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はてなキーワード: アウトサイダー・アートとは

2019-12-19

anond:20191218220703

ちょっと"パソコン"とかが好きだった程度のおじいちゃんが、まともな教育も受けず簡単入門書だけで無理やり作ったんだろうなあ。

業務におけるアウトサイダー・アート感ある。

引き継ぐ方はただの地獄しかないんだけど。

2018-03-16

障害者が作った絵画などの作品」をアウトサイダー・アートと称して展示するのは、社会に入れてあげるつもりのない自治体の強い意志を感じる

2017-04-02

クソアニメ愛好家って要は作品レイパーのことでしょ?

いや、クソ映画でもクソバンドでもクソラノベでもなんでも同じだけど、

そういう人たちが愛と称して作品をくさすのは作品を楽しんでる訳ではないんだよ。

作品ではなく、作品トホホさを見い出せる自分センスに酔ってるだけ。

連中は自分センスをひけらかすための踏み台として作品を使っている。


作品に入り込んで、作品から何かを受け取って、

自分自身を変化させようとする受容の相互性セックスにたとえられるなら、

作品から距離を置いたまま自分は変わらずに相手を変えようとする行為

これは一方的オナニーだということになってしまう。


相手身体を使った一方的オナニーって客観的にはレイプしか見えないんだよ。

まして作品攻撃することで自己満足だけを得ようとする行為って

これはもう猟奇オナニーリョナ趣味なんじゃないですかね。


そうは言っても自分だって気持ちは分かってしまう。

見てない作品アンチスレ行って草生やしたりしてたもの

クソだと呼ばれてるものの良さを見いだせば「世間様」に勝った気にもなれた。

アウトサイダー・アートドヤ顔で見せびらかすあの感じ。胸が痛い。


からそのリョナ趣味自体否定はしないし、

作品の楽しみ方は人それぞれ」というルールもまあ納得はする。

でもリョナ趣味はよっぽどうまくやるか信用がないとやっぱ共感得られないよ。


まして今のはてな増田って例のアニメに概ね好意的じゃないですか。

そんな中で、

あいつ頭弱そうだから一発犯してやろうと思ったら意外と強くて返り討ちにされた、死ね

なんて愚痴、袋叩きに遭うのが関の山ですよ。


それで叩かれて反撃としてどっかのオタキングみたいに

「今まで俺の逸物で犯してヒイヒイ言わせてきた豚どもリスト

なんてレコーディング結果を貼り付けたって、

周りの死ね感がかえって増すだけで軋轢もよけい広がっちゃうってば。

セックスと違ってオナニーは自慢しても同好の士しか評価されないんだから


結論

アンチスレ妥協しようぜ、一緒に。

だいじょーぶ、のけもの同士でもちほーによってはフレンズになれるから



http://anond.hatelabo.jp/20170401122545

2016-02-07

精神障害の人が書いた文章面白すぎる

 特に個人ブログとかに生息している、心の病気の人が書いた文章が本当に面白い

 はてブでもたまにホッテントリするが、その筋の話題には必ずいる。医療関係で言えば「ワクチンは巨大製薬会社でっちあげ」とか。政治関係でいえば「◯◯(災害名)はアメリカ秘密兵器」とか。まあ、そういうネタにはまってる人でも大半は、他のことになれば冷静な判断ができるし、ついったとかを見れば一応会話が成立している。そいつらは別に面白くない。単にちょっと「学而不思則罔、思而不学則殆」と思うだけ。

 しかーし!その中に光るダイアモンドはある!現代社会が生み出したインターネッツ深い闇はヤツらに格好の図書館演説台を与えてしまったのだ。ありがとうバーナーズ=リー!ありがとうmixi

 彼らの書く文章一種アウトサイダー・アートだと思ったほうがいい。テレビニュース・近所の様子・本人の近況、それら全てが有機的に結びついて、一つの(少なくとも彼らは一つだと思っている)結論に向かって収束する。もちろん、論理はかなり意味不明だ。はたして、文章のなかの「地震兵器」を「ロスチャイルド家」に置換しても文意は通ってしまうかもしれない。しかし、そんなことはどうでもいい。彼らの「住む」世界のありようは、こんなにも単純で、複雑で、そして面白いのだ。画面の向こうの一貫した妄想は、私部外者にとっては小説と同じか、それ以上に楽しめる。

 このゴミみたいな愉悦を満たす、更なるクレイジーサイコブロガー募集しています

2015-11-17

ヘンリー・ダーガーを知っていますか?

「誰に見せることもなく半世紀以上もの間、たった一人で作品を書き続けたが、死の直前にそれが「発見」され、アウトサイダー・アート代表的作家として評価されるようになった。(中略)(生涯、童貞だったとされる)

ヘンリー・ダーガー - Wikipedia

本当にただ書きたいだけなら文学賞に応募するわけがない。

ヘンリー・ダーガーは亡くなるときに(作品を含む)持ち物を処分してくれと言ったんだぞ。

http://anond.hatelabo.jp/20151117200921

2014-10-31

作品」として選んだ時点で作品だと思う

たとえば、彼女写真を撮ったらキレイに撮れた。

それは作品じゃなくてキレイに撮れた記念写真だ。

っていうのを読んだのだけれど、そうかなぁ…。

そこに作者の思いがなければ、それは作品ではないって書いてあった。

私はちょっと違うと思う。

ボタンを押すだけで誰にでも撮れてしまうのが写真だけれど、

そこに想いを込めるか否かではなく、それを作品として掲げるか否かだ。

言ってみれば、ある風景を見て構図を決めて設定を決めてシャッターを押す作業と何ら変わらない。

写真を見てそれを良しとして作品として提示する。

記念写真としてアルバムに貼るか、作品としてギャラリーに展示するか、モノは同じでも基準が違う。

子供が書いた絵も、アウトサイダー・アートと言われるものも、作為関係がなく、それを作品として世の送り出せば作品なんだ。

そこで責任というのが生まれるのだと思う。その責任を負う覚悟も含まれているのだと思う。

2014-01-23

http://anond.hatelabo.jp/20140122233131

FSSは絵と言うより漫画としてなあ…「漫画界のアウトサイダー・アート」という評が適切すぎると思う

 
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