はてなキーワード: アウトサイダー・アートとは
それどころかブクマ的なものに対して嫌悪感を感じる余裕さえ出てきた。
ヤフーニュースを見る時、ヤフーのコメント欄を見ると気持ちが悪くなる。
あのはてブ的な感性、マウントの取り方、えらぶり、中身のないいね。
鳥肌が立ちそうになるんだな本当に。
今はまだ増田にブクマがつくとキャッキャッしてしまうが次第にそれさえ鬱陶しく思うようになるだろう。
誰にも見せることのないアウトサイダー・アートのようにSSDの中に置かれたテキストファイルにだけひたすら書き込み続ける日が来るのだろうか。
そんな時からカクヨムなんかで突然怪文書が増えたら、とある増田が移住を決めたと思って欲しい。
多分、それは自分じゃなくて別の誰かだ。
この程度のことをしている奴なんてインターネットには無数にいる。
いや、クソ映画でもクソバンドでもクソラノベでもなんでも同じだけど、
そういう人たちが愛と称して作品をくさすのは作品を楽しんでる訳ではないんだよ。
作品ではなく、作品をトホホさを見い出せる自分のセンスに酔ってるだけ。
連中は自分のセンスをひけらかすための踏み台として作品を使っている。
自分自身を変化させようとする受容の相互性がセックスにたとえられるなら、
作品から距離を置いたまま自分は変わらずに相手を変えようとする行為、
相手の身体を使った一方的なオナニーって客観的にはレイプにしか見えないんだよ。
まして作品を攻撃することで自己満足だけを得ようとする行為って
クソだと呼ばれてるものの良さを見いだせば「世間様」に勝った気にもなれた。
アウトサイダー・アートをドヤ顔で見せびらかすあの感じ。胸が痛い。
「作品の楽しみ方は人それぞれ」というルールもまあ納得はする。
でもリョナ趣味はよっぽどうまくやるか信用がないとやっぱ共感得られないよ。
まして今のはてなや増田って例のアニメに概ね好意的じゃないですか。
そんな中で、
「あいつ頭弱そうだから一発犯してやろうと思ったら意外と強くて返り討ちにされた、死ね」
それで叩かれて反撃としてどっかのオタキングみたいに
なんてレコーディング結果を貼り付けたって、
周りの死ね感がかえって増すだけで軋轢もよけい広がっちゃうってば。
セックスと違ってオナニーは自慢しても同好の士にしか評価されないんだから。
結論。
だいじょーぶ、のけもの同士でもちほーによってはフレンズになれるから!
特に個人ブログとかに生息している、心の病気の人が書いた文章が本当に面白い。
はてブでもたまにホッテントリするが、その筋の話題には必ずいる。医療関係で言えば「ワクチンは巨大製薬会社のでっちあげ」とか。政治関係でいえば「◯◯(災害名)はアメリカの秘密兵器」とか。まあ、そういうネタにはまってる人でも大半は、他のことになれば冷静な判断ができるし、ついったとかを見れば一応会話が成立している。そいつらは別に面白くない。単にちょっと「学而不思則罔、思而不学則殆」と思うだけ。
しかーし!その中に光るダイアモンドはある!現代社会が生み出したインターネッツの深い闇はヤツらに格好の図書館兼演説台を与えてしまったのだ。ありがとうバーナーズ=リー!ありがとうmixi!
彼らの書く文章は一種のアウトサイダー・アートだと思ったほうがいい。テレビのニュース・近所の様子・本人の近況、それら全てが有機的に結びついて、一つの(少なくとも彼らは一つだと思っている)結論に向かって収束する。もちろん、論理はかなり意味不明だ。はたして、文章のなかの「地震兵器」を「ロスチャイルド家」に置換しても文意は通ってしまうかもしれない。しかし、そんなことはどうでもいい。彼らの「住む」世界のありようは、こんなにも単純で、複雑で、そして面白いのだ。画面の向こうの一貫した妄想は、私部外者にとっては小説と同じか、それ以上に楽しめる。
FSSは絵と言うより漫画としてなあ…「漫画界のアウトサイダー・アート」という評が適切すぎると思う