はてなキーワード: 所謂とは
パッと見で巨乳と思えるかどうかは形と体形が重要で、具体的には
・腹回りが普通または細身でE以上
って感じかなあ。
僕の人生は基本的に悪夢によって規定されていると言ってもいい。そのような悪夢が初めて自分を襲ったのは四歳だか五歳だかの未就学児だった時期である。
この悪夢について僕は詳細を語るつもりはない。
それは明確に僕にとっての呪いであり、そして僕の人生を根本的に規定している夢だからである。
このような夢を安易に語ることによって、これまで僕が人生を運営していく上で必要としてきたシステム――要するに倫理――に悪影響が出ないとも限らない。僕はこの悪夢を基本的に墓場まで持っていくつもりである。もし、僕がこの悪夢を誰かに語るとすれば、それは僕が誰かに呪いを移し替えたいという、純粋な悪意によって衝き動かされる時に限られるだろう。
そのようにして、四歳だか五歳だかの時に、記憶に残る上では人生で初めての悪夢に見舞われ、僕の人生はある種決定付けられた。
悪夢とは――端的に落とし穴である。それは闇夜の落とし穴であり、夜になれば我々は必ず眠りに就かなくてはならず、つまり、闇夜の中を目印無しに歩かなくてはならなくなる。無事に夜明けまで辿り着ける場合もあれば、真っ逆さまに穴の中に転落することもある。それが我々にとっての――少なくとも僕が五歳だの六歳だった時の――悪夢だった。そのような悪夢を避けることは、基本的にはできない。偶発的に穴には落ちる。歩く限りで、そしてそこが闇夜である限りで、また、その闇夜の道に無数の穴が掘られている限りで――必ず我々は穴に落ちることになるのである。すなわち、悪夢を見ることになるのである。マーフィーの法則を持ち出すまでもなく、それが僕にとっての悪夢というものの在り方だった。
いかにしてこの悪夢を避けるべきか――という思考が芽生えたのはいつのことだったか、それは流石に未就学児の時ではなかったと思う。僕はその後も順調に、人生の岐路において悪夢に見舞われ続けた。つまり、積極的にこの悪夢を退けようとする姿勢――僕にとっての倫理的姿勢――を身に着けるのは、もう少し後のこととなる。
六歳だか七歳だかの時には、ランドセルほどのサイズの大きな蛾が、背中にしがみついた状態で、闇夜を歩く夢を見た。そして、その夢の中で僕の手には鎖と鉄球が結ばれており、それを引きずっていた。
以前その夢について増田に書いた時があったのだけれど、それは僕にとっての「カフカ的な重み」であったと増田には記させてもらった。六歳だか七歳だかにして、過負荷(当時のブコメからの引用)を背負うことは、はっきり言えばそれなりにハードなことだった。何でまた僕はこんな幼少期からこんな重みを引きずって歩かなくてはならないのだ? 僕はまともに歩くことさえ困難な状態におかれてしまっているじゃないか、と。
◇
時に美しい夢を見ることもあった。意中の女性を抱き締め、愛を語らう夢。そんな夢から覚めた直後には、朝の静かな空気の中で僕は幸せを噛み締めていた。
とは言え、そのような美しい夢に比して、同数以上の悪夢を見ることに、青年期の僕はうんざりとしていた。その殆どは、僕が所謂゛カフカ的重み”――つまりは゛過負荷”を背負っていることを突き付けようとする悪夢であった。
荷物が重すぎるのである。それを何度となく、僕は僕自身の悪夢によって示されることになった。゛お前はここから逃げられない”と。゛荷物を下ろそうとしたところで、それは無駄なのだ”と。゛お前の背負っている重みを常に直視し続けろ”と。
さて、僕はどうするべきだったのだろう。
勿論、僕のやるべきことは一つだけだった。つまり、荷物が何であるかを見定め、それをできる限りパージしていく――円満に背中から下ろしていく――ということそれだけだった。
僕は自分の重みから解放されなければならなかった。その手順を、一つ一つ確実に踏まなければならなかった。間違ったやり方をしてしまえば、その重みが加速度的に増して、自分の背中を押し潰すことは、僕にとって殆ど自明のことだった。
そう、゛間違えてはならない”のである。
正しいことをし続けなくてはいけなかったのである。何故なら、そこで間違った選択をすれば、僕は更に゛過負荷”に晒されることとなったであろうからである。
この場合の゛正しいこと”とは、繰り返すように、゛過負荷”について正しく理解し、目を逸らさず、誠実にその重みを扱っていくことである。幸か不幸か、僕は自分にとってのおぞましい重みが眼前に提示された際、その重みを瞬き一つせずに眺めてしまうという性向を持っていた。そのような性向はある意味では僕の青年期の情景に影を滲ませることになったが、同時に、その時の僕にとってこの上なく必要な事柄をもたらしたのである。
僕はそこから目を逸らしてはならなかったのだ。
僕が正しいことをしなくてはならない、そのために、全力を注がなくてはならない、そう決意したのは、悪夢の影響だった。自分にとって正しいことをし続けること、自分の素直な気持ちを大切にし、本当に大切なものだけを搔き集め、そうでないものに囚われないようにすること――かかる方法のみを以てしてしか、自分の重みを取り除くことができないことは、僕にとって明らかだったのである。シンプルに言えば、僕は正しいことをし続けなければ死んでしまっていたのである。僕自身の過負荷によって。
◇
僕自身にとっての倫理とはかかるものである。つまり、『死にたくなければ(悪夢の過負荷に押しつぶされたくなければ)、正しいことをし続けろ』というシンプルな命題。それが、僕にとっての倫理だった。
僕は、そのような倫理を個人的な格率として保持し続けた。僕が人生を生き切るためには、自分の夢を敵に回すのではなく、自分の夢に味方になってもらうことが、必要不可欠だったのである。
その後、僕は様々な人生のトラブルに見舞われることとなった。最も最近のトラブルは今年の初めくらいから生起しており、正直なところ正気を保つのに随分苦労しているのだが、しかし、ここまでやってきた努力の成果もあってか、夢だけは常に味方になってくれていた。
朝目覚め、少しだけ悲しい気分になるのだけど、でも、少なくともそれは悪夢の目覚めに比べれば、五千倍はマシなのだ。
◇
「収入の半分近くを税金として収めている日本!!!あぁ我ら国民は苦しい!!」
...みたいな話題がこないだネットで出てたけど、まぁそれは事実だとして、そんなにしんどい事になってるか?
普段生活していて「重税で手元にお金がぜんぜん残ってないよぉ...」とかあるか?無いんだが...
家も買ったし車も買ったし奨学金の返済だってしてるから、大体の人が抱えそうな債務はひと通り負ってる。
節約も特にしてなくて、スーパーでは好きに食材を買い、月に2~3回は外食してる。エアコンも惜しみなく使うし毎日湯船だってはる。
私たちが産む子ども(とはいえ私自身に多少発達障害傾向があるので、所謂健常者になるかはわからないが……)(その時も責任持って育てるけど)が君らの年金の財源を担う世代にもなるだろうし、もう少し優しくして欲しい
まず最初に保身に走りたいと思うが、これはあくまで俺のクソしょうもないお気持ち記事であって何かを批判する意図は無い。
特にvalorantというゲーム自体は非常に面白く、神ゲーと判断できるレベルまではやりこんでいないがそれでも遊ばれている理由が十分分かるものであり、ゲームを批判するつもりは全く無い。
本題だが、自分は最近になってほぼ初めてちゃんとした所謂人撃ちゲームをプレイした。
ゲーム自体はそこそこの年数プレイしているし、スプラトゥーンみたいなカジュアルTPSであればやったが、こういうゲームは中々気が向かなかった。
だが最近になって友人に誘われたこともあり、一緒にアンレートを回した後、コンペが出来るまでアンレート→コンペを少しやった。
レート振り分けの結果はアイアン2だったが、自分がFPS下手なのは十分自覚しているし、むしろアイアン1じゃないんだと驚いたくらいだ。で、問題はそこから何戦、あるいは何十戦かコンペをやった後の話だった。
結論を先に話すが、暴言に遭遇して「これは自分には合わないな」と思ったという非常によくある話である。
今までやってきたゲームでこんなに対面から味方に暴言を吐かれるという事が無かったので、初めてこういう体験をして思ったより自分に合わないなと思ったし、自分の考えが間違ってたことにも気づいた。
まず先に話しておきたいが、上記の暴言の原因は自分にあるためそこを非難するつもりはない。原因はセージ即ピで、これについては事前にマナーを調べていなかった自分が全面的に悪い。
だからそれについて暴言を言われてもそれだけなら次から気を付けようで済んだのだが、その試合中ずっと暴言・罵倒が飛んできたのが思ったより自分的に辛くて驚いた。
いくら暴言を吐いていようがちゃんと戦っている辺りそこは評価しないといけないと思っていたからミュートはあえてしなかったし(実際ちょいちょいゲーム的な報告はしてくれていた 自分に対してでは無いだろうが)、迷惑をかけているんだから最低限その人よりはいい成績を残そうと思ったし、実際数値上は普通に自分の成績の方が上だった(勿論キルデスだけが重要ではないが)
それでも何かに付けて、というか後半はもはやミスの指摘とかですら無くなってきて単にあまり内容の無い暴言ばかりが飛んできた。
補足すると、自分は暴言に対してあまり返す言葉も無かったため特に反論などはしていなかったが故のエスカレートである可能性も大いにある。
まず、前提としてこのゲームは勝ちたいならVCをするべきだと感じた。そして、少ないながらもプレイした内でその一回しか暴言に遭遇しなかったので多分暴言を吐くような人間はそれなりに少ないと思う。
が、その事実と暴言に対しての耐性のようなものは全く別物である。
多分このゲームを続けている人は「1.暴言を無視できる人(ミュートも含む)」「2.暴言なども真摯に受け止めて次に繋げられる人」「3.逆に煽り返せる人」のどれかなんじゃないかと思う。
ただ、少なくとも自分はそのどれでも無かったことに気づいたし、多分勝ちとか度外視してVCを全ミュートしてもプレイ中に行動で煽られるだけでそれなりにメンタルに響くような人間だったということを知った。
その上で、前述の3つの内どれかに当てはまる人間は本当に凄いなと心から思えるようになったし、可能なのであれば目指したいとまで思う。
が、実際それはそんなすぐに、多少考え方を買える程度では無理だと感じたので、このゲームは引退することにした。
自分にはそれこそスプラトゥーンくらいのカジュアルゲームがお似合いだろう。
ちなみに敵に煽られる分にはそこまで気にならないので(よっしゃ次は殺したるぞくらいは思うが)、スプラトゥーンはそこそこ長く続いた。思えば味方に煽られるなんて経験思い出せないな。
今でもvalorantが出来ている人間はすごい。ランクとかは関係ないし、少なくとも続けられるだけで俺はそれだけで尊敬する。自分の文章力が無さすぎて煽りみたいな文しか書けないのが申し訳ないが、これは文字通りの意味で皮肉の意図は全く無い。
結論を言えばそういうグッズ(給水くんみたいなやつのことだよな?)もアリだが真夏だと水不足になると思われ。
まず枯れ方を観察するんだ。
萎れて枯れてるか?
もっと水をやれって話だが、そもそも論として鉢が小さい可能性もある。
鉢が小さい=土が少ない=鉢全体の保水量が少ない=水やりが追い付かず枯れる。
植物の大きさにもよるが、目安として高さ50㎝以内なら5号鉢以上、1m以内なら7号鉢以上に植え付ける方が良い。
植え付けの仕方はググれ。
なお基本的に店売りの観葉植物は小さい鉢に植えられているため、買った後にデカいサイズの鉢への植え替え必須と思っておく方が良い。
土が悪い。その辺で拾った土使ったりしてないだろうな?
その辺で拾った土を使いたいなら、殺菌して堆肥か腐葉土(要するに有機物)と混ぜる作業必須。
初心者にはお勧めできないし、結局堆肥を買わなきゃならんので、だったら園芸用土を買う方が楽。
頑張れ。
はてブで人気記事にあがっていたので、この記事を読んだ時に思ったこと。
俺はよく言われる『戦時下の極限状態の空気では普通の人も容易く残虐になる』って説を支持してるんだけど、その立場からすると、この手の戦時における現場の兵隊の残虐行為批判って、裁判における責任能力有無の問題に似ているように感じるんだよな。
一般的に真っ当とされる判断能力がない状態の人が行った凶行に対して、人はどれだけの責任を負わされるべきかという話。
あえて嫌な言い方をすれば所謂"キチガイ無罪(実際は減刑なども含む)"を肯定するのなら、戦時の空気にあてられて残虐行為に走ってしまった"普通の人"も相応の扱いをしないと筋が通らないと思うんだよな。
この二問題に関しては一貫した見方ができないとアンフェアじゃない?
もちろん、戦時に人は残虐になるという説そのものを否定的に捉えている人の意見は異なるだろうし、どちらの考えが正しいかは実際の戦時の空気を生で体感したことのない俺達では想像の上でしかものを言えないから決着はつかないだろうが(戦中世代の古老増田という存在はこのサイトにいるのだろうか?)。
俺自身の個人的な考えとしてはどちらに対しても、『判断能力の欠場した人間の凶行はあくまで仕方ないことなので第三者が責めるべきではない。しかし、被害者やその遺族などからしたらどんな理由であれ被害には変わりないので、被害者が望むのならば判断能力の有無に関わらず責任を負い罰を受けるべき』と考えている(なので現行法に対してはやや否定的)。
ついったーで、【誰が「女性にAEDを使いたくない人」を作ったのか】と題したついーとが流れてきたので少し書く。
そのついーとはこちら↓
https://twitter.com/surumelock/status/1537370498715504640
このついーとの内容に触れる前に、私の立場を明示しておく。
ただし実際にそのような状況に出くわしたことはないので、少なくとも家で考える分には「女性にAEDを使いたくない人」だと言えるだろう。
その理由はまさしく、訴訟されたら人生が終了しかねないからだ。
「無料で弁護しますよ」と仰る弁護士の方もいるが、そもそも「訴訟されること」そのもので人生が終了しかねないと思っている。
仮に訴訟を起こされ、弁護していただき勝訴したとしても、会社員生活に及ぼすストレスや影響はままならないものだと予想している。
訴訟されなくとも、顔写真付きでついったーで炎上でもすれば人生は崩壊するだろう。
だとすると訴訟・炎上そのもののリスクを回避、すなわち「女性にAEDを使う」ことそのものをリスクと見て忌避するのは当然の結果ではなかろうか。
勿論私は人命救助に協力するつもりではあるが、その場に女性がいたらAEDの使用を女性に頼むだろう。
さて、元のついーとの話に戻ろう。
元のついーとは、
「フェミニスト(※どちらかというと所謂ツイフェミ)が男性容疑者を何が何でも炎上させる姿」と、
「同フェミニストが「女性にAEDを使いたくない男性」を誰が作ったのか、いい迷惑だ!と憤慨する姿」が表現されている。
ついーと主の意図としては、「自身が原因になっているにも関わらず他者のせいにして憤慨する滑稽なフェミニスト」を揶揄したものであろう。
私としては内容に異論ないし、4コマ漫画としてもきっちりオチがついていると思う。
ここからは(勿論これまでも)ただの雑記であるが、ご容赦いただきたい。
では、誰が「女性にAEDを使いたくない男性」を作ったのか?私はここで電車での痴漢に対して聞いたことのある説を連想した。
曰く、「善良な男性が女性から痴漢を疑われるのは、痴漢男性を許容してきた男性全体の責である」、と。
非常に主語が広範であり私個人としては全く賛成できない説ではあるが、今回の件に援用できないだろうか。
「善良な女性が男性から訴訟・炎上リスクを疑われるのは、訴訟や炎上させる女性を許容してきた女性全体の責である」、と。
※痴漢という犯罪行為と訴訟という正当な人権の行使では当然齟齬は出るが、被害者側からすれば適法だろうが違法だろうが危害・ストレスを受けるというのは変わらないだろう。
「アニメは原作の展開を省略しまくってるダイジェスト版だけど漫画版は作者のロボ愛が凄いぞ!」
とかそういう売り文句か何かでこの人がナイツマファンに持ち上げられまくってたんだったかな
ロボットだけ描ける人・人間だけ描ける人は多くてもその両方を描ける人というのはあまり居ないから凄い人だなと思った
漫画家さんだけど漫画を描いてる息抜きに趣味の絵を描くとか、Ex-Sガンダムを資料を見ずに描けるとかとんでもないエピソードも聞いた
とにかくロボットの事が好きで堪らない、ナイツマの主人公エル君をそのまま漫画家にしたような人、みたいな存在とナイツマファンに言われていた
そんな凄い漫画家さんがこの世に居て、そんな人にコミカライズを担当してもらえるナイツ&マジックは小説家になろう発の作品の中でもトップクラスにラッキーな作品だと思った
その加藤先生が趣味でロボットを題材にしたギャグ漫画を描いてる、という話もナイツマ関係の話題を追っていると当然目に入った
無料で公開している、という事で読ませてもらったんだけども…割と早い段階であれ?と思った
本人も後に訂正しているんだけど、ロボットアニメが大好きで堪らない!というキャラが「新機動戦記ガンダムX」という新機動戦記ガンダムWと機動新世紀ガンダムXのタイトルを混同して覚えていた
そこを不思議に思ってナイツマファンに聞いてみた所、どうも加藤先生は世代的に富野ガンダム直撃世代の層なので平成のアナザーガンダムに詳しくなかったのではないか?という解釈を聞かされた
その時は「ふーんそんな物かな…」と思ったけど、もしこれが宇宙世紀作品なら加藤先生はタイトルを誤らなかったんだろうなーとか、ロボアニメが大好きで詳しい設定のキャラがそんな凡ミスをして良いのか?とか悪い印象を持った
決定的に加藤先生に対して不信感を持ったのは、Gの泉の女神様・その39の事だった
https://twitter.com/isiyumi/status/1089097269800914944
機動戦士ガンダムSEEDの劇場版がいつまで経っても公開されないね!という、ガンダムシリーズファンにとってはまああるあるネタの一つを取り扱った回なんだけど
これ以前のGの泉の女神でこういう「ロボットアニメを題材にしたブラックジョーク」は一つも無かったので、「え?SEEDではこういうネタやんの?」と正直驚いた
実際ガンダムSEEDは古くからのガンダムやアニメのファンには受け入れられてるとは言い難い作品だったのは事実ではある
ファンのマナーが悪い、スタッフの口が悪い、予算ばかり掛けた割に内容が破綻しているなどといった話はこの20年間絶えず耳にしてきた
島本和彦先生、長谷川裕一先生など古くからガンダムに関わってきたクリエイターや、スーパーロボット大戦、Another Century's Episode、ガンダム無双などゲーム作品からもSEED本編について思う所があるのは伝わってきた
別に加藤先生が特別SEEDについて何かを思ってる訳じゃないだろうし、これもまあ…ガンダムファンあるあるネタの一つに過ぎないんだろう、と思っていた
最近、ふと何を思ったのか加藤拓弐先生の名前と「種死」(*ガンダムSEED DESTINYの略称。蔑称的な意味合いも含まれる)でTwitterを検索してみた
すると、「ああ、この人ふつーにSEEDの事嫌いだったんだなあ」って昔の呟きがヒットした。ナイツ&マジックのコミカライズが始まるずっと前、2010年頃の呟きだった
今ではその呟きは削除されて見えないけど、一応スクリーンショットは撮っておいた。つい最近まで見れたのについ最近何故か消してしまったらしい
https://i.imgur.com/mdxgL4G.jpg
あのロボットアニメ大好きな加藤先生にここまで言わせた種死の方が悪いと言うならそれもまた事実だとは思う
加藤先生は他のロボットアニメは大体好きというかここまで言う事は無いし、Gの泉の女神様でも他の作品をああいうネタにした事は無かったから
たださ、名前を間違えたりするくらい興味無い作品があったり、わざわざ作品の中でコケにするくらい嫌いな作品があるなら「自分はありとあらゆるロボットの事が大好きです!」みたいな面をするのはやめろよって素直に思った
ナイツマのエル君もロボット大好き!ってキャラでありながら「ロボットを破壊して良いのはロボットだけなのです!(怪獣など非ロボットがロボットを破壊するのは許さない)」ってちょっと狭量な思想だったけど
このジャンルのありとあらゆる物が大好き!ってキャラクターを売りにしてる人物が、一部の物だけは蔑み嫌ってる所を見ると幻想が壊れるというか、当たり前だけどこの人も人間だったんだなーって気付けるようになった
とりあえずそういう事があってからナイツ&マジックコミカライズ版の作者加藤拓弐先生の事が俺は嫌いで嫌いでたまりません、という日記
【追記】
加藤先生も嫌いだけど、そのリプ欄で加藤先生に追従するように十数年前から変わらないやりとりでSEEDを貶してる所謂種アンチ的な連中も大っ嫌いだなって思った
【追記2】
Gの泉の女神様・その39に登場する闇の女神というキャラは「劇場版SEEDが公開された時に封印から解放される」という設定のある種一発ギャグ的な設定のキャラなのだけど
劇場版SEEDの制作・公開決定が改めて報じられた去年の5月から現在に至るまで加藤先生はこの闇の女神とSEEDについて一切触れていないので、
「この人は今後絶対に公開される筈がない劇場版SEEDをネタにしたかっただけで本当は公開を待っていた訳ではないんだな」と解釈して改めて加藤先生の事が大嫌いになりました。終わり
https://anond.hatelabo.jp/20220614121244
https://anond.hatelabo.jp/20220613133321
先の2人に比べると、ロースペックやから、別パターンとして楽しんでや。
総額45万円といったところ。婚活関係なく服も買うし、美容院にも行くからそれも含まればもっとあるかも。
デートは付き合う前は基本的にちょっとお高めのカフェに行くことが多かった。とはいえ、基本的にカフェなので、大したことはなかった。
同年代またはちょっと年上の人と付き合うことが多かったので、割り勘の場合も多かった。
結婚した後に住むところは絶対に揉めると友人から聞いていたこともあるので、元から住んでいる場所が近いというのは結構重視した点。
社会人になってからはほぼ出会いがゼロ……というわけではないけども、変に職場の人と付き合った場合、色々面倒そうで嫌だなというのがあった。
かといって、他に出会いがあるのかと言われると、そんなこともなく、淡々と20代が過ぎる。30代になって、そろそろ婚活を考える必要があるかと、何度か街コンやその他婚活パーティーに参加してみたけど、これがものの見事に成果ゼロ。
考えてみれば、婚活パーティーのマッチングというのは人気投票なわけで、10人参加していた場合、人気が2、3人に集中するんだから、俺みたいなブサ面が何となく参加したって、その人気投票に食い込めるわけあらへん。
顔じゃなくて、中身で勝負!って考えるだろ?でもさ、10分くらいしか話さないのにどうやって、その中身で勝負するんだと。
その辺に気が付き、やっぱり結婚相談所で紹介してもらった方が出会える確率が高いかと考えたわけで。
ちなみに、今はマッチングアプリで出会う人も多いだろうけど、俺の世代は出会い系サイトはヤバい!ネットの出会いは気を付けろ!と中高時代にメチャクチャ刷り込まれているので、マッチングアプリを使う発想は全くなかった。
話は逸れるが、正直、あれだけ叩かれまくってた出会い系サイトがマッチングアプリと名を変え、大手を振ってCMしているのは今でも違和感がある。時代が変わったと言われればそれまでだろうけど。
開始月に2人とマッチング。そのうち、2人と何度か会い、Aさんと仲良くなったので開始から3か月目くらいに正式に付き合うことに。付き合った場合は、休会することで月会費は維持費の500円だけになる。
言ってしまうと、このAさんが人生の初彼女なわけで、当時めちゃくちゃ舞い上がっていたと思う。半年くらい結婚を考えずに普通に付き合っていた。
ただ、そこは結婚相談所で知り合った人だから、相談所側からもそろそろ結婚に関する話し合いをせいやと、催促されるわけ。で、結婚についてどう考えているのか、真面目に話し合ったところ、どうもAさんは結婚への願望がそもそもない、とのことだった。
そして、その後、別れ話を切り出されることに……。泣くわ。
そもそも、何で結婚への願望がないのに、結婚相談所へ登録していたのか? 親への言い訳として登録するような人は結構いるとネットニュースの記事を見たが、たぶんそれなんだろうな。高い月額を払う必要があるのに。
その後、活動を再開。結婚相談所のシステムとしては毎月6人まで希望条件に合う人を紹介してくれて、それとは別に自分からアプローチをすることもできる。
なので希望条件に合う人にメッセージを送り、自分からも探しているうちに、Bさんと仲良くなり、何度か会うところまでこぎ着けた。で、告白したけども撃沈。4回も会ったのに、それでもダメなときはダメか。
三度活動を再開。色々とマッチングしているうちにCさんと出会う。
このCさんは自分に対してメチャクチャ好意を持ってくれて積極的に構ってくれて、どちらかといえば受け身の人が多い結婚相談所の女性陣の中ではかなり異色だったと思う。ただし、告白はこちらからしたけども。
Aさんとの件もあったので、相手は自分じゃなかったとしても、結婚そのものには前向きであるか、ということもちゃんと確認を取っておいた。
3か月ほど付き合い、結婚に関する具体的な話をし始めると、どうもCさんは子供が欲しくないとのこと(DINKSってやつ?)。
自分としては結婚するからには子供が欲しいと考えていたが、どうにもその部分の摺り合わせができず、結局別れることに……。悲しいなあ。
結婚相談所はゴールが結婚であることが決まっている以上、ダラダラ付き合うわけにもいかないのよ。
失意の中、再び活動を再開。今までのように結婚相談所からの紹介や、自分からアプローチして見たものの、なかなかマッチングしない。
会うところまでこぎ着けても、1度会うだけで2回目に続かない。半年くらいこの状態が続いていたので、割と心が折れそうだった。
でも自分の良いところというか、悪いところというか、コンコルド効果的な考えを持つことが多いので(損切りできない)、ここで婚活をやめるとこれまで使った金がもったいないという考えが出てくるのよ。
そんな感じでめげずに婚活していると、Dさんと知り合い、お付き合いを重ねて告白し、プロポーズという流れになった。
結婚相談所に登録してから、結婚が決まるまで2年数か月ってところか。
著者です。書いたことも忘れていた記事がtwitterから流れてきて「……?(二度見)」となりました。ご愛読ありがとうございます。
SBの件も静岡の件も、どういった経緯で摘発に至ったのかは、僕が書いたような話に関連するかも含めてまだよくわかりません。
ニュースでは静岡の件について「匿名の一般人から通報」と報道がありましたが、あそこのような古いタイプのパーティーは所謂一般人が見えるところで募集をしないので、なんらか広義の「関係者」が絡んでいる可能性は高いと思います。
こういう時はいつも噂が錯綜するので、とりあえず数ヶ月はあまり語らず静観することにしています。
書かせて頂いたような話が「ついに来た話」なのか「これから来る話」なのかは私にもわからず、今後少しずつ答え合わせが出てくることでしょう。
○ご飯
朝:なし。昼:ミートソースカルボナーラ。生ハムとルッコラのピザ。サラダ。ヨーグルト。夜:トマト。素麺。ポッキー。
○調子
○浅倉秋成の六人の嘘つきな大学生
就活で選ばれる側の学生が選ぶ側に立つことになった奇異なグループディスカッションで起こった事件を描く第一部と、それから数年後当時を振りかえる第二部からなる青春小説。
パズラーの文脈でミステリ以外のジャンルを描こうとしていて、序盤に登場するフェアという言葉を何度も使うキャラがいることからも、所謂「フェアプレイ」の概念を主に置いている。
しかし、この作品がミステリ一辺倒ではなく青春小説の面も持っているが故に、ここでいう「フェアプレイ」は作者から読者へ向けたミステリ的な意味だけではない。
一般社会における人間関係においてのフェアな精神とはなんなのか? それを問うようなお話だった。
はてなブックマークやTwitterである側面を見て断罪するインターネットのジジババ共へ向けたわかりやすい教科書でもあり、就活という奇祭に向かわなければならない若者へのエールでもあった。
就職活動中のグループディスカッションをクローズドサークルに見立ててフーダニットするという構造自体が入り口百点。
伏線の狙撃手とかいう異名が際立つ、もはや恒例になったラストの方で今までの伏線文章をピックアップしながら真の意味を解説するくだりは、マジでこの変なあだ名が無ければ楽しめる。(伏線の狙撃手て……
テーマであるフェアを巡るやり取りも、就活に苦しめられてきた自分の過去を思い返して感情移入できた。
ただ、こんだけ無茶なシチュエーション自体へのサゲがないことだけは少し不満足かも。
イジメ加害者への復讐のために殺人を決意して部屋に忍びこむもすでに相手は死んでいた。
そんな冒頭から始まる、タイトル通り殺人犯VS殺人鬼のサスペンス。
クローズドサークルなのでフーダニットものかと思いきや、まさかのサプライズ。
叙述トリックの可能性は疑いなら読んでいたものの、まさかこんな方向からのサプライズが来るとは予想外だった。
たまたま同じ日に読んだ上で紹介した浅倉秋成の六人の嘘つきな大学生が、いたって真面目な社会派なホワイダニットを綺麗に描いていたもんだから、尚のことこの作品のホワイダニットには脱帽してしまった。
古い批判を蒸し返すけど「本格ミステリは人を書けていない」と評するのはあまりにも簡単。
それだけに、いやはやまさかの衝撃だった。
キャラが事件にとってのコマでしかないという批判をこれほどまでに朗らかに明るく肯定する作風は、あの当時の妙な熱を思い出させてくれた気もする。
元増田です。
私自身も理解ある彼くんエンドに苛立つメンヘラだった訳で、書くかどうかは迷ったわけだけど手軽なハッピーエンド感に妥協してしまったんや、ごめんね
学生時代は彼とはただの友人で、当時他の女の子に片思いしてたのも知ってるから、私のことはマジで何とも思ってなかったと思うよ、好きでもない女のつまらない愚痴を延々と聞いてくれる底無しのお人好しだった。
彼と深い仲になったのは、社会人になったあと彼がメンタルやらかして休職中だった頃で、彼目線なら私は理解のある彼女ちゃんかな?まあ、客観的に見ればメンヘラ同士の共依存。
その後お互い転職して、今はなんとか元気でやってる。彼は私がいてくれて良かったなんて言ってくれるから、多少は心の支えになれてたのかな。全然何もしてあげられなかったどころか、彼の負担になってただけな気がするんだけど。
結局、メンヘラから立ち直るには他者の介入が不可欠で、周りからの支援の受けやすさに性差はあると思う。
恋愛的・性的な部分を抜きにしても、所謂「愛嬌」みたいな部分は、傾向として女性が得意だったりするよね。人に甘える、とか弱音を吐く、とかも。生来的なものなのか、後天的に獲得したものかはさておき。苦手な女性も得意な男性もいるけどさ。
助けを求められずに弱っていってる人に気づいて味方でいてあげられる人間でいたいな、と思うけど、恋愛的関係になる気がない相手にそれをやると、結局最後の最後で梯子を外すような感じになってしまってやるせない。
恋人になってあげられないならメンヘラに手を出すな、となってしまうんだよなあ……私も彼が大事なので、今後は目の前に悩んでいる人がいても依存されそうな気配がしたら距離を取らなくてはいけないんだろう、冷たいけれど
彼が私を好きになってくれて良かった、私が彼を好きになれて良かった
好きな人に愛されるという究極の他者承認の効能を実感してしまったあとだと、恋愛に癒しを求める気持ちを悪く言えない
みんな愛されて元気でいてほしい
数日前、ドラッグストアでコンドームを探しまわった体験録を書いた悲しき24歳労働者です。
https://anond.hatelabo.jp/20220528225125
勢いに任せて書き殴りろくに推敲もしないままインターネットの大海へぽいと投げてしまったものの、なんだか恐ろしいことをしてしまったような気がして翌日こわごわ匿名はてなを開いたところ思いの外たくさんの方に読んでもらったようで。コメント見ました。全部見ました。匿名はてなを覗くとき、匿名はてなもまたこちらを覗いているのだ。
サガミオリジナル0.02Lサイズはやはり男のプライドなんでしょうか。白状するとさっぽろ時計台と書きながら思い浮かべていたのはテレビ塔のほうで普通に脳内変換ミスでした。長文乱文すみません、いやほんと、長いっていうのがいちばん多かった。す、すみません。
いやー、なんだかみんなおんなじ文章読んでるはずなのに気になる部分が全員違うって、そりゃそうなんだけど不思議なことだなあとブルーライトが眩しい液晶の前でうっすら笑みを浮かべながらスクロールに次ぐスクロールをしていたら。
「今好きな女の子がいて、のところがスルーされてるのはなぜ? 何度も読み返した」
さすがデュオ!
俺たちが見逃してしまうことに平然と気がつく!
そこにシビれる!憧れるゥ!
女を好きな女の話をしましょう。
えー、いま現在わたくしは好きな女の子がいます。付き合ってはいません。思いを伝えてもいません。
わたしにとっては好きな女の子、向こうにとってはわからない。お互いにとっては毎日LINEをする友達。
仕事が終わらないだとか、三谷幸喜は血も涙もない脚本を書くねとか、コナンが外出するとそれだけで人的及び物的被害が多発するから彼は名探偵になるよりも早急にお祓いを受けたほうが世のため人のためってやつだよねとか、そんなくだらないことをつらつらと話すだけだけど、それで結構満足している。
LGBTというアルファベット4文字がだいぶ世間に浸透し、昨今なにかと話題のセクシュアル・マイノリティ。いや別に話題になろうがならまいがわたしが女を好きな女であることに変わりはないのだけれど。まあ言語でもって共通認識があったほうが話が早いのは確かな人間社会。
わたしは男の子も女の子も好きになる女なので、所謂バイセクシュアルの女性というやつにあたるんだろうなとふんわり思っている。
なぜふんわりかというと、実のところ自分のことを「女が好きな女である」と自覚したのがわりに最近、ここ数年のことだから。石のように揺るがない確固たる意志だとか、テコでも動かんぞ!というがんとした姿勢でもって「好きだ!」というのではなく「いやまあ好き……っすね………」みたいな感じ。
自分のことを定義付けできたのは大学生になってから。女の子への初恋は中学生のとき。憧れの先輩がいた。
週に一度、習い事のためにいつもは乗らない電車に乗るときが、部活も学年も帰り道も違う先輩と2人きりで話す唯一のチャンスだった。
容姿端麗・頭脳明晰・運動神経抜群な先輩は地区でいちばん頭のいい高校に合格した。卒業式の日、制服のボタンを貰った。翌年同じ高校に入学した。廊下ですれ違うたびに手を振ってくれる先輩が眩しかった。先輩みたいな人になりたい。憧れの存在だった。
ただ当時のわたしはアイドルの嵐がめちゃんこ好きだったり、仲の良いクラスの男子と定期テストの結果を競い合って負けたらサーティーワンのアイスを奢るために一緒にショッピングモールに遊びに行ったりと、まあ、なんだ。傍目から見たら普通に男子が好きなんだなあという感じだっただろうし、自分でも男子が好きなんだなあということは疑いようもなかった。
ただ一方で、じゃあこの先輩への説明のつかない気持ちはなんなんだという疑問が胸の奥ーーのほうでキャラメルリボンのようにぐるぐる渦巻いてもいた。
実際サーティーワンの男の子からはサーティーワンの帰り道に付き合ってほしいという申し出を受けた。素直に舞い上がった。けど、高揚のままによろしくお願いしますとシェイクハンドしてしまうのは、なんか、なんか違うよなと思った。
「ごめん」のひと言を伝えるのがやっとのわたしに、サーティーワンボーイは
「おっけ。次のテストも負けねえから」と爽やかに返してくれて、それが告白されたことよりも嬉しかったのを覚えている。
アイスの冷たさが沁みる季節も過ぎて、短い秋をのんべんだらりと過ごしていたある日。地元の図書館で本を貪り読んでいたところ、雷に打たれたような衝撃を食らった。
それは少女小説「マリア様がみてる」との出会いであった。まじ、衝撃であった。
マリア様がみてる、通称マリみてとの出会いはわたしの恋愛観を180度どころか900度くらい変えた。まじ、根底からひっくり返ったのち勢いそのまま何周かした。わたしの精神世界はさながらセカンドインパクト後のような様相であった。信じられん存在感をもってして、わたしの世界を一夜のうちに変えてしまった。
お、女の子のこと、好きになってええんか……。
先輩への憧れを、尊敬とか思慕とかそういう言葉でもやもやっとさせなくてもええんか……。
近付きたいと思ってええんか……。
まじか…………。いや、まじか…………。
もう、絶句であった。
クラスメイトたちがせっせと次の定期試験に向けて勉強しているさなか、わたしはただひとりマリみてを読み漁った。とりあえず全巻読破した。
まじか。うわー。まじかー。
マリみてを読むことに全ての力を注いでいたためサーティーワンボーイとの賭けには再び負け、今度は購買のパンを奢らされた。苦手な物理では赤点を取った。けれどもそれらはマリみての前では些細すぎる出来事だった。
まじかー。
この「まじかー」という思いを3年間引きずったまま、けれども先輩との距離をそれ以上縮めることもできずに、先輩が卒業したあとは何事もなかったかのような顔をして男の子と初お付き合いをしたりしてわたしの高校生活が終わった。
マリみてどころの騒ぎじゃなかった。
盆と正月とクリスマスと創造神と破壊神がいっぺんにこの世にやってきて世界をめちゃくちゃに踏み荒らし、亡き者の命を弔い新たなる生命の誕生を祝福し、一筋の光を灯しては消して灯しては消して「じゃ!あとは自分で頑張って!」と言って帰っていった。
まじ、衝撃であった。
セクシュアリティ、多様な性、LGBT、性別二元論エトセトラエトセトラ。それらすべての言葉や考え方が、自分がどれに当てはまる当てはまらない関係なく、誰もかれもに関係する言葉であるのにも関わらず、わたしは過去18年間何ひとつ知らなかった。
ただ己の直感のみで生きるしかなく、その直感の中に「もしかしたら女の子が好きかもしれん」というものがあり、がしかし、なまじ男子も好きになるがゆえに「いやいや、まあそれとこれとは違うっしょ」という感じで奇跡的な気付きに雑に蓋をしてしまっていたのだった。
と思わないでもなかった。
でも、じゃあ仮に高校時代に「女を好きになる女」みたいなことを調べたとして、わたしが先輩に何がしかアプローチすることはあったのか?先輩後輩の均衡を最後まで崩さなかったのは紛れもなくわたしの選択肢ではないのか?
どうしょもないIFすぎる問いを抱えたまま、とりあえず次に好きな女の子ができるまで、何事も何事もなかったムーブで過ごそうと決めた。
ただ、ちょぴっと知識を得たことで、わたしの「普通」がちょぴっと変わった。
女を好きな女であることをことさらに全面に出すこともなく、かといって、押し込めるわけでもなく。普通に男の子とも付き合うし、好きになったら女の子にも普通にアプローチする。だって好きなんだもん。別にいいじゃんね。
クィアの講義を受け持っていた先生は、セクシュアリティは個人的なもので、そして流動的なものでもあると言っていた。わたしは結構この言葉が気に入りだった。
個人的なもの。わたしだけのもの。流動的なもの。変わってもよいもの。わたしのものだから、変わったって変わんなくなって、誰に文句を言われる筋合いはない、もんもんとしたときは、そういうものがわたしの体の中心にすーっと通っていることを思った。
その「すーっ」を思う効能は、何事も何事もなかったムーブよりもはるかに効き目があった。
いま好きな女の子に対して、踏み込みたいという気持ちが無いわけではない。そりゃ好きだからな。
2人で遊ぶこともある。今度は旅行しようねと話してる。
舞い上がらないわけがない。でも彼女が少なからずわたしを信頼してくれているのがわかるから、それを壊すようなことはできないなーと、綺麗な横顔を見ながら思う。
わたしにとってわたしのセクシュアリティがわたしだけのものであると同時に、彼女にとってのセクシュアリティも彼女だけのものであり、そんでもって関係性というのは両者で作るものだ。お互いを尊重したうえで変容を求めるなら変容を、現状維持なら穏やかに関係を続けていけばいいのだ。
で、わたしは別に彼女に「わたしは男も女も好きです!」みたいな宣言をしたことはない。ので彼女は多分知らないと思う。言うならきっと、女だとか男だとかではなく。必要なのは「あなたが好きです」というただひと言なんだと思う。で、わたしはまだ思いの丈を伝える覚悟がないから言わないだけで。
ていうか別に、宣言とか、しないよね。なんかセクシュアル・マイノリティばかり言う言わないうんたらかんたら色々ありますが、
言う人もいる、言わない人もいる。
わたしのように匿名ツールでなら言えるとか、ざっくばらんな恋バナをする友人には言えるみたいな人も、いや家族や職場に言います、という人もいるだろうし。本当に、人それぞれ。その人だけのもの。個人的なもので流動的なものだから。
だからこう、ネットでも現実社会でも、まじかーまだその段階かーみたいな発言やら意見やらを見かけることは多々ありますが、知識を得た今ならそういったあれこれ全て、わたしの個人的なものを傷つけたり揺るがせたりすることはできないのだよ、と自分に言ってあげられる。ただ、中高生のころのわたしのように、じゅうぶんな情報や知識にアクセスできない若い子たちが不用意に傷ついていないかは心配しているよ。ていうか本当、いちばんはそこだよね。
今度の参院選、コンテンツ系の表現の自由保護に関して勢力的に活動してくれている候補者が多くて嬉しい。
この分野では知名度トップクラスの赤松健と、同じく自民から藤末健三。
表現の自由イシューに関してはマイナスイメージが広まっている立民からも栗下善行が出馬。
俺はよく知らんが、維新の松浦大悟って人もそっち系に強いらしい。
(敬称略)
こうやってコンテンツを守ることをメインイシューに置いた政治家が何人も出てきてくれるとは、良い世の中になったもんだ。
政治全体で見たら目くそ鼻くそを比べ合うような悲しい選挙になりそうだし、あくまで限定的なジャンルの話ではあるけれど、ともあれ。
唯一の懸念は投票先がバラけることで一人一人の票が伸び悩んで共倒れになることだけど、そのリスクはまあ民主主義なら仕方ないことか。
表現の自由問題は54万票獲得で山田太郎議員が有名になった時よりもさらに加熱していて、所謂"オタク票"はもっと伸びると思うし、一人でも多くの表現の自由系議員が国会に立ってくれると良いなぁ。
正直、私は煮詰まっていた。
推しのコンサートのチケットが全く、もう全く取れないのである。
ファンクラブに入っていても番号が新しい為、チケット抽選のふるいに掛けられてもピッと弾かれてしまう。
今推しているグループは、どうやら古参番号の方が取れやすいようで、新しい番号では中々どうにもこうにもチケットが取れない。
数少ない私の友人の中にも某J事務所のグループを推している子がいる。
その子もファンクラブの抽選が全滅だったにも関わらず、なんとコンサートには何度も行っている。
高額転売から購入するでもなく、定価で。定価で。(定価is正義)
なぜならその子は当選しなくても、その子のオタ友が当選して、同行者として友人が参加しているからである。
私もオタ友作りたいな…!?!?!?(もう目が完全チケットになっている)
ただ友人の話を聞いているとオタ友の中にも色々しがらみがあるらしく、
成人した女性のするような喧嘩か?女子中学生か?と思うような内容も多々。
(私以外の人と仲良くすると妬いちゃうな、コンサート他の人と行こうとしてたの酷い等々)
それでも私は、推しに会えるならいいじゃん!推しに会いたい!会いたい会いたい会いたい!
例えキャットファイトを繰り広げようとも推しに会えるならいいじゃん!いいじゃん!会いたい会いたい会いたい!
よしオタ友作ろう!(もう目が完全チケットになっている)
知り得る限りではオタ友作りにおいて必要ツールは【Instagram】か【Twitter】だが、
Instagramは写真や加工センスが問われるため私には無理。ないない、センスない。
推しの写真とメンバーカラーのドライフラワー、果物、小物らを並べて写真撮ってそれっぽい英単語加工してとか、アー無理無理。
あの推しの誕生日に飾り付けるオタク達は尊敬する、私には出来ない。そんな物臭女なんだけど推しは大好きだよ…。
ただ独り言をつぶやいて信者(フォロワー)が出来る程のセンスは持ち合わせてないし、
絵も描けないし、
#○○推しと繋がりたい
#○○好きと繋がりたい
こういったタグ付けをしている人にメンションを取るのだ。
どうせオタ友を作るなら楽しくやりたいし、自分はこういった人間だよ、とTLにも極力出すようにした。
それでもよければ良かったら仲良くしてくださいな、よろしくお願いします、と。
いくら推しに会えれば良いとは言え、やっぱり避けれるもんならキャットファイトは避けたい。
そしたら徐々にお話が出来る人が増えてきた。
共通の推しがいるって強い。こんなにも話が続くものなんだ、と改めて推しへの愛を再確認出来たのと、
オタ友とのやり取りにも楽しさを見出すことが出来た。
ねえ会ってオタ活しようよ!という話になり、聖地巡礼、鑑賞会を行った。
わ~~~あ~~~~たっのし~~~~~~☆彡☆彡☆彡
と純粋に思っていたのだが………
内容は推しの事だったり仕事の愚痴だったりプライベートなことだったり。
えっ距離感!
推しの話は良いとして、仕事の愚痴、プライベートなことはオタ友じゃない友達にプリーズ?????
いや、分かるよ。オタ友から始まったけど、意気投合してプライベートでも会うようになりましたっていうのも実際にあると思う。
始まりはオタ友でもバイト仲間でも良い、けどTwitterのやり取り1週間程度、初めましての1回でこの距離感の詰め方~~~~~!!!!!
分からない、私が根暗だからその距離の縮め方に引いてしまっているのかもしれない。
でも心底どうでもいい、取引先の人に言い寄られてるとかそんな話は心底どうでもいい。
昔からそうだけど、男女問わず出会って早々にグイグイ来られると引いてしまう自分がいる。
「この人なんて気さくな人なんだろう」ってポジティブに捉えられない。
この私の不信感、紐解けば自己肯定感の低さとか、自分に人を引き付けるような面白さや魅力がないってネガティブに思っているとか色々あるんだろうけど、今回の場合はこうだ。
【私がチケット目的でオタ友作りを始めたように、相手も同様チケット目的なのではないか?】
たくさん居るオタ友の中からふるいに掛けられて同行者が決まるのだ。
あのオタ友の一番手・二番手・三番手となる相方にならねば同行者の道は閉ざされてしまう。
だから相手もあの手この手で「私は心開いてますよ」「あなたのこと好いてますよ」と必死なのだ。
片手で足りるくらいしかいない、リアルな友達にだって、「うん私はあの子の一番だな」なんて自信を持って言える子はいない。
そこから更にSNSの海を泳いで一番二番三番手になるなんて…気が遠くなる。
それでも推しに会える可能性が増えるのなら頑張ろう、と目をひん剥いてる状態が今。
私の場合、動機が推しに会う為、なもんだからこんなに息苦しいのだろうか。
いや純粋に推しの話してるだけでも楽しいんだけどね。難しいね。
でも小さくて深いオタクの世界、やっぱりどこか人を惹きつける才能がある人は居るもんで、まあこの人ステキって近付こうとしても、
チケット目的だと思われたら嫌だな…なんて奥手になっちゃう自分がいる。
あ~~~~感情めんどくせえ~~~~~~(でも推しに会いてえ~~~~~~~)
タイトルが「オタ友こわい」なんだけど、私は何が怖いんだろうって考えた時に、出会って間もないのに近すぎる距離感と、オタ友(ゴリゴリのチケット目的)っていう新たな試みに対しての緊張感?緊迫感?に対して胃がキュ~ッとなって、「あ…コワ…」ってなってる。