はてなキーワード: ハッピーとは
恐怖などの不幸にレアなハッピーをくっつけてエンターテイメントを作る。
でもそれだけじゃ足らなくて、そこに安全を加えて初めて受け入れられる、って訳か。たしかにその通りだ。
しかし恐怖を求める、ハッピーを求める、そういう欲求があること自体は否定できないのではないか。
抱き合わせ的に付いてくる不幸を避けたいって欲求と天秤に掛けられて、ときに却下される、ってだけで。あと、イケメン性を引き立たせる不幸シチュエーションにも人気の差異があるよね。イケメンだけど精神が子ども、イケメンだけど借金が多い。そういう種類のものは強引な目上よりも数が少ないように思える。「不幸であれば内容問わずそれを求めている」線はないが、まあすくなくとも元増田の言うように「権力上位者の好意は苦痛」は文字通りの意味ではウソだろって疑いは消えない。
「ただし安全に限る」はよい着目点に思える。
しかし、安全が確保された状況では、40代男性上司に食事に誘われるのが加害か否かは、イケメン性が決定するってことだ。「ただしイケメンに限る」は解錠するための唯一の鍵じゃない。2本目の鍵だった。
5年目も10年目も15年目も幸せだったのに、20年目に破綻することだってある。
趣味は楽しいし友達もいるし無理して結婚しても幸せになるとは限らないというような意見だ。
その通りなのは明らかだ。結婚して幸せになる保証があるなら苦労はない。
だけど、時々アラフォーやアラフィフの人達の言葉を鵜呑みにしていいのかと思う。
そういう言葉を下の世代はどこかで自分を安心させるお守りにする。無理に結婚することなどないのだと。
そのつもりで迎えた40代のある誕生日、私は突然言いようのない不安に苛まれるかもしれない。
ハッピーな気持ちで誕生日に好きな映画を見ている私もいるかもしれない。
やはり私にはデロリアンがない。独身で迎える中年の誕生日をどんな気持ちで過ごしているか分からない。
独身でも楽しいと発信してる中年以上の人なんて上澄みかもしれないと思うことがある。
独身なのが辛い寂しい苦しいという人はわざわざそのことを発信せずに消えていくのではないだろうか。
趣味を続けていく楽しさを持てずに消えていくのだ。楽しい趣味の場に泣き言は不要だから。
ある人は結婚なんてしなくても大丈夫だったのかもしれない。だけど、誰もがそう思えるわけがない。
結婚した方がいいは無責任だ。だけど同じくらい結婚しなくても大丈夫も無責任だ。
結婚してよかったのはその人だけのことだし、結婚しなくても大丈夫もその人だけのことだ。
一般化して語る結婚した方がいいに強い拒否感を示す人は、同じくらい結婚しなくても大丈夫にだって拒否感を示すべきだ。
自分の人生に責任を取ってくれない他人の言葉をお守りにしてはいけない。
生涯未婚率を見れば30代に入ってしまえば1秒1分1時間1日1か月1年毎に可能性が減っている。
それなのに本当に結婚が不要かどうか、傍らで支えてくれる誰かがいなくても大丈夫か私は真剣に考えていなかった。
誰かに支えられることをまず考えるような人間は向いていないかもしれない。
とりあえず結婚してもしなくても友達がいるというのは大事なことだしありがたいことなのだろうと思うことにした。
レターケースを開けたら、宛名シール貼ったヘニャヘニャのビニール袋が出て来た。
袋の周りをぐるっとマステで封してて、このまま郵便局に出すつもりだったんだろうなって感じ。
中身はワレモノだった。郵便局でレターパック薦められたんだろうな。
マステ貼ったやつそのまま出したらはがれるかもとかビニール袋や中身が破損するかもという発想は姉にはないらしい。
"まいにちハッピーに過ごそうね🌸"的なメッセージカードも一緒に入ってた。
相変わらず頭ん中ハッピーで若作りしてインスタやってそう。加工しまくった自撮りや料理載せてそう。知らんけど。
性格は真逆なのに、何故か私がその時欲しいものや私の好きなものをピタリと当てて毎回送ってくれる所はやっぱり姉なんだなと思う。
社内移動して、下期からわたしの好きな上司のもとで働けることになった、ハッピー!30歳既婚女性です
その人のためにめいっぱい働くぞ!って思ってるんだけど、組織ってすぐ変わるしいつまでも好きな上司の下で働けるわけではない
とすると、何を頑張る根元にしようか、と悩んでいる
自分のキャリアとかよく分からなくて、どちらかというと頑張ってればなんとかなる派なので戦略的に出世する方法を考えるのが苦手(出世したい欲がある)
また、業務内容についてはこの会社でやりたいことをやれている意識もない
と言っても、わたしのやりたいことってなんだっけ?みたいな話にもなる
30歳になってみんなやりたいことやり始めたり、ゴールデンルート(出世していってたり、起業していったりの人のことを勝手にそう呼んでる)との格差が広がってる気がする
周りの女性は子どもを産み始めてるけどこんな中途半端な気持ちで産めない、と毎年歳を重ねていくばかり。
全部中途半端だ
好きな人とずっと働ける環境になったらこんなこと悩まなくてもいい気がするんだけど、やっぱり自立してないよなあ
わたしは私のやりたいことを見つけて、自立したほうがいいと思うんだよなあ
キモい上に金もないしもう若くもない最底辺の自分を愛してくれるひと
そりゃあ、そんな素敵なパートナーが居ることはとても幸せなことだろうが
普通に考えてそんなに人現れるわけないだろ
普通の人でも、失職し、資産を失い、心身共に病にかかり、無一文の無能になっても愛し続けてくれるような相手そうそう現れない
3組に1組が離婚する時代だし、仮面夫婦の数を考えれば、本当に愛し合ってる夫婦なんて1割いるかどうかというところだろう
相手が自分に何をしてくれるか、相手と結婚してどんなメリットがあるか
それが問題にならないことはない
KKOはキモいし金も稼がないし発達障害もしくは学習障害をもつ生活保護寸前の人間だ
そんな地獄も厭わないような聖人、KKOを心から愛すようなエンジェルがいれば、そりゃあKKOは幸せだろうさ
「どうしょうもないKKOに天使が舞い降りたら」「幸せになれるだろうな」なんて、考えるだけ無駄だ。
普通の人にもキモカネにも天使は舞い降りない。異性は天使ではない。異性だって救いを求める打算的な普通の人やキモカネで構成されているのだ。
最底辺からミラクルハッピーを望むのは現実的じゃない。俺たちはもっと、ささやかな幸せを一つずつ手に入れていくべきだ。
俺にも昔天使が舞い降りた。半無職の発達障害のブサメンの俺を彼女は愛してくれた。でも、10年経つ頃には「離婚してください」って土下座されたよ。これ以上同じ家で生活するのが耐えられないってさ。慰謝料は払うから別れてくれって。最終的にはそうなるんだよ。(クズだからいっぱい慰謝料貰った。子供との面会は、何回もぶっちしてパチに行ったりしたせいで、子供にも元妻にも断られるようになって5年会ってない。)
人生の僅かな間、天使のように思える異性が舞い降りたとしても、相手も結局人間にすぎない。宝くじに当たるように運良く結婚出来たとしても、維持できないんだよ。結婚生活の維持なんて健常者でも難しいこと、KKOに出来るわけないだろ。
KKOの救済措置に、土台無理な結婚を持ち出すことこそ、KKO救済の妨げだと俺は思うよ。宝くじがあったら救済されますよねー、って言い続けてもKKOは救われないんだ。何も変わらないんだ。
KKOを救う、つまりKOの孤独を解消し、生活を安定させるために必要なのは何か?
葉っぱで法被でハッピーだ
個別の症例を追えてるわけじゃないので、マクロな統計で見てもよくわからないですよね。
個別で見れるのは退院、療養解除フラグだけですが、5月6月の陽性者も未だにどの年代でも1/4くらいはついていないことも気になってます。自宅療養で連絡とれなくなってそのままっていうならいいんですけども。
っていうかそもそも感染者数が日々増加していっている以上、自粛マインドになってしまうのは仕方なく、この状況下で普段と同じ経済活動を広く求めるには無理があるんですよね。いい悪い、正しい正しくないじゃなくて、国民感情なんてそんなもんですし。日々減っていけば行動範囲は広がるし財布の紐も緩むけど、日々増えていけばその逆になる。
極端な話、月に一週間自粛ウィークでも作れば、残り3週間行動範囲が広がり財布の紐が緩む。それで日々の感染者数を20〜70人あたりで推移させれば、経営者も安心できるし、みんなハッピーな気もします。これが僕が考える最強のコロナ対策っす。
そんな感じだと思うのですが、、、まぁあっちもこっちも極端な話ばかりで。
https://anond.hatelabo.jp/20200731233907
上流に大量にダムを作って、嵩上げに嵩上げを重ねた堤防に守られていて、浚渫に浚渫を重ねて利根川では塩水が逆流してくる始末
自然に住みやすくなっているわけではなく、お前たちがそこに住んでること自体が超高コストのお荷物集団なんだわ
典型的なのが大東水害訴訟で、記録を読むごとにあんな危ないとこにきったねー家建てて沈んだら訴訟って世も末かよと思うわ
それをなんとかするために住道駅前みたいなことになってるんだよ
お前の地元だって例外じゃない、沈んだら絶対に大東と同じことになるって俺が保証してやるよ
ダム反対派みたいな言い方をするなら、単なる排水路以上のものではないおぞましい人工物の河川政策なんかやめて、お前の地元が事実上の遊水地になって毎年沈むことを許容してくれれば、河川環境も守られるしみんながハッピーになれるんだわ
いやさ別にお前みたいな考え方は珍しいわけじゃないよ
80年代までの建設省から県庁へ出向でやってきた連中がこういうこと地元で放言して大炎上して数年で帰っていったというのを沢山聞かされた
http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranB/TPage.cgi?id=713
甲村: ダムが中止と決定した時,直轄ダムでしたが,県の部長として「まず地元へ説明に行って来い」と言われ,私が地元の水没者の方々に謝罪に行きました。すると水没者の人は「わしらは別に反対してなかった。村長が反対していた。わしらこそ(ダム中止の)被害者だ」と言うのです。「昔だったら、木を売れば金が入ってきたのに、今では木を売っても大した金にもならん。それにダムが出来るのできちんとした道路も期待した。辺りは携帯電話の電波も通じない」
こういう声が本当にあったとして平然とそれを公言しちゃうサイコ野郎だらけだから「国の政策の失敗をダムで沈めて隠そうとするつもりか!」って更なる大惨事になって下っ端が公道で土下座するような羽目になってたそうだ
あれ若手が周辺の人間が見てるような行動上でやると”効く”感じがあって良いらしいな
そういう建設省のダメなとこを表面的にせよ改めてくれたのが河川局長だった近藤徹さんだと伺っていて、いわゆる反対派という人たちは滅多クソに嫌ってるのはなんでなのか増田にはよくわからんので霞が関の事情に詳しい方は教えてください
リスカとか自傷する人はよく「かまってちゃん」だと認識されてる。
理由として一番納得できるのが「注目を浴びるため」なんだと思う。
でも実際は多分違う。
誰にでも最高に楽しかった瞬間はあると思う
そういう時、人間は脳の奥からジワジワ喜びが湧いてきて気持ちがよくなる。
最高!ハッピー!なんも考えられない!
つまり苦しいことが忘れられる
自傷はそういうハッピーな状態を手軽に得られちゃう行為なんだよね
でも世の中には生きてるだけで苦しくて、呼吸と同じくらい死にたいと考え続けてる人がいる
そういう人たちが自傷をすると、痛みを打ち消すために脳が出す物質で少しだけ苦しみを忘れられる
だから、自傷っていうのは目立ちたいからするってよりは生きるための麻酔なんだと思う
つまり何が言いたいかっていうと、自傷する人に「かまってちゃん乙!」っていうのはやめといた方がいいよってこと
誰しも自分の人生で精一杯だろうし、わかってあげてとは言わないけど
自傷してる人は既に溺れかけてる人だから、そこに暴言を吐くのは頭を水の中に沈める行為に等しい
やっても後味悪くなるだけで得はなんもない
もし自分の周りに自傷してる人がいて、助けてやりたいって気持ちがある人がこれを読んでるなら
「自傷行為なんてやめて!」って言うことは思いやりじゃないかもしれない
その人から生命線を奪おうとするってことにもなり得るから、まずはその行為を否定せずに話を聞いてあげるのがいいんじゃないかな
世の中、もう少し心の内を話し合って認め合うだけで避けられた悲しみが多い気がするから何となく書いた。
何度も言うけど自傷行為は推奨してない。少しでも苦しい気持ちを吐き出せる人が増えたらいいな。
おわり。
身近にあったことがないからあんまり親しみはないんだけど、大きくて青くていい感じの音がして…と良い要素が揃っていて好きだ。堤防から覗くとときどきクラゲとか小さい魚が見えるのも素敵。
サンドイッチとかハンバーガーとかパニーニみたいな、挟む系のパンが好きだ。具の彩りが側面から見えてテンションが上がるし、モノによって味の傾向が全然違うのも良い。サブウェイのサンドイッチもマクドナルドの安いバーガーもアンティコカフェ(増田で知った!)の高くてデカいパニーニも、それぞれに良さがある。
イモリの絶妙な希少性が好きだ。たぶん飼おうと思えばかなり簡単に手に入るんだけど、そうじゃなく野生で探す場合の。
実家の裏にちょっとした谷があって、そこには舗装された小川みたいなものがあった。そこにイモリがいてめちゃくちゃ興奮したんだよな。
トカゲのフォルムが好きなんだけど、やつらは速すぎてドン臭い俺では捕まえられなかった。シッポ切られるとすげえ申し訳ないし……
イモリはその点、フォルムは似てるのにかなりノンビリした感じで捕まえやすいし、顔もトカゲに比べてなんとなくノホホンとしていてかわいい。
腹が赤いのもかわいい。普段全然動かないのにエサをやるとノソノソ動いて、口をあけると中がピンク色なのもかわいい。
いい生き物!
中3〜高1くらいにみて、こんな面白い映画があるのか…と衝撃を受けた。修学旅行で行ったUSJ、ユニバーサルの作品を全然知らなくてアウェイ感があったんだけどBTTFザライドだけは乗るぞと意気込んで乗ったし、でけえポスターも買って帰った(かさばって大変だった)。
バックトゥザフューチャーの何がいいって、やっぱ終わり方ですよね。1なんかさ、いろいろあった末にすげえハッピーなところに着地するじゃないですか。現代に戻れて、ドクも死なないし、家庭環境もステキな感じになり、憧れの車もゲット、もう完璧な大団円じゃない。そこにわざわざさあ、未来から来て大騒ぎのドク、バックトゥザフューチャーのタイトル回収2、気がかりな新情報、謎の核融合炉なんかをブチこんできてさ、まったくもうこの映画は…と思ったところで空飛ぶデロリアンですよ!俺は笑いながら涙目になってしまった。最後の最後に広げなくていい大風呂敷を広げるやつ本当に大好きなんですよ。で、カッコいい台詞と共にとびあがったデロリアンがさあ、こっちに飛び込んできてエンドロール!もう完璧すぎる。「良さ」だけを理由に泣ける数少ない映画のひとつだと思う。
2もいいよねえ。全編について語ると長くなるから終わり方についてだけ触れると、あの1での印象深い雷のシーン、ドクが感じてるであろうタイムトラベル成功の嬉しさと未来からの友人がいなくなった寂しさがこっちにも伝わってくる絶妙な感情のシーンがさあ、一気にドタバタコメディに化けちゃうわけじゃないですか。アレも最高だよお!ドクがぶっ倒れるのもわかる!!!
3のエンドも最高の形で1をセルフオマージュしてますよね。問題は全部解決してさ、シリーズ最終作らしく一抹の寂しさも残るけど、ハッピーで素敵な終わり方だぜ…とシンミリしたところでまたあのバカみたいな情報量ぶちこみ展開をかましてくるの!未来は白紙だ!とか言っちゃってさあ……もう………そしてあの締め方、誰がどうみてもわかる1の終わり方のオマージュ!突っ込んでくる飛行機関車!泣くわあんなん!!!
秋、気候の良さに加えて謎の寂しさもあって最高、秋の朝の、肌寒さと朝露の湿り気と空気のきれいさが合わさったあの雰囲気、あれ最高なんだよな。
金木犀の香りもいい。あれ嗅いで胸騒ぎがするのはなんでなんですかね、フジファブリックの影響な気もするし、それは関係なく夏の終わりに切なさを感じてるような気もする。一回バイアスなしに嗅いでみたい。でもそれは無理だな……
Steamにある惑星開発サバイバルシミュレーションで、すげえ面白い。俺はかなり飽きっぽく同じゲームを100時間もやればかなりハマったほうで、200時間いけばライフタイムベストって感じなんだけどRimworldは800時間とかやった。
人のあまりいない不毛の(という割には資源潤沢だけど)惑星に不時着してコロニーを作り生きていく、っていうシチュがいい。捗る。
とにかくmodが充実していて、いろんなコンセプトで楽しめるのが良い。
衛生とか排泄の概念を足していよいよリアルな生活を送るもよし。全員分の浴場を作り上げたときはすごく嬉しい。ファンタジー系のを入れれば「不死身の身体を活かしてシカを泥仕合の肉弾戦のすえ倒し、その肉を食べ皮を服にして食いつないでいく」みたいなこともできる。スターウォーズmodで最強のフォース使いを作り上げるのも良かったな。
定期的にハマりなおして、そのたびに違うプレイングをしている。そろそろ次の波がくる気がする。
大きい無人の空間、良いんだよなあ…沢山の人が使うことを前提に大量にある備品なんかが全部自分のために開かれてるって状況がたまらない。
大学時代、キャンパスで一番デカい大講義室がわりと空き教室になってることが多いのに気づいてよく入り込んで空きコマを潰してた。無駄に歩き回ったり教壇に立ったり、席を3つ使って寝たりしてたな。いい思い出…
電車乗って乗客が自分だけだったりするとテンションあがるのもこれ!電車って意外と広いんだよなあ… 車掌さん来たら気まずいなとか思って歩き回ったり寝転がったりはできないけど、人がいないってだけでテンションが上がる。
空港とかショッピングモールが好きなのもちょっとこの趣味に関係してそう。どっちも人めっちゃいるけど、でかい分人口密度は大したことなかったりして、自分ひとりだったら…って妄想をしやすいのかもしれない。
音楽、いろいろ聴こうと思ってるんだけど好きになったバンドのWikipediaみたら絶対「ジャンル:オルタナティブ・ロック」って書いてあるんだよな。
20代後半の頃に営業から転職したけど、毎日やりがいあるし給料も1.5倍になって前よりハッピーですよ。
ただし、お前には無理だだのボロクソ言われながら、寝る間も惜しんで時間外でも仕事に取り組んだ時期もあっての今だけど。
もちろん若いうちから一貫して頑張ってきた人が強いのは正しいんだけど、若いうちからやってても途中で壊れてしまう人もいる。
年齢やセンスや向き不向き、顧客の観点など色々ファクターはあるけど、それは文系仕事だって同じ。ぬるま湯もあれば無理ゲーもある。
一番大事なのは、自分がどの仕事(もしくはどんな職場環境)に全力を注げるかどうかで、それに加えて運(そもそも努力しても成果の出ない仕事かどうか等)があると思う。
https://anond.hatelabo.jp/20200721105946
24時間で消えるnote〜一世一代の大告白を受けた〜|岸田 奈美
https://note.kishidanami.com/n/n0b2033a6652f
「40代女性フルタイム勤務。詳しくは言えないけどある種の技術職。結婚してもうすぐ20年」との方は、コロナの影響で家庭のことをほとんど夫さんがするようになり、自分の居場所がないと感じているらしい。
夫さんがこの増田さんを「リストラ」するようなときはまず来ないと思う。
例えば、配偶者が借金を負っていた場合、男性の方が女性に比べて配偶者のために借金を返そうとする、という統計結果がある。また、主に容姿の話かもしれないが、いわゆるマッチングサイトにおいて、男性が女性に点数をつける場合は非常にきれいな正規分布を描くに対して、女性が男性に点数をつける場合は8割以上が点数範囲の半分以下という極めて偏った順位付けをすることが複数のソースで確認されている。
このことは、裏を返せば、男性は女性から正規分布様の相対的な評価を受けると期待し、女性は男性からは絶対的な分布の偏った評価を受けると恐れることを示唆している。
なぜこの増田さんが「リストラ」されるのではないか、と考えるかというと、おそらく今の自分が非常に低い順位付けにされているのではないかと危惧するからであろう。おそらく夫さんからすれば、そう簡単に増田さんへの気持ちが変わることはないであろうにもかかわらず。
2つ目の話では書いている内容をそのまま受け取れば、自分の容姿にコンプレックスがあるようだ。ただ、上のマッチングサイトの例でもあるように、男性の女性に対する容姿の評価は、女性の男性に対する容姿の評価に比べれば遙かに緩やかだ。多くの男性にとって、書いている本人が思っているより容姿がよい可能性は非常に高い。これは単純に、女性は女性の男性に対する容姿の評価分布が男性の女性に対する容姿の評価分布と同じであると思い込んでしまうが、実際には違うというだけであろう。そもそも、男性にとって女性の客観的な(?)容姿は重要ではないにしろ。
いずれにせよ、変な誤解とか気負いがなくなって、ハッピーになるといいなと思いました。
小説ならいいんだよ、うまく考えた話をうまい文章で書いてさ、みんなイイネと思ってそれでハッピー、いいことだ
実話を過剰に装飾したり技巧を凝らしたりして伝えてこないで欲しいんですよね、あるいはそもそも実話なんかじゃないのかもしれんけど、ならそうとわかるようにしてほしい、実話っぽさを出しつつうまい文章を書かないでほしい
そこここに強調だったりネットミームなんかを埋め込んで共感性を高めた文体とか、漢字を適度にひらきつつ所々に文学的表現を入れた文体とか、そういう感じのさ、ウケるだろうなって感じのアレだよ
違うだろうがよ、人生で本当にでかい出来事に出くわした時ってそんな大したこと思わねえよお
ホーン…とそのときは思ってたんだけど後になって考えると結構デカかったな、みたいな、そういう感じじゃん 身体に光の粒子が溶け込んで…とか普段思うか? 思うってんならいいけどさあ
現実に起きたことを現実の人間が語る、その語り口って淡々とするもんなんじゃないのかよ
そうでもねえのかなあ 俺の感受性がショボいだけか?
俺一年強片思いした子に夜道で告白してOKもらって、抱きついていいですかなんて聞いて、暗いところでちょっとハグしたことあるけどさ、文学的な言葉なんて一切頭をよぎんなかったぜ 嬉しい、ウオー、長すぎかな、人通ったら恥ずかしいな こんな感じの断片的なことしか思わなかった
胸をあたたかな光が満たすようなきもちにはならねえし、心臓が爆発しそうなくらいに早鐘を打っていて、帰りの歩道橋で思わず走り出したりもしなかった スマホでTwitterを無駄にスクロールしたりはしたかもしれないけど、そんなもんそんなもん
とにかく、劇的だったり文学的だったりする文章にアレルギーがあるんだよ
こうさ、ドキュメンタリーですげーカッコいい台詞喋ったりメチャクチャお洒落なカメラアングル使ったりして欲しくないじゃないすか
詰まりながら喋ってさ、カメラは邪魔にならないところに置いたのがなんとなくわかるアングル、そういうのがいいんだ俺は
実話の力を借りてえなら実話らしく書け
半端なんだよ!
事務の人相手だから丁寧語の方がいいかなって思ったけどここは増田だからくだけた口調で書くね。
大学事務の方々には、いつも粗忽な学生相手に辛抱強く対応していただいて本当に感謝しているのだけれど、それとこれとは話が別だ。
大学生くらいの年代の元気な若者は感染しても無症状で済むことが多いが、自分の感染を通じてそういうハイリスクな人々にもし感染させて重症化させたとき、あなたは「仕方ないよそいつらの体が弱かったんだから」と思えるのかい?そう思うなら大学で学ぶ資格はないぞ。
仕方ないよ。
世の中には程度問題っていうものがあるよね。責任を論じる上では重要じゃん?
例えばさ、制限速度60キロの道で100キロ超えてたドライバーとさ、制限速度守ってたら子供がスケボーに寝そべって突っ込んできたドライバーじゃあさ、同じ「人身事故で人を撥ねて死なせちゃった」でも責任の重さが違うじゃん。前者は池袋の上級国民みたいにすごい非難にさらされるだろうけど、後者は「これは仕方ない」「避けられないでしょ」「轢かれたほうも悪い」みたいな感じで擁護してもらえるよね。
大原則として、感染症にかかって、それを移してしまうことに責任は発生しない。移された人だけでなく移してしまった人も被害者だ。
これは理解できるよね? できないなら近代的な市民社会で生きるための素養が不足しているので人権講習とかを受けような。
で、その上で話をすると、学生は別に感染者主催のコロナパーティーさせろとか言っているわけじゃないよね。
普通に大学に通わせろ、対面講義を受けさせろ、対面ゼミで討論させろ、図書館を使わせろ、学食で飯を食わせろって言ってるだけだよ。
これ、全部、法律に反していないどころかマナー違反ですらない、ごくごく通常の、模範的な学生の営みだよね。
ここで話が程度問題に移るわけだよ。
こんな当たり前の行動で蔓延するウイルスなんて、もう仕方ないでしょ。
事故だよ事故。避けられないよ。そんなん気にしてたら生きていけないよ。まっとうな社会生活が営めなくなっちゃうよ。スケボー少年を気にしてたら運転できないのと一緒だよ。
大学のリスクを説明されても、どうして私たちだけが? っていう不公平感は変わらないよ。私たちの学業は、貴重な大学生活の機会は不要不急? あちこちの会社では通勤が再開されているのに? あの会社員たちの日常は尊重されるべきで、私たちの日常は尊重に値しないの? どうして?
まして、私たちは学費を払っているのに? 会社員の人たちはお金をもらうために日常に復帰している。それなのに私たちは、お金を払っているのに日常に復帰できないの?
会社員の人たちの日常が尊重されるのはとても良いことだ。それは支持するから、同じように私たちの日常も尊重してほしい。
研究に使う本は高くて、個人ではなかなか手が出ない。それでもそれは研究する上で必要なもので、だから大学図書館に入れてあるんだよね。
図書館を使えないのに満足な学びができるわけないじゃん。どうして図書館にすら自由に入れないんだ。中ではほとんど喋らないのに。どうして。なぜ。納得できない。