はてなキーワード: ネガティヴとは
ネトウヨ発祥の画期は2002年の日韓W杯だと言われているが、俺が2chに入り浸りはじめたのもその頃だった。中学生だったかな。
まとめサイトもまだなく、「2chはヤバくて危険なサイト」といった空気がギリギリ残っていた時代だ。
その頃は「ネトウヨ」でなく「嫌韓厨」と呼ばれていて、そのとおり2chでは「厨」として扱われていた。
一部の板だけで活動していた連中(多分にネタ混じりだったろう)が、日韓W杯をきっかけにして活動を大規模化した。
それに影響されて、なんとなく韓国に対するネガティヴイメージが広がっていったのがこの頃だった。
でもまあ、まだ「韓国ってバカだねー」「日本は相手してないのにねー」という、あしらうような空気だったと思うし、
無関係の板に乗り込んできて政治活動を展開する「嫌韓厨」はやっぱり嫌われ者だった。
俺もそういう雰囲気からネトウヨ文化を知ったので、韓国に対しても嫌韓厨に対しても、どこか冷笑的に見ているような感じだった。
韓流ブームに対する反発、竹島問題の再燃、マンガ嫌韓流の発売など、世間的にも嫌韓の空気が盛り上がった。
ネット上では、韓国が何をパクっただとか、在日特権がどうだとか、虚実入り乱れた情報が絶え間なく供給され続けていた。
この頃にはもはや「あしらう」空気はなく、「同じレベルで殴り合い」だったな。
同じ頃に、はてなダイアリーを中心に「リベラル」なコミュニティを築き上げていたのがはてなで、
俺も、まだ出来立てだったはてなブックマークを使いはじめたりして、はてなの文化に染まりつつあった。
個人的に印象深かったのが、最初期のまとめブログのひとつである「ワラタ2ッキ」が嫌韓ネタを取り上げはじめたこと。
知ってのとおり、はてなでは左寄りの論客が多かったので、高校〜大学くらいだった俺は、ますますネトウヨには嫌悪感を抱くようになっていた。
そのあと、2006年に嫌儲騒動があって、ワラタ2ッキもなくなって、アニメ・ゲーム系のまとめサイトがわらわら出てきたのが2008年頃だ。
30歳 男
フルタイムだがもちろん安月給。
働きながらの受験が難しいのか、それとも私が馬鹿なのか、こんな歳までずるずるきてしまった。
私なりに仕事は熱心にしてきたつもりだった。
それなりの信頼を得、沢山の仕事を任せていただき、頑張ってきた。
職場でも、人間関係は良好で、いつも頑張っていると評価されていた。
頑張っても、報われない。
わかっている、努力が足りない。
足踏みするということは、無駄に歳をとり、人生が後退しているということだ。
情けないほどに物忘れがひどい。
また理解力も低下し、自分の頭の中がうまく整理できず、適切な言葉が出てこなかったり、話す順番や優先度があべこべになってきている。
小さい頃は勉強もスポーツも出来ていたのに、私はいつの間にか社会から落第点を告げられるようになった。
当時の私はもういない。
全くの別人だ。
障害というほどでもないが、病気を抱えたあの時から、認識した時から私の人生は緩やかに直実に下降しはじめた。
言い方が悪いとは思っている。
もう私は平凡な幸せを手にいれることはできないのだろうか。
ネガティヴな事は言いたくない。
常に明るい言葉を発して、前向きに生きてきたいのに、心がもう折れてしまった。
もう希望がないことを認めることができない。
ここ数年、外に出ようとするとえづきが止まらない。
きっと私の胃はおかしいだろう。
それでも外に出ると落ち着く。
こんな状況ですら、自分の弱い部分を出せない。
今までの人生も人にダメな部分を見せ、教えてもらったり、助けてもらうことが苦手だから、こんな人生になってしまったんだ。
私は鬱なのか。
もし仮に鬱なら、より人生は下降するのか。
就活では嘘をつくべきでない。
そんなことをしても企業にはバレている。
しかし就活生が幸せになるかと言われれば、残念ながらそんなことはない。
あなたがもし有名大企業にこだわりがなく、自分にマッチした企業に行きたいのであれば、
自分のことを正直に話し、多くの企業にエントリーし、数打って合う企業と出会っていくしかない。
前者はエントリー社数が増えてウハウハ、後者は社風にマッチしない人や無能の入社を防ぐことができる。
ネガティヴな奴やインドア系な奴はロクなところに決まらないという就活の闇に嵌まることになる。
どうしても行きたい企業がある、もしくは絶対に名の知れた大企業に入りたいというのなら、
嘘で塗り固めてでも自分自身の姿を相手企業側が求める人材に作り上げてしまえばいい。
もちろんその場で考えた付け焼き刃な嘘では見抜かれてしまう。
徹底的に嘘を練り上げれば、バレない。
大学の講義において代返とノートのコピーとカンニング、つまり嘘をつき続けて単位取得を乗り切ってた奴は、
たいがい就活を無難にこなしていい企業に滑り込んでいるのである。
何が言いたいかというと、正直者なだけでは救われないということだ
正しい
なんかちょっと誘われてその誘い方が気に入らないということで感情のスイッチが入る
その感情に導かれたグルグルした思考が始まる、それが妄想であり疲れの元ということ
「妄想」で指しているのは「そういう誘いがあった事実」ではなく「事実に対する感情的な思考の一切」のほう
具体的にいうと
誘い
があった、これは事実
を断ると数回に一回は「えーノリ悪いんだけどー」と電話の向こうから機嫌の悪そうな声が聞こえる。
いや、当たり前じゃない?なんでこっちがお前の都合に合わせなきゃいけないの?と思うくらいには私は性格が悪い。
というよりもなんで誘われた側が悪者扱いになるのかがわからない。
朝起きて今日帰って来たらあれしてこれして、これもやっておきたいなぁと計画をたてる。
起床した時点で私の一日のスケジュールはできているしこれはなるべく崩したくない。
趣味は一人でするタイプのもので、タイミングが合えば友人と話しながらすることもある。
私にとって一人で黙々と打ち込める趣味の時間はすごく大切だし、人生の休憩ポイントだ。
趣味のために一日頑張る日だって少なくない。いやほとんどそうかもしれない。
一人で過ごす時間は有意義で楽しくて楽で大切。その時間をノリで奪うの楽しい?
友人から誘いを受けるのは嬉しいし、なるべく断りたくない。
けれどもう家にも着いて一人の時間が始まっているタイミングで急な誘いをされると困る。
「もう家に着いてるから」と言うと「いいじゃん今からおいでよ」と言う。
何が良いの?私は良いこと一つもないよ?
人と会うとものすごく体力を使う。
これはもう体質でしかないと思うけど、友人でも上司でも知り合いでも一緒。
誰かと一緒にいることが好きな人もいれば、それで疲れちゃう人もいるじゃんね。
もちろん友達といる時間は好き。でもそれはお互いに思いやる気持ちがあってこそ。
なんで自分の突発的な思いつきで人を振り回してるのがわかんないんだろ。
相手のことを思うなら明日会いたいんだけど予定どう?の一言くらい言えないのかな。
急な誘いで新しい出会いが生まれるとか人生が豊かになるとか確かにあると思う。私にもそういう経験はある。
それを断ってノリ悪いとか言われるとさすがに何言ってるの?ってなる訳ですこっちは。
「前も来てくれなかったじゃーん」って、いやいや次も行かないよ?
でも急に飲み会を開くことになった来いよ!って言われると、は?って思う。
昔働いていたところで急に誘ったものに来ないやつは使えないってよく言われていた。
実際入社したての私にも急な用事をよく頼んでくる上司はたくさんいた。
あー試してるんだろうなって率直に思ってた。でも仕事上の話だからしょうがないよねとも思ってた。
試されてるってことは期待されてるのかな?頑張ろうって思ってた時期もあったし。
でもね、特別理由もなく人を試す人なんて本当にろくな人がいないんだよ。
こいつは俺の言うことをどれだけ素直に聞くかって思ってるだけ。
部下じゃないの。奴隷なんだよねそれは。
炎上していた人の理論で言うと誘いを断った人に対してこいつ仕事できねーなって思う訳じゃん。
行きたいけどごめんねって言った人が裏ではあいつ俺たちの会に参加しなかったから仕事できねーわって言われてるとか思うとおぞましい。
あいつノリ悪いわーあんな奴仕事もできねーだろうしもう呼ぶのやめようぜってなるのが目に見えてしまう。
本当に相手のことを思うなら相手のスケジュール聞いてから誘うでしょ。
それこそ敬意を払ってたら今から少し良いですか?お時間ありますか?って聞くだろうし、断られたとしてもノリ悪いわーって言わないでしょ?
そういう感情になるってことは相手のこと見下してるんだろうなって性格悪い私は思っちゃいます。
ちょっと前に仕事の電話してくる人は時間泥棒みたいな議論があったけどこれは違うのかな?
この話にも賛成派と反対派(反対派って言うかはわかんないけど)がいて色んな人がいるなとつくづく思った。
ノリで生きてる人の方が目立ちやすいから余計に発言が拡散されてるところもあるんだろうな。
ここまで書いててもう人種が違うんだなってことで私の頭の中は落ち着いてる。
ただ私はノリと勢いで家を飛び出すタイプの人とは上手くやっていけないだろうな。
世の中は目立つ人の意見に引っ張られやすい。説得力を感じる人の意見は正義にされやすい。
出会ったことのない人たちの中に私みたいな考えの人がいれば良いな。
そしてこういう考えの人もいるんだよって知ってくれたら良いな。
これ全部が妄想
ハッキリ言うけど病的
これが妄想
うん
でも無理して言ってると思う
突然ネットでダメだしっぽいこと言われて「ありがとううれしい」なんてシンプルな感想を持つわけない
表面を取り繕うのに内心でグルグルする癖しみついてる
モヤっとしたから書いただけなんだけど、ネガティヴな奴の頭ん中はこんな感じになってんだなーって参考にしてくれると多少有意義?かもしんない。
内容的に全然有り触れてる
だからみんな疲れる
でも特に人と合うとどっと疲れるとかいうタイプは妄想癖が濃いし
全くなんの役にも立たない思考であると自分でクールに読み返してみてほしい
それをやめたら全然疲れなくなる
入社半年くらい。男女比半々40人くらいの会社でデスクワークをしている。
先日、生理痛が酷く、午後に出社しても、まともに座ってられずトイレにこもっていた。
そして今日、男性上司が、私に聞こえるように「遅刻をしたくせに、トイレに行ってサボっている」とコソコソ言っているのをきいてしまった。
(弊社はなぜか遅刻の罪はどんな犯罪より重く、30分の遅刻でも3年は語り継がれる。なので誰も遅刻しない。みんな半休有給使いまくりだった前職とのギャップに驚いてる昨今。遅刻しないことは大切だけど、そんな厳しくなくてもよくない?と思ってしまうのは私がゆとりだからだろうか、)
もともと生理痛が酷く、先月までは、生理痛が酷い日が土日と重なっていて、会社を休まなくてすんだのだが、これから長く勤めて行くにあたり、平日に出社するのが辛い日も出てくると思う。
なので、早いうちに男性上司に、生理痛が酷いこと、平日に休みを取ることがあるかもしれないことを伝えなきゃいけないのだが…。
いかんせん、その男性上司が信用できないため、自分の健康にまつわることを打ち明けたくないので困っている。
(私にに聞こえるように「私さんの仕事ぶりを良いと思ったこと一度もない!」と言っている人を信用できるわけがない。)
こんなやつに自分の健康について打ち明けるくらいなら、「仕事をさぼるダメなやつ」というレッテルを貼られたままで良いと思ってしまう。
打ち明けたところで、「私さん生理で遅刻だって〜、みんな頑張って出社してるのにね、OOさんは休まなくて偉いね」とかデリカシーのない陰口言いそう。キモ
ホルモンバランスが崩れてるからこんなにネガティヴになってしまうのかな…。
もう転職したすぎる…。(正確にはこの男性上司の元で働きたくないだけ。)
男性が生理について学ぶ機会が少ないのが話題だが、この男性上司は結婚しているので多少は理解があると思っているのだが…。
※
生理休暇という制度もしっかりあるようだが、誰か利用している気配もない。
ここ最近、とあるSNS(写真系のあれ)を頑張って運用してみた。
結構頑張って投稿し続けて、ちょっと前にようやくフォロワー1000人に到達したのだが、
嬉しかったのはその時だけでなんの変化もなかった。
1000人に届きそうになった時には、もはやいいねの数とかどうでもよくなってたし、コメントも正直うざいと思い始めてた。
写真の質は上の下くらいなのに、どんどんフォロワーが増えていくから、もはやゲーム感覚になってたな。ポケモンみたいなもん。
フォロワー1000人いても何にも満たされないんだから、きっと5000人、1万人になってもしょうがないのかな。
別のSNSだとフォロワーを数千人も抱えてる人がネガティヴなつぶやきをしている時があって、そんなにフォロワーがいれば寂しいことなんてないだろうと勝手に思ってたけど、今ならなんとなくその気持ちが分かる気がする。
最近は自分の好みに合わせてたくさんの種類の化粧から選ぶことができる時代です。
例えば、私の他校の友人はギャルです。それも強めの。彼女はとにかく目元を盛ることに良しとしていて、確かにすごく大きい目をしています。(スッピンは知らない)
もう1人の友人は一般的に見ると難しい紫のアイシャドウをとても自然につけています。
じゃあ、私はどうなのかというと……。
化粧で、生きるためって何なの?って疑問を持たれた方もいらっしゃるかもしれませんが、私にとってはそうなんです。
私が初めてオレンジのグロスをつけたのは高1。安かったし、たまにはこんな色もつけてみようかなと思ってドラッグストアで購入したのです。ちなみに、それまではピンクのリップクリームを愛用していました。
帰宅して、新しい物好きの私はさっそく唇にそれをたっぷりと塗りました。
鏡に映る自分の顔は、なぜだか、華やかに見えました。
次の日、それを塗って学校に行きました。気分は晴れやかでした。だって、私の顔は華やかなんだから。
さて、話は戻って、生きるための化粧とは何なのか。
私はかつて、自分が不細工であることが恥ずかしくてたまりませんでした。あまりの醜さに、顔を自ら傷つけたこともあります。「これ以上ブスになったところで何も変わらないでしょ」って。嬉しいことに、その時の傷はもうありませんが、心の奥では今もあの時の感情が少しだけ残っています。"私はブスなんだから、少しでも可愛く見せなきゃいけない"と自撮りに徹した夜もありました。少しでも可愛く写る自分を見て自尊心を取り出そうとしたのかもしれません。ですが、私の容姿に対する羞恥心はいつしか大きな塊になり、すべてのことにネガティヴになり、そして生きることすら怖くなってしまいました。特に高校に入ってからは周りに綺麗な子が増えたので、容姿に関してひたすら捻くれた考えを持っていました。
そして、私はグロスに出会って、自分が華やかになったと思うことができ、笑顔が増えました。そしてその結果、色んなことにポジティブに動けるようになってきました。現在と容姿に対する嫌悪、羞恥心はありますが、だんだん薄れてきています。
私はやっぱり容姿に関しては人より劣ると思います。それは、たとえ愛しのオレンジグロスをつけたって変わりません。ですが、私は彼女のおかげで再び明るさを取り戻せたような気がします。グロス以外の化粧品に興味を持つこともでき、今は化粧台をたくさんの道具で埋め尽くしています。
ピゴサは7/23に閉鎖することになりました
これを受け、新しい記事を書きました
https://anond.hatelabo.jp/20170721112417
以下の内容は古い情報です
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ピゴサを使うと、モンスターの出現情報だけではなく、その出現したモンスターの個体値(攻撃力、防御力、HPの値)、技まで表示される
最近その個体値表示は一部制限がかけられたが、ピゴサは効率よく強いレアモンスターをゲットできるチートツールだ
増田はアメリカに住んでるから、日本と台湾でしか使えないピゴサは使えない
また、ピゴサのような誰でも簡単に使えるサーチツールは軒並み死んだ
その友達が言うには、アメリカのジムにいるポケモンのCP(ポケモンの強さを表す数値)が日本のより明らかに低いらしい
日本の公式リリースはアメリカよりも遅かったのにもかかわらず、だ
友達が遭遇するジムは軒並み、低いTL(トレーナーのレベル)なのにもかかわらず、CPが高いハピナス(トレーナー殺し)、カビゴン、カイリュー、バンギラスだらけ
これって効率よくレアモンスター探せて、かつ個体値、技表示できるピゴサ使わないとできないだろう
その友達もピゴサ使わないと、ジム戦対応できないからピゴサ使ってるらしいが。。
現状はいたちごっこだが
しかし、チートツール対策するということは、プログラムを増やすことだ
従って余計な通信量が増え、電池減りが激しくなる事が予想される
でも、サーチツール使わないと楽しめなくなってる日本でのポケモンGOの状況はヤバイと思うよ
だってサーチツールの存在を知らないトレーナーには敷居が高すぎるから
お台場の件がニュースになりネガティヴなイメージがポケモンGOについた
日本のトレーナー達にポケモンGOを普通にプレイして楽しめる幸せを分けてあげたいよ
こんな長文を書いてる中、サーチツール作ってる作者は今も更新を続けている
こいつがクソなのは間違いない
てかこいつ、チートツール作成常習犯で、過去にもゲーム破壊してんじゃん。。
http://dic.nicovideo.jp/t/a/%E3%81%8F%E3%81%8F%E3%81%95%E3%81%BE
いろいろコメントありがとうございます
いくつか返信したいと思います
"公式でマップ上にポケモンを表示していないからしょうがない"
日本での実装はつい先月だったけど、アメリカでは去年の11月くらいから始まってたし
10個ジムにポケモンおいても、100円でほしのすな5000個だしね
どっちもすぐなくなる。。。
ジムでトレーニングしてモンスターの空き枠を作ってた時、あるおばあさんがジム付近でスマホをいじり出して、
"移動時に起動して、図鑑揃えられたらいいなーと思って続けている"
"外人のガチ勢は身内で組むから基本外に出てこないし、そいつらも野良に出ると好き勝手するからな"
ジム設置の話で言えば、ハピナス5匹カビゴン5匹とか見たことあるしね
CPはまちまちだけど
"日本に住んでない奴が日本のポケモンGOが衰退したとか何言ってんだこいつ感が"
衰退したかしてないかっていうのは、自分の周りでやっているかどうかをSNSや電話でわかる
リリース直後は周りの話題にできたけど、今はもう話題にできない(続けている人は少数いるけど)
それに、日本に住んでいるからって、日本のポケモンGOが衰退したってわかるものか?
日本全体で衰退しているかどうかは統計的なデータを見ない限りわからない
"いわゆる雑魚しか出なくて単調でつまらないから、ライトユーザーも雑魚以外を探すためにピゴサを使う。"
雑魚はXPやタマゴ稼ぎに必要だからなぁ。。というのはヘビーユーザーか
でも、すぐにレアポケモンが欲しいライトユーザーはピゴサ使っちゃうだろうな
レアポケモンでも個体値の低いのは雑魚だという考えなら、Nearbyはゴミだね
少なくとも自分は、ジム戦で使えるポケモンでない限り、個体値は気にしないかな
あとよく見る雑魚ポケモンが複数周りにいる時、Nearbyだと全部表示されてしまう
これはどうにかして欲しい
"歩いてポケモンを探すゲームなのに不正アプリに頼ってポケモン見つけて歩かず車でGO"
今朝CCCコラボをクリアしてアルターエゴ達の一連の生き方に感動し、Twitterでシナリオの感想の検索を掛けてみて、一部の既存CCCプレイヤーが今回のコラボのストーリーに対してかなり荒れている事を初めて知った。
「完全な蛇足。メルトリリスに萌えに走った結果がぐだと言う名のきのこ×メルトリリスになった」
ーーあ、物凄い既視感だ!これ、アニメのダンガンロンパ3の時に見た言葉だ!
ダンガンロンパ3では「ゲーム本編、ゲーム前のストーリーに関わる設定をアニメで後付けしねじ込んだ」と言う点で大いに荒れたが(絶望のカリスマである黒幕がそのカリスマ性で絶望に堕とすのではなく洗脳映像で世界を絶望に染め上げるなど演出が不味かったこともあったが)、今回のCCCコラボはそれとは反対に別の世界線の話ではあるがCCC本編の「その後」的なストーリーが描かれている。
つまり改編された部分は違っても「後付け」でストーリーが追加されたという点が同じだ。
反対に、今回のCCCコラボに関しては素晴らしい後付けストーリーだと思っている。
しかし、私が素晴らしい後付けだと思っているストーリーに対して、私がダンガンロンパ3に抱いていたような感想を抱いている人々が少なからず居る。
彼らのネガティヴな感想を眺めて思った言葉たちが、今になって全部過去の自分に跳ね返ってきた。
あの時の自分の姿を鏡で見せ付けられたようで、殴られたような気分になった。
いくら外に向かってこの作品はこうであったのに改悪されて…と呟こうとも、楽しんでる人間にはちっともそんな言葉たちは響かない。CCCコラボの自分がそうだからだ。
アニメのダンガンロンパ3を楽しんでいた人達は、あの時の私に対してきっとこう思っていた事だろう。
万人に満足させる「後付け」の話はやはり難しいのだと思う。どうしてもそこには原作への思い入れだとか、様々な感情が絡み合ってしまうからだ。
その後付けに対し怒っている人間、喜んでいる人間、どちらか一方の受け取り方が正しいのではない。肯定、否定、どっちの作品愛が深い、という話ではない。
人それぞれなんだから、どちらの受け取り方も間違ってないんだ。敵視する必要はないんだ。
生きることに悩んでいる人の苦しみがネット上で吐露されると「あなたはもしかすると発達障害の可能性があるかもしれません。心療内科を受診しましょう。」という趣旨の書き込みがなされることが多々ある。
実際に病院に行ったことで、原因不明だった生きづらさが何なのか解明する手がかりを掴む人も確かにいるはずだ。
だが発達障害というものはここ10年ほどの間で、その名前だけが世間に認知されていった。
その定義も特徴も曖昧で難解なこの障害を説明することは容易いことではないのだ。
マスメディアを通じこの聞きなれない障害を知った人々は、ネット上で絶えず繰り返される人生の悩みと、それに対し発達障害を疑う返答というやりとりも幾度となくみてきた。
俺が指摘したいのはこれによって発達障害=変人・無能という誤った認識をインプットしてしまった人が多いのではないかということだ。
学校に馴染めない。虐められる。
このような悩みに発達障害の可能性を指摘する書き込みが寄せられるイメージにより、逆説として発達障害は、集団に溶け込めず一般的な事務的労働をこなすことができない人間が抱える障害と捉えられてしまってはないだろうか。
集団に溶け込めず一般的な事務的労働をこなすことができないということは個人的体験であり、発達障害の特徴を端的に表した事象とは言い難い。
発達障害者には特有の苦手なことがあり、不幸にもそのために悩みの語り手はトラブルに巻き込まれてしまったのである。
発達障害者だからといって皆が皆総じて友だちがうまく作れず仕事ができず社会から孤立しているわけではない。
定型発達者の中にもうまく社会生活が送れていない人がいるように発達障害者の中にもそういった人がいるというだけではないか。
悲惨な状況にいる発達障害者ばかりが可視化されてきたことで、どうも日本では発達障害というものに過度にネガティヴなイメージがついてしまったのではないかと思う。
発達障害者を「協調することができず通常の業務を遂行することもできない人間」というふうに捉えてしまえば、配慮して共生していこうという寛容を保つことも難しくなってしまう。
最近では変わった人や冴えない人を蔑むためだけに発達障害という言葉が投げかわされているよう見える場面に出くわすこともあるようだ。
せっかく生きづらさを抱える人に発達障害というヒントが提示されても、発達障害者として生きることが世間の好奇と侮蔑の眼差しに苦しむことになってしまっては意味がない。
これからの時代に必要なのは、発達障害者の社会参画を特に知識や経験のない一般人にイメージしてもらうために、実際に活躍する障害者をロールモデルとして紹介していくことではないだろうか。
障害者にも感情や慈愛はあるし、彼らは彼らが持つ道理にしたがって行動しているわけで決して思慮の浅い人間というわけではない。
第一志望はダメだったけど、自分がやりたいことができるところで結構行きたかったところは死守した。浪人するか迷ってたけどお世話になった方々に相談することができて、このままこの大学にいくと心に決めることができた。吹っ切れることができたのがまず大きな成長です!バンザイ!
今回伸びきれなかったことは受験以外に活かすのがいい。乗り越えられることと乗り越えられないことの感覚みたいのがつかめたと思うよ。とか、とにかくプラスのことを言ってもらえた。
なんでそんなに素敵なものの見方、言い方ができるんだろ。惚れる。とにかくわたしは超絶ネガティヴマンなのでそういう人になれる努力をしたいな。
この先壁にぶつかることは沢山あると思うし、やっぱり第一志望のところに比べたら学べる幅が狭まっちゃうのかもしれないけど、何を学ぶか、どう活かすかは自分次第だなって思えた。自分次第で狭めちゃうかもしれないし、広げられるかもしれない。どうなるんだろう。中高6年はすこし殻に閉じこもっちゃうことがあったから、外へ外へでられますように。がんばります!あと弟の言葉は気にしないこと。学歴コンプとかそんなのにもう2度と陥っちゃだめだよ!未来のわたし!自分に自信を持て!!!
あと、学校と塾のだいすきなだいすきな先生に進学先を伝えることもできた。いいところじゃん!よかったね!また何かあったらおいで、と言ってもらえた。すごく認めてくれた感じのこと言ってもらえた。正直びっくりした。見捨てられてると思ってたのに!うれしい。がんばってよかった。だいすき。先生方ほんとうにありがとうございました。学校より塾の先生のが数億倍すきだしお世話になったな〜。ちゃんと御礼にも報告にも行けてよかった!大学生活いい報告できるようになろうね。
そしておつかれさま自分!!!!第一志望の学校はやっぱりだめだったし、落ち込んだけど、でもあなたがやってきたことは間違いじゃなかったし無駄じゃないと思うよ。頑張ってくれてありがとう!!!!!
今はとにかく大学のホームページとか見てどんな授業するんだろう、どんなことができるんだろうってわくわくしてる。数日前の自分とは大違いだ。周りの人には感謝しかないな〜もらった分の愛を返せるようにがんばろう。ね。
明日はとにかくお世話になった塾の担任の先生にご挨拶にいきます。うまく話せるかな。なんか毎日心配してくれてたみたいでもう愛を感じまくってる。ほんとうにありがたい!ちゃんとありがとう言おう。めちゃめちゃ言おう。たのしみ!
まだ親にはきちんとありがとうを言えてない。今日卒業式だったけど、なんかまだ照れくさくて。
ただの愚痴と、いざという時に正式な資料をつくるための参考にする備忘録である。
記述した内容は概ね事実そのままだが、説明すると長くなるような背景事情は省いたり、役職名などは便宜上適当に置き換えている。
最近、勤めていたA社を退職して、プチ競合のような、若干事業領域が重なる業種で独立起業した。
A社の事業は、エンドクライアントから発注を受けた制作物を、A社が持つ外注ネットワーク(外注先が自らA社のシステムに外注先候補として会員登録を行う仕組み)を駆使して制作し納品する、というクリエイティブ系のtoBサービス業である。
A社には、この主力事業を統括する事業部長職として入社したが、社長と壊滅的に相性が合わず、短い期間で退社することとなった。
社長とその取り巻きから理不尽な陰口を言われ続ける日々のストレスはハンパなかった。
もしかすると僕が本当に陰口を言われるに値する無能だった可能性はあるが、それはこの愚痴の本筋とは関係がないので触れずにおく。
退職の際は、社長のさらに上位である会長に「独立起業したいと思っている」旨を相談した。近しい業種ということもあり、後々トラブルになることを避けるため、予定している事業内容の説明など数回の打ち合わせを行い、競業避止義務に関して退職時の誓約書の文面を一部書き換えてもらうなど例外的な対応もお願いしたが、すべて快く対応してもらい、最終出社日には「近い業界なのでこの先また何か縁があれば」と明るく送り出してくれた。
会長は若くしてこの事業を立ち上げて成功に導いた人で、歳は僕よりもだいぶ下だが、会話の物腰も柔らかく人当たりも良いため、人間としてとても尊敬していた。
昼寝の最中だったので寝ぼけつつ電話に出ると、開口一番、聞いたことのない淡々とした口調で「増田さんのA社在職中の問題行為、不正行為について調査をしている」と言われ、
(1)「外注先リスト」のCSVデータを業務の基幹システムから書き出した
(2)外注先に接触を行った
(3)従業員の引き抜きを行おうとした
という3点を指摘され、「民事訴訟や刑事告訴の検討をしている」と告げられた。
「弁護士先生の話では、刑事事件だと1〜3年の懲役になる内容ですね」「どう対処するかは弁護士先生や役会と検討して決定しますが、まずは当該行為をやめてほしくて連絡しました」とのことだった。(どう頑張っても民事の範囲にしか思えないのだが、何の罪の構成要件を満たすのかはわからなかった)
寝起きで頭が回ってないうえに意味が分からない点が多かったので、「とりあえずお話は伺いました」といったような中身のない返事をして通話を終えた。
「また連絡する」と言われたので『待ち』のつもりでいたのだが、「訴訟」「刑事告訴」だのと穏やかではないキーワードが出ていたうえに、よくよく考えてやはり言っていることの意味が分からずムカついてきたので、愚痴の吐き出しと、自分の中での記憶と事実整理のために本件に関する僕の見解を記録しておく。
A社の業務基幹システム(制作物にマッチした外注先などを検索するシステム)には、外注先DBの情報をCSVで書き出す機能がある。Excelなどでのデータの分析・加工や、メールニュースを配信する際にメールアドレスを書き出して社外の配信システムに流し込むといった用途を想定しているものだ。
個人情報を含む情報であるため、セキュリティ上、この機能を使用すると、データ出力を実行したユーザーの名前と日時が記録されるようになっている。
恐らくはこの書き出しログに退職間際の僕の名前を見つけたのだろう。事実、僕は最終出社日の当日か前日かといったタイミングでデータの書き出しを行っている。
が、それは社長命令によるプロジェクトでそのデータを使用するためだ。
具体的には、外注先向けの発注書といった書類を自動で作成・出力するシステムを組むというプロジェクトだったのだが、このシステムは基幹システムとはAPI等で接続されていないため独自に外注先DBを持つ必要があり、そのDBを構築するための元データとして、基幹システムから書き出したCSVを使用した。
このことは、僕の退職後にこの書類発行システムのメンテを担当することになる人間への引き継ぎの際、外注先DBは基幹システムと同期していないため定期的に基幹システムから出力したCSVをマスターデータとして更新をかける必要があることの説明と、CSVデータをDBにインポートする方法の実演まで行っている。
確固たる理由があり、社長命令を遂行するためにデータを書き出したのである。書き出しログが残っていて当たり前だ。
そしてこの話の面白いところは、この基幹システムに「CSV書き出し機能」の実装を決定し、仕様検討、要件定義を行ったのが僕自身だということだ。
そもそも僕は長年IT業界で勤めてきたため職種こそエンジニアではないもののWEB開発の基本知識はあり、職務上、直接本番サーバー上のDBにアクセスできる権限も持っていたので、このCSV書き出し機能を使用せずともデータを丸ごとダンプすることが可能だし、sudoも打てるのでいざとなれば痕跡を消し去ることも可能だ。
痕跡を残さず直接DBからデータを抜ける権限とリテラシーを持った人間が、「確実に足跡が残る」ように自ら仕様を決めたデータ書き出し機能を使用するだろうか。しねぇよ。
足跡が残っている理由も社長命令プロジェクトのためだということは、書類発行システムを引き継いだ人間に確認を取ればすぐ判明する話だ。
ろくに経緯調査もせず、ログだけを見て「データを不正に書き出している!」と脊髄反射的に反応したのであろう。
なお当然ながら、僕の基幹システムのアカウントは最終出社日をもって停止させられている。
事実として掴んでいるのか、「リストを書き出したのだからきっと」と勘で言っているだけなのかは不明だが、外注先へのコンタクトは確かに行った。
A社時代にお世話になった一部の外注先へ「増田会社では制作を手伝っていただける外注先を探しております」といったメールを送ったり、僕の個人的なTwitterアカウントでいわゆる「拡散希望」として外注先を募集した際にリプライやDMをくれた人の中に、偶然A社でも世話になった外注さんがいたりもした。
が、これらは問題なのだろうか。
「クライアント」への接触(営業活動)をして、本来であればA社が受注していた案件を横取りしたとかであれば、独立時トラブルの代表例だし、訴訟というキーワードが出てくるのも理解できる。
しかし今回問題と指摘されたのは「クライアント」ではなく「外注先」である。
外注先候補の数が多ければ多いほど生産性も上がり有利な業界なのは確かなので、仮に(1)の外注先リストを不正に持ち帰ったりしていて、A社が持つ数千件の外注先に一斉に無差別メールでも配信したのであれば、それはそれでA社の資産であるリストを持ち出したという点で問題にでもなりそうだが、コンタクトを取ったのは信頼のおける仕事ぶりだったため名前を認識していた人や、A社在職中に何度かやりとりをさせていただいていて交流があった一部の方々だ。(VCマネーも入り数億の資本を持つA社と、小学生のお年玉みたいな資本金で設立して従業員は僕1名の増田会社とでは事業規模も違いすぎるので、数千の外注など管理していられない。)
それに、外注先はみなWebサイトなどで「お仕事募集しています」と意思表示をしているフリーランスの方々である。
コンタクトを取った際も、文面上「元A社の増田です」と言ったときはA社の問い合わせ窓口や僕の後任の紹介に加え「引き続きA社もよろしくお願いいたします」とフォローを入れたし、僕の名前を知らないであろう人には「増田会社と申します」とまったくの新規会社としてアプローチを行っている。
仕事を募集しているフリーランスに増田会社が仕事の相談をすることがA社にとって問題になるのだろうか。「増田会社の仕事でスケジュール取られたら困る、損害だ」という理屈だろうか。それとも「この優秀な外注先を発掘したのはA社だ、だから増田会社は使うな」というジャイアニズムだろうか。だったら全世界に発信している「お仕事募集しています」Webサイトを取り下げさせて、専属契約でもすれば良い。
こればっかりは「理解できない」としかコメントができない。もし僕の感覚の方がおかしいと思う人がいたらブコメででも教えてほしい。
これは正直ちょっと複雑な話ではある。
退職を社内告知する間際の某日、社外MTGの行き帰り、仲の良い(と、僕は思っていた)部下Aに「退職して、現職に近い業種で起業する」ことを打ち明けた。
それに対する反応は「自分も今のA社の環境に嫌気がさしている。先は長くないかもしれない。」というものだった。
僕が起業予定の会社計画などを話すうち、言われたのが「増田さんの会社で雇ってもらえたらA社辞めれるんですけどね」だった。
これは、正直嬉しい言葉だった。設立したての小さい会社で働くなんて、よほど相手を信用していなければできない。お世辞や冗談の類かとも思ったが、働くと仮定した場合の待遇の話や、増田会社での業務の進め方など、具体的な質問や話題が多く出た。「これは本気で考えてくれているのかもしれない」と思った。
従業員の引き抜きは禁止されているので僕自身が明確に「うちに来てくれ」と引っぱることは信義則に反するが、誰しも職業選択の自由があり、自らの意思で転職をするのであれば法的にはA社が止める権利はない。
A社退職時には同業種へ転職禁止の競業避止義務についての同意書を書かされるのだが、以前別の部下から「競合のB社に転職したい」と相談されたときには、A社の管理部(人事・法務などバックオフィス統括部署)に確認を取り、「一応サインはしてもらってはいるが、A社の企業秘密を流出したりさせない限り実際のところ転職先に制限をかけることはない」と回答を得ていたので、今回の部下Aについても、社長、会長への事前の説明など、A社への筋を通せば実現不可能なものではないと考えた。
その後も、部下Aからは「増田さんの会社に入社するとしたら何月頃が良いとかありますか?」といった質問を何度か受け、温度感は維持しているもののとくに結論は出さないまま、僕は最終出社日を迎えた。
退職後して少し経った頃。この部下Aが本当に増田会社に転職してくるのかどうか次第で今後の事業計画も変わってくるため、一応「情報交換なども兼ねて近々飲みに行かないか?」とLINEで声をかけた。それ対する回答は「やはり転職はお断りしたい」だった。
少し残念な気持ちはありつつも、「誰かの人生を背負わなくて良いんだ」という安心感と、それと正直、この部下Aの仕事ぶりに関しては若干の不安(仕事をこなすスピードなどは社内ダントツだが、細部が粗かった)があったこともあり、僕は「それなら仕方ないですね」とあっさりと承諾した。
飲みも、お互い仕事の愚痴ばかり言い合う生産性のない会になってしまいそうなので、またいつかにしましょうと返信し、この話は終わった。
しかし僕はこの断りの会話に少々の違和感を覚えた。A社在職中は毎日会話をしていた部下だ。微細な言葉選びの違いや、「なぜ急にこのタイミングでその結論に?」など、引っかかるポイントがいくつかあった。
僕の中で出した結論は、「増田会社に転職する可能性があったことがA社にバレている。かつ、A社からストップをかけられたか、A社に何かしらネガティヴ情報を吹き込まれている。」だ。
詳細を記すと長くなるので省略するが、退職間際に発生していたトラブルを解決するため、独立することを打ち明けていた一部の取引先に対しては、「増田会社にそのうち部下Aが合流するかもしれない」と伝えていた。
前述の通り、増田会社への転職は筋さえ通せればやましい話ではないので、この連絡はA社のメールアドレスから堂々と送っている。
僕の退職後にこのメールのログをA社が見れば「部下Aの引き抜きを行おうとしている」と受け取るだろうし、部下AがA社に「増田会社に誘われた」という表現で報告をしていたとしても同様だ。
しかしいずれにせよ、実際には「増田会社に転職していない」以上、A社には何ら損害が発生しておらず、この話をもって訴訟を起こすとは考えにくい。
よって、A社が言う「民事訴訟、刑事告訴」は(1)(2)のいずれかに対してであり、この(3)については「このことも知ってるぞ」というただの威嚇でしかないと考える。
ずいぶん長くなってしまったが自分の中でも忘れかけていたことを色々思い出して状況整理ができてきた。
つまり現状こういうことだ。
A社は、社外秘情報である外注先リストの書き出しや、外注先への接触を理由として民事訴訟、刑事告訴をすると脅してきている。
ストーリーとしては「リストを書き出し、そのリストを不正に使用し外注先に接触」と考えるのが自然なので、おそらく一番のポイントは「リストの書き出し」という行為を問題視しているのだと思う。
しかしこれは(1)で説明した通り業務上理由があって書き出したものであり、そのことは社内ヒアリングなどで容易に証明が可能。
唯一噛みつかれるとしたら、「業務上必要があって書き出したリストを私的に持ち帰ったのでは」という言いがかりをされる可能性だが、その証明責任はA社にあるので、社内回線の通信ログでも永遠に漁っていていただきたい。
「警察官だって犯罪を犯すことがある」という話をされると身もふたもないが、事業部長として部内の情報管理を徹底させる役目も負い、業務委託先が情報管理に関する事故を起こした際には、監督すべき立場であるA社を代表してクライアントに頭を下げにも行った人間として、データ管理は人一倍徹底していたつもりだ。
それにPCの操作ログでも記録されていれば情シスにはファイル操作が筒抜けなことも理解しているので、ITリテラシーレベルは並以上ではあると自負している人間としては、そんな恐ろしいことに手を出す蓋然性がない。
いよいよもってA社の意図がわからない。
単純に増田会社の営業妨害をしようとしているのではないかと勘ぐりたくなるほど主張に穴がありすぎる。あと(1)〜(3)どれも民事の範囲内で、刑事告訴というキーワードが出てくる余地がない気がする。懲役1〜3年どこから出てきた。
余談だが、僕はつい先日、「A社の競合C社が今度解散するらしい」という噂を聞いた時、A社の人間に「C社の取引先調べて営業かけるチャンスですよ」と伝えた。
A社に伝えず増田会社として営業をかけていれば、増田会社の利益になったかもしれない。
けれども、(社長や一部の人間はゴミクズだったが)A社には短い間ながらお世話になった恩があり、プチ競合のような近い業種での独立を許してくれた感謝という愛社精神があったからこそ情報共有をしたのだ。
今回の件は愛していたものに裏切られたような気分で、残念でならない。よく聞く「愛は憎しみに変わりやすい」という言葉の意味がよくわかる。
実際、僕のA社への貢献(多少はしたと思っている)をすべて否定されたような今回の対応を受けて、A社への愛社精神は薄れ、いまは「嫌い」にシフトしつつある。
なんでこんな会社に自分の人生の貴重な時間を費やしてしまったのか。
もともと、売られた喧嘩は買うし、やられたらやり返す性格の僕だ。
できることなら、A社がちょっとした脱税をしていたこと(A社自身が認識してたのかどうかと、本日時点ではどうなってるのかわからん)や、一時期、DeNAで話題となったのと同様のパクリメディアを運営し、ライターに「このサイトからパクれ」という旨の記述があるマニュアルを配布していたこと、社長が部下、従業員に対して「死ね」「殺したい」といった暴言のほか、人格否定系の誹謗中傷をしていること、その他様々なアレな話題を、便所の落書き掲示板にでも書いたり、しかるべきところに告発してやりたいくらいの気分だ。IPOを目指すと宣言している会社にとっては痛手ではあるだろう。(大人げないのと、後が怖いので実際はできないチキンだが)
それはさておき、A社には「エビデンスを残したいから先日電話でもらった話の内容をメールでくれ」と伝えているが、今のところレスがない。
勝ちが決まっている勝負なだけにその面での不安はないものの(弁護士費用とか考えると頭が痛いが)、待ちのストレスがハンパないのでさっさと対応していただきたい。
たとえば、モーニングアフターピルというものがある。
これは受精卵の着床を防ぐホルモン剤の通称であり、避妊に失敗してから72時間以内に服用すれば、「望まない妊娠」を高い確率で回避できるとされる。
欧米ではドラッグストアの店頭で手に入るものもある一方で、日本ではまだ医師の処方がないと購入できないこの薬。これがもし、そこらへんのマツキヨとかで手に入れることができるよう法改正がなされたとして、こんな広告が打たれたらどうだろうか。
「まだ妊娠なんかしなくないからダメって言ったのに、彼にどうしてもって言われて中で出されちゃった……そんなときでも安心! 薬局で気軽に買えるこのアフターピル飲んで、今日も彼と楽しくデート、行ってきます♪」
エスタックのCMは、だいたいこんな感じのことを言っているように思う。少なくとも私はそう感じる。
「体調を崩したのに仕事を絶対に休めない」という状況そのものは、本来、「あってはならない」。しかし、「ある」。どうしたって、「ある」。誰がどう頑張ったところで事態そのものの根絶は不可能である。エスエス製薬は「いやでも休めない日って誰にでもあるじゃん?」等と言っているようだが、有吉がスーツを着ている以上、これはビジネスの文脈である。
同様に、「妊娠したくないのに避妊に失敗してしまった」という状況そのものも「あってはならない」。ましてや男に押し切られて望まぬ性行為を強いられたとなれば尚更だ(この類の関係性においてはどうしたって受け身の側が弱い)が、これも「ある」。びっくりするくらい日常的に「ある」。避妊具の破損など、どちらの責任とも言えない場合も含めて「ある」。
では、「本来あってはならない」が、どうしても「ありうる」事態を想定して作られたものを、商品としてPRするとき、企業はどんな配慮をするべきだろうか。
これはもちろん、そのPRにおける表現が「本来あってはならない」事態を肯定・助長・促進するようなメッセージを、決して含まないよう、細心の注意を払うべきである。
さらには、その商品が、「本来あってはならない」事態そのものを正当化するためのエクスキュースとして使用されうるような"隙"を、徹底的に排除するべきである。
モーニングアフターピルは、安易な性行為、乱暴な性行為、また女性の意思を尊重しない男性の傲慢な態度を肯定・促進・助長するものではありえない。
女性が自身で自身の人生をデザインし、自身の身体を、そして心を守る手助けをしてくれる大切な存在だ。
同じように、エスタックは代わりの効かないハードな仕事、人員システムの欠陥、また休暇を取得することへのネガティヴなイメージを肯定・促進・助長するものであってはいけない。
この日この時だけは、どんなにしんどかろうが翌日から廃人になろうが、絶対に家で寝ていてはならない大切な日のための、最終手段でなくてはならない。
日本でモーニングアフターピルの広告を作るなら、どんな表現を使うべきか考えれば、エスタックという商品のCMがどういうものであるべきなのかは自ずと答えが出るだろう。
少なくとも、「風邪でも、絶対に休めないあなたへ。」などというふざけたコピーとスーツを着た有吉は絶対に出てこられないはず。
最後に、私は二十歳そこそこの小娘だが、この広告を初めて車内で見かけたその瞬間、「ああ、これは燃えるな」と直感した。
二十歳そこそこの小娘でも瞬時に炎上が予期できる広告が、全国ネットに乗ってどこまでも流れていってしまう現代日本社会に、深い深い絶望を覚える。
「五本全部じゃなくて良かったね」と言われた。
例えば仕事で体調崩して休みとるか隠して頑張るか迷ってた時に、
「仕事的にこの先も同じことありそうだからあと5回くらいあるうちの1回だと思ったらいいんじゃない」
いずれも「お、おう」という感じで、自分ではネガティヴになってやたら重大視してるんだけど、
そんな発想もあるのかと自分では思いつきもしなくて、それで気が楽になったり大したことないと思えて救われることが何度かあった。
人に言われて初めて気づくのかもしれないけど、そういうマインドのフレームワークを知ってると騒ぐよりも先に自分だけで落ち着けるのかもしれない。
なんか良いのあったら教えてください。
愚痴を書こうと思って書くなむ。
・嫉妬と束縛
・SNSチェック
最初は平気だったけど、
別れ話も数回ほど。
これがしんどかった。
それなら彼女なんて作るなよと言われそうだが、
で、先日の喧嘩で
男性目線で、女性を自分のステータスとして見ているニュアンスが肌に合わない。
それにフェアじゃないよね。
彼女だって自分のことをサゲマン的な男だなと思ってるかもしれないのに、
該当する言葉がないじゃん。
それにも関わらず、その言葉を選択した自分の思考が気持ち悪かった。
他になんか言葉ないの?
運気を上げる人 下げる人に値する言葉が欲しいわ。
まぁ、こういう頑固な思考回路が、
書きながら気づいたけど、
『シン・ゴジラ』と「私たちは『買われた』展」は表裏一体の関係にあると思う。前者は『大人』から女性を取り除き、
前者と後者の違いは前者がポジティヴな話題であり後者がネガティヴな話題であるという点でしょう。
つまり、映画の成功のようなポジティヴな話題においては女性を『大人』から排除し、
買春のようなネガティヴな話題においては女性も『大人』の範疇に入れて無理矢理共同責任を負わせようとする。
前者を責めるフェミニストの人々が何故か後者は賞賛しているようなのが本当に不思議です。
『子供を「買った」大人』という文面で、勝手に女性までも入れられている事には気付かないのか。
それとも彼女達もまた無自覚に『大人』という言葉の中から女性を取り除いているのでしょうか。