上司「お前らはまさにソレだ」
同僚「どうすればよいのでしょうか?」
こんなやり取りが2年ほど続いた。
そして同僚は自殺した。
今ならパワハラとして訴えることが出来るのだろうか。
今でもまだ難しいのではないだろうかと私は思う。
今の日本人の目には、ただ上司が部下を指導しているだけに映るだろう。
今なら分かるがその実態は全く違う。
だけど当時の私はその事に気づけなかった。
曖昧な言葉を使う事で相手に言葉を反芻させ、結果として自分から破滅するように仕向ける。
”一時が万事”という言葉だけを使い後半を隠す。
その後に隠されているのはネガティブな単語だと想定する事ができるが、それは直接言われたのではなく自分で考えた言葉なのでより深く刺さる。
また、”一事が万事”という表現を使うことで相手の何もかもを否定すると同時に、全てを上手くやらなければ批判されるという恐怖を与える。
リソースには限りがあるので全てを上手くやることなんて出来ない。
何かに力を傾ければ何かが犠牲になる。
部下の考える力を伸ばしているという風に見せかけて、実際は相手に反論の余地を与えないようにして逃げ道を封じているだけだ。
上司が何を求めているのかが説明されないのにそれまでと違う自分であろうとするのだから、リソースの配分は滅茶苦茶になる。
それを繰り返させながらも上司は一向に答えを示さず全ての責任を同僚に負わせた。
そして同僚は、上司のマネージメント力不足による影響までもを自分のせいだと考え遂には死を選んだ。
整理してみると分かるが、実によく出来た呪いだ。
黒魔術と呼ばれている物は、もしかしたらこういった相手をいたぶる言葉のテクニックだったのではないだろうか。
言葉には不思議な力が宿っており、何気ない言葉の使い方1つで他人をいらくでも苦しめることが出来るのだ。
また、その暴発に気づかないで呪いを振りまいている人間には近づくべきではない。
よほどの理由がなければ関わる事でメリットが生まれることはない。
自分の使う言葉に無自覚な人間というものは、他人との関係に無自覚なのだ。
他人との関係に無自覚ということは、相手を傷つけることを平気で行える人間だという事に他ならない。