はてなキーワード: 崩御とは
東京大学先端科学技術研究センター専任講師の小泉悠先生、ご活躍だが、82年生まれと聞いて驚いた。明菜がデビューした年の生まれではないか。
1989年を知らない人は、たぶんロシア人の持っている恐怖やメンタリティ、なぜプーチンを支持するのかが理解できないのではないかと思う。小泉先生はもちろん専門家だから知識として知らないと言うことはないだろうけども、私たち日本人にとってさえ昭和天皇崩御から始まったあの一年、そして続く数年は、息つく間もないような激動だった。
ロシア(ソ連)がマールボロカントリーなどと揶揄されていた時期だ。マールボロと言う煙草の銘柄があるのだが、そのキャッチコピーが「Come to Marlboro Country」と言うものだった。そのキャッチコピーがロシアの実態を指す言葉として用いられていたのだ。ルーヴルがゴミ同然になって、煙草のマールボロが通貨のようになっていたから。マールボロ2箱でモスクワでは最上等の売春婦が抱けるぜなんて話があった頃である。
ソ連が崩壊して、エリツィン政権になって、ちょうどあの頃はマネタリズムの最盛期だったから、シカゴ学派の経済政策(ハゲタカ資本主義)とか一番やってはいけない時期に一番やってはいけない国でやってしまったこともあって、平均寿命が五十代くらいまで急落した、そう言う世界を、今の若者が言う「物分かりが悪い、無知な高齢者たち」は生きたのである。
51.平城天皇(806~809)
官司の統廃合、観察使の派遣など行政の立て直しに取り組んだ。藤原薬子を寵愛したが、譲位後薬子の変が起きたため、出家した。
薬子の変を鎮圧。弘仁格式、新撰姓氏録を編纂した。三筆の一人にも数えられる文化人
在位中に令義解が施行され、日本後紀が完成した他、承和の変が起き藤原氏繁栄の基礎となった。医学、書道、和歌など初学に精通した知識人
55.文徳天皇(850~858)
続日本後紀の編纂を開始した。病弱であったため、政治の実権は藤原良房がが握った。
56.清和天皇(858~876)
幼くして即位したため、良房が実権を握り、元服後も握り続けた。在位中に貞観格式が編集された。
57.陽成天皇(876~884)
乳母子を殺す、宮中で密かに馬を飼うなどの奇行が多く、藤原基経に譲位させられた。
58.光孝天皇(884~887)
55歳という高齢で即位し、基経に「実質的な関白として政治を任せた。
阿衡の変により、藤原氏を疎み、菅原道真を重用した。在位中に多くの歌人が輩出され、遣唐使が廃止された。
60.醍醐天皇(897~930)
藤原時平の讒言を信じ、道真を左遷した。在位中に古今和歌集の勅撰、三代実録、延喜格式の編纂が行われ、その治世は村上天皇と共に延喜・天暦の治と称された。
在位中は天災が多発し、平将門・藤原純友が乱を起こすなど、多難な時を過ごした。
63.冷泉天皇(967~969)
病弱であったため、藤原実頼が関白として実権を握った。安和の変の後は、摂政・関白が常置されることとなった。
64.円融天皇(969~984)
藤原氏の政権争いに翻弄され、出家、文化人として風流な生活を送った。
在位中藤原道長が実権を握り、紫式部、清少納言、和泉式部などの文化人が活躍した。
道長の孫。在位中は道長・頼通が実権を握り、藤原氏の全盛期を迎えた。
在位中は頼通が関白として実権を握った
藤原氏を疎んじ、新政を行った。記録所を設け、成功、重任を禁じ、宣旨枡を定めた
在位中に富士山噴火、後三年の役が起きた。譲位後、院生を行った。
在位中は院生が行われたが、藤原師通の補佐により自らも政治に関与し末代の聖王と称された。
譲位後、崇徳~後白河の3代に及ぶ院政を行った。崇徳院を無視して、後白河天皇を即位させたことが保元の乱の原因となった。
鳥羽上皇に冷遇され、譲位させられた挙げ句、息子の即位も阻まれた。これを不満とし、保元の乱を起こすも敗れ、讃岐に流された。死後怨霊として恐れられた。歌人としても名高い。
76.近衛天皇(1141~55)
17歳で亡くなったため、崇徳院、藤原忠実・頼長親子に呪われたのではないかと噂された。
77.後白河天皇(1155~58)
保元の乱で崇徳院を破った後、譲位し院政を行った。平治の乱、治承・寿永の乱、鎌倉幕府成立などの激動の時代の中、権謀術数を巡らせ朝廷権力を維持した。
78.二条天皇(1158~1165)
崇徳院の子を差し置いて、皇子になったため、保元の乱が起きた。即位後は後白河院の院政に抵抗するも病気のため叶わなかった。
自身への敵対勢力に擁立されることを恐れた後白河院によって、わずか4年で譲位させられた。
80.高倉天皇(1168-80)
81.安徳天皇(1180~1185)
壇ノ浦の戦いで入水した。日本史上最も短命な天皇で、わずか7歳で崩御した。
82.後鳥羽天皇(1183~98)
譲位後、土御門~仲恭の3代にも及ぶ院生を行う。承久の乱に敗れ隠岐に流された。
父である後鳥院とは不和で承久の乱にも加わらなかったが、自ら望んで土佐に流された。
85.仲恭天皇(1221)
わずか10歳で即位したため、天皇になったことのない守貞親王が後高倉院として異例の院政を行った。
滑石を用いたいたずらが原因で転倒し崩御した。
88.後嵯峨天皇(1242~1246)
譲位後、2代にわたる院政を行った。死に際して、帝位継承者決定を幕府に委ねるとしたため、南北朝問題の原因となった。
90.亀山天皇(1260~74)
大覚寺統いわゆる南朝の祖。父後嵯峨院に愛され、兄後深草院を差し置いて子の後宇多天皇を即位させたため、南北朝問題の原因となった。譲位後南禅院を建立
91.後宇多天皇(1274~1287)
大覚寺統。在位中に元寇があった。譲位後、持明院統の伏見天皇を即位させるが、続いて持明院統の後伏見天皇の即位には反対したため、両統送立が始まった。院政を行うが、後醍醐天皇と対立し、政治から身を引いた。好学の天皇として知られる
93.後伏見天皇(1298~1301)
譲位後、院生を行う。元弘の乱後、東国へ逃れるも捕らえられ出家した。
94.後二条天皇(1301~08)
大覚寺統。持明院統から2代続いて天皇が出たことに後宇多院が抗議したため、幕府の計らいで即位。両統送立が始まった。
95.花園天皇(1308~1318)
鎌倉幕府打倒に貢献した後、建武新政を行う。足利尊氏に敗れ吉野に逃れ南北朝時代が始まる。
高師直に攻められ賀名生に逃れる。一度京都を奪還するもすぐに北朝に奪われた。その後も京都回復を狙い、各地を転戦するも果たせなかった。
98.(南3)長慶天皇(1368~1383)
和歌を愛し、五十番歌合、五百番歌合などを催した。
足利義満の誘いの応じて、南北朝の和解を実現。しかし、義満の死後冷遇され、和平の条件であった両統送立も果たされなかった。
後醍醐天皇の失脚を受けて即位したが、鎌倉幕府の滅亡後、後醍醐の廃位と光厳の即位が否定された。
足利尊氏の擁立により即位。譲位後、観応の擾乱によって南朝に捕らえられるが後に解放された。
北3.崇光天皇(1348~1351)
北4.後光厳天皇( 1352~1371)
後村上天皇の一統が破れると、足利市に擁護され即位した。南朝の攻撃に遭い、美濃・近江などに逃れたこともあった。
北5.後円融天皇(1371~1382)
1.神武天皇
2.綏靖天皇
3.安寧天皇
4.懿徳天皇
5.孝昭天皇
6.孝安天皇
7.孝元天皇
8.孝元天皇
実在する可能性のある初めての天皇。大物主神を祭り、疫病を治めた。武埴安彦の乱を鎮圧し、各地に四道将軍を派遣。戸口を調査し課役を課した。
愛妻が兄狭穂彦王の乱に連座し焼死する憂き目に遭った。伊勢神宮を建立した。彼の代に相撲や埴輪が誕生したとされる。
13.成務天皇
国郡県邑を定めた。
14.仲哀天皇
熊襲より先に新羅を討つべしと言う神託を無視したため、病没した
15.応神天皇
神功皇后の三韓征伐中に誕生。彼の治世に大和政権は国力を伸ばし、倭の五王讃と同一視される。八幡神として祭られる。
16.仁徳天皇
民の貧しさを嘆き3年間一切の税を廃した。好色であったため木崎の嫉妬に悩まされた。倭の五王讃と同一視される。
帝位を狙う住吉仲皇子に暗殺されかけるも、端歯別王(後の反正天皇)にこれを殺させ即位。国内情勢調査のため国史を設置した。倭の五王讃と同一視される。
18.反正天皇
身長3mで綺麗な歯並びの美男子であったとされる。倭の五王珍と同一視される。
刑部を定め、死傷の混乱を避けるため盟神探湯を行った。倭の五王斉と同一視される。
允恭天皇の皇子を暗殺して即位。大草香王を殺して妻を娶るが、その息子の眉輪王に殺された。倭の五王興と同一視される。
21.雄略天皇
眉輪王と履中天皇の子を殺して即位。渡来人を重用して王権を強化した。倭の五王武と同一視される。
22.清寧天皇
履中天皇の孫。父を雄略天皇に殺されたため、播磨に逃れたが、清寧天皇に迎えられ即位した。
25.武烈天皇
妊婦の腹を裂く、人を木に登らせて殺す等の暴君であったとされる。
慈悲深い君主であったが、朝鮮での日本の勢力が弱体化し、磐井の乱が起るなどその治世は乱れた。
30.敏達天皇(572~585)
任那復興を目指して新羅と交渉、国内では物部氏と組んで排仏運動を進めた。
初めて仏教を受け入れた天皇。その治世は物部氏と蘇我氏の対立が激しく、天皇の崩御直後に物部氏が滅んだ。
32.崇峻天皇(587~592)
34.舒明天皇(629~641)
35.皇極天皇(642~645)
女帝。在位中に乙巳の変が起きる。弟の孝德天皇に日本初の譲位を行った。
36.孝德天皇(645~654)
37.斉明天皇(655~661)
皇極天皇の重祚。阿倍比羅夫に蝦夷を討たせた。百済救済のため軍を派遣し、自ら九州に赴き現地で死去した。
38.天智天皇(668~671)
40.天武天皇(673~686)
甥の弘文天皇を倒して即位。八色の姓を創始、律令の制定、国史の編纂など律令国家の確立に尽力した。
41.持統天皇(690~697)
女帝。天武天皇の妃。夫の制作を引き継ぎ、飛鳥洗御原令を制定し、藤原京を造営した。
42.文武天皇(697~707)
大宝律令を制定した。
43.元明天皇(707~715)
女帝。平城京に遷都し、風土記・古事記を編纂、和同開珎を鋳造した。
46.孝謙天皇(749~758)
女帝。その治世に奈良の大仏が完成し、鑑真が来日した。藤原仲麻呂を重用したため、橘奈良麻呂の変が起きた。
47.淳仁天皇(758~764)
孝謙上皇が道鏡を寵愛すると、藤原仲麻呂と結託して乱を起こすが敗れ淡路島に流された。
48.称徳天皇(764~770)
孝謙天皇の重祚。在位中は道鏡の専横が激しく、宇佐八幡神託事件が起きた。
50.桓武天皇(781~806)
平安京に遷都。空海・最澄を登用した。勘解由使の設置、兵役の廃止など農民の負担軽減に努めたが、蝦夷討伐には財力を惜しまなかった。
2134年11月6日、日本の天皇が崩御した。天皇に子はなく、この日をもって象徴天皇制は廃止、日本は共和制へと移行することになる。
直前の世論調査によれば、皇室の存続を望む者は8割を超えていた。にもかかわらず、皇室は消滅した。それはなぜか。
かつて、20世紀半ばに活躍した政治学者の松下圭一は「大衆天皇制論」という小論を書いている。そのなかで松下は、第二次世界大戦以前の天皇制と戦後のそれとでは、制度を支える心理が大きく変化していることを論じた。すなわち、戦前において畏怖される存在だった天皇は、戦後の人間宣言を経て、愛される天皇へと変化したというのだ。
松下はさらに、愛される皇族の条件として、「平民」として恋愛もする一方、「小市民層の日常的要求の理想」でもあらねばならないとした。つまり、普通の人間であると同時に、優れた人格をもつことが期待されるようになったというのだ。
この観点からすれば、戦後の皇族はみな一様に大変な努力を重ねたと言えるだろう。時折、スキャンダルのようなものが噴出することはあれど、大衆の期待に沿うべく、「理想化された平民」を演じ続けた。
だが、大衆の願望は、皇族が人間として生きていける限度をはるかに越える水準に達した。
それが顕著に表れたのが、結婚をめぐる問題だった。皇族の結婚相手は、大衆の意を受けたメディアから厳しい精査に晒され、わずかでも問題があるなら、苛酷なバッシングの対象になった。
結婚した後も、プレッシャーは続いた。皇室の厳しいしきたりに加えて、男子を生むことを求める強烈なプレッシャーはしばしば女性皇族を精神的に追い詰めた。そして、それによる体調不良までもが、メディアでのバッシングの要因となった。
そのような皇族の有様をみて、いったい誰が我が子を皇族に嫁がせようと思うだろう?
皇族が適齢期に達すると、同年代の名家の子女たちは結婚を急ぎ、間違っても自分が「見染められ」ないよう必死になった。皇族との結婚を決意した者も、「理想化された平民」を求める大衆の餌食となり、やがて消えていった。
保守派は旧宮家の皇籍復帰を叫んでいたが、皇籍離脱から長い年月を経て「理想化された平民」像には遠く及ばない彼らの復帰を大衆は認めなかった。保守派とて「理想化された平民」像から逸脱する皇族を必死で叩いていたのであり、いわば自業自得であるとも言えた。
「ふたりの女王 メアリーとエリザベス」という映画が、ポリコレに対して普段まあそんなものでしょと思っていた私でも、納得がいかなかった。
2018年制作(国内上映は2019)の映画だが、舞台は1561年の王様崩御からはじまる16世紀のイギリス王室とスコットランド王室を中心としている。
当時のヨーロッパ各国にとって大航海時代、そして奴隷貿易花盛りの時代だ。
という時代背景を踏まえた上で気になったのが、イングランド大使が黒人男優であったこと。女王のお付きの者にアジア系女性(中国系イギリス人)がいたこと。
歴史映画にポリコレとかダイバーシティとか持ち込むことの是非はともかく、どのような作り手の意図があるかは分からないけど、
16世紀のイギリス王室で??
戦国時代が舞台の大河ドラマで何の説明もなくいきなり外国人が存在してるようなものでは?
公式サイトにも「アカデミー賞受賞スタッフが作り上げる16世紀英国の世界」って書いてありますけど…
公式の人物相関図にも二人とも載ってる。分からない。http://www.bitters.co.jp/2queens/
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 134 | 14615 | 109.1 | 53.5 |
01 | 89 | 10415 | 117.0 | 62 |
02 | 48 | 5420 | 112.9 | 41 |
03 | 35 | 5039 | 144.0 | 57 |
04 | 29 | 1720 | 59.3 | 39 |
05 | 14 | 6258 | 447.0 | 85.5 |
06 | 32 | 3206 | 100.2 | 95 |
07 | 54 | 4639 | 85.9 | 41.5 |
08 | 137 | 8470 | 61.8 | 38 |
09 | 123 | 11914 | 96.9 | 49 |
10 | 230 | 20081 | 87.3 | 48.5 |
11 | 237 | 22794 | 96.2 | 46 |
12 | 172 | 16064 | 93.4 | 37.5 |
13 | 156 | 13039 | 83.6 | 36 |
14 | 128 | 11439 | 89.4 | 52.5 |
15 | 163 | 13478 | 82.7 | 34 |
16 | 166 | 17278 | 104.1 | 38.5 |
17 | 255 | 21784 | 85.4 | 37 |
18 | 148 | 13466 | 91.0 | 44.5 |
19 | 120 | 9889 | 82.4 | 37 |
20 | 82 | 15704 | 191.5 | 52 |
21 | 100 | 10592 | 105.9 | 49 |
22 | 113 | 12427 | 110.0 | 50 |
23 | 115 | 15998 | 139.1 | 42 |
1日 | 2880 | 285729 | 99.2 | 44 |
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この物語の舞台はパラディ島というだが、このパラディ島は人類に対するキモオタの立ち位置を描いているといっても過言ではない。
キモオタというのは巨人化する力を失ったエルディア人みたいなものだ。
エルディア人である限り、まして無力である限り、世界から永遠に迫害され続ける。
ただ全世界の人々を刺激しすぎないように「わきまえたオタク」であり続けることだ。
それはパラディ島の中でイキってるだけのフリッツ家の人間であるにすぎない。
調子に乗りすぎて目立ってしまったら、すぐに諸外国にリンチされる。
そういう存在にすぎないのだ。
キモオタが自由に生きるためには全人類に戦いを挑んで敵をみんな滅ぼすしかない。
これほどまでにキモオタの現実を的確に描いた作品を他に知らない。
これを読んでいればキモオタはわきまえたオタクとして生きることができる。
https://anond.hatelabo.jp/20210215075417
「不謹慎」レベルは場の余裕と、場の権力者の好みによって変わる。
この点においてオタクたちはまず自分たちが常に最底辺であることをわきまえよ。
オタクの中で多少人気があったからと言って、それはサル山の猿に過ぎないことをわきまえよ。
オタクはどこまでいってもオタクでしかなく、権力者になることはできないのだという現実をわきまえよ。
オタクたちのネタはオタクの身内にしか通じないことをわきまえよ。
オタクの好みが権力者の好みに合致することはほとんどないことをわきまえよ。
麻生が好きなのはあくまでゴルゴと勇午とローゼンだけでオタクそのものは好きじゃないことをわきまえよ。
オタクは視野が狭いからすぐにネットは自分たちのものと勘違いするがネットの中でも権力者にはなれないことをわきまえよ。
ネットにはネットに権力者というものが存在する。ポリコレ様に逆らったら生きていけないことをわきまえよ。
ポリコレ様は、もともと器が小さくてあらせられる。
そんな時にいつものオタクのノリをぶっ放すというのは自殺行為に他ならない。
おねロリキメセク天皇はそれをわきまえなかったから崩御なされた。
ただそれだけのこと。
某件、災害でネタツイをするなというのは分かる(ただ、実際被災すると、ネタツイよりも上っ面だけの心配してますよ的なツイの方が大分癪に触る)し、ネタとして面白くないというのもまあ分かる。
ただ、批判意見の中に、ネタをネタだと分からない人がいるからそういうネタツイはやめろ的なものがあるのは見過ごせない。
嘘を嘘と見抜けない人は云々という言葉はインターネットに入り浸っている人間なら誰でも知っている言葉であるが、実際嘘を嘘と見抜くのは思っているよりも遥かに難しい。
ネットでは中学生レベルの化学知識があれば簡単に見抜けると言われているエセ科学だってその中学生レベルの化学知識すら持たない人はごまんといる(正直、俺も怪しい)し、最近話題の陰謀論だって、自分の頭で考えて嘘と見抜けている人間がどれほどいるのだろうか。
また、ゲイ向けポルノやネットに強い弁護士といった、特定のネットミームを知らないとネタと分からないものもあまりセンシティブな題材と組み合わせるのは避けた方がいいであろう。
ただ、そうはいっても、これはネタと見抜けない方が悪いというものはある。
アメリカ大統領が牛丼チェーン(しかも食券制)で食い逃げとか、手づから極東の島国の井戸に毒を投げ込む(これが毒を投げ込むよう指示だったらギリギリ悪質なデマに成り得るが)とか流石に真実だと思う方に問題があるだろう。
別にネタをネタとして楽しめる古き良きインターネットに戻ろうとか言いたいのではない、というか古き良きインターネットなんてただの幻想だろう。
ただ、日常生活に支障を来すであろうレベルで読解力に問題のある人間に合わせたツイートをしろという意見には賛成出来ないだけだ。インターネットは情報リテラシー皆無の人間にも対応しなければならないお役所じゃないんだぞ。
眠れる獅子大陸の17の州を統一するオフトニア合衆国。その合衆国の偉大なる大王、オフトゥン王の崩御に端を発する10年間のおはよう無きおやすみ戦争を舞台に描かれるサーガ。
オフトゥン王の後継者争いの最中、王位継承権第一位のスャア王子がタオル血党同盟の首領ヒルネスにより殺害されたことにより、国を分かつ紛争に発展する。後に猛不被覆団も入り交じっての三つ巴の10年に渡る乱戦に発展していく…。ひとつの大陸、ひとつの王、ひとつのオフトニア、そう呼ばれた時代から、オフトニアを三分する争いが始まる。
そんな闘争と時を同じくして、フテネ州のうだつの上がらない平民、ニドネ・サンドネがヨギボーの書に示される伝説のニシカワウモウフカフカにくるまれることから始まる数々の夢の様な奇跡を巻き起こす。その果てには、平民でしかなかったニドネ・サンドネが眠れる獅子大陸を統一し、ひとつのオフトニアを取り戻すまでの108巻に渡る壮大な物語。
なお、この壮大な物語はニドネ・サンドネ(45歳名誉無職)のおねしょからのヒヤリハットの目覚め、いわゆる夢オチで幕を下ろす。
オープンな選挙をやって、選ばれた実力・人気のある奴が天皇になる 任期は4〜5年とか?
いい点列挙します
選挙って基本的に面白いんだよな とくに開票まわり 天皇選挙ぜったい盛り上がるでしょ 芸人とスポーツ選手と元皇室の戦いとか見たい
天皇、仕事自体はわりとどうでもよくて存在してればいいだけだから、誰がなってもそんなに問題ないのもいいところ
天皇人間宣言とかやったあとも70年とかずっと天皇制引っ張ってるのキショすぎる
国民感情としても、別にカッコ良くもないし超デキるわけでもない謎のオッサンを陛下呼びしないといけないのは最悪なんだよな
さっさとやめたほうがよさそう
俺も天皇になれるかもしれない!
任期5年とかなので生前退位がデフォになるから、突然死んで大騒ぎってことになりにくい
皇室は解放して天皇ひとりだけになるので純粋に守るべきものが減ってコストダウンになる
選挙で選ぶんならべつに死んでも替えがきくんだからそんなに神経質にガードする必要がなくなる
凄い好きなんだよね。夜明けのブギーポップの序盤はマジで神。「共食いで死んだカラスの死体だ」で鳥肌が立つ。というか泣きそうになる。人の痛み、っていうものをブギーポップは書き続けてきた。それはペパーミントの魔術師でも表れてる。「律子、あれを出しなさい」「直接の毒性は無いって発表されたわよ!」ペパーミントの序盤も神。まあ正直ロストメビウス以降は微妙な感じがするんだけど。とにかくペパーミントのアイスをお守り代わりに魔法瓶に入れて持ち運んでた女の子のエピソードは神。人には痛みがある、でもその痛みから常に目を逸らして生きている...
最近夏目漱石を読んでいる。まあ丁寧な文を書く人だな、と思うし、時々面白いな、と思うこともあるけど、上遠野浩平ほどエンタメとか可読性を重視してはないわな。まあ、でも夢十夜の第一夜とかはロマンチックだし、エポックメイキングだと思うよ。
『こころ』なんかは、明治天皇が崩御した時に殉死した人の中には、殉死に見せかけて個人的な理由で命を絶った人もいた、っつー話なんだよな。つまりは漱石もまた「痛み」を書いた作家で、ある意味それは上遠野浩平と共通した点だと思うんだよね...
1950-06-25 朝鮮戦争
1951-09-08 日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)並びに日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約
(日米安保条約)調印
1952-04-28 日本国との平和条約並びに日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約発効
1952-10-15 警察予備隊が保安隊に改組される。浜松に航空学校が設置される(後の航空自衛隊に繋がる)
1953-03-05 スターリン死去
1954-02-01 保安庁に航空準備室が設置される(後の航空自衛隊に繋がる)
1954-05-29 ビルダーバーグ会議初開催
(於オランダ、ヘルダーラント州レンクム、オーステルベーク(Oosterbeek)、ビルダーバーグホテル)
陸上自衛隊(保安隊から改組)、海上自衛隊(海上警備隊から改組)、航空自衛隊(新設)設置
1956-07 昭和31年度年次経済報告(経済白書)発表(「もはや戦後ではない」)
1958-08 大躍進政策
1960-12-27 池田勇人内閣、「国民所得倍増計画」を閣議決定する。
1964-08-02 トンキン湾事件(8月2日及び4日。アメリカによるベトナム戦争への本格的な介入が始まる)
1964-10-10 1964年東京オリンピック(同年10月24日まで)
1966-05-16 無産階級文化大革命(文化大革命)(1976年10月6日まで)
1971-06-17 琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(沖縄返還協定)締結
1971-08-15 ドル・ショック
1972-05-15 琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(沖縄返還協定)発効(沖縄復帰)
1972-09-29 日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明
勃発後に産油国による原油公示価格値上げや産油制限が発表され、オイルショックとなる。
1975-11-15 G7サミット初開催(於フランス・ランブイエ)
1978-08-12 日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約調印
1978-10-23 日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約発効
1978-12-22 改革開放(中国共産党第十一期中央委員会第三回全体会議にて提唱)
1985-09-22 プラザ合意
1987-12-08 中距離核戦力全廃条約(INF条約)発効(2019年8月2日失効)
1989-01-07 昭和天皇崩御。元号が昭和から平成に改められる。
1989-04-01 消費税導入(当初は3%)
1989-06-04 六四天安門事件
1989-12-29 日経平均株価、取引時間中に38,957円44銭の最高値を付ける(史上最高値)。終値は38,915円87銭。
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1993-07 衆院選で自民党が敗北し、非自民連立政権が誕生する(55年体制の終焉)
1993-11-11 欧州連合条約(マーストリヒト条約)発効(調印は1992年2月7日)
1995-11-23 Windows95が日本国内で発売される。
1997-07 アジア通貨危機
1997-11-03 三洋証券、経営破綻(会社更生法の適用を申請する)
2003-03-20 イラク戦争(2011年12月15日まで)
2006-12-30 サッダーム・フセイン死刑執行
2009-09-16 鳩山由紀夫が内閣総理大臣に指名される(政権交代)
2011-01-20 中国国家統計局、中国の2010年度国内総生産(GDP)を発表。
2011-03-11 東日本大震災。福島第一原子力発電所事故
2012-12-26 安倍晋三が内閣総理大臣に指名される(第2次安倍政権成立)
2013 世界で、スマートフォンがフィーチャーフォンの普及率を上回る。
2019-05-01 天皇譲位。皇太子徳仁親王が践祚。元号が平成から令和に改められる。
2020-01-16 新型コロナウイルスの日本国内における流行開始(日本国内での感染者を確認)
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wikipedia「ABCD包囲網」「ハル・ノート」「太平洋戦争の年表」「日本史の出来事一覧」「沖縄県の歴史」「廃藩置県」(順不同) その他各種記事を参考にした。また、航空自衛隊の歴史(航空自衛隊)を参考にした。
1615-05-07 大阪城が落城し、大坂夏の陣終わる。豊臣氏滅亡
1853-05-23 アメリカ艦隊、浦賀沖に来航(黒船来航)
1861-04-12 アメリカ南北戦争(1865年5月9日まで)
1868-01-03 王政復古
1868-07-17 東京奠都(「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」煥発)
1871-08-29 廃藩置県
1875-06-28 讒謗律(太政官布告)及び新聞紙条例(太政官布告)公布
1877-05-26 木戸孝允死去
1888-03-09 ヴィルヘルム1世・プロイセン王兼ドイツ皇帝崩御
フリードリヒ皇太子(フリードリヒ3世)がプロイセン王兼ドイツ皇帝に即位。
1888-06-15 フリードリヒ3世崩御。ヴィルヘルム皇太子(ヴィルヘルム2世)がプロイセン王兼ドイツ皇帝に即位。
1894-07-25 日清戦争(1895年4月17日まで。宣戦布告は1894年8月1日。台湾平定終了は1895年11月30日)
1898-07-30 ビスマルク死去
1902-01-30 日英同盟成立(1923年8月17日失効)
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1905-09-05 日露両国講和条約(ポーツマス条約)締結(日露戦争終了、条約発効は同年11月25日)
1912-07-30 明治天皇崩御。皇太子嘉仁親王が践祚。元号が明治から大正に改められる。
1914-07-28 第一次世界大戦(1918年11月11日まで)
1922-02-01 山縣有朋死去
1922-02-06 ワシントン海軍軍縮条約調印
1923-08-17 ワシントン海軍軍縮条約発効
1926-12-25 大正天皇崩御。皇太子裕仁親王(摂政)が践祚。元号が大正から昭和に改められる。
1927-03 昭和金融恐慌
1930 昭和恐慌
1930-10-02 日本、ロンドン海軍軍縮条約を批准
1932-05-15 五・一五事件
1936-01-15 日本、ロンドン海軍軍縮条約を脱退
1936-02-26 二・二六事件
1936-12-31 ワシントン海軍軍縮条約失効
1937-07-07 日中戦争(1945年9月9日まで。盧溝橋事件に始まる。当初は宣戦布告をせず、「支那事変」と呼称)
1939-07-26 アメリカ政府が日米通商航海条約の廃棄を通告
1939-09-01 第二次世界大戦(ドイツがポーランドに侵攻して始まる。1945年9月2日まで)
1940-09 アメリカ、対日屑鉄全面禁輸
1940-09-27 日独伊三国同盟調印
1940-11 日本とアメリカの各種交渉(1941年12月まで)
1940-11-30 日本国中華民国間基本関係ニ関スル条約(日華基本条約)調印
1941-01-08 戦陣訓(陸訓一号)示達
1941-04-13 日ソ中立条約調印
1941-06-22 独ソ戦(ドイツがバルバロッサ作戦を発動したことにより始まる。1945年5月8日まで)
1941-08-28 近衛首相、ルーズベルト・アメリカ大統領に首脳会談を提案(結局、沙汰止みとなる)
1941-12-08 太平洋戦争(日本の英米に対する宣戦布告及び真珠湾攻撃に始まる。1945年9月2日まで)
1941年12月(開戦)~1942年7月頃(フィリピン全土占領)まで日本軍の占領区域は拡大を続ける。
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1942-04-18 米空母から発進したB-25爆撃機によるドーリットル空襲(東京初空襲)
1942-06-05 ミッドウェー海戦
1942-08-07 米軍、ソロモン諸島のガダルカナル島、ツラギ島、ガブツ島、タナンボゴ島に上陸
1943-04-18 山本五十六連合艦隊司令長官、ブーゲンビル島上空で戦死(海軍甲事件)。
1943-05-12 米軍、アッツ島上陸(5月29日まで。日本軍は全滅し、「玉砕」の語の使用始まる)。
1943-11-05 東京で大東亜会議を開催(6日まで)、大東亜共同宣言を発表。
1943-11-22 エジプト・カイロで英米中首脳会談(カイロ会談。26日まで)
1943-11-28 イラン・テヘランで英米ソ首脳会談(テヘラン会談。同年12月1日まで)
1944-06-19 マリアナ沖海戦。日本軍は旗艦大鳳以下空母3隻と搭載機400機を失い、西太平洋の制海権と制空権を喪失。
1944-07 ブレトン・ウッズ協定
1944-07-04 本軍、インパール作戦を中止。
1944-08-02 テニアン島の日本軍玉砕(テニアンの戦い)
1944-09-11 米軍、ペリリュー島上陸(ペリリューの戦い)
1944-10-20 米軍、フィリピン・レイテ島に上陸(レイテ島の戦い)
1944-11-24 米軍の新型爆撃機B-29、マリアナ諸島より東京を初空襲。
1945-02-04 クリミア半島ヤルタで英米ソ首脳会談(ヤルタ会談。11日まで)
1945-04-12 ルーズベルト・アメリカ大統領死去。トルーマン副大統領がアメリカ大統領に就任
1945-05-02 ベルリン陥落
1945-08-06 アメリカ、広島県広島市に原子爆弾を投下
1945-08-09 アメリカ、長崎県長崎市に原子爆弾を投下
1945-08-15 玉音放送
1945-09-02 日本政府、ミズーリ号にて降伏文書調印(太平洋戦争(大東亜戦争)終結)
1945-09-09 日本政府、中華民国南京にて降伏文書調印(日中戦争終結)
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1950-06-25 朝鮮戦争
1951-09-08 日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)並びに日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約
(日米安保条約)調印
1952-04-28 日本国との平和条約並びに日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約発効
1952-10-15 警察予備隊が保安隊に改組される。浜松に航空学校が設置される(後の航空自衛隊に繋がる)
1953-03-05 スターリン死去
1954-02-01 保安庁に航空準備室が設置される(後の航空自衛隊に繋がる)
1954-05-29 ビルダーバーグ会議初開催
(於オランダ、ヘルダーラント州レンクム、オーステルベーク(Oosterbeek)、ビルダーバーグホテル)
陸上自衛隊(保安隊から改組)、海上自衛隊(海上警備隊から改組)、航空自衛隊(新設)設置
1956-07 昭和31年度年次経済報告(経済白書)発表(「もはや戦後ではない」)
1958-08 大躍進政策
1960-12-27 池田勇人内閣、「国民所得倍増計画」を閣議決定する。
1964-08-02 トンキン湾事件(8月2日及び4日。アメリカによるベトナム戦争への本格的な介入が始まる)
1964-10-10 1964年東京オリンピック(同年10月24日まで)
1966-05-16 無産階級文化大革命(文化大革命)(1976年10月6日まで)
1971-06-17 琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(沖縄返還協定)締結
1971-08-15 ドル・ショック
1972-05-15 琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(沖縄返還協定)発効(沖縄復帰)
1972-09-29 日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明
勃発後に産油国による原油公示価格値上げや産油制限が発表され、オイルショックとなる。
1975-11-15 G7サミット初開催(於フランス・ランブイエ)
1978-01-07 イラン革命(1979年2月11日まで)
1978-08-12 日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約調印
1978-10-23 日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約発効
1978-12-22 改革開放(中国共産党第十一期中央委員会第三回全体会議にて提唱)
1985-09-22 プラザ合意
1987-12-08 中距離核戦力全廃条約(INF条約)発効(2019年8月2日失効)
1989-01-07 昭和天皇崩御。元号が昭和から平成に改められる。
1989-04-01 消費税導入(当初は3%)
1989-06-04 六四天安門事件
1989-12-29 日経平均株価、取引時間中に38,957円44銭の最高値を付ける(史上最高値)。終値は38,915円87銭。
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1993-07 衆院選で自民党が敗北し、非自民連立政権が誕生する(55年体制の終焉)
1993-11-11 欧州連合条約(マーストリヒト条約)発効(調印は1992年2月7日)
1995-11-23 Windows95が日本国内で発売される。
1997-07 アジア通貨危機
1997-11-03 三洋証券、経営破綻(会社更生法の適用を申請する)
2003-03-20 イラク戦争(2011年12月15日まで)
2006-12-30 サッダーム・フセイン死刑執行
1 『北京大学版 中国の文明』掲載の「大事年表」をベースに、wikipedia「中国の歴史年表」「夏商周年表」その他の記事で補った。
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前1600頃 殷(商)の創建(殷(商)・太乙(成湯)) <殷(商)>
前453 三晋(趙、魏、韓)成立(諸侯に列されたのは前403) <戦国(時代)>
前350 秦が咸陽に遷都する。秦において商鞅の第二次変法が実施される
前256 秦が東周を滅ぼす
前221 秦が燕・斉を滅ぼし、秦による中国統一が成る。秦が貨幣・度量衡・文字を統一する <秦>
前206 秦滅亡。鴻門の会。漢の高祖元年
前154 呉楚七国の乱
前136 儒教官学化 ※異説多し
前115 均輸法(漢・武帝、桑弘羊)
前110 平準法
18 赤眉の乱
25 劉秀が皇帝を称する(後漢・世祖、光武帝)。後漢が洛陽に遷都する <漢(後漢・東漢)>
200 官渡の戦い
208 赤壁の戦い
220 後漢・献帝が曹丕(魏・文帝)に禅譲(後漢滅亡、魏成立)。九品官人法制定 <魏>
263 蜀漢滅亡
265 魏・元帝が司馬炎(晋・世祖、武帝)に禅譲(魏滅亡、晋(西晋)成立) <晋(西晋)>
291 八王の乱
304 劉淵が大単于・漢王を称する(前趙成立) <五胡十六国(時代)>
316 西晋滅亡
485 均田法発布
613 楊玄感による反乱、隋の統治が崩れる
619 租庸調制の実施
668 唐が高句麗を滅ぼす
845 唐・武宗による宗教弾圧(仏教、景教、祆教、マニ教)、会昌の廃仏(~846)
875 黄巣の乱(~884)
904 朱全忠、唐の実権を握る
907 朱全忠への禅譲(梁・太祖)。唐滅亡。梁の建国 <梁・五代十国>
1004 澶淵の盟
1069 宋において王安石の新法が行われる
1125 金が遼を滅ぼす
1126 靖康の変、金が北宋を滅ぼす
1206 モンゴル部のテムジン(ボルジギン氏)、ハンを称する(チンギス・ハン、元の太祖) <モンゴル帝国>
1229 オゴデイがモンゴルの大汗として即位する(オゴデイ・カアン)
1234 モンゴルが金を滅ぼす
1236 モンゴルのバトゥ(チンギス・カンの孫)らによる西征
1260 クビライがモンゴルの大汗として即位する(クビライ・カアン。セチェン・カアン。元・世祖)
1264 アリクブケ、クビライに降伏する
1271 クビライ・カアン、モンゴルの国号を元に改める <元>
1279 元が南宋を滅ぼす
1281 弘安の役
1351 紅巾の乱
1371 明で海禁令が出される
1388 北元の滅亡
1399 靖難の変
1435 この頃より宦官の専政がひどくなる
1449 土木の変
1616 女真族のヌルハチ、満州(中国東北部)に後金を建国する <後金(清)>
1638 ホンタイジが後金のハーンとして即位し、国号を清に改める。
1644 清が明を滅ぼす(北京陥落)
1673 三藩の乱
1689 ネルチンスク条約
1696 ジュンガル部討伐
1716 地丁銀制
1728 キャフタ条約
1798 白蓮教徒の乱
1850 太平天国の乱(~1864)
1861 西太后の垂簾聴政(~1908)
1884 清仏戦争
1899 義和団の乱
1904 日露戦争(~1905)
1911 辛亥革命
1931 満州事変
1934 中国共産党による長征
1936 西安事件
1939 第二次世界大戦(~1945)
1946 国共内戦(~1949)
1951 三反五反運動
1957 反右派闘争
1958 大躍進政策の開始(~1958)
1978 鄧小平が中国の最高指導者になる。改革開放政策の開始