はてなキーワード: バッターとは
好きなSF短編で打線組んだ(http://anond.hatelabo.jp/20140604175240)
が楽しそうだったので、便乗。短編に限らずに打線組んでみました。
フランチャイズ小国家、凄腕ハッカー、スケートボードに乗った運び屋、仮想空間上のAI人格等々、わかりやすいサイバーパンク的ガジェットを詰め込みつつも説明臭くはなく、スピード感ある展開で一気に読めるエンターテイメントSF。よくできたハリウッド映画みたいで素直に楽しい。粘り強いバッティングと走力に裏打ちされた出塁率の高さから、不動の先頭打者。
バチガルピは、個人的には長編だとちょっとダレる感があって、そういう意味ではこの短編集の方が好み。ねじまき少女の世界観濃縮版「カロリーマン」、文明がゆるやかに崩壊する恐怖「第六ポンプ」が好み。現代を代表する作家の一人に数えられますが、独特のディストピア・バイオパンクを突き詰める職人気質。2番ショートで起用。
現代と地続きの近未来からスタートして、加速度的に変容する社会と人類が技術的特異点を迎えるまでを描く大作。ストロスはコンピュータ関連のジャーナリストってこともあって、ギーク文化との親和性も高そうなディテールが満載で楽しい。抜群の守備範囲の広さ、打てば長打を量産する勝負強さで3番に定着。
イーガンは短編が無難と言われてますが、この「順列都市」は素直に面白いと思う。荒唐無稽なアイデアを、超力技で煙に巻かれてなんとなく納得されられてしまう快感。本書冒頭の、コンピュータ上でシミュレートされた人格のコピーが、目覚めて状況を把握してから辿る思考過程を描いたシークエンスが最高で、10回は読み返してる。イーガンほど投手にプレッシャーを与える打者はそういないでしょう。ネクストバッターズサークルにいるだけでも圧倒的存在感。
現代SF・ファンタジーの最右翼(本人は左翼だけど)。スキンヘッドにピアスのイカツイ兄ちゃんです。一見ありふれたハードボイルド警察小説?と見せかけて「重ね合わされる都市」というとんでもない舞台装置、どうやったらこんなもの思いつくのか。さらにそれを言語化できる力量もすごい。
ここまででお分かりの通り、増田は現代SF好きです。が、この「地球の長い午後」は入れざるを得ない。遠未来、自転が停止した地球。動物と植物の力関係が逆転した異常な世界で、食物連鎖の下層で右往左往する人類の、圧倒的無力感。ベテランならではの味わい深さと駆け引きの巧さ。
6番・オールディスの直接的な影響下にある、椎名誠のSF三部作。の中でも、この「武装島田倉庫」が一押し。奇妙な生き物が跋扈する文明崩壊後の世界を、さまよい、戦い、逃げ惑う人間たちの群像劇です。これも何度も読み返してるな。漬汁がなんか旨そう。
海外文学方面では、現代SFにおけるイーガン的大正義ポジションを占めておられますマッカーシー御大の手による、核戦争後と思しきポストアポカリプス世界をさまよう親子を描いたロードノベルです。沈黙の音が聞こえそうなくらいの静寂と、真綿で心臓を締め付けられるような絶望と哀しみ。大変地味ですが間違いなく大傑作。
ギブスンといえば「ニューロマンサー」でありそれに続くスプロールシリーズなんでしょうが、増田はどうにもこの「ヴァーチャル・ライト」が好きでして。何と言っても作中に出てくるベイブリッジ。閉鎖された橋をホームレスが選挙して好き勝手に増設を繰り返し、無計画・無軌道に成長してしまった構造物…すてきすぎる。
増田の中では「柔らかいイーガン」という位置づけにあるんですけどどうでしょうか。「実存」をメインテーマに据えながら、幻想的・宗教的な色彩の強い作品群。ワンアイデアをじっくり煮詰めて、これ以上ないくらい適切に料理した佳作集。死ぬほど寡作なのが玉に瑕。最近何してんの。
増田的には究極のSFはステープルドンになるんじゃなかろうかと思っています。20世紀から20億年後までを俯瞰する人類史。これほどのタイムスパンで書かれた作品は他にないんじゃなかろうか。しかもこれ1930年の作品ですよ。半端ない。
単なるお笑い好きの素人さんなので、単純に面白かった、面白くなかった、
異論は認める。そんなもん人それぞれだ。評価辛めで。
俺いつも思うんだけど、こういう類のショーレースってちょっとだけ、何か?
を感じずにはいられないんだよね。いつも。優勝にふさわしいか?どうかなんて
とやかく言わないけど、視聴者が面白かった!っていうのと審査員の評価ってやっぱり別なのよね。と思った。
正直なぜ?決勝に残ったのか?というのが良くわからないんだけど、
ワイルドカードの流れ星の方が面白かったし・・・別に二人とも嫌いでは
ないけれどそれぞれピンでやっていて、コンビになったらこんなにも生きない
というのもなかなかだな。と見てて思った。
HGが先に売れて好感度的には高そうだけど、正直ツッコミ下手だと思う。
他の先輩芸人の方がよっぽどRG上手く使う。後脱ぎネタってのも引っかかった。
普段脱いでる人が脱いでも面白くない。
もっと笑ったと思う。
きっともっとやりようがあったと思うんだよな。
そのあたりの練度が足りなかったと思う。
良かった。正直予選突破はここかと思っていた。
去年のダジャレネタをちゃんとねって進化していたし、欲を言えば、
ツッコミの暴走をどう止めるか?というところが一番の大きな「オチ」だと
思うのだけどそこが弱かったと思う。
いやハマる時もあるんだけど今年は全然ハマらなかった。
審査員としてはやっぱりこういう「新しい系」とか個性がある感じの漫才
って受けるのかな。。。と思った。
でもそんなに会場も湧いてなかったように自分は感じたし、
そう考えるねぇ、なんかやっぱり千鳥に対する評価が高すぎる気がして
ならない。
中くらいの笑いがずっと続いてそのまま。そんな感じ。
そこは面白かった。
緊張とかそんなのもあるんだろうな。リズムの悪さを感じた。
4分だから難しいんだけど、もう少しだけ最初もっと「ゆっくり」を
緊張とかもあるんだろうなぁ。。
好きです。俺はオーソドックスが好きなんだなと、再確認。好みです。
特に「マイク」生なので仕方がないけどちょっと「聞きにくかった」
後緊張もあると思うんだけど滑舌がいつもより悪くなっていたように思う。
という基本さえ押さえれば、、、もっと面白かったんだけどなぁ。。。
ノンスタはそういうの上手いと思う。常にマイクを意識している。
遠くでしゃべる時は意図的にしているのも感じる。
銀シャリは好きなのでまた頑張ってほしい。
正直バイトリーダーのイメージしかなかったから、ネタ自体が新鮮だったのと
客の盛り上げ方知ってたよね。くらいかな?拍手とかさ、別に面白くて叩いた
わけじゃないと思うよ。盛り上がりで拍手ってあるでしょ?それも入ってたと思う。
良いとは思うんだけど、どっちかというと1人漫談に近い。もちろん内容は相方が
いないと成立しない内容だけど、もう少し掛け合いを生かしてもよかったのではなかろうか?
とも思います。予選的にはこのグループなら突破ですが、AとかCなら危うい感じ
だったと思うよ。1本目としては。下手したら銀シャリに負けてる。
正直全然ハマりませんでした。面白い時ものすごい面白いんですけどね。
それだけ。
漫才という中での「技術」とか「リズム」で言ったら、ここが一番じゃないか?
ただ、世間や先輩がそろそろ井上のフォローに回り始めているので嫌われてるネタは
そろそろやめて、違うことして欲しいね。
でも基本面白いし、見ていてテンポがいいからやっぱり引き込まれる。
M-1とってるし、やっぱりすごいよね。と思った。
俺、これ好きなんですよ。なんかわかんないけど。
天竺鼠とは反対で、ハマった。
今度はもっとボケがすごいはっちゃけて、二郎さんが冷静に突っ込むいつもの
パターンが見たい。本人たち飽きてるかもだけど、意外と認知されてない
と思うんだよね。このパターン。まだいけると思うから是非やってほしい。
俺が好きなだけかもだけど。
ノンスタがいたのが不運だけど、組合せによっては予選突破もありえたかと。
でもなんだろうね、すごい「練習」が見えるんだよね。
特にツッコミの人。ツッコミ上手かったらなぁ・・・って思った。
ハマカーンもそうなんだけどね、神田が正直ツッコミ上手くない。
で、いつもの下衆の極みで受けないから、女子っぽさから、神田がツッコミを「捨てて」
浜ちゃんが結局全部ある程度を請負ながらの漫才が完成して、これがハマったように、
新しいスタイル考えたらもっといいかもね。それかツッコミもっと上手くなれ。
自分はツッコミが好きなタイプです。だからそっちサイドをよく見てしまうのだけど、
生かすも殺すも、ネタが跳ねるかしぼむか?笑いの種をまくのはボケだし、その後やっぱり
ごっそり笑いを収穫するのがツッコミだと思ってるので、種をたくさん撒ける人はそれだけ
笑いの総量を多く作れる、でも結局その後バーンと刈り取れるか?ってツッコミ次第だと思う。
銀シャリはウナギさんがあんまり種をまけないけど、刈取りがものすごいうまいから、面白い。
ノンスタは種をまくのがものすごくうまいから総量が多いし、刈取るタイミングが良いから、
テンポが良い。そんな感じに思っている。
え?優勝者の話?んー・・・なんだろうね。決勝ネタはまぁ、面白かったかな。
でも、正直これで優勝?という感じ。
相方を嵌めていくパターンのネタだというのはわかるんだけど・・・
もう少し相方のセリフがあっても良いのかなと、言い争いとかその辺。
決勝ではちょっとあったよね。それが変化になって1本目との差ができてよかったのかな。
他二組はそこで差があまり大きくなかった。ネタ自体は面白いんだけどね。
こういうショーレースだと、やっぱりそういう差が効いてきたりするのかなぁと思った今年のTHE MANZAIです。
以上、すべての芸人さんに愛をこめて。
いつも笑いをありがとう。
電王戦以前にも、将棋に興味はあった。 子供の頃は親となんどか指したし、高校の頃も何十戦か友達と将棋を指した。
だが、定石を覚えるのが面倒だし、強い人相手だと同じ戦法で延々ボコされたりとつまらなかった。
漫画では、ハチワンダイバーは面白いなあと見ていたし、ハチワンダイバーを理解するために、『最強将棋 激指スペシャル2』という、基本的な定跡をだいたい網羅していて、将棋ソフトまでついてくる本を買って、一応戦法の種類はだいたい把握した。
その程度の知識だった。
電王戦が始まる1年前に、『人間に勝つコンピュータ将棋の作り方』というのを読んでいた。 どうやら、10年後にはコンピューターにプロ棋士は勝てなくなるぞ。的な内容だった。 正直、うさんくさかったw 内容も、どうやったらアルゴリズムがよくなるか?について書いてあったが、『そんなんで勝てるの?』というのが正直な感想だった。
確かに、将棋24で勝ちまくるのは可能だろうけど、プロって本当かよという印象。
だが、電王戦で、「はじめてプロ棋士が負けた!」 → 「おいおい、速効次もかよ!」 → 「え???塚田プロって昔すげえ強かったんじゃ、、、ひきわけ?」 → 「はぁ????A級がボコられた??? A級って一番強いんじゃなかった????」
と、ものすごくびっくりした。
正直、その時は、A級の三浦ってだれ? 塚田ってどのくらいの人なの? 橋本より強いのって出てるの? 船江って人はどのくらい強いの? とまったく理解していなかった。
理解していなかったが、ツイッターや2chでおもしろ半分で煽りまくっていたw
『プロは雑魚w』 『あと数年でスマホにもかてねえゴミどもw』 『プロ削減しろ、終わったんだよ』 『どーでもいいから、三浦とかわけわかんねーやつより羽生とか渡辺だせよ、はあ?森内???だれだよそれ、しらねーよ、そんな聞いたことも無いゴミ』
みたいな。
いやもちろん、ネタなんだけど。
そういうレスであふれかえっていたので、なんとなく便乗した。 とにかく、「真剣にやってて、ガチ天才と言われてる奴らが惨めに負けていくのが凄く楽しい」というルサンチマンだった。 「所詮人間の天才なんて、こういうアルゴリズムの数量押しの凄く低い段階なんだよw」という感じで溜飲を下げていたのだと思う。
その後、A級、B1,B2棋士をだいたい覚え。 それぞれの将棋の戦法もある程度覚え、狙いも覚えた。 将棋の歴史や、戦法の趨勢も、まあまあ把握した。
で、ハム将棋にはほぼどんな戦法でも完勝するくらいにはなった。
将棋講座なり買って読むし、NHK杯も見るようになった。 棋譜を漁って見ることも覚えた。
なんというか、普通に面白い。 人間がコンピューターに負けたとか関係無く、すげえ面白い。
てか、コンピューターに人間が勝てないってのは、当たり前というか。
まあ、人間はプロ同士でも、「詰みを逃した」とか、「終盤よく分からない」とか普通にあるけど、ソフトは演算で全部読むから、そりゃミスらない。 下手したら、30手くらい読むわけで、将棋がせいぜい100手~200手で終了するゲームだということを考えると、そりゃ終盤は勝てない。
じゃあ、中盤はどうだろう?
中盤ってのは、プロの腕の見せ所だけど。 プロ同士でも、「ミスの少ない手」を選び続けるということが多い。 そう、ミスをしない手を選び続けるわけだ。 コンピューターの場合「ミスをしない」のは当たり前だし、「ミスを全部潰した上で、画期的な手も読むことができる」というアドバンテージがある。
そうなんですね、プロ同士では、お互い人間だから、「ミスをしない手を選び続ける」ことがそのまま優位性につながるけど。 vsコンピューターだと、相手はミスをしないのに、こちらはミスをしないことに気を遣うだけでなく、相手に良い手を指させない事まで考えないといけない。 vs人間にくらべて、読む量や精度が格段に求められてしまうんですね。 人間相手だとあり得ない精度をやってくるわけで。 中盤は、コンピュータが強いというよりは、「人間にとって不利すぎる相手」になってしまう。
じゃあ、序盤は? そう、序盤こそ勝ちうると思います。 コンピューターは、所詮序盤は人間の人まね段階です。 ここで、「新構想」とかで勝ちうるってのはあると思います。 ですが、「新構想」ということは、「研究が整備されていない」ということです。 研究が整備されていないものをミスなくさせるでしょうか? あやしいですね。 ですから、新構想でコンピューターに勝つというのは、厳しい。 さらに、新構想なんてあるなら、vs人間でのタイトル戦に温存するわけですよねw
さらに、時間。 人間同士で4時間持ちなら、 お互い4時間めいいっぱい使って、8時間だけど。 コンピューターは4時間も使わないわけで。 結局人間にとって不利。
結局、コンピューターと人間がやるにするには、あまりにもコンピューターが有利すぎる。
ってことで、ハード貸し出しとか、当たり前だと思いますよさすがにw 人間は見えないところでハンディあるわけですから。
①序盤の構想 → かなり新構想とかが出るわけです、何がでるかな? 相手の研究を外すためにどんな戦法を出してくるのか? 鍛えてきたのか? なんというか、カードゲームで、『どんなデッキ構成で挑むか?』というメタゲーム的なおもしろさがあります。
②中盤の勝負 → 中盤では、ミスをしないこと+終盤への構想や形作り がなされます。 パワプロで言えば、選手選びに近い感覚でしょうか? 投手の控えやバッターの並びなどで試合結果が変わるので、ここでの考えが大事です。 守備と攻め、両方を考えてメンバーを組むみたいな。 また、ここでも新手ってのが頻繁に登場するので、そういうワクワクがあります。
③終盤の勝負 → 実は、ここが面白い。 終盤って、格闘技に似てるんですよ。 『相手を責め続ける』&『自分も致命傷を受けないようにかわす』これがギリギリまで続きます。 約30手ほど、ギリギリの攻防が続きます。 攻めがキレたらホボ負けますから、攻めを切らしてはいけないので、駒を得ながら切りながら攻めまくります。 また、相手が攻めてきたら相手の攻めを切らすまで受けます。 ボクシング的なおもしろさです。
④漫画のようなおもしろさ。 いやーホント、序盤中盤終盤、全部面白いのが将棋。 マジで漫画か小説で、ものすごい傑作を読んでいるようなおもしろさです。 ホント漫画みたいなドキドキワクワクの場面、行き詰まる戦闘シーン。 そういう感じです。
コンピュータが強いとか関係無く、普通に面白い。 でも、コンピューターが指しても面白いんですけどねw確かに。
⑤人間同士の戦略 → メタゲームがホント凄いゲームなんですよ、将棋って。 「相手はあの戦法しかしてこないから、この戦法」とか、「あの人には勝率悪いから、研究で研ぎ澄ませたこの手を打って困らせよう」とか、「自分にとっての大一番以外の対局では磨いた研究を使わず、自分にとっての大一番だけ研究を放出しよう」とか。 そういうのがホント面白い。 その場だけの勝負じゃなく、研究段階で、カードゲームのデッキ構成があるんですよ。 ただ強いデッキを用意するんでなく、『相手によって対応を変える』というメタゲームがあるんです。 これは、コンピューター将棋にはなかなか見られない。
少し鮮度が落ちる感じの話になるが、
先日レッドソックスがワールドチャンピオンになる試合で登板した上原浩治のピッチングを見た。
仕事に行く前にちょうどいい時間に毎回MLBの中継がやっていたので、何回かみていて、世界一を決定する試合はそれこそハラハラしてみた。
そして、ご承知の通り最後のバッターを三振に打ち取り、見事上原浩治は優勝投手になるわけだが、その時彼は仲間にもみくちゃにされながら、目に一筋の光るものを浮かべていた。
シーズン中から、とてつもないプレッシャーと戦い、その結果勝ち取った野球人生で最高の瞬間なのだろう。
みている私も、いつもは何も思わないのだけれど、この時の彼の涙にはじーんとさせられた。
大きな仕事を成し遂げた男の、嬉し涙をみて素直にすごいなあとおもった訳だが、彼がメジャーに行ってからは完全に順風満帆とはいかなかったろう。
日本にいれば、読売という絶対的なチームにいれたわけだが、何の保証もないメジャーに挑戦した。
怖かったことや不安になったこともたくさんあるのだろうが、
あのような場所に行き着くためには、初めの小さな一歩を踏み出さなければならないということだ。
彼が初めてボールを触った時、あのような場面は想像できなかっただろう。
しかしその瞬間、確実に何かが始まっていたのだと思う。
いま、何かに向かっている途中で苦しくても、何も心配することはない。
I can't tell where the journey will end,but I know where to start.
バッターにぶつけるのはルール上問題ない。高校野球では頭にぶつけても退場とかにはならないよ。
でも、それは野球の倫理上許されない、審判判断で注意し、場合によっては没収試合などにすることも出来る。
体に狙って投げるのも同じことね。
例えピッチャーのコントロールが悪くてぶつけ続けたとしても、それは問題になる。
一方、カットについても同じくルール上問題ないが、こちらは野球倫理上も何も問題ない。
だから、実際、プロ野球選手や野球関係者は誰一人あれをとがめていない。
野球を知らないバカどもが叫んでるだけ。彼がカットを余りに簡単にするから、だれでも出来る簡単なものだと勘違いしてるみたいだしね。
彼がもうちょっと野球センスがなく、カットも下手だったら何も問題なかったのにね。(そういう選手はいくらでもいるわけだが。)
カット打法、十数球ぐらいまでならわかるんだけど、40球とかになってくると打てる球でもわざとファールにしてピッチャーを疲労させる目的としか思えない
カット打法の是非はともかく、40球ファールした、ということにはピッチャーを疲労させる目的が主だし、
プロの選手とかでそれを賞賛してる人たちは、それも含めて賞賛してるんだよ。
それを危険な球で怪我させるのと混同するのは野球知らない人たちだけで、野球を知ってる野球関係者は誰もそれを卑怯だとか駄目なこととはしてないよ。
敢えて同じ様なレベルで言うなら、インコース攻めて仰け反らせて恐怖を植え付ける、程度のことかね。
当てたら塁に出ちゃうわけだし、怪我させるように何度も当てたら高校野球でも流石に審判が注意してそれでも変わらなければなんらかの処置が行われるだろうけどね。
お前が試合見てない&全く文章読んでいないことが判明した。
花巻東の2番打者が普通にヒット打てることは元増田で動画3つ上げて例示されてるじゃん
そんなこと分かってるんだよ
それを分かってれば好ヒットを狙うときのフォームとカットファウルを狙うときの球を待つときのフォームが違うことくらい分かるだろ
カットファウルを狙うときのフォームで待っていたら彼は甘い球が来てもファウルを狙うしかしない
「普通にヒット打てるから甘い球をファウルする必要なんかない」ってそれをやったから注意をされたわけだが。
たぶん、こういうこと言う奴は実際の試合見てないんだろうなあ。
たぶん、こういうこと言う奴は実際の試合見てないんだろうなあ。
地方大会では特に何も言われてなかったのに甲子園本大会で審判に「君のフォーム2段モーション取ることもできるからね」って試合前、試合後に注意することって今までもよくあったでしょ。甲子園あまり興味ない人?
二段モーションに関してはかなり複雑で、少し前までOKだったものが駄目になったり、今もプロでも毎年微妙に修正されたりしている。
シーズン前にその年で話し合った結果等から指導が入ることもある。(流石にプロにシーズン中にそれは反則かな?等と変えることはひどすぎるので。大きく変わる場合はその旨をきっちりと各球団に伝える。それだけでは不十分なので、キャンプなどでピッチング練習に付き合い、その場で指導もする。)
高校野球なんかでは、審判はボランティアに近いこともあり、すべての審判がその様な曖昧な物を完璧に判断できるところで無いのが現実だし、
各学校への知らせが行っても「認識の違い」のレベルでも起こることなので、練習試合の時や、最終的には試合の前後に気づいた審判がいうことになる。
注目されてる分、その映像が出たり、分析されることも多く、途中で注意されることが多い。)
一方、カットなんてそこら中でやられてるもので、明らかにバントな場合はアウトにする。
その基準はそのルールが出来てから一切変わってないし、これまでに、振るようなそぶりでもバットを止めたらアウト、にされてることはいくらでもある。
やってる方も充分理解してやってるので、アウトにするならすれば良いだけ。
で、あれはアウトに出来ない。
今回の件、審判団がどうしたかは分からないが、話を聞く限りでは高野連が直接監督にルールの確認、の様な事をした様で、これがちょっと微妙。
2段モーション等、技術的な問題点でなら、審判が直接言うんじゃないか?とも思うが、この場合は、サインに関する話で、没収試合にまでなるような件だったので、
そちらがメインだったのだと思う。(実際、「高野連」と言っても誰が行ったかよくわからないし、もしかしたら審判団が行ったのかもしれないが、それでもメインはサイン盗みのけんだろう)
サイン盗みで、「汚い」イメージがあり、さらに野球を知らない人からあのカットについて高野連に苦情が行ったのだと思う。
なので、高野連は、サインのついでに、その件に関しても一応言ってみた(が、ある意味圧力をかけた)形。
あのカット打法について。これまで、何人かのプロの選手の話や、あのルールを制定するきっかけとなった動きを実際に指摘したり指摘されたりした人の話が出てきたが、
誰一人批判をしてない。
もしかすると駄目かもしれないが、程度の話もない。すべての人が100%擁護してる。
もし、バントのように手を離して握っていて止める様なバッティングをしていたら問題だが(この場合は審判がアウトにするだろうが)
彼のバッティングはすべて振りぬいており、何一つ問題が無い。なので、審判はアウトにしようが無い。
あのバッティングを行う人が増えたら野球つまらなくなるだろうな、と言うやつが居るが、
あのバッティングははっきり言って甲子園出てる選手の中でも、3年間あれだけ練習しても出来る様になれるのはほんの僅かしかいないだろう。
彼より出来るようになる選手はほとんどいないだろう。そのレベル。
もしかしたら今後、あのようなバッティングが禁止されるかもしれないが(具体的には無理なので、単純にファール10球でアウト、とかにするしかないが)、
もしそうなったらそれは、例えばバサロ泳法が禁止になった様に、ルールの中で余りに突出した技能により、新たな危険性などを産んでしまったがために
禁止される項目になることになる。
それは逆に言うと、これまで誰も出来なかったことを、「出来てしまう」ことを証明したことになるので、胸を張って良い物出ある。
これを言うと、そんなの誰もやらなかっただけだろ、と言うかも知れないが、実際にはこの手の練習を本気で3年間続けてる人は多いし、
上に書いたように、1流バッターであっても例え専念しても出来るものではない。それはプロがそのレベルの技術だと認めている。
さらに付け加えておけば、ファールで粘る、ということは、相手チームにとって、「いやらしい」行為であることは間違いないが、
なので、ルール内なら何をやっても良いのか、と言う話にはならない。立派な戦術の1つ。
あれをルール内でも卑怯者だ、などというと、送りバントのように、打たずにアウトを1個あげて進塁させるのなんて卑怯だ、と言う話とも同じレベルの話だということを理解してください。
花巻東の2番バッターのカット打法について、「カットファウルし続けて甘い球がくれば打つことの何が悪いんだ」と言ってる人は試合見てない。あの選手の場合、甘い球でもフェアゾーンに打とうと思ってないことが問題視されたわけで。普通に打率7割で前に飛ばせるだけの打力持ってるのに、カットに徹するときはフォアボールしか狙わない。打撃フォームも安楽から3ベースヒット打った時とカット狙いの時では全く違う。まあフォアボール狙いの指示を出された時はカット専用のフォームで徹するんだろう。
千葉くんの技術が賞賛されてるのを見ると、ものすごく違和感がある。
確かに千葉くんの技術は花巻東にとって必要なものだし、試合結果からみても彼はキーマンだった。
でも、どんなに結果を出したとしても、曲者は曲者だし、邪道は邪道だ。千葉くんは一流にはなれない。
千葉くんはカット打法だけじゃなく、様々な小技を持っている。サイン盗み、殺人タックル、
四球後の相手をいらだたせるためのガッツポーズ・・・。もちろん千葉くんは悪人じゃないので
ものすごく練習したんだと思う。練習の成果は抜群で、強いし有効だった。でも邪道。
花巻東の監督は大谷や菊池なんかの、超一流プレイヤーをものすごく大切に育てている一方で、
千葉くんみたいな伸びしろの少なそうな選手を、甲子園専用使い捨てプレイヤーとして育てているわけだ。
もちろん千葉くんは納得してると思う。そうじゃないならとっくに野球部やめてるだろう。
でも一方で、千葉くんの心のなかには、ホームランバッターとはいわないが、イチローのような一流のアベレージバッターとして
活躍したいという気持ちもあると思う。しかし、千葉くんはその夢を叶える選択肢を捨て、曲者としての道を選んだ。
でも、本当にすべて自分の判断だったんだろうか?監督による誘導はなかったか?「チームのため」という圧力は無かったか?
これは、キャッチャーのサインについては今の高校野球では原則禁止です。
その昔、キャッチャーのサインや構えを2塁ランナーが見て打者に送ることが当たり前な時代もありましたが、
ただ、勿論、2塁ランナーが見える物を何らかの形で伝える事を100%禁止するのは不可能ですし、実際、上手く行っているチームもあるようです。
ただ、これは賞賛されることではありません。明らかにやっていることが分かれば審判が注意し、禁止します。
一方、明らかに見えるチームサイン(監督の指示を含む)から、次にどの様な攻め、守りをするかを解析して予測することは全く問題ありません。
ビーンボールについては、プロ野球と違い危険球一発退場はないので(それをしてしまうと試合にならない事があるので)上手くやれば分かりませんが、
明らかに狙っていると判断されればまずは審判が注意しますし、悪質な場合はなんらかの処置が課される事もあるでしょう。
ホームに突っ込んでいってキャッチャーに体当たりの上キャッチャーがボールを落とした場合、プロ野球ではセーフですが、
これは先の春の高校野球でもそのようなシーンはあり、審判はアウトにしました。
高校野球ではラフプレイは禁止です。許可されているものありませんし、バスケやサッカーなどと違い、見えなければ良い、という思想もありません(これらの競技ではポジション取りや、また攻めきられる前に敢えてファールをする、ということもあるでしょうが)。そもそもラフプレーで得することはそれらの競技と違いほとんどありません。
(あるとすればあなたが仰るとおり、相手の選手を怪我をさせる、というレベルでの話です。これはバスケやサッカーでも許されません。)
バッティングセンターに行って120kmとかの球を打ってみて下さい。当てるだけでも大変です。
実際には人間が、見えにくい角度から球種もさまざま、コースもバラバラタイミングもバラバラです。バッティングセンターで160kmの球を当てれても、
実際の高校野球の投手が投げるたまの100km程度のボールでも当て続ける事は難しいと思います。
勿論、高校野球の選手たちは打つのは優れていますが、それでも、単にファールし続けるだけでも非常に難しいことです。
また、その様に当てるだけ、で、ファールで粘り続ける事を回避するために2ストライク時のバント失敗はアウトになります。
バント、ですが、バットの根元を両手で持っていたとしても、明らかに当てるだけ、バットをコースに出すだけの様な形をとれば審判判断でバントと処理されアウトになります。
ですから、ファールし続ける、というだけでも非常に高い技術が必要です。
それが出来るだけでもそこそこのチームのレギュラーになれるでしょう。
何が気になったかというと、ルール上は違反していない(私はルールにそれほど詳しくないので、
コメント等を見た限りの話)が、本来のプレイとしてどうなのかというやり方に、賛辞とも
言えるようなコメントが見当たることです。
腑に落ちないところがあります。
勝つためにあの手この手と考えて攻めたのだから、良いのでしょうか?
・ファウルを何度もやって、投手の球数を増やさせて、疲れたところを滅多打ち。
・見えないところでサインを盗み見て、周りからは分からないようにバッターに通知。
・投手である場合には頭部には当たらないような偶然を装ってビンボール。
・出塁したならクロスプレイに見せかけたぶつかりで怪我をさせる。
最後のは関係ないですが、何だかドカベンとかで見たことがあるような状況ですね。
そんな激しいラフプレイを誉めてなんていないと言われそうですけど、
何が言いたいかというと、ルール違反ではないけど本来のプレイスタイルとして
正統ではないことに対して賛辞を送ってしまうと、じゃあ俺も俺も、と勝つために
違反じゃないけど正統ではないプレイが横行しかねないのではないかということです。
かといって上記のプレイを一律ルール違反としてしまうとおそらく面白くなくなる
(高校野球をプレイしている側の目線ではなく、見ている側の目線なので面白い、
面白くないなんておこがましいですが)。
じゃあ一定を越えたら違反で、越えなければ違反ではないとする。
そうなるとその一定を越えないようにスレスレのプレイをするように進化する。
それはそれで面白い(失礼)のかもしれませんが、どうなんでしょう。
デッドボールに当たっていないのに、さも当たったかのようなアピールプレイを行って
塁に出る人が溢れる試合を皆さんは見たいのでしょうか。まあ、プレイする側としては
それで勝てるならやるのかもしれませんが、あるべき姿なのでしょうか。
一人ぐらいいたっていいでしょうけど。
正統正統って、お前の中にある正統で物を語るなとも言われそうですけど、
少なくとも上記プレイを野球において正統とは一般的に言えないと思います。
正統ではないプレイに対して批判を展開するのはあまり良いとも思いません。
花巻の選手も叩かれたら可哀想ですし。健全性ばかり求めて勝利を欲することを
周囲としては賛辞はせず、特に取り上げないか、眉をひそめているだけで
何でもそうでしょうけど、黙認はするけど認めている訳じゃないぞ、としておかないと
麻生副総理兼財務大臣兼内閣府特命担当大臣閣議後記者会見の概要(平成25年8月2日(金曜日)) : 財務省
を読んで
【櫻井よしこ 美しき勁き国へ】朝日が日本を国際社会の笑い物に…歪曲された麻生発言+(1/3ページ) - MSN産経ニュース
を読むと、”麻生は憲法改正に反対だと取られたのでは”という麻生副総理の会見での発言と整合しているように思える。憲法改正は静かに、慎重であるべきというのは副総理の発言は、すくなくとも討論会の参加者には認識されていたのでしょう。
であるならナチを賛美しているというより、悪例として取り上げたという麻生副総理の釈明は自然だと思う。まぁ、悪例というより、かなりメディア批判と改憲派への皮肉を混ぜたきわどいビーンボールなのは確か。だから、聴衆から笑いが出たのだろうし。改憲派のセミナーで、おもっきり改憲慎重発言しているのだから、護憲的な朝日新聞の第一報ではナチスうんぬんは出てこなかったのだろうなと。
ピッチャーとバッターがニヤリとして終わればよかったが、レフト側ベンチからワラワラと人が出てきて乱闘騒ぎになってしまったという、野球でよく見かけそうな場面となっちゃいましたといったところかな。ビーンボールを投げたピッチャーは退場寸前の警告。
麻生副総理って、憲法改正には慎重で、靖国参拝はするけど持論はウル覚えだけど靖国神社の宗教法人自主返上&分祀&国家追悼施設化だし、内部留保に関しては国会で共産党と意気投合するし、全額社会保障化での消費税増税に理解を示していて、新自由主義者とマネタリストは信用していないようだし、一貫して韓国は、自由と民主主義という共通の価値観を有していると擁護?していて、と案外とリベラルや左翼に近い。(人間だからいろいろ矛盾はあるだろうけど)
そうした人を、リベラルやサヨクみたいな人が、”ナチス麻生”や”アホウ”といって足蹴にして罵っているのだから、なんかもったいない。
・空気が読めない
・孤独な一匹狼を演じるか、リーダーとして暴走するか極端で人間関係のバランス感覚がない
・ヒットに徹すると決めたらどんな状況でもそうしてしまう→状況に応じたチームバッティングが苦手
不振で三振の山を築いていた同僚のセクソンに対して、「三振多いね。」発言。
"鈴木の受け答えは、頭の悪い人が頭をよく見せようとしたときに見られる話し方だ"というのは、よく聞くことだ。
話し言葉と書き言葉の使い分けができないために、受け答えが変に大人びているというのは、アスペルガーの幼児期に見られる特徴でもある。
彼らには、なぜ状況に応じて表現を使い分ける必要があるのか理解できないのである。
毎年のNHKスペシャル等の鈴木特集を見れば判る通り、チームの中心にいるか、チームの中で孤立しているかのどちらか。中庸を知らない。
彼の出塁率の低さがそれを説明している。
前にランナーが居ないことが多い弱小チームにおいては、単打はフォアボールとほぼ同義であるが、記録上は四球は安打には計上されないため、鈴木は四球を選ばない。
彼は3ボールからでも積極的にボール球を打ちに行く。ホームランバッターならわかるのだが、彼の場合はうまくいってもせいぜい単打なので、3ボール0ストライクからでは、リスクを冒して当てに行く意味がないにもかかわらず。
いかなる時も安打こそ最善と考えていれば、ボールをバットに当てるという定型的な作業を繰り返せばいいので、彼にとっては四球を狙うよりもよほど簡単なのだ。
同上。チームリーダーに求められるのは200安打を10年続けることではない。チームを鼓舞し、勝つことだ。
その意味で、チームの精神的柱であったホークス時代の川崎宗則は既に彼を超えている。
成績自体は平々凡々のデレク・ジーターが、ニューヨークの象徴であり、アメリカ人の象徴でもあるのは、彼がチームを優勝に導いてきた模範的なリーダーだからだ。
1番バッターという個人的役割に限定しても、鈴木がチームから最も求められることは、打率よりも最終的な出塁率の高さである。
はっきりいって、セイバーメトリクスに従えば、出塁率が4割を下回って達成する200安打よりも、安打数を犠牲にした出塁率4割のほうがよほど価値がある。
出塁率が4割を超えたのも、彼が12年間プレーしたなかで、2004年のわずか1度だけである。
262安打をしても出塁率が平々凡々な数字であったというのは驚愕だ。
毎年200安打をやっているにもかかわらず、2004年を除いては出塁率が4割を下回っているという彼のstatsは異常であり、
これは裏を返せば彼の安打数に対する執着が普通でないことを説明している。
なお今シーズン(2013年)には、劣化版鈴木ことブルワーズの青木宣親がメジャー2年目にして、鈴木が12年間で一度しか記録できなかったシーズン出塁率4割超を早くも達成しようとしている。
朝食のカレーについては、今はもう食べていないという記事があった。
しかし彼は白い巨塔や古畑任三郎を何百回と見ている。アスペルガーが好むのは定型的な作業の繰り返しだ。
彼は試合前後のルーチンワークを絶対に乱さない。アスペルガーが好むのは定型的な作業の繰り返しだ。
鈴木は日本野球のみならず、メジャーリーグでも殿堂入りを確実視されるほどの偉大な選手であり、私は彼の現役時代を見られたことに、心から感謝している。
262安打という異次元の成績の裏には、何らかの異次元の人間性、異次元の生活習慣、異次元の精神性があるはずだという考えの基に、彼の内面、野球観を考察したものである。
この記事は、医学的な見地に基づいて書かれたものではなく、彼がアスペルガーであるという主張は決して彼を中傷するためのものではないし、むやみに賛同を仰ぐ物でもない。
答えはカンタン。それはね。自分のことがまるでまるっきり見えてないからさ。
なんで自分のこと見えないかというと、つまらないことがすぐ気になってしまうカラ。
セクシーなミニスカートが絶対領域しちゃうともう上の空になっちゃう。いつだってそう。
バッキャロー do for you. そんなでうまくいくワッキャナイ do for you.
なんで自分のこと見えないと駄目かというと、知らない間に影の動きが陰謀しちゃうカラ。
考えて笑ってみるがいい。いつも知らないうちに手遅れ。知らないうちに大パニックのタイタニック。
わかってる人からすれば毎回チャンスをことごとく逃してるの。毎回というか毎瞬というか。
やらかし常習犯がまーたやらかしたってレベルじゃなくてマジで常にやらかしてる。
チープなスリルに身を任せてないで現実みれば新生活開花の音がする。
インターネッツ社会の生み出す魔性のリアリティに強く引きずりこまれる
→つまらないことだと分かっちゃいるのにやめられない
→知らず知らずのうちに他の可能性をことごとく見えなくして凝り固まった思考回路のできあがり
という実態を少し考えてみたい。最近SNSでモテる方法が話題になってた。方法って理論にしてしまうと陳腐になる恒例。
いいバッターが名コーチとは限らないのと同じ。自分で方法がわかってない人が教えた理論を真に受けると駄目。ひしひし感じた。
直接指導ならまだよい。一番は自分でもわかってて感覚的にも理論的にも伝達できる人に直接おそわる。
ひらひらミニのスカートがふわりするだけで目を奪われるような人間レベルの人に平常心で自分の方法の実態が洞察できるとでも?
修羅場って現実に強くのめり込んで現実と強く結合した方法論を体得することだけじゃなくそんな中でも強く客観視する目を養うことにも意味があるんだよ。わかる?
野球が好きなら誰でも知っているように、メジャーに渡った松井秀喜のここ数年の成績が急落。今年で引退、帰ってくるのではないかと噂されるくらい。最近では日本球団獲得検討の報もあって、ちょくちょく彼の名前が話題になる。
そんな時に、「松井って日本で仲良い人いるの?」という指摘が2chであった。思えば、テレビの前の彼はいつも報道陣に向き合って、少し上体を反らすようにして記者に返答したり、カメラに向かって儀礼的に頭を下げたり。チームメートと一緒に歓談しているところもそれなりにあるけど、印象に残っているのは、いつもキャプテン然と振る舞う姿。
彼は、小さい頃から小学生向けリーグで活躍し、国体選手にも選ばれ、果ては甲子園で連続敬遠を浴びるまでの驚異的な存在となる。その間、大きな体格や抜群の運動能力から、チームの要としての態度、成績を求められてきたのだろうし、本人もそれに応えてきたのだろう。松井は決して人の悪口を言わず、性格がとても善良なのは良く知られている。その後は巨人に入り、日本を代表するバッターとして君臨し、果ては大リーグヤンキースでもそれなりの成績を残すのはご存知の通り。
その彼がここ数年おかしい。ヤンキースを解雇され、転々として今や無所属。そんな中、見つけたのが、ちょっと前に出たこの記事。
松井秀喜 レイズ戦力外「打撃急落」の陰に怪トレーナー「非常識な“洗脳指導”で筋肉がそげ落ちた - 芸能 - 最新ニュース一覧 - 楽天woman http://woman.infoseek.co.jp/news/entertainment/asageiplus_7306
まあ、話半分に聞くべきなんだろうけど、何となくこれで合点の行く所があった。実はずっと孤独だったのだろう。キャプテンとして、チームのため、周囲のためにずっと頑張って、妥協する事無く自分を鍛え続け、結果、気の置けない相手が見つからないまま40近くまで過ごしてきてしまったんじゃないか。だから、自分を預けられる相手を見つけて、それに頼っているんだろう。
でも、それって、まるでX JapanのTOSHIとか、貴乃花と一緒じゃないか。特にTOSHIは一度かなりひどいところまで行った。と思いきや、松井の父は、新興宗教の偉い人なんだってね。素質ありまくりなんじゃん。
好きな女の子にベッドで「好き」って言わせた。うれしくていろんな感じの脳内麻薬がドバドバでた。脳内麻薬って頭の後頭部から前に流れるのがわかる。彼氏居るのを知っててちょっかい出してたので僕は最低の人間だと思う。別にここで弾劾されたり懺悔したいとかそう言うのでは全くない。キリスト教には七つの大罪があって僕はコンプガチャばりにコンプしてる気がするけど家でウジウジしてるよりはいいんじゃないかなと思う。キリスト教徒じゃなくて本当によかった。
女の子をやっつける(c)高田純次ためにはタイミングが2つあって、コンパとかでお持ち帰りするみたいな短期決戦タイプと時間を掛けて落とすタイプに分類されると思う。前者はナンパが得意なイケメンのテリトリーなのでそういう奴らに任せておけばいいし、奴等の狩り場に現れても惨敗するだけなのでいろんなコストの無駄になるので無駄なことはしない。僕は後者で気に入った女の子をコツコツ時間を掛けて何とか努力する。この努力を仕事に転用すればそこそこの富豪になってると思う。頑張るところが確実に間違ってる。今回は2年掛かった。
人間誰しもハンデが大なり小なりあって、足が短いとか貧乏とか仕事が不安定とか根性が悪いとか・・・欠点なんてここに書ききれない程あって人の良いところ探すより欠点探す方が楽なのは言うまでもない。昔知り合いの美人に「お前は美人だからいいよなー。」みたいな感じで顔見る度にからかってたら、「みんなは私のどう思うか知らないけど、私も毎朝自分の顔を鏡で見たらいろんなところが気になって仕方がないのよ。」って諭されたので人には悩みがそれぞれある事を理解した(それでも幸せな悩みだと思うけど)。
兎にも角にも人間必要なものは冷静さと自分に対する客観視だ。芸能人は世の中の人気と実力に対する自分の発言が明後日の方向に向かってしまった場合、悲しいかな往々にして世間様から叩かれてしまうし、社会人だって自分のスキルを越える仕事を受けたら炎上するのは世の常だ。別に背伸びするのが悪いって話ではないし、仕事でも背伸びして実力が上がる事もよくある。まわりのブスがブリッ子してたらぶっ飛ばしたくなるだろ。
上にも書いたけど、女の子と何とかしたけりゃ自分がなんとかできるテリトリーで狩りすればいい。オタクなのにイケメンの集まりで勝負しても勝てるわけがないし、貧乏人が金持ちの集まりに入ったところで単純に恥をかくだけだし、低学歴が高学歴のコミュに所属しても全く意味が無い。
僕も含めた不細工はとにかくコツコツ時間を掛けてカマかけろ。頑張ってご飯に誘え。1人だけじゃなくて気になる子全員だぞ。お前らの大好きなマルチタスクだよ。それ以上も以下もない。このご時世で恋愛だけシングルタスクって笑える。余談だけどご飯の食べ方汚いやつは女子からもどん引きされるし、頭悪い女の子しかついてこない。
とりあえず気になる子にはきっかけとしてのご飯だ。自分の得意な分野があれば映画でもプロレスでもメイド喫茶でも何でもいいしヒルズにある下着屋の女社長の家でドラッグでもやってろ捕まっても知らないけど。自分の戦場で戦えばいいし背伸びしてるのってバレバレだよ。イケメンには負けるけどマメな男は本当にモテる気がする。マメさは恋愛における不細工族に残された最後の砦だ。
コツコツ遊んでると女の子って時々弱み見せたりするからそこはできる限り優しくしよう。経験値的にイケメンって自分がモテる側だから女の子の扱い悪いやつが多いので、不細工はマメさと優しさを武器にしてると時々コロッといくからそうなればこっちのもんだ。
この間無理メの女の子と初めてセックスするときにチ○コ入れて見つめ合ったら2人とも大爆笑した。女の子に「お前のマメさすごい。」って言われたから「ざまーみろ」って返しておいた。
それでも相手にされなかったら?女の子は掃いて捨てるほどいるんだから。相手にされてない時点でお前がその子に勝手に妄想してるだけでただの他人なんだから諦めて忘れろ。そのためのマルチタスクだよ。サクッとプロセス終了しろよ。PCとかiPhoneとかのプロセス簡単に落とせるくせに異性のプロセスは落とせないとか平成になったのにシングルタスクで昭和のPC使うとか新しいギャグか?
イケメンが野球でいうところの四番バッターなら僕らはCクラスの下位打線だよ。でもバッターボックスに立ちたいなら打率少しでも上げる努力しなきゃ。
(訳注:長文注意。誤訳あったらごめんなさい。教えてもらえたらあとで直します)
村上春樹の作品世界にほぼ浸りきってやろうというつもりだった。
ところがその目論見は外れることになる。
期待していたのは、バルセロナやパリやベルリンのような街だった。
そこでは、市民はみな英語が達者で、さらにはジャズ、劇場、文学、シットコム、フィルム・ノワール、オペラ、ロックといった、
西洋文化のあらゆる枝葉に通じている……そんなコスモポリタンな世界都市を私は期待していた。
誰かに聞いておけば分かっていたはずなのだが、実際の日本はまったくそんな場所ではなかった。
実際に足を踏み入れることができる日本は、どこまでも頑固に、日本的だった。
そう思い知らされたのが地下だったというのは、我ながらよくできていたと思う。
アイロン掛けたてのシャツに包まれ、なんの躊躇もなく地下鉄の駅へと降りて行くや否や、
私は迷子になり、助けを求めようにも英語話者を見つけることができなかった。
最終的には(電車を乗り間違え、馬鹿げた値段の切符を買ってしまい、必死のジェスチャーで通勤客を怖がらせたあと)、
どうにか地上に出てはみたものの、もはやインタビューの時刻はとうに過ぎている。
私は絶望して、目的もなくあちらこちらへとさまよい歩いた(東京にはほとんど標識がないのである)。
そして蜂の巣状のガラス製ピラミッドのような建物の前で途方に暮れていたとき、
ついにユキという村上のアシスタントに見つけてもらうことができた。
あまりにもうかつな、アメリカ人的な私は、村上のことを現代日本文化を忠実に代表する人物として考えていた。
実際には彼は私が思っていたような作家ではなく、日本は私が思っていたような場所ではなかった。
そして両者の関係の複雑さは、翻訳を介して遠くから眺めていたときには想像しえないものであることが明らかになっていった。
村上の新作『1Q84』の主人公の一人は、自らの人生最初の記憶に苛まれており、誰に会ったときにも、あなたの最初の記憶はなにかと尋ねる。
それは3歳のとき、初めて家の門の外に歩き出したときのことだという。
彼は道をてくてくと渡り、溝に落ちた。
流されていく先にあるのは、暗く恐ろしいトンネル。
そこに差し掛かろうかというとき、母が手を差し伸べ、彼は助かった。
「明確に覚えている」と彼は言う。
「水の冷たさ、トンネルの闇、その闇のかたち。怖かった。僕が闇に魅かれているのはそのせいだと思う」
村上がこの記憶を語るとき、私は既視感とともに心の中でくしゃみをするような気持ちを覚えた。
その記憶には聞いた覚えがある、いや、不思議なことにその記憶は自分の中にある、と感じた。
ずっとあとになって分かったことだが、私は確かにその記憶を持っていた。
村上は『ねじまき鳥クロニクル』の冒頭の脇役に自分の記憶を写し込んでいたのだ。
村上を初めて訪問したのは、日本にしてもありえない夏の厳しさの最中、
週の真ん中、蒸し蒸しする午前中のことだった。
その結果、電力、公衆衛生、メディア、政治にも危機が到来した(当時の首相の辞職によって、5年間に5人目の首相が生まれることになった)。
大作『1Q84』の英語訳(そしてフランス語訳、スペイン語訳、ヘブライ語訳、ラトビア語訳、トルコ語訳、ドイツ語訳、ポルトガル語訳、スウェーデン語訳、チェコ語訳、ロシア語訳、カタルーニャ語訳)について話すためだった。
この本はアジアで数百万部を売り上げ、
まだ翻訳が出ていない言語圏ですらノーベル文学賞の噂が囁かれていた。
62歳にして30年のキャリアを持つ村上は、日本文学の最高峰としての地位を確かなものにしている。
疑いなく、彼は母国の表層とかたちを世界に伝える、想像世界の大使となった。
そのことは、関係者には非常に大きな驚きだったと言われている。
アメリカによる戦後占領を受けた1949年の京都、日本の前首都である。
「これ以上の文化混交の瞬間を見つけるのは難しい」と John W. Dower は1940年代後半の日本について書いている。
「これほど深く、予測不能で、曖昧で、混乱していて、刺激的なものは他にない」という。
「瞬間」を「フィクション」に置き換えてみれば、村上の作品を完璧に説明することができる。
彼の物語の基本構造は、互換性のない複数の世界に根を下ろした普通の人生であり、
そこは、さまざまな言語の喧騒に包まれた国際的な港湾都市である。
彼はアメリカ文化、とくにハードボイルド探偵小説とジャズに没頭して十代を過ごした。
二十代のはじめには大企業の序列に入り込む代わりに、髪を伸ばしヒゲを生やして、両親のすすめを押し切って結婚し、借金をして「ピーターキャット」というジャズクラブを東京で開いた。
掃除をして、音楽を聞いて、サンドイッチを作って、酒を注いで、
作家としての村上のキャリアの始まり方は、彼のあの作品スタイルそのものだった。
どこまでも普通の設定で始まり、どこからともなく神秘的な真実が主人公に降りかかり、その人生を根底から変えてしまう。
29歳の村上は地元の野球場の芝生でビールを飲みながら、デイヴ・ヒルトンというアメリカ人助っ人バッターが二塁打を打つのを見ていた。
平凡なヒットだったが、ボールが飛んでいくのを見て村上は天啓に打たれた。
そんな望みはそれまでなかったが、いまや圧倒的なまでだった。
そして彼は書いた。
数ヶ月のちに『風の歌を聞け』を書き上げた。
それは名もなき21歳の話し手が語る小さく凝縮された作品だったが、冒頭から村上らしさが見えていた。
アンニュイとエキゾチシズムの奇妙な混合。
わずか130ページで、その本は西洋文化をぶつ切りにして引用してみせた。
『名犬ラッシー』、『ミッキーマウス・クラブ』、『熱いトタン屋根の猫』、『カリフォルニア・ガールズ』、ベートーベン第三ピアノ交響曲、フランスの映画監督ロジェ・ヴァディム、ボブ・ディラン、マーヴィン・ゲイ、エルヴィス・プレスリー、『ピーナッツ』のウッドストック、サム・ペキンパー、ピーター・ポール&マリー。
以上はごく一部に過ぎない。
そしてその本には(少なくとも英語訳には)日本の芸術の引用がまったくない。
村上作品のこうした傾向は日本の批評家をしばしば苛立たせている。
そして一年後、ピンボール機を取り上げた次の小説を出したのち、執筆に時間のすべてを費やすため、ジャズクラブを畳んだ。
「時間のすべて」という言葉には、村上にとっては余人とは異なる意味がある。
30年を経て、彼は僧侶のように統制された生活を送っている。
すべてが作品を作り出すのを助けるように調整されている。
彼は毎日のように長距離を走り、泳ぎ、健康的な食生活を送り、夜9時には床につき、朝4時に起きる。
そして起床後5、6時間は机に向かい執筆に集中する(2時に起きることもあるという)。
「集中できないとき、人はあまり幸せではない。僕は考えるのが速くないけれど、何かに興味を持てば、それを何年も続けられる。退屈することはない。僕はヤカンのようなものだ。沸かすのに時間はかかるけれど、いつまでも熱い」
そうした日々の湯沸かしが続いていって、世界でも類まれな作品群ができあがった。
30年の歳月を経て積み重ねられたそれには人を虜にする不思議さがあり、様々なジャンル(SF、ファンタジー、リアリズム、ハードボイルド)と様々な文化(日本、アメリカ)をつなぐ位置にある穴を埋めている。
どんな作家にも、少なくともこれほど深くまでは、埋められなかった穴だ。
そして今、とりわげ激しく長い湯沸かしの結実として、もっとも長く、奇妙で、シリアスな本が上梓された。
彼は翻訳者を通して会話するのが嫌いだという。
なまりは強く、落ち着くべき箇所で動詞の活用が劇的に現れたり消えたりする。
とはいえ相互の理解に支障を来たすことはまずない。
特定の熟語("I guess" 「ではないか」、 "like that"「というような」)が、ときたまおかしな位置で使われることがある。
安全な言葉遣いから逸脱するのを楽しんでいる節が彼にはあった。
私たちは東京にある彼の事務所で席を持った。
数人のスタッフが靴を履かず他の部屋で作業をしている。
彼のキャラクターと同じように、アイロン掛けしたばかりのように見えるシャツだった(彼はアイロン掛けが好きだという)。
靴は履いていない。
彼はペンギンのある本の表紙を模したマグカップでブラックコーヒーを飲んだ。
その本とはレイモンド・チャンドラーの『ビッグスリープ』、彼の昔からのお気に入りの小説であり、今日本語訳をしている小説でもある。
話を始めながら、私はあらかじめ用意していた『1Q84』をテーブルの上に置いた。
その本は932ページあり、ほぼ30センチのその厚みは本格的な法律書を思わせるほどだ。
「大きいな」と村上は言った。
「電話帳みたいだ」