず多く、

妄想のし甲斐がある素晴らしいカプです。

○貴音

アニマス、ぷちますPSP公式での絡み非常に多い。

多いけど、亜美真美双子で絡むことばかりで、亜美単体との絡みは少ない。

あずさ律子といった年上勢と絡むと映える亜美ですが、やっぱり貴音と絡んでも面白そうです。

とっぷしーくれっとを多く抱える貴音にずけずけと亜美が切り込むという図式は、

良い意味で相手を気にしない亜美からこそ出来ることで、亜美らしさが出るカップリングです。

○響

ジラレ芸が上手な響とイジリが上手な亜美アイドル的にはピッタリかもですが、

カップリングとしては、少々灰汁が強すぎるかなあ。

響はカンペキじゃない自分を認めてくる人に甘えたいタイプなので、

そこまでの深みは亜美には持てないかも。

そういう悩みを軽く吹き飛ばすのが亜美の魅力ですが、

その悩みが外からみてくだらなければくだらないほど、逆に一緒になって考えてこんでしまタイプでもあると思います

なので、このカプはあまり相性はよくないのではないでしょうか?

野々原茜

ミリオン勢。(映画未出演)

の子も響と同じく、イジラレてなんぼのキャラなので、

どんな相手でもイジレ亜美とは、逆説的に相性が悪そうです。

永吉昴

ミリオン勢。(映画未出演)

野球が好きだったせいで、なんJ民たちの玩具になっているアイドル

あのなんJ民の深い闇に包まれたアイドルたちは悪い意味では意味がわからないので、あまり思いつきません。

馬場このみ

ミリオン勢。(映画未出演)

ミリオン最年長(24)×最年少(13)のおねロリ

のはずが、合法ロリキャラなので、見た目は亜美の方がお姉さん。

亜美の後輩勢は、野々原は泥棒声優と、昴は畜生と、馬場さんはうさみんと、それぞれモバマスアイドルと被ってるので

ぶっちゃけあんまり人気が出なさそうなんだよなあ、映画にも出れてないし。

2013-10-18

今の仕事天職じゃないと思ったから、ホストになってみた。

■ もともとの仕事について話します。

 家庭の事情などもあり、大学入学と同時に自分で商売をしてきた。

 自分は飽きる事もなく小さな商売をしてきて。

 それなりに結果も残せてきたし、

 これからもこの仕事を続けて行くと思うけど、

 少し飽き足らないという思いがなかったらウソになる。

 大学卒業を目前として、商売始めて三年少し。

 今の仕事天職なのかどうか、迷う時期に居ました。

 そんな時ちょうど自分の商売が行き詰まって、

 これからどうしようかなと。

 そんなことがあって、今の仕事と別の仕事をしてみようと思ったのがきっかけ。

 かつらかぶって、セットして、ジャケット羽織るとどんな人でもそれっぽくなるものです。

■ 天職くん、ホストになる。

 とはいえ、もともと自分で商売をしてきたので

1.お給料が低い

2.年功序列

3.好きじゃない

 仕事はできないなぁと。

 そこで真っ先に思いついたのが、ホストお仕事

 ご指名をいただければ結構収入が得られる。

 基本的に実力主義で、先輩後輩はあれど、実力があれば認めてもらえる。

 あと、商売がうまくいかなくてでお金が無くなった時は、

 たいてい水商売の女の人にお世話になっていたので、

 もともとそういう仕事には抵抗がなかったのもある。

 もともとの本業も女の人からお金をいただく仕事だったので、

 そういう意味では一番の接客業としてホストをしてみたいなと。

■ 気になる「罰金」の話をします。

 それで、写真を送ったらそれだけで2店ほど体験入店させていただけることになったのです。

 だけど、友達でもホストとして働いた事がある人は一人しかいない。

 そこで、はじめて説明を聞いてびっくりしたのが、罰金の高さ。

 恥ずかしながら、こんなに高額な罰金制度水商売に厳然と存在することを私は知らなかったです。

 がんばればどうにか回避できそうな罰金としては、

 遅刻とか当欠。

 これは多分やらかさずに済むだろう。

 最悪寮に入って、生活リズムを合わせれば良い。

 お酒も強いので特には問題ない。

 ただ、もう一つ問題なのは同伴罰金

 同伴ができないと罰金という日があるのです。

 これは果たして回避できるものかどうか、挑戦してみました。

■ 天職くん、友達を呼ぶ。

 まず、友達モデルなどをしてる子が多かったので、

 何人かの子にそれとなく話を振ってみました。

 そしたら、

 ホストクラブ行きたいと思ってるんだけどなかなかいけないんだよねー

 みたいなノリで、来てくれる友達の多さには正直驚いた、驚きました。

 料金も決して安くはないのに、

 え、そんなんでいいの!

 て感じでお金を払ってしまうのです。

 どうしていままでこの子たちと遊ぶ時全部払って来たんだろうってつくづく思いました。

 女の人がよくわからないのは、

 数百円数千円のことで凄く悩むのに、

 数万円数十万円数百万円となるとほとんど悩まないこと。

 これは本当に不思議

■ 天職くん、キャッチをする。

 とはいえ、

 商売がうまくいっていたときは遊んで来たので、

 友達結構多いとはいえど、

 やっぱしリピートしてくれるかどうかは心もとないし、

 それだけでは一番にはなれない。

 

 だから本当はやっちゃいけないけれど、

 ナンパ兼道に迷って困っている人(?)助けという名目で、

 街中でいけそうな人に声をかけたりしてました。

 いけそうな人の見分け方ですが、

 歩き方がふらふらしてる感じの人(まっすぐ歩いてない人)で、

 

 靴やバックが痛んでる感じの人がいいです。

 そういう人は深く物事を考えていないから。

 きちっきちっと物事をこなすのが苦手なタイプの人がいいです。

 そういう人は、悩みを解決できないし、だから深い闇というか空洞みたいなものを心に抱えてる。

 だからホスト必要なんです。

 もっというと、胸は大きい方が良くて、

 下唇が太くて、涙袋が厚くて、

 全体的にあぶらっぽい感じのする人ならまず間違いないです。

 これはどうしてか分からないけど。

 欲が強いからかな。

 そういう人に、それとなく

 携帯無くしたか時計見せて! とか

(応用版として、携帯無くしたか携帯ならして! とか)

 道迷ってる? とか

 聞いて、散歩しながらホストクラブの話すると、

 だいたい行ってみたいっていわれます

 これ本当に不思議です。

 どうしてなんだろう。

 ホストしている時期が長くはなかったので、

 とりあえずこうすれば店に呼べるというのは分かったのだけれど、

 どうして女の子がこれでひっかかるのかは正直最後までよくわかりませんでした。

 最近では、女の子はとりあえずやりたくて、

 (とまでは言わなくても男と話したくて)、

 その言い訳を作る事を男に求めているだけなんだって思うようにしてます

■ やればできる。

 ああ、同伴罰金なんて無理だよなぁ。

 どんなに頑張っても呼べないこときとあるよなぁ。

 と最初弱気だったんですが、

 やってみてわかったのは、やればできる、ということです。

 ちゃんと本気で仕事にあたっていれば、たいていのことはできます

 これは別にその人の元々の頭の良さとか素質とかなんてほとんど関係ないです。

 これは大学受験とかでもそうだけどね。

 私だって風采は決して良くない方だと思うし、友達からもよくそういわれます

 その人が本気でさえあれば、どんなことだって大体できる。

 指で石を削るような努力をすれば、どんなこともできる。

 自分がやっていることが正しいかどうかよりも、

 自分が選んだことを、結果として正しくしてしまうような力の強さ、やる気、本気さが大事なんだ。

 ホストをしてみて、そんなことがよくわかった。

■ どんな仕事でもそうだけど24時間365日命を賭けて120%の力で突破しないと事は為せない

 面接ときにどこの店でも言われたのは、

 バイトなんていうのは無理で、レギュラー毎日来てほしい、ということです。

 最初はそんなもんかな、としか思ってなかったんですが、

 ああ、これって大事なことだなって後で気付きました。

 みんな世の中の人はなんだかんだ本気で生きてるんです。

 したくない仕事をしている人もいるし、それでも必死に生きようとしてる。

 そういう人からお金をいただくのだから

 やはり自分甘ったれた気持ちじゃなくて、

 24時間365日命を賭けて120%の力で突破しないと、

 商品を買っていただくお客様に失礼なんだ。

 当たり前の事だけど、そんなことを、生まれてはじめて、身を以て痛感しました。

■ 与えて与えて与えた先にだけ、売り上げがある。

 ホストに限った話ではないと思いますが、

 人と人が接して、

 決して小さくはないお金をいただく仕事に共通しているのは、

 人には自分を認めてほしい、自分はこんな人間なんだ、自分はこうなるべき人間なんだ、

 みたいな「器」があると思うのですが、

 甘えたり甘えさせたり、誰も気付いてない内面褒めたり、構ったりすることで、

 極力その相手の「器」みたいなものを大きくして、

 そこに愛をいっぱい注いで満足してもらったところで、

 相手を俗世間の荒波に戻して、愛がするする摩耗するのを見届ける。

 それで、次に相手が愛を補充して欲しいと思った時には、

 

 その愛には値札がつけてやる。

 その値札がだいたいべらぼうに高いわけです。

 それでも人は、その愛を買う。

 高い値札のついた私の愛を買う。

 骨を折って手に入れるよりは、遥かに楽に手に入る「値札がついた愛」を買うわけです。

 これがホストクラブであれ飲食業であれ学習塾であれ、

 あるいはエステもそうかもしれないけれど、

 そういう接客業の勝負所なんじゃないかなーという気がします。

■ 天職はいましている仕事です。

 仕事をしながらこんなことを学びました。

 それで、私が出した結論は、天職はいましてる仕事だなと思った。

 それは、ホストではなくて、もともとしている仕事

 自分ホストをやることには、なんの使命も競合優位性もないけれど、

 少なくとも自分が今している商売には、使命も競合優位性もある。

 ならその仕事、今している仕事、一度はつまらなく思えた仕事をもう一度本気でやってみようと思えたのです。

 もう一つ思ったのは、

 つまらない仕事なんてものはなくて、つまらない仕事の仕方があるだけだということ。

 どんな仕事でも、降り掛かって来る問題に、

 自分の今までの能力以上の能力を発揮できるような「やる気」「本気」を持って当たれば、

 ものすごく楽しい仕事になる。

 逆に、そういう覇王の色を持たずに仕事をしたら、

 自分はどんな仕事も楽しめない人間になってしまう。

 これはとてもよくないことだなと思いました。

 だから、今している本業で、絶対に結果を出すんだ。

 なにがなんでも面白い仕事のやり方を見つけてやるんだ。

 別の世界を覗いたことで、本気でそう思えるようになりました。

■ そして私はホストを辞めました。

 だからお金に困らない限り、私が水商売をすることはこの先ないと思います

 お金に困って水商売仕事をすることがあったら、

 そのときは、元々のやりかけていた仕事は人に任せるなりして、

 とにかく水商売仕事24時間365日120%の力を持って当たれるようにするでしょう。

 水商売は(お金に困らない限りは)もうしないと決めましたが、

 ただ、水商売で学んだいろいろな考え方や方法論は、

 今の本業にもとても役立つなと思いました。

 たとえば、名乗りを上げる、有名になることの大切さ。

 あっさりしつこく何度も口説き続けることの大切さ。

 これは法人営業では必要不可欠な要素です。

 これを学んでからいままで全然契約がとれなかったのが取れるようになりました。

 あと、出会い系サイトに誘導するTwitterアカウントの運営の仕方とかも、

 個人向けの集客システムを考える上では本当に良く出来た先行事例です。

 飲食業界でも最近流行っている

 ナショナルチェーンではなく一社業態で攻めるやり方にも通じる戦略がそこにはあります

 これからは多分小さいNo.1を積み上げていく形でしか勝てないと思う。

 お客様もそれを望んでいる時代です。

 あと、こういう業界はとにかく顧客中心主義。

 エンジニア自己満足が入る余地がどこにもないので、

 ネット集客という意味では本当に勉強になります

 実際、いろいろ研究してみて、集客改善したら、一気に結果が良くなりました。

 さら勉強して、月に百万人が知って、月に十万人が興味をもって、月に一万人が新しく使ってくれるような

 そんなサービスをつくることを目指して、

 このまま突っ走りたいなと思います

 たまたま商売が行き詰まったように感じて、

 いろいろ寄り道してしまったけれど、

 本当にいい勉強になりました。

 もしこの先の人生成功することがあるなら、

 人生で大切な事はすべて歌舞伎町で学んだ、っていう本を書いてみたいです。

2013-01-17

その日こんな夢を見た。

常に攻撃を受けていた。

また攻撃もした。

憎悪肥大し続ける。

憎み続け戦うことが全てだと感じた。


悪魔のような存在が現れこの世界破壊する。

それでも戦い続ける。

全てが敵である


憎しみが全てを覆い尽くした。

自分自身さえも強く憎んだ。

いっさいが気に入らない。

すべてを消し去りたい。

深い闇が心を覆う。


もはや感情はなかった。

永遠にすべてを傷つけすべてを破壊し何もかも一切を燃やし尽くす。そういう存在のものになった。

2012-05-15

カサブタを、引っ掻いちゃったみたいな、

そしたら、なんだか血がどばっと出て、ヤバい、どうしよう。そんな感じ。なんか疲れてる時、webブラウジングしてたら、なんだか昔の恋人を奪った奴の事をつい検索したくなったりしてね。僕の昔の恋人、仮に A としておこう。彼女そいつ結婚したのも知ってるし、子供もいるというのも聞いた。SNS で、なんとなく、写真も見た。なんとなく、ね。thumbnail only。ちゃんと、見るのは、ちょっと出来ない。メールを送ったりして普通に話をするのは難しいと思う。意味も無いし。地震の時、メールをくれてうれしかったのは憶えてるけど、それはなんというか、有事で僕の神経も普通ではなかった。

A とは結婚するつもりでつきあっていたし、いろんな将来の話もしていた。子供が出来たら、きっと泣き止ませ方が分かんなくて、私も泣きながら僕の職場電話してくるとか言って、二人で爆笑してた。その頃僕はクソ野郎でいろんな意味子供だったから、今思えばね、別れて、僕は成長した。僕の人生にはプラスだったと思う。でもさ、なんていうか、あの時別れてから、僕の心の中には深い闇があって、その闇を近くに感じない事はあっても、それがなくなる事は無かった。

それで、今日たまたま、本当にたまたま、深く考えもせずに、検索とかしちゃった訳ですよ。Google名前なんて憶えてないなぁと思いつつ、職場とか、断片的な事を組み合わせていったら、ぽろっと出て来ちゃったのよ。そいで、奴の web を見た瞬間に、なんというかその闇の中に居た時期の事をすべて、体で思い出しちゃって。どうしようもない、不安。足がガタガタして、怖かった。これは死に至る病。僕がとった行動、つまり全ての情報をシャットアウトする、のは正しかった。今ようやく、落ち着いて来たこの不安の中で生きていけるとは思えない。

2011-07-25

それだけはハッキリしている。

何かがおかしい。少なくとも「これでいい」とは思えない。それだけはハッキリしている。毎日を食べて寝て生きていくうえで、いまの「その感じ」を何十年も続けていくという実感がもてない。肯定できない。納得できない。誰かがぼくにむかって幸せですか?と聞いてきたら、幸せですとは答えられない。

いつからそうだったんだろう?昔はもっと幸せだったか?でも、思い出というのは美化されるものだ。学校生活もいまにして思えば楽しかったなーなんて思ったりするけど、もうちょっと自分にたいして誠実であろうとするなら、あの当時楽しいこともあったけど、それよりもよりいっそうのつまんないことが多くあったことを無視してはいけない。ぼくが覚えている楽しいことといえば、学生生活の10年ほどの期間のうち、文化祭だの友だちと鳥取砂丘へ行ったことだのクラブへ通っていたことだの付き合っていた彼女との甘い日々だの(それすら全体のほんのちょっとしか覚えていない)夜通し語りあったことだのびわ湖で数えきれないくらいやったバーベキューだのである

それのいったいなにが問題なのか?ぼくはその輝かしい思い出たちのことはぼんやりとでも覚えていて、楽しかったなあといえるんだけど、それ以外のなにもなかった日のことは思い出せないのだ。いま例に挙げた以上のたくさんの思い出たちが学生だった10年間には「詰まっている」のだけど、よく考えてみてほしい。10年間を日数に置きかえると3650日になる。でも、ぼくが思い出せる限りの楽しかった思い出を全部積み重ねてみて、そのうちのどれだけの割合を占めるだろうか。きっと1年分もないし、半年分もないかもしれない(「いや、さすがに半年分はあるでしょ」と思うなら記憶力を頼りに187個の思い出をがんばって思い出してみることだ)。もっと期間を短くしたら相対的に割合は増えるが、例えば思い出す時期を高校の3年間に絞ったとしても、その1095日間のうちで思い出すことのできる楽しかった思い出はきっと3ヶ月分もない。

「楽しかったなあ」と感じる昔は膨大な日数の忘れられた日の墓場の上に立っている記念碑だ。「昔は良かった」なんて無条件に、盲目的に言っている人は半分ウソつきだとおもう。下にある墓場がぜんぜん見えてない。あるいは見えてないんじゃなくて見たくないから見ないようにしているだけかもしれない。思い出というのはその10倍を超える数のまったく思い出せない、なんの中身もない日を含めた日々から選んだ「マイベスト」みたいなもんだ。それで思い出が「詰まっている」だなんて日本語がちょっとおかしい。

で、ぼくが言いたいのは、それを自覚してもうちょっと自分に誠実になって、懐古主義に陥るのはやめよう、昔と同じように今も楽しいよ、ということではない。むしろその結論を否定するものだ。ぼくが問題だと思うのは、ぼくらがそんなふうに「よく考えてみると昔はそんなに楽しいわけじゃなかった。それはわかった。いまもそんなに楽しいわけじゃないけどたまには楽しいこともあるからそれでいいんじゃないか」という考え方に陥ってしまうことだ。つまり過去が現状を納得させる道具になってしまうことだ。

さっきは「楽しい思い出」に焦点を当ててきた。こんどはそれとは逆の「イヤな思い出」を見てみる。人間の脳はよくできていて、イヤな記憶は脳がそれを判断して都合よく消し去ってしまうということを聞いたことがある(ほんとかどうかしらんけど)。きみのお父さんかお母さんかおじいちゃんかおばあちゃんか叔母ちゃんか叔父ちゃんか勤めている会社社長か直接の上司新聞コラムテレビに出てくる偉い人か、とにかくそういう年配の人に「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」的なことを言われたことがあるだろうか。もうあの言い方にはぼくは心底うんざりしている。聞いてもいないのに何回でも(しかドヤ顔で)聞かされるし、それがあなた人間的に成長させるとか、安定した暮らしを実現させるとか、収入保証するとか、そういうことに結びついていると彼らは思い込んでいる。聞いてもいないのに昔の苦労話をえんえんと語ってくるし、そういう苦しい時代がいまの住みよい日本を作ったとかいう話にまで発展したりする。

ある意味それはほんとうかもしれない。もしかしたらぼくら若者はそういうエピソードをもっとありがたがって聞くべきなのかもしれない(でもその話はもう何回もテレビで聞いた)。頭ごなしに否定するわけじゃないけど、話したいから話してるだけなんじゃないの?って感じがときどき透けて見えたりする。年配の人が必ずしもいいアドバイスばっかりくれるわけじゃないってこともなんとなくわかる。十分に人生経験を積んだ人だってコンピュータじゃなくて人間なんだから、間違いや勘違いはある。ましてや、この世界に正解とか不正解なんてものがあるのかすらぼくらにはよくわからない。そういうこともあって、だいたいのエピソードは右耳から入って左耳から抜けていくばっかりだ。脳にとどまらない。しかし、後で見るように実際もっと状況はひどいのだ。

さて、イヤな思い出の話にもどると、イヤというより冒頭に述べたようなモヤモヤとした暗い感じ。マスコミ風にいうと「閉塞感」ってやつを、いま思うことはできても昔もそれがあったかを思い出すことは一見あまりしないように思える。普通ぼくらが昔のことを思い出すときはさきほどのように「楽しい思い出」ばっかりを並べ立てたがる。ぼくらはなんにもない穏やかな日のことはあんまり振り返らない。

でも、おじいちゃんやおばあちゃんが太平洋戦争のことなんかを語ってくれることはある。そういう歴史的に大きな負の遺産は、「忘れてはいけない、繰り返してはいけない」という理由で語り継いでいくことを推奨される。バブル崩壊後、90年代の「失われた10年」なんてのもそういうふうに語り継がれていくかもしれない。楽しい思い出とは逆のイヤな思い出も時折覚えていることがある。どちらにせよ衝撃的なことはわりと覚えていたりするもんだ。中学生活の3年間ずっとイジメられた人なら、その記憶を忘れられないと思う(でもやっぱりいじめられなかった日のことはあまり覚えてないかもしれない)。

ぼくらの世代はどうなの?なにか世代とか社会情勢とかそういうもののせいにしていいの?あらゆるもの自己責任っていわれてるこの世界で?しかし、それはけっこうあり得る話なのかもしれない。さっきの話を総合するとね。

まりだな。ぼくらはさっきも言ったように「昔はよかったなあ」なんていうふうに考えてしまいがちだ。で、よく考えると実はそう楽しいことばかりでもなかったことに気がつく。「でもあのときけっこうつまんないこととかつらいこともあったよねー」って話になる。単純に楽しいだけの思い出から、いや実は悲喜こもごもだったという一歩進んだ結論にいたる(それにひきかえ、イジメられた人はイジメられた過去を死ぬまで許せないかもしれない)。ここで思考停止してしまうと、ぼくらはさっき言ったような年配の人達と同じことを将来の若者に言い出してしまいかねない。いいことも悪いことも含めて過去をまるごと「あれでよかったんだ」と肯定してしまうかもしれない。

じゃあ、いま現在に戻ってみよう。ぼくは何回も「このままじゃよくない」と思いながら生きてきた。きみはどうだろう?現状に満足しているかあなたいま幸せですか?それにYESといえる人が何人いるだろうか。ぼくはそんなに多くないと思ってる。イジメられた過去をひきずったままの人はずっと前からこの位置にいるかもしれない(しかしそれはもっと暗くてもっと深い闇)。

ぼくの場合やほかの人の場合、そういうときにはよく講釈自分をだますようにしている。そうして自分の不幸せを否定しようとする。例えば、ああい仕事に比べたらマシだとか、誰それという友だちはもっと大変そうだとか、家があるだけ幸せだとか、どこどこの国に比べたら贅沢言ってられないとか。もっとポジティブな感じにだますことだってある。人はどんな環境におかれても幸せを感じられるとか、つらいのはいまだけで私は友だちや家族に恵まれているからちょっとくらいの逆境はへっちゃらだとか、(年配の人の助言をもとに)こういうつらい時こそ自分が成長できるときだとか、時間が解決してくれるとか、そんなことをぶつぶつ言いながら毎日をしのいでいたりする。そう考えるとイジメられた人は自分をだますのが難しいと思う。

何回だ?いままでに「つらい…」「死にたい…」「消えてなくなりたい…」「orz」と感じたときに何回そうやって自分ごまかしてきたんだ?あれはドラキュラ映画小説かなんかのセリフだったと思うけど、「いままでに何人の生き血を喰らってきたんだ?」みたいなことを聞かれて「おまえは今までに食べたパンの枚数を覚えているのか?」みたいなことを逆に聞き返えされてビックリするっていう、有名な場面があったと思うねん。ぼくももう忘れたけど数えきれないくらい自分ごまかしてきたはずだと思う。数少ないいいニュースは、その回数は今まで食べてきたパンの枚数よりはきっと少ないということだ(ぼくは毎朝食パンを食べる)。

そんなことは誰もが考えることで特別なことじゃないとか、そういうごまかしがあるからこそ人は前へ進んでいけるとか、人生において挫折を味わってこそ人間的に深い情緒を身につけられるとか、そんな反論はいくらでも挙げることができる。必ずしも楽しいことや気持ちのいいことだけを受け取って人生渡り歩いていくことはできない。人生100%バラ色だなんていう人はいないと思う。でも、それにしてもぼくらは自分のことをごまかしすぎじゃないか

自分自分をだますことができなくなったときに、精神的に病んでしまうのかもしれない。ぼくの狭い観測範囲をして実感するのは、最近マジでメンヘラとかうつ病とかコミュ障とかリストカッターとかひきこもりとかニートとかそういう人が増えたなっていうこと。単に病気としての認定がされやすくなったとか、ひきこもりであることやニートであることが、いまやあまり珍しいことじゃなくなってうるさく言われなくなったこともあるかもしれない。統計を出すほどマメ性格ではないのでおおざっぱな感覚だけで言うけど、彼らの数は増えてると思う。それにたとえ「認定がされやすい」とか「いまやあまり珍しくない」とかいうことが事実だとしても、それ自体が彼らの人数が増えていることの結果になっているとおもう。病気の認定がされやすいかうつ病アスペルガー症候群統合失調症などのを含めたいわゆる「メンヘラ」が増えたのか。それとも、「メンヘラ」が増えたから認定がされやすくなったのか。卵と鶏はどちらが先に生まれたのか。

メンヘラまりならまだマシで、最後に行き着く先は自殺だったりする。年に3万人という自殺者の数は、実はそんなに多くないという説があったり、実は公表されている3万人より実際の自殺者数はもっと多いという説があったりする。ふつうに考えるとわかることだが、幸せなのに自殺する人なんていない。死んだ人はなんにも言わないか自殺の理由はあんまりからないことになっている。「死にたい」という言葉冗談やせっぱつまった言い方に関わらず最近多く聞くようになったと思う。もはや「死にたい」に特別な意味なんてないのかもしれない。でも、その言葉のなかにたとえ単にかまってほしいがためのウソやなんかが含まれているとしても、全体として言及数は増えているのならウソの割合と本当の割合も増えているんじゃないだろうか。宝くじで当たる確率が何千万分の1しかないとしても、数千万人の人が宝くじを1枚ずつ買ったらかなりの確率で誰かは当たることになる。1万人に1人しか言わなかった「死にたい」が、もう流行語みたいになって100人に1人は言っているとすると、そのなかで冗談で言ってる人の割合も本気で言ってる人の割合も増えてるんじゃないか

そんなふうにいまの状況を説明するいろんな要素がある。慎重に考えたほうがいいとおもう。「これは大丈夫」とか「これはダメだ」とか、個々の要素についていくつもの言い分を挙げることができる。しかし、どれだけ言い分を挙げても「これでいい」とは思えない。それだけはハッキリとしている。またぼくは何日か何週間か、うまくいけば何ヶ月かあとに「もうイヤだ…」って気分が襲ってくる。で、そのたびにどうにか自分ごまかす。ぼくのまわりにはその周期がもっと短い人もいる。毎日毎日うんざりしている人もいる。向精神薬と酒を同時に飲んでトリップするしかない人もいる。他人を攻撃することでしかストレスを発散できない人もいる。手首を切ってほっとする人もいる。時間を貴重におもうあまり遊びや趣味を必死に探しまわって疲れてしまう人もいる。せっかくの休日を寝て過ごすくらいの元気しかない人もいる。現実世界にはとっくの昔に絶望していて、ネット世界しか居場所がない人もいる。

こんな状況がいいわけがない。自殺しなかったり病気にならなずに、なんとか今日まで生きのびた人は「苦労したから」そうなったのではなくて、単に運がよかっただけだ。で、そういう運のいい人だけがぼくらの目につくところに現れて説教していったりする。もし、この閉塞感に耐えきれないでみずから死を選んだ人が目の前に現れたら、「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」などと言うだろうか?そのせいで死んだのに?しかし、死人に口なしだ。若い頃にイジメられたストレスが積み重なって精神を病んでしまった特に有名でもない人が、「イジメられた経験があったからこそいまの自分がある」なんて思うだろうか?

有名人とかある会社社長とか成功した人は、たとえ昔はツラかったとしても、今成功してるんだからあれは無駄じゃなかったなどとのたまう。それは成功してるから言えるのであって、膨大な数の一生負け犬人生を送る人のことはないがしろにされている。でも、負け犬の人がテレビに出てなにか演説をすることなんてない。マスコミだけじゃなくて、誰も一般人の話になんか興味を持たない。たとえネットに出てきたとしても読まれているのは有名な人のブログばっかりだ。一方、偉い人は若い頃の経験をなんでも現在成功に結びつけて合理化する。そういう話ばっかりが世の中に出て行くことになる。

ぼくらだってあいう話がさすがにちょっとうさんくさいなあと感じている。「お前がそう思うならそうなんだろう。お前の中ではな」と言いたくなる。そういううさんくさい人ばっかりでなくて、ちゃんと誠実な人もいるということもなんとなくわかる。自分は人よりちょっと運がよかっただけということを自覚して、負け犬の人をないがしろにしない人も確かに存在する。(ネット上にはけっこうそういう人がいる気がする)

にもかかわらず、ぼくらは若くしてすでに過去を美化したり合理化したりしてしまう傾向がある。いまです過去を美化してしまったり合理化してしまったりするように、ぼくらは何十年か後にいまの状況をそうしてしまうかもしれないのだ。そういうことをする度に、ぼくらが楽しかったなあとしみじみ思う、それと同じ過去イジメぬかれて過ごした人をバカにしてしまっていることになる。少なくともぼくは、いま「死にたい」と思っている人を将来美化してしまいたくはない。「むかしは自殺未遂もしたけれど、いま私は元気です」なんて思わせることがいいことだとか、必要だったとか思わせるのにはどうも違和感がある。だから、現状がこのままで「仕方ない」などとは思いたくない。良くしていきたい。

ぼくが最近楽しいことをしたい理由には、そういう思いがある。正確にいうと、ぼくはわざわざ楽しくない不幸な人生を送りたくない。「せめて」楽しくなくてもいいから、「せめて」悲しいことやツラいことや苦しいことだけでも「せめて」取り除きたいのだ。その話はまた別の機会に…。

それだけはハッキリしている。

何かがおかしい。少なくとも「これでいい」とは思えない。それだけはハッキリしている。毎日を食べて寝て生きていくうえで、いまの「その感じ」を何十年も続けていくという実感がもてない。肯定できない。納得できない。誰かがぼくにむかって幸せですか?と聞いてきたら、幸せですとは答えられない。

いつからそうだったんだろう?昔はもっと幸せだったか?でも、思い出というのは美化されるものだ。学校生活もいまにして思えば楽しかったなーなんて思ったりするけど、もうちょっと自分にたいして誠実であろうとするなら、あの当時楽しいこともあったけど、それよりもよりいっそうのつまんないことが多くあったことを無視してはいけない。ぼくが覚えている楽しいことといえば、学生生活の10年ほどの期間のうち、文化祭だの友だちと鳥取砂丘へ行ったことだのクラブへ通っていたことだの付き合っていた彼女との甘い日々だの(それすら全体のほんのちょっとしか覚えていない)夜通し語りあったことだのびわ湖で数えきれないくらいやったバーベキューだのである

それのいったいなにが問題なのか?ぼくはその輝かしい思い出たちのことはぼんやりとでも覚えていて、楽しかったなあといえるんだけど、それ以外のなにもなかった日のことは思い出せないのだ。いま例に挙げた以上のたくさんの思い出たちが学生だった10年間には「詰まっている」のだけど、よく考えてみてほしい。10年間を日数に置きかえると3650日になる。でも、ぼくが思い出せる限りの楽しかった思い出を全部積み重ねてみて、そのうちのどれだけの割合を占めるだろうか。きっと1年分もないし、半年分もないかもしれない(「いや、さすがに半年分はあるでしょ」と思うなら記憶力を頼りに187個の思い出をがんばって思い出してみることだ)。もっと期間を短くしたら相対的に割合は増えるが、例えば思い出す時期を高校の3年間に絞ったとしても、その1095日間のうちで思い出すことのできる楽しかった思い出はきっと3ヶ月分もない。

「楽しかったなあ」と感じる昔は膨大な日数の忘れられた日の墓場の上に立っている記念碑だ。「昔は良かった」なんて無条件に、盲目的に言っている人は半分ウソつきだとおもう。下にある墓場がぜんぜん見えてない。あるいは見えてないんじゃなくて見たくないから見ないようにしているだけかもしれない。思い出というのはその10倍を超える数のまったく思い出せない、なんの中身もない日を含めた日々から選んだ「マイベスト」みたいなもんだ。それで思い出が「詰まっている」だなんて日本語がちょっとおかしい。

で、ぼくが言いたいのは、それを自覚してもうちょっと自分に誠実になって、懐古主義に陥るのはやめよう、昔と同じように今も楽しいよ、ということではない。むしろその結論を否定するものだ。ぼくが問題だと思うのは、ぼくらがそんなふうに「よく考えてみると昔はそんなに楽しいわけじゃなかった。それはわかった。いまもそんなに楽しいわけじゃないけどたまには楽しいこともあるからそれでいいんじゃないか」という考え方に陥ってしまうことだ。つまり過去が現状を納得させる道具になってしまうことだ。

さっきは「楽しい思い出」に焦点を当ててきた。こんどはそれとは逆の「イヤな思い出」を見てみる。人間の脳はよくできていて、イヤな記憶は脳がそれを判断して都合よく消し去ってしまうということを聞いたことがある(ほんとかどうかしらんけど)。きみのお父さんかお母さんかおじいちゃんかおばあちゃんか叔母ちゃんか叔父ちゃんか勤めている会社社長か直接の上司新聞コラムテレビに出てくる偉い人か、とにかくそういう年配の人に「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」的なことを言われたことがあるだろうか。もうあの言い方にはぼくは心底うんざりしている。聞いてもいないのに何回でも(しかドヤ顔で)聞かされるし、それがあなた人間的に成長させるとか、安定した暮らしを実現させるとか、収入保証するとか、そういうことに結びついていると彼らは思い込んでいる。聞いてもいないのに昔の苦労話をえんえんと語ってくるし、そういう苦しい時代がいまの住みよい日本を作ったとかいう話にまで発展したりする。

ある意味それはほんとうかもしれない。もしかしたらぼくら若者はそういうエピソードをもっとありがたがって聞くべきなのかもしれない(でもその話はもう何回もテレビで聞いた)。頭ごなしに否定するわけじゃないけど、話したいから話してるだけなんじゃないの?って感じがときどき透けて見えたりする。年配の人が必ずしもいいアドバイスばっかりくれるわけじゃないってこともなんとなくわかる。十分に人生経験を積んだ人だってコンピュータじゃなくて人間なんだから、間違いや勘違いはある。ましてや、この世界に正解とか不正解なんてものがあるのかすらぼくらにはよくわからない。そういうこともあって、だいたいのエピソードは右耳から入って左耳から抜けていくばっかりだ。脳にとどまらない。しかし、後で見るように実際もっと状況はひどいのだ。

さて、イヤな思い出の話にもどると、イヤというより冒頭に述べたようなモヤモヤとした暗い感じ。マスコミ風にいうと「閉塞感」ってやつを、いま思うことはできても昔もそれがあったかを思い出すことは一見あまりしないように思える。普通ぼくらが昔のことを思い出すときはさきほどのように「楽しい思い出」ばっかりを並べ立てたがる。ぼくらはなんにもない穏やかな日のことはあんまり振り返らない。

でも、おじいちゃんやおばあちゃんが太平洋戦争のことなんかを語ってくれることはある。そういう歴史的に大きな負の遺産は、「忘れてはいけない、繰り返してはいけない」という理由で語り継いでいくことを推奨される。バブル崩壊後、90年代の「失われた10年」なんてのもそういうふうに語り継がれていくかもしれない。楽しい思い出とは逆のイヤな思い出も時折覚えていることがある。どちらにせよ衝撃的なことはわりと覚えていたりするもんだ。中学生活の3年間ずっとイジメられた人なら、その記憶を忘れられないと思う(でもやっぱりいじめられなかった日のことはあまり覚えてないかもしれない)。

ぼくらの世代はどうなの?なにか世代とか社会情勢とかそういうもののせいにしていいの?あらゆるもの自己責任っていわれてるこの世界で?しかし、それはけっこうあり得る話なのかもしれない。さっきの話を総合するとね。

まりだな。ぼくらはさっきも言ったように「昔はよかったなあ」なんていうふうに考えてしまいがちだ。で、よく考えると実はそう楽しいことばかりでもなかったことに気がつく。「でもあのときけっこうつまんないこととかつらいこともあったよねー」って話になる。単純に楽しいだけの思い出から、いや実は悲喜こもごもだったという一歩進んだ結論にいたる(それにひきかえ、イジメられた人はイジメられた過去を死ぬまで許せないかもしれない)。ここで思考停止してしまうと、ぼくらはさっき言ったような年配の人達と同じことを将来の若者に言い出してしまいかねない。いいことも悪いことも含めて過去をまるごと「あれでよかったんだ」と肯定してしまうかもしれない。

じゃあ、いま現在に戻ってみよう。ぼくは何回も「このままじゃよくない」と思いながら生きてきた。きみはどうだろう?現状に満足しているかあなたいま幸せですか?それにYESといえる人が何人いるだろうか。ぼくはそんなに多くないと思ってる。イジメられた過去をひきずったままの人はずっと前からこの位置にいるかもしれない(しかしそれはもっと暗くてもっと深い闇)。

ぼくの場合やほかの人の場合、そういうときにはよく講釈自分をだますようにしている。そうして自分の不幸せを否定しようとする。例えば、ああい仕事に比べたらマシだとか、誰それという友だちはもっと大変そうだとか、家があるだけ幸せだとか、どこどこの国に比べたら贅沢言ってられないとか。もっとポジティブな感じにだますことだってある。人はどんな環境におかれても幸せを感じられるとか、つらいのはいまだけで私は友だちや家族に恵まれているからちょっとくらいの逆境はへっちゃらだとか、(年配の人の助言をもとに)こういうつらい時こそ自分が成長できるときだとか、時間が解決してくれるとか、そんなことをぶつぶつ言いながら毎日をしのいでいたりする。そう考えるとイジメられた人は自分をだますのが難しいと思う。

何回だ?いままでに「つらい…」「死にたい…」「消えてなくなりたい…」「orz」と感じたときに何回そうやって自分ごまかしてきたんだ?あれはドラキュラ映画小説かなんかのセリフだったと思うけど、「いままでに何人の生き血を喰らってきたんだ?」みたいなことを聞かれて「おまえは今までに食べたパンの枚数を覚えているのか?」みたいなことを逆に聞き返えされてビックリするっていう、有名な場面があったと思うねん。ぼくももう忘れたけど数えきれないくらい自分ごまかしてきたはずだと思う。数少ないいいニュースは、その回数は今まで食べてきたパンの枚数よりはきっと少ないということだ(ぼくは毎朝食パンを食べる)。

そんなことは誰もが考えることで特別なことじゃないとか、そういうごまかしがあるからこそ人は前へ進んでいけるとか、人生において挫折を味わってこそ人間的に深い情緒を身につけられるとか、そんな反論はいくらでも挙げることができる。必ずしも楽しいことや気持ちのいいことだけを受け取って人生渡り歩いていくことはできない。人生100%バラ色だなんていう人はいないと思う。でも、それにしてもぼくらは自分のことをごまかしすぎじゃないか

自分自分をだますことができなくなったときに、精神的に病んでしまうのかもしれない。ぼくの狭い観測範囲をして実感するのは、最近マジでメンヘラとかうつ病とかコミュ障とかリストカッターとかひきこもりとかニートとかそういう人が増えたなっていうこと。単に病気としての認定がされやすくなったとか、ひきこもりであることやニートであることが、いまやあまり珍しいことじゃなくなってうるさく言われなくなったこともあるかもしれない。統計を出すほどマメ性格ではないのでおおざっぱな感覚だけで言うけど、彼らの数は増えてると思う。それにたとえ「認定がされやすい」とか「いまやあまり珍しくない」とかいうことが事実だとしても、それ自体が彼らの人数が増えていることの結果になっているとおもう。病気の認定がされやすいかうつ病アスペルガー症候群統合失調症などのを含めたいわゆる「メンヘラ」が増えたのか。それとも、「メンヘラ」が増えたから認定がされやすくなったのか。卵と鶏はどちらが先に生まれたのか。

メンヘラまりならまだマシで、最後に行き着く先は自殺だったりする。年に3万人という自殺者の数は、実はそんなに多くないという説があったり、実は公表されている3万人より実際の自殺者数はもっと多いという説があったりする。ふつうに考えるとわかることだが、幸せなのに自殺する人なんていない。死んだ人はなんにも言わないか自殺の理由はあんまりからないことになっている。「死にたい」という言葉冗談やせっぱつまった言い方に関わらず最近多く聞くようになったと思う。もはや「死にたい」に特別な意味なんてないのかもしれない。でも、その言葉のなかにたとえ単にかまってほしいがためのウソやなんかが含まれているとしても、全体として言及数は増えているのならウソの割合と本当の割合も増えているんじゃないだろうか。宝くじで当たる確率が何千万分の1しかないとしても、数千万人の人が宝くじを1枚ずつ買ったらかなりの確率で誰かは当たることになる。1万人に1人しか言わなかった「死にたい」が、もう流行語みたいになって100人に1人は言っているとすると、そのなかで冗談で言ってる人の割合も本気で言ってる人の割合も増えてるんじゃないか

そんなふうにいまの状況を説明するいろんな要素がある。慎重に考えたほうがいいとおもう。「これは大丈夫」とか「これはダメだ」とか、個々の要素についていくつもの言い分を挙げることができる。しかし、どれだけ言い分を挙げても「これでいい」とは思えない。それだけはハッキリとしている。またぼくは何日か何週間か、うまくいけば何ヶ月かあとに「もうイヤだ…」って気分が襲ってくる。で、そのたびにどうにか自分ごまかす。ぼくのまわりにはその周期がもっと短い人もいる。毎日毎日うんざりしている人もいる。向精神薬と酒を同時に飲んでトリップするしかない人もいる。他人を攻撃することでしかストレスを発散できない人もいる。手首を切ってほっとする人もいる。時間を貴重におもうあまり遊びや趣味を必死に探しまわって疲れてしまう人もいる。せっかくの休日を寝て過ごすくらいの元気しかない人もいる。現実世界にはとっくの昔に絶望していて、ネット世界しか居場所がない人もいる。

こんな状況がいいわけがない。自殺しなかったり病気にならなずに、なんとか今日まで生きのびた人は「苦労したから」そうなったのではなくて、単に運がよかっただけだ。で、そういう運のいい人だけがぼくらの目につくところに現れて説教していったりする。もし、この閉塞感に耐えきれないでみずから死を選んだ人が目の前に現れたら、「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」などと言うだろうか?そのせいで死んだのに?しかし、死人に口なしだ。若い頃にイジメられたストレスが積み重なって精神を病んでしまった特に有名でもない人が、「イジメられた経験があったからこそいまの自分がある」なんて思うだろうか?

有名人とかある会社社長とか成功した人は、たとえ昔はツラかったとしても、今成功してるんだからあれは無駄じゃなかったなどとのたまう。それは成功してるから言えるのであって、膨大な数の一生負け犬人生を送る人のことはないがしろにされている。でも、負け犬の人がテレビに出てなにか演説をすることなんてない。マスコミだけじゃなくて、誰も一般人の話になんか興味を持たない。たとえネットに出てきたとしても読まれているのは有名な人のブログばっかりだ。一方、偉い人は若い頃の経験をなんでも現在成功に結びつけて合理化する。そういう話ばっかりが世の中に出て行くことになる。

ぼくらだってあいう話がさすがにちょっとうさんくさいなあと感じている。「お前がそう思うならそうなんだろう。お前の中ではな」と言いたくなる。そういううさんくさい人ばっかりでなくて、ちゃんと誠実な人もいるということもなんとなくわかる。自分は人よりちょっと運がよかっただけということを自覚して、負け犬の人をないがしろにしない人も確かに存在する。(ネット上にはけっこうそういう人がいる気がする)

にもかかわらず、ぼくらは若くしてすでに過去を美化したり合理化したりしてしまう傾向がある。いまです過去を美化してしまったり合理化してしまったりするように、ぼくらは何十年か後にいまの状況をそうしてしまうかもしれないのだ。そういうことをする度に、ぼくらが楽しかったなあとしみじみ思う、それと同じ過去イジメぬかれて過ごした人をバカにしてしまっていることになる。少なくともぼくは、いま「死にたい」と思っている人を将来美化してしまいたくはない。「むかしは自殺未遂もしたけれど、いま私は元気です」なんて思わせることがいいことだとか、必要だったとか思わせるのにはどうも違和感がある。だから、現状がこのままで「仕方ない」などとは思いたくない。良くしていきたい。

ぼくが最近楽しいことをしたい理由には、そういう思いがある。正確にいうと、ぼくはわざわざ楽しくない不幸な人生を送りたくない。「せめて」楽しくなくてもいいから、「せめて」悲しいことやツラいことや苦しいことだけでも「せめて」取り除きたいのだ。その話はまた別の機会に…。

2010-12-14

最高

真っ先に沈み込む俺のメロディ

記憶喪失もヒビ鍛えあげてきたこの文章力すらも

何もかもがぶち飛ばされる世界

俺はただもがいてもがいて助けを待って

生き血をすする地獄のように

彼らもきっと分かってるはず

俺が闇に捨てた黙るフォイだってこと

カマンベールチーズでも食べなよ。

一旦闇に落ちる。

世界大黒柱が崩れる。

灰と化した神様が、うなだれてる。

俺は俺になる。存在を確かめる。

生きている実感を感じる。

相応のスレを常に探しているけれど、見つからない。

ピンポーンハンドクラッシュ

決して見えない虚像むぞう。

そして果てのない冒険へと出る。

それを皆が待っている。世界は我々の答えを待っている。

パトラッシュうううううううううううううううううううう

世界は正解へと向かっているのか!?

あらゆる物質を越えて。更なる深い闇へ。

もっともっと大きなものが作れるはずなのに。

大好きビームでパンチング

スイッチングにミステイク

ラストスマッシュは顔面に。

書きこむスレがなきゃ俺は捨てゆくよ。

ここで発散する意外方策がないじゃないか

意味のないトラブルじゃないか

くだらない駆け引きじゃないか

結局何もなく終わってしまうんじゃないか

愛はお金で買える時代さ。

容赦ねぇな。

くだらねぇな、本当に。

興味もねぇよ。本当につまらない。

俺はただ眠たい一心さ。

やりたいことが見つからない。

さてはて、どうしたものか。

普通ブログ書いたって人なんざこねーし

どうしてくれようこの悪循環

(・_・。))マイッタナァー

/(-_-)\ こまった~

2010-09-06

深い闇の中を歩けた

「彼(女)と過ごした日々は、まるで暗闇そのものだった」

 そうやって、記憶の隅に押し込まれ眠っている経験の一つや二つ、誰にでもあるのではないだろうか

 しかし俺はこう思うのだ

「彼(女)と一緒にいたからこそ、私は暗闇の中を歩いていくことができたのだ」

 と

2009-08-10

ブリブリにキメてるな。

何なんだ、このセンスは。

ブリブリって。他に言葉の選びようがあるだろうに、よりによって

ブリブリである。

酒井法子がどっかのクラブやらでDJをやってる様子を見た、という人が

当人の様子を見て

ブリブリにキメてるな」って言ってたらしいという記事を読んだ。

清純派アイドルで売って来たものの、本来はこういう文化のほうが好きだったんだろう。

個人的には音楽にのって踊り狂うことの何が楽しいのかちっともわからないが、

それは人の好みだから関知しないし、否定するつもりもない。

薬を吸っていることを「キメている」と言うようだが、この言葉からは

70年代とか80年代空気しか感じられない。

なぜそんな言葉で表現するようになってしまったのだろう。

もうすこし洗練された言葉を選ぶわけにはいかなかったのか。

もしくはこの頃から時間が止まっているのだろうか。

その理由を追っていくと、暗くて深い闇が見えてくるのかもしれない。

いろんな意味で。

寂寥感

http://anond.hatelabo.jp/20090808020249

気が狂いそうな日々が続いている。

あの人の笑顔が、声が、目、口びる、髪の感触、そして肌の感触が反芻されている。

携帯が光れば、彼女からのメールかと思って飛びついてしまう。

彼女の姿に似たものがあれば、それを熱を帯びた目でおってしまう。

幸せ笑顔をみれば、それに彼女投影してしまう。

夜になれば、彼女が誰かに抱かれていると思い、気が狂いそうになる。

そして後悔になやまされ、無限の苦しみが僕を襲う。

すべてが彼女を中心に回っている。

だけど、僕は彼女ではないメールに対して文字で楽しく演じ、

寛恕ではない誰かの姿を気のせいのように振る舞い、

誰かの笑顔を、その幸せ笑顔を、心から祝福させられ、

夜の帳がおりることには、一人で、深い闇の中にいなければいけない。

会いたくてたまらない。あの人に会いたい。話がしたい。声を聞きたい。

でも、こちらからそれがいえない。

僕にはいう権利がない。

怖い     本当に怖いよ。僕はどうしてしまったのかな。

心がきしみ、その軋みは目の奥への湿気を呼び起こし、悲しさとともにそれは行われる。

でも、無理やり笑顔をつくらなければいけない。

そうしないと、周りにばれる。ばれてはいけない。

だから、僕の笑顔は、いつも空の涙が出続けているのがわかる。


誰にもいえない。

でも、この場所があって、まだ叫ぶことができて、僕は自我を保っているのかもしれない。

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