はてなキーワード: ハッピーとは
ドミノピザが持ち帰り半額キャンペーンやってたから初めて買ってみたんだけど、うまくなかった。
なんかチーズ食ってる感がぜんぜんないというか、全体的にチープな感じがした。
ピザ食べるの久しぶりだったからウキウキで袋ブンブンしながら帰宅したけど肩透かしくらった。
これはたんに商品選択間違えたのか、そもそもドミノ自体がうまくないのか、どっちなんだろう。
ピザハットは好き。
トラバってこれでいいのかな…
先輩に相談してとりあえず解消できたようなので長くは書かないけど、気になったので少しだけ。(と言いつつちょっと長いね)
ちょっと前に芸大を出たものだけど、入学後に精神的に不安定になった現役合格生は本当にたくさんいたよ。そして、残念ながら簡単に解決してハッピーになった人はほとんどいなかった。芸術って本当にメンタルに悪いからね。
何度も留年を繰り返した人、音信不通になった人、一般大に入り直した人、向こう側の世界に行ってしまった人もいた。つらい。
自分の中に欲求や希望が見えるなら、そのまま進めばいいと思う。
でも、もし何かやばい気配を感じたら、間に合ううちにダッシュで方向転換した方がいいかもしれない。
芸大美大って、受かるのは大変だけど卒業にそこまで価値があるタイプの大学じゃないし…
怖がらせるようなこと書いてごめん。芸大って面白いこともたくさんあるけど、死に至るまで自尊心を食い潰す恐ろしい場所でもあるんだ。
・舞台は現代で、日常的なものがいいです。友情とか青春とかミステリーとか。
×魔法とか異世界とかは好みではありません。宇宙とかよりも身近なテーマがいいです。
・ハッピーエンドがいいです。ハッピーの定義は人それぞれだと思いますが、増田さんの感性でいいです。
×主要キャラが死ぬことで得られる感動は要りません。浮気とかそういう要素も好きではありません。
・女子高生が主人公もしくはヒロイン。若い人たちが出てくる話がいいです。部活、通学、アルバイトなど。
×登場人物の大半が社会人で、その中に女子高生が一人いるみたいな感じではなくて。
・新しめの本がいいです。作者は有名じゃなくてもいいです。文庫本だとベター。短編集でも可。
×作品内にスマホも出て来ない時代の小説ではなく。「今」を感じたいです。
友人もまた色々悩んで決めたのだろう。せめて普段より断りやすい配慮とかあったら良いなと思う。高齢者と暮らす人は緊張感も違うだろうし。
そしてあなたが色々な葛藤の中でホストの責任とゲストの安全を重視して延期を決めたのは立派だと思う。自分たちの決断を誇りに思って尊重できますように。
最近SNSで感想について色々話題になっていたので、ふと思い出した出来事を書いてみました。
思い出した順に書き出しているので読みづらい文章になっていると思いますが、ただの長い独り言なので流していただけるとありがたいです。
私がその作家さんを知ったのは十数年前で、その頃は同人文化もよく知りませんでした。きっかけは、たまたま漫画の新刊と勘違いして手にとった、その方の個人誌でした。
その本がきっかけで同人の世界を知り、自分で漫画を描くようになり、そのおかげで趣味友も増えました。その方は、自分にとって人生の楽しみを増やしてくれた恩人であり、絵描きとして尊敬している神様のような人です。その方みたいな絵が描けるようになりたいと、色使いや線の描き方を勉強して、絵の練習をしたりしていました。
そして数年後、同じジャンルにハマり、今度のイベントで新刊を出すというミラクルハッピーな出来事が起こりました。
転職し、余暇時間が増えイベントに参加できるようになったタイミングだったので、会場で神様に会えて新刊も買えることがもう嬉しすぎて、神様の呟きを仕事の休憩中に見てはイベントのために稼ごう…と日々生きる気力をもらっていました。
調べた中でよく「差し入れでもらって一番嬉しいのはお手紙です!」と話される作家さんが多いので、もし感想が苦手な方でなければ、自分も今までの感謝も込めてお渡ししたいな...と思い、神様の呟きを検索しました。調べた結果、感想はなんでもうれしいタイプだったことが判明し、前日の夜にようやく手紙を渡す覚悟を決めました。
仕事帰りにレターセット3つと差し入れ用のお菓子を買い、ソワソワしながら帰宅し手紙を書く準備をしました。
どの本について感想を書くか、色々悩みましたが、今まで集めた本すべてが好きだから選べないな、せっかくお会いできるならと、今までゲットした本すべてについて感想を書くことにしました。
感想は同人誌1冊につき少し小さめの便箋1枚に収めるように詰め込みました。(普通のレターサイズだとめちゃくちゃ嵩張るし重いし怖いと思われたくなかったので...)(それでも全部で十数枚になっちゃったんですけど)。
そして、元々文章を書くのが苦手なのも相まって、感想の手紙はかなり苦戦しました。
うわ、テンション上がるとすぐ右肩上がりに...ああ〜字間詰めすぎた、インクで手が汚れてカードについちゃう...!封筒止めるシールは何が良いんだろう?とワーワー騒ぎながら、神様の本を読み返して、やっぱりこの人の描くお話が好きだなあと改めて再確認し、気合いを入れ直してなんとか最後まで書き上げました。
差出人がわかった方が分厚くても引かれないのでは?という友人のアドバイスを参考に、最後に自分のID名を記入し、カード1セット分を犠牲にしてようやくそれなりにまとまった手紙が書けたのは深夜3時。家を出るのは6時。ここでエナジードリンクをキメました。
イベント当日の朝、コンディションは最悪でしたが、見た目を普段の倍以上に時間をかけて整え、手紙と差し入れをしっかり確認してドキドキしながら家を飛び出ました。
会場に着くまでに何度も神様のスペースを確認し、地図でスペースまでの行き方をシュミレーションし、手紙を渡すときのセリフを何度も練っていました。この段階では神様にお会い出来る嬉しさで眠気吐き気は吹っ飛んでいました。
移動中に見守ってくれた友人にお礼と手紙を無事に書けたことを報告。
枚数を聞いた友人「いや多...くない?引かれないように気をつけてね。」
一気に不安が加速する私、時間通り目的地に着く電車、駅改札に雪崩こむ歴戦の戦士の方々。
もう後には戻れないと覚悟を決め、
「こんな楽しい世界を教えてくれた感謝を伝えたいだけで、読んで合わない感想だったら捨ててくださいって書いたし大丈夫!砕けてくるね!!」
とヤケクソなテンションで返信し、改札を出ました。
完全に憧れの先輩に告白してくるテンションでしたね。今思い返すと。
潮風にセットした髪を乱されつつ会場に入った途端、緊張が高まり耳の近くで鼓動が聞こえるように。落ち着きたいのに、呼吸は完全にあがってました。軽い酸欠状態です。まだ神様にも会えてないのに。何で好意を寄せる人の前だと1番ダメな部分が出てしまうんでしょうか…
どうにか意識を保ってシュミレーション通り、神様のスペース近くまで行き、ついにポスターが見えた瞬間。
神様らしき方がスペースにいらっしゃるのを見て、気持ちが一気に高ぶってしまい頭が真っ白になりました。
あっこの状態で話しかけるの無理!!!!(キモくなる自信しかない)
そう瞬時に判断し、先にイベント参加されているフォロワーさんのスペースを回って気持ちを落ち着かせる作戦に出ました。フォロワーさんの新刊を買い、差し入れを渡し、元気をもらったところで再度神様のスペースへ。
この時点でお昼近い時間帯だったので、スペース前の列もだいぶ落ち着いていました。
他にも差し入れやお話をされてる方がちらほらいたので(好きな作家さんが人気で嬉しいな〜とニコニコしつつ)、タイミングを掴めず島を2~3周して新規開拓をしながら様子を伺っていました。
そうしている間に、ついに人の波が途切れたので深呼吸しながらスペース前に向かいました。
新刊をしっかりゲットした後、震える手でバックから手紙と差し入れを取り出し、意を決して話しかけました。
「あの、今日感想を手紙に書いてきたのでよかったら、いや苦手とかでなければ、その…どうぞもらってください!」
言えた!だいぶどもって挙動不審だし恥ずか死にそうだけど言えた!!手の震えがまだ止まらないしなんか冷や汗も出てるけど言えた!!!
神様「わ、感想嬉しいです〜!お手紙ぜひ読ませていだだきますね!差し入れまでありがとうございます」
とても優しくスマートな対応の神様に、緊張と感動からさらにあわあわとテンパってしまう自分(消えてしまいたい)
「あ、あの…じ、字が汚いかと思うので、読みにくかったら捨ててください。あ、あと新刊とっても楽しみにしてたので手に入れられて嬉しいです!!」
まっっったくスマートじゃない言い逃げをぶちかまして会場を脱出し、帰りの新幹線で席に着いた瞬間イベントでの醜態を思い出しては1人反省会で死ぬほど悶えてました。アイスも駅弁もいつもなら完食するのにこのときは出来なかったな…なんかもう胸も頭もいっぱいいっぱいで…足もいつの間にか盛大に靴擦れしてたし…
イベント会場でその日の体力知力精神力を全て使い果たしたので、家に着いた瞬間力尽きてそのまま床で寝落ちしました。こんなに寝つきがよかったのは人生初くらいに、秒で意識を失いました。
次の日は仕事だったのでバキバキの体でなんとか出勤。仕事中はイベント楽しかったなぁ…いい思い出になったなぁと思い出を反芻して幸せな気持ちでいっぱいで、クレーム対応も定時間際の理不尽な指示も笑顔でこなせるくらい気持ちが穏やかでした。
クタクタになった仕事帰り、電車に揺られながら友人と作業イプの予定を立てていたら、突然DMの通知が。
周りが気ならない場所で落ち着いて読まなきゃ!という気持ちで急いで駅を出て走って家に帰りました。
震える手で通知を開くと感想についてのお返事が書かれていました。
内容は今まで出した本の感想をこんなにたくさんもらえて嬉しくて泣いてしまったこと、ぜひ楽しく同人を続けて欲しいこと、原稿のお供にお手紙を何度も読んで元気をもらっていることなどとても優しく丁寧なお返事をいただきました。
ずっと好きで尊敬している作家さんから突然お返事をいただいて、とても単純な私は「よかった!作家さんの力になるようなお手紙になれてたならほんとによかった!嬉しい〜〜!!私もこの方みたいな素敵な本をたくさん作りたい!!!」とスマホ片手に狂喜乱舞しました。
それから、神様が新刊を出す度に既刊の感想をお渡ししたり、自分もイベントに参加したりと自分なりに同人活動を楽しんでいたところ、2回目からは顔を覚えてくださって、こちらがお渡しする前にお礼を言われたり、自分が投稿した漫画を褒めてくださったりと嬉しい出来事が次々増えました。
名乗る前から名前を言って声をかけてくださるので、沢山の人から感想や差し入れをもらっているのに、まさか自分まで覚えていただいているとは思わずとても驚いたのを覚えています。
普段は手紙と差し入れをお渡ししたら、他のファンの方々の邪魔をしないようにすぐに去っていたので、引き止められてめちゃくちゃ動揺してしまい、作家さんのスペースで500円玉をばらまいたあげく、作家さんに拾うのを手伝ってもらったことは叫び出したくなる忘れたい過去です。(お手を煩わせてしまって本当に申し訳ない…)
そんなこんなで少しずつ神様とイベントで会話を交わすことが増え、色々あっていまでは相互フォローになりSNS上でもお話したりする関係になりました。
昔、別の作家さんに感想のお手紙を渡した時は、欲しかった感想はこれじゃない自分の描いた内容を違う意味に読み違えていて腹が立ったなどとDMでお叱りを受けたことがあり、感想を渡すのが怖くなった時期もありました。
自分の読解力が不足していたせいで作家さんを不快な気持ちにさせて申し訳なかったな…とかなり落ち込んだのですが、ある程度年数がたったらまー合わなかったならしょうがない!そういうこともあるよね!とすっぱり諦められるようになったのでまた図太く手紙を書くようになりました。
まぁ、単純にいつまでも気が合わなかった人の事を考える暇がなくなったので、その分好きな作家さんやコンテンツに割く時間を大事にするようになったことが大きいと思います。
好きな作家さんに感想を書いて渡すのは、私の場合かなり時間も手間もかかるので、この人の絵が漫画が好きだから応援したい、続きがもっと読みたいという欲望がよっぽど強くないとほんと〜〜〜に気力が続かないくらい、1つ書き終わると消耗して1日中横になったりするほど体力と集中力が必要な作業です。脱稿直後の感覚が1番近い気がします。
それでも作家さんの次の新刊が読みたい下心が圧倒的に強いので、気力を振り絞って感想を書き続けています。
DMで感想を送るより、やっぱり手書きの手紙の方が個人的に達成感があって相手のリアクションが良くも悪くもすぐ分かるので、私は直接お手紙を渡す方が好きです。SNSでは考える時間がある分ためらってしまう感想も、会場では勢いで伝えられたりするので、1日も早くリアルでイベント参加が気兼ねなく出来るように祈っています。
・AV、風俗など→実在の人間である以上どんなに演技やサービスで賄ってもモノ扱いは不可能。例えば強制妊娠などは傷害罪になってしまう
・エロ漫画など二次元→フェミや海外から女体をモノ扱いしていると批判が多い。様々な反論はあるが、確かに女性を寄ってたかってイジメているようなものなので、「完全に好き勝手していい」状態には遠い。
Twitterの広告で何度も何度も違う作者の同じ内容の漫画で「ニキビに悩む学生が知り合いに勧められて皮膚科にかかって治ってハッピー!ニキビは皮膚科へ!」っていうのをみて急に思い出した奴のこと。
高校一年生の始めのころ、斜め前の席だった大人しそうな女の子で、同じ中学の奴ともつるまず一人で弁当食ってたの覚えてる。途中からは同じ部活の男女と食べてることもあったから友達がいない訳では無かったと思うけど、詳しいことは知らない。喋ったことも無かったし。
その子、いつからだったのかわからないけど、気がついたら顔中にニキビたくさんできて、どんどん悪化して、最後の方は頬もただれて真っ赤にしてた。
そのうち学校に来なくなって、しばらくしてから「皮膚移植することになって休学することになったから」と担任に言われて寄せ書きを書くことになった。仲良しクラスって訳でもなく、荒れてるクラスでもなく、って感じだったからみんな無難に「早く良くなると良いな」とか「元気になって早く学校に戻ってね」とか、まぁ当たり障りのないこと書いたと思う。
結局その年は復学しなくて、二年三年になれば一年の途中で休学した奴のことなんか普通に忘れてたんだけど、卒業式の時に一年の時の同じクラスの奴からメール回ってきて、「あいつあの後一年遅れて復学したけどすぐ退学しちゃって先月自殺したらしいよ」ってのを知って、へぇ…そんなことになってたんだ…と思った。治らなかったのか、一年下のクラスに馴染めなかったのか…こんな田舎でも自殺する高校生とかそんなこともあるんだな〜くらいで特に悲しいとかもなかったしすぐ忘れた。
今Twitterで「まーた広告漫画かよ」って思ったら急に思い出した。べつに後悔とか懺悔とかなんらかの示唆とか何も無いんだけど、早く皮膚科行くのは大事だけど、皮膚科行ったら人生元通りかっていったらそうとは限らんのかな…と思ったから書いた。それだけ。
水曜日仕事で酷いミスをし上司にこっ酷く叱られ酷く落ち込んだ気分で連休に突入した。
昨日。起床したのが7:00、だけど朝食食って二度寝。12:00に再度起床し昼食食って三度寝。15:00になり暇すぎて何か行動起こそうと思うもののやりたいことなど全く思い浮かばず。財布に入っているお金は3000円ちょっと。ふと銀行口座を見ると108000円。家賃と奨学金と電気代の分が残ってた。このお金使って久しぶりにパチンコ打ってアドレナリン放出してハッピーになろう、そう考えパチ屋へ出発。
銀行で40000円下ろし、パチ屋へ到着したのが16:00。このお金を持ってダンバインにお座り。どういう訳かクギがガバガバで1000円で20回転。この台一日中回せばプラスになるんじゃないのと期待しながら打つもボーナスがとてつもなく重く、そして単発。なんとか確変突入し4400玉出し21:00過ぎになったので退店。換金したら17000円になった。都内なのに珍しく等価。トータルで23000円負けだけど、悲しい気分には浸らず、むしろ23000円でこの幸福な気分を買えたと考えると良い買い物をしたと思えた。
今日。昨日の興奮をもう一度!というノリで再度パチ屋へ。銀行で40000円を下ろし、ダンバインにお座り。1000円で20回転で昨日と調子変わらず。全く当たらず玉砕。んでまた銀行でお金を下ろし玉砕。また銀行で・・を繰り返し、気づくと預金残高800円ぐらいになってしまった。手持ちのお金も3000円ちょっとしかないためもうこれ以上は打てないっすね、残念。涙目で残ったお金でKFC買って帰宅。さっき食べた。美味しかった。10万円のKFC。
自分の趣味はバイクでのツーリングなんだけど今年入ってからコロナで自粛ムードで外出できずじまい。自宅居てもやることないから漫画読んだり小説読んだりして時間潰してた。だけど本読むにしても集中できないというか、即座に脳汁出ないと恍惚感得られないため、いつの間にか本読むのが苦痛になってしまった。本屋行って買っても読まないから積まれていくだけ。文章読む集中力が無いから2chみても流し読みしてるだけで中身入ってこない。
去年債務整理したこともあり、お世話になっている精神科の先生にギャンブル依存症と診断され「パチンコを止めるためには何か代わりとなる新しい趣味を始めると良い」と言われたんだけど、自分にとってそれはバイクでのツーリング。でもコロナの自粛の影響でそれもできずじまい。自粛しすぎなのか、ちょっと暇になると脳内でパチンコの電子音が再生されキラキラ光る台を想像してしまう。打ちたい打ちたいという衝動に駆られてしまう。そして昨日今日打ってしまった。
海の綺麗な田舎町に遊びに行ってきました。
海水浴場が閑散としているため、道は空いてるし快適なのではありますが、土地の人の話を聞いてかなり悲しくなりました。
「地元の人はたくさんお金を落としてくれるわけじゃないから、旅行する人を歓迎したい。でもコロナにかかって地元社会の中で爪弾きにされるのが怖い」
道の駅でアイス売ってたおじいさん。食堂のおばさん。スナックのママさんが異口同音に話しています。
一様に浮かない表情でいるのでとてもいたたまれない気持ちになってしまいます…。
医療崩壊を起こさせない。コミュニティを守ることも大切。けれど、コロナ禍は長期戦です。
観光や宿泊、飲食に携わる人たちは、座して死を待つしかないのでしょうか。
anond:20200722191856を消したのはなんで?
あ、内容あったから貼っておくね
元増田だけど、なんかちょっと荒れちゃったのであれー?と思った。
妬みか?いや、妬みというよりはなんか思ってたんと違う部分が目立つ書き方しちゃったからかな?
他人に金銭的に依存して、ラクできてラッキー、だから結婚最高ってことじゃないよ。
指摘してる人がいるように、扶養側の愛情にだけ依存した人生設計は危うすぎるよね。
離婚できる自由、自立を担保するのは、自分の稼げる能力だけだと思うし、
社会の中で生産的な人間でいることの方が本人も楽しいし、視野も広がる、人間的成長もあると思う。だからずーーっと頑張って働いてたんだよね。
正社員もできないなら自分なんて無価値だ…って追い込んでた時期も長かった。
なので鬱になって寝れなくなってついに働けなくなって、そしたら死にたい死にたいって希死念慮がとれなくて半年くらい薬飲んでた。
(みんながってことじゃないよ、自分は取り立てて一芸もないし、そんな自分は正社員くらい頑張んなきゃってこと)
自分が結婚したいと思ったのは、好きな人とずっと一緒に平和に暮らすって人生がしたかったから。
旦那と離婚の危機に陥ったこともあったし、そんときは結果として野垂れ死のうがなんだろーが離婚しようと思ってた。
金づるとして好きでもない人と結婚し続けるような心を殺す人生嫌だし、そんな自分の性根が惨めになる。
離婚してその結果また働いて病んでそれで詰むなら、それまで。それが自分の選んだ選択だから。生きる能力のない自分が悪い。
まあはちゃめちゃ話し合って、腹割ってぶつかりあって、時間はかかったけどお互い理解しあって、
色々あって今は離婚とか全然思ってないけど、それは信頼関係があるから。
子供ができようができまいが、飽きるとか浮気とか、夫が病気で働けなくなるとか、そういう人生で起きそうな色んなこと、
信頼関係があるから大丈夫って思えるくらい、お互いに価値観とか思考回路を親よりもだれよりも知ってるし、
生きていく上で、愛情に基づいた信頼関係が一番大事って夫婦で共有してるから平和なんだと思うよ。
のんきにハッピーライフしてるのは、そういう人が人生にいるって安心感があるからだよ。
だってコロナで夫が3ヶ月くらい在宅してて、そんときが人生で一番楽しかったよ。
夫が近くにいると嬉しいし、なんかかまっちゃうし、かまわれると旦那もなんだかんだ笑ってるし、それをみると私も笑えてくるし、
ねーそういう人生って楽しくない?好きな人と結婚して、信頼関係があるっていいことだよ。
ついでに経済的な不安もないし、だれか言ってたみたいに夏休みの小学生みたいだし。毎日ハッピーってこと。
エリート&バリキャリの家庭に育って、働いて自立すること社会と接すること大事!ってインストールして生きてきたし、
自分もそんな親やまわりをカッコいいなって素直に尊敬して、なりたいなあ~って頑張ってきたけど、
悲しいことにそこまでそういうことに向いてなかったのよね、たぶん。
そんな自分って駄目だなあ、生産性の人生がいつか苦になるって思ってたけど、
いざそういやって暮らしてみると全然そんなこと無かったな~~ってこと。
(むしろ働いていても、できないことばっかりに目が向いて自分に価値なんて感じられなかったし、それは何十年働いても多分一緒)
社会と接しない暮らし、自分、向いてましたわ、むしろ今までが一番ハッピーですわ、ハハ、みたいな驚きがあってさ。
まあ、そんなこととかも言いたかったなあ、とみんなのコメント読んでから思ったわ。
ほーんと、働きたいひとだけ働けばいい社会が来るといいよね。
働くの向いてないひとは、働かなくてよくてさ、女も男も関係なくさ。
オッス、おら増田!
ヤーズフレックスを使用しだしてから1年ほど経ったので、その使用感とか感想とかを書くことにしたぞ!
よろしくな!
気になってる人の参考になるとうれしいです。
1:ヤーズフレックスってなんぞ
超低用量ピルのこと。
詳しくは企業公式HPで確認したりお医者さんにきいてほしいが、3行で説明すると、
・生理を楽にする成分が入っているけど少ない 少ないが効く
・生理に伴う症状を楽にすることができる
・最大120日連続で飲めるため、うまくいけば生理を120日(約4ヶ月ほど)止めることができる
こういうかんじである。
これを書いている増田はトップクラスの重度ではないにしろ、お医者から「あなたのそれは漢方でどうにかとかのレベルでないので諦めましょう」と太鼓判を押された。
生理に伴う症状として、
・眠気(強)
・頭痛(たまに)
・腹痛(強)
・腰痛(強)
・胸の張り(強)
・出血(強)
・子宮内膜の剥離(強)
・だるさ(強)
・生理の乱れ
薬なしだと上記の症状が現れる。
まだ、発熱や鬱症状、極度のイライラが現れないだけ、もっと重度の人よりはマシであるがしんどい!!!!!死!!!!!
眠気は、自分の手を握りあって手が少しあったかくなるだけで落ちる。
胸は揺れないほどカチカチ。
出血は40cmのナプキンが前から後ろまでしっかり吸ってなお漏れる。
子宮内膜(一部界隈で経血ゼリーと呼ばれている)の剥離は、通常長さ3〜5cm、幅0.7〜0.8mm程度の塊が期間中2〜3回ほど出てくる。
こりゃやべぇと本気で思って母に相談したら、母もいつも出るといってそっか〜!となって当時は気にしなかったのが悔やまれる。
生理期間は約9〜14日。
3:増田の薬歴など
なんだかすっごく楽になる!とツイッターランドで見かけたので、試しにと産婦人科に行ったら諦めろ宣言のもと処方された。
そのときは通常のヤーズ。
1ヶ月に1回生理はくるが、薬なしのときの症状が6〜7割なくなって、あれだけ苦しんでたのってなんだったんだ…となった。
それから就職したものの、働き方や職場のストレスにより、薬を飲んでいても不正出血が続いたため、ルナベルに変更。
しかし壊滅的に合わず、飲めば強度の吐き気を伴うため、わずか2週間で終了した。
血は止まったけど命が削れた。
ルナベルくん自体は悪くないのでここは気をつけて欲しいところ。
逆にヤーズ飲んでこうなる人もいるらしいので。
そこからヤーズにもどし数年後、ヤーズフレックスに変更することになった運びである。
成分の配合量などが違うとはいえ、通常のヤーズを長く使っていることから、大丈夫でしょうとあっさり処方してもらえた。
薬のお値段もあんまり変わらない(1ヶ月約2500円程度)のはハッピーだった。
4:ヤーズフレックスを飲んでみた
ヤーズと同じく毎日1錠。
あとは病院の方針にもよるが、半年に1回採血して血栓がないか検査。
次でダメなら戻さないとかなぁと思っていたが、効果がでたのはやはり次の周期からだった。
生理が2ヶ月こなかった。
といっても、本来くるであろう1ヶ月目くらいあたりでは多少倦怠感などあったが、血が出るのと出ないのとでは大違いである。
諸症状もヤーズを飲んでいたときくらいか、体調によりちょっと重いかくらい。
その次は3ヶ月止まった。
120日は元の生理が重いためか止めれたことはないが、ほぼ2〜3ヶ月に1回のペースでの生理になっている。
血が出ない期間が増えるごとにQOLが爆上がりとなった。
股から毎月血ィ出すとかもう無理。
5:感想
飲むと危ない人もいるし、血栓リスクもあるため、気軽には勧められない。
ついでに妊娠可能性も服用中は下がるため、妊娠希望の人は飲めない。
けれどもそうでなくて、生理を楽にしたい人は、婦人科へぜひ相談に行ってほしいと思うし、この喜びを共有してほしい。
君の青春時代を思い出してほしい。部活動やサークル活動に明け暮れ、あるいはそうでなくとも仲の良い友人たちと過ごした日々を。同年代の仲間たちが集まって、同じ目標に向かって努力し、でも皆個性的でバラバラだった。得意分野も違えば、目標を目指す理由も違って、かける熱意も時間も、家庭環境や物事の価値観だって違う。ただ同じ場所にいる、同じ目標を持つ、同年代なだけの子供たちが集まった歪な空間。青春譚はそんな中で紡がれる。皆バラバラだからいつも仲良くというわけにもいかず、時には激しく争ったりして、仲間が去ることもあったろう。対立の末に互いを尊重するようになることもあったろう。決して順風満帆ではないその起伏に溢れる日々は、フィクションの中にとどまらない、現実の物語として青春時代を支配する。
青春譚の世界は狭い。子供たちは自分たちの目に見えて手の届く範囲の世界を生きる。仲間たちを見て、この先いつか出会う他の集団を思い、自分たちのこれから歩む道を見据える中で、その下に埋もれた大勢に思いを馳せることはない。自分たちと同じくらい努力して、けれど自分たちと今後出会う事のない別の子供たちに対して、仲間意識や同情が芽生えることもない。だからいつも青春譚の主人公は「自分」になる。青春の熱気が、自分こそが物語の主人公かのような錯覚に溺れさせる。だから青春時代に、例えば「僕はこんなに頑張っているのに!」とほかの仲間たちも同じくらい、あるいはそれ以上頑張っていることを知っていたとしても、つい思ってしまうのだ。クラスメートGでも部員その16でもない、自分こそが主人公なのだから、その主人公というまやかしのアイデンティティにすがってしまう。子供たちにとっての青春譚は、自分を自分たらしめるアイデンティティを探し求め、特別になろうとする物語とも言えるだろう。
しかしずっと青春を謳歌しているわけにもいかない。歳を重ねるごとに見なければならない世界は広がりをみせ、将来という現実が重くのしかかり、広い世界の中で自分がいかにありきたりで普通な存在なのかを自覚せねばならない時が来る。受験や就職、勉強やスポーツの成績、資格試験、引っ越し、失恋、身内の不幸、怪我、もっとささいな下らない会話かもしれない、そのきっかけは様々だろう。子供たちは転機を迎える。そうして子供たちは青春を過ごした集団から引退する。「成長」して「大人」になって、青春譚は終わりを告げるのだ。
けれどそんな期間限定の青春譚をずっと紡ぎ続ける者も中にはいる。青春を捨てることなく集団から去って「大人」のひしめく社会へ赴く彼らは、その「子供」的な部分をあるときは称賛され、ある時は幼稚だと批判され、けれどそのどちらであれ特別な存在であることには変わりない。大半の子供たちが普通の大人になる中で、普通ではない者だけが特別な存在として「子供」であり続けることができる。選ばれし者だけが終わらない青春譚を謳歌する。
ライザのアトリエは青春譚である。しかしライザのアトリエは青春譚として異質な部分がある。
青春譚の多くは主人公を物語の中心に据えつつも、仲間たちにまつわるエピソードを描く。例えば青春を題材にした傑作部活もの「響け!ユーフォニアム」はアニメ化も成功しており知る人も多いと思うが、この作品は主人公久美子を通して物語が進むものの、個々のエピソードの中心には様々なサブキャラクターが据えられていて、彼女たちの問題にぶつかりながら、彼女たちの力で先に進むつくりになっていることが分かるだろう。「響け」ではある種記号的な主体性のないひとたらし主人公を設定することで、疑似的に吹奏楽部全体を主人公として描き、仲間たちの物語を繰り広げる。青春譚は仲間たち「みんなの物語」だからこそ、多くの作品は幅広いキャラクターの幅広い問題を描くことになる。
けれどライザのアトリエにはサブキャラクターイベントがほとんど存在しない。したがって仲間たちの物語はほとんど描かれず、物語の節々からその成果だけが見え隠れするにとどまる。そんな主人公だけにフォーカスした青春譚は、いつのまにか、まるで主人公ひとりの英雄譚かのような様相を呈してくる。そう、青春譚が「みんなの物語」なのはあくまで大人目線の客観的なものにすぎず、そのさなかに居る子供たちにとってはそれが「自分が主人公の英雄譚」かのように錯覚してしまうのだ。ライザのアトリエは青春譚だが、ただの青春譚ではない。青春の熱に浮かれた主人公ライザの視点から見た、錯覚の英雄譚なのである。
ライザのアトリエはライザの英雄譚だ。自身こそが主人公である錯覚に溺れるライザは、仲間たちにも同じように物語があることに気づけない。例えばタオはどうだろうか。勉強を頑張っている場面が何度かあったかと思えば、いつのまにか遺跡で古代文字をそらんじて見せた。他にも、例えばライザとの確執を乗り越えたボオスはあっという間にライザをも超える決断力と行動力を見せるようになった。彼らの成長はそれだけでひとつの物語になりうるほど大きいものに違いなく、彼らは全員が物語の主人公たりうるのだ。けれどライザはそのことに気づけない。気づけたとしても気にしない。青春の熱気で仲間たちへの関心さえも浮ついてしまったライザは、自身の英雄譚に溺れていく。
ライザのアトリエはファンタジーRPGであり、プレイヤーは主人公ライザを操作してゲームを進めていく。走り回り、素材を採取し、アイテムを調合し、依頼をこなし、戦闘をし、そしてテキストボックスをおくって物語を進めていく。そんなゲームとして当たり前な行動に対して、ライザのアトリエもまたゲームとして当たり前の快感をプレイヤーに与える。素材採取の爽快感、調合の楽しさと達成感、報奨金を得てうれしく思い、戦闘では調合の成果に一喜一憂する。RPGにおいてプレイヤーはゲームシステムから特別感や万能感といった快感を享受することになる。
そしてライザのアトリエでこの快感を享受するとき、プレイヤーは気付かぬまま物語に没入してしまうのである。ライザの英雄譚を進める中で、ライザ本人は自分の特別さや万能さといった錯覚を抱えて自分を物語の主人公だと信じており、一方プレイヤーはゲームシステムから特別感や万能感といった快感を与えられながら「ライザが主人公のゲームの物語」を進めることになる。ライザの描く錯覚の物語とプレイヤーの受け取るゲーム的快感はゆるやかに、けれど確実にシンクロしていく。プレイヤーは気付かぬうちにライザの錯覚の英雄譚の支持者となってしまう。プレイヤーもまたライザと同じように青春に溺れてゆき、サブキャラクターにも物語があることを重要視できなくなってしまう。タオの古代言語の研究も、ボオスの精神的成長も、レントもクラウディアもアンペルもリラのことも、しっかり評価しているつもりでもどこか軽視してしまう。青春譚がみんなの物語であることをつい忘れてしまう。だってライザのアトリエはライザの英雄譚なのだから。
ライザのアトリエは、誰もが英雄ではないからこそ面白い青春譚を、英雄譚を語るためのフォーマットであるRPGを用いて語った時いったい何を表現できるのかという問いに対して、ひとつの面白い答えを示せているだろう。
やがて夏が終わり物語はエンディングを迎える。けれどそこに訪れたのは英雄の凱旋というハッピーエンドではなく、別れだった。自分の将来という現実、親の都合という現実、これからの生活という現実、ライザがそれまで見て見ぬふりをしてきた様々な現実が、仲間たちとの別れとともに押し寄せる。英雄譚を共にした大切な仲間たちが「大人」としてライザの前に立つ。青春譚を経て特別になれなかった子供たちが「大人」としてライザに別れを告げる。ここでライザははじめて、仲間たちにも同じように物語があったことを理解する。ライザが青春の熱に浮かれて目の前のことだけに躍起になって満足している間に、仲間たちはもっと広い世界を見つめていたのだ。このひと夏の出来事は、決して英雄譚なんかではなく、仲間たちみんなの物語だったという現実がライザを襲う。自分が見て体験してきたひと夏が一気にひっくり返されて、言葉を失うほどのショックを受ける。
けれどライザも特別な存在でないのなら、現実とは向き合わねばならない。ライザは「大人」になることを決める。皆を引き留めない。隠れ家は解散。遠く離れてもまたいつか会おう。そんなありきたりな結末を選ぶ。ライザは特別にはなれなかった。子供のままではいられなかった。「なんでもない」ライザは青春の夢に生まれ、そしてなんでもないまま「成長」という名の死を迎えた。青春を生きたライザというキャラクターは、青春の終わりとともに消える。ライザは「大人」になっていく。
ライザが「大人」になることを選んだように、プレイヤーもまた青春の夢から覚めなければならない。ずっとこつこつ積み上げてきた錯覚の英雄譚は、エンディングの場にきて一気に崩される。プレイヤーの支持した英雄譚なんて最初からなかったのだ。エンディングはプレイヤーに、ゲームシステムからもたらされる特別感や万能感を物語の解釈にまで持ち込んでいないかと咎めてくる。ライザ視点でしか見てないのに物語全体を理解した気になっていないかと冷酷に突き放される。ずっとおだててきたくせにエンディングにきて突然「なんでもない」の世界に突き落としてくる。プレイヤーも「大人」にならなければならない。
平和な後日談もなく物語のピークから急に始まる決してハッピーではないエンディング。いつか訪れることを知っていた仲間たちとの別れ。その別れを祝福したい気持ち。けれど自分だけ取り残された焦燥感もある。どうにかハッピーエンドには行けないのかと歯がゆく思う気持ち。自分の特別さを否定された時の居心地の悪さ。
そんな複雑に絡み合ってモヤモヤした、けれど無性に懐かしいあの青春の喪失感を、「ああ、明日からこの部室に来ることは無いんだ」と思うあの青春の残響を追体験したいなら、これほど適したゲームは他にないだろう。
ひと夏の濃密な時間を過ごして、結局特別にはなれず「なんでもない」まま青春時代を終えた少女、ライザリン・シュタウト。そんな少女に、3年の年月を経て、2度目の夏が訪れるという。
■追記
こういうのだ!
・固定(攻め受けが逆転しないこと?)
■追記終わり
言いたい事はタイトルの通りだが、まずは感謝の言葉を送りたい!!
あなた方はセンスの塊だ! 俺には到底真似できない言い回しや表現で楽しませてくれる!! 天才だ!!!
きっと普段から推しの布教や解釈で殴りあっている成果だと思う!
俺には推しなんぞいないし、原作厨だから自分なりの解釈などという武器を持つこともできない.....その時点であなた方は尊敬の的だ!!
所詮トイレの落書きであること、俺のわがままであること、全て承知だ!
でもお願いしたい!!
理由は至って単純だ!
きっと字書き腐女子のみんなも、読んで欲しいという承認欲求を少なからず含んだ上で投稿しているんだと思う(だといいな)!
なればこそ、こういったちょっとの配慮でより読者が増えるのではなかろうか!!
だから何卒.....何卒ぉ...!
とある作品の二次創作を書くたびに決まってコメントをくれる人がいる。
ありがたいことだ。感謝の気持ちは私にもある。けれど、嬉しいか嬉しくないかといわれれば、むしろ、嬉しくないのだ。
感想、もらえるだけでありがたい。そういう空気が、そこかしにあって、ここにしか書けないので吐き出させてほしい。
とかなら、ありがとうございます。と返事をして、私もにっこり。で、終われるのだが、その感想はいつもなんと返事をして良いものかわからないのだ。
テレビ見ながら呟く独り言のような。「ギャハハ!!こんなことも知らないなんてまじありえねぇ!!」みたいなコメントが届く。
文面からは楽しんでくれてることはわかるけれど、自己完結してるから返事をどう書けば良いのかわからずに憂鬱な気分になってしまう。
別に返事は絶対書かなくてはいけないものではないので、私も「あぁ、楽しんでくれたんだな」で、終われれば良いんだろう。でも、私も感想を送ったときに返事があると嬉しいタイプなのでなんとか、頭をひねってお礼を伝えようとする。
そして、文面が出てこなくて心が削れてしまう。
でもって今回は、落ち込んだ主人公が最後はハッピーになる話を私は書いたつもりだったのに、主人公元気だせ!とコメントをいただき、主人公、もう元気なんだが?と、ポカンとしてしまった。
私の書き方が拙くて伝わらなかったのかもしれないけど、やっぱり書いてる人になにか伝えたいなら、相手の反応を考えて送ってほしいと思ってしまった。
「ごくらくちんみ」を読むとハッピーになる
BLを摂取するとどういうわけか物理的な刺激(要するに自慰行為のことだけど摂取する行為が自慰行為とも言えるのであくまでも物理的な刺激の話)がなくとも性欲を処理できるようなのである。正確には処理はされてなくてもしかすると飽和している。皆さんがどうかはわからないがBLを摂取するとき真顔で平然と見れるわけは無く心拍数は上がるし緊張したり悶えたり呼吸困難になったり暴れまわったりぎゃーぎゃー騒いだり、、とにかく体力を使うのである。それが自慰行為に似ているのかも…とか考えている。
ここまで書いて思ったんだけど仮にそうだとすると他人の見てるところでBLみてニヤニヤするのヤバイんじゃないか。自粛しよう。自分で言っておいてあれですけどそんないつも他人の前で見てる訳では無いですわよ。
BLに興味を持つ前はAVをよくみていた。私は女性としてレイプものは最低だと思っているにも関わらずいつもレイプもので抜いて(?)いて罪悪感はあったけどやめられなかった。軽い中毒のようなものだったと思う。で、これが重要なんだけど、性欲は“処理”するものだと思っていた。私は男性ではないし自分以外の女性に性欲について話を聞いたこともないので根拠はなくてうまく言えないんだけども、AV中毒だった頃の私の性欲って言うのは男性の言う性欲に近かったのではないかと思っている。そうなんじゃないかな〜というだけで特に他意は無い。
AV中毒からBL中毒に移行したという説もあって、多分それ。もはやBL無しでは生きていけない!!!しかし私はBLを愛しているし、AV中毒だった頃の「嫌悪すらしていてやめたいのにやめられない状態」とは明らかに違うし、性欲で罪悪感を感じず精神の均衡を手に入れたので、必ずしも中毒(中毒?依存?)=悪では無いんじゃないかと思ってハッピーサーオワーイライフを謳歌している。˚✧₊⁎❝᷀ົཽ≀ˍ̮ ❝᷀ົཽ⁎⁺˳✧༚
同人誌の感想が貰えるとか貰えないとか仲良くなりたいとか送ったら筆折られたとかみんな本当に色々考えているんだなと思う。特に最近は、あっちを見てもこっちを見ても感想感想ねこも杓子もバナナも感想の話をしている。すごい。みんな感想についてそれだけ思うところがあるということなのだ。思う方向性はバラバラかもしれないが、とにかくみんな感想の話をしている。しかしその中に自分と同じような意見を見かけることが少ないので、せっかくだから匿名ブログで書いてみようかなと思った。読んで気分が悪くなっても何もしてあげられないので、繊細な人は読まないでほしい。感想欲しさが原動力で作品を作っている人もできればやめておいた方がいい。あと胃腸が弱い人もやめておいた方がいい、胃腸はメンタルにかなり引きずられると病院で聞いたことがある。お体を大切にしてほしい。
ちなみに筆者は最近巷で話題の「二次創作を中心に活動している女オタク」というやつなので、そこだけご了承いただきたい。
はじめに:感想ほしい?
「ほしい!」と即答できる人は元気でよろしいと思う。「貰えたら嬉しいけど色々あるよね」と言える人は大人で素晴らしいと思う。「ほしくない」と言える人はこれを読んでもあまり面白くないだろうと思うので、やめておいた方がいい。
さて、感想が欲しい、もしくは貰えたら嬉しい人は、「感想をもらうためにやった方がいいこと!」みたいなweb記事とかをまあ一度くらいは見たことがあると思う。しかしそういう記事は、その記事の執筆者が「本当に実際感想をしこたま貰っているのか」ということには言及しない。そらそうだ、そんなこと書いたら普通は叩かれるだろうから。というわけで、あくまで「周囲と比べて」沢山感想を貰っているらしい自分がやっていることを書こうと思ったのだ。ちなみに友人がみんな謙遜してウソをついていた場合は友人全員足の小指をぶつけて一週間くらい地味に痛い思いをしてほしいと思う。
その1:どのくらい感想来る?
ネットで記事やアンケートを見てみると、「感想は1%未満」とか「3桁頒布したのに1件も来ない」とかざらに見かける。とても悲しいと思う。
自分は、50部頒布した作品に15件ほど感想が来たことがある。知り合いや友人はノーカウントだ。pixivで閲覧数1万程度、ブクマ数1000程度の小説作品に大体80件くらい感想を貰っている。80件の内半分くらいはそれなりに長文だった。インターネット引きこもりクソオタクなのであんまり知らなかったが、これは多い方なのだと友人たちに言われて初めて知った。勿論こんな弱小キモオタサークルよりいっぱい感想を貰っている人もおられることと思う。そういう方の参考になることは書けそうにない、すまない。自分のような若輩者でこれだから、壁やシャッター作家なんてのはもっともっと感想を貰っているものだと思っていたが、実はそうでもないらしい。世の中には毎日50000通くらいファンレターの来る神作家もいるのかもしれないが、自分は出会ったことはない。
「感想こじき」というスラングがある。大声で言えない悪い言葉を使っているが、インターネットスラングなのでそういうものなのだろう。ではこの言葉の対義語、つまり感想をびっくりするほど貰っている人は何だろう? という話をしていて「感想富豪」という対義語が出来た。周囲と比べてみると、自分は感想富豪なのだと思う。ありがたいことだ。自分はインターネット上ですらクソ引きこもりオタクなので、交流とか新刊読みました〜(読んでない)とかお世辞合戦とかそういうのはしていない。pixivメッセージやメールやぷらいべったーのメッセージボックスやマシュマロ、時には同人誌即売会でのお手紙やTwitterのリプライなど。色々なものを利用して、読んだ人が感想を送ってくださる。羨ましいと言われたこともあれば、友人だと思っていた人に「あなたはいいよね、有名作家に擦り寄ってコネで感想もらってるんでしょ」と即売会の会場で面と向かって罵られたこともある。しかし、特別なことをした覚えはあんまりない。ちなみにその友人だった人とはもう連絡もしていない。
自分がしていることは他人とは違うんだろうか? 自分の同人誌は何かおかしいんだろうか? 自分ではよく分からないが、みんなが感想富豪になったら感想が来なくて発狂する人を減らせるかもしれない。あともう友達だと思ってた人に罵られなくて済むかもしれない。そんな感じである。
その3:一に中身、二に中身、三、四がなくて五が中身
感想を沢山貰う作品というのは、大体どれも「中身」がちゃんとすごい作品だと思う。雑でテキトーだったり、やる気も技術も印象深いところもない作品は、やっぱりあまり感想が来ないと思う。だから作品の中身、クオリティをまず上げなくてはならない。絵ならデッサンや色彩、小説なら文章表現や構成、キャラクターの魅力を的確に捉える努力、それを自分なりの形で表現する情熱。そういうものの具体的な鍛え方はたぶん詳しい人が色々書いていると思うので、そういう記事を探してほしい。
ちなみに個人的な印象としては、ストーリーがきちんとあり、起承転結、盛り上がり、カタルシスなどが備わっているものが、同人作品としては「感想を貰いやすい」ものだと思う。送る側の心理として考えると当たり前のことだ。SNSのいわゆる1p漫画でも、起承転結のある(あるいは感じさせる)作品には何かを言いやすいし、ストーリーを感じられないものには感想を言いにくいからだ。
その4:どんな感想ほしい?
「好き」だけでもいい、とか「良かった」の一言でもいいとか、そういう人もいる。気持ちはわかる。
お前らが欲しいのは感想じゃなくてファンレターだろwwみたいな言説もよく見る。同人活動は趣味で赤字出しまくったりして仕事の合間にやってることなので、真面目に批評を頂いてもまあ困る人もいる。同人屋全員がプロを目指している訳ではない。向上心とは素晴らしいものだが、基本的には趣味でやっていることだ。同じものを好きな人が作品を気に入った時にそう言ってくれれば良いのではないかと思う。なので欲しいのは感想じゃなくてファンレターだろと草を生やすような人はちょっと論旨がずれている。そういうのはプロ志望の人に言ってあげてほしい「感想」であって、趣味の世界で見知らぬ人に向かって言ったら空気読めてないだけのキモいウエメセになる可能性が高い。
とにかく褒めてほしいという人もいる。なんでもいいし嘘でもいいから褒めまくってモチベ維持に協力してほしい、という気持ちもまあわからなくはない。
だが、そういった人たちも含めて大勢の作家が「こういう感想が欲しい」と憧れるようなヤツ、というものが世の中にはある。
もう何年も前に見たあなたの作品をずっと探していました、とか。
ジャンルが変わった作家を追いかけて、あなたの二次創作が読みたいから原作を読みました、とか。
即売会に参加したことは今までなかったけど、あなたの新刊が欲しくて今日は勇気を出して来ました、とか。
色々ある。どれも、送る側はお世辞では言いにくいデカめの感情のこもった感想だと思う。だからこそみんなそういう感想が欲しいと思うし、貰った人を羨むし、自分もそうなりたいと思うのだろう。ちなみにこれらは自分が貰ったことのある感想の一部だ。とても嬉しかったし、ありがたいことだと思っている。
しかしネットを見ていると、とりあえず即薬物(感想)を注射しないと死ぬ! みたいな意見もけっこう見かけるので、まずは一つでも感想を貰うためにできることを書いておこうと思う。
語彙力喪失エッチダネイイネ! 絵文字大乱闘! みたいな感想が欲しければ、アホエロに特化すればいい。長文で解釈や説明をしながら感想を言ってほしいなら、ストーリーものの重たい話を作ればいい。出来れば長い作品だと感想も長くなりがちだ。とにかく褒め言葉だけ聞いていたいので今すぐベタ褒めしてくれ! というなら、とにかく短いスパンでどんどん短編を出すことだ。なおどんな作品でもクオリティを上げるのは前述の通り最低条件である。クオリティはこつこつ努力するしかない。
どういう感想が欲しいかで、どんな人に見てもらいたいかは変わる。見てもらいたい人が違えば、作品も変わる。だからまずはどういう感想が欲しいのか、自分によく質問してみるといいと思う。その次はマーケティングだ。読んでほしいと思う層に的確にヒットするように、傾向を探る。そしてマーケティングに合わせて作品に味付けしてやればいい。
装丁は本の化粧である。人間だってメイクで別人のようになれる人がいるので、本も装丁ですごくよさそうな感じに見せることは出来る。中身が伴わなければ顔面詐欺とか言われるかもしれないが、まず即売会の会場やSNSのサンプル画像などで「おっ」と思ってもらうためにも装丁は大切だ。
装丁というとすぐに特殊紙! ニス盛り! 変形本! とか言い出す人もいるが、はしゃぐなはしゃぐな。まずは「目で見て分かる平面のデザイン」からだ。どんなに特殊紙キラキラ金かかり装丁にしても、デザインがクソだと台無しになる。特にサンプル画像だと紙の質感とかはわからないので台無しになる。同人誌のデザインについてはその手の本もあれば親切な講座サイトからフリー素材配布者さんまでいろんな専門家がいる。周囲に目を引くデザインの同人誌を出している人がいるなら、本人がデザインしてるのか、外部に頼んでいるなら誰に・どんなサービスに頼んでいるのか、聞いてみてもいいだろう。
良い装丁の本になれば、それをきっかけにして手に取ってくれる人が増えるかもしれない。中身と装丁が釣り合っていて噛み合った本なら、装丁も含めて「一つの作品」として感想を貰えることだろう。
即売会ならポスター、サンプル。SNSなら他人の紹介記事やRT。宣伝になることはたくさんある。一次創作か二次創作か、それにジャンルによってもどこで宣伝するのが効果的かは違う。自分の出したい作品に合わせて宣伝方法や場所も選ぶといい。宣伝することで作品を見てもらう機会が増やせるなら、その分感想を貰える確率も上がるかもしれない。当然これらの宣伝もクオリティに気を使った方がいい。ただし、宣伝は他人任せになる部分が多い要素だ。自分で宣伝しても限界があるので、その分の労力を作品の中身に使った方がいい場合も多い。初心者は特に。
その7:感想への反応
これは本当に人によって様々だし、ジャンルや界隈の人たちの暗黙の了解みたいなものも関係してくる。なのでここには自分のやっていることを書いておくが、あまり参考にはならないかもしれない。
自分は前述の通り、長文の感想や熱意の高い感想を貰うことが多い。そうした感想に対して、「わ〜ありがとうございます〜!」一言だけで済ませてしまうのは、自分は嫌だと思っている。一生懸命に書いてくれたと伝わる感想なら一生懸命に心を返す。好きなところをたくさん抜粋して書いてくれた感想なら、その抜粋部分に対する作者側からの話をする。クソデカ感情ぽい感想なら、その感情受け止めたぜ! という心意気を目一杯返す。そういう感じで返事をしている。感想を送った人は、何も「コイツにすり寄ってウマイ汁すすってやるぜ」とか思っている人ばかりではないと思う。作品を読んではちゃめちゃ楽しんで、その気持ちをくれた人に喜んでもらいたいと思って送る人もいると思う。だから自分も、そう思ってくれた人に喜んでもらえたらいいなと思って返事をしている。どうせ同じ穴のオタク、お互いを尊重していきたい。
もし相手が喜んでくれなかったらそれは残念だが、喜んでくれれば次の作品にもまた感想を送ってくれるかもしれない。感想が貰えたら自分もやる気が出てどんどん作品を出せるかもしれない。win-winの関係、幸せのスパイラルというやつである。
同人活動は趣味でやっていることだから、「感想こねーからやめるわ!」も自由だし「感想ほしいから他人にお世辞を言ってでもお返しを貰う」のも自由だ。全員が本当に欲しい感想を貰うことは難しいだろうし、感想が来るかどうかには運やタイミングも関係する時があると思う。でもやっぱり、少しでも多くの人がハッピー創作活動できた方がいいと思う。
まずは一に中身、二に中身、三、四がなくて五が中身。マーケティングして、装丁頑張って、宣伝して、感想が届いたら頑張って返事をするといい。それでもうまくいかない時もあると思うけど、それはたぶん神作家と呼ばれるような人にもある悩みなんだろう。がんばれ同人屋。無理するなよ同人屋。体大事にしてね同人屋。自分もこれからもその辺のネットの端っことか即売会の島でがんばるので。
私はTLで誕生日を言えなくなった。
ただのお気持ち文。
去年、これまでは気を使わすから誕生日言わなかったのだけど今年こそはと決意して呟こうとしていたら速報で未曾有の殺人事件が流れてTL上もその事件について埋まった。
……言えない。この状況で今日誕生日ですってKY(死語)にもほどがある。そりゃ毎日が誕生日で命日な事って分かってるけど今起こる事か!?って頭抱えた。
間一髪、指先はまだ誕生日呟いてない。
起きても枕元にプレゼント無いからスマホで欲しいものポチった。
で、今年。
国民的俳優が最悪の形で亡くなった速報が流れて、好き歌手が赤い目で途切れ途切れに歌う姿に泣いた。今すぐ休んで欲しい。
何で今日なんだって気持ちと普通に考えたら夏休み初日だもんな、分かるって納得したクソみたいな事考えてTV消した。
ハッピーな気持ちでいたかったから買い物に行ってカルディで大きい杏仁豆腐を買ってAmebaでしんちゃんの映画見てた。
今まで買った事なかったの後悔するくらい杏仁豆腐が美味しかった。
翌朝指先が気付いたらなんか押してた。今年は食べ物がくる。
速報でこれだけ凹むのだから、終戦記念日や阪神淡路大地震や東日本大震災や西日本豪雨とかを誕生日に持った人はどんな気持ちなんだろう。
気にせずに誕生日だと言うかもしれないし、私みたいに気にして言えなかったりするのだろうか。どっちでもいい。
でも「今日、誕生日なんだ~✨」ってTL上で言える人達が少しだけ羨ましい。おめでとう。良い1日過ごしてくれ。
【追記】