はてなキーワード: 歌手とは
仰っしゃりたいことはわかります。でもまあ時代時代で流行りがありますからね
(と言っても、今チャートに上がっている曲が「先進的だ」などとは全く思いません
それこそ「いつの時代の曲だよ」と感じるものもあります。新鮮味がない
一方でびっくりする程惹かれる変わった曲とかもあります
本邦に於いて昨今流行っているボカロ系の曲・歌手なんかは10年前に一部で流行ったものがやっと世間に出てきたわけで
今更感が強いですよね。あと、一様にジャケットがイラストになっているのも笑います。既存のアーティストまでソレ系のイラストにしている
それでもやっぱり「みんなが面白いと感じて惹かれる」曲・声なんだなと思います)
増田さんはこれからも80年代90年代のロックバラードを聴き続けてください
(というか、現在売れている様なバンド・アーティスト達があの時代の曲をカバーしたら流行るんじゃあないですかね
別にああいった曲が「古臭い」とは感じませんし。普通に現代でも聴けると思います
日本の昔のシティポップだって流行ってるそうじゃあないですか。海外で
逆に客寄せパンダに使った歌手の出番が少ないとかで低評価食らってる名作もある。
内容がよくても翻訳が酷いから低評価だったりもする(これについては吹き替えの俳優が上手いおかげで面白くなってる映画とかもあるんでにんともではある)。
まあ何より☆5 OR ☆1の1ビット脳な点の付け方する奴だらけなのがアカンよね。
最高と最低しかないとかアホかよ。
と言っていた友人が今季は「うひょおおおおリコリス・リコイルおもしろおおおおおお!!!最高!!!キャラ可愛いからストーリーのガバは気にならん!!!くるみたそかわゆす!!!」みたいな感じなんですがどうすればいいんでしょうか。
こちらが「Engage Kissの方が面白いだろ。丸戸史明だぞ?」と言っても「プロットやコンテがグダグダじゃん。B級の癖に変に気取ってC級になってるタイプの駄作だよアレ」と言ってっきます。
どうすれば彼を論破できるのでしょうか?
例えばね、絵だったらPixiv、小説だったら小説家になろうに行くと素人の酷い出来の作品に出くわすことがよくある。
でも今まで音楽ではそういうこと無かったんだ。
インディーズって言っても普通に聴けたし、地元のオーケストラのコンサートなんかも普通に聴ける出来。マイナーなアイドルの楽曲も、印象に残らなくても違和感を感じるまでではなかった。
その曲との出会いは偶然で、自分の推してる作家がMV作ってる歌のうちのひとつだった。その作家の作った新作の出来が良かったから過去の作品も見たくなったんだよね。ところが、そのうちの1作の歌が最後まで聴けない。歌手は無名で、音楽の素人の俺ではうまく説明できないが、構成が変、としか言い様がない曲だった。音痴とも違う。だが明らかに、欲しいメロディが来ないという感じで気持ち悪くなるような曲だった。
それで俺はやっと、今まで俺の耳に入っていた音楽は一定水準を超えていたんだなとわかった。考えてみれば、音楽というのは誰でも続けられるものではない。小さい頃から音楽教室に通って、楽器を弾けるようになり、正しい知識や理論を身につけた選ばれた人間だけが音楽を作れる。全身入れ墨のボカロPでもピアノを当たり前のように弾ける。それは英才教育によるものだ。
絵や小説とは、かけられている手間や金が違うのだと、俺は思ったね。
もう百合でエモで巨大感情で青春だった。驚いた。最後まで読んで、思わず涙してしまった。
「ROCA」は、朝日新聞連載の「ののちゃん」に登場していたサブキャラクター「吉川ロカ」の物語を1冊にまとめたものだ。
朝日新聞にロカが登場していたのも、もう10年近く前の話になる。それ以後はいしいの個人同人誌でロカは力強く歌ってきたそうだ。
そうだ、というのも、私はいしいひさいちの同人活動については知らなかった。
鮮やかな緑を背に歌うロカを見て、なんだか気になり、すぐ注文した、すぐ家に届いた、すぐ読んだ。
凄かった。
「ROCA」は、たまのの市という田舎の港町から始まる2人の少女の物語だ。
"ファド"というポルトガルの国民音楽を歌う(歌以外はあまり得意ではない)15歳の高校生"ロカ"。
もう3回高校1年生をやっている、町のあぶない商会の支配人の娘"美乃"。
出会いのきっかけは、10年前に起きた連絡船の事故。2人はこの事故で両親を亡くしている。
ロカはすったもんだありながら、美乃と手を取り合い、時に蹴飛ばされ、歌手デビューを目指す。
…読み終わったあと、ぼーっと座っていた。
尊いような、寂しいような、やりきれない、この行き場のない感情を"サウダージ"という。と、先回りして作中で説明までされてしまった。
当たり前の話かもしれないが、いしいひさいちは画業50年を迎えるギャグ4コマ漫画家だ。
50年ナンセンスギャグを描いてきた70歳が、いま新たにこんな素晴らしい漫画が描けることに、また目頭が熱くなる。背筋が伸びる思いだ。
決して"らしくない漫画を描いている"のではない。
いしいの持つ独特のユーモア、毒、深い知見。
愛おしいキャラクターたち、ファドという音楽、郷里の玉野市、故郷で起きた連絡船事故。
私には計りようもないあらゆるものへの思い。
"漫画の完成に10年かかった"とHPにあったが、10年どころではない。
いしいという天才が50年間描き続けたからこそ生み出せた傑作だろうと感じる。
4コマ誌の廃刊の続く今、この漫画はかつて4コマ漫画の旗手であったいしいが再び投じた新たな火だと感じる。
漫画家・歌手・俳優・小説家・フリーランス・起業家などの夢を叶えるために、食っていくためのオススメの仕事(ライスワーク)を教えて。
夢を叶えるなんて双六や御神籤みたいなもんで、運次第。
食っていくための仕事があって、定期的な収入があればサイコロをふれる回数も増える。
挑戦できる回数も増えるだろう。
ワイ、ボイトレで言われたこと再現出来なくて体験入学で挫けてしまったよ
リスナーとして聴く分にはこの歌手の世界観・表現好きってなるけど、
自分自身がそれをするとなると???ってなってまったくどうしたらいいかわからない
歌に気持ちを乗せることはあるけど世界観やストーリーの表現かー・・・ってなる
下手の横好きで小説や漫画もかいたりするけどそれなら伝えたいこととか乗せやすいし
下手でもなんとなく相手も汲み取ってくれるけど歌は難しいよね
ワイは小学生の頃から20年くらいカラオケに通ってるけど微塵も上手くなってないで?
喉はやたら強くなったが
音程の維持やピッチ云々の問題もあるが、世界観の構築って概念が無いな
20半ばの男性ですが、3か月前ぐらい前に行ったカラオケで今まで全然高い声が出なかったのにいきなり出るようになった。
学生時代はいくら練習しても出なかったのに、社会人になって行った久しぶりのカラオケで高い声が出た。偶然かと思ってそのあとひとりでカラオケ行っても普通に出た。
その経験から、「結局高い声なんて体の成熟の問題なんじゃないか」という話をつらつらと書く。過去の自分と同じように悩んでいる人に対しての「あまり深刻に考えんでもいいんじゃないかな」という提案でもある。
・ミックスボイスとは
調べればいろんな定義が出てくるけど、ここでは「高い声で地声に聞こえる声」とする。
・半年前まではどんなことしてたのか。
中3ぐらいからミックスボイスという存在は知ってて、暇があったら実家で歌っていた。
高校は3年間合唱。軽音みたいな部活動はなく、歌が歌えるのが合唱部だけだったから。
大学は軽音でバンドボーカルを半年くらいやって喉がいかれて、回復後1年くらいボーカルスクール通った。
呼吸法とか喉の筋肉の名称や動き、様々な練習方法などの知識はついたが、いかんせんミックスボイスは出なかった。出る気もしないほど。高い音域の声はだいたいなさけない裏声になってしまう。
ここらで感じた「ミックスボイスには才能が必要で、それが自分にはない」という絶望感のおかげでこのあと練習のモチベーションは下がっていく。
大学3年からは留学や就活もろもろで、そもそも歌が練習できず。社会人になったらコロナで歌う機会はゼロになった。
・3か月前、なぜミックスボイスが出たのか。
まん延防止等重点措置が解除されるやいなや、会社を中心に周りでびっくりするほど飲み会が増え、参加することも多くなった。僕以外にも覚えのある人は多いんじゃないだろうか。
会社の比較的若い人ばかりで行く飲み会があり、3次会でカラオケに行くことになった。
同期の男がメジャーの心絵という曲を入れて、みんなでマイクを回しながら歌っていてた。「なみだー」で高いドとかド♯くらいが出るところがあるのだが、そこで自分に回ってきたときにスカーンと高い声が、地声みたいに大きい響きで出た。
いろんなウェブサイトで乗っていた「声が頭の上から抜けていく感覚」とか軽音のときのうまい先輩がいっていた「後頭部からひねり出ていく感じ」という感覚が体感できた。
周りもおぉーとか言っていたのだけど、自分が一番驚いていた。ただ思い込みや偶然の可能性もあるから、1週間後にヒトカラに行った。
このときは女性ボーカルの歌(主にスキャンダルの曲)ばかり入れた。レコーダーも久々に持って行って録音し、帰って聞いた。
安定して高音が出せていることが確認できた。と同時に「え?なんで3次会のカラオケなんかであこがれ続けたミックスボイスのきっかけつかんでんの?」という疑問とも苛立ちともとれない感想が出てきたのだけど。
・なぜ体の成熟がミックスボイスに必要なんじゃないかと考えているのか。
そのあと、中学の友達や高校の合唱部の男友達とカラオケに行く機会があった。ここで皆こぞって(俺と同じように)高音が出るようになっていたってことだけが理由。
みんな昔はキーが高くて歌えなかったバックナンバーやらユニゾンやらウーバーやら平気で歌ってるし、サウシードッグとか優里とかの最新の高音曲、Adoとかの女性ボーカルの歌も原キーで歌っていた。
同級生が久々のカラオケでみんなミックスボイス出るようになっているなんて偶然あるか?と思ったときに、体の問題なんじゃないかと思った。
中学や高校、大学のときでさえも、体やその使い方が未成熟なために、高い声は出なかったのではないだろうか。
それ以外に学生時代の同級生と、声や音楽に関する共通点は見つからない。
よくスポーツだと筋力やパフォーマンスのピークは20代半ばから後半とかいう話もある。学生時代のうまい先輩は思い返してみると背も高いし、体が成熟しきっていたんじゃないだろうか。
他には、「しばらく歌声を出さずにいて悪い癖が取れたおかげで、高い声が出た」という可能性もあるが、歌をそこそこ練習していた俺はまだしも、同級生みんなが声の悪い癖が
ついていたとは考えにくい。
ということで、自分なりの結論で、ミックスボイスに不可欠な要素は体の成熟なんじゃないかと思った次第。
・最後に
ここまでの駄文は正直、どれだけ努力しても結果が出ずに悩んでいた過去の自分への慰みである。
と同時に、冒頭書いたように自分と同じような苦悩をいただいている人が何かのきっかけで見てくれて、声で悩まずにすめばよいなという思いもある。
歌手を目指すとかそういう気はもう起きないけど、長年の悩み・コンプレックスに自分なりの答えが与えられて、それなりに満足しています。
ロシアに依存していた天然ガスのせいで、ヨーロッパがエネルギー危機に陥っている話だけど、あんまり指摘する人がいないことをひとつ。
別にロシアにのみ天然ガスがあるわけではなくて、中央アジアでは、アゼルバイジャンとトルクメニスタンが、旧バクー油田などを抑えていて、巨大な天然ガス産出国になっているわけよ。しかも反ロシアなので、主に西側資本が抑えているのね。アゼルバイジャンからジョージア、トルコをつなぐパイプラインもあり、東地中海からヨーロッパに輸出するアクセス路もある。
なんでこっちの経路をヨーロッパは強化していなかったのよ、って言ったら、アルメニア人、特にフランスのアルメニア系が反対していたのね。
歌手で国葬されたシャルル・アズナヴール(赤い彗星の元ネタの人だ)、歴史家のアンリ・トロワイヤなど、日本でも知られている著名人がアルメニア系で、彼らは政治的に結束していて、アメリカのユダヤ人のようにフランス国内で圧力団体になっている。トルコ、ジョージア、アゼルバイジャン、トルクメニスタンを敵視しているわけ。政治家でもシラク政権下でバラデュール首相を出すなど、アルメニア系の存在感は非常に重いと言うか、大きい。
これは「少数民族が圧力団体として一部の国策を乗っ取る」問題なのね。アルメニアはキリスト教国だから、ヨーロッパのキリスト教ナショナリズムの支援も得られやすい。
今回の事件の元凶は自民党と統一教会が繋がっていたことと、同時に弱みに付け込まれて破産して家族を守れないほど実体のないものに金を注ぎ込んでしまった事例である。そもそも日本には信仰の自由がある。現金を巻き上げるカルト宗教を取り締まれと言っても「お布施は個人の責任、個人の意思で支払ったのだから合法」と言えばどうしようもないし、支払った本人が満足しているなら金の使い道を外野がどうこう言うことはできない(という理屈ははてな民が大好きな理屈だ)。たとえそれが洗脳によるものだとしても、洗脳であることを100%証明することはとても難しいし、洗脳だったと本人が認めることがかなり残酷でもある。
実体のないものに多額の金銭の支払いを求めること自体を違法化するなら、次はソシャゲのガチャが規制される。骨董品なんかも原価から程遠い額のものは規制されて、有名なアンティークだとしてもその価値も数値化できないので宗教と同様になる。骨董品はガラクタとなり、コレクターは拝金者として嘲笑される。おもちゃ博物館なんかも「そんなもの取っておいて維持費ばかり大変」と次々取り壊しにあう。
推し活と行って給料全部を推しに注ぎ込む行為もグレーゾーンになり、商業的にグッズもなかなか作れない状況になる。ファンの行為も宗教的と見なされて跡部景吾生誕祭なんかは完全にカルトの領域として「国家転覆を企む隠れ蓑になっていないか」と公安から監視され、薄い本やネットの夢小説まで検閲が入ることになる。
もちろんアイドル業界も大打撃を受ける。総選挙や握手券などで無駄にCDを買わせるなど言語道断。ファングッズなども原価での販売を強いられ、集客が出来ないということで歌やダンスというパフォーマンスはどんどん先細っていく。人々を扇動するという理由で反体制的なロックやラップは規制され、歌手は国家を讃える歌しか歌えなくなる。それすらも気持ち悪いというクレームが相次ぎ、歌を発表する人もいなくなる。
同様にかわいい動物や漫画ゲームのキャラクターも次々と自主規制が始まる。「信仰の対象」を捨てることがブームになり、本やグッズの大量廃棄が相次ぐ。ペットショップは閉鎖され、里親を探しても「かわいいからという理由で動物を飼育することは宗教に該当しかねない」と世話を拒否する人が続出し、社会問題になる。結果野良ペットが街に溢れることになる。
単純な趣味すら宗教と見なされ、車やバイク、登山やアウトドアなどの趣味は白い目で見られるようになる。「弱者を優先させずに個人の快楽に興じた」という風潮になるので、レジャー施設は軒並み閉鎖されてそこで動いていた金は障害者福祉へ回される。「自分の好きなことより弱者へ金を回そう」が合言葉になり、「施し」がブームになる。
これにより「弱者集団」が台頭し、事故で障害を負った者が「弱者集団」を形成して施しを受け取ることが奨励される。公安も「施し」なら良いと目こぼしをするようになる。
人々は労働に明け暮れ、趣味を持つものは宗教的と見なされ公安にマークされるようになる。レジャー産業や広告業界、芸能界は廃れて悪の拝金主義者と見なされる。テレビも公安の検閲が入り、ネットではファンサイトは死滅する。動画配信など以ての外だ。男女の出会いの場も減り、婚活業界が盛んになる。
やがて「施し」に過度な金銭の動きが見られるようになる。「うちの子はこんなにかわいそうなんです!お金を恵んでください!」「こっちは難病で死にそうです!かわいそうでしょう!」「余命宣告された母に美味しいものを食べさせてやりたい!母は牛丼という庶民的なものをよく食べます!」「キモくて金がないオッサンだから配偶者を恵んでください」「理解のある彼くん募集中」など金銭に留まらず様々なものが「弱者」という名目で巻き上げられるようになる。「弱者」の中でもアピールできる層とそうでない層で分かれ、「お前はまだ弱者アピールできないんだから恵め」と言われる。
次第に「弱者」は働かなくても生きていけるようになる。親は子供を弱者にしようとわざと事故を装い障害者にすることが流行し、エリート弱者になることが推奨される。どれだけ馬鹿でどれだけ弱いかが大事になるのだ。勉強なぞ以ての外。勉強なんかしたら「施し」がもらえないんですからねと甘やかされた子供が増える。ちなみに子供は無条件で弱者になるので一世帯50万円が毎月支給されるようになるので子供の数は増えた。
そんな中老人は「目先の欲のためにそんな弱者になることばかり考えていると痛い目に会うぞ、自分の好きなことをして生きろ」「こんな世の中は間違っている、実力行使しかない」と警告をするが、「国家に仇なす自由主義の手先」と公安にマークされて投獄され、山奥の作業所で監視されながら考えを強制される。「万歳!弱者優先の国家万歳!私たちの考えは間違っていた!自由など愚か者の考えだ!我々は弱者のために奉公しているにすぎない!この壺を原価で売って奉仕をするのだ!」
4回って言い方でわかる人もいるかもしれない。私は関西の大学生だ。頭は良くないけど、そんなに後悔しない大学生活だった気がする。まだまだやりたいことあるしね。
本来なら舌ピなんて1回で開けて楽しんで就活を前に閉じるものかもしれないけど、私はやっと内定が出た直後に開けた。そこの会社に行くかはまだ迷っているけど、我慢できなかったので。
ピアスは病院で開けた。ニードルかなと思ったらピアッサーで、少しずれてしまったけどまぁ満足してる。開けたのは先週土曜だから、そろそろ3日くらい。まだじんわり痛いし、違和感もある。舌を火傷した時や、口内炎が出来たような痛み。咀嚼すると痛みが強くなる。熱いものは駄目。辛いのとアルコールと煙草は控えている。奥歯の方に押し込めるものは割と食べれる。スープや飲み物や豆腐とかプリンは全く問題なし。茶碗蒸しが大活躍している。
両耳たぶは開いてるけど、他は開けてなかった。
耳は高校の卒業式のその日に開けた。アマゾンで買った一番安いピアッサーで、その日に。高校は校則が厳しくて、携帯持ち込み禁止、寄り道禁止、髪染めピアス禁止、アルバイト禁止、SNSのアカウント作るの禁止、他にも色々禁止だった。校則に書いてあるだけとかじゃなくてほんとに先生に見つかったら指導されるレベルの厳しさだった。有名ではないけど幼稚園からある女子校だからそんなものかもしれない。今となっては懐かしいけど、それは私が隠れてバイトもSNSも寄り道もしていたからで、真面目に守っていたならきっと後悔していただろう。
一度無断で休んだ時は反省文を書かされた。学校へ行くくらいなら死のうと思ってホームドアのない電車を探していた時、行かなくてもいいんじゃないかと思った。先生や親も死ぬよりサボる方が嬉しいんじゃないかなんてやたら冷静に客観視してた。反省文を書きながらこれは何の反省なんだろうと思った、だって死ぬか行かないかの二択だったのに。
両耳のピアスは私としては早かったが世間的には遅いだろう。私はいつもそうだった。みんなより全部遅い。化粧を覚えたのも高校3年だった。
前髪を初めて作ったのもはたちになる少し前だ。高校生の時から散々ある方が可愛いだろうと言われていたし思っていたのに。
髪を初めて染めたのもはたちすぎてから。しかもインナーの一部で殆ど分からないくらい暗い青だった。でもそれがきっかけで色んな色をやった、インナーだけど。大学入って直ぐに染めてたらもっと色んな色が出来たのにとも思う。
次は全頭してみたいと思っている。遅いかもしれないけど、遅すぎはしないだろう。だって大学生だし。ぎりぎり。
いつも遅い。みんながやり始める頃にはそんなの興味無いとばかりに見ていて、後からやりたくなってもっと早くても良かったなと後悔する。そしたらもっと楽しめたのに。
成人した直後からワインを飲んでいる。家にカクテルセットがあるというと驚かれる、大学生では珍しいかもしれない。日本酒もすき、ジントニックもすき。クラフトビールもすき。そんな感じ。
幼少期に読んでた本は大抵大人びていた、気がする。少しだけ。英才のように文豪たちを読破したとかカントを読んだとかはない。今はキルケゴールの死に至る病を買って、大学生だと言うのに意味が分からなくて呻いている。もしこれを読んだ方の中に哲学好きな方がいたら、あれを上手く読み解く為のコツとか解説書なんかを教えて欲しい。
閑話休題。
遅いとか早いとか、そういうことは無意識に思ってしまう。早いうちに触れるのはいいことだ、何歳になっても遅いなんてことは無い。そうは言っても現実はその通りでは無い。
小説家やイラストレーターになりたかった。学生のうちに仕事を受けられるようになっていなければそれで生計を立てるのは難しい。そもそもいちばん暇な大学生でプロのレベルまで出来なかったのは才能がないのだろう。能力ではない、やり続けるという才能が。
研究者になりたかった。小学生の頃の行きたい大学はマサチューセッツだった。ちなみに今も昔も英語ができたことは無い。向き合う度に外国語は向いていないことをひしひしと感じる。
研究者に憧れがある、科学者、数学者、天文学者、宇宙の真理やこの世の理、最先端の技術、未知の可能性、人類の進化、魔法と区別がつかなくなるまで発展する科学技術。無闇な憧れだ。論文も本も何も理解出来ず、どういうふうに系統だっているのかも分からない。でも憧れている。でももう遅い。私はサインコサインすら分からない。
頭がいい、と思っていた。昔は。人と会話することもある程度得意だ。
国語は勉強しなくても偏差値が取れた。小学生で漢検2級を取った(これは母の全力の献身によるものだ、私の努力ではない)。他の教科も聞いてたら何とかなった。でも中学2年くらいから授業を聞かなくなって、数学や理科ががくんと落ちた。相変わらず国語はトップ近くで、社会は本から得た知識でなんとかなって、英語は長文とリスニングで何とかした。文法はからきしだった。
高校ではやれば出来るのにと言われ続けた。地頭は良いのにと。そうかもしれないと思っていた。そう思いたかった。
でもそうでは無いのだろう。
本を読んでも理解できないことが増えた。読み終わっても中身を忘れることが増えた。あんなに無限に読めると思っていた本を、もうしばらく最後まで読めたことは無い。難しくなったら駄目だった、ライトノベルは多分いまでもサクサク読める。
私は天才でも秀才でもなくて、やる気とかいう最大の生まれ持つ才能も持っていなくて、やる気がなくてもなんとかなる能力もなくて、全く興味の湧かない仕事内容の会社に就職しようとしている。
昔はゲームなんて時間の無駄だと本気で思っていた。それなら勉強した方が世界も広がって能力も高まって良いと。
勉強なんてもう何年もしていない。ソシャゲに毎日数時間と毎月数万を使う立派なソシャカスだ。
ピアスやタトゥーには憧れていた気がする。酒や煙草にも。アウトロー感のあるものには憧れがあって、でもテンプレートな安い人間にはなりたくなかった。でもなってしまった。
白衣を着て、日本でも有数の大学院で試験管を持ったり数式を書き散らしたり、ドイツ文学やフランス文学を原文で読んで純粋理性批判について論文を書くような学生だったら、髪がペールブルーとターコイズの二色で舌や唇にピアスが開いてて身体にタトゥーが入ってたら最高にかっこよかったかもしれない。
そんな格好をしている美大生なんて山ほどいる。
そんな格好をしている鬱の社会不適合者なんて山ほどいる。
私がなりたかったものにはもう一生なれなくて、それでも表面だけで真似できるものだけ、努力しなくてもできるものだけ、真似している。
大学は楽しかった。散々文句を言ってやる気がなくてチャイムがなって数十分後に来てチャイムと同時に帰っていたけど、物を作るのは楽しかった気がする。ともだちもいる。そうそう人を友人と口に出せない私が友達だと確信を流石に持てるくらいには仲がいい、はず。
桜の咲く公園で夜にビールを飲んだり、宅飲みでマリカしたり、自主休講して展示を見てパフェを食べたり、ナイトプールにいったり、ディズニーとユニバにいったり、覚えてもいないくらいたくさん話して笑ってた。最近は知り合いの家に酔った勢いで雀卓をアマゾンで買って送り付けてルールを説明した。自分も分かってないのに。
彼らにとって大した思い出でもないかもしれないが、私にとっては一人では死んでも得られないそれらをくれた事に死ぬほど感謝している。
ずっと死にたいという思いはあって、でもその中にもう死んでも構わないというポジティブな希死念慮があることは間違いなく楽しかった大学生活のお陰だろう。いやなこともたくさんあった、アルバイトも大変だった。バイト先に警察が来たこともあった、これはいい経験だけど。人生で経験できることはできるだけしておきたいので普通にその時も良かったなと思っていた、店からはたまったものじゃないだろうが。
そんな気持ちだからバンジージャンプも行ったりした。単に絶叫好きなだけかもしれないが。ピアスもその一環かもしれない。開けなければどんな痛みかなんて知らない。舌ピ開いてるあのキャラクターとかも、開けた直後はポタージュとか豆腐とか食べてたのかな、と思うとちょっと面白い。
シーシャも行った。今度葉巻もいく。
努力の要らないものばかり。ボランティアでもしてみれば良かったな。したい気持ちはあるけれど時間とか労力とかいきなりその日鬱になったらとか思うとなかなか出来ない。
習い事もしてみたかった。音楽がからっきしだから何か楽器とか。バレエとかダンスとかにも興味がある。踊るのはすきだ、振り付けは真似するのが苦手だから即興ばかり。音楽を流して踊り続けるのだけは得意だ、人に見せたことは一度もないけど。あとボルダリングとか、薙刀とか、色々やってみたかった。
そういう系だとサバゲーもある。これはサークルに思い切って入った。楽しかった。銃を買ったけれどコロナでサークルが停止してそのままなくなってしまったので一度もフィールドで撃てなかった。いつか思いっきり撃ちたい。
スキーやスケートは好きだから、フィギュアスケートもやってみたかった。ずっと憧れはあるけどスケートリンクが近くにあったことがないのでこれはしょうがない。
バイクにも乗ってみたい。一度後ろに乗せてもらって、免許取りたいといったけれど、結局バイクを持つのが大変なことやお金を考えて取っていない。
美容にはすぐお金を使ってしまう。というか費用対効果だ、時短になるならやっておきたい。二重はやった。脱毛はもうすぐ一回目がある。まつパもやりたい。レーシックもやりたいけどカラコンを入れなくなりそうだと思うとちょっと躊躇する、眼鏡も少し気に入っているので。外した方が可愛いけど。
少しでもかわいくなりたい。自分が死ぬほどかわいくなくて、死ぬほど魅力がないのを知っているから、少しでもってなってしまう。
アイドルになりたかった。歌手でも俳優でもいい。最近はミュージカルがすきだからミュージカルにも憧れる。服のモデルもいい、写真撮られるのも色んな服を着るのもだいすきだ。
でも私は人前が苦手だ。頭で苦手だと思ったことはない、好きなアーティストのライブにいっても、こんなにたくさんの人の前で歌ってこんなにたくさんの人に愛されるのはどれだけ快感だろうということを考えてしまう。
でも人前に出ると勝手に身体が震えて、平衡感覚がおかしくなって、喋れなくなる。大学の発表でもそうだ。上手く話せなくなる。頭は冷静だから対処はできるけど、身体は勝手に震える。
人前というか知らない人と歌う機会があったことも少しあって、褒められたら嬉しかった。けど歌手やアイドルになれるほどじゃない。顔も可愛くないし、ダンスも下手だ。自分では出来てるつもりでいても動画を見るとキレのなさに絶望する。これは本当に才能だと思う。
女の子のアイドルゲームが出来ない。羨ましくなってしまうから。男の子なら普通に推せてたまに羨ましくなるくらいだけど、同性だと近いから難しい。でもなりたいのは男の子のアイドルだ、イケメンと一緒に可愛い女の子にキャーキャー言われるなんて最高じゃん、と思う。
先生になりたかった。人に物を教えるのはすきだ。上手い方だと思う、友人に教える時も。相手の知識量や理解力に合わせて単語に解説をいれ、分量を変え、分かりやすそうな例えを使う。フラットな目線を持っているとも自負しているし、向いている気もしてる。先生と言うよりかはマンツーマンで指導する方が向いているかもしれない。
でも一度家庭教師に登録していて、仕事の話もあったけど、大学名で難色を示された。多分向こうの親御さんが文系か理系の学生がいいと言ったんだろうな、とぼんやり思った。同じ大学でも塾講師をしている子はいるので普通に学力があれば大丈夫なんだろう。私には教える力はあっても学力はない。でもやる気がなかったからこそやる気を出させたり、本を解説するのだけは本当に上手いと思うのだけど……まぁ、仕方ない。
他にもいろいろ夢はある。理想の生活もたくさんある。でももう叶わない。分岐点はとっくの昔にある。
今できる楽しそうなことだけを積み重ねて、本は難しくて気力がない時には読めないからソシャゲの周回とTikTokをして、少しずつあの日の高潔な私が死んでゆく。取り返しはもうつかない。じきに働かなきゃいけなくなる、働けるかは分からないけど。
せめてできる新しいことをしようと思って日記を書いた、ちょっと憧れていたから。ツイッターでフォローしてる文章の上手い人のnoteが良かったから、ああいうものを書きたいと思った。
私は承認欲求が強い。物凄く。いいねひとつに一喜一憂して、私より評価されている人全員が羨ましくて、なんとかいいねをしてくれそうな人に届いて欲しいけどそれを表に出せない。せめてタグをつけてRTをするくらいだ。
私は私の作品が好きでも、クオリティが低いことは知っていて、それでも好きだと言って欲しくて、でも他の有象無象の、私から見てあまりにも稚拙で低俗な作品といっしょくたにいいねされてると悲しくなる。こういうところが本当に性格が悪いと思う。けれど好悪はもう変えられないし、今更承認欲求も手放せない。昔は承認欲求なんてないと、どうでもいいと、むしろそれを持っている人になんでそんな感情を持つんだろうと疑問にすら思っていたのに、自分に承認欲求があるとしたら全てが腑に落ちた。無いと思い込んでいても消せなかったものは、多分もう消えてはくれない。
私は自分が底辺であることを知っていて、それでも結局どこかによく見られたいという願望が残っていて、ナルシストなところもあって、性格の悪さもあって、それがこの文章からも滲み出ていることが本当にいやで、でも取り繕うことすらしないのも嫌だからどうしようもない。
理想の自分になりたかったと思いながら、今日も自分をひとつ成長させてくれるはずの買い込んだ本をめくることすらできず、朝になった。
この文章は最初からひたすら思いついたことを脱線するまま書いて、読み返しや修正もしていない。
どうせ誰にも刺さらないことを知っている。私の作品が好きですという感想を匿名で貰ったことは一度もない。一度も。本の感想も。
最後まで読んでくれた人が数人でもいたら御の字だろう。
それでも誰かが読んでくれて、コメントをしてくれることを夢見ている。認めたくないけど、心のどこかであわよくばインフルエンサーとかがTwitterに投稿したりして、バズって、はてな文学みたいな扱いを受けたりしないかななんて期待している。醜い。でもこの醜い感情を抱えていたくないから書いてしまおう。心に秘めていたりツイッターでぼかしながら細切れに話してることを、全部思いのまま書きたくてこの文章を書いた。
何が刺さるんだと言われたら自分でも分からない。実力以上の評価が欲しい訳でもない。努力もしないくせに数字だけ貰えるなんてことはないと分かっていて、それでも楽なことの方がすきでそちらを選ぶ。趣味だからなんて言い訳せずに絵の練習でもしていたら今頃もう少しましだっただろうか。漫画も描きたかった、漫画の方がバズるから。表現媒体としても面白い、ネタを思いついても小説では書けないこともある。でも描こうとしても絵が下手すぎて結局再現は出来ない。
楽な方に楽な方に流れている。
ひとつ開けたら憧れの気持ちが止まらなくなってしまった。人生で一回は開けておきたい、テンプレートに近づくとしても。死にたいとか鬱だ何だとかいっている言葉が、昔より軽くなりそうだ。ファッションが変わっても私の中身は何も変わらないのに。
楽な娯楽だ。努力しなくてできる変化、合法的な自傷。腕を切ったことはない、痛いから。でも首を絞めることはある。いつか首を吊るためのシミュレーションのように。一度失敗したきりだけど、いつかはきっと死ぬだろう。寿命まで耐えられるとは思えない。
本当は耐えて欲しい。耐えられるくらいでいい、その程度でいいから、幸せになりたい。
普通の人になりたい。創作をする、私は天才だと思っている友人は、死にたいけれどその死にたさも自分だから治らなくていいと言っていた。
私は幸せになりたいから心療内科に通った。意味はあんまりないけれど。
これを書いている間もずっと舌が痛い。これが収まる頃にスクランパーとインダストリアルを開ける。思い切り食事ができるのはまだ先になりそうだ。
何度も終わらせようといい感じに結べそうな文を書いているのに書きたいことが溢れてしまう。
私は人に知って欲しいたちだ。なんでも、やったことや見たもの、感じたことや思想、なんでもすぐツイートしてしまう。勿論セーブはかなりしているけれど。そしてそのツイートを全部見て欲しいと思ってしまう。何故なら私は好きな人のツイートを全部見たいタイプだから。ある程度好意を持っていたら何を喋っていたか知りたいかなんて当たり前だと思うけど、世の中では意外と少数派らしい。でも私の中ではそれが当たり前だから、ツイートを見ていないと言われる度にそんなに私に興味がないのかと傷つく。表には出さないようにしている、めんどくさいと思われるから。でもあえて出す時もある、相手が平気そうだったり、そういうキャラで私がやっていけそうなら。メンヘラちゃんのキャラでいたら、少しだけ私の本音を言うことができる。
だからひたすら書き連ねるのは楽で楽しくて、でと整理されてない文章なんて誰も読みたくないだろう。でも日記というか、書き散らしというか、日々の所感としてはこんなものかもしれない。
舌が痛いし眠くなってきた。多分何も無ければ無限に喋り続けられるだろう。自分の話をするのが好きだ、相手に知ってもらいたいから。好きな人のことはなんでも知りたい、血液型とか、健康診断の話になった時の視力とか、すぐメモってしまう。私の記憶力が悪すぎてメモっているだけで、覚えておきたいというだけなんだけど。締めに頭の中で用意しておいた文章のストックがもうない。前のを引っ張ってこよう。ちょっと書き換えて。
そうやって楽な方に楽な方に流れている。
今度はスクランパーとインダストリアルを開ける。お手軽な変化を得て、なんとかぎりぎり生きている。バイトの当欠も、説明会のキャンセルも、自主休講にしすぎな大学も、なんとかなってるとは言えないけど、取り敢えずまだ致命傷ではない。致命傷ではないけど、ゆるやかに死んでいくのだ。
きっと今の私は、昔の私が一番なりたくなかった姿だろう。働きたくないとか甘えるやつ、努力しないやつ、後回しにするやつ、遅刻するやつ、頭の悪いやつ、死にたいと
この場所はモテなくて風俗の女にすら嫌そうな顔をされる、過去に付き合ったなんて言えない財布扱いしかしてこなかった女を「前の女とあの店行ったわ」と女性経験があるようにアピールする為に使うような、俺みたいな笑顔すら気持ち悪い声だけでかい20代にしてお先真っ暗な男が安心して気持ち悪い素のままの俺でいられる聖域だった。女もいるけど女も8割以上がTHEオタクもしくは勘違いって感じだから同類が9割って安心感があったのに。やってる事がインスタに憧れるツイッターみたいになってる。いまさらきれいな女の子なんてドブ溜めの中に飛び込んでくるわけねーだろ。
デビュー当時から推していた声優アイドルユニット…とは言っても声優としての仕事は芳しいと言い難いしチェキやライブお渡し会といったアイドル活動がメインなので、もうアイドルと書いてしまおう。他の声優のように俺みたいなキモオタは相手にしたくないから女ファンの取り入れに必死なんだろうから。
これは単なるオタクのお気持ちだ。お気持ちを連ねるに辺り必要そうな事だけ自語りも入ってしまうが書かせてほしい。
活動は先述の通り。
会社からやたら売り出されているのを感じる。新しいアプリが出ればなぜかこのユニットだけ写真があったり、つべチャンネルでメンカラーのオタクチャイルドシートが用意されてたり、曲の提供が売れてるアニソン歌手だったり。メインじゃない役でも出てるアニメのOPなどがこのユニットの曲を使ってくれていたり。メンバーに有名人の娘もいるし当然かもしれん。
俺はこのユニットの信者。アンチから見たら完全に信者だったと思う。冷めてる今になって考えればやたら曲がアニメに起用されるのも顔以外で人気のメンバーには声優の仕事が入るのも実力があるんだなって鼻高々だったけど何もかもおかしかったんだよな。
最近女の子も好きなメーカーとコラボしたり、女性限定席を前方に設けたり、女性媚びがすごい。
・現場
ペンラ振り放題、推しジャンや振りコピもあるぞ!おとなしい奴は棒振りマシーンと罵られても当然みたいな現場。ラ!のオタクが結構流れてきてたのでそこで察してほしい。
・オント
お渡し会、オンライントーク、CDやアニメBDを買えば推しの時間を買うチケットがついてきた。俺は2回借金をして積んだ。ライブ優先申し込みもあったし。
ライブが気持ちいいユニットだった。暴れ放題。UOぐるぐるとか当たり前。
これに関しては話の趣旨から逸れるが友人から言われた「彼女作ってちゃんとした〇ックスしろよ」が今になって理解できてすげー刺さってる。これができればライブで暴れるのにハマらずにすんだしひいては借金もしなかったのかもしれない。言われたときは「彼女できたばっかでマウントとるオタクだっせー」って思ってたけどラブライブから足抜けしていたあいつだからこそ言える言葉だったとこんなところ見ていないだろうけど謝りたいしまた飯食いに行きたい。
いい席で暴れて目立ってユニットにアピールする俺が大好きだったし優越感がマジで気持ちよかった。ツイッターで「アイドル名 UO グルグル」とかで検索して自分についての呟きをいつも探してた。
承認欲求がすげー簡単に満たせた。地味にペンラ振ってる周りを「UOも積めない貧乏か?」って罵るのも気持ちよかった。
オタク少ないライブって全然いないとは言わないけどペンラすくねーよな。そりゃそっか。承認欲求は周りで満たせてるんだよな。俺だけなんだよ。アイドルの威を借りて目立って悦に浸ってるの。
いや俺だけじゃない。周りも暴れまわってる。推しに応援を見てほしいみたいなきれいごといいながら自分が目立つのが好きでたまらないんだよな、俺だけじゃない、周りも寂しい男ばっかだ。
この安心感がわかるだろうか。
いい席にいれば「たくさん金を払った」とアピールができる。そこで目立つと言及される事がマイナスだとしても多いし、そもそも積んでるから「俺様に何ほざいてんだよ。貧乏がw」ってなる。めっちゃ性格悪いんだけど、性格悪い事するのってすげー気持ちいいんだ。
ここでタイトルに戻りたい。
そんな現場に”ホンモノ”がやってくるかもしれない恐怖。
現実生活が充実している人間がクラブで踊っている間にペンラをぶんまわして振りコピして踊るような陰キャのたまり場に。
まともに女と手をつなげない、つなごうとしても「あれ何?」とか不自然にその辺指差して手を外してくるような女としか歩けない俺にも嫌な顔せず笑顔で手を振って名前を呼んでくれる女の子がいる場所に。
何もかも満たされてそうな女がやってきて俺を見下しはじめるんだろ。怖い。俺は女から「きっも」と呟かれるのも冷ややかな目で見られるのも怖い。
オタクの女もきっとそういう態度をとられてきたんだろうな、あんまりそういう事はない。いい匂いするような女はすぐに俺を傷つけてくる。100万200万貢ぐくらいじゃ俺が存在することを許してくれないと思う。
どうしていまさらこういう女を客にしようとするんだよ。
黒髪ばっかで、白黒の服や色ついてるのはフルグラかセンスない女がやべー色の服をセンスいいでしょみたいな顔で着てて、そんな安心感あるくっさいドブにいまさらきれいな女はやってこない。
そもそもそういう女はもう韓流アイドルとか推してるんだ。ホンモノはホンモノを推してる。なんで俺達みたいなキッショい男がそういうアイドル現場から声優オタクに流れるか考えた事がないのか?会いたくないんだよ。上位女子に。存在するだけで嫌われるから。
ファンをやめたとか書いてしまったけどお願いですから俺の居場所を返してください。俺が目立っても嫌な顔をしないか、されたとしても「キモオタに嫌われてもなー(笑)」と平気でいられるあの場所でしか俺は生きていけません。
7/14追記