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はてなキーワード: 1970年とは

2021-11-09

anond:20211109201712

俺が小学校4年だった1970年には、クラスのほぼ全員の家に電話があった。地方都市郊外住宅地での話。(関東近畿名古屋じゃないよ)

でも、3年生の時には共用の呼び出し電話を使ってる家もあった。(官舎に住んでた判事の息子の家)

2021-11-05

ブルマーについての拾遺集

調べる途中だったがほったらかしにしたものをまとめておく。

1927年台湾にて提灯ブルマーでの掃除

https://en.wikipedia.org/wiki/School_uniform#/media/File:Karenko_girls_high.jpg

1951年ベルリンの体育

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Bundesarchiv_Bild_183-10454-0004_Berlin_Sportunterricht_mit_Rh%C3%B6nrad-Colorized.jpg

1958年ニーダーザクセンの体育

https://www.youtube.com/watch?v=PO-Z-kBOWEU&ab_channel=trinitrojo

1968年ロシアの体育

https://www.youtube.com/watch?v=2sQknAnyzK8&ab_channel=historycomestolife

1960年セルビアユーゴスラビア)の体操選手

https://sr.wikipedia.org/wiki/%D0%90%D0%B3%D0%BD%D0%B5%D1%81_%D0%9A%D0%B5%D0%BB%D0%B5%D1%82%D0%B8#/media/%D0%94%D0%B0%D1%82%D0%BE%D1%82%D0%B5%D0%BA%D0%B0:%C3%81gnes_Keleti_1960.jpg

この記事では御年百歳のオリンピックメダリストコーチが扱われている。

1970年スウェーデンの体育

https://classic.europeana.eu/portal/en/record/76/jlm_item_208965.html?utm_source=new-website&utm_medium=button

1984年ソ連映画

https://www.youtube.com/watch?v=hMDtC9mU38o&ab_channel=%D0%94%D0%BC%D0%B8%D1%82%D1%80%D0%B8%D0%B9%D0%A1%D0%B5%D0%BC%D0%B5%D0%BD%D0%B8%D1%85%D0%B8%D0%BD

北朝鮮スクール水着(?)

http://russian.china.org.cn/exclusive/txt/2013-04/12/content_28524100_13.htm

グーグル翻訳中国語和訳すると次の通り。

北朝鮮は非政府スポーツを重視する国です。政府はすべてのユニット、すべての家族、すべての人にスポーツ活動への積極的な参加を義務付けています工場企業学校の4,000を超えるスポーツチームがあらゆるレベル存在します。運動グループランニング制度化されています北朝鮮民俗スポーツ活動は、豊かでカラフルで、長い歴史伝統がありますが、その中で最も影響力のあるものは、長距離走テコンドー重量挙げスケートです。」

フランス学校ブルマー

https://www.epinay-sur-seine.fr/wp-content/uploads/2019/01/l_histoire_du_sport_a_epinay.pdf


anond:20211105075157

2021-10-24

ぎりぎりZ世代の俺が60手前かそこらのおじからアイフォン借りたので入ってる曲を漁っていたのだが

loss of loveという曲がビビッと来た。

あとで調べたら1970年とかのひまわりかい洋画の曲らしい。

俺的にはメタルギアソリッド2のフォーチュンの曲や3のスネークイーターのしっとりさやロマンスを併せ持ってる感じ。

というか同じ人が歌ってるんじゃないのってぐらい声が似てる。公式では何も言ってないけど意識ぐらいはしてるんじゃないかな。

ゲーム音楽以外聴かないという変なこだわり持ってる人以外でメタルギアのこれらの曲好きだった人はこれも絶対気に入ると思う。

(ゲーム音楽って実体のあるジャンルじゃなくてさまざまな音楽ジャンルの雑居であるというのは5chのゲーム音楽板の共通見解だったと思う)

あと気になったのは最初飛行機が飛び去る音が流れてそれから女が激しめにナンジャガジャガって言うばっかの曲

すぐアイフォン返した後のうろ覚えではなかなか望む検索結果が出せない程なじみのない言語タイトルだったな。"nan nei degoit"みたいなタイトルだったはずなんだけど出ない…。

2021-10-23

anond:20211023200505

そうなんだよ、1970年前後でもかなり違うと昔から言われていた

主に給食で出される牛乳カルシウムとか動物性の食い物が原因らしい

2021-10-02

anond:20211002094336

水俣病

1970年 政府:「有機水銀が原因では無い」

 ↓

2004年 政府:「メンゴメンゴ、やっぱ死ぬわ」

アスベスト問題

1980年 政府:「アスベストただちに健康に影響は無い」

 ↓

2005年 政府:「メンゴメンゴ、やっぱ死ぬわ」

薬害エイズ事件

1985年 政府:「非加熱製剤はただちに健康に影響は無い」

 ↓

2002年 政府:「メンゴメンゴ、やっぱ死ぬわ」

福島第一原発事故

2011年 政府:「放射性物質ただちに健康に影響は無い」

 ↓

2013年 安倍:「今までも現在も将来も健康に全く問題は無い」

 ↓

20xx年 政府:「メンゴメンゴ、やっぱ・・・

2021-09-27

近平の文革2.0路線は正しい

近平が若者だった1970年前後中国人幸福度が高かったといわれる

文革による問題はあったものの、ほとんどの農民社会主義による恩恵享受していた

もちろん技術が発展していなかったのと、自然が豊かだったという側面もある

技術環境の変化に対応しつつ中国人社会主義幸福に戻す、というのが文革2.0なのだろう

この20年で資本主義流入させたことは大格差社会となりモラルを失わせるという負の側面もあった

近平にとっては鄧小平路線と常に戦ってきた20年だったのだろう

文革2.0によって、バブル期日本人のように調子こきすぎていた資本主義中国人が静かになり、

逆に9億の農民生活社会主義のもと幸福になればそれでよい

大卒初任給

1970年 4万円

1990年 17万円

2010年 20万円

2020年 21万円

昭和だと、親と子の初任給は数倍違うけど、平成令和の親子は1, 2割しか違わない。

高度成長期はすごいっすね。

2021-09-24

ジョニーデップ主演『MINAMATA-ミナマタ-』を観てきた

テーマは深刻なんだけど、ジョニーデップの持ち味の出た、面白い映画だった。


どうでもいいことだけど、昔からなぜか、

ジョニー・デップのことをしょっちゅうジョニーディップと言い間違えてきた。

これは、バングラデシュのことを、バングラディッシュと言い間違えるより恥ずかしいことだと思っている。

そのジョニーデップが写真家ユージン・スミスを演じる?というのが、

パイレーツオブカリビアンイメージがこびり付いた身には全く想像がつかない。

興味本位で観に行ったら、本人としか思えないユージン・スミスぶりに、おお、と感動してしまった(あったことはないけど)。

ユージン・スミスのことは、というと

この映画を見るまでほとんど何も知らなかったので、どういう背景があって、あの写真が生まれたのか、垣間見られてちょっと感銘を受けたりもした。

映画で描かれているユージン・スミスは、アル中で薬中。過去のいろいろで、メンタルをやられて写真家としてのモチベーションどん底にあった頃のユージン・スミスだ。

一方、フォトジャーナリズムを標ぼうしたものの、売上が上がらず、次第に、魂を売るかのような大衆迎合的な記事広告を載せ始めた、落ち目写真「ライフ」が背景として描かれている。

ピューリッツァ賞を夢見て起死回生を図るべく、次の目標に選んだテーマが、当時、世界のあちこち問題化し始めた公害だった。

当時、すでにMINAMATAの名は世界でも、

日本辺境の地で奇病だの猫踊り病だのと言われ、長い間、対応がなされず蓋をされ続けてきた公害として知られていた。

この映画は、写真家として再起を図るユージン・スミスと逆転ホームランを狙う写真誌が、水俣病に目を付けるところから始まる。

いやー、こういう不純な動機、構図。なかなか良いと思う。

水俣の記録ドキュメンタリは、これまでも土本典昭NHK、いくつかみたことがあったけれども、この目線はいままでなかった。

外国人制作するとこうなのか。

この映画の見どころはなんといっても、ユージン・スミス写真家として、親としての葛藤を描くジョニーデップの演技。

日本にきたものの、途中でやる気をなくして投げ出してしまい、大切なはずのカメラまで現地の少年にあげてしまうシーンとか。

ジョニーデップは、本当にクズっぽいシーンがよく似合う。

ただ、残念でならないのは、ロケ地

違和感があったのでググったら、なんと日本ではない。観終わったあとに読んだ町山智浩コメントによると、セルビア・モンテネグロなのだという。

どうりで、海のシーンが逆光でぼんやりしているものが多かったわけだ。

漁民も、漁民たちが扱う魚も、明らかに違和感ありまくりで、端的に貧相だった。違うだろ。。もっと豊かな海を描いてほしかった。

あと、土本作品へのリスペクト、というのもひそかに注目していたのだけど、

まあ特にないのかな、という印象だった。

映画のなかで、アコーディオン少年が出てきた。

過去記録映画を観ていれば、モデルが誰なのか、すぐにピンとくる。

ここはやはり、あれだろう、船頭小唄だろう、と思ったのだけど

アコーディオン少年交流するシーンはなかった。

そのかわり、ユージン・スミスなついて、カメラに興味を示し、撮って遊ぶ天真爛漫な少年が描かれている。

しかし、考えてみれば、船頭小唄なんぞ奏でようものなら、そのメッセージ性が強烈すぎて、

物語邪魔してしまうだろうから日本の観客向けにはむしろないほうがいい、ということかもしれない。






映画クライマックスは、水俣病歴史で欠かすことのできない、大きな事件であるチッソ株主総会

そこからの流れはとてもテンポがよく、裁判によりチッソ補償を決定するまでの激動の動きが、

ユージン・スミスもっとも有名な写真である、「入浴する智子と母」の撮影シーンを織り込んで進んでゆく。

國村隼演じるチッソ社長人間味があって、いい味を出していた。土本作品など過去のドキュメンタリ映画ではなかなか見ることのできなかった加害者視点被害者と向き合い補償決断するチッソ社長の描かれ方は映画ならではであり、圧巻と言わざるを得ない。

見事な演出だと思う。

NHKアーカイブスでも視聴できる有名なチッソ株主総会は、1970年

スミス乱闘に巻き込まれて負傷した事件は翌年の東京本社での事件なので史実とはちょっと違うが、

そのようなリミックスにさして大きな違和感はなかった。


映画は、1973年チッソ補償決断し、川本輝夫映画では真田広之演じるミツオ)が裁判での勝訴をかみしめるところで終わる。

その後の水俣病の動きはわずかにエンドロールで触れられているに過ぎない。


この映画は、ベースの設定が雑誌ライフの復活とユージン・スミスの再起というテーマを背負っていたため、

チッソ責任を認め、補償に応じる、という、ここで終わりになるのは、それはそれでエンタメ的な収まりどころ、なのかもしれない。


しかし、現実水俣病歴史は、ある意味、まさにこの裁判勝訴と、それに続くチッソ補償協定とを契機に、

チッソVS被害者団体という構図から経済優先で被害を黙認する行政VS被害者という構図に大きく変化してゆく。

この映画が第2幕の終わりだとすれば、第3幕はスーパーヒーロー不在の、果てしなき国との闘いだ。

チッソ社長が除去された水をコップで飲んで見せたことで有名な、有機水銀除去サーキュレーター

効果がないのを知りつつ黙認してきた通産省を筆頭に、高度経済成長を錦の御旗に被害に蓋をし続けてきた行政悪業が明らかにされてゆく。

最終的に国の規制権限行使しなかった責任最高裁で認められたのは、それから四半世紀後の2004年


さらに一方で、1973年被害者の勝訴判決は、チッソ患者への補償の契機となったものの、その補償協定のものが、地域社会の新たな分断の出発点ともなった。

補償をするためには、患者が症状によって定義される必要があるのは自明の理だが、補償協定の1600万円を受け取るに値する症状という形で定義・整理されてしまったのだ。

当然、要件を満たない被害者足切りが始まるわけだ。

そして、さらに、さらに、さら問題は複雑化する。

そこに絡んでくるのが厚生省と当時の環境庁だ。国の定める、公健法上の患者認定基準が、チッソ患者団体との補償協定要件に連動してしまったのだ。

どういうことかというと、国は広範囲患者認定を推進するため、公害健康被害補償法により水俣病被害者認定制度を創設したが、

そこで認定された被害者は、73年に本来は一部の患者団体と締結した補償協定適用を受けることが認められ、1600万円を受け取ることができるようになる、という仕組みだった。

しかし、1600万という高額の補償が、結果的に、チッソ補償能力を超え、被害者認定の足かせとなってしまう。取りこぼされた多くの被害者今日に至るまで苦しんでいる、というのが、

映画のその後の世界なのだ2004年最高裁被害者要件を国の認定基準より緩く認定した、にもかかわらず、だ。

そして国の重要産業である化学工業、そしてチッソ賠償破産を食い止めるため国や県が金融支援をし続ける、という構図がこの映画の後に待ち構えている世界だ。

国は当然、実態調査疫学調査消極的で、というか一度もなされたことがない。

その意味では、映画エンディングシーンである勝訴判決は、実は新たな闘いの出発点ともいえるのが水俣病歴史だ。


そのことを思い返しながら、映画の話に戻ると、この映画の残念なところは、以下の点。

風景日本でない、不知火海が見えない、漁民がいまひとつリアリティがない

写真家出版社、一部の被害者闘争リーダーという限られた構図で、実態解明に尽力した熊大や問題放置した行政が出てこない

・だから、なぜ原因企業が折れて補償に応じたのに問題解決しないかみえてこない→多分世界中の公害類似のことが起きているだろう。

エンドロールで見せている世界公害リアリティを与えるためにはやはり行政視点をどこかに織り込まなければならなかったのでは。

ただ、だからといってつまらない映画では決してなかったし、満足感は高かった。みようによっては、セルビア・モンテネグロにしちゃあ頑張って日本漁村を描いた、ともいえる。

ジョニーデップのクズっぽいキャラは最高に楽しめたし、撮影に至るまでの信頼関係の醸成など背景がみえたのは、この映画の見どころだ。

(追記

https://anond.hatelabo.jp/20210929124437

2021-09-16

日本公害歴史

バズってる「日本薬害歴史」の公害バージョン作ってみたよ。

 薬害歴史はてブhttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/chou_kaorinn/status/1437974388062654468

足尾銅山鉱毒事件(1870年代)

政府古河鉱業「確かに鉱毒出したけど対策たからもうおしまい!」→谷中村農民「そうはいくか!ちゃん補償しろ!」→政府「お前らうるさいから消えろwww」→谷中村廃村村民強制退去

土呂砒素公害(1920年~)

宮崎県西臼杵郡高千穂町役人上級国民ヒ素粉塵災害なんて町の恥じゃ!隠蔽しろ!www」→50年後に住民西日本新聞被害告発してやっと被害が明るみに出る

イタイイタイ病(1955年~)

厚生省「過労か栄養失調じゃね?www」→「ごめん、鉱山から出たカドミウムが原因だった」

森永ヒ素ミルク中毒事件(1955年~)

厚生省「確かに森永ミルクが原因かもしれないが、明確な因果関係はないねwww」→森永(1970年)「ごめんなさい、やっぱりウチのせいでした」

水俣病(1956年~)

チッソ厚生省御用学者メチル水銀なんてない!そんなこと言い出す学者なんか日本に要らない!さっさと消えなwww」→「ごめんな、やっぱりチッソメチル水銀のせいだったわ」

四日市ぜんそく(1959年~)

三重県四日市市高度経済成長にはコンビナートがどうしても必要になるから我慢してくれwww喘息死ぬのは高齢者子供ほとんど死なないしwww」→「わりい、四日市乳児死亡率が全国1位、国内平均の2倍になってしまったwww」

カネミ油症事件(1968年~)

農水省「ダーク油(原因となった特殊な精製油)の提供なんか出来るかwwwおとといきやがれwww」→「ごめんな、あの時提供していれば・・・

2021-09-14

暴力革命路線を無かったことにする歴史修正主義政党共産党

2021年

日本共産党は、社会変革の道すじにかかわって、過去の一時期に、「敵の出方」論という説明をしてきましたが、その内容は、(1)選挙で多数の支持を得て誕生した民主的政権に対して、反動勢力があれこれの不法暴挙に出たさいには、国民とともに秩序維持のために必要合法的措置をとる。(2)民主的政権ができる以前に反動勢力民主主義暴力的破壊しようとした場合には、広範な国民世論結集してこれを許さないというものです。それは、どんな場合でも、平和的・合法的に、社会変革の事業を進めるという日本共産党の一貫した立場説明したものにほかなりません。これをもって「暴力革命」の「根拠」にするなどということは、まったく成り立つものではありません。

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik21/2021-08-06/2021080607_01_0.html

1968年平和革命必然論を全否定する不破さん

暴力革命唯一論』者の議論は、民主主義擁護する人民の力を無視した受動的な敗北主義議論であるしかし、反対に『平和革命』の道を唯一のものとして絶対化する『平和革命必然論』もまた、米日支配層の反動的攻撃にたいする労働者階級人民の警戒心を失わせる日和見主義的『楽観主義』の議論であり、解放闘争方法を誤まらせるものなのである

— 不破哲三日本社会党綱領路線問題点」[8](1968年1月、『前衛』、日本共産党中央委員会[9])

1964-1970年

革命平和的か暴力的かは敵の出方による。現在国家権力がたやす権力人民譲渡するとは考えられない。

— 1964年5月21日 第八回党大会政治報告」[4]

革命への移行が平和的となるか非平和的となるかは、結局敵の出方によることは、マルクス・レーニン主義重要原則である

— 宮本顕治日本革命展望』(1967年新日本新書

わが党は革命への移行が最後的には敵の出方にかかるという立場をとっている。

— 不破哲三人民議会主義』(1970年新日本出版社)

ちなみに不破さんは2006年まで共産党議長をしていた方なので共産党お得意の「アレは分派勝手にやった(言った)事と言い訳するのも無理

2021-09-13

物知らずは安全連呼することで不安を乗り切ろうとする

ワクチン効果がないどころか害があるというなら

 

ワクチンに限らず、『薬害エイズ』『睡眠薬サリドマイド』『胃腸薬キノホルム』『腎臓治療薬のクロロキ』などなど、

ただ単に物知らずかバカなんだなって感想安全連呼したら空気を読んで安全になってくれたりしないぞ

"Current SARS-CoV-2 vaccines appear to be providing protection with high antibody titers; the possibility of ADE risks associated with waning titers of antibodies over time remains unknown. "

 

物知らずかバカなのに一丁前に積み重ね云々とかほざいてるが、

日本政府日本アカデミアがしてきたのは、2大学術誌に日本不正研究を名指しされた話を持ち出すまでもなく、

PCR検査意味がない、ワクチンを使わず集団免疫、小児は感染しない、コロナはただの風邪空気感染しない、満員電車安全

ほか、政府科学に対する信頼を毀損するようなロクでもない事ばかりだ

(もちろん、正しい声をあげてくれた大学病院アカデミアの人間政治家もいることは認識している。都度、書いてる)

反知性や専門家否定は、政治家研究者・医者自身が生んでいることを強く強く自覚を持たれた方がよろしいと思います

 

関連増田アカデミアの看板があれば売るために専門外の領分に踏み込んで雑なこと(正しくないこと)書いても許される風潮

https://anond.hatelabo.jp/20210121191413

 

 

けどそれはそれとして、日本と違って透明性が高い国でも、論文バンバン出して覇権争いしている国でも、

重症化については効果があるとしている

研究を含めてあらゆることを自分一人でするつもりがないのであれば、現時点では重症化については信用して良いのではないか

 

アメリカ海外で接種を拒否しているのは、宗教信条上の都合が多いと思うよ

あらゆる強制を厭う、あらゆることを自分ひとりでやるって言う、究極の個人主義者や厭世家いるからね

中には独立国作っちゃう人もいるくらいだし、人がいない地域で暮らすのでワクチン打ちませんくらい想定の範囲

シーランド公国の“建国から50年。自称世界最小の独立国」とは?

https://www.huffingtonpost.jp/kenji-ando/principality-of-sealand_a_23194493/

 

 

もちろん過去薬害歴史から心配して接種を控えている人もる。何事も絶対はないし子どもへの接種には否定的な科学者も多い

コロナの致死率は高く無いし様子見るわはまぁフツーの判断じゃないか

感染を防ぐ効果については調査方法機関によってまちまちというか

フツーにブレイクスルーするみたいだけど(実際、2回接種済みの親(医療従事者)もフツーに感染した)

感染を防ぐ壁を作らないやつはフリーライドという誹りはまぁ致し方ない

ただそれぞれの判断尊重されるべきだ

 

国民健康保険に入らず病院に行くべきじゃないよな

お前は何を言ってるんだ?

 

anond:20210913083041

2021-09-08

氷河期世代に是でも非でもポジショントークを真に受ける人たち

公的支援を増やせ・寄越せのポジショントークを知能に問題がある人が真に受けてるだけだぞ

子育て様も公的支援を増やせ・寄越せのポジショントーク年がら年中してるでしょ

公的支援を増やせ・寄越せという権利は誰にでもあるし

言わなきゃ貰えないので言うだけなら言っておいた方がいい

そもそも氷河期世代って2700万人位いるらしいぞ

1970年1982年または1984年までに生まれた人のことを言うらしいので

非正規が多い女性地方民入れてもこの世代の平均は466万ある模様

大半が普通に就職してるね?

 

もちろん貰えるものは貰った方がいいし、大変な状況にある人が一人でも減った方がいいから、

ポーズとして『大変』アピールするのはいいけど

それを自分の中の本当にしちゃダメでしょ。貰えるなら貰おうのためのポーズだぞ

anond:20210908065749

2021-08-30

anond:20210829092913

1970年まれだけど、私も嫌い。

私は、たしかバブル世代の一番最後だけど、新卒で入った会社半年でやめて、その後フリーターになった。

から氷河期世代と同じ時代に同じように仕事を求めていたけど、特に苦労した記憶がない。

自分人生世代のせいにする連中は、一生浮かび上がれないと思う。

2021-08-15

いまのアフガン政権南ベトナム再現という人がいるが

南ベトナムアメリカ軍撤退後も2年もったじゃないか

アフガン政権の方が悲惨

そう思っていたら、

1973年1月 - 南北ベトナム政府臨時革命政府アメリカの4者がパリ和平協定に調印し、アメリカ軍撤退
1975年3月 - NLF・北ベトナム軍の、ベトナム共和国支配地域への猛攻始まる
1975年4月30日 - サイゴン陥落・ベトナム戦争終結により、ベトナム共和国消滅

ということ(2ヶ月未満で陥落?)らしいので、あんま変わらない気もした。

でもタリバンの方が受けている支援はNLFと北ベトナムより遥かに薄いよなぁ

南ベトナム軍事力

1970年での総兵力が50.3万人。(内訳:陸軍41万人、海軍3.9万人、空軍4.1万人、海兵隊1.3万人、補助兵力55.5万人。

らしく、アフガン軍の30万はそんなに規模が違わない

2021-08-09

anond:20210809182721

再放送で知った世代だけど、原作1970年連載開始らしいのでアラフィフよりちょい上くらいがターゲットじゃないか

2021-07-29

anond:20210729012845

古典的ケインジアン自体は完全に賛同してない。1970年オイルショックや一部の国の経常赤字のような、供給が増やせないインフレ問題回避しながらの必要はあるから

でもどうやって回避するかと言うと、オイルショックには代替資源についての研究開発が必要だし、その元一時期日本太陽光発電世界一位だった。

また経常赤字を防ぐのもやはり儲かる前の科学、使途を探索している段階の科学科学成果という対価を元に金と時間をかけることが必要だ。

そこで新自由主義はすぐ確実に儲かるものを求めるが故に、先々の供給が増やせないインフレ回避する研究を枯らすからだめだ。ケインジアンベースで、先を見据えた支出を中心にすべきだとは思う。

また、財政出動自体で保身に入った企業を反転させることも必要だと思ってる。そして、1990年代財政出動2012年以降の金融緩和消費税増税と、貯め込む場所の減税でだめにした。なので、税制資金循環を意識しないとならないと考えてる。

なので、ケインジアンベースで先を見据えた支出を中心にし、デフレであれば財政出動すべきだし、税制資金循環を意識すべきだとはおもう。なので新自由主義ケインジアンかで聞かれたらケインジアンの肩を持つ。

2021-07-18

小山田圭吾氏の件

25年前はそういうのが許容されてたなんて発言してる人をちらほら見かけますが、そんなことありません。

あの話を聞いて許容できたのは、国民1%未満でしょう。

異端です。クズ中のクズ

なお、私は1970年まれです。

小山田圭吾氏の件

25年前はそういうのが許容されてたなんて発言してる人をちらほら見かけますが、そんなことありません。

あの話を聞いて許容できたのは、国民1%未満でしょう。

異端です。クズ中のクズ

なお、私は1970年まれです。

2021-07-14

チェコ民族意識社会主義ブルマー

序文

あれだけブルマーについて調べたのだから、しばらくはブルマーに対する知的関心も収まるだろう。そう思ってはいものの、何となくツイッターブルマー検索したときに、ヨーロッパ女の子ブルマー姿を目撃し、疑問が再発した(画像はこちらフェチの人のアカウントにつき注意)。結局、東欧ブルマーの普及っていつからだったんだ?

以前の調査でも、チェコポーランドにもブルマー存在していることまでは調べたが、言語の壁もあり画像検索にとどまっていた。ならば、まとまった時間が取れたことだし、しっかり調べてみるべきではないだろうか。元々チェコ文化には文学音楽を通してなじみがあることだし。ドヴォルザークいいよね。

調査方法

チェコ体操着事情

社会主義政権下では、制服を着て体育の授業に出るのが義務であった。

体操服としての制服は、第一共和国時代(1918-1938)にはすでに一部の学校やソコル(後述)で必要とされていたが、社会主義時代になって初めて一斉に普及し、広く統一されたものとなった。

男子は白いタンクトップに赤い短パン女子は短い袖に青いスエットパンツだった。この強制され対象階級のない社会主義未来象徴だった。これは1965年チェコの3回目のSpartakiada(東側体育祭、後述)のためにデザインされ、70年代から80年代にかけてが最盛期であった。1985年のSpartakiadaではチェコ国旗三色再現するため、赤いブルマも導入されたようだ(ここは誤訳かもしれない)。

女子の短パンはお尻の周りゴワゴワとまとわりつき、ウエストは高く、太ももにはゴムが入っていた。ブルマーによく似ているが、体育の授業のたびに太ももに跡がつくくらいきつかったという。

ちなみに、この時代運動靴は後に普段使われたり、バレーダンサーがはくようになったりしたそうだ。のちに、ポーランドなどに輸出もされたらしい。

Jednotný cvičební úbor: noční můra děvčat za socialismu - ExtraStory

https://www.abczech.cz/Jednotny-cvicebni-ubor-P7035300.html

ソコル

プラハで創設された民族的体育運動協会。現チェコ国民性形成重要役割を果たしたと言われる。元々はハプスブルク家から独立を目指す意図を持っていた。

ソコル設立の動きは他のスラヴ系民族にも波及し、1908年スラヴ・ソコル連盟設立された。チェコ以外にもスラヴ諸国連盟が加入し、1912年にはプラハで全スラヴ・ソコル祭典が開催される。1926年には180,000の観客を収容可能マスゲームの上演のためのGreat Strahov Stadiumが完成。

大戦間にソコルはより発展するが、ソビエト連邦では活動禁止された。ナチス下では解散させられるが、戦後協会は再建される。しかし、共産党政権下では東欧諸国のソコルは事実上活動禁止され、協会国外活動継続した。1948年プラハで開催されたソコル祭典の集団演技には98,000人の学童と273,000の会員が参加し、2週間にわたって行われた大会の中で共産主義政権への反発が露にされた。

チェコスロバキアではソコルの活動が停止した後、社会主義的な演出を施した「Spartakiada」というマスゲームを中心とした体育大会1955年から5年ごとに行われるようになった(後述)。

なお、もともとは同じユニフォームの着用、マスゲームの参加は過去には民族主義による開放感をもたらしていたが、関心が多様化した社会ではそれらの行為は拘束として受け止められているそうである。現に、上から国民教育しようとしたこ運動はあまり成果が出ず、徐々に管理主義的になっていったという。民族自由を求める戦いも、完全にクリーンというわけでもないらしい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%B3%E3%83%AB_(%E9%81%8B%E5%8B%95%E5%8D%94%E4%BC%9A)

Spartakiadaとは

ソビエト連邦スポンサーになったスポーツ大会であるソビエト連邦はもともとオリンピックに対抗し、これを補完しようとしていた。国際Spartakiadaは1928年から1937年に5度開催されたが、のちにこれは東側ブロックの国ごとのイベントになった。名前スパルタクスから来ており、プロレタリア国際主義象徴する。貴族的・資本主義的な(古代オリンピックとの対比になっている。

その後、チェコでは大規模場マスゲームを指す言葉にも転用された。これは先述のGreat Strahov Stadiumで5年に一度開かれた。規模は非常に大きく、1960年は75万人が国中から参加し、200万人がイベントを目にしている。

1955年から5年ごとに開かれたが、1970年プラハの春で中止、1990年ビロード革命で中断され、小規模な形で再開した。

1994年以降ソコル祭典は6年ごとに開かれているが、祭典のマスゲームパレードに参加する会員の多くは過去のソコルに馴染みが深い高齢者で占められているらしい。

Spartakiad - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Spartakiad_(Czechoslovakia):title]

結論

今後の研究


今後も調査継続したい。

2021-07-13

なぜサウザン・ドレッシングは「サウザン」なのか

サウザン・ドレッシングとは、マヨネーズベースビネガーケチャップなどを加え、みじん切りにしたピクルス玉ねぎを混ぜこんだドレッシングのことを言う。

正式名称は「サウザンド・アイランドドレッシングである

英語ではThousand Island Dressingと書く。

Thousand Islandとは、アメリカカナダ国境にあるオンタリオ湖と、そこから流れ出すセントローレンス川のあわいに浮かぶ「サウザンド諸島」のことである

このドレッシングがなぜ「サウザンド諸島」の名を冠するのかについては、日本では「ドレッシングに浮かぶピクルスがサウザンド諸島のようだから」と説明されることもあるが、Wikipediaでは普通に「サウザンド諸島で生まれドレッシングから」と説明されている。

前者の説は、英語圏ではまったく見かけないので、おそらくキユーピーが広めたガセだろう。

さて、「Thousand」のカナ表記は、通常なら「サウザンド」である

にもかかわらず、なぜ日本では「サウザン・ドレッシング」という表記が定着したのだろうか。

疑問に思った増田は、いつものようにGoogle Booksへと飛んだ。

軽く検索してみたところ、古くは1952年「American Cooking in Japan」でサウザン・ドレッシングが紹介されていた。

この本は、日本駐留している米軍兵士の妻が、日本人の家政婦にアメリカ料理を教えるための本だったらしい。

American Cooking in Japan - Elizabeth B. Patterson - Google ブックス

同じく1952年の「七輪で出来るアメリカ料理」という書籍も出てくる。

この本はロングセラーだったようで1970年に第23刷を数えていたという。

七輪で出來るアメリカ料理 - George E. Engler - Google ブックス

こうした英語日本語を対訳した料理本によって、サウザン・ドレッシング戦後日本に知られていったことは、まず間違いないだろう。

ただし、この時点ではまだ「サウザンド・アイランドドレッシング」と表記されていた。

では「サウザンド」が「サウザン」と表記されたのはいつ頃なのか。

まず、キユーピーが「サウザンアイランドドレッシング」を最初に発売したのは1963年のようだ。

ドレッシング・サラダの歴史 | キユーピー ドレッシング

ただし、この写真を見るかぎり、ラベルにはThousand Island Dressingと書かれているだけで、それを「サウザン」と読ませていたかはわからない。

商品名は「キユーピーアイランド」だったらしい。

「サウザン」表記確認できるかぎり最も古いのは1973年のキユーピードレッシングの広告で、右下のほうに書かれているのを見つけることができる。

他社ではライオン1973年ごろに「サウザンアイランド」のドレッシングを発売していたようだ。

マコーミッククリーミードレッシング(イタリアンフレンチサウザンアイランド)

1979年ごろに発売されたネスレマギークリームドレッシングもこう謳っていた。

おなじみのフレーバーフレンチをはじめ、スパイスのきいたイタリアンピクルス甘味いかしたサウザンアイランドの、 3 つのおいしさがそろっています

ちなみに同時期のカゴメは「サウザンド・ドレッシング」派だったようだ。

たとえばスパゲッティピザなどのナポリタンソース、濃厚なサラダソースのサウザンドドレッシング。そのほか、トマトソースフレンチドレッシングケチャップを加えてトマトドレッシング

サラダ文化ドレッシング文化日本に広まったのが1970年代であり、それに乗って大手企業ドレッシングバリエーションを拡充していくなかで、「サウザン」という表記が広まっていった、ということが言えると思う。

では「なぜ各企業がサウザンドをサウザンと表記したのか」について検討したい。

まず思いつくのは、当時はまだ「Thousand」のカナ表記として「サウザンド」が定着しておらず、語末の子音が抜けて「サウザン」と表記されることもあった、という可能性だ。

しかGoogle Booksで戦前書籍などを検索してみると、「Thousand」のカナ表記は当たり前のように「サウザンド」で定着しているし、「サウザン」と書けば「Southern」、すなわち「南部」を指すことが圧倒的に多かったようだ。

となると、さすがに1970年代にもなって「Thousand」を「サウザン」と表記することは無いと思われる。

次に「サウザンド・アイランド(千の島)」を「サウザン・アイランド(南の島)」と勘違いした可能性が思いつく。

が、サウザン・ドレッシング最初に出したキユーピーは、ラベルに「Thousand Island Dressing」と表記していたので違うだろう。

そうすると、単なる「略称であるとか、「語呂の良さ」を重視したものなのではないか

特にキユーピーが「サウザン」と表記していたのは普通に略称だろうと思う(ちなみに現在商品では「1000アイランド」と表記されている)。

キユーピー最初に「サウザン」として売り出して知名度を高めたので、他社もそれに合わせて「サウザン・アイランド」だとか言い始めたのではないか

また、カゴメ表記していたような「サウザンドドレッシング」では「ド」が重なってしまうので、「ド」がひとつ無くなって「サウザンドレッシング」になったということもあるかもしれない。

からは以上だ。

誰かキユーピー(@kewpie_official)に真相を訊いてきてくれ。

追記

anond:20210714062246

1960年朝日新聞縮刷版に「サウザンアイランド(ピンク色のドレッシングの作り方」とあるように見える。

これは私も調査の初期に見つけて、一時は「朝日新聞黒幕説」も考えたのだが、そのときは「70年代に用例が増えたこと」のほうを重視して除外したのだった。

しかし、ひと晩ぐっすり眠って整理された脳であらためて確認してみると、この1960年朝日新聞記事は、おぼろげながらキユーピーとの関係示唆しているように思える。

朝日新聞縮刷版 - Google ブックス

サウザンアイランド(ピンク色のドレッシングの作り方アメリカ代表的ドレッシングでローンのある地名を取った名で、ピンク色のドレッシングの中の、色玉子)を島にたとえたもの

そう、キユーピーがしきりに主張している「ドレッシングに浮かぶ具材をサウザンド諸島見立てた」という説が、既にここで出てきているのだ。

ドレッシングなどに関するQ&A|よくお寄せいただくご質問|お客様相談室|キユーピー

細かく刻んだピクルスが、ドレッシングの中に「1000の島が浮かんでいる」ように見えることから、この名前が付いたようです。

キユーピー社員なりが1960年のこの記事を読んでサウザン・ドレッシングを知り、自社で製品化したのが1963年の「キユーピーアイランド」だった、という可能性は充分にありうるのではないか

これもやはりキユーピー(@kewpie_official)に訊ねてみたいところである

あとはこの朝日新聞の実際の紙面も確認してみたいが…。

投票人口過半数ネットネイティブになるのはもうすぐ。

ネットの力はそんなに無い。本当に?

https://news.yahoo.co.jp/articles/86051624d91fe86479d3aaa6947216c3533081c0

ちきりん日本終電を予告してから、15年。

https://chikirin.hatenablog.com/entry/20060718

今まで老人向けの選挙となっている実感はそれぞれにあると思う。

ただし、実は投票人口過半数ネットネイティブになるのはもうすぐだ。

ネットネイティブ団塊Jr世代1970年まれ~と置いた場合は、だいたい2020年

76世代かつ、氷河期世代1975年まれ~と置いた場合には、だいたい2025年

投票人口におけるネットネイティブ世代と非ネット世代割合が逆転する。

身の回りの実感的には、1970生まれバブル就職世代でどちらかと言うと非ネイティブな印象を受けている。(あまり接点ないけど)

76世代からは、グラデーションがありつつネットが主な情報源となっている人が明らかに多い印象(一次ソース身の回りの観察だけ)

本当に風向きが変わっていくのはこれから

実は前回の衆議院議員総選挙から投票率は下げ止まりを見せてる。

http://www.akaruisenkyo.or.jp/070various/071syugi/693/

これから5年で間違いなく風向きが変わる時代がくるだろう。

2021-06-29

「「ナチス絶対悪」はアホだ」はアホだろ。

anond:20210628075114

増田に対するなんとも表現しようのない嫌悪感というか、不快感を感じて、増田に何度も記事を書こうとするのだけど、うまく言い表せなかった。はっきり言えることは、私はこういう類の主張がかなり嫌いである。

ナチスが「絶対悪」であり、未曾有の災禍の元凶であることは、今日では常識となっている。

だがインターネット上ではむしろ、「ナチスは良いこともした」と声高に主張したがる人が増えている。」

例えば冒頭のこの二行からしてまともな人間の書く文ではない。

twitter民?「ナチスは良いこともした」

筆者「ナチス絶対悪である!これは今日常識となっている!」

これは会話になってねえし、筆者の方がアホではないだろうか?

 

絶対悪」というのは宗教とかイデオロギー概念であって

ナチスが1個でも良いことをしたかどうか」のような事実を争う話への反論たり得ない。 

そういう分別がない以上、筆者は明白なアホである

「アホなのはお前の方である」と面と向かって言ってやりたい。田野氏が一行目で言ったのは「世間常識」のことであろうと思うし、「〜は常識だ!」と主張して人の意見を封じるかの如くの主張をしているわけではない、とすら読めない読解力のない増田はアホとしか言いようがない。現実に、欧州から遠く離れた日本ですら、ナチスドイツ親衛隊制服を公の前で着るのはタブーだし、ハーケンクロイツなど以ての外である。実際に、ナチスが「絶対悪であることは常識なのである。現に、はてなーの大半だってそうした親衛隊風の制服着用で問題になったニュース記事流れると、それを実行した芸能人関係者をアホ扱い・叩くではないか

 

あと、「絶対悪イデオロギー」とか言ってるけど、実際に世間イデオロギーがそうなのであって、はてなーの大半が忌み嫌う喫煙と同じである

 

もし仮に、タバコは確かに害がありそれは認めるしかないが、タバコにも良いことがある、とでも主張しようものならば、100%総スカンを喰らうだろう。田野氏の言っている違和感はまさにそのようなことであると思うし、なぜナチスダメ社会常識になっているにも関わらず、ナチスにも良いことがあったと認めようとするのか、なのである。上の引用で示した、田野氏の二行はそれ故に極めて「まともな人間」の書く文なのである。まともでないのは元増田であり、これを高評価しているはてなーの方であろう。

 

タバコの例をあげたので、タバコを具体例にしていうけれど、2000年頃までは多分、タバコの害を認めつつ、認める意見もそれなりに許された時代だった。今ではあり得ない話だが、タバコは落ち着くだとか、タバコを少し嗜む程度は許されて良いだろとか、その分税金喫煙者は納めているだとか、タバコダメなら排ガスを撒き散らす自動車の方がもっと悪いだとか、散々喫煙者は主張していたのである。今やそんなことをはてな界隈で言えば袋叩きだ。喫煙スペースですら許されなくなって来ている。

 

なのに、何故ユダヤ人を600万人も殺し(実際に細かく調べたから言うけど、600万人は概数として間違いのない数字である)、赤軍捕虜を300万人も不法殺害したり、実行に移されなかったとは言え、ロシア人飢餓で数千万人も殺そうと計画したり、ロシア人ポーランド人強制労働人種にしてしまおうと考えたり、ユダヤ人を殺して奪った莫大な資産を使って私服を肥やしまくったり、自分の有能な部下が殺されたからといって、村人の全員を虐殺あるいは強制収容所送りにしたり、……とまぁ枚挙にいとまがないほどの悪事を働いたナチスを、なぜ良いところもあったなどと主張しようとするのか。

 

勘違いしないで欲しいが、日本ドイツのように反ナチ法はないから、ナチスの良い面もあったと言うこと自体はなんら違法なことではない。だがしかし、それは差別にも良いことがあると言っているのと同じ類のことだとどうして思わないのだろうか? それとこれとは違うって? んなこたない。男女差別にも良い点がある、だなんて絶対に言えないはずである

 

いや、ほんとにマジな話でさ、増田はこう言うのだけれど、

「そりゃナチスにも良い部分はあったかもしれんわ、けどそれでホロコースト免罪にはならねーから!別の話を混ぜないように!」でよくね?

論理というのは厳粛なものでね、その逆ももまた真なりなんだよね。逆っつーか入れ替えただけっつーか。つまり

ナチスの良い点を言い出すってことは「そりゃホロコーストは悪いことだ、それは当たり前だけど、ナチスにも良いところがあったんだよ」という主張なんだよ。つまりあくまでも、後者比重が置かれているわけ。

この類の主張は、かつて麻生がやってめちゃくちゃ批判された。

第184回国会(臨時会)質問主意書 質問第八号「ナチス政権の手口」についての麻生発言に関する質問主意書

ほんとに、心底思うけど、一体「歴史の重み」ってどれほど理解されてるんだろうか? と思う。そりゃぁね、何百年かそれ以上も前のことであるとか、よく知られていない遠い国の話であるとかなら話は別さ。だけど、まだ百年も経ってない近い過去の話で、人類史上、人間自身が起こした未曾有の大惨事となって普通に世界中学校教科書にも書いてあるナチスドイツ非道くらい、きっちり考えても良いんじゃないのかな?

なのになぜ「良い点もある」と考える人がいるのか、理解はできるけど、正直、首を捻りたくなる。

 

しかしま日本って、こんなトンデモ本普通に評価する人が結構いるのだから呆れるんだけどね。

ナチスの発明

ったく、表紙にバッチリハーケンクロイツだよ? 欧米なら間違いなく発禁処分だ。しかも内容もかなり酷いそうだ。読んでないのにそんなことを言っちゃいかん、と思われるかもしれないが、あるホロコースト否認者が評価してたから間違いなくトンデモ本だw

 

ところで、元増田

ヘイWikiperia

田野 大輔(たの だいすけ1970年 - )は、日本社会学者

あっ… 

とまぁ、見事なまでに差別主義者だったと露呈してるのは笑えた。人を属性しか判断できないって、ナチスじゃん。心底軽蔑するわ。

2021-06-28

サリドマイド安全安心ウソでした 奇形児続出

非加熱製剤→安全安心ウソでした

薬害エイズ事件

フィブリノゲン安全安心ウソでした

薬害肝炎問題

コロナワクチン安全安心→ 死者続出(関連性調査中)


1970年 政府:「有機水銀ただちに健康問題はない」

2004年「メンゴメンゴ、やっぱ死ぬわ」

1980年 政府:「アスベストただちに健康問題はない」

2005年「メンゴメンゴ、やっぱ死ぬわ」

1985年 政府:「非加熱製剤はただちに健康に影響はない」

2002年「メンゴメンゴ、やっぱ死ぬわ」

2021年 政府:「新型コロナワクチンただちに健康問題はない」→



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