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2024-07-07

anond:20240704113754

妹は33歳で狂った

社会的孤立統合失調症発症

今は実家にいる


地方なので公立高校に行くのが普通の所合格できず滑り止めの私立へ。そこそこ楽しかったらしい

卒業後は県外の私立女子大へ。友達が出来ず寮にいるのが辛くて一人暮らしに切り替え

一留卒業するも就活には失敗。実家に戻ってくる

バイトをするが朝が弱く親に送り迎えしてもらうこともしばしば

数年でバイトを辞めしばらく休む

その後親のコネ正社員に就く。仕事が覚えられず半年で辞める

医療に繋がりB型作業所に通所することになった。この頃は給与(工賃)の少なさの愚痴を漏らしていた

体調を崩しB型作業所は休んだ


そして統合失調症発症し今に至る


無限独り言を言っている

空笑いをする

動きがそわそわしている


今、妹は高校時代友達に会いたいとよく口にしているそうだ

妹と同年代なら結婚子供がいる人もいるだろう。友達に会うと今の自分と比べてショックを受けると思うんだがそれは言わないでいる

2024-02-27

なるたる、「大人になってやりたいことがあるのに、あと数年で人間やめなきゃいけないの!?」みたいなこと言うキャラいなかったな

語らないだけで須藤はそういう苦しみを抱えていたのかなと思うけど

の子を使えば使うほど人間やめる時期は早くなるっぽいが、具体的な年数とかは出てこなかったな

使用を拒絶し続けても、リンクしちゃった時点で子供時代のうちに食われちゃうっぽいが

須藤さんは一留してるから19歳よな、子供というにはギリギリ

2024-02-19

40歳転職したよ

三流大学一浪一留し、最初の二年は某大手企業の子会社。その後転職し、大手企業のこれまた子会社立ち上げメンバーに。。。これはラッキーだった。

最初会社とは違いそこで実際社会人として多くのことを学んだ。

しかし、昇格試験複数回落ちて転職を決意。(たぶん役員に良く思われていなかった。実際悪態もついたし、媚やゴマすりを一切していないかった。むしろやり方がわからない・・・。また入社数年感はポンコツで、33歳くらいで

なぜかコツを覚えて仕事自分でいうのもあれだが、できるほうの部類にいた。)

40歳転職して1年ほどたったが、年収もあがり、残業時間もへり、仕事は楽になった。ぶっちゃけなめてるのか?というほど仕事簡単に!

業界なので、前職でのつながりも続いていて前職のメンバーともよく飲みにもいっている。

前職のとき転職に恐怖を感じていたが、同業界であれば、転職なんて楽勝ですよ。

くすぶっている全ての30~40代背中を押したく投稿しました。

追記

40歳転職って冷静に考えると遅いけど転職しないとあと25年は同じ会社で同じようなメンバー仕事だぞ、いい加減飽きるよ

変な辞め方しなけりゃ、前の会社の人脈と今の会社の人脈で二刀流だ!

しかも強くてニューゲーム状態なので仕事なんて余裕です

2023-11-07

40代MARCH未満の大学二浪一留卒業後、フリーター派遣社員での職歴資格自動車免許含めて一切なし

という縁故男性採用するかどうか、という話が回ってきたけど、うちの部署はおことわりした

他の部署も聞いた話ではお断りしてる様子

新卒採用からそのまま働いてる人が大半で、新卒採用基準学歴が上位私立国立大かというところに、縁故とはいえその人を入れるのはちょっと人手不足の中、なんかの実績上げてるとかならまだしも派遣転々としてる40代教育するのはきびしいよ

縁故だし、総務部あたりで雑用するのに落ち着くんじゃないかと見てるけどどうなるのかな

2023-07-05

エモさドリブンの事業開発大丈夫

このnoteがやたらと絶賛されている。noteでエモさを露出するベンチャーまじで大丈夫か。

https://note.com/yfujita/n/nf6fa24824c79

まとめるとこう

ということで、この人に本当にお金あずけていいの?この人の元で本当に働いていいの?注目を浴びる手段として笑いものになってるだけで大丈夫なの?「最初はみんな嘲笑ってた」という逆境からの大逆転をドラマとして完成させたいの?作りたいのは事業なの?ドラマなの?

2023-06-21

氷河期後期で難があった人の末路。

多分元増田より少し下の21世紀初頭社会デビュー世代なんだけど(もっと辛い氷河期、とか言い出すと角が立つからやめよう。)

この世代の人の就活ハガキが届いた企業で、合否を分けるバイト大学部活の先輩がやってた。

大学名と学部指定が出ていて、それ以外はゴミ箱に入れるらしい。

東大早慶指定国立March関関同立の一部で学部理系OK文系文学部芸術学部いくつかはNG性別では分けてなかった。

ハガキ名前と住所と学部大学資料請求言葉が書いてあって、対象なら合格の箱に。

観光学部の人がすごい小さな字で熱意原稿用紙5枚分くらいある内容をハガキに書いて送ってきたらしい。が、対象外なので苦しいながらもゴミ箱側に入れたと言っていた。

高校時点で、自分の頃には就活がもうダメかもしれない、と言われていたので、どっちにも行けるようにしていたが理転して工学部行った。東工大は落ちた。

最初は楽しかったものの、途中から好きな勉強じゃなかった。本当に辛かった。固体の上を電子がどう動こうと知らん。なぜもっと得意な化学か楽しそうなバイオにしなかったのか。後悔した。途中で辞めてフリーターになろうとして親と殴り合いの喧嘩した。一留

アルバイト家庭教師と、短期バイト事務所登録して20種類くらいやった。そんなに稼ぎは良くなかった。

就活、いくつ受けたが覚えてない。リクナビマイナビを駆使して、予定表をYahoo!カレンダーにいれて、ドコモのP158のアドレスに届くように設定して手帳に書き込んで管理してた。

自己PR欄でキャッチー言葉文章を書けば目に止まるのは当時日記猿人でも読者がついてたこからわかってた。(ついでに何人かの友達のも書いた)

大手ダメだったが、大手子会社や聞いたこともない会社には刺さったらしい。

面接に呼ばれて、SPIは何も予習してなかったが高得点マークしてたらしい。(面接で言われた)

二つくらい内定出た。

会社入れた。同期は早稲田慶應上智MARCH首都圏国立大学慶應行ってる弟が出身リストを見てお前だけ一人おかしくないか?と笑ってた。確かにこの並びならなぜ入れたのかわからない。高校同級生が撃沈しているのを見て、就職するには好きを学びに行っては行けないと思った。自分の5年も大概無駄だったとは思うが。

入った会社はしばらく採用はなかったが、合併経営母体大手から別の大手に変わり新卒枠ができたらしい。

会社のすぐ上はいなくてその上は専門学校卒。少し上に院卒。そのバブル世代が、ハガキなんか出さなくても勝手入社案内が来たと笑ってた。

仕事入社前に聞いてた話と職務内容も違い、勤務地も23区勤務と聞いたのに関東僻地に飛ばされ、頗るつまらなかった。

昭和時代にできたもの保守効率の悪いオペレーション倫理観や躾の悪い敬うに値しないおっさんたち。残業は平均70時間うんざりした。

何の役にも立たないグループ会社健康保険医の面談うんざりした。

地獄だった。

会社のある街から帰れなくて漫画喫茶に泊まった。

知っているか睡眠不足が続いてくるとだんだん味が濃いものが欲しくなる、変な動悸がする。生理血液が7日過ぎても10日過ぎても止まらなくなる。

棺桶に入ったり、棺桶程度の隙間に入れられる夢を何度も見た。

一度目が覚めたら腕も足も切り落とされて月を見上げている夢も見た。やたら綺麗な月だった。

まだ20代だったけど、大規模地震SARSか、ただただ苦しくて、天変地異が起きるか隕石直撃で殺して欲しいと思ってた。

ああ、正直に書くけど27過ぎたあたりからグループ会社結婚サークルに入らないのかと言われた。女性の会員が少ないから入れと。

つまるところ自社グループおっさんが多いから、あてがう女が必要女性社員を多く入れてたんだなと。ちょーメイクセンス

から同期だけ女、しかも見た目が読モみたいな女が多いのな。あてがうためか。ずっと男社会にいたから衝撃的だった。

当時付き合っている彼氏はいた(非正規社員)のもあるが、給料は少ないが、自分の事が自分オーガナイズ出来るし会話も成り立つ。

この会社自分のいるレイヤーおっさん達は自炊自分の服の身だしなみの管理仕事工程機器発注も何も管理できず英語も話せず

キャバクラパチンコがメインでしかできない癖に人の外見にはケチをつけるし会話が成り立たない知性を感じないクズどもだった。

こんな奴らと私生活まで一緒とか殺す気か。




同期は鬱で会社を辞めた。

先輩は職場で倒れた。救急車が来た。そのうち救急車が来ることにも慣れた。他にも倒れる人がいたからだ。

俺らより更に働かされてた隣の部署のチームリーダーがある朝起きたら冷たくなってた。葬式会社の人はこないでくれというのが遺族から伝言だった。

リーマンショックの後、大規模リストラがあって、職場でワイヤーで首吊りが発生した。

そりゃそうだろ。ずっと会社以外のことを考えられないような生活を強いられて、全てを犠牲にして、給与も据え置きで

親会社から合併して降りてきた人たちへの調整金という名目で額面より1万円毎月勝手に俺らの給与から引き抜かれてたが逆らえる人などいなかった)

ずっと発狂しそうな寸前を首を抑えられながらスキルにもなりもしない仕事メンタルヘルスボロボロになりながら働かされてた。

俺たちはまだ別に移る余裕があったけど、もう転職するにも40手前で厳しい年齢の人だった。当時は。

心じゃなくて寿命が折れることもあるだろう。

そこまでしたのにニュースはすぐにかき消された。



同級生野郎ばっかりだったが似たようなこき使われ方だった。自分の周りはもうほとんど連絡元っていないけど、誰も新卒会社でそのまま働いている人がいない。

氷河期の頃の20代、フリーター非正規の友人がスーパーが開いている時間に家に帰り、必要ものを店で吟味して買うことができ(当時は通販事情が違う)趣味時間を持てて楽しそうだった。

週末も有給休暇体調不良で消費していた自分選択が間違ったように感じた。そこまで自分を切り売ったのに手取りは同世代のの中でも大してよくなかった。

職歴は持てたかもしれないが、あんな思いまでしないと得られないものでは本来ないはずだ。

当時は自分時間を持てる環境にいる人が心底羨ましかった。

この会社を辞めた後、午後5時の新宿駅家路に向かう人の背中を見て、20時より前に帰る自由がある人がいる同じ時間軸でサビ残盛って奴隷のように無駄に働かされれ、20代を棒に降った生き方強制されたことの怒りに気づいて叫び出しそうだった。

その後も、途中無職になったり、死にかけたり、入った会社倒産合併リストラや色々煽りを喰らい転職を重ね

今は誰も知らないような外資に入って、つつましい仕事やってる。専門は専攻と全然関係ない情報機器肩書はengineerだがコンサルに近い。給与も高くはないが悪くない。やっと今人として必要ものを全部払って息が出来る状態

月間残業時間もしなくてもいいくらいだが10時間くらいやっている。金があると少しいいものが買える。嬉しい。

会社でのキャリアは上げようとは思わないけどレイオフ対象にならない程度には維持しつつ、同僚も多国籍で物知りで礼儀正しい。差別発言とか出るはずもなく、すごく呼吸がしやすい。

ここまでに生じた持病の通院の時間ちゃんと平日内に調整できる。本当素晴らしい。

いつまでこの状態でいられるか分からないけど、やっと生きている実感がある。

もう年齢的にはここから伴侶を見つけようとか思えなかった。けど、同い年でやはり時代に殴られまくったズボラ料理が上手な人と一緒にいられいている。

この歳になると結婚メリットも大してないか特に法的な手続きは考えていないけれど、向かい合う人がいるだけでどれだけ救いになっているかからない。

そして今オフ時間通信制大学入学して、何年かかるかわからないけどやりたかった経済学勉強をやってる。

きっとこの先の人生何にも役に立たないけどすごく楽しい

他の学部法律関係授業とったりしている。そのうち余裕があれば心理学勉強したい。

この後の望みは健康20代の何も結実しない無理は確実に体を蝕んで、色々できないことが増えた。

とはいえまだ検診の数値はいいけど、ほんとこれ。死守していきたい。

anond:20230620104704













ーー

元増田読んで自分の話を書いたけど全く読まれてなかった。

まあ氷河期って、就職できなかった人も地獄だったと思うけど、

就職できたからと言って労基法全然今と違ったので地獄でしたという話。

事件のあたりは探せば出てくるよ。嘘松だと思いたいだろうけど。

本社屋上は飛び越えられないように数メートルの柵があるって話だったよ。


就活の時、コネがあるから言えと親に言われていたが、それが嫌で絶対就活で得た仕事に就こうと思ってた。

それがこんな酷いところ。しかも上の人はコネで入った奴らだった。

最初会社を抜けれてやっと眠れるようになったのに、何度も職場に連れ戻される夢を見て叫びながら起きた。

あんなに苦労して入った会社だったのに、PTSDがあるんだと思う。

36協定派当時からあったけど徹底が促されるのはその後のこと。

就職前に聞いた話と給与面・職務面・勤務地などが異なったら会社を訴える権利が出てきたのもその後のこと。

転職が少しずつし易いものになったも、ベンチャーが増えてきたのもの氷河期の後だったように感じた。

少なくとも第二新卒とき転職先もなく第二新卒転職フェアに行っても主業で売るものがパッとしなくて、転職しても別の地獄があるようにしか見えなかった。

仕事していて嫌なことがや理不尽を感じたら、地域ハロワと同じところか近所にある労働基準監督署には相談できる人がいるから困ったらすぐに行くんだぞ。

近所すぎて噂になったらどうしようと思ったら、少し越境しても資格は一緒だから大丈夫。一人で悩まず相談しよう。お姉さんおばさんとの約束だ。

2023-02-09

anond:20230209133526

一留くらいでなんとかなるなら親とちゃんと話して頑張って出たらいいと思う

学歴って後からじゃ手に入れがたいし、将来結婚する時とか、子供結婚する時、転職する時、色んなとき大卒だったらと思うタイミングがある

とてもじゃないけど一留や二留で出れないレベルなら、まずは真面目に自分人生の進路を考えることを勧める

進路を決めてから、そのために大学を出るべきか出るべきでないのか考えればいい

そして自分希望が決まれちゃんと親に話してみるといい

留年たかごまかすように大学辞める、はちょっと話にならんというか、やめたって何も変わらないからね

2023-01-06

anond:20230106180920

程度は違うけど、二浪一留のオレでも這い上がって上場企業技術役員になれたよ。言いたくはないが、たぶん君よりプログラミングスキルは低い。

そんなこと書いちゃうと、プライド高い元増田ちゃんが「バカでも役員になれるレベル低い日本で働きたくない」ってなっちゃうでしょ!

anond:20230106005721

新卒直後だから過剰に学生時代の経歴だけで評価されてるだけだよ。

実際にプログラミングスキルが高いなら安くていいかスキルを生かせそうなWebベンチャーに入って成果をあげよう。

そうすれば後は転職すればいいだけ。

IT なら新卒直後の就職先とかあんまり関係ないよ。

程度は違うけど、二浪一留のオレでも這い上がって上場企業技術役員になれたよ。言いたくはないが、たぶん君よりプログラミングスキルは低い。

2022-12-14

人生終了させられた

俺の人生東京大学経済学部卒業し、ハーバード大学数学修士経済学Ph.Dを取得して、Google検索エンジンアルゴリズム設計広告表示システム設計担当し湯水のような報酬をもらうはずだった。それなのに、結局一浪一留仮面浪人のため)で明治政経卒業して、IT系スタートアップという謳い文句若者を集め、朝から晩までテレアポさせる地獄みたいな会社就職した。毎日電話年寄り相手電気料金プラン見直し薦めてと給湯器販売してる。

俺に数学への苦手意識を持たせた、3年間毎日裏表ある大量の数学プリント宿題として配って質問したら怒鳴り散らすだけの高校数学教師、私文に転向することをアドバイスしてきた塾の早稲田在学糞チューター仮面浪人サークルに誘っておいて自分だけ早稲田法に入学した一年の時の糞同級生そもそも地頭の悪い親。俺はこいつらにどうやって、俺の人生を今からじゃ到底救いようのない悲惨ものにした責任を取らせれば良いんだ。

2022-01-20

人間性格って運ゲーなのかな?

犬の散歩をしながらずっと考え事をしていた。

私は一浪大学に入り一留来年卒業予定だ。親は教育や娯楽にちゃんお金をかけてくれていたし、大学生活に失敗したのは私の責任である

では、なんで受験に失敗したのか?怠惰性格のせいである。地頭は人並みにはあることが中学受験成功証明されていたし、ただただ怠惰だったのだ。

父親母親も堅実かつ努力家だった。仕事をサボっているのは見たことがないし、教育放棄された記憶もない。でも私は怠惰だった。親から色々なもの不自由なく与えてもらった。学校の準備や旅行の準備は全て自分でやった後でも親のチェックが入って途中から自分でやることがめんどくさくなり放棄した。それは怠惰の一因にしかなり得ず、周りの人間が与えた様々な影響で怠惰の土台が築かれたのだと思う。

そのような影響を受ける人間になるか否かも運であると考えてしまう。それを言い訳に今まで生きてきたが、自分で金を稼ぎたい、就職して真っ当に暮らしたいという気持ちがここになって噴き出してきた。性格運ゲーによって決まるものではあり、このような思考になるのもまた運である

私は与えられた性格に抗わなければならない。まるでRPGNPC意志を持ち出す系アニメのように、自らの性格を自ら打破しなければならない。世の中の人間は頑張っていて本当にすごいなと思う。彼らはNPCなどではなくすでに自分性格コントロールして主人公になっているのかもしれない。俺も主人公になりたいぜ。

2021-04-21

センター9割取ったけど駅弁大学の授業についていけなかった話

小学校の頃は勉強に関しては困ったことがない。

テストは大体100点だった。

ただ友達付き合いが壊滅的に下手で、中学に入ったこから学校に居場所がなくなり、年単位不登校になった。それはここでは省略する。

高校からは真面目に登校し、友達もできて、勉強も遅れを取り戻すことができた。

高3になり、大学受験に向けた模試では毎回旧帝薬学部が狙えるレベルだった。

緊張して臨んだセンター試験は9割。正直、自分スゲエと浮かれた。

旧帝薬学部が十分射程範囲に入るのだ。

でも待てよ、と立ち止まった。

もし落ちたらどうなる?

そう、自分自主勉が嫌いなのだ

学校や塾で授業を聞くのは苦ではないが、一人で勉強するとどうしてもすぐネットに手が伸びて1時間時間が溶けてしまう。

コツコツ一人で机に向かうことが本当に苦手だった。

からもし浪人すると絶対ネット漬けになり、ダメになってしまうという確信があった。

選んだのは合格確実な地元国立駅大学の非薬学部

親元から遠くなるのに不安を覚えたから、地元から出なかった。(これは正解だった。のちに引きこもりになり生活習慣も精神的にも不安定になったので毎週実家に帰って会話する相手がいてかなり救われた)

当然合格し、駅弁大学入学。どうやら50人以上の学科入試の成績が一位だったようで、表彰もされた。

入学するとオリエンテーションサークル勧誘で異性からたくさん話しかけられた。

新入生の女ならちやほやされて当たり前なのだが、こんな私でもリア充になれるかも?と少しだけ夢を見させてもらった。

しかしその少し後に、私は衝撃を受けた。

教授講義で話してる内容がまったく理解できなかったのだ。

どこがわからないのか考えても、一から十まで全部としか言いようがない。

からないところがわからない、お手上げ状態である

何せいきなり理解不能な単語概念が当然のもののように出てきて、それを前提にどんどん講義が進んでいく。

その専攻は高校では好きな科目だったはずなのに、しょっぱなから高校までで習ったことは嘘です。本当はこうなっています意味不明説明)」と打ち砕かれる。

極めつけは実験科目で、実験器具を目の前にして何をどうしたらいいのか教科書を見てもまったくわからず固まってしまい、「あ、これ無理だ」と確信してしまった。

授業にもついていけないし、人間関係も、最初同級生と仲良くできたものの一歩踏み込んだコミュニケーションが取れずに徐々に距離ができていった。

次第に私は大学に行かなくなった。一人暮らしアパートに引きこもってネットゲームに明け暮れ、昼夜逆転生活を送るようになった。

土日や長期休みには実家に帰ったりアルバイトをしたりして、そこでだけ人と会話できた。

当然、単位が足りず留年確実になった。

このままではいけない。なんとかしなければと学生支援センターのあたりをブラブラ歩いていると、入学後でも専攻が変えられることを知った。

これだ、これしかない。

私は文系学部試験を受けた。普通入試と似たようなもので、英語小論文があったと思う。

無事に合格し、心機一転、同じ大学で二度目のキャンパスライフスタートした。

この学部でも専門科目はわけがからなかったが、前の専攻とは違ってまだ理解の糸口がつかみやすかった。

また文系マンモス学部なので講義で人と関わることはほぼなく、かつ編入生という明確な立場の違いがぼっち安心材料になって、余計なストレスを抱えずに勉強できた。

あとはここで躓いたら二留か最悪中退するしかなくなるので、授業も試験も頑張るしかなかった。

幸いなことにその学部卒業要件がゆるく、ゼミはあるもの卒論すら不要だった。また、私が選んだゼミはゆるさで有名なゼミで、ぼんやりとしたテーマでなんとなく発表する程度で許されたのも運が良かった。

かくして引きこもりぼっち大学生は、一留したものの専攻移動という手を使ってなんとか卒業までこぎつけたのだった。

ちなみに授業と並行して資格試験学内講座も受けたが、そちらは教えるプロ試験突破目的とした講義をしてくれるので非常にわかやすく、自分が得意だった大学受験までの「お勉強」と似ていた。

そのため資格試験の方は余裕で合格し、無事に就職できた。

大学卒業して長いこと経つが、いわゆる優等生の方だった自分大学でなぜあそこまで躓いたのだろうとたまに考えることがある。

1.大学講義をするのは研究プロであり高校までの教えるプロとは異なるということ。

2.高校までの参考書パラダイスと異なり、底辺大学生に一から理解してもらうための参考書が乏しいこと。(当時の私も一生懸命探したが自分の専攻では見つけられなかった)

3.高校までは「AはBのためCになる」のようなシンプル絶対事実をいくつも積み重ねて理解を深めていくが、

 大学ではAからZやそれ以上のあらゆるパターンが先に出てくるばかりで絶対事実に辿り着かず、「結局確実に言えることは何なの?どこから覚えたらいいの?」と地に足がつかないままどんどん先に進んでいくこと。

 (よく考えたらお勉強ではなく学問研究世界なので当たり前である

など色々あるが、結局、答えの用意されたお勉強が得意だっただけで、答えのない学問を追究すること、つまり大学進学自体そもそも向いてなかったのだろう。

高校までのお勉強大学で学ぶことは全く異なるということは全高校生に知ってもらいたいと思っている。

ここまで読まれた方は、私は発達障害だと思うかしれない。診断は受けてないが傾向があることは自覚している。

しかし「高校までの勉強が余裕だったのに、大学の授業が全く理解できなかった」という話は発達障害界隈でもあまり聞かない。私だけなんだろうか。

2021-01-05

20代後半でVtuberをはじめた友人と仲たがいした

元・友人は今でもVtuberをやっている。私は性根が腐ってるので供養としてここに書き散らす。

登場人物は全員、女。文章はクソ長い。

追記】思ったより読まれていて自分の悪文が恥ずかしくなったので、半分の長さに整えた。1万文字バージョン読んでくれた人ありがとう、書き殴ったの読ませてごめんなさい。

【友人と仲たがいという敗戦ダイジェスト

スポーツをやってた。サッカーってことにしておく。(例えに良いので)

大学時代友達でつるんで、チームを作ってた。

チームの中には大学1回生の時から付き合いがあるCがいた。

そいつVtuberになって活動をはじめて、練習をすっぽかすようになり「サッカー大会にはもう出なくていいのか?」と聞いたら「がんばる」と言っていたが音信不通に。

サッカーがんばろーぜ!」って盛り上がってたのは私だけだったようだ。つまり片想いでフラれて今これを書いている。

長文読みたくない人向けに、↑ただこんだけの話だとお伝えしておくな。

あとはこれを書いてる私の性格の悪さだけが感じられる、くわしーい仲たがいの流れ。

【年齢とか意識して就職を目指す】

チームのメンツは全員20代後半。その中で、

私は新卒カードブラック企業に切る→給料未払い起こされて退職生活保護手前のフリーター

Cも一浪一留大学中退してのフリーター

履歴書のみで見れば(成人してからまだ若いのに学校会社リタイア経験があるという点で)お世辞にも優良とは世間から思われないであろう2人。私はCに仲間意識を持っていたし、時々将来のこととか生活の行く末を、チームの中でもCだけと語り合うことがあった。

私とCのなりたい職業は同じで、昨年私がなんとかその職業につけた。サッカーコーチの職だ。

それをきっかけに年齢やら職業意識したCは、私に「まだ募集があるようなら、私もその職場で働きたい」と、場合によっては紹介を希望する発言があった。私もCが同じ職場で働けたら楽しいだろうなと思ってた。

就職も見据えて大会に出るのを決める】

履歴書の内容がよろしくないので、せめて面接で話せる経験を増やそうとCと話し、田舎大会より少し大きい大会に出ることにした。サッカーコーチ目指してます! とか言って、アマチュアサッカー大会すらほとんど経験したことないってどうかと思ったので。

【Cに声かけを頼まれる】

Cは大学でも寝坊レポートギリギリ提出をするタイプで、普段大会1か月前からしか本腰の練習をはじめなかった。しかし今回は大会半年からしっかり体づくりや練習をしたい、サボりそうであれば声をかけてくれと本人も意気込んでいた。

Cは他のメンバーへの教え方がうまかったり、良いテクニックを持っていたのでチームでも慕われていた。チームの皆は「体力づくりやってますか、先生?」「先生は今がんばってる最中ですもんね~」とか言って声をかけてた。

チームとしては週末にグラウンドに集まって練習してた。

大会2か月前にVtuberになったC】

大会2か月前、CがVtuberをはじめた。

正直にいえばその時点でメンバーの皆が「ん????」と思った。

Cには幼なじみがいて、バーベキュー好きな人らしくCを含めて「バーベキューの会」を開いていた。手先が器用なその人は、最近Vtuberにはまったのをきっかけに、自分でもVtuberモデルを作ったのだった。そして「バーベキューの会」のメンバーにもモデル提供し、Cもモデルを貰っていた。

Cは「基礎体力作りとか、モチベがあがらないからさ。筋トレ動画とか、ドリブルとかシュート練習動画を上げることでモチベを維持しようと思う」とチームにV名などをLINEしてきた。

Vtuber活動にのめりこむC】

CはVtuber活動にのめりこんだ。

CのVじゃない個人Twitterつぶやきが私のタイムラインに流れてきて、生活の合間の時間は全部、機材の調達撮影動画資料作りに費やしているのが垣間見れた。週に3~4本は動画投稿していた。

キャラプロフィールには「大会に出るのですが、体力がヤバめ……。一緒に体力づくり&もっとボール友達になりましょう!」と書かれおり、キャラとしての定番挨拶も「みなさーん、ボール友達してますか~?」だったが……。

肝心の動画では「30分、筋トレします!」→自分筋トレグッズ語りを25分、残りの5分で「雑談多めになりましたね。ちょっと集中!」と、ゆーっくりとした有酸素な腹筋を数回して終わり。

ドリブルシュート練習動画では、自分が憧れてるプロ選手フォームの美しさを語る以外は、ほとんどボールは蹴らずに鏡を見ながら「体の重心が……」「いやもうちょっと足を……」と時々つぶやくのみ。30分間ほぼ無音・無言。ボール友達、おまえが一番できてないぞ……という感。

ちなみに動画説明欄には「ボールを蹴る音、ASMRにもどうぞ」と書かれていたため、ASMR好きの私はASMR(をがんばって撮ってるYoutuber)をなめるなと静かに怒っていた。その怒りは一番どうでもいいのだが、その内、「#30日間おすすめプロテインについて語るチャレンジ」「ホラーゲーム実況します!」という、定番Youtuberな流れになっていった。

【Cとチームの温度差が出る】

しかモデル作者の幼なじみさんやそのフォロワーがCを褒め、グッドボタンを押していくので、Cは大満足の様子。

チームの私たちは黙って静かに見守っていた。逆に誰も何も言わなかったからか、Cはなぜかチームの私たちは、誰も動画を見てないと思ってたようだ。

チームのメンバーは呆れはしたが、「でも今回はCもちゃん大会に出たいはず、本当にがんばらないといけない状況になったら、Cもさすがにがんばるでしょ」「やればできる子なはずだし……」と、まだ『仲たがい』まではいかなかった。

甘かった。

【仲たがいの決定打1】

決定打になったのは、全部で3点あってその1。

Cに「私たち動画を見ている、このままでは良くないと思う」と伝えた。

「もともと就職の話もあってCをメインに予定を組んでたから、このままだと大会への出場キャンセルも考えることになる。大会4日前のキャンセル期限までに決断したい」「できないことはできないと言ってほしい。それで友達やめるとかはない」と釘をさした。

Cは「こういうことをはっきり言ってくれる友達を持てて良かった。今、LINEを読んで泣いてます動画投稿頻度は落とします。できないならできないって言うし、正直に素直になります。私も自分人生をかけるつもりです」と返してきた。

このやり取りの翌日。

大会が近づいてきたので、実況プレイはお休みして、練習動画だけにします~」とは言っていたが、いつも通り筋トレという名の雑談動画を上げたCがいた。

更に数日後に投稿された動画では、よりによって家の階段から落ちて足をくじいたと告白。家の階段から落ちたのも、実況プレイをしていたゲームをやりこんでいて、徹夜して、寝不足が原因で足を滑らせたそうだった。

「全治2週間ぐらいなんでまあ……大丈夫です!」と語るC。

しかこちらにはまったく連絡なし。

「いやいや? それなりの怪我で、大会出場に関わりそうなのに、なんでこっちに一言も報告してくれないんだ?」となる私たち

これでCを心配するよりも、その誠実性の無さ(&先日LINEで泣いたとまで言ったのはなんだったのか)に抑えようのない怒りを持ってしまった。

【仲たがいの決定打2】

更に数日後。Cは夜更かしをしていることをTwitterで語っていた。

足をくじいたからどうせ練習できないしと言って、生活リズムおかしくなるレベルで、ずっとぶっ続けで野球ドラマを見ていた。

そしてくじいた足が治った頃(※大会6日前)に動画を上げ、「野球ドラマなんですけど、体力づくりの練習法が出てきてて、ありだなと思ったんですよね。今からこれやって、体づくりはじめます!」と動画で言った。

まず大会2週間前~1週間前の貴重な時間を、ドラマの視聴でつぶしたという事実

またその練習法をやってるメンバーは実はチーム内に既にいた。そいつは1年前からコツコツやってて、やっと実践に活かせるようになってきた感じだった。そういうメンバーがチームにいるのを、Vtuberとして生活しすぎて、忘れたらしかった。

なんというか……本当にチームの人間動画を見ているのも忘れているらしかった。そういう言い方をするのは、そのメンバー努力を軽んじてるようにも聞こえた。Cはメンバーに対して、悪く受け取るなら『自分が参考にするところはない』と軽い見下しを持ってるのかと思った。

しかった。Cとチームをやっていることが空しかった。また心が離れた。

【仲たがいの決定打3】

大会3日前。Cが音信不通になった。

大会の5日前にチームのLINEで「動画とか全部見てるよ。とてもメイン選手で出れる状態じゃなさそうに見えたけど、Cはどう思ってる?」と訊いた。

でもそのLINEは、いつもより既読が1足りなかった。Cの既読が付かなかった。

日付が変わる深夜0時までまった。絶対キャンセルできない日にもなった。チームのメンバーが知ってる連絡先に連絡したが、応答はなかった。

これで、チームの全員が怒った。Cとは7年ほど付き合いがあって、人生のそれなりの相談もし合う仲だった。Cが自分の向き合いたくないことと私たちを天秤にかけて、私たちを無くす方を選んだ事実がそこに転がってた。

2020-12-27

大学生自分を振り返る

22歳大学生男、二浪一留理系

悪いところ・苦手なことは人に弱さを見せること、弱さをいつか見せなきゃいけないと思うと人と関わるのを躊躇してしまメンタル自分の望みに素直になること、失敗や悩みを切り替えること、怠惰であること、先延ばし癖があること、表面だけの返事をしたり人の話を聞いてないときがあること、心の中でキレるとわりと態度に出てしまうこと。

(なので恋愛は確実に下手です)

得意なことは他人には気を配って想像できること、明らかに何か困ってる人には躊躇なく声かけられること、必要があれば自分から手を挙げて行動できること、ここぞのとき勝負できること、我慢強いこと。

コンプレックスは人より遅れて生きてしまっていることで見下されたりマウント取られる対象になりがちなこと。おそらく精神的に未熟であること。

目標は強く生きること。死なないこと。プロ野球スピリッツAで覇王リーグにいくこと。自分が大切にしたい人を大切にできる人間になること。心の平穏を保つこと。

大学入りたての頃は、上記の苦手なことやコンプレックスと向き合うためには自分を殻の中に閉じ込めるのではなくもっともっとさらけ出す必要があると思い、色々やってみた(漫才、おーいお茶俳句大賞への寄稿、未経験スポーツを始めるなど)

でそれ自体は間違ってなかったと思うけど、あるときぜんぶ疲れて燃え尽きてしまい何のやる気も出ない時期もあった。毎日今日は死のうと思ってたくらい孤独に悩んでた。今思うとしょうもない。まぁ目標が「さらけ出すこと」では実際ただキツくなったのは当然だと思う。今はそのスポーツだけ楽しく続けている。

留年自分無能証拠となるため自分が心の平静を保つ上でも人と関わる上でも損をすることが多い。浪人ですらそうではあるが。(ただ浪人はとても頑張ってやって偏差値でだいたい30近く上がった結果があるのでほんの少しの自信の根拠にもなっている)

人は悩んでるときは許しが欲しいだけのことがある。なので今後も自分は苦労すると思うけれど今は少し機嫌がいいということで少し自分を許してあげた。親にも迷惑かけたしダサいことばかりやってるし時間は戻ってこないし自分で損する道選んでるしまだまだ青二才フラフラしてる大バカ野郎なのだが、いいとこはあるし許してあげる。よしよしなのです。にぱー。

2020-11-25

anond:20201125214201

一浪して一留して卒業した人間から呪い

おめでとうは言わない

就職はするだろうか

この時期だと就職は決まっただろうか

就職決まってたならああ氏ねくそ氏ね畜生

なんだっけ

ああ、就職やら入社やらに際し自分を見つめろとか言う罰ゲームがあることがあるが、あまり自分客観視しないほうがよい

他の人と比べて2年余分にかかっているという負い目を感じることがこの先数年はあると思うが(30歳過ぎたら平気になるぞ)、それは歩みが遅かっただけで、必ずしも劣っていることを意味しない

2020-09-03

批判的思考と高い自己肯定感

一浪一留就活生で未だ内定がないし卒論全然書いてないんだが、まったく焦りもないし日々楽しく過ごしてる。

これは批判的思考と高い自己肯定感に根ざしてると思うんだよ。

「働いている人は偉い」という風潮をそもそも疑ってかかってるし、自己肯定感が高いから「俺を落とす会社の方がバカ、間違っている」と素直に思える。

仕事をしてでも生きていかないといけないって前提も俺には通用しない。マジで仕事をしないといけなくなった時点で死ねばいいやんと素直に思う。

親のスネをかじることに抵抗がない。俺は何も生み出さなくたって生きていていいんだという無条件の自己肯定根本にあるからな。

批判的思考自己肯定感オススメです。

2020-05-24

寝てる間に死にてえ

ワイは23、一郎一留しとるからまだ大学生や!

もう終わりや!

働きたくないねんな

ヘタに彼女作ってしもうたか自殺もできんし八方塞がりや 公務員試験受けるってことにしとるが勉強する気も全然でえへん

特技もない この前受けたTOEICがなぜか950点くらいあったのが唯一の自慢やが、正直ビギナーズラックや 英語わからん センスない 喋れへんし聞き取れへん 使いもんにならん

体力もない コミュ力もない 頭も悪い やる気もない 何もないね

ADHDの傾向があるんやが病院決めて予約するんがめんどくさくて先延ばしにし続けとる

この先延ばし癖が曲者で、年金の支払いを滞納し続けてアパート税務署の人が来たこともあんねんな 殺してクレメンス

毎晩このまま目が覚めなければええのにと思いながら寝とる それが一番ええねん

公営墓地管理人かになりたいわ 基本ボーッと座ってて、時々掃除したり応対したりする そういう仕事はあらへんやろか

ないなあ もうダメや ワイはこの世向いてないねん ホンマに堪忍や

コンビニ店員は色々やらなで大変そうやし、トイレ清掃は腰いわしそうや 介護やったらワイは植松くんみたいになることが目に見えとる せやかて生活保護も甘えや言われて貰えなさそう 

ホームレスになるくらいなら死にたいねんな 

死ぬことは怖くないねんけど、彼女邪魔やねん  ホンマに悪いことしたわ ワイみたいなクズと付き合うてしもて…

なんとか愛想つかしてもろて、振られて、連絡断てたら死ねるかな いまのところそれが最適解やけど、まあ振られたくないねんな

ワイは…終わりや 今晩にでも心臓発作で死にたいわ 彼女には悪いけどな

2019-07-27

一留一浪、そして大学院に進んで26歳になって社会に出ることになった。

大学院に行ったと言っても、目的があるわけでもなく、勉強するわけでもない。周りがそうしていて、親が金を出してくれるというからモラトリアムを延長しただけ

世の中では18から働いてる人もいるのに、自分はこうしてずるずると働くことから逃げ続けて、そういう立派な人と比べると8年も遅く社会に出ることになってしまった。思えば親に迷惑をかけ続けている。兄や妹はあまり親に頼らず立派に社会人として暮らしているのに。

実家高校予備校環境大学名、あと逃避癖から来た多少の虚言や誇張。そういったもの大学に行くことも、就職する事も出来てしまった。何も価値のない自分が。臆病で、利己的で、無責任で、何もできない自分が。

25歳に死のうと思ってたのに、しょうもなく生きてしまった。

今すぐ死ぬ準備して死ねば良いんだろうけど、それも怖くてできない。なんでも先延ばしする逃げ癖が自分で首吊るときにも出てる。

今は30になったら死のうと思ってるけど、ずるずる生きてしまうかもしれない。なんで生きてる価値がある人は死んでしまうのに、生きてる価値がない自分は生き続けているのだろう?

2018-09-26

留年が決まってからメンタルが持たない

前期で必修の再履修を落としたので留年が決まった。大学に入るために一年浪人していたので一浪一留絶望大学生が生まれる。

最近悩みが尽きない。

まずは,学費を出してくれている親に申し訳ない

国立大なので学費はそこまでかからないが,5年分の学費を出させてしまう。あと,50万はなんだかんだでかなりの大金である。また,私のいとこには大学生が二人いてそれぞれ医学科,国立難関大学に通っている。彼らはストレート卒業する見込みなので彼らより劣っている学歴さら一年留年してしますというダメ人間がこの家の長男なんだと思わせてしまうことが辛い。

また,これからの進路も絶望である

私は現在の専攻に興味が持てず,大学院で情報系への分野転向を考えていた。独学でプログラミング勉強を始めたがなかなか楽しかったので将来的にエンジニアになりたいと考えていたからなのと,情報系でかなり興味がある分野があったので大学院でそれらの勉強をしたいと考えていた。

しかし,留年してしまったのである。必修の再履修は絶対に落としたくなかったので,最前列で受講し,全出席,課題も全て提出した。テスト勉強もかなり時間をかけたのに,学部内容の簡単テストを落としてしまったのである現在の専攻に興味がないとはいえ自分の中では頑張ったつもりだった。テスト感触もよかった。なのに単位を落とした。

こんな私が大学院への進学などできるわけがないだろう。

留年するのは本当にしんどい。今日も眠れない

2018-06-19

逃げ?キャリアデザイン

私は一浪一留情報系の院を卒業社内SE4年目の30歳、キャリアチェンジ転職を考えるならば

すでに棺桶に片足を(両足?)を突っ込んでいる年齢である

いまの仕事親会社システム部門が行ってきていた運用業務、平たくいえばヘルプデスクデータ加工などの雑用をうちの会社に引き継いで、チームとして会社として業務知識をアップさせよう!てな仕事を行っている。

そしてその業務はそれなりに忙しい。私が商品マスターを扱っていることもあって、マスターでの変更はものを売る業務大体に関わってくるので、やれ関係部署に調整だとかやれ関係システムに調整だとか、関係者の納得を得るための業務に終始してしまうことが大半である

エンジニアは手を動かしてモノを作っている時間が一番価値を生み出している時間であるはずである。なのに止むことのない問い合わせ電話関係者の納得を生むためだけの調整など価値を生み出していない時間だけで日々の業務時間が埋まっていくことにいい加減耐えられなくなってきている。

そんな毎日なので私は実装設計がみっちりと経験できる環境へ移りたいと願っている。就職活動から一貫してきた「プログラミングを書けるスキルを身につけてからマネジメント力」を身につけるのにヘルプデスクのような上っ面の現行業務をしているといつまでも技術的成長がないからだ。

そんなこんなで転職を考えている。だが私はいまの運用現場において仕事ができない位置カテゴライズされる。溜まり続けるバックログ。直近は問題いからと放置しいる不整合データ。どれもこれも問題なのだがそれを解決するための時間がもてない。

いまの位置のまま転職してしまうとただただ逃げただけ、という状態になってしまう。いや、逃げた事自体は悪く無いと思うが、辛いことがあったときに逃げてしま人間になってしまうのは非常にまずい。

からいま自分が携わっている仕事を誰かに渡せる形にして誰かでもうまく運用をやっていけるようにしてからやめようと心に決めた次第であった。

2018-06-11

安易医療学校に入ってはいけない

看護師理学療法士診療放射線技師などの養成校に就職目当てで軽い気持ちで入るのはやめた方がいい。

特に発達障害の傾向が少しでもある人には絶対にやめろと言いたい。

具体的には先延ばし遅刻癖、コミュ障のうちどれか一つでも当てはまったら別の道を考えるべきだ。

私はこれで20代前半の貴重な時間と金を失った。

7年、8年通った挙げ句卒業できず去って行った人を何人も見てきた。目的意識の高いはずの社会人学生ですら挫折した人が複数人いた。

ストレート卒業する人は約半分だ。

華々しくホームページパンフレットに飾られる国試合格率就職率の裏にどれだけの留年者・中退者がいることか。

コメディカルに向く人は、与えられた課題をコツコツやるのが苦ではないが、秀才になれなかった人だろう。

医療保健学学問ではないと思う。学問とはきつさの中にも面白さがあるものだろう。

医療保健学職業訓練以外の何物でもない。もし入学するならば、それこそ学生になるのではなく軍隊に入隊するのだというくらいの覚悟必要だろう。

やりたいことが見つからない高校生浪人生社会学科(社会福祉学科ではない)に行けばいいと思う。もちろん興味があれば哲学科だろうが数学科だろうがそこに行くのが一番いいが(哲学科に関して言えば、生きる意味といった人生哲学的なことをやりたいのなら慎重になったほうがいい。あそこは半分ドイツ語学科フランス語学科である)。

社会学科は卒論的な意味で潰しが利くと思う。アニメゲームや性産業まで研究対象になるから、在学中に何か興味の持てる対象が見つかりそれを研究に生かせる可能性は他学科より高いはず。

いかいかはわからないが、元AV女優東大院に入って本を出したなんていうこともあった。

コツコツ型でない人間が何よりも避けなければならないのは、中退である

就職云々の前にまずは卒業しなければ話にならない。

コメディカルを勧める人は口を揃えて「資格を取れば食いっぱぐれない」と言うが、ある年齢以上から給料は伸び悩むし、コスパが良い選択とは言い難い(看護師夜勤をやれば結構稼げるだろうが)。

もし人体に興味があるなら、それこそ医学科に行かなければ間違いなく後悔する。

どんなに研鑽を積んでも、制度新米医師にすら敵わないというのは非常に精神的にきついと思う。

しつこいようだが、就職目当てでコメディカル養成校に入っても得をするのは学校経営者のみである。既に泥沼に足を踏み入れてしまった人は、一留が決まった時点でなるべく早く撤退すること。

2018-02-06

大学に行く意味があるのだろうか

もともと、入学した大学には興味が無かった。研究室はもちろん、受けてみたい講義ほとんど無いことは受験する前から分かっていた。

その大学を選んだ理由受験すれば確実に入れることだけだった。親から浪人だけは絶対禁止されていたので、受かる可能性は低い、本当に入りたかった大学にはチャレンジしようとは思わなかった。どう頑張っても、センター試験の結果が足を引っ張ってしまい、二次試験ではかなりの高得点を取る必要があった。そんな実力はその当時の自分には無かった。だから諦めた。

幸い、その大学には編入試験があり、大学生も受け入れてくれる心優しいところだった。高校生自分はとりあえず別の大学入学して編入試験で本命大学入学できるよう頑張ろうと考えた。

高専出身の人なら分かるだろうが、たいていの大学は三年次から編入することになる。これは編入する前に取得した単位は編入先の単位として認定されるからだ。もちろん、編入先でも開講している講義けが認定される。一般教養や基礎科目なら十分単位認定されると考えていた。しかし、専門科目になるとそうは言ってられない。何しろ専門が違うのでせっかく取得した単位ほとんど認められない。つまり、編入しても入学した瞬間に留年が決まるということだ。

入試験を受ける前提で今の大学入学するという旨を両親に話すとあっさりとOKを貰った。もちろん、もし入学できても合計四年では卒業できないことは伝えている。その当時は、なぜ浪人ダメで編入は良いのか不思議だと思っていた。両親は予備校にカネを払うのが嫌だっただけなのかもしれない、というのが今の自分の仮説だ。理由は後で書く。

迎えた編入試験の合格発表。結果は不合格

原因は分かっていた。アルバイトだ。

今の大学合格した後、真っ先にアルバイトをした。編入試験や今の大学で使うのに必要お金を稼ぐためが最初目的だった。しかし、いざアルバイトをしてみると、高校生ときとは比べ物にならない大金銀行口座に振り込まれていた。高校生ときに欲しかったものを買い、あっという間に減っていく預貯金。そのために働く。その負のサイクルの繰り返しだった。その間の編入試験の勉強なおざりだった。結局、編入試験直前になってもアルバイトを辞めず(量は減らしたが)編入試験に臨むこととなった。少し言い訳をするなら、編入試験で出る範囲の半分は二年次の講義内容だったというぐらいか。もちろん、そんなことは入学するときに頭のなかでは分かっていたが。

どうしても、やりきれなく思い、両親に来年も挑戦させてくれと懇願した。両親はあっさりとOKを出した。もし合格しても、やっていることは一浪一留と同じことだ。この辺から両親の予備校いかもしれないという仮説を立てた。

大学からの編入には六十単位程度取得する必要がある。そんなもの二年次の前期にはすでに取り終わっている。もう一つはその大学に二年以上在籍したという証明が編入試験を受ける条件だ。

今の大学には在籍しているだけで良い。それだけでもう一度編入試験を受けられる。そう思ってしまった途端、今の大学に対するモチベーションが無くなってしまった。少しは受講している内容に興味を向けようと思っていても全くできなくなってしまった。もともと興味も無い状態入学したのだから当たり前なのかもしれない。きっと後期の単位ほとんどを落としているだろう。テストを受けているとき、頭の中ではこの解法を使えばいい、と分かっていてもどうしてだか自分シャープペンシルは動かないのだ。それでも、最初の方は無理やり手を動かして答案を書いていたが、後半になるにつれて全く手が動かなくなってしまった。わかっているのに書けないという気持ちは初めてだった。そのままテスト終了時刻までフリーズしてしまう。専門科目をほとんど落とすことになるので、この大学でも留年は確定しそうだ。

在学証明書やその他諸々の書類が編入試験には必要なので、このまま三年次に上がることになる。

もし、また編入試験に不合格だったらと思うことがある。これ以上編入試験は受けられないだろうと思っている。そうなった時、はたして今の大学に行く意味があるのだろうか。

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