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2017-02-06

なぜ多くの人が「学校勉強は役に立たない」と思っているのか問題

http://anond.hatelabo.jp/20170204214653


増田がこういうことを言う前提には、「学校で学ぶことは実用的でない」という考えがあるのだと思うけど、必ずしもそうではないと個人的には思っている

(今のカリキュラム指導法がすべて適切だということはないにせよ)。

中学までの科学知識があれば」なんてことは偽科学批判枕詞でよく使われる。

この前のトランプ大統領就任演説なんて中学校までで習う単語ほとんどだったそうだし、

書店で「中学までの英語英会話はできる」というような内容の本はよくある。

政治問題過去歴史が引き合いに出されることないくらでもあるし、

逆に過去の例を知らずに出した「斬新なアイディア」がクソだってことは少なくない。

保健体育をきちんと学んでいれば、性感染症や望まぬ妊娠はかなりの程度避けられるはずだ。


そもそもの話として「学問実用的でなければならないのか」という問題があるけど、それをさておいても

ちゃんと使えば学校で学ぶ内容が役に立つ局面は多いだろう。


なんでこんなに多くの人が「学校勉強は役に立たない」と口にするのだろう。ぱっと思いつくのは二つ。


一つは「教え方」の問題だろう。人間、習ったことで「試し斬り」をしたくなるもので、、

それが上手くいくことは学ぶことの動機付けの一つにはなる。恐らくそれが不足している

でんじろう先生がもてはやされたのは、学校レベルではそのような実感がいかに乏しいかという傍証ひとつだろう)。



二つ目は、社会不条理や不平等のはけ口として、平等に与えられる学校勉強槍玉にあがる、ということだ。

例えば、それなりの大学を出ても、お金持ちや権力者にかなうわけではない、だから学校勉強など無駄じゃないか」というわけだ。

それに加えて、学問ってのは個人資質で下手するとスポーツ以上に到達度に差が出る。割と絶望するレベルで。

はいえ、それとこれとは全く別の話なのだけど。


他にも恐らく切り分けて考えるべき問題が沢山あって、現実は複雑で、

教師だけ責めても何も解決しないってことは薄々みなわかっていて、

からこそ実体のない「教師」という概念を責めているのかもしれない。

それが有能な教師の足を引っ張るかもしれないことなど考えもせずに。

2016-08-10

EM菌水伝の源流 TOSS

TOSS教育技術法則化運動)という団体がある。教育仕事に就いていない多くの人は知らないと思うが、我々小学校教師は割と知っている。EM菌水伝を広めたのはこの団体である

TOSS

TOSSは、効果的な教育技術研究して集積し、広める団体である小学校の学級運営や教科指導に関する指導法が多い。

大きな書店教育書コーナーにいけば、TOSSから出版された教育書が幅を利かせているのが分かるはずである

無料で授業法を閲覧できるTOSSサイトもある。実際のところ、多くの若手小学校教師はこれを参考にしている。

TOSS指導法採用している教師は、その授業や板書を見ればわかる。廊下に並べられている図工の作品を見てもわかることもあれば、授業でなくても教室の様子を見てもわかったりする。

TOSSにどっぷり浸かっている教師がたまにいて、授業法に関するセミナーのチラシをくれたりもする。

●発足者向山洋一

ところでTOSSは、四・五十年前に、向山洋一という小学校教師を中心として発足した小さな教育サークルが徐々に拡大したものである

向山氏は発足当初から現在までずっとTOSSトップにいる。

我々小学校教師であれば、向山洋一と聞けば少なくとも名前なら知っているというくらいに有名であるしかメディアには出てこないので、やはりほとんどの人は知らないと思う。

学級崩壊モンスターペアレントなどの言葉を考案した教師である

TOSS信奉者にとっては伝説的な教師である書店では、TOSS書籍と並んで向山洋一書籍も多い。

向山氏の何がどうすごいのかはとりあえずここでは省略する。

向山指導法

TOSSでは、向山氏が考案した授業の進め方を「向山算数」や「向山社会」のように呼んでいる。実際に向山式○○を授業で実践している教師は多い。

向山式に限らず、TOSSの中でもネームバリューのある教師のやり方は△△式と言われたりして、国内中に広まる。

TOSSでなくても良い授業法は国内中の教師に広まっていくのはあたりまえなのだが)

みなさんが子どもときに受けてきた授業の中にも向山式があったかもしれない。

話の流れでなんとなくお察しかと思うが、いろいろな向山式授業法と共に広まっていったのがEMである

しかも、数ある向山実践の中でも、重要実践の一つである位置づけられている。向山洋一著のEMに焦点を当てた書籍も出ている(自分は読んでないので中身は知らない)。

であるから爆発的に日本中教師拡散し、いたるところでEMを使った授業が行われてるようになったという現状に至る。

(よく知られる水伝はたぶん向山ではないがTOSSの誰かである

向山氏がどのようにしてEM出会ったのかは知らないが、とにかくTOSSという波に乗って日本中に広がった。

2016-05-17

読書感想文ノススメ

とは言えこのような場所を好きこのんで読む層に当てはまる話でもないとは思うのだけど、まあ自分備忘録として。

最近大学生お話を聞く機会が増えたのだけど、彼らの大半はどうも自分内面の発露、表現方法に関して悩みあるいは問題を抱えてる場合が多い。

で、これが彼らにどんな影響を及ぼすかと言えば、卑近であれば就職活動でのエントリーシート、あるいは面接のものにおいて非常に苦戦するという事態を招く。

彼らはさほど程度は高くないとは言え、大学生なのでそんなにそういう機会が無かったのだろうか、と思うのだが、考えてみれば学部生の論文ゼミ発表などはある程度形式ばったものだったのかしらん、とも思い直すわけである

まり、ある程度客観的指向性のある、極端な話マニュアル化簡単可能表現であれば彼らは十二分にこなせるのだが、それが自己について自由に述べよ、となるとお手上げになってしまうのであろう。

彼らの「自己PR」はまず、感情言語表現が非常に乏しい。就活における質問として学生時代の熱心に取り組んだものを聞くようなものがよくあるがこれに対し――具体的な例は避けるが、○○が楽しかった、嬉しかった、感動した……と概ねこれで終わってしまう。もちろんちょっとした就活本やウェブでの情報でもこの手の何も言っていないに等しい表現は避けるべしとあるし、彼らも承知しているわけだが、じゃあどうしようかと、煩悶してしまうわけである

より具体性のある表現を使えとアドバイスするのだけど、それがわからない。で、どうなるかと言えば今度は具体的に偏って、事実の羅列になってしまう。まあ多少マシになったとは言え、これでは自分が何者なのかがあまり伝わらない。この手の質問企業が求めるのは人間性がわかるエピソードであると思われるので、事実だけ羅列していてはやはり説得力に欠けてしまう。というよりそんなもの履歴書でいいのである

次にいわゆる「盛り方」があまり稚拙である嘘も方便とはよく言うもので、ものを売り込むときにはある程度色を付けるのが世の常であるが、彼らの場合どうにもそれが見え見えであるということだ。

先ほどの具体性の話もそうだが、就活マニュアル的なものではよく具体的な数字を使えとあるという。なるほど的確な数字説得力を持つし、たとえそれがウソであってもそう証明する事は非常に難しい。少なくとも彼らが日々こなす論文などで示すものよりよほどハードルは低い。

しかし、彼らはそれが上手く使いこなせない。例えばこれもよくある質問として学生時代の功績を聞くようなことが多いが、これに対しよく彼らはパーセントという形で数字を使う。よく考えてみて欲しい。例えばメンバーに声をかけ部の参加率を上げた、ということに対してパーセントで功績を強調してもあまりにも「ミエミエ」で実質的説得力が無いように感じられないだろうか。これでは先ほどと同じように「何も言っていないに等しい」。それなら何人に声をかけて、あるいはどれだけの期間を費やして、部の参加者を増やしたという方がよほど説得力があるし、そこでの具体的エピソードも盛り込みやすい。(もちろんウソだって構わない、バレないのであれば)

総じて見るに、どうも彼らはステップを省略し安直結論提示する傾向(ここでは触れないがこれに付随して外部の「答え」を求めようとする傾向も見受けられる。無論そんなものはない)にあるようで、結果として全く説得力を伴わず、「自分」を明確に伝えることに出来ない「自己PR」を作り上げてしまうようである論文は日々書き慣れているにもかかわらず、である

はいえ、彼らがあるいは我々がそういった事態対処する術を学ばなかったかと言えばそうではない。反応は様々であろうが,この国の教育には今なお「読書感想文」というもの存在する。

大学生ともなるとそういう機会もないが、読書感想文を書くことはその実自己内面表現のものであり、なおかつそれを相手に明確に伝えるための文章を書くと言うことでもある。その一方で、「本」というガイドラインがあるので書くべき道筋がわかりやすく、自分の考えに対して何から手を付ければいいのかわからないということにもなりづらくなる。その道筋を通じて、人に順を追って伝えるというということに対してヒントを得ることも出来よう。

もちろんこれは本でなくたって良いわけで、ドラマであろうが映画であろうがゲームであろうがアニメであろうが、なんだって構わない。要するにそれらを通じて自分が何をどう考えたのか、と省みる機会があれば良いわけで、その上でそれを過たず明確に文章化できれば良いのである

そして出来上がったそれらを読み返すことで、自分表現のどこに説得力が足りないのかということも見えてくるだろう。また、人に読ませることを意識すれば、どうしたって多少の見栄も張りたくなるし、あまり好ましくない考え方も書きづらくなるだろう。そういった自分内面他者視線というものバランスよく取り入れた「ウソの付き方」も磨くことが出来るはずだ。一石二鳥である

読書感想文というものがこの国の教育においてどのように位置づけられるか、と言えば、「事象感想意見などとを区別するとともに、目的意図に応じて簡単に書いたり詳しく書いたりすること」と「書かれている内容について事象感想意見関係を押さえ、自分の考えを明確にしながら読むこと」を目的とする授業の一環として行われるという。卑近な例ではあるがこうして見るとまったくそれは必要作業ではなかろうか。これらの中には論文作成方法も含まれ我々はそれを並行して学んでいくが、外側の事実対象とするそれだけでは、我々は「自己内面を誰かに伝える技術を磨く」ことは出来ないのではなかろうか。

確かに自己表現といったものを過度に求める就職活動や、そもそも現実に行われている読書感想文指導法にはあるいは問題もあるかも知れないし、その是非は問われるべきかも知れない。しか教育就職活動といったものから、あるいはこの国の国情から離れたとしても我々が高度に社会性を持ち、他者とのコミュニケーションなくして生活できない生き物である以上、こうした自己を誰かに伝える能力はどのみちどこかで必要になるのである

自己表現に関して正解などない。しかしそれはその技術を磨かなくてもよいと言うことは意味しない。たとえ正解が見いだせないものであっても、コツコツと磨き続けることは思いもよらないところで自らを助けることもある。

その方法論として、今一度読書感想文というものがどういうものだったのかを見つめ直すのも良いかもしれない。

2015-09-20

http://anond.hatelabo.jp/20150919202550

・とにかく学習指導要領解説読め。「話す聞く」「書く」「読む」で、それぞれ何をどう指導しろと丁寧に書いてる。ぶっちゃけ、それをちゃんとやるだけで終わるくらい書いてある。多分、ぜんぶはできない。

・巷の参考書類とかは糞だから読まなくていい。エビデンスのない本で読んで良いのは、増田の言うようにほんとのビッグネームの本だけ。ちなみに指導書書いてる人間は、真面目に学習指導要領読んでないから、本当のところは役に立たない。

国語には、増田の言うような「実用国語路線(きちんと内容を読み取り、考え、簡潔にまとめて表現する)」と「情操国語路線(感動をベース感性を育てる)」の二つの流れがあるんだが、これは、「どちらか」ではなく「どちらも」だと考えるのが一番分かりやすい。でもって、現実的には、「話す聞く」「書く」「読む」の3領域それぞれ×2(実用&情操)の具体目標を1こずつ、低中高学年それぞれで設定して、1年目は仕込み、2年目で実現、て考えると、やるべきことは見えてくる。

・たとえば低学年ならこんな感じ

 実用情操
話す聞く大きな声でしっかり話す人の話に注意する
書く文法的に正しい文を書く気持ちを表す言葉を使う
読む一定の速度で音読する一冊の本に感動する

国語は、体育と同じでトレーニング大事から、知識も大事だが、実際に眼と手と口を動かす作業を飽きるほど繰り返さないと身に付かない。かといって飽きたらやらないので、飽きないように手を変え品を変え目先を変えながら、実は同じ事を何度も繰り返しやらせるのが大事。たとえば、低学年の話す聞くの力の実用目標を達成させるために、毎日の授業から色々な遊びっぽいことをさせる中で常に「大声でしっかり話す」ための基礎訓練をひたすら2年間やらせる。OK?

・これをやるためには、やらせる側が、目先にとらわれることなく「いま何をやらせているのか」を揺るぎなく把握していることが絶対必要。そこを分からないまま人真似でアレやコレやいろいろな「指導法」だけ取り入れても、効果のあるなしがさっぱり分からないのは当然。

・まあ、国語ぶっちゃけデタラメにやってもそれなりには効果が上がる。それは、体育の時間と称して運動場でただひたすら遊ばせていても、運動きな子適当に走り回って、結局体が鍛えられる。アレと同じ。だから適当にやってる教師でもそれなりになんとかなってるみたいに「見える」…でも、それは「教育」ではない。ただの給料泥ボーだわな。いやしくもプロならば、出来ない子を出来るようにし、自分からはやらない教科嫌いな子を好きにさせて、はじめて胸を張ってお金を受け取れるってモンだろ。そのためには、シンプルかつ具体的な目標をもち、そして、教育の内容だけでなく、教育計画そのものを体系化しなくてはならん。

2015-09-19

小学校教師だけど国語の授業どうしたらいい?

国語漢字、作文、音読、語彙、読み取りといろいろやることがある

全体的にできるようにさせてあげるのがいいんだろうけど難しい

そもそも俺の授業で子どもが本当に伸びてるのか分からなくて不安

無駄なことやってるんじゃないかと思う

国語力ってどう伸ばすのがいいのかがわからん

頼みの綱の教師用指導書(市販本じゃなくて支給されるやつ)

を読むと、物語の授業展開例に「気持ち想像しよう」系の活動が多くてなんか頼れない。

こういう気持ちを問うやつは現職の先生からもけっこう批判されてる。

物語文でも「ちゃんと内容を理解させる」ことが国語力に繋がると考えてる教師は多い。

それで、そのための授業展開を解説した本もけっこうあるけど、これも取り入れづらい。

まずクラスには文章の内容が頭に入ってないのがそれなりにいて、読み取りの授業についてこない

その教材に入る前にたくさん音読をさせておいても頭に入ってない

かといってそいつらに合わせたようなクラスの多数が当たり前に分かるような授業してもつまらない

逆にやたらと理解力のあるやつもいる

国語力って算数以上に差がはっきりしてる感じを受ける

そういう格差ありすぎる集団に対してどういう授業をしたらいいのかが分からない

クラスみんなにとってプラスになる授業ができない


これは物語とか説明文の話だけど、悩みは他にもある

読む書く話す聴くをどのくらいの配分でやるのがベターなのかわからん

(一応配分は決められているけどそれを忠実に守ってる人はいないと思う)

漢字もやたらとある上にそれを授業内でやると10分とられてきつい

漢字テストやるともっと授業時間が減る

漢字システマティックに覚えさせたいけどうまくいかない


文章を書くのがうまくなってほしいけどなかなか難しい

ひな形を与えて書かせたりすることは多いけど成長してるのかどうかわからなくて不安

視写もときどきやって子どもは集中してるし嬉しいけど力ついてるのかな

音読宿題は2日に一回あるけどやらせすぎか?ちなみに低学年


この間、エビデンスベース教育経済学話題になってたけどああいうのは嬉しい

教育技術にも根拠が欲しい 子どもが伸びるという確信が持てる活動をさせたい

すごい(?)先生たちが書いた教育技術の本はたくさんあるが、思いつきで書いてんじゃね?と思うことが多い

教育現場スタンダードになってる授業方法もそれが本当に効果的なのか謎

授業の最初にめあて、最後にまとめを掲示するとか。

授業の流れが一目でわかる板書がいいからそうしろって言われたけど本当にそうなんかなとも思う


どの授業方法にもいまいち確信が持てない

ずっとこんなんで悩んでるから俺は教師に向いてないのかもしれん

教師なのにひどい文章ですいません

ちなみに黒板の字は小学校教師にしては汚いです


以下ブコメへの返答

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

何年目の先生なんだろうね。普通に考えて、ベテラン先生からアドバイスをもらうことは無理なんだろうか?と思うんだけど。

若手です。授業法を参考にするときビッグネーム先生書籍を読みます

でも、あれが大事これが大事と人によって大事にすることが違っていたり、時には指導法に関して正反対の考えが書いてあることもあるので「これだ!」と確信して取り入れられません。

自分で考えてチョイスしろってことですね。

あと、ベテラン先生はそれぞれ流派というか主義みたいなのがあってバラバラだしわかんないもんです。


低学年なら鉛筆の持ち方をしっかりするとか、字は大きくハッキリ書くとか学年が進むと矯正不可な面をしっかりして欲しい。

それって矯正不可なんですかね。

もしも大人になっても矯正できるのであれば、低学年で字の美しさに気をとられるあまり他の面が養われなかったらもったいなくないですか?

それに字を丁寧に書くことがその子の将来にとってどれほど得なのか(頭が良いのに字が汚いやつがたくさんいる)、字を丁寧に書かせることで失うもの(授業が終わっちゃう)とか

いちいち考えてしまます。字の美しさの指導ベテラン教員でも意見が分かれるところなので難しい。

文章力と関連あるかは別にして、国語の成績とか偏差値とかは全国クラスでした。それを支えたのは、公文式と乱読だと思います公文式最初の方って、書き取り以外だとひたすら品詞分解したりするんですが。

公文通いの子はみんな勉強得意です すごいです

恥ずかしながら公文式がどんなことやってるのかよく知らないんですが

今度調べてみます

できる子もできない子も学力アップさせたいしならレベル別教材作るのがいいと思う。

俺もそんな気がする そういう風にこしらえられた学校用の教材はないような気もするけど(自分が知らないだけかもしれない)そして作るのはつらすぎる。

手際の良い先生は、個々の能力に合わせて授業をセッティングしているように思う。跳び箱でいえば、高さ違うやつを並べて跳ばすように。

教育用語学習最近領域というのがあって、その子にとって最も丁度良い学習課題が最も能力を伸ばすというものなんだけど(こういうのをうまく利用して授業組み立てたい)、

毎日の授業でうまいことそれを取り入れるのは難しい 自分が未熟だからというものあるが。

子どもマンツーマンなら効果的に伸ばせると思うけど、担任一人じゃつらいものがあります


文章を読むことを好きにさせることが一番の目標でしょ。

ほんとそうですよ

http://u999u.info/o32m 公文式国語の「方法」を読むといいよ。絶版だけどamazon中古あるみたいだし。要約力を重視していた。文章の中から重要な要素を抜き出す能力ね。中学生相手に塾講師家庭教師していたとき役だった。

安かったんでポチりました

…ほんと…国語は…難しいよな…。そもそも国語の「学力」が何であってどう測るのか、という時点で、理科算数に比べて曖昧で、市販のテストの点数との乖離が大きい気がする…。

その通りで、算数は何を学ばせるかが明確で分かりやすいのであんまり悩まないです

国語はいろいろ曖昧で悩みます

宿題を一杯出したり漢字死ぬほど書かせたり色々と強制する事はバッシングやばいけど将来的にあの時やってよかったと思う時があるかな

自分が受けた教育がよかったと思うことと、本当にその教育が良い効果をもたらしたのかということの間には、かなり隔たりがあると思いませんか?そこを間違えたくは無いです

根性主義的な学習はある程度効果をあげるかもしれませんが失うものも多いように思います宿題をどっさり出す勇気はありません

自分漢字学習のさせ方は、宿題は少なめにしておきつつ、小刻みにテストをしたり、作文に使ったりと、忘却曲線を利用したようなやり方で思い出させて学習させてます

いま私も子供らの国語教えるのには試行錯誤してる。毎週読書させて簡単なあらすじと感想書かせて。無理矢理は読むの嫌いにさせちゃうし、楽しみながら習慣化させたい

同業?学級文庫や図書室の本だけだと満たされないかと思い、うちのクラスは家からの本持ち込み可にしてるんだけど、本嫌いな子は持ってこない

人の意見を求めると見せかけて、受け入れないタイプ地雷教師臭が。。

その通りで、余計なことをしたくないから意見は参考程度にしておいて授業で使うかはまた別

漢字の書き取りをめちゃくちゃやらされた結果、書き順とか部首名とかばっちり頭に入った。大人になった今でもしっかり覚えてる。脳の容量がもったいないからできれば全部忘れたい。

漢字めちゃくちゃやると他のことができなくなる

日本国語教育って漢字偏重というかそれが重荷になってる気がしませんか

「新出漢字は軽めにやっておき、今後数年間で忘れたり思い出したりを繰り返してるうちに記憶が定着する」と自信をもっていえるなら俺は軽めに教えて他のことをしたいです

まあ自信をもっていないからモヤっとするんですよね。

あとこれもすごい悩ましいんだけど、書き順は正確に教えるのが当たり前になってますけど、書家の方が「正しい書き順はない」とおっしゃっていて、それ聞くとガチガチに正しい書き順を覚えさせるのがいいとは思えなくなっちゃいません?

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

トラバ

http://anond.hatelabo.jp/20150920002242

結局自分が欲しいのはエビデンスなんですよ 指導領解説にしたってエビデンスです エビデンス厨なわけです 教育裏付けが欲しいんですよね。

何か確かなものを頼りにして授業したいんですよ。

まあでもそんなパーフェクトに近い指導法はないですよね?だから手探りでいくしかない 指導領解説は前任校が国語研究をしてたんでちょっと読んでましたけどまじめに読んでなかったので読んでみます

でもモヤモヤは晴れない気がしますね。

2015-06-30

http://kiratto-life.hatenablog.com/entry/suiei0629

うちも水泳教室通わせてるけど、そもそも泣き叫ぶ子を一度も見た事がないんだけど。

年齢層が高いクラスからか?と言っても下限は3歳だし(実際3,4歳くらいだろうと思われる子も数人いるし)

もっと幼い子向けのクラスは一つ早い時間で、こちらのクラスの子と入れ違いに出て来るけど

その時も泣いてる子は一度も見た事ないし。

水泳教室指導法問題じゃ?

だとしたら、そんな粗悪な水泳教室に通わせてるこの親もどうなの?って話になるけど。

2015-06-10

何も教えず、人を育てる

何も教えないってスタンス

指導法としてどうなの?

指導される側が、努力、やる気を消費して勝手に育ったと思う

もっと優しく教えれば良く育つのでは?

水をやらないで、伸びた草を

ほれ、伸びたじゃん

っていうの嫌いだ

その草は伸びなきゃ生きていけないから伸びたのであって

その指導はひどいと思う。

2015-05-20

http://anond.hatelabo.jp/20150519222541

ろくにチェックもせずにメール送らせてる環境がどうかと思うんだけど…

確かに文章力ない子はいるが、指導すれば直る子もいる。

使えない使えない、ってたった1,2ヶ月で一人前になることを求めるほうがどうかしてるわ。

自分はどうだったのかと聞きたい。

教育係を任されているのであればちゃんと指導してあげるべきだし、

一向に直らないのは指導法問題がある場合もあると思う。

ただ、大学名前判断できないというのは同意する。

業務内容に見合ったスキルを持っているか(身につけられる素養を持っているか)を

判断できればいいんだろうけど。

2014-10-02

知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす、これ知るなり

http://anond.hatelabo.jp/20141001050424

元増田さんは二言目には解っている、解りきっている、という言葉を使いますけど、

残念ながら他人元増田さんが考えていることなんて全然解らないんですよ、だってあなたそこに書いているようなこと全然口に出して言ってないですよね?

元増田さんは上司や同僚の気持ちちゃんと解ってます? 解ってないんじゃないかなぁ? だから周りの人も元増田さんの考え、解ってないですよ。

もちろん貴方には新人指導法について文句なんてつけたら余計嫌われるってことが"解ってる"んでしょうけどね。


まりあなたがなぜ過剰に怒られかつ見当外れなアドバイスばかりをもらうのかって言うのはそれが原因なんですよね。

だってあなたって他人からいろいろ言われた時頭のなかで千歩譲ったり万歩譲ったりしてばかりで、言われたことへの反応が無いんですもの

他人からしたら「何を言っても不機嫌そうにしているだけのヤツ」ですよ。

結果として周りの人にはあなたが何をどこまで理解していて何を理解していないのかが解らないですから

「こいつ根本から何も理解してないんじゃないか?」とか「そもそもやる気ないんじゃないか?」とか思われて

元増田さんからすれば見当違いな"解って"いることを、いろいろ言われるわけなんですよ。



というわけで元増田さんに足りないのは、自分が何をどこまで解っていて、どのような考えをしてしまたから間違えたのかということの説明ですよね。

そこをきちんと説明できれば、相手からもきちんとした解答が返って来るはずですよ。

2013-09-01

ラノベ作家養成専門学校が酷い ~2nd Season

追記(2016/08/13) : 〜3rd Season〜 書いたよ。 http://anond.hatelabo.jp/20160813154757


先回のエントリー( http://anond.hatelabo.jp/20130830202223 )は好評だったみたい。

ブラウザ履歴消して、Googleからログアウトしてから専門学校 ラノベ」で検索したら、くだんのエントリートップに表示された(2013/09/01 午前現在)。

夏休み最終日、ラノベ専門学校への進学を検討している高3が見たら卒倒するね。虚淵玄脚本より残酷Google先生大学に行きたいです。

以下、前回書き漏らしたことについて補足。

1. 学生意識低すぎ

 3つの学校オープンキャンパス体験入学に足を運んだ。

 で、参加者は各校2, 3, 1人。私を入れてね。最後マンツーマン

 イベントは各校のHPに、巨大なバナーで告知されてるのに、たったこれだけしか来ない。

 とある学校パンフに「在校生の約半数が体験入学に参加しています。ぜひ皆様もご参加を」って書いてあって吹いた。たった半分かよ。っていうかそんなこと書くなよ。

 数だけじゃなくて、質も低い。

 プログラムに「体験授業~プロットを書いてみよう~」ってあったから、ノーパソ持って行ったんだけど、PC持参してきたの私だけ。

 他の学生は筆記用具さえ持ってきてない。あと、結局プロット書かなかった。

 高校5年生を名乗る子がいて、「高専の方ですか?」って私が尋ねたら、「人には色々事情があるんです!」って講師が間に割って入ってきた。社会マジ闇深いわ。

2. 雇用の創出

 体験授業の合間、メモ取るフリして講師の経歴調べてた。中身が無い授業だから所在なかったの。

 作家著述家・文筆家。普段何で飯を食ってるか分からない人たちばかり。確かなことは、その学校で教鞭を取って禄を食んでいることだけ。

「○○大学大学院人文科学博士課程修了」なんてプロフ見た時は、「博士100人いる村」を思い出した。村人の16人は無職、8人が死亡・行方不明から、専門で教員やれる奴は勝ち組。やったね たえちゃん!

 余剰博士幸せを祈った分、学費を納めずにはいられない。私たち専門学校生って、そういう仕組みだったんだね(CV: 喜多村英梨)。

3. 体系的な知識

 講師の中には曲がりなりにも高等教育を受けた人がいるわけ。先述の博士出身者みたいな人たちが。

 だから大学出の私は次のようなことを彼らに尋ねたの。

  学問って体系的に整理されてますよね?

  例えば自然科学で言えば、20世紀初頭くらいまでの知識は整理されている。

  仮説に留まっているものもあるけど、理論化がある程度進んでいる。

  だから、要点を押さえれば知識習得することはできる。

  指導法確立されていて、教育学教育学部だってある。

  もちろん、学習者と指導者が相応の能力を備えている必要はある。

  ただ別の言い方をすれば、両者にそこそこの力があれば、誰もが一定水準まで学問を修めることができる。

  でも、文章を書く営みって、そんな秩序立ったものではないですよね?

  もっと柔らかくて、鵺のように捉えどころがない。そんなものを『教える』ことなんてできるんですか?

 質問をぶつけられた講師たちは一様に顔を引きつらせた。

 それで「いや、文章作法というものは手順があってだね……」と講釈を垂れるのだけど、顔が半分笑ってる。

 彼らは文章作法学校教育のように教えられないことなんて百も承知なのだ

 こんなの絶対おかしいよ!!(CV: 悠木碧(W大))

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