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はてなキーワード: 終焉とは

2022-09-16

[]字下げ増田替え歌シリーズ

鬼束ちひろ

宮崎愛を感じるキャスティング。なぜか表記が「鬼塚である

  俺は鬼塚〇ひろ  本部長だから

https://anond.hatelabo.jp/20220902143836

  シンドロームを発表して全盛期の頃の鬼塚ちひろの顔がMONO君で ドツボだったので、 GLAYとどっちか好きかというと甲乙つけがたい

    色々好きな曲はあるが、次の通り

      順位    曲名       歌手                   理由

      第一位  ビーラブド         GLAY                  平成の神

      第二位  リビュー          GLAY

      第三位  infection          鬼塚ちひろ               平成中期の行政法終焉を歌った画期的な歌

      第四位  しるし             ミスチル                 「左脳に書いた手紙 ぐちゃぐちゃにして捨てる」        

      第五位  メロディーズブライフ  スクウェアエニックス

      第六位  ハローアゲイン(昔からある場所) マイリトルラバー      平成初期という悲惨な時期を歌ったものとして近年再検討されつつある

   刑事曲  作詞作曲  ■■

   隠し通した刑法を盗んだこと あなたは笑って許したの

   かすむ熱帯夜はいかのこと 私は執行猶予にひざまづいた

  さいたまでも独り  高裁でも独り みじめではかなくてまるでワニ

    ちぎれた刑法ゴミとなれ飛んで行け 世間の考えからどんどん離れて行け

  どうせ保存年限で破棄されるゴミとなれ 忘れてしまえる傷口となれ

    息を殺してそれでもつまづく かたむいていた愛を許したの

  奇妙な旅路を振り切ってゆく いつでも取り調べて終わっていった 

    はがれた 刑訴法クズとなれさびてゆけ 世間の考えからどんどん薄れて行け

  どうせおちる定めに身を任せ 壊れてしまえる裁判所となれ

   泣くことも最後は花となるの すがることも最後は花となるの

  警察の罠  検察の罠  もう声にもなれない


原曲:弦葬曲)

  ちぎれたタテマエは離れて飛んで行け あなたの下からどんどん離れて行け

    どうせ消えて燃える口づけとなれ  忘れてしまえる傷口となれ

   はがれたタテマエはクズとなれ錆びて行け  私の下からどんどん薄れて行け

 壊れてしまえる二人となれ


原曲:弦葬曲)

https://anond.hatelabo.jp/20220919035215

   解らない言葉は全部調べ出せた だけど官僚のための辞書でだったか

    平面図形さえたよりにした きっと昭和58年に文科省が削除した科目だったか

   定理を探し出せなかったあの問題へ 定理を見つけられなかったあの問題

    法律に従えなかったあの頃や 法律のことを忘れてたあの頃へ

  全部忘れられないと届いた返事

    物故割れていても いいか

   東京がおわていてもそれでいいからねと


原曲:書きかけの手紙

おまけ

   判定      担当芸能人    楽曲名        主な歌詞の部分                    判定理

    神        小橋照彦    奇跡の果て                                    平成8年時点でのタテマエに希望がなかったことにつき正直に歌った

                       カーテンコール    あの少年が追いかけたとわの夢           昭和天皇賛歌

    オワコン              Happiness       二度と女性を傷つけたくない              ウソ乙  クズ野郎

    〇        鬼塚ちひろ   月光           この腐敗した世界に落とされた            平成社会を腐った社会批判した点や良い

    〇                  Infection        爆破して飛び散った心の破片が             法や知能指数を捨てたことを歌った点やよし            

                                      あらゆる小さな熱におびえ始めている

                                      私に勝ち目なんてないのに

    〇                  私とワルツを        

    〇

    〇         ミスチル      しるし         色んな角度から君を見てきた                 聞いていて心地よい

                                       その全てが素晴らしくて

    ◎        家入レオ     Bless you 愛なんていつも残酷で祈る価値ないよ                  言うまでもなし

    ◎        立花孝志     NHKをぶっ壊す      お前ら詐欺やないか

    ×       よびのり      フェルマー最終定理解説      無限降下法の説明                    カス  教える気なし

    △       斉藤秀司      モチーフ理論                                             

    ×       斉藤秀司      フェルマーの小定理       2009年度 授業解説動画                 太っている。11年後の姿と全然違っている。

    ×       斉藤秀司      行列と環                                                  つまら

    ×       松尾 厚      初等幾何複素数          シムソンの定理複素数による証明             初等的に証明しろカス

2022-09-07

anond:20220907080331

半分程度では済まないだろうなぁ。多分はてな終焉につながると思う。

2022-09-05

anond:20220905155801

近年より近日に至るまで、世界の全人類は、かつてない未曾有の転換期を迎えようとしている。

それは、グロバリストと呼ばれる一部の富裕層により人口削減、グレートリセット新世界秩序と称して、

共産化社会主義化し、世界を一つにまとめ、支配階級奴隷階級に分け、人々はAI監視管理される完全独裁世界に向かっている

信じられない事であろうが、毎年行われる世界経済フォーラム(ダボス会議)がそれである

そこには、日本国の行先は無く、消滅させられることであろう。

世は亡国の様相が強くなり、政治家行政司法警察宗教団体企業個人に至るまで利益追及に明け暮れ、貧富の差が広がり、逆に国力を失いつつある。

資本主義終焉民主主義の末路を感じる

その中で弱者に対する人権侵害行為虐待虐め嫌がらせ蔓延し、組織的に人を追い込み

社会実験として善意の人を悪用し法を利用し集団的ストーカー行為最新科学技術電磁波マイクロ波等未知のスパイ技術兵器によるサイバー拷問と言う人体実験が行われている。


真実を知り、真実を見極め目覚めましょう。

高い民族性倫理道徳観、歴史文化が育んだ価値観未来日本国民の為に守りましょう。

二千八百年続く稀有日本の歴史の中に答えはあります

2022-09-02

anond:20220902144809

      第三位  infection          鬼塚ちひろ               平成中期の行政法終焉を歌った画期的な歌

難解すぎるよ!

2022-08-29

国葬とかどうでもいいから刻晴ちゃんを使うんだよ

終焉フィッシュルでオズスクロで翠緑→コレイちゃんで草付与→刻晴スキル置き・爆発・スキル発動・重撃、これよ

2022-08-25

anond:20220825213316

はてなーの奴らは活字中毒からインターネット文字文化終焉とともに滅びゆくのよ

ギャンブル依存症になってしまった人にいくら他の娯楽を与えても救えないように、はてなー動画を与えようとしても無駄なのよ

2022-08-23

TVerで「家ついて行っていいですか」を見てたらふと、Let it beって良い曲だよなぁとしみじみ思った。YouTubeで探したら、ノラ・ジョーンズエンパイアステートビルからライブしている映像、おそらく昨冬のもの公式にアップされていた。このような映像が、思った瞬間に無料で観られる時代ってとてもありがたいなぁと思った。再生回数は69万回程度だった。これって少なくない?YouTuberの動画とかと比べてどうなのと思ってみてたら、Hikakinnobodyknows+ココロオドルを歌っている動画は200万回再生だった。「フォローフォロワー時代終焉」という記事を思い出した。CDショップ店頭POP店員推している音楽はすばらしいはずだ!と信じて育った世代なのだが、あの頃が正しかったのかどうかは分からないけど、いま検索アルゴリズムがあの頃の店員みたいに、こういうのものいいよ、だったらこういうの知っておいたほうがいいよ、と薦めてくれているとは感じられない、この再生回数格差をみても。旅行を予約すると出発1週間前に現地周辺地図自動的オフライン保存しておいてくれる、みたいなGoogleの仕組みはすばらしく便利に感じているのだけれど、音楽とか、映画とか、感性を伴うものにおいてこれ常識になってもうずっと続いているって大丈夫?と、いまさら思った。まぁ結局ココロオドル動画もみちゃったんだけど。それでこれを増田に書こうと思いついて10年ぶりにはてなログインしたら、かつての自分卑猥記事ばっかりブクマしてたことが判明。そっと閉じて別アカウントを作った夏。

2022-08-20

戦後終焉

この77年間がひっくり返ってる訳で

2022-08-15

anond:20220815175347

でも我々が生きている間に宇宙終焉は来ませんよね

人間ときが何しようが宇宙終焉ときには大差はない

2022-08-05

清水晶子(東京大学)「学問の自由キャンセルカルチャー」Part2 〜ポリティカル・コレクトネスという言説戦略

目次

anond:20220805225632 Part1 〜学問の自由とその濫用

anond:20220805225835 Part2 〜ポリティカル・コレクトネスという言説戦略

anond:20220805230017 Part3 〜Academic Bill of RightsとProfessor Watch List〜

anond:20220805230307 Part4 〜キャンセルカルチャー批判

anond:20220805230534 Part5 〜Ahmedが見立てキャンセルカルチャー批判メカニズム

anond:20220805230705 Part6 〜質疑応答

学問の自由キャンセルカルチャー」Part2 〜ポリティカル・コレクトネスという言説戦略

https://www.youtube.com/watch?v=FP8rL7KfisI&t=2904s

48:24~53:05

ポリティカル・コレクトネス

伝統的な大学制度における性差別人種主義同性愛嫌悪などに挑戦する改革側を、自由を抑圧する権力者として描き出す

アラン・ブルームアメリカンマインド終焉』(1987)

ニューヨーク・タイムズコラム政治的正しさという覇権の高まり」(1990)

ジョージ・H・W・ブッシュ大統領(当時) ミシガン大学におけるスピーチ(1991 (自分の考えを口に出す自由を脅かす不寛容さとしてのポリティカル・コレクトネス

報告タイトルにもなってるキャンセルカルチャーというのは、まさにこの文脈で作り出され拡散されてきた用語です。

これは学問の自由だけに関わるものではなく、幅広く文化活動一般に関して使われていますが、

学問の自由がその射程に含まれることもまた間違いはない。

ただ2010年代、後半ですね特にから急激に広まってきた「キャンセルカルチャー批判」についてお話をする前に、

その文脈ていうかその前身とも言える、いわゆる「ポリティカル・コレクトネス」っていうものについて少し確認をしていきましょう。

ポリティカル・コレクトネスという語自体は、

元来共産党が打ち出す公式路線に過剰に忠実な思考や行動を指す、ある左派の間の内輪の自嘲的な用語として使われていたものです。

ところがこれアメリカ文脈ですが、古典学者であるアラン・ブルームによる1987年の『アメリカンマインド終焉』、

1990年ニューヨーク・タイムズコラム政治的正しさという覇権の高まり」、っていうここら辺を契機として、

各種メディアなどにおいて、ポリティカル・コレクトネスを巡る議論というのが沸き起こる。

1991年5月には、当時のジョージ・H・W・ブッシュ大統領ブッシュ・シニアミシガン大学におけるスピーチで、

ポリティカル・コレクトネスというのは自分の考えを口に出す自由を脅かす不寛容さだ」というふうに言及するに至ると。

現在日本ポリティカル・コレクトネスというと、

専らポップカルチャーでの表現みたいな、映画とか漫画とかそういうことをイメージされるかもしれませんが、

そもそもポリティカル・コレクトネスについての議論というのは、大学という場をその主要な舞台の一つとしていました。

1980年代アメリカ大学では、女性学アフリカ研究など新しい学部プログラム設立

それからアファーマティブ・アクション採用それから大学におけるセクシャルハラスメントへの対応の開始、

それからコースとかカリキュラム見直しなどが一気に進んでいくことになります

これらは全部具体的な制度的変更なんですけれども、それと同時に大学における教育研究というものが暗黙の前提としてきた、

性差別人種主義ホモフォビアなどの検討修正とを迫るものでもありました。

こういう変革への抵抗や反感というものを、単に大学という限られた場所における制度上の闘争という形で提示したら、

それはあんまりアメリカの広い一般大衆の興味を引くことはなかったかもしれない。

けれどもこれをアメリカ価値の根幹に関わる、思想言論の自由危機として提示することで、

保守派側は一般の注目と関心を引きつつ、

伝統的な大学制度覇権に挑戦する改革側のほうをこそ、逆に自由を抑圧する権力者なのだというふうに描き出すことに成功します。

合衆国全土で言論の自由攻撃されている」

「この国土において不寛容さが増大していること、論争を解決するのに理性ではなく威嚇を用いる傾向が強まっていることに、私たちはみな警戒心をもつべきだ」。

実際に当時、先ほど申し上げたブッシュ・シニアミシガン大学演説ではこういう言い方がされている。

合衆国全土で言論の自由攻撃されている」と。

「この国土において不寛容さが増大していること、論争を解決するのに理性ではなく威嚇を用いる傾向が強まっていることに、

私たちはみな警戒心をもつべきだ」と。

1980年代から続く共和党政権なんですが、ブッシュ・シニア共和党政権は、

例えば女性の性と再生産に関わる健康権利の獲得に向けた運動というのを、はっきり言って足踏みさせた政権です。

またHIV/AIDS流行に対して同性愛嫌悪に満ちた対応で、LGBTコミュニティに深刻な打撃を与えてきた政権でもある。

人種主義に関して言えば、国内人種差別問題というのも当然温存されていて、

このミシガン大学演説の翌年92年には、ロサンゼルスでの人種暴動というものが起きてる。

にもかかわらずこの演説では、政府共和党によるそういう長年に関わる差別や抑圧が一切問題にされないんですね。

この演説暴力的な抑圧者だとして名指すのは、そういう差別とか抑圧を指摘して批判してきた側のその差別に対する不寛容

その差別に対する不寛容暴力だと抑圧だというふうに名指していく。

ポリティカル・コレクトネスという言説戦略

大学という特定組織における性差別人種主義同性愛嫌悪などに対抗することを目的とした取り組みを、思想言論への検閲であるかのように見せる

ポリティカル・コレクトネス」なる強権的な弾圧から思想言論の自由を守って闘う被抑圧者としての多数派

まり右派が持ち出した「ポリティカル・コレクトネス」というのは、

大学という特定組織におけるセクシズムやレイシズムホモフォビアなどに、対抗することを目的とした取り組みというのを、

逆にあたかマッカーシー旋風の再来を思わせるかのような、思想言論への検閲であるかのように見せる、

非常に巧妙な言説戦略だったというふうに言うことができます

この枠組みは既存体制に内在する差別や抑圧から人々の目をそらす、

しろ多数派こそが「ポリティカル・コレクトネス」なる強権的な弾圧というものから

思想言論の自由を守って闘う被抑圧者なのだというふうに主張することに成功したわけなんですね。

anond:20220805230017 Part3 〜Academic Bill of RightsとProfessor Watch List〜

2022-08-03

フォロワーツイートが表示されない問題

フォロワーツイートが表示されない問題

https://twitter.com/kensuu/status/1554309116403007488

フォロー / フォロワー時代終焉」→大袈裟スレッドを辿ると最後にはこう書かれている『フォロー / フォロワーという仕組みはなくなりはしないと思うんですが、』なくなりはしないらしい。なくなりはしないのに「終焉

ツイートへのコメント抜粋mixiの衰退もこんな感じで始まったな』→そうなの? 『最近ツイッター10年来のツイッタラーが村を焼かれたエルフみたいになってる。』→不思議言い回し 『やっぱりブログしか勝たん が結論かあ 了解』→どう読んでその結論に辿り着いたのか 『けんすうさん流石だ。もやもやがこのツイートで全部スッキリした。』→よかったですね

なにか目の前に問題が起こった際、「解決に当たる」のではなく「まずは文句を言う」「同じ境遇の人を見つけ徒党を組む」「連帯感・仲間意識を強めてさら文句を言う」生産性の低い行動に走る人達問題を受容する余裕、自力解決する知恵や労力はどこへ。

2022-07-27

遊戯王クイズ

せっかくなので問題を出しておこう

遊戯王に詳しい人はこの問題を解いて欲しい

そんなに難しくないか



問1: 墓穴の指名者に関する記述の中で正しいものを選べ

1. 墓地存在する「暗黒界龍神グラファ」の自身特殊召喚する効果は墓穴の指名者で無効になっている状態でも使用ができるため、暗黒界を手札に戻して自身特殊召喚できる

2. 墓穴の指名者は手札のモンスター効果まで無効にしないため、「ダーク・シムルグ」の手札で発動し自身特殊召喚する効果無効にならない

3. 墓穴の指名者で無効になっている「終焉カオスエンペラー」がエクストラデッキに表側で存在している場合自身特殊召喚する効果エクストラにも及ぶためエクストラから自身特殊召喚することができない

4. 墓地存在する「E・HEROアナザーネオス」の効果を墓穴の指名者で無効にしている場合デュアル効果無効になるため墓地ではアナザーネオスは効果モンスターとして扱われる

暗黒界龍神 グラファ》

https://www.db.yugioh-card.com/yugiohdb/card_search.action?ope=2&cid=9712

《ダーク・シムルグ》

https://www.db.yugioh-card.com/yugiohdb/card_search.action?ope=2&cid=7770

終焉カオスエンペラー

https://www.db.yugioh-card.com/yugiohdb/card_search.action?ope=2&cid=13975

《墓穴の指名者》

https://www.db.yugioh-card.com/yugiohdb/card_search.action?ope=2&cid=13619

===

間違いがあったら指摘して欲しい

anond:20220727011240

遊戯王マナがないか破綻しているのか

追記

コメント返しはしないと言ったが、やはりこういう誤読があるので後でいくつか問題をだす。単にテキストが整備された程度で解決しないことが未だに大量にある。発動できるかどうかに関しても実に難しいんだよ

“発動ができるかどうかは状況やカードごとにバラバラだ” これはちょっと違うかな。第9期(2014年)くらいか改善されていて、テキストを読めば発動できるタイミングがわかるようになっている。

---

YES

けれどそれだけではない

遊戯王マナエネルギーの要素が無いかそもそもゲームとしては破綻してる」って話を聞いてまあ言いたい事は分かったけど序盤から派手に動けたりコストを貯める地味なシーンがないのでデュエルを省略せず描けたりとアニメ漫画だと滅茶苦茶優秀なんですよね。

ここ漫画発祥TCGって感じがする。

https://twitter.com/punsukabooks/status/1551752118704521220

遊戯王アニメマンガをみていればわかるけど、一ターンに何度も召喚を繰り返したりして強力なモンスターを呼び出すなど派手な演出が非常に多い

ゆえに販促アニメとしては非常に優秀だし、何をしているのかわからなくともなんか凄いことをしている雰囲気を出せればいいので映像作品として向いている

マナ管理するのはカードを動かすより地味な上にリソース管理という側面をださないといけない

それを本格的にしだすとカイジになってしまうので、動きを重視する場合には遊戯王のほうが向いている

話が変わるが「すべての人類破壊する。それらは再生できない。」という漫画オススメからよめ。


ではアニメマンガではないカードゲームとしての遊戯王はどうなのか?

これは間違いなく破綻しているし終焉に向かっているというのが正直なところだ

単純にいえば、相手1ターン目に後攻プレイヤー自分の場にモンスターを並べることすら可能であった

言ってる意味がわからないと思うが事実

先行プレイヤーの1ターン目なのに、なぜか後攻の側が手札のモンスターを次々に召喚し場を揃え、相手カードをどんどん妨害してしまデッキ存在した

マナ管理要求するカードゲームにはまず絶対に起こり得ないことだ

先行1ターンでデッキを引き切ったり、相手の手札を全て0にするなど、遊戯王は本当になんでもありだ

アニメではモンスター同士の熱いバトルが楽しめるが、最近遊戯王OCGではモンスター同士の戦闘ほとんどないことすら普通になっている

しろ敵は制限時間であることも多い

まりに1ターンでできることが多く、様々なカードを駆使するためか、遊戯王は高度なパズルゲームと呼ばれることがある

もはや対戦ゲームですらない

この原因は、マナがないこともそうだが、レギュレーションなどを作らず禁止改定エラッタのみに頼った手法が主な原因だ

古いカードも使えるというメリットはあるが、単純に膨大すぎるカードプールデッキを複雑にしインフレを加速させる

これが直近3年以内のパックやストラクチャーのみで構築したものしか大会に出られない、というならそうはならなかった

あるいはフォーマット複数設ければよかったのかもしれない

現代遊戯王一方的相手の展開をみて関心するだけということも多い壁ゲーである

そしてそのインフレも実はまだまだ広がっており天井知らずというのも恐ろしい

それを端的に理解するには、今の禁止制限を見ればわかるだろう

なんと、ブラックホールサンダーボルトが無制限カードになっている

15年以上禁止されていたカードが今では3枚フルに使えるのだが、それほど環境インフレ化しているのだ

でもそれは遊戯王破綻というには生易しい

本当に破綻しているのはルールの方だ

遊戯王ルールがややこしいと言われるが、その実態総合ルールを設けずカードごとの裁定を積み重ねるという独特の手法にある

総合ルールとは、公式カードの動かしかたをまとめたもの

もちろん遊戯王にも似たものはあるが、その範囲は非常に狭い

例えばMtGではカード用語が増えるとそれに応じて総合ルール改定される

コリアというセットで登場したカードには「変容」という複雑なキーワード能力があるが、それも総合ルールに含まれており、事細かくルーリングがなされている

もちろん全てにおいてこれが通用するわけではないものの、多くのTCGはこういった総合ルールを基盤として、カードごとの裁定を最小限にしている

一方で遊戯王は簡易的なルール存在するものの、カードいくら増えても大本ルールはあまり変更がない

2年ほど前に大規模な改定があり一部はわかりやすくなったが、それでも根本的な部分は裁定もの

無効」という概念がある

これはカードの発動や効果をなくすことを意味するのだが、この無効がどこまで影響しているのかはカードごとにバラバラ

そしてそれを読み解くことは非常に難しい

例えば灰流うららというカードがある

このカードデッキから特殊召喚をする効果を含む効果にチェーンして無効にできるが、特殊召喚効果を含む、とはどこからどこまでなのかはわかりづらい

一見特殊召喚する発動する効果みえてそうでなかったりと、カードごとの特性を全て理解していないと対処できないのだ

こういったことは本来総合ルールとして「~を含むという用語に関する記述」という形で明記されておかなければいけないのだが

遊戯王はそういったことは一切せず、全て裁定と言うかたちでカードごとに膨大な資料を用意している

他にも「スキルレイン」「王宮のお触れ」「抹殺指名者」「冥府の魔王ハ・デス」というカードはそれぞれ無効化の範囲が違っている

どのカードでどの効果無効にできるかを理解するのは、極めて膨大な裁定資料を読み解くしかない


他にも、他のTCGだと空撃ちが可能であるのに、遊戯王ではそれができない

空撃ちとは無意味な行動のことであり、例えばフィールドモンスターがいない場合には全体除去のカードを発動できない、というのが空撃ちの禁止に当たる

これは一見問題ないようだが、複数効果のうちどれかが使用できない場面においてはややこしいことになる

仮に1つの効果で、AとBという2種類の効果処理を行うカードがあるとしよう

なんらかの都合でBだけが処理を行えない場合遊戯王ではこれは発動できるのかどうか

実は「カードごとに違う」というのが正解だ

他のTCGでは、可能な限り処理を行うのが基本原則となっている

からBだけが行えなくともAを行えるなら発動できるしAの処理までは可能

しか遊戯王では前述のように空撃ち、つまり無意味な行動は原則禁止されており、発動時に効果処理ができるかどうかまでを条件としている

にもかかわらず、発動ができるかどうかは状況やカードごとにバラバラ

もちろんそれを読み解くことはできるが、そのためには膨大な裁定資料をもとにしなければならない

テキストの読み方という基本ルールすら曖昧なのだ

この根本は、遊戯王カードゲームとして重要ルール整備という基本動作を怠り、カード裁定という形でその場しのぎの対処をしているからだ

つまるところ、遊戯王ルールが複雑なのではない

遊戯王ルールほとんどないのだ

少なくとも長い歴史を持つMtGポケカに比べると、圧倒的にルーリングに関しては未整備なままだ

カードごとにルール付与され、それを最低限度のルールで縛っているにすぎない

カードが先でルールは後付だ

ルールはいわば道路のようなもの

そこにカードという車を走らせるのがカードゲームだが、未整備でどこからどこまでが道路なのかもわからないところを、一切の制限免許メーターもない車を走らせているのが遊戯王

どこからスタートコースなのかも曖昧なままひたすらガソリンが切れるまでエンジン全開で走るだけのゲーム破綻していないわけがない

それも、単にレーシングカーだけでなく土木作業車や船すら走らせられるという状況だ

カードが通った跡を無理やりレーシングコースにしている、といってもいい

リング制限時間禁止技のない異種格闘技戦とも言える

喧嘩という形で余興としては楽しめても、ゲーム性が皆無だ





基本的にこれは独り言なので一部には誇張や曲解もある

正しいことを伝えるというより、愚痴や発散に近いので、特にコメント返しなどはしない

2022-07-25

anond:20220725192954

元増田だけど、そんな死にゆく国の首都不動産が高騰してるのが狂気の沙汰にしか見えないんだよな

購入者心理は良いとして、健全な需給のもとで急騰してるのか、単なるマネーゲームおもちゃになってるのか、終焉の前の断末魔みたいなものなのか、経済詳しくないからよくわかんないや

anond:20220725001124

自民党勝利一種日本国家としての終焉だったのかもなー。愛国心はあるけど祖国がもうない、そんな気分だわ。

2022-07-18

UNIX 哲学」についていくつか

名著「UNIXという考え方 - UNIX哲学」は本当に名著なのか? 〜 著者のガンカーズは何者なのかとことん調べてみた - Qiita

この記事はよく調べてあるなぁと思う反面,事実関係の間違いも多く当時の空気感など欠けていると思う部分がいくつかある。事実関係に関しては追い切れないので参考文献を挙げるにとどめておくが,空気感のほうはいくつか書いておく。なお当該記事の「当時と今では状況が全然違うんだから安易に『UNIX 哲学』とかいうな」という主旨には大賛成である

参考文献

初期の UNIX歴史について興味がある向きには次の書籍お薦めする。

Peter H. Salus『A Quarter Century of UNIX』(1994, Addison-Wesley Publishing)

和訳の『UNIXの1/4世紀』(Peter H. Salus, QUIPU LLC 訳, 2000, アスキー) は絶版のうえ訳も微妙なので薦めづらいが,原書The Unix Heritage Society (tuhs) で PDF が無償公開されているので,英語が苦にならないのなら読んでみるといい。

また同じく tuhs で無償公開されている Don Libes and Sandy Ressler『Life with UNIX』(1989, Prentice Hall)を読めば80年代終りの UNIX の状況(XENIX についてもしっかり言及されている)や利用者目線での雰囲気もある程度判るだろう。

哲学

記事で一番気になるのが「哲学」という語の捉え方。この言葉の強さに引きずられているように読める。でもこれ,当時は設計基本的な考え方くらいの意味でわりとよく使われていた言葉なんだよね。たとえば米 BYTE 誌のアーカイブを “philosophy” で全文検索するとこんな感じ。

https://archive.org/details/byte-magazine?query=philosophy&sin=TXT&sort=date

ほぼ毎号のように出現していたのが判るだろう。

もっとも猫も杓子も「哲学」を振りかざしていたわけではないし,UNIX開発者たちが「哲学」の語を好んで使っていたのも間違いないように思う。傍証の一つが AT&T定期刊行物『The Bell System Technical Journal』の1978年7, 8月号だ。元記事言及されているマキルロイの Forword の初出がこれで,ネットのアーカイブから PDF が入手できる。

この号は二部構成になっていて第一部が Atlanta Fiber System に関する論文12本(全172ページ),第二部が UNIX に関する(Preface や Foreword を含む)論文22本(全416ページ)となっている。さて前述の PDFOCR されているので “philosophy” で全文検索してみると8箇所見つかる。これが見事に全部 UNIX論文なのだ。もちろん論文性質もページ数も違うからこれだけで確定的なことはいえないが「日常的に使っていたんだろうなぁ」という推測は成り立つだろう。じつはマキルロイ哲学とされている部分は “Style” であり “philosophy” の語は一切使われていないというのもちょっと面白いUNIX開発者たちがなぜ「哲学」という語を好んだか正確なところは判らないが,それまでにない新しい考え方に基づいた OS を開発しているという意識があれば,そういう言葉を選ぶのが自然時代だったことは間違いない。

UNIX認知され拡がっていく過程で「哲学」も知られるようになっていった。自分が好むものの良さを他人にも識ってもらいたい,あわよくば他人もそれを好むようになって欲しいという布教活動は今も昔を変らないわけで「哲学」はその便利なツールとなったわけだ。元記事ではガンカースの著作を「外部の人間が後から打ち立てた哲学」と表現しているが,そんなたいしたものではない。マキルロイ論文に影響を受けた布教のためのああい説教は到るところにあった。たとえば前掲の『Life with UNIX』にもしっかり Philosophy の項がある。また日本最初期の UNIX 解説本のひとつである村井純井上尚司・砂原秀樹『プロフェッショナル UNIX』(1986,アスキー)には冒頭次のような一節がある。

オペレーティングシステムは,コンピュータを使うものにとっての環境形成する基盤であるから,そのうえで生活する者の個性尊重し,より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェアでなければならない。この主張こそが,UNIXオペレーティングシステムとしての個性ではないだろうか。

 

    プロフェッショナル UNIX村井純井上尚司・砂原秀樹,1986,アスキー)p 3.

「より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェア」とはテキストを入出力フォーマットとする単機能コマンド群のことで,これらをパイプでつなげたりシェルスクリプトでまとめたりすることで「そのうえで生活する者の個性尊重し」た「より良い環境へと作り上げて行く」ということだ。こういった説教はありふれたものであった。たんにそれを「哲学」の語を用いて書籍にまとめたのが,たまたまガンカースだったというだけのことである

そしてじつは UNIX場合布教活動とはべつに「哲学」を広めなければならない切実な理由があった。これを説明するのは非常に面倒くさい。当時と今ではあまりにも環境が違うのだが,その違いが判らないと切実さが伝わらないからだ。マア頑張ってみよう。

UNIX の利用環境

UNIXPDP というミニコンピュータミニコン)上に開発された。このミニコンを使うためには専用の部屋に行く必要がある。その部屋は,もちろん場所によって違うわけだが,マアおおよそ学校教室くらいの大きさだ。長机が何列か並んでおり,そのうえにはブラウン管ディスプレイキーボードを備えた機器が等間隔に置かれている。壁際にはプリンタが何台かあるだろう。通っていた学校コンピュータ室などと呼ばれる部屋があったならそれを思い浮かべればだいたい合ってる。ただし置かれている機器コンピュータではなくコンピュータ接続するための端末装置ターミナル)だ。端末装置キーボードで打った文字コンピュータに送られコンピュータが表示した文字がそのディスプレイに表示される。現在 UnixOSCLI を使うときターミナルとか xterm という名のアプリケーションを用いるがこれらは端末装置エミュレータで,もともとは実体のある装置だったわけだ。

さてコンピュータ室にたいていは隣接するかたちでマシンルームなどと呼ばれる六畳くらいの部屋がある。窓ガラスで仕切られたこの部屋には箪笥洗濯機くらいの大きさの装置が何台か置かれている。これがコンピュータ本体だ。もっとコンピュータが何台もあるわけではない。この箪笥CPU でそっちの洗濯機ハードディスク,あの机に置かれているタイプライタ管理コンソールといった具合に何台かある装置全部で一台のコンピュータになる。どこが〝ミニ〟だと突っ込みたくなるかもしれないが「六畳で収まるなんて,なんてミニ!」という時代お話だ。

端末装置それぞれからUSB のご先祖様の)RS-232 という規格のアオダイショウみたいなケーブルが伸び,マシンルームに置かれたターミナルマルチプレクサと呼ばれるスーツケースに台数分のアオダイショウが刺さってコンピュータとの通信を行う。コンピュータと多数の端末装置を含めたこれら全体をサイトと呼び,root 権限を持って管理業務を行う人をシステム管理者あるいはスーパーユーザと呼んだ。

結構上手に説明できたと思うのだが雰囲気は伝わっただろうか。ここで重要なのは一台のコンピュータを数十人が一斉に使っていたという事実だ。洗濯機とかアオダイショウとかは,マアどうでもいい。

自由不安定OS

当時の UNIX評価一言で表すと〝自由不安定OS〟となる。メーカお仕着せではなく自分好みの「より良い環境」を作りあげる自由さらに他のメインフレームミニコンOS に比べると一般ユーザ権限でできることが圧倒的に多かった。そしてその代償が不安定さ。今では考えられないが UNIX のその不安定さゆえにプロOS ではないと考える向きは多かったし「でも UNIX ってすぐ落ちるじゃん」というのは UNIX アンチ定番ディスりだった。UNIX の落とし方,みたいな情報がなんとなく廻ってきたものだ。

こういった雰囲気を鮮やかに伝えてくれるのが,高野豊『root から / へのメッセージ』(1991,アスキー)だ。当時アスキーが発行していた雑誌UNIX MAGAZINE』に連載されていた氏のエッセイ1986年11月から1988年10月掲載分までをまとめた書籍である。著者の高野氏は勤務先の松下電器1980年ごろから UNIX サイトスーパーユーザを務めており,日本では最古参の一人である。この本の中で高野氏は繰返し UNIX自由さと不安定さに言及している。すこし長くなるが,その中の一つを引用しよう。

CPU は,システムにとって重要な共有資源であるが,この CPU実質的に停めてしまうことが UNIXはいとも簡単にできる。たとえば,cc コマンド10個くらい同時に走らせてみたらよい。VAX-11/780 といえども,同時に実行できるコンパイルはせいぜい3つか4つである。それ以上実行することも当然可能ではあるが,他に与える影響が無視できなくなる。つまり,てきめんに viカーソルが動かなくなる。あるいは,すこし大きめなディレクトリ上での ls コマンドの出力が表示されるまでに煙草を1本吸い終えてしまったり,タイムアウトログインが撥ねつけられたりといったバカげた現象が起きだすのである。こういった状態になると,UNIX破壊されたに等しい。真夜中,独りで VAX を占有して使っているのなら何をやろうとかまわない。しかし,20人30人と多数の人間が使っているとき勝手をやられると非常に困るのである当人仕事が遅れるのは自業自得だとしても,そのとばっちりで他のエディタまで止まってしまうと,もはやどの仕事も進行しなくなる。

ディスクについても同様なことがいえる。UNIX では,ファイルシステムを使いはたすまで大きなファイル自由に作ることができる。したがって,自分プロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュアが使うと悲惨なことになる。ディスクを使いはたすと,コンソールタイプライターにエラーメッセージが出力されるが,夜中にそれが発生して,コンソールタイプライターが一晩中エラーメッセージを打ち続け,朝マシンルームに行ってみると紙を一箱打ち尽くしてしまい,ピーピーと悲しげな声を上げて人を呼んでいた光景を私は何度も見てきた。こうなると,それをしでかした本人のプロセスは当然のこととしても,同じディスクで走っている他のプロセスも先に進めなくなってしまう。すこしでも負荷を夜間にまわそうとする善意は逆転してしまい,わずかでも仕事を先に進めようとする意図完璧に打ち砕かれてしまうのである

 

    root から / へのメッセージ高野豊,1991,アスキー)pp16-17.

そして,こうした不安定さが「哲学」を必要としたのだ。自分が利用しているサイトに「cc コマンド10個くらい同時に走らせ」たり「自分プロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュア」がいるとその累は自分にも及んでしまう。だからサイト利用者全員に UNIX設計基本的な考え方を理解してもらうことが,自分のために必要だった。UNIX伝道がより苛烈だった理由ひとつがここにあるのだ。

ミニコン UNIX終焉

ミニコン上で誕生した UNIX は 4.3BSD(1986)で最高潮を迎える。注意したいのはミニコン時代UNIX は Research UNIXCSRG BSD みたいな区別をせずにまとめて UNIX として扱われていたことだ。実際『プロフェッショナル UNIX』も『root から〜』も UNIX記述されてはいるが実際には BSD を扱っている。べつに当時の人が無知だったわけではない。なにしろ BSD を利用するためにはまず AT&T から UNIXライセンスを購入し,そのうえでカリフォルニア大学バークレー校(UCB)から BSD を入手しなければならなかったからその関係は当然広く知られていた。ベル研発明された UNIX を外部の人たちも含めみんなで改良し,それら全体が UNIX であるという考え方が自然だっただけである。『Life with UNIX』のような英語の文献によく登場する “Berkeley UNIX” という言い回しが当時の気分をよく表している。UNIX vs BSD みたいな捉え方は法廷闘争を経た90年代以降の感覚だ。

もっともそういう70年代風味の牧歌的風景ミニコン世界限定の話であった。BSDのものミニコンのものしかなかったが,そのコードを受け継いだ BSDUnixAT&T推し進める System V などがワークステーション市場舞台80年代中盤から激しく覇権を争うようになる。いわゆる Unix 戦争で,PCUnix であるマイクロソフトXENIX も当然参戦した。ミニコン世界牧歌的だったのは,ぶっちゃけていえば先のない技術だったからだ。ただ Unix 戦争あくまでも標準という聖杯を争う戦いであり,AT&TBSDUnixSun Microsystems が共同で System V Release 4.0 (SVR4) を作りあげたように後の法廷闘争とは趣が違う。

こうしたミニコン UNIX からワークステーション Unix への転変は Unixのもの文化にも変化をもたらした。まず激しい競争Unix の高機能化を加速した。商品として判りやす惹句が「あれもできます,これもできますなのは誰もが知っている。もちろん安定性を増すために quota のような利用者自由制限する機能も含まれていた。またワークステーション Unix現在UnixOS と同様同時に一人が使うものであり前述の布教必要性は大幅に減じた。達人たちのみの楽園から万人に開かれた道具に変ったのだ。こういった変化を体感したければ『root から〜』と水越賢治『スーパーユーザの日々』(1993,オーム社)を読み比べてみるといい。『スーパーユーザの日々』はワークステーション Unixシステム管理入門書だ。この本ではたんに知識を羅列するかわりに架空ソフトウェアハウス(開発会社)を舞台新卒社員が先輩社員からシステム管理を学ぶという体裁をとっており,そのおかげで架空の話とはいえ90年代前半の雰囲気が堪能できる。出版年でいえば『root から〜』と二年しか違わない『スーパーユーザの日々』の落差は “dog year” と称された当時の激烈な変化まで体感できるだろう。

UNIX 哲学背骨

当時はよくいわれたのに今やほとんど聞かれなくなったものがある。マキルロイ論文結論部分に書かれたそれは,1973年出版されたイギリス経済学者エルンストシューマッハー著作題名で,中学生英語力があれば十分に理解できる平明な一文だ。

Small is beautiful.

マキルロイは『人月神話』を引いて一定留保をつけてはいものの,これが UNIX 哲学背骨であることに違いはない。機能をありったけ詰め込もうとして失敗した “kitchen-in-a-sink” な MULTI•csアンチテーゼである UNI•x にとって,これ以上のスローガンがあるだろうか?

ひるがえって現在UnixOS をみれば,ブクブクと肥え太ったシステムコール,全容を俯瞰するだけでも一苦労するライブラリインターフェイス,一生使うことのないオプションスイッチまみれのコマンド群。UNIX仮想敵とした OSのものだ。そのことについてとくになにも思わない。ハードウェアは長足の進歩を遂げ,コンピュータの応用範囲は途方もなく拡がった。UNIX が変らなければたんに打ち棄てられ,歴史書を飾る一項目になっただけだ。ただ現在UNIX 哲学」を語るならそうした背景は理解していなければならないし,どれだけ繊細な注意を払ったところで〝つまみ食い〟になってしまうことは自覚すべきだ。

2022-07-16

オワオワの実の"能力者"、終焉の俺(金もなく友達もなく恋人もなく魅力もなく頭脳も体力もなく資格もなく覇気もなくやる気もなく将来もない全身終焉(おわ)り人間

2022-07-11

安倍さんの件でブログ終焉はてなユーザー消費者化を実感した

あれだけの事件があったら7年くらい前だったらいろんな人がブログを書いてそれがブクマされてで盛り上がってただろうに、今はもうほとんど上がってこない。

Twitterニュースサイトブクマばかりで誰も自分ブログを書いたりしないなんて、ついにはてなユーザーもただ流れてくる情報右から左に流すだけの

消費者になったんだなってのを実感した。

安倍さん殺害参院選ネタだらけなのに、なんで誰も書かないの・・・

安倍さんの件でブログ終焉はてなユーザー消費者化を実感した

あれだけの事件があったら7年くらい前だったらいろんな人がブログを書いてそれがブクマされてで盛り上がってただろうに、今はもうほとんど上がってこない。

Twitterニュースサイトブクマばかりで誰も自分ブログを書いたりしないなんて、ついにはてなユーザーもただ流れてくる情報右から左に流すだけの

消費者になったんだなってのを実感した。

安倍さん殺害参院選ネタだらけなのに、なんで誰も書かないの・・・

2022-07-09

野党政治家正論言ってるのが小沢しかいない件。

本当、野党劣化したね。

少なくともれいわはNHKくらいは悪政の終焉祝辞を述べるべきだと思うが。

2022-07-05

技術的に信頼性が低いということがわかってしまったのは打撃ではないだろうか?

KDDIau「(このままじゃ補償金額がヤバそうだ)直ったことにしとこ!昨日で復旧作業終わったで!」

https://hamusoku.com/archives/10536552.html

賠償金 + 名声(信頼)の低下ということで、何か一国の終焉を見ているようだ・・・

賠償金はなんとかなるにしても、技術的に信頼性が低いということがわかってしまったのは打撃ではないだろうか?

特に法人ユーザーシェア低下は避けられないと思う

切り替え時の原因不明エラーって、たいてい技術マニュアルが古いか運用ルールが古いかとかなんだよね

古いというより長年そのままで硬直化していて、「理論上できるはず」で、えいやでやって謎のエラーとかがある

レガシーデバイスレガシー運用はそういう怖さがある

ドコモも同様の問題だったけど12時間で治ったってことは、プチ移行とかプチメンテを定期的にやってたんだろうね

AUがそれをやってなかったとは言えないけど、ドコモほど頻繁じゃなく、柔軟じゃなかったってことかな

やはり電線時代からインフラを保ってたNTTの企業体質に分があったってことだろうね

ソフバンエリクソンルータ証明書更新切れというプチ障害くらいしか起こしてないから、やはりすぐれた運用してるんだと思う

あと今回の事件通話用のIMSモジュールが複雑ってことがわかったけど、楽天新規勢ってこともあって、仮想化してる意味がわかった

仮想化してたらこういう問題は起きてもすぐ復旧できるから当然の設計だと思う

auにとっては不運だったが、やはりコアの部分の体質・運用力という点で2社に劣っていたことを証明してしまったと思う

ソフバンドコモ中の人はほくそ笑んでそう

寡占三強企業による戦国時代三国志とはそういうものであろう

2022-07-03

増田にはたくさんの不発弾が眠っている。

稀に発掘されて大爆発したりするが

概ね深い眠りについたまま

この世の時の終わりまで

あるは

はてな終焉の時を迎えるまで

ねむりつづけることになる

おやすみなさい

無料でなくなる、豊かさの終焉

最近Free Wi-Fiが終わるニュース話題だけど、Wi-Fiに限らず、結構無料サービス継続するのが難しくなってる。

 

個人的に身近なところではスーパーマーケット

買い物中に子供を遊ばせておくキッズコーナーが閉鎖した小さなショッピングモールがいくつか。

肉コーナーにある牛脂無料配布が無くなる。一袋8円で値段が付いたところも。

レジ袋も正直、小さな商店であれば有料化が助かってるところ。

 

チラシも新聞折り込みを無くしてセール情報アプリだけに掲載してるっていう話を聞いて、削れるところを削り切っていくんだなぁと。

2022-07-02

そろそろアイカツが完全に終わりそうで絶望してる

再来週にアイカツプラネット+初代アイカツの同時公開の映画があるんだけども、おそらくこれでアイカツが完全に終わりそうで辛い。

そもそもアイカツテレビ放送はもう一年前に終わってる。現在YouTubeで、アイカツ役者アイカツプラネットは実写+アニメハイブリッド仕様のため、実写パート役者)がバラエティ番組配信してるけど、ぶっちゃけるとアイカツ要素なんてあってないようなもんだし、微妙。ただし、番組のものタイムマシーン3号MCと、一部のアイドルボケがいい塩梅で意外と面白かったりする。

ちゃお漫画連載は終わったし、専門のグッズショップも全て閉店した。

頼みの綱の……というか、メインのアーケードゲーム更新も、やる気の無さが凄い。稼働当初はなんかコンテンツも少ないけど、そのうち改善されていくだろうな……と思ったけど、全然そんなことはなかった。そもそもアニメをやってないから、テコ入れ用の新キャラが出せないという、割と根本的な問題がある。一年半くらい細々やってて思ったけど、やっぱり着せ替え要素が全然楽しめないのは、ゲームとして致命的だと思うよ。だからゲームメインのアイカツヲタ結構プリマジに流れてるじゃん……。

そんなゲームも、次のバージョン主人公主人公の憧れのキャラとのユニットを推すことになってるから、割とこれで終わりっぽい空気がある。総集編として、もう一度くらい更新があるかもしれないけど。あと、歴代主人公スイングカード)の排出があるけど、次のバージョンで早々全員が登場するから、その点でももう終わりなんだなって感がある。

アイカツも今年でもう10年。割と早い段階からアイカツに付き合ってきたから、ほぼ10年くらいの付き合いのあるコンテンツになってる。そんな付き合いのあるコンテンツがこうして終焉を迎えようとしてるのを見ると、なんか心にポッカリ大穴が……というレベルじゃないくらいの喪失感があるんよ。

そもそも今のアイカツプラネットが始まったときガンガン宣伝しまくってたくせに、なんであっさり半年で終わらしたのか、よくわからんわ。もうちょっと何とかならんかったのか。

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