はてなキーワード: 大卒とは
高卒の1年目は年収100万円代であることもあるけど東京はどうなんだろう?
で一般職だと求人票だけ見た感じだと昇給が年2000から5000円だから、
10年働いても月収25万越えないよ。
蛇足だけど、女性活躍社会って言っても一般職を女性が望む、そして男性が強要する限り無理では?
言うなら女性の賃上げじゃなく一般職の賃上げを求めなくちゃならないんだろうな。
ゲーム内のチャットで、今年の夏は賞与がでないみたいな話が出てきて
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12178772242.html
じゃぁ、各年齢層別の賃金動向はどうなってるの? と主って、2014年分の年齢など別に集計した資料を見てみる。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/chingin/kouzou/z2014/dl/14.pdf
大雑把にくくると
などが読み取れる。
2014年には消費税5%→8%が発生したので、額面で3%くらい増えないと生活は苦しくなる。
読み取れた情報を見てみると、年齢別賃金カーブはなだらかになる傾向なのかな? そのことは良い。
まじの不適合者は少なくとも中高生の時点で軽く躓いてるんだぜ?
ぼっち経験もなく、ひっどいいじめもなく、進学に失敗もせず、家族関係も良好で金銭トラブルもなし
そしてアトピーゾンビと同じくとんでもなくルックスが悪いってわけでもない
何が社会不適合者だよ
不適合者として同情されたいなら今すぐ退学しろや
「大卒になるはずだったのに高卒扱いで応募できるところくなのないよー」っていうならまだ可愛げあるからよ
こういう奴が馬鹿の一つ覚えに「社会不適合者」というワードを言い訳に使うのをさ
ざーっと読んでるとそぞら寒い気持ちになって、しまいにはなんか殺気立ってくる
それが白々しい態度でこちらを煽るためだとわかっていてもね
何年も前の記事だけど、ふと思い出して訳してみた。
ノーセックス・イン・ザ・シティ:日本に住む外国人女性の気持ち
Reannon Muth
「女性教師に長くいてもらうのは大変なことなんだ。」東京で英語教師になって初出勤の日、私の上司はこう告げてきた。「大抵の場合、6ヶ月以上はもたない。」私は驚いて、登録教師のリスト(30人―全て男性)から目を上げた。
「いや。日本で、という意味だ…。」彼は肩をすくめた。「東京は独り身にはつらい街なんだ…西洋人の女性にとってはね。分かるよね…。」
彼の後ろの壁にかかっていた写真をちらりと見た。四人の中年の白人男性。みんなひげを生やして禿げかかっていた。同じような歳の取り方で、垂れ下がった髪がメタリカのメンバーに似ていた。そして全員が、モデルのようにほっそりした身体の、厚化粧をした美人の日本人女性に抱きつかれていた。
問題を抱えることになるとは思えないけど、と私は思った。
私が魅力的な美人だったからそう思ったのではない。私は美人からは程遠い。スリムで中背、薄茶色の目とそばかす。良く言えばかわいい、悪く言っても並程度。でも私は競争相手が持っていないものを持っていた。長くて自然なウェーブのかかったブロンドの髪。その上私はバイリンガルで、旅行にも慣れていて、大卒だった。
でも日本に来てから数週間の内に、不可解なほどに、もどかしいほどに、自分自身が透明人間になっていることに気がついた。
スターバックスのかわいいバリスタ達は私に見向きもしなかった。自転車に乗ったビジネスマン達は私を無視して走り去っていった。大学生達はボソボソと謝りながら急いで私から遠ざかって行った。天気のことを話したり、道を聞いたり、何か話すきっかけを持とうとした時はいつもこうだった。彼らは挨拶すらしてくれなかったのだ。本当に。
「積極的にならないと。」と日本人女性の友達はアドバイスをくれた。「日本の男はシャイだから、あなたから行かないとダメよ。」だから私はバーでもバスでも、男性達には誘いかけるように微笑んだ。レストランのメニューや、地下鉄の案内の読み方を聞いたりした。
「何かおすすめの本/ドリンクはありますか?」本屋で隣に立った時や、バーで隣に座った時には、このおなじみの台詞で男性達に尋ねていた。でも魅惑の眼差しや会話のきっかけなんてものは、相手が私を見てくれなければ効果がない。彼らが私と完全に目が合うのは、うろたえた表情を向ける時だけだった。まるで「私が将来産む子供達の父親になって。」と、たった今私がお願いしたかのような表情だった。上司が言っていたことは正しかった。独り身の西洋人女性が日本に住むのはつらい。でもどうしてなんだろう?
アドバイスを求めてインターネットを見てみると、デートできない西洋人女性というのは国外居住者の間ではおなじみのキャラなのだと知って驚いた。国外居住者が集う掲示板での、孤独な独身女性の書き込みの多さを見た限りでも明らかだった。
深刻な問題のように思えたのだけれど、多くの女性が話すのをためらっていた。議論するには難しいテーマであるのも無理はない。その国の50%の人たちを極端に一般化することになるし、より悪く言うと、レイシストか男嫌いの俗物女のように思われてしまうからだ。
国外居住者と日本人との間で同じように広まっている見解なのだが、実のところ日本人男性は西洋人女性に魅力を感じてはいるのだ。付き合うために行動する度胸がないだけで。国外居住者達の間では、アジアにいる西洋人女性はジェニファー・アニストンのようなものだった。強くて、自立していて、積極的で、はっきり物を言う。遠くから見とれるには興味深い存在だが、実際に話しかけてみようとする男性はいない。西洋人女性は違いすぎて、異国すぎて、デートの相手にするのは事実上不可能と思われていた。
Y染色体を持つ国外居住者達にとっては話は別だ。女性の国外居住者達が土曜の夜を一人で、ラーメンのどんぶりに涙をこぼしながら過ごす一方で、男性達はキープしている女性達と我が物顔で飲み歩く。彼らはそうやって過ごしていた。
アジアに行ったことのある人ならば、弱々しくてガリガリに痩せたベトベトの髪の白人少年が、完璧にメイクしてミニスカートをはいたアジア人の女の子と手をつないで歩いているのを見たことがあると思う。こんなことは世界の他の地域では決して起こらない。アジア以外の場所では、バービーはケンと結ばれることになっている。不完全雇用で人付き合いの苦手な、日本刀コレクターの隣人、ケビンとではないのだ。でもアジアでは、デートのルールがあらゆる論理や進化の法則に反している。アジアでは、オタクは王様なのだ。
立場が違っていたらよかったのにと願ったとか、そういうことではない。ほとんどの場合で、私は彼らを喜ばしく思っていた。彼らは自分の国にいた時にはデートの予定を書き込むこともできなかっただろう。でもアジアでは高嶺の花を勝ち取ったのだ。彼らはまさにサクセス・ストーリーそのものだ。魔法の抜け道を使って、有利な条件の元で高根の花とデートしているとはいえ、誰がそのことを非難できるだろうか?西洋人女性にとってのそのような涅槃の地が存在するならば、きっと私もそこへ移住するだろう。
時折、カップルを見て「彼女は本当にあの男と付き合っているのだろうか?」という疑問がかき立てられることはあったが、なぜ日本人女性が西洋人男性を(オタクっぽいのでさえ)魅力的なデートの相手候補と見ていたのかを理解するのは簡単だった。彼らは一つの物事に対して、真っ直ぐで広い心を持っていた。彼らはメガネ越しの西洋の目で、恋愛関係を対等な協力関係として見ていた。それは、昔ながらの了見の狭い日本人男性には、まだできていないことだった。西洋人男性達がガールフレンドを大切に扱って、お互いが二人の関係に満足しているのを見て、それが分かってきた。彼らの思いがけない行動や奇妙な言葉遣いが、翻訳で多少失われて、伝わらなかったとしても何の問題があるだろうか?社交的でない人も、愛し愛されてしかるべきなのだ。
でもうらやましいと感じないようにするのは大変だった。私が毎週末、クラブのダンスフロアに一人で立ち向かっている一方で、バカっぽい外国人男性達が上手にナンパして電話番号を交換し、最初のデートの予定を決めているのを見た時は、特につらかった。彼らは駄菓子屋ではしゃぐ子供達のようだった。日本人女性はグルメ向きのトリュフチョコレート。一方で西洋人女性は、容器の底に溶けてこびりついた三年物のトッツィー・ロール。日本人男性達はたぶん私達に気後れしていた。外国人男性達は私達を気兼ねなく無視するだけだった。
でも私は出会いを求めてアジアに来たわけではないのだ。いつもそう自分自身に言い聞かせていた。ここに来たのは、日本語をマスターして、自分の国とは大きく異なる文化を楽しみたかったからだ。でも生活を日本に移すことが、恋愛生活を故郷に置いてくることを意味するとは予想もしていなかった。東京での生活を存分に楽しんでいたとはいえ、公平な取引だったとは思えなかった。
外国人女性の恋愛には成功話がほとんどないと言っているわけではない。知人の何人かは日本に来た後、夫または婚約者を連れて帰国して行った。でも彼女達は少数派だ。ほとんどの西洋人女性は一人で日本に来て、ずっとそのままだった。
とある金曜の夜、仕事からの帰り道の途中、自分がもう日本に九ヶ月いることに気がついた。この逆境に打ち勝ったことを内心喜んだ。上司が間違っていたと証明したのだ。でも重い足取りで帰宅し、『The Office』の再放送を見ながらセブン・イレブンの寿司の残りを食べるという、いつも通りの夜を過ごしていた時、何のために頑張ってきたんだろうと疑問に思った。魅力がなくて、誰からも求められない、最低で、女性扱いすらされない。ずっとそう感じてきた。短いスカートをはいた時や、ぴったりとしたトップスを着た時でさえ、男性達はちらりと見るだけだった。いやらしい目を向けるような建設作業員でさえ、私に対しては退屈そうで無反応だった。自分が火星人になってしまったように感じた。そしてすごく、すごく寂しかった。外国人女性達を、デートのチャンスがある輝かしい境地へ連れて行ってくれる最後の船に乗らなかったのは、もしかすると間違いだったのかもしれない。
元記事:No Sex in the City: What It's Like to Be Female and Foreign in Japan - Vagabondish
だがしかし、これは英国の問題ではなく日本も関係する風評被害を喰らったような事態である。
これにより日本株価の急激な暴落が発生。リーマンショック以来の世界恐慌らしい。
自分も現在学生ではあるが、売り手市場となった就活現場にこれが上乗せされるとなると、成績優秀者及び学歴のレベルが高い者だけが生き残る社会になるのかもしれない。
こういった危機感を持っただけでは危ういが、それよりも心配になるのは特に就職率が高いことを公言していた大学であろう。
中小、零細企業がどこまで生存できるのか分からないが、今後企業自体の存続危機も見込まれるはずだ。
採用基準のベースとされていた大卒、そしてその大卒の大半が大学のキャリアセンターなどを利用して就活していたに違いない。
もし今後本格的に就職難で売り手から買い手市場へと変化してしまったら、困るのは学生などの若い人材である。
昔のように資格がなくても働けるわけでもなく、実力+有力な資格が必要とされるだろう。
そこから考えるとすれば、日本では中学生や高校生の進路先として普通科の学校ではなく、高専のような職業に直結したカリキュラムに基づいた教育に流れてもおかしくない。
将来的には学校の授業で早い段階から自分の人生設計について考えさせるようになり、その職に就くための具体的な教育が徹底されると予想できる。
6月20日に公開されたアジア地域大学ランキングで東京大学が7位に下がり、100位以内で日本の大学がランク入りしていたのは14校ほどであったという。
シンガポールや中国の大学が躍進しているのは理解したが、疑問に思うのは日本の大学自体が機能しているのかという点である。
最近あるテレビ番組で日本国内の大学数を紹介していたが、約781校も存在しているという。
これはアメリカの約2000もの大学数の次に多いとされている。(2011年 日経新聞の記事より)
何故世界の中で、大学数が2番目に多い筈なのにたった14校しか入らないのだろうか?
少子化の影響で大学受験は全入時代となり、進学率の上昇と同時に「大学生」という肩書きが将来有望とされているエリートとそうでない者の2極化が徐々に始まってきたことが1つの要因と私は思う。
最近では、国立大学の授業料高騰化が問題となったが、私立大学に関する危機感を示す話はあまり上がっていないと感じている。
このような状況から、文部科学省は大学としての本来の機能を果たしているか全大学を対象に調査し、去年では私立大学等改革総合支援事業という計画を発表した。
シラバスの改善や授業評価結果の活用、グローバル化、他大学との連携、地域社会貢献などを目的としている。
大学の設備費などを国から補助してもらい、本当に大学として存在する意味があるのか疑問に思う。
そして、日本の大学は就職予備校化に伴い、ビジネスマナーを大学の授業として取り入れている所も存在する。
それが本当に授業なのかどうか疑ってしまうが、単位取得の一つとして成立してしまうのである。
もっと書き留めたい内容がまだあるがここで省略させてもらう。
今回一番に言いたいことは「大卒欲しさの為だけに進学するのか、明確な目的の為に行くのか、そして安易に入学できてしまったこの現状に心配である」という事だけだ。
この記事を読んだ。
http://anond.hatelabo.jp/20160619185731
元COBOLエンジニア、現Rubyエンジニアとして増田の記事がどうしても許せなかったので反応してみる。
この記事もこんなタイトルだけど、これもやっぱり主語が大きいと思う。
汎用系の現場でもRubyの現場でも優秀な人はたくさんいたし。
今では信じられないほどの経験を当時(といっても2年前)はしていた。
改めて今、RubyというかRailsを始めてよかったなーと思う。
いやー、これが一番ひどかったな。
まず静的デバッグ(机上デバッグ)といってコンペアファイル、ソースコード、コンパイルログをそれぞれ紙出しして提出用(クライアント)、リーダー、上司用の3部印刷する。
全てマーカーを塗った後に赤入れする為にそれぞれ分けるんだ。
そしてインデントもレビュー指摘項目なんだけど、紙出しされたもののインデントが正しいかチェックするんだよ。
定規で計るんだよ。半角スペースが5ミリだったっけな。
それで5ミリずれてたら指摘するんだよ。目がつかれたよね。
っていうか品質に対する意識は今のほうがよっぽど高いし効率的だよ。
これもびっくりだよね。
専属の社員がいた。SIerなんて人を突っ込んだもの勝ちだから、上手いこと言って検証要員とかいって突っ込んだんだろうね。
ダンプがだいたい1時間くらいかけて出てくるから、それを裁断してホッチキス留めしてマーカー。
ネットは使えない。現場に入る時も持ち物チェックとかあるしな。
常に貸し出し台帳は予約で埋まっていたな。やっと借りれたのは現場離れる1週間前だったなんてこともあった。
まだまだあるんだけど、これだけでもひどい現場だったなーって思う。
そもそも設計→開発→レビュー→手戻り→設計→開発...のループだったから前に進めてないし。
Gemとか外部のコードを信じきるとか、もちろん質の低いRubyエンジニアというか現場はあると思う。
この先もっともっとブラックボックスなフレームワークを使うようになるかもしれないし、環境も何もかも全部おまかせでPaaSが主流になるかもしれない。
初めてここに書く。
以前、障害者施設で働いていた。何年か前にやめ、今は別の仕事をしている。
身の回りに介護施設で働いている、いたという人はそれなりにいるのではと思うが、「障害者施設」となるとなかなかいないのではと思う。
施設には色々種類があるのだが、私がいたのはいわゆる授産施設である。正規の雇用で働けない、働きたくても働けないという障害者に向け、内職仕事などを行う場を提供し、工賃を得てもらう、という場所である。月々の工賃額は、全国平均で見れば2万円行けば御の字というところである。障害者が月2万でどう生活するのかと思うかもしれないが、ここに来る人はほとんどが生活保護や障害年金を受け取っており、そこから差っ引かれる税金等はほとんどないので贅沢さえしなければそれなりに生活はできるのである。
そして利用者が通所することで、障害者に福祉サービスを与える対価として行政から施設に収入が入る。1人の利用者が1ヶ月休まず通所(平日のみ)すると、施設形態、地域によっても差はあるが概ね10万円程度は施設収入となる。つまりここの職員の賃金は税金から支払われており、立場としては半官半民、みなし公務員というのが一番近い。
なお関連する資格として「社会福祉士」や「介護福祉士」などがあるが、なくても業務は可能である。あると待遇や採用時に優遇はされる。
9割方は作業をしに来る利用者の支援である。支援とは何か、であるが、例えば作業のやり方を教えたり、何か困っていたら手を貸してあげたり相談に乗ったり、送迎を行ったりという具合だ。とりあえず利用者から要請があれば、すぐに駆けつけできる範囲で対応を行うと考えてもらえればと思う。要請がなくても、利用者の小さなサインを見逃さず、こちらから声をかけることも必要である。
支援を怠ったり支援を行う中で職員に落ち度があったりすると利用者(家族)が管轄する役所に苦情を入れたりして、最悪施設が行政処分を受けることもある。利用者を不快にさせないように常に気を揉むところから始まる。
ただ作業を教えるだけであれば楽に見えるかもしれないが、そもそも利用者は作業が「できない」人たちである。何度話してもやり方を覚えられないこともあるが、視力に障害があれば製品に傷をつけてもわからない、精神に障害があれば突然取り乱してしまうこともある、知的障害であれば作業を行うように促しても何も行えない、と言った具合に、ここの「できない」は単純に技能習得が遅いこととは限らない。そういった彼らをサポートしなければならない。
その上で、製品には当然納期がある。納期を守りつつ、製品に不良品が混じらないように検品し、納品して次の作業を持ってくるところまで職員は行う。なお利用者とは労働契約を結んでいるわけではないので、ノルマ等はない。ミスってもズル休みしてもまずお咎めはない。利用者の欠席が続出したり大量に不良品を作られるなど、トラブルが重なると作業を管理するはずの職員が作業を行わなければならないこともあり、こういうときは肉体的に疲れる。
福祉の現場はどこもだが、職員が少ない。1人で多くの利用者の面倒をみなければならない。利用者たちだが、年齢層は様々、持っている障害も様々、意思疎通が難しかったり拘りが強かったりとキャラクターも様々、障害の他に持病を抱えいつ倒れるかわからない、etc...作業の以前にそういった人達の相手をするのである。そんな個性派同士が狭い空間で過ごすのだから、職員がいくら配慮しても喧嘩やトラブルの類は絶えない。こういった時職員は解決・仲裁に向けてもちろん支援しなければいけない。他にも突然利用者が職員に食って掛かったり、延々と不満をぶつけてきたりすることもしばしばだ。くどいがとにかく気を揉む。精神的に疲れる。もはや参る。
事務仕事だが、まずはトラブルが起こったら事の顛末をすべて書面に残す必要がある。先ほど書いたとおり、まず何かトラブルがあるので必然的に書く量は多い。その他、利用者の通所管理や支援プランの作成、工賃の計算、作業に関わる伝票の作成など、細々とした書類を上げるとキリがない。一つ一つで見るとそれほど作業量は多くないのだが、種類が多岐に渡るので管理できないと間違いなく混乱する。それはどこの会社でも組織でも同じかもしれないが、支援でストレスを抱えた上で行うので単純比較はできないかもしれない。
今まで話してきたとおり、障害者相手はとにかくストレスが溜まる。そしてその捌け口として職員が虐待に走ってしまう、という事例はニュースでも時々報道されている。私の施設は新聞沙汰になるような問題はなかったが、第三者が見れば虐待にあたるかも…ということは(ストレスが原因と断定はしないが)ゼロではなかった。人間は必ずミスをするということから考えると、こういったことは頻度の差はあれどこの施設でもあると思う。施設職員が虐待について常に留意しなければならないのは当然にしても、実はこれが結構ストレスになる。
断言するが、こういった職場に勤めるなら合法的なストレスの捌け口を何か用意しないと精神的に壊れる。
介護業界の給料が安いとはよく言われるが、そもそも福祉業界の給料は基本的に安い。どの都道府県にも大卒なら月〜十万円から、といっただいたいの基準があると思うが、それよりは明らかに下である。パートだと時給800円も行けばいい方ではないだろうか。賞与については、年間で2ヶ月分も出れば良いのではないかと思う。そもそもない所も多いと聞いた。
国は給料をあげようと手当などを拡充しているが、せいぜい1万円程度でありその手当を受け取るにしても一定の条件を満たさなければならない。全部が全部とは言わないが、施設側が給与を出し渋っているフシは強く感じる。
福利厚生はあってないようなものである。例えば外食チェーンでちょっと安く食べられるサービスがあったが、巷で手に入る各種クーポンを使ったほうが特だった、というオチであった。当然、使わなかった。なお、独身寮とか保険に安く入れるとかわかりやすいものはほとんどなかった。
年間休日では、取引先の年間暦に合わせる事が多いのでだいたいは土日や盆、年末が休みである。このパターンであれば年間で110日程度はあるのではないかと思う。なお利用者が通所ではなく寮等を併設している場合になると、当然24時間365日休みなく業務が続くので、シフト制になる。
対人関係を築く商売としては福祉以外にも教育や医療があるが、それらは「子供の成長する様子が見られる」「患者が治療を通じて笑顔になっていく」といったところから、いろいろ大変でもやりがいが生まれてくるのではないかと思う。
ここには、反論を覚悟で言うが、まずない。トラブルの処理に追われ、利用者にいつ怒鳴られるか気を揉む毎日にやりがいはあるか?どれだけ利用者を支援しても作業の正確性や能率が上がらず、不良品を処理する毎日に充実を感じるか?毎日製品の検査に追われる毎日に楽しさはあるか?とにかく仕事の中で楽しいと思えることがないのだ。それで薄給である。
これについてはトップ(施設長、理事長)の一存ですべて決まるフシがあるので、なんとも言えない。いいか悪いかは運次第。拘束時間については事務処理をすんなり終わらせることができれば、早く帰れることが多い。けど早く帰れたところでストレスが溜まりに溜まっている以上、余暇を楽しむ余裕は一切なかった。
こういった具合である。
福祉施設もいろいろあるので、私の書いてあることに疑問を感じる人もいると思うが、あくまで一例として読んでもらえればと思う。
暇だったついでに書いてみる。
全部、俺の主観のみで書いてるし、認識が正しいのかどうかは知らない。
いったい明確な目的を持って大学に行ってる奴って一体どのくらいいるんだ?
俺の主観だが、奨学金借りずに済んで親に金出して貰って、とりあえず良い企業に就職すればいい、ってやつが結構いると思うんだ。
別に明確な目的もなく、有名な大学だから就活に便利、ってだけで行ってる奴とか。
高卒就職してようが大卒就職してようが仕事にさほど影響ないっていうのはそこそこ多いんじゃないかと。
それらがもし高卒就職して、何ら問題なく生活できるような社会なら、奨学金問題もここまで大きくならないと思うんだ。
企業側は企業側で大学のブランドとかで学生図ろうとするけど、結局仕事できる奴かどうかの基準判断になってるんだろうか。
ただの勉強できるかどうかだけが目的なのなら、センター試験の成績で足切りとかしたほうが効率がいいと思うんだが。
http://anond.hatelabo.jp/20160611081253
元増田です。トラバ・ブコメにて名案奇案ありがとうございます。ホッテントリなんて初めてでビビったけど、いろんな意見きて正直嬉しい。他人事に首突っ込んで神経質な奴みたいな感じで蹴られるかと思ってた。
ダンシングフラワーにクソ笑って、戯れに検索したらフラワーロック2.0に行き当たり「なにこれオシャンティー!」ってなりまして、もはや私物として入手したい。でも良いお値段すんなこれ。
それはともかく表題の件、並びに皆さまをがっかりさせかねない補足をいくつか。長いです。
・根回しについて
問題の部署のまとめ役の人ですが、既に「キツイ人」として知る人ぞ知る状態になっている。
その「知る人」の内訳ですが、言うまでもなくこのでかい部屋で勤務してる全員が例の筒抜けの説教を聞いているし、普段別の部屋にいるまとめ役の上長も知っているし、ウチの上長も知っているし、まとめ役が異動前にいた部署の責任者も俺が異動前にいた部署の人間も人事部の課長も知っている。たぶんその点では俺が一番情報が遅かった組だと思う。
なんでみんな知ってると判断できるかというと、まとめ役について言及があった場合(雑談とか何かのついでなどで)これらの人々が「あー…あの人ねー…」「あの人はねー…」と全員揃って苦虫スマイルになり同じようなセリフを吐くのを見たことがあるからです。また、特にまとめ役と濃いめの関わりを持たなくてはならなくなった人間に対し「大変だろうけど、頑張って」的なセリフで話を結ぶ率も高いです。
つまり、まとめ役がアレすぎるというのはみんな知ってる状態、言い換えるとこれまであのアレさは許容されてきたも同然の状態というわけで、俺がこれから問題提起したとしても「え?パワハラ⁉︎」という寝耳に水的なショック効果によるスピード解決は絶望的と考えています。これまで情報として共有されていたが問題にならなかったものを今回問題にするというのは割とバクチなところがある。もちろん勝率アップのための録音であるわけですが、今後なにがどれだけ録れるかという点でも効果は未知数、従って効き目ゼロの想定で動きたいところ。
ということで、ダンシングフラワー案も鑑みてしばらくは騒音アプリとICレコーダーの併用で「うるさいって言われたのでうるささを見える化してみた」というテイでデータ集めて上に話を持ちかけてみる予定です。モノが集まるまでは苦情返しも控えていきたい。あの短気さならおそらくウチの客があと2、3回も来たらまた文句言ってくるだろうから、そこにカウンターをかけたい。
他にやっといたらいいことがあったら、引き続きドシドシお寄せ下さい。
いや、パワハラ対応体制はあります。ありますがその前トップがパワハラで有名だったというような組織なのでお察し。前トップなので今はわかりませんけどね。なぜ「前」かというと定年で円満に退職していかれたからです。
・外部にタレこむ案
労基にタレコミは正直魅力的だが、できればやっぱり被パワハラさんご本人からお願いしたいところ。材料を提供するのは全然やぶさかでないのですが、被パワさんと接触がマジでゼロなのでどう届けるかを考えたい。ケアとかの味方活動までは厳しい…出入り口が違うのもあって普段顔も見ないレベルで接触ないねん…すまぬ…すまぬ…
・言っちゃいけないラインを考える
個人的な考えなのですが、「その言葉を吐くことによって、吐かれた側は業務効率が上がるとか新しい成果を出すとかにつながっているか否か」でパワハラと否パワハラを判断しています。結果論なとこはあるけど。
俺なら「子どもの使い」「趣味」言われて新しい成果出すために何か創意工夫を始めようとか、「わからないなら聞け」「自分で考えろ」言われて業務効率が上がるとか、そういうことになるのはまずあり得ないし精神ダメージ食って混乱して余計に仕事ができなくなるばかりなのは明白なので、パワハラって書いてます。世の中にはなにやらキツイことを言われると「なにくそ」みたいに奮起して結果につなげられるという超人的な人がいるらしいですが、俺は手を噛むタイプの飼い犬と言いますか、およそ陰湿で執念深い方なので奮起とかあり得ない。しかし手を噛む気があるとバレると殺処分されるリスクがあるので、とりあえずメンタル傷を癒しながら全力でサボる方向に舵をとることになります。閑話休題。
もちろんまとめ役や被パワさんや上長たちや世間や裁判官がパワハラの定義について同様に考えるとは限らないことは承知してます。ただ、俺が動いたことで被パワさんのキャリアに傷がつく結果になることも覚悟はしていますができることが覚悟(と録音提供)ぐらいしかないのが超あとあじ悪い。俺は騒音訴えでしか動けぬ…恨むなら騒音のいちゃもんつけてきたまとめ役を恨んでくれ…すまぬ…すまぬ…
この点に関してもなにか案があればガンガンお寄せ下さい。
・まとめ役のケアについて
俺の手には負えません。
騒音のクレームが来たという連絡を受けて(客を見送りに建物入り口まで降りて、戻ったらそういうことになってた。向こうは退勤済)お前が言うなネタでしばし雑談になったんですが、そこで出てきた被パワさんの名前複数だったからね。
「どのツラ下げて言うんだよって話だよな」「ねー、Bさんかわいそう」「えっ叱られてんのAさんでしょ?Bさんもなの⁇」「えっBさんもなんか学歴(大卒)にかこつけてかなりdisられてるよ?あれもうパワハラじゃない?」ってなったからね。
俺の手には負えません。
・騒音計測
とりあえずスマホのアプリでいいよね?ログ取る機能も考えるとこれが一番安いし。
友人Aには2年ほど付き合っている彼氏がおり、友人Bは何度も「別れたほうが良い」と言っていた。
Aは人懐っこい笑顔で誰にでも優しく接する、何事にもけなげで温和な非常にモテる子だ。Aの彼氏は、非イケメン・高卒・非正規・10年上・浮気癖がある。
Bは以前からよく「早く別れたほうがいいよ、Aは絶対もっと良い人見つかるから」とAに直接言っていた。その度にAは「でも好きなんだよね~」と笑っていた。
そのやり取りがあるたびに私はヒヤヒヤしていた。Bは裏では「何が良いんだろうね、あんな男の」と貶してばかりだった。
先日ついにBのおせっかいが炸裂してしまった。Aに彼氏が居ることを知らずに、好意を抱いていたC君に言ったらしい。Aの彼氏の浮気癖やその他あることないことをCに吹き込んで、Cに「俺のほうがAちゃんを幸せにできると思う」と告白を仕向けた。Aの堪忍袋の緒が切れるのも致し方なかった。私もその愚痴を聞かされ、頭がくらくらした。
Bにも1年以上付き合っている彼氏がいる。Bの彼氏はイケメン・大卒・正社員・3つ上。のろけ話も何度も聞かされた。BはAに対して彼氏同士のマウンティングをしているようだ。自分が彼氏と幸せならそれでいいと思うんだけど、なんでわざわざ干渉してしまうんだろう。
主に就職面において全く役に立たないという致命的弱点を持つ文学部。まだ英語文学とかは語学という点でビジネスに使えるけれど、日本文学やら日本史専攻やらは果たしてどう就職に役に立つのか。変体仮名が読めるスキルを主張するより、経済学部で経済学を学んだスキルを主張した方がよく見られるだろう。
学習において学ぶ姿勢や精神が身についたとは主張出来るが、それは他の文系学科だって同じことだ。他の学科はそれにプラスαして学んだことが実際就職において、面接官に会社で役に立つと思われ易い(実際役に立つかは置いといて)
「文学部なのに何故この業界を選んだの?そっち行けば?」…面接官によく聞かれる言葉である。実際文学部が有利な就職口なんて本当に雀の涙なのだが…
そんな学部に行ったおまえの自己責任だ…なんて言葉は真っ当だが少々乱暴であるとも思う。それは薬物中毒者だけを責めるようなものだ。売人を責めていない。就職に役に立たない学部をなんの対策もせず放置してる大学側も幾ばくか問題あると思う。
正直文学部の意味=大学を卒業したレッテルだけが欲しい奴の居場所に成り下がっている気がする。元に理系の推薦落ちて仕方なく文系に来たという奴を何人か見たし。
文学部が有利な就職口なんて教師(少子化で学校が少ない&ブラック)、出版社に図書館司書に学芸員(どれもエグすぎる倍率)ぐらいだろう。実際文学部出でも金融とか全然学部関係ない業界に行くことが多い。なら他学部の方が就職有利でいいじゃんって話になる。資格取るのだって例えば簿記とかは他学部の方が単位になるし。
就職の話しかしていないがその理由は重要なことだからである。生きていくためには仕事をしないといけない。大学は、特に近年は学ぶ場というよりは就職しやすくする為に行く場所という側面もあるだろう。4大卒だけ求人してる会社もある。その利点をぶち壊す文学部。
だからこれは本当に極論だが文学部なんて一部の実用的な学部以外なくしてしまっても良いのではないだろうか。そうすれば就職にまだ有利な文系学部に行くしかなくなる。ただでさえ就職戦争がどんどん厳しくなっている今、少しでも就職に有利な学部に入れた方がいい。学力不足で入れないにしても高卒で仕事に就いた方がまだ時間と金の節約になるだろう。大学の学費も年々高くなって奨学金破産なんて言葉もあるし
文学を学べたこと自体は楽しかったし人生観も変わった有意義な時間だったのだが、仕事に就けず、生きていけないとなると「じゃあもう学ばず趣味にしておいた方が良かったのでは?」と最近思ってしまうのである。
大学で学んだ学問をそのまま社会の役に立てることを要求する人って、本当にいるんだな。
今日、就活中に面接官から「あなたの研究は社会にどういった貢献をするのですか?」なんて訊かれてビックリしちゃったよ。
他にも、「教育は投資だ」とか、「文学部は社会の役に立たないから廃止しろ」とか、そんなことを声高に叫んでる人もたくさんいるらしいね。
いやー、まいったなあ。
分野にもよるんだろうけど、
研究者はたいてい、「自分の研究がどのように社会の役に立つか」なんてことは、微塵も考えないと思うんよね。
学問を発展させる役割の人と、学問を社会の役に立てる役割の人は、それぞれ別に必要。
学問を発展させようと必死に研究してきた一学生が、「自分の学問がどのように社会の役に立つか」ということを把握していることはほとんどないだろうし、
また把握する必要もない。
ましてや、今回の面接の場合、俺は研究を諦めて社会に出ようとしている。
そんな俺に、研究してきた内容をそのまま社会の役に立てることを望んでどうするんだ。自分の研究が社会の役に立つことを確信してたら大学に残ってずっと研究してるわ。
確かに、すぐに社会の役に立つことがなさそうな研究をしている人間を採用するのを躊躇う気持ちはわかる。社会貢献意識を持って欲しいというのもわかる。
けど、今この研究、この学問に足りないのは学問を社会の役に立てる方法を考えるインタープリターであって、
「研究者にならないなら、その上大学で行った研究が社会の役に立たないなら、高卒で働いたほうがマシじゃないか!」と憤る人がいるのもわかる。
けれど、研究自体を役に立てる方法はわからなくても、研究をするプロセスから学んだことはたくさんある。
それを活かしていくことで、大学で研究者の夢を見させてもらうためにかかった費用分は社会に貢献できるのではないか。
今までも、大卒の労働者はそうして社会に貢献してきたのではないか。
要するに何がいいたいかって、「学問を社会の役に立てる方法を研究者に求めないでほしい」ってことです。
その学問を社会の役に立てる方法を考える人間がいないことが問題なんだけど、とにかくこの役割を研究者に求めるのはどうなのかという話。
乱文失礼しました。
・完全反響営業!チームで目指すゆるやかなノルマがあるだけです♪
↑ほんとかよ
↑終業時間とはなんなのか
↑なんでそこに含み持たすのはっきりして
↑高卒の人柄は見ません
もちろんこれら以上に(以下に?)大変な条件で頑張っている人がいるのも
分かっている。残業40時間とかナメてんのかと社畜自慢したがる人の声も聞こえてきそうだ。
でもこと残業に関していえば、初めて勤めた会社で残業は仕事ができないやつがするものだ
と教えられたため残業があるのが当たり前みたいな就業条件の会社がこんなに多いことを受け入れられない。
残業って、終業間際に突発的に入ってきた業務とかその日のうちに対応しないといけない業務が
重なったときとかに仕方なくするものって意味で基本的にないのが前提じゃないの?
高卒のくせにこんなことで選り好んでいるから決まらないんだろうなというか入りたい会社とかないんだろうな。
正社員の壁は高い。
日本の科学技術が世界トップレベルだというのは今や妄想にしかすぎない。特に研究力においては中国や韓国にさえ抜かれているという悲しい現実がある。
なぜこうなってしまっているのか。それはやはり金の問題である。このエントリでは主に大学のことについて話をする。
まず、研究者の卵である博士課程の学生の懐事情について。日本では博士課程の学生はあくまでも「学生」という扱いなので学費を払わなければならない。
しかし、日本学術振興会特別研究員、通称学振と呼ばれる制度があり、これに通ると日本では研究者の卵として将来性があるという称号を得られるだけではなく、月20万円のお金ももらえる。
このように書くと素晴らしい制度のように聞こえるが、学振には副業を禁止しているという致命的な欠点がある。つまり博士課程の学生は月20万円しかもらえないのにバイトすらしてはいけないのだ。ど田舎の大学ならいざ知らず、東京で生活をしようものなら家賃だけで8万円、光熱費食費などを考えると15万円は最低限の生活に必要である。これに加えて学費等も払わなければならないことを考えると、20万円という額は非常識なほどに安いということが理解できると思う。この20万円という金額は、多くの日本企業の大卒新卒の月給と同じもしくはそれより低い水準である。博士課程に行くような学生、しかも学振を取れるほど優秀な学生(というより研究員)に対して月20万円しか与えないのに専念義務を課すというのがこの国である。外資系企業などに行けば新卒でも年1000万円ほどもらえるようなチャンスもある中、わざわざ博士課程に進学するというのは貧乏生活によほどの覚悟があるか、もしくは親が裕福かのどちらかでしかない。博士に行っても活躍できる優秀な学生にとっては修士で就職してしまう方が経済合理的なのがこの国である。本気で若手を育てる気はあるのだろうか。
海外の大学院ではどうだろう。例えばアメリカなどでは博士課程の学生は研究者として研究室に雇われるということが多いので学費は研究室から出るし、給料も月20-30万円くらいは出る。これに加えて奨学金なども取れる上、働いたり起業することに制限は無いため日本の博士学生に比べると経済的には恵まれた生活を送ることができる。ドイツなどでは給料も高く、学生でも年収500万くらいはもらえるという話を聞いたこともある。いずれにせよ、日本の博士学生のような、奴隷のような生活を強いられるということは無いのである。
研究環境ではどうだろう。日本では主に政府から科研費などを取り研究室を運営している。海外では企業からのスポンサーを受けることが多い。企業の方がお金を出してくれることは想像に難くないだろう。この結果、日本では技術員などを雇う余裕は無く、研究者が単純作業をこなす必要がある。一方、海外の大学であれば研究者は研究の方向性を考えたり少し手を動かしたりするだけで、例えばCV系だと画像のラベル付けであったり生物系だとマウスの世話であったりといった面倒くさい単純作業などは技術員がやってくれる。この差は大きく、日本が競争力を失っている原因にもなっている。また、お金の問題というよりは大学がアホということであるが、日本の大学は教員に無駄かつ大量な事務作業を強いるので、これも教員の研究時間を減らし研究力を失わせている。
書き出すとキリがないが、基本的に日本における研究を取り巻く環境ははっきり言ってゴミである。金よりも研究の楽しさであったり知的好奇心であったりを報酬とするみたいなことが美徳としてまかり通るこのアホな国では研究力が中国や韓国に負けてしまうのは当然である。金をもっとかけろ、目を覚ませ日本。
金が無いけど勉強したいから奨学金使って大学行きます!ってのが,おそらく理想的な奨学金の使い方なんだろうけど,
いまどき本当にそれだけで奨学金借りて大学行く人っていないでしょう.
金が無いけど就職した時に大卒じゃないと基本給悪いから大学行きます!とか,
結局は就職関連システムが大卒基準で出来上がっているのが問題なのでは.
だから学がなくても勉強が嫌いでも金がなくても,とりあえず大卒にならないといけない.
やる気と能力があって勉強する気がないって人はもっとそういう就職の仕方すればいいと思う.
でもこれ言い出すと,能力が無い,あるいは能力を鍛える機会が無い人は人生詰むから,
そうなると大学なり専門学校なりが必要になって,そうなると奨学金が必要で,
結局,それぞれの事情に合わせて考えないといけないわなぁ,と.
そういう私は第一種奨学金で大学通ってるんだけど,全部で200万近く借金した状態から人生のスタートラインって,まぁ地獄だよね.
なんでこんな目に合わないといけないんだろうな.
なんかもう,なんなんだろう.金くれ.