はてなキーワード: 同窓とは
よく「そんなクズ男を選んで付き合った(結婚した)お前が悪い」的な批判をされるを見るけど、実際こじらせた男を見抜くのって難しいと思う。
私自身も知らないで親切にした男から突然豹変されたことが何度かあるし、そうした愚痴をこぼすと「自己責任」と批判する人が一定数いる。
個人的な経験として今思い出せるものだけを挙げるとこんな感じ。
猫好きで一人暮らしのアパートでメス猫を飼っていた。宅飲みで何度か他の人と一緒に行ったとき、ニコニコと猫を抱いていた姿が印象的だった。
卒業後数年した時に同じサークルにいた女の子が結婚報告をして、妊娠したから会社を最近休職したと報告をしたら豹変。
「暇で暇で仕方ないでしょ」
その他色々と専業主婦下げ発言を連発して汚い酒の飲み方をしていた。その場に参加した女の同窓生はもうその先輩とは会ってない。
地元に帰省した時に親から数合わせで来てほしいと言われた合コン(婚活?)イベントで隣になった男。
最初は「何の仕事してんの?」「そのアクセサリーって(某ブランド名)のだよね」などとこっちに興味があるかのように話しかけてきた。
素直に答えていたら突然豹変して「どうせ男に買ってもらったやつでしょ」「大学出てそんな仕事ってみじめだね」「男に貢がせるためにここに来たんでしょ」とか一方的に言い出した。
すぐに席を変わってもらったけど、あとからその人を知ってる地元の友人に「あの人いつもそんな感じだよ」と言われた。先に言ってほしい。てか、女下げたいのになんで合コンイベントに来るのかわからない。
職場の先輩で、40代だったが若い見た目をしていてそこそこ女にもてる(自己申告)の人。
仕事は真面目だし教え方もうまかったので職場では尊敬をしていた。
会社の飲み会のあとの二次会で、自分が転職を考えているということを相談したときに豹変。
「女はすぐに仕事が見つかっていいな」「面接担当の人(男)に胸とか見せればすぐに採用されるんじゃない?」「女はそうして気軽に職を変えられていいよな」というようなことを言い出した。
そういうことを言う人と思っていなかったので何を言っているのか最初理解できないほどだった。
学生時代にお店でバイトしてたときに新卒で配属された正社員の男。
仕事では正社員2人が交代で、バイトは全員で10人くらいが4~5人ずつシフトに入る感じ。
年齢が近いこともあって最初はバイト同士の話によくその正社員も加わってはいたけど、なんか陰気で話してて少し浮くなって感じがしてた。
でも基本人畜無害だったので特に女の子バイトが露骨に避けてたわけじゃない。
バイトの中で可愛い目の女の子が別の男性バイトと付き合い始めたらしいことが噂になり始めたときに豹変。
「あいつらできてんだぜ」「これから彼氏んちでやりまくるんだろうな」「バイトに男作りに来てるとか、下品だな」とか、汚い言い方で女の子を下げまくってた。
特に「突っ込まれてる」とか「くわえたのかな」とかシモ系の言葉遣いがすごく汚かった。
幼馴染の女の子が結婚を意識している彼がいるというので一度会わせてもらった。
三人で一緒に食事をしてそれなり楽しく会話をしていたんだけど、友人が席を外したら突然豹変した。
「女同士で紹介とか意味がわからない」「今日もしかたなく来た」「こうやって値踏みされるのは正直不愉快」「さっさと帰りたい」とかうわ、裏表あるわこの人と思うような発言をする。
その後私と幼馴染が会う約束をしていたりすると突然ドタキャンされることが続いて、あとから理由を聞いたら「彼がどうしても行くなって言うから」というようなことを言われた。
事情は深く聞かなかったが、その後その人と幼馴染は結婚しなかった。
子供の時から親類のイベントで顔を会わせててそれなりかわいがってもらっていたオッサン。
中学生くらいになったときから「大人になったね。もうすぐ嫁入りか?」とかやたら結婚結婚みたいなこと言われてたけど、特にその時は気にしてなかった。
それが20歳を過ぎたあたりから「早く嫁に行かないと嫁き遅れるぞ」「若いうちに男を捕まえておかないと後悔するぞ」という言動が増えていく。
最近では「仕事が可愛くないから男が捕まらない」「男に愛されてないと女は干からびる」「男のいない人生は寂しい」とか言われるので極力顔をあわせないようにしている。
一番ショックだったのがこれ。
高校生くらいの時に初めて痴漢にあって、パニックになって泣いていた時にはそれなりに怒ってくれていると思っていた。
しかし社会人になって痴漢にあって、その時には気も強くなっていたので痴漢は最低だというようなことを実家に帰った時にこぼしていたらいきなり「お前にも責任がある」と言われた。
男はそういう生き物だから仕方ない、お前が注意すれば防げる、高校生の時は世の中を知らないので仕方ないがお前はもう社会人なんだから自衛できないのはおかしいという話しだった。
それと「いい年して痴漢にあったとか言うと周りがおかしな目で見るから黙ってろ」とまで言われた。もうね。
一見人当たりがよくて親切そうな男が突然豹変することがよくあるので、正直女を心の底では憎みきっている底意地の悪い男を見抜くのはかなり厳しい気がしている。
知り合いの身内の話
ざっくり言うと、知り合いの家族が、ネットの人間関係のトラブルが原因?で亡くなってしまったらしい。
その人とは専門時代からの付き合いだから10年いかないにしてもそこそこ長く連絡とってる
学校時代からの同窓ねwお互い結婚してるけど、たまに集まったりはするくらいの仲
で、久々に連絡が来たと思ったら、その人の家族が、、って話を聞いた。
すごい落ち込んでて、こんな姿初めて見るくらいだった。
亡くなった人の身内(私があった子)も、職場の人も、昔からの友人も
全員揃って、何も変わったところはなかったって。
まだ扱い?が決まってないからってけっこう口を濁してたけど
知らずに連絡がまだ届くらしくて(その人宛に)、それに応じなければいけないこともあって、
その度に、そんな素振りはなかったって言われるってすごく落ち込んでた。
かろうじて事情を知りそうな人も見つけたらしいんだけど、
それがネットの知り合いらしくて、トラブルがあったみたいに聞いたんだって。
でも、どこの誰かもわからないし、そもそもその人が誰なのかもわからないって。
身辺整理だけがすごく綺麗にされてるから、たぶん、って言ってたけど、
色んなデータが消したり売ったり、パソコン詳しい人ってのは元々聞いたことあったけど、
なんかすごく怖かったし、かわいそうだって思った。
外では台風が猛威をふるっている。
がたがたとゆれるYKKのサッシは南国においても安寧をもたらす。
あれはこのバカンスに入る前の、クソ煩忙な日々のある夜のことだ。
私はクソ旧友とのクソディナーを取り付けて、クソ吉祥寺にクソ向かっていた。
クソ友は頭がチンポになってしまったようで、ローションまみれになっていた。
「ハハン。うまい話には」
「穴(罠)がある。でも、今回のはマジだぜ?」
「話は後。とりあえず、乾杯だ」
杯を交わす。羊の小便と爪の垢の味がするビール。
クソ友のおいしい話はこうだった。
「それで、お前さんは飲んだのかい。その薬とやらを」
酔いが回ってきた私は少しオネエ口調で訊いた。
「当然。なんなら試していくかい?」
すごい夜だった。
親しき仲にも前戯あり。長い詰みより短い必至。
チュンチュンワールドはまばゆい光をもってモーテルの一室を照らしていた。
彼は置手紙と薬を残してすでに去っていた。
「Love Will Tear Us Apart Again」
何食わぬ顔で出勤した。ゲートにIDを通して、キュートなガードマンにウインク。
怯えたハービヴォラスアニマルの目を私に向けてきた。
それだけではない。同僚、上司、部下までもが私に奇異の目。
なんて失礼なヤツら!
いったい私がなにしたっていうのよ!
少しアルコールが残っていた私はプリケツ歩きでトイレへ入った。
鏡をみるなり叫んだ。マンマ・ミア!
そいつはすでに意識を手に入れ、ぎょろぎょろと周りを見渡していた。
「よっ、世話なるぜ」
「はた迷惑なやつだなッ」
久々の再会に会話が弾む。同僚たちも小西の陽気さに安心したようで、
ほっと胸をなでおろした。もっとも私の胸には小西がいるので私は小西をなでおろした。
「それにッしてもッ、どうしたんだッ急にッ」
「ま、思うところがあってな」
「お前もしかして、感じてんのか?」
「否ッやめろッあッ」
いみじくも昇天。
恋人とはファイトになったが、今では彼らもオーラルセックスフレンズだ。
アイスティー。25メートル下からきこえるクラクションの音。人々のざわめき。
突然、小西がいった。
「おまえな、このままいくと、死ぬぞ」
「おれは持たざる世界から来たんだ。持たざるっていうのはなにもかもだ。体も。命も。乳首も。存在のない世界から来た。そこではなにも持てないかわりに、未来も過去も現在も、あらゆる事象を観察することができる。おまえな、進行性の心臓病にかかっているんだよ。あと二週間後のバカンスで乳首をホテルのボーイになめさせている最中、発作を起こして死ぬ」
私は小西が何を言っているのか理解できない。昨夜キヨハラ・ゲームをやりすぎたのだろうか。
目を伏せてそう言った。目を開けると私の体は宙に浮いていた。
「小西ッどういうことだッ」
「人は一生のうちにしゃぶった乳首のすべてを覚えていることはできない。ちょうどおまえにとっての今日が、忘れられた乳首のひとつになる」
「これは――ママ? ママの乳首か? お母さん! お母さん!」
知っているだろうか。
「ヒュー。どうにかうまくやったようだな。肝が冷えた」
「どういうことだ。小西はどこにいったんだ?」
「小西? だれだいソイツは」
「お前も同窓だろう」
「ああ、まったく。また間違えてんのか。小雪だろ。小西じゃない」
そうだ、小雪だった。なぜか私はずっと小雪を小西と呼んでしまうくせがあった。
パトカーで連行されたとき、窓の外に小雪の広告が張り出されているのを見た。
小雪はいつも何かを飲んでいる。きっとそうやって私の病も飲み込んだのだ。
私は口のなかに何かがあることに気づき、ポリスに出してもらう。
それは私の左乳首だった。真っ黒な。
回想にふけているうちに、台風は過ぎ去ろうとしている。
グラスを傾ける。
即座に吐く。乳首はとっくに腐っていた。
私はボーイに難癖をつけて、彼の右乳首をしゃぶる。
それはまだ未熟なピーチの味がした。
しかしそんな中, 私の知人関係で, 学が無いのにもかかわらず, 積極的な起業意識を持っている人達がいる.
実際, 私の大学の同窓たちで起業しているのは, ずば抜けて素質があり金があったやつ or 元大学生キャバ嬢である.
私自身, 起業意欲なんてものは全くと行っていいほど無いのだが, どうやらキャバクラには起業意識を高める何かがあるらしい.
彼とは二年ほどご無沙汰だったのだが, これが非常にできる後輩で, 名ばかり先輩の私は, 学生時代常にケツに火がついた心持ちだった. 緊張感と競争心を掻き立ててくれた彼には頭が上がらない.
そんな優秀な彼が学生結婚ということで, もちろん私は全力で祝福しているのだが, 彼の心中はどうにも全てが順風満帆というわけではないらしい.
それは, 遠い親戚や私の同窓達の面々のなかで, 一部批判的, 風当たりが強い人がいるというものが原因らしい.
私は正直驚いた. 今まではとても良好な関係を築いてきた(私もその同窓たちとは面識がある)はずなのに, 学生結婚したらいきなり態度が豹変, 批判的になることなどあるのだろうか. なぜだろうか. と.
私は(ちょっと悲しいことに)学生結婚という話題に全く縁がなく, ワードを聞いたことがある程度だったので, お節介だとは思うが少しネットで情報収集をすることにした.
すると出るわ出るわ. 学生結婚を認めない大人たちの厳しい意見が
反対意見の中でも, はやまるなというアドバイスから, 本人たちの人格否定, 具体的な貯金額の条件まで. 私の調べ方がまずかったのか, ネットでは反対意見が多数派のようだ.
後輩は大学院に在学中だが, 嫁さんの方は独立しているし, もちろん所謂できちゃった結婚ではない.
結婚を期に, 後輩本人の研究・就職へのモチベーションも高まっているそうだ.
う~ん. 特に私には絶対にやめておけとまで言う材料は見当たらない.
むしろ子供が出来たとしても, 両親の支援を受けながらだとしても, 本人たち(両親含め)が同意し, 支え合って努力しようと思っているのであれば特に問題はないのではないかとすら思えた.
そうやって幸せになっている事例をいくつか知っているし, 高卒の同窓たちは, 金がない自由がないといいつつ, 子どもたちとの笑顔いっぱいの写真を送りつけてくる.
という批判的な同窓たちの考えについて小一時間頭を悩ませた結果行き着いた私の答えは
だった. という話
Amazonプライムに加入していると、Amazonプライムビデオというサービスが使える。
Amazonプライムで配信している映画、ドラマなどは見放題という、暇つぶしには最適なサービスだ。
そこに「バチェラージャパン」という独占配信番組があるのだが、先週末に放送が終了したので、感想を書いてみようと思う(盛大なネタバレあり)
「バチェラージャパン」はもともと海外で放送している同名の企画番組を日本に輸入したものらしい。
企画内容を端的に説明すると、バチェラーと呼ばれる超絶ハイスペックの独身男性一名が、
数十名の年齢も経歴もバラバラな女性たちと各地のリゾートやら保養地でイチャコラしながら、
毎週「ローズセレモニー」という儀式で脱落者を選び、最終的に残った一名と運命の婚約を果たすというものだ。
一応やらせなしのそのままの男女のドラマが繰り広げられるということで、いわゆるリアリティー番組と言われるジャンルとして喧伝していたらしい。
番組の内容的に、上品と言えるものではないので敬遠する人も多いと思うが、個人的には毎週楽しく見ていた。
番組の前半は恋愛番組というよりむしろ、女性同士の心理戦、サスペンス要素が強く、
場を仕切る女性や、泣き出す女性など、女性の内面に迫るのではなく、キャラの関係性を際立たせた構成で、
いや、こいつ番組の都合上残してるだろ、みたいなツッコミを入れながら見るのが楽しかった。
後半になるにつれ、当然と言えば当然だが残った女性一人一人の人格がフィーチャーされ、よりドラマ的な演出が増えていった。
しかしながら本人が本気で言っているのかわからないような、自分から落とされるような発言をしたりして、
駆け引きと言える場面もなく、正直言ってだんだん飽きてきてしまった。
最終的には、ゆるふわ系で22歳の高学歴女性が最後の一人となり、運命の女性としてバチェラーに選ばれる。
大方の予想も覆されることもなく、平和にシーズン1(シーズン2もあるらしい)は終わりを迎えた。
さて、そんなバチェラージャパンだったわけだが、非常に示唆に富む番組であったように思う。
超絶スペックの男性を多くの女性が奪い合う形式は、現代の婚活市場を正しくそのまま可視化しているし、
最終的に選ばれる女性が、若くて美しく、そして何より高学歴であったことは非常に現実的な結末であるように見えた。
(35歳のバチェラーはロリコンだ何だと非難を浴びているが、彼にとって極めて合理的な選択だったのだろう)
そして何よりバチェラージャパンが象徴的なのは、参加者の多くの女性が、一時的とはいえバチェラーに選ばれる経験をし、
その夢のような世界に身を置くことができる点だ。
(低スペックの男性が可視化されない=その場に存在しないことも極めて現実的である)
退場していく多くの女性たちが、その事に自覚的で、バチェラーに感謝を示し去っていくシーンが多くみられ、印象的であった。
そして現実でもそんな逆シンデレラのような状況に多くの女性が陥っている。
そこから現実に向き合い、現実的な結婚をすることに大きなハードルがあることは、容易に想像がつくだろう。
もちろん、同窓生や身近な関係者の中から相手を見つけ、社会人数年目には結婚するという、極めて牧歌的な結婚を果たしている者も当然多い。
しかし、多くの男女はそのタイミングを逃し、いわゆる婚活市場と呼ばれる泥沼に足を突っ込まざるを得ない状況になっている。
(男性は多くの女性にとって自分が可視化されない現実に、女性は向上することのない生活水準にそれぞれ向き合わなければならない)
婚姻関係と出産が大きく結びついている日本では、この問題は避けては通れない。
低所得者の増加や育児環境の未整備など、社会的な要因も当然重要だが、根本的な男女間の価値観はやはり考える必要があるだろう。
そう、バチェラージャパンは、「逃げ恥」のような現代的な理想の恋愛を見せるのではなく、現代的な現実の恋愛を見せるという意味で、
繰り返されているテーマであるがゆえに、2017年の生きたサンプルとして、バチェラージャパンを是非様々な方に見ていただきたいのである。(おわり)
ここ最近、facebookの投稿をしづらくて、twitterに原点回帰しているという話をよく聞く。
自分もそのうちの一人だ。
見ている分には友達の近況などしれていいけれど、でも自分で投稿したいという気持ちは
1年前と比べるとかなり減っている気がする。
大体のポストはこんな記事。そういうクラスターに入っているだけかもしれないけれど。
「海外出張いってきます、かえってきます(空港のタグを添えて)」これが一番
「カンファレンスに登壇予定です」
「ニュースに出ました」
「昔でいうRSSリーダ的に読んで意識高そうな記事をシェアしました」
といった、ポジショントークまざりの話が 多すぎる気がする。
もうちょっと前のユルフワな、足折れたとか、ここのお店が美味しかったとか、家族写真がきれいーとか
どうでもいい和やかな雰囲気がすきだった。
今はそんなことをつぶやこうと思っても、周りの意識が高いつぶやきに比べると、
「いやまてよ、こんなこと書くよりも、なんかすごいことをしている、常にアンテナはってますよというオーラを出さないといけないのか?」
と我一瞬冷静に事態を振り返り、投稿をやめる というのが最近である。
また、個人的に可愛いと思っていた女の子の写真をググって、そのリンク先がfacebook上にあり、
そこを眺める といったソーシャルネットワークという映画のザッカーバーグ氏の昔のような風景も、
いまでは、可愛いもしくは意識高い女子というのは、Instagramに上げるのみで、プライベートな写真の更新はかなり減っている気がする。
※facebook社としては、買収したサービスであるinstagramにトラフィックが寄り付く分にはID統合されているのであれば、広告面としては問題なっそう。
「同窓生枠だけに投稿する」といった、セグメント別の投稿ができないので、
地元の同級生と意識高いクラスターが納得するであろう最適な投稿が確立できなくて、
結局Read onlyになっているような人が多いような気がしている。
「ごめんね、facebookは本当にprivateな人のみでやっているだ、Linkiedinでつながりましょう」
とよく言われて、それがアメリカでの使い分けらしい。
日本だと、その使い分けができず、ビジネスとプライベートが完全に一体化しちゃったおかげで、
まとまりがなくなってきているから、最近多い使い分けとしては以下となっている模様。
facebookでは意識の高い情報を見て、シェアする場所。他の人に興味もないので退会。
twitterはどうでもいいつぶやきとよさそうなリンクをとりあえずshareするOpen bookmark
Instagramはその瞬間きれいな写真をとって残すのと、オシャレ感をポジション投稿する場所としての Open photo storage
といった使い分けをしている人が多いのではないかなーと思っている。
まったく同じようなことを半年前くらいに書いている記事をみつけた。
http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20160622-OYT8T50037.html?page_no=1
IR上だと、asia pacificでくくられてしまっているので、
https://s21.q4cdn.com/399680738/files/doc_presentations/FB-Q316-Earnings-Slides.pdf
それにしても今日は腰が痛い。
系統としてはユダヤ資本が何百人会議で世界金融をしかしてその正体は敵か味方か爬虫類人というアレである。
はためには勤勉で真面目な少年だった。
体育会系でこそなかったものの外向的な性格で、友達も多かった。
まれに「世界の真実を教えてやる!」と友人を集めて9.11に隠された陰謀だとかホロコーストの真実だとかを流布しようとすることを除けば、おおむね普通の高校生だったと思う。
彼は性別の別け隔てなく友達づきあいするタイプではあったが、私はあまり深く関わらなかった。
今思えば後学のために彼の主張をすみずみまで拝聴しておくべきだったかな、と悔やまないでもないが、私は私で当時恋に勉強に何かと忙しい女子高生だったのだ。
今はもうあの頃の制服は着られない……。
しかし遠巻きに見ていてさえ、彼がなぜ陰謀論にハマっているのかわかる気がした。
彼は生真面目な人間だったのだ。
無遅刻無欠席だとか、進級に関係ない夏休みの課題は計画的にうっちゃったりせず全部やるとか、その程度の生真面目さではない。
なにもかもキッパリパッキリしていなくては気がすまない人間だった。
正義感も強かった。義心に溢れていた。
自発的に近所の自然保護団体?(教育機関的な役割も兼ねているようだったが実態はよくわからない)に属しているようで、そのグループの活動でも少年部のリーダー的な役割を担っていた。そのことを知ったのは彼がEM菌の普及活動の講演会にスピーカーの一人として登壇したからだ。
見た目は「いい人」だった。
いや、事実「いい人」だったんだろう。
クラス内の評価も「おおむね良い奴」だった。彼の口走る政治ネタは影では冷笑的に受け取られていたが、彼の眼前でバカするのはなんとなく憚れられる空気があった。
哀れみでも、恐れでもなく、ただ「こいつは良い人」だからという遠慮があったんだと思う。
キャリア官僚として官庁に就職し、ゆくゆくは中央の政治に関わっていきたい。
そう言っていた。
彼は学年一の秀才というわけでもなかったが、もちまえの生真面目と努力を惜しまない姿勢が評価され、
推薦でそれなりに優秀とされる大学へ進んだ。
私はフェイスブックをやってないし、彼の下の名前も忘れてしまったので、ググろうにもググれない。同窓会は成人式のときに一度開かれたっきりだ。
この前ふと気になって、高校大学と私と同学でその後某省でキャリア官僚になった友人に「あの子、どうなったんだろうね。もしかして、同期で入省したりしてない?」とたずねたが「いやあ、聞いてないなあ」とどうでもよさそうな返事をされただけだった。「もしかして、あの子のこと好きだったとか?」
いや、そういうのじゃないけど、と私は言って、それでもうこの話題は打ち切りになった。
高校の卒業式が近づいたある日のこと、帰り際に彼に呼び止められた。
みょうに緊張した面持ちで私の経験則から言って、十中八九、告白の前触れだった。
予感は当たり、彼は私に想いをぶつけてきた。付き合ってくださいと。大学は違うけど、遠距離になるけど、その、なんというか。
私は最敬礼で「ごめんなさい」と言った。
彼はしばしショックを受けて硬直したのち、こう問うてきた。
「え……なんで?」
ここで、「なんで?」と訊くようなやつだからだ、と言ってやってもよかったのだが、その日たまたま私は虫の居所が悪かった。ので、ウソをついた。
うち、爬虫類飼ってるから。ヒョウモントカゲモドキ。
なぜ、ヒョウモントカゲモドキという馴染みのないワードがあそこで出たのかはわからない。
前日にNHKかなにかの動物番組でたまたま出てきてそのキュートなビジュアルが脳と網膜にやきついていたためだったろうか。にしても、その瞬間までにはまったく忘れていたのに。ヒョウモントカゲモドキ。
今では、私の部屋で私の帰りを唯一待ってくれるのもヒョウモントカゲモドキのエクレア(通称エーちゃん)。
http://anond.hatelabo.jp/20160331150720
お坊さんをお呼びした家族葬(D.I.Y.葬)が総額42,360円で完璧に出来たお話
人によっては非常に役立つ、と言う話の一方で、批判もあるこの記事。
人の生き死にについては宗教観が付いてくるのでそれをどうこう言うつもりはないけれど、ブコメには「すごいけど、できそうにない」という声が多いみたい。
そこで、おじさんを2人看取ることになった田舎の貧乏農家の長男の俺がどうやって費用を抑えたか書こうと思う。
具体的に書かないと意味が無いので具体的に書く。表ブログの読者の方は誰だかわかるかもしれないけど、できたら黙っていてくれるとうれしい。
親父は8人兄弟で、そのうち3人は田舎にいるが、残りは都会に出て行った。
そのうち1人は早々になくなり、もう一人は癌で死亡、その時点で存命は6人、1人のおじさんは生涯独身を貫き、もう1人のおじさんは子どももいないままに早いうちに奥さんを亡くして、独り身だった。
俺の親父は次男だったが長男が都会に出てしまったので跡継ぎである。ただ長男が継ぐつもりだったので結婚が遅く、自分の歳の割には高齢だ。さらに俺はその長男なので、跡継ぎである。と言うことで、小さい頃から「親戚が困ったら、本家のうちが助けてやるんだぞ」と言われて育った。
育ったが、本家と言っても、昔なら山を守ってそこから得られる富で支える事ができたのだろうが、今となってはただのワーキングプアの貧乏農家であって、お金がない。
それで、あまり会葬者がいない葬儀を出費としては38万円ちょっとで上げた話をする。これには振る舞いや精進落としを含み、真夏でエアコンのない我が家で特に必要になったドライアイス代等も含まれるので、そこを省くとたぶん20万円ぐらいでできる。香典を入れると、収支はプラマイゼロでできた。
上の叔父の時は、叔父から突然「病院からどうしても親類の人に一緒に来てくれと言われた。申し訳ないが、来てくれないか」というのが始まりだった。が、すでに70を超えた親だけをいかせるわけにはいかず、同行、距離にして400キロほど運転して駆けつけると、記憶にあるよりずいぶんとやせた叔父がおり、医師の話を聞くと、やはり癌だった。ステージIII。
叔父はだいたい想像が付いていたようで気丈に振る舞っていたが、こちらは正直、当時22歳だった俺は何のことだかわからない状態だった。
叔父の「今まで1人で暮らしてきたんだから大丈夫」という言葉があったが、ほっとけるわけもなく、とりあえず手術をすることに。手術は後、病理検査が出たのだが、家族だけ医師に呼ばれ話を聞きに行くと、医師曰く、非常に悪性が高く、見えるところは取り切ったはずだが、砂のような癌ですぐに戻ってくる可能性が高いという。本人は癌と闘う気があるので、抗がん剤をやるが聞きづらい可能性もあると言うこと。
みてやりたいという意思はあったが、抗がん剤は周りの支えがカギ、と言うことは一番上の叔母が癌になったことがあったので知っていた。
支える事は、400キロも離れていると難しい。叔父の現在の在所に住み込むような金ははっきり言ってない。畜産はやってないにしても仕事はあまりほっとけるわけではない。
持病を持っていた叔父は保険にも加入できてなかった。蓄えはあったが、まとまった金と言うほとではなかった。
幸いにして発覚したのが農閑期ではあったのだが…そこで親父と医師と相談し、ありのままを告知して、その上で、最後は田舎に帰ってこないか、と言う話をした。
このような形で、叔父は人生のほとんどを過ごしてきた街ではなく、子ども時代を過ごしたとはいえ、あまり縁のある人のいない田舎でなくなった。そのため、会葬者などはおそらく家関係の義理しかかないだろうと想定された。
人生の最後で引っ越しをしてもらうなど蓄えもほとんど使ってしまっており、実は叔父からは通帳一式預かったのだが、ほとんどお金はなかった。
そこで、親と相談して、お世話になっている菩提寺に相談をした。
結果
合計37.5万円。
実際には告知することもなく小さくやったので、あまり人が来ないと思っていたら、叔父と幼い頃一緒だった同窓生などが、どこから知ったのか来てくれたりもした。また、葬儀場が当たり前になっていて、お寺で葬儀を行うことがなくなっていた(お寺はそもそもそんなに大きくないので)のだが、やはり雰囲気が非常に良く、お金がないなりにそれなりにできたと思う。
組合の方々は香典を持ってきてくれたし、また叔父叔母もお金を出してくれたので、当家の出費はほとんど無かった…と言うか、実は少しだがプラスになってしまった。
それはこの後の法事に回す事にした
実は病院で死亡宣告を受けた後、最初に相談したのは葬儀社ではなくお寺だった。地元では葬儀社を手配しても、葬儀社からまずお寺のスケジュールを抑えてくれと依頼されるので、先に葬儀社ではなくお寺に連絡をすることが常識だと言われていた。
今まで全部親がやっていたので、自分がかけるのは初めてだった。このときは借金をする覚悟を決めていて値切るつもりはなかったのだが、そのときに率直に「今からお金を借りに行ってくるが、今日は日曜日なんで」と言う話をしたら、お寺の方からアドバイスをいただいて、こういう形になった。
「最近はお困りの方が非常に多い。実は珍しい話ではない。家族葬という形で小規模にやると後で悔いが残ることや大変なことも多い。なにより、現世との区切りが上手くできない。
これは、仏様にとっても大変だが、後になって自宅にお線香を上げに来る方が絶えず来て困るという事になってしまうので、現世に残された者のためにもこういう形を勧めている」という事だった。
これは、ほぼ同じやり方を下の叔父の時にもやったし、そう言うつもりで注意をしていると、あちこちのお寺でこういう小規模な葬儀をやっている事に気づいた。
余所の土地でもできるかどうかはわからないが、宗教家というのは基本的には(あるいは、建前的には、と言ってもいいかもしれないが)困っている人をほっといたりしないので、相談するべきだと思う。
下の叔父は突然死だった。突然病院のコーディネータという人から電話があって、外出先で倒れて運ばれたが死んだと言う。
叔父も300キロぐらい離れた別の所にいる。が、なさけないこと最初に頭をよぎったのは、300キロも搬送したらどれだけ金がかかるのか、と言うことだった。調べたら下手をすると数十万単位でお金がかかるという。当然だがそんな金はない。
とりあえず親を公共交通機関で送り出しつつ、考えた。
実は元増田と同じようにレンタカーを考えたのだが、レンタカー屋になんとなく効いたところ「そのような用途は断っている」とのこと。他にもあるかと聞いたら「まず遺体の搬送を許しているレンタカーは無いでしょう」と言うことだった。曰く、遺体を直接禁止しているものではなくても、輸送に特別な規制があり許可が必要なものは断るという規定になっている場合がほとんどではないかと。
きっと元増田のように選択肢が多い都会ならばもう少しなんとかなったかもしれないけれど、やむを得ない。ただ、レンタカー屋の担当の方は「ただし、知らない場合にはお断りはしません」と暗に黙認してくれるようなフォローをしてくれてはいたのだが。
そこで、どうしたかというと、自前のトラックで迎えに行った。普段農作業に使っているものだ。まず、お寺に連絡をした後、先にお棺を出してもらって、それを荷台に載せ、動かないように詰め物で色々と詰め込んで、緑色のカバーを掛けて、トラックで迎えに行った。おじさん、すいません。
後から相談したところ、最後の手段として、赤帽的な小規模運送業者を手配するという方法もあると言うことだった。組織としてはリスクがあるので断ることがあるが、個人事業主が多いので、受けてくれる業者もあるらしい。ただその場合でも、荷主が診断書をもって同乗するというイレギュラーな対応になる。
故に頼み込むと専門業者の場合は数十万円かかるのが常識の距離でも、数万円で受けてくれることもあるらしい。ただこの場合は必ず心付けを渡すことを忘れないほうがいいと思う。人間として。
ただ、御布施については、前回余ったという事、それからこちらの叔父は病気療養でお金を使っていたわけでもなく多少はあると思われたので(確かめる時間はなかったが)、多めに出すことにした。
ただし、このとき、叔父が長年暮らしていた家の周辺の人々に何も通知していなかったことが失敗だった。
最終的に叔父の家に片付けに行ったとき、近所の方に声をかけていただき、話をしたら、叔父はきちんと近所づきあいなどもしていたようだった。また、引退して気楽な一人暮らしだ、と言っていたのだが、実は在籍していた会社からちょくちょくアルバイト仕事を受けていたらしく、そちらの方もあった。
その後、暮らしていた街で親しくしていた方や、近所の方、元の会社の部下の方などが遠い距離を墓参りに来てくれたりもした。葬式というのは、故人や親戚のためだけにやるものではなく、むしろ周りの人間と現世と区切りをつけるためにやるものだ、と言うことを実感した。
今回は利用しなかったが、自治体には大抵簡易な葬式のやり方を規格化して、「規格葬儀」あるいは「自治体葬儀」という形で定型化し、安価なパッケージにしてあることがある。それを利用すると言う手がある。
この場合、自治体に相談すれば基本的に利用できる。それが利用できる葬儀社の一覧があるので、そこで申し込みをする。どういった場合でも広く利用でき、規格化されているので交渉も必要が無い。檀家になっている寺院が無い場合、ネットでいきなり検索して怪しげな所を選ぶよりは、これの方がいいのではないかと思う。地域性も加味されているし。
ただし多くの場合
地元では遺体搬送が別で28万円。実際には10万円ぐらいでできるさらに簡易なプランもある場合があるらしかった。地元だと、28万のプランは表に出ていたが、10万円のプランについては一般には示していなくて、基本的に生活困窮者のためで葬儀社はほとんどボランティアになる、と言うことだった。
元増田にはエンゼルケア、と言うのが出てくるが、最後が病院で亡くなったため、病院側のターミナルケアに含まれていたので、追加でお金がかかることはなかった。
増田も自分でやったという事なんだけど、介護保険にはターミナルケア加算制度というのがある。これはいわゆる緩和ケアのことではなくて、患者が亡くなった後の遺体のケアと家族のフォロー一式の作業のこと。
おそらく施設の人に任せても施設はターミナルケア加算を受けられることもあって、追加で高額なお金を払うことなくやってくれたのではないだろうか。
これが死亡後に施す特別な化粧のことだったら話は違うけれど。
以上、何かの参考になれば幸いです。
葬式はすごく地域性が強いはずなので、そのまま適用しようとしないでください。普遍的に言えることは、何事もそうだけど立場的に中立的な発言が可能な人に相談すること。
例えば葬儀社に依頼したら、葬儀社の方は立場上、よほどのことが無い限り「うちは高所得者向けの商売だから辞めた方がいい」とか言えないので…。
僧侶や宗教家の人、自治体の担当者や、病院にはコーディネータとか、コミュニケータという患者や患者の家族のフォローを専門にしている人がいるので、そう言う人にお願いするという方法があります。
お寺との関係が肝かな。
http://b.hatena.ne.jp/entry/283953281/comment/aoi-sora
「ポイントは、お寺との関係だと思う。」ここで討ち死にのはてなー多そうだな。
http://b.hatena.ne.jp/entry/283953281/comment/atoh
ご想像の通り、うちではお金がないのはお金がないなりに、お寺様との関係はつないでいるというのはあるとおもいます。総代会には入っていて、負担金は払っているし、施餓鬼など季節によってある行事には必ず参加しているし、何回忌といったものも、和尚様の言われるようにやっています。
これは大変じゃないかと思われるかもしれないけど、まずそれが一つの宗教観だからというのもあります。
ただそれを置いといて言えることは、実はあんまり費用はかかっていません。これは地域ごとの相場があるけれど、施餓鬼料は5000円で、総代会は年間5000円程度。一年で1万点程度。実は毎年必要になるお金はこの程度です。ただし、これは我が家が腐っても本家なので、実際には施餓鬼、総代会の年間負担金は3000円が普通だそうです。これ以外に法事を行う年や、寺院の大規模改装なんかが必要になると色々とありますが…。
ではそれがずいぶん疎遠になっている場合はどうなのか、と言う場合ですが、お寺には過去帳という者があって全部記録があるので疎遠になっていても相談する価値はあるのではないか、と思います。あるいは、うちには菩提寺がない、わからない、と言うケースですが、こういうときはそもそも葬儀などから遠くなっていると思うので、まずは自分だけでやろうとせず誰かに相談した方がいいのではないかな…。ネットでは情報が出てきにくいけど、人は必ず死にますし、逆縁になっていなければ多くの子どもは親を2人見送るから絶対経験談を話してくれる人がいるはずです。
結局寺に負担かけるのな
http://b.hatena.ne.jp/entry/283953281/comment/kvx
もうめんどくさいから適当に書くけど、ちゃんと金払わない屑増やすようなことを次々に書くな。寺に負担かけるのは結局他の檀家に負担かけてることに他ならない。http://b.hatena.ne.jp/entry/283953281/comment/dadabreton
これには言い訳のしようがありません。お寺様には大変感謝しています。でも、無い袖は振れないと言うのが正直な所で…。親とかの分はきちんと積み立ててはいるのですが、突発的な事態には借金するぐらいしか手がありませんでした。
そこで手をさしのべてくれたおっさまには本当に感謝しています。ただ、2回目の時は御布施は始めよりはたくさん払っています。相場よりは安いですが…。
葬儀屋が諸悪の根源なんだろうかな。そっちの言い分も聞きた
http://b.hatena.ne.jp/entry/283953281/comment/hiruhikoando
葬儀社の方がどう動いてくれたかが書いてなかったので追記をします。
葬儀社の方はこんな最小限の動きでも、きちんと葬祭ディレクターの方が付いてくれました。また葬儀当日は、お手伝いとしてお一人女性の方が付いてくれました。また、料理なども葬儀社から依頼しています。
儲からない仕事で申し訳ない、と葬祭屋さんには言いましたが、少なくとも問題は無いと言ってくださいました。まぁ和尚様に紹介してもらったので、断れないというのも、あるとは思うのですが。でも、費用は全部葬儀社に払っているので、赤字ではないのではないかと…。
個人的な感覚では、非常に公共性が高い仕事ですし、最短2日で葬祭道具から返礼品、料理まで全部そろえる態勢にはお金がかかると思うので、それほど暴利とも思ってはいません。
http://anond.hatelabo.jp/20160403011302
主語を自分にだけおいてください。「私はいらない」だけにして「他人も捨てろ」とか言うのはやめましょう。自分がそうだからといって他人も自分と同じだと決めつけるのはやめていただきたいです。多様な価値観があります。
その上で、
死亡→診断書→死体処理→搬送→保管→火葬→散骨
最短距離として、今回私が取れば一番シンプルに済んだのは、病院から連絡があったとき「引き取れません」と断るという方法があります。すると後は行政の無縁仏の処理のラインにそって公金で処理がされるはず。
正直、自分もそう言う選択肢が頭をよぎらなかった、といえば嘘になります。
「最初の記事では行動しない奴らが多くて、日本の寺、仏教(日本人の精神的な拠り所の1つ)を潰せないな。しょうがねー、もっと簡単なのも紹介しておくか」 「日本人の精神を潰すのは楽しいな、生きがいだぜ!」
http://b.hatena.ne.jp/entry/283953281/comment/hayato1999a
煽りにマジレスするのもなんなのですが、和尚様がこういう安いやり方で葬儀を提案してくださったのは、宗教を壊すとかではなく、全く逆ではないかなと思いますよ…。
私も、葬儀をきっかけに、その後のお寺の集まりのなかで、掃除とか Permalink | 記事への反応(3) | 18:54
3人で打ち合わせをすることになった。俺とA、俺とBはそれぞれ知り合い。AとBは初対面。
話が始まるか始まらないかというタイミングで、俺に電話がかかってきてしばらくその場を離れた。
電話を終えて戻ってくると、AとBがけっこう打ち解けていた。
A曰く「うちとBさんのお子さん、上も下も同級生なんですよ」
なんたる偶然だろうか。Bは知らないが、少なくともAは車で30分かけて今日の場所に来ている。
その二人の子どもが同じ学校の同じクラスに。しかも兄弟ともだ。
軽く興奮して「そうなんですか!?世の中狭いですね」と驚いた。
(もしかして以前から知ってたのか?)と思い「授業参観なんかで会ったことあります?」って聞いたら、
それ『同級生』って言わないよ~。『同学年』だろ~。