何かを考えながら話す時、敬語で話すことが出来ない。いや、敬語で話すことは出来るけど、敬語を使おうと意識すると話の構成能力が著しく低下してしまう。その低下を感じ取ると自然と敬語を使うのを諦めてしまう。
面接では敬語で話さなければならない。でも、僕は敬語では考える力が落ちてしまう。
ほかの人も僕と同じように敬語を使う時には考える力が低下しているのにも関わらずうまく話せているのかもしれない。つまり、僕の脳みそが足りてないと言うだけの話なのかもしれない。
もしくは、僕の敬語へ変換する機能が最適化されていなくて、それが最適化されればなんの問題もなくなるかもしれない。
どちらにせよ今の僕は敬語でうまく話せない。
心の中ではそんなのどうでもいいじゃないかと思っているのだけど、世間はそれを認めてはくれない。敬語が上手く使えないのは自分に損があるのでどうにかしないといけない。
でも、むりなんだよー。
Wikipediaによれば、あのリチャードファインマンはどんな相手にも下町言葉を話していたというし、どんな言葉遣いをするかということと、その人がどんな人かということは少し距離があるはずなのに、すこしズレた言葉を話すと、ズレた人間だと認識されてしまう。いや、それは正しいのか。リチャードファインマンがすこしズレた人間であることに間違いない。
結局僕もすこしズレた人間で、それをそのまま表現すればいいだけなのではないのか?いや、しかしそれはリチャードファインマンのように有能な人間にだけ許された特権で僕のような凡人は普通の言葉遣いを覚えて凡人として生きていく術を身につけなくてはならないのだろうか。
どちらにせよ、敬語が上手く使えないのは就活では不利なので、どうにかしなくてはならない。
どうするかはまだ決めてない。
この文章の表現力、構成力は高いので、言語能力自体に問題があるわけではない ってのは増田もわかってて、敬語を使うことで自分<相手みたいな関係ができて 自分は一段低い人間、の...
敬語が使えないのは就職活動に不利というか、そもそも社会人として不適格 無能と言っていい
「AがBなのはなぜですか?」 「『AはCの一部である。CであればBである。』でしょうか?」 のように思考の過程は垂れ流して、最後に敬語で取り繕えばどうだろう?