大学で学んだ学問をそのまま社会の役に立てることを要求する人って、本当にいるんだな。
今日、就活中に面接官から「あなたの研究は社会にどういった貢献をするのですか?」なんて訊かれてビックリしちゃったよ。
他にも、「教育は投資だ」とか、「文学部は社会の役に立たないから廃止しろ」とか、そんなことを声高に叫んでる人もたくさんいるらしいね。
いやー、まいったなあ。
分野にもよるんだろうけど、
研究者はたいてい、「自分の研究がどのように社会の役に立つか」なんてことは、微塵も考えないと思うんよね。
学問を発展させる役割の人と、学問を社会の役に立てる役割の人は、それぞれ別に必要。
学問を発展させようと必死に研究してきた一学生が、「自分の学問がどのように社会の役に立つか」ということを把握していることはほとんどないだろうし、
また把握する必要もない。
ましてや、今回の面接の場合、俺は研究を諦めて社会に出ようとしている。
そんな俺に、研究してきた内容をそのまま社会の役に立てることを望んでどうするんだ。自分の研究が社会の役に立つことを確信してたら大学に残ってずっと研究してるわ。
確かに、すぐに社会の役に立つことがなさそうな研究をしている人間を採用するのを躊躇う気持ちはわかる。社会貢献意識を持って欲しいというのもわかる。
けど、今この研究、この学問に足りないのは学問を社会の役に立てる方法を考えるインタープリターであって、
「研究者にならないなら、その上大学で行った研究が社会の役に立たないなら、高卒で働いたほうがマシじゃないか!」と憤る人がいるのもわかる。
けれど、研究自体を役に立てる方法はわからなくても、研究をするプロセスから学んだことはたくさんある。
それを活かしていくことで、大学で研究者の夢を見させてもらうためにかかった費用分は社会に貢献できるのではないか。
今までも、大卒の労働者はそうして社会に貢献してきたのではないか。
要するに何がいいたいかって、「学問を社会の役に立てる方法を研究者に求めないでほしい」ってことです。
その学問を社会の役に立てる方法を考える人間がいないことが問題なんだけど、とにかくこの役割を研究者に求めるのはどうなのかという話。
乱文失礼しました。
学者こそ何の役に立つのかはいくらでもでっちあげる能力に長けてるよ。 だって偉い人説得して研究資金ゲットしないといけないから。
社会的意義を主張できない研究なんてゴミでしょ。研究者がどうやって予算取ってくるか考えれば分かりそうなものなんだけどな。