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2021-06-02

大衆天皇制消滅

 2134年11月6日日本天皇崩御した。天皇に子はなく、この日をもって象徴天皇制廃止日本共和制へと移行することになる。

 直前の世論調査によれば、皇室の存続を望む者は8割を超えていた。にもかかわらず、皇室消滅した。それはなぜか。

 かつて、20世紀半ばに活躍した政治学者松下圭一は「大衆天皇制論」という小論を書いている。そのなかで松下は、第二次世界大戦以前の天皇制と戦後のそれとでは、制度を支える心理が大きく変化していることを論じた。すなわち、戦前において畏怖される存在だった天皇は、戦後人間宣言を経て、愛される天皇へと変化したというのだ。

 松下さらに、愛される皇族の条件として、「平民」として恋愛もする一方、「小市民層の日常要求理想」でもあらねばならないとした。つまり普通人間であると同時に、優れた人格もつことが期待されるようになったというのだ。

 この観点からすれば、戦後皇族はみな一様に大変な努力を重ねたと言えるだろう。時折、スキャンダルのようなものが噴出することはあれど、大衆の期待に沿うべく、「理想化された平民」を演じ続けた。

 だが、大衆の願望は、皇族人間として生きていける限度をはるかに越える水準に達した。

 それが顕著に表れたのが、結婚をめぐる問題だった。皇族結婚相手は、大衆の意を受けたメディアから厳しい精査に晒され、わずかでも問題があるなら、苛酷なバッシング対象になった。

 結婚した後も、プレッシャーは続いた。皇室の厳しいしきたりに加えて、男子を生むことを求める強烈なプレッシャーはしばしば女性皇族精神的に追い詰めた。そして、それによる体調不良までもが、メディアでのバッシングの要因となった。

 そのような皇族の有様をみて、いったい誰が我が子を皇族に嫁がせようと思うだろう?

 皇族が適齢期に達すると、同年代名家の子女たちは結婚を急ぎ、間違っても自分が「見染められ」ないよう必死になった。皇族との結婚を決意した者も、「理想化された平民」を求める大衆の餌食となり、やがて消えていった。

 保守派旧宮家皇籍復帰を叫んでいたが、皇籍離脱から長い年月を経て「理想化された平民」像には遠く及ばない彼らの復帰を大衆は認めなかった。保守派とて「理想化された平民」像から逸脱する皇族必死で叩いていたのであり、いわば自業自得であるとも言えた。

 こうして最後天皇は、誰とも結婚しないまま即位し、子を残さぬままに崩御した。

 大衆天皇制は、まさに大衆によって支持されたがゆえに存続できなかったのである

 
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